アイドルグループの『関ジャニ∞』が、ジャニーズ事務所のYouTubeチャンネルで歌唱動画を公開。社会貢献・支援活動を行う『Johnny’s Smile Up ! Project』の一環として、多くの人を歌で励ましました。その中で、メンバーの安田章大さんは自身が2017年2月に患った、脳腫瘍の1つである『髄膜腫(ずいまくしゅ)』の後遺症について明かし、日々の葛藤を明かしました。安田章大「全然強くなれない自分がいる」動画では、メンバー5人でスポーツ番組『熱闘甲子園』(テレビ朝日系)の2014年のテーマソングとなった『オモイダマ』を熱唱。歌唱前に、安田さんはこのようにコメントを残しました。関ジャニ∞のファンのみなさんが僕に教えてくれた言葉なんですけど、弱っている時は強がらなくていいよって、しんどい時はしんどくていいよって教えてくれたんです。だから今はみなさんもしんどい時はしんどいでいいと思います。だってしんどいですもんね。まあそれはちゃんとつらいはつらいで受け止めて、つらいをしっかり感じたのちにまた新しく明るい未来に向かって一歩、半歩でもいいですからゆっくり歩んでもらえたらなと思います。Johnny’s officialーより引用また、メンバーから歌唱動画の前後に、1人でメッセージを発信する機会を貰ったという安田さん。歌唱後には、頭の手術跡を見せながら病気の後遺症について明かしました。今もその後遺症が正直残っているんですよね。日々葛藤しています。全然強くなれない自分がいるし、けど仕方がないことなんでね。このメガネもそうで、この色付きのメガネをつけないとステージとかテレビには、日常生活も無理なんで。けど、それでも芸能界に身を置こうと思えたのは、やっぱりすごく大切な仲間と、大切なスタッフさんとか、大切な応援してくださってるファンのみなさんとかもういっぱいです。いろんな人たちが支えてくれているからです。だから覚悟を持って今、僕は皆さんの目の前に立っています。こうやって関ジャニ∞から生きる力を受け取ってもらいたいなと思って届けています。Johnny’s officialーより引用テレビ番組に出演する際や、コンサートでも色付きのメガネが手放せず、日常生活もままならないと吐露した安田さん。それでも、さまざまな人の支えがあって、活動を続けられているといいます。最後は前向きなメッセージで動画を締めくくりました。関ジャニ∞もみんなで必死に闘っています。みなさんもなんとかしんどい思いをしていると思いますが、生き抜いて未来を勝ち取ってやりませんか。一緒にこの先も旅をしませんか。頑張りましょう。頑張るというか楽しんでいきましょう、笑っていきましょう。小さな幸せを見つけて歩みましょう。Johnny’s officialーより引用動画には、同じく病気で闘っている人からもコメントが寄せられていました。・長年病気と闘っています。「生き抜いて未来を勝ち取ってやりませんか」という言葉にとても励まされました。・しんどい時は、しんどいでいいのかと気付かされました。ありがとうございます。・医療従事者です。毎日つらいですが、『オモイダマ』で元気付けられました。・私も髄膜腫の後遺症に葛藤しています。病気を受け入れられない時もあるけど、安田君に生きる力をもらいました。安田さんの言葉に、病気と闘っている人だけでなく多くの人が励まし、勇気づけられたようです。[文・構成/grape編集部]
2020年05月26日俳優で歌手の山下智久が16日、自身のインスタグラムでライブ配信を実施。昨年7月9日に亡くなったジャニー喜多川さんへの感謝を語った。インスタグラム開設1周年の記念日にインスタライブを行った山下。「僕にとって大事な記念日なのでみなさんと、感謝の気持ちも込めて一緒に共有させていただけたらなと思っています」と伝え、これまで投稿した写真を振り返りながら思い出などを語った。ジャニーさんへの思いをつづった7月10日の投稿も振り返り、「これはジャニーズに入りたてのときの写真。実は腕を骨折しているときなんですけど、この骨折が僕のジャニーズ人生を変えてくれたのかなと、今考えると思う。初めてのジャニーズJr.の番組の収録があって、その日にうれしくてはしゃいじゃって、体育の時間かなんかで骨折しちゃったんですよ。病院行って、すぐ手術したほうがいいという話だったんだけど、今日を逃したら僕はもう呼ばれることはないだろうと思い(現場に行った)。当時の怖いダンスの先生に『根性あるな』って言われて」とエピソードを披露。「それからたくさん現場に呼んでいただけるようになり、このときの気持ちがつながったのかな」と話した。続けて、「ジャニーさんが旅立ったのでそのときに、ジャニーさんへの感謝とか、みんなにすごいプロデューサーがいたんだっていうことを忘れないでほしいなっていう思いでこれを投稿させていただいた」と説明し、「ジャニーさんは僕の人生を輝かしいものにしてくれた最も尊敬する方なので、僕の中にはずっと生きてますし、今も見てるんじゃないかなと思っています」とジャニーさんへの思いを語った。そして、「僕が何かやりたいっていうことに対して、基本的に全部『YOUやっちゃいなよ』ってやらせてくれた。時には失敗したりもしたけど、それも含めて『やっちゃいなよ』って言ってくれるあの育て方は僕にはありがたかった。山下はこういう性格だから、やっちゃいなよって言ってくれていたんだろうなと思います。ジャニーさん、ありがとう!」と感謝。さらに、「不思議でさ、本当は夏前、海外ドラマの撮影でスペインに行かなきゃいけなかったんだけど、行く1週間前くらいに、ビザが下りないから予定の日に行けないってなって。2週間くらい延びちゃったんだけど、その間にジャニーさんに直接会ってお別れすることができたんだよね。それは感慨深いなというか、最後ちゃんと『俺、頑張ってくるよ』って直接報告させてくれたのかなって」と振り返り、「たくさん思い出があって、これだけじゃ語り尽くせないんですけど」と優しい笑顔を見せた。
2020年05月16日アイドルグループ・関ジャニ∞が24日、ジャニーズ事務所の公式YouTubeチャンネルで、動画「Smile Up ! Project~For Heroes~関ジャニ∞」を公開。同グループの楽曲「ひびき」を熱唱し、医療従事者にエールを送った。同曲は、災害派遣医療チーム(DMAT)の奮闘を描いた大倉忠義主演のTBS系ドラマ『Dr.DMAT』の主題歌。大倉は「今、最前線で頑張っていらっしゃる医療従事者の方たちに、関ジャニ∞僕たちなりに何かエールを送ることができないかなということで、DMATは災害医療派遣チームですけど、命をつなぐという意味では一緒なのかなと思いまして」と説明した。そして、「『手をつないで歩いていけたらいいな』というメッセージが込められた曲です。この環境なのであまり歌声の音質良くないかもしれないですが、一生懸命歌います」とメッセージ。その後、5人がそれぞれの自宅と思われる場所で歌唱し、最後には「いま最前線で働く方々のために僕たちにできること一緒に#StayHome しようともに手を取り合って乗り越えていこう みんなの笑顔のために医療現場を支える“HERO”に心からの感謝を込めて…」というテロップも表示された。
2020年04月24日赤坂見附【月の市場】赤坂見附【創作和食 HACHI 赤坂見附本店】恵比寿【シロノニワ】恵比寿【イタリアン食堂COVER.】東銀座【カンティーナ シチリアーナ トゥット イル マーレ】赤坂見附/【月の市場】都会の喧騒を離れて楽しむイタリアン・フレンチとワインお庭が眺められる落ち着きのある個室は5名から32名まで対応赤坂見附駅から徒歩2分、ビルの7階という立地でありながら、お庭を眺めながら上質な時が過ごせるイタリアン・フレンチの店【月の市場】。店内はダークブラウンを基調とした落ち着いた雰囲気で、お庭の見える7つの完全個室やテーブル席のほか、カウンター席、20~32名で利用できるパーティールームも完備され大人数の利用も可能です。リーズナブルな価格でイタリアン、フレンチを楽しめる『ゴールドコース』(全8品)4000円(2名より)イタリアン・フレンチをベースに和の食材も取り入れています。パーティーコースも充実しており、エビスビール、ワインなども含まれる飲み放題は1500円で追加できます。スタンダードなシェアスタイルの『ゴールドコース』は、前菜2種、サラダ、ピッツァ、魚メイン、肉メイン、パスタ、デザートのコースです。予算に合わせて計4種のコースを用意しています。月の市場【エリア】赤坂【ジャンル】イタリアン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】5000円【アクセス】赤坂見附駅 徒歩2分赤坂見附/【創作和食 HACHI 赤坂見附本店】アットホームな大人の店で技あり創作和食と美酒を味わう居心地の良さを感じさせる空間。プライベート感のある半個室は6人掛けテーブル赤坂見附駅から徒歩3分、赤坂駅から徒歩5分の【創作和食 HACHI】。むき出しの天井から下がるアンティークのダウンライトにレンガの壁が心地よく味のある空間で、ひねりの効いた多彩な創作和食と美酒が味わえます。テーブル席の他、カウンター席、半個室も完備。おしゃれだけれど気取りのない店内は、居心地の良さを感じさせます。一番人気の宴会コース『厳選コース 各種宴会、記念日に!2時間飲み放題付全8品』 6,000円(料理のみ4,400円)※画像はイメージですお店で一番人気の『厳選コース』は、単品でも人気のプリプリ海老がクセになる『ガーリックシュリンプ』や『とろ~りチーズのひとくちメンチカツ』に加え、前菜3種盛り合わせ、カルパッチョ、サラダ、和牛の炙り焼き、炊き込みご飯、デザートがセットに。通常の飲み放題に+500円で、3種の日本酒が追加でき、計5種類の日本酒が味わえます。創作和食 HACHI 赤坂見附本店【エリア】赤坂【ジャンル】居酒屋【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】5000円【アクセス】赤坂見附駅 徒歩3分恵比寿/【シロノニワ】おしゃれ空間でスパイス&ハーブの効いたシーフード料理を堪能カーテンで仕切れる半個室は8012名、サンルームは15名から30名利用可能カーテンで仕切れる半個室は8012名、サンルームは15名から30名利用可能恵比寿駅直結のアトレ恵比寿西館8階のルーフトップレストラン【シロノニワ】。非日常を感じさせる開放的な空間で、エキゾチックな雰囲気のアジア食事を楽しむことができます。広々とした店内にある庭園は、夜はライトアップされ妖艶なムードを演出。個室や半個室もあり、優雅で大人なひとときを満喫できます。ステーキとタパスが味わえる贅沢な『サーロインステーキ&タパスプラン』(飲み放題2時間付) 5500円広尾の人気レストラン【ビストロ シロ.】がクリエーション。スパイス&ハーブが効いた料理が楽しめます。