学校を訪問した動画は270万回超も再生されたユーチューバーがいじめ被害者の相談に乗り、教育委員会を動かし、解決に導く─。ドラマのような話だが、兵庫県尼崎市で実際にあった出来事だ。尼崎市立尼崎双星高校でいじめを訴え不登校になった男子生徒について、市の教育委員会は『いじめ防止対策推進法』による重大事態と認定。第三者委員会を設置し、再調査を始めた。神戸新聞によると、稲村和美市長は「ユーチューバーに頼るしかなかったということが私たちに突き付けられている事実」と語っている。ユーチューバーがいじめ問題をテーマにすることは少なくない。最近では、北海道旭川市の女子中学生いじめ凍死事件が記憶に新しい。だが多くの場合、メディアが取り上げたものを後追いする内容で、学校と交渉した例はほとんどない。YouTuberがいじめ問題に介入した経緯今回、いじめ問題に介入をしたのは、ユーチューブでゲーム実況を配信している石田拳智さん(25)。動画は1月に配信された。男子生徒が石田さんに相談を始めるところや、保護者との電話のやりとり、学校への訪問、石田さんと男子生徒が校内で教頭2人と話し合う場面などが公開されている。「これまでにユーチューブで相談配信はしていましたが、いじめの相談を受けたのは初めてでした」(石田さん、以下同)石田さんは、ツイッター社が提供する音声のライブ配信サービス「スペース」で雑談をしていたところ、男子生徒が相談してきた。「スペースでやりとりをしたあと、さらにLINEでも詳しく聞きました。いじめの内容は、机に落書きされたり、仲間はずれにあったり、靴の中に画鋲を入れられるといったものでした。メッセージが早朝や昼間に来ていたことや、声のトーンなども含めて、男子生徒の話は本当だと思えたんです」いじめについて、男子生徒は’21年2月に学校側に相談していた。5月に校内での調査が始まったものの時間がかかり、その間に男子生徒は学校へ通えなくなってしまった。再登校できることや加害生徒との話し合いの場の設定を求めたが、改善されない。そこで男子生徒は12月、「いじめにあっている」と、石田さんに相談したのだ。石田さんは学校を訪問するにあたり、前もって男子生徒の保護者から委任状を取り付けていた。「委任状があったほうがしっかり話せると思いました。ただ、学校が悪いという動画を撮りたかったわけではないんです。加害生徒と話して(男子生徒との)関係を断つか、それ以上のいじめにならないようにすることが目的でした。学校を訪問したとき、加害生徒と話はできませんでしたが、学校側と話し合いをすることができました」Youtuber介入で別のいじめ問題も発覚ユーチューバーがいじめに介入する事態を専門家はどう思うのか。千葉大学教育学部の藤川大祐教授は、「動画を見る限り、学校側に問題があります」と指摘する。「ユーチューバーは保護者から委任状を取る手順を踏んでいるうえ、説明も一貫しています。しかも、動画をいきなり公開したわけではありません。学校がきちんと対応したなら、流さないつもりだったとも言っている。学校側が悪質なので、このような手段を取らざるをえなかったことがよくわかります」(藤川教授)また、学校問題に取り組む鬼澤秀昌弁護士は「ユーチューバーが取り上げ、世間から批判があったことで市教委が動いた構図は、ブラック校則が問題になったときと同じ」と分析。さらにこう続ける。「学校側からすれば“やめてくれよ”と思うかもしれませんが、ネットが普及した今の時代、今回のようなやり方を一定程度は許容せざるをえないでしょう。学校側は、SNSで拡散されたとしても批判に耐えられるぐらいの判断を固めておく必要があります」(鬼澤弁護士)動画の公開から1か月後、男子生徒とその保護者、加害生徒とその保護者による話し合いが設定された。「その結果、加害生徒は男子生徒と関わらないことになりました。ただ、加害生徒の保護者は、少なくとも動画投稿のタイミングでは、いじめ行為を学校側から知らされていませんでした」(石田さん)今回の動画を投稿したあと、石田さんにはいじめの相談が増えた。相談者のなかには男子生徒と同じ高校に通う女子生徒もいて、別のいじめ問題も発覚している。’21年2月ごろから女子生徒は同級生とトラブルがあった。学校側はいじめと認めなかったため保護者が市教委に連絡、いじめと認知された。しかし、それ以上の対応がなされず’22年1月に退学したという。この女子生徒のケースも、石田さんへの相談をきっかけに市教委が調査に乗り出す事態となった。法外な報酬を要求されるトラブルも石田さんは、いじめ問題に関する動画をユーチューブで収益化していない。学校を訪問した際の交通費や宿泊費、動画編集にかかる費用はすべて自腹だ。「多くの人に知ってほしいからです。広告が入ると見にくくなります。自腹を切ってまでして、問題解決に導くようなことをする人はいるのかな。期待できるとすればユーチューバーくらいじゃないですか」(石田さん)今後、ユーチューバーがいじめ解決の手段になりうるのだろうか。前出・藤川教授は、「ユーチューバーが乗り出さなきゃいけない状況を考えたくないですね」と話し、その理由をこう説明する。「学校や教育委員会には、いじめを放置したり、看過したりしてはならないという法的な義務があります。つまり、学校や教委が法令にのっとって、いじめに真剣に対処すればすむ話なんです。しかし実際には、ひどい対応の学校や教育委員会があり、被害者は困り果てています。そこを解決しなければなりません」藤川教授らは、『いじめ当事者・関係者の声に基づく法改正プロジェクト』を立ち上げている。「教育委員会が法令にのっとった対応をしていない場合、相談できる窓口を作って、国の責任で指導できる仕組みが必要です」(藤川教授)今回、石田さんの活動は法的な問題もなく、解決に導くことができた。今後も同様の相談をする人が出てくるかもしれない。しかしユーチューバーの介入方法によっては、意外な落とし穴にはまることもある。前出の鬼澤弁護士が指摘する。「いじめを訴えた生徒側に注目が集まった場合、批判にさらされるリスクもあります。学校に突撃するとしても、生徒本人の不利益を考える必要があるでしょう」さらに気をつけたいのは「非弁行為」だ。弁護士資格のない人が報酬を得るために交渉などに乗り出すことは、弁護士法に違反している。「報酬は金銭での報酬に限りません。相談料の名目でも、実質的にトラブル解決の報酬となると、非弁行為に当たるおそれがあります。相談者からお礼をしたいと言われても、ユーチューバーとしては断るべきです」と鬼澤弁護士。また残念ながら、相談者に金銭を不当に要求するケースも珍しくない。筆者の取材でも、弁護士資格のない個人やNPO法人がいじめ問題に介入し、謝礼や相談料として事実上の報酬を請求しトラブルになった話を頻繁に聞く。信頼できる相手か見極め、注意することが必要だ。取材・文/渋井哲也ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。若者の生きづらさ、自殺、いじめ、虐待問題などを中心に取材を重ねている。『学校が子どもを殺すとき』(論作社)ほか著書多数
2022年05月19日大人気マンガシリーズ、今回はのじ(@noji09noji)さんの投稿をご紹介!「きれいになりたい」第10話です。話しかけてきたみくさんに変な笑い方の理由を説明すると女の子はみんな笑顔が素敵な生き物だからもうちょっと自分の笑顔に自信を持ってみたら?と言われました。そうだよね出典:instagramよし!出典:instagramしょうがないよね出典:instagramジーッ出典:instagramみくさんに言われ少し笑顔でいることに決めました。そしてナエ子さんを誰かが見ています…!次回の配信もお楽しみに!(lamire編集部)(イラスト/@noji09noji)本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。"
2022年05月11日パパの仕事の関係で引っ越しすることになったゆっぺさん一家。引っ越した先の幼稚園に通うことになったのですが、そこで同じクラスのボス太郎くんから性的ないじめを受けることに……。ただ、ゆっぺさんはそのことを誰にも相談できずにいました。そして、日に日にいじめはエスカレート。しかし、このころのゆっぺさんは、我慢することが一番良いことだと思っていたため、誰にも言えずにいたのです。そんなある日のこと。ボス太郎たちがあることを確認するため、ゆっぺさんを小さな部屋に連れ込みました。そこで服を脱ぐように指示されるも、怖くなったゆっぺさんは「やめて」と言い、男の子を突き飛ばしてしまったのです。すると、そこに先生が入ってきて……!?先生に聞かれるも、何も言えなくて… 「なんでそんなことしたの?」 先生に聞かれても、ゆっぺさんは何も言えませんでした。 すると、ボス太郎くんから「殴ったこと許さないかんな!!」と言われてしまいます。 その出来事の翌日、ゆっぺさんは仮病で幼稚園を休んだのでした。 この出来事の翌日は、仮病を使って幼稚園を休んだというゆっぺさん。これまでどんなにつらくても休むことがなかった訳ですが、今回ばかりはダメージが大きかったのではないでしょうか。ゆっぺさんのように親に絶対隠したいという考えのお子さんだと、SOSのサインを見つけるのは難しいと思うのですが、日々の中で子どものSOSを見逃さないようにするために、ママやパパにできることは何があるのかを今一度考えていきたいですね。 ※幼児期の性の目覚めについて…自分とは体の作りが違う異性に対して、純粋に好奇心や興味を持つことは自然なことで、異性への興味や関心は、3歳くらいから始まるとされています。 監修者:医師 神奈川県立こども医療センター総合診療科部長 松井 潔 先生愛媛大学医学部卒業。神奈川県立こども医療センタージュニアレジデント、国立精神・神経センター小児神経科レジデント、神奈川県立こども医療センター周産期医療部・新生児科等を経て現在、同総合診療科部長。小児科専門医、小児神経専門医、新生児専門医。著者:マンガ家・イラストレーター ゆっぺライブドアブログ公式ブロガー。インスタやブログでエッセイ漫画連載中。自身の体験談やフォロワー様から寄せられたエピソードをスズメのキャラで漫画にしています。
