私は妊娠30週のときに、妊婦健診で逆子を指摘されました。どうにか逆子を治したいと、逆子体操などを自宅で毎日実践していましたが、治りませんでした。そこで、妊娠36週のときに鍼灸治療を受けてみたら逆子が治ったのです! そのときの体験談をお話ししたいと思います。 初めての鍼灸治療体操などをおこなっても逆子が治らず、聞いたことがあった鍼灸治療はどうかと考えました。かかりつけの産科の先生に聞くと「受けてもいいですよ」と言われたので試してみることに。 私はそのとき妊娠36週で、生まれて初めての鍼灸院受診でした。30代前半の女性の先生で、鍼が少し怖いと言った私に、丁寧に説明してくれて安心できました。見せてもらった鍼は、髪の毛よりも細くて柔らかく、しなるくらいでした。 お灸も、直接肌に燃えている部分が触れないので火傷などはしません。想像していたほど怖くない⋯…! と感じました。それでも初めて受診に行く前はドキドキでした。 初めての治療は気持ちがよかった赤ちゃんの位置を診察してもらったあと、実際に鍼やお灸を受けました。横向きになっていると先生は背中やお尻、足のツボに治療を手早くおこなっていきます。鍼も時々ツンと刺された感覚はあるもののほとんど痛みは感じず、お灸もじんわり温かい気持ちのいい治療で、怖さはまったく感じませんでした。 治療中はおなかの中で赤ちゃんがよく動いているのを実感できました。30分くらいで治療は終わり、なんと逆子の赤ちゃんが横向きに90度移動していたのです。 私の場合、鍼灸治療2回目で逆子が治った1回目の治療から2日後、2回目の治療を受けました。初めての治療後、リラックスしたのか体もラクになったので2回目の治療を楽しみにしていました。 同じような流れで、背中やお尻・足に鍼とお灸をしてもらい、とても気持ちがよかったです。治療後、先生に赤ちゃんの位置を確認してもらったら「逆子が直っていると思いますよ」と言われ、2回で効果があるなんて!と、びっくりしました。 そして、3日後の妊婦健診のエコーで、赤ちゃんの頭が下になっているのが確認でき、その後、希望していた自然分娩で無事に出産できたのです。 初めての鍼灸治療でしたので、受ける前は怖いと思っていました。しかし実際は鍼もお灸も気持ちのいいものでした。行く前は半信半疑に思うところもありましたし、初めてで緊張もしていましたが、思い切って鍼灸治療を受けてみて私はよかったです。治療を受けたら必ずしも逆子が治るとは言い切れませんが、私の場合は効果があり無事出産に臨むことができ、ホッとしました。 著者:山下 ひいこ一児の母。看護師・鍼灸師の資格を持ち、逆子治療やマタニティケアなどを行っている。自身の経験を生かし、不妊や妊娠・育児に関する体験談を中心に執筆活動を行う。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月23日息子が生後6カ月を過ぎたころのこと。ちょうど気温が下がり、風邪がはやりだすシーズンだったこともあり、「そろそろ母体からの免疫が切れて、風邪をひきやすいかも。室温や湿度をしっかり管理しよう! 」と思っていました。しかしその矢先、私が風邪をひいてしまい、息子にも移してしまったのです。生後6カ月で初めて風邪をひかせてしまったときに、私がとった行動をお伝えします。 症状は鼻水と声枯れ私の風邪が治りかけのころ。遊んでいる息子をふと見ると、鼻水が出て顔がぐっしょり濡れていました。ガーゼでふき取ってあげても、またすぐにズルズル。そして、ぐずって泣いたときの声が枯れており、かすれた感じになっていました。 鼻水だけでもなんとかしてあげようと、市販の鼻水吸引器で吸い出してみたものの、なかなかすべては取りきれず……。ただ、熱は出ておらず機嫌もよかったので、病院に行くべきかどうか迷い、その日は自宅で様子を見ることにしました。 思い切って病院へ行くことに幸いなことに、次の日も息子が発熱することはありませんでした。しかし鼻水も声枯れも依然続いており、放っておいたら悪化してしまうのではないかと心配だったので、大事をとって近所の耳鼻科へ連れていくことに。 先生に診てもらうと、やはり軽い鼻風邪とのこと。喉の奥もチェックしてもらいましたが、そこまで腫れてはいないと言われ、少し安心できました。その後、専用の吸引器で鼻水を吸い出してもらい、シロップ状の薬を2種類処方してもらいました。 結局、熱は出ないまま完治処方された薬を朝夕に飲ませてあげると、2日ほどで声枯れはなくなり、翌日には鼻水もほとんど出なくなりました。赤ちゃんの風邪イコール高熱が出るというイメージだったのでハラハラしましたが、今回の風邪は鼻と喉の症状だけで済んだようです。 「熱が出ていないのに病院に行くのは大げさだろうか?」と、自宅で見守るべきか病院へ行くかで迷いましたが、専門機関で正しい処置をしてもらえたので安心でき、思い切って行ってよかったなと思いました。 今回はわが子が生まれて初めて風邪をひき、「移してしまってごめんね……」「今にも高熱が出るのでは?」と心配で落ち着かない気持ちでいっぱいでした。今回のように症状が軽めの風邪もありますが、これからも心配なことは病院で相談して専門家の指示を仰ごう! と思いました。 著者:粟津愛美一男の母。結婚を機に退職後、半年で妊娠・出産。滋賀県の田舎で初めての子育てを楽しみつつ、自身の体験談を中心に記事を執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月23日保育園の1〜2歳児クラスのトラブルで多いのが、お友だちに噛まれたり、噛んでしまったりということ。どうして子どもは噛んでしまうのでしょうか? わが子の経験と保育園側の対応などをご紹介します。 噛まれたときの保育園の対応息子がお友だちに噛みつかれたのは、1歳児クラスになってすぐ。お迎えに行くと、歯型がくっきりと残るほど腫れ上がっており、ショックを受けたものです。 担任の保育士さんからは、「おもちゃの取り合いをしていて、相手のお友だちに噛まれてしまいました。こちらで防ぐことができず、申し訳ありませんでした」と謝罪がありましたが、誰に噛まれたかというのは教えてくれませんでした。 きっと親同士のトラブルを避けるためなのでしょう。病院へ行くほどのケガになれば名前も知らせるのでしょうが、これくらいの小さなケガであれば親同士は介入させないというのが保育園の方針のようでした。 こちらが噛んでしまったときは……それからしばらくして、今度は息子がお友だちに噛みついてしまいました。このときもお迎えのときに保育士さんから状況説明があり、おもちゃを取られた息子が取り返そうとして起きたそう。 このときは「被害を受けたお子さんの親に謝罪したほうがいいでしょうか?」と尋ねましたが、「園から説明しますので必要ありません」という回答でした。 1〜2歳はなぜ噛んでしまうの?お友だちを噛んだり噛みつかれたりするトラブルは、1〜2歳児のクラスではよく起きています。原因は、1〜2歳の子どもたちがまだ言葉で気持ちを伝えられないこと。言葉で意思疎通ができる年齢なら「おもちゃを取らないで」「私が遊んでいたんだから返して」などと訴えることができますが、まだ言葉をうまく操れないと、悔しくて噛みついてしまうのです。 楽しくて興奮しすぎると噛んでしまう子もいるといいますが、いずれにしても悪気があるわけではなく、これくらいの年齢では成長の過程によくあることだそうです。 家に帰ってからしかるのはNG?息子がお友だちを噛んでしまったとき、保育士さんからは「噛んでしまったときにしっかり注意したので、しからないであげてくださいね」と言われました。 1~2歳の子どもには「その場」で̪しからなければ伝わらないため、あとからしかってもあまり意味がないそうです。噛みつきの頻度だったり状況もあるので一概には言えませんが、保育士さんが「子ども同士のトラブル」という範囲なら、保育士さんにお任せしようと思いました。 子ども同士の噛みつきや引っかきは、それからも園内で度々ありましたが、年齢が上がり、おしゃべりがじょうずになるにつれてなくなりました。どちらの立場になっても心配は尽きないと思いますが、保育士さんを信頼して乗り越えていけたらいいですね。著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2019年07月22日私が2人目を妊娠したときに上の娘は4歳。幼稚園の年中さんで体力がどんどんつき、お迎えに行った後も2時間以上は外で遊ぶような毎日を送っていました。そんななか、自分の体にかかる負担を最小限にしながらも娘の遊びとしてよかった、プール遊びについてご紹介します。 娘の体力についていけない……私の娘はとにかく外遊びが大好き。公園に行って岩を見つけてはよじ登り、広場に行っては走り回るというような状態です。お家の中でお人形ごっこをするのも好きだけれど、幼稚園の年中さんになってどんどん体力がつき、体を動かして遊ぶことへの欲求は高まるばかり……。 そんななか2人目を妊娠し、吐くほどではないけれどつわりや眠気に苦しむ私。ちょうど同じ時期に夫の勤務が変わって突然ワンオペ状態になりました。娘の体力に合わせることがつらく、どうやって娘の体力を削るかということばかり考える日々が続きました。 待ちに待った安定期! 娘とプールへ行くだんだん暑くなってきたころ、待ちに待った安定期に突入! 妊婦健診でおなかの赤ちゃんが元気に育っているのを確認できたため、担当の先生にプールへ入ってもいいか聞いたところ 「いいんじゃない。ただし、おなかが張ったり痛くなったりしたらだめだからね」 という返事をもらい、さっそく娘と近くの温水プールへ行きました。 屋内プールなので天候に左右されることはなく、プール遊びをいつでも楽しめるのが魅力です。また、休憩時間には水温が他のプールよりも高い36度に設定された幼児プールで体を休めることができ、体を冷やしすぎることなくプール遊びを楽しむことができました。 プールから出た後一気にくる疲れに注意プールで遊ぶときに気をつけているのが 「プールから出た後一気にくる疲れ」 です。水中にいるときは体も軽く、私も娘もプールが大好きなのでたくさん入っていられます。