【清浄心院】1年に一度だけの秘仏公開。"秀吉の傘桜"の見ごろと共に「春の大護摩祈願祭」を開催します / 2022年4月18日(月)~20日(水)
令和3年12月、清浄心院・高野山文化歴史研究所が清浄心院の蔵で発見した「遍照発揮性霊集」。 鎌倉時代中頃に高野山で刊行された高野版で、 巻子本で仕立てられた大変珍しいものです。
「十二天曼荼羅」(江戸時代)
令和3年夏に発見された清浄心院発行の版木で、江戸時代中期頃、流行した疫病に際し、疫病退散のために作られたものと考えられます。主尊は不動明王。十二天は帝釈天、水天、焔摩天、毘沙門天など東西南北を護る四天をはじめ、各方位を護る十二の護方神を意味し、主尊を中心とした曼荼羅世界を形成しています。
5,高野山大学名誉教授山陰加春夫先生による「鎌倉殿の13人時代の高野山」講演会
鎌倉時代は高野山が幕府にとって大きな役割を果たしていました。北条政子が源頼朝や実朝の菩提を弔うために創建した金剛三昧院を拠点に、幕府の重臣である安達景盛(高野入道)が高野山にいながら幕府に参与していたと伝わっております。安達景盛は頼朝の流人時代からの側近であり、大河ドラマ「鎌倉の13人」の一人でもある安達盛長の子です。
平安時代末期、平宗盛によって再建された清浄心院のお話から始まり、鎌倉時代に高野山がどのような存在になっていたのかお話しいただきます。