『サーロインステーキ&タパスプラン』は、サーロインステーキとタパスを楽しめる、飲み放題2時間付きのプラン。タパス5種にサラダ、サーロインステーキ、パスタ、フルーツバーが美味しいお酒と一緒に楽しめます。予算に応じて4種類のコースを用意。シロノニワ【エリア】恵比寿【ジャンル】アジア料理【ランチ平均予算】1500円【ディナー平均予算】5000円【アクセス】恵比寿駅 徒歩1分恵比寿/【イタリアン食堂COVER.】アットホームな店内で国産牛を心ゆくまで味わえるオープンキッチンの奥の部分は24名まで収容可能な個室も完備日比谷線恵比寿駅から徒歩1分、JR恵比寿駅からも徒歩3分というアクセスの良さで、お値打ち国産牛と石焼生パスタ、11種類の国産生レモンサワーが味わえるお店です。落ち着いたエージングの木材を使用した店内は、アットホームな雰囲気。会社の人や仲間との飲み会やパーティーにも便利なスペースです。お店の名物を堪能できる『人気メニュー集結した!お薦めプラン』(飲み放題2時間付) 5000円※画像はイメージです『人気メニュー集結した!お薦めプラン』は、名物の国産黒毛牛ステーキ2種や牛肉カルパッチョなど、人気のメニューが詰まったプラン。他に、サラダ、生ハム、バケット、ポテトフライ、アンチョビ枝豆、豚バラのロースト、パスタ、デザートがセットに。飲み放題では3種類の国産生レモンサワーが楽しめます。イタリアン食堂COVER.【エリア】恵比寿【ジャンル】創作料理【ランチ平均予算】1000円【ディナー平均予算】3800円【アクセス】恵比寿駅 徒歩1分東銀座/【カンティーナ シチリアーナ トゥット イル マーレ】本格的なシチリア伝統料理とシチリアワインの店銀座に佇む4階建てお洒落な一軒家バル。フロア貸切りもできるので団体の利用も可能東銀座駅から徒歩2分の本場シチリア料理と100種超えの厳選ワインを楽しむことができる一軒家バル。1階はオープンなバルテイスト、2階~3階はシックな照明で雰囲気のあるレストランフロアと各階によって表情が変わります。インテリアもシチリアまで買い付けに行くほどのこだわりで、本場の雰囲気が味わえます。カジュアルに味わえるコース『カンティーナコース』4000円(税込)※金曜日・祝前日は利用不可※画像はイメージですシチリアの郷土料理やイタリアンの定番メニューが味わえます。前菜を中心としたカジュアルコース『カンティーナコース』は、みんなでシェアするパーティメニュー。冷前菜3種、本日の温前菜、パスタ2種類が付きます。飲み放題はコースAが+1500円、コースB+2000円ではワインの種類などがグレードアップできます。予算に合わせて各種コースを取り揃えています。カンティーナ シチリアーナ トゥット イル マーレ【エリア】銀座【ジャンル】イタリアン【ランチ平均予算】1200円【ディナー平均予算】6000円【アクセス】東銀座駅 徒歩5分居心地の良いおしゃれなお店で、イタリアン、和食、エスニックなどの美味しい料理とともに楽しい時間をお過ごしください。これからの歓迎会・送別会の季節、幹事さんはぜひ、お店選びの参考にしてください。
2020年02月27日元SMAPの中居正広が21日、都内で会見を開き、3月いっぱいでジャニーズ事務所を退所することを発表。昨年7月に亡くなったジャニー喜多川さんへの思いを聞かれた場面で、ジャニーさんの遺骨をポケットに忍ばせていることを明かした。中居は、ジャニーさんへの思いを聞かれると「僕なんかの世代はちょっと厳しいというか、怖い存在の人だった。いろいろなことを教えてもらいましたし、人間的にも、ショーを作るにあたっても教えてもらった」と答え、「一人前になるというか、一つ階段を上がると、そのタレントから急にひいてしまう。大人になっていくとジャニーさんと会う機会もなくなる」と話した。そして、「とっておきのエピソードをお話ししましょうか」と切り出し、「今日はこういうの初めてじゃないですか。理想があれば準備できるんですけど、会見の成功は何かわからない。神頼みとかするほうじゃないですけど、これをポケットに忍ばせてきました。ジャニーさんの骨です」と遺骨を入れた小瓶を披露。「僕(葬儀に)行けなかったので、滝沢(秀明)くんに『骨をかっぱらってきて』って言ったら、かっぱらってきてくれました」と説明した。「『力をくれ』って思いながらポケットに入れたんですけど、まだ力くれてない」と笑い、「滝沢もかっぱらったらしいですよ」という情報も。ちなみに、家ではもう少し大きな瓶に入れているそうで、「うちのパパの隣にあります」と明かした。さらに、ジャニーさんからどんな声が聞こえてきそうか聞かれると、「YOU、最悪だよ」と回答。「『おはようございます』っていうような挨拶みたいなものなので」と補足した。
2020年02月21日“ジャニーさんの遺志を引き継ぐ”という強い思いを持つ滝沢秀明副社長(37)。それは大きなプレッシャーにもつながっていると語るのは、彼と旧知の記者だ。「Jr.の数は現在、東西あわせて約300人以上。滝沢副社長は、モチベーションの低い現場ではゲキを飛ばすなど、気迫が違います。前の晩どんなに遅くても翌朝次の現場にスーツ姿で出勤する。さらにJr.の追加オーディションもしているんです。“後継者”としての重圧は強く感じているようです」そんな滝沢副社長は1月2日、演出補佐を務めた帝国劇場の舞台「ジャニーズ・アイランド」で取材陣の前に姿を現した。昨年末、ジャニーさんが初めて夢枕に立ったと明かし、こう告白したのだ。「うれしかったですし、本当に不思議でした。『僕のやり方にこだわらないで、もっと新しいことをやりなさい』と言われた。自分が思っていたこと(ジャニー流の継承)とは違うことを言われたので、正しいかどうかわからないですけど、気持ちはスッキリしました」前出の滝沢の知人は言う。「継承方法に苦悩していた彼にとって“ユーはタッキー流でいい”というジャニーさんのメッセージに、だいぶ救われたそうです。滝沢さんとしては、生前のジャニーさんがそう願ったように、東京五輪の年にジャニーズ全体を盛り上げていきたいのです。SixTONESとSnow Manのデビューはもちろんですが、約15年ぶりに復活した亀梨和也さん(33)と山下智久さん(34)によるユニット『修二と彰』、新プロジェクトとなる平野紫耀くん(22)と中島健人くん(25)によるユニットの活動にも期待しています」滝沢は毎日、会社にあるジャニーさんの遺影に業務報告をするのが日課になっている。1月8日、ジャニーさんの遺志を受け、同事務所の寄付した5億円をもとに日本赤十字社が「ジャニー基金」設立を発表した。「人々が笑顔になる活動を」と心から願ったジャニーさん。彼の霊告を受け、今年は滝沢副社長の“タッキー流改革”が始まる。「女性自身」2020年1月28日号 掲載
2020年01月15日ドバイ国際博覧会日本館 ジャパンデー1年前記者発表会が12日に東京・経済産業省本館で行われ、嘉門タツオ、関ジャニ∞(横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、大倉忠義)、山崎直子、若月佑美、東海大学付属高輪台高等学校 U.A.E.留学生(アブドゥーラ・アル・ホーサニー、アブドゥーラ・アル・マンスーリ、アブドゥラ・アル・シェケーリ、ラシェッド・アル・アブリ)、ガンダム、ポケットモンスター(代表:ピカチュウ)が日本館PRアンバサダーに就任した。2020年10月20日〜2021年4月10日に行われる「2020 年ドバイ国際博覧会」では、会期中に各参加国の参加を称えるナショナルデーが催される。12月12日には「ジャパンデー」の開催が予定されており、国内での機運醸成のため、7組14名が「日本館 PR アンバサダー」に任命された。メンバーの村上が代表して証書を受け取り、「個人的にドバイには2度ほどお邪魔させていただきまして、街中を見る時間はあまりなかったんですけど、空港のきらびやかな様子を見てこれが万博になったらどうなるんだろうというわくわくがありました。大阪万博が決まったという不思議なご縁も感じましたので、万博の魅力をぜひドバイから吸収し、大阪に持って帰ってこれたらと思います」と意気込んだ。バラエティに富んだカオスな任命式で、ギターを持って登場した嘉門は「チャラリ〜鼻から石油〜」と歌い、階段を上がる姿にどよめきが起こっていたピカチュウは広報に耳打ちで「精一杯頑張りたい」とコメント。また、壇上にガンダムと梶山弘志経済産業大臣が2人で取り残され会場もざわついていたが、富野由悠季監督が登場し、「心からありがたいと思っておりますが、私は心を持っておりません。新しい世紀に向かって、この姿形が次の新しいヒントを生み出すのではないかと期待しています。このような立場を拝命いたしまして、本当に嬉しく思います。と、申しております」とガンダムの気持ちを代弁した。任命式終了後の取材では、横山が「ものすごく世界に注目されているから、僕たちも学べることを吸収しつつ、エンターテインメントということでいろんな曲も歌ってるので、歌わせてもらったりしてもいけたら」と意欲を見せる。唯一ドバイに行ったことのある村上は、金持ちキャラについて言及されると「僕、ドバイに行ったら鼻くそですよ。比べ物にならないくらいの! 」と苦笑。「建物もそうですし、洋服もそうですけど、たくさんの文化が入り交じってるからこそ、この時代のドバイ、ばっと発展されて、研磨された今の文化を持ち帰りたい」と改めて語った。ドバイに紹介したい日本の文化について聞かれると、大倉は「ドバイは世界最先端というところが魅力だったりすると思うんですけど、日本は伝統的な物が多かったりもします。僕たちが伝統的なエンタメができるわけじゃないんですけど、ジャニーズがやってきたエンターテインメントというのも、どこもやってないところだと思いますので、そこを見て驚いていただきたい」と自信ものぞかせる。安田は2025年の大阪万博について「これから5年間の中で日本も吸収して成長していくんだろうなと思いますので、今回のドバイから吸収した上で、表現の幅を広げられたらなと思います」と展望を見せた。最後に、2019年を漢字一文字で表すと……という質問に、丸山が答えることに。緊張した面持ちの丸山は「令和という新しい時代に入ったということで、和。日本は昔大きな和と書いて大和とも言いましたし、このバッジ(日本館のロゴ)も人と人との輪という象徴で作られてると思うので、今年は、和です」と、和or輪という漢字を挙げた。しかし「関ジャニ∞としては?」とさらに畳み掛けられると、「呼吸が浅くなってきた」と周囲からつっこまれつつ、「関ジャニ∞で無限大で2つの輪なので、これからも無限大の関係性を作っていきたい。∞で」とまさかの記号。村上が、「もう、おあとがよろしいことにしてあげてください」とお願いし、拍手で終了した。
