2015年1月29日、50歳の若さで逝去したモデル・雅子。4年の歳月が経った今年、モデルとして、女性としての彼女の人生を辿ったドキュメンタリー映画『モデル 雅子 を追う旅』が完成。写真家・安珠が手がけた写真が蘇るメインビジュアルとともに、予告編が公開された。19歳でモデルとしてデビューして以降、誰よりも強いプロ意識を持ち、雑誌「an・an」や「装苑」など時代の最先端で活躍した雅子。役者としてもその才能を開花し、CMや映画『リング』(’98)で貞子の母・山村志津子を演じるなど大きな話題となった。その素顔は、映画とフランスとチョコレートが大好きで、等身大の美しさを大切にするひとりの女性だった。だが、2015年1月29日の夜明け前、モデル・雅子は稀少がん闘病の末に旅立った。そのとき、夫である大岡大介は「夫婦として共に生きながら、モデルとしての雅子をほとんど知らないまま」だったことに気づき、「モデル・雅子」の半生を追い、映画にして伝えてゆくことを決意する。自宅に積まれたままの「雅子」が登場した雑誌やビデオなどを片っ端から調べ、衝動のままに「雅子」を知る人々に、監督としてインタビューを重ねてゆく。数多くの関係者の言葉から、生涯プロフェッショナルのモデルとして貫き通した姿勢と、どんな時代も「身の丈の美しさ」を追求し続けた、ひとりの女性としての「雅子」の輪郭があらためて浮かび上がる。そのあり方はきっと、より健やかにより美しく生きようと志す、現代全ての女性たちへの贈り物になるはず。本作では、俳優で雅子さん出演映画『サヨナラCOLOR』で監督も務めた竹中直人、俳優の高嶋政宏ら生前の雅子さんを知る人々に夫である大岡氏が自らインタビューを敢行。美しさに隠された、愛すべき素顔が明かされる。与えられた環境の中で地に根を張りながら華麗に咲き誇り、花のように生きたひと。彼女の香りは残された人々の中に残っている。今回解禁された本作のメインビジュアルには、写真家・安珠が20年以上前に撮影した、新人時代の雅子さんの写真を使用。椿の花を背景に少女の様な無垢さを感じさせる一方、力強い眼差しで妖艶さも魅せ、その魅力が詰まったビジュアルとなっている。なお、上映劇場のアップリンク吉祥寺では公開日からトークイベントを実施。雅子さんに縁のある豪華なゲストを迎える。『モデル 雅子 を追う旅』は7月26日(金)~8月1日(木)、アップリンク吉祥寺にて1週間限定公開、全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2019年05月12日5月4日、天皇陛下のご即位を祝う一般参賀が行われ、参賀者は14万以上にのぼった。雅子さまをはじめ、女性皇族の方々は美しいローブモンタント姿を披露され、その華やかさに参賀者からは感嘆の声が上がった。令和の時代を迎えた現在、女性皇族は11人。雅子さまをお支えする、新時代のプリンセス11人のプロフィールを一挙に振り返る。■愛子さま天皇皇后両陛下のご長女で、現在学習院女子高等科の3年生。音楽がお好きで、チェロ、バイオリンを演奏される。また、スポーツも得意で、学習院女子中・高等科の校内スポーツ大会ではバスケットボール、ソフトボールで活躍されたという。最近は仲のよいお友達と、文化祭でチアダンスを披露。昨年には英イートン校のサマースクールにも参加し、お一人での初めての海外訪問となった。皇族方が身の回りにつけるシンボル、「お印」はゴヨウツツジ。那須御用邸の周辺に咲いており、「純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」との思いが込められている。■紀子さま秋篠宮さまとは学習院大学の書店で出会い、キャンパスの恋を実らせて’90年にご結婚。アメリカやオーストリアで幼少期を過ごされ、英語やドイツ語も堪能で知られる。悠仁さまのご懐妊中に海外絵本を翻訳されたことも。手話も得意なほか、結核予防会総裁を務められるなど、福祉関係にも尽力されている。今後は皇嗣妃殿下として、重責を担われることになる。お印は檜扇菖蒲(ヒオウギアヤメ)。昭和天皇が那須高原の湿原に美しく咲くヒオウギアヤメの研究をしており、秋篠宮さまも研究を手伝われていたことから選ばれた。■眞子さま上皇陛下と美智子さまの初孫にして、秋篠宮ご夫妻のご長女。国際基督教大学へ進学し、同大学院に在学中。これまで2度のイギリス留学で、博物館学を学ばれた。現在、東京・丸の内にある博物館「インターメディアテク」にお勤めになるとともに、ご公務に臨まれている。今年7月には、南米のペルーとボリビアを公式訪問される予定。昨年、小室圭さんとのご結婚が延期になり、今後が注目される。お印は木香茨(もっこうばら)。秋篠宮ご夫妻がお好きな花で、紀子さまがお選びになった。秋篠宮家の庭に植えられており、初夏に可憐な花を咲かせる。■佳子さまこの春、国際基督教大学をご卒業。高校生のころからダンスがお好きで、最近でもスクールの発表会にも参加して踊りを披露されている。大学では心理学を専攻されたほか、イギリスに9カ月間留学、舞台芸術を学ばれた。これまで手話甲子園や馬術競技大会、スピーチ大会など若い世代の催しに精力的に取り組まれてきた。ご卒業の際の文書回答で、今後はご公務に励まれると表明されている。お印はゆうな。ゆうなとは、ハイビスカスの一種・オオハマボウの沖縄地方での呼称。秋篠宮ご夫妻が九州南部、沖縄県の島々に咲くこの花がお好きで選ばれた。■寬仁親王妃 信子さま「ヒゲの殿下」として親しまれた故・寬仁親王殿下のお妃で麻生太郎氏の妹。一時期の体調不良から快復し、最近はご公務に復帰。数年前は、ご家族と距離を置かれた時期もあった。お印は花桃。■彬子さま寬仁親王殿下と信子さまのご長女。オックスフォード大学に留学し、日本美術のコレクションについて研究された。祖父・三笠宮殿下から続くトルコとの親善役を引き継がれている。お印は雪。■瑶子さま寬仁親王殿下の次女。学習院女子大学時代は体育会系の剣道部で活躍された。ご卒業後、日本赤十字社にお勤めになった。退社後はお姉さまと力を合わせ、公務に務められている。お印は星。■高円宮妃 久子さま47歳の若さで薨去された故・高円宮殿下のお妃。日本サッカー協会など、殿下から多くの名誉総裁を引き継がれ、東京五輪招致の際には、フランス語で見事なスピーチを披露された。お印は扇。■承子さま高円宮殿下と久子さまのご長女。大学卒業後は日本ユニセフの嘱託職員として勤務されている。妹君の典子さんは出雲大社権宮司・千家国麿さんと、絢子さんは日本郵船の社員・守谷慧さんと結婚された。お印は萩。■三笠宮妃 百合子さま3年前に100歳で薨去された三笠宮殿下のお妃。現在最高齢の皇族で、何度か入院されたが、今年の新年一般参賀にもご参列。新婚時代は庶民的な生活をされていた。お印は桐。■常陸宮妃 華子さま上皇陛下の弟宮・常陸宮殿下と前回の東京五輪が開催された’64年にご結婚。若いころからおしゃれで、気さくなお人柄で人気があった。ゴルフ好きでも知られている。お印は石楠花(シャクナゲ)。現在、未婚の女性皇族は6人。上皇上皇后両陛下のご長女・黒田清子さん(50)や、昨年結婚された守谷絢子さん(28)のように、結婚後は皇室から離れられるのか、それとも「女性宮家」として皇室に残られることとなるのか。「女性天皇」「女系天皇」に関する議論も含め、今後の女性皇族方の境遇について、注目が集まる。
2019年05月11日ハーバード大学卒、元外務省職員――と、輝かしい経歴をお持ちの新皇后陛下、雅子さま。その背景には、多感な幼少期を世界各地で過ごされたご経験があった――。父・小和田恒さん(86)は外交官。そのため、雅子さまは1才8カ月のときにはモスクワに移住。4才のときにニューヨークへと引っ越された。現地では、すぐにロシア語や英語をマスターされるなど、語学的な才能を発揮された。明るいご性格でお友達にも恵まれ、日本、米国で学ばれた中学高校時代は、ソフトボールに熱中。成績も大変優秀で、ベルモントハイスクール時代のニックネームは“頭脳”を意味する「ブレイン」だった。一方、中学の卒業文集では夏目雅子さん(享年・27)をもじって「芸名・脱目雅子」と自己紹介するお茶目な一面も。好きな曲は「浪曲、民ようならなんでも!自分で三味線を弾きながら歌うのが最高ヨ!」とも書かれていた。ハーバード大学進学後も、寮のパーティでマイケル・ジャクソンの曲に合わせディスコダンスを披露されるなど、学生生活を謳歌された。真面目なストイックさと、お茶目な一面を持たれる雅子さま。皇后となられた今、国際親善の場で、そのお人柄がより輝かれるに違いない――。
