佐伯チズ氏の新刊の予約受け付けがスタート2020年7月9日、宝島社から、佐伯チズ氏の著書『夢は薬 諦めは毒 ~あなたに寄り添う33の言葉~』が発売される。ALS(筋萎縮性側索硬化症)と闘う佐伯チズ氏が、「人生は毎日のトライ&エラー」「顔とは、心の証明であり、健康のカルテであり、人生の看板である」「手は最高の道具」など、遺言として残していきたい33の言葉を綴っている。肌が喜ぶ佐伯式美肌メソッドや、キレイの素となるチズ氏のお取り寄せ歴も紹介。販売価格は1,430円(税込み)。宝島CHANNELやAmazon.co.jpなどで予約を受け付けている。病気と闘いながら活動を続ける佐伯チズ氏佐伯チズ氏は1943年6月23日生まれ。滋賀県出身。ゲランやパルファン・クリスチャン・ディオールなどで活躍した後、エステティックサロン「サロン ドール マ・ボーテ」を開業。ローションパックをはじめとした美容法が海外からも注目され、著書『美肌革命』は英語、中国語、フランス語など9カ国語に翻訳されている。『美肌食』『頼るな化粧品!』『キレイの躾』『佐伯チズの和美人の本』など著書多数。講演やテレビ、雑誌などでも活躍している。(画像は佐伯チズオフィシャルサイトより)【参考】※宝島CHANNE※佐伯チズオフィシャルサイト※佐伯チズオフィシャルブログ※Amazon.co.jp
2020年06月10日美容家の佐伯チズさんが6月5日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)のため76歳で逝去した。所属事務所が9日に公式サイトで発表した。今年3月23日、ALSに罹患したことを公表していたチズさん。その際に公開された動画では、「半年ほど前から右脚に違和感を感じ、昨年末には思うように動かすことができなくなりました」と報告していた。また視聴者「自分の健康・元気。これがあってこそのキレイだということを忘れないで」と呼びかけ、「それを実践してきたつもりだったんですよ。健康で元気だったんですけど、急に脚が動かなくなって、教えていただいたのがこの結果だったんですね」と心境を明かしていた。だがチズさんは「夢は薬、諦めは毒/願えば叶う。決して諦めませんから」と病に立ち向かう姿を見せていた。病気を公表してからわずか2カ月あまり。チズさんを追悼する声が溢れている。《ALS闘病を発表されたばかりだったのに。早すぎます。たくさんの美容法を教えていただきました。ありがとうございました。心からお悔やみ申し上げます》《美容のカリスマ、佐伯チズさんが…ご冥福をお祈りします。これまで沢山ステキな発信をありがとうございました》美容家でタレントのIKKO(58)も、Twitterで《大先輩の美容家・佐伯チズ先生 数々の偉大なる功績は、私達、後輩の道標でありました》と深い敬意を表し、《今朝、訃報に触れ、ただただ驚きでしたが、天国で、ゆっくりお休みになってください。心からご冥福をお祈り申し上げます》と偲んでいた。これまでチズさんは美容業界に数々の偉大な功績を残してきた。20歳で上京したチズさんは、「ゲラン」をはじめとするフランス化粧品メーカーで約35年勤務。その後、転職した「クリスチャン・ディオール」を03年に定年退職し、美容家として独立。エステティックサロン「サロンドール・マ・ボーテ」を開業し、現役エステティシャンとして活躍した。いっぽうで美肌塾も開講し、チズさんのノウハウを広く伝授することにも力を注いだ。定年退職とほぼ同時に出版した初著書『佐伯チズの頼るな化粧品!顔を洗うのをおやめなさい!』(講談社)は、ベストセラーに。現在40冊にものぼるチズさんの著書は、一貫して「お金をかけずにお肌も心もきれいに」がテーマだったという。チズさんはテレビや雑誌でも引っ張りだことなり、“美容のカリスマ”とも呼ばれた。なかでもチズさんが提唱した、水で濡らしたコットンに化粧水を含ませて湿布のように顔に貼り付ける「佐伯式ローションパック」は一躍ブームに。チズさんはスキンケアの基本として普及するように、「ロ(6)ーションパ(8)ック」という語呂から毎年6月8日を「ローションパックの日」とも制定していた。順風満帆なキャリアに見えるチズさんだが、過去には信頼してマネジメントを任せていた女性・Aさんに会社を乗っ取られかけたことも。そのため、個人資金2億円を使途不明のまま失ってしまったという。チズさんは17年11月、本誌にその事情を明かしていた。「Aが勝手に、『佐伯は高齢ですから』と仕事の依頼を断っていたんです。私のあずかり知らないところで新製品の開発もしていました。新規事業は失敗し、経費ばかりがかさむ。縮小するかじ取りをしたときは、後の祭りでした。登録商標の大部分、顧客情報も奪われ、すべてを失いました」だがチズさんは希望を捨てなかった。チズさんが42歳の時に、肺がんで亡くなった夫・有教さん(享年52)の“声”に励まされたという。生前に「がんばれ。きっと乗り切れる」と有教さんが励ましてくれたことを思い出したチズさんは、「前を向いて生きなければと思いました」と語っていた。そんなチズさんは、美容家としての信念をこう明かしていた。「私は、人さまをきれいにしてさしあげたい。その一心で施術をしてきました。お金のためでも、名前を売るためでもない。真心を尽くせば、それは必ず自分にも返ってくるんです」チズさんの遺志はこの先も受け継がれていくのだろう。
2020年06月09日2020年6月5日に、美容アドバイザーの佐伯チズさんが『ALS(筋萎縮性側索硬化症)』により亡くなったことを、所属事務所が明らかにしました。76歳でした。同年3月に『ALS』と診断を受けてから、「美容家・佐伯チズとして全うしたい」という強い意思のもと、闘病生活を送っていたとのことです。弊社所属の美容家・佐伯チズが、2020年6月5日、ALS(筋萎縮性側索硬化症)のため、永眠いたしました。享年76歳でございました。2020年3月にALSとの診断を受けて以降、本人の強い意志のもと、美容家として全うすること、佐伯チズらしくあることを第一義に病と向き合ってまいりました。佐伯チズ オフィシャルブログーより引用葬儀は遺族の意向により、親族のみで執り行ったとのこと。『お別れの会』などの実施については、新型コロナウイルス感染症の状況を見極めながら検討し、決定した際には改めて報告するといいます。ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2020年06月09日美容家の佐伯チズさん(76)が3月23日に、ALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患したことを公表した。「美のカリスマ」として活躍するチズさんの難病公表に、衝撃が広がっている。チズさんは同日ブログに掲載した動画で、「半年ほど前から右脚に違和感を感じ、昨年末には思うように動かすことができなくなりました」と経緯を語った。「この50年間、馬車馬のごとく頑張って参りました。入院や点滴もしたことがなかった」と明かしたチズさんは、「自分の健康、元気。これがあってこそのキレイだということを忘れないで」と訴えた。続けて「『夢は薬、諦めは毒』私はもう老春ですが、皆さんはまだ青春です」とし、「私まだまだ負けないわよ。皆さんに言ったことは続けていきますよ。だから一緒についてきてください」と力強く呼びかけた。現在は車椅子で移動しているというチズさんだが、「ひとりでも多くの方をキレイに」と願う気持ちは不変だ。その懸命な姿勢は、84年に死別した夫の存在も大きいようだ。「42歳でご主人を亡くしたチズさんは、美容に手がつかないほど落ち込みました。そんな時、友人から紹介されたクリスチャン・ディオールで働き始めることに。定年まで勤め上げられたのは、ご主人が生前に『弱音を吐かず頑張りなさい』と励ましてくれたおかげと語っていました」(美容誌関係者)そのいっぽうで、チズさんは定年後、別の苦悩が生じていた。17年11月に本誌で、家族のように慕っていたマネージャーに裏切られたことを明かした。会社や多額の資産を失ってしまったが、チズさんならではの“使命”に気付いたという。「『きれいにしてさしあげたい』と、お客さまの肌と対話するときは、ほかのことなんて考えられない。やっぱりお客さまあっての自分なんです」不屈の精神で難病に立ち向かおうとするチズさんに、多くのエールが寄せられている。《こんな時でも凛としている彼女を心から尊敬します》《佐伯チズさん、辛いですが 負けないで下さい。 応援しています》《「夢は薬。諦めは毒。」素晴らしい言葉。凛としていて今もお綺麗です。少しでも回復することを祈っています》
