元SMAPの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾が19日、くも膜下出血のため9日に亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんを追悼するコメントを連名で発表した。3人は「先週、ジャニーさんの家族葬が執り行われたと伺っております。僕らは、僕らのそれぞれの想いを込めて、今、自分達のいる場所からお別れをさせていただきました」と伝え、「どんな時でも背中を押してくれたジャニーさん、ありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。1991年にCDデビューし、数々の名曲を世に送り出したSMAPは、2016年末に解散。その後、稲垣、草なぎ、香取は2017年9月にジャニーズ事務所を退所し、「新しい地図」を立ち上げ活動している。
2019年07月19日アイドルグループ・A.B.C-Zの橋本良亮、戸塚祥太、河合郁人、五関晃一、塚田僚一が16日、東京・台場の東京ジョイポリスで行われた「A.B.C-Z 5STARS FESTIVAL IN JOYPOLIS」の記者会見に出席した。東京・台場の屋内型テーマパ ーク「東京ジョイポリス」は、昨年アミューズメント施設とのコラボレーションが話題となったA.B.C-Zとの2年連続となるコラボイベントを7月16日~10月14日の期間に開催。人気アトラクションとのコラボやコラボメグッズの展開、さらには完全書き下ろしの新曲によるプレミアムデジタルライブなど、目玉企画が催される。2年連続のコラボ企画に河合が「夏のジョイポリスを盛り上げられるということで、僕もワクワクしています。来られる方もワクワクしていただけるように頑張りたいと思います」と意欲を見せ、戸塚も「こうして2年連続でジョイポリスさんを盛り上げられるということで、ジョイポリスのファンの方々、A.B.C-Zのファンの方々、お互いに良い感じで交わって盛り上げていけたらなと思っています」とコメント。昨年の期間中には甥っ子や姪っ子とともに同所を何度も訪れたという橋本も「2年連続でこういう場所でA.B.C-Zがコラボできて本当にありがたく思っています。去年もいっぱい盛り上がりましたが、今年は去年以上にA.B.C-Zがお台場を盛り上げていきたいと思います。お台場の夢の国はジョイポリスなんじゃないかなと思っています」とアピールした。同コラボ企画のテーマは"フェスティバル"。それにちなみ、「フェスティバルの思い出は?」という質問に、2000年頃にタイで開催されたパタヤミュージックフェスティバルに出演した際のエピドードとして「その時に早替えでローラープレートで次の曲で滑ることになり、その前にギリギリで早替えだったんです。時間がなくて出なければいけないとなった時に、ローラープレートを締めるのを忘れて中のインソール履きが残ってそれで滑りました。現地の方は『何だ? そんなパフォーマンス見たことない!』という感じで『うぉ~!』と盛り上がっていましたね」と塚田。続けて「本当にジャニーさんの教えとして失敗しても顔に出すなとずっと言われていました。そういうことが繋がったなと今は思いますね」と7月9日に亡くなったジャニー喜多川氏との思い出を明かしていた。
2019年07月16日お笑いタレントの明石家さんまが、13日に放送されたMBSラジオの番組『ヤングタウン土曜日』(毎週土曜22:00~)で、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんとの思い出を語った。さんまは26歳のときに、あまりにもギャラが安かったことから吉本興業に不満を抱き、「辞めたい」と思ったそう。その頃に、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)の現場でジャニーさんに会ったという。「ジャニーさんがメイク室にいらっしゃって。『ジャニーさん、ジャニーズに入れてもらえませんかね』って言ったら、忘れもしない。あれが最初で最後ですからね、面と向かってしゃべったの。回る椅子に座っていて振り向きざまに『YOUはダメ!』って」とそのときの様子を説明。「芸人で“YOU”って言われたのは俺1人だと思う」と言い、「それが30何年か前だから、ジャニーさんは50前後だったんですよ。若かった」と振り返った。また、さんまがニューヨークに毎年行っていた頃、ジャニーさんもブロードウェイを勉強しにニューヨークを訪れていて、ジャニーさんからペントハウスに誘われたことがあったという。「『ぜひ来てほしい。招待したい』って言われたんだけど行く勇気がなくて」と話した。そして、「これからジャニーズはまだまだ不滅」とさんま。ジャニーズ事務所のタレントたちについて「ちゃんと伝統を守って途切れないからな。川崎麻世頼りのときがあって大変やなと思ったら、たのきん、少年隊、シブがき隊、SMAP、嵐と出てきて、いまはキンプリやからな」と話し、お気に入りのKing & Prince・平野紫耀のモノマネも披露した。
2019年07月14日ジャニーズ事務所は12日、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんの家族葬を執り行い、公式サイトにて同日、報告した。事務所は「本日、2019年7月12日、弊社代表取締役社長ジャニー喜多川の家族葬を、ジャニーが大好きだったジャニーズアイランドの稽古場におきまして、滞りなく執り行いましたことをご報告申し上げます」と報告。「ジャニーは、自身の子供のような存在でございますタレント達と最後のお別れをいたしました」と伝えた。そして、「この度の家族葬は、これまで数多くのステージをプロデュースしてまいりましたジャニーにとって自身が上がる初めてのステージとなりました。だれよりもエンターテイナーである者にとってふさわしいステージとなるよう、忙しい子供達が時間を縫って、会場の設営から運営に至るまで、できる限り自分達の手で作ることにこだわりました」と説明。司会を担当した国分太一(TOKIO)と井ノ原快彦(V6)は、式次第は守りながら、ジャニーを明るく笑顔で送り出すように努め、また、ジャニーさんへの感謝の気持ちを東山紀之(少年隊)、高橋優斗(HiHi Jets)、堂本光一(KinKi Kids)とつなぎ、最後に近藤真彦がその思いをつづったという。「これまでジャニーはタレント達の活躍をいつもステージの下から見守ってまいりましたが、最後に、その姿をステージの下から約150名のタレント達が見届けました。ジャニーの最後は優しく、心が温かくなるステージとなりました」と伝え、「ジャニーは、最後の最後まで人を育て続けたプロデューサーでございました。そして、これからもジャニーの意思を受け継ぎながら、成長し続けることができるよう、皆で精進してまいります」とつづった。なお、「これまでお世話になりました皆様にお別れいただく機会につきましては、決定次第、ご案内申し上げます」としている。
2019年07月12日7月12日放送の「あさイチ」(NHK、8時15分〜)に、嵐の松本潤さんが出演しました。ジャニーさんの死後、嵐メンバーとして初のテレビ生出演となり、その発言に注目が集まっていました。番組では、嵐のコンサート映像を振り返ると共に、松本さんがジャニーズ事務所入所のきっかけを語る場面も。ふたつ上の姉の影響でKinKi KidsやV6を知り、自分で履歴書を送ったという松本さん。ジャニーさんから電話が来て、レッスンに参加することになったというエピソードを紹介しました。松本さんは、改めてジャニーさんへ「エンタメの僕を作ってくれたのはジャニーさん」と語り、「『こういうことやりたい』と言ったことに『ノー』とは言わない。基本的に褒めて育てようとする」というジャニーさんの教育方針を振り返りました。また松本さんの母が、ジャニーさんが亡くなってから語ったエピソードとして、「ジャニーさんは『親御さんがどれくらい心配してるか僕は想像できないけれど、心配してると思うので』と、夜遅くなったり、合宿所に泊まるときは毎回親に電話していた」という逸話も披露。最後、ジャニーズに入ってよかったかという質問には、「もちろんです!」と力強く答えました。本日、都内でジャニー喜多川さんの家族葬が行われることが発表されています。