2019年05月07日グラビアアイドルの和久井雅子がこのほど、東京・秋葉原のソフマップで最新イメージDVD&ブルーレイ『ワクワクさせて』(ともに発売中 DVD:4,104円税込 ブルーレイ:5,184円税込 発売元:ラインコミュニケーションズ)の発売記念イベントを行った。2018年1月にOLからグラドルに転身し、同年11月に衝撃の1stDVD『イイコトしたい』をリリースした和久井雅子。清楚なフェイスからは似つかわしくない妖艶な仕草と大胆な露出で、"平成最後の愛人"と呼ばれて人気を呼んでいる。1stDVD以来となる同DVDでは、愛する夫がいながら別の男性と不倫に興じる妻を演じた和久井が、随所で大胆シーンに挑戦するなど、"平成最後の愛人"というキャッチコピーに相応しい1枚となっている。白のビキニ姿で報道陣の取材に応じた和久井は「愛する旦那さんがいながら別の男性と関係を持ってしまうという女性を演じました。関東近郊から離れるのは初めてのお仕事だったので、終始ドキドキしていたのを覚えています」と丁寧な口ぶりで撮影を振り返り、「畳のお部屋で布をまとったシーンは、ストーリーとは関係ないんですけど、光がキレイで印象に残っています」とお気に入りのシーンを紹介した。不倫妻を演じたということで、全体的にどれもセクシーだが、特にセクシーなシーンとして「海辺のシーンはトレンチコートの下に水着を着ていて、旦那ではない男性の前で挑発的に見せつけました。一般の方もいらっしゃる中、コソコソと撮影したのでドキドキしたのを覚えています」と頬を赤らめながら、「ベッドで黒い下着と眼鏡をかけているシーンは、直前にお酒を飲みました。ほろ酔いで素に近く雰囲気もしっとりとしていて色っぽくなっていればと思いながら撮影しました」と語るなど、和久井の素顔が見られる貴重なシーンが収録されているという。"平成最後の愛人"というキャッチコピーで売り出している和久井。奇しくもソフマップでの平成最後のイベントを和久井が飾った。「私は平成6年生まれで、昨年上京してデビューしました。ですから平成は自分の中で準備の年だと思います」と平成を振り返り、「令和になって初めて新しいスタートだと思っています。最近は愛人キャラの方が多い中、私はたまたまタイミング的に平成最後にデビューさせていただきました。令和では自分の色を出して自分だけしか呼んでもらえないキャッチコピーをつけてもらえるように頑張っていきたいです」と決意を新たにしていた。
2019年05月03日苦悩の日々を乗り越え、新皇后となる日を迎えられる雅子さま。宮内庁関係者は、新時代に臨まれるお気持ちは明るいと断言する。「26年前、外務省職員から皇太子妃へ“転身”された雅子さまは、新たなステージで国際親善に取り組むことに大きな使命感を感じていらっしゃいました。最近の雅子さまからは、ご成婚当時と同じくらいポジティブなお気持ちが感じられます。もともと雅子さまは、一度目標を定めると、実現のために努力を惜しまない方。すでに新時代の皇室に向けて思い描いている目標もいくつかお持ちのようです。それを一言で言い表すなら“愛される皇后”を目指すことだと言えるでしょう」この15年あまりはご療養のために公務を休まざるをえず、雅子さま本来の人間性が発揮される場面はあまりなかった。しかし、皇室担当記者はこう説明する。「実は雅子さまはお話し好きでユーモアもお持ちなのです。海外生活が長く語学も堪能でいらっしゃいますから、ご成婚直後に臨まれた宮中晩餐会では、フランス語、英語、ドイツ語を駆使して招待客に話しかけられて海外マスコミの注目も集めました」皇太子さまも一昨年、マレーシアの首相とセルフィー(自撮り)を撮影されるなど、フランクな一面をお見せになっている。「かねてから皇太子さまは会見で、理想の皇室像を“国民の中に入っていく皇室”と表現されていました。天皇皇后両陛下が平成を通じて示された“国民と共にある皇室”よりもさらに一歩国民に近づき、多くの声を聞きたいという思いが感じられます。国民に親しまれ、愛される天皇皇后像へ――。その目標はご夫妻で話し合われたものでしょう」(皇室担当記者)雅子さまの目標とする“愛される皇后”への思いの根底には、ご自身が苦しまれた経験があると、精神科医で立教大学教授の香山リカさんは語る。「ご出産と子育てで悩まれ、適応障害で長期療養されてきた経験があるからこそ、災害の被災者や障害のある方など様々な立場の人々の苦難にも深く共感できるはずです。そういった方々にお会いになることで、社会問題に光を当て国民の関心を生むことも、皇后として大切なお務めだと思います」
2019年04月30日昨年12月9日、雅子さまは55歳の誕生日に際してのご感想文書にこう記された。《地球温暖化や環境汚染など、国際社会が一致して取り組む必要のある課題が多岐にわたっています》《このかけがえのない地球を健全な形で将来の世代に引き継いでいくために、私たちが何をすべきなのか、それぞれが真剣に考えていくことが必要な時代になっているのではないかと感じます》国際親善を目指された雅子さまだったが、この15年で海外訪問の機会はわずかに3回しかなかった。そのうち1回はご療養のためのオランダ訪問だ。それでも、雅子さまは世界の環境破壊や貧困に関心を持ち続け、専門家のご進講も皇太子さまとそろって受けられてきた。雅子さまは“世界に愛される皇后”も目指されているのだ。ただ、雅子さまの思いは皇室に入られた26年前とは少し違うと語るのは宮内庁関係者。「いちばんの違いは、26年間にわたり美智子さまのなさりようをずっとご覧になってきたことです。被災地への激励、戦地での慰霊をはじめ、美智子さまは国民に寄り添う心を常に一つ一つのお言葉やお気遣いで体現されてきました。皇后として、天皇を支える立場として、国民のためにできることは何か――。雅子さまは皇后になる日を見据えて、誰よりも真剣に悩み、考えてこられたはずです」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんも、雅子さまへの期待を語る。「美智子さまは、子や孫の世代に戦争体験を継承していくことで、平和の大切さを訴えてこられました。雅子さまは戦争を経験した世代ではありませんが、その思いを皇太子さまとともに受け継いでいかれると信じています」昨年、雅子さまが15年ぶりに出席された「全国赤十字大会」では、最後の場面で美智子さまが雅子さまの腕をとり、会場に紹介された。皇后にとって唯一の役職である日本赤十字社名誉総裁の“バトンタッチ”が話題になった。今年の大会は、雅子さまが新皇后になられた直後の5月中に開かれるとみられている。「今年から皇后としてその場所に立たれる雅子さまは、美智子さまに“令和の奮闘”を約束されていることでしょう」(宮内庁関係者)4月に刊行された「水問題」についての講演をまとめた著書『水運史から世界の水へ』(NHK出版)の序章に、皇太子さまはこう記されている。《私の水に対する関心に、いつも理解と協力をしてくれている妻の雅子にも感謝の気持ちを伝えたいと思います》固い絆で結ばれた令和の御代の天皇陛下と、愛子さまとともに……。雅子さまは新時代の“愛される皇后”を目指される。
2019年04月30日平成の即位の礼での装束を身にまとわれた、天皇陛下と美智子さま。そのお写真を、雅子さまはじっと見つめられていた――。5月1日の新天皇即位を間近に控え、皇太子ご夫妻は4月24日、東京・上野の東京国立博物館で開催されていた天皇陛下の即位30年を記念した特別展「両陛下と文化交流―平成の日本美を伝える―」を鑑賞されていた。「展覧会で、陛下、そして美智子さまの足跡をご覧になり、雅子さまもいよいよ新皇后になられる実感を抱かれたことでしょう。クリーム色のスーツをお召しになった雅子さまは、報道陣の前でも堂々とされていると感じました。皇后になる日が近づくにつれ、雅子さまのご表情は日に日に明るくなっています」(皇室担当記者)ご体調が劇的に上向いた理由として「愛子さまのご成長が大きい」と語るのは宮内庁関係者。「雅子さまの適応障害の根本には“お世継ぎ”の問題がありました。不妊治療と流産を乗り越え、’01年12月に愛子さまが誕生されたことは皇太子ご夫妻にとって至上の喜びでした。しかし’03年6月、当時の宮内庁長官は定例会見で『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』と発言。雅子さまにとっては、愛子さまの存在までも否定されたように感じられたことでしょう。半年後に帯状疱疹で入院され長期にわたるご療養に入り、その後、適応障害と診断されたのです」雅子さまはたっぷりと愛情を注ぎ愛子さまを育てられたが、学習院初等科2年生のときにはほとんど登校ができない状態になってしまう。その後も愛子さまの不規則な登校は続いた。実は、愛子さまが小学4年生だった’11年の秋ごろ、雅子さまは親しい知人にこう語っていた。「愛子には愛子の人生があり、皇室に生まれた運命、持って生まれた運命というものがあります。もちろん親としての娘の人生への希望はありますが、私どもの気持ちだけで、あの子の運命を、どうこうするわけにはいかないのです」逡巡する口ぶりから、愛娘の未来を憂う雅子さまの苦悩が伝わってくる。「いずれは“天皇の娘”となられるお立場なのに、皇位継承権を持たない愛子さま。一方で女性宮家創設案も浮上しており、どう育てていくべきか思い悩んでいらしたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)しかし、一昨年に学習院女子高等科に進学されてからの愛子さまは、雅子さまを驚かせるほどの急成長を見せられた。「学校では社交的になられ、昨年の文化祭ではご友人たちとチームを組んでダンスを披露されました。さらにステージの司会もお務めになって会場を盛り上げたのです。東宮御所を訪れた外国の要人との懇談に参加され、英語でお話しされたこともあります。昨年の夏には英イートン校への短期留学も経験されています」(前出・宮内庁関係者)4月14日の「オール学習院の集い」でも、皇太子ご一家の仲睦まじいご様子が目撃されている。「盲導犬協会のブースで、雅子さまは愛子さまを促され、募金やお声がけのアドバイスをされていました。積極的に公の場でのなさりようを“特訓”されているようでした」(学習院関係者)雅子さまと愛子さまのまなざしは、新しい時代を見据えている。「娘に皇室に生きる運命を背負わせてしまったことに、ご体調が悪いころの雅子さまは自責の念を抱かれていたと思います。しかし愛子さまは皇族としての役割を受け止め、お立場を自覚されたのです。雅子さまはその成長に驚き、涙されたことでしょう。皇室に嫁ぎ、愛子さまを産んでよかった……。心からそう思えるようになったことで、雅子さまは笑顔を取り戻されたのです」(皇室ジャーナリスト)
