テレビバラエティ番組「志村けんのだいじょうぶだぁスペシャル」の囲み取材が3月4日(土)、都内にて開催され、「ザ・ドリフターズ」の志村けん、加藤茶、仲本工事、高木ブーの4人が12年ぶりとなるテレビ共演の感想を語った。「志村けんのだいじょうぶだぁスペシャル」では、「中居正広のテレビ50年名番組だョ!全員集合笑った泣いた感動したあのシーンをもう一度夢の総決算スペシャル」(2005年10月/TBS系)以来12年ぶりに、「ザ・ドリフターズ」の4人が揃ってテレビに登場。4人が参加したコントを披露し、4人でトークコーナーも行う。ほか、特別ゲストを招いてのコントや、変なおじさんら名物キャラクターも登場。揃って集まったのも久しぶりという4人。コントの感想を尋ねられると、高木さんは開口一番、「楽しかったですよ。やはり、ドリフターズですよ」とにっこり。「5人揃えば一番いいのですけど」と、「ザ・ドリフターズ」のリーダーだった故いかりや長介さんを悼みながら、「ほかの3人はすごいよ。それなりのものは持っているからね。俺はいつも、長さんに、『お前はいつも外から見て笑っているんじゃねえよ』と言われていて」と懐かしんだ。「昔もそうだったのですけど、今回見て、おかしいもん。わかっていておかしいから」と表情をほころばせた。仲本さんは「始まるとテンションが上がって行って、『ほっといたら、ずっとやっているのではないかな』というような気持ちになってきます。時代に逆行したということで、若さがみなぎってきます。気分がいいですね」と嬉しそう。「僕は67歳で、この中では一番年下」という志村さんも「初めのうちはどうかなという気持ちがあったのですが、いざ始まってみると、昔のタイミングとか間(ま)とかがだんだん蘇って来て、『これだ!これだ!』という、いい意味の自信が付きました」とふり返った。加藤さんは「4人集まると、気持ちが高ぶって、年を取った自分を忘れる。これはすごくいいことですね。年に1回は、仕事ではなくて集まって、酒でも飲もうかと。集まったほうがいいのではないかな」と4人での共演を堪能した様子。「長さんがいなくてもできたということは、もともと、いらなかったのかもしれない」と加藤さん流のトークを炸裂させると、志村さんもすかさず「飾り物で置いておかないと。一応、リーダーですから」と志村さん流のツッコミを披露した。今回の4人の共演は志村さんの呼びかけで実現したそう。志村さんは「いま、コントをやる人が少ないので。昔はグラビアアイドルとかいっぱいいたのですが。優香も結婚しているしね」などと笑いを誘いつつ、「セットでコントをやる人が少なくなっているので、ドリフはこういうことをいままでずっとやっていたのだということを、もう1回、再確認してもらおうかなと思って、集まってもらいました」と胸の内を明かした。4人での共演の話を聞いた際の心境を、加藤さんは「『やった!』と思いましたね」と回顧。続けて、「長さんが亡くなってから4人で(コントを)やることがなかったので。年を取った相応の4人を見せられたらいいなと思ったのですが、集まってやってみたら、昔とあまり変わらない感じでした」と収録を終えたコントに自信をのぞかせた。仲本さんも「みんなバラバラで仕事をしているから、何かひとつ足りないというストレスがあるんだよね。でも、こうやって集まって、やってみると、そういうものが全部、すっ飛んじゃう。爽快!気分がいい!」と目を細めた。高木さんが「ドリフターズですよ、これが。そう思っていただければ」と頷くと、仲本さんが「締まったね!」と声を掛け、絶妙の掛け合いを披露した。体調面については、志村さんは「年相応にもの覚えが悪いですね。人の名前が覚えられなくて(笑)」といい、加藤さんも「セリフが覚えられない(笑)」と同意。しかし、仲本さんは「それでも、わかっちゃうからね。『あれ』でもわかっちゃうから。グループだからね」と笑顔。最年長の高木さんが「いまのところ何ともないです」と体調面の不安がないことを告げると、志村さんは「元気だよね。84歳には見えないよな」と驚きを交えて感心した。コメディアンとしての目標を尋ねられ、加藤さんは、「目標は、死ぬまでやりたいですね。死んでも、棺桶に入っても、笑ってもらいたいというものはありますよね。昔の人で、自分の棺桶の中に花火を入れて、ドカーンとたいた人もいたのですけど、そのくらいのことをやってみたいですね」とまんざらでもない様子でコメント。志村さんが「棺桶の側に行かない方がいいね。危ないからね」と怯えた様子を見せ、そのやり取りが会見場を笑いの渦に落とし入れた。テレビバラエティ番組「志村けんのだいじょうぶだぁスペシャル」は、フジテレビ系にて、3月15日(水)19:00から20:54まで放送。(竹内みちまろ)
2017年03月05日女優の長谷川京子が、本日12月26日(月)放送の「となりのシムラ#6」に初登場することが分かった。「となりのシムラ」は、志村けんが“座長”を務めるコント番組。志村さん演じる“どこにでもいそうな普通のおじさん”が、笑いと感動を巻き起こす大人のコメディーで、従来の志村さんのコントとは異なり、ドラマスタイルとなったコントが好評を得ている。これまで山本美月や笛木優子、吉田羊、染谷将太、中村蒼ら豪華キャストたちが出演してきた本番組だが、今回初登場するのは、今年は「臨床犯罪学者 火村英生の推理」「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」「ふれなばおちん」など様々な作品で活躍した長谷川さん。今回彼女は「飲まない人」のコント内で女性社員役として、「一杯だけ」のコントではバーの女性客を演じるという。志村さんとの共演に長谷川さんは、「まさかご一緒させてもらえる日が来るとは思いもしなかったので、とても嬉しかったです」と喜び、「志村さんから出て来るアドリブの数々に、そして子どもの頃から聞き慣れているギャグが出る度に思わず叫んでしまいました。また、ご一緒させてもらいたいです」と大興奮の様子。先日、自身のインスタグラムにも志村さんとの2ショット写真がアップされ、ファンからは「ステキ」「放送楽しみにしてます」「絵になる2ショット」などコメントが寄せられ、反響を呼んでいる。長谷川さんのほかにも、原日出子、小林聡美、野間口徹、波瑠、浜野謙太、萩原聖人、川栄李奈らも参加する。「となりのシムラ#6」は12月26日(月)22時~NHK総合にて放送。(cinemacafe.net)
2016年12月26日女優の長谷川京子が、きょう26日(22:00~)に放送されるNHK総合のコント番組『となりのシムラ』で、お笑い芸人の志村けんと初共演を果たす。この番組は、志村演じる「どこにでもいそうな普通のおじさん」が、笑いと感動を巻き起こすというコメディ。今回、長谷川は、「飲まない人」と「一杯だけ」というコントに出演し、それぞれ女性社員、バーの客を演じる。長谷川は、志村との初共演に「まさかご一緒させてもらえる日が来るとは思いもしなかったので、とてもうれしかったです」と大喜び。「志村さんから出て来るアドリブの数々に、そして子供の頃から聞き慣れているギャグが出るたびに、思わず叫んでしまいました」と感激の様子で、「また、ご一緒させてもらいたいです」と再共演を熱望している。先日には自身のインスタグラムに志村との2ショット写真を掲載しており、ファンからは「ステキ」「放送楽しみにしてます」「絵になる2ショット」といった反響が寄せられている。