2019年07月12日アイドルグループ・TOKIOの城島茂と松岡昌宏が12日、都内で行われた「ふくしまプライド。」新CM発表会に登場した。福島県では、東日本大震災以降、県産農林水産物の魅力や安全性について情報発信の取り組みを行っており、2012年よりCMキャラクターにTOKIOを起用している。新CM「もも」編、「夏野菜」編が13日から首都圏、関西、北海道、福島県内でOAされる予定だ。内堀雅雄 福島県知事は、発表会が始まる前に「はじめに、ジャニーさんへの思いをお話しさせてください」と一言。「TOKIOの皆さんは、震災前から、そして震災後も福島県の人々、そして福島の農産物に熱い思いを持ってずっと私たちを応援し続けてくれました。このTOKIOさんを育て、そしてこうした活動に理解を示して応援を続けていただいたジャニーさんが亡くなられました。ジャニーさんのご逝去に接し、改めて心からお悔やみの思いを申し上げたいと思います」と追悼の言葉を述べた。桃を持って登場した城島は「今年も福島で19年目となる田植えをやってきました。メンバー総出で、ずっとお世話になってる福島の農家の皆さんと一緒にしたんですけど、今年もいい米ができるんじゃないかなと。福島の気候と福島の風に吹かれながら楽しく過ごしています。普段は都内で、またはロケでいろんな全国各地を回っておりますが、福島に出向きますと、帰ってきたなという気持ちもありながら過ごしております」と滑らかに語る。この城島の言葉に、松岡は「よくもまあ、噛まずにすらすらと。ジャニーさんも喜んでると思います」としみじみ。城島は「がんばってるよ、ジャニーさん」と天を見上げながら伝えていた。会見終了後、ジャニー喜多川さんへの思いを聞かれた松岡は「僕らがこういう風にお仕事させていただくことが、うちのジャニーへの何よりの供養。僕らはこれからもジャニーさんに教えてもらったことを貫きたいと思っています」と瞳を潤ませる。城島も「自分たちジャニーズのタレント一同、社長に見出されたおかげでこの場所にいるものですから。恩返しというのは、単純でありきたりな言葉かもしれないですけど、笑顔で頑張っていくことが、ジャニーズの、アイドルの使命じゃないかなと。これまで応援していただいた全タレント、みんな思ってると思います」と涙をにじませながら答える。「いろんなエンタテインメントの思いとか、何を届ければいいのかとか、考えながら頑張っていきたい」と今後に思いを馳せた。タレント・ジャニーズJr.が集合する家族葬が本日執り行われるが、松岡は「明るく笑って。しんみりしたのは苦手だと思うので。笑顔で送り出したいなと思います」と心境を明かす。城島は「なかなかジャニーズの子供達、タレント一同が集まることはないですから、最後の最後にジャニーさん、粋な演出といいますか。最高の舞台をくれたんじゃないかな」と笑顔に。「楽しいと行ったら普通は不謹慎でしょうけど、社長の子供達らしく、みんなでいい時間を過ごせたらと思っています。それが何よりの供養かなと思っております」と真摯に語った。
2019年07月12日ジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんが亡くなったと7月9日に発表された。死因は解離性脳動脈瘤破裂による“くも膜下出血”。87歳だった。各メディアによるとジャニーズ事務所はジャニーさんについて「私達に最後まで言い続けていたことは、自身の意思を受け継いでくれるタレントを絶え間なく育成し、そのタレントと社員が、エンターテイメントを通じて世界中の皆様に幸せをお届けすることこそが、ジャニーズグループとして決して変わることのない思いであるということです」と明かし、「ジャニーの願いが届きますよう、タレントとスタッフ一丸となり、精進してまいりますので、何卒ご指導賜れますと幸甚に存じます」とコメントしているという。62年に最初のグループ「ジャニーズ」を芸能界デビューさせたジャニーさん。以降、数々のアーティスト達を輩出してきた。ギネスには「最も多くのコンサートをプロデュースした」「最も多くのNo.1シングルをプロデュースした」「最も多くの音楽チャート1位獲得アーティストを生み出した」人物として、3分野で登録されている。またオリコンによるとジャニーズ事務所の作品は74年9月にリリースされた郷ひろみ(63)の楽曲「よろしく哀愁」を皮切りに、現在までにシングル439作品が1位を獲得。累積総売上枚数は1億4821万以上だという。日本のエンターテイメント界の礎を築いたジャニーさんの死は国内のみならず、世界各国でも報道された。アメリカのBillboardはweb版で「日本の音楽産業でもっとも影響力を持つ人物」と紹介し、イギリスのBBCはジャニーズについて「男性アイドル市場を独占する日本でもっとも影響力のある事務所」とつづっている。また日本のカルチャーに関心の高いインドネシアでも国営アンタラ通信がその死を伝えている。TOKIOの国分太一(44)は10日、「ビビット」(TBS系)に出演。ジャニーさんを特集したVTRを見ながら涙を流し、「ジャニーさんの顔を見た時は全然涙出なかったんですけどね。こうやってVTRで振り返るとジャニーさんのすごさも改めて感じることができて」と話した。また東山紀之(52)も同日、「グッド!モーニング」(テレビ朝日系)に出演しジャニーさんについて「やはり父親ですよね、僕らにとっては」「僕らはその精神を受け継いで、これからも明るく楽しくやっていくっていうのが基本だと思っています」と語った。同日の夜には近藤真彦(54)や木村拓哉(46)、嵐を筆頭にジャニーズのタレントたちが追悼コメントを発表した。元KAT-TUNの赤西仁(35)もTwitterを更新し「Johnny」という追悼ソングを動画で投稿。「あなたとの出会いで今のボクがここに在ります」とつづられており、投稿は6時間ほどで5.7万回のリツイートと17万回近い“いいね”を記録した。ジャニーさんの死を悼むのは、ジャニーズタレントだけではない。DA PUMPのISSA(40)は9日にTwitterを更新し《ジャニー喜多川様のご冥福を心よりお祈り致します》と言葉少なにコメントを発表した。またw-inds.の橘慶太(33)は10日、Twitterにこうつづっている。《素敵なグループを数多く生み出し、僕は沢山の影響を受けました。ジャニーさんがいらっしゃらなかった 僕は歌って踊る事を始めていなかったかも知れません。今いるダンスボーカルグループは皆んなそうだと思います。ジャニー喜多川様のご冥福を心よりお祈り致します》(原文ママ)多くの人々に影響を与えてきたジャニーさん。Twitterではハッシュタグ「#ジャニーさんありがとう」がトレンド入りし、その偉大さを讃える声が上がっている。《本当に偉大な人。ジャニーズ好きになって、結婚して子供ができても好きな人追っかけることが出来て…そんな場を作ってくれたジャニーさんには感謝でいっぱいです》《ジャニーさんって本当に偉大な人だ 私達に沢山の幸せをありがとう!ジャニストに出会わせてくれてたくさんのジャニーズに出会わせてくれてありがとう!!》《たくさんの感謝を伝えたい。偉大なるジャニーさん、ゆっくりお休みください》27年前、本誌に登場した際「私が何かをすることが大事ではなく、次の世代が若い世代につなげていくのです」と語っていたジャニーさん。その思いはあらゆる枠を越えてつながっていくだろう。
2019年07月11日7月11日~8月4日(7月16日・23日・30日は休演)に東京・渋谷の東急シアターオーブで公演されるリンカーン・センターシアタープロダクション ミュージカル『王様と私』の囲み取材が10日、同所で行われ、渡辺謙が共演者のケリー・オハラ、演出のバートレット・シャーとともに登場した。同舞台は『サウンド・オブ・ミュージック』で知られるリチャード・ロジャース(作曲)&オスカー・ハマースタインⅡ(作詞・脚本)の名匠コンビが手掛けたミュージカル黄金期の傑作。2015年にアメリカでリバイバル上演され、アンナ役のケリー・オハラが同年のトニー賞ミュージカル部門の最優秀主演女優賞を受賞、王様役の渡辺が日本人初の最優秀主演男優賞にノミネートされるなど、ブロードウェイで大きな話題を集めた。昨年は同じキャストでイギリス・ロンドンで公演。今回日本で行われる特別公演で、再び渡辺とケリー・オハラの競演が見られる。ニューヨーク、ロンドンに続き、日本での公演となった渡辺は「日本で公演する時の僕の一番の条件は、ケリー・オハラを日本のお客さん見せて上げたい、というのが一番でした。まずそれが実現してうれしいです。ニューヨーク、ロンドで深めながら作ってきたカンパニーを日本のお客さんに届けられるということは、このカンパニーをケリーと2人で引っ張ってきた誇りのようなものを感じます」と自信。同舞台で渡辺と何度もステージで共演してきたケリー・オハラも「このミュージカルを渡辺さんの母国でやりたいと思っていました。渡辺さんとの仕事は、私の人生の中でベストなコラボだと思っています。彼の母国でできることは本当にうれしく思っていますし、皆様の期待に添えるように楽しみにしています」と笑顔を見せた。前日には日本の芸能界を牽引してきたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長がくも膜下出血のため死去。それについて問われた渡辺は「お会いしたこともないしお仕事もご一緒したことはありませんが」としつつ、「日本のエンターテイメントの中で、海外の空気をいち早く日本に輸入された方ですよね。ミュージカルや舞台など、エンターテイメントの作り方もそうだし、すごく革新的で時代を先取りするプロデュース能力があった方でした。お仕事やお話をしてみたかったなという思いはありました」とコメント。続けて「同じエンターテイメントにいる人間としてその意志を継ぎながら、色んな形で日本のエンターテイメントの底を上げていきたいなと思いますね」と意欲を見せ、「一時代を築いたという意味で、これからも人材を発掘できるように頑張っていただき、その意志を繋いでいただけたらと思います」と期待を寄せていた。