2020年03月23日今回の「やさしいママのヒミツ」は、ママたちから絶大な人気を誇るこども服と雑貨のセレクトショップ「cuccu(クック)」を運営する佐伯さつきさん。12歳と4歳の2人の男の子のママでもあり、会社員のご主人と4人暮らしです。佐伯さつき さんご主人の直哉さん、碧(あおい)くん(12歳)、類(るい)くん(4歳)の4人家族こども服と雑貨のセレクトショップ「cuccu(クック)」を運営。「こどもだからこそ」できるおしゃれをテーマにセレクトにしたこども服は、おしゃれだけど着せやすいとおしゃれなママたちから大人気。ショップのインスタグラムで発信するパパやお子さんとの日常のひとコマの写真にもファンが多い。HP: Instagram: @cuccu_net ご主人の仕事の都合で、2014年~2017年の3年間、アメリカで暮らしていた佐伯さんご一家。次男の類くんはアメリカで生まれました。子育てと両立させながらどうやって人気ショップを運営してきたのか、ご主人との協力体制や年の差育児のあれこれなど、たっぷりお伺いしました。「家族に無理をさせないビジネス規模」を継続まずは、さつきさんの平日の一日のスケジュールを教えてもらいました。 6:30 : 夫出勤 6:50 : 長男と起床。長男と朝食を食べる。合間に台所片付け、洗濯、身支度 7:50 : 長男学校へ 8:00 : 次男起床。朝食を食べさせる 9:00 : 次男を自転車で幼稚園へ 9:30 : 仕事開始 13:50 : 次男を幼稚園へお迎えに。忙しいときはそのまま帰宅して仕事の続き。オフシーズンは幼稚園ママとおしゃべりを楽しむことも 17:30 : 夕食準備 18:30 : 夕食 19:30 : 夫帰宅 20:00 : 夫が長男、次男と入浴 21:00 : 夫と長男で次男を寝かしつけ 22:00 : 長男就寝 23:00 : 就寝さつきさんの仕事は、ネットショップ「cuccu」のサイト運営と仕入れ。インスタグラムの更新やメールマガジンの配信もしています。商談等がなければ仕事場は自宅です。さつきさんが「cuccu」をオープンさせたのは長男が2歳のときでした。「息子が生まれて子ども服を買うようになったのですが、なかなか好みのものがみつからなくて。いろいろなお店をまわったり、ネットで探したり、ときには海外から通販で買ったりするうちに、自分の好きなものだけ置いているお店があればいいなあと思うようになったんです。それと、子どもが生まれてから買い物に行きづらいことにもストレスを感じていて。野菜もネットスーパーで買うような生活では、子ども服を買うのはどうしても後回しになってしまう。夜に子どもを寝かしつけてから、ゆっくり買い物ができるようなお店をつくれたらいいなと思ったのがはじまりです」cuccuのインスタグラムのモデルとしてもおなじみの碧くんと類くん。子ども用ブルーライトカット眼鏡をかけて。それまでは会社員だったというさつきさん。起業を決意するにはきっかけがありました。「育休明けで仕事に復帰していたある日、勤めていた支店がなくなると言われて。もともと自分でお店をやりたいという思いはあったので、会社でその話を聞いた当日に夫に相談してみたら、“いいよ”と即答してくれたんです」ママの起業は夢がある一方、失敗すれば多額の負債を抱える可能性も。「なんとかなると思って」と快諾してくれたご主人に、今は感謝しているといいます。「私はひとつのことに夢中になるとそれしか見えなくなってしまう性格。夫もそれをよくわかってくれていて、以前から“その熱量を何かに生かせたらいいね”というのは言ってくれていました。とはいえ何か具体的な話をしたことはなかったので、いきなりだったとは思います。結局、支店はなくならないことになったんですけどね(笑)」「cuccu」では動物ポシェットなどのファッション小物やおもちゃも人気。当初は、自宅の一部屋を使って、商品の梱包や発送もすべて一人でやっていたそう。その後、注文が増えてきたので、在庫管理や商品の梱包・発送は別のスタッフに任せ、さつきさんはショップの運営と仕入れに集中することにしたそうです。「ネットさえあれば私自身の仕事はどこでもできる環境を整えていたので、夫の仕事でアメリカで暮らすことになったときもショップを継続することができました。初めての海外暮らしは、いろいろ大変でした。次男はアメリカで産んだのですが、異国での出産もわからないことだらけ。みんなでがんばらないといけなかったから、自然と家族の団結力が生まれ、絆が強まったと思います。cuccuは今年の12月で10周年。ありがたいことに順調にここまできました。ショップのインスタグラムの投稿に“いいね”をもらえることもそうですが、人から評価されることは仕事のやりがいにつながっています。長く続けていると事業を拡大する人も多いのですが、私自身は今すぐにとは考えていません。今は家族が一番なので、自分ができる範囲でやっています。子供たちと過ごす時間も多く取れているし、家族に無理のない程度のバランスのよいビジネスができていると感じます」デリバリーや外食も前向きな気持ちで利用家族を一番に考えているとはいえ、どうしても仕事の忙しさには波も。商品の入荷が多いオンシーズンは、サイトの更新などに追われ、一日中仕事をしていることもあるといいます。「忙しいときは遠慮せずに夫に言うようにしていますね。夫は会社員なのでいつでも助けてもらえるわけではないですが、なんとかしたいという気持ちを持ってもらえるだけでもちがいますよね。そもそも私、家事と育児に関してはあきらめが早いんです(笑)。自分を犠牲にしてまでがんばるのは好きじゃないので、疲れたら無理はしません。仕事が忙しいときや生理前で体調がよくない日は、“今日はママ何もしなーい”って子どもたちに宣言して、ソファでダラッとしちゃいます。夕ごはんにはデリバリーも活用しますよ。夕食をつくれない日に夫が早く帰って来られたら、平日にみんなで外食に行くこともあります。夫も私も、お酒を飲んだり外食したりするのが好きなので、むしろ美味しいものを食べにいくチャンスだと思って楽しんじゃいます」どうせ外食するなら「つくれなかった…」という後ろめたい気持ちで行くより、それ自体をイベントとして楽しんでしまうほうがハッピー。「たぶん、考え方が前向きなのかも」とさつきさんはにっこり笑います。続けるには「変わることをおそれない」自宅のインテリアを彩る雑貨は、cuccuで扱っているものが多いそう。「基本的に自宅のインテリアもcuccuで扱っている雑貨や服も、インスピレーションで選んでいます。シックなものが好き、という根本的なところは変わりませんが、こまかな好みは結構変わっています。以前は“変わる”ということが、なんだかポリシーがないみたいに感じられて、口に出しづらいこともあったのですが、今は変われるから続けていける部分もあると思っています。“自分はこう”と凝り固まってしまうと、時代の変化とともに逆に受け入れられなくなってしまうこともあるかなと思うんです」センスのよいインテリアに囲まれた家の中は、整然と片付いていて、男の子が2人いるとは思えないほど。「私は部屋が散らかっているとイライラしてしまうタイプ。生活が乱れる感じがしてしまうんです。実際に部屋が汚いときは、私自身の心の状態もよくないときが多いんですよね。子どものおもちゃを片付けるのは苦にならなくて、むしろ、子どもがちょっと遊びをやめたらどんどん片付けちゃう(笑)。ただ、毎日掃除機をかけることはできないので、ロボット掃除機を使っています」年の差兄弟だから、あえての別行動も弟ができたと告げたとき、涙を流して大喜びした長男の碧くん。 そのときの動画 をcuccuのインスタグラムに投稿すると、たくさんの「いいね」が付きました。リビングのブランコはお友だちにも大人気だとか。「まさか泣くほど喜ぶとは思っていなくて、私も驚きましたね。生まれてからもとてもかわいがってくれて、オムツ交換も手伝ってくれました。次男は元気いっぱい。長男はまったく手がかからなかったので、次男が生まれて“初めて子育てしたね”って夫と話すくらい(笑)。