日本一の暑さを誇る埼玉県熊谷市ーー。強い日差しを照り返す道路に、黄色い菊の花だけが、くっきりと浮かび上がる。供花したのは、’09年、この場所で自動車にひき逃げされ、亡くなった小関孝徳くん(享年10)の母・代里子さんだ。「命日の9月30日を迎えるたび、“事件は風化し、逮捕が遠のいているのでは”と、不安を感じます」事故から10年を迎える今年の命日は、特別な意味を持つ。「自動車運転過失致死罪の時効が成立してしまいます。しかし、いまだに犯人につながる物証や目撃情報はありません」こう着状態とも思われる捜査。事故の際、息子は泣いていたのか、助けを求めていたのかーー。「その日は、孝徳が放課後、塾と書道教室に行く日でした。教室までの送り迎えはいつも車だったのですが、その日はたまたま自転車を利用することになって。朝、孝徳が登校するときは『いってらっしゃい。気をつけてね』とふだんどおり、送り出したと思います」週末には一緒にJリーグ観戦に行くことになっており、孝徳くんはとても楽しみにしていた。仕事が終わり、試合を見ながら食べるお弁当の材料を買って、代里子さんが帰宅するとーー。「孝徳の自転車が見つからないんです。いつもは帰っている時間なのに。ハッとして携帯電話を見ると、知らない番号から着信履歴がありました。その番号に電話すると『すぐに病院に行ってください』『1人で来ないでください』と言われて……」病院に到着すると、入口には警官が。孝徳くんがすでに警察に搬入されていることを聞かされ、その意味を感じ取った。「そのときのことは、よく覚えていません。ただ、地べたに座り込んで、同行してくれた同僚と警察官に抱え上げられたと思います」遺体の確認は孝徳くんの通う小学校の校長先生や担任がしてくれた。「後頭部の損傷が激しく、『対面したらお母さんが一生傷ついてしまうので、見ないほうがいいのではないか』と、何時間も話し合われたようで。私は身につけていたもので確認しました。すると、腕時計が、プレゼントした腕時計と同じで。それで、孝徳で間違いないということになったんです」自宅には報道陣が取材に訪れた。しかし、事件のことを口にする気持ちにはなれない。「20日くらい家から出られませんでした。事故の詳細も警察からは聞かされず、目撃者がいないこと、物証が少ないことなどを知ったのは報道からです」そんななか、“自分も、何かの手がかりが見つけられれば”という母の思いが現場に足を運ばせた。「ここに立てば何かがわかるのではないかと。事故から3週間たった10月21日に、初めて事故現場で、通る車のナンバープレートを調べました。“あの道は、地元以外の人は通らない”と思っていたけれど、実際は熊谷以外の地域や他県の車も通るんです。立って見ているだけではダメだと、翌日にはメモ帳を持って、通行車のナンバーを記録しはじめました」1人で立ってメモを取っている代里子さんを見て、およそ30人のお母さん友達が手伝ってくれた。「3カ月間、毎日、事故があった時間帯の夕方6時30分から7時10分まで路上に立って、ナンバー、ドライバーの性別、どちらに曲がるかを調査しました」雨の日も、風の日も。そして季節が初秋から冬に移り変わったある日は、青年が、温かいお茶を差し入れてくれたこともあった。定期的に現場に立ち続け、のべ10万台の通行車を記録した。「協力してくれる人が多いときは、事故現場の道を通る車が向かう先を16のルートに分かれて調べ、熊谷市や近隣の行田市、深谷市などを中心に、目撃情報を募るチラシを配る場所も決めました」わが子を亡くした苦しみに向き合うため、犯罪被害者の会に出席したこともある。「そこでは検挙された犯人への憎しみや思いが話されていました。でも、うちのケースは犯人が捕まっていない。犯人が近所の人なのか遠方の人なのか、若いのか高齢なのか、男性なのか女性なのかもわからない。犯人を憎むスタートラインにも立っていないんです。よく『犯人に対して、どう思われますか』と聞かれますが、『逮捕されたら答えられます』としかいえなくて……」こう着状態が続くなか、時効まで1年を切った昨年10月、警察が、証拠品であり大事な形見でもある孝徳くんの腕時計を紛失していることが発覚。「思わず、『え?