2019年07月11日歌手で俳優の山下智久が10日、自身のインスタグラムを更新し、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんを悼んだ。山下は「偉大なる世界一のプロデューサーへ」と書き出し、「溢れる愛情をありがとうございました。少年時代。夏休み1ヶ月間、アメリカに連れて行ってくれた事、初めてみた景色、人、ファッション、音楽、全てが新しくて、今でも鮮明に覚えています。毎朝僕らをプールで遊ばせてくれて、お腹が空いたらステーキ焼いてくれて、夜は色んなエンターテイメントのショーに連れて行ってくれた事、凄く楽しかった」と回顧。「子供で頭が柔らかい時に沢山ホンモノを見なさい。そして、いつかポケットに手を突っ込んでただ歌ってるだけでお客さんを喜ばせられるようなスターになりなさい。そう言って貰えた事忘れていません」とつづり、「まだまだ未熟だけど、もっともっと沢山の人を喜ばせる事が出来るような人になれるよう、ジャニーさんに教えてもらった事、忘れずに、より一層頑張って行きます」と決意を新たにした。そして、「ずっと気付かなかったけど、子供時代に色んな世界を見せてくれた事、教えてくれた事、全てが今の僕の源です。僕の人生、僕の家族、僕の大切なファンのみんな。ジャニーさんのおかげで幸せです」と伝え、「まだまだ新しい世界を追い求めていきます。ゆっくり休んで下さい」とメッセージ。「僕らの人生のプロデューサーが皆さんに忘れないでいてもらえるように願っています」と締めくくった。
2019年07月11日解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のためジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長(享年87)が7月9日に都内の病院で死去。発表から一夜明けた10日、元ジャニーズ事務所に所属していたタレントたちが続々と自身のSNSでジャニーさんを追悼した。元シブがき隊の薬丸裕英(53)、元光GENJIの大沢樹生(50)、歌手の川崎麻世(56)、元男闘呼組の前田耕陽(50)、たのきんトリオとして活躍した野村義男(54)、俳優の中村繁之(51)ら。いずれもジャニーさんが見出した人たちで、それぞれがジャニーさんの温かい人柄を思い起こさせる思い出話を明かしていた。「ジャニーさんは才能を見出す天才でした。野村さんや田原俊彦さん(58)、近藤真彦(54)さんと組んでいた『たのきんトリオ』が大ブレークしたほか、次にシブがき隊がデビューしてヒット曲を連発。少年隊がヒットして勢いに乗るなか、光GENJIが登場して国民的アイドルグループに成長。男闘呼組はジャニーズとしては珍しい本格的なバンドで話題になりました」(芸能記者)事務所を離れても、慕われていたジャニーさん。川崎や中村も、ジャニーさんが見出した。「川崎さんは14歳で歌手デビューするや、ブロマイドが大人気となって一躍トップアイドルに。その後はジャニーさんが俳優転向させるべく、演技を仕込んだといいます。また中村さんはグループでデビューしましたが、自然消滅。ソロに転して俳優・歌手業を両立。フジのドラマ『な・ま・い・き盛り』で中山美穂さん(49)の相手役をつとめるなどして、人気が急上昇しました」(前出・芸能記者)ジャニーさんのおかげでスターの座に登り詰めた“子ども”たち。その“偉業”は、これからも芸能界で輝き続けることだろう。
2019年07月10日7月9日午後4時47分、ジャニーズ事務所代表取締役社長のジャニー喜多川さんが87歳で亡くなりました。先月18日、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため自宅で倒れ、都内病院に入院。入院中は毎日所属タレント達がお見舞いに訪れていたそうです。訃報を受け、TOKIO国分太一さんは、自身がMCを務める情報番組「ビビット」(TBS、8時〜)で、冒頭に挨拶。号泣し、声を震わせながら、「気持ちの整理がつかないまま番組の時間が来てしまいました」と述べ、「ジャニーさんにはエンターテイメントの素晴らしさ、そしてこの仕事の魅力、難しさ、たくさんのことを教えてもらいました。(中略)僕の心の中には、ジャニーさんがずっと言っていた『you やっちゃいなよ』っていうその言葉が、ずっと胸の中にあります」と、ジャニーさんと出会ってからの31年間を振り返りました。また元KAT-TUNの田中聖さんは「ご冥福をお祈りします」と題したブログを更新。「たくさんたくさん迷惑かけたけどステージの上にいる自分には確実に貴方の教えが生きてます」と綴っています。さらにツイッターやインスタグラムでは、元NEWSの草野博紀さんなど、かつてジャニーズ事務所に所属していたジャニーさんの“子供たち”が、お別れと感謝の言葉を述べています。通夜・告別式については、タレントたちとJr.のみで「家族葬」を行うと発表されており、後日「お別れ会」をひらく予定とのことです。
2019年07月10日アイドルグループ・KAT-TUNの元メンバー・田中聖が10日、自身のブログを更新し、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんを悼んだ。田中は「ご冥福をお祈りします」と題してブログを更新。「悲しいお知らせがありました。自分にとってお父さんみたいな存在でした。何でもないただの子供だった自分にステージの上という居場所をくれました。夢をくれました」とつづり、「たくさんたくさん迷惑かけたけどステージの上にいる自分には確実に貴方の教えが生きてます」と感謝した。さらに、「世界一のプロデューサーとして栄光の道を駆け抜けたと思うので、今はゆっくり休んでください。どこにいても自分は貴方の息子です」と思いを伝え、「ご冥福をお祈り致します #ジャニーさんありがとう」と締めくくった。
2019年07月10日歌舞伎俳優の市川海老蔵が、自身のブログを更新し、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんを追悼した。海老蔵は9日夜、「ショックです。」と題してブログを更新。「ジャニーさん、心よりご冥福をお祈りします。とてもショックです」と心情をつづった。また、10日朝の投稿で、「歌舞伎は400年の時を経て伝統芸能となりました。ジャニーズの皆さんは歌って踊れて…ファンの皆さんの笑顔や熱気…まさに歌舞伎のルーツだと思います」とし、「ジャニーさんのエンターテイメントへの愛は育てられた皆さんに受け継がれ、ジャニーさんは出雲のお国のような歴史上の人物になられるでしょう」(原文ママ)と追悼。さらに「ジャニーさんが親で所属の皆さんが子どもたちという関係性…素晴らしいです。ジャニーさんに直接お会いできなかったことが本当に残念です」とつづり、「歌舞伎もエンターテイメントです。ジャニーさんが育てた子どもたちとエンターテイメント界の灯火を絶やさないように私も舞台人としてこれからも頑張っていきたいと思います」と決意を記した。
2019年07月10日元光GENJIで俳優の大沢樹生が10日、オフィシャルブログを更新し、9日に亡くなったジャニーズ事務所代表取締役社長・ジャニー喜多川さん(享年87)についてつづった。ジャニーさんは、乖離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で、9日16時47分に都内の病院で息を引き取った。大沢は、「ジャニーさん」と題し、「お母さん、来週から大沢君はレッスンに来れますか?」「大沢君、来週から電車に乗って一人でレッスン来れるかな?」「ユー、ローラースケートやってみない?必ずスターになれるよ。」「今日で僕から離れるけど負けるなよ!頑張りなさい!!」とジャニーさんからかけられた言葉を振り返った。そして、「ジャニーさんとの想い出が鮮明に蘇って来ます」と心情を記し、「今の自分があるのもジャニーさんの導きがなければ有り得ないことです。ジャニーさん、本当に!本当に!! ありがとう御座いました」「感謝してもしきれないです」とメッセージ。「心より御冥福をお祈り申し上げます」と結んでいる。
