くらし情報『「ぴあフィルムフェスティバルと大島渚の時代」連続インタビュー①犬童一心×手塚眞×小中和哉 「映画祭の場で、はじめて自主映画を作っている同世代に出会った」』

2023年3月13日 08:00

「ぴあフィルムフェスティバルと大島渚の時代」連続インタビュー①犬童一心×手塚眞×小中和哉 「映画祭の場で、はじめて自主映画を作っている同世代に出会った」

僕はここではじめて自主映画を作ってる同世代に会ったんですよ。

──犬童監督と同じ年に手塚眞監督も『UNK』(1979年)で「OFF THEATER FILM FESTIVAL ’79」に入選しています。

手塚なんで送ったんだろう?(笑)。その前から、このとき審査員だった大島(渚)監督や、大林(宣彦)監督ともお会いしていたので、それで自然に送ったんだと思います。大島さんは、原将人監督と組んで『東京战争戦後秘話』(1970年)を作ったり、若い人の映画にすごく興味を持っていましたね。ただ、お忙しい方だから、自分が面倒を見られないときは大林さんに譲られたり。大林さんもそういうことがお好きだったから、おふたりで若者を支えていた感じがありますね。

“少数の意見を大事にする” 大島監督の考えが反映されたPFF審査員の推薦制

「ぴあフィルムフェスティバルと大島渚の時代」連続インタビュー①犬童一心×手塚眞×小中和哉 「映画祭の場で、はじめて自主映画を作っている同世代に出会った」

『HIGH-SCHOOL-TERROR』
──PFFに名称が変わった1981年の第4回では、手塚監督の『HIGH-SCHOOL-TERROR』(1979年)、笹平剛(現・利重剛)監督の『教訓 I』(1980年)と成蹊高校映画研究部の作品が2本入選しているのに加えて、黒沢清、松岡錠司、緒方明、飯田譲治と錚々たる名前が入選作に並びます。

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