桑田靖子語る「明菜と2人きりの楽屋」と「83年アイドルの結束が固い」悲しすぎる理由《あの80年代アイドルの今》
『じゃあ桑田さんでやりましょう!』と言っていただいたみたいなんです。何をしていいかっていうのは本当に分からなくて、毎週プロデューサーさんに『どうしたらいいでしょう』と相談してました」
たけしとの会話は終始、緊張していたという。
「そんなには喋れなかったですね。ただ、私に弟がいるんですけど、名前がたけしで。学生時代に甲子園に出ていたのを、たけしさんがお聞きになられてたみたいで、『弟くん、野球やってんだってね』とか、『弟くん甲子園出たんだってね』と話しかけてくださった記憶があります」
■「なぜ私たち83年アイドルは不作だった?」を検証しようと
当時の事務所を20歳で退社した。
「そうですね、やっぱりバラエティや司会のお仕事とかが多くなってたんですけど、どうしても歌がやりたくて、『辞めさせてください』と。若気の至りですね(笑)。事務所を辞めてからは、CMソングを歌ったり、ナレーションをやったり、バンド活動したり、NY近郊で1カ月間ボイストレーニングを受けたり、日本食店でアルバイトしたり、自分探しのようなことをしてました。
バリで1カ月間サーフィンをやりに行ったり、福岡の実家へ戻ってた時期もありましたね。