吉本せいの孫を生んだ笠置シヅ子が「東京ブギウギ」を歌うまで
しかし、穎右さんは23歳の若さで亡くなってしまう。産院で訃報を聞いた笠置さんは、当時の日記にこう記している。
《全身がぶるぶるとふるえ、お腹の子までも息が止まるのかと思うばかりだった。(中略)穎右がラッパを吹いて、その音色に合わせて自分が歌っている夢をみた》
それから13日後、笠置さんは産気づいた。
「お腹の子の父の死の報が伝えられた“悲しみのどん底”で、32歳の初産に臨まなければなりませんでした」
6月1日朝、笠置さんは元気な女児を出産。穎右さんの遺言どおりエイ子と名付けた。
「吉本せいさんは、赤ちゃんを吉本の籍に入れる提案をしましたが、笠置さんは自分の手で育てる決意をしました。実は笠置さん自身も、両親が結婚を反対され未婚のまま生まれた女性でした。
だから、そこだけは譲れなかった。養父母の元で育ち、17歳でその事実を知ったときのショック……。自分の子どもに同じようなつらい体験をさせたくないとの思いが強かったんです」
笠置さんは、穎右さんが生まれてくる子どものためにと遺していたお金以外、吉本からの資金援助を一切受け取らなかった。