稀勢の里に囁かれる部屋創設計画、“角界の母”も後押しか
「相撲がとれる状態じゃない」
すでに痛めていた左大胸筋に加え、左足首も負傷し休場した横綱・稀勢の里(31)。名古屋場所に強行出場した姿には、横綱の責任を果たすという悲壮感さえ漂っていた。
「どこかが痛くても土俵に上がるのが相撲道」というのが、稀勢の里が入門したときの師匠である故・13代目鳴門親方(元横綱・隆の里)の教えである。亡き師匠の教えを愚直に守り、強行出場した結果の再度の負傷だった。
本来、名古屋場所の休場を勧める立場にあったのが、現親方の田子ノ浦親方(41・元隆の鶴)なのだが……。
「今の親方は現役時代の最高位が前頭八枚目。横綱に上り詰めた稀勢の里には遠慮がある。稀勢の里自身も、親方のことを感覚的には先輩力士の一人ぐらいにしか思っていません」(相撲協会関係者)
実は田子ノ浦部屋ができた経緯にも複雑なものがあった。
「鳴門親方は生前『この部屋を将来継ぐのは、若の里(元関脇)だ』と言っていました。ところが、11年に鳴門親方が突然亡くなってしまいます。