でも、年が離れているので、兄弟げんかはほとんどないし、長男のやさしさには私も日々助けられています。兄弟の年の差が離れていることで、悩ましいのがおでかけの場所ですね。遊園地に行っても乗れるアトラクションもちがうし、公園でのキャッチボールも兄弟一緒にはできない。次男が行きたいという場所に長男が興味をもてないこともあれば、その逆もあります。片方につきあわせてばかりでは、もう一人がつまらないと思うので、そういうときは夫婦が分かれて、子どもと2人で行動します。できるだけ長男も次男もやりたいことができるようにしてあげる、ということは心がけていますね」長男の碧くんは3歳からピアノを習っていて、パパママどちらかとピアノライブに行くこともあるそう。さつきさんは長男の ユーチューブチャンネル をつくり、ピアノ演奏の動画投稿をお手伝いしています。「長男はユーチューブが大好きで、ユーチューバーになりたいというから、試しに得意なピアノでやってみたら? とはじめました。ピアノは渡米時と帰国時に二度、約半年ほど一度中断しましたが、本人がまたやりたいといって再開している習いごとです。実際にユーチューブに投稿するとなると、演奏をミスして何度も撮りなおさなければならなかったり、キャプションを考える必要があったり、結構大変。長男もユーチューバーの人たちがどれだけ時間をかけてつくっているかとか、そんなに簡単ではないとか、いろいろなこともわかってきたみたいです」旅行の記録や成長記録はフォトブックで目に見えるかたちにして、旅の思い出がずっと子どもたちの記憶に残るように。「もちろん、家族みんなででかけることもあります。最近家族でハマっているのがボーリング。子ども用の滑り台を使えば次男も遊べるので、家族みんなで行きます。夫と私はマイシューズも買いました。4~5回行けばレンタルよりお得なんです(笑)。それから旅行も。もともと夫も私も旅行が好きで、子どもが生まれてからも年に一回は家族旅行へ行きます。旅行の記録はフォトブックにまとめて、リビングに飾っています。そうすると子どもたちも喜んで見返してくれます」共働きだから家事育児は夫婦で分担直哉さんの通勤は車で片道1時間。朝は家族が寝ているうちに家を出るので家族とはすれ違いの生活。ただ、帰宅は早めなので、平日でも夜は子どもとコミュニケーションがとれていると話します。「最近は会社も働き方改革によって残業が減っているので、ここ1~2年は早く帰宅できています。夕飯を一緒に食べるのは無理でも、お風呂に一緒に入ったり、次男の寝かしつけを長男と一緒にしたりしていますね。長男ともたくさん会話ができていて、今は好きな子は誰々…なんてことまで話してくれて。隠しごともなさそうですね。これからもいろいろしゃべってくれるといいなと思いますけど、自分は子どもの頃そこまでしゃべらなかったですから、どうですかね(笑)。基本的に子どもたちにも奥さんにも、やりたいことをやってほしいと思っているので、できるかぎりそれを受け止めていきたいですね。目指す家族のかたちは、みんなでずっと仲良く暮らしていくこと。そのためにも子どもや奥さんとのコミュニケーションを大切にしていきたいです」(直哉さん)「料理以外の家事は好きじゃないけど(笑)、共働きだしやりますよ」(直哉さん)直哉さんは育児だけでなく、家事にも協力的。平日のごはんはさつきさんがつくりますが、週末は直哉さんが担当。魚の煮つけからタイ料理までつくる料理好き。加えて皿洗いや洗濯などの家事をすることも多いといいます。「本当に助かっています。ただ夫も最初から家事が完璧だったわけではなくて。最初のうちは洗濯物をたたもうと思ったらズボンの中から靴下が出てきた…なんてこともありました。もちろん手伝ってくれるだけでもありがたいのですが、そのレベルを超えて2人でうまく家事を回していけるようになりたいと思っていたので、気づいたことはひとつずつ伝えていましたね」(さつきさん)こんなふうに二人三脚で家事育児をまわすお二人に、環境や手肌にもやさしい、“無香料”のサラヤの洗剤「ヤシノミシリーズ」を試していただきました。「サラヤ」のヤシノミシリーズ。左から「ヤシノミ柔軟剤」、「ヤシノミ洗たく洗剤」、食器用の「ヤシノミ洗剤」。人と地球へのやさしさを考えて、香料や着色料などは一切無添加。洗った後の排水もすべて微生物によって分解され、すばやく地球にかえります。 楽天で買う | amazonで買う | ロハコで買う 実はさつきさん、以前に「ヤシノミ洗剤」を使っていたことがあるのだそう。「長男が生まれたとき、調味料を無添加のものにしたり、洗剤を環境にやさしいものにしたり、こだわるようになったんです。でもアメリカに行ったら意識がゆるくなってしまって…」1971年の誕生以来、洗浄には不要なものを入れない“無香料・無着色”にこだわった、環境にやさしい植物系洗剤。洗浄成分の濃度を16%にすることにより「手肌へのやさしさ」と「洗浄力」を実現。「ヤシノミ洗剤」本体(ポンプ付き500l/400円)、詰め替え(480ml/270円)※すべて税別 楽天で買う | amazonで買う | ロハコで買う 「ヤシノミ洗剤は環境にはよいけれど、なんとなく油汚れに弱い…という印象があって。皿洗いは夫もするので、落ちづらいと面倒くさがるだろうなと思って使わなかったのですが、こういうふうに洗う前に汚れを拭き取ったり、ため洗いをしたりすれば落ちやすくなりますね」油汚れが残っているときはキッチンペーパーや新聞でさっと拭き取ったり、ため洗いをしたりすれば、汚れも落ちやすく、洗剤と水の節約に。余分な油を排水に流さずに済みます。 ヤシノミ洗剤の使い方>> 「手には年齢が現れると思っているので、食器洗いのときは手袋をするのですが、肌にやさしいヤシノミ洗剤なら手袋なしでも安心して使えました。ポンプ式なので使いやすく、インテリアになじむシンプルなデザインもいいですね」また、ヤシノミシリーズに洗たく用洗剤があることは、今回初めて知ったのだそう。無香料、無着色、無添加。少ない量でも頑固な汚れをしっかり落とし、繊維に余計なものを残さない「ヤシノミ洗たく洗剤」と「ヤシノミ柔軟剤」。(いずれも600ml/オープン価格) 楽天で買う | amazonで買う | ロハコで買う >> 「子どもたちの肌トラブルもないので、洗たく洗剤はあまりこだわりなく選んでいましたが、ヤシノミシリーズは環境にやさしいことに共感できます。普段から子どもにも “環境に配慮したモノ選び” の話などもするのに、正直あまり実践できていなかったですね。これを機にもうすこし環境を意識した生活を送れたらと思います」「柔軟剤は今まで使っていませんでした。私の実家は柔軟剤をしっかり使ったふわふわタオル、逆に夫の実家は使わないゴワゴワのタオルと両極端。ふわふわすぎると化学的な感じが気になるのですが、ヤシノミ柔軟剤は、柔軟剤を使ったとはっきりわかるような香りや極端なやわらかさがなく、とても使いやすいですね」子どもが巣立った後も、夫婦仲良くいるために外食や旅行など好きなことも共通で、仲むつまじい佐伯さんご夫婦ですが、結婚15年のあいだには馴れ合いに陥ることもあったとか。「仕事から帰ってきた夫が、テレビに見入ってばかりで、話しかけてもハイハイと適当に流される…。そんなことが続いた時期があって。夫も一日のうちでテレビを見る時間は夜しかないし、仕事で疲れてもいるだろうし、気持ちはわかります。でも、私も大事な話をしたいときもあるし、後で同じ内容を聞かれるとイライラしてしまう。どちらも悪いところはあるだろうから、もっと相手を思いやろう、否定から入らないようにしよう、とかいろいろ話して。お互いちゃんと意識するようにしたら、会話の雰囲気がすごく変わりました」「夫とは、いつかタイのサムイ島に住みたいねと話しているんです。家族旅行で行ったのですが、自然豊かで本当にいいところだったし、タイ料理も好きなので。私もビーチで仕事ができたらいいなって。でも今ちゃんと会話ができていなかったら、将来子どもたちが巣立ってふたりきりになったとき、絶対うまくいかないだろうなと思うんです。やっぱり夫婦といっても他人同士なので、長年一緒にいても伝えないと伝わらないことはあると思うから、思ったことはできるだけ伝えるようにしています」子育てに正解はないから“こうしなきゃ”を持たない「子育てって正解がないと言いますよね。