2016年12月26日人間国宝・染織家の志村ふくみとその長女で染織家の志村洋子の芸術精神を継承する、新ブランド「アトリエシムラ(atelier shimura)」が、2016年11月3日(木・祝)よりスタートする。志村の芸術精神を広く次世代に伝えたいという想いから「アトリエシムラ(atelier shimura)」を誕生させた。商品は着物を中心とし、ストール、茶道具、額装、名刺入れ、書籍など幅広く展開。どれも世界にひとつだけの一点もので、作り手の想いが込められている。京都・嵯峨の工房で作られた着物は、蚕の繭から得た絹を植物で染め、人の手によって織り上げたもの。植物の命が感じられる色味は、自然の深さを体感させてくれる。合わせる帯締め・帯揚げも同様に植物染料で仕上げた。ストールは、無農薬・有機農法にこだわり、最高級のオーガニックコットンと絹を用いている。和装だけでなく、デイリーウェアとも相性がよく、男性・女性問わず纏えるのがポイントだ。展開は、ブランドローンチの2016年11月3日(木・祝)よりオンラインショップをスタート。翌2017年には、京都・岡崎にショップをオープンする予定だ。【詳細】アトリエシムラ(atelier shimura)ブランドオープン日:2016年11月3日(木・祝)取り扱い店舗:オンラインショップ(2016年11月3日オープン)※2017年、京都・岡崎にショップオープン予定。<全商品展示販売会 @ifs未来研究所 WORK WORK SHOP>※着物をはじめとする全商品を紹介。開催日時:2016年11月3日(木・祝) 14:00〜18:002016年11月4日(金)〜6日(日) 11:00〜18:00<新ブランド販売イベント @TOBICHI②>ストールなどの販売、ワークショップ、トークショー。開催日時:2016年11月3日(木・祝)〜6日(日) 11:00〜18:30<企画販売@代官山蔦屋書店>志村ふみと志村洋子の作品集やエッセイ、アトリエシムラ(atelier shimura)の小裂の画帖や小裂の額装を販売。開催日時:11月7日(月)~18日(金)7:00~26:00【問い合わせ先】アトリエシムラ(atelier shimura)TEL:075-762-2500
2016年10月17日タレントの志村けんが15日、都内で行われた湖池屋のスナック菓子『わさムーチョ』新キャラクター就任式に出席した。先月19日に肺炎で大阪市内の病院に入院し、同31日に退院後、初の公の場となった志村は、体調を聞かれると「だいじょうぶだぁ」と持ちネタで切り返して笑いを誘い、1日3箱吸っていたタバコも「あまり吸いたくないんです。部屋に置いておいても吸わないですね」と変化を告白。しかしお酒はやめられないそうで、「飲み屋は好きですね。それだけはやめられませんね」と語った。志村は先月19日に大阪・新歌舞伎座での座長公演「志村魂」の初日終了後に肺炎のため入院し、翌20日と21日の公演が中止に。体調を崩した原因について志村は「たぶんスケジュールがきつかったんです」と話し、「1カ月半舞台をやるのに、その前に溜め撮りなどいろんなものが重なり、ステージも長いし、2回公演の日が体力的に相当きつかった」と回顧。名古屋から大阪への移動日に病院に行き、ドクターストップがかかったことを明かし、「初めての大阪で、3日間のチケットもない(完売)状態で、何とかして行かなきゃと思って大阪の病院に泊まって、1回はやったんですけど、あとはきつかったですね」と休演を決断。「来年からは休演日など、体力的なことを考えてスケジュールを組んで行こうかなと思います」と語った。また、長きにわたる芸能生活で、舞台を休演することは初めてだったそうで、入院時の心境を聞かれると「体もしんどいですけど、待っているお客さんのことや、スタッフや共演者のことを考えましたね。一番心配だったのは、チケット買っているのに見られなかったというのは辛かったですね」と吐露し、「来年ですかね。(大阪に)行きます」と宣言した。今回、新しいムーチョブランドの顔として、志村けん扮する「ひとみおばあちゃん」が就任。感想を聞かれた志村は「"ひとみばあさん"というのは僕の好きなキャラクターですから、コラボしたということは、食べながら"ひとみばあさん"のマネをしたり、楽しい空間が起きるんじゃないかなと期待しています」とニッコリ。同キャラが誕生して30年以上経ったそうだが、CMキャラクターに選ばれたのは初だそうで「長いことかかりましたね」と感慨深げに語っていた。
2016年09月15日肺炎のために入院していたお笑いタレントの志村けん(66)が8月31日、退院したことを自身のブログで報告した。志村は、「この度は皆さんに心配掛けました 今日退院しました」というタイトルで更新。冒頭で「大阪新歌舞伎座の公演来られる予定の方本当にすいませんでした次の機会に必ず頑張りますので」と謝罪した。そして、「なかなか連絡 出来なくて ずっと病院で安静してました」と明かし、「3日前から散歩出来る様になり久しぶりに東京タワーの下です」と東京タワーの写真を添えてコメント。「これからも頑張ります宜しくお願いします」と呼びかけた。志村は今月19日、大阪での座長公演『志村魂』の初日終了後、体調不良で緊急入院。20日、21日に予定されていた公演は中止となっていた。
2016年09月01日タレントの志村けんが座長を務める舞台『志村魂(シムラコン)』に出演していたタレントの磯山さやかが24日、自身のブログを更新。19日に肺炎のため緊急入院した志村についてコメントした。磯山は「突然の形となりましたが、志村魂11の公演が終わりました!!」と報告。「最後の地、大阪公演の残り3公演が中止になってしまいまして私達もどうしていいかわからなかったですし、楽しみにしていたお客様には残念な形になってしまいましたが、何よりも志村座長の体が第一と思います」とし、「一番残念で悔しく、色々な想いをもっているのは志村座長です」とつづった。そして、「途中から体調を崩していてしんどそうでしたし、大阪公演の時には、なんとか気力で舞台に最後まで立ち続けていました。裏で見ていて、大阪の初日を最後まで出来たのは本当に驚くほどです」と入院直前の志村の様子を明かし、「今は静養されているということですが元気な姿を早く見られることを祈るばかりです」と回復を願った。最後に、「すべてのお客様に感謝です。今年も楽しく頑張れた舞台でした。ありがとうございました!」と感謝の思いを伝えた。
2016年08月24日大御所・志村けんが、「KEN from EVM」として「東京スカパラダイスオーケストラ」に期間限定で加入し、メンバーと一緒に三味線を披露するコラボレーションWebムービーが公開。7月12日(火)よりTVCM「あたらしくいこう 志村けん」篇も放映されることが分かった。「氷結(R)」は、2016年のコミュニケーションコンセプトとして「あたらしくいこう」を掲げてさまざまなプロモーションを実施。本Webムービーは、「GYO」ことさかなクンが、2月に期間限定で「東京スカパラダイスオーケストラ」に加入しSNS上で話題沸騰となった企画の第2弾。今回は、志村さん扮する謎の三味線奏者「KEN from EVM」が出演している。「KEN from EVM」は、ティザーの時点で、EVM(East Village Mountain=東村山市)が出身地に由来していることやスカパラメンバーが第一印象について、口を揃えて「変なおじさん」と答えたことから、「あの大御所志村けんでは?」と話題に。今回のムービーでは、CMの収録スタジオに「バカ殿」がひょっこり現れ、ドラムを手で叩いたり、サックスに手を突っ込んだりと、 慣れない様子でコミカルに楽器を触っていたところ、突如「本番!」の声がかかると場面は一転し、「東京スカパラダイス オーケストラ」と紋付袴姿の“素”の志村さんによる「Paradise Has No Border」の演奏が始まるというもの。