2022年05月10日■前回のあらすじ退職を撤回した若菜は、子育て中というハンデがある中、成果を出そうと頑張った。そんな彼女に結果はついてきてくれて…。今までつらく当たってきた、同僚からの反応は? >>1話目を見る 人生には予想もつかない出来事がいくつもあって、どうつまずくかわかりません。だからこそ、助け合える仲間を何より大切にしたいと思っています。※この漫画は実話を元に編集しています脚本・谷村/イラスト・きのこの子
2022年05月08日■前回のあらすじ退職を決意した若菜に上司からかけられたのは、どうしても受け入れられない言葉だった。私が辞めたら同僚たちまでママになろうと思わなくなる? そこで若菜は考えを改める。 >>1話目を見る 次回に続く(全8話)毎日11時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・谷村/イラスト・きのこの子
2022年05月07日■前回のあらすじ頑張りすぎて体調を崩してしまった若菜。体調不良をおしてなんとか出社したものの、同僚からかけられたのは追い打ちをかけるような言葉だった。体も心もボロボロになった若菜は…。 >>1話目を見る 次回に続く(全8話)毎日11時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・谷村/イラスト・きのこの子
2022年05月06日■前回のあらすじ「突然休まれるならいない方がマシ」同僚からの冷たい言葉に、若菜はなんとか挽回しようと奮闘する。子どもがいても一人前に働きたい、そんな若菜の思いは叶うのか? >>1話目を見る あれから、昼間は会社、夜は自宅で仕事をする日々が続いていました。なんとか以前のような仕事量をこなせても、家事と育児ものしかかり、疲れは溜まります。そして限界が来てしまい……。このまま頑張り続けるべきなのか、仕事をあきらめるべきなのか。せっかく産休、育休を経て復帰したのに……。未来が見えなくなってしまいました。次回に続く(全8話)毎日11時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・谷村/イラスト・きのこの子
2022年05月05日■前回のあらすじ子どもが水ぼうそうにかかり1週間も出社できなくなってしまった若菜。在宅ワークで乗り切ろうとするものの、思うようにはいかず…。謝る若菜に、周囲からの反応は冷たいものだった。 >>1話目を見る みんなに迷惑かけた分を取り戻したい。時短であっても一人前に仕事したい。そんな思いから、私は自分を追い詰めてしまったのかもしれません。それがあんなことになるなんて……。次回に続く(全8話)毎日11時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・谷村/イラスト・きのこの子
2022年05月04日■前回のあらすじ職場復帰を果たした若菜。時短勤務は目の回るような忙しさ。そんな中、子どもが熱を出してしまい、保育園からの呼び出しが。周囲からは不満の声が聞こえ始め…。 >>1話目を見る 次回に続く(全8話)毎日11時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・谷村/イラスト・きのこの子
2022年05月03日幼稚園で同じクラスのボス太郎くんから性的ないじめを受けていたゆっぺさん。しかし、このころは我慢することが一番良いことだと思っていたため、隠すことに必死だったのです。しかし、そのような考えになる背景には、パパの存在が大きく関係していて……?我慢することが”最善策”だと思っていたあのころ 誰にも相談できず、悶々とする日々。 そんなある日、ボス太郎君たちの会話を耳にしてしまいます。 「もう1つの穴があるらしい。確認してみようぜ」 (確認するってどうやって……!?) ゆっぺさんはゾッとしてしまいました。 お父さんが怖くて相談ができなかったというゆっぺさん。ほかにも、恥ずかしいから知られたくないなど、理由はほかにもいろいろとあったと思うのですが、誰にも相談できないというのはつらかったと思います。親も子どもの異変に気付くというのは、実際は難しかったりすると思うのですが、いじめで悩む子どもが減るにはどうすればいいのかを真剣に考えていきたいですね。 ※幼児期の性の目覚めについて…自分とは体の作りが違う異性に対して、純粋に好奇心や興味を持つことは自然なことで、異性への興味や関心は、3歳くらいから始まるとされています。 監修者:医師 神奈川県立こども医療センター総合診療科部長 松井 潔 先生愛媛大学医学部卒業。神奈川県立こども医療センタージュニアレジデント、国立精神・神経センター小児神経科レジデント、神奈川県立こども医療センター周産期医療部・新生児科等を経て現在、同総合診療科部長。小児科専門医、小児神経専門医、新生児専門医。著者:マンガ家・イラストレーター ゆっぺライブドアブログ公式ブロガー。インスタやブログでエッセイ漫画連載中。自身の体験談やフォロワー様から寄せられたエピソードをスズメのキャラで漫画にしています。
2022年05月02日■前回のあらすじ上司や同僚たちといい関係が築けていた若菜。だからこそ出産後も、今の会社で働こうと決めていたのに…。育休中、すっかり変わってしまった会社の様子に、嫌な予感がする若菜だった。 >>1話目を見る 次回に続く(全8話)毎日11時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・谷村/イラスト・きのこの子
2022年05月02日次回に続く(全8話)毎日11時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・谷村/イラスト・きのこの子
2022年05月01日ウーマンエキサイトでも人気連載のスイス在住のケイコモエナさんのエピソードです。お友達トラブルで、夜驚症になってしまった娘ゆあちゃん。日に日にエスカレートする嫌がらせに、ケイコモエナさんがとった行動とは…。「子ども同士のトラブル」についてどう思うか、読者の意見も合わせてご紹介します。■憧れの「家族ぐるみの付き合い」がスタートケイコモエナさんは斜め向かいに引越してきた家族のママ&娘(マリー)ちゃんと仲良くなります。娘たちも歳がほぼ一緒で楽しそうに遊ぶようになったのですが…。いきなり怒りだしたマリー。ケイコモエナさんはその時マリー行動が理解できず…。■娘の夜驚症がはじまった…※当時診察してもらった先生のセリフを再現しており、全ての症状を断定するものではありません。また、一説では下記の見解もあるため、症状でお困りの方は医師の診断を仰いでください。びっくりするくらい大きな声で泣き叫んで飛び回る子どもを見て、救急車でも呼ぼうかと思ったケイコモエナさん。ですが、落ち着くと子どもは何も覚えてない…娘ゆあちゃんの夜驚症は毎晩続き、ある日突然マリーとの登園を拒否しはじめます。原因はなんとマリーの嫌がらせでした。子どもの問題に親が出ていくなんて、という考えもありますが、これは黙っているわけにはいきません…。ケイコモエナさんがとった行動は?こちらは2021年2月3日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に集まった読者からのコメントをご紹介します。■こういう子どもは大人がしっかり言わないとだめ!?「子どもの問題に、大人は下手に介入しない方がいい」などとも聞きますが、いじめが深刻化している昨今、「大人は黙って見ていればいい」という問題でもなくなっているようです。マリーをしかったケイコモエナさんに賛成の意見が多数寄せられました。・子どもを守れるのは親だけだからどんな時でも味方になってあげたいと思いました。 感情に任せてって言ってますが、当たり前のこと。 もっと怒りをぶつけても良かったのではないかと思いました。・大人がよその子叱ることだって大事だ!先生だと、たしかに中立だけど、その分、流しちゃう子どもだっている。けど、相手の親なら、後ろめたい子なら、ダイレクトに伝わるだろうし。あと、言い方もよかった!相手を悪く言わず、許さない!と言うと、怒ってると、分かりやすいし。・こういう子は大人がハッキリ言わないとダメだよ。調子に乗るし、大人を舐めてかかるから。子どもなんだからしょうがないは、大人の逃げだと思う。・子どもと関わる仕事をしています。 筆者さんの対応は大正解だったと思います。子育てに正解はないと言いますが、今回のこの件、意外にマリーは“人としてしてはいけないこと”を教えてもらってなかったんだと思います。大人だから、子どもだからではなく、“人として”接することはとても大事な事だと思います。「子育てに正解はない」とは言いますが、国が違えばさらに、さまざまな考えが溢れています。海外で子育てすることの大変さにも意見が寄せられました。・海外で子育てをすると幼稚園教諭が子どもを休み時間だからと観ていないことが普通で子どもに解決させる主義には驚きました。日本でそういう幼稚園が存在したら、大問題に発展しまいますよね。国が変われば幼稚園教諭の考えも変わるんだなと思いました。・異文化の中での子育て、大変だろうと思い子どものために親は常に味方でいるのはやっぱり大切なんだな。子どものために最良の方法考えて動くことが1番だよねと思いました。▼漫画「娘が夜驚症になった話」