2019年04月30日中井貴一×佐々木蔵之介W主演の開運お宝コメディとして人気を博した『嘘八百』のシリーズ第2弾が始動。先日、中井さん、佐々木さんとともに2人を惑わす着物美人役で新たに広末涼子の出演が発表されたが、この度、さらなる豪華追加キャストが明らかになった。■ストーリーかつて大阪・堺で、幻の利休の茶器で大勝負を仕掛けた古物商の則夫と陶芸家の佐輔。2人はそれぞれの人生を送っていたが、ひょんなことからお宝眠る古都・京都で再会を果たす。そこで出会ったのは、着物美人の志野(広末涼子)。彼女のけなげな想いにほだされて、2人は利休の茶の湯を継承し「天下一」と称された武将茶人“古田織部”の幻の茶器にまつわる人助けに乗り出すが、有名古美術店や大御所鑑定家、陶芸王子、テレビ番組をも巻き込む大騒動にーー。■佐々木蔵之介の妻&息子は友近&前野朋哉が続投!前作に続き本作を盛り上げるのは、佐々木蔵之介演じる佐輔の妻・康子役の友近、中井貴一演じる則夫の娘・いまり役の森川葵、佐輔と康子の息子・誠治役の前野朋哉、さらに則夫と佐輔に協力する飲み屋「土竜」チームの坂田利夫、木下ほうか、宇野祥平、学芸員役の塚地武雅、文化庁の役人役の桂雀々ら個性豊かなキャスト陣。■加藤雅也&山田裕貴ら新キャストもクセ者ぞろい!そして、今作から新たに参加し作品をパワーアップさせる面々も豪華な顔ぶれが勢ぞろい。古美術店「京都嵐山堂」主人・嵐山直矢役には放送中の朝ドラ「まんぷく」でも話題の加藤雅也、大御所鑑定家・億野万蔵役には数々の映画やドラマで圧倒的存在感を見せる竜雷太、さらに“陶芸王子”として人気を博す若手陶芸家・牧野慶太役には次期朝ドラ「なつぞら」にも出演する、いま最もアツい若手俳優の山田裕貴、そしてテレビ番組プロデューサー役に吹越満、テレビ番組ディレクター役に坂田聡、その番組の司会をつとめる女子アナに冨手麻妙、「京都嵐山堂」番頭には山田雅人、広末涼子演じる志野の父に国広富之と、見逃せない競演となっている。前作に続き本作を手がけるのは、人間味あふれる芸達者たちの軽妙なやりとりや知的好奇心をくすぐる骨董トリビアを散りばめながら、強欲うずまく抱腹絶倒の騙し合いを二転三転、そしてどんでん返しさせた監督・武正晴と脚本家・今井雅子&足立紳の強力チーム。今回も、今井さんと足立さんのタッグによりオリジナル脚本で描く。2月にクランクインした本作は、この度、無事にクランクアップを迎えたばかり。『嘘八百』シリーズ第2弾は2020年1月、TOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:嘘八百 2018年1月5日より全国にて公開ⓒ 2018「嘘八百」製作委員会
2019年03月09日2月23日、皇太子さまは59歳の誕生日を迎えられた。会見のなかで記者からは、新皇后となられる雅子さまについて「どういった内容でご公務、ご活動をされていってほしいとお考えでしょうか」と質問があった。しかし皇太子さまは、《今具体的にどういうものかということは、お答えできないのですけれども》と、明確な言及を避けられた。2月25、26日には天皇陛下のご即位30年を祝う茶会が開催されたが、雅子さまは欠席された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「いよいよ皇太子さまのご即位が近づき、雅子さまにとって『皇后』という言葉は大きなプレッシャーとなっているのかもしれません。一般の方ならば、適応障害であったとしてもリワーク(慣らし出勤)という形で段階的に仕事復帰ができます。しかし皇后になられる雅子さまは、一夜にしてお立場が変わってしまいます。皇太子さまはご即位後に、国際的に活躍される皇后・雅子さまを実現するためにも、今は雅子さまのプレッシャーになるようなご言動は避けられていると思います」今回は皇太子さまにとって、平成最後の会見だった。「宮内記者会は再三にわたり『雅子さまのご同席』を要望したのですが、実現しませんでした。雅子さまの記者会見は、ご病気になられて以来15年間、一度も行われていません。昨年6月の皇太子ご夫妻の銀婚式や、12月の雅子さまの誕生日にも会見を要請しましたが、宮内庁は聞き入れませんでした。お代替わりまで雅子さまの会見は“お預け”となってしまいました」(皇室担当記者)さらに前出の皇室担当記者は、愛子さまの近況を心配する。「この4月から学習院女子高等科の3年生になられる愛子さまですが、最近は学校をお休みがちなのです。愛子さまの体調不良も、雅子さまにとって不安要素になっているはずです」お代替わりとなる5月には、さっそくいくつもの重責が雅子さまを待っている。「宮内庁は、皇太子さまのご即位から数日以内に一般参賀を開催することを検討しています。新天皇皇后両陛下が国民の前に姿を見せられる初めての機会となるため、雅子さまが欠席されるわけにはいきません」(前出・皇室担当記者)2月22日午後には、安倍首相が東宮御所を訪問。お代替わりのスケジュールとともに国内外の情勢について報告したという。「首相が皇太子さまに直接説明するのは極めて異例です。安倍首相は5月26~28日の日程で調整が進んでいるトランプ米大統領の訪日についても報告したはずです。新天皇皇后にとっては外国首脳との初会談。しかも国賓待遇ですので宮中晩餐会も催されることになります。その様子は世界中に報道されるでしょうから、新天皇皇后の国際的な“お披露目”になるでしょう。雅子さまの語学力や外交的な知見が大統領相手にいかんなく発揮されれば、今後の『新しいご公務』への道も一気に拓けるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)新皇后となられるまであと2カ月。雅子さまは皇太子さまとともに、この重圧をはねのけることもできるはずだ――。
2019年03月01日映画『嘘八百 京町ロワイヤル』が、2020年1月31日(金)より、TOHO シネマズ 日比谷ほかで全国ロードショー。映画『嘘八百』の続編となる本作は、前作に続き中井貴一×佐々木蔵之介をW主演に迎え“開運お宝”コメディを描く。中井貴一×佐々木蔵之介再びタッグ映画『嘘八百』は、中井貴一演じる目利き古物商・小池則夫と、佐々木蔵之介演じる陶芸家・野田佐輔がタッグを組んで、一攫千金を狙う“開運お宝”コメディ。2018年1月に公開され、話題を呼んだ。人気作の続編は、大阪・堺に加え古都・京都まで舞台を広げ、新たなストーリーを綴る。利休の茶の湯を継承し「天下一」と称された武将茶人“古田織部”の幻の茶器を巡って、小池則夫と野田佐輔が再び集結。知的好奇心をくすぐる骨董トリビアを交えながら、ユニークな物語を描き出す。マドンナ役で広末涼子が参戦また、シリーズ最新作にはマドンナ役で、映画『ラブ×ドック』に出演した、広末涼子が参戦。2人と幻の茶器に深く関わってくる着物美人の志野役を演じる。佐輔の妻・康子役の友近、則夫の娘・いまり役の森川葵、佐輔と康子の息子・誠治役の前野朋哉、則夫と佐輔に協力する飲み屋「土竜」チームの坂田利夫、木下ほうか、宇野祥平、学芸員役の塚地武雅、文化庁の役人役の桂雀々らは、前作から続投。新キャストとして、古美術店「京都嵐山堂」主人役の加藤雅也、大御所鑑定家・億野万蔵役の竜雷太、「陶芸王子」として人気を博す若手陶芸家・牧野慶太役の山田裕貴などが加わり、映画を盛り上げる。その他、テレビ番組のプロデューサーを吹越満、ディレクターを坂田聡、女子アナを冨手麻妙、「京都嵐山堂」番頭を山田雅人、志野の父を国広富之が演じる。ストーリーかつて、大阪・堺で幻の利休の茶器で大勝負を仕掛けた古物商の則夫と陶芸家の佐輔。二人はそれぞれの人生を送っていたが、ひょんなことからお宝眠る古都・京都で再会を果たす。そこで出会ったのは、着物美人の志野。彼女のけなげな想いにほだされて、二人は利休の茶の湯を継承し「天下一」と称された武将茶人“古田織部”の幻の茶器にまつわる人助けに乗り出すが・・・。それは、有名古美術店や大御所鑑定家、陶芸王子、テレビ番組をも巻き込む大騒動に―。【作品情報】映画『嘘八百 京町ロワイヤル』公開日:2020年1月31日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー監督:武正晴脚本:今井雅子、足立紳出演:中井貴一、佐々木蔵之介、広末涼子、友近、森川葵、坂田利夫、前野朋哉、木下ほうか、宇野祥平、塚地武雅、桂雀々、加藤雅也、竜雷太、山田裕貴、吹越満、坂田聡、冨手麻妙、山田雅人、国広富之
