本広克行監督作『ビューティフルドリーマー』のBlu-rayが3月17日(水)にリリースされることが決定。主演の小川紗良と本広監督からメッセージが到着した。日本映画界の鬼才監督による野心的な企画と若い才能たちの予測不可能なケミストリーで創造する新レーベル「シネマラボ」第1弾として製作された『ビューティフルドリーマー』は、『踊る大捜査線』シリーズや『幕が上がる』などのヒット・メーカーである本広監督が、押井守の脚本『夢みる人』の実写映像化に挑んだプロジェクト。映画は先勝美術大学の映画研究会に伝わる、“撮ろうとすると、必ず恐ろしいことが起こる”といわれる脚本の撮影を決めた映研部が舞台だ。映画を撮った経験などまったくない彼らの前に、予期せぬ困難とトラブルが次々と待ちうける。果たして彼らは、無事にクランクアップできるのか?本広監督は新たな試みとして、完全な脚本を用いず、おおよその筋だけを立て、現場で口頭の打ち合わせで芝居をまとめる“口立て”を用いた演出を取り入れたという。主演は、監督としてメンバーをリードする主人公のサラに、新人女優としてだけでなく映画監督としても長編映画監督デビュー作『海辺の金魚』の公開を控える小川紗良。カメラ担当でサラを支えるカミオに『私がモテてどうすんだ』などの神尾楓珠。助監督兼雑用係として奮闘する映研のムードメーカー、モリタに劇団ナイロン100℃所属で『カツベン!』などの森田甘路。プロデューサーのリコには、『あさひなぐ』『ドロステのはてで僕ら』で好演した藤谷理子、メイク担当のシエリに、札幌の劇団イレブンナイン出身のヒロシエリ。録音担当のウチダに、これが映画デビュー作で若手注目劇団・劇団スポーツの主宰の内田倭史。また、映研OBとしてメンバーを支えるタクミを、数々の話題作に出演しながら映画監督としてもコンスタントに作品を発表し、マルチな才能を発揮している斎藤工が演じる。さらに、確かな演技力で撮影に貢献するサヤカには、『山猫は眠らない8 暗殺者の終焉』でハリウッド・デビューも果たし、女優としても大きく飛躍中の秋元才加。本編で驚異の超絶長台詞を披露するのは舞台、テレビ、映画に幅広く活躍する名優・升毅。そのほか、『海賊戦隊ゴーカイジャー』の池田純矢、『仮面ライダー エグゼイド」の飯島寛騎、“日本発 世界で最強に活躍するコスプレーヤー“伊織もえ、 “日本一かわいい女子高生“福田愛依、“恐ろしく美しい元自衛官。“かざり、“赤ペン瀧川”こと瀧川英次、ツルきゃらとして人気のうどん脳といった個性豊かな人気者たちが出演している。小川と本広監督からのメッセージは以下の通り。小川紗良・コメントいわくつきの台本を手にした映研部員たちが奮闘する、いわくつきの映画です。稽古から撮影まで予想のつかないドタバタとした時間を過ごしましたが、コロナ禍で迎えた劇場公開時にはそんな日々さえも貴重なものに思えました。ほとんど即興芝居で作られた本作、きっと何度見ても発見があると思います。ぜひ劇場で観た方も初めての方も、お家でゆっくりお楽しみください。本広克行監督・コメント何故、映画『ビューティフル ドリーマー』を作るに至ったかというと、これまで自分はテレビの情報番組、バラエティ、ドラマ、アニメ、CM、MV、舞台、イベント、映画祭と多岐にわたり沢山の人が集まり楽しんで貰える作品を作り続け、そしてひとつの作品が完成すると、また次の作業が始まり、ずっと祭から抜け出せないでいるこの感覚を作品にしたいと考えてました。そんな中「監督絶対主義」を掲げる実写映画レーベル「Cinema Lab(シネマラボ)」プロジェクトが動きだし今までずっと考えていた演出を全部この作品で試させて貰ってます。遣り甲斐があります。何か気になった人は調べてみて解答が見えて来たら、また続きを見たくなるかもしれません。この作品はどこまでも作り続けられる作品なのです。■リリース情報『ビューティフルドリーマー』Blu-ray、3月17日(水)発売[2枚組:本編Blu-ray+特典DVD]価格:¥5,800(本体)+税収録分数:未定(本編75分+映像特典)DISC1:本編Blu-ray収録分数:未定[本編:75分+映像特典:未定]仕様:1080p High Definition/16:9LBビスタサイズ/2層音声:オリジナル(日本語)DTS-HD Master Audio 5.1chサラウンド / オリジナル(日本語)リニアPCM 2.0chステレオDISC2:特典DVD 収録分数:未定仕様:16:9LBビスタサイズ/片面・2層音声:オリジナル(日本語)Dolby Digital 2.0chステレオ<映像特典>予告編集[15秒予告 / 30秒予告 / 本予告(60秒)]映研クロストーク[PART1 / PART2]メイキング映像/イベント映像(完成披露試写 / ヒット祈願/公開記念舞台挨拶)
2021年01月28日小川紗良主演、本広克行監督がメガホンをとった、映画レーベル「Cinema Lab」第1弾作品『ビューティフルドリーマー』より、冒頭から6分40秒までの本編映像が公開された。押井守の脚本「夢みる人」を映像化した本作では、劇中のセリフの半分以上が俳優たちの即興芝居で構成されているという、本広監督の前代未聞の演出方法がなされている。到着した映像では、その演出の一端が垣間見れる。古いフィルムを見つけ、面白いから自分たちで撮影してみようと提案するシーンが描かれる今回の映像に関して、本広監督は「映画研究会のメンバーと斎藤工の即興芝居は特に見ものです」と、見どころは映研OBとしてメンバーを支えるタクミの出演シーンだと明かし、「冒頭からこんなに本編映像解禁したのは、僕自身初めてです。是非劇場に行く前にご覧ください!」とコメント。また主演の小川さんは「部室で古いフィルムを見つけてみんなで映写機にかけてみるという経験を、私も映画サークル時代にしたことがあります。ひとつひとつ確かめながら映写機に触れる緊張感や、スイッチを入れた途端に聴こえるカタカタという音の高揚感など、全てが追体験のようによみがえりました」と撮影をふり返る。そして「冒頭シーンから、私たちの即興芝居で作り上げています。どこまでが芝居でどこからが素なのか、絶妙に混ざり合った私たちの掛け合いが楽しめると思います」と話している。『ビューティフルドリーマー』は11月6日(金)より全国にて順次公開。(cinemacafe.net)■関連作品:ビューティフルドリーマー 2020年11月6日よりテアトル新宿、シネ・リーブル池袋ほか全国にて順次公開(C) 2020 映画「ビューティフルドリーマー」製作委員会
2020年11月04日新レーベル「Cinema Lab」の第1弾作品、本広克行監督による映画研究会が伝説に挑む映画『ビューティフルドリーマー』より予告編と場面写真が到着した。映画を撮ったことのない先勝美術大学映画研究会の部員たちが挑む、映研に伝わる“いわくつきの台本”の映画化。「これは撮ろうとすると必ず何か恐ろしいことが起こる台本」という言葉通りに、部員たちは次々に予期せぬ困難やトラブルに見舞われる。果たして彼らは無事にクランクアップできるのか――。本広克行監督、押井守監督、小中和哉監督、そして上田慎一郎監督が参加する映画実験レーベル「Cinema Lab」。その第1弾作品となる本作は、小川紗良が主演する押井守の脚本「夢みる人」の実写映像化。予告編では、撮影中の様子や「これを撮ろうとすると必ず変なことが起こる」とタクミ先輩が話すシーンが登場。秋元才加、升毅、神尾楓珠らの姿も確認することができる。また、先勝美術大学映画研究会の伝説のOB・サイトウタクミ役として本作に出演している斎藤工からコメントも到着。「未だに邦画によくある、同じ様なキャスト、同じ様な内容をシャッフルして、もう既に何度か見た事ある様な、企業が"損しなさそうな"安心安全作品では無く、本質的に時代に沿った、自由度とクオリティを保って邦画界のニューニュートラルの一歩目に本作がなる事を願っています」と話している。さらに今回、本作のセリフの半分以上が“俳優たちの即興芝居”で構成されているという、本広監督の前代未聞の演出方法が明らかに。「エチュード(即興芝居)力の高い人をキャスティングした」という本広監督は、「シーン設定を役者に教えてカメラを回し、横から僕が掻き乱すんです。僕が、横から口立てで『ブライアン・デ・パルマって言え!』『トリュフォーのアメリカの夜って言え』と言うんです。それを役者が、『あぁ、いま指令が来た』と瞬時に考えて芝居の中に『あの、アメリカの夜なんだけど』とエチュードで入れていく。僕的にはその『戸惑い』が最高に面白いです。ドSになった気分でした」と撮影をふり返る。そして「斎藤工くんのエチュードはあまり喋らないけど、エチュード力が高くて素晴らしかった。ぽつっと言う一言のワードセンスが素晴らしかった。小川紗良ちゃんは笑ってたね(笑)」と明かし、「現場で僕の好きな映画のタイトルとかをできるだけ横から入れて、エチュードで役者さんたちにやってもらおうと思ってました。『ゼロ・グラビティ』『羊たちの沈黙』『パプリカ』『オーメン』『エクソシスト』『椿三十郎』『ブレードランナー』『メイズ・ランナー』などなど。『デ・パルマ・カット』とかも言ってもらいましたね(笑)」と話している。なお、11月6日(金)にはテアトル新宿、7日(土)にはシネ・リーブル梅田にて舞台挨拶が行われることも決定した。『ビューティフルドリーマー』は11月6日(金)より全国にて順次公開。(cinemacafe.net)■関連作品:ビューティフル・ドリーマー 2020年11月6日よりテアトル新宿、シネ・リーブル池袋ほか全国にて順次公開(C) 2020 映画「ビューティフルドリーマー」製作委員会
