俳優の小沢仁志が21日、YouTubeチャンネル『笑う小沢と怒れる仁志』に出演。動画「【放送事故】調子に乗っている宮迫に小沢がブチギレてヤバい空気に…【ドッキリ】」内で、雨上がり決死隊の宮迫博之に“ブチギレ”ドッキリを仕掛ける。今回の動画は、宮迫のチャンネルに小沢がゲストとして出演し、宮迫の後輩芸人・響の2人にドッキリを仕掛けた後の場面からスタート。小沢が自身の楽屋を訪れた舎弟D(ディレクター)に「(ドッキリを仕掛けられた響の2人が)かわいそうになぁ」と話し、何回も響の2人にネタを振った宮迫に対して「宮迫の顔が一番ムカついた」と収録を振り返る。その後、小沢が放った「宮迫、ハメたるか」という一言から、小沢が宮迫へ“YouTube史上最凶”のドッキリを仕掛けることに。そのドッキリは、ドッキリ企画が嫌いな小沢が、宮迫とのコラボ収録前日に突然対談企画からドッキリ企画へ変更されたことに対して、楽屋でブチギレるという設定。そして、小沢の隣の部屋に用意された宮迫の楽屋に隠しカメラを仕込み、宮迫の様子を撮影するというものだ。何も知らない宮迫が自身の楽屋で響の2人とほのぼのとしたトークで和んでいるところ、突然壁の向こうから「だから言っただろ、俺ドッキリ嫌いだって」と怒る小沢の声が。宮迫の楽屋の空気が一変して凍りつく。さらに「俺は本当の対談がやりたかったんだよ」と収録への不満を漏らした後、開設して1カ月足らずで自身のYouTubeチャンネルが一時アカウント停止になったことに対して、小沢は「何だ“垢BAN”って」とスタッフに声を荒げる。そして小沢は楽屋のティッシュケースを投げつけたり、椅子を蹴り飛ばすなど、怒りの演技がヒートアップ。怒りが最高潮になった小沢が「宮迫呼べよ」「宮迫こっちへ来いよ」と大声をあげて自身の楽屋へ宮迫を呼び出す。顔面蒼白で恐る恐る小沢の楽屋へと向かった宮迫の運命はいかに……。
2021年07月21日7月4日、元東宮大夫で宮内庁御用掛も務めた野村一成氏がなくなった。81歳だった。外務省出身で、雅子さまの父・小和田恒氏の部下だったこともある野村氏は、’06年4月に東宮大夫に就任。’11年7月まで6年にわたり、皇太子ご一家の側近トップの職を務めた。この時期は雅子さまが適応障害で療養されており、公務に出席できない日々が続いていた。’06年8月には雅子さまのご静養のためのオランダ訪問を実現させるなど、雅子さまにとって野村氏はもっとも苦しい時期を支えた“恩人”といってもいい存在だ。実は、野村氏が東宮侍従を務めていた時期に、五輪への“皇室利用”が問題になったことがあった。東京が’16年の夏季五輪に立候補した際には、当時の石原慎太郎都知事が、皇太子だった天皇陛下を「招致の『旗頭』に」と協力を要請したのだ。石原氏は天皇陛下と雅子さまに五輪招致組織の名誉総裁を要請する考えもあったという。しかし宮内庁の野村一成東宮大夫(当時)は「招致活動の段階から関わることは難しい」「招致活動には政治的な要素が強いこともあるし、すでに決まった式典に出席されるのとは違う話だ」と、この要請を拒否した。すると石原氏は猛反発し「宮内庁ごときが決めることじゃない。国家の問題なんだから。木っ端役人が、こんな大事な問題、宮内庁の見解で決めるんじゃない」と激しく批判するという騒動になった。最側近である東宮大夫として矢面に立ち、天皇陛下と雅子さまを守った野村氏。両陛下は侍従を通じて弔意を伝えたという。
2021年07月15日東京オリンピックの開催まで1カ月を切った6月28日、上野で開催された日本芸術院賞の授賞式に出席された雅子さま。地紋のある素材でジャケットの裾をアシンメトリーにした新しいスーツは、前を着物の合わせのようにした和を感じるデザインだった。授賞式はコロナ禍の影響で昨年は中止されたため2年ぶりの開催となり、歌舞伎役者の松本幸四郎さんや日本画家の千住博さんら芸術の分野で業績のあった受賞者11人が出席。式後に行われた恩賜賞受賞者4人との懇談では、天皇陛下と雅子さまは作品についての説明を熱心にお聞きになっていた。お帰りの際、日本芸術院会館前に集まった人々からの歓声は自粛されたが、雅子さまは優しい笑顔をお見せになり、不安な日々を過ごす国民を励ますように手を振られていた。
2021年07月12日歌手の小沢健二(53)が、人気急上昇中のバンドAwesome City Clubのボーカル・PORIN(30)とホテルで密会していたと6月30日に報じられた。近年では子煩悩ぶりも話題となっていた小沢。ネットでは、その行動を疑問視する声が相次いでいる。98年にアメリカへ移住し、09年に写真家の女性と結婚、その後2人の子宝にも恵まれている小沢。いっぽうPORINはAwesome City Clubのメンバーとして15年4月にメジャーデビューを。そして、今年1月に公開された映画『花束みたいな恋をした』の“インスパイアソング”である『勿忘』でブレイクを果たした。『文春オンライン』によると、小沢は『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でPORINと共演したのち、2人してホテルの同じ部屋へ。取材に対しPORINは一度関係を否定したものの、再度訊ねると「こういう場合はどう答えればよいのかちょっと」と返答。のちに彼女の事務所は「打ち合わせだった」と同じ部屋にいたことは認めたが、小沢側は無言を貫いているという。小沢はInstagramで子供たちの写真や彼らとのエピソードをたびたびアップ。さらに19年11月に発売されたアルバム『So kakkoii 宇宙』のジャケットや、『彗星』『ウルトラマン・ゼンブ』『泣いちゃう』といった楽曲のMVにも愛息たちを登場させている。そんな子供思いな姿を見せてきた小沢による、23歳年下の女性シンガーと“ホテル密会”。ネットでは普段のイメージとはかけ離れた行動に非難の声が上がっている。《いやいや小沢さん 子煩悩に愛妻家アピール凄かったやん》《密会なのか打ち合わせなのかは知らないけど、疑わしい行動をしたり、子供が知って嫌がることはしないで欲しかったな、、、》《オザケン最近MVで子供推しまくっててこれはなくね》《カワイイ息子だけは泣かさないでくださいね》《小沢健二、最近は説教と子煩悩でやってきているから週刊誌に撮られちゃうと説得力が薄れちゃうので大変》
2021年07月01日ご公務にはフォーマルな装いで臨まれる皇族方が、なかなかお見せにならない私服姿。今回は雅子さまと紀子さまの、若かりしころのファッションをプレイバック――。ジョルジュ・レッシュのスーツで海外にお出かけになる、ご婚約以前の雅子さま。ポケットチーフとストライプのインナーは紺と白で色を統一されている、上品なスタイルだ。一方、ご婚約時代の紀子さまは、白、赤、紺のトリコロールの色使いや金ボタンを使った深いVネックのカーディガンで当時のお嬢様スタイルを取り入れている。皇室の装いにも詳しいファッション評論家の石原裕子さんは、「空港での雅子さまはいかにも外務省で働く女性という感じで、多くの女性の憧れとなったお姿です。独身時代からとても品のある装いをされています。紀子さまのコーディネートは、偶然にも全てトリコロールカラーのお洋服になっています。学生時代の流行も偲ばれます」雅子さまと紀子さまのファッションは、プリンセスたちのお手本になっていることだろう――。
2021年06月17日6月9日は、天皇陛下と雅子さまのご成婚記念日。28年前、93年の6月9日に行われた祝賀パレードでは、雅子さまの美しいドレス姿と笑顔に、日本中が大いに沸き立った。パレードでは、沿道に手を振られながら時折言葉を交わされていた両陛下。はにかみながら会話をされるお二人の姿にも、国民は大きく心を動かされた。18年にご成婚25周年を迎えられた際には、夫婦円満のために心がけてこられたこととして天皇陛下はこう述べられていた。「相手を思いやり、相手の立場に立って物事を考えること、そして、お互いによく話し合い、また、大変な時にも、『笑い』を生活の中で忘れないように、ということだと思います」その姿勢は、新婚時代から変わらない。今こそ両陛下がご結婚された93年の、初々しいお姿を振り返りたい。【93年6月9日祝賀パレード】出発直前まで降り続いていた雨がぴたりとやみ、日差しが差し込むなか両陛下は沿道に集まった19万人の歓声にお応えに。途中、雅子さまが目をうるませられ、白い手袋で目頭をそっとおさえられる場面も……。【93年6月15日饗宴の儀】3日間にわたり、計6回行われたご成婚を祝う宮中饗宴の儀。1日目の夜は芦田淳デザインのロイヤルブルーのイブニングドレスをお召しに。【93年7月8日東京サミット宮中晩さん会】ご成婚の翌月、お二人で初の皇室外交の場へ。晩さん会で雅子さまは、クリントン米大統領とエリツィン・ロシア大統領の間の席で、少しも気後れすることなくご歓談になっていた。【93年11月1日】愛知県の特別老人ホームをご訪問。雅子さまは、寝たきりのお年寄りの手にご自分の手を重ね、「お大事になさってくださいね」と優しく声をかけられていた。【93年12月20日鴨場でご接待】埼玉県越谷市の宮内庁埼玉鴨場に各国の駐日大使夫妻らを招き、伝統の鴨猟を紹介する皇室の伝統行事にご参加。じつは、天皇陛下が雅子さまにプロポーズされたのは千葉県の宮内庁鴨場。同じシチュエーションでのご公務で、プロポーズ時のことも思い出されたかもしれない。【93年12月23日一般参賀】上皇陛下の誕生日に、初めて一般参賀に参加された雅子さま。お召し物に選ばれたのは、イエローのロングドレスだった。新たな皇太子妃を一目見ようと多くの人々が集まり、天皇誕生日の一般参賀の参賀者数は、平成最多を更新した。仲睦まじいお二人のご様子は、理想のご夫婦として今もなお国民の手本となっている――。