けれど、遊び終わってプールから出た後には体がグッタリ……。娘の体力を削ることはできるけれど、同時に自分自身の体力も想像以上に削られています。 そのため、私が娘とプールに行くときには、せっけんを持参してプール後にシャワーを済ませ、帰りにお弁当を買って家で食べて寝るだけという流れをとっています。 暑い中の外遊びでは気持ちも体もグッタリしてしまう私ですが、プールに行くことで楽しく娘と遊ぶ時間を過ごせています。自分自身の産前の運動にもなり、一石二鳥で大助かりです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。ご自身の体調を考慮し、必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年07月21日産後の体も回復していない状態での家事・育児、でも夫の仕事は激務で手伝ってもらえない……。そんな状況のご家庭はきっとたくさんあると思います。夫の理解と支援があってのことですが、帰省をさせてもらい、産後の私が救われた体験談をご紹介します。 仕事が激務の夫、ひとり育児でくじけそう里帰り出産をして2カ月後、自宅に戻ってきた私はすぐに行き詰まりを感じました。産後、体力もまだ回復しておらず、細切れの睡眠に家事・育児の負担で体も心もボロボロ……。 ところが当時、夫の仕事は月の半分が出張、半分が深夜帰宅の激務で、家事や育児の協力は望めません。休日も疲れを取るので精一杯で、とても赤ちゃんの相手を頼める状態ではありませんでした。そこで2人で相談して、両親の協力を得て2カ月に一度里帰りをすることにしました。 頻繁に帰省できたのは夫のおかげ実家は新幹線で4時間の場所にあり、正直、時間も費用もかなりかかります。しかし、夫は残業や休日出勤を増やし、黙ってすべての費用を用意してくれました。 最初に駅で私を見送ってくれたとき、「家事も育児も手伝えなくてすまない、実家で十分に休んでほしい」「迷惑をかけているのは自分だからと、ご両親に伝えてほしい」と言われました。この言葉を聞いて、帰省は夫なりのエールなのだなと思いました。 実際の家事や育児だけじゃない! 夫の協力産後、夫に期待することは、やはり家事や育児ですが、それができない状況も多々あります。私の夫は家事や育児をすることはできませんでしたが、帰省の支援という形で、間接的に育児に尽力してくれました。 そしてそれは、赤ちゃんの成長を願い、私の体を労わる気持ちでいるからこその選択でした。今、パパの支援がなくて不満を持っているママのなかにも、もしかしたら見えない形でパパがエールを送ってくれているかもしれません。 度重なる帰省で両親にも迷惑をかけましたが、「孫の成長が見られてよかった」と言ってくれたことが救いでした。直接的に、間接的に、たくさんの助けを借りて子育てができたことを感謝しています。 イラスト:imasaku著者:中浦明子一児(女の子)の母。結婚を機に書店員を退職。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は赤ちゃんと散歩、赤ちゃんと行けるカフェの開拓。
2019年07月20日赤ちゃんを産んだ後、しばらくは授乳や夜泣きでなかなか眠れず、大変な毎日が続くママもいると思います。私も産後は授乳や夜泣きで眠れない夜が続き、夫にも起きて助けてほしいと思いましたが理想通りにはいかず……。 産後も一緒にいたけれど…赤ちゃんを産んで病院を退院した後は、2カ月くらい私の実家に里帰りをしていました。そのとき通勤先が近くなるということもあり、夫も私の里帰りについて来たのです。 退院後から赤ちゃんと私、夫の3人で寝ていましたが、パパが夜泣きで起きたことは一度もありません。1月生まれだったため、夜寒いなかで起きて授乳したりおむつを替えたりバタバタしていても、パパだけは熟睡しているようでした。それでも、里帰り中は私の家族の協力もあり、初めての子育てでもなんとか乗り越えていた気がします。 産後3カ月で知らない土地へ引越し里帰りから自宅に戻ってすぐに転勤で他県へ引っ越すことが決まり、産後3カ月には知らない土地での子育てが始まりました。夫も慣れない職場で大変だったり疲れていたりしたとは思いますが、夜泣きで起きないのは相変わらず。 私の場合は娘の1カ月健診のころから完全母乳だったため、まだ夜泣きの対応はラクな方だったかもしれません。ミルクを作ったり哺乳瓶を消毒したりが続いた場合は、無理矢理に起こして協力してもらわないと大変だっただろうなと思います。 電話の音では目が覚めるのに…夫に対して不思議で仕方がないのは、娘の泣き声ではまったく起きないのに、電話の音では目が覚めるということでした。たまに「本当は起きているのに寝たふりをしているのではないか?」と思うこともありましたが、枕元で娘が大泣きしていてもいびきをかいて寝ているので、本当に聞こえないのだと思います。私の友人のなかには「夜泣きの対応はパパがする」という人もいますが、人それぞれなんだなと思うばかりです。 産後、私は赤ちゃんの声に敏感になってわが子の小さな声でも気づくようになりましたが、夫は寝てしまうと気づきませんでした。夜泣き対応の協力をしてもらうことはできなかったけれど、その代わりに起きているときはたくさん娘のお世話をしてもらい、助けてもらっています。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年07月20日幼稚園に入園するまでの間、わが家の上の子は自宅や公園、子育て支援センターなどで過ごし、一時保育を利用することがほとんどありませんでした。一方、下の子の場合、上の子の園行事の関係などで預けたい機会が時々あり、上の子よりは頻繁に一時保育を利用するようになりました。今回は、わが家で一時保育をどのように利用していたのかをご紹介します。 最初はやむを得ない事情があるときのみわが家では、下の子が騒いだら困るような上の子の発表会の日など、最初はやむを得ない事情があるときだけ一時保育を利用していました。そのため、一時保育を週に何度も利用することもあれば、1カ月以上利用しないということも。 わが家で利用していた一時保育のある園は、保育士やスタッフの方も親切な方ばかりで私自身はとても気に入っていましたが、費用面から利用は最小限にしていました。 一時保育を嫌がるようになった下の子ところが、下の子の人見知りが激しくなるにつれ、一時保育を嫌がるようになってしまいました。園のある方向に自転車が向かうだけでも大泣きするようになり、預けるときは「ママ、ママー!」と叫ぶのを無理やり引き剥がすようにして保育室に連れて行ってもらう状態でした。 園の方からは、「できれば定期的に利用したほうが、お子さんも慣れやすいですよ」とすすめられました。 笑顔で過ごせるようになった!それからは「毎週○曜日の午前中は一時保育」と決め、それ以外の日に預けたい用事があるときは利用日をずらす形で調整しました。 定期的に一時保育を利用するようになってからは、わが子もすぐに慣れ、預けるときも泣かずに笑顔で過ごせるようになったようです。また、毎月の一時保育費用の見通しも立てやすくなったので家計管理という点ではむしろラクになりました。 園で聞いた通り、定期的に預けるほうが子どもは園に慣れやすいようです。また、週に一度は自分の時間が持てるということで、思っていた以上に精神的に余裕が持てたことが私としてもよかったと感じています。 イラスト:sawawa著者:奥田美紀二児の母。IT企業にてSE・プログラマーとしてシステム開発やWEBサイト運用等をおこなう。夫の転勤や子育てのために退職し、現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年07月19日1歳8カ月の娘は外では人懐っこい性格、家に帰ると甘えん坊。私は初めての育児に悩み、自分はだめだと責めて娘と一緒に泣いた日もありました。そのとき支えになってくれたのが、町の保健師さんでした。落ち込みがちだった私が育児に少し前向きになれた体験をお話しします。 育児中に涙が止まらない町の保健師さんの訪問の際、産後の入院中に昼間眠れず、夜中は授乳しても抱っこしても娘が泣きやまず何度も助産師さんに助けを求めて大泣きした経験があったということを話しました。 私は9年前から心療内科に通院していたため、心配してくれていた保健師さんは娘の体重と私の心身の状態を見に月に2回訪問してくれました。自宅では病院で習ったようには授乳ができず不安ばかりで、授乳や体重について相談に応じていただきました。 ベビーカーで育児相談会へ娘が生後3カ月のころ、保健師さんの案内で町内4カ所で決まった日に開催される育児相談会に行きました。最寄りの会場は家からベビーカーで20分の公民館。保健師さんが娘の身長、体重、頭囲、胸囲を測ると、娘の成長がわかって安心しました。娘の体重を心配していましたが、少しずつ増えていることがうれしかったです。 また、来ているお母さん方も会場で1番小さい娘を気にかけてくださり、心配ごとがあれば毎月会場に行ってみようと思えました。 離乳食・生活リズムの不安を改善!娘が生後10カ月のころ、夫は異動で昼夜交替勤務になりました。すると、娘の生活リズムも夫に合わせるように週ごとに寝起き時間が変わってしまい、悩みました。夫が日勤のときに朝早起きしすぎたりするのです。また、離乳食をあまり食べなかったりすることにも悩みました。 そのことを保健師さんに相談すると私にベビーフードを3種類くださり、頑張り過ぎなくて大丈夫だと励ましてくれました。外で遊ばせれば生活リズムがつくし、食欲も出るかもしれないとアドバイスも頂き、気持ちがラクになりました。 あそびの教室で親子ともにリフレッシュ保健師さんのアドバイス通りに外出を心がけて半年。今は娘がはしゃぐ姿を見るのが楽しみになりました。 特に楽しみな行事が、あそびの教室です。保健師さん主催、支援センターの先生も参加する音楽遊びの会で、発語の遅れ、落ち着きがないなど、心配ごとのある保護者と子どもがのびのびと音楽に合わせて歩いたり踊ったりします。