2019年07月10日タレントの薬丸裕英が10日、オフィシャルブログを更新し、9日に亡くなったジャニーズ事務所代表取締役社長・ジャニー喜多川さん(享年87)についてつづった。ジャニーさんは、乖離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により、9日16時47分に都内の病院で息を引き取った。かつてジャニーズ事務所に所属し、シブがき隊のメンバーとして活動していた薬丸は、「一晩、泣き明かしました。人生の恩人の逝去…辛く悲しいです」と胸の内を明かし、「ジャニー喜多川社長に出会わなかったら今の自分はありません」と感謝の思いを伝える。また、「14歳から今日までジャニーさんとの色々な想い出が頭の中を駆け巡っています。ジャニーズ事務所を退所した後も年に数回、ご自身がプロデュースする舞台に呼んで下さり、楽屋で近況などお話させていただきました」と回顧。「常にやさしく気遣いの方でした」とジャニーさんを偲ぶ薬丸。この日のブログを、「感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします」と結んでいる。
2019年07月10日歌手で女優の小柳ルミ子が9日、オフィシャルブログを更新し、同日に亡くなったジャニーズ事務所代表取締役社長・ジャニー喜多川さん(享年87)との思い出を明かした。ジャニーさんは、乖離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により、9日16時47分に都内の病院で息を引き取った。ニュース速報で知り、「ショックのあまり涙が滲みました」という小柳。「数日前緊急搬送されたとの報道に『頑張って下さい』と影ながら祈り続けていましたが…残念でなりません」と沈痛な思いをつづった。また、「日本のショービジネスにアイドルを沢山輩出され 多くの方々に愛されるヒット曲を生み出された名プロデューサー」「その功績は計り知れません」と称え、「昔フジテレビの楽屋で『ルミ子ちゃん!ルミ子ちゃんの様な、歌って踊れる本物のエンターティナーを育てて、ルミ子ちゃんと躍らせるのが僕の夢なんだ』と少年の様なチャーミングな笑顔でお話して下さった事 今でも有り難く鮮明に覚えています」「生涯プロデューサーとしてエンターテインメントを追求されたジャニーさんに言って頂いた事は私の自慢です」と大切な思い出を告白。「厳しくも優しく愛情豊かに日本のショービジネスを牽引されたジャニーさん」「又一つ時代が終わったのかと思うと悲しくて悲しくて残念でなりません」と吐露し、「ジャニーさん有難うございました」「本当にお疲れ様でした」「心よりご冥福をお祈りいたします」と結んでいる。
2019年07月10日タレントの布川敏和が10日、自身のブログを更新。くも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんを悼んだ。かつてジャニーズ事務所に所属し、シブがき隊のメンバーとして活躍していた布川。ブログでは「ジャニーさん・・・」と題して更新し、「ニュース速報で、ジャニーさんが お亡くなりになられた事を知りました。とてもショックでなりません・・・」と吐露した。そして、「僕が 15歳の時に、ジャニーさんのオーディションを受け、ジャニーズ事務所に入れて頂きました。そして すぐに、ドラマ『2年B組 仙八先生』に、薬丸君と本木君と出演させて頂きました。一年間のドラマの終わり頃に『You達 三人で、グループで デビューするから!』っと、ジャニーさんに伝えられた お言葉を今でも鮮明に覚えております。そして、シブがき隊が生まれたのです」と、シブがき隊の誕生時のエピソードを披露。「右も左も解らなかった デビューしたての僕らに、ステージ上での立ち振る舞い方や、歌っている最中の表情、目線の位置、事細かく指導して下さいました。いつも優しいジャニーさんは 合宿所でも、『You達、お腹空いてるんじゃない?』っと、よく スパゲティを作ってくれました。 それがとても美味しのです」と続け、「その他にも、ジャニーさんとの思い出は 沢山あります。 シブがき隊が解散して 30年も経ちますが、どれも忘れる事が出来ません・・・」とつづった。さらに、「ジャニーさんと出会わなければ、今 僕が芸能界で お仕事をさせて頂いている事も無かったでしょう。感謝してもし切れません。ジャニーさん、本当に どうも有難う御座いました」と感謝し、「心から御冥福をお祈り致します」と締めくくった。
2019年07月10日木村拓哉が9日、自身の公式Weiboを更新。同日、くも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんを悼んだ。木村は「ジャニーさんは、今まで走り抜きました。ゆっくり休んでください。拓哉」と中国語でコメントした。ジャニーさんは、乖離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により、9日16時47分に都内の病院で亡くなった。享年87歳。同事務所が、マスコミ各社へのFAXを通じて発表した。
2019年07月10日7月9日、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のためこの世を去った。享年87。葬儀・告別式は”子供”であるタレント達とJr.のみで執り行う家族葬になるという。事務所発表によるとジャニーさんは6月18日11時半ごろに自宅で体調の異変を訴え、病院へ向かおうとしたところ意識不明になり救急搬送。集中治療室で救命措置を行い、一般病棟へ移っていた。その後もジャニーさんが寂しい思いをしないよう、タレント達が入れ替わり立ち代り病室を訪問。ときに危険な状態に陥ったが、そのたびにタレントたちが呼びかけると容体が回復したことも。最後は最愛の子どもたちに見守られながら、2019年7月9日午後4時47分に人生の幕を下ろしたという。「1月に社長に就任してから、僕自身も覚悟を持っていちばん最初に定めていた目標です。8月8日は決してゴールではなく、いろんなことが始まる1日にしたい」と語っていたのは昨年末でタレントを引退し、ジャニーズ事務所の子会社・ジャニーズアイランド社長に転じた滝沢秀明(37)だ。8月8日には約19年ぶりにジャニーズJr.の東京ドーム単独公演が開催される。東西のJr.約300人以上が出演する圧巻のステージになるという。19年前の舞台には滝沢を始め嵐や関ジャニ∞など、Jr.黄金期ともいえるメンバーが集結した。「滝沢さんは『SnowMan』らJr.3組が集まった先月のコンサートで『僕らが見た景色をぜひ、Jr.にも見てもらいたい』と力説していました。若手育成に人生を賭けたジャニー喜多川社長から託された思いにほかなりません」(舞台関係者)滝沢は引退時に《ずっと自分を育ててくれたジャニー社長のタレントを育成、プロデュースしていくという意思を継ぐ》とコメント。昨年『週刊新潮』(10月4日号)でジャニー社長から「滝沢がそこまで覚悟を決めたんなら、わかった。僕も応援する。だけど、本当に大変な仕事だよ。(略)大きな決断をしたから、ちゃんと滝沢が仕事をできる環境を作る」と言われたと告白している。「現役時代から滝沢さんは二言目には『ジャニーさんが~』とよく言っていました。地方でコンサートをやった時、マスコミの記者も来ていて、夜は記者たちと懇親会となったのですが、そんなときでも滝沢さんは『ジャニーさんにも声をかけたほうがいいぞ!』と後輩たちに言っていました。それほど気を遣っていた。そういう意味でも“相思相愛”の関係なんです」(テレビ局関係者)滝沢はジャニー社長の背中を見続けていた。先の『週刊新潮』でもその思いを熱く語っている。「とにかく今はジャニーさんの頭の中にある構想を現実にすることで頭が一杯。(略)昔は怖かったですね。若い頃、生意気言って、怒られたこともありますし…。でも、そういったところをすべて受け止めてもらってここまで来られたので、もう本当に親以上の存在です。だから何かを返さなければという思いも強いんです」滝沢は数年前からジャニー社長の誕生会の幹事も率先して引き受けてきた。前出のテレビ局関係者は言う。「滝沢さんの奔走で、近藤真彦さんや東山紀之さん、中居正広さん、嵐など、ほとんどのタレントが出席する大がかりなパーティーになったそうです。ある年は中居さんが一番はしゃいでいたとか。今までジャニーズ事務所のメンバーたちがこうして一堂に会する機会は意外になかったようですね」最初は「You、僕は行かないからね。ほんとにやめてよ、そういうの!」と照れていたジャニーさんも、参加してみると「人生でいちばん嬉しかったです」と笑顔で喜ぶほどだったという。次世代のスターを、世界に羽ばたかせたい。『ジャニーズ』誕生の瞬間から57年、ジャニーさんの強い願いは、滝沢がJr.たちを東京ドームに送り込むことで受け継がれていく――。