2021年06月09日「天皇陛下と雅子さまは、6月9日に28回目の結婚記念日を迎えられます。コロナ禍以前は、皇室ご一家が集まってお祝いの食事会が開かれていましたが、今年は昨年と同じく愛子さまと家族3人で過ごされることでしょう」(宮内庁関係者)6月1日には上皇ご夫妻をはじめとする65歳以上の皇族方が新型コロナウイルスのワクチンを接種された。皇族方も国民と同じ基準で進めており、両陛下はまだ接種されていない。「5月30日に島根県で開催された全国植樹祭も、両陛下はリモートで出席されています。ご公務での外出も最小限にとどめ、コロナ禍にあえぐ国民生活を何よりも心配されています」(皇室担当記者)そんな中、菅政権のもとで皇室の未来を左右する議論が進められている。安定的な皇位継承策についての有識者会議が3月から開催されているのだが、その第3回会合で耳を疑うような発言が飛び出した。歴史学者の今谷明氏が、男系男子での皇位継承維持のために、次のような提言を行ったのだ。「悠仁様の後どうなるか。側室制を前提として、なおかつ非常に継承が難しかったことをどうやって維持していくか。ここに書いたように、近代医学の粋を尽くして男子出生を目指すというような医学的なことは当然おやりになったほうがいいと私には個人的に思う。しかし、これはあまり公には出せないことだが、個人的には側室制の代償として近代医学の技術を入れた皇位継承があるべきだというふうに考える」男子出生のために用いる「近代医学の粋」とは、いったい何なのか。本誌は発言の真意を聞こうと試みたが、今谷氏からは「取材はお受けできない」との返答だった。本誌が20年にわたって不妊治療に携わる生殖医療の専門医に話を聞くと「技術的には、着床前診断で受精卵の染色体を調べ、男子の受精卵を子宮に移植すればほぼ100%男子を産むことができる」という。だが、技術的に可能だからやっていいというわけではない。この医師は「男女の選別は倫理的に大きな問題があり、日本産科婦人科学会は性別の検査を目的とした着床前診断は行わないとの見解を出している」とも語る。■「人権侵害といってもいい」性別による“命の選別”につながりかねない「近代医学の粋を尽くして男子出生を」の提言――。“男子を産まねばならない”というプレッシャーは、まさに皇太子妃時代の雅子さまを苦しめた最たるものだった。ご成婚後、両陛下は会見で何度も“お子さまの予定”について質問を受けた。外務省での経験を生かした国際親善を目指していた雅子さまだったが、周囲から求められたのは“お世継ぎ”を産むことだったのだ。雅子さまは、陛下とともに不妊治療に取り組まれた。流産を乗り越え、37歳でご懐妊。待望の第1子となる愛子さまがお生まれになった。しかし、愛子さまのご誕生後も男子出生を求める声はやまなかった。そして’03年12月、雅子さまは体調を崩して入院。長期ご療養となり、適応障害と診断された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんは「雅子さまが適応障害になられた大きな原因は、“お世継ぎ”についてのこと」と語る。「夫婦が子供を持つことについて部外者が勝手に話したり介入したりするのは、一般の家庭ではありえないことで、人権侵害といってもいいでしょう。男子ばかりを求める意見に対して愛子さまは、ご自身が男の子に生まれていればと悩まれるかもしれません。両陛下は愛子さまがそういった自責の念を抱かないように『生まれてきてありがとう』という気持ちをしっかりお伝えになって育ててこられたのです」ご自身が“なんとしても男子出生を”という声に苦しめられたからこそ、悠仁さまと結婚する“未来の皇太子妃”に同じ苦しみを味わわせるわけにはいかない――。雅子さまは、そうお考えになっていることだろう。皇族に迎える女性を一人の人間として尊重するという、当たり前の考え方が抜け落ちているのではないか――。皇位継承問題を話し合うならば、まず雅子さまが苦しまれた過去をしっかり見つめ直すべきだろう。
2021年06月08日5月25日、皇居の紅葉山御養蚕所で蚕に餌を与えるご給桑を行われた雅子さま。ご養蚕は今年で2年目。この日、皇居に向かわれるときの雅子さまは、半蔵門にいた人々の歓声に応え晴れやかな笑顔をされていた。しかし、ご給桑の作業中には幾分緊張されたご様子と感じられた。やはり、明治時代から歴代の皇后が担われてきた行事なだけに、お気遣いもあったのだろう。「桑の葉を全部食べちゃうんですか?」と、5~6センチに育った蚕に枝つきの桑の葉をお与えになる雅子さま。例年なら4種類の蚕をお育てになるが、コロナ禍ということもあり、昨年に続き、今年も日本古来種の小石丸1種類のみを飼育し、規模を縮小して行っている。
2021年06月04日小沢健二が、26年ぶり3カ月連続シングルの第2弾「エル・フエゴ(ザ・炎)」のMUSIC VIDEOを公開した。同曲は中村倫也主演のドラマ『珈琲いかがでしょう』のオープニングテーマに起用されており、ドラマでは小沢健二が本編映像を観た上で各話の内容にマッチするパートを切り出して編集するという楽曲提供のスタイルをとっている。そのためSNS上では、放送のある毎週月曜夜にドラマの展開とシンクロする“今週のエル・フエゴ”についての感想も盛り上がりを見せている。今作のMVは前作「ウルトラマン・ゼンブ」と同様小沢健二本人が監督し、11名のグラフィック・デザイナーから成る“Ozawa Kenji Graphic Band”がデザインするGIFベースの映像となっている。もともと小沢の7歳長男の創作物語をモチーフに生まれたこの楽曲のMVは付随するエッセイ、歌詞、長男によるスケッチ、子どもらを交えた演奏風景とフォトセッションなどが複層的に織り重なった映像作品となっており、見る人は美術、デザイン、音楽、文学、写真などのさまざまなジャンルの芸術を同時に味わうことができる。また小沢は本日5月21日20時からの『ミュージックステーション』2時間スペシャルに出演し、生ギターと生チェロによる「エル・フエゴ(ザ・炎)」フルバージョンを披露する。さらに5月26日に配信リリースされる3カ月連続シングルの第3弾「泣いちゃう。」が、リリース前日の5月25日夜10時に生配信で初演されることが決定。あざやかなグリーンのパーカとマスク姿が印象的なジャケットは小沢健二と言乃田埃(Ozawa Kenji Graphic Band)がデザインし、フォトグラファーの当山礼子が撮影した。配信ライブのチケットはローソンチケットにて本日5月21日18時より発売が開始される。小沢健二「エル・フエゴ(ザ・炎)」MV<リリース情報>小沢健二 配信シングル「泣いちゃう」2021年5月26日(水) リリース小沢健二 配信シングル「泣いちゃう。」ジャケット配信シングル「エル・フエゴ(ザ・炎)」2021年4月21日(水) リリース小沢健二 配信シングル「エル・フエゴ(ザ・炎)」ジャケット関連リンク小沢健二 公式サイト:小沢健二 公式Twitter:小沢健二 公式Instagram:小沢健二 公式YouTube:小沢健二 公式TikTok:
2021年05月21日淡いみどりの装いで4月23日、天皇陛下と令和初開催の「みどりの式典」に出席された雅子さま。このご公務は上皇ご夫妻から引き継がれたもの。昨年は新型コロナウイルスの影響で中止になったが、今年は出席者を極力少なくして開催されることになり、両陛下は初めての参加となった。雅子さまが選ばれたのは、2年前の6月、令和初の地方ご公務となった愛知県での全国植樹祭でもお召しになったスーツ。緑化推進の場に合わせられた色がよくお似合いだった。「女性自身」2021年5月11日・18日合併号 掲載
2021年05月08日雅子さま皇后3年目へ――豪華な装いを総ざらい!「和ごころ光るドレスコレクション」と題して、ロイヤルファッションの中でも特に注目される華やかなドレスの“和の心”が麗しい装いのポイントを解説。解説してくれたのは、皇室をはじめ、セレブの装いにも幅広い知識を持つ石原裕子さん。■ティアラを際立たせる「ローブ・デコルテ」ローブ・デコルテは豪華なティアラやネックレスを際立たせるためのドレス。胸元や腕など肌の露出も多くシンプルに作られている。【’93年】ご成婚布地は金糸、銀糸を織り込んだ明暉瑞鳥錦(めいきずいちょうにしき)。ノースリーブと、ダイヤモンド形にカットされた胸元に新妻の若々しさが感じられる。【’19年】即位後朝見の儀半袖にハート型のVネックと皇后らしい落ち着きのあるドレスに、第一ティアラとネックレスを。■細部に気品が宿る「ローブ・モンタント」フォーマルな海外王室の式典では、ハイネックに長袖、ロングスカートで肌の露出を抑えたスタイルに。細かくあしらわれた刺繍やビーズで気品をプラス。【’13年】オランダ王国即位式シルクジャガードの光沢が印象的な布地。とても軽い素材で、歩くとスカートの揺れが優雅。共布のトーク帽で統一感を。【’15年】トンガ国王戴冠式ペイズリーをイメージさせるレースのドレス。花びらのようなデザインの襟、胸元の金糸、銀糸を使った刺繍でゴージャスに。■宝石のような「海外ご訪問ドレス」【’94年】カタール・ハマド宮殿ルビーのような色合いのシルクに、胸元から腰、袖に鮮やかな金糸とベビーパールで立体的に入れられた刺繍が豪華。【’94年】カタール・ラヤーン宮殿雅子さまの誕生石、ターコイズの色合い。胸元と袖口に天から差し込む光のような飾りを。【’94年】サウジアラビア・ヤマーマ宮殿肩を膨らませた袖、裾にフリルを重ねたスカート、エレガントなブルーサファイアの装い。