「東京スカパラダイスオーケストラ」に期間限定で加入した志村さんは、「ついに、僕の出番が来ましたね。これまで密かな趣味として、腕を磨いてきた大好きな三味線を披露する機会を探していました」と明かす。また、「スカパラさんのナウいバンドと僕の渋い三味線による新しくてかっこよくてアイ~ンなコラボレーションが生まれました。それぞれ音楽のジャンルが違うから、今回のようなコラボレーションはなかなか見れないし、だからこそ絶対面白い」と自信をみせ、「話が来たときはすごく嬉しかったです。ぜひ、お楽しみください。惚れちゃや~よ。だっふんだ」とメッセージを寄せた。バカ殿姿とは異なる志村さんの三味線と、向き合う真剣な眼差しや醸し出すオーラには、これまでのイメージとは違う“大人の渋さ”が漂っているよう。アップテンポな曲調の中に、絶妙に融合した三味線独特のリズムや、三味線特有の掛け声からなる「オーケストラ×和」の“あたらしい”音色をぜひ楽しんでほしい。また、TVCM「あたらしくいこう 志村けん」篇(15秒ver、30秒ver)は7月12日(火)より放映開始。(cinemacafe.net)
2016年07月12日スタイリストの伊賀大介氏が、TOKIO・長瀬智也主演映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』(2016年6月25日公開) の劇中ロックバンド・地獄図(ヘルズ)をモチーフにしたTシャツのデザインを監修し、21日から発売されることが16日、明らかになった。本作は宮藤監督の完全オリジナル作品で、舞台に選ばれたのは地獄。地獄専属バンド・地獄図のフロントマンで、地獄農業高校の軽音楽部顧問の赤鬼・キラーK(長瀬)と、17歳の若さで地獄に落ち、大好きなクラスメイト・ひろ美(森川葵)に会いたい一心で生き返りを目指す、関大助(神木隆之介)の地獄めぐりの様子を描く。地獄図は、キラーK(ボーカル&ギター)、大助(ギター)、邪子(清野菜名/ベース)、COZY(桐谷健太/ドラム)らで構成。メンバーが劇中で演奏する楽曲は、サウンドトラック『TOO YOUNG TO DIE! 地獄の歌地獄』(6月22日発売)に収録される。映画主題歌は、THE MAD CAPSULE MARKETS(活動休止中)のKYONO、物語の中で重要な曲「天国」は元NUMBER GIRLでZAZEN BOYSの向井秀徳が、それぞれ作曲を、パンクバンド・グループ魂の一員としても知られる宮藤監督が作詞を担当している。そんな地獄図をモチーフにしたTシャツのフロントには、"HELLポーズ"をキメる鬼を大きくプリント。背面には、「DEMOLITION TOUR (破壊ツアー)」の文字と共に「等活地獄」「黒縄地獄」などさまざまな"地獄"がバンド名のように並んでおり、夏フェスや対バンツアーの物販などで売られていそうな、リアリティあるデザインに仕上がっている。このデザインを監修したのが、『真夜中の弥次さん喜多さん』(05年)から本作まで宮藤監督作品の全ての衣装を手がけてきた伊賀氏。「こりゃ、ヤるならとことん本丸攻めないといかん!」と気合を入れたという伊賀氏は、「ヤバいTシャツ刷りました!」と自信を見せる。続けて、「現世の方々にもライクアおすそ分けでブルーとピンク」と紹介しながら、劇中に登場する、現世で罪を犯した人間が地獄に落ちてきた姿・MOJAになぞらえて「さぁ、これで貴方も真のMOJAじゃ!」と力強くアピールしている。宮藤監督も「過去に作った中でも断トツに情報量の多いTシャツ」と断言。「裏も表もギチギチに描き込まれていますが、意外と誰でも着こなせる感じ」と安堵を誘いつつ、「もともと長瀬くん扮するキラーKと亡者が劇中で着る衣装用だったのですが、欲しがる関係者があまりに多く、スタッフの数だけ作って配り、さらにこの度、晴れて商品化することになりました」と制作の背景を明かした。Tシャツは21日より、ヴィレッジヴァンガードのオンラインストアや主催フェス「30th VILLAGE VANGUARD presents V.V.Rocks ~Sing Your Song! 2016~」(フェスでは5月22日限定)、商品をデザインしたメーカー・ハードコアチョコレートのオンラインショップやAmazonのハードコアチョコレートのページ、そして東京・東中野のヘッドショップで発売。価格は2,778円(税別)で、サイズはXS、S、M、L、XLの5種類がラインナップされている。なお、6月11日からは全国18のヴィレッジヴァンガード店舗でも発売される。(C)2016 Asmik Ace, Inc. / TOHO CO., LTD. / J Storm Inc. / PARCO CO., LTD. / AMUSE INC. / Otonakeikaku Inc. /KDDI CORPORATION / GYAO Corporation
2016年05月18日京都国立近代美術館で3月21日まで開催中の人間国宝・志村ふくみの回顧展「志村ふくみ―母衣(ぼろ)への回帰―」。草木染めの名匠であり、紬織では重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された志村ふくみは、91歳の今も昔と変わらぬ技法で作品を織り続けている。志村は、本展覧会に向け昨年より新たに16点もの新作を発表。同展のタイトルでもある「母衣」に込められた思い、そして見どころをお伝えしたい。■「母衣(ぼろ)」に込められた志村の思い貧しくて糸が手に入らない頃、残り糸を紡いで織ることを「屑織(くずおり)」や「ぼろ織」という。その材料となる「裂」の美しさにかねてから魅了された志村。志村の母は老女に頼んで短い糸を紡ぎ合わせて残したその糸玉を、勿体なくて40年間少しずつ大切に使ってきたという彼女。この作品「母衣(ぼろ)」の制作にあたり「この年にして、いつまで織れるだろう」という念が心をよぎったことが契機になったと彼女は記している。その貴重なつなぎ糸を用いて織られた作品が、同展の入り口で一際目を引く「母衣曼荼羅(ぼろまんだら)」である。「ぼろ」の文字を「母」の「衣」と表現し、母の影響で織物を始めた志村の思いや、死者や生き倒れた人々の衣を洗い清められた「ぼろ」が、同作品に込められているのだ。そして「ひとつ織り上げるとこれが最後のような気がしている」と語る志村。その糸玉を全て使用し作品に残すという強い決意が示された同作品は、「ぼろ」に再び命が宿り生き生きとしているように映る。その糸の力強さと精彩を放つ作品に強く感銘を受けた。母衣曼荼羅■まだ見ぬ色「幻の色」を求めて草木や玉葱、梅など自然染料によって染められた糸で織り上げる作品においては、今もなお一筋縄ではいかない「幻の色」を追求し続けている。例えば桜色に染色したい時、誰もが花から染められると考えるが、実は桜の花びらから染めると灰色がかった緑色に染まるという。桜色を染め出すには、桜の小枝を煮出すことで、ほんのりとした桜色が生まれるのだという。そして、桜の枝を切り倒したその先は、色として生き続ける。それを志村は「植物の生命の色」という。その言葉や作品からにじみ出るように、彼女はその命ある植物に常に感謝の念を持ち続け、植物と会話をしている様にも思えた。■90歳を越え、なお新作を生み出してゆく新たに制作された16の作品では、前述の「母衣曼荼羅」の他に、志村が大切にしている色「藍」「白」「黄金色」で織られた三部作と、「志村の色」を表現した目にも美しい、12色の無地着物が展示されている。