何でですか』と聞きましたが、『捜したけど、ないです』という返答だけでした」責任者は、いまだに処分をされていないという。「形見をなくされた憤りがあったし、“本当は初動捜査もちゃんとしていなかったんじゃないか”という不信感も生まれました。でも、逮捕できるのは警察しかいません。全力で捜査してほしい」代里子さんは、今年1月にブログを開設して、情報提供を呼びかけている。「どんなささいな情報でも寄せてください。事故が発生して10年、犯人は遠く離れた他県で生活しているかもしれない。はっきりした事情もなくいきなり引っ越しをした人、運転していた車を廃車した人を知っている方は教えてください。事故について以前警察に話をしたことがある方も、再度、お聞かせください」
2019年08月29日Zoff(ゾフ)は、スタイリスト・カメラマンの熊谷隆志と初のコラボレーション。「Zoff×takashi kumagai」のアイウェアを、2019年4月26日(金)に、アウトレットを除くZoff全店舗で発売する。「Zoff×takashi kumagai」は、男女の枠にとらわれず、着る服も選ばない、自由なスタイリングを楽しめるサングラスシリーズ。7型全24種類を展開する。明るいレンズカラーに軽やかな透明感のプラスチックフレームを組み合わせたラインと、レンズにさりげなくミラーコートを採用したメタルのライン、マグネットでカラーレンズ部分を簡単に取り外すことができ、メガネとサングラスの2WAYで1日中使用できる「NIGHT&DAY」ラインを揃える。80年代を彷彿とさせるフレームシェイプや、モダンにアレンジしたボストンシェイプ、額から流れる汗が目に入りにくいようにスウェットバーを施したモデルなど、アメリカンヴィンテージを都会的にアレンジしたデザインの、バリエーション豊かなラインナップを展開する。【詳細】「Zoff×takashi kumagai」サングラス発売日:2019年4月26日(金) ※発売日は型により異なる。取扱店舗:Zoff全店舗(アウトレット除く)、Zoffオンラインストア価格:7,500円~9,500円+税(Zoff NIGHT&DAY仕様は標準レンズ代込み)種類:7型全24種類【問い合わせ先】ゾフ・カスタマーサポートTEL:0120-013-883(平日10:00〜18:00)
2019年03月25日地下鉄有楽町線辰巳駅から徒歩1分の場所にある「Cafe LaLaLa」。カフェオーナーの中澤照子さん(77)は、昨年12月23日に定年を迎えるまで、20年もの間、保護司として活動してきた。関わった少年少女は実に120人以上!彼らと真正面から向き合い、更生させ、社会復帰させた。昨年11月14日には、保護司としての長年の功労が認められ、天皇陛下から、藍綬褒章が授与された。保護司は法務省の非常勤の国家公務員。無給のボランティアだ。各地域の保護観察所の監察官から、「この保護対象者を受け持っていただけますか?」と、連絡が入り、受け持った対象者と月2回、その親とも月1回、面談し、月1で報告書を書いて提出する。中澤さんは20年間、監察官からの依頼を断ったことがない。対象者に「会いたい」と言われれば、早朝でも深夜でも、必ず会った。「必要とされるなら、私は時間も心も割きます。『あとで』とか『メールで』は、絶対にしません。足を運ぶというのは、思いを届けることですから。それで、相手の目を見て、話します」通常、面談は月に2~3度だが、月に50回以上、会った子もいる。ユカリさん(仮名・当時16)だ。「自傷行為があり、体じゅうにカミソリの痕がありました。それも50カ所や60カ所じゃないんです。夜、電話が多かったのは、やはり寂しかったんでしょうね」電話を受けると、中澤さんは早朝でも飛び出して、夏なら近くの公園で話を聞いた。一時は自立に向けて歩き始めたように見えた。ところが、水商売で彼氏ができると、連絡が途絶え、以後、現在まで行方不明のままだ。「心配ですよ、女の子は。別の子ですが、男の人で変えられて、薬物問題を起こす子もいましたから」最近、中澤さんの携帯に深夜、非通知電話が入るようになった。高齢になって、中澤さんは現在、夜中は携帯を切っている。「電話をかけてくるのは、私が携帯を切ることを知らない子。ユカリちゃんじゃないかと思うんです」そんななか、中澤さんの後継者として、保護司になった元対象者が出た。