平岳大が語る。「父を真似ているとは、言われたくない」
それも緻密な会話劇ではなく、ごつごつしたパワーの塊がぶつかり合う感じ。ラシーヌの脚本でありながら、王道のギリシャ悲劇らしい骨太さが味わえます。日常からは遠い話である分、等身大のリアリティだけでは成立しない。自分の枠を広げて、どこまで大きく演じられるか、新たな挑戦ですね」
『フェードル』にかける平の思いは強く、公演半年前に、すでに台詞を覚えていた。
「怖いんですよ。多分、『フェードル』は今までの役者人生の経験全てをぶつけても、足りない。そのぐらい大変な作品です。全力を出し切って、台詞ひとつひとつを体に入れて向き合わないと。
台詞はまず小さな手帳に書き写して、それを見ながら電車の中やランニング中にぶつぶつ言って覚えています」
こういったギリシャ悲劇やシェイクスピアのような作品は、父・平幹二朗が得意だったが、意識することはあるのだろうか。
「真似ていると言われたくないなぁ(笑)。絶対に似ていると言われるでしょ?もちろんご覧になる方が楽しんでいただければ、それも嬉しいことなのですが。確かに僕は長年、父の舞台を観てきたので、自分の中に無意識に影響を受けている部分があると思います。でも安易にそれを頼らず、自分ならではの今の時代のギリシャ悲劇、スケールの大きさの表現に取り組みたいです」