2019年12月12日「ジャニー喜多川さんが好きなサウンドは“派手”。でも、ただ派手なだけじゃダメで、そこにこれまで聴いたことのない、『えっ?』という“驚き”が必要なんです。それこそ、車が宙を舞うような、ラスベガスの手品師みたいなことを、求められてきたわけですよ。たとえば、King&Princeの『シンデレラガール』もね……」数台のモニターに囲まれるように置かれたキーボードを前に、編曲家・船山基紀さん(68)は語り始めた。今、ジャニーズで最も旬な“キンプリ”のデビュー曲も、船山さんの編曲だ。「元の曲が、とってもいいですよね。作曲家(河田総一郎)の作品はコンピューターで作ったものだったから、それをスタジオミュージシャンで録り直しました。スパイスとして入れたのが、生のストリングス(弦楽器による演奏)。途中からヒュルルンと入ってくる。派手に、楽しく、そしてキングとプリンスだから、ノーブルな感じも出したくてね」手がけた曲を聴きながら、船山さんは満足そうに髭を触った。編曲とは、作曲家が作ったメロディーを、どんな楽器の編成で演奏し、どんなハーモニーやリズムで色付けするかをアレンジする作業だ。曲全体のイメージを作り上げるのが編曲家ともいえる。だから、同じ曲でも編曲が違うだけで、ヒットするか、しないか、大きく左右される。中島みゆき(67)の『時代』や沢田研二(71)の『勝手にしやがれ』、五輪真弓(61)の『恋人よ』やC-C-Bの『Romanticが止まらない』、Winkの『淋しい熱帯魚』など、時代を象徴する楽曲のアレンジを手掛けてきた。これまで2,700曲もの編曲を手がけ、編曲家部門のシングルの総売上げは、小室哲哉(60)に次いで2位。そのうちの265曲はジャニーズ関連の楽曲になる。ジャニーズ事務所の仕事を最初に手がけたのは、1970年代後半からだった。「ジャニー喜多川さん(享年87)に始めて会ったときのことは強烈に覚えています。’79年、レコーディングの現場にいらしてね。羽織っていた毛皮のコートが極楽鳥みたいな、レインボーカラーなの。今でもあの色は刷り込まれていますよ」当時のジャニーズは冬の時代だった。’75年3月限りで、郷ひろみ(63)が別の事務所に移籍。’78年にはフォーリーブスが解散している。’79年、ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役に、田原俊彦(58)、近藤真彦(55)、野村義男(54)が抜擢され、「たのきんトリオ」として人気が出たのをきっかけに、翌年、田原が歌手デビュー。ジャニーズがひさびさに生んだスター候補だった。船山さんは、2枚目のシングルを担当した。「メリー喜多川さん(92)がトシ(田原)を連れて、スタジオにいらしてね。トシが緊張しているのがありありとわかった。皆の期待が凄かった。事務所の命運が、19歳のトシの肩に全部かかっているみたいな……」それが『ハッとして! Good』。船山さん自身、3本の指に入ると自負する作品に仕上がった。この曲は、オリコン初登場で第1位を獲得。田原は、その年のレコード大賞最優秀新人賞に輝き、ジャニーズ初の快挙をなし遂げる。以降、ジャニーズから編曲の依頼が次々とくるようになる。「ジャニーさんは、バンドだけじゃダメで、ストリングスにブラスセッション(金管楽器)も入れるのを好んだ。ラスベガスの華やかさを求めたんです。僕も、ジャズなどを通して、そういう世界は大好きだった。アメリカへの憧れのようなものを共有していたから、僕の手掛けるアレンジがジャニーさんの心に刺さったんじゃないかな」すでに、時代のトップアレンジャーとして活躍していた船山さんは、オリコンの年間売り上げランキング編曲家部門で1、2位の常連。だが、’82年、突如、拠点を米国・ロサンゼルスに移す。「ロスでアレンジの修行がしたい」。それが、体のいい“言い訳”だと見破ったのが、ジャニーさんだ。「『船山くん、ジャニーズみたいなアイドルの仕事が嫌で、ロスにきちゃったんでしょ』。ロスを訪れたジャニーさんと会食したとき、いきなりそう言われたんです。その瞬間、冷や汗がダラ~ッと出た。仕事を毎日、目茶苦茶にやって、これじゃ壊れる、と。まぁ、逃げたようなもんでした(苦笑)」夜22時から打ち合わせ、朝は5時起きで、6~9時、9時~12時の間に1曲ずつアレンジし、午後はレコーディング。そんな生活をずっと続けていた。ジャニーさんは、焦る船山さんを見て、してやったりとニヤニヤ。ご機嫌になって、アメリカ軍時代の話までしてくれた。「『僕ね、鉄砲の訓練していたの。僕はね、CIAだったんだよ(笑)』とおっしゃって。でも、要は、軍の情報部所属の語学将校として、通訳で朝鮮戦争に行っていたんだって。その後、日本に戻ったという話でした」ロスで生まれたジャニーさん。父親は高野山真言宗米国別院の僧侶だった。船山さんが帰国すると、すぐにまたジャニーズからオファーがきた。’85年には、少年隊のデビュー曲『仮面舞踏会』の編曲を担当。「『ニューヨークで修行させている男の子が3人いる。逸材だから、絶対に売らなきゃいけない』というジャニーさんからのプレッシャーがかかっていた。『前に、ぎょっとするものをつけてくれ』と言われてね。これやったら、誰も文句は言えないだろうという5拍子のイントロをつけたんです。あり得ないから、みんないいか悪いかも判断できない。でも、ジャニーさんがすごく気に入ってくださって。斬新なものはいつも面白がってくれる」その後も、田原の『抱きしめてTONIGHT』や、SMAPのデビュー曲『CAN’t Stop!! LOVING』、KinKi Kidsの『ジェットコースター・ロマンス』や『フラワー』、TOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』や『宙船』、近年はキンプリの『シンデレラガール』やSexy Zoneの『カラクリだらけのテンダネス』……。時代が変わっても多くのジャニーズの楽曲を手掛けてきた。「新しいブームが起きるたびに、いろんな仕事が断ち切られたけど、ジャニーズの仕事はずっとある。そこで出会った仲間も大勢いる。私の編曲家人生において、ジャニーズ音楽は大きな柱です」10月10日、これまでの編曲家人生を振り返って『ヒット曲の料理人編曲家船山基紀の時代』(リットーミュージック)を出版した。’20年、船山さんは編曲家人世45年を迎えるが、もうすでに次の仕事にとりかかっているという。時代を彩ってきた編曲家は走り続ける。(取材:岡野誠)
2019年10月17日「お別れ会の随所に、ジャニー喜多川さんが好きな銀のテープやパーン!という派手な演出があったよね」ジャニー喜多川さん(享年87)のお別れの会をそう振り返るのは編曲家の船山基紀さん(68)だ。中島みゆき(67)の『時代』や沢田研二(71)の『勝手にしやがれ』、五輪真弓(61)の『恋人よ』やC-C-Bの『Romanticが止まらない』、Winkの『淋しい熱帯魚』など、時代を彩った多くの曲のアレンジを手掛けてきた。編曲した曲は2,700曲以上を数え、編曲家部門のシングルの総売上げは小室哲哉(60)に次いで日本2位だ。船山さんはジャニーズの楽曲の編曲も多く手掛けている。田原俊彦(58)の『ハッとして!Good』や『抱きしめてTONIGHT』、少年隊の『仮面舞踏会』、SMAPのデビュー曲『CAN’t Stop!! LOVING』、KinKi Kidsの『ジェットコースター・ロマンス』や『フラワー』、TOKIOの『AMBITIOUS JAPAN!』や『宙船』、近年はKing&Princeの『シンデレラガール』やSexy Zoneの『カラクリだらけのテンダネス』などなど、その数およそ265曲にのぼる。7月9日に帰らぬ人となってしまったジャニーさん。9月4日に東京ドームでお別れの会が行われ、業界関係者向けの午前の会に、船山さんも参列した。「僕の席のまわりには、一緒に曲を作ってきたディレクター陣や、森浩美(作詞家)とか馬飼野康二(作曲家、編曲家)とか作家連中が集められていました。なんかイメージ的にアメリカのような形になるんじゃないかとか思っていたけど、普通に位牌が置いてあって。よくよく考えたら、ジャニーさんの家はもともとお寺さんなんだなぁとか、ふとそんなことを思ったり……」父は高野山真言宗米国別院の僧侶で、米国・ロサンゼルスで生まれたジャニーさん。朝鮮戦争のときは、米軍で通訳として働いていた経験もある。その生い立ちもあって、ニューヨークのブロードウェイやラスベガスのショービジネスへの造詣が深かった。愛した音楽もまた、そういうものだった。「ジャニー喜多川さんが好きなサウンドは“派手”。でも、ただ派手なだけじゃダメで、そこにこれまで聴いたことのない、『えっ?』という“驚き”が必要なんです。それこそ、車が宙を舞うような、ラスベガスの手品師みたいなことを、求められてきたわけですよ」船山さんは、そんな要求に常に応えてきたと自負している。「僕のアレンジの特徴も、無理矢理“派手”なんですよ(笑)。昔は、レコードに針を落としたでしょ。その5秒が勝負なわけ。そこで『えっ!?』と、思わせたい。100点満点じゃダメ。それを110にも120にもして『これ何~すごい』というところまでいかないと。僕は、どんな歌でも、舞台の上で映える感じや、歌った瞬間の驚きを目指してきました。だから、ジャニーさんの目に止まり、今もジャニーズの仕事ができるんじゃないかと思うんです」40年間にわたり、ジャニーズの楽曲に携わってきた船山さん。’00年に堂本光一(40)主演の舞台『SHOCK』に参加した時は、ジャニーさんが納得するまで、10回くらい曲を書き直しさせられたことも。そんな経験を通じて、ジャニーさんの仕事に対する厳しさに触れてきた。また、同時に優しさにも……。「人にご飯ご馳走するのが、本当に好きな人でね。現場にはよく焼き肉弁当などの差し入れを『重い、重い』と言いながら、ジャニーさん自ら、両手に下げて持ってきていた。それも晩年まで、全部、自分で買いに行っていたそうだよ。ディレクターが夜、自宅に打ち合わせに行けば、『YOU、お腹空いてない?』って、ステーキ焼いてくれたという話も聞きました」船山さんが、他の事務所のタレントの仕事をしようと、ジャニーズを辞めたアイドルの仕事をしようと、ジャニーさんは頓着しなかった。「ジャニーズで良いものを作れば、それでいいって考え方。タレントだけじゃなく、スタッフの才能を見抜く力も抜群だった。一生懸命、作ってきたものを鼻先で突き返すようなことは絶対にしない。悪く言う人はいないよ。皆が尊敬してるから」お別れの会で、船山さんはジャニーさんの遺影に手を合わせ、感謝の思いを伝えた。スライドでは、ジャニーさんの全人生が流された。「子どものころにメリーさんと撮った写真、軍隊時代、野球チームのジャニーズ、数年前の誕生会で、マッチや中居くん、大勢のタレントに囲まれた元気な姿もあったな」NHKの「思い出のメロディー」で仕事を共にしたばかりの東山紀之(53)を会場で見つけた。声をかけようとしたが、思い止まった。「泣いていたんだよね、東が。後ろ向いて、涙を拭っていた……。ジャニーさんの魂は、ジャニーズのみんなに叩き込まれている。教え子たちがみんなで送ってくれる。いいよね、ああいう人生って」’20年、編曲家人生45周年を迎える船山さん。10月10日に、著書『ヒット曲の料理人編曲家船山基紀の時代』(リットーミュージック)を出版した。もう、人生を振り返る時期に来ていると思いきや、夢が尽きることはない。「コンピューターが発達したおかげで、作家が孤立している。1人で何でもできるようになったから、昔、皆でスタジオに集まって音源を作ったときのように、“ハプニング”や“驚き”が、生まれにくくなっていると思う」コンピューターの発展は音楽に新たな可能性ももたらしたが、コンピューターの性能に音楽が制限もされるようにもなったという。「だから、今こそ、原点に戻るというか、新しい形の音楽を人間の力でやりたいなと。音楽って12音の組み合わせだから、限りはありますよ。だけど、そこに音符で表すことができない魂を込められたら……。それが人間力だと思うんだよね」ジャニーさんが求めた驚きを、誰も経験したことのない感動を、船山さんはこれからも、追い求めていく――。(取材:岡野誠)