2019年02月15日《大君と母宮の愛でし御園生の白樺冴ゆる朝の光に》1月16日、歌会始の儀で発表された雅子さまのお歌である。天皇陛下と美智子さまが皇太子ご夫妻だったころ、お住まいだった東宮御所の庭に育てられた白樺が題材となっている。両陛下への感謝がこめられたお歌だったが、歌会始の儀が催された皇居宮殿「松の間」に雅子さまの姿はなかった。「両陛下が出席されてお歌を披露される歌会始は今回が最後です。’04年以降欠席されている雅子さまは、今年こそは出席したいという思いも強かったはずですが、7日に出席された昭和天皇三十年式年祭の翌日から体調を崩されてしまったのです」(宮内庁関係者)その後も発熱が続き、11日の講書始の儀、そして歌会始の儀も出席を控えられた。雅子さまにとっては悲痛な新年となってしまった。しかし、お代替わり後、新皇后の雅子さまを待ち受ける儀式やご公務の“試練”はさらに重い。5月から11月まで即位関連行事が半年以上にわたって続く。また、両陛下から引き継がれる重要なご公務も目白押しなのだ。「さらに安倍政権は、5~6月中に来日するトランプ米大統領と新天皇皇后両陛下の会見を計画しています。これほどの“過密日程”では、雅子さまがすべてのご公務に出席されるのは不可能に近いでしょう」(皇室担当記者)精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「雅子さまは適応障害で長期ご静養に入られて15年です。現在はかなり回復されていますが、ご病気になられる前の状態に戻られたとは言えません。雅子さまは新皇后になられてから役割を全うするために努力されると思います。しかし重圧も大きく、お疲れがたまります。いつ調子を崩されてもおかしくはないのです」雅子さまが適応障害と診断されて長期ご療養に入られたのは、’03年12月のこと。その半年後、皇太子さまが行動を起こされたことがある。雅子さまのお出ましが完全に途絶え、国民から心配の声が上がるなか、翌年5月の会見でこのように発言されたのだ。《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》“お世継ぎ”となる男子を産めなかったのに、海外訪問ばかりを望み、公務を休み続けている――。そうしたバッシングに心を痛めていた雅子さまを守るためになさった“人格否定発言”だった。しかし、このご発言は国民に衝撃を与えたばかりか、両陛下も困惑を示されることになった。秋篠宮さまは《せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったか》と皇太子さまに苦言を呈された。それから皇太子さまは論争を呼ぶような発言は控えられるようになり、雅子さまのご体調は「東宮職医師団」が毎年1回、文書で発表するだけになった。「宮内庁はこの15年間、体調には波がおありだと繰り返し発表しましたが、もう少し具体的な説明があってもよかったでしょう。雅子さまには、ご自身が国民の前でご症状について語られるには、少なからず恐怖があったはずです。一度でいいので、皇太子さまが国民の前でその説明をなさってもいいと思います」(香山さん)2月23日に59歳の誕生日を迎えられる皇太子さまは、例年のように会見に臨まれる。お代替わり前の会見は、この1回きりだ。“最後のチャンス”に、皇太子さまが再び立ち上がるのではと語るのは皇室ジャーナリスト。「現在は毎月、天皇陛下、秋篠宮さまとの“三者会談”が開かれています。お代替わりに向けた話し合いのなかで、皇太子さまは雅子さまのご体調についてもしっかり説明なさっていると思われます。今回は15年前とは異なり、お二方からの後押しもあるでしょうから、きっと雅子さまの不安を取り除く結果になるはずです」
2019年01月24日12月9日に55歳の誕生日を迎えられた雅子さま。皇后となられる日を5カ月後に控え、文書の中で決意を述べられた。お代替わりが近づくにつれて“新皇后”への期待が高まるなか、雅子さまを勇気づけているのが愛子さまのご成長だ。学習院女子高等科への入学直後には学校をお休みになることも多かった愛子さまだが、最近は活発なご様子が伝わってくる。11月の文化祭ではダンスも披露。ベラ・ソーンの『Call it whatever』とアヴリル・ラヴィーンの『What the hell』の2曲を踊られたという。「ダンス公演は観客が殺到して会場がパニックになるほどでした。そういった人気もさることながら、愛子さまの“人間性”も尊敬を集めています。中等科の卒業文集では『世界の平和を願って』という感動的な作文を書かれています。愛子さまは、戦地への“慰霊の旅”を続けられた天皇陛下や美智子さまのお考えも、しっかり学ばれているのだと思います」(学習院関係者)愛子さまは12月1日に17歳の誕生日を迎えられた。するとTwitter上でも《聡明な愛子さまに継がれてほしい》《早く愛子さまが天皇になれるようにしてほしい》といったツイートが。愛子さまに“待望論”が浮上しているのだ。このまま“男系男子”が維持されれば、秋篠宮さま、そして悠仁さまが将来の天皇になられる。それでも高まる“愛子さまを天皇に”の声。ただ、雅子さまは文書の中でこう述べられた。《私自身の経験からも、この年齢での経験というものは、その後の人生にとっても貴重な財産になるのではないかと思います》高校時代の雅子さまは、アイスホッケーの大ファンでご友人と観戦に通われていた。高校2年生でアメリカ・ボストン郊外の高校に転校されるとソフトボール部で大活躍。現地の新聞の一面に名前が載ったこともあった。「お言葉には、皇族として著しく成長されている愛子さまにも、ご自身と同じように“普通の高校生としての経験”をしてほしいという切実な思いが感じられます。眞子さまの件もあり、女性皇族の結婚のハードルはただでさえ上がっています。雅子さま自身も“お妃候補”として世間に取り沙汰されて悩まれた経験をお持ちです。愛子さまには1人の女性として、落ち着いて愛を育んでほしいと心の奥で望んでいらっしゃるでしょう」(宮内庁関係者)雅子さまは、母の戸惑いを隠されて、皇后へのご準備を続けられる。
2018年12月14日11月16日、秋の園遊会が東京・元赤坂の赤坂御苑で開催された。雅子さまは15年ぶりに園遊会全行程へ出席された。雅子さまがひときわ熱心に話されたのが、パラノルディックスキーの新田佳浩選手(38)と妻、知紗子さん(41)だった。新田選手は平昌パラリンピックのクロスカントリースキーで金と銀の2つのメダルを獲得している。’14年のソチ大会でメダルを獲得できなかった新田選手は、国内外に遠征する日々を続けた。その結果、家に戻るのは1年の3分の1だけになった。妻の知紗子さんは寂しがる長男、大翔くん(7)と次男の健翔くん(5)がかわいそうで泣くことも多かったという。しかし夫の固い意志を尊重し、夫が家族と交わした金メダルの約束を信じて家庭を支え続けてきた。雅子さまはその事情をご存じだったようで、新田選手夫妻に「メダルを取ったときに、(新田選手が)お子さまたち2人を抱きかかえていらっしゃいましたね」と、ほほ笑みながらお声がけされた。知紗子さんについては、「ご家族のサポート大変でしたね」と労われた。そのお言葉に、知紗子さんは「主人にとって家が帰ってきたい場所であるように、ただそれだけを務めさせていただきました」と答えた。すると雅子さまは、感心するようなご表情でおっしゃったのだ。「そうですね。それが一番ですよね」知紗子さんの“家庭を支える姿”に雅子さまは深く共感されたのではないかと、このご交流を知った前出の宮内庁関係者は語る。「雅子さまは今まさに“新皇后スタイル”を模索されています。お代替わりが近づくにつれて“新皇后が第一にすべきは天皇の妻として皇室を支えること”という思いが日に日に強まっているのではないでしょうか。かつてキャリアウーマン出身の皇太子妃として注目された雅子さまのイメージからは意外に思えます。外交官のキャリアを活かし、世界の貧困問題に取り組みたいお気持ちも変わっていないはずです。しかし今は、皇太子さまも願われる家庭の幸福こそが人と人とのつながりの基礎となり、ひいては平和の礎となるとお考えになられているのでしょう」美智子さまは常に陛下に付き添い、さらに皇后単独のお出ましも増やされて“平成流”を進められた。雅子さまは次の時代の皇后として、美智子さまと違うスタイルを模索されているのだ。皇室担当記者もこう考える。「雅子さまは園遊会直前に、1泊2日の山形ご訪問を見送られました。園遊会のために体調を整えられる必要があったのです。つまり、ご快復著しい雅子さまですが、依然としてご公務の“取捨選択”が必要な状況なのです。お代替わりはもう半年後。皇太子さまのサポートが最優先だとお考えになられたのでしょう」来年は即位の儀式などで、皇太子さまにとって多忙極まりない1年になることは間違いない。まずは新天皇をお支えすることから始めたい――。それこそが、新皇后となられる雅子さまの決意なのだ。
