港区子ども家庭支援センター主催のもと明治学院大学社会学部付属研究所が協力し、2024年6月11日(火)に「港区ヤングケアラー支援サポーター養成講座」を開催します。本講座では、ヤングケアラーについて正しく理解し、地域でヤングケアラーや家族を見守る「サポーター」を養成します。このヤングケアラー支援サポーター養成講座で得た知識を生かして、地域で気になる子どもを見守り、話を聴いてほしい子どもがいたら相談窓口を教えてあげるなどの活動ができるようになることを目的としています。【本講座のポイント】(1) ヤングケアラーについて正しく理解します。(2) ヤングケアラー支援コーディネーターが講師として登壇します。【プログラム詳細】■タイトル: 令和6年度港区ヤングケアラー支援サポーター養成講座■日時 : 2024年6月11日(火)15:15~16:45■場所 : 明治学院大学 白金キャンパス 2号館2201教室 ※定員50名■対象者 : 明治学院大学の学生、教職員チャレンジコミュニティ大学の学生、修了生※上記以外の一般の方はお申込みできません。■参加費 : 無料■内容 : (1)ヤングケアラーとは(2)気づきのポイント(3)サポーターの活動について等■申込方法: 下記のWebフォームからお申し込みください。 ■申込期限: 2024年6月10日(月)までフライヤー■本講座の内容に関するお問い合わせ先明治学院大学社会学部付属研究所TEL : 03-5421-5205E-mail: ssoudan@soc.meijigakuin.ac.jp明治学院大学 白金キャンパス□■明治学院大学について■□創設者は“ヘボン式ローマ字”の考案や和英・英和辞書『和英語林集成』の編纂、聖書の日本語訳完成などの業績があるJ.C.ヘボン博士。明治学院の淵源となる「ヘボン塾」が横浜に開かれた1863年を創設年としています。建学の精神である「キリスト教による人格教育」と学問の自由を基礎とし、ヘボン博士が貫いた“Do for Others(他者への貢献)”を教育理念としています。広く教養を培うとともに、各学部学科において専門分野に関する知識・技能および知的応用能力を身につけた人間の育成を目指します。2024年に本学初の理系学部「情報数理学部」を開設し、既存の学部・組織との有機的な連携、産学官連携を行うため「情報科学融合領域センター」も併せて開設しました。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年06月03日しんしんと雪が降り続く、福井県の冬。女ガキ大将だった白鹿むくは、祖母、母、自分、妹の女4人の家で、祖父の介護を常とする「ヤングケアラー」として青春を過ごしてきた。そんな生活が、何年も、何年も続き、自分のやりたいことも、自分の性格さえも見失っていたある日、電車で出会ったのは、やたら背の高く陰気でオタク喋りな男。彼との出会いが、むくの運命を「二度」変える――10年越しに出会う、幼なじみとのピュア&ヘビー・ラブストーリーを全12回でお届け!ぜひ書籍とあわせてお楽しみください。◆Check!<<1話からまとめ読みはこちら<<前回のお話はこちら祖父の介護に疲れるむくを癒してくれるのは物語の世界。理想の世界があるから現実を乗り切ることができるのでした。続きは、書籍ならすぐお楽しみいただけます!(漫画:『この雪原で君が笑っていられるように』ちづはるか(小学館)より一部抜粋/マイナビウーマン編集部)(C)ちづはるか/小学館◆Check!<<1話からまとめ読みはこちら『この雪原で君が笑っていられるように』ちづはるか(小学館)10年後×幼なじみヘビーラブストーリー!しんしんと雪が降り続く、福井県の冬。女ガキ大将だった白鹿むくは、祖母、母、自分、妹の女4人の家で、祖父の介護を常とする「ヤングケアラー」として青春を過ごしてきた。そんな生活が、何年も、何年も続き、自分のやりたいことも、自分の性格さえも見失っていたある日、電車で出会ったのは、やたら背の高く陰気でオタク喋りな男。彼との出会いが、むくの運命を「二度」変える――10年越しに出会う、幼なじみとのピュア&ヘビー・ラブストーリー!小学館:
2023年11月30日寄せられたママたちの体験談やご自身の体験談をマンガ化しているまめねこさん。今回はヤングケアラー体験者の方のお話です。最近話題の「ヤングケアラー」。子どもが親の介護をすることが話題になりがちですが、体験者さんは小さなころから弟の面倒をみることをお母さんから言い付けられてきました……。 普通のことだと思っていたけれど… 母子家庭だった体験者さんは、弟の面倒を自分が見ることは普通だと思っていました。むしろ、お母さんの役に立つのが嬉しくて張り切っていたと言います。 しかし、小学校高学年になると、次第に自分だけにある制限に苦痛を感じ始めましたー。 忘れられないのは、楽しみにしていた小学6年生のときの修学旅行を、お母さんが行かせてくれなかったこと。理由は弟の面倒をみるためでした……。 