ダンスや音楽に合わせて大きなシートをゆらゆらさせるなど、大人もいい運動になりリフレッシュになりました。 娘が生後3カ月のころに保健師さんに育児相談会を案内されていなかったら、家に引きこもり、もっと自己否定していたかもしれません。健康・育児の専門家であり、先輩ママでもある保健師さんには感謝の気持ちでいっぱいです。 著者:小泉陽子1歳の女の子の母。前職は家庭教師。アニメやイラストを描くのが好きで、娘と一緒にお絵かきするのが毎日の楽しみ。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月19日私は3人の子どもを出産し、現在4人目を妊娠中です。妊娠のたびに起こる困ったマイナートラブル。1人目、2人目のときはなかったのに、3人目、4人目で起こったマイナートラブルや毎回起こるマイナートラブルなど……。不快な症状に、度々悩まされました。 めったに出なかった鼻血が……妊娠中は鼻血が出やすくなるそうですが、1人目と2人目の妊娠中には、一度も鼻血は出ませんでした。しかし3人目の子どもを妊娠しているとき、妊娠5カ月に入ったころから、よく鼻血が出るようになりました。それまで鼻血なんてめったに出ることがなかったのでビックリ! 朝起きると鼻血がタラリ、鼻をかむとティッシュに鼻血、お風呂上がりに鼻血がポタポタ……。とにかくよく鼻血を出していました。妊娠8カ月ごろになると鼻血は出なくなっていましたが、それまでは不快で仕方なかったです。そして4人目を妊娠中の現在(妊娠7カ月)、また鼻血が出るようになりました……。 ふくらはぎがパンパンに!3人目を妊娠中、妊娠7カ月に入ったころから、足がむくむようになりました。血流が悪いのかと思い、マッサージをしたり、ストレッチをしたり、椅子に腰かけて足をブラブラさせたりしていました。マッサージやストレッチをした直後はラクになるのですが、しばらく経つとまたふくらはぎがパンパンに……。 そして妊娠7カ月に入った現在、ふくらはぎがパンパンです。夜、布団に入っても、足が気になって寝つけないこともしばしばあります。足のむくみも、1人目と2人目の妊娠中には経験しませんでした。 一番つらかった腰痛!!妊娠中の腰痛は、多くの人が経験していると思います。私も妊娠のたびに悩まされました。妊娠中は湿布を自己判断で貼るのは危険とのことで、産婦人科で湿布を処方してもらっていました。まだ若かった1人目と2人目の妊娠時にも、腰痛に悩まされていましたが、30代で妊娠した3人目と今回の4人目の妊娠時の腰痛は、かなりつらかったです。 寝返りを打つことさえつらく、起き上がるときには相当の気合いを入れないと立ち上がれませんでした。妊娠7カ月の現在、まさに立ったり座ったりすることが苦痛です。特につらいのが妊婦健診時。診察台にあがったり、診察後にベッドから起き上がる際、しばらく動くことができません……。 妊娠のたびに悩まされる、さまざまなマイナートラブル。30代になってから妊娠した3人目と4人目は、特に多かったように感じます。日ごろの運動不足も、多少なりとも影響しているのかも知れませんが……。現在起こっているマイナートラブルも産婦人科の先生に相談しながら、無事に元気な赤ちゃんを出産したいと思います! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2019年07月18日イライラしているときに、子どもが何かをやらかしてしまった……。そんなとき、私はカッとなって、子どもを叩いてしまったことがあります。そのときに思った気持ちとその後の行動、どう子育てをしていくのか考えさせられた経験をお伝えします。 子どもを叩いてしまった…私は子どもを毎日のように叱っています。それは子育てをしているママなら、きっとよくあることだと思います。その日は、3歳の長女が1歳の次女を物で叩いたことが原因でした。幸いなことに、次女はケガをしませんでしたが、いつもよりイライラしていた私はカッとなって長女を叩いてしまったのです。 そのときの子どもが泣いている状況と背中についた赤い手跡に、ただただ申し訳ないという気持ちと、やり過ぎてしまったという罪悪感だけが残りました。 叩いてしまったあとの長女への対応罪悪感に苛まれ後悔しましたが、長女を叩いてしまったことは事実です。私は冷静になってから、泣いている長女の目をしっかりと見て、なぜこんなことをしたのか聞き、妹に物を投げてはいけないと説明をして妹に謝らせました。 そのあと、「痛かったね、ごめんね」と私も手をあげたことを謝りました。そして「〇〇ちゃんも同じように痛かったと思うよ」と言うとその日以降、長女は妹に手を出さなくなりました。 改めて考えた子育てのことその夜、帰宅した夫に、私はその日にあったことを伝えました。「人はどうしても感情や気分で怒ってしまう。けれど、子どもに対しては怒るのではなく、“やったことに対して叱る”ことをしていこう」と夫は私に言いました。 私は夫の言うことに納得し、この日のできごとを反省しました。そして何よりも子どもを叩かないでいいような教育と環境づくりが大切だということに気付かされました。 子どもを叩いてしまったことがある方は、私と同じように罪悪感に苛まれたのではないかと思います。後悔しても叩いてしまった事実は変わりません。でも、その後の行動、これからどうするかが大事だと私は思いました。 イラスト:imasaku著者:鳥居香咲三姉妹の母。夫の両親と二世帯同居にて、子育て生活を楽しんでいる。現在は自身の経験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年07月16日私は2人目と3人目のときに、病院で不妊治療をしていました。不妊治療の他に自分でもできることはないかと、いろいろと調べてみました。そのなかで、金銭的にも、行動的にも手軽にできる妊活方法を試してみました。 推奨されている「葉酸サプリ」まず試してみたのが、葉酸サプリです。厚生労働省も胎児の先天異常のリスクを低減するため、妊活中から葉酸の摂取をすすめていることもあり、試してみることに。また、便秘や貧血にも効果が期待できるというのも決め手でした。 私が試した葉酸サプリは1粒がやや大きめで、少し独特なにおいがするため、最初は飲むのに抵抗がありました。それでも飲み続けていると、便秘の解消、疲れやすさが軽減したのです。正直、妊娠しやすくなったかどうかは実際にはわかりません。ですが妊娠したときのことを考えれば、赤ちゃんにとっても、自分にとってもいいのではと思い飲み続けていました。 ノンカフェインの「ルイボスティー」職場の知人が妊活のためにルイボスティーを飲んでいると聞き、それまでは大好きな紅茶を飲んでいたのですが、カフェインも気になるし、私もルイボスティーに切り替えてみることにしました。 ルイボスティーは煮だしたときにきれいな赤い色をしています。またノンカフェインなので、子どもたちも一緒に飲めます。もともと冷え性で、夏でも手足はひんやりしていたのですが、飲み始めてから少し改善されました。 また吐き気を緩和させる作用があるとのことで、妊娠時のつわりにもいいのではないかと考えました。実際、あまり吐き気には効果はありませんでしたが、紅茶よりはいいと思い、今でも飲み続けています。 神頼みのパワースポット巡り藁にもすがる思いで、パワースポットについても調べてみました。子宝で有名な神社があれば、ドライブがてらに行ってみたり、お参りの際には必ず“子授け”のお守りを買って帰ったりしていました。 そんなとき、たまたまインターネットで“伊香保温泉”が子宝スポットだということ知りました。気分転換にも良いし、家族で旅行がてら行ってみることに。100段以上ある階段を一段ずつ上り、伊香保神社でお参りをし、絵馬に願掛け。そして子宝の湯として有名な“黄金の湯”に浸かってきました。その翌月、妊娠が判明! 偶然だったのかも知れませんが、産後に家族でお礼を伝えるため、再度伊香保温泉に行きました。 どの妊活方法も、効果がある! 妊娠できる! なんて確証はありませんが、私はどれも試してみてよかったと思います。葉酸サプリとルイボスティーは、どちらも結果的に体の不調を改善してくれました。また温泉に関しては、家族で息抜きができたし、リフレッシュにもなりました。たとえ妊娠できていなかったとしても、試して損はなかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2019年07月16日よく「鼻からスイカが出るほど痛い」と言われる出産。でも経験するまでは、そんなこと言われてもイメージできない、痛い痛いとは言っても自分の気持ち次第でなんとかなるはず、と思っていました。そんな私の絶叫陣痛体験談をお話しします。 妊娠中の私のバースプラン誰かの出産を身近で経験したこともないし、何から何まで初めての体験になる自分の出産。この体からどのように赤ちゃんが生まれてくるのか、思い浮かべてみてもあまりイメージできずにいました。 妊娠中に考えた私のバースプランには、「なるべく穏やかに出産に挑みたい」というもの。気持ちが落ち着く音楽のCDやアロマなどを、産院へ持参していました。「生まれてくる赤ちゃんも大変」ということも頭にあったので、母としておなかの子に「大丈夫だよ」と語りかけるようなイメージで、落ち着いて、取り乱したりせず出産したい。そんな風に考えていました。 破水から始まった出産自分の出産が陣痛から始まるのか、破水から始まるのか、陣痛が来なくて誘発剤をつかうことになるのか、こればかりは事前にはわかりません。 私の初めての出産は、妊娠40週で破水から始まりました。夫が休みの間に陣痛が来てほしいなと思い、スクワットなどいろいろ試してみたりしたのですが陣痛は来ず、諦めて「一旦考えないようにしよう」と思っていたら、明け方、寝ているときに破水が起きました。初めての経験でしたが「これは破水だ」とわかり、すぐに夫と一緒に産院へ向かいました。 破水が起こったことにより「これから出産が始まるんだ」という心構えもできたように思います。 叫ばずにはいられない!陣痛がどんどん強くなり、子宮口が7cmほど開いてきたころから「これは思いの外痛いぞ」と感じていました。