ものは無常で流動的である 菅木志雄の新作展「集められた〈中間〉」小山登美夫ギャラリーで開催
それはヒトには簡単に理解できないような集積である。たとえ時間をかけたとしても〈在ることのプロセス〉を感知することはむずかしいと思われる。時間の長さも、その在り方もである。わからないながら、ヒトは、アートの名目で、無造作にモノを扱おうとする。それは、ヒトが創造するには、それを表わすためのモノが必要だと思っているからである。注意しなければならないのは、モノは根源的にアートに使用されるためにあるのではないということである。
<存在するものである>という意味では、モノも作品も同じかもしれないが、多くの場合モノの始原的な存在性というものは、だいたいにおいて制作の過程で失われてしまう。それは、本来モノが保有しているべき原質のようなものがなくなるということである。
そうなれば、本質的にモノはモノでなくなり、カタチはあれど本来あるべき存在性は失われる。作品(モノ)はつねに途中のモノによって、できているのである。
■展示情報
菅木志雄展「集められた〈中間〉」
6月5日(土)~7月10日(土)
11:00-19:00(日・月・祝休)
会場:小山登美夫ギャラリー
入場無料
※本展は、小山登美夫ギャラリー、スパイラルガーデンでの同時開催。
※オープニングレセプションはなし。