修学旅行に行けるよう、担任の先生がお母さんに電話でかけあってくれたものの、お母さんが受け入れることはありませんでした。 「ごめんね…。力になれなくて本当にごめんね……。」 泣きながら謝る先生。 その姿を見て、お母さんの対応が普通ではないことに子どもながらに感じ、体験者さんの心に深く刻まれたのでしょう。大人になった今でも思い出すと苦しくなってしまうそうです……。 ◇◇◇ 子どもが家事や家族のお世話をすることは、当たり前と感じる方もいるかもしれません。しかし、子どもが本来過ごせるはずの勉強する時間、友だちと過ごす時間と引き換えにおこない、学校生活に影響がでる場合は、すこし注意が必要だと厚生労働省は呼びかけています。子どもが子どもでいられる社会になるよう、気が付いたら手を差し伸べられるよう、大人の一人ひとりが意識することが大切なのかもしれません。 著者:マンガ家・イラストレーター まめねこ
2023年06月05日寄せられたママたちの体験談やご自身の体験談をマンガ化しているまめねこさん。今回はヤングケアラー体験者の方のお話です。最近話題の「ヤングケアラー」。子どもが親の介護をすることが話題になりがちですが、体験者さんは小さなころから弟の面倒をみることをお母さんから言い付けられてきました……。 普通のことだと思っていたけれど… 母子家庭だった体験者さんは、弟の面倒を自分が見ることは普通だと思っていました。むしろ、お母さんの役に立つのが嬉しくて張り切っていたと言います。 しかし、小学校高学年になると、次第に自分だけにある制限に苦痛を感じ始めましたー。 忘れられないのは、楽しみにしていた小学6年生のときの修学旅行を、お母さんが行かせてくれなかったこと。理由は弟の面倒をみるためでした……。 修学旅行に行けるよう、担任の先生がお母さんに電話でかけあってくれたものの、お母さんが受け入れることはありませんでした。 「ごめんね…。力になれなくて本当にごめんね……。」 泣きながら謝る先生。 その姿を見て、お母さんの対応が普通ではないことに子どもながらに感じ、体験者さんの心に深く刻まれたのでしょう。大人になった今でも思い出すと苦しくなってしまうそうです……。 ◇◇◇ 子どもが家事や家族のお世話をすることは、当たり前と感じる方もいるかもしれません。しかし、子どもが本来過ごせるはずの勉強する時間、友だちと過ごす時間と引き換えにおこない、学校生活に影響がでる場合は、すこし注意が必要だと厚生労働省は呼びかけています。子どもが子どもでいられる社会になるよう、気が付いたら手を差し伸べられるよう、大人の一人ひとりが意識することが大切なのかもしれません。 著者:マンガ家・イラストレーター まめねこ
2022年06月03日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「ヤングケアラー」です。一人で抱え込ませず相談できる体制を整えることが優先。「ヤングケアラー」とは、家族の介護や世話、家事や労働を日常的に担っている18歳未満の子どものことです。今年3月、国の初の実態調査により、中学生のおよそ17人に1人がヤングケアラーであることが明らかになりました。公立中学校1000校と全日制高校350校を対象に行われた調査によると、「世話をしている家族がいる」と答えた中学生は5.7%、高校生は4.1%。食事作りや洗濯などの家事、祖父母の介護や見守り、幼いきょうだいの保育園への送迎など、世話の内容は多岐にわたっています。世話に費やす時間は中学生で1日平均4時間、高校生は3.8時間。7時間以上と答えた生徒も1割いました。下校後の時間がとられ、当然、勉強や睡眠、友達と遊ぶ時間などが削られてしまいます。最も深刻なのは、この状況を人に相談した経験のない子が中高ともに6割以上もいたことです。学校に行きたくても行けないと答えた生徒もおり、国は対応を急いでいます。ヤングケアラーのなかでも、「きょうだい児(病気や障がい者の兄弟姉妹がいる子ども)」はその存在がまだあまり知られていません。病気や障がいのある本人やその親に対してのサポートはありますが、きょうだい児もまた様々な視線にさらされています。まだ子どもなのに親に甘えられず、きょうだいの世話を担い、遊ぶ間がありません。自分の人生をきょうだいに捧げてしまうケースも少なくないのです。ヤングケアラー、きょうだい児に共通しているのは、その状態が「あたりまえ」と本人も周囲も思い込んでいること。あるきょうだい児の人は後年、「自分は、自分の自由にしていいのだということを教えてほしかった」と話していました。「24時間子供SOSダイヤル」や「子どもの人権110番」などの相談窓口を利用していれば、もう少し楽になれたのかもしれません。国は社会保障費を減らすために、施設ではなく家庭内で介護することを提唱しています。父母が働いていれば、ヤングケアラーは今後も増えるでしょう。ヤングケアラーが孤立し、人生の選択肢を狭められている現状に対して、適切なサポートが求められています。堀潤ジャーナリスト。