2020年10月23日映像配信サービスdTVにて10月15日に配信された、Kis-My-Ft2玉森裕太と宮田俊哉主演オリジナルドラマ『BE LOVE』第1話の冒頭約5分間の映像「BE LOVE冒頭ちょい見せ映像」が本日10月16日正午より公開される。本作は、玉森と宮田のユニット曲『BE LOVE』『星に願いを』『運命』の3曲を原案としたオリジナルドラマ。10月16日からdTVで独占配信が開始する。企画段階から携わった玉森と宮田自らが脚本監修を務め、男性同士の美しい純愛物語に挑んだ。先行プレミア配信前から番組ハッシュタグ「BELOVE先行配信」がTwitter世界トレンド1位を獲得。先行プレミア配信限定の特別映像では2人のキスシーンの撮影風景や、撮影合間の2人の仲睦まじげなオフショット映像を配信するとファンからの喜びの声が相次ぎ、大きな話題となっている。配信に先立ち、まだ視聴していない方も今回公開された「BE LOVE冒頭ちょい見せ映像」で美しい世界観を堪能してほしい。◆『BE LOVE』冒頭ちょい見せ映像※16日(金)正午より公開◆『BE LOVE』予告映像【『BE LOVE』配信概要】配信日時: 10月16日(金)22:00~/毎週金曜更新配信話数: 全4話公式サイト:
2020年10月16日映画『劇場版BEM〜BECOME HUMAN〜』(10月2日公開)の公開記念舞台挨拶が9日に都内で行われ、内田真礼、宮田俊哉(Kis-My-Ft2)、山寺宏一が登場した。同作は『妖怪人間ベム』生誕50周年を記念して、原作の持つ設定やメッセージ性を残しつつも全く新しい解釈で舞台設定やキャラクターを大胆に変更し、2019年に制作・放送された TV アニメ『BEM』の劇場版となる。宮田は「なんか"宮田くん"とか"俊哉"とかうちわをもってくださってる皆さん、僕の姫たち、ありがとうございます、姫じゃない方たちもありがとうございます」と感謝。「こうしてお客さんの前に立つことが半年以上ぶりくらいの感じなので、少しドキドキしています。僕も数日前にこの劇場に観に来たんですけど、自分の声がアニメから聞こえてくるということに違和感がまだあって、恥ずかしくなっちゃって、映画見ながら手で隠す感じになっていました」と明かした。声優初挑戦となった宮田は「戦うシーンがすごく難しくて」と振り返り、「家で、攻撃をくらう練習をしてました。『うあっ!』とか。近所から通報されるかと思いました」と振り返る。そんな宮田の演技に、内田が「私最初PVでお声を聞いた時に、『え? これが宮田さんなんだ』と思ってびっくりしたんです。本当にナチュラルにベムの世界になじんでらして、すごいです」と称賛すると、宮田は「嬉しいっす」と笑顔に。山寺も「最後の台詞に象徴されるバージェスのあのノリってすごく難しい。でも宮田くんの明るさと二面性を軽やかに出してるという感じで、素晴らしいなと思いました」と絶賛した。自身の出演しないシーンのアフレコも見学したという宮田が、「僕、やっぱり深夜アニメとかたくさん見ていたので、内田さんがいらっしゃって、最初は『うわ、本物のまれいたそだ! まれいたそキタ!』くらいの気持ちだったんです」と心境を表すと、なぜか宮田ファンの多い客席も拍手。宮田が「でも、アフレコをしてる姿を見て、いやこの人はプロだ! 職人だ! すげえ! と思いました。まれいたそだなんて言ってる場合じゃなかったです。本当に尊敬しました」と続けると、内田も「まさかまれいたそと思われているとは、感じ取れませんでした」と驚いた様子だった。イベントでは、宮田のアフレコの師匠だという浪川大輔からの手紙もサプライズで読み上げられた。宮田は「去年の12月とかに通わせていただいたんですけど、キスマイとしてもスケジュールが忙しくてちょっとわがまま言っちゃって。『23時からお願いできませんか』とか『23時半になっちゃうんですけど大丈夫ですか』と言っても、『いいよいいよ』と言って、夜中までつきあっていただいて、いろいろ教えてくださったので、嬉しいですね」としみじみ。「いつか師匠とも一緒に何かできるような作品があったらいいなという話をしてたんですけど、こんな形でコメント、ありがとうございました」と喜ぶ。山寺は「すごい、そんなエピソード聞いたことないですよ。売れっ子が初めてやるからってそこまでやるって! 姿勢がすごい!」と再度絶賛。宮田は「セリフも多かったですし、アニメがすごく好きで、自分が入ることによって、そのアニメ作品で『うわ、宮田いない方が良かったな』とか言われるくらいだったら、無理してでも作品の一部にならないと嫌だと思って。頑固なんですよ、僕」と語る。山寺が「先生のチョイスは浪川で良かったのかなって最初心配したんですけど、結果的に良かったので」とからかうと、宮田は「僕、水樹奈々さんにも『先生、浪川さんで大丈夫なの?』と言われたんです」と苦笑していた。○浪川大輔 手紙全文皆様こんにちは、今回一切出演しておりませんが、関係者さんの計らいもあり、図々しくも筆を取らせていただきました、声優の浪川大輔です。まずは『劇場版BEM』、公開おめでとうございます。「早く人間になりたい」というテーマが、壮大なバトルと心をギュンと締め付けられる切なさで胸がいっぱいになりました。昔ながらのファンの自分にとっては、冒頭のサプライズも最高でした。収録前にバージェス役の宮田くんが、「アフレコをするなら出来る限りの準備を」ということで、生意気にもアドバイスさせていただきました。宮田くんは常に真面目で素直で好奇心が旺盛で、そして笑顔がかわいい。アフレコにとって、キャラクターを生かすことが大事なことです。まさに自我を消すこと。これは難しいのですが、宮田くんの本気のアニメ愛で難なくクリア。吸収力がすごかった。その取り組み姿勢に、こちらがたくさんのことを教えてもらいました。ありがとう。次世代の業界を支える真礼ちゃん、尊敬する山寺さん。あ、研究熱心で、貪欲で、天才的に気が遣えて、腰が低く、面白く、優しい山寺さん。これくらいでいいでしょうか(笑)。またおごってください。お二人とも、宮田くんを褒めてください。それでは、出ていないお前の時間が長いという空気も感じてきましてきたので、お暇します。『劇場版BEM』大ヒット、お邪魔しました。浪川大輔
2020年10月09日映画『劇場版BEM~BECOME HUMAN~』の完成披露試写会が19日に都内で行われ、 小西克幸、M・A・O、小野賢章、宮田俊哉(Kis-My-Ft2)が登場した。同作は『妖怪人間ベム』生誕50周年を記念して、原作の持つ設定やメッセージ性を残しつつも全く新しい解釈で舞台設定やキャラクターを大胆に変更し、2019年に制作・放送された TV アニメ『BEM』の劇場版となる。声優に初挑戦となった宮田だが、ジャニーズきってのアニメ好きとしても知られるため「僕が散々アニメを見て、聴いてきた声の方々と一緒に並んでることがプレッシャーでしかないですね」と恐縮。小西は「逆逆逆! 散々(宮田を)見てるから!」とつっこみ、小野は「なんか、今日も色被ってすいません」とジャケットの色かぶりを気にする。宮田は「裏でもみなさん優しく話しかけてくれたので、一員になれたのかなと思って、嬉しい気持ちですね」と喜びつつ、「本当にすごく昔からアニメが好きで、お話聞いた時に『できないよ、無理です』と。お話いただいたことはすごく嬉しいことだったので、やるからにはちゃんとレッスンや指導をしてもらえる環境を作ってもらえないと、自分が好きなアニメを台無しにしてしまうんじゃないかなと思ったらプレッシャーがあった」とオファー時の不安を振り返る。「マネージャーさんや事務所の方に相談したら、教えてくださる方を紹介していただいて、レッスンとかをさせていただいたので、気持ちよく全力でぶつかれたかなと思います」と声優への挑戦を語った。そんな宮田の声優ぶりについて、小西は「めちゃくちゃすごいですよ! もう声優さんですよ! おれだち商売上がったりだよね」と絶賛し、小野も「ちょっと困ります」と苦笑。M・A・Oも「すごかったですよ。自分の当初を思い出して、すごいなあと思ってました」と褒め、小西が「ジャニーズさんは宮田さんを声優業界に入れた方がいい」と勧めていた。また同作について、宮田は「子供の頃は怖いと思っていたけど、大人になってから見るとすごくメッセージがあって、世代によって捉え方の違う作品。そこに自分が入る、これはどうしようという気持ちだったけど、前に先輩の亀梨(和也)くんが実写のドラマやられていて、ジャニーズともつながりのある作品だと思っていたので、頑張らなきゃと思いました」と心境を表す。劇場版でのキャラの変化については、各声優陣が「ベラちゃんはより人間味が増している。お芝居の方も吹っ切れた感じで」(M・A・O)、「割りとみなさんびっくりされるかなとは思いますね。かなりの変化あります。最初から」(小西)、「ベロも成長した、雰囲気変わったなというところは意識的に芝居はさせていただきました」(小野)とそれぞれが演技の意図を明かした。イベントでは、14日に誕生日を迎えた宮田にサプライズで誕生日ケーキも登場。宮田は「リモートとはいえ、ファンの皆さんも(リモート上映館に)いてくださると思う。近い距離でお祝いしてもらえるなんて、今年は無理だろうなと思っていたんですけど、来てくださって、お祝いしてもらえるのはすごく嬉しいことです」としみじみ。抱負を問われると、「去年は『日本一かわいいさんじゅういっちゃいだ』とずっと言ってたんですよ。今年は『日本一かわいいさんじゅうにちゃい』で頑張りたいと思います」と語り、爆笑している周囲に「なんかすいませんでした」と恐縮していた。