どんなに愛情をかけても親の愛をうっとうしく感じる子もいれば、仕事をしていて手をかける時間は短くても親にすごく感謝する子もいる。私もただの一人の人間で、完璧なママでも大人でもない。子育ても自分がよいと思うようにやることしかできないから、あんまり“こうしなきゃ”というのはないんですね。子どもがやりたいといったことはできる範囲でやらせてあげたいなと思っているくらいで。子どもたちが将来何になろうと、死ぬときに幸せだった、楽しかったなと思う人生を歩いてくれたら、それだけで親としては満足ですね」子どもたちの未来のために“人と地球にやさしい”ヤシノミ生活をヤシノミシリーズはヤシノミ由来の植物性。洗った後の排水もすべて微生物によって分解され、すばやく地球にかえります。洗っても、洗っても、安心。今日の汚れをあしたの未来に残さない。そんな “人と地球にやさしい” ヤシノミ生活をはじめてみませんか。 楽天で「ヤシノミシリーズ」を買う amazonで「ヤシノミシリーズ」を買う ロハコで「ヤシノミシリーズ」を買う \ヤシノミ洗剤は50周年!/「毎日使うものだからこそ、地球のために洗剤にできること」をひたすらに考え続けて50年。昔も今も。そしてこれからも「手肌と地球にやさしい」をコンセプトにヤシノミ洗剤はあなたの暮らしにそっと寄り添い続けます。 ヤシノミ洗剤 50周年サイトを見る 【売上1%で、ボルネオ環境保全を支援】ヤシノミシリーズの売上(メーカー出荷額)の1%はマレーシア・サバ州政府公認の国際NGO「ボルネオ保全トラスト」を通じて野生動植物の保護と生息域の確保に使われています。また、ヤシノミシリーズをはじめとするサラヤ製品では、違法労働や違法伐採によって作られた植物油ではなく、環境と人権に配慮したRSPO認証油の生産を支援しています。 無香料、無添加のヤシノミシリーズとは 取材/文:古屋江美子 撮影:林ひろし[PR] サラヤ株式会社
2019年11月29日3日講座『佐伯チズの美肌塾』開催概要2020年1月23日(木)、2月13日(木)、3月19日(木)の3日間、セブンアカデミーにおいて、『佐伯チズの美肌塾「キレイ」を引き出すための美肌レッスン』が開催される。同講座は3日講座で途中受講は不可となる。美肌の伝道師・佐伯チズが、化粧品の選び方、使い方、ローションパックの方法などを丁寧に解説。1人1人の「キレイ」を引き出し、自分に自信が持てる講座となっている。開催時間は、各日13:00から15:00まで。持ち物は卓上鏡、タオル、ターバン(髪が顔にかかる人のみ)、筆記用具。教材費込みで、受講料はセブンアカデミー会員が18,150円となっている。佐伯チズは1月23日(木)と3月19日(木)に登壇を予定している。申し込みはセブンアカデミーのウェブサイトにて受け付けている。問い合わせはセブンアカデミー(電話番号:03-6697-0771)まで。海外からも支持を集める佐伯チズ佐伯チズは1943年生まれ。外資系化粧品会社勤務を経て、エステティックサロン「サロン ドール マ・ボーテ」をオープン。その後、「佐伯式美肌塾チャモロジースクール」を開校した。現在は講演執筆活動など幅広い分野で活躍。著書には『頼るな化粧品!』、『美肌革命』などがある。(画像は佐伯チズオフィシャルサイトより)【参考】※セブンアカデミー※佐伯チズオフィシャルサイト
2019年11月25日佐伯チズの新刊は『まんがでわかる美肌革命』2019年4月12日、宝島社から、『まんがでわかる美肌革命』が発売される。著者は佐伯チズ、まんがは迫ミサキ。同書では、肌も心も生き方もキレイであり続けるための方法をまんがでわかりやすく紹介。正しいスキンケア方法を学ぶことで、美しく年齢を重ねることを目指す。ただの美容本ではなく、考え方や生き方も調えられる1冊となっている。人生の大きな転機を迎える40代にオススメだ。販売価格は1,512円(税込み)。宝島CHANNELやAmazon.co.jpなど予約を受け付けている。美肌の伝道師 佐伯チズ佐伯チズは1943年生まれ。外資系化粧品会社において定年退職まで働いた後、「ひとりでも多くの方をきれいにしてさしあげたい」という想いから、エステティックサロン「サロン ドール マ・ボーテ」をオープンさせる。現在は、お肌のお悩み相談や講演、執筆活動、雑誌、テレビ、ラジオ出演など幅広い分野で活躍している。著書には『美肌革命 -お金をかけずにきれいになる- 』、『頼るな化粧品!』、『まけないで 女は立ち上がるたびキレイになる 』、『佐伯チズメソッド 肌の愛し方育て方 ―今までだれも言わなかったスキンケアの新提案50』などがある。(画像は佐伯チズオフィシャルサイトより)【参考】※宝島CHANNEL※佐伯チズオフィシャルサイト※Amazon.co.jp
2019年04月02日『佐伯チズが教える キレイの五原則』開催概要2019年3月9日(土)、セブンアカデミーにおいて、1日講座『佐伯チズが教える キレイの五原則』が開催される。75歳にして、白く美しい肌をもつ佐伯チズが、美肌を叶える「キレイの五原則」を分かりやすく解説。自分の肌状態とクセを把握して、正しい化粧品の知識と使い方を学んでいく。開催時間は11:00から13:00まで。受講料はセブンアカデミーの会員が6,480円、一般が7,776円。持ち物は鏡、タオル、ターバン、筆記用具の4点。当日はメイクの上からローションパックを行っていく。佐伯チズに素肌をチェックして欲しい人は、ノーメイクで参加しよう。セブンアカデミーのウェブサイトにて、申し込みを受け付けている。講座に関する問い合わせは、セブンアカデミー(電話番号:03-6697-0771)まで。美容家 佐伯チズ佐伯チズは1943年6月23日生まれ。滋賀県出身。フランス化粧品メーカーを定年退職した後、2003年にエステティックサロン「サロン ドール マ・ボーテ」を開業。「美肌革命 -お金をかけずにきれいになる-」、「まけないで 女は立ち上がるたびキレイになる」など著書多数。成安造形大学客員教授、生活アドバイザー(衣食住)、カウンセラー、エッセイスト、映画コメンテーターとしても活躍している。(画像は佐伯チズ オフィシャルサイトより)【参考】※セブンアカデミー※佐伯チズ オフィシャルサイト※佐伯チズ オフィシャルブログ※Amazon.co.jp
2018年11月28日『「夢はくすり あきらめは毒 願えばかなう」~佐伯チズトークイベント~』開催概要2018年10月27日(土)、梅田 蔦屋書店 4thラウンジにおいて、『「夢はくすりあきらめは毒願えばかなう」~佐伯チズトークイベント~』が開催される。佐伯チズが、日常の中で「美」を積み重ねる方法を伝授。経験も知識も豊富な佐伯チズに、美しさへの近道を学んでみてはいかがだろうか。開場時間は13:30。開催時間は14:00から16:00まで。イベント終了後には、サイン会、ツーショット撮影会が予定されている。参加費は3,000円(税込み)。定員は80名。申し込みは、梅田 蔦屋書店オンラインショップと店頭にて受け付けている。イベントに関する問い合わせは、梅田 蔦屋書店(電話番号:06-4799-1800)まで。佐伯チズのプロフィール佐伯チズは1943年6月23日生まれ。滋賀県出身。外資系化粧品会社を定年退職した後、エステティックサロン「サロン ドール マ・ボーテ」をオープンさせる。美容家、カウンセラー、エッセイスト、映画コメンテーターなど様々な肩書きをもち、多方面で活躍している。著書の累計部数は500万部以上。海外からの注目度も高い。(画像は梅田 蔦屋書店より)【参考】※梅田 蔦屋書店※佐伯チズオフィシャルサイト※佐伯チズオフィシャルブログ