2018年11月14日「母国で開催される東京パラリンピックですし、活躍を楽しみにしています」雅子さまが、平昌パラリンピックのスノーボード金メダリストの成田緑夢選手(24)に、はつらつとした笑顔で話しかけられた。走り高跳びで東京での出場も目指している成田選手はこう語った。「お体を心配していたのですが、雅子さまはとても覇気のある話し方でいらっしゃいました。本当に元気が出ました。頑張ります!」11月9日、天皇皇后両陛下主催による秋の園遊会が東京・元赤坂の赤坂御苑で開催された。平成最後となった園遊会はあいにくの雨模様だったが、その雨が相合い傘で歩かれる両陛下の仲むつまじさを際立たせた。そして両陛下の有終を飾る大きなサプライズが、雅子さまの園遊会全行程へのご出席だった。これは実に15年ぶりのことだ。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは感慨深げに話す。「雅子さまは、明るい黄色のお召し物に負けないくらい、とてもお元気そうなご表情でした。来年の園遊会はお代替わりの行事が多いので、春・秋とも行われない予定ですが、再来年からは雅子さまご自身が園遊会の主催者になられます。お手本になる美智子さまのお姿もしっかりとご覧になったはずです。皇后になられてからも、今回と同じように立派にお務めになるでしょう」雅子さまが和服をお召しになっていたことが、さらに驚きだったと言うのは皇室担当記者。「雅子さまは適応障害になられてから、和服でのお出ましを非常に苦手にされています。所作にも気を遣う必要があり、緊張をさらに高めてしまうからです。雨で足元も悪いコースを和服で歩かれながら招待者と歓談されるのは、決して楽なことではなかったと思います。それでも雅子さまは見事にまっとうされました」今回、和服でのご出席となった背景を宮内庁関係者が明かす。「平成最後の園遊会は和服にしますと、美智子さまが女性の皇族方に連絡されたそうです。雅子さまはそのお気持ちをお察しになって、美智子さまの花道を飾るために、最後まで笑顔で頑張られたのです」和服をお召しになって15年ぶりの“フル出席”。そこには雅子さまの奮起があった――。
2018年11月14日水谷雅子の新刊が間もなく発売へ2018年11月22日、双葉社から、『水谷雅子Beauty Book』が発売される。50歳を迎えた美魔女 水谷雅子が、老けて見えないメイク術やスキンケアのポイントなどを明かす。イメージ写真が豊富で、読みやすい1冊となっている。いつまでも若々しく、美しくあり続けたいと願う、全ての女性にオススメだ。水谷雅子は、オフィシャルブログの中で、同書への思いを次のように綴っている。50歳の記念になる本に仕上がりました。美に諦めがちな方も是非!自分にスイッチを入れて頂きたいです!(水谷雅子オフィシャルブログより)販売価格は1,620円。Amazon.co.jpなどで予約を受け付けている。50歳を迎えても美しい 水谷雅子水谷雅子は1968年9月15日生まれ。愛知県出身。身長は162cm、体重は47kg。「20代に見える40代」として、日本だけでなくアジアでも話題に。43歳のときに初出版をして、今年で50歳を迎える。趣味には、 オリジナル小物作り、美容&コスメ、ネイルなどを挙げる。『自宅で簡単セルフビューティー 水谷式頭皮エステ』、『食材で作るジャムウ式若肌フェイスパック』など著書多数。『水谷式ビューティーメソッド』と『水谷式仙人体操』のDVDも出版している。(画像は水谷雅子オフィシャルブログより)【参考】※水谷雅子オフィシャルブログ※水谷雅子オフィシャルサイト※Amazon.co.jp
2018年11月11日雅子さまは、被災者代表の前列で車椅子に座っていた古賀チトセさん(97)の前でしゃがみ、目の高さを揃えて少し話された後、両手でチトセさんの手を包まれた。「冷たいですね。大丈夫ですか?」しばらくすると皇太子さまも、雅子さまの手の上から手を重ねられた。お二人でチトセさんの手を温めながら、2分ほど歓談された。「天にも昇る気持ちで、私は本当に幸福者でした」目を潤ませるチトセさんは、昨年7月の九州北部豪雨の被災者。1泊2日で福岡県を訪問された皇太子ご夫妻は、2日目の9月26日には朝倉市の仮設住宅を訪れ、被災者をお見舞いに。ご夫妻は被災者代表一人ひとりとお話しされて、ご出発の予定を15分オーバーしてもさらにご懇談を続けられた。福岡ご訪問では、新宮町の障害児施設を訪問され、『世界社会科学フォーラム』の開会式とレセプションにもそろってご出席。1泊2日のご予定を完全にこなされた翌日、都内で「国際青年交流会議」の開会式にも出席された。さらに皇室ジャーナリストは、雅子さまの“ご快復”エピソードを明かす。「福岡ご訪問前の21日に、皇太子ご夫妻が訪れた墨田区の高齢者施設『東京清風園』での出来事です。入所者からアルパカのマスコットをプレゼントされた雅子さまが報道陣の前を通るとき、嬉しそうにそれをカメラのほうに向けられたのです。雅子さまは記者たちに『もらっちゃったわ』というような口の動きでほほ笑まれました。カメラに対する苦手意識を強く持っていらっしゃったとは思えないほどリラックスされていて、本来の雅子さまらしい、はつらつさが感じられて、お元気だった頃を思い出して感動してしまうほどでした」雅子さまの長期療養は’03年12月、帯状疱疹で入院されたことに始まる。40歳の誕生日を迎える5日前の出来事だった。適応障害という病名が診断された雅子さまはその後、1年に数回しかお出ましになれない期間が長く続く。「東宮職医師団は、雅子さまのストレス軽減を目的に薬物治療を施しました。その副作用で日中に眠気を催されることも少なくありませんでした。睡眠障害といっても過言ではありません。その影響もあり深夜の散策が日課となった雅子さまは昼夜逆転の生活を送られていた時期もありました。当然起床は遅くなり、皇太子さまとは別々に朝食を摂られることも多かったのです」(前出・皇室ジャーナリスト)しかし雅子さまはそういった状態から脱却され、快復に向かわれていると、宮内庁関係者が言う。「雅子さまが闘病を始められてから今年12月で丸15年になります。その節目に適応障害とは決別したいという、強い意志を持っていらっしゃるようです。最近は生活リズムも皇太子さまとほとんど変わらなくなりました。以前はご公務よりも私的な外出が多いことに批判の声もあった雅子さまですが、現在は日々の生活から“ご公務ファースト”の姿勢を貫かれているのです。毎年12月9日、雅子さまのお誕生日には東宮職医師団による病状の見解が発表されています。55歳になられる今年は、限りなく完全快復に近い診断書が出されるかもしれません」精神科医で立教大教授の香山リカさんも、雅子さまは「劇的に快復されている」と太鼓判を押す。「ご公務の出席も、雅子さまご自身でしっかりと計画を立てていらっしゃるはずです。お薬に関しても、朝昼夜と定期的に服用される必要はなくなっているでしょう。不安なときに、念のため携行されるのみではないでしょうか。皇后として、ご公務を怠ることなくお務めになるという目標には、かなり近づいていらっしゃるとみていいでしょう。一般の診断書でいえば定時の職場復帰は可能、つまり『復職可能』という段階です。無理は禁物ですが、ご公務ができていることが自信になり、さらに快復が期待できる状況だと思います」15年続いた闘病の日々を忘れさせるような秋晴れの笑顔。これからはもう、曇ることはないはずだ。
2018年10月04日自民党の今井絵理子参議院議員(35)が10月3日、自身のブログを更新。「現在、私今井絵理子は元神戸市会議員の橋本健さんとお付き合いさせていただいております」と明かした。昨年7月、橋本氏と不倫関係にあると一部週刊誌で報じられた今井議員。しかしブログで橋本夫妻はもともと破綻していたと綴り、「不倫も不法行為もありません」と改めて反論している。いっぽう橋本氏といえば政務活動費・約690万円をだまし取ったとして昨年8月に失職。詐欺罪で起訴され、今年9月起訴内容を認めている。そのため今井も今回の交際宣言について「批判は覚悟している」と明かしているが――。Twitterでは《何か がっかりだよ 税金で生活してるんだから こういう事じゃなくて もっと政治の事を発信してよ》《お子さんのこともちゃんと考えて行動してください》といった非難の声が殺到している。本誌は昨年8月2日、橋本氏との交際の陰で今井が元恋人Aさんと“極秘破局”していたと報じている。Aさんは中学時代の同級生であり、今井にとって初恋の人。再会して交際に発展したが、3年ほどで破局したという。Aさんの知人はこう語っている。「3年前に沖縄から上京してシングルマザーの彼女を助ける生活を送っていたのですが、今井さんは議員になると“朝から勉強会が”などと理由をつけて家にほとんど帰らなくなってしまったんです。それでも“議員は大変な仕事だから”と、Aさんは今井さんの帰らない家で長男の世話をがんばっていました。ところが『週に1回は帰ってくる』という約束が守られないどころか、帰宅は2週間に1回、3週間に1回とひどくなっていったそうです。そのことで何度も口げんかになりましたが、今井さんは『忙しいからしょうがないでしょう』の一点張り。当時の彼は本当に悩んでいました」当時、今井議員はAさんとの破局について「お互い話し合い新しい人生を歩むことになりました」とマスコミ各社に書面で説明していたがーー。「何度言っても態度を改めない今井さんに、Aさんは“もう無理だ”と突然、夜逃げをするように彼女の家を飛び出したそうです。Aさんは『(同居していた)今井さんのお母さんと付き合っているみたいだったよ』と自嘲していました。“俺はシッターじゃない”という憤りもあったと思います」(前出・知人)今井議員から去ったのは、Aさんだけではない。昨年8月の本誌では、元秘書Bさんの辞職も報じている。Bさんは初当選以来、今井議員の活動を支えてきた人物だが――。「Bさんは、今井が所属していた芸能事務所から転身して、秘書として彼女の政治活動を支えてきました。でも橋本議員との関係について、まったく知らされてなかったんです。かねがね今井議員に、身辺関係については注意をしていたそうで、“裏切られた”という思いが強いのでしょう。『もう支えられない』と辞表を出したと聞きました」(自民党関係者)公私を支えていた人物が次々と離れていく今井。議員として目立った活動はなく、二期目は絶望的とも噂されているが――。彼女の元には何が残るだろう?