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。Z世代と語る、報道・情報番組『堀潤モーニングFLAG』(TOKYO MX平日7:00~)が放送中。※『anan』2021年7月7日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2021年07月02日ヤングケアラー、それは無償で家族の世話や介護をする18歳未満の子供たちのことをいう。「父は通信社のカメラマンで国内外での仕事も忙しく、家庭での子供の世話は、ほとんど母が一人で担っていました」こう語るのは持田恭子さん(54)。持田さんもまた、親とダウン症の兄の世話を体験した“元ヤングケアラー”だ。「小学生のころから父がアルコール依存症になり、母や私に暴力をふるうようになっていました。父自身、兄のター君をかわいがりながら、一方でター君の通院のせいで出世につながる転勤をできないなど、ストレスを抱えていたのだと思います」父親の変貌ぶりに、今度は母親までうつ病を患い、毎日「死にたい」と口にするように。「当時、父や母自身が、社会から取り残された、いわば被害者でした。でも10代の私には、そこまで理解できなかった」25歳の時、転機が訪れる。イギリスの金融情報サービス企業への就職だった。しかし母は、渡英しようとする持田さんに詰め寄り、言った。「もし私たちを捨ててイギリスに行くなら親子の縁を切る。ママはター君と死にます。あなたは殺人者の汚名を一生背負って生きていくのよ。よーく考えて、どちらかを選びなさい」「私は自分の道を自分で選びたい。ママが死ぬなら、それはママの選択。でも、ター君を巻き込まないでほしい」 持田さんは、悩んだ末にイギリス行きを決心し、母に告げた。「自分の気持ちを大切にして、本当にやりたいことがあるのならば家族から離れてもいい、自分らしく生きよう、そう思ったんです。イギリスでは、初めてストレスのない生活を体験しました。とはいえ、兄や家族を置いてきた自分は薄情な人間なんだと罪悪感を持ったまま過ごしていました」海外生活が落ち着いていくなかで、こんな発見もあった。顧客に誘われ、初めてモータースポーツのF1を見に行ったときのこと。「有名ドライバーの息子さんがダウン症で、病気の啓発やチャリティが行われていて。日本では陰に隠れて生活する印象でしたから、なんて進んでいるのかと衝撃を受けると同時に、社会全体で支えていく問題だと知るんです」2年半後、ヘッドハンティングされて帰国し、外資系企業に転職した。絶縁状態だった母親もこれを喜び、実家との交流が再開する。「帰国後、たまたまパソコン雑誌に掲載されていたダウン症の親御さんグループのホームページを見つけました。自分と同じ“ダウン症の兄がいる妹”に会ってみたいと思って連絡を取ろうとしましたが、なかなかきょうだいにつながれず、周囲から『自分でホームページを作ったら』と言われて、独学でサイトを立ち上げました」96年10月、「ダウン症児・者の兄弟姉妹ネットワーク」がスタート。やがて日本各地の80人ものきょうだいたちとメーリングリストで意見を交わすようになり、持田さんは痛感する。「こんなにいたんだ。家族の世話や将来のことで悩んでいたのは、私だけじゃなかったんだ」仕事を終え帰宅すると、夜中までメール交換する日々を送っていた01年、父親の大腸がんが発覚。「それまで父がやっていた兄の世話を、私が引き受けるようになりました。兄は、父のことを『殿』と呼んで慕っていました。その父から、夢だった息子とのキャッチボールができなくなった無念さや、会社の同僚たちが子供自慢をするときには『仕事があるから』とうそをついて席を外していたことなど初めて本音を聞かされるんです。親である父が、私たちきょうだいと同じ思いをしていたと知って驚きました。もっと早い時期に語り合えていたらと悔やみました」2年間の闘病生活の末、父親が亡くなる直前のこと。ショートステイへ向かう兄が、病床の父に言った。「39年間、ぼくを育ててくれてありがとうございました。ぼくは、だいじょうぶです」そう言いながら、親指を立てるしぐさをすると、昏睡状態だったはずの父親が一瞬、目を開けた。「驚いたのは、父も兄に向かって親指を立ててほほ笑んだんです。その数時間後、父は64歳の若さで息を引き取りました」パニックに陥るからと反対する母親を押し切り、持田さんは兄に父の死を報告した。兄は電話口で、逆に持田さんに尋ねた。「母は泣いてますか?妹さんは泣いてますか?」「泣いてないよ」「じゃ、ぼくも泣きません」必死で悲しみをこらえているのが電話越しにも伝わった。持田さんは瞳を潤ませながら、当時をこうふり返る。「私はこのとき、自分のことより母と妹を心配してくれた兄の優しさに、初めて気づきました。そうか、守られていたのは、実は私だったんだと……」持田さんは現在、ケアラー支援を行う「ケアラーアクションネットワーク協会(CAN)」代表理事。家族に守られながら、ヤングケアラーの孤独に寄り添っている。「女性自身」2021年4月6日号 掲載
2021年03月29日