2022年04月06日社会起業家加藤秀視さん撮影/伊藤和幸父親からの虐待を機に施設で育ち、ヤクザの世界へ。元暴走族総長で、2回の逮捕歴がある。だが、24歳で更生を決意して以降、非行少年3500人以上の更生や被災地支援などを精力的に続けてきた。今やJR、コカ・コーラなど有名企業に招かれて人材育成を行う立場だ。誰かの活動を支持して見守るのではなく、おのおのが使命を見つけ、「その道のリーダーになれるはず」と熱弁する社会起業家・加藤秀視さんの原動力とは―。子どもたちが通いやすい学校に立春前、北風の吹く東京・町田駅。いじめ問題に対する教育現場の隠蔽や不正撲滅を訴えて、憲法16条「請願権」の改正を求める署名を募る人たちがいた。その老若男女の輪の中心に、熱く語りかける男性の姿がある。「大きな声を出してすいません!誰かを助けたいと思ったら、具体的に動かなければいけないんです!それが署名なんです。署名を100万人集めて、いじめを隠蔽しない仕組みを作りましょう!」黒いキャップを被ったちょっと怖そうな風貌のその人は、加藤秀視(しゅうし)さん(45)。元暴走族の総長で、現在は非行少年たちの更生を目的に開業した建設会社を営む社会起業家だ。数多くの更生・指導の実績が評価され、「文部科学大臣奨励賞」や「衆議院議長奨励賞」などを受賞している。加藤さんがいじめに関する署名活動を始めたきっかけは、北海道旭川市で昨年3月、中学2年の廣瀬爽彩(さあや)さん(当時14歳)が凍死体で発見され、市教委が事実確認を進めている問題にある。「爽彩さんはネット上に拡散された自身の画像のことで悩んでいました。学校側がいじめを正式に認めずに、きちんと調査をしないでいるうちに悲劇は起きてしまったんです。全国で起きているいじめ問題は、学校や教育委員会の隠蔽体質と関係性が深いこともよくわかりました。この問題の真相究明といじめ防止対策推進法の徹底した遂行を断固として求めていきます」だが、学校関係者への誹謗中傷がネット上で広がっていることについては「全く意味がない」と言う。個人的な攻撃が目的ではないからだ。「誰かを責めて誰かが潰れれば、Twitter上じゃOKなんでしょうけど、そんなこと繰り返していたって、何の解決にもならないんですよ。子どもたちが通いやすい学校にして、同じような犠牲者を出さない仕組みを作るために動こうって決めたんです」加藤さんに賛同するさまざまな立場の支援者が、全国各地で署名活動を展開している。この日、街頭演説に参加した社会派ユーチューバー・令和タケちゃんこと後藤武司さん(27)もその1人。加藤さんがこの問題の焦点を教育に当てるのに対し、後藤さんは政治に焦点を当てている。「考え方の違いはあっても、目指すゴールは一緒であるため、協働している」と加藤さんは言う。ほかにも、中高生の親たちや20~30代の若者たちも署名を呼びかけていた。参加者の大寳(おおだから)直人さん(26)は、加藤さんのような起業家を目指しているという。「ご自分が虐待を受けたりしたバックグラウンドがあるので、こうした問題にも本気で寄り添って、上っ面じゃないんですよ。署名活動の結果を報告するといつも“ありがとうございます、引き続きお願いします”と言ってくれます。われわれスタッフに対する尊敬の気持ちがすごくて、上から目線じゃないんです」街頭演説に加え、オンライン署名も行い、12万人ほどの署名が集まっている(3月15日現在)。歌手でEXILEのメンバー、ATSUSHI(41)も共感し、自ら加藤さんに連絡を取り、ユーチューブチャンネルで約4000人の署名を集めた。ATSUSHIは加藤さんとの対談の中で、「自分の影響力をこのような活動に使ってもらうことが本望」と語っている。「街頭で声を枯らしても、正直、そんなに数は集まらないんです。本当は有名な方とユーチューブでコラボしたほうが、効率よく署名も集まりますし、チャンネル登録者数も伸びて、プラスになるんです。それでも街頭演説を続けるのは、無関心な通りすがりの人たちに誰かが何か騒いで訴えてるってことを感じてほしいから。多くの人を巻き込みたいという思いでやっています」SNSを通じ、加藤さんのもとにはいじめの悩みを持つ子どもや母親たちからたくさんの相談が寄せられる。緊急性やリスクが高い場合は、現地に赴き問題解決に向けたサポートをすることもある。昨年10月、いじめを苦に自殺を図った中学1年生の娘を持つ母親のAさんが取材に応じてくれた。大阪在住のAさんは学校が自殺未遂といじめとの因果関係を認めず、調査や指導も行わないことに苦慮していた。「自治体の相談窓口や支援団体にも相談に行きましたが、真剣に聞き入れてもらえなくて……。そんなとき、偶然、加藤さんのユーチューブを見てメッセージを送りました」2月末、加藤さんは学校との協議のため、正式にアポイントを取った。だが当日、学校側が弁護士以外の同席を認めず、校門前で足止めされる事態となる。加藤さんは「僕は中に入れなくていいので、絶対解決すると約束してほしい」と訴えた。Aさんと娘が校内に入り、話し合いは5時間に及んだ。結果、初めて同席した校長がいじめの調査を改めて行うことを誓ったという。「校門前で私たちを待っていてくださった加藤さんは、娘に、“生きていてよかったと思える人生を送ってほしい”と話してくれました。それは本当に大切なことだなぁと。この先、たとえ学校に行けなかったとしても、きっと娘にはいろんな出会いがあって、あんなことがあったけど、生きててよかったと思ってくれたらいいなと思っています」更生した非行少年の10年後加藤さんが暴走族の仲間とともに資金、人脈、社会経験すべてゼロで、ボロボロのスコップ1本から立ち上げた建設会社『新明建設』は、今年で創業22年を迎える。今では多くの有資格者を抱え、公共事業も受注する栃木県でも有数の企業となった。10代だった部下たちも幹部となり、後輩を育てている。起業した当初から、子育てに悩む親や非行少年少女、ひきこもりや自傷行為に苦しむ若者から多くの相談が寄せられていた。加藤さんは独自の教育メソッドで、これまで約3500人以上の更生に携わった。「非行少年たちとの間に信頼関係を築きます。フレンドリーすぎるのはダメで、ちょっと怖いお兄さんという立ち位置ですね。働きながら、お客さんのことや同僚の仲間のことを日々考えさせて、価値観を変えていく。一緒に目的を持って協働して、目的を達成した感動を味わう。その繰り返しが大事なんです」少年たちの気持ちを理解するため、海外で心理学を学んだ時期もあったというが、途中でやめてしまったという。「指導する先生に、僕のやり方が心理学的に気に入らないと言われたので、じゃあやめますと(笑)。先生は相談者の話を聞いてあげればよくて、僕みたいに問題解決に導くのは強制だとおっしゃるんです。でも僕からしたら更生が目的なんで、そんなクソみたいな心理学だったら要らないですねと。やっぱり直接人と向き合ってるほうが強いなと感じたんです」かつて通貨偽造で罰せられ、加藤さんのもとで更生プログラムを受けたレオナさん(33)は、母親に連れられて新明建設に来た日のことをこう振り返る。「なんでこんなところへ来なきゃいけないんだ!俺の人生なんだから勝手にさせてくれ!って啖呵切って、母親を泣かせていました。初めのうちは会社のルールも職場の人間関係もわからず、なかなか溶け込めずにいましたね」ところが次第に仕事のおもしろさがわかってくると、働くことの大変さやお金を稼ぐことの有り難みが感じられるようになった。「携わった土木工事や舗装工事は地図に残る仕事でしたから、できあがったときの達成感も大きかったんです」レオナさんはアパートを借り、ある程度自由の利く生活を送ることができていた。しかし加藤さんとの間に、“昔の仲間との付き合いを断つ”という絶対的な決めごとがあった。その約束を守れず、勘当を突きつけられたこともある。「悪の道からなかなか抜け出せなくて、突き放されそうになって……泣いて謝りました。でも、加藤さんが“俺は信じるから”って言ってくれたんです。加藤さん自身も、もともと悪い世界にいて更生した人なので、自分の若いころを思い出して、情熱を傾けてくれたんじゃないかと思います」自らが変わっていく中で、昔の仲間も離れていき、関わらずにいるうちに、興味がなくなっていったという。「普通の生活のほうが楽しいなって。逆になんであんなことやってたんだろうって不思議に思うようになったんです」レオナさんは現在、6歳の息子を育てるシングルファーザーだ。大型トラックの運転手をして生計を立てている。週末、仕事を終え、実家の母親に預けた息子を迎えに行き、共に過ごすのが何より幸せな時間なのだと語る。実はレオナさん、10年前に正式な退職届を出さずに加藤さんのもとを飛び出したことをずっと悔やんでいた。今年2月初旬、レオナさんは遂に意を固め、息子を連れて加藤さんを訪ねたという。「僕たちが来たことを喜んでくれて、僕の謝罪を受け入れてくれました。“お前、守るべきものができたんだろう?悪いことももうやってないんだろう?じゃあ更生したんじゃんかよ”って言ってもらえました。加藤さんは自分にとって、恩師であり兄貴みたいな存在で、更正するきっかけをくれた大事な人です。これからは自分も、過去のことがあってもやり直しがきくし、変われるんだよってことを若い子に伝えていきたいと思ってます」加藤さんは頼もしくなった弟分の言葉に目を細める。「更生はキレイに終わるなんてことはなくて、キレイさは求めていないんですよ。大事なことは、本人がしっかりと自分の人生を歩んでいくことなんです」施設で育ち、暴走族総長へ1976年10月6日、栃木県で2人兄弟の長男として生まれる。父は腕のいい板前だったが、酒を飲むと母親と加藤さんに暴力を振るい、放蕩の末、女性と借金を作った。「小さいときは苦しい思い出しか記憶にないですね。母を殴る父親への憎しみが強かった。さぞかし母はつらかったろうと思います。その矛先が自分に向いて、少しでも母が助かればいいと思っていました」小学校に上がると、母親はホテルのフロントで日中働き、夜はホテルのクラブで働くようになった。忙しい母親に甘えることができず、愛情に飢えていたという。真夏の昼下がり、弟と母親をはさんで、寝そべっていたときの記憶が蘇る。「寝息を立てている母に腕枕してほしい、抱っこしてほしいなと思った覚えがあります。近づきたいけど恥ずかしくてできなかった、そんな思いでした。こんな初老の俺が言うのもおかしいんですけどね」そうおどけながら、一瞬しんみりとした表情を覗かせた。小学校2年生になると、母親と加藤さんに対する父親の暴力がますますひどくなり、養護施設に預けられた。はじめは弟も一緒に行く予定だったが、加藤さんは幼い弟が不憫で、「一緒に来たら邪魔だ」と言い張り、弟は祖母と家にいられるようにした。施設では消灯時間になると、布団が敷き詰められた広い和室のあちこちから、親の迎えを待つ子どものすすり泣く声が聞こえてきたという。「夜の託児施設で一緒の仲間は、放課後の遊び仲間になりました。小2のころからタバコ屋でくすねたタバコを一緒に吸ったりしてましたね」中学に上がるころ、両親は離婚。たまり場でシンナーを吸い、毎晩夜遊びをするようになる。3年のときに先輩に誘われて暴走族に入った。その後、傷害、恐喝と非行をエスカレートさせていく。高校を4か月で中退後、北関東を中心とした暴走族の総長になった。同時に裏社会での駒を進めていく。パチンコの偽造カードで得た玉を換金し、シンナーを夜の街で売りさばいた。