緑豊かなゴールデンウィークの日比谷公園で、大巻伸嗣、永山祐子、細井美裕によるアートインスタレーションが繰り広げられる「Playground Becomes Dark Slowly」が4月27日(土) から5月12日(日) まで開催される。「Playground Becomes Dark Slowly」は、東京都が実施している四季を通じた花と光の演出によって公園の新しい楽しみ方を提案する「花と光のムーブメント」に、「アート」を掛け合わせる新しい試み。山峰潤也がキュレーターを務め、「公園という都市の隙間の中で変化していく日の光を感じながら、自然への想像力を駆り立てること」をコンセプトに大巻伸嗣、永山祐子、細井美裕が、それぞれインスタレーションを展開する。日中は永山祐子の「はなのハンモック」を中心としたプレイグラウンドが第一花壇に登場。夜の草地広場では大巻伸嗣の「Gravity and Grace」が幻想的な光を放ち、また園内各所には、細井美裕が日比谷公園の音を収集し、再構築したサウンドインスタレーション「余白史」が設置され、一日を通して公園での新たなアート体験を楽しむことができる。大巻伸嗣「Gravity and Grace」(“Art Fair Philippine 2019” “10 days of Art” Manila city, Philippine, 2019)大巻伸嗣による日比谷公園のためのスケッチ永山祐子建築設計「はなのハンモック」CG パース細井美裕「余白史」(サウンドインスタレーション)作品イメージ4月27日(土)、5月4日(土・祝)、5月11日(土) には、光の粒を携えた花一輪を来場者自らが心字池の水辺に浮かべ、「花と光の群像」を作り出す永山祐子によるワークショップイベント「はなの灯籠」も開催。会期中の土・日・祝には、キッチンカーの出店も予定されている。永山祐子建築設計「はなの灯籠」CG パース<開催概要>「Playground Becomes Dark Slowly」会期:2024年4月27日(土)~5月12日(日)会場:日比谷公園時間:9:00~22:00入場:無料・予約不要公式サイト:
2024年04月25日最近よく耳にする“AI時代の子育て”というフレーズ。AI(人工知能)の発展によって、将来的にいまある仕事がほとんどなくなる時代が到来し、従来のような詰め込み型の教育では立ち行かなくなる、ということなのですが…。親としては経験則が通用しないため、家庭で何にどう取り組めばいいのか、戸惑うばかり。正解のない子育てだからこそよほどの軸がない限り、周囲の情報に流されてしまう状況ではないでしょうか。中学受験が過熱しているのも、不透明な未来だからこそ、早いうちに何か身に付けさせたいという焦りのように見えます。しかし、最終的には“どんな時代であっても子どもがたくましく生きてくれたらそれでいい”というのが親心。そのためにいまどんな力が求められ、親は何を心がけたらいいのか−−。「将来“メシが食える大人”そして“魅力的な人”を育てる」という理念を掲げる学習塾「 花まる学習会 」の代表・高濱正伸さんが「AI時代を生き抜くために必要な“最高の頭脳”の育て方」について講演会をされるというので、お話を伺ってきました。高濱正伸さん花まる学習会代表、NPO法人子育て応援隊むぎぐみ理事長。算数オリンピック作問委員。日本棋院理事。ニュース共有サービス「NewsPicks」のプロピッカー。武蔵野美術大学客員教授。環太平洋大学(IPU)特任教授。1959年熊本県人吉市生まれ。県立熊本高校卒業後、東京大学へ入学。東京大学農学部卒、同大学院農学系研究科修士課程修了。1993年「花まる学習会」を設立、会員数は23年目で20,000人を超す。将来しあわせに生きるための “最高の頭脳”とは?「会場にいるみなさんは、いま好きなことをして生きていますか? お年頃になったから結婚、出産、子育てと流されている人が大半。何回生まれ変わってもいまと同じ仕事をしたいという大人ってほとんどいないですよね」と、いきなりドキッとするような質問を投げかける高濱さん。そして、「最高の頭脳というのはズバリ、どんな時代でも自分の生きたいように生きていける“実力”を持っていること。起業家になろうと思えばなれるし、公務員になろうと思えばなれる。自由自在という言葉とイコールです」と続けます。それは、たとえAIなどに仕事を奪われても、ほかのたくさんの選択肢の中から自分がやりたい仕事を選べる状態にあるということ。もしなかったとしても自ら作り出す力があれば、好きな仕事をしてしあわせに生きていけます。「何をやりたいかは、自分の心が決めるものなので騙せない。答えは自分の中にしかありません。しかし、自分の好きなことに忠実でいないと、少しでもランキングが高いところ、少しでも偏差値が高いところと目の前の数値に惑わされ、大人になったときに確かなものが何もなくなってしまいます。だから、まずは子どものすぐ側にいる大人が生き生きと、自分の好きなことに没頭している姿を見せることが大切ですよ」と高濱さん。保護者に対しても温かなアドバイスを送ります。ちなみに、花まる学習会では毎回の授業で子どもたちが作文を書いているのですが、これは文章力をつけるためではなく、自分の心を見失わないため。作文を書くことで自分と向き合い、内面をモニターしつづけることで自分の道を迷わず選ぶことができるようになるのだとか。もしお子さんが自分のことをなかなか決められないという場合は、選択肢を2つくらいに絞ってどちらがいいのか決めさせることからスタートするといいそうですよ。AI時代に必要な3つの実力とは?では、最高の頭脳である“自分の生きたいように生きていける実力”とは何なのでしょうか。子どもたちが生きていく未来は、変化の連続。昨年、生成AIやチャットGPTが流行語にノミネートされたとおり、AI時代はもう目の前です。「これからはいかに“問いを立てられるか”が重要。企業側も与えられた問題に対処するだけでなく、社会のニーズからどんどん新しい問題を見いだし、仕事を生み出せる人を求めています。そのためには、・基礎力・思考力(or べき力)・心の3つが必要。なかでも重視すべきなのは“思考力”です」(高濱さん)じつは、高濱さんが花まる学習会をつくった理由も、この思考力を育むため。予備校で講師をしているときに、従来の機械的な教育で子どもたちは自立して生きていけるのか、という不安を感じたことに端を発します。「計算や文字を書くといった“基礎力”はもちろん大事。とくに子どもが小さいうちは、掛け算が人より早くできた! とか、基礎力の部分ができるとうれしくなる気持ちもわかります。でも、大人になるまでにはだれでもできるようになることなので焦る必要はなし。あくまでこれは基礎だとわかったうえでやることが重要です。答えを早く出すということをやりすぎて、証明問題から伸び悩む子もいます。それよりもこれからの時代を生き抜くためには、だれも思い浮かばなかったような問いを立てられる、世界を変えるような博士の力=思考力が求められています」(高濱さん)余談ですが、図形や証明問題が苦手・嫌いという子は、やらなくていい理由を作っているだけ。小学校を卒業するまでは苦手・嫌いを作らせないことも大切なのだとか。そして、子どもが苦手・嫌いを作る原因となっているのが「うちの子、図形が苦手で…」というような母親同士の何気ない会話であることも多いそう。お母さんは肝に銘じて注意するようにしましょう。思考力を養うためにいまから家庭でできること思考力=博士の力と聞くと、“親自身がそんなタイプじゃないのに、どうやって子どもに教えればいいの⁉︎”とか“家庭で育むのは難しそう…”と思いますよね。でも、高濱さんは極めてシンプルな方法を提示します。「思考力を育てるには、何もない自然の中に子どもを放り込む、野外体験が一番! 心配しなくてもゼロイチの環境に身を置けば、子どもたちは自然と“ここに基地を作ろう!”とか“どの枝が武器になるか”など、工夫して遊びはじめます。