2019年10月17日「『SHOCK』が始まったとき、舞台はジャニーさんの道楽とかいう人もいました。当時は、CDが売れなかったら、舞台に客が入ってくれない。だから、CDを一生懸命売っていた。でも、だんだんと逆になっていった。いまは舞台を楽しむためにCDを買う。CDが売れない時代になっても、(堂本)光一くんの舞台は即完売ですよ。本当にジャニー(喜多川)さんの先を見通す目はすごい」そう語るのは編曲家の船山基紀さん(68)だ。中島みゆき(67)や沢田研二(71)、C-C-BやWinkなど、時代を彩ってきた多くのアーティストの楽曲の編曲を手掛けてきた。編曲した曲は2,700曲以上を数え、編曲家部門のシングルの総売上げは小室哲哉(60)に次いで日本2位。今も、ヒットメーカーとして、トップを走り続ける船山さんは、10月10日にこれまでの編曲家人生を振り返って、『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』(リットーミュージック)を出版したばかり。そんな日本を代表する編曲家の船山さんは、’00年、堂本光一(40)主演の舞台『SHOCK』が始まったときから、編曲に加えて、作曲でも同舞台に関わってきた。『SHOCK』は故・ジャニー喜多川さん(享年87歳)の肝いりで始まった舞台だ。込めた思いは、「Show must go on(何があってもショーは続けなければいけない)」。「もちろん、そういうコンセプトはあります。でも、それ以上に、ジャニーさんは、ラスベガスやブロードウェイのショーのようなマーケットを日本に作りたかった、ということだと思うんですよ。それが、ジャニーさんのいちばん好きなものでしたから」自分自身だけではなく、ときには所属タレントも渡米させて、本場ラスベガスやニューヨークのブロードウェイの最新のショーを見学させていたというジャニーさん。それだけに、舞台に対するこだわりは並々ならぬものだった。「もうね、ジャニーさんが『こういうのやりたい』というのは伝わっていて。しびれるくらい曲の書き直しさせられてね。最初の時すごかった…。いやぁ…何回くらいやったんだろう。10回くらいやり取りしたんじゃないかな」KinKi Kidsの『ジェットコースター・ロマンス』や『フラワー』などを含む、およそ265曲ものジャニーズの楽曲の編曲を手掛けてきた船山さん。それでも、「あれほど書き直させられたことは最初で最後だ」と笑う。本場ラスベガスやブロードウェイのような華やかさに、和太鼓や殺陣など、日本固有の演出を取り入れたジャニーさんの夢が詰まった舞台『SHOCK』は、ジャニーズファンのみならず、多くの人から熱狂と共に受け入れられた。「YOU、最悪だよ!」。9月に行われたお別れの会で、堂本光一はジャニーさんに事あるごとにそう言われたと振り返ったが、半世紀近く年の離れたこの愛弟子の才能を、誰よりも買っていたのもまたジャニーさんだった。’05年にジャニーさんは『SHOCK』の演出を光一に任せるという決断する。名前と内容を一新した『Endless SHOCK』が始まった。「『Endless SHOCK』は光一くんのものですよ。ここでこうしたいとか、ここで階段落ちをみせるとかを、全部光一くんが決めている。もちろん、ジャニーさんが作り上げたいちばん最初の『SHOCK』があってのことですけど、’05年以降の舞台を作り上げているのは、完全に堂本光一です」もちろん、光一のこだわりは船山さんが手がける楽曲にも及ぶ。「『Endless SHOCK』になってから、光一くんから直接注文がきますよ。彼は自分で作曲もして、すごく良い曲を書く。コンピューターで作ったメロディに、自分の歌を入れたデモテープを作ってくる。編曲に関してのリクエストは『こういう場面で使いたいから、こういうアレンジをしてください』みたいな形で具体的なイメージを伝えてくる。本当に素晴らしい才能です。ジャニーさんとは指示の出し方が違いますね。ジャニーさんは『ここは派手に』とかもっと直観的。でも、それがことごとく的を射ているのが、すごいところなんだけどね(笑)」ジャニーさんの舞台は、「3分に1回観客を驚かす」というのが信条だった。「それはもう、叩き込まれていますね。舞台を観てもらえばわかります。“何もなかったら嫌だ”、“絶対驚かしてやる”、“ビックリしてもらう”、“喜んでもらう”。ジュニア時代から何十年、エンターテイナーとしての心得がジャニーさんから叩き込まれている。だから、これほど、愛される舞台ができるのだと思います」ジャニーさんは晩年も、劇場に足を運び、愛弟子が作り上げた舞台を嬉しそうに眺めていたという。’19年3月、『SHOCK』は1700回公演を達成。国内のミュージカルとしては単独主演の最多記録を更新中だ。さらに、光一は、King&Princeの岸優太(24)が主演を務め、ジャニーズの若手が中心となった舞台『DREAM BOYS』(9月3日~27、日帝国劇場)での演技指導も担当。すでに、ジャニーさんの遺志を後輩たちに伝える仕事に取り組んでいる。「ラスベガスやブロードウェイ以上のショーを日本で作りたい」。そんなジャニーさんの夢は堂本光一を通じて、多くのタレントに引き継がれていこうとしている。――Show will go on.(取材:岡野誠)
2019年10月17日ジャニー喜多川さん(享年・87)の急逝から3カ月。今年も10月7日から29日まで『ジャニーズ伝説』が東京・日生劇場にて開催される。座長を務めるA.B.C-Zの戸塚祥太(32)、橋本良亮(26)、河合郁人(31)、五関晃一(34)、塚田僚一(32)と、初代ジャニーズのあおい輝彦(71)に、ジャニーさんとの思い出を語り尽くしてもらったーー。あおい「ジャニーさんと最後にお会いしたのは、ちょうど『ジャニーズ伝説2018』の製作発表のとき。いろいろ話をしたんだけど、ジャニーさんの記憶力はすごい。僕が忘れているようなことでも、すごく細かく覚えていて。ジャニーさんに会うと、一瞬で野球少年だったころに戻っちゃう。僕にとっては、あのころからずっと変わらない、優しい兄貴を亡くしたような感覚なんだよ」戸塚「僕らにとっては“お父さん”みたいな存在だったけど、あおいさんにとっては“兄貴”なんですね」あおい「よく『“さん付け”しないで、ジャニーって呼んで』って言われてたけど、さすがに呼び捨てにはできなかった。今思うと、1回呼んでみたかったけどね。ジャニー!(笑)」■命名センスが独特すぎる!河合「これまであおいさんに伺ったお話のなかで、ジャニーズって名前を付けたのが、実はジャニーさん本人じゃないというのが、とくに印象に残っています」橋本「ジャニーズの名付け親って、実はあおいさんですもんね?」あおい「らしいんだけどね。僕はぜんぜん覚えてないんだよ(笑)。ジャニーさんはちょっとふざけて、“ヘターズ”とか“エラーズ”とかって言ってたよ(笑)」戸塚「あおいさんのおかげで、“ヘターズ事務所”にならずにすんだんですね。助かりました(笑)」あおい「それにしてもジャニーさんは命名の天才だよね。光GENJIとか嵐とかさ。全部おもしろい!」河合「僕たちのグループ名はステージ上で発表されたんですよ。もともと、橋本以外の4人がA.B.C.ってグループで活動してたんですけど、ジャニーさんが『ちょっと橋本入って歌ってみよう』って、そうしたら、バックの画面に『A.B.C-Z』って出たんです。この“Z”は何だろう?って思ってたら、ジャニーさんが『これが君たちのグループ名だよ』って」あおい「ジャニーさん、“Z”の発音にすごいこだわってたよね。『“ジー”じゃなくて“ズィー”だ』って」河合「いまだに自分たちでも正しく発音できないです(笑)」塚田「名前といえば、あおいさんも、名字をひらがなにしたのって、ジャニーさんの提案なんですよね?」あおい「そうなんだよ!今は選挙ポスターとかでよく見るけどさ(笑)。当時は画期的なことだったと思う。ジャニーさんは『大きな映画のタイトルバックに載る名前だ』って言ってくれたんだけど、そのあと実際、『二百三高地』や『犬神家の一族』などの大作映画に出させてもらって。予知能力でもあったのかなって思うよね(笑)」塚田「ジャニーさんなら、未来が見えてもおかしくないかも(笑)」■昔から演出力がすごかったあおい「ジャニーさん亡き後、昔の映像がたくさん流れてたでしょ。それで、当時の自分の姿を見ると、すごいリラックスしてるんだよね。“教えられたことをロボットみたいにやらされてる”って感じじゃなくて、のびのびとしてる。だから、やりたいようにやらせてもらってたんだなって、改めて感じたね」戸塚「当時のジャニーズの人気ぶりは、ほんとにすごかったんですよね」あおい「それも、ジャニーさんの演出力があってこそ。でもさ、当時は何の実績もなかったのに、プロデューサー相手に押し通しちゃうんだから本当にすごいよね(笑)。日劇ウエスタンカーニバルで『アイ・ラブ・パリス』を歌ったときも『なんで“ウエスタン”カーニバルで“パリ”なんだ!?』って、文句言われてたんだよ(笑)」五関「ジャニーさんって、昔からこだわりがすごかったんですね(笑)」河合「今ふと思い出したんですけど、僕がレッスン生のとき、下に着るTシャツを忘れたことがあって。裸にパーカを着て、前を閉めて踊ってたら、たまたま見に来てたジャニーさんに『それ前開けて、はだけてやりなよ。そのほうがカッコいいよ!』って声をかけられたんです。それも一種の演出ですよね。それで顔を覚えてもらったんですけど、もしあの日Tシャツを忘れてなかったら、僕はここにいなかったと思います(笑)」