2020年09月19日真夏の日差しを受けて、供花はどこか寂しげに揺れていた。墓標に刻まれていたのは「渡瀬家」の文字。そして傍らには、もう一基の墓標が。昭和の大スター・渡哲也さん(本名・渡瀬道彦享年78)が、自分の父母、そして愛妻の家族のために作った墓地は、東京都内の古刹にある。渡さんの逝去が公表されてから2週間ほどがたつ。「逝去が報じられた翌日には、友人知人たちからたくさんの供花が送られてきましたが、故人の遺志により受け取られることはなく、運んできた車に、再び積み込まれていました。遺骨は自宅の祭壇に安置され、俊子夫人(78)が守っているそうです」(スポーツ紙記者)肋膜炎、直腸がん、大腸がん、急性心筋梗塞、肺気腫……、生涯で多くの病魔と闘い続けた渡さんの傍らには、いつも愛妻・俊子さんがいた。渡さんと俊子さんは、青山学院大学の同窓生で、兵庫県人会でたまたま席が隣り合ったのが出会いだったという。「渡さんは兵庫県の淡路島出身。俊子さんは東京出身ですが、父の仕事の都合で高校時代は神戸女学院に通っていたのです。青山学院大学の同窓生によれば、“学生時代も下宿の部屋探しからなにから、俊子さんが渡さんの面倒をみていた”そうです」(渡さんを古くから知る映画関係者)出会ってから’71年に結婚するまで7年。ようやく始まった待望の新婚生活だったが、翌年から俊子さんは渡さんの看病に追われるようになった。また渡さんは’74年に大河ドラマ『勝海舟』を肋膜炎のために降板している。当時、俊子さんは週刊誌のインタビューで、渡さんの闘病生活について語っていた。《とにかく食べさせることに気を遣いました。おにぎりなら食べやすいというので、なかにイクラや肉のつくだにをいれたおにぎりをつくったり、牛肉や野菜を一日煮込んでスープをつくったり……。でも、大変なのは夜でした。すごい寝汗をかくんです。シーツやタオルケットまで濡れるので、明け方までに3~4回、下着とシーツをとりかえなければなりませんでした》(『女性セブン』’74年2月27日号)このときの俊子さんは、半世紀近くにわたって、夫の幾度もの大病と闘っていくことになるとは、想像もしていなかっただろう。銀幕スターとしての矜持も邪魔したのだろうか、渡さんは妻の献身に対して、言葉で感謝の気持ちを表すことは苦手だったようだ。取材のときも俊子さんに関して語るときは、ややそっけなかった。「(ご苦労さん、ありがとうなんて)そんなこと言えないですよねぇ。言わなくてもわかってくれているでしょう」 「(女房は)丈夫だけがとりえでねぇ」こんな調子だった。だが前出の映画関係者が続ける。「口には出さなくても、渡さんは体調を崩すたびに、自分の睡眠を削って看病してくれる俊子さんに感謝していたでしょうし、“一人娘”をくれた俊子さんのご両親のことも大切にしていました。渡さんが亡くなるまで住んでいたのは東京都内の一軒家ですが、ここにはもともと俊子さんの実家があり、いわば“マスオさん”として同居生活を送っていたのです。俊子さんのお母さんが’93年に亡くなったときには、渡さんが喪主を務めています。通夜や葬儀には、宍戸錠、富司純子ら数百人の芸能人や関係者らが弔問に訪れるという盛大なものでした」そして渡さんは、石原裕次郎さんの逝去から20年後の’07年、ある決断を下した。故郷・淡路島の真言宗の寺院ににあった渡瀬家代々の墓を、東京都内に移したのだ。移設先は、平安時代に創建されたとされる天台宗の古刹。「俊子さんのご実家の菩提寺だったと聞いています。渡さんはそこに渡瀬家の墓を建立するだけではなく、その隣に俊子さんのご実家の墓標も新たに作り直したのです」(前出・映画関係者)墓の移設について、葬儀・お墓・終活ビジネスコンサルタントの吉川美津子さんが次のように語る。「宗派の違うお寺に、お墓を移すことは、寺院や親戚の理解があれば可能で、珍しいことではないと思います。奥さまのご実家と同じお寺に移すことで、お盆やお彼岸の法要、お墓参りも同じタイミングですることができるようになります。また渡さんは、奥さまとそのご家族を大事にされていただけではなく、ご自身のご先祖と奥さまのご先祖とのご縁をとても大切にされていたのではないでしょうか」俊子さんの父母は他界しているが、一人娘だった彼女はまめまめしく墓参を続けているという。「きっと渡さんは看病で苦労ばかりかけた俊子さんに、何かの形で報いたいと考えていたのだと思います。ご両親の眠るお墓をきれいにしてあげたいとも考えたのでしょうし、もっと先の話でいえば、俊子さんはゆくゆくは渡瀬家のお墓に入るわけですが、お隣には、ご両親もいらっしゃることになります」(前出・映画関係者)並んで立つ両家の墓標には、口下手だった渡さんの、俊子さんへの深い愛が込められている。「女性自身」2020年9月8日号 掲載
2020年08月30日2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎で亡くなりました。78歳でした。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声芸能界からは、渡さんを悼む声が次々とあがっています。渡さんと親交の深かった、女優の吉永小百合さんもその1人です。吉永小百合「泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」渡さんと映画『愛と死の記録』で初共演して以降、宝酒造株式会社『松竹梅』のCMなど、数々の作品で共演をしてきた吉永さん。長年渡さんを先輩として慕い、突然の訃報に驚きを隠せなかったそうです。同月14日、吉永さんはさびしい胸の内を、こう明かしました。この日、本紙など報道各社に寄せた直筆の追悼コメントには「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで(実弟で俳優の渡瀬)恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」と寂しさを隠せず。渡さんが天国に旅立ったことがいまだに信じられない様子で、「大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です」と無念の思いをつづった。サンケイスポーツーより引用俳優の渡瀬恒彦さんは、渡さんの実弟で2017年に亡くなりました。吉永さんは、渡さんが大好きな夏の海を泳いで天国の弟のもとへ行ったのではないかと感じたようです。長年、渡さんの背中を見てきた吉永さんだからこそ感じた最後の思い。きっと海を渡り、天国で恒彦さんと再会できたことでしょう。渡さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2020年08月18日「いつも実直で、仕事に対する姿勢は一生懸命な方でした。大事なセリフになると、必ずギュッと拳を握りしめていた渡さんの姿はいまも忘れられません」本誌にそう語るのは女優・松原智恵子(75)。8月10日に俳優・渡哲也さんは東京都内の病院で肺炎により逝去した。享年78。訃報が報じられたのは、逝去から4日後の14日夜のこと。生前、渡さんは妻に「静かに送ってほしいから、自分が死んでも、葬儀などすべてが終わるまでは誰にも知らせないように」などと伝えていたという。その言葉どおり、お別れ会や偲ぶ会の予定もない。渡さんはこの数年、肺気腫で苦しんでいた。だが日活映画時代の代表作である『無頼』シリーズ6作で共演した松原ら、親しい友人たちにも、闘病について詳しく語ることはなかったという。松原が続ける。「実は6月に浅丘ルリ子さんからお電話をいただいたのです。浅丘さんは『近いうちに、チーコ(※松原)もいっしょに3人でごはんを食べようよ』と、渡さんにご連絡したそうなのです。でも渡さんは、『いまは体調が悪くて無理だから、次の機会にまた誘ってよ』と、おっしゃったとか。いつか3人で“日活同窓会”ができるかと楽しみにしていたのに、とても残念です。渡さんのことですから、『ごはんに行けなくてごめんね』と、頭をかきながら、私たちを見守ってくださっているような気もします……」「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月18日8月10日に俳優・渡哲也さんは東京都内の病院で肺炎により逝去した。享年78。この数年、渡さんは肺気腫のために苦しんでいた。本誌が渡さんの闘病生活を目撃したのは、昨年4月、東京都内にある病院の前。酸素ボンベの入ったバッグを右手に持ち、バッグからは鼻まで酸素を送るためのチューブがのびていた。通院に付き添い、車の乗り降りを介助していたのは、愛妻・俊子さん(77)だった。ベテランの映画関係者は言う。「俊子さんは大手鉄鋼会社の役員の令嬢で、青山学院大学では渡さんの1年後輩。渡さんの一目ぼれだったそうです。しかし結婚にこぎつけるまでは何年もかかりました。当時の渡さんには大勢の女性ファンがいたため、なかなか公表することができなかったのです。ハワイで2人きりの結婚式を挙げたのは’71年3月、渡さんが29歳のときです」渡さんと俊子さんの結婚生活は49年と5カ月。しかしその間に、渡さんは幾度も病魔に襲われた。