2019年07月10日7月9日、ジャニーズ事務所はジャニー喜多川社長が解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のためこの世を去ったことを発表した。享年87。葬儀・告別式は“子供”であるタレント達とJr.のみで執り行う家族葬になるという。事務所発表によるとジャニーさんは6月18日11時半ごろに自宅で体調の異変を訴え、病院へ向かおうとしたところ意識不明になり救急搬送。集中治療室で救命措置を行い、一般病棟へ移っていた。その後もジャニーさんが寂しい思いをしないよう、タレント達が入れ替わり立ち代り病室を訪問。ときに危険な状態に陥ったが、そのたびにタレントたちが呼びかけると容体が回復したことも。最後は最愛の子どもたちに見守られながら、2019年7月9日午後4時47分に人生の幕を下ろしたという。1931年、父の仕事の都合で米国・ロサンゼルスに生まれたジャニー社長。戦時中は和歌山で空襲に巻き込まれ、宿泊先の旅館で防空壕に入れず、逃げ出したところ、防空壕に避難した人は大勢亡くなったという。終戦後はロスの自宅に帰り、仏教寺院のマネージメントを担当していた父をサポートした。当時は日本のスターが多く訪米し、寺院を劇場として利用していたそうだ。「当時11歳の美空ひばりさんもその一人でした。ジャニーさんはこうした経緯からショービジネスの世界に魅せられたそうです。日本に戻り、米軍の通訳として仕事を始めたころ、運命の出会いがあったんです」(舞台関係者)ジャニー社長が最初に芸能界でデビューさせたグループは62年の『ジャニーズ』だった。27年前、本誌にその経緯を語っている。「“ジャニーズ”というのは、少年野球のチーム名だったんです。当時僕は在日米軍の住宅に住んでいたんですが、塀を乗り越えて野球しにくる中学生がいて、僕がその子たちを集めてチームをつくったんです。それがきっかけ。そのチームの子と『ウエストサイド物語』を見に行ったら、みんな興奮して『僕たちもああいうのをやってみたい!』と言い出して」以後、フォーリーブス、たのきんトリオ、光GENJI、SMAP、TOKIOらを輩出したジャニー社長。アイドル育成の極意を当時、本誌にこう語っていた。「僕はひと山いくらで売り出すためにグループをつくっているんじゃない。個々のキャラクターを生かすために組ませているんです。“18歳までに基礎を教えれば育つ”というのが僕の信念。才能を磨いて輝かせるのがわれわれの仕事です。これからは、日本発の世界に通用するアーティストがどんどん育っていくことでしょう」ジャニー社長は12年に、ギネスブックに『最も多くのコンサートをプロデュースした人物』『最も多くのNo.1シングルをプロデュースした人物』『最も多くの音楽チャート1位獲得アーティストを生み出した人物』の3分野で登録されている。ジャニーズタレントの実績を世界配信したいという意図でテレビ初出演した6年前の『NHK WORLD』の全編英語放送番組で、ジャニー社長はこうも語っている。「私が何かをすることが大事ではなく、次の世代が若い世代につなげていくのです。今、そういう作業に直面しています。(私がいなくなった後もジャニーズ事務所は)もちろん続いていくでしょう。その瞬間になっても、あれこれ言うことはありません。見届けるだけです。彼らには十分な経験がありますから、私がいなくなっても大丈夫ですよ」
2019年07月10日ジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんが、乖離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血により、9日16時47分に都内の病院で亡くなったことが分かった。享年87歳。同事務所が、マスコミ各社へのFAXを通じて発表した。以下、全文。■FAX全文平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。弊社代表取締役社長ジャニー喜多川につきましてご報告がございます。2019年7月9日午後4時47分、都内病院におきまして、ジャニー喜多川は、永眠いたしました。享年87歳、死因は、乖離性脳動脈瘤破裂破裂によるくも膜下出血でございます。ジャニーは、自身が育てたタレント達を応援してくださるファンの皆様やご支援くださる関係者の皆様に支えていただくことにより、自身の創作活動が成立し、日々、タレントの育成に励むことができていることに、日頃より大変感謝いたしておりました。ジャニーに代わりまして、心より御礼申し上げます。2019年6月18日午前11時30分頃、自宅におきまして体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失い、救急搬送されました。搬送後、集中治療室におきまして懸命な救命措置を行っていただいたことにより、一般病棟に移ることができましたため、病院のご協力もあり、ジャニーは、自身にとって子供のような存在でございますタレントやJr.との面会を果たすことができました。ジャニーがタレント達と過ごした病院での日々は、かけがえのない時間となりました。新旧、様々な楽曲の流れる病室におきまして、年長のタレントからJr.までが同じ空間でジャニーとの思い出を語り合う、微笑ましく、和やかな時間が流れていきました。片時もジャニーが寂しい思いをしないよう、仕事の合間を縫ってタレント達は入れ替わり立ち替わり病室を訪れました。ジャニーの好物を皆で賑やかに食べることが日課となり、その光景と匂いからまるで稽古場にいるかのような感覚を覚え、皆、懐かしい記憶がよみがえりました。ときに危険な状態に陥ることもございましたが、タレント達が呼びかけ、体を摩るたびに危機を脱することができました。タレント達と過ごすことでジャニーの容体が一時的に回復するという奇跡的な出来事を繰り返し目の当たりにし、改めまして、ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました。そして、最愛の子供達の愛に包まれながら、2019年7月9日午後4時47分、ジャニー喜多川は、人生の幕を下ろしました。ジャニーは病に倒れる直前まで、劇場やスタジオに赴く日々を過ごしておりました。特に公演を目前に控えたJr.達に、連日、熱心に指導する姿はジャニーのプロデューサー人生そのものであり、まさに生涯プロデューサーとしての人生を全ういたしました。1962年ジャニーズ事務所の創業以来、ジャニーは一途にエンターテイメントの創出に励んでまいりました。ジャニーのエンターテイメントに欠かすことができないのはタレントです。これまで多くのタレント達を生み育ててまいりましたが、一貫しておりましたことは、タレントとしてだけでなく、一人の人間として成長することを強く願っておりました。現在では、多くの皆様に支えていただくことで創業当時では考えられない程多くのタレントが、様々な分野で活躍させていただいていることにいつも感謝いたしておりました。ジャニーが私達に最後まで言い続けていたことは、自身の意思を受け継いでくれるタレントを絶え間なく育成し、そのタレントと社員が、エンターテイメントを通じて世界中の皆様に幸せをお届けすることこそが、ジャニーズグループとして決して変わることのない思いであるということです。そして、その中がいつまでもエンターテイメントを楽しむことができる平和で希望に満ちた未来であり続けることを心から願っておりました。これからタレントと社員がその意思を受け継ぎ、一人一人が役割を果たすことで世界中にジャニーの願いが届きますよう、タレントとスタッフ一丸となり、精進してまいりますので、何卒ご指導賜れますと幸甚に存じます。改めまして、ファンの皆様、そして関係者の皆様には心より感謝申し上げます。そして、この入院期間中におきまして、ご尽力くださいました病院関係者の皆様はじめ、ご支援くださいましたすべての方々に心より御礼申し上げます。通夜・告別式につきましては、ジャニーの子供でございますタレント達とJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきますので、何卒ご理解賜りたく存じます。なお、これまでお世話になりました皆様にはお別れいただく機会をご用意する予定にしておりますので、決定次第、ご案内申し上げます。大変恐縮ではございますが、個別のお問い合わせ、取材につきましては差し控えてくださいますよう、何卒ご理解とご協力の程、よろしくお願い申し上げます。2019年7月9日株式会社ジャニーズ事務所