陣痛の波が来るたびに今まで経験したことのない痛みがやってきます。頭では「痛い」と叫んでもどうしようもないことはわかっているのですが、叫ばずにはいられませんでした。 ただただその時々の状況についていくのに精一杯で、持参したアロマもCDも使う余裕がありません。今では笑い話ですが、「い……痛い! 痛い! ギャー!」と叫ぶことで体力を消耗し、陣痛が引いている数分間は眠ってしまう私を見て、夫はそれはそれはものすごく心配したのだそうです。 大絶叫のなか、結果的に破水から6時間で無事に赤ちゃんは生まれてきてくれました。助産師さんからは「もっとかかるかと思ったけれど、早かったね!」と言われ、お産の進みも早く安産でした。 知人から、「陣痛で待機している間、隣のLDRから“痛い!” と叫んでいる声が聞こえて、出産が怖くなった」という話を聞き、私はそうならないようにしようと出産前は思っていました。ですが、いざ自分の出産となると絶叫……。叫び声はきっと隣の部屋にも聞こえていたでしょうから、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。今思うと、私は叫ぶことで痛みから気をそらしていたのだと思います。何もそんな風に気をそらさなくてもよかったのですが……。出産は理想通りにはいかないものだな、と身をもって実感しました。著者:立田みのり一男一女の母。妊娠、出産を機に退職後、現在は自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月15日2歳くらいに訪れるイヤイヤ期。何を言っても嫌。あれも嫌。これも嫌。この時期は、子どももよくわかっていないし、なんでも「嫌!」と言ってみているんだなとおおらかに構えていられました。娘が3歳を迎えるころになると、言葉はたどたどしくても、いろいろ理解して会話らしきものもできるようになってきました。ここで、娘との言い合いが増えてきたのです。 娘のわがままにイライラ! 思わず手が出そうに3歳近くになると、「嫌」と言う以外にも、「これをしたい」「あれをしたい」という要望も多くなってきます。たとえば、よくあるのは「お菓子を食べたい」「アンパンマンを観たい」など。こちらとしては、お菓子を食べるのはごはんを食べてから、アンパンマンを観るのはお風呂に入ってからなど、親としての都合がいろいろあります。 そこで、「ごはんを食べてからね」などと言うのですが、「お菓子を食べる!」と言って頑として聞かない。こちらも負けじと「ごはんを食べてから」を繰り返すわけですが、繰り返しているうちに娘が大泣きしてヒスを起こす……。こうなると、こちらもイライラして思わず手が出そうになります。 母に言われた「半分しかわかっていないんだから」これを毎日のようにやられると、イライラ度も増してきます。毎日、娘に対して怒っている自分を振り返り、「これって虐待に近いのかも……」と不安になることも。 すっかりイライラして、実家の母に愚痴をポロリとこぼしました。「本当に頑固で嫌になる。言い出したら聞かないし、言ってもいうことを聞かない」すると、母に言われたのです。「まだ半分しかわかっていないんだから」と。 まだ3年しか生きていない会話ができるようになって、すっかり対等に娘と話すようになっていましたが、相手はたったの3歳。まだ3年しか生きていないんだと、ふと我に返りました。娘にとっては、「今」したいことがすべて。なぜ、お菓子を食べたいと言っているのに、ごはんを食べなくてはならないのか、因果関係としてまだわからないんですよね。 そう思えてから、娘にとっての「今」を中心に話すように心がけるようにしてみました。たとえば、「お菓子を食べたい」という要望には、「ごはんを食べてから」という回答ではなく、「今はあげられない」と回答して、気を逸らせてから「ごはんを食べよう!」と違う話題に振ってしまう、という具合です。 子どもにもよると思いますが、この時期も今思えばちょっとの期間でした。3歳を過ぎた今では、「◯◯したら、お菓子食べようね」と自分の要望を叶えるためにまずしなければならないことを自分から言うようになりました。イライラしてしまったら、まだまだ半分くらいしかわかっていないんだと思ってみると、ちょっと心が軽くなるかもしれません。 イラスト:imasaku著者:ヒロコ ラメッシェ4歳女児の母。旅行雑誌編集デスク、アルバイト情報サイト編集長を経て、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。現在、モロッコ在住。自身の経験からママたちと共有したい情報を発信中。現在、モロッコ在住。自身の経験からママたちと共有したい情報を発信中。メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラーの資格を持つ。
2019年07月14日歳の離れた3人目の子どもが、この春から保育園へ通い出しました。0歳で入園させることに最初は罪悪感でいっぱいでしたが、いざ通い出すと積極的に園生活を楽しむ姿が! 実際に通わせることで、保育園の良さを知ることができ、「かわいそう」から「よかった」へ気持ちが変わっていったエピソードを紹介します。 3人目にして初めての保育園生活歳の離れた3人目の次女が、保育園の0歳児クラスに入園。上の子たちは3年保育の幼稚園だったため、保育園生活も0歳での入園も初めての経験でした。 保育園という場所をよく知らなかったことと、0歳で入園させるということが重なり、入園前は「小さいうちから保育園に入れるなんて、かわいそうな選択をしてしまった」と罪悪感でいっぱいでした。 保育園で見せた次女の新たな一面そんな罪悪感を持ったままスタートした保育園生活でしたが、親の心配をよそに次女本人はのびのびと集団生活を楽しんでいました。家ではとても甘えん坊な次女ですが、集団生活では泣いているお友だちををグイグイ引っ張るお姉さんタイプで、控えめな上の子たちとの性格の違いに大変驚きました。 保育園に入園させなければ見ることがなかっただろう、そんな次女の新たな一面に感動するのと同時に「保育園ってすごい!」という感情が芽生えました。 「かわいそう」から「よかった」へこれまで幼稚園しか知らなかったため、漠然と「小さいうちから保育園に通わせることはかわいそうなことだ」と思っていました。でも、全力で集団生活を楽しむ次女の姿を見て、「保育園に入園させてよかった」と心から思えるようになりました。 さみしくて泣いてしまうこともありますが、いい先生やお友だちに囲まれて、これから素敵な保育園生活を送れるのではないかと思っています。 初めて保育園に入園させるときは、罪悪感や不安でいっぱいの方も多いかと思います。でも、「入園したら想像していたものと全然違った!」なんてことも、大いにあるのではないかと感じています。 イラスト:sawawa著者:戸塚麻心発達障害のある長男、長女、年の離れた次女の三児の母。保育園・アパレルなど幅広い業種を経験し、結婚・出産。子育て中に2級FP技能士を取得し、コンサル会社に勤務。現在は不定期でアシスタント業務をしながら記事を執筆中。
2019年07月13日毎回健診のときに赤ちゃんは大きめだと言われており、予定日を過ぎても陣痛が来る気配がなく、妊娠41週のときに誘発分娩のため入院。初産で4,300g越えのビッグベビーを出産したときの体験談です。 陣痛の気配がなく誘発入院毎回健診のときに赤ちゃんは大きめだと言われ、妊娠40週の健診の際には、おなかの中の赤ちゃんは推定体重3,800g。妊娠41週を過ぎても陣痛の気配がなく、このままでは赤ちゃんが大きくなり過ぎるため、翌日に誘発入院をすることになりました。 入院1日目にラミセル、バルーン挿入という子宮口を開く処置をおこない、入院2日目の朝から陣痛誘発剤を点滴する予定でした。1日目の朝にラミセルを挿入し夕方に抜去、その後にバルーンを挿入すると自然と陣痛が始まり、バルーンも抜けたため、陣痛誘発剤は使用せずにこのまま自然陣痛で出産する方向になりました。 一向に強くならない陣痛陣痛が始まったものの、陣痛の間隔はなかなか狭まらず、強さもずっと我慢できる程度の痛みで、テレビや携帯を見る余裕もありました。助産師さんからも「微弱陣痛だね」と言われていて、LDR室へ移ってからは少し陣痛が強まりましたが、まだ周りの話し声を聞く余裕がありました。 赤ちゃんはなかなか下りてこず、地味に痛い陣痛と付き合うことになり、後半は痛みというよりも睡魔との戦いでした。結局人工破水をし、やっと赤ちゃんが下りてきて分娩の準備に入ったのは陣痛開始から12時間後でした。 下から吸引して、上からは馬乗りに!陣痛に合わせていきむのですが、まったく赤ちゃんが出てくる気配がありません。赤ちゃんが大きいこと、そして私の陣痛持続時間が短く陣痛間隔が長いことが問題でした。1回の陣痛で1〜2回しかいきめず、次の陣痛までの待ちが長いため、赤ちゃんが戻ってしまう状態でした。 私のいきみだけでの出産は難しいと判断され、下から吸引し上からはおなかに助産師さんが馬乗りになりました。陣痛のタイミングに合わせて同時にいきむ、引っ張る、押し出すといった感じでした。なんとか頭が出ましたが今度は肩がつかえ、もう一度いきむ前に陣痛は終わり、その後はいきんでもまったく出てきません。結局先生が引っ張り、助産師さんが押し出し、なんとか赤ちゃんを出すことができました。出てきてびっくり! 推定体重+500gの4,300g越えのビッグベビーでした! 健診のときから大きめの赤ちゃんだと言われていたため、ある程度覚悟はしていましたが、まさか4,300gもあるとは思いませんでした。初産でかなりのビッグベビーでしたが、吸引分娩とおなかを押してもらうことでなんとか無事に出産をすることができました。出産まではいろいろと大変でしたが、生まれてからはよく飲んでよく寝る子で、どっしりとしていてお世話もしやすいです。ビッグベビーも悪いものではありません。著者:塚田さき0歳男児の母。普段は作業療法士として訪問看護ステーションで勤務、現在産休中。