また、「光の經(みち)」では、織機にピンと張られた經糸を43色の糸で表現したインスタレーションを展示。生命の色がもたらす色糸が美しいグラデーションとなり、色糸による幻想的で力強い經(みち)を作った。光の經(みち)■染織と共に生きた60年におよぶ創作の歩志村誕生の地である、滋賀県琵琶湖をイメージして機織された作品は『月の湖』『水門』『冬の湖』など美しい藍色を用いて表現された。また、源氏物語から着想を得た「源氏物語シリーズ」では、各帖のタイトル『若紫』や、登場人物である『明石の姫』などの作品が展示されている。その他、文学シリーズや、志村の出発点でもある民藝に学んだ作品など、60年に及ぶ創作の歩みを展示している。源氏物語シリーズ今回話を伺った京都国立近代美術館学芸課長の松原龍一さんは、この展覧会を開催するにあたり、志村のアトリエに何度も出向きたくさん話をしたという。「志村さんの作品には嘘がない」と話す松原さんの言葉がとても印象的であった。染色から紬織全ての工程において、60年間納得がいくまで何度も作業を繰り返し、今もなお自分の色を探し続ける。正直な心で物を生み出す志村の姿勢と、全ての物に感謝の念を持ち続け、次の作品に対して常に意欲的に取り組むその姿は、志村が染める糸のようにとても美しいものである。■志村ふくみ1924年に滋賀県に生まれ、母・小野豊の影響で織物を始める。57年第4回日本伝統工芸展に初出品で入選し、その後も受賞を重ねる。そして、90年には紬織の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2015年文化勲章を受章。同年「VOGUE JAPAN WOMAN OF THE YEAR 2015」受章。参考文献:志村ふくみ―母衣(ぼろ)への回帰―【イベント情報】文化勲章受章記念「志村ふくみ―母衣(ぼろ)への回帰―」会場:京都国立近代美術館 3階企画展示室住所:京都府京都市左京区岡崎円勝寺町会期:2月2日~3月21日時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)休館日:毎週月曜日(ただし、3月21日は開館)料金:一般900円、大学生500円、高校生・18歳未満は無料「志村ふくみ―母衣(ぼろ)への回帰―」は京都国立近代美術館を皮切りに、沖縄県立博物館・美術館、世田谷美術館で順次開催する。
2016年03月09日NHK発のコント番組「となりのシムラ」で、中村蒼がコント界の人間国宝と称される志村けんと初共演を果たし、番組内でコントに挑戦することが明らかとなった。「志村けんが、ちょっとずれた普通の人を演じる」擬似ドキュメントコメディとして、どこにでもいそうな“普通”のおじさんを志村けんが演じ、ちょっとした日常の勘違いを描く本番組。いまそこにある日常の空間を“笑い”に変えた、ドキュメントドラマのようなコント番組だ。中村さんは、「かぶき者 慶次」「洞窟おじさん」「本棚食堂」など、昨年はNHK5作品に出演し、「無痛~診える眼~」(フジテレビ)では、“先天性無痛症”と“無毛症”を患う青年という難しい役どころを演じるなど、今後の活躍が期待される若手演技派俳優。今回は、麻生祐未や貫地谷しほりと共に、「家出」というコントに出演し、“売れない役者の彼氏”を演じるという。収録を終えた中村さんは、「今回初めて『となりのシムラ』に参加でき光栄です」と喜びを語り、「一言にコント番組と言ってはいけないような作品で、現場ではなんとも言えない緊張感の中お芝居をやらさせてもらいました。座長の志村さんは本番で一気に爆発する感じでその熱量に自然と引っ張られました。ただカットがかかると穏やかな志村さんでもっともっと色んな表情を持ってらっしゃるんだろうなと思い、またご一緒出来れば良いなと思いました。とにかく僕も完成した作品を観るのが今から楽しみです!」と志村さんとの初共演を振り返っている。近年確実に活躍の幅を広げていく中村さん。今回のコントでも新たな彼の一面を覗くことができそうだ。「となりのシムラ」は3月26日(土)22時~NHKにて放送。(cinemacafe.net)
2016年02月12日人間国宝である染織作家・志村ふくみの大規模な回顧展「志村ふくみ―母衣(ぼろ)への回帰―」が2月2日より、京都国立近代美術館で開催される。志村の作品は草木からの自然染料で染められた糸によって織り上げられており、国際的な評価も高い。2014年には「民衆の知恵の結晶である紬の創作を通して、自然との共生という人間にとって根源的な価値観を思索し続ける芸術家」として第30回京都賞(思想・芸術部門)を受賞し、15年には文化勲章を受章した。文化勲章受章記念として開催される同展では、代表作を中心に、初期の作品から最新作までを一堂に展示。60年におよぶ創作の歩みを紹介するとともに、志村の魅力と芸術の核心に迫るものとなっている。会期中の2月13日には志村と熊倉功夫(静岡文化芸術大学学長)との対談「紬の着物を着て茶室に入ること」、3月6日には志村による講演会「母衣(ぼろ)への回帰」、2月20日と3月12日にはキッズプログラム鑑賞ツアー「これはどんな色?」が開催される。【イベント情報】文化勲章受章記念「志村ふくみ―母衣(ぼろ)への回帰―」会場:京都国立近代美術館 3階企画展示室住所:京都府京都市左京区岡崎円勝寺町会期:2月2日~3月21日時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)休館日:毎週月曜日(ただし、3月21日は開館)料金:一般900円、大学生500円、高校生・18歳未満は無料
2016年01月07日できたばかりのアニメーション制作会社の処女作が、アカデミー賞にノミネートされた――そんな鮮烈な話題で一躍注目を浴びたのが、堤大介氏とロバート・コンドウ氏の共同監督によるオリジナル短編アニメーション映画『ダム・キーパー』。『トイ・ストーリー3』や『モンスターズ・ユニバーシティ』のアートディレクターをつとめたふたりが、ピクサーから独立してはじめて発表した作品だった。まるでこの展開自体がアニメの中の出来事であるかのような、ドラマチックなエピソード。それに惹かれて、同賞の授賞式開催地の米国、堤監督の母国・日本など各国のメディアが注目(もちろんそこにマイナビニュースも含まれる)。はた目には順風満帆に見えるが、同作の監督のひとり・堤大介監督が絵の道を志したのは、何と大学に入ってから。絵を仕事にしている人としては、かなり遅まきのスタートだ。今回は、活動の拠点であるアメリカを離れ来日していた堤大介監督に、ロングインタビューを敢行。堤氏が絵の道に進んだきっかけから、世界に名だたるピクサーに在籍しながら独立した理由、日本のアニメーション制作会社と協業する理由などについて聞いていく。全3回に分けてお届けする本インタビュー。第1回は、堤氏がなぜ、アメリカのアニメーション業界で働くに至り、世界最高峰のスタジオとも言えるピクサーを飛び出し、独立したのか。そのいきさつに迫った。――最初に、これまでの経歴、堤さんが絵を仕事として選んだきっかけについて、お話しいただけますでしょうか。高校生まで日本で暮らし、日本の学校に通っていて、ずっと野球に取り組んでいました。学生のころもらくがきをするのは好きだったんですが、まわりにうまい友人が何人かいて、特に、仲が良かった子はものすごく上手で。だから、自分が絵の道に進むというのはまったく考えていなかったですね。きっかけは、高校卒業後にアメリカ留学したことでした。それまで野球一筋、受験勉強というものに取り組んでこなかったので、そこから受験をして、日本の大学へ進むのは難しく、自然に留学という道を選びました。