48年前の’72年7月には、京都でテレビドラマ撮影中に高熱を出して病院に運ばれた。「その後、俊子さんの伯父が院長を務めていた東京都内の病院に転院します。当時の俊子さんは妊娠中でしたが、病院食が苦手な渡さんのために、自宅で食事を作っては、運んでいたのです。肉体的・精神的負担が大きかったためか、俊子さんは何度も流産の危機に襲われました」(前出・映画関係者)’74年に放映されたNHK大河ドラマ『勝海舟』では主演だった渡さんだが、肋膜炎のため途中で降板。さらに’91年には、直腸がんに襲われる。その大手術後、渡さんは妻・俊子さんへの感謝の気持ちを雑誌のインタビューで語っている。《女房にも助けられました。(6月)二十日に手術して二十八日抜糸があったんですが、直腸をとっていますから猛烈に痛むのです。看護というのは患者と一緒に痛がっていたら絶対にできないんですね。私が痛がっていることは当然わかっている。その上で、一つ次元の高いところで、ある意味では冷静に患者を見なければいけない》(『文藝春秋』’92年2月号)実は俊子さんは、渡さんの入院中に看護法を看護師から直接指導してもらっていたという。’15年に渡さんは、急性心筋梗塞のため緊急手術を受けたが、俳優復帰のためにリハビリのフォローをしたのも俊子さんだった。当時、夫妻の知人は、その奮闘ぶりについてこう語っていた。「渡さんの退院前から、俊子さんは自宅にリハビリ用のマシンを運び入れていました。室内ランニングやウオーキング用のトレッドミルなどです。マシンを使用する運動のほかにも、階段の上り下りもリハビリになりますが、俊子さんはいつも付き添っているのです。もともと食事にうるさい渡さんですが、いまは減塩食になっており、味つけの工夫も大変です。しかし、かつて石原裕次郎さんが解離性大動脈瘤の手術後に、奥さんのまき子さんが作った減塩食の写真付きレシピがあるそうで、俊子さんもそれを参考にしているようです」渡さんと俊子さんのかつての姿について、石原プロモーションで常務取締役を務めていた仲川幸夫氏はこう語る。「渡さんの自宅には松田優作さんや地井武男さんたちも遊びに行っていましたが、もてなしてくれるのは俊子さん。彼女はとっても料理が上手なので。俊子さんは聡明な女性で、渡さんは何でも彼女に相談していました。芸能界以外の人脈も広くて、そこから得た情報を、渡さんに伝え、彼も仕事の参考にしていたようです。ただ俊子さんは、“表”に出ることは一切ありませんでした。渡さんが石原プロの社長を務めていたときも、もちろんプロダクションの経営に口をはさむこともしなかった。渡さんの長年の介護は本当に大変だったと思いますよ。できればお会いしてお悔やみも申し上げたいです……」この数年、石原裕次郎さんも食べたという俊子さん手作りの減塩料理を口にしながらも、渡さんの頭から離れなかった課題が、“石原プロの幕引き”だったという。実は昨年4月、本誌は石原プロの関係者のこんな証言を報じていた。「渡哲也さんが、ついに俳優引退と石原プロモーションの幕引きを決断したのです」当時、渡さん本人に決断の理由などについて取材を試みた。すると渡さんは目をつぶり、数秒間真剣な表情で黙考した後、付き添っていた運転手に、「事務所に連絡するように伝えなさい」と、静かに言い残して、自宅へと戻っていったのだった。だが石原プロの元幹部は次のように語っていた。「石原プロを“自分の目が黒いうちにきれいに終わらせる”というのは、渡さんにとって長年の悲願でもありました。ほかの(勝プロや三船プロのような)“スタープロダクション”のような終わり方にはしたくないということです。渡さんとしては倒産とか分裂とかで、石原裕次郎さんの名前を汚したくない。それが彼の美学なんです。’11年に健康上の理由で社長からは退きましたが、渡さんが決定したとなれば、ほかの社員たちも従います。幕引きを急いでいるのは、渡さんが自分の体調に自信を持てなくなっているからなのでしょうね」しかし俳優たちの移籍先を探す必要もあったからなのだろうか、石原プロが’21年1月をもって解散することが発表されたのは1年後の今年7月17日。“幕引き”を見届けたかのように渡さんが逝去したのは、それから3週間後のことだった。生前、渡さんは妻に「静かに送ってほしいから、自分が死んでも、葬儀などすべてが終わるまでは誰にも知らせないように」と、伝えていたという。その言葉どおり、お別れ会や偲ぶ会の予定もない。“幕引きは静かに”……、石原プロのみならず、自身の人生の終幕にも美学を貫いた渡哲也さん。その傍らにはいつも辛苦をともにし続けた妻・俊子さんがいた。「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月18日8月14日、肺炎のため亡くなったと発表された渡哲也さん(享年78)。その俳優人生には、闘病がつきものだった。72年7月に葉間肋膜炎で3カ月療養し、73年には膠原病との診断が。74年2月には胸膜癒着症にかかり、91年には直腸がんが見つかった。97年にも早期の大腸がんが発見され、15年6月には心筋梗塞で緊急入院。晩年には呼吸器疾患などのため、外出時に酸素吸入器を手放せなかった。そんな渡さんだったが、病を通しての“出会い”もあった。そして、そのことがキッカケで病と闘う子供達を支える活動に取り組むようになる。「膠原病で入院した際、白血病と闘う高校1年生の青年と出会いました。渡さんはその青年と交流を深め、退院するときも青年が笑顔で送り出してくれたそうです。しかし、ほどなくして彼は天国へと旅立ってしまったのです。以降、ずっと彼のことが脳裏にあったのでしょう。のちに患った直腸がんを乗り越えたころ、『病気の子供たちに勇気を与えたい』と支援活動に乗り出しました」(芸能関係者)各メディアによると渡さんは96年6月、悪性リンパ腫と闘う少年を慰問。同年9月には小児がんの患者や家族を招いたイベントにも参加している。そこには、舘ひろし(70)や神田正輝(69)といった石原プロに所属する俳優たちの姿も。会場全体で「上を向いて歩こう」を歌うなど、楽しいひとときを過ごしたという。さらに本誌は00年11月、脳腫瘍を患った当時9歳の少女・岡野亜美さんと渡さんの交流を伝えている。脳腫瘍の手術を受けて以降、辛い治療を続けていた亜美さんは渡さんと同じイベントに登壇した。しかし、ステージ裏でも亜美さんは緊張気味。その姿に渡さんは思わず、「笑顔を見せてくれよ」と声をかけた。彼女はその言葉で打ち解けることができたようで、「サインくれる?」と一言。渡さんは快く応じただけでなく、亜美さんのお絵かき帳にこうつづった。「亜美ちゃん、頑張れ」勇気をもらった亜美さんは後日、渡さんに手紙を送った。そこには「わたちゃんおじさん、しぶくてすてき。またあおうね」と書かれていたーー。06年、クイズ番組で獲得した賞金750万円を「小児がん征圧募金」に寄付したことも話題となっていた渡さん。病を乗り越えて誰かのために行動する姿は、子供たちの目に憧れの存在として映っただろう。
2020年08月17日渡哲也さん(享年78)の遺作となった、宝酒造「松竹梅」のCM。石原裕次郎さん(享年52)が87年に死去した後、渡さんが約30年に渡って引き継いだ。2人合わせて出演50周年を記念し、「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」が放送中。「SANSPO.COM」は8月16日、同社が放送継続を希望していると報じた。ただ、本CMはシリーズ最終作。裕次郎さんの三十三回忌を終えたことや、来年1月に石原プロが解散することもあって終止符を打つと決まっていた。記念すべき最後の共演者は裕次郎さんとなった。いっぽう、これまで共演した女優は2人。その代表格は吉永小百合(75)で、98年から10回登場している。令和の正月を2人で飾ったことも記憶に新しい。もう1人は、14年に起用された前田敦子(29)だ。渡さんが「あっちゃんさんと呼んでいいですか?」と語りかける、微笑ましい掛け合いは大反響だった。「異例ともいえる抜擢ですが、渡さんが直々に指名したといいます。会見では、まるで祖父と孫のように仲睦まじい様子でした。渡さんは前田さんを、『情感豊かな女性』と絶賛。前田さんも、渡さんを『理想の男性です』と語っていました」(スポーツ紙記者)なぜ、渡さんは前田を指名したのか。2人が親睦を深めたきっかけは、12年10月にドラマ『強行帰国〜忘れ去られた花嫁たち〜』(TBS系)での共演。前田にとって、AKB48を卒業してから初めてのドラマ出演だった。渡さん扮する日中戦争から帰国した元日本兵が、中国残留邦人の一時帰国を助けるドキュメンタリー。前田は、その手助けをする娘役を演じた。「渡さんは共演するまで、前田さんを知らなかったそうです。ですが、『趣味は?』『お父さんはいくつ?』など積極的にコミュニケーションを取られました。そのおかげで前田さんも緊張がほぐれ、互いに打ち解けたといいます。残留邦人についての歴史も一緒に学んだと聞きました。後輩に対して面倒見の良い渡さんは、前田さんにも丁寧にアドバイス。前田さんもそれを素直に聞き入れ、礼儀正しい姿勢も評価されました。クランクアップ後、渡さんは『前田さんが女優業を続けることに心配はない』と期待を語っていました」(テレビ局関係者)前田にとって、貴重な経験となった渡さんとの共演。その心情は察するに余りある。