自身の体験をもとに、主に体験談を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月13日妊娠しているとは思いもせず、胃のむかつきや気分が悪い日が3日続いたので、また胃腸炎になったと思い込み薬を飲んでしまいました。しかし、夫が妊娠してるのではないかと気が付いてくれて、妊娠検査薬を使うとなんと陽性! 今回は、妊娠に気付くまでの体調の変化や妊娠判明までの様子についてお話しします。 普段、健康なのになぜか気分が悪くなり…年に1〜2回しか体調を崩さない私ですが、その日は通勤途中の電車で気分が悪くなり、体調の変化に戸惑いました。その日はなんとか出勤しましたが、一日中体調がすぐれなかったので早退することに……。 胃のあたりが気持ち悪かったので胃腸薬を飲んで寝ましたが、翌日も体調は悪いままで食欲もなくなっていきました。腹痛も起こってきたので胃腸炎だと思って受診しようと思いましたが、あまりのしんどさに病院へ行くことができませんでした。 夫が妊娠ではないかと気付いた体調がすぐれないまま3日目に突入し、その日は仕事が休みだったので寝込んでいました。夫が友だちに「妻が体調を崩している」と伝えたところ、「妊娠ではないか」と言われ、念のために妊娠検査薬を使うことに。 すぐに夫は妊娠検査薬を買いに行き、試したところくっきりと陽性反応の線が出ました。妊娠と思っていなかったのでうれしかった反面、初めてのことでどうしたら良いか夫婦共にわからず、とりあえず近所の産婦人科を探しました。 産婦人科の検査で妊娠確定!翌日は日曜日でしたが、胃腸薬を飲んでいたことも不安だったので休日受診できる産婦人科を探しました。検査を受けたときは妊娠6週で、心音も確認でき一安心! 妊娠確定後は私の負担を軽くするために、夫婦で家事の分担や働き方について話し合い、夫が家事を半分負担することに。 仕事のほうも残業はせず、土日も休みをもらうことに決めました。上司にすぐに報告するか迷いましたが、体力仕事だったため事務作業に回してもらうようにお願いし、身体への負担を減らしたのです。 私はこのことから妊活中に体調を崩したら、自己判断せずに妊娠の可能性を考えるべきだと思いました。妊娠検査薬で陽性が出たらまずは産婦人科を受診し、妊娠確定後は夫婦でこれからどのように生活していくか考えることが重要だと実感しました。妊娠が確定してから、夫と家事や仕事について話し合うことで、つわり期間中に身体への負担を少なくできてよかったです。 著者:中道麻智子一児の母。管理栄養士として給食を作っている。管理栄養士の知識を生かした記事や、初めての妊娠・出産・育児で学んだことを中心に記事を執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月12日この記事では、イライラして子どもを叩いてしまうことについてパパと話し合った体験談をママが紹介しています。ママやパパが子どもを叩いていたことで、次第に子どもも暴力的に。夫と話し合い、叱るときは冷静になることで子どもの暴力的な行為がなくなっていったそうです。 子どもがひとりで立てるようになり、少なからず自分の意思が出てきて、できることが増えてくる1歳ごろ。お手伝いなどもしてくれるようになる一方で、いたずらや言うことを聞いてくれないことも増えました。このころは子どもへの伝え方、叱り方、夫との子どもへの接し方の違いに悩んだ時期でもありました。 手をあげると子どもも同じように…ついカッとなって手が出そうになってしまったり、実際に手を出してしまったり……。私は子どもをどうやって叱ればいいのかわかりませんでした。また当時、次男を妊娠していたこともあって精神的にも不安定で、ちょっとしたことでイライラしやすくなっていました。 しかし、手をあげることが多くなると、次第に子どもも同じように怒りを暴力で表現するようになってしまいました。ほかの子を叩くことはありませんでしたが、怒っているときに私や夫を叩くようになっていきました。 夫との話し合いこのままではダメだと思い、子どもを叱るときにはまずは冷静になるように意識して接するようにしました。しかし、夫も子どもを叱るとき、つい手が出てしまうタイプ。最近、子どもが私に対して暴力的になってきてしまっていることなど、子どもの日ごろの様子を夫に話し、子どもへの接し方について夫婦できちんと話し合うことにしました。 だんだんと変わっていった私も夫も、子どもへの接し方を意識して変えていくうちに、子どもが怒ったときも物や人を叩くことが少しずつなくなっていきました。子どもは親の接し方でこんなにも変わるのだと実感しました。 もし万が一、子どもに間違ったことを覚えさせてしまっても、あきらめなければ自分次第で軌道修正することは可能なのだと思います。 私も夫も親として至らないところばかりですが、これからも子どもに教えてもらいながら、一緒に成長しつつ育児に向き合っていきたいと思います。 イラスト:imasaku著者:小鳥遊美代二児の母。2歳年上の夫と2歳差兄弟、インコ2羽と暮らしている。好きなものは麻雀と読書、子どもを産んでからは育児本を読むのが楽しみのひとつ!妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年07月12日夫は「赤ちゃんに触るのも怖い」と言って、今まで甥・姪や友人の子どもを一度も抱っこすることがありませんでした。そんな夫が自ら息子のお世話をするようになり、1歳になった今では「2人きりでのお留守番も任せて!」 と言うほどに! ここでは、夫がどのようにイクメンになったのかをお伝えしていきます。 赤ちゃんに触るのも怖がる夫の意識改革夫は今まで何度か甥や姪など新生児に触れる機会はあったのに、触るのを怖がって一度たりとも抱っこしたことがありませんでした。なので、息子が生まれる前から、夫に赤ちゃんについての情報をいろいろ伝えることから始めることに! 赤ちゃんの大きさや重さなどはもちろん、抱っこやおむつの替え方、げっぷや沐浴の仕方なども一緒に育児書を読みながら人形で練習しました。 また、夫に赤ちゃんに必要なものを率先して調べてもらい、ほとんど準備してもらいました。そうすることで夫は赤ちゃんについての知識が身につき、怖いという意識が減ったようです。おかげで息子の誕生後はかわいくて愛おしい存在となり、「早く会いたい、お世話もしたい」と言うまでになりました。 夫自ら積極的に育児をしてびっくり息子が生まれてから、夫は自らお世話をし始めました。私は、子どもを抱っこすらしない夫を見てきたのでびっくりしました。夫は「これ練習したやつだ。やってみたら案外じょうずにできたよ」と得意気に。 私も、手伝ってくれてとても助かっていることと、息子もすごくうれしそうだと何度も言葉にして夫に伝えました。そうすると夫はさらに育児に積極的になっていき、そのイクメンぶりには目を見張るものがありました。夫がいるときには「お父さんに任せるね」と私もほとんどお願いするようにしたので、夫と息子が接する時間が増えてよかったと感じています。 イクメンお父さんを息子も大好きになった夫が育児を積極的におこなうことによって、息子との関係がとても深いものになっていったと感じています。圧倒的に私の方が一緒にいる時間が多いにも関わらず、息子は私と同じくらいに夫のことが大好きです。 夫が育児を頑張ってくれたおかげなのか、息子は「ママじゃなきゃダメ」という風にならなかったので、後追いや私がいなくて泣いてしまうこともなく、子育てがラクに感じます。また、夫が育児を積極的におこなうことは、息子の心の安定にも繋がっているように思えます。 安心して育児ができるように事前に情報を伝え、夫の育児を認めて言葉で感謝を伝えること。そうすることで息子も夫のことが大好きになり、そしてますます夫は育児に積極的になってくれたのです。育児に必要なものの準備を夫に任せた、という点も知識を蓄えるうえでとても役立ったのかなと感じています。著者:山下 ひいこ一児の母。看護師・鍼灸師の資格を持ち、逆子治療やマタニティケアなどを行っている。自身の経験を生かし、不妊や妊娠・育児に関する体験談を中心に執筆活動を行う。
2019年07月10日私は産後3カ月目に産後うつを発症し、通院し始めました。現在は周囲の理解と助けのおかげで回復傾向にあり、新しい仕事を始めることができています。産後うつと診断されショックでしたが、自分を追い詰め過ぎないようにしたことで次第に気持ちが明るくなりました。そのときの私の経験をお伝えします。 育児を楽しみたいのに苦痛で仕方がない初めての出産を無事に終えた私はうれしさと達成感に溢れ、育児を楽しもうと意気込んでいました。でもその気持ちとは裏腹、身体がついていかずに悔しい思いをする日々。夫の仕事の都合で出産前に引っ越し、赤ちゃんとの新生活は新居にてスタートしたため、生活に慣れることと初めての育児との両立は想像していた以上に大変だったのです。 私の母は他界し、父は存命ですが仕事が忙しく頼ることができません。義実家に頼らざるを得ない状況で、関係は良いほうですが付き合いにストレスを感じることも時折ありました。私はそれでも乗り切れる! と意気込んでいたものの、体調不良を繰り返したり、落ち込みやすくなったりと、異変を感じるように……。 産後うつと診断され、ショックを受ける何をするにも苦痛を感じるようになり、産後3カ月ごろに親族のすすめで心療内科を受診しました。医師からは産後うつの症状と診断され、極力ストレスを溜めないようにと言われました。 妊娠する前から産後うつという病名はテレビやネットで見聞きしていましたが、「自分が罹るはずなんてない」と思い込んでいたのでショックを受けました。でも、夫や周囲の人たちが精神疾患に理解があり、偏見を持たずに受診をすすめてくれたことが幸いでした。 心をラクにする方法を探し、快方を目指す産後うつを和らげるには時間がかかる場合があると聞き、物事を焦り過ぎないようにしようと思いましたが、不安定な感情や気分の上下、それが引き金となる周囲の人との衝突に悩み、ひどく落ち込むことも……。 しかし、病気と向き合って今の自分の姿を認めていくことで、かえって気持ちがラクになることに気付いたのです。