歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が3月12日に放送されたテレビ朝日系『徹子の部屋最強夢トークスペシャル』に出演。妻・小林麻央さん(享年34)が17年6月22日に亡くなる直前に送った最後のLINEについて明かした。 麻央さんが旅立った日は舞台や撮影などで忙しかったと回顧した海老蔵。「麻央が逝くのが夕方から夜にかけてでした」と話し、「そのときに最後のLINEをしました。なんでこんなLINEを送ったのか分からないけど、“愛してるよ。結婚してください”と。それが彼女との最後のやりとりだったんです」としみじみ振り返った。 また、以前出演したドキュメンタリー番組で、現在でも麻央さんにLINEを送っていると明かしていたが、最近麻央さんから返信が届いたと告白。「びっくりしました。誰かがやったに決まってるのに、すべての思考が止まりました」とパニックになったという。 返信を送ったのは娘・麗禾ちゃんだったそうで、海老蔵の「麻央げんき?」というLINEに対し、ハートマークが送られてきたという。海老蔵は「文面が明らかに麗禾でした。もうドキっとした麗禾と返しました」と親子の微笑ましいエピソードを披露した。
2018年03月13日歌舞伎俳優の市川海老蔵が12日、自身のブログを更新。昨年6月に亡くなった妻・小林麻央さんとのバレンタインにまつわるエピソードを明かした。市川海老蔵海老蔵は、麻央さんが昨年2月14日に投稿した「バレンタイン」と題したブログの英訳をリブログ。麻央さんはこの投稿で、「主人にはいちごのチョコレートフォンデュをしたかったのですが、今年はチョコレートを溶かすこともあきらめてしまいました。でも、昨夜、娘と一緒に手紙を書きました」などとつづっていた。海老蔵は「今年のバレンタインは麻央にチョコレート買おうそう思いました」と書き出し、「チョコレート好きでしたから去年は麻央からチョコレート貰いました珍しく全て食べた記憶が御座います」と昨年のエピソードを告白。「普段は少し残しておくと化石となって現れるのですが笑笑とっておけば良かったと後悔してます。残しとけば良かったな、、」と後悔を打ち明けた。
2018年02月13日歌舞伎役者の市川海老蔵(40)が12月31日、自身のインスタグラムを更新。年越し前に長女・麗禾ちゃん、長男・勸玄くんを連れて6月に亡くなった小林麻央さんのお墓参りをしたことを報告した。 海老蔵は「御墓参りに行きました」とピンクのダウンコートを着て御墓の前で手を合わせる麗禾ちゃんの写真をアップ。「今日は年越しそばを皆で食べようと思います。去年は麻央と二人で食べれた事。私の人生で一番の思い出の年越しそばです」と一年前を振り返った。 つづけて「今年は麻央はいません。とてもかなしいです。が、皆で心の中で共に年越しそばを食べたいと思います」と思いをつづった。 ファンからは「お空で笑顔で麻央さんが見ていると思います」「心でつながっていますよ」と温かい声が寄せられている。
2017年12月31日歌舞伎俳優の市川海老蔵が20日、自身のブログを更新。6月22日に34歳で亡くなった妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんのお別れ会を検討していることを明かした。海老蔵は「来年あたりにお別れの会をやれたらなぁ~と思っています」と開催を検討していることを伝え、「まだ何も決めていませんが、麻央が生前お世話になった方々ときちんとお別れをしなくてはと思っています」と自身の考えを記した。また、麻央さんがイチョウについてつづった昨年のブログに触れ、「外苑のイチョウ並木、、私と麻央がデートの時よく通った道でした」と懐かしそうにつづった。
2017年11月21日歌舞伎役者の市川海老蔵(39)が22日、自身のブログを更新。妻で今年6月22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)の月命日を家でゆっくりと過ごしているとつづった。 海老蔵は『月命日』という記事で「今日は妻の月命日です、あの日から3カ月、いまになり心のかなしみが押し寄せる」と胸中を吐露。「今日は家でゆっくり妻を思い過ごしています」と自宅で過ごすことを伝えた。 その後に更新した記事では「私が以前つくった野菜スープを思い出しながら目を瞑り共に食べようと思います。麻央が好きだったものを思い出しながら、たまに家でゆっくりするのも悪くないですね」と野菜スープの写真を公開した。 ブログの読者からは「胸がいっぱいになりました」「麻央ちゃんもお空で喜んでいると思います」「これからも応援します」とコメントが寄せられている。
2017年09月22日フリーアナウンサーの小林麻耶(38)が5日、自身のブログを更新。6月22日に亡くなった妹・小林麻央さん(享年34)の納骨を終えたことを報告した。麻耶は「本日、納骨を終えました」と報告。「今日は、汗ばむ陽気でしたが、時より吹く風が心地よく妹が、みんなを優しく包んでいるのかなと思えました」と、風に麻央さんを感じたという。そして、「また、今日、暗い気持ちになりそうなときクスッと笑える出来事があったり、いつでも一緒だよ、大丈夫。と、言ってくれているようでした」とつづり、「コメント、ありがとうございます。心から感謝です」と読者にも感謝した。麻央さんの夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵もこの日、ブログで「納骨と七十五日祭滞りなく終える事が出来ました」と報告していた。
2017年09月05日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が5日、自身のブログを更新。6月22日に亡くなった妻・小林麻央さんの納骨と七十五日祭を終えたことを報告した。この日、「今日はぎょうじです」「行ったりきたりしております」とブログに記し、子供たちと出かけている写真をアップしていた海老蔵。夕方に更新された「本日」と題したブログで、「納骨と七十五日祭滞りなく終える事が出来ました」と伝えた。続いて更新された「もどりました」と題したブログでは、「空を眺めてます」と空の写真を掲載。「人の生涯はわからない、わからない事が多いです。。切り開くものなのか?最初から決まっているものなのか?様々な想いの中、、ロマンに生きてみたい、、そう感じています、今はです」と、自らに問いかけながら思いをつづった。