――例えば一浪して日本の大学に進むという選択もあったと思うのですが、アメリカ留学を選ばれたのはなぜですか?その当時、留学ブームであったという時代背景もありましたが、母親の方針に影響を受けたところが大きいです。彼女は日頃「しなさい」と言う方ではなかったのですが、「高校を卒業したら、とりあえず家を出てください」とは言われていました。皆がみんなそうではないですが、日本では大学受験のために必死に勉強して、入学したらサークルに入って遊ぶというような印象もあり、それを母はあまりよく思っていなかったようです。また、僕の姉も留学していたこと、留学すれば受験勉強をしなくて済むという打算もあって、渡米することを決めました。――英語は勉強してから渡米されたのでしょうか?野球部の引退後に時間があったのでTOEFLの勉強こそしましたが、アメリカに行った当初はまったく話せませんでしたね。いまだに覚えているのは、留学したてのある時、「ピザを食べたい」と思って、テイクアウトのピザ屋に行ったんです。店員さんに「ピザ」と伝えたら、一切れだけ買うつもりが、超巨大な物が丸ごと出てきてしまって…。ですが、「間違っている」と言うこともできず、やむを得ずそのまま受け取って、自転車だったので片手でかついでどうにか持ち帰りました。そのくらい、英語はできませんでしたね。――現地で生活される中で、どんどん身につけていかれたんですね。僕は極端な性格なので、やるときはとことんやる方で、野球にも熱中して取り組んでいました。なので、英語も渡米してからですが、とことん身につけようとしました。しゃべれないとどうにもならないだろう、と。留学当初は同じ日本人の留学生とはまったくしゃべりませんでしたね。仮にしゃべるとしても日本語ではなく英語で話しかけるという、今考えれば嫌な学生だったと思います。正直後悔している部分もあるのですが、そういう極端なことをしていた時期もあるくらい、英語を身につけようと必死でした。――それまでずっと野球一筋だった堤さんが絵を志すきっかけになったのは何だったのでしょうか?語学学校時代、地域に開放されていた絵のクラスで、地元のおばあちゃんに褒められたことが絵を志すきっかけでした。ですが実際に美大へ進んだら、僕はクラスの中で画力が一番下なんです。当然ですよね、絵を始めたのが遅すぎたんです。しかも、僕が取っていたクラスの先生は名物先生で、クラスからよく生徒を追い出したりしていました。僕もまさにそのターゲットにされて、2度彼のクラスから追い出されたことがあります。――そんな仕打ちを受けて、絵をやめたくなったりはしなかったのでしょうか?それまでずっと野球をやっていたこともあって、良薬口に苦しといいますか、ラクだったらダメな気がしてしまうところがあって。例えるなら、あまり興味がなかった女の子にそっけなくされて追いかけてしまうみたいなもので、逆に見返してやろうと思って取り組んでいました。その方はすごく有名な方で、その先生の授業の映像が教材ビデオとして売られることもあるくらいです。そのビデオはクラスの上位から代表3人を選んで指導するというもので、最終的に僕はその代表に選ばれました。でも、彼は僕をクラスから追い出したことは覚えてないと思うんですよ。選出したタイミングで、「最初は無理だと思ったが、よくぞここまで」というような、指導者としてのコメントも特になく(笑)。学習過程の終盤では、僕の絵が良い例として使われたりしていたので、いつの間にか認めてくれていたんでしょうね。ただ、僕はその先生について、指導者としては失格だと思っているんです。でも、ダメな先生だから生徒は学べない…というのはおかしいですよね。「いい先生に恵まれなかった」という言い訳で、自分が損するのは嫌じゃないですか。ダメな先生からだって得られるものは絶対にあります。彼はアーティストとしては本当にすごい人で、盗めるところは盗めるようにがんばりました。――少し話はそれてしまうのですが、奥さまが宮崎駿さんのご親戚ということを耳にはさんだのですが、アニメ業界を目指されたきっかけは、宮崎駿さんと何か関係はありますか?いいえ、関係はないです。妻は確かに宮崎さんの親戚ですが、彼女とは小学一年生のころの同級生で、僕がまだ「宮崎アニメ」を観た事がない時に出会っているんです。(編集注:当時、スタジオジブリ開設前で、宮崎駿氏はまだ『となりのトトロ』等オリジナルの劇場アニメーション制作を開始する前だった)なのでキャリアの開始には関わりはありません。僕にとって、宮崎さんはただただ憧れている、神様のような存在です。――では、何をきっかけにアニメーション制作に携わることを決めたのでしょうか?僕がアニメ業界に入ったきっかけは、絵を描いてアメリカに残るにはどうしたらいいか?と考えた結果でした。会社で働かないとビザが下りないので。絵が描ければいいやという安易な気持ちで始めたものの、初めてみたらもうとにかく面白くて。個人でやるより、チームで取り組む方が自分に向いているなと感じました。――就職された後、ピクサーへの転職を遂げ、トイ・ストーリー3でアートディレクターを務めるなど、外から見ればこれ以上ない、非常に華々しい職歴であったと感じます。またご家族がいらっしゃる状況で独立を決断するのは相当な勇気が必要であったと想像します。それにも関わらず、ピクサーを去って会社を興した理由はどこにあったのでしょうか?ピクサーから離れないと、これ以上成長できないと感じたからです。とはいえ、ピクサーに残っていたら成長できなかったかというと、そんなことはなかったと思います。ピクサーで取り組んでいたことは、もちろん大変な仕事でしたから。でも、自分の可能性に大きな賭けをするなら今やらないと、トライできなくなると考えたんです。アメリカの場合、一度アニメーション作品の制作に入ると3年程かかります。なので、次の作品に参加していたら、家族の状況で言えば、息子が小学校に入るタイミングになります。もろもろのことを考えて、今しかないと。――著名クリエイターの直筆イラストを1枚のスケッチブックに描きこんでもらう「スケッチトラベル」など、ピクサー在籍時も意欲的なプロジェクトを実行されていましたが、それでもなお、会社を離れた理由をお伺いしたいです。スケッチトラベルやトトロの森保全などのプロジェクトを通じて、自分で人をまとめて物事を動かすことが好きだと気がつきました。これらは仕事の傍ら取り組んできたプロジェクトですが、どこかで「自分の力を本当の意味で試してみたい」、つまりフルタイムで自分のプロジェクトをやりたいという願望が芽生えたんだと思います。「ダム・キーパー」の制作も、本業のかたわらで取り組んだことです。毎日がチャレンジで。本当に大変な思いをしました。何かプロジェクトを動かす時、ふつうは準備万端でやりたいものですが、この作品は準備どころではなく、やってみて初めて問題が発覚するような、その繰り返しだったんです。これまでピクサーではアートディレクターの仕事に専念していたので、短編とはいえ映画にまつわるすべてを作っていくのは初めてで、次々と噴出する問題をひとつずつクリアにしていくうちに、どんな問題がやってきても、その時に考えればいいやという覚悟ができてくるんです。そうして瞬時に問題を解決できる「筋肉」のようなものが備わってくると、日々自分がそこで成長しているということが感じ取れる、ということに気がついたんです。ジムで体を鍛える時も、筋肉を極限までいじめることで、回復したときに筋肉が増えるのと同じで、極限まで無理だということを克服したときに、次のレベルに行けるんです。そうした経験をする中で、ピクサーの仕事では、問題を克服する筋肉を養う機会が無くなってきていることが分かってしまったんです。