2020年08月17日2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎により78歳で逝去。テレビドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)はじめ、数々の作品で一世を風靡した俳優の訃報に、多くの人から悲しみの声が上がっています。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声渡哲也『炊き出し』で見せた温かな人柄同月17日の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)では、渡さんの訃報を報道。その人柄について関係者が語りました。生前、ボランティア活動に力を入れていた渡さん。特に、阪神淡路大震災や東日本大震災で行っていた『炊き出し』は石原軍団の名物になっていました。番組では東日本大震災の際、渡さんと一緒に炊き出しを行った中華料理店の店主に取材。店主は渡さんについて「ものすごく気さくで優しい方だった」と述べ、当時の思い出を次のように語っていました。「明日、焼きそば焼かれるんですよね。大丈夫ですか?」と聞いたら、「阪神淡路大震災でね、数千どころか何万人に焼きそばを振る舞ったんだよ。だから大丈夫だから、おいしいから絶対食べてね」って。そういう風にいってくださって。かっこいい方でした。愛を感じたというか、一人ひとりの目を見て顔を見て、「頑張ってね。食べておいしいから、元気になってね」ってみんなに声をかけていて。すごく来場者が多かったものですから。それでも近付けない方には目で追って、手を振ってあげたりとか。大変疲れる状態の中でも目配り心配りが素晴らしい方でした。渡さんはみんなに愛を与える方。本当に感動しました。スッキリーより引用1995年1月に起きた阪神淡路大震災では、発生から1か月後にはトラックに食材を積んで駆けつけ、テント生活を送りながら被災地を回っていたという渡さん。また、2011年3月に発生した東日本大震災の際は、津波被害が特に大きかった宮城県石巻市を訪問し、大勢の被災者に食料を届けたといいます。ネット上では、数々のコメントが寄せられていました。・阪神大震災の時の炊き出しありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。・渡哲也さんって、気取らない優しい人だったんだなぁ。・震災の時、知人がお世話になりました。炊き出しは涙が出るほどおいしかったそうです。情に厚く、温かな人柄でみんなに愛された渡さん。その功績とともに、心のこもった炊き出しの光景を多くの人が忘れないでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年08月17日俳優・渡哲也さんが8月10日に肺炎で死去した。78歳だった。訃報を受け、日活映画時代から50年以上も親交のある吉永小百合(75)が追悼メッセージを14日に発表した。「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか。大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です。ご冥福を心からお祈りいたします」66年に映画『愛と死の記録』で初共演した2人。渡さんは印刷会社に務める原爆症の青年役で、吉永扮する楽器店で勤める娘との悲恋物語だ。当時若い2人の迫真の演技は、感動を巻き起こしたという。「当初は、吉永さんと“青春・純愛路線”を築いた浜田光夫さん(76)がキャスティングされていたといいます。ですが浜田さんは右眼を負傷し、降板。アクション専門だった渡さんが、代役に起用されました。原爆がテーマの本作は、当初『被爆者の描写が刺激的すぎる』とカットを命じられたそうです。ですが吉永さんと渡さんは、原爆の悲劇を自分のことのように受け止めていました。そのため、スタッフたちと撮影所前で座り込みの抗議をしたほどだったそうです」(映画関係者)その後も『白鳥』(66)や『青春の海』(67)、『嵐の勇者たち』(69)などで共演し、“日活黄金期”を支えた2人。互いにキャリアを積んでからは、『時雨の記』(98)で中年男女のプラトニックな恋愛を好演。だが、00年の『長崎ぶらぶら節』で共演したことが最後となった。いっぽう渡さんが長年出演した宝酒造「松竹梅」のCMには、10回も登場した吉永。19年末に公開されたCMでは、令和初のお正月を2人で飾った。各メディアによると、この撮影が2人にとって最後の現場になったという。「17年のCM撮影時、闘病中だった渡さんは『最後の1本は大ラブシーンをやりましょう』と吉永さんに呼びかけていました。98年の『時雨の記』では、吉永さんが渡さんを相手役に指名したといいます。歳を重ねても、日活時代で築いた“あうんの呼吸”があるのでしょう。吉永さんも渡さんの“最後のお願い”に、『老夫婦の恋愛作品を作りましょう』と応えていました」(制作関係者)叶わなかった最後の共演。だが残された2人の作品は、これからも愛され続けるだろう。
2020年08月15日渡哲也さんが肺炎のため亡くなったと8月14日に発表された。78歳だった。各メディアによると渡さんは10日、妻の俊子さんに見守られて息を引き取ったという。渡さんの俳優人生には、“闘病”がつきものだった。71年3月に結婚したものの、翌72年7月に葉間肋膜炎で3カ月療養。さらに73年には膠原病との診断を受け、74年2月には胸膜癒着症にかかった。そして91年には直腸がんが見つかった。がんは渡さんの父、そして師である石原裕次郎さん(享年52)の命を奪った病でもあった。「お父さんと裕次郎さんを亡くした経験から、渡さんは『がんは早期治療が肝心だ』と理解していました。病名を公表することでいっそう、がんと向き合いたいと考えていました」(芸能関係者)そんな渡さんを支えたのは、俊子さんだったという。「渡さんが仕事で穴をあけることになり、俊子さんは関係各所に頭を下げて回りました。また医師には『どんな形でもいいから生きてほしい』と頼み込んだといいます。そんな姿に、渡さんのお母さんは『あなたには苦労のかけっぱなしで……』と涙ながらに感謝したそうです」(前出・芸能関係者)97年にも早期の大腸がんが見つかった渡さん。15年6月には、心筋梗塞で緊急入院をしている。「渡さんが突然胸の苦しみと息苦しさを訴え、俊子さんはすぐに病院へ。俊子さんが素早く異常に気付いてくれた甲斐もあって手術は1時間30分ほどで済み、数日後には一般病棟へ移りました」(病院関係者)渡さんの窮地を救った俊子さんは、献身的に看護し続けた。「俊子さんは1カ月もの間、病室に泊まり込みで看病していました。退院前から自宅にリハビリ用のマシンを運び入れ、さらに退院後には食事を減塩食に切り替えました。その際には、裕次郎さんの奥さんであるまき子さんのレシピを参考にしていたそうです」(渡夫妻の知人)晩年には呼吸器疾患などのため、外出時に酸素吸入器を手放せなかった渡さん。結婚翌年から48年。病との戦いだった人生を支えたのは、俊子さんという“戦友”だった――。
2020年08月15日2020年8月10日、肺炎により逝去していたことが判明した、俳優の渡哲也さん。連続ドラマ『大都会』(日本テレビ系)や『西部警察』(テレビ朝日系)などで一世を風靡した俳優の死に、人々からは悲しみの声が広がっています。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声同月14日、お笑いコンビ『ドランクドラゴン』の塚地武雅さんがTwitterを更新。テレビドラマ『おいしいごはん 鎌倉・春日井米店』(テレビ朝日系)にて、渡さんと共演した際のエピソードを明かしました。ドランク塚地が感じた、渡哲也の『プロ根性』ドラマの撮影中、主演である渡さんが、椅子を手刀で割るシーンがあったといいます。しかし、本番になると、渡さんは手刀ではなく、頭で椅子を割ったというのです!渡さんのサービス精神と勇ましさに感動した塚地さんは、「プロだ!僕もこうならなければいけない!」と、身の引き締まる思いだったといいます。渡哲也さん…おいしいごはん というドラマで師弟の役でご一緒させていただきました。椅子を手刀で割るというシーンで本番、いきなり頭で割る姿を見て驚きとサービス精神と漢気を感じ、プロだ!僕もこうならなきゃいけない!と思ったのを覚えています!— ドランクドラゴン塚地武雅 (@tsukajimuga) August 14, 2020 茶目っ気あるエピソードも明かす塚地さんは、ドラマの撮影をしていたある日、渡さんに「塚地くん、ちょっと!」と呼ばれたといいます。「僕のお芝居がよくなかったのか」と怒られる覚悟で向かうと、各国のミス・ユニバースが写る新聞を広げて、「塚地くんはどの子がタイプ?」と聞いてきたそうです。渡さんの意外な問いかけに、「茶目っ気のある面白い人」だと感じた塚地さん。「短い間でしたが、近くで色々見せていただいたことは勉強になることばかりで忘れません」と、渡さんへ追悼の言葉を贈りました。ある日、渡哲也さんに前室で「塚地君、ちょっと!」と呼ばれ、僕のお芝居が良くなかったのか…?怒られると思いながらむかうと新聞のミス・ユニバースの各国の代表の写真を見せて「塚地君はどの子がタイプ?」と。茶目っ気たっぷりの面白い方で。笑— ドランクドラゴン塚地武雅 (@tsukajimuga) August 14, 2020 塚地さんの投稿には、さまざまなコメントが寄せられています。