2017年09月05日6月22日に乳がんのため亡くなった小林麻央さん(享年34)のブログが米・スタンフォード大学の東アジア図書館の『ウェブアーカイブコレクション』にデータとして保存されることが分かった。夫で歌舞伎役者の市川海老蔵(39)が31日、ブログを更新し「こころから感謝です」とつづった。 米の名門校・スタンフォード大学では日本の代表的なブログやウェブサイトをウェブアーカイブとして保存し、研究に活用してきた。これまでに政治評論家の田原総一朗(83)、脳科学者の茂木健一郎(54)をはじめとする8件のブログがアーカイブ化されている。 麻央さんは’16年9月1日に公式ブログ『KOKORO.』を開設。全352件の記事で乳がん闘病や家族との日常をつづってきた。生前には’16に英・BBCが発表した『今年の100人の女性』に日本人として初めて選出されるなど、ブログを通し日本のみならず世界に勇気を与えていた。 今回のアーカイブ化について夫の海老蔵も31日に『ありがたいです』というタイトルで記事を更新し、「麻央のブログがスタンフォード大学の図書館に保存していただけることになりました。麻央のご家族とも相談し大変ありがたいことなのでぜひお受けしようと」と報告。「麻央のこころをより多くの人に伝えることができる。こころから感謝です」と感謝をつづった。 読者からは「麻央さんも喜んでいるでしょうね」「さすが麻央さんは偉大でした!」「ガンの陰に隠れない決心をした麻央さんの決意が届いていますね」という声が寄せられている。
2017年08月31日歌舞伎俳優の市川海老蔵が31日、自身のブログを更新。6月22日に乳がんで亡くなった妻・小林麻央さんのブログ「KOKORO.」が米スタンフォード大学の東アジア図書館のウェブアーカイブコレクションとして保存されることについて、あらためて感謝した。海老蔵は「ありがたいです」というタイトルで更新。「麻央のブログがスタンフォード大学の図書館に保存していただけることになりました」と報告した。そして、「麻央のご家族とも相談し大変ありがたいことなのでぜひお受けしようと」と経緯を説明し、「麻央のこころをより多くの人に伝えることができる。こころから感謝です」とつづった。麻央さんは2016年9月1日にブログ「KOKORO.」を開設。約10カ月間で352記事をつづり、1記事1記事に込められたメッセージは多くの共感を呼び、ブログ読者をはじめ、日本だけではなく世界中の人々を勇気づけ、大きな影響を与えた。
2017年08月31日6月22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さんのブログ「KOKORO.」が、スタンフォード大学の東アジア図書館のウェブアーカイブコレクションに選出され、保存されることが31日、明らかになった。全米屈指の大学であるスタンフォード大学の東アジア図書館では、現在の日本社会においてその時代を反映する意義ある代表的なブログやウェブサイトをウェブアーカイブに加える活動をしており、このウェブアーカイブコレクションに保存された情報は、同大学において今後の重要な研究の情報源となる。麻央さんは2016年9月1日に「ブログという手段で 陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」という強い意志のもと、ブログ「KOKORO.」を開設。約10カ月間で352記事をつづり、1記事1記事に込められたメッセージは多くの共感を呼び、ブログ読者をはじめ、日本だけではなく世界中の人々を勇気づけ、大きな影響を与えた。このたび、スタンフォード大学東アジア図書館からの保存要請を受け家族との協議のもと、「アメブロ」のブログデータを提供する形で、本ウェブアーカイブコレクションにて2つのブログが保存されることが決定した。麻央さんの夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵は「この度は大変有難いお話を頂き、家族としてとても感謝しております。麻央が綴ったブログが、一人でも多くの方を勇気づけ、人生を明るく照らすことができるものであればと願っています」とコメントを寄せている。なお、片づけコンサルタント・近藤麻理恵さんのブログ「こんまりのときめき片づけDays」も同時に選出された。(C)Ameba
2017年08月31日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が22日、自身のブログを更新。先月22日に亡くなった妻・小林麻央さん(享年34)の月命日を迎えた心境をつづった。海老蔵は、「わんちゃんゆめちゃん」と題した投稿で、「あれから1ヶ月、こんなに忙しい日々ですが1ヶ月間、なんか空洞の中を歩いているようです」と表現。「哀しさと反比例する仕事との時間は今の私のある意味支えなのかもしれないが、休みになった時に果たして私は正常でいられるのか?疑問ですが、なんとか全てを受け入れ全てを愛せる者に私はなりたい」と記した。また、「コメント拝見していて涙するのが」と題した投稿では、「えいえいおーってたくさんの方が、麻央がよく言っていた…コメントにその文字があるたびに彼女のえいえいお~を思い出し涙します」と告白。「可愛かった…麻央のえいえいお~」と懐かしみ、「ありがとうございます。あと色々教えてくださりありがとうございます」と感謝の思いを伝えた。