僕は7年、ロバートは12年ピクサーに在籍していて、ふたりとも社内ではそれなりの評価をもらっていました。もちろん簡単な仕事ではないですが、こうすればできるというような自信も出てきて、会社の方も、このふたりに任せればできるというような雰囲気になっていて、だからこそ、挑戦とは遠いところにいると感じることが多くなりました。――その「気づき」を促した決定的な出来事は何かあったのでしょうか?『ダム・キーパー』を作るため、僕たちは3カ月間会社から休みをもらったんですが、所定の期間だけでは終わらなかったので、制作途中にピクサーの仕事に復帰したんです。戻った初日、ピクサーの景色がそれまでとはまったく変わって見えました。ピクサーは制作スタッフが仕事をしやすいよう、あらゆるものが整っているいわば「理想郷」で、それまでのチャレンジの日々とはあまりに対照的でした。この体験が、独立への決意につながったと感じています。もちろん、それからすぐに辞めたわけではなくて、悩みました。それに、家族である妻のサポートがなければ絶対に決心できなかったと思います。――共同設立者で、ピクサー在籍時も共に『ダム・キーパー』を制作していたロバート・コンドウさんも、同じタイミングで独立を決意されていたのでしょうか。ロバートは本当に優秀なクリエイターですから、僕としては一緒に起業できたらという願いはありました。ですが正直なところ、彼が一緒に来てくれるかどうか、いざ話を持ちかけるまで分かりませんでした。というのも、彼はカリフォルニアで生まれ育ち、卒業後の最初の仕事がピクサーで…という、大きな変化を選んで来なかった人でしたから。あとでロバートに聞いたら、僕が誘わなければ辞めなかったと言っていました。――ピクサーという大企業を辞するにあたって、やはり「引き際」というのはどの会社でも難しいこととは思いますが、スムーズに進行できましたか?ふたりとも責任ある仕事を任されていましたし、特に僕は次の映画の制作に入っていたので、ある程度時間をかけて引き継ぎをしました。社内の雰囲気という意味でも、僕が辞めるといった時に、多くの同僚が納得してくれました。実は、僕は退職の直前、社長から直々にメンターシップを受けていました。なので、彼に直接辞意を伝えたのですが、「分かっていた」というようなことを言っていただけました。メンターシップは将来のピクサーのリーダーを育成するためのプログラムなので、その時間を無駄にしたと叱責されてもおかしくない状況だったのに。僕らは『ダム・キーパー』を作っている時、ピクサーの近所にあるとても小さな、そして到底キレイとは言えない小さな部屋を借りて、そこで制作を行っていました。社長はそこへも足を運んでくださって、「今が一番大切な時間だから、大切にしなくてはいけない」と言ってくださいました。ピクサーのような大きな会社であれば、メンターシップのような特別な機会でもなければ、社長と密にコミュニケーションを取ることは大変難しいですから、とても貴重な経験になりました。そして、メンターシップを通じて、自分が彼のようになるためには、現状のままでは無理だということを痛感しました。社長をはじめ尊敬しているクリエイターたちはどこかでリスクを冒して、自分に対してチャレンジしている。そして、その裏には自らへの「なぜ」創るのかという問いかけがあり、その理由を明確にして動いている。だからこそ僕は独立したんです。取材協力:ほぼ日刊イトイ新聞撮影協力:音と言葉“ヘイデンブックス”(HADEN BOOKS)
2015年11月13日AI KOKO GALLERYは、漫画家/イラストレーター/映像作家・西島大介の個展 「くらやみ村 森のおばけ」を開催する。会期は3月18日~30日、開場時間は12:00~20:00。会場は東京都・六本木の「ROPPONGI HILLS A/D GALLERY」(六本木ヒルズ森タワー ウェストウォーク3F アート&デザインストア内)。入場無料。同展は、2013年開催の『西島大介「すべてがちょっとずつ優しい世界」展 at AI KOKO GALLERY』、『「すべてがちょっとずつ優しい日曜日」展 at ワタリウム美術館…on Sundays』を引きついで行われるもの。西島氏のライフワークである作品「すべてがちょっとずつ優しい世界」から、描き下ろしペインティングやアニメーション、漫画原稿などを展示する。また、同展に来場した先着100名には、AIKOKOx西島氏のオリジナルカレンダー(4月始まり)がプレゼントされる予定とのこと。その他詳細については、決定し次第主催ギャラリー「AI KOKO GALLERY」のTwitterおよびFacebookアカウントより告知を実施するという。なお、西島大介は漫画家/イラストレーター/映像作家。2004年に長編コミック「凹村戦争」(早川書房)でデビューし、同作が平成16年度第8回文化庁メディア芸術祭審査員推薦作品となったほか、この年の星雲賞アート部門を受賞。同展で展示予定の「すべてがちょっとずつ優しい世界」にて第三回広島本大賞を受賞、第17回文化庁メディア芸術祭推薦作に選出された。「DJまほうつかい」名義で音楽活動も行っている。
2015年02月03日10月、交通事故で亡くなった奥大介さんの追悼試合が2015年1月18日(日)・ヤマハスタジアムで開催される。奥さんが現役時代所属した3クラブでチームメイトだった三浦知良、名波浩、中澤佑二が発起人となり、実現の運びとなったのだ。試合は、ジュビロ磐田、日本代表でともにプレーしたOB、現役で構成するJアミーゴスと、横浜F・マリノス、横浜FCで同じユニフォームを着たOB、現役で構成する横浜フレンズが対戦する。出場選手の発表は未定だが、発起人を中心に豪華メンバーが揃うことだろう。カズ、名波、中澤、発起人3人の共同コメントは以下の通り。「2014年10月17日、ジュビロ磐田、横浜F・マリノス、横浜FCで活躍し、それぞれのクラブの発展、日本サッカーの発展に貢献してくれた奥大介氏が急逝されました。現役時代、彼の創造的なプレー、サッカーへの情熱、その飾らない人柄に、僕らをはじめチームメイトやサポーター、多くの方々が魅了されたことと思います。彼の想いをみんなで共感し、彼と共に楽しんだサッカーで彼を送り出してあげたいという想いから、今回の追悼試合を実施することに致しました。彼の愛したサッカーを、彼に想いをよせるメンバーでプレーすることで、是非多くの方に楽しんで頂くと同時に、彼のことを偲んで頂ければと思います」J1リーグで通算280試合に出場し、62得点をマークした奥さん。磐田、横浜FMではそれぞれ2度のリーグ制覇に貢献した。Jリーグベストイレブンを3度受賞するとともに、日本代表としても26試合2得点というリザルトを残した。2007年、横浜FCで現役引退するまで、14年間を駆け抜けたのだった。『奥大介 追悼試合 ~Daisuke OKU MEMORIAL MATCH~』のチケットは12月13日(土)午前10時に一般販売開始。チケット代には70%の弔慰金が含まれ、当日の収益とともに奥さんの両親に渡される。