プロレスラーの十嶋くにおさん(36)だ。中澤さんの1期生の1人で、16歳のとき、集団危険行為で鑑別所に入り、中澤さんの担当になった。十嶋さんは言う。「親はもちろん、大人は信用していませんでした。それが、中澤さんとの面談では、ダルくはあったけど、イヤではなかった。それまで大人はいつも頭ごなしに『おまえが悪い』だった。でも、中澤さんは、とにかく褒めてくれるんです」荷卸しのバイトを始めた十嶋さんを、「たいしたもんだ!」、「あら、いい顔つきになったね」と中澤さんは褒めまくった。毎朝8時17分、中澤さんが住む団地の前を通ってバイトに行く十嶋さんに、中澤さんは10階の部屋のベランダから、「ヤッホー!行ってらっしゃい。今日も頑張れよ~っ」と大きく手を振った。毎朝毎夕、十嶋さんが団地を通るたびに、中澤さんの「ヤッホー」が聞こえてくる。「そうしたら、頑張んなきゃって、気持ちになるじゃないですか」面談でも、中澤さんから、「オヤジさん、泣いてたわよ」と、聞かされると心が動いた。「直接、目の前でオヤジに泣かれるより、響くんですよね」保護観察期間が終了後も、十嶋さんは、新たに中澤さんの対象者になった仲間に付き添って、会いに行った。地域の雪かきや清掃作業に駆り出されると、十嶋さん自ら仲間を集めるようになっていた。「断ることもできたのにね。『手伝って』と言われて、親だと、こっ恥ずかしくてできないけど、『保護司の中澤さんを手伝ってやる』という体を続けているうちに、本当の親とも少しずつ話ができるようになっていたって感じですかね」バイトで20万円をため、十嶋さんは18歳で、プロレスの本場、プエルトリコまで修業に行った。「たいしたもんだ!」と、褒めつつも、中澤さんは鉛筆のように痩せていた十嶋さんが心配でたまらなかった。3カ月後、帰国した十嶋さんは真っ先に、中澤さんを訪ねて来て、鍛えた筋肉を見せてくれた。「『体が大きくなったら、道路を歩くと邪魔になるみたいで、俺、道を譲るようになりましたよ』なんて言うんですよ。あの肩で風切っていた子が(笑)。やっぱり夢や目標を見つけると、人は強いです」十嶋さんは’02年、19歳で、プロデビュー。’06年に結婚し、長男にも恵まれた。その後、離婚しているが、父子家庭になっても、1人で立派に長男を育てている。十嶋さんを筆頭に、“子どもたち”の成長を目の当たりにした中澤さんは、こう考えるようになっていた。「自分の経験を、保護司として生かしてくれる子が出てこないかな」そこで白羽の矢を立てたのが、十嶋さんだったのだ。昨年9月、保護司会会長や家庭裁判所など5つの関係各所の承諾を得て、十嶋さんは保護司になった。かつての保護対象者が、篤志家というイメージも強い保護司に選ばれるのは、従来では考えられない快挙だった。当初、十嶋さんは戸惑った。「俺、高校は2回も中退したし、まさか書類が通るとは思わなかったから。仲間たちの反響ですか。『え、マジか!?』ですよ(笑)。でも、仲間から『中澤さんが、あんなに期待してるんだからな』と、言われると、やっぱり少し誇らしかった。ちょっとずつ覚悟ができてきて、やっと最近、思うんです。一度、道を逸れた人間のほうがわかることもあるのかなって」照れくさそうな十嶋さんを、中澤さんも誇らしげに見つめていた。中澤さんが「Cafe LaLaLa」を始めたのは、昨年3月。保護司時代に縁のできた人たちが、いつでも気軽に立ち寄れる場所として、オープンさせた。「こないだも15年前に面談した男の子から、久しぶりに電話があって。ずっと連絡がなかった子でしたから、その名前を携帯の画面で見て、鳥肌が立ちましたよ」中澤さんがテレビで紹介されたのを見て、連絡をくれたという。「うれしかったですね。そんなことがあるから、どの子の電話番号も消せないんですよ。ユカリちゃん(前出)も、いつか『会いたい』と、来てくれるかもしれないし……」カフェに来るのは、中澤さんの“子どもたち”や関係者だけではない。最近では、ネットなどでカフェの存在を知り、保護司になりたいという若い女性が訪ねてきたり、息子を少年院に送り出したばかりという父親がやってきたり……。「父子家庭で、何とか息子を立ち直らせたいって言ってね。かなり長い間、お話しされていきましたよ。私も答えなんか出せないんです。でも、そうやって話しているうちに、ふと道が開けるヒントが浮び上がったりするのね。ですから、ここも珈琲処じゃなくて相談処になりました(笑)」保護司の肩書など、あってもなくても関係ない。自分のためより人のため。ぐるっとまるごと“人間保護司”の中澤さんこそ「たいしたもんだ!」。