2017年07月22日音無美紀子さん(67・以下音無)「私が乳がんを経験したのも(小林)麻央さんと同じ30代で、娘は6歳、2歳の息子はまだおっぱいにかじりついていました。病気について誰にも話せずにいましたが、麻央さんはブログですべてをさらけだされていて、心の強い人だなと衝撃を受けました」 樋野興夫さん(63・以下樋野)「彼女のブログからは、空から俯瞰でものを見て、自身の生き方を問い直す哲学的な面と、闘病の苦悩を乗り越えようとする覚悟ある胆力を感じました。そして自分を励ますだけじゃなく多くの人に感銘を与え慰める、まさに『利他の心』。その存在そのものがご家族はじめ多くの人への“プレゼント”になったのでは」 乳がんを経験し、講演などの活動を行う女優の音無美紀子さんと「がん哲学外来」理事長で、がん患者やその家族と対話し、生きる希望を与えている順天堂大学医学部の樋野興夫教授。2人に1人が罹患する時代に、がんやがん患者とともに生きてきたお2人が、病いにどう向き合えばいいかを語り合った。 音無さんは’88年に乳がんが見つかり、当時標準治療だった全摘手術を受けた。 音無「子育てが一段落したら女優として“もうひと花”と思っていた私にとって、それは大きな挫折で、誰にも知られたくなくてコソコソ“がんの陰に隠れて”ました。まだ乳房の温存手術も確立されてなくて、メスで切り取られるのも想像がつかない。でも主人(俳優の村井國夫さん)が『(片胸を摘出し)それで女優じゃなくなっても、生きててくれなきゃ困るんです』と、医師に泣いて訴えたんです」 樋野「すばらしいご主人ですね。患者さんの抱える悩みの3分の1が治療法など医療に関するもの。3分の2が家族や職場、医師らとの人間関係の悩みです。日本の患者さんは夫婦間の悩みも多いんです」 音無「そうですか。術後、抗がん剤治療をすすめられたとき、医師の『この治療で皆さん15年も生きている』……この『も』の一言が引っかかり、先生に悪気はなくても、“がんは生きられないもの”という“現実”を突き付けられた気がしてつらかった」 手術後、音無さんはうつになり「死にたい」と苦しむように。だが、小さな一歩でもいいから前に踏み出すと、世界は変わっていったという。 樋野「がんと向き合うとき、私は、『誰とも会わず一人で深刻に集中して1時間悩みきろう』と伝えたい。すると自然と外に出たくなるものです。それと『自分より困っている人を探しに行きなさい』と言いますね。その人のために何かしてあげられるのではないか、といたわり合う心と役割意識が生まれ、気持ちをプラスへと持っていけるのです」 音無「(うなずいて)すごくわかります!『がんの陰に隠れない』という麻央さんのブログもそうですが、自分のことよりも人を思う利他の気持ち、またコメントに寄せられた『私も大変ですが麻央さんはもっとがんばっている』と勇気づけられた人の思い。自分もがんばらなければと、勇気づけられました」 樋野「がんになって最期を迎えることも天寿を全うすることなのです。人間には一人ひとり、最期まで与えられた役割や使命があります。それを忘れずに生きてほしい。いい人生だったかどうかは最後の5年間で決まりますから」 音無「先生の言葉が心にス~ッと入ってラクになりました。私も自分が経験したことを伝えながらも、患者さんの声に耳を傾けていきたいです」
2017年07月22日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が13日、自身のブログを更新。先月22日に亡くなった妻・小林麻央さん(享年34)の実家で飼っていた犬と一緒に暮らし始めたことを明かした。海老蔵は「ワンちゃんきたよ」というタイトルで更新し、「麻央が実家で飼っていたユメちゃん」と写真を添えて紹介。「2人は夢中」と、長女の麗禾ちゃんと長男の勸玄くんが2人並んでユメちゃんを眺めている写真もアップし、「今日から一緒に暮らします」と伝えた。14日朝のブログでは、「今日は朝麗禾がこないです、寝てるのかな?もしかして、ユメちゃんの方へ?!ジェラシー…」と麗禾ちゃんがいつものように来ないことを明かし、その後、「やっぱりー」と題した投稿でユメちゃんを抱っこしている麗禾ちゃんの写真を掲載。「もうジェラシー笑」と冗談交じりに嫉妬した。また、「ワンちゃんをもう少し飼う?という我が家の朝の会話」と、ユメちゃんのほかにも新しい犬を飼うプランが浮上していることも明かし、「パパはクリス一世クリス二世メーテル。というゴールデンリトリバーとの三度の別れが辛くワンちゃん大好きですが離れるのは悲しいで」というも、「うぅ、でも、飼いたいとなってます。ど、どうしよう」と悩む心境をつづった。
2017年07月14日「ママ、行ってきます!」 今日も勸玄くん(4)と麗禾ちゃん(6)が声をかける。だが、その先に小林麻央さん(享年34)はいない。たくさんの花で飾られた遺影と骨壺があるだけだ――。 「『舞台で一緒の勸玄と違って、麗禾との時間はなかなか取ってあげられないから』と市川海老蔵さん(39)は麗禾ちゃんとずっと添い寝をしているそうです。勸玄くんは最近悲しみを紛らわすためか、もらったカブトムシやクワガタの世話に夢中になっている。ただそれでも突然泣き出すこともあって、そのたびに海老蔵さんは狼狽してしまうそうです」(歌舞伎関係者) ほかのことで気を紛らわせていても、ふとママを思い出してしまうことがある。 《(勸玄が)珍しく泣いてました、 しばらく泣いてました》(7月7日海老蔵のブログより) そんなときは、ママに向かって話しかけるのだ。 「麻央さんが自宅のベッドで横になっていたころ、子どもたちはママのところに行ってよく話しかけていましたし、お出かけの『行ってきます』も欠かしませんでした。今は遺影に向かって、同じようにしているんです。2人とも、麻央さんの声が聞こえるかのように振る舞うこともあって……」(前出・歌舞伎関係者) 子どもたちは悲しみを抱えながらも、周囲の助けを借りて、一歩ずつ前に踏み出している。勸玄くんは東京・歌舞伎座でおこなわれている「七月大歌舞伎」の夜の部で、海老蔵と一緒に宙乗りに挑戦中だ。 「大人でも高くて怖い高さなのに、彼は楽しんで手を振る余裕まで見せているのにはみんな感心しています。やっぱり市川宗家の子だね、と彼の将来を期待する声まで聞こえています。ただ連日の舞台の負担は大きいようで、ときどき『もう行きたくない』と言って海老蔵さんを困らすこともあるようです」(別の歌舞伎関係者) 辛い別れを経て海老蔵が変わったと、別の歌舞伎関係者は話す。 「海老蔵さんは生まれながらにして、歌舞伎界の頂点“市川團十郎”の道が約束された方。そのためか、昔は他人に良くされて当たり前と思っているようなところがありました。ところが今は何かしてもらったことに対して、きちんと『ありがとう』と口にするようになりました。麻央さんのご病気で苦労されて、本当に周囲に助けられた。そのことが海老蔵さんを変えたのではないでしょうか」 七夕の日、海老蔵が麻央さんの骨壺が置かれた祭壇を見ると、一枚の写真が置いてあった。この日、焼きあがった舞台写真。白狐として舞台に臨む勸玄くんの写真だった。 《カンカンいち早くママのところへ飾ってた…だめだ今日も、涙がとまらない》(7月7日海老蔵のブログより) 家族の支えがあって、子どもたちは日常を取り戻していく。だが、麻央さんのことを忘れることはない。これからも、亡き母に向けて、子どもたちは声をかけ続ける――。 「ママ、ただいま!」