2019年10月17日ユニバーサル・スタジオ・ジャパンは11月14日(木)開幕の「ユニバーサル・クリスタル・クリスマス」を盛り上げるため「関ジャニ∞」が「クリスタル・クリスマス・アンバサダー」に就任することを発表した。ツアー動員数1,000万人を超え、これまで数多くのファンを元気に輝かせてきた関ジャニ∞は、USJが掲げるまったく新しいクリスマスのコンセプト“クリスタルの輝きで全てのゲストを心から輝かせる”に賛同。そして、「ユニバーサル・クリスタル・クリスマス」と関ジャニ∞は、<今年新たにスタートを切る>という部分で共通点も。また、イベント期間限定で関ジャニ∞とのコラボレーション企画も予定され、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが仕掛ける完全刷新のクリスマスに、早くも期待が高まる。■「関ジャニ∞」コメント「去年、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開業以来初のクリスマス・アンバサダーに就任しました。新しくなったユニバーサル・スタジオ・ジャパンのクリスマスのテーマは、クリスタルの輝きで女性たちを心から輝かせる。関ジャニ∞も、エンターテイメントで人々を輝かせたいという思いで、がんばってきました。たくさんの人々を輝かせたい、とのユニバーサル・スタジオ・ジャパンの想いに賛同しました」(横山裕さん)「まるでランウェイを歩いているかのように主役になった気分になれる、全く新しいクリスマスです」(丸山隆平さん)「今年のクリスマスはゲストの皆さんが主役です。ユニバーサル・クリスタル・クリスマスで、ぜひ、新しい自分に出会ってください!」(村上信五さん)ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのシーズナル・イベント「ユニバーサル・クリスタル・クリスマス」は、2019年11月14日(木)~2020年1月13日(月・祝)の期間開催。ユニバのきらめくクリスマスが待ちきれない。(text:cinemacafe.net)
2019年10月16日9月4日、くも膜下出血のため亡くなったジャニー喜多川さん(享年87)のお別れの会が、東京ドームで行われた。参列したファンは芸能界史上最多の8万8千人。午前11時からの「関係者の部」にはジャニーズ事務所所属の現役タレントだけでなく、著名人、OBらも招待され、“ジャニーさんの子供たち”総勢約200人が“育ての親”を偲んだ。とりわけ会場で注目を集めていたのが、中居正広(47)と木村拓哉(46)の2人だった。「2人が公の席で顔を合わせたのは、約2年9カ月ぶりでした。16年12月8日に収録された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の最終回以来のことで、当日は東京・お台場のフジテレビには、多くのファンやマスコミが集まりました。収録中も中居さんと木村さんが会話をすることはなく、視線を交わすこともありませんでした。収録後もメンバーからの挨拶はなく、集合写真を撮って、淡々と終わりました。以来、中居さんと木村さんはプライベートでも一度も会うことがなかったと聞いています」(テレビ局関係者)9月4日のお別れの会では近藤真彦(55)が事務所を代表して挨拶。中居と木村も最前列中央に立っていた。しかし、隣同士ではなく、5人の先輩たちが2人を隔てていた。この日、東京ドームに所属タレントたちが集まり始めたのは、朝9時前後からだった。「滝沢(秀明)社長が演出するセレモニーのリハーサルが9時半から約20分行われました。11時から始まる『関係者の部』までの間、タレントたちは大きな控室で、本番までの間を過ごしていたんです。木村さんと中居さんが来ることは事前にわかっていたので、SMAP解散以来、久しぶりに顔を合わせることになる2人を迎えることに現場は少なからず緊張感が漂っていました」(イベント関係者)控室に先に現れたのは、木村だった。「木村さんは、ずっと嵐の二宮和也さんに話しかけていましたね。2人は去年公開の映画『検察側の罪人』で共演して以来、木村さんが自宅に二宮さんを招くほどの仲。20分は話し込んでいましたね。実は中居さんはリハーサルには参加せず、本番10分ほど前になって会場入りしたんです」(前出・イベント関係者)中居が駆け付けた際、2人の対面を周囲は固唾をのんで見守っていたという。「中居さんは会場入りして、東山さんや岡本健一さんと言葉を交わしていました。でも、木村さんとは直接、話していた様子はありませんでした。会場にいたタレントがあまりに多すぎましたからね。その後の会見やOBの前には顔を出していません。『献花後はすぐに会場を出ます』と事前に申し出ていたそうです」(音楽関係者)一部では2人は“目も合わせなかった”という報道もあった。前出の音楽関係者は言う。「確執報道もあったようですが、“2人がまったく目も合わせなかった”ということはありません。実際、2人は軽く挨拶はしていました。確かに、解散騒動時は本当にいろいろなことがありましたが、もう大人ですから。ジャニーさんの遺影を前に、あえてそんな露骨なことはしませんよ」2人を知る仕事関係者によると、それがSMAP時代からの2人の“スタイル”だそう。「実は中居さんと木村さんは、SMAP時代から、楽屋裏ではほとんど会話をしていないんです。若いころはSMAPの方向性を巡り、2人で熱く語り合ってケンカしたこともありましたが、現在は中居さんはバラエティMC業、木村さんは俳優業と、お互いに違う道を歩んでいることを理解し合っています。積極的に会話をしないことこそ、長年の同僚である2人の自然な関係なんです」木村との2年半ぶりの再会で、苦楽をともにしたSMAP時代の思い出もよみがえったことだろう。
2019年09月10日錦戸亮さんが、2019年9月末日をもって関ジャニ∞を脱退、ジャニーズ事務所を退所することを発表しました。9月5日16時にオフィシャルサイトにて「ファンの皆様へご報告」と題した本人コメントを掲載し、ファンのみならず日本中に衝撃が走りました。発表後、ツイッターでもすぐさまトレンド入りし、多くのコメントが寄せられました。また「ビビット」(TBS、月〜金/8時~)の金曜コメンテーターを務めるNEWSの加藤シゲアキさんは、9月6日の生放送で、「僕にとって一番厳しくて、一番尊敬できるお兄ちゃんみたいな人だった」と、錦戸さんと共にNEWSとして過ごした時代を振り返りました。さらに「当時の印象」と前置きをしながらも、「むき出しの人だったんですよ。感情むき出しだし、自分に絶対嘘をつかない人だったなっていうところもあって、やりたくないことを無理して頑張ったりはできない」「グループのためだったり、15周年があってファンのためだったり、いろんな部分でバランスを取りながら(渋谷)すばるくんの分も一手に背負ってやってたところでどうしても無理がきてしまって……無理だったんじゃないかな」とコメントしました。発表前の9月3日に行われた関ジャニ∞の15周年コンサート、「十五祭」最終日の東京ドーム公演では、渋谷すばるさん、内博貴さん含む8人での関ジャニ∞のオブジェが登場したばかりでした。錦戸さんは脱退という選択を選びましたが、「8人の関ジャニ∞は永遠」というメッセージ性を感じます。今後もそれぞれの道を選んだ8人の活躍が楽しみです。
2019年09月06日草なぎ剛(45)が9月4日、大阪市内で主演映画「台風家族」の舞台あいさつに登壇した。同日にはジャニー喜多川さん(享年87)のお別れの会が都内で開かれていたなか、草なぎはジャニーさんへの思いを吐露。ネットで大きな反響を呼んでいる。ジャニーさんが亡くなった今年7月、草なぎは香取慎吾(42)や稲垣吾郎(45)と連名で「どんな時でも背中を押してくれたジャニーさん、ありがとうございました。心からご冥福をお祈りします」と追悼コメントを発表していた。香取は7月に東京五輪の関連イベントに出演した際、ジャニーさんについて「SMAPを生んでくれた方……。自分のアイドルとしての生き方をたくさん教えていただき、感謝しています」とコメント。8月には稲垣も自身の主演舞台にちなんで「今日の初日を、ジャニーさんもきっと観てくれて見守ってくれるんじゃないかな」と思いを馳せていた。各メディアによると4日、草なぎは「たくさんのことを学んだ」とコメント。「感謝の気持ちを忘れず、これからもジャニーさんからの教えを胸に抱いてエンターテインメントの世界を歩んでいきたいと思います」と思いを告白。続けて「この映画もめちゃくちゃエンターテインメントになっています。ダンスを踊るシーンがあるんですけど……」と目に涙をためながらも、「“YOU、やっちゃいなよ”精神で、その場で考えて踊ってます」と笑顔で明かしたという。『Oggi』17年12月号に掲載された連載「絶対的好感論」の最終回でも、「僕をここまで育ててくれた事務所や、ジャニー(喜多川)さんにはすごく感謝しているんだ」と明かしていた草なぎ。涙を堪えながら感謝の気持ちを明かした姿に、ネットではエールが上がっている。《いつも明るく、おどけた表情で話してるけど、心の中はいろんな思いがいっぱいいっぱい詰まっているんだと思います。それが今日はこぼれ出てしまったんですね》《舞台挨拶の任務を全うすることで、草なぎさんはジャニーさんへの気持ちを示したということ。思いは故人に伝わっただろう》《いろんな想いを抱いていることと思いますが、初心を忘れずに邁進されていることが伝わります。これからも、いいお芝居をたくさん観せて頂きたいです》91年にCDデビューしたSMAP。16年末に惜しまれつつ解散し、3人は17年6月にジャニーズ退所を発表。当時、ジャニーさんは異例の形で3人を送り出していた。「ジャニーさんは、最後まで3人のことを応援していました。そしてSMAPについて『(S)すばらしい、(M)MEMORIES、(A)ありがとう、(P)POWER』と表現したのです。この言葉に、3人はいたく感動していたといいます。草なぎさんが言葉を詰まらせたのも、それだけジャニーさんへの感謝の思いが強かったのでしょう」ジャニーさんから贈られたものは、それぞれの胸に刻まれているようだ。
2019年09月05日9月4日に東京ドームで開催されたジャニー喜多川さん(享年87)のお別れ会。午前11時からの「関係者の部」に引き続き、午後2時から一般ファンが参列できる「一般の部」が開催。8万8,000人が駆けつけた。一部スポーツ紙によると、東京ドームにある2カ所の入場口には長蛇の列。21番ゲートにはドーム2周分(約1.5キロ)、22番ゲートには白山通りなど周辺の道路に続く約1.6キロの行列ができたという。中には入場まで約3時間待ちのファンも。入場の最終受付は午後8時の予定だったが、安全面を考慮して急遽1時間繰り上げて午後7時になったという。「参列者はジャニーさんへのメッセージカードを渡され、そこにメッセージを書き込んで祭壇に用意されたボックスへ投入する形式でした。長時間並ぶことになったものの、不満を漏らす参列者はほとんどいませんでした。それだけファンにとっても、ジャニーさんの存在は大きかったのでしょう」(お別れ会を取材した記者)退場時には、7月の家族葬で撮影された祭壇の写真がプリントされたポストカードが配布されたという。だが、ごく一部の不謹慎過ぎる参列者がネット上で大バッシングを浴びることになっている。「お別れ会が開催中にもかかわらず、フリマアプリに複数のポストカードが出品されていたのです。中には1万円以上で取引されたものもありました。ネット上では“転売するなんてジャニーさんに失礼”“不謹慎すぎる”などと批判が殺到していました」(前出・お別れ会を取材した記者)結局は通報した人も相次いだことから、夜までにはすべての商品が取り下げられたという。