2014年12月12日『映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!』の公開アフレコが12月2日に都内のスタジオで行われ、ゲスト声優を務める志村けんと島崎遥香(AKB48)が出席。人気キャラクターの“ジバニャン”は「とっても上手で、良かったニャン! こんなにたくさんの人の前では、おれっちなら緊張してできないニャン」とふたりの声優ぶりを絶賛していた。その他の写真主人公のケイタが、仲間の妖怪ウィスパーやジバニャン、新たに出会ったフユニャンとともに60年前の世界にタイムスリップし、突然消えてしまった妖怪ウォッチの行方を追う。数々のヒット作で知られるレベルファイブが昨年に発表したゲームを原作に、コミックやアニメも含めたクロスメディア展開で、社会現象を巻き起こしている『妖怪ウォッチ』の劇場版アニメだ。志村が演じるのは、神秘のエネルギー“ホース”を使いこなす伝説の猫老師で最強とうたわれる妖怪マスターニャーダ。いざ、マイクに向かうと「老眼だから、メガネがあると台本が見えないし、でもメガネをかけないと画面が見えない!」と悪戦苦闘していたが、一発OKが出ると「うまい」と自画自賛。「妖怪が人気者になるなんて、最近のことだよね」と世の『妖怪ウォッチ』人気に驚きの様子だった。一方、主人公ケータのおばあちゃんの若かりし頃の姿ユキッペを演じた島崎は、「緊張しました」と初めての声優挑戦を終えて、安どの表情。ジバニャンが「おれっちのこと、好き?」とすり寄ると、「あ~、ちょっと。うちの弟は『妖怪ウォッチ』大好きです」と塩対応だった。7月19日から全国の劇場で発売されている前売り鑑賞券は、84万枚を突破し(11月23日現在)、東宝映画史上最高記録を更新中。現在も週間約3万枚を売り上げ、どこまで記録を伸ばすか注目が集まっている。また、早くも劇場版第2弾が2015年冬に公開されることが決定している。『映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!』12月20日(土)全国東宝系にてロードショー取材・文・写真:内田 涼
2014年12月02日タレントの志村けん、歌舞伎俳優の片岡愛之助、人気アイドルグループ・AKB48の島崎遥香の3人が、12月20日に公開されるアニメーション映画『映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!』のゲスト声優に起用されることが8日、明らかになった。本作は、現在、小学生を中心にゲーム、アニメ、玩具とクロスメディアで展開され、爆発的な人気を誇っている『妖怪ウォッチ』初のアニメーション映画。劇場前売券販売枚数はすでに66万枚を突破しており、これまで展開されたコンテンツ同様に期待の高さがうかがえる。映画では、突然消えてしまった「妖怪ウォッチ」を求めて、ケータとウィスパー、ジバニャンとフユニャンがタイムスリップ。60年前の過去で「妖怪ウォッチ」誕生の物語がはじめて明かされることになる。志村けんが演じるマスターニャーダは物語の鍵を握る妖怪で、神秘のエネルギー「ホース」を使いこなす伝説の猫老師。どんな声で演じればいいのかわからなかったという志村は「私がコントでやる"おじいちゃん"、"おばあちゃん"のような声でいいとのことだったので助かりました」と安堵しつつも、"バカ殿様"も"変なおじさん"も妖怪みたいなものですけどね。とても面白い映画になりそうです!」と期待を寄せている。子供向け作品としては、今年7月に公開された特撮映画『仮面ライダー鎧武 サッカー大決戦!黄金の果実争奪杯(カップ)!』への出演も記憶に新しい愛之助は、ケータたちの前に立ちはだかる怪魔たちを束ねるモトジメ様・ウバウネ役を担当。アニメ声優初挑戦について「個性的なキャラクターでぜひ出演させていただきたいと思いました。初めての経験でしたので難しかったです。でもだんだん楽しくなって、自然に『ウバウネ』になっていきましたね」と振り返り、「妖怪ウォッチ」が消えてしまった原因である、悪の親玉を難なく演じることができたという。そして、ケータのおばあちゃんの若かりし頃の姿であるユキッペを演じる島崎は、愛之助と同じくアニメ声優初挑戦。自身の弟が『妖怪ウォッチ』を大好きなこともあり、「このお仕事のことを聞いたときはすごくうれしかったです」と喜びをあらわに。方言で話すユキッペに難しさを感じつつも「とても楽しかったです。今度は妖怪の役でも出てみたいですね。ジバニャンより人気がでちゃいそうな」と意欲を見せていた。なお本作のエンディングでは、TVアニメでも大人気の楽曲にあわせて、観客も一緒に歌って踊れる企画も決定。12月公開へ向けて10月より振り付け動画をネット配信していくという。(C)LEVEL-5/映画『妖怪ウォッチ』プロジェクト 2014
2014年10月08日志村けんといしのようこが5月30日、「志村けん一座第8回公演 志村魂 -「先づ健康」再び!-」の記者会見を行った。志村魂は2006年よりスタートした、志村が主演する舞台。毎回公演は1部と2部で分かれており、1部はバカ殿やテレビで人気のキャラクターも登場するコント、二部は志村による津軽三味線の生演奏と、一座による松竹新喜劇の芝居という構成。出演者はダチョウ倶楽部、磯山さやか、桑野信義といったお馴染みのメンバーが志村の脇を固めるのに加え、昨年より「志村けんのだいじょうぶだぁ」などで志村と息の合った掛け合いを見せていた、いしのようこが引き続き出演。志村といしのはこの舞台が20年ぶりの共演とあって、話題を呼んだ。会見では昨年の共演について志村が「20年ぶりという感じはしなかった。相変わらず怖かった」と言うと、負けじといしのも「やる前はどうかなっていう気持ちがあったけど、合わせてみたら何も変わってなかった」と話し、志村に「進歩がねえみたいじゃねえか」と掛け合いを見せ、会見場は笑いに包まれた。志村魂では2部の松竹新喜劇は2年連続で同じ演目を行うのが通例となっており、「先づ健康」は今年が2年目。志村は「毎回、自分の中で芝居は1年じゃ完成しないものなんですが、今回の「先づ健康」は去年の終わり頃、福岡あたりで完成形に近づいたかなって思いがあります。なので、昨年、東京の最初の方で見ていただいた方には、今年見ると良い変化に気づいてもらえるんじゃないかと思います」と今年の仕上がりに自信をのぞかせた。また、志村が毎回披露している津軽三味線についても「見ている皆さんには気づかないレベルで変えている所があるんですが、そこが一番難しい」と演奏の難しさを語った。また、タイトルの「先づ健康」にかけて、志村自身の健康について報道陣から質問が飛ぶと「大丈夫ですよ。あれは俺がブログに書いたからいけないんだ、酔っ払っていてね。分かっているんだけど、ちょっと人恋しくて」と志村。ただ医者の「休肝日を作れ」という指示には「1日5杯までにしてます」と志村流の認識で通しているようで、これにはいしのも「この前私が見たときは5杯以上飲んでたよね?本当に人の話聞かないんだから」と突っ込み、このやりとりも会場を沸かせていた。志村魂は6月27日(木)東京・天王洲銀河劇場よりスタートし、その後神戸・名古屋・金沢・福岡にて行われる。チケットは発売中。
2013年06月03日日本語吹き替え版の完成報告会が3日、都内で行なわれ、“ロラックスおじさん”の声を務めた志村けんをはじめ、トータス松本、宮野真守、山寺宏一、京田尚子、LiLiCo、しずくちゃんが出席した。その他の写真本作は、環境が破壊され自然がなくなってしまった人工の街に住む少年テッドが、好きな女の子の「本物の木を見たい」という願いを叶えるために、街を飛び出し運命に立ち向かっていく姿を描いた作品。志村が演じたのは、物語の鍵を握る不思議な森の住人“ロラックスおじさん”だ。志村は「どうも私がロラックスおじさんです」とあいさつしつつ、「このおじさんは、哀愁があって、心が広く、凄く良いおじさんで、下ネタ関係がなかったのでそのへんがさびしかった。どんな評価が出るのか楽しみです」と話し、笑いを誘った。洋画吹き替え初挑戦にして、アドリブもこなしたという志村に対して、宮野、山寺、京田の共演者たちは「ご一緒することができて嬉しい。“志村節”で数秒間もたせるその表現は凄い」(宮野)、「“笑いの神様”ですからね。(ロラックスおじさんは)志村さんのために作られたキャラですよね? 計算じゃなく、キャラが活き活きとしていてもう凄かった。勉強になりました」(山寺)、「(ロラックスおじさんは)キレイで透き通った邪気のない目をしていて、志村さんにピッタリ」(京田)と絶賛した。志村との共演シーンが多かったというトータスも「何回も持っていかれそうになった。ロラックスおじさんと志村さんが一体化していて、笑いを堪えるのが大変だった」と振り返った。この日は、キャスト全員に、しずくちゃんが種を植えた鉢植えをプレゼントするひと幕もあり、しずくちゃんは「ロラックスおじさん、みてね!」とPR。そんなしずくちゃんの姿に志村やキャストは終始、笑顔だった。『ロラックスおじさんの秘密の種』10月6日(土)TOHOシネマズ 有楽座ほか全国ロードショー