2019年07月09日ヤックンことタレントの薬丸裕英(53)が7月2日、自身のブログを更新。1日にくも膜下出血で入院中と発表されたジャニーズ事務所・ジャニー喜多川社長(87)の回復を願った。薬丸は《回復をお祈りしてます》のタイトルでブログを更新。《私の人生の恩人ジャニーズ事務所ジャニー喜多川社長が6月18日に病院に緊急搬送されたと関係者の方からお聞きし、驚くとともにご容態を心配しており、その日から毎日、回復を願い続けております》と胸中をつづった。そして《昨日、正式に発表があり病名を知りました。一日も早い回復を引き続き心よりお祈りしております》とした。「薬丸さんはジャニーズに入所後、1981年にドラマ『2年B組仙八先生』でデビュー。翌年に『シブがき隊』としてデビューし、トップアイドルに登りつめました。グループは88年に解散。薬丸さんは翌年にジャニーズを退所していますが、その後もジャニーさんのことを親のように慕い続けています」(テレビ局関係者)ジャニー氏が都内の病院に緊急搬送されたのは6月18日。7月1日に事務所が発表したが、その前から薬丸はブログでジャニー氏の容体を心配するかのような書き込みをしていた。6月21日には《ここ数日極度の睡眠不足 寝ても覚めても想い出が走馬灯のように駆け巡る》と容体を心配するかのような書き込みが。また28日にも《回復する事を願って空を見上げる》と書き込んでいた。今回の発表を受け、改めて想いをつづった薬丸。今後もブログでジャニー氏にエールを送り続けそうだ。
2019年07月02日ジャニー喜多川氏の容態について7月1日、ジャニーズ事務所が発表した。先月にくも膜下出血を発症し、現在は入院しているという。事務所がマスコミ各社に送った文面によるとジャニー氏は6月18日、午前11時30分ごろに体調の異変を訴えたとのこと。救急搬送され、「解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血」と判明したという。ジャニーズ事務所は「所属タレント達は、ジャニーを元気づけたいという思いから、日々、病室を訪れておりますが、この面会が叶っておりますのも病院関係者の皆様のご尽力によるものと、心より感謝いたしております」とつづり、「皆様にはご心配をおかけいたしまして誠に恐れ入りますが、今もジャニーは必死に頑張っておりますので、治療に専念することを最優先とさせていただきたく、ご理解くださいますと幸甚に存じます」と呼びかけている。62年に最初のグループ「ジャニーズ」を芸能界デビューさせたジャニー氏。以降、数々のアーティスト達を輩出してきた。12年には「最も多くのコンサートをプロデュースした」「最も多くのNo.1シングルをプロデュースした」「最も多くの音楽チャート1位獲得アーティストを生み出した」人物として、3分野でギネスに登録されている。
2019年07月01日木曜日(現地時間)、パリのグラン・パレで2月に亡くなったカール・ラガーフェルド(享年85)のお別れ会「Karl For Ever」が行われた。「People」誌などによると、「シャネル(CHANEL)」、「フェンディ(FENDI)」、「カール・ラガーフェルド(KARLLAGERFELD)」が企画を行い、出席者は1000人を超えたという。モデル界からはジジ・ハディッドやクラウディア・シファーら、映画界からはティルダ・スウィントンやヘレン・ミレンら、ファッション界からはステラ・マッカートニー、ラルフ・ローレン、アナ・ウィンターら、音楽界からはファレル・ウィリアムスやピアニストのラン・ランなど、実に豪華な顔ぶれ。会場の装飾はオペラやミュージカルの演出家ロバート・カーセンが担当した。3月、ラガーフェルドにとって最後となったシャネルのショーに出演したカーラ・デルヴィーニュは、お別れ会にて彼の好きだったフランス人作家コレットの詩を朗読。コレットの詩には猫が登場し、それに合わせてカーラの後方のスクリーンにラガーフェルドの愛猫シュペットが映し出される演出も。90分間のイベントを通して、アニー・リーボヴィッツが撮影したラガーフェルドのポートレートも映し出された。カールは生前、亡くなった後は葬儀をせずに火葬し、亡き母、1989年に亡くなった元パートナーのジャック・ドゥ・バシェールの遺灰とともに散骨してほしいと希望。その通りに葬儀は行われず、火葬の際に家族やごく親しい友人が立ち会った。(Hiromi Kaku)
2019年06月21日関ジャニ∞の安田章大が、14日(25:30~)に放送されるニッポン放送『WANIMAのオールナイトニッポン~にちようび~』に出演することが決定した。ロックバンド・WANIMAは火曜日の『オールナイトニッポン0』、土曜日『オールナイトニッポン 1CHANCE NIGHGT FEVER』を経て、4月より『WANIMAのオールナイトニッポン~にちようび~』で、月に1度日曜日の深夜にパーソナリティを務める。初回放送である14日に、WANIMAのメンバーとも親交の深い安田がゲスト出演する。WANIMAは昨年、関ジャニ∞に「ここに」という楽曲を提供しており、安田とは音楽番組などで共演するたびに交流をしていた。番組では「にちようび」というテーマでメールを募集するほか、WANIMAのオールナイトニッポンシリーズでおなじみのコーナーも安田と一緒に行う予定だ。
2019年04月05日ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川総指揮による『映画 少年たち』(3月29日公開)の「映画と実演」が29日に行われ、SixTONES(ジェシー、京本大我、高地優吾 ※高ははしごだか、松村北斗、森本慎太郎、田中樹)、Snow Man(岩本照、深澤辰哉、渡辺翔太、阿部亮平、 宮舘涼太、佐久間大介)、宮近海斗(Travis Japan)、中村嶺亜(7 MEN 侍)が登場した。同作は1965年から上演されていた”少年たち”シリーズを、2010年に大阪松竹座と日生劇場で復活させ、Kis-My-Ft2、A.B.C-Z、ジャニーズWESTなど若手ジャニーズが出演している。映画版では2012年の少年刑務所を舞台に、対立する赤房のSixTONES、青房のSnow Man、そして彼らを傍観する黒房のなにわ男子・関西ジャニーズJr.を中心とした物語を展開する。ジャニー喜多川社長のアイディアにより、「映画と実演」を実施。直前に行われた初日舞台挨拶では、深澤が「4月7日までの10日間、『映画と実演』という形で、近年ではあまりみない試みをしている」と明かし、高地が「最近の映画ではないんですけど、昔の映画では、登場人物がステージに上がってパフォーマンスするのが当たり前だったということで。僕たちもジャニーさんが総指揮なので、昔ながらの形にチャレンジする」と説明した。高地は「僕たちSixTONES、Snow Man以外にも実演に出演して」と語り、中村も「出演する日は言えないんですけど、僕たち"7 MEN 侍"も実演するので」とサプライズを宣言。次の上映回で実際に行われた「映画と実演」では、各グループがスクリーン前でそれぞれのパフォーマンスを行い、観客は拍手で盛り上がった。最後には、1人残ったジェシーが「映画と実演、ジャニーさんが初総指揮を取られ、僕たちは色々な形でお仕事させていただいていることに対して、とても光栄に思っています」と観客に語りかける。「みなさんで、『映画 少年たち』を盛り上げて、ヒットさせましょう。それでは、『映画 少年たち』上映します」と言うと、そのまま場内が暗くなり、上映が始まった。同作では、「SHONENTACHI 50th ANIVERSARY ロゴマーク」も誕生。ジャニー喜多川社長の似顔絵をあしらった直筆サイン入りの特別ロゴが、劇場パンフレットや公式ホームページ、TV CMなどに使用されている。○「映画と実演」楽曲リストOvertureJAPONICA STYLEVI Guys Snow Man夢のHollywood×SAMURAIDayBreaker君にこの歌を