少しでも育児をラクに乗り切る方法が見つけられるようになった現在は、2歳の子どもと接することを楽しめるまで余裕が出てきました。そして、不安感や焦燥感に悩まされることも徐々に少なくなり、夫が新しく始めた自営業をサポートできるまで回復しました。 産後うつは決して他人事ではないということを思い知りました。産後のストレスや疲労などから、気付かぬうちに不安定な状態に陥ることもあります。でも、悲観し過ぎることなく病に向き合い、いつかは元気になりたいという希望を持ち続けたことが、今の私が元気に過ごせる活力の源となっています。著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月10日私は3人の子どもを帝王切開で産みました。おなかにはその勲章とも言える傷がしっかりと残っています。ただ1人目の出産のときに、帝王切開が決まった瞬間は正直ショックでした。今回は、そんな心の傷とどのように向き合ったかをお話ししたいと思います。 まさかの帝王切開にショック1人目出産時は誘発分娩のために入院したのですが、入院説明の際に腟ヘルペスの疑いがあるとのことで、急遽帝王切開が決まりました。 手術の不安はもちろんのこと、陣痛から経腟分娩を経験できないということ、さらには2人目以降も帝王切開になるだろうということがやはりショックでした。私自身、はじめは「おなかを痛めて産んだ子」というものを経験したかったのです。 達成感のない出産とわが子への違和感帝王切開での分娩は下半身麻酔での手術のため、術中の痛みはありません。出産してすぐは、赤ちゃんの泣き声が聞こえて涙しました。その後は、赤ちゃんと同室ではなく、自分ひとりの病室へ。 ひとりで病室にいると、「私は出産したの? 単に手術をしただけじゃないの?」という不安に掻き立てられました。「出産をした」という自覚が私にはあまり湧いてこなかったのです。母子同室になったときも、わが子を見て「本当に私が産んだのだろうか?」という違和感さえ抱いていました。 帝王切開も立派な出産!それでも日が経つにつれて、わが子への愛しさを実感するようになりました。帝王切開を経験していないママからも、「帝王切開のほうが絶対痛いよ! すごいことだよ!」と言ってもらえたこともあって、「そうか! 出産方法が違うだけで、10カ月おなかの中で赤ちゃんを育てたことには変わりはないんだ!」と気付くことができました。術後の傷は決して消えることはないけれど、今となっては私の誇りでもあります。 もし、私が周りから心ない言葉をかけられていたら、帝王切開に対する心の傷はもっと深くなっていたと思います。帝王切開も立派な出産! 3人の子どもを産んだという誇りを胸に、これからもわが子と向き合っていきたいと思っています。著者:山野美由紀二男一女の母。出産を機に、プログラマーを退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年07月09日保育園1年目のママと子どもを待ち受けているのが、保育園でもらってくるたくさんの病気、通称「病気の洗礼」です。「はじめのうちは病気してばかりだよ」と聞いてはいたものの、「え、こんなに!?」と驚いているママも多いのではないでしょうか。この「病気の洗礼」は一体いつまで続くのか……。1歳から保育園通いを始めた、わが家の体験談をお伝えします。 入園後すぐ二度の発熱息子が保育園に通い始めたのは1歳8カ月から。0歳児から3歳児までの子どもたちが対象の小さな保育園でした。それまでは息子が熱を出したのは一度だけ。特に、風邪をひきやすいわけではありませんでした。 最初のお迎えコールが来たのは、入園して10日ほどしたときでした。「ついに来たか!」という気持ちでお迎えに行って、熱が下がるまで3日ほどお休みしました。元気になって登園したら1週間ほどですぐにまた発熱。熱以外には症状は特になかったので、軽い風邪だったのだと思いますが、こんな立て続けに熱を出すものなのかとびっくりしました。 かかりつけのお医者さんからは「最初の1年はたくさん病気をもらってくる。でも、それで免疫がついて強くなっていくから心配しなくて大丈夫」と言われましたが、熱を出すたびに心配でたまりませんでした。 最初の試練は夏の感染症それからも月一度から二度のペースで熱を出しながら、保育園に入って最初の夏がやってきました。プールが始まると、まもなく保育園では手足口病が大流行。息子ももれなく感染しました。 1週間ほどかかってやっと登園できたら、また別の風邪をもらってきて……と、夏は病気のループで、休日もなかなかお出かけできませんでした。 家族総倒れになった冬そして、相変わらず月一ペースで熱を出しながらあっという間に冬になり、インフルエンザの流行シーズンに。この年、初めて家族でインフルエンザワクチンを打ちました。そのおかげなのかどうかはわかりませんが、保育園内でインフルエンザが発生しても息子はかからず。 その代わりといってはなんですが、11月にRSウイルス、12月には感染性胃腸炎と大きな病気続きに。感染性胃腸炎は私と夫にもうつり、初めて家族総倒れとなりました。 2年目からはどんどんラクになる!こんな調子でとにかく病気ばかりだった1年目。もちろん預ける子どもの年齢や体質などで個人差はあるので、こんなに病気はしなかったという人もいれば、もっと大変だったという人もいると思います。2歳児クラスになってからは、アデノウイルスや胃腸炎などの流行りの病気はもらってきましたが、熱を出すことは半分くらいに減りました。 そして、3歳児クラスになるとさらに少なくなり、4歳児クラスになってからは病気でのお休みは年2〜3回ほどに。目に見えて病気に強くなっていくのがわかりました。 1年目の「病気の洗礼」は、誰もが必ず通る道です。集団生活をしていれば、どんなに手洗いやうがいを徹底していても、100%防ぐのは難しいのではないかと思います。病気の子どもを見るのは本当に胸が痛くなりますが、ママも体調を万全にしてうつらないように注意してください。2年目以降はどんどん病気をしにくくなっていくので、親子ともに1年目の今が頑張り時です! 著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月09日妊娠当初、おなかの子どもが双子だとわかったときは、驚き動揺してしまいました。双子育児の情報を育児書やネットで調べるものの、実際に多胎児を育てているママのリアルな声を聞いたことがなく、2人同時に育てることができるのだろうかと、とても不安な気持ちになったのです。そんななか、双子育児をしている先輩ママたちと出会い、アドバイスを聞くうちに不安な気持ちを払拭できた私の経験をお話しいたします。 妊婦健診で「双子ちゃんですね~」妊娠が判明してから2回目の妊婦健診。おなかの子どもは元気なのか……ドキドキしながらエコー検査を受けました。おなかの中の様子を見ていると、赤ちゃんの影が2つ!? これはもしかして……と思った次の瞬間、先生が「双子ちゃんですね~」とおっしゃったのです。 私は思わず処置室で「えーーー!?」と絶叫してしまいました。先生からの驚きの言葉に動揺したと同時に、2人をいっぺんに育てることができるのかと、とても不安な気持ちになりました。 会社の先輩からのアドバイス私は幸運なことに、会社に双子を育てている先輩がいました。双子妊娠が判明した直後に、先輩とランチの約束をして双子育児の話を聞くことにしました。率直に不安な気持ちを伝えたところ、とても良いアドバイスをいただけました。 「おっぱいも腕も、2つずつあるから大丈夫だよ!」私は先輩のその言葉を聞き、双子育児は大変だけど何とかなるんだ! と明るい気持ちになれたのです。 地域の双子サークルに参加妊娠後期に、地域の双子サークルへ参加する機会がありました。双子ならではの授乳の仕方などを、先輩ママたちの経験をふまえて教えていただきました。不安そうな私に対して、「双子だからと特別な準備をしなくても、何とかなるから大丈夫だよ。困ったことがあれば出産後ここに来て!」という、先輩ママたちからのアドバイス。 先輩ママたちの温かい言葉と、にこやかにに双子を育てている様子に元気をもらいました。双子育児のリアルな声を聞くことができる、とても良い機会だったと思います。 初めての妊娠というだけでも心配だったのに、おなかの子が双子だとわかったときは本当に驚きました。でも、双子育児の情報をネットなどで収集するだけでなく、多胎児ママのリアルな育児経験談を聞けたことで不安な気持ちが解消できてよかったと思います。著者:浅間ゆか双子女児の母。結婚を機に引越し、住宅購入、双子育児と慌ただしい日々を過ごす。自身の経験をもとに、出産・育児などを中心にライターとして活動中。