2017年07月13日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が8日、自身のブログを更新し、生まれて初めて自分のことを「かわいい」と言ってくれたのは、先月22日に亡くなった妻の小林麻央さんだったと明かした。海老蔵は「麻央と純大さんの共通点」と題して更新し、「私の人生で生まれて初めて私のことをかわいい。と言ってくれた人物は麻央でした」と告白。「え?最初は耳を疑った!?このおれが可愛い?!と」と驚いたというが、「しかし麻央からみると可愛いようでした」とつづった。そして、「数年間 麻央に可愛いと言われつづけ麻央からだけは可愛いと言われることが嬉しかった。大の男が可愛いなんて言われて嬉しいのは近年の草食系ぐらいかなーと勝手に思ってましたから」と懐かしそうに振り返り、「しかし麻央から可愛いとはもう二度言われない、かなしい」と吐露した。さらに、俳優の山田純大について、「純大さんとは初めて会った時から私のこと可愛いと言ってくれてました、、なぜか?不思議と嫌でなかった」と明かした海老蔵。「私の事を目の前で可愛いと言ってくれる麻央と純大さんの共通点」と記し、最後に「しかし麻央からもう一度可愛いと言われたい」と思いを馳せた。
2017年07月08日6月22日に亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が7日、自身のブログを更新。麻央さんとの七夕の思い出を明かし、麻央さんのことを感じる時間がより濃く「息ができない」とつらい心境を吐露した。海老蔵は「今日は七夕実は麻央と付き合いだしたのは六月でした、六月で最初のイベントが七夕でした」と書き出し、「わざわざ私のために仮装してくれて、涙、写真を送ってくれた」と当時のエピソードを披露。「互いに恋い焦がれて恋い焦がれて、時を過ごした、七夕でした。ですので今日はいつもよりも一層 朝から水が流れます」と記した。その後、「息ができない」と題したブログで、「今日はなぜか朝から麻央のことを感じる時間がより濃く、なぜか息ができない」と吐露。「16日たってこうなるのか、、とおもう歌舞伎座での時間です」と続け、「救いをつい求めて倅を見に行ったら寝てました」と長男・勸玄くんの寝ている写真をアップした。さらに、「七夕の思い出が多すぎて、、久しぶりに今宵飲みに出ようかな、麻央と2人で七夕過ごした所へ」と麻央さんへのあふれる思いを記した。
2017年07月07日フリーアナウンサーの小林麻耶が3日、自身のブログを更新。6月22日に乳がんで亡くなった妹・小林麻央さんとのエピソードを明かした。麻耶は、義弟で歌舞伎俳優の市川海老蔵と甥の勸玄くんがこの日、「七月大歌舞伎」の初日を迎えたことを報告し、「今日から27日まで、祈ります」とコメント。そして、「母の友人と旦那様から素晴らしい胡蝶蘭が届きました」と、「御祝堀越勸玄さま」と記された胡蝶蘭の写真をアップし、「樋熊夫妻の愛とともにお部屋が華やかになりました。ありがとうございます。妹もすごく喜んでいるように感じます」と感謝した。続けて、「樋熊哲也さんには妹の婚約会見の時のお着物を作っていただきました」と説明し、婚約会見時の海老蔵と麻央さんの2ショット写真をアップ。「妹の婚約会見を見に、こっそり会場に行ったことを思い出しました。『おねーちゃん、心配しすぎだよ~』幸せそうな笑顔で言っていました」と会場にいたことを明かし、「いつだって一緒にいたくて、いつだって気になる存在です」とつづった。
2017年07月04日「麻央さんは病気発覚以降、常に成田屋の行く末を心配していました。自分に万が一のことがあったときを考えて、複数の手紙をしたため遺していたそうです」(歌舞伎関係者) 小林麻央さん(享年34)の“覚悟の手紙”があった――。悲しみの死から1週間、手紙の存在が知られるにつれ、改めて周囲に驚きと感動の思いが広がっている。 「海老蔵さんがかつて指導を受けた中村吉右衛門さんをはじめ、歌舞伎の重鎮の方々に宛てたものと聞いています。手紙には『私の亡き後も夫と息子の勸玄のことを末永くよろしく頼みます』という趣旨のことが書かれているようです。麻央さんは“梨園の妻としての役目”を最期まで立派に勤め上げようとしていたんだと思います」(前出・歌舞伎関係者) 麻央さんには忸怩たる思いがあった。がんの告知は14年10月。前年に市川團十郎さん(享年66)が亡くなり、市川海老蔵(39)が成田屋の重責を担うようになった矢先だった。 「麻央さんはがんがわかってからも、海老蔵の母・希実子さん(64)について“おかみさん修行”を続けていました。周囲に明かさず、麻央さんは涼しい顔をして歌舞伎座のロビーに立ち、お客様をお迎えしていました。だが16年1月、海老蔵が座頭を務めた『初春花形歌舞伎』に麻央さんの姿はありませんでした。麻央さんがいらっしゃらないことに、ごひいきのみならず、梨園の関係者も不思議に思っていました」(前出・歌舞伎関係者) このとき、麻央さんは歌舞伎座のロビーに立ちたくても立てない状態だった。それから5カ月後の6月9日、海老蔵は麻央さんががんを患っていることを明らかにした。 「もちろん、麻央さんは再び梨園の妻として復帰することを信じて闘病していました。だが万一のことも考え、筆をとったそうです。一点一画おろそかにせず、手紙をしたためたと聞いています」(松竹関係者) 夫とわが子のために全身全霊で書いた麻央さんの手紙。 「すでに、海老蔵さんはお父さまを亡くされています。海老蔵さんと勸玄くんの活躍のためには歌舞伎界の重鎮の後ろ盾が不可欠ですが、本来、ほかの家とのお付き合いは妻の役目です。自分がいなくなった後も、変わらぬお付き合いをしてほしい。そんな願いも込められた手紙だったそうです」(前出・歌舞伎関係者) そして梨園の妻としての最後の仕事を立派に果たした。 「麻央さんは希実子さんに思いを告げ、手紙を託したそうです。しかるべきタイミングで希実子さんからそれぞれの方に直接手渡されるのでしょう。手紙には封がしてあるので、海老蔵さんも詳しい文面は知らないはずです。もし海老蔵さんがこの先、それを読む機会があったら、麻央さんの深い愛情に、泣いてしまうと思います」(前出・歌舞伎関係者) 「七月大歌舞伎」で勸玄くんは父・海老蔵と親子宙乗りに挑む。――これからも2人のことをよろしくお願いいたします。麻央さんの深い愛情はいつまでもそこにある。
