2023年10月17日 20:30
翻訳家の松岡和子が語る『尺には尺を』『終わりよければすべてよし』の魅力
イザベラが入ろうとしていた修道会は、聖クララ修道会と言って、本当に戒律の厳しいところだそうですから、修道女への思いは強いものがあったと思います。ただ、その聖クララ修道会の戒律の一つに「沈黙」とあるのですが、イザベラはとにかくよく話します。なので、それ一つをとっても聖クララ修道会に入る資格はないんですよ(笑)。マタイによる福音書にも「兄弟に向かって愚か者というものは、議会に引き渡されるだろう。また、馬鹿者というものは、地獄の火に投げ込まれるであろう」とあるのですが、イザベラは(兄である)クローディオに向かって「死んでください」とか、「愚か者」以上の強い罵倒の言葉を言います。これもまた修道女としての資格がないですよね。そのように、シェイクスピアは彼女を面白い女性として描いています。このお芝居の中に出てくる人は、みんな何らかの形で手が汚れているんです。
ですから、生きる人は誰一人、清廉潔白ではない。人間的な欠陥はあるし、清く生きるためという大義名分のもとであれ、人をはめてしまうという過ちを描いています。人間ってそういうものだよねという、シェイクスピアのつぶやきが浮かんでくるような気がします。