を支配するまでに至る。
琵琶湖というものを戦略的にも通運的にも大事にした信長は、
湖の傍らに安土城を建て、3人の家臣たちに他に3つの城を建てさせた。
今、琵琶湖はひとつの湖だが
かつては大中の湖に囲まれもっとドでかかったらしい。
その中でも安土城はたいそう豪華絢爛だったそうだ。
天守閣の柱は朱塗りで、内部は黒漆塗り、瓦には金箔。
ポルトガル人の宣教師による「こんな壮大な建築見たことない」との言葉が残されている。
しかし住み始めてたった3年で
信長は本能寺の変にて命を落とし、また城も追うようにして焼失。
そして400年経ち、
今は山のような姿でわたしを出迎えてくれた。
(マジで登山)
(城から見える景色)
直接今姿かたちを見ることはできなくても、
長い歴史の中で、人々が生きてきた痕跡は各地にある。
大きな城だけじゃない。
大津にある国宝の「三井寺」にもまた、信長が本陣を置いたこともあったという。
そこで生きていた彼らの足跡は、
それはまるで家の柱の傷のようにわたしたちの生活のなかに溶け込んでいる。