外遊びは親が思っている以上の財産になりますよ」(高濱さん)外遊びは親が意識的に連れて行く必要があります。でも都市暮らしで忙しいとなかなか難しいことも。それならいっそ自然が多い地域に移住するという手もありますが、それも現実的ではないという場合は「花まる学習会の野外体験プログラムのような信頼できるどこかに預けるなど、プロに任せてしまっていい」と高濱さんはいいます。さらに、野外体験以外にも思考力を鍛える方法があるのだとか。それがスポーツやボードゲームです。「スポーツの中でもとくにサッカーはパスを出すときに無数の補助線が描ける。相手のパスを見極めることも必要ですし、じつは思考力がどんどん伸びるんです。将棋や囲碁といったボードゲームは、終わったあとに感想戦をやるといいですよ。これはお父さんの方が相手に向いていることが多いです。なぜなら理屈っぽいから(笑)。親子で将棋をやっている子は、このときなぜこうしたかということを口頭言語で論理的に簡潔に説明できるようになるのでとてもいいです。迷路やパズルに没頭して、マイペースに遊び込むことも大切。問題を作らせるのもおすすめです」(高濱さん)30年以上教育の現場に立ち、算数オリンピックの作問委員でもある高濱さんによると、最高の頭脳を持つ子は、かならず自ら問題を作りはじめるのだとか。5~6歳位の男の子でよくものすごく緻密な迷路を作る子がいますが、あれはいい芽が出ている証拠なのだそう。これを聞いて内心ガッツポーズをしている方もいるのではないでしょうか。入試に強い“べき力”も武器になる!ちなみに、思考力と並んで“べき力”というのも必要な力ということですが、これは高濱さんが考えた造語で“やるべきことをやる力”のこと。入試に合格するためには思考力よりもこちらの方が有効ともいわれているそう。「与えられたことを正確にきちんとこなす力は、公務員や医師になるためには必要。こちらの能力も十分武器になります。どちらが得意か見極めて、選択していけばいい」と高濱さん。そのためには世間のやり方に合わせていくのではなく、日頃から我が子をよく観察する必要があります。そして、自分の生きたいように生きるためにもうひとつ欠かせないのが、心。この心を育むためにも、子どもをよく見ることが大切だと高濱さんはいいます。「花まる学習会が続いた理由は、子どもの“心”に焦点を当てつづけたから。子どもが飽きずに楽しめることを追求してやってきたからです。いまはいろいろな教育メソッドがあるので飛びつきたくなりますが、何かをやらせたときに“我が子の目が輝いているかどうか”で判断していけば、大幅に間違うことはないはずです」(高濱さん)さらに子どもの心を育むためには、絶対的な愛情や自己肯定感、強さが必要ということですが、そのために親ができることについては、高濱さんの別の講演会でくわしくお話しされているそうです。5月19日に東京都北区で開催される高濱さんの講演会「父親だからできること(午前・男性限定)」/「生き抜く力をつけるほめ方叱り方(午後)」でも、子どもとの関わり方についてお話しされるそうなので、興味のある方はぜひ参加されてみてはいかがでしょうか。AI時代という未知なワードに右往左往してしまいがちですが、今回の講演会で、まずは身近な外遊びやスポーツ、ボードゲームや迷路などをつうじて、目の前の子どもが好きなこと、夢中になれること、得意なことを、プロの手を借りながら探究していけばいいのかもしれないと少し気持ちが軽くなりました。【先着順】だれでも参加できる!高濱さんの講演会申込受付中「父親だからできること(男性限定)」日時:2024年5月19日(日)10:30~12:00会場:赤羽会館参加費:1名2,000円(税込)定員:646名(先着順)申込締切:2024年5月13日(月)19:00詳細&お申し込み: ※男性限定の講演会です「生き抜く力をつける ほめ方叱り方(午後)」日時:2024年5月19日(日)14:00~15:30会場:赤羽会館参加費:1名500円(税込)定員:646名(先着順)申込締切:2024年5月13日(月)19:00詳細&お申し込み:
2024年04月22日X JAPANのYOSHIKIが現地時間16日(日本時間17日)、大谷翔平と山本由伸が所属するMLB「ドジャース」の本拠地、アメリカ・ロサンゼルスのドジャー・スタジアムで行われた『ハローキティ・ナイト』に登場し、試合前にアメリカ国歌と「ENDLESS RAIN」をピアノ演奏した。スタジアムには、YOSHIKIが歴史を刻む瞬間を見るために、アメリカ国内はもちろん、海外から駆けつけたファンの姿も。場内アナウンスで“日本の歴史上もっとも影響力のある音楽家”として紹介され登場したYOSHIKIは「ENDLESS RAIN」を披露。観客は聴きほれ、大きな盛り上がりとなった。アメリカ国歌演奏では、冒頭で会場のスピーカーからピアノの音が出ないアクシデントに見舞われるも、即興で間奏を作曲し、2回演奏。優しくも力強い音色に、関係者や選手からも拍手と歓声があがった。そんなYOSHIKIに対し、大谷と山本からは特注の背番号44のユニフォームのプレゼント。ロサンゼルス在住同士、地元にまつわる話などに花を咲かせたようで、3人で撮影されたセルフィーはYOSHIKIのSNSで公開された。YOSHIKIは昨年、日本人アーティストで初めて「TCLチャイニーズ・シアター」に手形・足形を刻み、先月にはVariety誌の「2024 International Achievement in Music」(音楽における国際的業績賞 2024)を受賞。そして新たに、ドジャー・スタジアムでのアメリカ国歌演奏という大役をやり遂げた歴史が加わった。『ハローキティ・ナイト』と題されたこの日は、ドジャー・スタジアムにハローキティも登場。YOSHIKIは、ハローキティの50周年を記念したグローバルテーマソングを手がけることが決定している。現在開催中の『2024年サンリオキャラクター大賞』では、YOSHIKI×ハローキティのキャラクター「yoshikitty」が10年連続でノミネートされており、投票を受付中。■YOSHIKIコメント「同じLAに住む大谷選手と山本選手と会話ができて光栄です。お二人から、サイン入りのユニフォームをいただきました。さらには、ドジャースから自分の名前入りのユニフォームまでいただきびっくりしました。大谷選手、山本選手を見てさらに自分も世界に挑戦しようと思えました。感謝しています。ハローキティだけでなくyoshikittyもドジャー・スタジアムに駆けつけてくれてうれしかったです。濃い1日でした。音響トラブルでまさかアメリカ国歌を2回演奏とは思いませんでした。演奏が終わり大歓声を聞いた瞬間、即興を含め頑張ってよかったと思いました。超強行スケジュールの中LAに戻ってきた甲斐がありました。みなさんに感謝しています」
2024年04月17日栃木ゴールデンブレーブスの川崎宗則が13日、ABEMAの「ドジャースVSパドレス」戦生中継に登場。ドジャース・山本由伸のカーブについて語った。○山本由伸のカーブは「特殊」同日、本拠地・ドジャースタジアムで2度目の登板となったドジャース・山本由伸。縦に割れるカーブとして話題を呼ぶ山本の魔球“ヨーヨーカーブ”について、試合開始前に川崎は「ちょっとこのカーブ、特殊なんです」と解説。「加速系なんで、ダルビッシュ有選手などともちょっと違う。新しいカーブなんで、カーブという名前を今日変えようかなと」とコメントし、視聴者に別名の募集を呼びかけた。そして、視聴者から「ブーメランカーブ」「ドライブカーブ」「シュイーンカーブ」などの案が多数寄せられると、川崎は「発想力がすごい!」「ABEMA視聴者のみなさん頭いいですね」と感心。そんな中、一味変わった「カナリマガール(=かなり曲がる球)」といった回答に、川崎は「俺のアメリカ1年目みたいな英語力(笑)」と笑みを浮かべた。さらに、東洋(日本)からやってきた”ということにもかけたと思われる「東洋カーブ」というコメントを発見した川崎が、広島東洋カープの応援歌を歌い出すと、実況を務めた清水俊輔アナウンサーからは「大喜利状態になってますね」とツッコミが入れられた。なお、生中継スタジオには、川崎と同い年の糸井嘉男氏も登場し、81年世代コンビで試合を盛り上げていた。【編集部MEMO】2024年のレギュラーシーズン公式戦324試合の生中継が決定したメジャーリーグベースボールを中心に、現在生中継しているプレミアリーグやブンデスリーガなど注目スポーツの最新情報を届けるABEMA。“スポーツの熱狂を先取りする”ことを目指す新感覚のスポーツ番組『ABEMA スポーツタイム』(毎週日曜22:00〜)も配信中。