2017年07月04日サイバーエージェントが運営する「Ameba」は3日、6月22日に乳がんで亡くなった小林麻央さんを最も価値のあるブロガー「MVB(Most Valuable Blogger)」に認定したことを発表した。夫である歌舞伎俳優の市川海老蔵さんに続き2人目となる。麻央さんは昨年9月1日に「ブログという手段で 陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」という強い意志のもと、ブログ「KOKORO.」を開設。約10カ月間で352記事をつづり、1記事1記事に込められたメッセージは多くの共感を呼び、ブログ読者をはじめ、日本だけではなく世界中の人々を勇気づけ、大きな影響を与えた。ブログ開設以来、10カ月連続で「Ameba芸能人・有名人ブログ」の月間アクセスランキングが1位となり、読者数は270万人を超えるなど、多くの方からの圧倒的な支持と影響力を称えて、このたび「MVB(Most Valuable Blogger)」として認定された。6月20日に更新された記事「オレンジジュース」には、7月3日現在、7万1,000件を超えるコメントが寄せられており、訃報が伝えられた6月23日からの10日間で、約1,000万人もの人が麻央さんのブログを訪れており、世界中の人がブログを通して麻央さんが発信してきたメッセージを見ている。なお、ブログ「KOKORO.」は、遺族との相談のもと、現在の形のままで継続公開することが決定。海老蔵は「麻央の愛がブログというかたちで永遠に記録されること、大変ありがたいです。残された私たちは、ただただ頑張るのみです」とコメントを寄せている。
2017年07月03日6月22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)のブログ「KOKORO.」が英訳されることが30日、明らかになった。夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵が自身のブログで発表し、同日、麻央さんのブログで英訳版が初投稿された。初投稿は、「Being myself」というタイトルで、昨年9月1日に麻央さんが初めて投稿した「なりたい自分になる」というタイトルの投稿を英訳したもの。「私は力強く人生を歩んだ女性でありたいから子供たちにとって強い母でありたいからブログという手段で陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」などとブログを始める決意をした理由などをつづった内容になっている。冒頭には、「(originally posted on 2016.9.1 | 12:12:01)」と記されている。海老蔵は「まおのことやブログに、日本だけでなく海外の方も関心を持っていただいていると聞きました。世界中の私たちと同じように乳がんで苦しんでいらっしゃる方やそのご家族の力に少しでもなれたらとまおが綴った日々のブログを英語に訳して世界中の方に読んでいただければと思いました」と説明。「これもブログを通してまおがやりたかったことかなと思ってます」とつづった。そして、「まずは毎日すこしづつまおのブログにあげていきます。新しいブログを準備していますので、それができたらそちらにうつします」と伝え、「病でありながら世界中の方の心を動かす。本当に偉大な妻です」としみじみ。「今夜から頑張ってみます。世界の方々へ麻央の想いが届きますように…」と思いを込めた。
2017年07月01日「最後の最後まであきらめない麻央さんの強い気持ちに、私はいつも支えられました」と語るのは、自身もステージIIaのがん闘病を経験したAさん(43)だ。 亡くなる2日前まで352回も更新し、闘病の様子を自身のブログ「KOKORO.」に綴り続けた麻央さん。母親が絞ってくれたオレンジジュースを飲んだという、6月20日の投稿が最後になった。 《朝から笑顔になれます。皆様にも、今日笑顔になれることがありますように》 苦しさをおして、こう感謝の気持ちを記していた。彼女が「KOKORO.」を開設したのは昨年9月1日。 《ブログという手段で、陰に隠れている自分とお別れしようと決めました》 乳がんという病の重みに負けそうだった麻央さんが、はじめての投稿で示した決意。するとまたたく間に共感の声が広がり、フォロワー数は100万人を突破した。前出のAさんも、彼女のブログに励まされた1人だ。 「私が入院していた病院にはいろんながん患者さんがいらっしゃいました。その中で再発した方や亡くなった方がいると、私はそれだけでパニックを起こしそうになりました。そんな弱い自分を包み込むやさしさが、麻央さんのブログにはあるんです」 堂々とウィッグ姿を披露したり、ときおりユーモアを交えながら、麻央さんはがんという病と向き合っていた。ステージIの状態から寛解した、40歳の女性もこう語る。 「どう見ても苦しいはずなのに余裕があって、すごいです。その気持ちの強さを、私も真似したいなと感じました」 姉である麻耶さんの存在を《本当にかけがえのない愛そのもの》と記していた麻央さん。いつも見守ってくれる家族への、感謝の言葉を忘れなかった。ステージIIbのがんと闘う46歳の女性は言う。 「私はそんな考え方にとても感心したんです。私も感謝の気持ちは持っているだけじゃなくて、ちゃんと伝えなきゃいけないと思いました」 《暗いことや悲しいことだって、誰かの心にプラスでつながれる瞬間がある》と綴っていた麻央さん。彼女の言葉は、大勢のがん患者の心に響いたはずだ。
