その後、作家として生きることを決意してモスクワに上京。1924年には小説「白衛軍」の第1部を発表した。1926年には小説「白衛軍」を自ら戯曲化した『トゥルビン家の日々』がモスクワ芸術座で初演され、「第2の『かもめ』」と称賛される。だが、ソビエト政権の敵である白衛軍を同情的に描いていることで批判が激化し、1929年にはブルガーコフの全ての戯曲が上演禁止となる。
後に上演禁止は解かれるが、不遇のまま1940年に腎臓硬化症により48歳でこの世を去った。死後、1966年~67年に長編小説「巨匠とマルガリータ」がロシアで発表され、たちまち世界各国の言葉に翻訳されたことで世界的にその名が知られるようになった。
「白衛軍」はブルガーコフの自伝的小説だが、作中でウクライナの民族的英雄であるペトリューラや彼が率いた人民共和国軍を辛辣に描いていることもあって、2022年のウクライナ侵攻以降、ウクライナ国内ではブルガーコフを「帝国主義者」とし、「ウクライナ文化を軽蔑していたウクライナ嫌いの作家」と批判的に見る向きがあるという。ロシア文学者で「ブルガーコフは『ウクライナ嫌い』の作家か」という論文も発表している千葉大学大学院准教授の大森雅子氏は、「白軍、赤軍どちらかを悪く書こうとしたわけではなく、冷静な態度で書こうとした」