2024年04月15日オリックスからドジャースに移籍した山本由伸の入団会見が28日、「ABEMA NEWSチャンネル」にて、ノーカット生中継された。○■大谷翔平の言葉を引用過去に前田健太や黒田博樹ら日本人投手が背負った、背番号「18」のドジャースのユニフォームに袖を通して会見に臨んだ山本。周囲の人々への感謝や入団への決意を語り、「今日からは本当の意味で憧れるのをやめなければなりません。自分自身が憧れてもらえる選手になれるよう頑張ります」と、今年3月に開催されたWBCの決勝戦前に、ベンチ裏で大谷翔平がチームに投げかけた言葉を引用して決意を新たに語った。○■交渉面談で大谷翔平からかけられた言葉記者から「ドジャースを最終的に選んだ決め手は?」と聞かれると、山本は「自分の中で勝ちたい、勝ち続けたいというのを優先していた気持ちなので、それに一番近いのはドジャースなのかなと思い決めました」と回答。また、交渉の過程で大谷と面談した際には、「悔いのない決断を。わからないことがあったらなんでも聞いてね」という、自身を気遣う発言があったことを明かした。○■秘めていたメジャーへの思いを口にこれまで多くの日本人投手がドジャースで活躍をしていることが決断に影響したのかと記者から聞かれると、「それが理由で決断したわけではないが、僕が19歳の時にここでプレーオフを観戦して、前田健太さんが登板しているのも実際に見て、その時からメジャーへの思いは強くなりました」と若かりし頃の自分を振り返り、秘めていたメジャーへの思いを口にしていた。(C)AbemaTV, Inc.【編集部MEMO】オリックス・バファローズから米大リーグのロサンゼルス・ドジャースに投手史上最高額となる12年、総額3億2,500万ドルの超大型契約で移籍した山本由伸。2021年にNPB史上8人目、令和では初の投手5冠を達成。2022年はNPB史上初となる2年連続の投手5冠を達成、2023年にはNPB史上初となる3年連続の投手4冠を達成し、歴代最長タイとなる3年連続で沢村栄治賞・MVPも受賞した。
2023年12月28日日本時間2023年12月28日、アメリカのプロ野球チームである『ロサンゼルス・ドジャース(以下、ドジャース)』が、日本のプロ野球チーム『オリックス・バファローズ』で活躍していた、山本由伸投手の入団を正式に発表。山本投手は同日、ドジャースの本拠地である『ドジャースタジアム』にて入団会見に臨みました。サンケイスポーツによると、山本投手は入団会見にて、次のように決意表明を述べたといいます。山本は同日にロサンゼルスの本拠地ドジャースタジアムで入団記者会見に臨み「歴史的なチームの一員になれて興奮している。憧れをやめなければならない。自分自身が憧れてもらえるような選手になれるよう頑張る」と新天地での決意を語った。サンケイスポーツーより引用山本投手は「歴史的なチームの一員になれて興奮している」と自身の想いを語った後、「憧れをやめなければならない」と発言したのです。この言葉は以前、同じく『ドジャース』への入団が決まっている大谷翔平選手が、同年行われた野球の世界大会『ワールド・ベースボール・クラシック(通称:WBC)』の決勝戦を前に円陣で発した言葉。「憧れるのをやめましょう」「憧れてしまったら、超えられない」と、選手たちを鼓舞した大谷選手の『金言』は、大きな話題を呼びました。「かっこよすぎて震えた」WBC決勝前の円陣で、大谷翔平が放った『金言』同じくWBCの舞台に立ち、大谷選手の言葉を聞いていた山本投手も、その言葉を胸に刻んでいたのでしょう。「自分自身が憧れてもらえるような選手になれるように頑張る」と、強い意志を示しました。山本投手の発言は注目を集め、ネット上でさまざまな声が上がっています。・かっこよすぎて泣いた。正式入団おめでとうございます!・日本の誇りです。ありがとう!・寂しさとワクワク感と感謝と…いろいろな感情が混ざって言葉にできない。これからもずっと応援してる!大谷選手と同じく『ドジャース』に入団した、山本投手の今後の活躍にも、期待が高まりますね![文・構成/grape編集部]
2023年12月28日スターバックス リザーブ ロースタリー 東京から、京都・島田耕園人形工房とのコラボレーションによる干支や縁起物の御所人形「ジモト メイド プラス(JIMOTO Made +) 東山」が登場。2023年12月13日(水)に発売される。京都の老舗・島田耕園人形工房とコラボした御所人形日本各地に根付く伝統的なモノづくりの情熱を、スターバックス リザーブ ロースタリー 東京を拠点に発信する特別なグッズシリーズ「ジモト メイド プラス」。安政6(1859)年に創業以降した島田耕園人形工房とのコラボレーションによる御所人形(※)は、例年年末の発売を待ち望むファンも多い、ロースタリー 東京の風物詩のひとつだ。※御所人形(ごしょにんぎょう)かわいらしい幼児の姿の姿をモチーフにした、日本の伝統的な人形。そのルーツは平安時代にまで遡り、疫病を祓うための等身大の人形から、身代わりに災厄を引き受ける「ひとがた」へと転化し、子の無事を願う御所人形へと派生した。「JIMOTO Made+ 東山 干支置物辰」2024年の干支である辰のモチーフは、コロンとした愛らしいフォルムと凛々しい表情が特長の干支置物として登場。腰にはロースタリー 東京のシンボルである星のマークが描かれている。「JIMOTO Made+ 東山 干支土鈴福龍」また、同じく辰をモチーフにした土鈴もラインナップ。魔除けや縁起物として歴史のある土鈴は、古くから家庭の安全と幸せな時間を願うお守りのような存在。ぷっくりとしたフォルムの福龍が奏でる心地よい音色が、新年の到来をつげる。亀を持つ御所人形、プラチナ箔の招き猫このほか、不老長寿の象徴でもある亀を手にした御所人形「JIMOTO Made+ 東山 御所人形亀持ち」、商売繁盛の縁起物として愛される招き猫をプラチナ箔で彩色した特別な一品「JIMOTO Made+ 東山 招き猫白金」など、様々な縁起物が展開される。商品情報「ジモト メイド プラス 東山」発売日:2023年12月13日(水)※2023年12月13日(水)から31日(日)までの期間中は1人1商品につき1点まで、以降1人1商品につき10点まで購入可能。販売店舗:スターバックス リザーブ ロースタリー 東京