2017年06月29日6月22日に亡くなった小林麻央さん(享年34)。夫・市川海老蔵は23日の会見で「麗禾はずっと麻央のそばを離れませんでした。勸玄は今日の朝も麻央の横になっているところに立って、麻央の顔を触ったり、足をさすったり……」と残された子供たちについて語っていた。 勸玄くん(4)にはこれから、数々の試練が待ち受けている。来月には七月大歌舞伎で史上最年少の宙乗りに挑戦、またその後は数十億円規模ともいわれる襲名披露興行が控えているのだ。 母亡きなかで背負う“梨園の宿命”。だが勸玄くんはすでに、梨園入りのための修行を開始。周囲も驚くほどの“歌舞伎役者としての覚悟”をみせているという。 そして長女の麗禾ちゃん(5)もまた、周囲も驚くほどの成長ぶりを見せている。 「麗禾ちゃんは6月中旬、七夕の短冊に『早くママがよくなりますように』と願いごとを書いたといいます。優しさは麻央さん譲りですね」(歌舞伎関係者) さらに麗禾ちゃんは、すでに成田屋の“型”も体得し始めているという。 「彼女は海老蔵さんを真似て見得を切ったりもしています。麗禾ちゃんが望めば、海老蔵さんの妹・市川ぼたんさん(38)のように日本舞踊の道に進むこともできます。また寺島しのぶさん(44)のように、女優として活躍する道もあります。今から『将来が楽しみだ』と期待する声も出てきています」(前出・歌舞伎関係者) 亡き母が安心できるほど、しっかりと育っている子どもたち。家族もそれを支えていくつもりだ。 「麻央さんの闘病中、海老蔵さんの“梨園妻”としての代役は母親の希実子さん(64)が勤めてきました。今後も親子襲名披露までは、希実子さんがサポートしていくつもりだといいます。また麻耶さんもこれまで、妹の代わりになって子供たちの世話をしてきました。今では2人とも彼女にすっかり懐いています。今後もきっと、彼らの“母代わり”として精神的な支えになってくれると思います」(前出・歌舞伎関係者) 麻央さんが見守る天国まで届く名声を――。海老蔵と子供たちの奮闘は続く。
2017年06月29日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が26日、自身のブログを更新。22日に乳がんで亡くなった妻でフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の追悼特番『小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~』(日本テレビ系 21:00~22:54)を見ていることを明かし、「まお、…あいたい、あいたいよ」と悲痛な思いを吐露した。海老蔵は「テレビ拝見してます、」と題して更新し、「涙」と告白。「そして私は完全にまおがくっついた食欲がおかしい」とテーブルに複数並ぶピザの写真をアップし、「ダメです…私こういうのたべないので笑まおは大好きでした!」と記した。そして、長男の勸玄くんに加え、長女の麗禾ちゃんも写り込んだ写真をアップ。「起きて見てます」と2人の子供も番組を見ていることを明かし、「今日もありがとう純大さん、ありがとう」と、前日に続き自宅に来てくれた俳優・山田純大に感謝した。その後、「まお、」というタイトルで更新し、「まお、…あいたい、あいたいよ、」と麻央さんへの思いを吐露。「人生は転んだかどうかが重要ではないどうやって立ち上がったかが重要だ」という言葉が映った画面を添えて、「おれ、がんばるよ、」と天国の妻へ誓った。
2017年06月26日22日に乳がんで亡くなったフリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の姉でフリーアナウンサーの小林麻耶(37)が26日、麻央さんが亡くなってから初めて自身のブログを更新し、現在の心境をつづった。麻耶は「たくさんのコメントありがとうございます。ゆっくり読ませて頂きます。本当にありがとうございます。ご心配していただいたのにもかかわらず、今日までブログの更新できず、申し訳ありません」と感謝とお詫びを伝えた上で、「6月22日最愛の妹が旅立ちました」とあらためて報告。「生まれた時から可愛くて可愛くて、どうしてこんなに妹が好きなんだろうと自分でも不思議に思ってしまうくらい心の底から大好きでした。世界一愛しい存在です」と麻央さんへの思いを明かした。続けて、「いつも優しくて、穏やかで、あたたかくて、自分のことより人を気遣う妹。私の絶対的な味方で、一番の理解者。そんな存在がこの世からいなくなってしまった寂しさ、悲しさは計り知れません。正直、この現実を私は受け止めることができずにいます」とつらい胸中を吐露。「もっと一緒にいたかったもっと一緒に話したかったもっと一緒に笑い合いたかったもっと一緒に...もっと一緒に...いろんな思い出を作りたかった一緒に、生きていきたかった」と無念さをにじませつつ、「これまで妹が教えてくれた...当たり前のことなど何ひとつない日常の有り難さ命の輝き、尊さ愛に生きるということひとつひとつ噛み締めながら妹がいない現実とともに生きていきたいと思います」と前を向いた。そして、「妹は、ブログを始めたことで多くの方々と繋がらせていただき、たくさんの励まし、勇気、力をいただきました。本当に本当に本当にありがとうございました。心から感謝しています。ブログの写真を楽しそうに撮る妹の姿が私は好きでした」と麻耶。「これまで妹を応援してくだった皆様妹が力強く前向きに生きた証のブログ、これからも時々訪れていただけたら幸いです」と呼びかけ、「本当に本当にありがとうございました」と締めくくった。