【’95年】アラブ首長国連邦・ムシュリフ宮迎賓館裾へ滝のように流れる左腰の大きなリボンが、ベビーピンクと相まって、女性らしさを演出。【’95年】クウェート・バヤーン宮殿和服の裏地に使われる紅絹色のドレス。白いショールを羽織られ、日の丸をイメージ。【’95年】ヨルダン・ナドワ宮殿金糸で花模様を刺繍した厚みのあるレース素材の左上半身。右肩から裾にかけてはサリーのようにサテンのシルクを重ねて。■賓客をもてなす「晩餐会ドレス」【’93年】東京サミット各国首脳ご成婚の翌月、初の皇室外交の場でお召しになったアップルグリーンのシルクドレス。レースの花が飾られた繊細な作りで新妻らしく。【’14年】オランダ国王アール・デコ調のティアラ、ネックレスに優しい印象のドレスを。【’15年】フィリピン大統領レースの持つ繊細さを上手に演出。華美になりすぎない装い。【’19年】アメリカ大統領ニューヨークの州花・バラをあしらったジャケットで、令和初の国賓・トランプ大統領をおもてなし。■雅子さま流、着こなしポイント5ご成婚以来、雅子さまはカラフルな色のお召し物でよくお出ましになっていました。それが強く感じられたのが、ご成婚の翌年から天皇陛下(当時は皇太子)と2度訪問された中東諸国でのドレス姿。このときの色鮮やかなドレスを、ご訪問先で見事に着こなしていらした雅子さまはとても素敵でした。それからお年を重ねられ、平成から令和への御代替わりとなる前、そして皇后となられてからの雅子さまは、優しい淡い色合いのドレスが多くなりました。特に賓客のおもてなしなどでは、決して華美な装いはされません。けれどもその装いは一見すると無地に見える布地にも金糸、銀糸が織り込まれていたり、繊細な刺繍で装飾されていたりと、ミセスらしい落ち着きに優雅な風格をたたえているのです。雅子さまのドレスには、よく見られる5つのポイントがあります。1つ目は、ハイネックやタキシードを思わせるウイングカラー。2つ目は、ふっくらとした肩から袖口に向かって細くなるレッグ・オブ・マトン・スリーブ。3つ目は、アシンメトリーに左腰に寄せたドレープ。4つ目は、左腰にボウで結んだリボンや飾り。5つ目は、滝のように流れ落ちるカスケードライン。この5つの特徴がよく表れているのが、ご成婚後の饗宴の儀でお召しになっていた淡いオレンジのドレスでした。さらに、ドレスのスカートを着物のように重ねるデザインや地紋のある絹地からは、和のテイストが感じられます。これは、日本のさまざまな伝統美を上手に取り入れていらした美智子さまの装いから引き継がれたものです。その和のこころを、雅子さまは独自のデザインで継承されています。これからは華美になさらなくても格調の高い、皇后らしい装いが増えてくると思います。コロナ禍で賓客の接遇や外国へのご訪問がなく、新しいドレスを拝見できないのが残念ですが、今後が楽しみです。(石原さん)(写真:本社写真部/雑誌協会代表取材/宮内庁提供/時事通信/朝日新聞社)「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月19日「雅子さまが3回連続してお出ましを直前に取りやめられたのです。こんなことは、2年前に皇后になられてから初めてなので、とても心配です……」そう語るのは皇室担当記者。最初の異変は、4月3日だった。「『神武天皇祭の儀』ご出席のため、天皇陛下とご一緒に皇居へ行かれる予定でした。しかし当日、雅子さまは突然欠席されることになったのです。さらに6日には天皇陛下や愛子さまとご一緒に皇居の『旧吹上仙洞御所』を訪問される予定でした。近々、ご一家は皇居にお引っ越しすることになっているので、改修工事が終わった“新居”の視察をする予定だったのですが、これも直前に、翌日への延期が決まりました」だが、翌7日も視察は行われなかった。この日も直前に取りやめとなり、“3連続キャンセル”になってしまったのだ。「雅子さまは、体調を崩されていたそうです」そう語るのは宮内庁関係者。「3月下旬には、コロナ禍で延期されていた『講書始の儀』や『歌会始の儀』が催され、そのお疲れが残っているのかもしれません。ただ、それに加えて“小室さん文書”の影響も否定できません。今回の文書は8日に発表されましたが、数日前には秋篠宮ご夫妻に渡されていたようです。そして秋篠宮家は侍従職を通じて、両陛下にも文書の内容を報告されていたのでしょう。その内容に、雅子さまは少なからず衝撃を受けられたはずです。天皇陛下は2月の誕生日会見で『多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております』とおっしゃっていました。しかし、小室さんの文書は自己弁護に終始しており、陛下の願いを完全に無視したものといっても過言ではなかったからです」雅子さまを支える医師団も、昨年12月に《依然としてご快復の途上にあり、ご体調には波がおありです》と報告している。今後、眞子さまと小室さんの結婚が実現に向けて動きだすことで、皇室全体に対しても、国民の反発が強まる可能性も高い。雅子さまにとって、さらなる心労にならなければいいが……。「女性自身」2021年4月27日号 掲載
2021年04月13日小沢健二が4月20日20時より配信ライブ『マイクロ魔法的』を開催することが急遽決定した。26年ぶり3カ月連続リリースシングルの第2弾「エル・フエゴ(ザ・炎)」のフルサイズが初披露される今回の配信ライブは、新しい曲はリスナーの目の前で、生で届けたいという小沢の強い願いから実現したショートライブで、録音や打ち込みは使わずにすべて生音で届けられる。1回目の演奏は小沢のギターのみ、2回目は読売交響楽団のソロ・チェロ奏者である遠藤真理が加わる予定で、カメラマンは前回の配信と同じくファッションフォトグラファー・守本勝英が務める。チケットはローソンチケットで本日4月12日21時より発売がスタートしている。同ライブの翌4月21日に配信リリースされる同曲は、テレビ東京系で放送されている中村倫也主演ドラマ『珈琲いかがでしょう』のオープニングテーマ。あたたかな癒しを提供するかに見えて深く苦い過去を持つ主人公を描いた同ドラマを体現したような楽曲に仕上がっている。3月にリリースされた「ウルトラマン・ゼンブ」は小沢の4歳次男の発想が元になっていたが、新曲「エル・フエゴ(ザ・炎)」は7歳の長男が考えた想像上の人物がモチーフとなっており「ゼンブ」と「フエゴ」は文字通り兄弟作となっている。さらに小沢の楽曲としては初のハイレゾ配信が行われることも決定し、高音質で同曲を楽しむことができる。なお今作のジャケット写真は「ウルトラマン・ゼンブ」MVを撮影した当山礼子による長男・凜音くんのポートレートで、合わせてトラッドな白いシャツに黒いネクタイという息子と同じスタイリング、同じ構図となる小沢の最新アーティスト写真も公開された。<ライブ情報>小沢健二 配信ライブ『マイクロ魔法的』4月20日(火) 20:00~スタート<リリース情報>小沢健二 配信シングル「エル・フエゴ(ザ・炎)」2021年4月21日(水) リリース小沢健二 配信シングル「エル・フエゴ(ザ・炎)」ジャケット関連リンク小沢健二 公式サイト:小沢健二 公式Twitter:小沢健二 公式Instagram:小沢健二 公式YouTube:小沢健二 公式TikTok:
2021年04月12日晴れやかな笑顔で手を振り周辺の桜が美しい半蔵門を通られた雅子さま。3月26日、淡い水色のロングドレスをお召しになって皇居で催された歌会始の儀に臨まれた。雅子さまは《感染の収まりゆくをひた願ひ出(い)で立つ園に梅の実あをし》と、新型コロナウイルス感染症の収束を心から願うお気持ちを御歌で表され、国民にお心を寄せられた。この歌会始の儀は講書始の儀に続いて1月中旬に行われる宮中の新年の儀式。だが、今年はコロナ禍のため約2カ月も延期され、出席者も大幅に抑えて全員マスクをつけての開催となった。さらに、歌を詠み上げる講師や講頌などはフェースシールドをつけ、机にアクリル板を立てるなど、完全な感染防止対策が施されていた。「女性自身」2021年4月13日号 掲載
2021年04月03日中村倫也主演の新ドラマ「珈琲いかがでしょう」にて、“オザケン”こと小沢健二の新曲「エル・フエゴ(ザ・炎)」がオープニングテーマに決定。小沢さんがドラマのテーマ曲を担当するのは、なんと25年ぶりとなる。中村さん主演、夏帆、磯村勇斗共演で“幸せを運ぶ珈琲物語”を描いたコナリミサト著の名作漫画を、『かもめ食堂』の荻上直子の監督・脚本で実写化。初回放送が目前に迫り、SNSではさらに盛り上がりを見せている本作。一方、今年に入り、予定していたアリーナツアー、日本武道館公演が中止に。その代わりとして3か月連続シングルリリースを発表し、3月9日に第1弾の「ウルトラマン・ゼンブ」が配信されたばかりの小沢さん。今回の「エル・フエゴ(ザ・炎)」は、その連続リリースの第2弾にあたる楽曲。ライブはなくなれど意欲的に創作活動する小沢さんが新たに創り上げた、物語の雰囲気にぴったりなオザケン節で、ドラマのオープニングを盛り上げる。さらには、ドラマのストーリーが進むにつれ、楽曲の使用箇所が変わっていくという情報もあり、要注目。「武道館での一人コンサートのために『エル・フエゴ(ザ・炎)』を書き終わった頃にこのドラマのお話をいただき、原作漫画を読み進むにつれて、本当に驚きました。『珈琲いかがでしょう』と『エル・フエゴ』は、怖いくらいテーマが似ていたからです」と小沢さん。「どう似ているかは、ある日ドラマを見ているあなたに『あっ!』とわかり、ドラマ終盤、あなたはきっと(ピー:機密保持のため伏字)でしょうし、僕もきっと(ピー)でしょう。考えてみると、もしドラマのために曲を作っていたら、ここまで強烈にシンクロはしなかった気がします。別々の空間で、意識せずに生まれたから、4月から一話一話共振していく『珈琲』と『フエゴ』の、美しい関係が生まれたと思っています。真実は共振する」と、意味ありげにコメント。「オープニングは今や、スキップされるもの。そこでオープニングテーマの形を(おそらく毎回)変えていこうと思っています。めっちゃめちゃな回もあったら素敵です。スキップした人は気がつかない。笑」と明かす。「7歳長男の発案から生まれた」という新曲「エル・フエゴ」は「今月始まった3ヶ月連続シングルの第一弾『ウルトラマン・ゼンブ』が4歳次男の発案であるのと、文字どおり兄弟作です(『エル・フエゴ』は第二弾)。子どもを題材にするのではなく、子どもの時空に入りこんで一緒に書く、という手法です。それがなぜ『珈琲』と共振するのか?それは(ピー)は(ピー)であり、(ピー)だからです!役者、制作陣も最高。ドラマ、一回も見逃すのはナシです。No Skip Introで!」と、念を押して(?)コメントを寄せている。「珈琲いかがでしょう」は4月5日(月)23時6分~テレビ東京、テレビ大阪、テレビ愛知、テレビせとうち、テレビ北海道、TVQ九州放送にて放送スタート(※初回~第3話は5分拡大)。(text:cinemacafe.net)