2023年12月10日「存在するとはいかなることか」という問いを掲げ、観る者の身体の感覚を揺さぶるような大規模なインスタレーションを創り出す現代美術家・大巻伸嗣(おおまき しんじ/1971−)。日本はもとより、世界各地を舞台に活躍を続ける大巻の大型個展が、東京・六本木の国立新美術館で、11 月1日(水)から12 月25日(月)まで開催される。現代社会がどのような歴史を経て今に至り、現在どのような問題を抱えているかを深く考察し、その思考をもとに作品の着想を得てきた大巻は、2011年の東日本大震災と福島の原発事故に大きな衝撃を受け、2016年に《Gravity and Grace》の制作を開始した。原子力という諸刃の剣を抱える現代社会を批評するこのシリーズのタイトルは、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの箴言集『重力と恩寵』に由来している。今回の展覧会の大きな見どころのひとつは、この《Gravity and Grace》の最新バージョンが登場すること。様々な動植物からなる繊細かつ濃厚な文様を施された大きな壺から放たれる強烈な光と、それが生み出す影は、核分裂反応の爆発的なエネルギーの象徴とも言える光と原子力が引き起こした未曽有の人災を示唆する。その魅惑的な光と、そこに吸い寄せられる人々の姿を通じて、エネルギーに過度に依存した今日の社会を批評しているのだ。同展ではこのほか、人の意識と切り離せない「言語」をリサーチするなかで考察されてきた「生きるとはいかなることか」という根源的な問いに基づいて、新型コロナウイルス感染拡大の時期に制作された新作の映像インスタレーションも発表される。3.11とパンデミックに挟まれた約10年の間に大巻が探求してきた文明と自然、生と死への考察の深化が、国立新美術館の広大な空間を活かしたダイナミックな展示で目の当たりにできるのが、同展の大きな魅力だ。同展ではまた、立体造形、光、映像、音響を駆使した巨大なインスタレーション3作品とともに、その圧倒的空間を創出するために描かれた無数のドローイングが展示されるほか、会場内ではパフォーマンスや詩人・関口涼子とのコラボレーションによるプログラムも予定されている。大巻が創り出す現代の「総合芸術」を体感しに、ぜひ会場を訪れたい。<開催情報>『大巻伸嗣Interface of Being真空のゆらぎ』会期:2023年11月1日(水)〜12月25日(月)会場:国立新美術館企画展示室2E時間:10:00〜18:00、金土は20:00まで(入場は閉館30分前まで)休館日:火曜料金:無料公式サイト :
2023年10月17日「ママがいい」と泣きじゃくる娘に「辛かった」連続ドラマの撮影で出会った美術スタッフの男性と恋に落ち、2007年に再婚した島田珠代さん。2008年に第一子となる長女・璃子さんを出産します。しかし長女が生後8ヶ月のとき、夫は直腸がんのステージ4で余命5年だと宣告されました。一家は大阪で暮らし始めましたが、抗がん剤の辛さや島田さんの仕事の忙しさなどが重なり、夫婦間での揉め事が増加。島田さんは「抗がん剤のこととか、もっとわかってあげられればよかった」と涙を流して当時を振り返りました。そこで島田さんは夫に、「(地元であり主治医のいる)名古屋に戻る? 別々に暮らすのもアリよ」と提案。ただ、問題は長女がどちらに住むかということでした。夫に「絶対に(娘を)連れて行く。だって余命5年で、俺の生きる糧、生きる望みはどこにあるの。娘がいないと無理」と言われ、島田さんも「ええっ、それは困る。私だって(娘がいないと)寂しいよ」と本音を伝えますが、たくさん話し合った結果、当時3歳の長女は名古屋へ行きパパの実家で暮らすことになったのです。大阪でお笑いの仕事を続ける島田さんは、二週間に一回ほど休みがあれば名古屋へ会いに行きますが、たまにしか会えないママと離れたくなかった娘さんは、見送りのたびに名古屋駅で大勢が振り向くほど大声で「ママがいい」と泣きじゃくったそう。「甘えたい盛りだった……」と、その頃のことを思い出し島田さんは涙が止まりません。さらに長女が小学3~4年生のとき、面倒を見てくれていた義理の両親が相次いで亡くなってしまいます。闘病中の夫と小学生の娘が2人きりで生活することになり、娘の家事負担が重くなったことを見かねた島田さんの母が、面倒をみるため名古屋へ引っ越してくれたといいます。余命5年と宣告された夫は、告知されてから11年頑張り続け、3年前に他界。9年ぶりに母子が一緒に暮らし始めたとき、3歳だった長女は小学6年生になっていました。サプライズの手紙代読に、止まらない涙たびたび会ってはいたものの、9年間別々に暮らしていた母子が再び生活を共にすることになり、最初はお互いに戸惑いがあったといいます。最初の一年ほどは「娘も我慢していい子でいた」そうですが、中学2年生になった頃、爆発。島田さんは「親っていうのは、120%娘に怒れるものだと思っていた。注意できる、そういう存在だと思っていたんですけど、違っていたみたいで」と、ある大喧嘩エピソードを明かしました。長女は、「ママは私とちゃんと生活もしてないし、苦しいときに一緒だったりとか、学校の時間割を一緒に準備したりとか、それは全部お父ちゃんがしてくれててママはそんなのしてくれなかったのに、怒るだけ怒るなんて、そんなのずるい」と、秘めていた怒りをぶつけ、大喧嘩に。さらに「おばあちゃんは私のこと全部やってくれた。だからママよりおばあちゃんがいい。おばあちゃんと暮らす」とまで言われ、1ヶ月は口をきいてくれなかったそうです。ひどく落ち込んだ島田さんですが、長女と話し合い自分の言動が「間違っていた」と反省することができたそう。話し合いの中で長女から「ママ、悪かったときはママも謝って。大人だって謝らなきゃいけないときもあるのよ」と諭され、納得。それから良好な関係になり、「今やっと、母親らしいことをやれている」とうれしそうに話しました。ここまでずっと泣きどおしの島田さんでしたが、長女からの手紙を黒柳徹子さんが代読すると、さらに号泣。そこには「ママは遠い存在でした。ですがこの3年間でたくさん笑ってたくさん喧嘩して新たな一面をたくさん見つけました」「人情味あふれる母が大好きです」「大大大大好きです。ずっと一緒にいてください」と綴られていました。
2023年09月30日9月26日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に、お笑いタレントの島田珠代(53)が出演。吉本新喜劇の看板女優として活躍し、芸歴35年のキャリアを持つ島田。最近では’20年放送のバラエティ番組『相席食堂』(ABCテレビ)に出演し、持ちネタの「パンティーテックス」が再注目されたことも。体当たりの芸風と明るい人柄で知られるが、『徹子の部屋』で“壮絶半生”を打ち明けたのだった。20代の頃に『笑っていいとも!』(フジテレビ系)に抜擢され、上京するも挫折を味わったという。「ちょっと違う自分を知りたい」と考え、吉本興業の社員と結婚。“逃げ道”として選んだ結婚だったが、「若気の至りで甘え切ってしまった」と8年で離婚したと明かした。■「すごい悔やまれます」再婚後に待ち受けていた“壮絶半生”だが、その後に新たな出会いがーー。島田は名古屋の連続ドラマに出演した際、小道具係の男性と出会い恋に落ちたという。娘も誕生し幸せな生活を送っていたが、夫に病気が発覚。島田は、「子供が8カ月くらいの時に『直腸がんでステージ4』ですって言われて、余命が5年くらい。本人(夫)も『あと何年もちますか?』って聞く方向で」と告白。夫と娘と3人で写った家族写真が紹介されると、目に涙を浮かべていた。夫の病気をきっかけに、家族3人で島田の実家がある大阪に引っ越したという。だが夫婦喧嘩が増えていったといい、島田は涙を流しながら“自責の念”をこう語った。「抗がん剤が合わなかったら、そんなに辛いものだっていうことが後々にわかって。その時に抗がん剤がどういうものなのか勉強していれば、もっと(夫に)優しくなれて、もうちょっと変わってたのになって。すごい悔やまれます」また島田が仕事で家を空けると、島田の母親と夫が衝突することも。揉め事が増えてきたこともあり、解決策として夫が名古屋に戻ることになったという。だが、夫は当時3歳の娘を「絶対連れていく」と言い出し、「余命5年で俺の生きる糧はどこにある?娘がいないと無理」と主張。島田は「私だって寂しいよ」と困惑しつつも、夫の希望を受け入れたという。2週間に1回のペースで家族に会いに行っていたが、そこでも辛い思いを味わうことにーー。「たまに会いに行くと娘も母親から離れたくないっていうか、すごい泣きじゃくって。名古屋駅にいる大勢の人がバッと振り向くぐらい、大声で泣いて。『ママが良い』って……。そりゃそうですよ、甘えたい盛りだったんで」黒柳徹子(90)から「余命5年と言われたご主人は告知から11年生きて、3年前に亡くなったんですって」と問われると、「娘が小6の12月23日に息を引き取った」と明かした。■「私は間違っていた」娘との2人暮らしでも衝突…母親になって学んだこと夫の亡き後は娘との2人暮らしを送ることになったが、思い通りにはいかなかったようだ。