2017年06月26日乳がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日、34歳の若さで亡くなった。 夫で歌舞伎役者の市川海老蔵(39)は23日記者会見を行い、麻央さんが最期の瞬間に「愛してる」と言って旅立っていったことを明かした。さらに闘病中の麻央さんとはプロポーズの言葉通り「来世も一緒にいよう」と話したという。その深い夫婦愛に多くの人が感銘を受けている。 しかしそんな彼らが交際6カ月でゴールインした、いわゆる“スピード婚”だったことはあまり知られていない。 2人の出会いは08年12月。麻央さんがキャスターを務める『NEWS ZERO』(日本テレビ系)でのインタビューでのことだった。その後、麻央さんが海老蔵の出演する歌舞伎の観劇に赴くなどのデートを重ね、09年11月に交際が発覚。10年3月に入籍した。 “慎重派”なイメージの麻央さんが出会いからすぐに結婚を決めた理由について、彼女が語っていたことがあった――。 10年4月放送の『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)に姉の小林麻耶(37)と出演。番組放送の1カ月前に海老蔵と入籍したばかりの麻央さんは、出会いから結婚にいたるまでのエピソードを告白していた。 中居正広(44)が「お付き合いしてどのくらいでしたっけ?」と訊ねると、麻央さんは照れくさそうに「半年くらい」と答えた。この“スピード婚”には麻耶も驚いたようで、「びっくりしました。そんなに早く決めちゃっていいのかなって思ったんですけど」と語った。 すると麻央さんは結婚の決め手について「4カ月でも、ぴたっと合えば運命の人で、結婚できるって聞いたんです」と説明。中居は「でも、4カ月って怖くない?」と話していた。 当時麻央さんが語っていたように、一緒に過ごした時間の長さと愛情は必ずしも比例しないのかもしれない――。
2017年06月26日ダウンタウンの松本人志(53)が6月25日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出演し、22日夜に亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)について言及。麻央さんは14年10月に乳がんの告知を受けて闘病中だった。 これまで同番組を通じて麻央さんの容態を案じてきた松本。麻央さんが闘病のさなかに開設したブログについても、「麻央さんのブログはよくニュースになっていた。すごく明るく、でもそればっかりやなくて、つらいときはつらいときで正直にブログに載せていて……」と、振り返った。 続けて松本は、「ああ、なんとか乗り越えてほしいなと思っていたんですけどね。本当、こういう人を“美しい人”というんじゃないですかね……」と、麻央さんの健闘をたたえた。松本は、麻央さんの夫である市川海老蔵(39)の会見の映像を見ながら目を潤ませ、ときおり指で涙を拭うような所作も見せていた。 いっぽう、この日出演していたHKT48の指原莉乃(24)は、麻央さんの訃報に対する報道のあり方に言及。麻央さん夫妻の自宅前を帰宅途中に通りかかった際、公表前にもかかわらず報道陣がいたと明かし、「身内が亡くなったかもしれないという状況で、なぜそこまで執着して……」と、苦言を呈した。 指原のこの苦言に対し、芸能リポーターの長谷川まさ子(54)は、「マスコミが事実確認をとるため、夜通し家の前にいる状況になってしまったことは確か」と、補足した。
2017年06月25日歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。以下、会見での一問一答(3)――子供さんへの言葉で印象に残っていることは?心残りだったと思います。2人のことについては、どうすればいいんだろうと考えても、答えは出なかったことだと思います。ですから、いろんなことがあり、今回も子供たちが出演したり、7月にせがれが出るんですけど、見に来ることを1つの目標として、いろんなものを作ったんですけど。でも、きっと見ていると思うんでね。心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか。――海老蔵さんに託されたことは?多すぎて言葉に出せないですね。このあとも舞台もありますし、来月も舞台ありますし子供の舞台もありますし、勸玄の稽古、麗禾の成長のことも考えますし、5歳と4歳ですから、これからお母さんという存在が彼女や彼には非常に重要な存在なわけではないですか。それを失った。僕は代わりにはなれないですけど、できる限りのことをやっていこうと思っています。――麻央さんからよく聞いた言葉で思い出される言葉はありますか?やはり、言葉というか、お姉さまの麻耶さんが調子悪くなったとき、私が舞台で非常に疲れたときも、彼女自身はもっと重い病にかかっている、麻央の方が大変なのに、自分よりも相手のことを心配する優しさ、言葉ということではなくて、どこまでも自分よりも相手のことを思う気持ち…これがね、一番大きかったですね。――どんな奥さんでしたか?わかりませんね。僕を変えた奥さんなんじゃないですかね。――プロポーズのときに「来世も、その来世も」と。そのつもりです。その話もしました。僕が愛想を尽かされないように頑張らないといけない。――改めて今、麻央さんに伝えたいことは?まだ、昨日の今日なので、こういところも聞いていると思うんで、全部聞いていると思うんで、言うことは言わなくても伝わると思うんで。「いつも想ってる」ということですよね。(最後のあいさつ)麻央のブログや麻央の存在で励まされた方々がいらっしゃるということで、今回のこのような形もとらせていただいた。実際そういうことがなければ、このようなことをご報告する自体が形としてはどうかと思います。ですがそういう多くの麻央のことを応援してくださった方、また、麻央と共に戦っている方々、昨日先に旅立ちましたけど、ずっと麻央はきっと皆さんの側にもいると思うので。本当にいろいろ、ありがとうございました。