2019年09月05日9月4日、ジャニー喜多川さん「お別れの会」が東京ドームで開かれました。第一部は関係者のみで執り行われ、近藤真彦さんをはじめとするジャニーズ所属タレントや、郷ひろみさんなど元所属タレント達も参列しました。お別れの会を終え、取材に応じた嵐メンバーはジャニーさんの思い出を語りました。相葉さんは入所前の出来事として、「オーディションのとき、椅子を並べているおじさんがいて。並べ終わったら『どうも私がジャニーです』って始まって。え!社長こんなこともするんだってすごいビックリしたのを覚えています」と、ジャニーさんの飾らない人柄が伺えるエピソードを披露。これに反応したのが櫻井さん。「椅子並べて『私はジャニーです』って僕のときもそうだったんだけど、みんなに毎回やってたのかな?」と疑問を投げかけると、松本さん、二宮さんも、「演出なんじゃない?」(松本)「『そこで挨拶できない人間はダメだ』みたいなこと言ってなかった?」(二宮)「オーディションが始まってた」(松本)と、和やかなムードで振り返りました。またジャニーさんから教わったこととして、大野さんはこんなエピソードも。「根本的なことを全部教わった気がする。挨拶から……。僕は結構引っ込み思案だったので、レッスン終わって帰るとき誰にも見られないように帰っていた記憶があって。ジャニーさん、そういうのを見過ごさなくて、『なんでお疲れさまですって言わないんだ』と言われたのを思い出しました」さらに櫻井さんは、「ジュニアのときは真ん中にいるタイプではなかったんですけど、何の曲ですごく褒めてくれたことがあって。その直後から雑誌に取材いただいたりとか、ジュニアの曲ですけど、真ん中の方で歌わせてもらったりとか。努力していれば、誰かが見てくれているんだっていうのを実感できた最初の人かもしれない」と、今に通ずる原点を。そして二宮さんは、「これからジャニーズに入ろうとしてくれてる人たちが、ジャニーさんにもう会えない状況の中で、僕らが受けた愛情や仕事に関してのしつけ、一般教養みたいなものを伝えていかなきゃいけない」と、ジャニーさんの意思を継ぐ者としての責任感を。松本さんは、「ジャニーさんがこれからやりたかったことを、自分たちもその道をジャニーさんの思いと一緒に歩けたらいいなって思います。まだまだやりたかったことは沢山あると思いますし」と、未来に向けてジャニーズとしてどう歩んでいくかを語りました。ジャニーさんから教わったことを胸に、今後のジャニーズ事務所を支えていく意思を感じられる前向きなコメントには勇気をもらいます。所属タレントだけでなくファンも、ジャニーさんの代名詞でもある「Show must go on」精神で、これからもジャニーズを応援していきたいですね。
2019年09月05日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光と田中裕二が4日、東京ドームにて執り行われたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)の「お別れの会」に参列し、報道陣の囲み取材に応じた。太田は「ジャニーズの始まりの頃から今に至るまでのVTRが流れて、日本のエンターテインメントはこの人でつながってきたんだなって」とジャニーさんの偉大さを改めて感じたと言い、「タッキー(滝沢秀明)の演出なのかわからないですけど。マッチ(近藤真彦)が弔辞を読んで。タッキーが裏で支えているのかなと感じた」とも話した。田中も「壮大な歴史を感じますよね」と言い、「マッチは同い年で、『金八先生』で見ていたあの子が…。金八先生(武田鉄矢)も来ましたし、前が気になってしょうがない」と笑った。また、太田は「帝国劇場の舞台で、エンターテインメントは平和と密接につながっているんだというジャニーさんのメッセージがすごく感じられた。彼らが楽しく歌っている限りは平和があると思うし、その意思を受け継いでいるんだろうと思う」と語った。
2019年09月05日ジャニー喜多川さん(享年87)のお別れ会が9月4日に東京ドームで行われた。設置された祭壇の脇には、ジャニーさんが愛用していた野球帽などが飾られていた。また左右に設置されたモニターにはジャニーズからデビューしたタレントたちのジャケット写真が。ジャニーズ事務所を代表して挨拶に立った近藤真彦(55)は「ジャニーさんらしく、Show must go on。笑顔で見送ってほしい」と述べた。またKinKi Kidsの堂本剛(40)は「少年のようなキレイな眼差しだった。その美しい眼差しが、苦しい時も、悲しい時も、つらい時も大きく支えてくれた」と語り、「シンプルに『ありがとう、愛してるよ』と伝えました」と別れのエピソードを明かした。ジャニーさんは12年、ギネスブックに『最も多くのコンサートをプロデュースした人物』『最も多くのNo.1シングルをプロデュースした人物』『最も多くの音楽チャート1位獲得アーティストを生み出した人物』の3分野で登録されている。27年前、本誌に登場した際にジャニーさんは「僕はひと山いくらで売り出すためにグループをつくっているんじゃない。個々のキャラクターを生かすために組ませているんです」と自身のポリシーについて語った。また「“18歳までに基礎を教えれば育つ”というのが僕の信念。才能を磨いて輝かせるのがわれわれの仕事です。これからは、日本発の世界に通用するアーティストがどんどん育っていくことでしょう」とも明かしていた。その手腕はさることながら、面倒見の良さも“ジャニーズ帝国”を築く要因となったようだ。18年末に芸能界を引退し、現在ジャニーズ事務所の子会社・ジャニーズアイランドの社長となった滝沢秀明(37)は引退時に《ずっと自分を育ててくれたジャニー社長のタレントを育成、プロデュースしていくという意思を継ぐ》とコメントしている。そこには13歳からジャニーさんの寵愛を受けていた滝沢にとって“恩返し”の気持ちがあったようだ。「週刊新潮」の同年10月4日号で、滝沢はジャニーさんについてこう語っている。「昔は怖かったですね。若い頃、生意気言って、怒られたこともありますし…。でも、そういったところをすべて受け止めてもらってここまで来られたので、もう本当に親以上の存在です。だから何かを返さなければという思いも強いんです」メンバーを我が子のように慈しんだジャニーさん。その親心は、嵐の大野智(38)の人生を変えるキッカケにもなった。「大野さんはジャニーズに入所してからも、2年ほどは芸能活動に積極的ではありませんでした。『辞める』とジャニーさんに伝えたところ、(堂本)光一さんの舞台『MASK』の稽古場に連れて行かれ、ジャニーさんの勢いに押されダンサーとして参加することに。それでも再び『辞める』と宣言したところ、レコーディングを手伝うように言われました。そうして出向くと『嵐』『大野ソロパート』と書かれた紙を渡され、さらに翌週にはハワイで嵐のデビュー会見に。もともとジャニーさんは大野さんの歌唱力を高く評価していたのです。『辞めるなんてもったいない!』と思い、引き止めたのでしょう」(音楽関係者)ジャニーさんの亡くなった翌日、大野は《ジャニーさんと出会えたことで僕の人生は大きく変わりました。嵐をつくってくれてありがとう》とコメントを発表している。「人生で最大の恩人は?」との質問に「ジャニーさん」と即答したのは嵐の相葉雅紀(36)だ。8月に放送された「24時間テレビ」(日本テレビ系)では20年末に活動休止となる嵐メンバーへ涙ながらに手紙を送ったが、放送終了後の会見では手紙について「『休止の期間というのが無駄にならない、パワーアップの時間になったらいいな』っていう思いを込めて書かせてもらいました」と語っていた。相葉が手紙に込めた“思い”について今月、ある音楽関係者は本誌にこう明かしている。「嵐を結成する際、最後に選ばれたのが相葉さんでした。誰よりも気遣いができて、周囲を明るくする彼の人柄を見抜いていたんです。今回の相葉さんの涙の手紙には“天国のジャニーさんに報いたい”という思いも強くありました」ジャニーさんへの思いを胸に、メンバーたちは未来へと向かう。
2019年09月04日7月9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)の「お別れの会」が4日、東京ドームで開催され、「関係者の部」に所属タレント154人が参列した。参列したジャニーズ事務所の所属タレントは以下の通り。近藤真彦佐藤アツヒロ岡本健一中居正広木村拓哉少年隊(東山紀之、植草克秀)TOKIO(城嶋茂、国分太一、松岡昌宏、長瀬智也)KinKi Kids(堂本光一、堂本剛)V6(坂本昌行、長野博、井ノ原快彦、森田剛、三宅健、岡田准一)嵐(大野智、二宮和也、櫻井翔、相葉雅紀、松本潤)NEWS(小山慶一郎、加藤シゲアキ、増田貴久、手越祐也)KAT-TUN(亀梨和也、上田竜也、中丸雄一)関ジャニ∞(横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、錦戸亮、大倉忠義)Hey! Say! JUMP(山田涼介、知念侑李、中島裕翔、有岡大貴、高木雄也、伊野尾慧、八乙女光、薮宏太)Kis-My-Ft2(北山宏光、千賀健永、宮田俊哉、横尾渉、藤ヶ谷太輔、玉森裕太、二階堂高嗣)Sexy Zone(佐藤勝利、中島健人、菊池風磨、マリウス葉)A.B.C-Z(橋本良亮、戸塚祥太、河合郁人、五関晃一、塚田僚一)ジャニーズWEST(重岡大毅、桐山照史、中間淳太、神山智洋、藤井流星、濵田崇裕、小瀧望)King & Prince(平野紫耀、永瀬廉、高橋海人、岸優太、神宮寺勇太)生田斗真風間俊介屋良朝幸内博貴中山優馬ふぉ~ゆ~(越岡裕貴、松崎祐介、福田悠太、辰巳雄大)浜中文一SixTONES(ジェシー、京本大我、高地優吾、松村北斗、森本慎太郎、田中樹)Snow Man(岩本照、深澤辰哉、ラウール、渡辺翔太、向井康二、阿部亮平、目黒蓮、宮舘涼太、佐久間大介)Travis Japan(宮近海斗、中村海人、七五三掛龍也、川島如恵留、吉澤閑也、松田元太、松倉海斗)HiHi Jets(高橋優斗、井上瑞稀、橋本涼、猪狩蒼弥、作間龍斗)美 少年(佐藤龍我、金指一世、藤井直樹、岩﨑大昇)7 MEN 侍(中村嶺亜、本高克樹、佐々木大光、矢花黎)宇宙Six(山本亮太、江田剛、松本幸大、原嘉孝)MADE(稲葉光、秋山大河、冨岡健翔、福士申樹)なにわ男子(西畑大吾、高橋恭平、大橋和也)少年忍者(北川拓実、内村颯太、ヴァサイェガ渉、元木湧、織山尚大、安嶋秀生、平塚翔馬、豊田陸人、黒田光輝、深田竜生、檜山光成、青木滉平、稲葉通陽、久保廉、川崎星輝)Jr.SP(林蓮音、和田優希、松尾龍、中村浩大)林翔太高田翔寺西拓人野澤祐樹室龍太小川優