2021年03月23日東日本大震災の発生から10年となる3月11日、天皇陛下は東京・国立劇場で開かれた犠牲者の追悼式に雅子さまとともにご出席。陛下は被災地、被災者へ寄せる思いを述べられた。「復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています」10年という長い歳月が経った今でも、復興は道半ばであり、さまざまな課題を挙げられて“震災は現在も続いている”と強調されたのだ。震災を風化させまいという強いお気持ちが伝わってくる。異例の長さともいえる6分間にわたるお言葉は、雅子さまとご一緒に、10年間の被災地訪問を振り返りながら、追悼式の直前まで推敲を重ねなられたという。その表れとして、お言葉のなかでは、「皇后と共に」と2度も言及されている。「私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています」「私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」陛下はこれからも雅子さまと“二人三脚”で、被災地に心を寄せていく意志を示されたのだ。これまで両陛下は皇太子ご夫妻時代に、被災した岩手、宮城、福島の3県を3回ずつ訪問されている。追悼式を前にした3月4日には岩手県、3月17日には宮城県の被災者たちとオンラインで懇談された。今後、福島県へのオンライン訪問も検討されているという。陛下は今年2月のお誕生日会見で、こう述べられた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」10年を節目、区切りと考えるのではなく、さらなる復興のスタートとしてとらえるためにも、陛下と雅子さまが被災地を再訪される日が待たれる――。
2021年03月19日東日本大震災から10年を迎えた3月11日、天皇陛下と雅子さまは追悼式に臨まれる。雅子さまは毎年のお誕生日のご感想で、陛下とご一緒に「被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思います」などと今なお被災地を気遣われ、復興を願う思いをつづられてきた。また、皇太子妃時代には被害の大きかった東北3県の被災地を3回ずつご訪問。そのご交流のなかでのお気持ちを、折に触れ和歌に詠まれている。《春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く》’96年春、福島県土湯温泉町を訪ね、仁田沼周辺を散策された両陛下。震災の年に、その美しい自然に思いをはせ詠まれた御歌。《悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり》岩手県釜石市をお訪ねの際、釜石湾が静かに凪ぐ様子をご覧になり、地域の人々の悲しみが癒されていくよう願われた。《ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む》事故を起こした福島第一原発に近い広野町の福島県立ふたば未来学園高等学校の授業をご覧になり、生徒たちの真摯ですがすがしいまなざしの印象を詠まれた。《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》津波被害の大きかった宮城県名取市閖上地区などをご視察。新しい災害公営住宅に入居した被災者の喜びの声に安堵され、さらなる復興を願われて詠まれた御歌。今年3月に入って以降、両陛下は被災地により深く心をお寄せになっている。1日には赤坂御所で復興庁の事務次官らから復興状況に関する進講を受けられ、4日には赤坂御所と岩手県の釜石市、陸前高田市とをリモートで結び被災者らの代表6人とお話を。雅子さまは、一人ひとりのお話をじっくりと聞かれ、声をおかけになるなどの交流をされていた。コロナ禍の今はリモートでのご交流しかかなわないが、近い将来、陛下とともに被災地をご訪問され、慈しみの心を皇后の御歌として詠まれることだろう。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月17日東日本大震災から10年となる3月11日、天皇陛下と雅子さまは政府主催の追悼式に出席される。コロナ禍で被災地へ足を運ぶことは難しい状況だが、両陛下は3月4日にも岩手県の陸前高田市と釜石市をオンライン訪問されるなど、被災地した人々の力になりたいという強い思いをお持ちだ。これまで、雅子さまは被災地の未来を担う次世代の子供たちのことを気にかけてこられた。’15年10月には、この年の4月に開校した福島県立ふたば未来学園高校をご視察。生徒たちが「2030年に直面する地域課題解決に向けた取り組み」をテーマに話し合う様子を見学された。雅子さまはこの年の誕生日に、次のような感想を綴られている。《震災前よりも一層輝く福島県にしたい、将来ふるさとに戻って地域のために貢献したい、という前向きな気持ちにあふれた高校生の言葉に接し、嬉しく、また心強く思いました》「雅子さまは本当に明るいご表情で生徒たちとお話しされました。生徒たちの話には真剣に耳を傾けられ、活動目的、学校生活などについて聞かれていました。陛下と雅子さまが参加された“特別授業”は生徒たちにも大きな経験となったのではないでしょうか」(皇室担当記者)雅子さまはこのときのことを翌’16年の歌会始の儀で《ふるさとの復興願ひて語りあふ若人たちのまなざしは澄む》と詠まれている。当時高校1年生で、現在はふたば未来学園高校の同窓会会長を務めている新妻留菜さん(21)に改めて話を聞いた。「天皇陛下からは『震災のとき、どういう状況でしたか?おうちの人たちは大丈夫でしたか』とお声がけがありました。生徒会の書記の仕事にやりがいを感じていますとお話しすると、陛下は『頑張ってください』と、励ましてくださいました」新妻さんは、雅子さまが生徒たちに向けて語られた言葉が印象に残っているという。「あの日雅子さまがお話しになった『震災に遭ったこの地域の復興のために頑張ってください』という言葉が、いまの自分の生き方にも影響していると思います。地域復興のために頑張りたいという意志が強くなったように感じます。雅子さまにお会いした翌年のお歌は嬉しかったです。自分たちの高校というだけでなく、被災地の福島のことを詠んでくださった。そして今も被災地の福島、宮城、岩手の3県のことを気にかけてくださっている……。天皇陛下と雅子さまが、10年という月日がたっても震災を忘れずにいてくださっていることは、本当にありがたいです」その新妻さんは、元々は女優になりたいという夢を持っていたが、震災後に避難所などで看護師や医師の方たちに助けてもらったことで、将来は看護師になりたいと思ったという。そして、現在は、地元の看護学校で学んでいる。その励みとなっているのが“復興のために頑張ってください”という雅子さまの言葉なのだ。「震災のときは、全国各地から来てくださった人たちに助けてもらいました。もし今後、どこか違う地域で大災害が起こったときには、今度は看護師として私が助けに行けるようになりたいと思っています」天皇陛下は先月の誕生日会見で、次のように語られていた。「私も雅子も、今後とも被災地の方々の言葉に耳を傾け、被災された方々の力に少しでもなれるよう、被災地に永く心を寄せていきたいと思っています。そしてまた、機会があれば、10年を超す歳月を経た被災地を訪れてみたいと願っております」3月11日には政府主催の追悼式が開催され、両陛下が出席される予定となっている。両陛下はこれからも、被災地の人々にエールを送り続けられることだろう――。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月11日26年ぶりに3カ月連続シングルリリースを行う小沢健二が、第1弾『ウルトラマン・ゼンブ』発表にあたり、初監督を務めたミュージックビデオを公開した。このMVは、自らCDのジャケットデザイン等も手がける小沢が、GIF動画制作の際に用いてきた手法を進化させてつくったもの。「グラフィックデザインと音楽の融合」という、これまでにない斬新な映像表現に仕上がっている。小沢はこのMVについて、「『〇〇を真似て』とかいうネタは一切なく、作り方から自分で作りました。オリジナルでいいんだ、変な発想でいいんだ、ということを伝えたいとも思った」と語る。