2018年10月03日参議院議員の今井絵理子氏が3日、自身のブログを更新し、元神戸市議会議員の橋本健氏との交際を報告した。今井議員は「本日発売の週刊新潮で私のプライベートに関する記事が掲載されました。すでに、数社のマスコミから取材の申し入れがありました」と書き出し、「極めて私的なことであり、ご報告をすることは控えていましたが、記事には事実誤認が多く、応援してくださっている皆さんには正直にお伝えしたくブログに書かせていただきます」とつづった。そして、「現在、私今井絵理子は元神戸市会議員の橋本健さんとお付き合いさせていただいております」と交際を報告し、「昨年末に橋本さんの離婚が成立をしたとのご報告や、事件についての説明と謝罪など、年明けから連絡を取りあっておりました」と経緯を説明。「交際については様々なご批判等あるかと思いますが、それらは全て覚悟しております」と記した。また、「橋本さんにはこれから事件の判決が下ります。犯してしまった罪は心から償い、もう二度とこのようなことを起こさないように、再起にむけて歩みを進めてほしいと思います」と今井議員。さらに、「新潮さんの記事にて、事実関係が違うことを何点か指摘させていただきます。記事の順に追ってご説明します」と、箇条書きで5つ説明した。事実と異なると指摘した5つは以下の通り。1.記事中にある芸能関係者と名乗る方が実在するのかについては疑問に思っています。なぜなら、芸能関係に携わっている方々とは去年から連絡も一切取っておりません。従って、私の状況を知り得る芸能関係者は存在するはずがありません。しかも、バースデーパーティなんかしていませんし、計画すらしていません。コメントの内容は全く事実と違います。2.「略奪」ということばが多用されますが、そのような事実はありません。不倫も不法行為もありません。これはかねてから説明している通りです。橋本さんからは、夫婦関係が破たんしており離婚調停中であると聞いてましたし、別居に至ったのも夫婦間のある出来事が原因であり、私とは全く関係のないことでした。3.橋本さんが「マスオ状態である」という書かれ方をしておりますがこれも事実とは異なります。彼は、神戸市内の歯科医院で診療をしており、東京の私の家で生活をしている事実はありません。4.記事では、私が元奥様に対して謝罪をしていないという旨の記述がありました。しかし、私は、報道が過熱し元奥様やお子様にご迷惑をお掛けしたことを申し訳なく思っており、代理人弁護士を通じて謝罪することを伝えましたところ、謝罪のお手紙を渡すことがいったんは決まりました。しかし、直前になって、元奥様の代理人弁護士から取りやめにしたいとの連絡があり実現しませんでした。5.また、見出しのひとつに「沖縄知事選挙の戦犯」とありました。佐喜眞候補当選のために私なりに一所懸命応援したつもりですが、力及ばなかったことについては大変不本意であり、申し訳なく思います。私自身、何度も沖縄に入り、知人や友人、友好団体などに支援を呼びかけてきましたし、沖縄で尋ねる先がなくなったので、東京に戻り、県人会を訪ねるなどして応援してきました。そのことを記者さんに説明をしたら、当初、知事選の応援をさぼっていたのだろうと勘繰っていた記者さんは「熱心ではないという言葉には語弊がありました」と言ってくれました。その時、「説明すれば分かってくれるんだ」と安心していたのですが、今日発売された記事には「沖縄知事選」の戦犯!などと書かれてショックを受けています。最後に「政治を志した原点である障がい者福祉や特別支援教育に関すること、また、子どもの貧困や基地問題など沖縄が抱える諸問題の解決にむけても地道に頑張って参ります」と記し、「取材に関してはすべて事務所にて対応させていただきます。近隣の方々や家族の者にも迷惑がかかりますので、くれぐれも自宅周辺での取材はご遠慮ください。ご配慮のほどよろしくお願い申し上げます」と呼びかけた。
2018年10月03日滝沢秀明(36)と今井翼(36)のデュオ・タッキー&翼が9月12日に解散を発表した。さらに今井は近くジャニーズ事務所を退社する予定。当分はメニエール病の克服に専念するという。今井は95年に同事務所に入所し、02年9月にタッキー&翼としてデビュー。そのダンスの技量やセンスを活かし、04年8月には構成・演出・衣装・振り付けを手がけた初のソロコンサートを開催した。「今井さんは音楽活動だけでなく、日本とスペインの架け橋としても大活躍しました。キッカケは07年の舞台『World’s Wing 翼 Premium2007』で挑戦したフラメンコ。『本場で勉強したい!』という今井さんはスペインに渡り必死で取り組みました。そういった功績が認められ12年6月に世界初のスペイン文化特使、同年9月にはスペイン親善大使にも就任。またスペイン語学習の成果が実り、スペイン語を使った特別講義を大学でひらいたこともありました」(舞台関係者)いっぽうで今井は長年メニエール病に悩まされてきた。14年に初めて発病し、休養を挟み仕事復帰したものの今年3月に再び入院。治療のために無期限で芸能活動を休止するとも発表され、予定していた主演舞台を降板。さらに15年もの間パーソナリティを務めていたラジオ「今井翼のto base」(文化放送)も終了となった。「メニエール病とは突然めまいや、耳鳴り、耳の閉塞感などが起こるというもの。30分から数時間にわたり発作を繰り返し、吐き気も伴います。GENKINGさん(32)や鳥越俊太郎さんも(78)も罹っていると公表しています。ストレスが関係しているといわれていて、真面目で頑張りすぎてしまう方がなりやすいとも。今井さんは自己プロデュース能力に長けている方ですから、いっぽうで身体が悲鳴をあげたのかもしれません」(医療関係者)今井の治療に専念するという姿勢には、同じくメニエール病に苦しむ人たちから賛同の声が。さらにTwitterでは《とにかく、思考力、というかやる気を削がれるのがきつい。休むというより、気分転換して、のびのびやってほしい。メニエール仲間として応援》《私もだけど、そう簡単に治る病気じゃないので今回の選択は正解だと思う。気温差が出てきた今の季節、ツラいだろうなぁ……》《今の今井翼さんの病状はわからないけど、こういう急なお知らせになってしまうことも理解してあげて欲しいと思う。メニエール病は本当にきついんですよ……》と理解を呼びかけている。スポニチアネックスによると、今井は「1人でも必要としてくれれば、いつの日か何らかの形で」と活動再開を見据えているという。そのことからも《彼の復帰はメニエール持ちの自分の力にもなるから、また元気な姿を見せて欲しい 》といった声が。再びの復帰にも期待したい。
2018年09月13日髪をアップにされ、白いスーツをお召しになった雅子さまがお見送りの言葉をかけられると、皇太子さまも晴れやかなご表情をお見せになった。9月7日の朝に出発された皇太子さまは、15日までの日程でフランスを訪問されている。「フランス政府から皇太子ご夫妻に招待があった公式訪問です。4月には、雅子さまも同行されるという報道があり周囲の期待も高まったのですが、実際にはまだ検討段階でした。9日間にわたる長丁場であり、ご滞在中も行事や交流会が目白押しの過密スケジュールということで、最終的に雅子さまのご同行は断念せざるをえなくなりました」(宮内庁関係者)外交官として活躍されていた雅子さまにとって、皇室外交に携わることはご結婚当初からの悲願。それゆえに渡仏断念はつらい決断と思われる。しかし、皇太子さまを見送られる雅子さまのご表情はとても明るかった。「外国への公式訪問ですから、国内の行啓のように行事ごとに出席するか否かを選択するのは難しいのです。すべての行事に出席されるか、ご訪問自体を取りやめるか、二者択一だったわけです。残念ながらすべてをこなすのは難しいと、雅子さまご自身が判断されたと聞いています。9月末には九州北部豪雨の被災地を訪問されるご予定もあり、そちらを優先したいというお気持ちもあったのでしょう」(前出・宮内庁関係者)立教大学教授で精神科医の香山リカさんは、こう話す。「主治医の判断に依存せず、ご自身でご公務への出席を判断されるようになっていらっしゃるならば、かなり回復されているとみてよいと思います」雅子さまの「劇的ご回復」があったからこそ、渡仏断念も前向きに受け止められたはずだと語るのは、皇室ジャーナリスト。「この夏のご静養先では、皇太子ご一家は駅頭の取材だけではなく、須崎御用邸、那須御用邸の中で記者に対応されました。雅子さまは今年6月の銀婚式では会見を見送られるなど、これまでは報道陣の取材に苦手意識を持っていらっしゃいました。それでも2度も積極的に取材対応をされたのは、雅子さまのご体調がよいことの証であると同時に、新皇后への決意の現れにも感じられます」皇太子さまはフランスへのご出発を前にした記者会見で、雅子さまの国際親善への関わり方についてこう述べられた。《外国への訪問だけではなく、賓客の受入れや日本で開催される国際的な行事への出席など、いろいろな形があります》《外国で暮らした経験、あるいは仕事で外交に携わってきたことは、必ず役に立つものと思います》前出の皇室ジャーナリストは、皇太子さまの発言に“新皇后”へのビジョンが垣間見えると語る。「皇太子さまが、雅子さまの外交官の経歴をこれほど強調されたことは、今までにありませんでした。このお言葉には、順調に回復されている雅子さまへの大きな期待がこめられていると思います。雅子さまの海外ご訪問が実現するには、まだ時間がかかるかもしれません。だからこそ皇太子さまは、まずは国内のご公務で外交官の経験を生かすことを提案されたのでしょう。雅子さまとおふたりで『新しい皇室外交』を築くことを切望されているのです」皇太子さまの後押しで、雅子さまは焦ることなく、“新皇后外交”への第一歩を踏み出される――。
