「お母さんは楽しかったよ」杉田かおる語る母との最期の日々
24時間、美年子さんの血中酸素濃度をチェックしながら、朝、昼、晩の食事を用意。トイレや入浴の介助のほか、定期的に母親を車いすに乗せて、自らの運転で病院に連れていくことも。
さらに在宅介護だったので、訪問医、看護師、ケアマネらとの打ち合わせ。薬の受け取りに出かけるなどなど、杉田さんの日常は一変し、看護と介護一色の生活に。それでも、母親の前では笑顔を絶やさず、充実した日々を過ごせたという杉田さん。
「私のデビュー作の『パパと呼ばないで』が、毎週、再放送されている時期があって、母と一緒に楽しみに見ましたね。当時の思い出話をしたりして(笑)。母の楽しそうな顔を見ていると“あっ、女優になってよかったな〜”と。
親孝行ができた気がしました」
美年子さんは亡くなる3カ月前、肺の代わりに筋肉や横隔膜などを鍛える、呼吸リハビリテーションを受けるため病院に入院する。退院後は老人保健施設に入った。別れは突然やってきた。
「’18年の元旦、母はテレビ電話で“お正月のおせちもお菓子もいただいたの”“紅白も見たよ”と言って、元気そうでした。でも、2日、“今から行くね”と電話で話した後に意識がなくなったんです。