2018年10月11日全国のNHK文化センターで開催される「佐伯チズの美肌塾」「佐伯チズの美肌塾」が、全国のNHK文化センターで開催される。同講座は、佐伯チズまたは、佐伯チズ認定セミナーインストラクターが講師を務める。佐伯チズ曰く、お金をかけなくてもキレイになれるという。正しい理論と、自分にあったスキンケア法をしっかり学んで、美肌を手に入れてみてはいかがだろうか。「佐伯チズの美肌塾」開講スケジュール「佐伯チズの美肌塾」は、2018年3月23日(金)11:00から13:00まで、NHK文化センター青山教室にて開催。4月8日(日)14:00から15:30まではNHK文化センター名古屋教室、4月15日(日)10:30から12:00まではNHK文化センター福岡教室、4月21日(土)11:00から12:30まではNHK文化センター豊橋、4月21日(土)15:30から17:00まではNHK文化センター浜松教室にて実施。5月13日(日)14:00から16:00まではNHK文化センター札幌教室、5月26日(土)13:30から15:00まではNHK文化センター新潟教室での開催を予定している。以降の予定と各講座の詳細な情報は、佐伯チズ オンラインショップ公式ブログまたは、NHK文化センター ウェブサイトを確認。(画像は佐伯チズ オフィシャルブログより)【参考】※佐伯チズ オフィシャルブログ※佐伯チズ オンラインショップ公式ブログ※NHK文化センター ウェブサイト
2018年03月07日“現代の春画・妖怪画”として称される、伝説の絵師・佐伯俊男の国内最大規模の展覧会『雲然』が、2018年1月20日(土)から2月24日(土)まで東京・NANZUKAにて開催される。佐伯俊男はエロス、ユーモア、ホラーを織り交ぜた独特の作品で魅了する画家。寺山修司、澁澤龍彦らの賞賛を呼び、1970年に平凡パンチにてデビュー。同年に処女作品集『佐伯俊男画集』を発表後、原画展をパリで開催。ジョン・レノンとオノ・ヨーコのアルバム「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」に使用されるなど、瞬く間に国際的なアーティストへと成長した。しかしながら、佐伯の人生には悲劇的な一面も。パリで行った展覧会終了後には全作品が盗難に遭うなど、様々な災難も乗り越えてきた。そんな佐伯が描くのは、“現代の春画・妖怪画”とも呼べるブラックユーモアとエロスの世界観を持ち合わせた作品の数々。どの作品もあらゆる性的タブーを露にし、内面をえぐるような刺激的な仕掛けに満ちている。過去最大規模の展覧会となる『雲然』には、70年代から80年にかけて佐伯が描いたオリジナル作品を中心に、新作も発表。会場には彩色を加えた巨大な壁画も登場予定だ。【イベント詳細】佐伯俊男『雲然』開催期間:2018年1月20日(土)~2月24日(土)会場:NANZUKA住所:東京都渋谷区渋谷2-17-3
2017年12月22日東京湾を遠望し、羽田空港を離着陸する飛行機も見える高層マンション20階の1日限定2人の施術をする自宅エステティックサロン。この日は、20年以上、佐伯チズさん(74)の施術を受けている女性が来訪していた。 「先生がディオール勤務時代、帝国ホテルでサロンをされていたときから、月に必ず1回、お願いしています。お肌だけでなく、心も元気にさせてくださいます」 ’03年、クリスチャン・ディオールを定年退職したその年、佐伯さんは「水とコットンと化粧水があれば十分」という佐伯式スキンケアを提唱し、初の著書で大ブレーク。美容関係だけでなく、テレビの情報番組のコメンテーターとしても活躍してきた。だが最近、見かけなくなったと感じる人も少なくないだろう。 じつは佐伯さんは、実質10年ほどマネジメントをまかせていた女性「Aさん」に会社を乗っ取られかけ、個人資金2億円を使途不明金のまま失う苦境に陥っていたのだ。 「’15年の暮れにAが辞めたあとで知ったんですけど、Aが勝手に、『佐伯は高齢ですから』と仕事の依頼を断っていたんです。私のあずかり知らないところで新製品の開発もしていました。新規事業は失敗し、経費ばかりがかさむ。縮小するかじ取りをしたときは、後の祭りでした。登録商標の大部分、顧客情報も奪われ、すべてを失いました」(佐伯さん・以下同) そんなどん底にいたときに励まされたのは、32年前に逝った夫・有教さん(享年52)の“声”だったという。ふいに彼の“声”が聞こえたのは、Aさんの裏切りに、後ろ向きのことばかりをぐるぐると考えていた夜だった。 《恨んでもしょうがない。あなたが信じたのだから、それはあなたの責任でもあるんだよ。こういう経験が、気づかせてくれることもあるから》 それはかつて、佐伯さんが知人の500万円の借用書に裏書きをして借金を負ったときの、有教さんの言葉だった。 「同じことを言っていたんです。『がんばれ。きっと乗り切れる』って」 まるで闇の向こうから光が差し込んだようだった。 「前を向いて生きなければと思いました。そのためには、ご迷惑をおかけしたお客さまにまず謝って、許していただけるなら仕事を続けたいと」 そして、あらためて自分の原点を見つめ直した。 「私は、人さまをきれいにしてさしあげたい。その一心で施術をしてきました。お金のためでも、名前を売るためでもない。真心を尽くせば、それは必ず自分にも返ってくるんです」 ’16年春、佐伯さんは鹿児島県鹿児島市の小高い丘に広がるフラワーガーデンを訪れていた。その高貴な香りからバラの女王と呼ばれ、化粧品の原料としても素晴らしい効能を持つ「ダマスクローズ」。このバラ園では、有機無農薬栽培をしているのだ。 今年6月23日。74歳の誕生日に佐伯さんは、新ブランド「チズ・サエキジャパン・ラ・サロン・コスメ」を発表。その鹿児島のダマスクローズの花水をふんだんに使った商品である。 「肌なじみにすぐれた最新技術『ラメラテクノロジー(R)』を取り入れています。これは、基礎化粧品の研究家の鈴木喬先生が開発した世界特許で、『チズさんなら』と使用許可をくださったんです」 佐伯さんが真心をこめて人との関係を大事にしてきたからこそ、このブランドは誕生した。74歳にして新たなスタートを切り、佐伯さんは見事に返り咲いたのだ。 「『佐伯先生』とかいう呼び方はいりません。『チズさん』と呼んでください。そのほうが若返りますから」 明るく快活な口調に、会場から笑いが起こる。この日の佐伯さんは、大阪のセミナーに登壇。豪華客船の旅、プリンセス・クルーズのプロジェクト・アンバサダーとしての仕事だ。クルーズ旅行の思い出を語り、愛する夫の話もする。 「大好きな美輪明宏先生とお会いする機会があったんですけど、そのとき私の背後に、主人が見えると言ってくださったんです。私、あまりにも感激して、美輪先生にハグまでしてもらいました」 さらに参加者たちに、こう呼びかけた。 「みなさん、ハグしましょう。女性ホルモンが活性化して、若返りますよ!」 佐伯さんが会場をハグして回ると歓声が上がった。セミナー後も、写真撮影とハグの順番待ちの列ができ、誰もがほっこりと幸せな表情だ。大阪から東京にとんぼ返りする佐伯さんに休みはない。翌日は福岡、長野をまわり、また大阪へ。12月には中国・北京出張も予定されている。佐伯さんは、ふと両手を開き、ねぎらうように見つめた。 「どの指もしわが刻まれていて、左手の小指は外に反ってしまっている。でも、この手があれば生きていけるし、みなさんと一緒にいられます」 柔らかくて温かく、触れられるだけで思わず泣けてくる――人生経験と愛が詰まった魔法の手。この手があるかぎり、佐伯さんは何度でも甦る。
2017年11月25日佐伯チズの新刊「まけないで 女は立ち上がるたびキレイになる」2017年11月29日、佐伯チズの新刊「まけないで 女は立ち上がるたびキレイになる」が講談社から発売される。カリスマ美肌師の佐伯チズは、70歳を超えて、人生のどん底を経験。信頼していた人から裏切られ、会社、顧客情報、「佐伯チズ」の名前を奪われるなどして、絶望的な状態に陥った佐伯。一体、彼女はどのようにして立ち直ったのか。新刊では、佐伯チズの美しさと強さの秘密が明かされる。販売価格は1,404円。アマゾンにて予約を受け付け中。佐伯チズのプロフィール佐伯チズは1943年生まれ。外資系化粧品会社を定年退職後、エステティックサロン「サロン ドール マ・ボーテ」を開業。その後、「佐伯式美肌塾チャモロジースクール」を開校。美容理念と佐伯式美容技術の継承に努めている。出版した著書は、累計500万部以上、著書には「今日の私がいちばんキレイ」、「キレイの躾」、「佐伯チズ、美の流儀」などがある。「美肌革命」は、英語、中国語、フランス語、ロシア語、ポーランド語に翻訳されている。成安造形大学客員教授、生活アドバイザー(衣食住)、カウンセラー、エッセイスト、映画コメンテーターなど、様々な肩書きを持ち、執筆、講演、メディアなど多方面で活躍している。(画像は佐伯チズ オフィシャルブログ「願えば、かなう。」より)【参考】※佐伯チズ オフィシャルブログ「願えば、かなう。」※佐伯チズ オフィシャルサイト※アマゾン