2019年02月14日被写体をストレートに捉える写真が心をつかむ、写真家の熊谷直子。初の本格作品集『赤い河』(TISSUE PAPERS刊)の刊行を記念した展示が、12月4日まで吉祥寺のブックオブスキュラ(book obscura)にて開催中。「これは私の人生だけど、誰かの人生でもある」作品集『赤い河』は、愛、肉、死、光、命--遠く離れて暮らす母親を定期的に撮影しながら、生まれては消え、出会っては別れてゆく私たちを確かに繋ぐもののことを考えた、東日本大震災以降の6年間の記録。数々のアーティスト、俳優のポートレートで活躍してきた写真家・熊谷直子の、完全にパーソナルな初の本格作品集だ。「2011年東北での震災をきっかけに気仙沼に足を運ぶようになった。同年、11月離れて一人で暮らす母がクモ膜下で倒れ認知症になり施設で暮らし始める。毎日泣き崩れていた私に『自分の人生を生きなさい』と優しく声をかけてくれたのは気仙沼のお母さんだった。その言葉はまるで実母が私に語りかけているかのようにすっと私の身体に染み渡り、そしてこんな感情が私の中に生まれてきた。『生まれてきて死んでゆくそれは誰しもに与えられた平等なこと過去は変えられないしましてや未来のことなんてわからない だとしたら目の前にあるこの人生をとことん生きてやろう』過去6年間のそんな思いを、すっと掬い取り出来たのがこの写真集『赤い河』です。ぜひゆっくりとした時間の中で見て欲しいです。できれば朝の光の中で」(熊谷直子氏コメント)流れゆく先にある風景、因果の奔流に弄ばれる我々がそれでも自ら選びとり、繋げてゆく風景を見てみたい--、熊谷のそんな思いを込めた展示が並ぶ。11月26日にはオープニングレセプション、12月2日には熊谷が「作品から濃厚な生の匂いがする」と敬愛する写真家・野村恵子をトークゲストに迎え、「生と死、そして女性であること」などお互いの表現に通底するテーマについて語るトークイベントも開催。トークイベントはメールにて事前予約制(申込先:bookobscura@indoorbooks.jp 担当:黒﨑)。「熊谷トークイベント」と題し、参加者名、人数、ご連絡先を明記の上、申し込み。 参加費は当日支払い。【イベント情報】つむぐ会期:11月20日~12月4日時間:11:00~20:00会場:book obscura ブックオブスキュラ住所:三鷹市井の頭4-21-5 #103定休日:火曜日*12月2日はトークイベントのため、17時クローズオープニング レセプション会期:11月26日時間:15:00~20:00入場無料、予約不要熊谷直子 × 野村恵子(写真家) トークイベント会期:12月2日時間:18:00~20:00定員:30名参加費:1,000円(ドリンク代込み)【書籍情報】『赤い河』写真:熊谷直子刊行:TISSUE PAPERS80ページ/257×182mm発売:2017年4月価格:3,000円
2017年11月24日熊谷守一没後40年の大回顧展が、2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水・祝)の期間、東京国立近代美術館で開催されます。スケッチや日記まで含めて200点を超える展示品が集められ、97年の人生をひたすらに生き、描き続けた熊谷の人生と、その創作の秘密に迫ります。97年の人生をひたすらに生き、描いた画家、クマガイモリカズ花や鳥や虫、何気ない庭の一角。明快な線と色で身近なものを描く作品で広く知られる熊谷守一。一見おだやかに見える作品の背後には、科学者のような観察眼と、考え抜かれた制作手法が隠れています。97年の人生をひたすらに生き、描いた画家の軌跡を存分に紹介する――それがこの、没後40年の大回顧展です。●熊谷守一とは1800(明治13)年、岐阜県恵那郡付知村に生まれた熊谷は、1897(明治30)年に上京。