2019年03月29日数多くのアイドルを生み出す、ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川製作総指揮による、『映画 少年たち』が29日より全国で公開される。1965年から上演されていた舞台『少年たち』シリーズが、2010年に大阪松竹座と日生劇場で復活し、Kis-My-Ft2、A.B.C-Z、ジャニーズWESTなど現在活躍する若手ジャニーズが出演してきた同作が、待望の映画化となった。今回は2012年の少年刑務所を舞台に、ジャニーズJr.のSixTONES(ジェシー、京本大我、高地優吾、松村北斗、森本慎太郎、田中樹)が赤房、Snow Man(岩本照、深澤辰哉、渡辺翔太、阿部亮平、 宮舘涼太、佐久間大介)が青房、関西ジャニーズJr.のなにわ男子(西畑大吾)、向井康二(Snow Man)、室龍太、Aぇ! group(正門良規、小島健)が黒房に分かれ、物語を展開。さらにHiHi Jets、美 少年、少年忍者、宮近海斗、中村嶺亜といったジャニーズJr.のメンバーたち、戸塚祥太(A.B.C-Z)、横山裕といったスターが出演するという豪華布陣の音楽劇となっている。今回は、松竹の斎藤寛之プロデューサーにインタビュー。歴史あるこの作品を映画化するにあたって、どのような苦労があったのか、たっぷり話を聞いた。○■旧奈良監獄の存在が、映画製作のきっかけに――資料にもこれまでの『少年たち』上演の歴史が並んでいて、私も何度か舞台の取材に伺っているんですが、なぜこのタイミングでの映画化だったんですか?2013年から、松竹で関西ジャニーズJr.の映画を制作してきた流れで、演劇部と「ジャニーさんの舞台を映画化したい」という話が上がっていたんです。ただ、「舞台は舞台のままの方がいいんじゃないのか」といった意見もあり、なかなか具体化はしていませんでした。そのような中で、2年前に「旧奈良監獄が改装されてホテルになる」というニュースがあって、ジャニーさんが「あそこだよ!」と。我々も撮影できるのかわからず法務省に問い合わせて、実際に見に行って、映像をジャニーさんにもお見せして、「ここで撮影するなら映画化できる」と話が具体的になっていきました。――旧奈良監獄の存在が、大きかったんですね。きっかけが大事だったのかもしれないですね。話を伺ったらすぐに改装するというので、急いで撮影時期も相談して、進み始めました。――舞台の『少年たち』では戦争の話も出てきますが、今回の映画ではそこはあえて描かなかったんでしょうか?もちろん戦争についての展開も考えましたが、中途半端に映像化できないという判断になりました。実際に今も、日本以外では戦争が起こっているし、描くならば軸に据えなければならない。今回はそれよりも、現代の少年たちが生きているリアルな背景にこだわり、取材をして入れこませていただきました。――1960年代に上演されていたという、フォーリーブスさんの『少年たち』は意識されたんですか?映像もあまり残っていないので、さすがにそこまで反映はさせませんでしたが、初演にも出てきたというタイヤのモチーフは大切にしています。舞台にほとんどセットもなく、タイヤが釣ってあるだけで。ジャニーさんって、そういう前衛的なところもあるなと思いました。「急げ! 若者」とか、当時の楽曲が歌いつがれているのもすごいですよね。○■ジャニーさんに導かれて物語が出来上がる――最近はミュージカル映画もヒットしていますが、『映画 少年たち』もミュージカルシーンが見どころだと思いました。もともと音楽劇というところから始まっているので、いかにシナリオに音楽を挟み込んで行くかは、ポイントでした。――関西ジャニーズJr.さんのシーンの振り幅も印象に残っています。あそこは、元の台本とも少し違う流れになっています。台本にはジャニーさんからも細かな指示をいただいていて、特に後半のショーのシーンは、うまく着地できました。今回は2018年の冬と夏の2回に分けて撮影を行っており、撮休の間に、ジャニーさんから「生まれ変わる」ということをポイントにした展開の提案があったんです。実際に提案を組み込んで作っていくと、いろいろなメッセージをオーバーラップすることができて、ジャニーさんのアイディアはすごいな、と思いました。ジャニーさんは、おそらく僕らと違う階層で、いろいろなことを考えられているんです。本木(克英)監督と「これはどういうことなんだろう」と考えながら、確かめていくと、うまくはまっていく。ジャニーさんに導かれて、物語を着地させていったという感覚がありました。――ショーのシーンも、夢の世界みたいで。『グレイテスト・ショーマン』をご覧になったみたいで、「ショーだね、やっぱり」と。ご自身もショーをされているので、共感するところがあったんじゃないでしょうか。シビアな話の中で、ショーというアイディアが、すごいと思いました。その裏で、横山くんの芝居も入り、甘いだけじゃない。ご本人を投影されてるのかな、と思わせるところもあって、深いですよね。――本当に製作総指揮を取られていたんですね。僕も、伝説の人物とこんなにお話しできるとは思っていませんでした(笑)。嬉しかった反面、プレッシャーはありましたね。最初におっしゃっていたのは「今までにやってきたことじゃなく、とにかく新しいものを作ってほしい」ということ。舞台でも毎回話が違うのは、「今、作らなければいけないもの」を提供するという考えからなんですね。○■映像部と演劇部の混成チーム――今回は松竹さんの舞台を映画化されていますが、演劇部の方とはがっつり組んで作品に携わられていたんですか?台本も含めて、一緒に作っていきました。特にミュージカル楽曲に関しては、ずっと舞台でやってきたので、使用楽曲や曲のタイミングについて、舞台チームや振付師の方とのコミュニケーションは重要でした。普通の映画と違って完全に混成チームで、大変でした。――そんなに大変だったんですか!もう、国が違うくらい、違いました(笑)。映画はワンシーンのために準備をして、積み上げていく文化ですが、演劇は逆で、リアルタイムの文化。オープニングのダンスにしても、映像スタッフは下見を5~6回して、段取りを決めて……というやり方ですが、舞台チームはその場で振りを確認しながらどんどん形が変わっていくので、働かせる筋肉が違うんだなと実感しました。でも今回一緒にやることによって、かなり勉強になりました。○■ジャニーズJr.の変革期に――作品ではSixTONESの赤房、Snow Manの青房、関西ジャニーズJr.の黒房がメインになっていますが、それぞれのチームの印象を教えてください。SixTONESは、京本くんと森本くんとは今までに一緒に仕事をしたことがあったんですが、それ以外の方は初めてでした。非常に個性的で、濃淡がある集団という印象を受けました。逆にSnow Manは、グループとして長いということもあるのか、チーム意識を強く出してすごくまとまりがある。非常に対照的だなと思いました。関西ジャニーズJr.は、僕らもこれまでにずっと接しているメンバーなので、よく知っているスタッフが多くて、現場に一番馴染んでいたと思います。撮影も関西で行なっていたので、リラックスしていました。――撮影されてから公開されるまでに、ジャニーズJr.さんにも変化があり、このタイミングはもともと狙われていたんですか?全く意識はしていなかったのですが、ちょうど変革期を迎えていますね。YouTubeも話題になりましたし、ジャニーズJr.がフィーチャーされるタイミングで、先鞭をつけられる作品になれたのではないかと思います。――それでは、最後にぜひ作品の見どころを改めて教えてください。今回、本木監督もすごく自信を持っていて、撮影が大変だったからこそ、なおさら良い形になっていると思っています。若い世代の共感も埋めると思いますので、ぜひいろんな方に観ていただけたら。観終わった後に、話せることの多い作品だと思います。あとはやっぱり、楽曲のレベルの高さ。舞台で使っているものも含めて、非常にハイクオリティなものなので、監督の映像と非常に相まって、音楽劇として飽きさせない形になっています。物語とセットで楽しんでほしいですし、ファンの方が楽しめる企画も用意したいと思っています。■斎藤寛之プロデューサー『関西ジャニーズJr.の京都太秦行進曲!』『忍ジャニ参上!未来への戦い』など関西ジャニーズJr.と松竹コラボ映画作品のプロデュースを始め、山田洋次監督作品『小さいおうち』、2017年~の「釣りバカ日誌」TVシリーズにも携わる。松竹所属。