2019年09月04日歌手の和田アキ子が4日、東京ドームにて執り行われたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)の「お別れの会」に参列し、報道陣の囲み取材に応じた。和田は「ジャニーさんらしく華やかで」とお別れの会の印象をコメント。「デビューした時からお世話になっていて。麻雀仲間だったんですよ。(麻雀が)大好きで」とジャニーさんとの関係を説明した。また、「会ったのは今年の1月。帝劇で。そんなに具合が悪い感じじゃない」と回想。「献花の時、走馬灯のように」と交流を懐かしみ、「世界に誇れる演出家です」とも話していた。7月9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーさん。この日の「お別れの会」では、11時より行われた「関係者の部」に、近藤真彦や嵐といったジャニーズ事務所所属タレントのほか、光GENJIの元メンバーである大沢樹生、真矢ミキ、黒柳徹子なども参列した。
2019年09月04日光GENJIの元メンバーで俳優の大沢樹生が4日、東京ドームにて執り行われたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)の「お別れの会」に参列。その後、報道陣の取材に応じ、ジャニーさんへの思いを語った。大沢は「ジャニーさんにお礼を伝えに。言えました。本当に、この場を設けさせていただいたジャニーズ事務所に感謝しています」とコメント。ジャニーさんについては「亡くなられた気がしないですね。妙に。ひょっこり現れそうな」と、いまだに死を実感できていない様子。「ゆっくり休んでくださいって感じなんですけどね。でも、遠隔操作であちらの世界からプロデュースしてそうな気もするんです」とも語った。その後、「しょっちゅう小言を言われていた」とも明かした大沢は、ジャニーさんのことは「芸能界の父」と表現。お別れの会で川崎麻世らと再会したことも報告し、「同窓会みたい」と頬を緩めていた。
2019年09月04日KinKi Kidsの堂本光一と堂本剛が4日、東京ドームで開催されたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)の「お別れの会」に参列。光一は「やっぱりYOUって言ってほしいんですね」と思いを明かし、これを聞いた剛も「言ってほしいですね」と、ジャニーさんを象徴する言葉を懐かしんだ。近藤真彦や嵐といったジャニーズ事務所所属タレントのほか、光GENJIの元メンバーである大沢樹生、真矢ミキ、黒柳徹子なども来場した今回のお別れ会。報道陣の前に登場した光一は「(お別れの会で)ジャニーさんの子供である私たちは、本当に穏やかで。そういった時間をジャニーさんが最後に作ってくださったんだなあと」としみじみ。剛は「お父さんの代わりもしてくれたり、友達みたいにもしてくれたり」とジャニーさんとの関係を振り返りつつ「本当にジャニーさんに一つ謝らなきゃいけないなあと思っているのは、ジャニーさんの物まねをね、むちゃくちゃやりすぎた」と懺悔。「いじらずにはいれなかった」とジョーク交じりに続けたが、ものまねはジャニーさん本人にも見せていたそうで「公認なはず」とも。そんな剛は、ジャニーさんが少年のような眼をしている人だったと回想。「そのままの目でいつも優しく見つめてくれていた」と感謝したうえで「地球上にある言葉と思いを探してみても、感謝とか、愛しているよという思いが、うまく伝えられないなあっていうのが正直なところ」と襟元を開いた。光一はお別れ会を行ったことについて「(ジャニーさんは)たぶん嫌がっている」と言い、剛も「恥ずかしがり屋なので」と人柄を紹介。剛はお別れの会が東京ドームで行われることを踏まえ「僕たちにとっても思い出深い、この東京ドームという場所で、ジャニーさんのお別れ会をやる日が来るっていうのは、思っていなかったことですけど…色々な思いが、やっぱり今日は駆け巡りますね」と感慨深い様子だった。その後、ジャニーさんに伝えたいことを問われた剛は「『ありがとう』ということと『愛してるよ』ということ」とシンプルに回答。光一は今でも心に残っている言葉を聞かれると「YOU最悪だよ」を挙げ「いつも言うんですよ」と照れ笑い。ただ、ジャニーさんが自分を褒めていたことも知っていたとしたうえで「それこそがジャニーさんの愛情なんだなって、僕ももちろん分かっています」とも話していた。
2019年09月04日アイドルグループ・嵐の大野智、二宮和也、櫻井翔、相葉雅紀、松本潤が4日、東京ドームで開催されたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)の「お別れの会」に出席。その後、報道陣の囲み取材に応じ、ジャニーさんとの思い出を語った。相葉雅紀は「僕が嵐になって初めてジャニーさんからこういう風に会見で言いなさいって言われたのが、『世界中に嵐を巻き起こしたい』って言いなさいっていうところから僕はスタートしたので、一番最初に嵐になってもらった言葉は思い出しました」と懐かしそうに話し、「その精神でこれからまた改めてやっていこうかなと思いました」とコメント。二宮和也は「僕がジュニアの頃お世話になった時のジャニーさんは本当に優しくてフレンドリーで、スタッフの方にも分け隔てなくコミュニケーションとっているのが印象的でした」と振り返った上で、「これからジャニーズに入ろうと思ってくれている人とか、ジャニーさんに会えないという状況で、僕らが受けた愛情や一般教養を伝えていかないといけないんだなと思いました」と語った。松本潤は「僕はジャニーズに入るきっかけになったのが、ジャニーさんから直接電話をいただいて、それがきっかけで今ここに立っているんだなと、今日改めて思いました」としみじみ。「いろんな思い出があるし、ここ何年かジャニーさんに会うたびに写真を撮っていたんです。2ショットだったり見返していました」と笑顔を見せた。櫻井翔は嵐結成のきっかけとなったジャニーさんの電話を思い出したそうで、「99年に下北沢で踏切を待っていた時に携帯が社長から鳴りまして、『YOU! バレーボールのイメージキャラクターをやらない?』って言われて今ここに立っている。その一言が今日の嵐に…」と語った。大野智は「京都で舞台をやっていたときにジャニーさんが京都まで来てくれていろんなことを教わった。空き時間に絵を描いていたら『YOU! もっとこうやったほうがいいよ』って教わったのを思い出します」と振り返り、「ちょっとしたことでジャニーさんとケンカして、ふてくされたら最終的にジャニーさんが『さっきはごめんね』って」と微笑ましいエピソードも披露した。7月9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーさん。この日の「お別れの会」では、11時より行われた「関係者の部」に所属事務所のタレントが参列した。
2019年09月04日「TOKIO」メンバーがゲストとトークやゲームで盛り上がる「TOKIOカケル」。放送300回記念の節目を迎える9月4日(水)今夜は記念SPをオンエア。ゲストに「V6/20th Century」の坂本昌行、長野博、井ノ原快彦を迎え、故・ジャニー喜多川氏の思い出などを本音トークする。『ターザン』『サンダーバード』などの吹き替えや「TOP HAT」をはじめ数々の舞台、ミュージカルで活躍する坂本さん。「ウルトラマンティガ」でジャニーズ初の特撮ドラマ主演を務めたほか、「プロデューサーズ」「クイーン・エリザベス」など舞台でもその輝きを放つ長野さん。「警視庁捜査一課9係」「特捜9」シリーズなどのドラマから「出没!アド街ック天国」2代目MCまで幅広い活躍をみせる井ノ原さん。80年代後半からジャニーズJr.として活動していた坂本さん、長野さん、井ノ原さん。城島茂、国分太一、松岡昌宏、長瀬智也ら「TOKIO」メンバーとは入所時期が近いこともあり共演機会も多く旧知の仲。今回はそんな“盟友”たちによるシークレットホームパーティーを開催。苦楽を共にしてきた仲間たちが懐かしい思い出話や、先日逝去したジャニー喜多川氏とのエピソードなどを本音で語り明かす。また「出張トキカケ」企画では京都にある瀬戸内寂聴の聖域「寂庵」へ。97歳を迎え酸いも甘いもかみ分けた瀬戸内さんとのトークにも注目だ。「20th Century」の3人は「TWENTIETH TRIANGLE TOUR」(TTT)第二弾となる「カノトイハナサガモノラ」を現在公演中。7月から8月にかけての東京グローブ座、先日大好評のうちに終幕した北九州芸術劇場公演に続き、9月7日(土)~9月10日(火)には梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで大坂公演が催される。80年代のアイドル全盛期から現在まで共に歴史を紡いできた「TOKIO」と「20th Century」による本音トークが繰り広げられる「TOKIOカケルSP」は9月4日(水)今夜22時~、フジテレビ系で1時間半にわたりオンエア。(笠緒)
2019年09月04日9月4日に東京ドームでおこなわれるジャニー喜多川さん(享年87)のお別れ会。その内容に注目が集まっている。KinKi Kidsの堂本光一(40)は『日経エンタテインメント!』18年11月号のインタビューで、こう語っている。《ジャニーさんは「タレントがタレントを育てる」という考え方です。先輩のバックで踊ることをはじめ、あらゆる点で。ゆえに、その仕事は僕らタレント全員が受け継いでいくんだという意識を改めて持たなければと思っています》だが、ジャニーさんを送り出すのは現役のタレントたちだけではない。ジャニーさんと門下生タレントたちの“師弟愛”は、お別れ会でも“絆”となって表れる。「スケジュールの都合がつく所属タレントは喪服着用で、11時開始の関係者の部に出席予定です。招待客は約2千人。本木雅弘さん、薬丸裕英さんら数多くのOBにも招待状を発送しています。会ではジャニーさんの功績をたたえるVTRが流れ、グループごとに献花が行われるそうです。所属タレントと、ジャニーさんと親交が深かった著名人の数人かが挨拶に立ち、最後は所属タレントが関係者をお見送りする段取りだそうです」(芸能関係者)弟子たちの集結を、天国のジャニーさんは楽しみにしていることだろう。
