心配は百害あって一理なし?幸せへの一歩は「人を心配しないこと」【辛酸なめ子 レーネンさんへ質問】第1回
心配したり不安になったりすることも同様に心にモヤモヤを溜める原因になります。
「心配すること」について、レーネンさんはこんな風に考えているそうで――。
レーネン:たとえば、田舎の両親が病気にかかったとしましょう。その事実に対して、あなたはなにができますか?心配することで変わることがあるのでしょうか?
親の病気に対して「心配する」「不安になる」ということは、彼らにネガティブなエネルギーを送ってしまっているのです。
レーネンさんのご家族も、火山活動が活発なハワイで居住されているそうですが、レーネンさんは「心配をしたり」「不安がったり」はしないとのこと。
確かに心配したところで、なにも変わらないのですが、家族から心配されないのはさみしい気がしますよね。
なめ子:親の体調が悪いと結構心配してしまい、神社やお寺にお参りしたりしていました。母も生前は、「風邪をひいてないか」と私のことを心配してくれて。
まさに心配がコミュニケーションのようになっていたんです。なので、自分が病気になったときに、誰からも心配されないのはさみしいような…。
レーネン:そう感じるのは「心配をされないことは孤独である」という刷り込みが強いからです。