2017年10月27日●「この人、好きだなぁ」で「一緒に」村上淳、村上虹郎、三浦誠己、渋川清彦、大橋トリオといった俳優・アーティストをかかえる芸能事務所・ディケイドが設立25周年を記念して、「日本映画とは何か」を掲げた映画『AMY SAID エイミー・セッド』(9月30日公開)を製作。前記の5人をはじめ、ディケイド所属の俳優たちが総出演し、静かな物語の中で個性をぶつけ合いながら共鳴し合うアンサンブルを披露している。元映画研究会の40代男女8人が、20年前に亡くなったエミの命日に、かつて行きつけだったバーで再会する一夜。「わたし本当は知ってるの、エミが死んだ理由」という直子(中村優子)の告白をきっかけに、それぞれの胸の奥に閉まっていたことが明らかになっていく。三浦演じる主人公・朝田は周囲から映画監督としての才能を認められながら、自らその才能に失望し、現在はパン屋で働く。彼らに共通しているのは、かつてはたぎるほどあった情熱がすっかり冷めてしまっていること。どこの同窓会にもあるようなほのかな哀愁が、この映画の中にも漂っている。公式サイトには「本気で挑んだ大人の青春映画」とある。芸能事務所自らが企画、製作した作品でここまで熱量のこもった作品は稀だ。ディケイド・佐伯真吾社長はどのような思いをこの映画に込めたのか。村上淳との出会い、そして「キミ明日から社長だから」と2代目社長に指名された日など、語られるエピソードの数々からはこの映画に至るまでの分岐点、そして映画愛・役者愛が溢れ出ている。○震災で諦めかけた20周年前作――「大人の青春」とある通り、誰もが同窓会で感じる哀愁が漂う作品でした。いつ頃からこの映画の構想を練っていたのでしょうか?5年前、設立20周年という大義名分を掲げて、主演・村上淳、主題歌・大橋トリオで映画『Playback』を撮りました。ただ、それ以前にもそういう動きはあったんですよね。それはマネージメントの一環、例えば新人育成という目的の場合もあります。大橋トリオは今年で10周年を迎えましたが、デビュー当時から映画音楽をやらせたかったので、CMなども数多く手掛けている柿本ケンサクの長編企画映画『Colors』(05)にお願いして長編を4社の出資で撮りました。そのうちの1社がディケイド。そういう「映画作りの序章」が過去にはありました。そういう流れの中である日、村上淳が「彼、才能あるよ」と勧める監督の作品DVDを受け取りました。それは『やくたたず』(10)という作品で、三宅唱という当時は学生監督だったんですが、確かに良かった。彼で1本映画を作ろうとしたんですが、すぐにできるわけでもない。制作機能がなく、そもそも自分は映画プロデューサーでもない。知り合いの映画制作会社、監督、僕の3者で集まって台本を作って自主映画を作ることに。その間、1年ぐらいかかっていたのかな。ディケイドとしてはお金を出すので、大義名分として20周年を掲げました。でも、そこで震災が起こってしまって。ちょうど3月に撮ろうと思っていたんですよ。不安だらけの世の中は混乱し、映画を撮るようなそんな状況でもなく、制作会社が降りてしまったんですが、自主体制でやるしかないと。三宅もせっかく一年アルバイトを続けながらがんばってきていたので、やめるべきではないと思ったんです。それが『Playback』でした。通常のマネージメントは、台本をもらって撮影をして、終わったら宣伝をする。断片的なことしか映画やドラマに携われないんですが、企画から公開までを知ることも裏方にとって勉強になるんじゃないかなと思って、だからこそスタッフ含め全員参加で役割分担をしています。――『Playback』後、設立25周年で映画を作るというのは、かなり早い段階から決まっていたんですか?全くないといえばウソになりますが、そのあたりは資金次第というか。ただ、お金がなくてもやってしまおうという思いはどこかにありました(笑)。我々は限られた製作費の中でやることしか作ることはできない。でも、何よりもアクションすることが重要なんだと思っています。『AMY SAID エイミー・セッド』の撮影は去年。その半年ぐらい前に台本の企画があって、村本大志監督とは撮影の一年ぐらい前から話し合っていました。――その時にストーリーは決まっていたんですか?いえ、全く決まってませんでした。監督とは15~6年の付き合いになるお茶飲み友だちです。いろいろなことを話していて、うちの役者をCMに使っていただくこともありました。村上淳のジャックスカード(01~03年)が始まりです。とにかく、いろいろなシチュエーションでキャスティングしてくださいました。そして、監督が企画する映画に役者の名前を出してくださって。でも、なかなか実現しなかった。お互い寂しい思いをしていて、「監督と映画を撮る」というのがいつの間にか1つの目標になっていました。映画の話をはじめたぐらいの時に、監督が「ディケイドのサイズ感に合ってない?」と持ってきてくれた原作がありました。企画書を書いて某出版社に持ち込んだんですがボツになってしまったんです。ここで途絶えてしまうのももったいなかったので、僕から「ディケイドの俳優が全員同級生という設定の話はどうですか」と以前から温めていた企画を提案してみたんです。それは僕が体感した40歳の頃の同窓会の空気。あの感じ、誰しもが通る道だよなぁと盛り上がりました。監督も映画研究会でそういう集まりがあったらしくて。それでお互いの方向性が合致して、2週間後には監督がプロットをあげてきたんです。それで、本格的に進めることになりました。○ちょっと面倒くさい俳優の方が面白い――近況を報告し合って、以前と違う自分を伝える同窓会。それ以外の場所でも、久しぶりに再会した人とはそういう話になりますよね。僕も40歳の時に25年前の友人と会う機会がありました。広島から上京してほぼ会ってないわけですよ。一夜、わずか3~4時間の間にいろいろなことが昨日のことのように蘇ってくる。それぞれが何をやってるのかを語り合いました。自分の岐路はどこだったのか、その時ふと思ったんですよ。自分の進路を決めたのが19~20歳ぐらい。同窓会ってそういう場だよなぁという記憶が残ってて、ディケイドで同窓会をテーマにした物語ができたらなと考えていました。――それだけの思い入れがある作品で、なぜ三浦さんを主演に指名したのでしょうか。役者をやれば、誰だって真ん中にいたいはず。そこは独断と偏見、僕の中での「真ん中にいるべき人」が三浦誠己だった。この作品は8人が主役みたいなものです。全員が脇役ですし、全員が主人公。プロットが上がってきた時に、この役は三浦しかいないと直感的に思いました。――劇中には、渡辺真起子さん演じる芸能事務所の社長(香田)が登場しますが、「自意識のない俳優はつまらない」というセリフがすごく印象に残りました。これは佐伯社長の分身ですか?僕はそんなセリフを口にしたこともないんですけども(笑)、監督はそう感じたんでしょうね。僕の心の代弁をしてくれたんだろうなと感じました。――今、このセリフを聞いてどう思われますか?大人しい回答をする俳優よりも、ちょっと面倒くさいと思わされるような俳優の方が楽しいとは思います。例えば、決められたようにやろうとしない人。でも、そういう俳優は、結果的にきっとやり遂げる。ちゃんと心と心がつながっていればね。そういう人たちばかりではないと思うんですけど、マネージメント側から見た意見です。――それは役者だけですか?たぶんマネージメントという中での話で。お仕事先の方とか監督とか、それは思い通りにならないことは避けたい。でも、往々にしてそういう人の方が面白いものを作ったりしてるんですよね。――なるほど。ところで、ディケイド所属の俳優は共通する匂いのようなものを感じますね。村上淳とは彼が17歳の時に会って、僕が23歳。それからほとんどマンツーです。僕は2代目社長なんですが、ディケイド立ち上げの時は彼の担当マネージャーでした。社長になってから17~8年ぐらい経つんですが、最初は1~2人ぐらいしか受け持てないんですよね。スタッフも増えて行く中でそれぞれの俳優といろいろなタイミングがありました。中村優子は直筆でもらった手紙で惚れた。オーディションとかの募集はしてないんですけどね。その後に山本浩司、渡辺真起子、三浦誠己が入ってきます。