上納金として、暴力団に還元するためだ。「育った環境が施設だったんで、周りを見たらヤクザしかいなかったんですね。家でも施設でも虐待されて褒められたことがなかったんで、悪いことをしてすごいねって褒められたとき、初めて認められた気がして、ここが自分の居場所だと思ってしまったんです。裏社会は上下関係が厳しくて、親分に対するコミットは凄まじいものでした。そういうのも自分の中で響いたんです」武闘派と呼ばれた親分を守るために、ボクシングや空手など格闘技はほとんど身に付けた。親分に仕え、暴力で権力をつかみ、ついてきた仲間たちといい生活を送ること、それが自分の目的で、その先にしか幸せはないと信じてしまったという。20歳を過ぎたころ、栃木県の地元だけでなく、歌舞伎町でも幅を利かせるようになっていた。覚醒剤と暴走族同士の抗争に明け暮れ、2回逮捕されている。「21歳で2度目の留置所送りにされたとき、今のまま生きていたら、必ず刑務所を出たり入ったりするのを繰り返すことになるだろうと思いました。自分の仲間も同じ道を進んでしまう……そう思ったら、それまできちんと働いた経験はありませんでしたが、出所したら仲間と仕事を始めようと思ったんです」頭を下げて謝り倒す屈辱24歳のとき、暴走族の後輩7人に声をかけ、新明建設を立ち上げた。土木業を選んだのは、スコップ1本で始められて、体力が活かせるからだった。「建設現場に人を供給する仕事から始めました。最初は派遣した後輩たちの仕事ぶりが評価されなくて、“お前らカカシか?” “使えない”とクレーム処理に追われました。それまで人に謝ったことがなかったので、頭の下げ方から学びました。辞書を買ってビジネス用語を覚えたりもしましたね。くそみそに文句を言われるもんだから、“この野郎、ふざけんな!”って言いたくなるんですけど、それをやっちゃったら、その子たちの仕事がなくなって、またヤクザに戻っちゃうんで。堪えましたね」「お願いします」「ぜひ使っていただけませんか」と交渉する営業のやり方も身に付けていった。非行少年たちが働ける受け皿をつくりたいという一心でやっていくうちに、大手会社との取引も舞い込むようになる。「お客から、お前んとこ使いたいんだけど、有限会社じゃあ使えないよって言われて。資金も貯めて、2年後に株式会社にしたんです」仕事が順調にいく一方で、加藤さん自身は相変わらず裏社会とつながっていた。昼間は土木会社の営業をし、夜は裏社会の関係者と飲み歩く。「会社の売り上げから自分の取り分を減らしても、親分に上納金を届けました。どちらの世界にも義理を尽くし、表と裏の顔を使い分ける自分の在りように酔っていたんですね」そんなある日、部下が飲酒運転で民家に突っ込み、即死する事故が起きた。自分と似た境遇で育ち、「社長のようになりたい」と信頼を寄せてくれていた仲間だった。加藤さんは指導する立場の自分の甘さを痛感し、自責の念に駆られる。時を同じくして、暴力団の組織が抗争事件を起こし、業界にいられなくなる事態も起きていた。「それを機に親分がヤクザをやめたので、僕もやめました。親分に惚れてヤクザになったので、もう裏社会にいる理由がなくなったんですね。その方も身の安全は確保されているはずですよ。出家されてるんじゃないですか。親分は、裏社会の人でしたけど、人間味のある人でした。口癖のように言っていたのは、極道とは、“道を極める”ということだったんです」どんな世界でも、堅気の世界であっても、道を極める人間はプロで、尊敬に値するのだと。「それから自分は表の世界で道を極めようと思いました。社員全員にどんな仕事でもこなせるような技術を身に付けさせて、人から求められるような人材に育てよう、そのために自分も社長として、人としてもっと成長しなければならないと決意したんですね」26歳で裏社会との付き合いを断ち切ると決めてから、完全に絶縁するまで、3年の年月がかかった。右翼から嫌がらせを受けたり、地域のチンピラにからまれたり、トラブルが絶えなかったのだ。そのたびにやり直したい、表社会で上を目指したいと自分を奮い立たせたと話す。同時に常習していた覚醒剤も断った。「26歳のときに強いのを打ち込んじゃって、死ぬような思いをして、このままでは自分がダメになると、本気で思ってやめたんです」覚醒剤依存をやめるには、「生きたい」と思える動機を見いだすことが重要だという。「集団生活をしたりして環境や習慣を変えても、そこを出てしまえばまたやってしまう可能性があります。だから、薬物依存も更生も立ち直る中で、大事にしたい人や愛する人など、動機となる人間を見つけることが大事だと思っているんです。その信頼関係があれば、基本的に立ち直れます。でも人間関係が壊れると、どうでもいいってなっちゃうんですよ。孤独になると、ほとんどまた戻っちゃいますね。だから人間関係の力がとても大きいんです」被災地支援で出会った子どもたち加藤さんの支援活動は、更生だけにとどまらず、震災被災地にも波及していく。東日本大震災では、震災2日後に現地入りし、炊き出し10万食以上、物資100トン以上の支援を行った。「千葉の学校の講演会へ向かう途中、首都高の上で地震にあって、そのまま首都高で降りられなくなった人たちの手助けをしました。ニュースで仙台空港が流されている映像を見て、これは早く東北へ行かなきゃと、すぐに水を積んで向かったんですね」当初、現地は本格的に自衛隊が入る前で、壮絶な光景が広がっていた。あちらこちらに横たわる遺体の収容から始めたという。加藤さんのツイッター投稿に感化され、雑誌対談で面識のあったタレントの麻木久仁子が現地入りするなど、支援の連鎖も生んだ。本腰を入れて支援しようと思ったきっかけは、ごみ袋を持って、食べられる物を拾い集めていた2人の子どもを保護したことだと話す。「子どもたちは家が流されてしまって、どこだかわからないので探していると言いました。そのとき、自分が養護施設を抜け出して、家に帰ったときのことを思い出したんですよ。結局、中に入れずに、親父とおふくろと弟が話しているのを外から聞いてただけだったんですけど。大人になってから、どうして親父にあんなに殴られたのに、家に戻ったりしたんだろうって考えたんですが、やっぱり家に帰りたかったんだろうなと気づいて。その子どもたちも自分の家に帰りたいんだろうと思ったら、もう絶対見過ごすわけにいかないと思って、南三陸に入って活動することにしました」それから数か月後、『はまなす学習塾』を開き、学校を失った小中高生に学びの場を提供した。新明建設も東北に拠点を移し、被災者50人以上を採用し、5年間、土木工事や建設工事を行った。震災の日から行動を共にした前出のレオナさんが言う。「地震があったとき、一緒に車に乗っていたんで、これから行くぞって有無も言わさず連れていかれる感じでした(笑)、でも、人を助ける側に回れたらいいなと思っていたので、迷うことなくついていきました」宮城県南三陸町に空き家を借りて、大人数で住み込みをしながら、支援活動を始めた。被災現場を目の前にして仕事をする中で、人々のつらさが身に沁みたという。「被災者の方が、家とか形あるものは何もなくなっちゃったけど、生きているだけで幸せ、みたいなことを話していて、メンタルの強さを見習わなきゃいけないなと思いましたね」瓦礫を撤去していると、お年寄りに感謝され、“私たちもまだ頑張るから、君たちもまだ若くてこれからの人だから、頑張ってね”と言われたことが忘れられないと話す。「加藤さんが非行少年たちをそうした現場に連れていって、いろんな人と関わらせたことにどんな意味があったのか、今となってはよくわかる気がします。そんな機会を与えてもらえたことに感謝しています」被災地は極限状態に置かれた人々の間でさまざまなトラブルが生じることもあった。時として、加藤さんはその調整役も担ったと話す。「最初に避難所の学校に入った人が先住民で、たまたま入れなかった人が部外者という扱いになってしまっていました。もうこれ以上入れないからと誰かが仕切って閉めてしまって、学校に入れないで潰れた家で寝ている人たちもいました。物資を渡しても、いっぺんにたくさん持っていっちゃう人もいて。そうならないように、僕らがちゃんとたくさん物資を持って来週も来ますからと約束をして、安心してもらうようにしたんです」被災者たちに乱暴に物資を放り投げるボランティアもいて、叱りつけたこともあった。「ふざけんじゃねーぞ、この野郎と。優越感に浸ってちゃダメだよと。だんだんと大事にしなきゃいけないものが何なのかもわかってきて、東北の方たちともつながって、チームができあがっていきました」現場の声を吸い上げて、1000件以上のボランティアマッチングも行った。そうした活動が高く評価され、’12年5月に内閣府や国土交通省などが後援する社会貢献支援財団より、社会貢献者表彰を受賞している。’16年4月の熊本地震の際は、発生したその日に、34台の空っぽのトラックで現地へ向かった。「今度は行く先々で物資を積み込んで、熊本に着くころにトラックがパンパンになるようにしました。自分たちで準備していると遅くなってしまうんで、3・11で学んだことを活かしたんですね。Facebookで呼びかけて、調達しながら行きました」熊本へ行くまでにたくさんの飲食物や生活用品が集まったという。憎んでいた父親からの謝罪裏社会と訣別したころ、没交渉だった父親と再会した。父が働いていた料理店のオーナーから、父の容体が悪いと知らせを受けたのだ。その人は母をはじめ親戚筋に引き取ってもらえないかと頼んだようだが、すべて断られていた。「父に会うまでは殺したいほどの憎しみが強かったんです。せっかく裏社会をやめたのに、今、親父を殺したらとんでもないことになるからと、一応自分が暴れたら止めてもらうように、信頼のおける社員2人についていってもらいました」ひとり暮らしをしているという木造のアパートを訪ねると、病気でやせ細った父がパイプ椅子に座っていた。「まずその姿を見て衝撃を受けて、“親父何やってんだよ”って言ったら、親父は“ごめんな”と言ったんです」その言葉を聞いたとき、それまで持っていた怒りや憎しみが消え、「一緒に帰ろう」という言葉が出たという。「あー俺はこのひと言が欲しかったんだって、そのときわかったんです。ずっとおふくろを痛めつけて、俺たちを苦しめて、何でこんなことするのかなってわからなかったんですけど、そのときに、この人、自分が悪いっていう認識があったんだなって知ったんです。