2019年07月08日現在アメリカ・ミシガン州で、日本人の夫と1歳7カ月の娘と3人で暮らしています。自然豊かで暖かい季節は外遊びを楽しめますが、1年の半分近くは寒い地域なのです。でもこちらは無料の公共施設や、有料の子ども向け施設など、寒い季節の選択肢が豊富です。そんな私の住む地域の遊び場事情をご紹介します。 娘も大興奮! 公園には自然がたくさん! 私の住む町は大都市から遠く、とにかく自然が豊か。小さな子ども用のプレイグラウンドを備えた公園が多数あり、そこではリス、鹿、ウサギ、アライグマ、スカンクと、本当にたくさんの野生動物がいます。安全上直接触れることはできませんが、子どもたちは大興奮! 動物観察のためだけでも公園に遊びに来る価値があります。 言葉を覚え始めたころの娘も、「リスさん!」とうれしそう走り回っていました。バーベキューグリルやトレイルコースを整備している公園も多くあり、大人も楽しめる場所です。 長い冬の強い味方! 冬の遊び場探し! 10月から4月の半ばにかけては、寒い気候が続く冬が長いミシガン。無料で利用できる施設は、ママたちの強い味方です。私の住む地域には、市内に5カ所の市立図書館があります。いずれかの図書館で毎日1時間ほど5歳以下の子ども対象の歌とお話の会が開催されているので、参加して楽しむことができます。また、小さな子ども専用のおもちゃや遊ぶスペースも図書館内に充実しています。 さらに、大型の教会やショッピングモールなどが無料で室内プレイグラウンドなどを開放しているところもあり、親子で運動不足解消に最高です! 年中楽しめるバラエティー豊かな有料施設無料の公共施設ばかりではなく、有料の子ども向け施設も充実しています。私がよく利用するのは、科学をテーマにした子ども向け博物館です。博物館と言っても館内には子どもが科学をテーマに遊ぶことができる遊具がたくさん設置されており、大人も一緒に楽しめる施設です。 4歳以下の子どもが楽しめるコーナーもあり、お昼ごはんとおやつ持参で1日中過ごせます。その他にも室内トランポリン施設や、遊具と小型の動物園を備えた施設などが多数あります。 ママたちが1番うれしいのは…何よりありがたいのは、アメリカ人が子どもに寛容であることです。小さな子どもが大きな声を出したり、走り回ったりしても、ほとんどの人が気にしないかやさしい目で見てくれます。 私の娘もイヤイヤを起こし、泣きわめきながら床に転がったり、公共の場所で走り出してしまうことなどがありますが、多くの人が笑顔で見てくれるか、「あなたも大変ね!」と声を掛けてくれます。そのおかげで、気軽にいろいろな場所で子どもと過ごすことができるのかもしれません。 冬の気候が厳しいミシガン州ですが、子ども向けの施設が充実しているのであまり悩むことなく、外遊びを楽しむことができます。そして何より、大らかなアメリカ人のおかげで、いろんな場所で気軽に子どもが楽しめる時間をつくることができてうれしいです。著者:岡みちこアメリカ中西部の小さな町で日本人の夫と1歳の娘の3人暮らし。アメリカの子育て事情や、自身の妊娠・出産・子育てに関する体験談について執筆中。
2019年07月08日筆者が出産をするときに心配したことの1つが会陰切開です。出産の際、麻酔なしで陰部を切られるなんて! と想像しただけで痛みを感じ、できれば切らずに出産したいと思っていました。しかし、結局は会陰切開をすることになった私の体験談をお話しします。 会陰切開の覚悟を決める出産が間近になるにつれてわが子との対面が楽しみになる反面、陣痛に対する不安や出産時の会陰切開に対する恐怖が増していきました。できれば会陰切開はしたくないと思っていたところ、「会陰切開をせずに無理に出産して裂けてしまったほうが治りが悪くなる」といった出産に関する記事を目にし、会陰切開に対する覚悟を決めることに。 それでも「切らずに済むならばいいな……」とわずかな希望を抱きながら、気が向いたときお風呂上がりに会陰マッサージをしていました。 切ったときは痛くなかったけれど……陣痛が始まってから約1日が経ち、子宮口が全開大になってもうすぐ出産というタイミングでいきんでいると、「切るよ〜!」という先生の声が聞こえました。やっぱり切られるんだと覚悟したときに聞こえた「パチンッ」という音。 しかし予想とは裏腹に痛みはまったくなく、直後に元気な赤ちゃんが生まれました。やっと生まれたと安心したのも束の間で、会陰切開の傷の縫合となりました。切ったときは痛くなかったのに縫われているときは痛くて「早く縫い終わって!」と心の中で叫んでいました。 出産からしばらく痛かった傷会陰切開の傷は産後数日間腫れていましたが、1週間後の診察では回復は順調だと先生に言われました。それでも痛みがあったため、産後から円座クッションを使って傷口に直接力がかからないようにしていました。 しかし、産後1カ月近く経っても痛みが残ることに……。診察を受けても特に異常はなく、時間の経過とともに痛みはなくなっていきました。 振り返ってみると、初めての出産で慣れない育児やお見舞いに来てくれる人への対応で起きている時間が多く、会陰切開の傷にも負担がかかったのかもしれません。現在第二子妊娠中ですが、次に出産して会陰切開したときには傷が長引かないことを祈るばかりです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年07月08日私はあまり父と話すことがありませんでした。そんな父とよく話すようになったきっかけが、孫ができたことでした。今では父と仲良く話すようになり、父は私の子どもたちにとって良いおじいちゃんになりました。そんな、父と私の関係に変化が起きた体験談です。 あまり父と話さなかった過去私の父は割と無口なほうで、結婚する前はあまり話すことがありませんでした。父も私にはあまり自分から話しかけてくることがなかったので、その関係はこれからもずっと私が妊娠したとしても、孫ができてからも同じように続いていくのかな、と思っていました。 しかし、のちに父とよく話すようになってから聞いてみたら、父が私に話しかけてこなかった理由は「私に嫌われたくなかったから」だそうで、口下手な父は娘に自分からうまく話しかけられなかっただけでした。 本当は私と話したかった父初めて妊娠したときも、やはり最初はあまり話すことはありませんでした。エコーの写真を見せてもよく見えないようで、特に会話は続かず……。 しかし、赤ちゃんが生まれて実家に帰ったときに父が「首がすわっていなくて怖い」といいつつも、赤ちゃんを抱っこして幸せそうに微笑んでいました。それを見て以来、実家に帰ってさり気なく父に自分から話しかけるようになったのですが、父に「昔と変わったよね」と言ったところ、本当は以前から話をしたかったのだ、と言われました。 孫とよく遊ぶおじいちゃんに1人目を出産してから早4年。私はあまり父と遊んだ記憶がありませんが、今では実家に孫が遊びに来てくれることがうれしいようで、孫たちとよく遊ぶおじいちゃんになりました。 一緒に遊んだあと、「今日は何をして遊んだ」「また一緒に遊びたいから連れてきてくれ」「いつでも泊まりに来てほしい」「最近は孫がいろいろなことをできるようになった」など、たくさん私に話してくれるようになりました。こんなによく話す父を私は見たことがなかったので驚く反面、微笑ましいなと思っています。 父は孫ができたことによってすっかり良いおじいちゃんになりました。私も子どもたちに父と話す機会を作ってもらい、今ではとても仲良くなれました。実家に帰って父と話すのも楽しみの1つになり、いい関係を築くきっかけを子どもたちが作ってくれたことに本当に感謝しています。著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2019年07月06日長女が4歳ごろになると、「妹や弟が欲しい」と言うようになりました。私自身も2人目を産むならそろそろだと思っていたのと、長女をお姉ちゃんにしてあげたいという想いがあり、2人目妊娠を計画しました。 「娘をお姉ちゃんにしてあげたい」長女が年少さんになると、周囲のお友だちに妹や弟ができることが多くなりました。そのママが赤ちゃんを連れて迎えに来ると、かわいくてうらやましかったのでしょう。 「わたしも妹か弟が欲しい」とよく言うようになりました。 保育園に通っていたので、園内には赤ちゃんもいたのですが、そういう子たちに駆け寄り、本当にかわいがる長女の姿を見て、「この子を本当のお姉ちゃんにしてあげたい!」と考えるようになりました。 4学年差で出産その後すんなりと妊娠し、娘は晴れてお姉ちゃんになることに。2人目妊娠がわかると、長女は周りのお友だちや先生に「赤ちゃんができたんだよ!」とすぐに言ってしまうほどの喜びようです。妊娠中は、きょうだいが題材になっている絵本をよく読んであげました。 そして長女が年少さんの冬に次女が生まれ、4学年差に。長女は自分のことはほとんど自分でできるようになっていましたし、赤ちゃん返りなどをすることもなく、赤ちゃんのことをすごくかわいがってくれて4歳差でよかったなと感じました。 こんなことが大変だった!長女がしっかりしてくれていて助かった反面、大変なこともありました。4歳にもなると、休日は外で思い切り遊びたいし、昼寝もなくなっていました。公園でも難しい遊具に挑戦したい年ごろです。 しかし、いざ公園などに行っても下の子の都合で早く切り上げて帰らなくてはならなかったり、下の子につきっきりで見ていてあげられなかったりすることが多くなりました。おんぶができるうちは次女をおんぶしてどうにかなっていましたが、次女が1歳になって歩き始めるとおんぶも難しくなり、ますます次女につきっきりになりました。 年齢差があると、一緒に遊んだり、同レベルで遊べたりするようになるまでには時間がかかるな……と痛感しました。 現在、長女は7歳、次女は3歳になり、だいぶ一緒に遊べるようになりました。その分喧嘩も増えましたが、姉妹がいるからこそ成長することも多い気がします。遊んでいる2人を見ると、何歳差であれやっぱり2人目を産んでよかったと感じます。著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年07月06日長女が生後6カ月を過ぎたころ、RSウイルスにかかりました。わが子を看病するという初めての経験でバタバタと過ごし、しっかりとした予防をすることなく油断していたためか、夫婦そろって長女からウイルスをもらってしまったのです。どのような症状だったのか、そして体調を崩して大変だった体験談をお伝えします。 生後6カ月…初めての風邪!?長女が初めて体調を崩したのは、生後半年が過ぎた夏でした。いつもより明らかに多い鼻水に気付いたのは午後7時ごろ。夏なのに風邪を引かせてしまった! とかかりつけの小児科に電話したところ、「機嫌がよく、おっぱいも嫌がらずに飲んでいるなら、一晩様子を見て発熱などの症状が出てきたら翌朝受診してください」とのこと。 そして夜から朝にかけて鼻水の量は少しずつ増加し、鼻づまりや咳の症状も出始めたので、午前の診療時間に向かうことにしました。 RSウイルス感染症と診断されて診断はRSウイルス感染症でした。「夏なのに風邪を引かせてかわいそうなことをしてしまった」と思っていたのですが、小児科の先生に「もし発症があと1カ月早かったら、入院をすすめています」と言われ、事の重大さと重症化する可能性が少なくないことに気付かされました。 暑さのため外出もあまりしていなかったので、おそらくちょっと前に長女を連れて法事に出席したときに何らかの形で感染したのだろうと思いました。 