2018年09月13日昨年9月より活動を休止していた滝沢秀明と今井翼によるアイドルデュオ・タッキー&翼が、今月10日をもって解散していたことを13日、公式サイトにて発表した。2人は「『タッキー&翼』アーティスト活動に関するお知らせ」と題してコメントを発表。滝沢は年内いっぱいで芸能活動を引退し、ジャニー社長の意志を継いでジャニーズJr.の育成やプロデュース業に専念する。そして、メニエール病のため療養中の今井は、事務所を退所し、治療に集中するという。以下、コメント全文。本日は私達、滝沢秀明と今井翼から、今までタッキー&翼を支えてくださった多くの皆様へ大切なご報告をさせて頂きたいと思います。タッキー&翼の活動休止から約1年が経過致しました。それぞれの時間を過ごす中、これからの2人、そして滝沢秀明、今井翼各々の人生について、深く考える時間を持つことができました。それはこれまでタッキー&翼、そして滝沢秀明、今井翼を支えてくださった皆様のご期待に応える活動を今後も継続していくことが出来るのか、自分達はこれからの人生をどう歩んでいくべきなのか自問自答し、事務所とも話し合いを重ね、最終的には2人で話し合い、この度、CDデビューから16年を迎えた9月10日をもってタッキー&翼は解散という道を選ぶことに致しました。タッキー&翼をこれまで愛してくださったファンの皆様、常に応援し続けてくださった多くの皆様のお気持ちにお応えすることが出来ないままで、大変申し訳ない気持ちで一杯ですが、共に30代半ばを過ぎ、一人の男としてこれからの人生をそれぞれに見つめての決断とご理解頂けたら幸いです。私、滝沢秀明はタッキー&翼の解散をもって年内一杯で芸能活動から引退し、ずっと自分を育ててくれたジャニー社長のタレントを育成、プロデュースしていくという意志を継ぎ、ジャニーズJr.の育成や舞台、コンサート等のエンターテインメントをプロデュースする仕事に専念することを決意致しました。これは私自身がいつの日からか意識しずっと頭の中に描いていたことであります。そして私、今井翼は現在も病気療養中の身です。先ずは自分の身体としっかり向き合う為、ジャニーズ事務所を退所し、仕事という背負いも無くした状態で病気を克服し、心身共に健康な状態になることに専念したいと思います。この先のことについては、全くの白紙ですが、自分の心身が健康な状態になってから考えたいと思いますので、その時が参りましたら改めて皆様にご報告ができるように頑張っていきたいと思います。繰り返しになりますが、デビューから今日まで、私達を支えてくださったお一人お一人に今までの感謝を申し上げたい気持ちではございますが、このような形でご報告になりました事をお許しください。これからはそれぞれの道を歩むことになりますが、2人のことを見守っていただけましたらとても嬉しく思います。2018年9月13日滝沢秀明今井翼
2018年09月13日最寄り駅から10分。都心近くのリゾート株式会社エレメンタリーが、静岡県東伊豆の「シーサイドハウス今井浜」をリノベート。2018年8月1日(水曜日)にオーシャンフロントグランピング施設「Bel Izu(ベリーズ)今井浜」としてグランドオープンしました。伊豆急行線「河津駅」より徒歩10分の場所にある「Bel Izu今井浜」はオーシャンフロントの宿泊棟をはじめ、バンガロー、オープンカフェ、BBQエリア、VIPエリアなどをそなえた総合リゾート施設。壮大な水平線をながめながら、美しい今井浜の景色を時間を忘れて堪能できます。高さ40メートルから伊豆の絶景を楽しもう宿泊施設はグランピングエリア(2棟)、コテージエリア(5棟)、ステイエリア(3棟)の3種類。自分でテントを組み立てるテントサイトから最大6人まで利用可能な客室まで、用途に応じて選べます。BBQエリアでは美しく透き通った海をながめながら、地元の食材を使ったBBQが楽しめます。静岡麦酒・地酒はもちろんワイン、ウィスキー、焼酎など幅広くとりそろえた飲み放題(2000円)も利用可能。施設の中心にそびえるカフェエリアでは、日替わりの軽食メニューを楽しめます。(画像はプレスリリースより)【参考】※株式会社エレメンタリーのプレスリリース/PR TIMES※Bel Izu今井浜
2018年08月06日6月9日公開の映画『終わった人』の公開直前イベントが6日、都内で行われ、主演の舘ひろし、主題歌を担当した今井美樹が登壇した。映画『終わった人』の公開直前イベントに出席した今井美樹、舘ひろし(左から)内館牧子の同名小説を、『リング』など傑作ホラーを手掛けている中田秀夫監督が映画化した本作は、定年を迎えたエリートの悲哀を心温まるコメディとして描いたヒューマンドラマ。主演の舘ひろしが、出世コースから外れてそのまま定年を迎える情けないサラリーマンを演じ、今井美樹が夫・布袋寅泰作詞・作曲した主題歌『あなたはあなたのままでいい』を歌っている。キャリアの長い舘と今井だが、同イベント前に行われた今井のアルバム発売記念で初めて対面。今井が「サプライズで舘さんが来てくださって、びっくりしました。本当にオーラがあって、今も不思議な感じで、なかなか現実感ではありません」と信じられない様子。一方の舘は「お花を渡してそのまま抱きつこうかと思いましたよ。それをやったらセクハラ問題になりますし、布袋くんのこともございますので、そこはグッと抑えるのが大変でした」と笑いを誘った。今井が歌った本作の主題歌『あなたはあなたのままでいい』について言及した舘。「布袋くんの曲はいつも聴いているので、本当に素晴らしいです。『あなたはあなたのままでいい』と今井さんに耳元で歌われたらどうしようもないですね。本当に素敵な曲をいただいて感謝しています」と感謝すれば、今井は「こういうさりげないジョークを言う大人の男の人って素敵。本当に舘さんは格好良いですよ」とべた褒めだった。また、本作のテーマである"定年"について、今井は「自分がどうありたいか、正直イメージがありません。家族のためにも自分の人生のためにも計画的で生きることは大事だと思いますが、今は新しい環境に暮らしを移して、どうなるか分からないところが正直なところです。ただ、新しい環境の中で、新しいチャレンジに挑み続けられる自分でいたいとは思っています」と言葉を選びながら回答していた。映画『終わった人』は、6月9日より全国公開。
2018年06月07日「雅子さまは、25年前と変わらずおきれいでした」 5月25日、滋賀県米原市の福祉施設「ふくしあ」で、皇太子ご夫妻をお出迎えした藤原紅美さん(35)が笑顔で話す。ご夫妻が同県を訪問されたのは、26日に長浜市で開催された『全国「みどりの愛護」のつどい』ご臨席のため。雅子さまにとっては、半年ぶりとなる地方ご公務だ。 「お二人はご成婚から2カ月後の’93年8月にも、滋賀県を訪問されています」(皇室担当記者) 実はそのときも、お出迎えしたという藤原さん。当時は10歳の少女だったが、現在は3歳の長女と生後3カ月の長男、2児の母親である。 「雅子さまはスヤスヤと寝ている長男をご覧になって『お体に気を付けてくださいね』と、いたわるように声をかけてくださいました」 「ふくしあ」では、発達支援を受ける子どもたちと交流された皇太子ご夫妻。リハビリに励む子どもが、3歳を迎えたばかりとお聞きになると、雅子さまが「ハッピーバースデー」をお歌いになり、皇太子さまも追いかけられるようにハーモニー。室内がハッピーで、温かい空気に包まれた。 「このあと、皇太子さまお一人で『ヤンマーミュージアム』をご訪問予定だったのですが、雅子さまもご一緒だったので驚きました。雅子さまは今回のご訪問を、ひそかに楽しみにされていたのだと思います。というのも、お二人が新婚当時に訪れた場所のなかでも、滋賀県には特別な思い入れがあるからです」(宮内庁関係者) ’94年1月、雅子さまにとって初めての歌会始で、皇太子ご夫妻はそろって、前年の滋賀県の場面を歌に詠まれている。 皇太子さま《我が妻と旅の宿より眺むればさざなみはたつ近江の湖に》 雅子さま《君と見る波しづかなる琵琶の湖さやけき月は水面おし照る》 25年前、皇太子ご夫妻はご宿泊になったホテルのお部屋から、暮れゆく琵琶湖をご覧になった。今回のご訪問中も、お二人は「琵琶湖が美しかったね」「あの夜、満月がとても綺麗で、心に残っています」と話されていたという。そして、6月9日に迎えられる銀婚式を前に、皇太子ご夫妻は再び琵琶湖を望むホテルにご宿泊されたのだ。 「思い出の湖畔を訪れる“追憶の旅”で、雅子さまは皇室での25年間を振り返られたはずです。その中には、おつらい記憶も少なからずあったでしょう。それでも雅子さまが、2日間ずっと明るいご表情でいらっしゃったのは、まさに“新婚時代のように”前向きなお気持ちで、お代替わりを見据えていらっしゃるからにほかなりません。初日にお召しになっていた純白のパンツスーツが、そういったご心境を象徴しているようでした」(前出・宮内庁関係者) 皇太子さまと寄り添われ、雅子さまは明日へのご決意を胸に“新たなスタート”を誓われたに違いない――。
2018年06月01日美智子さまが、そっと雅子さまの腕をお持ちになって、「来年から、この方が名誉総裁よ」というように、会場に“お披露目”された。最初は驚いたご様子だった雅子さまも、すぐに笑みを浮かべられる。すると、会場には万雷の拍手が巻き起こったーー。 5月18日、明治神宮会館で開催された全国赤十字大会。その式典のフィナーレに起こった出来事である。毎年、大会を取材してきた皇室ジャーナリストも、興奮気味に話す。 「お代替わりに伴う“皇后の引き継ぎ”を象徴するシーンで、非常に感動的でした。常に天皇陛下をお支えすることを第一にお考えの美智子さまですが、唯一、ご自身が名誉総裁職を務められている日本赤十字社の大会だからこその、大胆なサプライズ演出と言ってもいいでしょう」 次期名誉総裁の雅子さまは、長期ご療養に入られた’03年以来、今回が15年ぶりのご出席だった。雅子さまのプレッシャーは非常に大きかったが、雅子さまは皇太子妃として臨まれた最後の日赤大会を、見事に務められた。 そして、妃殿下方が会場からロビーにお出ましになると、またしても“サプライズ”といえる光景がーー。 「順番に実践活動の報告者や関係者にお声がけをされるのですが、美智子さまのあと、雅子さまと紀子さまがお顔を見合わせ、スッと寄り添われて、お2人ご一緒に関係者と懇談され始めたのです。仲の良い実の姉妹のようで、見ているこちらまで胸が温かくなりました」 雅子さまと紀子さまの息の合った“15年ぶりツーショット”が、全国赤十字大会で実現した背景には、ゴールデンウイークに皇太子ご一家と秋篠宮ご一家が一緒に過ごされた御料牧場でのご静養があるというのは、皇室ジャーナリストだ。 「両家でお食事をされ、来年のお代替わりに向けてさまざまなお話をされました。その中で全国赤十字大会についても、毎年出席されてきた紀子さまに、雅子さまが相談されたのでしょう。式典後も、紀子さまは常に雅子の一歩後ろに立たれて、雅子さまの不安を少しでも和らげようと、気遣われているように感じました。雅子さまには、とてもお心強かったと思います」 来年春のお代替わりによって、雅子さまは新皇后に、紀子さまは皇嗣妃になられる。 「ご譲位後のご公務の分担など多くの課題が残っている皇太子家と秋篠宮家ですが、すでに両家の間では、かなり具体的に話し合いが進んでいるように思われます。それらの話し合いの中で、雅子さまと紀子さまに強い信頼関係が生まれたのでしょう。皇后陛下と皇嗣妃殿下、お代替わりでそのお立場には今以上に大きな差が生じます。しかし雅子さまと紀子さまは、『2人で協力して、これからの皇室を支えてきましょうーー』そういった思いで、平成最後の赤十字大会に臨まれたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者) 皇后として、皇嗣妃として……。お2人の役割は違っても、皇室の未来を担うお気持ちはひとつーー。