・とてもお優しい人だったのですね…。・素敵なエピソード。渡さんの人柄がよく分かります。・すごくいい話。思わず泣いてしまいました。茶目っ気あふれる行動は、塚地さんを和ませようとした、渡さんなりの心遣いだったのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月15日2020年8月14日、俳優の渡哲也さんが肺炎のため亡くなったことが発表されました。渡さんは、昭和時代を彩る数々の名作に出演。俳優の石原裕次郎さんが創立した石原プロモーションに所属し、ドラマ『西部警察』シリーズなどでも活躍しました。渡さんはテレビドラマで活躍する一方、多くのCMにも出演しています。裕次郎さんがCMキャラクターだった清酒『松竹梅』を引き継ぐ形で、渡さんがオファーを受けました。同年7月29日からは、2人が共演するCMが公開されており、多くの人が悲しみにくれながら動画に注目をしたようです。酒を飲みかわす渡さんと裕次郎さん。生前、2人が『松竹梅』のCMで共演することは叶いませんでした。裕次郎さんがCMキャラクターを務めて50年となる節目に、合成技術を使って夢の共演となったのです。動画を見た人たちからは悲しみの声が寄せられていました。・合成だと分かっていても、このCMで2人の姿を見ることができてよかった。・悲しいです。天国でもおいしいお酒を飲んでもらいたいです。・昭和の名俳優がまた1人亡くなってしまい、言葉がありません。きっと今頃、天国で裕次郎さんとゆっくりお酒を飲んでいるのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月15日俳優の渡哲也(本名:渡瀬道彦)さんが10日、肺炎のため都内の病院で死去した。78歳だった。石原プロモーションは、公式ツイッターに文書を掲載し、「弊社 渡哲也(本名:渡瀬道彦)が長きにわたり病との闘いの末去る令和2年8月10日午後6時30分に肺炎のため享年79をもって都内の病院にて旅立ちました。ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と報告。「葬儀につきましては、静かに送ってほしいという故人の強い希望により本日、家族葬というかたちで執り行わせていただきました」と伝え、「誠に勝手ながらご香典、お供物、ご弔電、ご供花などの儀は故人の遺志により固くご辞退申し上げます」と記した。そして、「尚、お別れ会・偲ぶ会等の実施につきましては、故人の意向により執り行いません。何卒、故人の遺志をご理解いただけますようお願いいたします。皆様のお心の中にて故人への祈りを捧げていただけますことを心よりお願い申し上げます」と呼びかけた。
2020年08月14日2020年8月14日、俳優の渡哲也さんが逝去したことが分かりました。78歳でした。サンケイスポーツによると、同月10日に肺炎で逝去したとのこと。すでに近親者のみで密葬を行っています。複数の関係者によると、入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。2015年6月に心筋梗塞の手術を受けて以降、入退院を繰り返し、ここ数年は呼吸器疾患などで自宅療養を続けていた。サンケイスポーツーより引用渡さんは、俳優・石原裕次郎さんが創立した石原プロモーションが制作した連続ドラマ『大都会』や『西部警察』シリーズなどに出演。渋い演技が好評を得て、数多くの作品で活躍しました。ご冥福をお祈りいたします。渡哲也さんについての記事はこちら[文・構成/grape編集部]
2020年08月14日三代目 J SOUL BROTHERSの今市隆二と登坂広臣による2本立てドームツアー『LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA』の映像が14日より3週連続でYouTubeプレミア公開される。同映像の公開は7月1日に『LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA』DVD&Blu-ray Discが発売されることを記念したもの。ツアーはグループとして何度も立ってきたドームのステージに初めてソロとして降り立った今市と登坂による2本立てのライブとなっており、3都市9公演25万7000人を動員した合同ドームツアーとなっている。第1弾「LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI "EXCLUSIVE SELECTION"」は、20時30分より公開。今市がセレクトした楽曲をフルサイズで視聴できる。第2弾「LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE HIROOMI TOSAKA "EXCLUSIVE SELECTION"」は21日20時30分より公開し、登坂がセレクトした楽曲をフルサイズで視聴できる。また第3弾「LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA "FULL PERFORMANCE DIGEST」は28日20時30分からの公開となる。
2020年06月11日今市隆二と登坂広臣による豪華2本立てドームツアー『LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA』のDVD&Blu-rayの発売を記念し、最新ドーム公演の映像がYouTubeにて、6月14日(日)から3週連続でプレミア公開される。『LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA』は、グループとして何度も立ってきたドームのステージに初めてソロとして降り立った今市隆二と登坂広臣による豪華2本立てのライブ。3都市9公演25万7000人を動員した合同ドームツアーの映像はファン必見となっている。【第1弾】LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI "EXCLUSIVE SELECTION"配信日時:2020年6月14日(日)20:30〜※今市隆二がセレクトした楽曲をフルサイズで視聴可能【第2弾】LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE HIROOMI TOSAKA "EXCLUSIVE SELECTION"配信日時:2020年6月21日(日)20:30〜※登坂広臣がセレクトした楽曲をフルサイズで使用可能【第3弾】LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA "FULL PERFORMANCE DIGEST"配信日時:2020年6月28日(日)20:30〜
2020年06月11日アイドルグループ・Kis-My-Ft2(北山宏光、千賀健永、宮田俊哉、横尾渉、藤ヶ谷太輔、玉森裕太、二階堂高嗣)が出演する、興和「ウナコーワエース」の新CM「真夏のヒーロー」編(15秒)が5月1日より全国でOAされる。真夏のキャンプ場を舞台にしたCMでは、アウトドアを楽しんでいるKis-My-Ft2のメンバーが、次々と虫にさされて大ピンチに。あまりのかゆさに「メチャかゆーい!」と叫ぶ藤ヶ谷や、「ムチャハレたー!」と叫ぶ玉森の言葉も、巨大な立体文字となって空へ飛び出してしまう。思わず北山が「助けてウナエース!」と発した言葉は、宮田を直撃。一方、宮田を挟んで反対側にいた千賀、横尾、二階堂の3人は、患部に「ウナコーワエース」を塗って「効くぅ!!」と声を揃えるが、その言葉が特大の立体文字となって飛び出し、またもや宮田を直撃する。立体的に飛び出す言葉はCGで合成となったが、撮影現場では発泡スチロールで作られた巨大なモックアップ(実物大の模型)を実際に宮田の体に当てて、リアルな表情や体の動きが表現される。「どのくらいのパワーでいきましょうか?」とスタッフに問われた宮田は、「あばら2本くらいなら大丈夫です!」と請負い、当たる時にはドスンと音が響き渡るくらいの迫力に。モニターで自分の演技をチェックした宮田も、「助けてほしそうな顔になっていますね!」と出来栄えに満足そうにしていた。撮影終了後、"ウナ史上最高処方の「ウナコーワエース」"という商品概要に関連し「“Kis-My-Ft2史上最高”の出来事」について聞かれた同グループ。横尾は「興和さんが、僕たちKis-My-Ft2を長年起用してくれていること! 今後もよろしくお願いします!」と7年続くCMキャラクター起用に感謝し、二階堂は「国民的番組、紅白(歌合戦)に出演させていただいたこと!」と昨年末の紅白出場を挙げる。さらに、「2005年、ライブのMC中に、茶封筒(に入った書面)でデビュー決定が知らされた瞬間。あの時の喜びとか、感動とか、ファンの皆様の涙とか、昨日のことのように鮮明に覚えています」(藤ヶ谷)、「去年、海外でパフォーマンスをやらせてもらったのが印象深かったです」(玉森)、「楽屋でジャニーさんが、“Youたち今日からKis-My-Ft2だよ”と言ったあの瞬間! (CDデビュー)10周年にかかっているKis-My-Ft2の今につながっているその瞬間が史上最高だったかなと思います」(北山)と続々回答。またレコーディング期間中で、声が出にくいという千賀が「初めての東京ドームのライブ! あの景色は忘れられない。メンバーの顔を見たときの笑顔が、史上最高の笑顔でした」と小声で答えると、藤ヶ谷が「“史上最小”のボリュームだね」と笑いを誘う。最後に宮田が「このメンバーに出会った瞬間から今日までずっと最高です。きっとこれから先もずっと最高なのかなと思っています!」と語ると、メンバーからも「いいねー!」と共感の声があがり、「今日より明日が最高! 明日より明後日が最高! ずっと最高!」と、嬉しそうに締めくくった。