小沢は2月7日にInstagramを通じてプロのグラフィックデザイナーを公募。その1カ月後の現在に公開、というスピード感で『ウルトラマン・ゼンブ』のMVは完成した。グラフィックデザイナーをSNSで募った経緯について、「僕は自分のリスナーに対して絶対的に信頼しているから」と小沢は語る。リスナーに対して呼び掛ければ、きっとこの仕事にふさわしい人が来てくれる、絶対に大丈夫、と信じていたとのこと。今回、 ”Ozawa Kenji Graphic Band” として集結した11人のグラフィックデザイナーは、うち女性が4名、年齢も21歳から49歳までと幅広い。300名近い候補者の中から、今回のMVのテーマにフィットするという基準で選ばれたのは、昨年ハンドソープ「キレイキレイ」のリニューアルを手がけたグラフィックデザイナーの多嘉山ゆりあ、RADWIMPS『君の名は。オーケストラコンサート』など音楽や映画のアートワークで知られる寺澤圭太郎、Eテレ『ピタゴラスイッチ』『2355』などの映像作品を世に送り出してきた石川将也、PIZZA OF DEATH RECORDSのロゴデザインや、Hi-STANDARD「MAKING THE ROAD」のジャケットデザインでも知られ小沢と長く共作しているダイスケ・ホンゴリアン、インストバンド「neco眠る」のドラムも担うグラフィックデザイナー・三木章弘ら、プロフェッショナルの面々だ。つくり手の「多様性を確保したかった」ことが公募した理由の一つだというが「この、素晴らしい人たちが集まって力を出してくれるということ自体が、僕がこれまでやってきたことの『ゼンブ』と思っている」と、新曲の歌詞にある「ぼくの『ゼンブ』賭け」になぞらえて小沢は話している。MVでは全編にわたり、『ウルトラマン・ゼンブ』の歌詞がメロディに合わせて寸分のズレもなくグラフィックデザインで表現されている。歌詞に含まれる漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットの文字を分解して再構築し、楽曲にシンクロさせてビジュアライズした、独自の映像世界となっている。MVには小沢のふたりの息子が登場しており、ジャケットにも彼らの写真やシルエットが採用されている。<以下、小沢健二本人へのインタビュー>――ミュージック・ビデオの構想はいつ頃生まれた?もともとSNSに載せるためによくGIF動画(以下GIF)をつくっていたんです。GIFって数枚のグラフィックを連続させて「動く絵」を作るのですが、作りながら一度インスタでコメントしたんだけど、「静止画にリズムをつける」という感じなんですよ。そう考えると現代音楽のようで、面白いんです。それでGIFを作りながら、「動画とは静止画が時系列に並んだものだ」という根源的なことがよくわかって、「じゃあ、こう作ればおもしろいのでは?」とオリジナルな方法論を思いついたんです。それを具現化したのが、このMVです。見た人には「こんなMVない」と言われるのですが、正に、ないものを作ろうとしました。この10年ほどCDジャケットなどのアートワークを自分でやってきたから、デザインと音楽の関係を、どちらも手を動かして自分で作業しながら、やっぱり考えていた。その中でGIFづくりからアイデアが生まれたんだけど、アイデアの実現にはものすごい枚数のグラフィックが必要で、しかも良いデザインじゃないといけないし。だから高いレベルのグラフィックデザイナーが何人も必要で、リスナーを信じて公募しました。そしたらやっぱりとても高いレベルの人たちからたくさんの応募があって、ものすごい数のポートフォリオを拝見しながら「こんな人たちが聴いてくれてるのか!がんばろ!」と思いました。応募してくださった方、今回はお願いしなかった方々も含め、本当に光栄で、感謝でいっぱいです。――1カ月という短期間でどのように制作したのかそれはもう今ですから、全員でZoomとSlack(ビジネスコミュニケーションツール)を駆使して(笑)。僕と11人のグラフィックデザイナーとがいて、朝6時まで作業している人がいる一方で、朝6時に起きて「おはよう」って入ってくる人とがいて、このプロジェクトは24時間ぶっ通しで動いていました。みんな東京、大阪、富山とそれぞれの拠点に散らばっていて、会わずにどんどん進んでいく。グラフィックデザインを連続させて音楽みたいな映像作品をつくる、という手法自体は僕は自信があったのですが、実際にきちんとできたのは、僕の方法論も当たっていたのだろうけど、なんせみんなのスキルと才能と、そして人間性が最高だったからです。みんなで24時間Slackで話をしながらつくっていくのは本当に楽しかった。なんか、Slackアートという感じはあります。今まで存在しないタイプの映像作品を作るのだから、Slackに雑談チャンネルを作って、そこでの雑談で技術を開発していきました。7歳長男とかも雑談に乱入してきて、そういうエネルギーが作品に影響していったなあと思います。朝起きたメンバーは通知が100とか来てる。(笑)毎日デザインのファイルを僕もふくめてみんなで回して、どんどん技術と理解を深めていきました。――デザインチーム名は ”Ozawa Kenji Graphic Band”これ、本当に「バンドやってるときと一緒だ!」と思ったんですよ。お互いに信用し合って、闇の中を進んでいく。「きっとこうやればこうなるはず」と想像図は僕の頭の中にあるわけだけど、これまで世の中にないもの、見たことないものをつくっているわけだから、手探りで闇の中を進んでいくようなんです。その闇の中で、絶対誰かがいいことを思いつく。その光で、また進んでいく。グラフィックバンド内でいくつもの「歴史的瞬間」がありました。だいたい朝4時くらいに(笑)あと、みんなプロなので、誰かがポーンと新しいものを出してきたときに、何をやってこうなっているのか、お互い即座に理解し合えるんですよね。今回のメンバーは1人を除いてGIFなんて作ったこと、ほとんどなかったんですよ。GIF動画は一般的にアマの世界で、デザイナーのみんなは普段、もっとプロの世界のデザインをしてるから。でもアニメーションやモーショングラフィックではなく、「グラフィックデザインが動く」ということを11人みんながイメージしてくれて、GIFというローテクで、DIY的で、「アマの世界」のものに興味を持つ心の広さがあったから、これだけの時間で作品ができあがった。――どのような形で指揮をとった?絵は動かすけれど、「アニメーションにならないように、コマ撮り作品にならないように、モーショングラフィックにならないように」というのは最初からお願いしていました。既視感がない、新しい「動くグラフィックデザイン」である、ということをテーマにして。そして、「しばり」をいくつもお願いしました。プロだからこそ、しばりを楽しんでもらえると思って。(笑)最終的にできた形は、僕が「こうなるはず」と想像していたものを超えていて、それは本当に、11人のデザイナーの創造力と人間性の賜物です。あと僕のライブのスタッフで、本職は映像で、僕の現場では別の仕事をしている女性がいるのですが、ライブが中止になっても、彼女といつもと違う形(編集)で仕事ができたことは最高でした。このMVのための写真撮影も、僕のライブの舞台監督にお願いしたので、ライブの代わりにMVを作っている感覚はありました。――単独ではなく複数のグラフィックデザイナーが参加した理由は?この『ウルトラマン・ゼンブ』はそもそも4歳の子どもが言い出したこと(小沢の次男が考えた、歴代ウルトラマンの特徴を「ゼンブ」兼ね備えた最強のウルトラマンのこと)からできあがった曲なので。子どもってすごく多面的な存在ですよね。不思議なほど老成したところ、残酷なところもあれば、素直さ、可愛らしさもあって。だからそこから生まれたこの曲も、多様なビジュアルでなければ、と考えたんです。だから多様なデザインができる、多様なデザイナーが必要でした。あと単純に、一人でこれだけの量のGIFは作れません!(笑)多様なバックグラウンドとかタッチが必要だったので、300人近い応募の中から、タッチが「かぶる」方は、才能・実績バリバリでも泣く泣くはずしました。お断りをするのが本当に残念でした。――若い、新しいリスナーの反応をどう受け止めているか自分と感覚の近い人が、現在の作品、そして過去につくってきたものをアンテナに引っ掛けて、応えてくれていると感じています。素晴らしい人たちに届いている。気持ちが近い、友人のような人たちに。もうずっとプロモーションらしいプロモーションはしていないにもかかわらず。これは本当にうれしい、ありがたいことですね。若い人というと、今回公募の呼びかけに応えてデザイナーとして手を挙げてくれた、21歳の言乃田埃(いいのだ・ほこり)さんや25歳の多嘉山ゆりあさんがいい例です。ライフが出た時には生まれていなかったりするのに、うれしいことに僕のリスナーで、同時に才能に溢れていて、スキルも超絶で、僕と感覚が近くて。そういう人たちと友人になって、直接やりとりしてものをつくり上げるというのは、本当にうれしい経験です。――MVのさまざまな日本語の表現について「日本語だからできることを意識する」っていうのも、最初からありました。日本語だからこそできるグラフィックデザインってなんだろう?って。日本語のリリックビデオって、何がかっこいいんだろう?と。そのお題にみんなが応えてくれた形です。あとはみんなで研究していくうちに、この映像作品は「詩」なんだなぁということは感じました。あと、大阪のモリサワフォントにうかがわなければいけない、ということも。(笑)――GIFをベースにしている理由は?GIF動画って英語圏でのネットコミュニケーションではかなりメジャーな位置にあるんですよ。