俺も甘いですよね、そのひと言で許しちゃったんですから」父のことはその後3年間介護して見送った。母も最後のころは見舞ってくれたという。父の身体を拭いてあげたとき、足の形まで似ていて、自分の身体を拭いているような気持ちになった。一緒に暮らした思い出は少ないが、やっぱり親子なのだと実感したという。「僕も子どもが2人いるんですけど、離婚してるんですよ。奥さんを幸せにできなかったという点では、親父と一緒だなと思っています。大学生になった子どもたちとは交流があって、仲いいですよ。まじめで素直に育ってて、それは元妻に感謝しています」幼いころ、両親の愛情を感じることができなかった加藤さんだが、深い愛情を周囲に注ぐことができるのはなぜか。「親から得られなかった分、やっぱり仲間の存在があったことが大きいですね。小さいころから一緒に寂しさや苦しさを紛らわす仲間がいたからこそ、やってこられたのかなと。中でも新明建設の仲間たちが自分を信頼してついてきてくれたことが大きいです。多くの人から愛をもらってきたことが、今、すべての活動の動機になっています」いじめに関する署名運動も、自分がやりたいと思ったことで、誰かに頼まれたことではない。人を救いたいと思うこと、形にしたいと思うことが大事なのだという。深く結びついた仲間たちと活動する中で、それまで目を背けてきた親との関係にも向き合えるようになった。「おふくろは僕を養護施設に入れたことで、僕を捨てたと思っているみたいで、すまないという気持ちが拭いきれないようです。僕はおふくろにそんなこと気にしなくていいって思っていますし、この人が僕のことを産んで本当によかったって思ってもらえるように、まぁ頑張ろうという気持ちがあります」「誰でもリーダーになれる」’17年、加藤さんは少年更生の経験を活かし、人財育成研修とチームビルディング支援のエキスパートカンパニー『マーヴェラスラボ』を設立。JRやコカ・コーラといった大手を含む500社以上の企業と、学校の人材育成支援を行ってきた。同社の事業部長で、管理者層の研修を手がける日高心陽さん(34)が語る。「50代の経営幹部の方たちが相手だと、最初は腕組みして、どうせいつもの研修なんでしょって感じなんですよ。でも加藤が自分のことをさらけ出して、おひとりおひとりに“人は変われる”ということをお伝えすると、ふんぞり返っていた方たちも、次第にふんふんと聞いてくださるようになるんです」加藤さんは「人はいつからでもどこからでも変われる」と力強く唱えている。「僕みたいに育った環境も悪くて、特別に何かを持っているわけでもないクズが変われたわけですから、誰でも変われます。みなさんそういう環境にいないから、変われるということがわからないんですね」年齢のせいにしたり、絶対無理だと思っている人が多いが、その固定観念を壊すところから始めるという。「僕の使命は努力するすべての人に勇気を与えることだと思っています。人の可能性を最大限に引き上げたいんですよ。一方で、社会の裏側で起きていることにも目を背けてはいけないので、その可能性を奪うような隠蔽や誹謗中傷といった障害物をどかす活動もしています。その両輪で動いている感じですかね」前出の日高さんは、「困っている人を見ると、じっとしていられない人」だと明かす。「自分が幼少期に救われたかったという思いがあるからでしょうかね。仕事でどんなに急いでいても、交通事故があったりすると、すぐ手を差し伸べます。そんなとき、事故現場で動画を撮っている人を見つけると、即行で注意しにいきますね。見た目が怖いんで、みんなすぐ逃げていっちゃいますけどね(笑)」誰にでも自分に与えられた使命があり、それを見つけて追求することが生きる意味だと加藤さんは言う。“一生付き合わなければならない自分”を信じて愛することができたら、必ずその使命に気づけるはずだと。「そうしたら人はいつでも変われます。今はフォロワー量産社会のようで、それはおかしいんじゃないかって思っているんです。みんな顔も性格も違って、それぞれに役割も違うはずなのに、なぜか人と同じことをやりたがるでしょう?誰かを支持するフォロワーになるんじゃなくて、みんながおのおのの使命のリーダーになれるはずなんですよ。自分の人生は自分のものですからね」こわもての元武闘派のカリスマは、やり直しのきく人生を体現している人。人の弱さも痛みも知っているから、やさしさを極めることができる。困った人をほっとけないリーダーが育てたリーダーたちが、次のリーダーを育てていく。〈取材・文/森きわこ〉もり・きわこ ●ライター。東京都出身。人物取材、ドキュメンタリーを中心に各種メディアで執筆。13年間の専業主婦生活の後、コンサルティング会社などで働く。社会人2人の母。好きな言葉は、「やり直しのきく人生」。
2022年04月02日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル最終回』退職後、用事のため保育園に立ち寄った保育士さん。運悪く園長と鉢合わせてしまったのですが、園長は笑顔で話しかけてきた上に、保護者からのクレーム対応の愚痴まで話し出して……。この園長のように、人として問題がある保育者が自分の子どもと関わっているかもしれないと思うと、保護者は安心できません。とはいえ、ポイントで入園する保育園が決まってしまう現在は、保護者が保育園を選ぶのは難しいところがあります。また、実際に入ってみないとわからないこともありますよね。あとから後悔しないためにも、情報収集は大事ですね。また、いじめられている保育士さんに気づいて園長に抗議した保護者のように、「おかしい」と思うことがあればきちんと意見し、毅然とした態度を取ることも、大人として大切なのだとあらためて気づかされました。たぷりくさんの漫画はInstagramとブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年03月08日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第19回』なんとか担任していた子たちの卒園を迎え、やっと退職することができた保育士さん。何事もなかったかのように笑顔で話しかけた上に、愚痴まで話し出す園長……。その態度の変貌ぶりに、開いた口が塞がりません。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年03月07日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第18回』役所を通して、園長に関し問題提起をした元保育士のママでしたが、手紙1枚の張り出しで問題を解決したことにした園長。その対応に、元保育士のママも園長に嫌がらせを受けている保育士さんも唖然としてしまいます。元保育士のママのおかげもあり、ひどい嫌がらせがなくなった保育士さん。なんとか担任をしている子どもたちの卒園を迎え、ついに退職します。その後……。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年03月06日竹田淳子さん撮影/渡邉智裕父親はヤクザの組長、母親はストリッパー。家庭に居場所はなかった。13歳で覚醒剤に溺れ、どん底まで転落。刑務所を出た後、ほとんど一緒に暮らせなかった息子のひと言で更生を誓い、“支援者”としての道を歩み始める。「命さえあれば、いくらでもやり直せる」 と証明するために―。4年間の服役経験「昨日の夜から入居者さんが帰ってこなくて、電源は切れたまま、LINEも既読にならない。一睡もできなかったんですよ……」取材の日、竹田淳子さん(51)は、スマホの画面をしきりに気にしながら現れた。竹田さんは自立準備ホームの寮母を務めている。刑務所や少年院から出所後、帰る家のない人々が自立できるまで一時的に住むことができる民間の施設だ。現在の入居者は外国籍の未成年の少女。薬物や窃盗の罪で、少年院を経て、保護観察中だという。「ウチに来て3か月になりますが、無断外泊は今回で2回目。今日は保護司さんとの面談が入っていたのにドタキャン。さっき慌てて電話で謝り倒したところです。これ以上、保護観察所の心象を悪くしたら、ひとり暮らしもできなくなってしまうから」少年院に入所中、高卒認定試験に挑戦し、合格。出所後は、竹田さんの目の前で昔の仲間たちの連絡先をみずから消去してみせた。そんな少女を信じ、竹田さんは知人の運営するカフェでアルバイトができるよう頼み込んだ。勤務態度はまじめ。カフェで働きながらお金を地道に貯めていた。海外のラッパーに憧れ、ダンスを習いたいと夢も語っていた。「私にとっては、まだ3か月。彼女にとってはもう3か月頑張った……なんですよね」寂しそうにつぶやく竹田さん。ひと晩中、心配していたのだろう。疲労が滲む表情で力なく笑った。◆◆◆2019年8月、竹田さんは一般社団法人『生き直し』が運営する自立準備ホームの女性寮の寮母に立候補した。出所者のほか、執行猶予や罰金刑も含む有罪判決を受けた人、不起訴などで釈放され帰住先がない人も対象にしている。個々のケースにもよるが、平均して2~3か月以内に仕事を見つけるなど自立の準備をサポート。1人あたり1日1000円の食費が法務省から支給されるという。これまで埼玉県にある竹田さんのホームには6人が出入りしてきた。「最初の入居者は、統合失調症の40代の女性でした。ほかの施設で断られて行くところがなく、クリスマスイブの夕方にやってきました。もしウチが断っていたら、ホームレスになるしか……」それがどれだけ心細いことか、身をもって知っていたからこそ、受け入れようと決めた。だが、年明けにホームで暴れ、警察に通報せざるをえなかったという。2人目は、傷害事件を起こして保護観察中の20代女性。ホームで包丁を持ち出し、事件を起こす危険を感じて、またしても警察に通報した。3人目は、薬物所持で執行猶予中の20代の女性。売春で生活費を稼いできたため、働いた経験はなかった。「身体のあちこちに刺青があり、付き合う男はホストか半グレばかり。麻雀店でバイトしても“かったるいから”とすぐ辞めてしまいました」妊娠して寮を卒業したが、今も彼氏とケンカをするたび連絡が来る。ホームを出た後も、“真の自立”を願い、見守り続けるケースもある。「10人に1人、生き直しできればいいほうです。女性は特に厳しいですね。