「生業を返せ!」最大の原発訴訟、原告たちの訴え(前編)
原発事故直後は、流通がすべてストップし、大手スーパーは店を閉めざるをえなかった。しかし、地域と歩んできたナカジマストアだけは、備蓄した米や公設市場から冷凍の魚などを仕入れてきて、格安で販売。地域の人々の命を守った。
「近くにある相馬の原釜漁港から水揚げされる魚は、味がいい。“常磐もの”と呼ばれて、築地の漁業関係者からも高く評価されていたんです」
しかし、原発事故によって、漁港は操業停止に。ナカジマストアも、他港から魚を仕入れるしかなく、コストがかさむ分、経営は苦しくなった。
事故から1年と少し過ぎたころから、試験操業で水揚げされた放射能測定済みの地元のタコなどは店頭に並べられるようになったが、客の反応は、芳しくなかった。
「小さな子どもの連れの夫婦から、『測っているのは、ヨウ素とセシウムだけ。
ストロンチウムや他の核種は測っていない。だから心配で子どもには食べさせられない』と言われたんです」
中島さんは後日、なぜストロンチウムを測らないのか、と県の職員に問い合わせた。