島田は「娘もかなり大人になってるし、3歳の時とは違って『嫌なものは嫌』って言うようになってて」と切り出し、「親っていうのは、120%娘に怒れる、注意できる存在だと思っていたんですけど、違っていたみたいで……」とコメント。再び号泣しながら、成長期の娘とぶつかった経験を告白。娘が中2くらいの時に「(身の回りの世話は)全部お父ちゃんがしてくれて、ママはしてくれなかったのに怒るだけ怒るなんてズルい」と、抱えていた不満をぶつけられたという。口を利かない期間もあったというが、最終的には話し合いを重ねて和解したようだ。娘から「ママが悪かったときはママも謝って。大人だって謝らなきゃいけない時もあるよ」と指摘され、「私は間違っていたなと思って」「子供がいて、子供によって親が成長するのはこういうことなんだって思って」と振り返っていた。現在は良好な関係を築けているようで、番組終盤では娘からの手紙を黒柳が代読。“ママの好きなところ”として「スキンシップをたくさんとってくれる」「私の話をたくさん聞いてくれる」と、愛のメッセージが綴られていた。そして最後は、島田が自分の母親から“愛されている”ことを熱弁。「孫も可愛いけど、娘が一番可愛い。あなたが可愛いから色んなことができるのよ。あなたが一番可愛いのよ」と、言ってもらうと明かしていた。波乱万丈ながらも愛が溢れる島田の人生に、ネット上では「胸を打たれた」という視聴者が続出している。《珠代姉さん好きで、徹子の部屋を録画して見たんだけど涙腺崩壊娘さんもすごく賢くて良い子だな~ 珠代姉さん大好きだよ~応援してます》《こんな大変な状況の中お笑いの仕事やってたなんて…。珠代ちゃん終始泣きっぱなしやったけど見てる私も泣きっぱなしやった。娘からの手紙、最後に実母から言われたという言葉で声出して泣いた》《彼女の辛い過去を知って余計、応援したくなった。頑張って下さい》
2023年09月27日●新選組リアン加入で「昨日までとは全く違う生活に」元タレントの島田紳助さんがプロデューサーを務め、2009年にシングル「男道」でCDデビューを果たしたアイドルグループ・新選組リアン。紳助さん司会の人気番組にも多数出演し、その存在はお茶の間にも広く浸透したが、2014年にグループを解散した。華々しいデビューと活躍から急転直下、紳助さんの芸能界引退、グループの解散という激動の5年を、2代目リーダーで現在は歌手やタレントとして活動している関義哉が振り返る。(前後編インタビューの前編)○■新選組リアンとしてデビュー――関さんは、2009年に『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)で行われたオーディションに合格して、新選組リアンとしてデビューされました。デビュー後の反響はいかがでしたか?反響はめちゃくちゃありましたね。僕は当時大学2年生で、タレント活動をやっていたわけでもなく、卒業後は普通に就職するつもりだったのですが、オーディションを受ける運びになり、新選組リアンとして活動することが決まって。次の日から、街や電車で「新選組リアンの方ですよね! 握手してください!」と声をかけられる、昨日までとは全く違う生活になりました。これは結構な衝撃というか、ちょっと変な感じでした。――生活が一変したんですね。もともと関西の大学に通っていたと思うのですが、デビュー後はそのまま関西に?オーディションに合格してすぐに上京することになって、メンバーとの寮生活が始まりました。最初のうちは半分東京で仕事、もう半分は地元で大学に行く生活だったんですけど、仕事が忙しくなって、なかなか地元に帰れなくなってしまって。なので、出席が必須ではなくて、テストで単位を取れる授業を選択して、テスト期間中だけ地元に戻っていました。その期間は毎日8時間ぐらい勉強しましたね。あのときが、自分の人生で一番勉強したんじゃないかな。多分、受験勉強よりも追い込んでやっていたので、めっちゃしんどかったです……。――そうですよね……。デビューしたときから、大学は卒業しようと決めていたんですか?そうですね。自分も大学は卒業しておきたいと思ってましたし、親との約束でもあったので。新選組リアンのオーディションに申し込んだのは、親なんですけど(笑)。「何年かかってもいいから、大学は卒業しなさいよ」と言われていて、その約束を果たしたいという思いもありましたし、僕自身、中途半端なことが嫌いな性格なので、大学は卒業しようと決めていました。○■これが下積みってやつか――東京の生活はいかがでしたか?デビューしてすぐの頃は、ほとんど仕事場と寮を行き来するだけの生活でした。寮では、4畳ぐらいの部屋に3人で寝てて、そこに1人1個キャリーケースを置くんですよ。メンバーみんな、関西から上京してきてるので。寮は駅から歩いて30分くらいかかるところにあって、コンビニも近所に1軒だけ。そのコンビニへ行くにも歩いて20分くらいかかるんです。仕事場から帰ってくる場所としては、東京のきらびやかなイメージと逆の生活というか、「これが下積みってやつか」と感じてましたね。いま思えば、当時の事務所の社長が僕らのことを考えて、あえてそうしてくれていたのかもしれません。――デビューが華やかだったからこそ、いろいろと制限のある生活は良い面もたくさんありそうです。その後、寮を出て、自由な時間を作れるようになったと思うのですが、番組の共演者の方たちとプライベートでの交流はありましたか?サバンナの八木さんにはすごくお世話になっていました。『紳助社長のプロデュース大作戦!』(TBS系)で共演させていただいて、寮を出てから一人暮らししていた家が近所だと分かって。それから多いときは週4くらいで飲みにいかせていただいたり、八木さんが当時からサウナがお好きだったので、サウナに連れていっていただいたり。八木さんは、なかやまきんに君さんとも仲が良くて、3人でトレーニングもさせてもらっていました。僕だけ全然、筋肉なかったんですけど(笑)。――そうなのですね(笑)。八木さんとは今でも?僕が関西に戻って、住んでいるところも離れてしまったので、最近はなかなかお会いできていなくて……。でも、僕が結婚するときに報告の連絡をさせていただいたら、メッセージビデオを撮って、送ってくださって! めちゃくちゃうれしかったですね。●島田紳助さんから授かった金言とは○■紳助さんの金言を今でも大切に――わざわざビデオメッセージまで! いかに仲が良かったか、お二人の当時の関係性がうかがえます。番組を見ていると、紳助さんも共演者の方たちと食事されていた印象があるのですが、新選組リアンの皆さんもプライベートで食事に行かれていたんですか?僕たちも行かせていただいていました。めちゃくちゃ優しいですし、やっぱりずっと面白いんですよ。プライベートでもオフがないといいますか、本当に天才な方なんだなっていう印象でした。――紳助さんといえば、数々の名言も残されています。紳助さんから授かった金言があれば、教えていただきたいです。本当にたくさんあるんですけど、僕が今でも大切にしているのは「人生を彩る、絵の具を集める」という言葉です。人生という絵を描くためには、経験という絵の具が必要で、素敵な絵には明るい色だけじゃなくて、暗い色も入っているように、人生も楽しい経験だけじゃなくて、つらい経験があったほうが豊かなものになる、というふうにおっしゃっていたのを聞いて、すごく励まされて。つらいことや悲しいことがあっても、それも自分の人生において必要な経験として受け止められるようになって、すごく前向きになることができたんですよね。紳助さんはこれを、いま僕が話したよりも何千倍もうまく話されていたんですけど(笑)。○■紳助さんの引退発表に驚き――いやいや! 関さんが紳助さんの言葉を大切にされていることが伝わってきました。紳助さんプロデュースのもと、音楽活動にテレビ番組出演と活躍していた新選組リアンですが、紳助さんが突然、芸能界を引退することになります。