長女に続いて大人も感染その後長女は重症化には至らず、自宅療養で無事に回復しました。しかし問題は私たち夫婦でした。RSウイルスのことをネットでいろいろ調べたところ、「大人はほとんど重症化しない」「大人は軽症で済む」という情報を見たせいか、看病するときも予防に対してはすっかり油断してしまったのです。 娘の体で増殖したウイルスはマスク程度では防げず、私も夫も2週間ほど長引く鼻風邪にかかってしまいました。もっとアルコール消毒などを積極的に取り入れていれば、大人への感染は防げたかもしれないなぁと反省しました。 今回は家族みんな軽い症状で済みましたが、感染症を防ぐことの重要性を改めて感じたできごとでした。また、RSウイルスは秋から冬にかけて流行すると言われていましたが、小児科の先生曰く近年は夏にも流行ることがあるそうです。当時0歳だった長女は今3歳で、幼稚園に通い始めました。集団生活が始まったので感染症対策により一層気を配ろうと思います。著者:柴崎諒子2016年2月長女、2019年2月次女を出産。元雑誌編集部勤務で、企画・編集・営業・ライターを経験。現在は仕事をセーブしつつ子育て優先。妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆している。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月06日つわりが落ち着いたころにクリスマスと年末年始となり、それまでつわりで食べられなかった反動と親戚が集まった楽しさから、たくさん食べてしまい、年明けの健診でなんと3週間で2.5kg増! その後は体重増加に気をつけるようになりましたが、どうしても甘いものが食べたいときにはできるだけ手作りするようにしました。 好きな味で「おからスイーツ」私が一番好きなスイーツはチョコレートです。もちろん少しならチョコレートも問題ないのでしょうが、自分に甘い私はついつい食べ過ぎることも……。そんなときはネットで「おからで作るチョコ風味ケーキ」のレシピを検索して手作りするようにしました。 チョコレートをたくさん食べられたという満足感もありましたし、おからで作ったスイーツは腹持ちがよく、食べ過ぎ予防にも役立ちました。 ナタデココみたいな「こんにゃく黒蜜」妊娠中、「甘いものをたくさん食べたい!」という気持ちが起こることがしばしばありました。とはいえ、手のかかるお菓子作りは疲れやすい妊娠中には難しく、そんなときに作っていたのが「こんにゃく黒蜜」です。 作り方は、白い板こんにゃくを一口大に切り、数分茹でた後冷水にとります。しっかり冷めたらお好みの量の黒蜜をかけて完成です。しっかり茹でるとこんにゃくの臭みがなくなるので、いっそうおいしく食べることができました。 貧血とお通じ対策 バナナシェーク+α妊娠中期から後期にかけて、貧血と指摘されることが増えました。さらにお通じが悪くなってきたことも悩みのタネでした。そんなときに思い付いたのが「麦芽飲料入りバナナシェーク」です。 薄切りにして冷凍しておいたバナナと牛乳、麦芽飲料をミキサーにかけるだけで完成です。朝食のときに飲むようにしていたら、お通じが良くなったように感じました。作るのも飲むのも手軽なので、出産後の現在も鉄分不足や便秘が気になるときに作って飲んでいます。 これらのヘルシーおやつのおかげか、子どもが3,800g超えの大きめ赤ちゃんだったにも関わらず、母体の体重増加は妊娠前から+11kgでした。体重増加の注意を受けたのは、年明けの健診時の1回だけです。体重増加で注意を受けることが嫌だったという気持ちもありますが、何より安産で赤ちゃんに会えることを楽しみにしながらヘルシーおやつを手作りしたのがよかったと思っています。著者:かねこゆかり東北在住、1歳息子を育児中。転勤族なので、これからどんな土地で子育てをするのかドキドキ半分、ワクワク半分。興味のある分野は貯蓄や節約などのマネージャンル。ファイナンシャルプランナーに挑戦予定。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。
2019年07月05日私は3歳と1歳の子どもを育てる2児のパパです。子どもには大きく成長してもらいたいと考えているのですが、背伸びをした体験をさせ、少し無理をさせてしまったなと感じたことがあります。そんな、子どもに「ごめんね」と申し訳なく思った3つのできごとについて紹介します。 うまく滑れず頭を打つ1つ目は公園の滑り台でのことです。1歳の子どもと公園に行き、滑り台で遊ぶことになりました。その滑り台の対象年齢は3歳以上との表記。階段から落ちないように見守っていました。 しかし、いざ滑べるときに勝手に「大丈夫だろう!」と思って、子どもひとりで滑らせてしまったのですが、うまく滑れず頭を打ってしまいました。大事には至りませんでしたが、子どもはびっくりした表情で滑り台に恐怖を感じてしまい、公園に行っても数日間は滑り台に近づきませんでした。 「お兄ちゃん偉いでしょ?」3歳の子どもには、ついつい「お兄ちゃんなんだから」と言ってしまいます。特に1歳の下の子どもといるとき、食事中に行儀が悪かったり、テレビを見すぎたりしていると、つい言ってしまいます。 お兄ちゃん自ら「お兄ちゃん偉いでしょ?」と言ってきて、無理をしているんだなと感じました。親はお手本になってもらいたいと思ってその言葉を使うのですが、お兄ちゃんとは言えまだまだ子どもである3歳児にとっては負担なのかもしれないと思いました。 帝王切開術の立ち会い私自身、この場面が一番子どもに申し訳ないと感じました。お兄ちゃんになる瞬間を感じてほしい、少しでも赤ちゃん返りをしないでほしい、兄弟仲良くしてほしいという思いから立ち会い出産を決めていました。 病院の配慮もあり、ママがきついところは見せないようにしてくれていましたが、やはり子どもにとって特殊な環境はかなりのストレスだったようで、ずっと私のそばを離れませんでした。 その日の夜、普段は真っ暗にしないと寝ないのに、電気がついた明るい部屋で熟睡している子どもの姿を見て心底「ごめん」と思いました。 親としては子どものためにと思っていましたが、少し無理をさせた体験となっていました。改めて子どもの目線で考えないといけないなと反省。今後は見守ったり、フォローしたりしながら、関わっていけたらと思います。著者:西川しょた普段は看護師として勤務する3歳と1歳、2男の父。育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2019年07月05日一度目の結婚では、長男が生後9カ月のときに夫と死別。当時、私は26歳で夫は38歳でした。突然の事故死に悲嘆に暮れる毎日でしたが、小さな息子の存在が私を奮い立たせ支えてくれました。そして現在、シングルマザーを経て再婚をし、幸いにも娘に恵まれ楽しい毎日を送ることができています。そこで今回は、夫を亡くしてから再婚までの道のりについてお話しさせていただきます。 子どもが生後9カ月で訪れた、突然の別れ いつも通りに出社した夫が、ある日二度と帰ってくることはありませんでした。交通事故でした。私は悲しみに打ちひしがれ、「これからどうしたら……」と呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。 そんななか、当時生後9カ月の息子はニコニコと私に笑いかけ、おなかが空けば泣き、眠たければぐずり、日常を思い出させてくれる大事な存在でした。 「私がしっかりしなきゃ!」と、それからは気持ちを切り替え、息子に寂しい思いや悲しい思いをさせないようにとシングルマザーで頑張っていく決意をしたのでした。 ささいなことにありがたみを感じる息子のお風呂は、夫がいつも入れてくれていました。私ひとりでは慣れるまでが大変で、そのたびに涙が出てしまいました。 もっと「ありがとう」って言えばよかった……。ちょっと物を取ってもらう、雑だけど掃除をしてくれる、ささいなことが本当にありがたく感じました。 しばらくして就職をしたのですが、天国の夫が見守ってくれていたのでしょう、私の状況に理解のある会社に勤めることができ、息子もすんなりと保育園に慣れてくれました。息子がお誕生日を迎えるごとに「こんなに大きくなったよ」と報告するのが誇らしかったです。 「パパが欲しい」と書かれたお手紙息子が5歳のクリスマス。サンタさんへのお手紙を一生懸命書いていました。寝静まったあと、そっと見てみると「パパがほしいです」と覚えたてのつたない字で書いてありました。 息子は、パパがいるお友だちをうらやましく思っていたのです。シングルマザーでやっていこうと決めていた私は、息子に申し訳ない気持ちになってしまいました……。 しかし、なんとその後、同じ職場で現在の夫との出会いがあったのです。子どもがいるので、中途半端な気持ちでお付き合いすることはできないと伝えて、「結婚を前提に」と慎重にお付き合いを始めたのでした。 少しずつ家族に 自分で「パパが欲しい」と思っていたとはいえ、やはり子ども心に複雑な気持ちもあったようです。普段は聞き分けの良い息子も、彼を前にすると急に不機嫌になったり、わがままを言ってみたり、悩まされることが多々ありました。私も後ろめたさを感じてしまったり……。 「いきなり家族にはなれないよ。亡くなったご主人にも勝てないよ」という言葉とともに、私たちを見守ってくれた現夫。その温かくやさしい想いがうれしくて、次第に私も「彼と家族になりたい」という気持ちが強くなっていったのでした。 息子の姓が変わることに抵抗があったので、息子が小学校へ上がるタイミングで入籍しました。ほどなくして娘を授かりお兄さんとなった息子。現在、小学3年生になっていっそうお兄さんらしくなった息子は、「お父さん! サッカーしよう!」といつの間にか「お父さん」と呼び、最近では何やら私に内緒の男同士の話もあるようです。何の変哲もない日常が愛おしく感じます。著者:倉田りこ一男一女の母。社会福祉士として児童養護施設での勤務経験がある。一度目の結婚で夫と死別、現在は再婚しステップファミリー。自身の体験を中心に執筆中。
2019年07月04日