2019年08月27日「ジャニーさんの“後継者”として、おもにJr.の育成を担当する事務所の子会社社長となった滝沢さんですが、KinKi Kidsの2人も多忙な滝沢さんのサポートをすることになりました。光一さんは9月から開幕する舞台『DREAM BOYS』の演技指導と台本の修正を。剛さんは10月からの舞台『ジャニーズ伝説2019』の楽曲をそれぞれ担当します」(舞台関係者)ジャニー喜多川さん(享年87)の背中を追って裏方に回ったジャニーズ・アイランドの滝沢秀明社長(37)。先輩であるKinKi Kids・堂本光一(40)と堂本剛(40)の2人に後輩たちの舞台を支えるように依頼したという。光一が担当するのは、9月3日から東京・帝国劇場で開幕する『DREAM BOYS』。04年に滝沢主演の初演から、ジャニーさんの作・構成・演出だった。その後も、亀梨和也(33)や玉森裕太(29)主演で上演され、今回、King&Princeの岸優太(23)が4代目座長を務める。「滝沢さんはJr.時代に、キンキのバックダンサーを務めていました。舞台に対する情熱が人一倍強い滝沢さんにとって、00年から始まり今春に上演1,700回を達成した『SHOCK』のステージに立ち続ける光一さんは憧れの先輩。もともと『DREAM BOY』として初演時のテーマ曲を光一さんが書き下ろしていたんです。今回、滝沢さんが直接、光一さんに後輩たちの舞台指導を頼んだそうです」(前出・舞台関係者)光一は9月11日から大阪で舞台『Endless SHOCK2019』を控えていたが…。「光一さんは滝沢さんからの依頼を快諾したんです。『彼は今、多くを抱えすぎているから手の回りにくい部分で力になりたい』と話していました」(別の舞台関係者)昨年10月、滝沢の“引退”が発表された直後、光一は『日経エンタテインメント!』18年11月号のインタビューで、こう語っている。《滝沢が昔からジュニアとの接点が多いことは僕ら先輩もよく分かっています。彼は自分の活動を通じてジュニアの面倒を見ることにずっと取り組んでいました。それが年月とともにライフワークみたいになっていったんじゃないかな。素敵なことだと思います。我々も彼の覚悟を受け止めて、全力でサポートできたらと思っています》前出の舞台関係者は続ける。「今や所属タレント300人以上の大所帯となったジャニーズ事務所ですが、デビュー組の中ですら、コンサートの演出について、ジャニーさん本人から直接薫陶を受けていない人たちも出てきています。演出は若い世代の振付師が担当して、ジャニーさん流のステージの作り方が“薄まって”伝わってしまうことに、光一さんは危機感を抱いていたようですね」光一は40代を迎え、実体験を後輩に伝えるのがジャニーさんからの“特命”と痛感したという。先のインタビューでもこう力説する。《ジャニーさんのそばでエンタテインメントを実践してきた先輩タレントが直接後輩に意見してあげたほうが、ジャニーズが本来目指すステージになる。そうした現状を踏まえると今後は中堅以上の所属タレントが若いタレントたちのコンサートの現場に出向いて何か助言をするといったことが増えてくると思います。ジャニーさんもそれを望んでいますし。(略)中堅以上にはもちろん僕も含まれてますから今まで以上に後輩に目を向け、お手伝いする機会も増えていくでしょう》その思いは、剛も同じだった。「『YOU、やっちゃいなよ』というジャニーさんの名ゼリフは今でこそ有名ですが、そもそもジャニーさんのことをメディアで最初にユーモラスに話したのは剛さん。亡くなったときに剛さんは『宇宙一大好き』と追悼コメントを出し、その後ライブで『お別れにおでこにチューをした』と話すほど、ジャニーさんを心から慕っていました」(音楽関係者)8月10日に放送されたラジオ番組『堂本剛とFashion&Music Book』(bayfm)で剛はジャニーさんから、「君は、君が思っていることをステージで表現すればいいだけ。とても最高のファンを持っていることに自信を持つべき。君がやりたい世界をステージでぶつけて表現することが正解なんだ」と言われてうれしかったと明かしていた。そんなジャニーさんの言葉を胸に、剛は10月7日から東京・日生劇場で始まる『ジャニーズ伝説2019』で音楽を担当する。「作・構成・演出というクレジットはジャニーさんのままですが、実質のプロデュースは滝沢さん。彼が打ち合わせに剛さんを呼び、A.B.C-Zの河合郁人くんを引き合わせたのです。河合くんが“未来のジャニーズ”をイメージした楽曲提供をお願いしたところ、剛さんも『ええよ!』と引き受けてくれたそうです」(別の舞台関係者)光一そして剛もジャニーさんの“滝沢を支えてほしい”という願いを強く受け止めていたのだ。今秋の舞台から、キンキの2人が滝沢社長を支える形で、ジャニーさんの遺志を伝えていく――。
2019年08月27日8月23日、「スッキリ!」(日本テレビ、月〜金/8時~)に相葉雅紀さんが出演しました。今週は番組宣伝のため、24時間テレビ出演者が日替わりで出演しており、そのラストを飾った相葉さん。スタジオトークでは、24時間テレビにちなんで「この人がいたから今の私がいる、という自分の人生を変えてくれた人はいますか?」との問いかけが。これに対し相葉さんは、「まずはジャニーさんに拾われたので、ジャニーさん」と、初めにジャニー喜多川社長の名前をあげました。続けて、「Jr.の時代は、お金ないときによくタッキー先輩にご飯をごちそうになったり、居候みたいなこともさせてもらったりしてたので、タッキーもそうだし……」と、先輩後輩の絆を感じるエピソードを披露。さらに、「メンバーに出会ってなかったらここにもいないし……、たくさんいますね」と締めくくりました。また滝沢秀明さんの家への居候について、「数カ月くらいはさせてもらいました」とハニカミながら語り、相葉さんの愛され力が垣間見られました。いよいよ明日24日から始まる24時間テレビ。2004年に嵐がメインパーソナリティを務めた際には、相葉さんからメンバーへのサプライズの手紙演出もありました。今回、「人生を変えてくれた人」に嵐メンバーを挙げた相葉さん。そんなメンバーにまた何かサプライズ演出があるのか、少し期待してしまいますね。
2019年08月23日舞台『ブラックorホワイト? あなたの上司、訴えます!』の初日会見が21日に東京・新橋演舞場で行われ、佐藤アツヒロ、内博貴、真琴つばさ、八十田勇一、斉藤優里、愛原実花、福田転球、羽場裕一が登場した。同作は、とあるリフォーム会社を舞台にしたお仕事コメディ。憧れの先輩がパワハラで訴えられたことから、本社のエリート・一尺八寸倫太郎(佐藤アツヒロ)が、名前を伏せてアルバイトとして営業所に潜り込む。佐藤が「今回、いつもジャニーさんが使ってた楽屋のれんを使っているんです」と明かすと、周囲は驚きに包まれる。「ふつうののれんなんですけど、いつも演舞場でジャニーさんの楽屋にあったのれんを使ってる。色は紺でした」と明かした佐藤は「僕あんまりのれんを掛けないんですが、気を使って『のれんどうしますか?』という話になって、『せっかくなので』」と経緯を説明。「これも運だなと、すごい気持ちです。頑張りたい。毎日出入りするときに、しっかり受け止めて」とジャニーさんへの思いを表した。一方、内は「僕は錦織さんです。ニシキさんが墨をすってくれて、筆でバーって書いてくれたんです。目の前で書いてくださって、『やるよ』って。結構前からずっと使ってます」と、先輩である少年隊・錦織一清とのエピソードを披露。しかし、「僕の名前は書いてないんですけど、『錦織一清』と書いてあって、よく見ると、ニシキさんののれんなんです」と苦笑し、「おそらくニシキさんが忘れたんだと思います。気持ちが入っちゃったんでしょうね。もう何も言えないです」と語った。製作発表会見では、植草のいたずらについて話していた内だが、初日会見でも「パワハラ受けたことあるのは植草さんだけです」ときっぱり。佐藤は「マネージャーにも聞いたんだけど、全然気にしてない。大丈夫だねって」と裏側を明かした。また、宝塚出身の愛原は先輩の真琴に「お話させていただくと、相手役になれてるような気持ちがありまして、嬉しいです。素敵じゃないですか。すごい」と緊張している様子。真琴は「娘役さん、うまいんですよそういうの!」と照れつつ、「新橋演舞場ではつかさんの演出で幕末純情伝をさせていただいた」と、愛原の父である故つかこうへいさんに触れ、「つかさん、応援してくださいって感じです」と天を見上げた。
2019年08月21日ジャニー喜多川さん(享年87)の多大なる影響を受け、松本潤(35)にとってもロスは“特別な場所”になっているようだ。「さかのぼること11年前、松本さんは黒沢明監督の名作を50年ぶりにリメークした映画『隠し砦の三悪人THE LAST PRINCESS』の主演を務め、ロスで開かれた上映会に参加しました。黒澤さんの作品は映画『スター・ウォーズ』に影響を与えたことでも有名で、その縁もあってジョージ・ルーカス監督の母校で上映会が行われたんです。松本さんは地元の大学生ら300人と意見交換し、上気した表情で『スキルアップしてチャンスがあれば、今日を今後の仕事につなげたい!』とハリウッド進出にも意欲を燃やしていました」(映画関係者)それ以来、松本はプライベートでも定期的にロスに出かけるようになったという。「まとまった休みがとれたときに音楽や演出の勉強のため飛び立つとか。本場のショーを観劇したり、美術館に通ったりして刺激を受けているようです」(音楽関係者)実際、松本は雑誌のインタビューで影響を受けた人物として、ロスで実際に見た演出家フランコ・ドラゴーヌや舞台設計家マーク・フィッシャーの名前を挙げている。《彼らの世界観がとても好きなんです。世の中にはすごい人がたくさんいるなぁってつくづく思う》(『GOETHE』16年5月号)今年2月も、松本はじめ嵐のメンバー全員でロスを訪れている。「嵐のCDデビュー20周年の軌跡をたどる展覧会を今夏から開催するにあたって、最新技術の映像とバーチャル展示の技術を学ぶために約1週間、出かけたんです。5人でこれだけ長く海外に滞在するのは結成15年のハワイ旅行以来でした。松本さんは来年の嵐活動休止前のコンサートの演出を今からどうするか、さっそく考えを巡らせていたようです。かわいがっている事務所の後輩たちにも、米国でも通用するパフォーマンスのアドバイスをしているそうです」(前出・音楽関係者)松本は「ジャニーズの信念」を雑誌でこう語っている。《社長のジャニー喜多川が作り出すものに僕自身も魅了され続けているし、ジャニーズ事務所はその中でそれぞれの表現をしている人たちの集まりだから、先輩から学ぶことって本当にたくさんあるんですよね》《自分たちが先輩にしてもらったことを後輩に還元するのは当たり前だと思うので》(『日経エンタテインメント!』16年&17年1月号)ジャニーさんの米国進出の夢をもっとも身近に感じていた松本。その実現に向け、動きだした——。
2019年08月21日