紳助さんが会見を開かれた当日、僕たちはライブがあったんですけど、そのライブの直前に、事務所の社長から紳助さんのことを聞かされました。びっくりしましたし、めちゃくちゃ不安でしたね。――紳助さん全面プロデュースということで、グループの存続も危ぶまれたのでは?そうですね。やっぱり将来のことも考えましたし、めちゃくちゃ迷いました。でも、メンバーとも話し合いをして、まだ自分たちでもできることがあるんじゃないかと。それで、もう一回頑張ってみようと決めて、グループを続けることにしました。紳助さんが引退された影響はやっぱり大きくて、仕事も減りましたし、それにともなってライブに来てくれるファンの方も減っていくのを肌で感じていたのですが、それまでは紳助さんが全部作ってくださっていた楽曲を、自分たちで作ってみようとなって、それがきっかけで僕は作詞作曲をはじめて、振り付けもやるようになって。それが自立するためのいい経験になって、今の自分の活動にもつながっているなと思います。グループとしても、紳助さんが引退されてから3年半ほど自分たちのプロデュースで活動を続けて、その頃にはメンバーそれぞれに新しい夢ができていたので、一人ひとりの活動に注力してその夢を叶えるために、グループでの活動を一度止めることを全員で決めました。――その後、紳助さんとは連絡をとられましたか?紳助さんが引退されて結構時間が経ってからなんですけど、僕が大阪に行ったタイミングでお会いさせていただく機会があって、「頑張りや。応援するしな」というふうに言っていただきました。■プロフィール関義哉1989年4月7日生まれ。京都府出身。2009年、滋賀大学在学中に、日本テレビ系バラエティ番組『人生が変わる1分間の深イイ話』から誕生したアイドルユニット・新選組リアンのメンバーとしてデビューを果たした。2014年、新選組リアン解散後、自身の兄と弟の3人による兄弟ユニット「イーワイエス」としての音楽活動をスタート。現在はソロアーティストとしての活動に加え、ゴルフインストラクター、ライブ配信アプリ「17LIVE」のライバーとしても活動している。2023年10月21日、京都・GRACE HALLにて、メジャーデビュー14周年ワンマンライブを開催。同ライブは、関のライブに初来場の場合、入場無料となる。
2023年09月19日エンダースキーマ(Hender Scheme)が東京・蔵前に展開するオルタナティブスペース「隙間」では、村山伸の個展「Poetry in Losing」を、2023年8月5日(土)から13日(日)まで開催する。過去と未来のはざまで村山伸は、服飾の背景のもと、身の回りにある材料を用いてマスクなどの「ソフトスカルプチャー」を手がけてきたアーティストだ。自身の作品制作と並行して、ケンドリック・ラマーや小沢健二といったアーティストへの作品提供、ファッションブランドとのコラボレーションなども行ってきた。1977年に生まれた村山は、15年間にわたってニューヨークで活動を続けたのち、2023年に日本に拠点を移している。村山自身が過去と未来のはざまに位置付けたという個展「Poetry in Losing」では、ニューヨークで制作された作品に加えて、エンダースキーマの「manual industrial products」のシューズを用いたマスクなど、本展のための新作を展示する。展覧会概要村山伸「Poetry in Losing」会期:2023年8月5日(土)〜13日(日)会場:隙間住所: 東京都台東区蔵前3-11-2 1F時間:12:00〜19:00
2023年07月30日オリックス・バファローズの山本由伸投手が、『WORLD BASEBALL CLASSIC 2023』に出場中。インスタに侍ジャパンのメンバーとの写真をアップし、野球ファンをワクワクさせています!ファンへ感謝の投稿 この投稿をInstagramで見る 山本由伸 / Yoshinobu Yamamoto(@yoshinobu__yamamoto)がシェアした投稿 山本投手は、1次ラウンド最終戦となるオーストラリア戦に先発。4回無失点8奪三振という好投で日本を勝利に導きました。試合後には、インスタで大谷翔平選手とラーズ・ヌートバー選手とのスリーショットを公開。「応援ありがとうございました! 最高です」とファンへ感謝の言葉を届けています。コメント欄に「最高だったよ」「安定感えぐすぎて半端なくかっこよかったです」「球界無双という言葉が相応しいピッチング」「大好きお三人」「いい笑顔です♡」と称賛の声が並ぶ中、同じく侍ジャパンで巨人・大勢投手は「なんでぼくと撮ってくれなかったんですか、、、」と嫉妬している様子。山本投手が「ペッパーミル大勢バージョンとあのモノマネシリーズ載せよう!」とコメント返ししているので、近いうちに新たな投稿があるのかもしれません。『WBC』は準々決勝がスタート。山本投手の次の登板を楽しみにしつつ、インスタもチェックしていきます!あわせて読みたい🌈【WBC】大谷翔平選手と佐々木朗希投手の2ショットに「日本の宝」「岩手最強コンビ!」と大反響
2023年03月16日2023年3月12日、日本のバレーボール選手である藤井直伸さんが、逝去していたことが分かりました。31歳でした。藤井さんが所属するV.LEAGUE Division1の東レアローズのウェブサイトによると、同月10日に亡くなったそうです。東レアローズ男子バレーボール部選手である、藤井直伸が去る2023年3月10日に永眠いたしました(享年31歳)。人柄も含めチームの中心であり今後の活躍を嘱望されていた選手を失ったことは悲しみに耐えません。生前のご厚誼を深謝し、謹んでご連絡申し上げます。また、生前の功績を偲び、ご冥福を心よりお祈りするとともに、ご家族様へ心から哀悼の意を捧げます。東レアローズ男子バレーボール部ーより引用藤井さんは、2017年に日本代表に初選出。2021年には東京オリンピックメンバーに選出され、ベネズエラ戦で五輪初出場を果たしました。翌2022年には、ステージ4の胃がんを患っていることを公表しています。突然の訃報に、ネット上では「つらい…」「31歳って、若すぎる」「大ファンでした」など、悔やむ声が上がっています。藤井さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年03月12日オリックス・バファローズの山本由伸投手は、岡山県出身で、2016年のNPBドラフト会議で指名を受けてプロ野球選手に。2021年、22年にパ・リーグ史上初の2年連続沢村賞を受賞しました。そんな日本球界のエースが、インスタで超豪華ショットをアップしています!侍ジャパンが勢ぞろい! この投稿をInstagramで見る 山本由伸 / Yoshinobu Yamamoto(@yoshinobu__yamamoto)がシェアした投稿 山本選手は現在、侍ジャパンとして『WORLD BASEBALL CLASSIC 2023』に出場中。開催直前には選手全員での決起集会が行われました。山本選手は、「最強なチームメイト。世界一なりましょう!!」と気合十分な様子で写真を投稿。メジャーリーガーの大谷翔平選手やダルビッシュ有選手、〝村神様〟で人気の村上宗隆選手などが集まっていて圧巻の1枚となっています!この投稿に、野球ファンが歓喜!「神メンバー」「みんな良い顔」「サイコー!!絶対世界一を魅せてください」「このメンツ見たら負ける気しない」と期待の声を寄せています。また2枚目は、山本選手&大谷選手&ダルビッシュ選手が並んだスリーショット。「大谷翔平の腕ヤバッ」「由伸くんが小さく見える」「大谷さんの筋肉えぐ!笑」「夢のスリーショットですね」と大谷選手の肉体に驚く声が多く上がっていました。日本は初戦の中国、第2戦の韓国に連勝し、一次ラウンド突破へ大きく前進。勢いが加速する中、山本選手は12日のオーストラリア戦で先発が予想されています。どんな投球を見せてくれるのか、注目です!あわせて読みたい🌈ヤクルト村上宗隆選手“食べスタグラム”に「男らしい〜」「牛1頭食べそう」と大反響!