金銭面や精神面で男性に依存していた人の場合、出所後にゼロから生活力をつける必要があります。その弱さに付け込んで再び犯罪の道に引きずられ、搾取される標的にもなりやすい。何度も騙されて“やっぱり私は幸せになれない”と自己否定感が強くなると、“何も考えたくない” “刑務所の中のほうがラクだ”と思ってしまうんです。私もそうでした」竹田さん自身も詐欺未遂と覚醒剤取締法違反で34歳から4年間、刑務所に服役した経験を持つ。「私は出所後にアパートの部屋を借りることができず、ホームレスを経験しました。ビルの階段で一夜を明かしていたら通報されて。警察官に覚醒剤をやっているのではないかと疑われ、留置されたこともありました。していないのに!」刑務所を出所した後こそが地獄─。どんなに心を入れ替えようと、風当たりは強く、一度罪を犯した者への差別や偏見は容赦ない。だからこそ、竹田さんは「更生」への意欲が削がれる前にホームで「生き直し」のきっかけをつくりたいと必死なのだ。「出所後にうちのホームで問題を起こして、また刑務所に入ることになれば、次に出てきたときは、一度関わった私とはコンタクトがとれない。ただでさえ少ない“味方”が減るんですよ。もったいないと思います」親身になって心配をしても、なかなか思いは届かない。それでも、更生に向かう人の気持ちに寄り添える自負がある。「この仕事は、今の私にできる天職ですね。あ、あの子から連絡きました!“ごめんなさい”って(笑)」スマホの画面に目を落とす竹田さんの顔がパッと華やいだ。無断外泊していた外国籍の少女からのLINEだった。前科者に厳しくしない理由「うまくいかないことも多いけど、ちゃんとホームから卒業できた人もいるんです」竹田さんが紹介してくれたのは、三浦加奈さん(仮名=51)。私立の中高一貫校で教師をしていたが、父親をがんで亡くし、母親の介護のために30代で辞職。三浦さんの人生は一転した。「自分の意思で決めたことなのに、ものすごい挫折感を味わい、19歳のころから悩んでいた摂食障害が悪化して……万引きを始めました」パン1つから始まった万引きも、気がつけば大きなバッグを担いで洋服や靴やバッグまで盗む重症のクレプトマニア(窃盗症)に陥り、現行犯逮捕。懲役2年の実刑を終える目前、一度は身元引受人を申し出た姉が辞退。唯一の身内に縁を切られてしまう。民間の自立準備ホームはどこも満室で『順番待ち』だったが、依存症治療を担当していた精神保健福祉士の紹介で竹田さんのホームへの入居が決まったという。そこでの生活は三浦さんの想像とはまったく違っていた。「竹田さんは温かい笑顔をされる方だなぁというのが第一印象。同い年ということもあり、親しみやすかった。おそれ多いんですけど、お友達と2人暮らしをさせていただいているような。刑務所のようにルールがたくさんあるのかと思ったら、夢のような条件でびっくり。韓国風焼き肉とか、きのことたまごのスープとか、栄養がありそうなものを作ってくれて。食事の時間は楽しみのひとつでした」規則が厳しいホームもあるが、竹田さんは、入居者に細かいルールを強制しない。いずれは1人で世間の荒波を乗り越えていかなくてはならない。自分の甘えに負けてはいけない。だから自主性を尊重するのだという。竹田さんと何げない日常を過ごす中で、「自立」のコツを教わったと三浦さんは振り返る。「かつての私は、“摂食障害です”と言い訳して、自分のことができていなかった。0か100で、思いどおりにならないと自虐的に自己否定する。誰かに何かをしてあげたら、見返りを求めて、他人の評価が価値基準になっていました。でも、淳子さんはどんなに忙しくても優先順位をつけ、取捨選択して、息抜きも上手。見返りを求めず、人のために動ける。その堂々とした姿を見て、私も自分で自分を評価できるようになりました。それが大きかったですね……。ちゃんと私を信じてくれた淳子さんに応えるのがせめてもの感謝。そんな気持ちが私の中に芽生えました」三浦さんは、1か月でホームを卒業。週に2度仕事をして、ひとり暮らしをしている。通信講座で「児童心理カウンセラー」の資格を取り、困っている子どもに寄り添いたいと夢への一歩を踏み出した。更生への厳しい道のりはまだ始まったばかりだ。ホームを出る日、竹田さんは笑顔でこう見送ったという。「いつでも来ていいんだよ。1人で寂しかったら、ご飯を食べにおいで」竹田さんが所属する一般社団法人『生き直し』の代表・千葉龍一さんは「困ってる人を放っておけないタイプ」だと語る。「真冬に出所したおばあちゃんが、矯正施設から放り出されそうになったところに出くわしたとき、“ここから出たら死んじゃう!”と矯正施設の人に掛け合っていた姿が忘れられませんね。入居者と下の名前で呼び合うなどコミュニケーションのとり方もうまい。でも、怖いもの知らずで、困った人のためならどこへでも行ってしまうから、ハラハラすることもあります」竹田さんの支援活動は、公益社団法人『日本駆け込み寺』のボランティア活動から始まった。毎週土曜日夜8時から新宿歌舞伎町で、相談窓口の電話番号を書いたティッシュを配って歩いた。やがて個別の相談をLINEでも受けるようになると、少女たちからSOSが届いた。竹田さんは彼女たちを救うためなら、大胆な行動も躊躇わなかった。少女を性虐待から守りたい!「お前は誰だ!! 帰れ!!」「お父さんが怒ることじゃない。怒りたいのは、娘さんのほうだと思いますよ」怒りに震える父親に対して、竹田さんは冷静だった。「とにかく、娘さん妊娠しているから、堕ろさないと間に合わなくなります」実の父親から性虐待に遭い、妊娠6か月だった17歳の少女の自宅に乗り込むと、父親は竹田さんの靴を玄関の外に投げ捨て、殴りかかろうとする勢いで拒絶した。「あなたを告発しようとしてるわけじゃない。でも次、娘さんに何かしたら警察に訴えます」竹田さんは彼女を救うことだけを考え、説得に臨んだ。「少女から最初の連絡をもらったのはツイッターのダイレクトメッセージ。“交通費を払うので、カウンセリングに来てください”と。“未成年だからお金はとらないよ”と返信して事情を聞きました」母親が出ていった小学2年生のころから性的虐待が始まった。中学生になり、少女はそれがレイプだと初めて知った。そして妊娠─。事情を知った竹田さんは、じっとしていられず自宅に乗り込んだ。「父親に二度と手を出さないと約束させ、環境を変えることはできました。でも、堕胎の段取りを進めていた矢先、父娘ともにコロナに感染して、自宅で出産してしまいました。出ていった母親に連絡を取り、事情を伝えて、今は母親と2人で子どもを育てながら生活しています」一刻を争う事態だった。彼女を性虐待から救えたものの、「もっと早くSOSを受け取れていたら……」との思いが込み上げる。「父親は小学校の教師で、“いい先生”と呼ばれていることを知って愕然としました。実の父親から性被害に遭った例は、報道されないだけで山ほどあります」ほかにも母親の彼氏にレイプされた少女から相談を受け、竹田さんが母親に手紙を書いて男と別れさせたこともある。性的虐待の相談は、今も数多く寄せられ、竹田さんはそのたび、怒りに震えている。「私、魔女になりたいんですよ。こういう男たちのチンコを爆発させる薬が開発されればいいと本気で思う!」そう話す竹田さんにも、長い間、人に話せずにいた壮絶な過去があった─。性被害の末、母に捨てられて1970年、暴力団員の父親とストリッパーの母親との間に竹田さんは生まれた。「生まれてすぐに生存率50%の難病・結核性髄膜炎にかかっていることがわかり、入院。生死の境を彷徨いました」退院後、預けられたのは父方の祖父母の家だった。「母は全国を旅するストリッパーだから会えても月に1度くらい。父は刑務所を出たり入ったりしていて、ほとんど会えませんでした」小学校の連絡網に両親の仕事を書く欄があり、父が暴力団関係者で母がストリッパーであることが知れると、学校では壮絶なイジメに遭う。1年生から不登校になった。「小1のとき、和式のトイレの掃除をさせられ、汚い水の中に頭を突っ込まれました。悲しくて家にあった置き薬を全部飲み、自殺を図ったこともありました。小2になって、勇気を出して学校に行くと、クラスメートに教科書を隠されて。“忘れました”と先生に言うと、冷たい廊下に正座させられました。トイレに行きたくなり先生に言っても“我慢しなさい”と叱られ、粗相して。みんなに笑われたときは、生きた心地がしませんでしたね」それ以来、祖父母は「学校に行かなくてもいいよ」と家庭教師をつけてくれた。孫に甘い祖父母だった。小学4年生のとき、両親は離婚。ストリッパーを引退した母親との同居生活が始まる。「母が呼び寄せてくれたときは、本当にうれしかった。母は華やかできらびやかでアイドルみたいで憧れていました。当時は“私も母の後を継いでストリッパーになりたい”と密かに思っていました」しかし、母との同居生活中、性虐待に遭う。「ヒモらしき男が母のいないときを見計らってやってきていたずらされたときはショックでした。ヒモにぞんざいな態度をとると“なんで愛想よくできないの” “パパになるかもしれないんだよ”と言われ、“なんでこんな男といるんだろ。お母さん早く気がついて”と心の中で叫んでいました」そしてある日、母親が突然失踪してしまう。事情を知らない竹田さんは家で不安を抱えたまま数日間を過ごした。「帰りが遅くなったり、帰ってこない日もあったので、最初のうちは気がつきませんでした。ところが、怖いおじさんが家に来るようになり、母が借金取りに追われていなくなったことを知りました」母親はストリッパーを引退した後、劇場の経営に携わったが、火の車。周囲からお金を借りて、蒸発した。「最初は母がさらわれたんじゃないかとか、母はご飯をちゃんと食べてるのか、とか心配していたんです。でも、日がたつにつれ“私は捨てられたんだ” “お母さんに愛されていなかったのかな” “大病したのも、いじめられたのも生まれてきてはいけない子だからかな”と悲しい思いがこみ上げてきました」1人になった竹田さんは、母親の妹夫婦の家に預けられた。しかし、子育てをしたことのない夫婦は、反抗的な態度をとる竹田さんにどう接していいのかわからず、飼っていた猫ばかり可愛がる。竹田さんのイライラは頂点に達しつつあった。「私は母に捨てられたかわいそうな子ども。なのに、みんな私を無視する。もっと私を見て、私と喋って。そんなやり場のない怒りから、私は飼っていた猫を高いところから落としてしまいました」取り返しのつかないことをしてしまった竹田さんは、家を追い出され、親戚中をたらい回しにされた。