山本は自分がたまたま好きな映画に出ていた。「この役者はすごい!」と思う作品があって、それは彼のデビュー作でした。「どこにこんな役者いるんだろう」と思っていたら、知り合いが紹介してくれたんです。そんな感じで、自分が「この人、好きだなぁ」と思わない限り、「一緒にやりましょう」とはなりません。大西信満、KEE(渋川清彦)は別の事務所にいたんですよね。大西は『赤目四十八瀧心中未遂』(03年)、KEEは『ポルノスター』(98年)のデビュー作。そうやって、彼らの出演作が心に残っていた。事務所移籍とかは、仕方がないかもしれないけど、やはりどちらの立場も気分は良いとは思わない。でも、縁というのはある。彼らは、自ら事務所を辞めた後に、うちに来たいと言ってくれた。●藤原ヒロシ氏・高城剛氏が命名、事務所名の由来――役者を広く募ってないのはつまりはそういうことなんですね。人と人の縁だったり、社長ご自身の心に残っていた人を重視して。スカウトもしないんですか?全く無いですね。最近は資料もたくさん届きますが、そこでお会いするのも稀有ですし、所属してもらうのもなかなかないです。――三浦さんはどういうきっかけだったんですか?山本浩司を紹介してくれた子が僕に資料を送ってきてくれて。ただ、三浦誠己の場合は存在すら知らなかった。でも、いただいた資料の作品を観て驚きました。熊切和嘉監督の『爛れた家~蔵六の奇病より~』(04年)だったと思いますが、彼は2番手をやっていて、主演を超える魅力があった。「ぜひうちに来てほしい」とすぐになりましたよ。――お笑い芸人から転身した三浦さんでしたが、その後役者として出演作が増え、オファーも絶えません。これだけ成功することを予感されていたんですか?それこそ、何が成功で、何が満足かわからない。満足していないからできることでもあると思うんです。村上淳にしても村上虹郎にしても、映画でもドラマでもバラエティでも雑誌でも何でもいいと思うんですけど、目標地点はそれぞれ違う。そんな中でも「やってよかった」とか思える機会を1つでも多く作ってあげたいですね。○村上淳「カッコイイ大人になりたい」映画の世界へ――こういう話を所属の方々とすることはあるんですか。ほとんど、しないですね。一年に一回だけみなさんと新年会を迎えるぐらい(笑)。基本はそこでお話します。ご飯に誘ってくれることもありますが、基本的には各担当マネージャーが受け持っています。――先ほど2代目社長とおっしゃっていましたが、もともとはマネージャーとして入られたんですか?プロシードというキャスティング会社があって、そこの社員だったんです。石川(宏明)社長の下でお手伝いをやっていて。石川社長が91年に、藤原ヒロシ氏と高城剛氏の事務所として立ち上げたのがディケイドです。過去には松岡俊介も在籍していました。僕は藤原ヒロシ氏の担当になり、マネージャーのことを何も知らないので、とにかく一緒にいることしかできなかった。彼がやっていたのはファッションと音楽で、ほとんど付き人みたいなものでした。ディケイドを設立して数カ月後に、村上淳と会ったんです。彼はフリーでモデルをやっていて。自分でスケジュール管理をしていたんですが、混乱してきたりして、どうにもならなくなって僕が担当することになりました。――それがマネージメントの転機に。そうですね。本当に自分が芸能で頑張ろうと思ったのは村上淳が初めてです。藤原ヒロシ氏は仕事もいっぱいあったし、僕が何かをやる必要もなかった。だから、お手伝い。でも村上淳の場合は、これから何をやっていけばいいんだろうという「ゼロ」の状態だった。当時彼は「カッコイイ大人になりたい」と漠然と思っていたんでしょうね。モデルでも、役者でも「何を我慢してやらなければカッコイイ大人になれるか」を意識しているように感じました。彼の周りにはカッコイイ大人がたくさんいましたからね。どうすべきかを悩んでいて、ある時に気づいたんです。それは、「もしかしたら映画をやり続けるとカッコイイ大人になれるかもね」みたいに、本当に漠然としたものでした。なぜ映画がカッコイイのかではなくて、厳しい映画の中で揉まれれば村上淳も自分も育っていくはずと。○社長に指名された時の本音「この世の終わり」――2代目社長になる時、すぐに二つ返事だったんですか?石川会長は、割りとそういう人なんです。僕は本当に、「キミ明日から社長だから」と言われたぐらい(笑)。――急に(笑)。ある提案をしようとしたら、じゃあ自分でやってみればいいじゃんと言われて。それは決して投げやりな感じではなくて、「がんばってみな」という励ましでした。ライオンが子どもを崖から落とすみたいな感じ。僕は「この世の終わりだな」と思いましたよ(笑)。会社の経営状態も分かっていましたからね。プロシードという母体がしっかりしているから、ディケイドが支えられていると分かっていたから。――すぐに決心はついたんですか?やらないと自分が変われない。そう思いました。その上、お金を稼いでないくせに、わりと仕事は断ってましたからね。やるべきことしかやらないと心に決めていて。後々、これよく断ったなという仕事がたくさんありますが(笑)。――すごく気になります(笑)。2代目社長として17年。振り返ってみていかがですか?「もうダメだ」という瞬間はありましたけど、「しゃあない」と切り替えるようにしています。ディケイドは「10年紀」という意味。藤原ヒロシ氏と高城剛氏が「10年経ったら解散しよう」と思ってつけた名前だったんです。僕が社長になって藤原ヒロシ氏はいなくなったんですけど、それは時がそうさせたんですよね。この世の中、10の中で8は悪い状態だと思うんです。でも残りの2で挽回する。そのくらいになるよう常に考えています。8の試練を乗り越え、辛いことをがんばって2ぐらいの喜びを得ようとする。それくらいのことです。苦労や試練の先に、思っていた仕事が巡ってくることが結構あります。仕事を得るということなんですかね。営業10件行って、2件ぐらいに聞いてもらえる。そういう感覚です。○ディケイドに天才はいない――所属俳優も増えて事務所の知名度も上がってきました。8が減ってきたんじゃないですか?それはあるかもしれないですね。でも、誰?と思ってらっしゃる方はまだまだたくさんいらっしゃるはずです。――この作品には「才能」がキーワードになっています。これまでたくさんの方々を見てこられて、あらためて「才能」についてはどのようなお考えですか?たぶん、天才はうちにはいないんだと思います。でも、みんな努力する人。役者をやっていると、バイトやらないと食えない人もいるでしょうし、ディケイドにも役をとるためにバイトで食いつないでいる役者もいました。そうやって苦労して1本仕事が決まっても、それが次につながるとは限らないですよね。いい結果を残さないと次につながらない。そういう爪あとを残すために彼らは日々努力をして、それを積み重ねているんだろうなと思います。(C)2017「AMY SAID」製作委員会■プロフィール佐伯真吾株式会社ディケイドの代表取締役。1991年3月28日より同社を立ち上げ、俳優・クリエーターのマネージメント、音楽レーベル運営、音楽、映像、イベントの企画制作プロデューサーなどを行う。国際映画祭の常連である河瀨直美監督をはじめ塚本晋也監督、山下敦弘監督、若松孝二監督、瀬々敬久監督、諏訪敦彦監督、大森立嗣監督らの国際的評価の高い映画作品に数多く俳優を輩出し、同社を牽引してきた。本作『AMY SAID エイミー・セッド』は、企画から全体プロデューサーしている。自社製作は『Playback』(11)に続き2作目。
2017年10月01日新ブランド「CHIZU SAEKI Japan Le Salon Cosme」美容家の佐伯チズは、2017年6月11日、自身のオフィシャルブログの中で、新ブランド「CHIZU SAEKI Japan Le Salon Cosme(チズ・サエキ・ジャパン・ラ・サロン・コスメ)」を立ち上げることを発表。「チズさんのお化粧品はどこで手に入るの?」という、多くの女性たちの声に応え、安心して手にしてもらえる化粧品作りのために努力を重ねてきたという。新シリーズには、日本で唯一、JAS認定を受けたバラの女王・ダマスクバラ花水をたっぷり使用。世界特許取得の「ラメラ・テクノロジーR」技術も採用した。半世紀以上に渡って、美容家として活躍してきた佐伯チズの集大成ともいえるブランドとなっている。佐伯チズの新ブランド発表会2017年6月23日(金)15:30から17:30まで、第一ホテル東京シーフォート 3階「ハーバーサーカス」において、「CHIZU SAEKI Japan Le Salon Cosme」の発表会が開催される。会費は、1人10,000円。発表会では、一般販売に先立ち、新ブランドの初回販売会が開催される。申し込み及び問い合わせは、株式会社チズ・コーポレーション(電話番号:03-6718-4411)まで。締め切りは、6月17日までとなっている。(画像は佐伯チズ オフィシャルブログ「願えば、かなう。」より)【参考】※佐伯チズ オフィシャルブログ「願えば、かなう。」