1900(明治33)年、東京美術学校西洋画科撰科に入学し、黒田清輝、藤島武二らに師事しました。一時帰郷して材木運搬などの仕事に就くも、再上京。二科会を中心に発表を続け、二科技塾の講師も務めます。戦争を挟んで次々と家族の死に見舞われた熊谷。戦後、明るい色彩と単純化されたかたちを特徴とする画風を確立し、97歳で没するまで制作をおこないました。熊谷は、こんな言葉を残しています。「みんなはわたしのことをすぐ仙人、仙人と呼びますが、わたしは仙人なんかじゃない、当たり前の人間です……」熊谷守一の実直な人柄が偲ばれる言葉ですね。●展覧会の構成※章のタイトルは全て仮題です●1章 画業の始まり(1910-1920年代)1900年、熊谷は東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学し、黒田清輝らの指導を受けました。授業で人体のデッサンを学び、1920年代以降の裸婦像の基礎を作ります。また、闇の中でのものの見え方を追究するなど、早くから独自のテーマにも取り組みました。1910年、故郷岐阜に戻り、材木を扱う仕事に就いたのち、再上京。山仕事の経験は生涯、作品や生活態度に影響を与えました。●2章 さまざまな模索(1930-1940年代)この時期の熊谷は、絵の具を厚く塗り重ねる技法を用いて多くの裸婦像を描きました。また、山や海に出かけて風景画を制作してもいます。こうした裸婦像や風景画の中から、くっきりした輪郭線と色に特徴付けられる戦後の作風が、次第にかたち作られていきました。この頃に描かれた膨大な数のスケッチは、戦後の作品にも繰り返し使用され、熊谷作品の土台を成すものとなりました。油彩以外に書や水墨画を手がけるようになったのも、この頃です。●3章 線と色の完成(1940-1970年代)戦中から戦後にかけ、くっきりした輪郭線と色を特徴とする、もっともよく知られた画風が完成しました。熊谷は76歳の時に体を壊し、それ以後は自宅から滅多に出ず、庭の花や虫、鳥といった身近なものを描くようになります。しかしながら実は、こうしたモチーフのいくつかは、1940年代に描かれたスケッチに登場しています。そのことからも、長期にわたってねばり強く関心を持ち続ける熊谷の制作の特徴がうかがえます。【展覧会概要】名称:「没後40年熊谷守一生きるよろこび」会期:2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水・祝)会場:東京国立近代美術館所在地:千代田区北の丸公園3-1URL:
2017年09月01日楽しみ方はそれぞれ! お風呂もグランピングもボルダリングも満喫2016年9月に埼玉県・熊谷市にオープンした「おふろcafé bivouac」は、お風呂でポカポカのまま、ほっこりのんびり贅沢な休息時間を過ごせる、新しいスタイルのグランピング温浴施設です。メインとなるお風呂は、露天風呂や高濃度炭酸泉、薬湯など8種あるほかフィンランド式オートロウリュ完備のサウナがあり、男女共に無料で泥パックもできます。館内では館内着のまま、赤々と燃える暖炉を囲んだグランピングゾーンでハンモックやテント、ツリーハウスに寝そべって雑誌を読んだり、池をかたどったポンドソファや山小屋風ソファで木の幹形のクッションを背にうたた寝したり、無料の挽きたてコーヒーを味わいながらモノポリーに興じたり、ボルダリングウォールに挑戦することもできます。館内には10,000冊のコミック・雑誌や、無料PCスペースを設けたコワーキングエリア、マッサージ機、フリーWi-Fiなど、無料アイテムが充実。ボディメンテナンスで日頃の疲れも癒すまたフットケアやオイルマッサージなどの有料リラクゼーション&エステメニューも豊富なので、ボディメンテナンスして日常から解放されるもよし。館内に流れる音楽も専任の音楽セレクターが時間帯によってテンポやムードを変えているため心地よく、リラックス度は満点。おなかが空いたら、本格グリル料理がいただけるキャンピングレストランへ。日本全国の名酒を取り揃えたカフェバーもあり、心身を解き放って贅沢な時間を過ごせます。取材・文/武位教子スポット情報スポット名:おふろcafé bivouac住所:埼玉県熊谷市久保島939電話番号:048-533-2614