2019年03月26日《関ジャニ∞そのまま解散とかされたら無理やって》《亮ちゃん嘘やと言って》3月7日発売の『週刊文春』で錦戸亮(34)の“関ジャニ∞脱退”が報じられ、日本中のファンに激震が走った――。「昨年、渋谷すばるさん(37)が“音楽活動の追及”を理由に関ジャニを脱退したことが発端となっているそうです。錦戸さんとしては『1人でもメンバーが欠けるなら解散すべき』という思いがあったといいます。それ以来、錦戸さんはグループを脱退する意向をかため、今夏までに結論を出す方向で準備しているそうです」(芸能関係者)だが、渋谷が脱退を発表した約1年前、錦戸は「6人で関ジャニを続けていく!」と意気込んでいたのだという。関ジャニ∞のファンはこう語る。「7人で最後の『関ジャム完全燃SHOW』(テレビ朝日系)の収録が終わったとき、錦戸くんがいちばんに渋谷くんにメールを送ったそうです。そこには《これからの関ジャニは僕が引っ張っていきます》と書いてあったと渋谷くんがブログで明かしています。また、昨年8月の5大ドームツアーで錦戸くんは『6人でツアーをやることを選んだ』と語っていました。そんな錦戸くんがいきなり脱退とか解散と言い出すなんて……」“メンバーの絆”を重んじていた錦戸に、この1年でどんな変化があったのだろうか――。「錦戸さんは昨年2月に公開された主演映画『羊の木』の成功を機に、俳優として活躍の幅を広げたいという思いを強くしたそうです。この映画は海外からも注目を浴び、会見では外国人報道陣を前に流暢な英語でスピーチをする場面も。ハリウッド進出を問われた錦戸さんは『挑戦したい』と答えていました」(映画関係者)そんな彼がお手本としていたのが、事務所の先輩でもあるV6の岡田准一(38)だという。「岡田さんが後輩たちに英会話や乗馬、演技を指導する“岡田部活”という勉強会があるのですが、そこに何度か錦戸さんも参加していたそうです。同じく俳優として活躍する生田斗真さん(34)とも岡田部活で顔を合わせる機会があったようで、役者としての意識が高まっていったといいます。錦戸さんはアイドルとしても俳優としても一流を極める岡田さんに憧れ、尊敬していました」(テレビ局関係者)こうして錦戸が俳優業に専念したいと考えていた矢先、嵐の活動休止が決まったのだ。「今後は関ジャニが事務所の屋台骨を支えるグループになるということに、錦戸さんは少なからずプレッシャーを感じていたそうです。そして、悩んだすえに脱退を申し入れたそうです。メンバーたちも最初は反対していたものの、最終的には錦戸さんの気持ちを受け入れてあげたといいます。たとえ脱退したとしても、陰から関ジャニを支え続ける――。そんな錦戸さんの思いがメンバーにも伝わったのでしょう。事務所を退所するという報道もありますが、引き続きジャニーズで俳優活動に励み、ゆくゆくは役者として後輩の育成にも携わっていきたいと考えているそうです」(前出・テレビ局関係者)揺れる関ジャニ∞。錦戸が抱いた夢は、果たして成就するのだろうか――。
2019年03月12日ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川総指揮による『映画 少年たち』(3月29日公開)のスペシャル予告映像が1日、公開された。同作は1965年から上演されていた”少年たち”シリーズを、2010年に大阪松竹座と日生劇場で復活させ、Kis-My-Ft2、A.B.C-Z、ジャニーズWESTなど若手ジャニーズが出演している。映画版では2012年の少年刑務所を舞台に、対立する赤房のSixTONES、青房のSnow Man、そして彼らを傍観する黒房の関西ジャニーズJr.を中心とした物語を展開する。今回公開されたのは、1月30日に開催された完成披露試写会でのサプライズ・ライブ・パフォーマンスと本編映像を加えた90秒のスペシャル予告映像。1日から、MOVIXほか映画館で上映される。SixTONES(ジェシー、京本大我、髙地優吾、松村北斗、森本慎太郎、田中樹)、Snow Man(岩本照、深澤辰哉、渡辺翔太、阿部亮平、 宮舘涼太、佐久間大介)、関西ジャニーズJr.からは、なにわ男子(西畑大吾)、向井康二(現在はSnow Manとして活動)、室龍太、Aぇ! group(正門良規、小島健)、 HiHi Jets、美 少年、少年忍者、宮近海斗、中村嶺亜ほか、総勢62名の東西人気ジャニーズJr.たちによるパフォーマンスが追体験できる映像となっており、本編映像と相まって、“映画と実演”を予感させる。「ジャニーズの素晴らしさが詰まっている」(ジェシー)、「愛がたくさん詰まった作品」(岩本)、「老若男女問わず愛される、誰もが楽しめるエンターテイメント作品」(西畑)と、出演者陣も自信を見せた。(C)映画「少年たち」製作委員会
2019年03月01日ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川総指揮による『映画 少年たち』(3月29日公開)の完成披露試写会が行われ、出演者が登場した。同作は1965年から上演されていた”少年たち”シリーズを、2010年に大阪松竹座と日生劇場で復活させ、Kis-My-Ft2、A.B.C-Z、ジャニーズWESTなど若手ジャニーズが出演している。映画版では2012年の少年刑務所を舞台に、対立する赤房のSixTONES、青房のSnow Man、そして彼らを傍観する黒房のなにわ男子・関西ジャニーズJr.を中心とした物語を展開する。上映終了後、「『少年たち』映画と実演、スタート!」というかけ声から、SixTONES(ジェシー、京本大我、松村北斗、高地優吾、森本慎太郎、田中樹)、Snow Man(岩本照、深澤辰哉、渡辺翔太、阿部亮平、宮舘涼太、佐久間大介)、なにわ男子(西畑大吾)、関西ジャニーズJr.(向井康二 ※現在はSnow Manとして活動、室龍太、正門良規、小島健)、Travis Japan(宮近海斗)、7 MEN 侍(中村嶺亜)、Hi Hi Jets(高橋優斗、井上瑞稀、橋本涼、猪狩蒼弥、作間龍斗)、美 少年(那須雄登、佐藤龍我、金指一世、藤井直樹、浮所飛貴、岩崎大昇)、5忍者(ヴァサイェガ渉、北川拓実、川崎皇輝、内村颯太、元木湧)、少年忍者(豊田陸人、村上真都ラウール、織山尚大、黒田光輝、久保田空輝、安嶋秀生、平塚翔馬、檜山光成、青木滉平、川崎星輝、瀧陽次朗、ブランデン、稲葉通陽、小田将聖、鈴木悠仁、田村海琉、山井飛翔、深田竜生、齋藤悠杏、長瀬結星)、ジャニーズJr.(手島麗央、嶋村法穏、大関荷風、有馬信平)、研修生(小山龍之介、高橋翔吾、久保廉)が登場し、サプライズLIVEを披露。大歓声で迎えられ、観客もスタンディングで盛り上がった。また、深澤、田中、室がMCとなり、SixTONES、Snow Man、関西ジャニーズJr.によるトークが行われた。本木監督は「出来上がらないんじゃないかと思ってました。晴れてこの日を迎えられて嬉しく思っています」としみじみ。作中の冒頭のワンカメショーは一発OKだったというが、本木監督は「スタッフは2ヶ月で準備しました。みんな1発で覚えちゃうからすごい」と称賛した。映画には、先輩である横山裕(関ジャニ∞)、戸塚祥太(A.B.C-Z)も出演するが、横山の話になると、渡辺と高地が崩れ落ちて思い出し笑い。うまく説明できない二人に代わり、田中が「横山くんが昔の囚人に襲われて足を怪我して、古傷が残ってるという設定で」「横山くんの撮影が終わったら、高地が『足大丈夫ですか?』て。そんぐらいの演技力だったの!」と、エピソードを披露する。高地は「台本を読み込めてなかった」と反省したものの、横山が「役やで」と返答したことを明かし、「『そんなに痛さが伝わったんだったらよかった』ってフォローしてくれて、本当に優しい先輩だなって、その夜、寝れなかった」と語った。また戸塚については、舞台で共演していたという京本が、「2月の撮影の時は、その役がまだ決まってなくて。舞台中に『少年たち』の相談をめちゃくちゃしてて」「その時は戸塚くんも出ると思ってなかったけど、7月に撮影が再開したら戸塚くんとのシーンで、向かい合って、穏やかな優しい雰囲気にすごい包まれて、とてもやりやすかったです」と振り返った。最後には、「世代を超えて色々な人に愛される作品になれば」(岩本)、「ハッシュタグ #少年たちエモい で拡散していただければ」(西畑)、「今こうして歴が長く、CDデビューなどをしなくても作品ができることを嬉しく思っているので、今後もどうぞよろしくお願いします」(ジェシー)と挨拶。さらに終わりを惜しむ観客に、室の「どうする? 延長する?」の一声から、1曲「勇気100%」を全員で歌って踊り、最後までサプライズとなった。○サプライズ LIVE・君にこの歌を・若者たち・ABC・INST(ローラー)・僕らはMysterious・HiB HiB Dream・JAPONICA STYLE・VI Guys Snow Man・Happy・夢のHollywood×SAMURAI・Day Breaker・勇気100%(トーク終了後)
2019年01月30日