日本語のネットコミュニケーションだと、みんなスタンプや絵文字を気軽に、そしてすごく繊細に使い分けてるじゃないですか。それに相当するものが英語圏だとGIFというところがあって。インターネットミームではGIFって欠かせないものだし。だから僕の英語圏の生活では、GIFはめちゃくちゃ身近なものです。だから前からGIFを作っていたのですが、今回、日本文化の優れたデザイン感覚でGIFにアプローチすると新しいGIFの世界ができるのではないか……、という話はしました。世界のGIF界に衝撃を与えるようなものがつくれた気がします。(笑)――自分の手を動かすことにこだわる理由は?僕は若い頃から自分で会社をつくって音楽活動をやってきていて、そのこと自体がDIY感覚あふれることなんだと思う。ライブの演出だとか、ジャケットやグッズのデザインだとかを自分で舵取りするのは、実は一番自分が、無理をしない形です。そして手を動かすと、理解も深まります。今回こんなに大胆に一流のグラフィックデザイナーを集めることができたのも、僕自身が一応ソフトウェアがいじれるから、みんなの共通言語で、提案ができる自信がありました。手を動かすのが好きなんです、要するに。手を動かして損はない。(笑)――26年ぶりの3カ月連続シングルリリースについて僕は日本とアメリカとを行ったり来たりする生活を送ってきて、ある意味アメリカにいる間は仕事のスイッチは切れているんです。それがコロナで行き来ができなくなって、ずっと東京にいる。だからずっと仕事しちゃう。(笑)真面目にいうと、その理由からだけじゃなくて1995年に『強い気持ち・強い愛』、『戦場のボーイズライフ』、『さよならなんて云えないよ』『痛快ウキウキ通り』とかを出していたときみたいな、「仕事しなきゃ」「つくらなきゃ」っていう気持ちがいまはある。世の中の状況も、1995年(注:阪神大震災や地下鉄サリン事件のあった年)とちょっと似ているし、その中で、つくらなくちゃ、という気持ちはあります。――コロナで制作体制が変わったという影響は?『ウルトラマン・ゼンブ』などの曲は、コロナの中で発展させた、「新しい弾き語り」と呼んでいます。これをアリーナで、一人でやるはずだった。そういう新しい弾き語りだから、新しい映像がつくのが当然と思いました。曲のつくり方自体がこれまでとは大きく変わっているので。見たことのない、新しい映像を作りたいという気持ちになったというのはあります。「新しい弾き語り」曲のつくり方とこのビデオのつくり方は、似ています。この『ウルトラマン・ゼンブ』も他にできている曲も、もともとはライブのためにつくっていた新曲だったので、(アリーナツアー中止の代わりにシングル発売を決めて)短期間でレコーディングクオリティに持っていくのは大変だったけれども。コロナになって、なるべくミニマムな人数でやらないといけないという制約の中、新しい、超少人数でできる音楽のかたちではあります。でも、30何人でやる音楽を追求してからの弾き語りだから、ただ弾き語りをするのとは、理解もアプローチもちがいます。そういう意味で「新しい弾き語り」です。このMVで何よりうれしかったのは、一緒にやってくれたグラフィックデザイナーたちが、明るい気持ちになっていくのがわかった。これは僕も含めてですけど。それが今回の制作で得た、最強に最高のものです。そういう「みんなが明るい気持ちになるような、へなちょこな作品(笑)というのは、最初の段階から強く思っていました。それがうまくできたと思っています。Ozawa Kenji Graphic Band言乃田埃石川将也大西裕二(フィヨルデザイン)小沢健二お豆腐佐藤豊ダイスケ・ホンゴリアン多嘉山ゆりあ田口陵(CIDER INC.)寺澤圭太郎三木章弘山下ともこ■リリース情報『ウルトラマン・ゼンブ』作詞・作曲:小沢健二配信日:3月9日(火)購入はこちらから
2021年03月09日天皇誕生日に胸元の刺繍が美しいロイヤルブルーのロングドレスをお召しになり、皇居へと向かわれた雅子さま。天皇陛下が61歳を迎えられた今回も、昨年と同じようにコロナ禍のため天皇誕生日の一般参賀は中止に。さらには駐日大使らと懇談する茶会の儀なども取りやめ、祝賀行事も出席者を縮小して催された。雅子さまは、お気に入りのドレス姿で皇居・宮殿で祝賀行事にご出席。皇后としてのお務めを果たされた。陛下は、お誕生日にあたり雅子さまについて「雅子は私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手となってくれております。私も、今後ともできる限り雅子の力になり、支えていきたいと思っています」と愛情深くお話に。夜には、両陛下と愛子さまは家族水入らずでお祝い御膳を囲まれた。「女性自身」2021年3月16日号 掲載
2021年03月07日俳優の小沢道成が、作・演出・美術までも手がける演劇プロジェクト「EPOCH MAN」。2019年に初演されて好評を博した舞台『夢ぞろぞろ』が2021年2月19日(金)から、下北沢・シアター711で上演される。本作は、小沢と田中穂先(柿喰う客)による二人芝居。とある駅の売店で働く60歳の夢子(小沢)と、ある日電車に乗ることができなくなった27歳の夏目(田中)の物語だ。呼吸が荒く、何やら様子がおかしい夏目。駅の売店に立ち寄って、飲み物を買おうとするが、いくら呼んでも店員はいない様子。困った彼はカウンターにお金を置いて、お茶を飲み干す。すると突然、店員の夢子が現れて、夏目が万引き犯だと騒ぎ立てる。くすりと笑わせるコメディ作品。かと思いきや、過去と現在を鮮やかに行き来して、一気に緊張感が走る場面もあって……。コロナ禍ですっかり忘れていたが、思えば、街には、見知らぬ者同士が交わす他愛もない会話であふれていた。電車で隣に居合わせた人、落とし物を拾ってくれた人、同じ空間で同じ作品を楽しんだ人。たまたま交わした会話で、心が温かくなったことも、背中をそっと押されたこともあった。本作の夢子と夏目のような会話が懐かしくも、羨ましくも、微笑ましくも思えた。脚本は初演の時から変えていないそうだが、初演をご覧になった方でも、きっと違う見え方をするのではないか。小沢が手がけた美術もいい。舞台中央に、どでんと置かれた箱型の売店。飲み物やお菓子などが所狭しと陳列されていて、壁には「カラオケ1曲30円」なんていう貼り紙も見える。精巧に作り込まれた「箱」がくるくる回転することで、過去と現在を行ったり来たりしながら、物語は加速していく。物語をより魅力的なものにさせる美術だった。なお、パンフレットも力作である。小沢自身の創作日記が書かれているほか、宮崎吐夢との対談もあって、読み応え十分。本作の「続編」で、昨年6月に本多劇場での一人芝居無観客生配信「DISTANCE」内で上演された『夢のあと』(小沢出演・脚本・演出)の脚本も併せて掲載されている。作品が生まれていった過程が垣間見えるので、観劇の際はぜひ合わせて読んでみてほしい。上演時間は約75分(“換気タイム”はあるが、休憩はない)。公演は28日(日)まで。チケット発売中。取材・文・撮影:五月女菜穂
2021年02月22日小沢道成が主宰するEPOCH MAN『夢ぞろぞろ』が2月19日、下北沢・シアター711にて開幕した。今作は2019年8月に上演し好評を得た小沢と田中穂先による2人芝居の再演で、小沢演じる駅の売店で働く60歳の女性・夢子と、田中演じる電車に乗ることができなくなってしまった青年・夏目が織り成す物語。夢子が夏目に語り聞かせる記憶は、ささやかだけれども温かみに溢れ、見ている人々にとって明日を前向きに生きていく原動力となる。過去と現在が行き来するシーン展開に合わせ、ぐるりと回転する舞台美術も小沢自身が手掛ける力作だ。さらに2021年8月13日より下北沢・駅前劇場にて新作公演『オーレリアンの兄妹』の上演も決定。出演・音楽に、ミュージシャンでありながら女優としても映画や舞台で活躍中の中村中を迎え、現代を生きる‟ヘンゼルとグレーテル“をテーマに物語を展開する。こちらも期待してほしい。小沢道成 コメント昨年6月、本多劇場グループPRESENTS『DISTANCE』で上演した『夢のあと』は、この『夢ぞろぞろ』に登場する60歳の女性の“その後”を描いた一人芝居でした。今の世界と同じ“大切な場所を無くした”女性という設定です。その女性にとって長年働いてきた駅の売店は、中学校時代からの大切な思い出がたくさんある場所でした。それが無くなったのです。2021年の今、僕の目の前には、美術である駅の売店があります。人生では、思い出の時間に戻ることは出来ないですが、お芝居では何度でも戻ることが出来るのかもしれないと稽古をしながら感じていました。昨年に感じた寂しさも苦しさも、今は、今だけは感じないのです。演劇においての“再演”の意味がやっと分かった気がします。駅の売店で働く60歳の女性と、ある日突然電車に乗れなくなった青年による、現在と過去を行ったり来たりする2人芝居。夢をもたない2人の物語に『夢ぞろぞろ』と名付けました。心がヒリヒリとする物語ですが、過去の大切な出来事を思い出した時のように、不思議と元気がでてきます。そして、この状況下で上演する新しい再演もまた、誰かにとって、いつかの、大切な思い出になることを願っています。【公演情報】●EPOCH MAN『夢ぞろぞろ』作・演出・美術:小沢道成出演:田中穂先(柿喰う客)、小沢道成音楽:オレノグラフィティ公演期間:2月19日(金)~2月28日(日)会場:下北沢・シアター711●EPOCH MAN『オーレリアンの兄妹』作・演出:小沢道成 / 音楽:中村中出演:中村中、小沢道成公演期間:8月13日(金)~8月22日(日)会場:下北沢・駅前劇場HP: 企画・製作:EPOCH MAN