2016年11月01日2016年9月10日(土)、埼玉の熊谷にグランピングをコンセプトにした新感覚の温泉施設「おふろcafe bivouac(カフェビバーク)」がグランドオープンします。営業時間は10時から翌朝9時の23時間。温泉と一緒に優雅な屋内キャンプや漫画・雑誌、音楽などをゆったりと楽しめます。都内から車でわずか90分と、ドライブと温泉を日帰りで楽しみたい方にぴったりのスポットです。コンセプトはグランピング!「おふろcafe bivouac(カフェビバーク)」が9月オープン「おふろカフェビバーク」は、ユニークな日帰り温泉の運営で知られる株式会社 温泉道場が手掛ける新たな温泉施設です。「北欧のゲストハウス×トラベルカフェ」がコンセプトの温浴施設、「おふろcafe utatane(カフェ ウタタネ)」の姉妹店として2016年9月10日(土)にオープンします。場所は6月末に閉店したサイタマ健康ランド跡地です。おふろカフェビバークのテーマは、「おふろ×cafe×グランピング」。ここ数年で人気急上昇中のラグジュアリーなアウトドアスタイルが体験できる、新感覚の温泉施設です。グランピング気分が楽しめる温泉施設!館内には約5mのボルダリングウォールやテント、ハンモックが設置されており、まるでキャンプに来たような楽しい雰囲気が広がります。また、飲食ゾーンでは自分で淹れられる本格ドリップコーヒーや厚切りステーキ、コロダッチサーモンなどキャンプで定番のメニューを提供。さらにアウトドアメーカーの食器の使用やテント席の設置も予定されています。ほぼ1日中営業!暖炉の炎を見ながらリラックスおふろカフェビバークの営業時間は午前10時から翌朝9時の23時間と、ほぼ1日中です。無料スペースでは暖炉の炎を眺めながら、挽きたてコーヒーとマッサージチェアを堪能したり、1万冊の漫画と雑誌を読んだり、さらにはDJ ブースから流れてくる音楽を聴いたりと思い思いの時間が過ごせます。さらに、Free wifiとFreeコンセント、仮眠スペースも設置。温泉には高濃度炭酸泉や無料の泥パック、毎時自動ロウリュが用意されています。煩わしい日常生活をしばし忘れて、思う存分リラックスできる大人の隠れ家的スポットです。新施設詳細施設名:おふろ café bivouac(カフェビバーク)住所:埼玉県熊谷市久保島 939(旧:サイタマ健康ランド)グランドオープン:2016年9月10日(土)10:00~※9:30 よりオープニングセレモニーを実施営業時間:10:00〜翌9:00定休日:無休公式サイト:
2016年09月02日ハイアールアジアは3月19日、埼玉県熊谷市に新たなR&D(研究開発)拠点となる「ハイアールアジアR&D」の開所式を行った。このたび開所したR&D施設は、ハイアールアジアの100%子会社であるハイアールアジアR&Dが利用する。冷蔵庫、エアコンを中心とした白物家電の基礎研究や企画、デザイン、設計、製品の品質保証に関わる業務を行う拠点という位置付けだ。産学連携など外部機関との共同研究・開発を行うオープンイノベーションの場としても機能させていくという。ハイアールアジアR&Dは、グローバルに展開するハイアールグループのR&D拠点で5カ所目にあたり、敷地面積は約12,426平方m、延床面積は約14,930平方mと、世界でも最大規模を誇る。2012年に三洋電機の白物家電事業を買収し、日本法人を設立したハイアール。今回の新施設は群馬県大泉町にあった旧三洋電機時代の製作所を移転するかたちで、2013年7月に着工、2015年1月に竣工した。大泉町の施設と比較して、約1.4倍の規模となる。敷地内には、6階建ての事務棟のほか、5階建ての実験棟、2棟の別棟を有する。土地、建物、研究開発にまつわる設備機器などを含めた投資額は約70億円だ。現時点での従業員数は約200人だが、年内には300人に増員する方針でいる。○熊谷の地で、イノベーティブな製品をハイアールアジア 代表取締役社長兼CEOで、ハイアールアジアR&D 代表取締役会長兼CEOを兼務する伊藤嘉明氏が、新施設のお披露目となる開所式に登壇した。伊藤氏は「2012年に、日本の技術を世界に向けて発信するR&D拠点を埼玉県熊谷市に設置するプロジェクトがスタートした。