2020年04月30日今市隆二と登坂広臣が本日2月4日からナゴヤドームで「LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA」の愛知公演を4日間にわたり開催する。三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEのボーカリストとして、人気を誇る今市隆二と登坂広臣。両者ともソロシンガーとしての活動も盛んで、2020年に入ってから今市はミニアルバム『ZONE OF GOLD』を、登坂は2ndアルバム『Who Are You?』をリリースした。同じグループのメンバーでありながら、自己更新に向かって常に前進し続ける。「PERFECT YEAR」はLDHが2008年から6年に1度開催するエンタテインメントの祭典である。今回は1年を「IGNITION」「IMAGINATION」「INFINITY」「BEYOND THE BORDER」の4シーズンに分割し、それぞれのテーマに合わせたライブがスタンバイ。第1シーズン「IGNITION」の一環として行われるのが「LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA」だ。今市と登坂が三代目としてではなく、ソロアーティストとして同じステージに立つ。どんな風に絡み、どんなパフォーマンスを見せてくれるのか、楽しみにしたい。■公演情報「LDH PERFECT YEAR 2020 SPECIAL SHOWCASE RYUJI IMAICHI / HIROOMI TOSAKA」2月4日(火)開場17:00/開演19:002月5日(水)開場17:00/開演19:002月8日(土)開場15:00/開演17:002月9日(日)開場15:00/開演17:00会場:愛知・ナゴヤドーム2月20日(木)大阪・京セラドーム大阪2月23日(日)大阪・京セラドーム大阪2月24日(月・祝)大阪・京セラドーム大阪
2020年02月04日俳優の矢崎広と生駒里奈が7日、東京・サンシャイン劇場にて行われた舞台『モマの火星探検記』公開ゲネプロに登場し、毛利衛(原作)、毛利亘宏(少年車中 / 脚色・演出)とともに取材に応じた。同作は宇宙飛行士の毛利衛氏が書いた児童文学『モマの火星探検記』を舞台化。宇宙へ2度行った毛利衛氏ならではの生命観、地球観、宇宙観から、人類史上初めて火星に到達した主人公「モマ」が少年時代の自分に語りかけながら火星での冒険を振り返る物語となっている。その物語と、少年社中が過去に上演した、仲間とロケット作りをする少女「ユーリ」が宇宙を夢見る物語『ハイレゾ』をミックスし、新たな物語として2012年に初演、2017年7月に再演を行い、大好評にて幕を降ろした少年社中の代表作品の一つとなっている。主演の矢崎は、「計り知れない宇宙飛行士という役をやらせていただいていますが、それに演劇的に挑む、宇宙を演劇で目指すということで、今日のゲネプロで一つ僕たちの宇宙がどんと広がったなという手応えがあったので、初日が楽しみです」と頼もしい様子。さらに「プロポーズで振られて狂っちゃうシーンがあるんですけど、初演の時に『このシーン大丈夫かな』と思って、ゲネプロの時に皆様に笑っていただいて、自信になったんですね。今日もけっこう笑い声が聞こえたので、皆さんのおかげで安心して本番に迎えるかなと思います」と自信を見せた。もう1人の主演となる生駒は、「前回は20歳の時に演じてて、今回は24歳で、やっててめちゃくちゃ難しくて、20際の私は本当に赤ちゃんだったんだなと思って、どうやって演じるかという悩みをやっと通ったかな。まだきっと悩むと思うんですけど」と振り返る。「夢を追いかけることは本当に素晴らしいことなんだとって、私たちを見て感じていただけたらなと思います」とメッセージを贈る。存在感も増したと評判の生駒の演技について、矢崎は「前回もすばらしかったんですけど、初演から再演までの間に、生駒さんの舞台を経験したりしてきたというのを、稽古場でものすごく感じました」と太鼓判。「前回は一生懸命ユーリをやってるという感じだったんですけど、今回はユーリと生駒さんが合体して、またすごいユーリになってる。稽古の初日から感じたので、それがどう伝わっていくのか楽しみです」と期待を寄せた。舞台の中で印象的な言葉について聞かれると、毛利亘宏は「『つながっている』ということが、僕にとって重い言葉で、子供の頃に毛利衛さんにあこがえれて宇宙を夢見たというところから全てが始まって、こうやって矢崎さんや生駒さん、素晴らしい仲間と会っている。今日この場にいることがすごくつながってるなと感じたられることです」としみじみ。一方の毛利衛は「宇宙から地球を実際に見て、全ての貴重な心も生物も全てここでしか生きられないというつながりがあるんだということ、40億年にもわたって生き物はつながってきてると実感した」と明かす。「明日にでもどうなるかといういろんなことを抱えてます。環境問題、人工知能、ゲノム、戦争、そういうものが全てつながって生きて乗り越えるというメッセージが、今回の舞台ですごく響いたんですね」と述懐。「原作ではたくさん込めたかったんですけど、なんせ科学者なので、多くの人にはなかなか伝わらなかったんですけど、この舞台だと、本当にたくさんの人に本当の意味をわかってもらえるということで、とにかく嬉しいの一言につきます」と舞台を絶賛した。さらに毛利衛は「『持続可能な』という言葉や、国連の『SDGs』という言葉が流行って、世界をあげてそちらの方に向かうんじゃないか。そういうメッセージがこの舞台にもあると思うので、世界中の人に見てもらえるといいかな。日本だけじゃないと思います」と賛辞を贈った。東京公演はサンシャイン劇場にて1月7日〜20日、愛知公演は岡崎市民会館にて2月1日〜2日、大阪公演はサンケイホールブリーゼにて2月7日〜2月11日。福岡公演は福岡市民会館2月15日〜16日。井俣太良ら少年社中の劇団員11名、諸星翔希、松村龍之介、山崎大輝、伊藤昌弘、鎌苅健太、赤澤燈、鈴木勝吾、小須田康人、田村颯大・永島叶和(Wキャスト)が出演する。
2020年01月07日ライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」〜暁の調べ〜の公開ゲネプロが8日に東京・TOKYO DOME CITY HALLで行われ、松岡広大(うずまきナルト役)、佐藤流司(うちはサスケ役)、伊藤優衣(春野サクラ役)、輝馬(ペイン役)、良知真次(うちはイタチ役)が取材に応じた。同作は岸本斉史による人気コミック『NARUTO』の舞台化作品。落ちこぼれ忍者のうずまきナルト(松岡)が、道を違えてしまったうちはサスケ(佐藤)を助け出しに行く。2015年にシリーズ初演を迎え、今回の「〜暁の調べ〜」は2017年以来2年ぶりの再演となる。同作はすでに大阪公演を終えており、「東京初日、無事誰ひとり怪我なくここまでやってこれました。大阪公演もご好評いただいて戻ってこれるのは嬉しいので、緊張はしていますが、何よりも自分が楽しんで演じたいと思います」と意気込んだ松岡。佐藤は「今回再演と言いますが、いろいろ舞台装置や振り付け、アクションも一新されまして、全く新しい形でお届けできると思います」と自信を見せる。良知は「再演をやるまで自分の目標がありまして、ずっと『松岡くん』『佐藤くん』と呼んでたけど、『広大』『流司』と呼ぶって決めてたので、稽古場入った瞬間から流司のことは流司と。いつ広大のことを『広大』と呼ぼうかなと思ってたんですけど、一緒にご飯食べておいしいお酒を飲んだ時に、改めて広大と呼んで、いい感じで再演に挑めてます」と関係も深まった様子だった。見どころを聞かれた佐藤は、「喜怒哀楽の"喜"と"楽"がなく、怒哀の精神でやっていきますので、見れば見るほどサスケが悲しうかわいそうになる。初演よりもさらに感情移入しやすいようにアプローチしましたので、そういうところを見ていただければいいと思います」と表現する。良知は輝馬に「人のソロとったんだよ」と文句を言うと、輝馬は「いただきました。ありがとうございます」と苦笑。周囲から「初日からずっと言ってる」とつっこまれる。さらに稽古中のエピソードを聞かれた良知は「個人的にすごい残ってるのは、最初に歌稽古をみんなでやったときに歌い出したら、もう一人声が聞こえて、なんだろうと思ったら、(輝馬が)僕のソロを歌ってる」と振り返り、佐藤は「またその話してる!」とツッコミ。良知は「だって、聞いてなかったんだもん! たぶん一生僕は根に持ってる」と周囲を笑わせていた。また松岡は「(定本)楓馬くんが変わったキャラクター。不思議な性格でして、ふわふわしてて、コットンみたいな子なんです。やるときはやるし、新しく入って緊張してたと思うんですけど、マスコットみたいになってる。今はなじんでるんですけど、最初は違う物が見えてるような人だなと思いました。不思議な子です」とサイ役の定本について語る。伊藤は「大変だったと思いますよ、一人で違うとこから入って」とフォロー、良知は「誰よりも最初にセリフ覚えてたもんね。それのせいで大人組は焦ったんだよ。輝馬は対してセリフないのにさ」といじり、輝馬は「こらこらこら」と苦笑。佐藤は「ネタバレ」と指摘していた。東京公演はTOKYO DOME CITY HALLにて8日〜10日、天王洲 銀河劇場にて15日〜21日。中国公演は深セン保利劇院にて12月6日〜8日、上海 虹橋芸術センターにて12月14日〜22日。