2017年07月02日佐伯チズの美肌塾2017年7月、品川教室(サロン ドール マ ・ボーテ内)において、佐伯チズの美肌塾が開催される。佐伯チズによる講話と、スタッフ(水野あや)による佐伯式ローションパックとお手入れ方法を学ぶレッスンとなっている。品川教室は、少人数制。受講料は、54,000円(税込み)。詳細な日程は、Saeki Chizu official websiteを確認。申し込みは、サロン ドール マ ・ボーテ(電話番号:0120-68-284)まで。佐伯チズのプロフィール1943年生まれの佐伯チズは、外資系化粧品会社を定年退職後、エステティックサロン「サロン ドール マ ・ボーテ」を開業。その後、自身の美容理念と、美容メソッドを提供するため、「佐伯式美肌塾チャモロジースクール」を開校している。「ひとりでも多くの方をきれいにしてさしあげたい」という想いから、講演、執筆活動、テレビ出演などを精力的に行い、現在も肌のお悩み相談やお手入れを継続している。佐伯チズの著書「美肌革命」は、英語、フランス語、ロシア語、ポーランド語に翻訳され、美容にとどまらず、食文化やライフスタイルまでも、世界中から注目を集めている。(画像はSaeki Chizu official websiteより)【参考】※Saeki Chizu official website
2017年06月10日さまざまな分野を縦横無尽に活躍するエイジレスな女性たち。彼女たちが好きな人・空間・コトには、ずっと探していた「キレイ」のヒントが隠されているはず。 “KIREI interview” では、そんな彼女たちのキレイの秘密を探ります。裏地 桂子さん / ギフトコンシェルジュギフトコンシェルジュとして雑誌・TVなどでもおなじみの裏地桂子さん。忙しい日々の著述業やお仕事のかたわらで、美しくあることへの気配りはもちろん、周囲への心配りも驚くほどきめ細やか。すでに8冊もの著書を発表するパワフルウーマンでありながら、常にしなやかでチャーミング。会うたびに輝きを増す彼女の「キレイ」の秘密を探ります。裏地桂子 Keiko Uraji ギフトコンシェルジュ。クリエイティブコーディネーター。草月流師範。1996年より、『Grazia』『メイプル』『和樂』などの女性誌でライター、コーディネーターとして活躍後、衣食住ライフスタイル全般に精通した知識とそのセンスを生かし、プロデュース、ブランディングなどを数多く手がけている。食通、きもの好き、京都好きでも知られ、講演会やトークショー、執筆活動にも力を入れている。著書に『わたし好みのHAPPYデザインギフト100選』(小学館)、『ほめられきもの宣言』(小学館)、『贈る心得。ご縁結びのスイーツ』(講談社)など多数。昨年10月ワニブックスより刊行した『ごきげん力 8つの育て方』も話題に。裏地桂子ホームページ www.uraji-keiko.com― 先日刊行された著書『ごきげん力』ですが、ページをめくるごとに勇気をもらうメッセージやキーワードが次々と飛び込んできて、「ああ、今この本を読んで本当によかった!」という清々しい読了感。「悩みも心配ごともたくさん。だって人間だもの」というくだりから「そうかぁ。そうよね!」と。相当前のめり気味に読ませていただきました。嬉しいわ。本当に書いているとおり「どうしていつもそんなに元気いっぱいなの?」「悩みごとなんてないでしょう?」ってよく言われるの(笑)過ぎた今だから振り返ってそう思えるのだけど、30代ってまだまだ若いのよね。とにかく体力があるし、周囲から評価もされるようにもなってキャリアもどんどん磨かれて。続いて訪れる40代は、私自身は雑誌のライターを辞めていまのキャリアへとこぎ出す大きな転機となった時期で、それこそ「いけいけどんどん」。新しいことへの挑戦が次から次へと繋がって、変化していくこと自体が楽しくて仕方がなかった時代。でも、いざ「50代」に突入するとなった時、正直想像できないことだらけだったの。明らかな体力の変化に戸惑うことも多かったし、とにかく不安だらけ。でもいちいち落ち込んでいても仕方がないないでしょう? 上を見ればきりがないし、下を見ても仕方がないのよね。そう思って、自分なりにあれこれと試行錯誤しながら「いつまでもキラキラしていたい!」という目的に向かって行き着いた解決策が、この本の主題にもなっている「ごきげんに暮らす」ことだったんです。― これまでの書籍は、贈り物や手土産のテーマや、京都好き、食通、着物などご自身の「好き」が主題でした。今回の『ごきげん力』は今までにないアプローチですよね。本書を書くに至ったきっかけは何だったのでしょう?最近よく若い女性から人生相談を受けるようになって。おしなべて感じるのは、30代は焦っている人が多い。揺れているのよね。私だってそうだったもの。だからご相談を受けるたびに思うんです。今、世の中はセルフコントロールの時代。自分のことは自分にしかわからないのだから、どんどん自分のことを知る作業を重ねるべきなのよって。でも、話を聞いているとみな大体自分で答えを決めているの。私がしてあげられるのは、背中を押してあげることなんだな~と。本書を書く原動力になったのは、自分自身が紆余曲折してたどり着いた答えを共有することで、揺れているもやもやした気持ちや悩んでいる背中を押してあげれるかも! と感じたからなんです。― 本書ではマーカー片手に読みたくなるほど、心にすとんと落ちるキーワードがたくさん登場するのですが、なかでも「好きのあぶり出し」ということばには、膝を打つ女性たちも多いように思います。現代の荒波をくぐって前向きに生きていくには強いセルフコントロール力が必要だと思うんです。まず第一に「私って幸せ!」と思えることはものすごく大切で、そう感じることが多ければ多いほど「ごきげん力」を養うことができると思うんです。本書でも書いてますが、 “好きのあぶり出し” はマスト作業なんですよね。ものすごくシンプルな作業で、頭に思い浮かぶ「好き」なことを何でも良いから紙に書き出していくんです。このステップを踏むと、「どうすれば自分が喜ぶのか」を知ることができるでしょう? たとえ何かで落ち込んでも「そういえば私、朝からお風呂に入ってシャンパン飲むのが好きだったじゃない?」って。そうやって少し自分を甘やかしてあげると「心のリカバリー」が早いんです。― 裏地さんは会うたびに「これものすごくいいわよ!」って、コスメでもなんでも惜しみなく情報公開してくださるんですよね。なおかつその情報がものすごく信憑性があって、どれもこれもすぐ買いに走りたくなるものばかり。50数年生きてきた分、失敗もたくさん。だからその試行錯誤の末に出会った良いものはどんどん人に共有していきたいって思うんです。本に書いていることも含めて、自分が本当に良いなと思ったものはできるだけ多くの人と共有したい。すべて「お福分け」だと思ってるんです。 【後編】へ続く>> (インタビュー・文:松浦明)★裏地さんインタビュー記事【後編】では、「キレイ」になれる愛用品の数々をご紹介! 【後編】はこちら>> 『ごきげん力 8つの育て方』(ワニブックス刊)前向きになりたいと願っているのに、何か心が晴れない。いつもなにか不安に苛まれている。“揺れやすい”女性たちの心に一筋の光が差し込むような感覚で、思わず一気に読み上げたくなる一冊。「自分のご機嫌をとれるのは自分だけ」「好感度をあなどるなかれ」「言霊(ことだま)は私の守り神」「その『いつか』はいつくるの?」気になる章はどこから読んでもOK。マル高出産で子育てと仕事の両立に奮闘中の私自身(インタビュアー)も元気をいただいた一冊です。
2016年01月29日