2018年05月25日雅子さまは5月13日、皇太子さまや愛子さまとともに皇居を訪問された。ご一家は両陛下と、皇居にある紅葉山御養蚕所を訪問し、美智子さまから直接、作業や施設について説明を受けられたという。 5月10日の宮内記者たちへの定例会見で、お代替わり後に、皇居内での養蚕は「美智子さまから雅子さまが引き継がれる」と明らかにされた。皇室ジャーナリストの渡辺みどりさんはこう評価する。 「雅子さまが自ら継承を申し出られたところに、揺るぎのない“新皇后となられるご自覚”を感じます」 歴代の皇后の手による養蚕は、「日本書紀」にも記述があるほど長い歴史を持つ。1871年に“皇后の仕事”として復活後は、美智子さままで4代、147年にわたって引き継がれてきた。 「すでに国の基幹産業ではなくなった養蚕が、皇后の神事として平成の現在まで継承されているのは、美智子さまの強い思いがあるからです」(皇室担当記者) 愛子さまと悠仁さまのご誕生に際しては、自らお育てになった蚕「小石丸」の絹糸で産着をお仕立てになり、贈られた。また、眞子さまが小学3年生のときには、養蚕についての長い手紙を贈られた。美智子さまは、次世代の皇室にも養蚕を継承してほしいと思われていたはずだ。しかし、次の皇后であり継承者となられるべき雅子さまには、なかなかそのお気持ちをお伝えになることができなかった。 「美智子さまは大きなジレンマがありました。雅子さまに継承してほしいお気持ちと、療養中の雅子さまに無理をさせたくないお気持ちの間で、ずっとお悩みになっていたのです。雅子さまは、そのお気持ちをお察しになって、今年が最後となる美智子さまの養蚕、そしてお代替わりまで1年というタイミングで一念発起、継承を直訴されたのです」(前出・皇室担当記者) 側近を介しての正式な伝達は4月末だったが、雅子さまは美智子さまに、前もって継承の意志をお伝えしていたのでは、と宮内庁関係者は話す。 「その機会があったのは、4月10日、両陛下の結婚記念日の夕食会です。これまでのお気づかいに『ご恩返しを』と考えられ、雅子さまが申し出られたのでしょう。美智子さまは、『無理をせず、できる範囲でいいから』と、雅子さまの背中をやさしく押されたに違いありません」 美智子さまが養蚕に取り組まれるお姿を、じかにご覧になった雅子さま。 「雅子さまが御養蚕所を訪問された5月13日は、母の日でもありました。皇太子ご一家の、美智子さまへ温かなご配慮が感じられます」(前出・皇室担当記者) ずっと願われていた、雅子さまとご一緒の養蚕。美智子さまにとって、なによりの「母の日」のプレゼントになったにちがいない。
2018年05月18日毎日のお弁当メニューに頭を悩ませていませんか?メディアでも活躍中の料理家・今井亮さんに、お弁当にぴったりの副菜レシピを教えていただきます。つくり置きレシピとしても大活躍!今回は、旬のキャベツをたっぷり食べられる「春キャベツとささみの胡麻コールスロー」です。【今井亮のお弁当副菜レシピ】春キャベツとささみの胡麻コールスロー【材料】春キャベツ:4枚(200g)ささみ:2本塩:小さじ1塩こしょう:少々Aマヨネーズ:大さじ1白ごま:小さじ2しょう油:小さじ1ごま油:小さじ1【作り方】1キャベツは5cmの長さ、1cm幅の細切りにする。ささみにフォークで数か所穴をあけ、塩・こしょうそれぞれ少々を揉み込む。Aは混ぜ合わせておく。(※)2ボウルにキャベツを入れ、塩小さじ1をふってさっと混ぜ10分置き、水気を絞る。ささみは耐熱皿に並べ、ラップをふんわりかけ、600wのレンジで2分加熱し、ほぐして粗熱を取る。3ボウルに具材とAを入れ和える。※ささみは穴をあけないと爆発しますので注意しましょう調理のPOINT●キャベツを大きめに切ることで、水っぽくならず、歯ごたえも楽しめます。●ささみは電子レンジでさっと加熱することで、柔らかい仕上がりに!お弁当の副菜として大活躍!今回ご紹介した「春キャベツとささみの胡麻コールスロー」は、お弁当の副菜としてぴったりです。お弁当おかずとしてご紹介した「鰆の南蛮漬け」と「アスパラと人参の肉巻き」を組み合わせると、こんなに美味しそう!お弁当レシピに悩んだときには、ぜひ試してみてくださいね♪今井亮〈プロフィール〉料理家。高校卒業後、京都の老舗中華料理店で修業。現在は雑誌や書籍など幅広く活動中。自宅にて中華の料理教室『亮飯店』を主宰。近著に『愛しのから揚げレシピ94』(立東舎)などがある。
2018年05月05日毎日のお弁当のおかずに頭を悩ませていませんか?メディアでも活躍中の料理家・今井亮さんに、お弁当にぴったりのおかずレシピを教えていただきます。もちろん、夕ご飯のメインメニューとしても大活躍!今回は、甘酢で漬け込んだしっとりさが魅力の「鰆の南蛮漬け」です。【今井亮のお弁当おかずレシピ】鰆の南蛮漬け【材料】鰆:2切れセロリ:1/2本新玉ねぎ:1/2個赤パプリカ:1/4パセリみじん切り:大さじ1オリーブ油:大さじ1A片栗粉:大さじ1酒:小さじ2塩こしょう:少々Bしょう油:大さじ2砂糖:大さじ2酢:大さじ2水:1/2カップ【作り方】1鰆は一口大に切り、Aを揉み込む。セロリは斜め5ミリ幅、玉ねぎ、パプリカは薄切りにする。2フライパンにオリーブ油を熱し、鰆を中火で3分ほど焼く。3バットに1の野菜とパセリをひき、鰆を並べる。鍋でAを沸かし、熱いうちに回しかけ、粗熱が取れたら冷蔵庫で1時間ほど置いて、味をなじませる。調理のPOINT●甘酢に漬け込むことで、鰆がしっとり仕上がり、魚臭さも解消!●先にバットに野菜をしき、その上に熱々の鰆を置くことで、野菜が少ししんなりします。●鰆のほかに、季節の魚や鯛、鮭などでもおいしく作れます。今井亮〈プロフィール〉料理家。高校卒業後、京都の老舗中華料理店で修業。現在は雑誌や書籍など幅広く活動中。自宅にて中華の料理教室『亮飯店』を主宰。近著に『愛しのから揚げレシピ94』(立東舎)などがある。
2018年05月05日毎日のお弁当のおかずに頭を悩ませていませんか?メディアでも活躍中の料理家・今井亮さんに、お弁当にぴったりのおかずレシピを教えていただきます。もちろん、夕ご飯のメインメニューとしても大活躍!今回は、甘辛粒マスタードソースがたまらない「アスパラと人参の肉巻き」です。【今井亮のお弁当副菜レシピ】アスパラと人参の肉巻き 甘辛粒マスタードソース【材料】2人前牛肉薄切り(すき焼き用):4枚アスパラガス:4本人参:1/2本塩こしょう:少々片栗粉:適量サラダ油:大さじ1Aしょう油:大さじ1酒:大さじ1水:大さじ1はちみつ:大さじ1/2粒マスタード:小さじ1【作り方】1アスパラは根元を2cmほど切り、下半分の皮を剥く。Aは混ぜ合わせておく。2アスパラは1分ほどゆで、冷水で冷やし、水気をとる。人参は5cm長さの千切りにする。3牛肉を広げ、塩こしょう、片栗粉を薄くまぶす。手前に人参、アスパラをのせ、きつめに巻いて、周りにも片栗粉を薄くまぶす。4フライパンにサラダ油を熱し、3のとじ目を下にし並べ、中火で3分ほど全体に焼き色が付くように焼き、Aを加えさっと絡める。調理のPOINT●牛肉は大きめのものを用意し、きつめに巻いて!また、豚肉でもおいしく仕上がります。●子ども向けに作るときは、粒マスタードを省いてくださいね。
2018年05月03日東京都港区の「ホテルオークラ東京」別館に到着された皇太子さまと雅子さまが式典会場に入られると、招待客が万雷の拍手でお迎えした。4月18日、皇太子さまご夫妻は日本とアメリカの交流団体「ジャパン・ソサエティー」の記念式典へご出席に。 「髪をアップにされた雅子さまは、ご表情も明るかったです」(宮内庁関係者) お代替わりを1年後に控える皇太子さまと雅子さまは、6月9日に銀婚式を迎えられる。今年に入ってから記者クラブ「宮内記者会」は、この日に向けて東宮職に、ある強い要望を出しているという。 「結婚25年を記念して、ご夫妻お揃いでの“銀婚式会見”を開いていただきたいという要望です」(宮内庁関係者) 天皇皇后両陛下も、皇太子ご夫妻時代の’84年、銀婚式をお迎えになり、おそろいで会見に臨まれている。 「雅子さまが最後に会見に出席されたのは、長期ご療養に入られる前の’02年12月。それから実に15年半もの間、会見が開かれていません。宮内記者たちにとって銀婚式は、雅子さまの貴重な肉声を取材・報道できる千載一遇のチャンスなのです」 しかし、前出の宮内庁関係者の表情は暗い。 「現時点で、銀婚式の記者会見を実現するのは、非常に難しい気配です。なぜかというと、雅子さまご本人が、会見出席を断固として拒否されているからだそうです」 適応障害の療養に入られる前は雅子さまも、多くの記者会見に臨まれてきた。 「しかし、それが批判的な報道に繋がったこともあり、雅子さまにとっては“トラウマ”というほどの体験だったようなのです」 そう話すのは、ベテランの社会部記者だ。 愛子さまご誕生後の’02年12月、ニュージーランド、オーストラリアご訪問に際しての会見では、ご結婚後8年間お子さまに恵まれず、なかなか海外に出られなかった苦しさをお話しになった。それは、海外生活が長く、外交官を志されていた雅子さまにとっては率直なお気持ちだった。 だが、言葉尻をとらえて「皇室の将来を担う男のお子さまを産むことより、自分の好きな海外訪問のほうが大事なのか」などと筋違いの批判をする記事も散見された。 「雅子さまにとっては、悪夢のような出来事だったでしょう。帯状疱疹を発症し緊急入院されたのは、その1年後、40歳のお誕生日会見の直前でした。適応障害を発症されたのも、会見ご出席の重圧が要因の一つになった可能性があります。それ以来、雅子さまは報道陣との接触を極端に避けられるようになりました。地方でのお出ましでも、集まった記者団の前を車で素通りされることもあり、記者クラブとは一時“冷戦状態”となってしまいました。今回も理由を説明せず銀婚式会見を行わなければ、再びその状態に陥ってしまう可能性もあります」(前出・社会部記者) しかし、適応障害の回復期にある方たちにとって、自分の状況を周りの人たちに説明することは、改善への大事なステップともいわれている。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう話す。 「雅子さまもいずれ、会見で国民に説明される機会は、必要になってくるでしょう。しかし、今は皇后となることが最優先です。それ以前に記者会見で失敗されると、せっかくの回復傾向が逆に悪化に向かう可能性もあります。皇太子妃として、ご自分のお言葉で語られることは大切ですが、新皇后になられてからでも遅くはないと思います」 雅子さまが会見のトラウマを払拭され、自ら語られる日が早く訪れることを願いたいーー。
2018年04月25日