1月14日に開催した戦略発表会では、"世界初"のプロダクトを複数発表したが、そういった製品を生み出していくというのがこの場所のコンセプト。例えば、戦略発表会で披露した一つ、液晶ディスプレイ付き冷蔵庫は、"冷蔵庫付き液晶ディスプレイ"ともいえる。このように、白物家電・黒物家電という境目はなくなっていくだろう」と述べた。また、伊藤氏は"家電"という枠組みすらなくなっていくと説明。「先述の液晶ディスプレイ付き冷蔵庫は、モノのインターネット化と呼ばれる"IoT"(Internet of Things)デバイスの一つともいえる。将来的には家電業界とその他の業界の差すらなくなっていくと考えている。こうしたイノベーティブな製品群の開発を、この地でさらに加速していく。地域に根ざしながら、グローバルカンパニーとして製品を開発し、熊谷から世界へ発信していきたい」と所信を表明した。○熊谷から世界へ発信できることを誇りに思うそのほか、開所式には自治体関係者も参列した。上田清司・埼玉県知事は来賓として挨拶。上田氏は「100カ国以上に展開するグローバル企業のハイアールが埼玉県へ進出したことに、県民を代表して歓迎の意を表明したい。技術やネットワークがこの地に結集し、新しい製品がここから生まれて、世界的に貢献していくことを期待したい」とコメントした。富岡清・熊谷市長は「ここから世界に向けて素晴らしい製品が発信されていくことを、市民として誇りに思う。産学連携をはじめ、市民との連携を深める企業として地元の中でも存在感を高めていただけるのでは。自治体としても最大限に支援をしていきたい」と語った。新拠点の開所に先立ち、ハイアールアジアは今春からプロ野球独立リーグに加盟した、熊谷市を拠点とするBCリーグ所属の球団「武蔵ヒートベアーズ」と1年間のスポンサー契約を結んだと3月9日に発表している。ハイアールアジアR&D 代表取締役社長に就任した時振玉氏も「地元の経済発展にも貢献していきたい」と述べるなど、グローバル企業ながら地域に密着した発展を目指している意向を改めて強調した。
2015年03月20日ペット可物件を紹介するポータルサイト「しっぽ不動産」では、埼玉県熊谷市の「猫付きマンション」を案内している。○猫付きマンションとは「しっぽ不動産」は、飼い主のいない猫の保護や飼育希望者への譲渡などの活動を行う「東京キャットガーディアン」がプロデュースする、ペット可物件を紹介するポータルサイト。同サイトでは、通常のペット可の物件のほか、「猫付きマンション」も案内している。猫付きマンション」とは、保護されている猫たちを、保護猫カフェから預かり、一緒に暮らすことができるマンションのこと。猫を飼うのはもちろん強制ではなく、入居者の自由。猫を希望した入居者は、キャットガーディアンが運営する保護猫カフェから、一時預かりの形で、猫(1歳以上の成猫)を引き取ることができるのだ。猫を預かっている際の食事代や医療費などは入居者負担となる。そして、もし引っ越しをした際など猫と暮らすことができなくなった際は、キャットガーディアンに猫を返すことができる(もちろん、猫をそのまま引き取ることを選ぶ人もいる)。○スーパーやコンビニにも近い今回、案内する猫付きマンションは、JR高崎線「熊谷駅」から歩いて25分の1DK。スーパーやコンビニが近く、生活しやすい。さらに、猫飼育時も礼金・敷金は必要ないので、何かと出費の多い新生活には嬉しい限りだ。押入れが付いているので、猫砂やキャットフードなど、かさばるものも収納できる。床はクッションフロア。樹脂製なので、猫がそそうをしてもシミになりにくく、拭き取りやすい。賃料は月額3万円、共益費は賃料に含まれている。礼金・敷金はなし。現在募集しているのは、2階の物件。猫との暮らしがスタートするのは、物件に入居してから。入居後、一緒に暮らしたい猫(成猫)を東京キャットガーディアンのシェルターで選ぶという流れとなっている。物件詳細は、「しっぽ不動産」で案内している。○レポート記事実際の猫マンションでの暮らしぶりについては、東京都・目黒区のマンション、東京都・中野区のマンションで、それぞれレポート記事を公開している。
2014年11月26日