くらし情報『中井貴一はなぜ立川志の輔の落語を映画にしたのか? 『大河への道』のウラ側を聞く。』

2022年5月19日 17:00

中井貴一はなぜ立川志の輔の落語を映画にしたのか? 『大河への道』のウラ側を聞く。

があったからなのだと思います。

中井貴一はなぜ立川志の輔の落語を映画にしたのか? 『大河への道』のウラ側を聞く。

立川志の輔
――主語が浮かばなかった、というのは重要ですね。

志の輔偉業を成した人は講談と相性がいいんですよ。落語は“凄い人”とは合わない(笑)。凄い夢を持った人を支えた人たちなら落語になるなと。偉業は偉い人ひとりでやったんじゃなくて、いろんな人が助けた結果なんだと。

――“落語は江戸の風を感じること”という言葉があります。この映画を観ていると、かつて人が生きていた時代の風を感じますし、その時代の生命を感じます。


志の輔なんでみなさん落語を安心して聴いてくれるのか。落語は必ず目の前の人間と話をしているんですね。必ず相手とちゃんと話をしている。顔を見て、目を見て。馬鹿なことも。自分が言うつもりじゃなかったことも。なにもかも全部。

江戸時代では目の前にいる人間としか話はできないんです。
長屋であろうが、江戸城であろうが。今はネットなどで、目の前にいない人間とコミュニケートできる時代でしょう?時代劇も目の前にいる人としか話をしていない。(師匠の立川)談志は「(落語には)江戸の風が吹いてないといけない」と言った。つまり相手の気持ち、了見を分かりながら話をしていく。

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