2017年06月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。以下、会見での一問一答(2)――闘病の中で、笑顔、勇気、愛情を忘れずに闘ってこられた。おっしゃる通り、本当に笑顔と勇気と愛情、そして、決してブレない自分、そして、どんな状況でも相手のことを思う気持ち…愛ですよね。そういう力が最後までブレず、一昨日まで笑顔で話していて、昨日はちょっと調子が悪かったので。我々家族も急にそういう風になってしまったので、とまどった部分も多かったです。――お亡くなりになって麻央さんにどんな言葉を送ったか。この世にある、ありとあらゆる言葉を耳元で話していました。――麻央さんはどんな存在か。とにかく私を、どんな部分も、どこまでも愛してくれていた存在。できれば、ずっと一緒にいて、私の方が先に逝って、彼女にはもっと幸せにもっと楽しく、家族やお友達やご家族…麻耶さんやお父さまやお母さまといて、そして私が役者として成長する過程をずっと見守ってもらいたかった存在です。――麗禾ちゃんと勸玄くんの様子は?麗禾は昨日はずっと麻央の側を離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って、寝てました。認識はしていると思いますね。勸玄はまだ、わかっているんですけど、わかっていないところもあって。今日の朝も麻央の横になっているところに、2人が麻央の顔を触ったり足をさすったり手を握ったり、そういうところを見ると、私が今後、背負っていくもの、やらなくてはならないこと…子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました。勸玄はまだ、わかってますけどわかってないと思います――奥様からから学んだことは?元気になったら彼女は自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらああしたい、こうしたい、多くの人の救いになれる存在になりたいと一生懸命闘病しました。それでブログも始めました。マスコミさんのおかげで公になって、ある意味、ありがたかったと思います。それでブログを始めて同じ病の人たちや苦しんでいる方々と苦しみや喜びを分かり合う姿は、私からするとなんか、人ではないというか、何というんですかね…すごい人だなと。言い方おかしいですけど、とにかく総合的に教わったこと、そしてまた、今後も教わり続けることは、愛なんだと思います。――思い出す麻央さんの表情は?全部です。始めて会った時の彼女から今日の朝まで全部ですね。――笑顔が多い?そうですね。多かったと思います。
2017年06月24日フリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が22日に亡くなったことを受け、所属事務所セント・フォースの代表取締役・久保地美晴氏が23日、公式サイトを通じてコメントを発表した。同氏は、「昨年6月の病の公表以降も、ご家族の身を尽くされたご看病のもと、懸命に病と闘って来られましたが、昨日22日、誠に残念ながら逝去されました」と報告。「いつも周囲のスタッフや出演者の方々に温かい心配りを忘れない、そして自然と周りを笑顔にする、本当に心優しいお人柄でした」と生前の麻央さんを偲ぶ。「アナウンサーとしての活動は7年余りでしたが、皆様に愛され、たくさんの素晴らしいお仕事に恵まれ、充実した時間を送られたと思います。また、そのような時間を共に過ごさせて頂いたのは、本当に幸せでした」と回顧し、「病を公表してからの皆様の温かい励ましのお言葉、改めて本当に有難うございました」と周囲の支えに感謝した。以下、全文。○所属事務所コメント皆様へ平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申しあげます。弊社所属の小林麻央さんは、昨年6月の病の公表以降も、ご家族の身を尽くされたご看病のもと、懸命に病と闘って来られましたが、昨日22日、誠に残念ながら逝去されました。いつも周囲のスタッフや出演者の方々に温かい心配りを忘れない、そして自然と周りを笑顔にする、本当に心優しいお人柄でした。アナウンサーとしての活動は7年余りでしたが、皆様に愛され、たくさんの素晴らしいお仕事に恵まれ、充実した時間を送られたと思います。また、そのような時間を共に過ごさせて頂いたのは、本当に幸せでした。また、病を公表してからの皆様の温かい励ましのお言葉、改めて本当に有難うございました。皆様におかれましては、どうぞご家族の御心情をお察し頂き、今はどうか静かに見守って頂けますよう、心よりお願い申し上げます。平成29年6月23日株式会社セント・フォース代表取締役久保地美晴
2017年06月23日ものまねメイクで人気のタレント・ざわちんが23日、自身のブログを更新し、22日に34歳で死去したフリーアナウンサーの小林麻央さんの優しさに感激したエピソードを明かし、感謝の思いをつづった。ざわちんは「小林麻央さんがお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り致します」と追悼。「小林麻央さんとは直接お会いできなかったのですが、実は大変お世話になったことがあります」と切り出し、2014年に海老蔵からブログを通して本人のものまねメイクのリクエストを受け、12月6日の海老蔵の誕生日にプレゼント代わりにものまねメイクを公開しようとしたときのエピソードを書き出した。その際、「目元を似せれてもあのヘアは厳しい」と悩み、麻央さんと以前から知り合いだったというマネージャーが麻央さんに相談。すると、「ご丁寧に海老の家紋のある海老蔵さんの手ぬぐいをわざわざ二枚も送ってきて戴きました」と、麻央さんから海老蔵の手ぬぐいが届いたという。ざわちんは「麻央さんから送って戴いた手ぬぐいで頭をおおって、市川海老蔵さん風ものまねメイクが完成したのです」と振り返り、「その時、本当に優しい方だな、今度お会いしたときにお礼を言わないと、思っていました」とつづった。続けて、「麻央さんからマネージャーを通して海老蔵さんの歌舞伎もお誘い戴いていたのですが、スケジュール合わず行けず、お礼を言うことができませんでした」と明かし、「麻央さん、お礼の言葉が遅くなりました。本当に本当にありがとうございました」と感謝。「海老蔵さんのものまねメイクは麻央さんから戴いた手ぬぐいがあったからこそ完成できましたよ」と話しかけるように記し、「常にまわりのことを考えて気配りされるお優しさが心にしみました。あらためて小林麻央さんのご冥福を心からお祈り致します」と悼んだ。
2017年06月23日