2012年09月03日“変なおじさん”こと志村けんが不思議な森のおじさん、ロラックスおじさん役でハリウッド映画の声優に初挑戦する3Dアニメーション『ロラックスおじさんの秘密の種』。この絶妙なキャスティングで話題の本作で、志村さんに続き歌手のトータス松本ら新しい面々がゲスト声優を務めることがこのほど発表された。全米では『マダガスカル3』、『メリダとおそろしの森』を抑えて大ヒットを記録している本作。環境が変化し、すべてが人工のプラスチックと偽物で造られた街を舞台に、本物の木を求める少年・テッドが森の番人であるロラックスおじさんに導かれながら奮闘する姿が描かれる。今回、新たな声優として発表されたのは役者としても活躍するミュージシャン、トータス松本さん、『カラスの親指』の公開を控える若手注目株・能年玲奈、子役のしずくちゃんの3人。本作で3人共に声優デビューを果たす。トータスさんはギター片手にその歌声で物語を導くワンスラーというキーマンを演じるが、劇中は5曲も演技をつけて歌わなければならない難役とあって不安もさぞかし大きかったはず。だが、初の声優挑戦を決めた理由を聞くと、「決めたのにはいくつかの理由があります。まず、ワンスラーというキャラクターは“歌うたい”じゃないとできないということ。ギターも弾くし、これはもう僕にぴったりだと思いました。そして、志村さん!なんせドリフ世代ですから(笑)」と本人は本作に強い運命を感じた様子。能年さんが演じるヒロイン・オードリーには、オリジナル版では歌姫テイラー・スウィフトが初声優を務めたことでも話題となったキーキャラクターだが、「以前から声だけのお芝居というものにも凄く魅力を感じていました。パワフルで楽しい、こんなに素敵な作品に出させていただけるなんて、興奮で心臓が止まりそうです!」と緊張どころか、この大抜擢に大喜び。さらに人工の街に住む少女・マリーを演じるのは、現在4歳にして錚々たるメンツと共演を果たしてきた注目子役、しずくちゃん。「グリーンダカラ」のTVCMに出演し、“かわいすぎる”笑顔で話題沸騰中の天然美少女である。「ロラックスおじさんと早く会っていっぱい遊びたい!」と何とも可愛らしいコメントを寄せている。映画の公開は10月とまだ少し先。この個性あふれる3人が、本作でどんな活躍を見せてくれるのか、期待して待ちたい。『ロラックスおじさんの秘密の種』は、10月6日(土)よりTOHOシネマズ 有楽座ほか全国にて公開。■関連作品:ロラックスおじさんの秘密の種 2012年10月6日よりTOHO シネマズ 有楽座ほか全国にて公開© 2012 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED
2012年07月10日お笑いタレントの志村けんが、アメリカで大ヒットを記録しているアニメーション映画『ロラックスおじさんの秘密の種』でアニメの声優に初挑戦。6月12日(火)にアフレコ収録の模様を報道陣に公開した。アメリカで2週連続No.1を獲得し、すでに興行収入2億ドルを超える大ヒットとなっている本作。プラスチックと偽物で造られた街で、本物の木を求める少年・テッドの奮闘を描く。志村さんが演じるのは、森の守護者で木々の代弁者である毛むくじゃらのロラックスおじさん。“日本のおじさん”として志村さんに白羽の矢が立てられたが「僕の場合、“変なおじさん”ですからね(笑)」ととぼけた口調で笑いを誘う。62歳での声優初挑戦について「やったことないので『どうなるかな?できるのかな?』と思った」と正直な心情を明かし、「近眼と老眼なので台本の字も画面も見れなくて困りました」と苦笑を浮かべていた。ロラックスおじさんについて「優しくてちょっとおっちょこちょいなところがある。でも、やらしいところがないのはおれと全然違うね(笑)。アニメでも絡みがあればと思ったけど全然ない」と還暦を超えてもまだまだお盛んな様子で、スタジオは笑いに包まれた。劇中で主人公の少年・テッドは、憧れの女の子のために本物の木を手に入れるべく奮闘するが、志村さんが大切な人のために頑張った経験は?と尋ねられると「いろんな品物をあげたけど、結果は出なかった」と苦笑いを浮かべた。ちなみに最も高価なプレゼントは「車ですかね」と驚きの告白。しかも車種は「ベンツ」!報道陣からの「誰に?」という問いかけを「それは言えないでしょ!ずいぶん昔ですよ」と笑って煙に巻き、さすがの大物ぶりを見せつけた。『ロラックスおじさんの秘密の種』は10月6日(土)よりTOHOシネマズ 有楽座ほか全国にて公開。■関連作品:ロラックスおじさんの秘密の種 2012年10月6日よりTOHO シネマズ 有楽座ほか全国にて公開© 2012 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED
2012年06月12日1991年、大阪・東海大仰星高校1年1組のクラスメイトだった3名のトップアスリート、上原浩治(MLBテキサス・レンジャーズ)、大畑大介(元ラグビー日本代表)、建山義紀(MLBテキサス・レンジャーズ)が1月12日、東京・なかのZERO大ホールに集結。「ぴあトークバトルスポーツ快楽主義vol.74新春スペシャル~僕らがラグビー、ベースボールから学んだこと~」の開催に先立ってプレス懇親会が行われ、2012年への意気込みを語った。上原、建山、大畑の写真昨年現役を引退し、現在「神戸製鋼コベルコスティーラーズ・アンバサダー」を務める大畑が、「メディア、講演などさまざまな機会でラグビーを広めるために尽力します。メジャーで活躍する同級生二人の応援、あるいは取材という形でぜひ渡米したい」と口火を切ると、現役メジャーリーガーの建山、上原も今シーズンに賭ける思いを表明。建山は「野球に100パーセント力を注ぎます。大畑にアメリカで取材してもらえるよう、何が何でもメジャーにしがみつく」。上原は「昨年のプレーオフのことは振り返らず、完全に気持ちを入れ替えて4月から飛ばしていきたい」と語った。記者から「3人でやってみたい仕事は?」との質問には、そろって「いっしょにコマーシャルに出てみたい」と返答。建山が「あきらめの悪い男が泥まみれになってやっているシーンなんかいいのでは」と言うと、上原は「ビールやドリンク系がええやん」、大畑は「3人ともケガが多かったので、医療器具とか湿布薬も」と加えた。スポーツライター&キャスターの青島健太をホストに迎え、予定の2時間を超える熱き闘いとなった今回の「ぴあトークバトルスポーツ快楽主義」の模様は、日テレG+(CS放送)で2月10日(金)放送予定。なお、チケットぴあトークバトル特設ページでも2月24日(金)に公開予定。取材・文:宮崎俊哉(クルー)
2012年01月13日