暴力事件を起こし、教護院(現在の児童自立支援施設)に預けられたのは小学5年生のとき。施設でも荒れに荒れ、問題を度々起こした。覚醒剤、レイプ、自殺未遂中学1年のとき、再婚をきっかけに迎えにきたのは父親だった。「暴力団の組長になっていた父は、親分として一家を構え、違法なポーカーゲーム店も何軒か経営して羽振りもよかった。家と棟続きの事務所では賭場が開帳され、丁半博打に勝ったお客さんからお小遣いをもらえた。私は毎晩のように友達を引き連れて、渋谷のディスコまでタクシーを飛ばして遊びに行きました」横浜市内から10万円のお小遣いを握りしめて渋谷へ。中1にもかかわらず、ディスコだけでは飽き足らず、ホストクラブに入り浸ることもあった。「ファミレスに行ったら、友達が遠慮するから“なんでも好きなもの食べな”と言ってメニューを上から下まで全部頼む。ホストクラブでは、財布ごと渡してお会計をする。みんな私がお金を持っているからついてくるのに、偽物の優越感に浸っていました」初めて覚醒剤に手を出したのも中学1年のときだ。事務所に行くとパケに入った覚醒剤が無造作に置いてある。ある日、ひとつくすねたら、若い衆に「やったら死んじゃうんだよ」とたしなめられた。しかし、組長の娘は一歩も引かなかった。「くすねたのがわかったら、あんたが殺されるよ」そう脅して、初めて身体に入れた。「ほんの好奇心から手を出しましたが、打った瞬間に両親に会えなかった悲しみや、いじめられたこと、母に捨てられたこと、母のヒモにいたずらされたことなど、嫌なことを全部一瞬で忘れられた。すごい薬だと思いました」竹田さんは、あっという間に覚醒剤に溺れ、依存─。転落の始まりだった。「中2のとき、不良仲間にレイプされ妊娠していることがわかりました。堕ろしたくても親を連れてこいと言われる。でも、そんなこと、口が裂けてもウチの両親には言えない。衝動的に家にあった漂白剤を飲んで自殺を図りました」一命はとりとめたものの、胃洗浄の衝撃で赤ちゃんは流産。2週間ぶりに家に帰ると、両親は捜索願を出すどころか、「おかえり」の言葉ひとつかけてこなかった。「私が自殺するほど悩んでいたのに、私の姿が見えているのかな?と……。この家にも居場所がないと思って、高校を2週間でやめ、家を出て水商売の世界に入りました」継母の紹介で住み込みのパブクラブで働き始めた。16歳のとき、店の関係者と結婚。夫は束縛が激しく、何度も暴力を振るわれた。その夫から逃げるため、今度は店舗型の風俗店で働き始めた。竹田さんにとって風俗の世界は「私の居場所」と思えるほど居心地のいい場所だったという。「風俗はお客さんが私を求めて来てくれる、私を必要としてくれる。すぐにお金になるし、頑張れば頑張るほど自分の価値が上がる世界に私はやりがいを感じるようになっていきました」もう親戚をたらい回しにされたり、束縛や暴力に苦しめられることもない。ヘルスを皮切りにソープやデートクラブなどの風俗店で働くようになり、2度目の結婚。やがて、子どもを身ごもったことに気がつく。「もう妊娠はできないかもしれないと思っていましたから、一切ドラッグをやめてこの命を育てていこうと心に決めました。覚醒剤依存の夫婦の間にまともな子どもが生まれるのか、不安で仕方なかったですね」22歳のとき、一粒種の旭彦さんを無事に出産。この子のために生きていこうと誓った。しかし2番目の夫は薬物依存から抜け出せず、家の中で花火を何発も打ち上げて自宅が全焼。乳飲み子を抱いて竹田さんは裸足で逃げ出した。離婚を決め、ひとり親になると、昼も夜も働き詰めの生活が待っていた。竹田さんは疲労をごまかすように、また覚醒剤に手を出してしまう。「早朝から風俗で働き、夜遅くまで水商売で働く生活は睡眠もまともにとれず、気づけば、子育ての忙しさを理由に覚醒剤を打つようになっていました」28歳のとき、3度目の結婚。夫婦そろって薬漬けの日々が続いていたある日、職務質問され、覚醒剤不法所持で逮捕。初犯のため執行猶予がついた。だがその矢先、2人は中国窃盗団の片棒を担ぎ、詐欺を手伝ったことで現行犯逮捕。34歳のとき、笠松刑務所で懲役4年の刑に服することになった。前科者への冷たい仕打ち刑務所の中で過ごした4年の間に、竹田さんは病を発症した。腹痛と出血に苦しみ刑務官に訴えたが、「詐病でしょ」と言って取り合ってもらえなかった。半年後、懲罰になっても構わないと思った竹田さんは、「検査しろ!」と刑務官につかみかかった。結果は、子宮がんで全摘出。帰りの車の中で泣く竹田さんを見て、刑務官は、「嫌だったら、こんなとこ来なきゃいいんだ」と吐き捨てた。医療刑務所に移送され、手術と治療を終えた半年後、4年の刑期を終えて出所。待ち受けていたのは厳しい社会の現実だった。「地道に昼の仕事をしないと“普通の人じゃない”という感覚があって。やり直そうと思って、スーパーのレジ打ちのアルバイトを始めました。でも、1か月たったころ、店長から“隠していることがあるよね。前科あるでしょ。そういうのウチいらないから”と突然言われてクビになり、バイト料ももらえませんでした。仕事にも慣れて、顔見知りのお客さんができてきたころで……悔しかったですね。生き直そうとしても、働かせてもらえない……愕然としました」その後、クラブでママの仕事を始めた。水商売に戻っても、覚醒剤や犯罪には手を染めたくないとの思いで、仕事は慎重に選んだという。6年後、風俗店で働く女性の相談に乗る「ラブサポーター」に転身。占い師に弟子入りし、勉強も始めた。友人の佐野さん(仮名=53)が当時を振り返る。「出所後に知り合ったのですが、自分のことよりも人のために何かをするとなるとすごいエネルギーが出る人でした。“仕事は人を喜ばせること。その喜びを得るチケットを私から買ってもらった。だから、私は頑張る”と言っていたことをよく覚えています」仕事が波に乗ってくると、竹田さんは服役中の夫と離婚。夫の詐欺事件に加担した罪を償うため、弁護士を通して弁済を申し入れた。「ヤクザの世界では“夫に言われたことはやるのが当たり前”で、善悪の判断がつかなくなっていた。すごく後悔しています。ただ、弁済を申し出ても“気持ちが悪い”と受け取らない方もいて……。服役したから、罪を償って終わりだとは思っていません」新たな一歩を踏み出した矢先、摘出した子宮がんが卵巣に転移していたことが発覚。再び試練に直面する。息子が語る、母への想い「どうして、こんなつらいことばかり起きるのか……」竹田さんは自分の人生を呪った。唯一の心残りは、ひとり息子の旭彦さんのことだった。出所後、息子に会いに行き、「お母さん、もう長くないかもしれない。ごめんね」と詫びた。中学生になっていた息子は、ただひと言つぶやいた。「長生きしてな」竹田さんはわが耳を疑った。「“えっ、私長生きしていいの?”と……。自分の存在を肯定された気がして、じゃあ、しっかり生き直そう。覚悟を持って生き直そうといった思いが湧き上がってきました」この息子のひと言が、本気で生き直すきっかけを与え、竹田さんは、少女たちの相談事業や自立準備ホームの寮母など「支援活動」に精を出していく。息子の旭彦さんは母親をどう思っているのだろうか。「僕にとって母は、たまに帰ってくる人で、世間でいう“単身赴任中のお父さん”みたいな感じでした。実の父親と暮らしていましたが、まわりの友達もひとり親が多く、みんな家族のように育ちましたから、寂しさはありませんでしたね。小3のときに一緒に暮らした時期があり、楽しかったことを覚えています。僕は朝が苦手で、毎朝母にフライパンを叩いて起こされたのが思い出かな(笑)」現在、29歳の若さでリフォーム会社の社長を務める旭彦さん。「グレずにまっすぐ育ったことが不思議……」と母親である竹田さんが漏らしていたことを告げると、こう笑い飛ばした。「中学生のとき、付き合った彼女のお父さんが配管工で、住み込みで働き始めたんです。その職場が昔気質の超スパルタ教育!仕事が厳しすぎて、グレる暇もありませんでした。この師匠のおかげで誰よりも早く一本立ちすることができました」中学2年生のとき、長く会えずにいた母親から一通の手紙が届き、刑務所に入ったことを知ったという。《会えなくなってごめんなさい》そう手紙に綴った竹田さんは、「私を捨てた母親と、自分も同じことをしている」と猛省していた。「私は母が借金取りに追われ失踪したときに“捨てられた” “母に愛されていなかった”と思い、母のことを恨みました。ところが息子は私が刑務所にいたときも“なぜ?”と責めず、恨み言ひとつ言わない。そんな息子を見て、私も母を恨んではいけないと思うようになりました」2019年11月、数えで50歳を迎えた竹田さんは、生前葬を行った。生きているうちに、出所後に出会った人々へ感謝の気持ちを伝えたい。そんな思いから、誕生パーティーも兼ねて開いたという。会場にはおよそ80人の友人が集まった。喪主を務めた息子の旭彦さんが挨拶に立ち、「母の子どもに生まれてよかったと思います」と話すと、竹田さんは大粒の涙をこぼした。旭彦さんはその日のことをこう振り返る。「出所後にたくさんの人と出会って、母のために集まってくれるって……それだけ今の母は愛されてるってことじゃないですか。それが、すごいことだなと思って。薬物で捕まっていたような人がちゃんと立ち直れた。そこを尊敬していますね」旭彦さんの誕生日には、毎年「生まれてきてくれてありがとう」のメッセージが母親から必ず届くという。「黒い世界には戻れない」現在、竹田さんは、風俗店で働く女性の相談に乗る「ラブサポーター」の仕事や、占い師の仕事で生計を立てる傍ら、自立準備ホームの寮母や相談事業もこなし、全国で講演会も行っている。今年1月、神奈川県・横浜市で竹田さんの講演会が開かれた。非行少年や子どもの支援活動に携わる多くの人が、竹田さんの言葉に耳を傾けていた。「どん底まで落ちても命さえあれば、いくらでもやり直すことができる。今朝起きられたこと、ご飯を食べられたこと、そんなことにも感謝して生きていけたら幸せ。そう思える人を1人でも増やせるように、この仕事に携わっていけたらと思っています」元受刑者で、現在は出所者の支援に携わる30代男性は、講演会の感想をこう話す。「自分も虐待を受けて育ち、施設生活が長かった。ケンカが原因で少年院に入った経験もあります。出所後、社会に出ていくことがいちばん大変というところに共感しました。