2023年03月11日“国際派女優”とも“お騒がせ女優”とも呼ばれながら、昨年7月にその波乱万丈な生涯を閉じた女優・島田陽子さん(享年69)。晩年、彼女のマネージャーを務めていた福島浩一朗氏がこの度、沖縄県の尖閣神社の社務所長に転身した。故郷の埼玉県から石垣島に単身移住し、第二の人生を送っている。東シナ海を行き来する船舶の安全を願って尖閣諸島の魚釣島に尖閣神社が建立されたのは’00年のこと。ところが’04年3月、魚釣島に不法上陸した中国人活動家によって破壊される事件が発生。その後、壊された祠を持ち帰り、有志らの尽力によって’19年に現在の地に移設・再建された。今年の2月18日には3年ぶりとなる例大祭が盛大に執り行われたばかりだ。芸能マネージャーから宮守になった理由を福島氏はこう語る。「僕は、地元の本庄市長選に立候補した昨年1月に島田さんのマネージャーを辞めました。選挙は惨敗だったのですが、投票日の二日後に石原慎太郎元東京都知事が亡くなられて……。石原さんといえば都知事時代に尖閣諸島を都で購入すると表明して、国有化に導いた尖閣諸島に大変な功績があった人ですから、運命を感じてしまいました。尖閣神社は’19年の再建から社務所はずっと無人だったんですよ。台湾有事が叫ばれる中、誰かが守らなくてはいけない。そこで、自分がやろうと手を挙げたわけです」市長選に続いて、尖閣神社の宮守に“立候補”したというわけだ。現在は境内にある社務所に住み込みで暮らしているという福島氏。無人だったため社務所内は手つかずの荒れ放題で、ガスも通っていなかったためカセットコンロで調理をしているという。それでも元芸能マネージャーらしく、早くも商才を発揮しているようだ。「島に移住して神社を守るといっても、自分の生活費は稼がなくてはなりません。そこで思いついたのが『旭日ダルマ』(大3000円、小2000円)という神社限定の縁起達磨です。同じデザインの『御朱印帳』(初穂料込み4000円)も開発しました。例大祭ではありがたいことに、ダルマを一人で40個買っていかれた方もおられました」有人になったことで「御朱印を受けられるようになった」といった喜びの声も聞こえ、石垣島のパワースポットとして観光客の間でも話題になり始めている。最後に、女優のマネージメントと神社のマネージメント、どちらが大変かと聞いてみると…。「そりゃあ、島田陽子ですよ、全く面倒くさいもの(笑)。島田さんと僕とスポンサーの3者ですべて話がついた後に、マネージャーの僕の知らないところで島田さんが勝手にスポンサーにギャラを釣り上げようとする、なんてこともありましたね。それでもまあ、愛すべき人でした。今となってはすべてが懐かしいですね」そう笑みをこぼしながら、沖縄の地で故人を偲んだ。
2023年02月24日2023年は卯年。新年を迎えるにあたって、どのような年となるのか、またどのように過ごしていけば運気が上がるのかが、気になっている人は多いでしょう。手相占い師の島田秀平さんは、YouTubeチャンネル『島田秀平のお開運巡り』で、2023年について解説しています。島田秀平が教える「2023年はどんな年?」2023年の干支(えと)は、十干(じっかん)と十二支の組み合わせで『癸卯(みずのとう)』。それぞれの字について、島田さんは次のように説明しています。癸:終わりと始まり。種子。卯:植物が茂る、春の訪れを表す。どんどん新しいことが始まる。点を入れると『卵』に通じる字でもある。両方の漢字から見えてくるのは、『癸卯』は何か新しく始めるのに向いている年だということ。そこから島田さんは、2023年の過ごし方について、このようにまとめました。卯年というのは、まさに「ホップ・ステップ・ジャンプ」の「ホップ」。まさに何かを生み出すのがとても大事になってくる年なんですね。ぜひみなさん、癸の卯・2023年は、何か習いごとをするとか、資格を取るとか。ぜひそういうふうに使っていただきたいと思うんですね。島田秀平のお開運巡りーより引用島田さんのおすすめは2つ。1つ目は今の仕事に役立ちそうなこと。2つ目は、自分自身がリフレッシュできる、楽しい趣味を作っておくことだそうです。動画には、2023年に新しい1歩を踏み出そうと考えていた人たちから、感謝の声が多数寄せられました。・2023年を明るい気分で迎えられそうです!・よい年となるよう、頑張ります。・まさに、資格の勉強がしたかったので、がぜんやる気が湧いてきた。・すごくためになりました。意識して過ごしていきたいです!あなたも、自分自身のために、2023年の過ごし方を計画してみてはいかがでしょうか![文・構成/grape編集部]
2022年12月31日大腸がんによる多臓器不全のため、7月25日に69歳で死去した女優・島田陽子さん。『続・氷点』『犬神家の一族』などで楚々とした演技を披露し、お嬢様役をやらせれば右に出るものはいないと言われた昭和を代表する女優の一人だった。’80年には米ドラマ『将軍 SHOGUN』で日本人女優として初のゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞。「国際派女優」と呼ばれるも、キャリアの後半は歌手の故・内田裕也さんとの壮絶な不倫愛などでお騒がせ女優としての評判が定着してしまった。晩年は身寄りのない生活で、亡くなった直後に所属事務所が「近親者のみで荼毘に付された」と発表したが、本誌が渋谷区に取材したところ、引き取り手の遺族が現れないため遺体がまだ存在していたことが判明した。約2週間もドライアイスの中で保管されていたという。「ご遺体がまだ残っているのに所属事務所が火葬したと発表したのは前代未聞のことでした。島田さんが代表を務める個人事務所のような会社で、スタッフには芸能界の仕事に長けている人が少なかったそうです。それで今回の騒動をまねいてしまいまったのかもしれません」(島田さんの知人)結局、島田さんの遺体は渋谷区により火葬された。無縁仏として合葬されてしまうところだったが、お骨に関しては事務所関係者によって引き取ることができ、先に亡くなっていた実母とともに、9月に都内のお墓に納骨された。所属事務所は「ゴールデングローブ賞のトロフィーのレプリカをお墓に設置するタイミングでお別れ会を開きたい」と発表していたが、10月頃に本誌がお墓を訪れた際にはまだ墓石に名前も刻まれていない状態だった。しかし、11月末になってついにトロフィーのレプリカがお墓に設置された。墓石には真新しい文字で刻まれた島田さんの戒名も確認できた。「大女優にしてはいささかこぢんまりとしたトロフィーですが、多額の借金を残したまま天国に旅立ってしまったので仕方ないのかもしれませんね。いまだにファンのためのお別れ会は開かれぬままですが、俳優ら仕事関係者によるお別れ会は全国各地で行われました。これでようやく御本人も眠りにつけることでしょう」(前出・島田さんの知人)昭和の大女優にふさわしい波乱万丈の人生だったーー。
2022年12月09日東京・中目黒のスターバックス リザーブ ロースタリー 東京から、京都・島田耕園人形工房とのコラボレーションによる新作グッズ「ジモト メイド プラス(JIMOTO Made +) 東山」が登場。2022年12月13日(火)に発売される。スターバックス「ジモト メイド プラス」第3弾その土地独自の産業や素材を取り入れた商品を、スターバックス(Starbucks)の“地元店舗のみ”で販売する「ジモト メイド(JIMOTO made)」。そのコンセプトをさらに発展させた「ジモト メイド プラス」は、日本各地のモノづくりに向き合う情熱を広く伝えるべく、スターバックス リザーブ ロースタリー 東京を拠点に発信する特別なグッズシリーズだ。京都・島田耕園人形工房とコラボした御所人形第3弾となる今回は、毎年12月に干支や縁起物の御所人形でコラボレーションしている、京都市東山区の島田耕園人形工房と再タッグ。和様美の粋を尽くした伝統的人形を創りつづける、老舗ならではの御所人形が展開される。※1 御所人形(ごしょにんぎょう)かわいらしい幼児の姿の姿をモチーフにした、日本の伝統的な人形。そのルーツは平安時代にまで遡り、疫病を祓うための等身大の人形から、身代わりに災厄を引き受ける「ひとがた」へと転化。そして、子の無事を願う御所人形へと派生した。アイコンのサイレンを表現した御所人形たとえば「人魚」は、スターバックスのロゴで用いているサイレンを伝統の技法で表現した御所人形。色彩豊かで御所人形らしいぷっくりとした顔つきの人形の衣装には、日本古来の文様「蛇の目」や「菱」をデザイン。人魚の尾のようにも見える足元は、スターバックスをイメージしたグリーンの袴だ。白鯨や招き猫、うさぎのモチーフもこのほか、スターバックスの名前の由来に繋がるハーマン・メルヴィルの名作小説『白鯨』をイメージした「白鯨」、存在感ある本金箔貼りがラグジュアリーな輝きを放つ「招き猫金」、2023年の干支である「卯(うさぎ)」をモチーフにした白と黒の土鈴セット「干支土鈴セット うさぎのお願い」など、数量限定品を含む全12種類が用意されている。商品情報「ジモト メイド プラス(JIMOTO Made +) 東山」販売期間:2022年12月13日(火)~ 無くなり次第終了※2022年12月13日(火)から2022年12月31日(土)までは、1人1商品につき1点まで。以降は、1人1商品につき10点まで購入可。販売店舗:スターバックス リザーブ ロースタリー 東京、スターバックス オンラインストア