2021年02月22日コロナ禍でご公務も激減、なかなかお出ましの機会が訪れない昨今。本当はもっと雅子さまのお姿を拝見したかった……!ということで、近年の冬のファッションを総ざらい。色使いなど、気品ある装いのエッセンスをまねしてみては――?【Day1】リモートでも現地ご訪問と同じコーデを!先月末、昨年7月に発生した熊本県の豪雨被害の被災地をリモートでお見舞い。両陛下はともにタートルネックセーターにジャケットの装いで、被災者に親しみやすい雰囲気作りを。【Day2】環境会議は緑のスーツで昨年12月、環境問題に取り組むGEA国際会議の開会式に出席された際は、深いグリーンのスーツを選ばれた。襟と袖口にベルベットをあしらった、素材感の違いもポイント。【Day3】地方ご訪問は優しい白コート冬の地方ご公務には、雪のような白いロングコートで。Aラインのゆったりとしたシルエットに、お帽子のベージュのリボンと靴先の色合いをそろえ、優しげなスタイルに。【Day4】冬の定番色はボルドー寒くなると雅子さまがよくお召しになっているのがボルドーカラーのスーツ。同じ色でも帽子やバッグなどの小物でバリエーションを。【Day5】サステナブルファッションを実践!スカラップカラーが特徴的なロイヤルブルーのスーツは25年以上大切にされているもの。インナーを替えられ、上手に印象をチェンジ。【Day6】遊び心あるジャケットでご静養へ襟、ポケットのフラップ、カフスに入ったステッチでカジュアルさを演出。お持ちのバッグはFURLAの80周年記念限定モデル。【Day7】おうち時間はリラクシー素材を上質なとろみ素材のブラウスはおうち時間を心地よく過ごされるのにぴったり。パールのネックレス、イヤリングで女性らしさもUP。寒~い季節は、こっくり深いカラーを取り入れれば貴女もロイヤル気分♪「女性自身」2021年2月16日号 掲載
2021年02月07日小沢健二が、2019年より企画していた日本武道館アリーナライブについて、新型コロナの感染拡大状況を受けて中止を決定したことを発表。その代わりとして3月9日(火)から3カ月連続シングルリリースを行うことが決定した。なお、小沢が3カ月連続でシングルをリリースするのは、1995年1月〜3月『カローラIIにのって』『強い気持ち・強い愛』『ドアをノックするのは誰だ?』のヒットチューン以来、実に16年ぶり。シングル第1弾タイトルは『ウルトラマン・ゼンブ』になるとのこと。この「ウルトラマン・ゼンブ」とは小沢の次男(4歳)による「すべてのウルトラマンの美徳や必殺技を『ゼンブ』兼ね備えた歴代最強最高のウルトラマン」という意味の造語で、円谷プロからの協力を得て、曲のタイトルに決定した。アップテンポのこの曲は、幼い子供の無敵の万能感、何かを得て何かを失いながら成長していく時間、大人になり味わう焦燥感、限界を知った上で乗り越える疾走感、3分間で終わらない変身、そんな「ゼンブ」が詰まった、期待を軽々と超えてゆくホットな楽曲となっている。「カラータイマーが点滅してからが勝負の時だ」の歌詞で始まる、ひとつの完成された小説のような一曲だ。3カ月連続でリリースされるシングルは、小沢がコロナ禍で書いた新曲ばかり。これらをファンの前で演奏し、その瞬間に初めて世に出して共有したいという本人の強い希望があったものの、ファンやスタッフの健康リスクにさらしてまでそれは「行わない」という判断を下した。そんな中で、急遽決定した3ヶ月連続シングルリリース。まずは武道館公演予定日だった3月9日に発売される第1弾「ウルトラマン・ゼンブ」を心で味わってほしい。小沢健二からのメッセージ3、4、5月と、3カ月連続でシングルをリリースします。どの新音源も、アリーナ公演中止の無念さを叩きこんで、アツアツに仕上げます。状況に合わせて、その時々の創作をするしかないです。3月9日、無念ですが武道館ではなく、それぞれの場所で、『ウルトラマン・ゼンブ』を爆音で聴きたいです。そして4月も、5月も。困難の中、一瞬でも、Tower of Good! (絵文字の「いいね」が積み上がっているような、「良いの塔」。「ウルトラマン・ゼンブ」と同じく、次男4歳の造語です)な時間を。武道館中止決定詳細いつもアーティスト・小沢健二を応援していただきまして誠にありがとうございます。3月9日の日本武道館で予定しておりましたコンサート「aルbイmイseルf 魔法的ひとりArena」に関しまして、新型コロナウイルスの感染拡大状況を日々確認しながら、開催の可否について検討して参りましたが、このたび公演中止という結論に至りました。本公演は観客数も大幅に減らし、消毒・換気・電子チケット導入など感染対策を徹底、国や東京都のガイドラインをクリアした内容ではございますが、楽しみにして下さっているお客さまには「移動」という感染リスクがあり、またスタジオでのリハーサル期間中はスタッフとその家族に健康上のリスクがあるのは事実です。現況においては、そのリスクは非常に高いとの判断で、中止という苦渋の判断に至りました。開催を心待ちにして下さっていた皆様には、誠に申し訳なく、深くお詫び申し上げます。発売分のチケットの払い戻しにつきましては、別途ローソンチケットより発表を行い、またお客様には個別にご連絡を差し上げます。
2021年02月05日コロナ禍によりご公務や行事が続々と中止になってしまった’20年。雅子さまの着物姿を拝見できたのは昨年の1月が最後。今年こそは感染拡大が収束し、和装での晴れやかな笑顔をたくさん拝見したい……そんな願いを込めて、雅子さまが着物をお召しになる機会を振り返ります。【大相撲ご観覧】’20年1月、例年、大相撲初場所の初日や中日に天皇陛下が行幸される天覧相撲。令和になって初の国技館には愛子さまと色合いをそろえられて、扇柄に菊、もみじなどを散らした淡いクリーム色の和服で。【海外要人とのご接見】’19年8月、海外からの賓客を招かれての国際親善では和服でのおもてなしで歓迎のお気持ちを。皇居宮殿にアフリカの要人を招かれての茶会では、淡いブルーに花籠紋様の和服をお召しになられた。【園遊会】’18年11月、春秋と年2回行われる園遊会は和装と洋装に分けられることが多い。皇后陛下はじめ、女性皇族方の和の装いも注目される。この日、雅子さまはもみじの葉のグラデーションが映える秋らしい和服で秋の園遊会にお出ましになられた。【文化功労者らとの茶会】’19年11月、毎年、文化勲章受章者と文化功労者を宮殿の「連翠」に招き催される茶会。平成の皇后、美智子さまも和服姿でのご列席が多かった。この年、雅子さまは淡いブルーにしっかりと描かれた菱の文様の和服で皇居・宮殿でのお茶会に。今年も拝見したい雅子さまの着物姿。雅子さまの晴れ着が日本を明るくする!「女性自身」2021年1月19日・26日合併号 掲載
2021年01月13日「雅子さまは、もともといろいろな人としゃべるような社交的な雰囲気の子供ではなかったから、子供のころはずっと2人でしゃべっていることが多かったんです。雅子さまと私の2人が学校の先生に犬をもらったのですが、その犬たちを毎日のように一緒に散歩させてどちらかの家に行って遊んでいました」雅子さまとの学生時代の思い出を懐かしそうに話すのは、ご学友の清家ルリ子さん(旧姓:村岡)。雅子さまとは、小学3年から高校1年まで田園調布雙葉学園で同級生だった。「家も近所で、学校の行き帰りもずっと一緒でした」という幼なじみだ。今月、12月9日に皇后になられて2回目のお誕生日を迎えられた雅子さま。本誌はその翌日、清家さんに雅子さまとの思い出を伺った。「小学生のころ、雅子さまと私は生物部だったんです。2人とも飼育係も担当しており、学校の動物をかわいがっていました。うさぎやハムスター、ヘビ、ハツカネズミ、モルモットも。雅子さまは当時、ご自宅でも犬のほかにカメレオンやハムスターも飼っていらっしゃいました」雅子さまは小学校の卒業文集に将来の夢を「獣医」と記されているほどの動物好きだ。「ヘビを触るのも平気でしたよ。学校で誰かが持ってきたヘビをグラウンドまで私と2人で素手で持っていって散歩させたこともありました。ヘビってヌルヌルしそうですけど、実はサラサラで冷たくてとてもきれいな感じなんですよ。でも私たちが持っていると、みんなキャーキャー言いながら逃げていく。それも面白くて、2人でよくお昼休みや放課後にグラウンドの草むらに放してあげたりしたんです。雅子さまが、そうやって楽しいことをやられているときにケラケラ笑っていらっしゃった表情を思い出します」その後、雅子さまのご留学などで頻繁に会えなくなってからも交流は途絶えず、22歳ごろには、清家さんの結婚式で雅子さまが介添え役をされ、さらにスピーチまでされたという。「実はスピーチは雅子さまを含めてお友達2人にお願いをしていたんですが、雅子さまのスピーチが長すぎて、2人目の友達のスピーチはなくなってしまいました(笑)」雅子さまは29歳で皇室へ嫁がれた。ご婚約を発表されたころ、清家さんはご自宅にお祝いに伺っている。「ご婚約が決まる前から、海外でも写真を撮られたりして大変そうでした。ですから私たち友人はそういう話題には触れないようにしていました。けれど、ご婚約の発表があるとマスコミの方から伺って、私の母にも“ここで会いに行かなかったらもう会えなくなるかもしれないから”と言われ、ある人からは“規制が張られて遠くから見ることしかできなくなる”とも言われたので、じゃあその前にお祝いのお花を持って会いに行こうと思ったんです。当時、雅子さまもよく買われていたお花屋さんで“雅子さまのお祝いに持って行きたい”と言って、バラの花束を作ってもらいました。