2019年11月08日三代目 J SOUL BROTHERSの登坂広臣が29日、都内で行われた台湾の台北市政府観光局キャンペーン「知られざる台北の魅力」記者会見に出席した。台北観光大使を務めることになった登坂は「この度はこのような大役を務めさせていただくことになり、大変うれしく思っています」と笑顔を見せ、「これまで色んな形で台北に訪れました。台北に自分ができることを還元できればと思っています」と意欲を示した。台湾はこれまで4回ほど訪れたことがあるそうで、「初めて行った時は映画のプロモーションでした。活気がある街だなと改めて思いましたし、日本から近い場所なのに違う文化があったりして不思議な気持ちにもなりましたね」と台北の感想を。同キャンペーンのプロモーション映像の撮影で訪れた際は「温泉街に初めて行きました。温泉が湧き出ている場所とか景色も素晴らしくて、不思議な魅力があるところだなと感じましたね」としつつ、「時間がなくて温泉に入れなかったんです。次こそはゆっくりしたいと思います」と再訪を誓った。さらに、「台北はオシャレなカフェやルーフトップバーもあって、雰囲気がすごくあるところです。家族でも楽しめるし恋人同士でも楽しめる場所だと思うので、色んな方々行ってもらいたいですね」とアピールした。登坂にとっての台北は、ソロでライブを開催した思い出の地でもあるという。「日本に負けず劣らないすごい熱気で、初めて僕の音楽をライブで体験する方もいて、ステージに立った僕も不思議な感覚でした。日本では味わえない空気感を感じながらやらせてもらいました」と当時を振り返った。その際は家族も来たそうで、「ここぞとばかりに便乗してました(笑)。親孝行になればと思いましたね」と家族思いな一面も。また、次に台北を訪れる際、誰と行きたいか? という問いに「次はメンバーと行きたいですね。台北のファンの方も待ち望んでいると思いますし、ライブの時に次はみんなと良いエンターテイメントを持ってきますと約束をしたので、次はそういうものを果たしたいと思います」とグループとしての公演に意欲を見せていた。
2019年09月29日Kis-My-Ft2の宮田俊哉と北山宏光が、25日深夜に放送されたラジオ番組『Kis-My-Ft2 キスマイRadio』(文化放送/毎週水曜24:05~24:30)に出演し、最近迎えた誕生日の様子をそれぞれ明かした。9月14日で31歳になった宮田は、大好きなアーティスト・水樹奈々のライブが次の日に予定されていたため、「自分の誕生日よりそっちの方が大事だったから、早く寝た」と告白。ジャニーズJr.内グループ・Snow Manの佐久間大介から、誕生日会に誘われたそうだが、「そういう会って絶対遅くなっちゃうじゃん。俺、どうしてもライブに賭けたくて……。理由は言ってないけど、『ごめん、今日は無理だわ』って断っちゃった」と申し訳なさそうに明かした。一方、9月17日に34歳の誕生日を迎えた北山は、「家のキッチンで台本読んで終わった。誕生日の日もその次の日も、ずっと家にいました」とポツリ。主演を務める舞台『THE NETHER(ネザー)』のセリフ覚えに苦戦しているようで、宮田が、「大変だなぁ。この間、藪と塚ちゃんとご飯食べたんだけど、『最近の“北光”、追い込まれてない?』って言ってたよ」と周囲からの心配を明かすと、北山は、「もう分からないんだもん。頭に入らない。難しい言葉が多くて……」と本音をもらしていた。
2019年09月27日アイドルグループ・Kis-My-Ft2の宮田俊哉が出演する、アニメ・声優好きのための動画アプリ「&CAST!!!」の TVCMが25日より公開される。CMでは、自他ともに認めるジャニーズNo.1のアニメ好きである宮田が、「&CAST!!!」の楽しさや魅力を伝える。宮田が「異次元にやどりし神聖なる楽園。そこに命を吹き込む選ばれし言霊使い。わが心を照らせしその世界の輝きを! 俺は時空を隔てた地で目に焼き付け、深遠より光の儀式をもって祈りを捧げるのみだった。それが、今!」とセリフを言うと、女神エメラルドが「宮田さん、ありがとう〜!」と応え、宮田は「レス、来たァーーーーーーッ!!!」と興奮する。声優などのキャスト(配信者)に メッセージやエールアイテムで応援をすることができ、実際にキャストから返事がもらえるなど双方向のコミュニケーションを楽しめるアプリであることを伝えている。宮田にとっては初のソロCMとなり、タイアップ楽曲には、MEGUMIこと林原めぐみが作詞した宮田ソロ曲「僕だけのプリンセス」を使用。同曲は4月24日にリリースされた同グループの最新アルバム『FREE HUGS!』に収録されている。またCM中のキャラクター・女神エメラルドの声は声優の代永翼が担当した。
2019年09月25日“今、そこにいる日本人”のリアルな会話劇を開拓してきた演劇界の異才・平田オリザと、『踊る大捜査線』シリーズなどエンタメ性豊かな作品群で知られる映画監督の本広克行。ふたりが2015年にタッグを組んだ舞台『転校生』(作・平田、演出・本広)が、本日8月17日、装いも新たに初日を迎える。キャストは前回同様、オールオーディション。応募総数2128人の中から選ばれた男女42名によって、オリジナルの女子校版と、男子校を舞台にした新版の2バージョンが同時上演される。『転校生』は、1994年の青山演劇フェスティバルでの初演以来、高校演劇ではバイブル的存在となっている。平田戯曲らしい“同時多発”会話で展開する、ある高校生たちの一日を描いた物語だ。誰もが覚えのある、10代特有の他愛もない会話を何層にも重ねることで、かれらが抱く漠然とした不安や社会への好奇心、大人たちへの不信感をさりげなく浮き彫りにしてゆく。今回は、平田が改定版として男子校版を翻案したスペシャルな公演。演出の本広自身による書類審査で選ばれた185人と、オーディションアプリ「mysta」で予選を勝ち抜いた12人の合計197人に実技審査を実施。まったくの新人やタレント活動をしている人、有名劇団に参加経験のある女優まで、多彩なバックボーンをもつ出演者がそろった。「“役者として本気で覚悟が決まった方”を募集したところ、前回よりも応募総数が多く、非常にみなさんが高いコミットで応募してくれたので、選ぶのが大変でした」と語る本広。観ればきっと、“かつての私”や“クラスメートだったあの人”の顔が見つかるはずだ。文:佐藤さくら
2019年08月17日新たな才能の発掘を目指し、平田オリザの戯曲を本広克行が演出するPARCOプロデュース『転校生』の開幕が迫る。初日を約10日後に控えた稽古場を訪れると、若手俳優42人が発声練習を始めた。【チケット情報はこちら】1994年に初演された歴史ある「女子校版」と、今回新たに登場する「男子校版」に分かれて同時上演される本作だが、この日の稽古は男女合同で行われた。和気あいあいとした雰囲気は、さながら“共学”の教室風景。「相手の台詞をよく聞いて、大きな声ではっきり台詞を言う」と書かれた貼り紙に見守られながら、ひとりが「あいうえお、いうえおあ……」と先導すると、全員があとに続いて滑舌を鍛える。初めての全編通し稽古を控えたこの日、最初に行われたのは作品の最後を飾る4場の場当たりだった。まずステージに立ったのは「女子校版」の21人。同級生の噂から進路まで、高校生ならではの硬軟さまざまな雑談が“同時多発会話”によって展開される。机と椅子が並ぶ“教室”を設定した舞台からの出ハケも非常にランダム。退場した生徒が両袖に居残り、作品の行方を見つめる様子が客席から確認できる演出は、2015年に本広が試みた内容を踏襲している。ステージと客席を見下ろす小高い場所に位置する演出席。本広はそこから降り、役者と同じ視座に立って指示を飛ばした。「退場後の袖では“素の自分”でたたずんで」と提案すると、あるキャストから「“役”ではなく自分として?」と質問が。疑問点はその場で解消し、すぐ実践してみせるなど、よりよい作品づくりに努める積極的な姿勢が見受けられた。続いて「男子校版」の21人が4場のスピードスルーと全編の通しに臨んだ。「朝起きたらこの高校の生徒になっていた」とひとりの転校生が教室に現れるストーリーは女子校版と同じだが、セリフやエピソードの一部は新たに平田が書き下ろしている。転換時、両袖のキャストがキャッチボールする──といった、女子校版の楽器演奏とは異なるパフォーマンスも楽しめた。物語の終盤、教室には“転校生”と親の都合で学校を去るかもしれない同級生のふたりが残る。自分だけでは抗いようのない現実を背負った彼らの応酬を、他の19人が見つめる男女共通のラストについて、本広はキャスト全員に「閉幕は“現実”の終わりでもある。この夏が過ぎたら21人が揃うことはそうないと思って余韻を持たせて」と語りかけた。互いの稽古を見学し、切磋琢磨している男女42人が役者として成長する姿を見届けよう。公演は8月17日(土)から27日(火)まで、東京・紀伊國屋ホールにて。チケット発売中。取材・文:岡山朋代
2019年08月16日