味方になってくれる人がいたら、その人を裏切らないために、自分もちゃんと生きようとまじめになれる。僕もそんな存在になりたいですね」竹田さんが講演会で必ず、投げかける言葉がある。「みなさん、私と同じ環境で生きてきたら、私のようにならない自信はありますか?」前科者をひと括りに“自業自得”と切り捨てず、罪を犯す前の境遇にも目を向けてほしい─そんな思いが込められている。「黒歴史を語ると、批判されるし、最初はしんどかった」と前置きし、竹田さんは罪を犯した過去を赤裸々に語る理由を話してくれた。「今を見てほしいんです。過去のことに囚われるだけなら、前に進めない。私は私の黒歴史を変えたい。禊というか、白い修正ペンでちょっとずつ白い面を多くして、生き直せることを証明するために話しているんです。真っ黒を真っ白にすることだってできると。だから黒い世界に戻ることは絶対できないんです」その言葉には、いまだ竹田さんも「更生」の最中であるような気持ちがうかがえた。出所者を自立準備ホームに迎え入れるたび、「竹田さんを裏切れない」と語り、自立していく人が1人、また1人と増えていく。そのたびに、「私もこの人たちを裏切れない」という竹田さんの誓いも強くなっていく。先を歩く、生き直しの先輩として─。【個人相談窓口】相談できる相手がいない方、苦しくなったらツイッターからDMください。竹田淳子@lovesapojt1101〈取材・文/島 右近〉しま・うこん ●放送作家、映像プロデューサー。文化、スポーツをはじめ幅広いジャンルで取材・文筆活動を続けてきた。ドキュメンタリー番組に携わるうちに歴史に興味を抱き、『家康は関ヶ原で死んでいた』(竹書房新書)を上梓。
2022年03月05日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第17回』園長による保育士さんへの嫌がらせは、保護者たちに見られていました。元保育士のママが、直接園長と話しますが……。今までの経験を元に行動してくれていた元保育士のママでしたが、園長の行動はそれすらも上回るものに。詳細すら記載されていない手紙1枚の張り出しだけで、問題を勝手に解決したことにしている園長の姿に、2人は唖然としてしまいます。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年03月05日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第16回』園長のことを役所に連絡した保護者は元保育士でした。裏事情をなんとなく察しつつ、保育士さんのがんばりをしっかりとみていてくれた彼女が、実際に園長と話した内容とは?保育士さんへの園長による嫌がらせは、しっかり保護者たちに見られていました。その点も含めて、園長に要望を伝えた元保育士のママでしたが……。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年03月04日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第15回』担任をしている子どもの保護者が、園長について役所に連絡をしたことを知った保育士さん。内容が気になり、さりげなくその保護者のママに聞いてみることに。役所に連絡をしてくれた保護者のママは、なんと元保育士! さまざまな裏事情を察しつつ、保育士さんのがんばりをきちんと見てくれていました。実際に彼女が園長と話した内容とは? 続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年03月03日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第14回』園長への不信感が募り、保護者により役所に電話されていたことを知った保育士さん。勇気を出して、園長と話したこと、役所と話したことを聞くことにした保育士さん。保護者から語られたことは……。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年03月02日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第13回』ホールでの消灯事件を子どもから聞き、園長に問い詰めた保護者。納得のいく回答もなく、誤魔化そうとする姿勢に不信感を覚えた保護者は、ついには園長のことを役所に連絡することに。保護者が何を話したのか気になる保育士さんは……。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年03月01日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第12回』子ども達の練習中にホールの電気を消されたり、無視されたりと、嫌がらせを受け続けている保育士さん。ホールでの練習中に電気を消されたら、子ども達は驚いてしまいますよね。そのことを親に話す子どもがいたのは、当然のことです。保護者の耳に入り、ついに役所に電話をされてしまった園長でしたが……。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年02月28日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第11回』子ども達がホールで練習している中、電気を消した園長。我慢できなくなった彼女は、ついに園長にはっきりと言い返します。園長の無視は続いているものの、なんとか発表会をやり遂げた保育士さん。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年02月27日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第10回』なんと、子どもたちが練習中にもかかわらず、ホールの電気を消した園長。さすがにこれは酷すぎる……。子ども達にまで影響が出はじめたこの状況に、彼女は頭を悩ませます。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年02月26日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第9回』保育に必要なものを購入してもらえなかったり、ホール使用申請が却下されたりと、園長による嫌がらせは保育にまで影響が出るように。えっ!? 子ども達もいるのに電気を消した? 続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年02月25日→今までのお話はこちら→前回のお話はこちらいじめ騒動には複数の子が関わっていたのに、タケくんだけが責められる事態に。夫は専門家から「タケは正常」という言葉が出るまでは何もしないといい……!?スクールカウンセリングとは?(漫画:大原由軌子『息子がいじめの加害者に? 大原さんちの大ピンチ』(文藝春秋)より抜粋/マイナビ子育て編集部)→今までのお話はこちら<関連リンク>→【まとめ】ゲームをめぐってママ友との確執が…「小学生のゲーム機トラブル」一気読み→近所のおばあさんに息子を連れ去られた話『漫画隣人』イッキ読み!→【漫画】夫は総菜が気に入らない。疲れ果てた妻はついに倒れて……『いいから黙って食え!』イッキ読み!書籍『息子がいじめの加害者に?大原さんちの大ピンチ』についてある日突然、自分の子どもがいじめの加害者だと言われたら……!?故郷の佐世保に一家で移り住んだマンガ家の大原由軌子さん。息子たちも地元の暮らしに溶け込み、ようやく落ち着いてきた矢先、小学生の長男がいじめの加害者だと告発されてしまいます。被害者の児童の親に謝罪はしたものの、教師に息子を精神異常者扱いされたり、全校児童の前で吊るし上げにあったりと、一家は四面楚歌に。由軌子さんも精神的に追い詰められていきますが、元編集者のダンナさんが調べたところ、相手の親にも不審な点が出てきて……。ネット上で賛否両論、大論争を巻き起こした話題の電子書籍を単行本化。息子がいじめ被害者だった前日譚をはじめ、数々のエピソードを追加した増ページ完全版です。子どもがいじめ加害者と訴えられたとき、親はどう向き合い、どのような対応をとるべきか。リアルなエピソードと対処法が満載の実話マンガです。大原由軌子さんのプロフィール1970年生まれ。長崎県佐世保市出身。美術系短大卒業後、グラフィックデザイナーとして14年間、都内に勤務。2006年、パニック障害+神経症持ちの夫との日々を描いた『大原さんちのダンナさんこのごろ少し神経症』(文藝春秋)でデビュー。著書に『お父さんは神経症』、『京都ゲイタン物語』(文藝春秋)、『大原さんちの2才児をあまくみてました』(主婦の友社)、『大原さんちの食う・寝る・ココロ』(集英社)などがある。2012年より「まぐまぐ!」からメールマガジン「大原さんちの九州ダイナミック」を週刊で配信中。
2022年02月24日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第8回』どんどんエスカレートする園長の嫌がらせ。ついには保育に支障をきたす事態に……。言いたいことがあっても、子ども達が不利益を被らないよう、なんとか我慢する保育士さんでしたが……。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年02月24日⇒これまでのお話はこちら⇒前回のお話はこちら『園長がいじめ!? 保育園トラブル第7回』職員会議の場で、園長は保育士さんのこれまで頑張ってきた保育を否定し、個人攻撃を開始しました。嫌がらせがどんどんエスカレートしてきた園長。子ども達のためになんとか踏みとどまっていた保育士さんでしたが、園長の嫌がらせは保育に支障をきたすようになるのです。続きます。----------------------------ご協力:たぷりくさんInstagram:@taprikooブログ:たぷりくブログ---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)<<『園長がいじめ!? 保育園トラブル』をすべて読む>>
2022年02月23日