2023年1月30日 11:00
東京羽田 穴守稲荷神社が1月から願掛け小鳥居の頒布を開始 かつて4万6,796基あった穴守の千本鳥居の復興を目指す
願掛け小鳥居(奥之宮)
願掛け小鳥居
▼奉納された願掛け小鳥居の様子
願掛け小鳥居奉納例(狐塚)
願掛け小鳥居奉納例(千本鳥居脇)
東京羽田 穴守稲荷神社に奉納された小鳥居。
狐塚や稲荷山ほか境内いたるところに並んでいます。
■戦前の歴史を後世へ語り継ぐ使命■
戦前、東京羽田 穴守稲荷神社がまだ要島(現羽田空港島)に鎮座していた頃、神社を中心とした羽田地域一帯は、日本初(※当社調べ)の神社参詣電車である京浜電鉄穴守線(現京急空港線)が開通し、門前町はもとより、競馬場や海水浴場、鉱泉旅館街や鴨場などもある一大観光地(総合リゾート地)の様相を呈していました。しかし、終戦直後の1945年(昭和20年)9月12日、連合国軍が日本政府に対して羽田穴守町・羽田鈴木町・羽田江戸見町の三か町(約1,200世帯、約3,000名の全住民)に48時間以内の強制退去命令を下し、東京羽田 穴守稲荷神社社も現在地に遷座することになった経緯があります。現在も羽田空港の片隅に大きな鳥居が残されていますが、この鳥居がかつて4万6,796基あった穴守の鳥居の中で、唯一残された「一の鳥居」であったという事を知る人も少なくなってしまっているため、2月5日の初午祭の講話などを通じて、神社の歴史や東京羽田 穴守稲荷神社鳥居奉納の意義を語っていきたいと考えています。