オレンジ色というか黄色というか、活気があるような色にしてもらって。雅子さまは、ピンクのようなかわいらしいイメージよりは、活力のあるイメージでしたから、そんな色の花を選びました」そのときは、清家さんの母親も一緒だったこともあり、雅子さまとあまりしっかりと話はできなかったそうだ。「“おめでとうございます”と、あとは“大変だね、これから”と私は言いました。当時、ご自宅のまわりに記者の方たちがすごかったですから。警察官もいました。“そうなの、外に出られなくて”と雅子さまはおっしゃっていて。それでも、嬉しそうにされていたのを覚えています。外交官のキャリアを手放してまで、嫁がれる決心をされたのですから。外交官として実現したかったことが、皇室でも別のかたちでできるという思いもあったかと思います。一方で、自由に行動することはできなくなるでしょうから、そういう意味では大変なのだろうなとは思いました。でもまさかここまでとは……。当時はご本人も思っていらっしゃらなかったかもしれませんね」皇室に入られて以降、実際にお会いできたのは同窓会などの機会で数度。ご体調などが心配で手紙を差し上げたこともあるという。「そのときは、宮内庁の方から“受け取りました、ありがとうございました、とのことでした”といったお返事をいただきましたね」同窓会で直接お会いしても“皇室のことは気軽にお話になれないだろう”と話の内容は世間話ばかりになってしまうというが、幼いころからの2人の共通の話題、“動物”のことをお話になったときのことを教えてくれた。「私は、そのときも文鳥を飼ったり、カエルを飼ったりしていたんですよ。そういう動物の話を私からしたり、雅子さまが飼っていらっしゃる犬の話を伺ったりしましたね。あとは、皇居の敷地にアライグマが出たことがあったらしいんですが、保護をしたときのお話を雅子さまがされていたんです。私が“えっ、触ったんですか?”と尋ねたら、ほかの方から“まさか触れるわけがないでしょう”と(笑)。確かにそうだなぁと思ったのですが、小さいころから動物がお好きだった雅子さまですから、触りたかったんじゃないかしら、と思ってしまったんですよね(笑)」
2020年12月25日ご養蚕でお作りになった絹糸を前に、天皇陛下と写真に写られた雅子さま。12月9日の、57歳をお迎えになったお誕生日の写真で、雅子さまは今年の流行スタイルであるバルーンスリーブのタイブラウスに黒のワイドパンツという装いだった。実はこのシルエットは12月1日のお誕生日に公開された、ベージュのボウタイブラウスにワイドパンツ姿の愛子さまとほとんど同じ。なんとお二人で、若い女性の間で流行している、リンクコーデをなさっていたのだ。1週間違いでお見せになった雅子さまと愛子さまのタイブラウスコーデに、母娘の連携のよさが感じられた。「女性自身」2020年12月29日号 掲載
2020年12月19日《今年は、特に命の大切さ、尊さについて改めて深く思いを寄せる年になりました》12月9日、57歳になられた雅子さまが、お誕生日に際してのご感想を文書で公表された。「ご感想は4千字を超える文量で、コロナ禍の国民を心配するお気持ちが伝わってきました」(皇室担当記者)ご感想のなかで雅子さまは《新型コロナウイルス感染症により、世界中で、そして日本国内でも多くの方が亡くなっていることに対し、この場をお借りしてお悔やみ申し上げます》と犠牲者を追悼された。また、《医療に従事される皆さんが、大勢の患者さんの命を救うために、そして、感染の拡大を防ぐために、日夜献身的に力を尽くしてこられていることに、心からの敬意と感謝の意を表したいと思います》と、医療従事者への感謝を述べられている。コロナ禍の影響についてはほかにも、苦境にある経営者や失業者、偏見に苦しむ感染者の家族や医療従事者の家族、虐待の増加が懸念される子どもたちなど、さまざまな立場の人々に寄り添ったお言葉を綴られていた。さらにはコロナ禍だけでなく、自然災害や東京五輪の延期、上皇ご夫妻や愛子さまのご近況にいたるまで、多岐にわたる話題に言及されている。「文面が宮内記者会に渡されたのは誕生日前日の夕方でしたが、雅子さまはなんと、8日の午前に報じられた小惑星探査機『はやぶさ2』のカプセル回収成功というニュースにまで言及されていました。雅子さまは、ギリギリまで推敲に推敲を重ねられていたのです」(前出・皇室担当記者)来年の新年一般参賀は中止が決まっているが、天皇陛下によるビデオメッセージが配信されることが決定。雅子さまの出演も検討されているという。11月には天皇陛下とご一緒に、病院や高齢者施設へのオンライン訪問をされた雅子さま。《オンラインという方法により、このように国民の皆様との触れ合いの機会を持てることは有り難く、今後ともそのような機会を大切にしていくことができればと感じております》と、リモート活用に積極的な姿勢も示されている。新年、画面越しであっても両陛下とお会いできることを願いたい――。
2020年12月14日12月9日、57歳の誕生日をお迎えになられた雅子さま。変化の激しい時代に適応しながら常に国民に寄り添うことを考え実践されている、令和ならではのルールとはーー。【1】子どものケア&動物愛護に積極的皇太子妃時代から児童養護施設を訪問されたり、子どもたちに対して優しいまなざしをお持ちの雅子さま。また、保護動物を引き取られて飼われるなど、生き物を大切にされている。【2】パンツスーツで颯爽とご自分らしく近年、お召しになるスーツは優しい色合いが多くなられた。特にパンツスーツでのお出かけは雅子さまの定番スタイル。ジャケットの襟や袖には、少し個性あるデザインを加味して、雅子さまらしさを演出されている。【3】レセプションではよりお近くに地方ご訪問などの際に行われるレセプションでは、参加者が来るのをお待ちになる形ではなく、大勢の人たちの中に自ら入っていき移動されながら参加者とお話し交流する形式に。【4】涙を隠されない昨年、ご即位のパレードで沿道からの歓声に感激の涙を見せられた雅子さま。感動されたときに思わず目を潤ませるご様子もお人柄を感じさせる魅力のひとつ。【5】笑顔も思い切りお見せにたとえご公務中でも、楽しいときにははっきりと笑った表情をお見せになる。心からの明るい笑顔で会話されるご様子が印象的。【6】しゃがまれて奉迎者とお話しをお出かけ先に集まっている人たちと積極的に歓談されてのご交流。最前列に座っている子ども連れのお母さんたちともしゃがんで会話を。【7】オンラインご公務にも挑戦コロナ禍の中、外出されてのご公務が行えない状況が続いているが、天皇皇后として初めて“オンライン行幸啓”を取り入れられた。令和流、皇后のセブンルール。雅子さまは国民により近い皇室像を模索されている。「女性自身」2020年12月22日号 掲載
2020年12月13日俳優の小沢道成が、作・演出・美術までも手がける演劇プロジェクト「EPOCH MAN」。2019年に好評を博した田中穂先とのふたり芝居『夢ぞろぞろ』が、2021年2月に再演される。そこで小沢と、EPOCH MANのファンだという大人計画の宮崎吐夢に話を聞いた。小劇場に足繁く通い、自ら演劇について語るイベントも開催している宮崎。そんな彼が初めてEPOCH MANを観たというのが、2018年のひとり芝居『Brand new OZAWA mermaid!』だ。本作について宮崎はこう振り返る。「僕はひとり芝居、特に演者が台本も書いているひとり芝居が好きなんです。非常に私小説的というか、書いて演じる人の想いや人となりが、強く伝わってくるので。ただ小沢くんの『~mermaid!』に関しては、ひとり芝居とかそういうことを遥かに超えて圧倒されました」初演の『夢ぞろぞろ』についても、「小沢くんはもちろん、相手役の方もすごくよかった」と語る宮崎。その言葉に「嬉しい」と微笑む小沢に、本作の創作経緯について聞いた。「僕、樹木希林さんが大好きなんです。亡くなられたとニュースで知った時、込み上げてくるなんとも言えない感情が、この作品を作るうえで一番の動機になりました。きっと樹木さんって、『私のことなんていいのよ』と言いつつも、全部自分の話にしてしまうような、面白さと愛おしさのある方だったと思うんです。そういう方をモデルに、さらに駅の売店がクルクル回る美術をやってみたいと思って作ったのが、この『夢ぞろぞろ』なんです」駅の売店で働く60歳の女性を小沢が、突然電車に乗ることが出来なくなった青年を田中が演じる本作。改訂を予定しているかと聞くと、「1文字も変えていません」と小沢は言う。「僕の『鶴かもしれない』という舞台はどんどん練って、変えていく作品だと思うんですが、『夢ぞろぞろ』は変えちゃダメな作品ではないかと思っていて。僕が期待しているのは、2019年とは状況が変わっていることで、お客さん側の捉え方が変わること。今回そこが面白いんじゃないかと思っているんです」取材前に初演の映像を見返してきたという宮崎は、メモをめくりつつ、「こんないいセリフあったっけ?って忘れてたのがいくつもあって。たとえば青年を励ます時の『とりあえずチョコレート食べよう』」。またも「嬉しい」と微笑む小沢の口調からは、そこに至った苦労もにじむ。そして宮崎はこう続ける。「演劇を語る上で『わかりやすい』『間口が広くて誰でも楽しめる』は必ずしも誉め言葉ではないのですが、小沢くんの作品は非常にわかりやすいのに、すぐには言語化できない深い感動もじわじわ味わえる。ボヤボヤしていると伝説の舞台になってしまうかもしれないので、未見の方はお早めに」EPOCH MAN『夢ぞろぞろ』のチケットは12月11日(金)10時よりチケットぴあで先着先行販売。一般発売は2021年1月9日(土)10時より開始。文:野上瑠美子
2020年12月10日