2022年12月09日現代日本を代表するアーティストとして国内外で活躍している大竹伸朗さん。彼の作品およそ500点を集めた大規模な回顧展が、現在、東京国立近代美術館で開かれています。プレス内覧会に登壇した大竹さんのコメントとともに、展覧会の様子をレポートします!美術館が宇和島駅に…?!【女子的アートナビ】vol. 269『大竹伸朗展』では、1980年代初めにデビューして以来、絵画や彫刻、映像、インスタレーション、巨大な建造物など幅広いジャンルで多くの作品を手がけてきたアーティスト、大竹伸朗さんの作品約500点を展示。16年ぶりの大回顧展となります。大竹さんは、1955年東京生まれ。武蔵野美術大学を卒業後、1982年に初個展を開催。その後、ドイツ・カッセルで開かれている世界最大級の国際美術展・ドクメンタ(2012年)や、120年以上の歴史を持つヴェネチア・ビエンナーレ(2013年)など、さまざまな国際展に参加。アートの島として有名な直島に多くの作品が展示されているほか、「東京2020 公式アートポスター展」にも参加するなど、半世紀近くもの長い間、多方面で活躍されています。プレス内覧会に登壇した大竹さんは、次のように述べました。大竹さん本展は挑戦要素が多い展覧会で、今までにないものになっていると思います。世界は破壊が続いていますけど、モノをつくる力、つくりだすパワーを少しでも感じていただければとてもうれしく思います。5回ぐらい来て、見てください(笑)。大竹伸朗展2022年11月1日(火)~2023年2月5日(日)東京国立近代美術館展示風景より《宇和島駅》(1997年)また、大竹さんは、美術館のテラスに設置された作品《宇和島駅》についてもコメントしました。大竹さん宇和島は、僕が制作拠点にしている場所です。宇和島駅が新しくなるとき、駅名の文字を廃棄するというので、納得がいかなくて入手しました。駅舎に乗って、ひとつずつ焼き切ったのです。東京国立近代美術館と宇和島駅が交差するのは、ある種のコラージュ。赤い色は僕が創造したもので、夜はライトアップされて見え方が変わります。圧が強すぎ…!7つのテーマで体感大竹伸朗展2022年11月1日(火)~2023年2月5日(日)東京国立近代美術館展示風景より手前:《男》(1974-75年)富山県美術館では、展示の様子をご紹介。会場では、テーマに合わせて7つのセクションに分けられています。ただ、テーマに沿って作品をつくっているのではなく、また、制作時代順にも並んでいないので、自分の好きなところから自由に見ていけばいいようです。最初の展示室から、けっこう圧が強め。ちょっと怖い感じの人形のような作品が立っていたり、天井からぶら下がっていたりして、もし照明が暗いとお化け屋敷と思ってしまいそうな雰囲気です。大竹伸朗展2022年11月1日(火)~2023年2月5日(日)東京国立近代美術館展示風景より手前:《スクラップブック #71/宇和島》(2018-2021年)本展を担当された東京国立近代美術館の主任研究員、成相肇さんによると、大竹作品の特徴は「貼り付けること。貼ってからはがして、重ねて量を増やして密度を増していき、ほとんどの作品がコラージュ作品になっている」とのこと。その密度の濃さを体験してほしいそうです。もっとも密度を感じられるのは、スクラップブックと題された作品たち。もはやスクラップブックの面影もないような、大きな塊です。展示室に巨大な小屋が…!大竹伸朗展2022年11月1日(火)~2023年2月5日(日)東京国立近代美術館展示風景より《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》(2012年)本展でもっとも目を引く作品は、ドイツの国際展にも展示された《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》。ネオンサインやトレーラー、ギター、巨大なスクラップブックなどが凝縮されたパワフルなインスタレーションです。展示室の空間に巨大な小屋が置かれ、かなり迫力があります。小屋の中をのぞくと、いろいろなものが詰まっていて、こちらも圧が強め。音も鳴る作品で、大竹さんの集大成のひとつといわれています。人気のニューシャネルも…!また、本展はグッズも充実。大竹さんは、文字の作品も多く手がけていて、本展の「大竹伸朗展」という文字も今回の新作です。そんな「大竹文字」のひとつが《ニューシャネル》(1998年)。スナックの看板をモチーフにしてつくられたもので、Tシャツなどのグッズが大人気です。今回のためにつくられた新作グッズもあるので、ぜひ特設ショップものぞいてみてください。本展は2023年2月5日(日)まで開催。その後、愛媛県美術館と富山県美術館に巡回予定です。Information会期:~2023年2月5日(日)休館日:月曜日(ただし1月2日、9日は開館)、年末年始(12月28日~1月1日)、1月10日(火)会場:東京国立近代美術館開館時間:10:00-17:00(金曜・土曜は10:00-20:00)(入館は各閉館時間の30分前まで)※最新情報などの詳細は展覧会公式HPをご覧ください観覧料:一般 ¥1,500、大学生¥1,000、高校生以下および18歳未満は無料お問合せ: 050-5541-8600(ハローダイヤル 9:00~20:00)
2022年11月19日大腸がんで7月に亡くなった島田陽子さん(享年69)。逝去直後の騒動は落ち着きを見せているが、9月に開催予定と報じられたお別れ会は、いまだに行われていない。長年の知人が語る。「晩年はお金がないのにタワーマンションに住んで家賃を半年分も滞納。ポストはいつも督促状の山でした。裁判所からの呼出状もあったそうですが、当の本人は封すら切らずに知らぬ存ぜぬだったそうです。借金の額は聞いているだけでも1千万円を軽く超えるとか」家族とも縁が切れていたため一時は遺体の引き取り手もなく、渋谷区がドライアイスで保管する事態となっていたが、9月にようやく親族によって実母とともに納骨された。しかし、この墓が新たな金銭問題の火種になりつつある。「島田さんは’80年にアメリカのドラマ『将軍 SHOGUN』でゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞しました。このときにもらったトロフィーのレプリカを製作してお墓に建てようと、島田さんの事務所関係者たちが計画しているのです。しかし、この特注墓石には話題をつくってお金を集めるという意図が見え隠れします。事務所関係者は再三にわたって資金集めを画策していますが、うまくいかずお別れ会は2度も延期され、島田さんの友人たちからの不信感はかなり強いのです。債権者たちから“レプリカを建てるお金があるなら、まずは借金を返して”という声も上がっています」(前出・知人)本誌はこの“トロフィー墓碑”について所属事務所に問い合わせたが、回答は得られなかった。生前、「宇宙葬」を希望するなど型にはまらない考えを持っていた島田さんだが、ファンや友人らは、故人を偲ぶ機会が早期につくられることを望んでいるのではないだろうか。
2022年11月16日合同会社みどりや薬局(静岡県島田市中溝、代表社員:清水 雅之)は令和4年11月21日より島田市で開催される島田薬剤師会主催のお薬とスポーツを学ぶスタンプラリー「ドーピング妖怪を封印せよ!」に企画協力いたします。ドーピング妖怪を封印せよ!メインビジュアルこのスタンプラリーは静岡県島田市にある島田薬剤師会会員薬局にそれぞれドーピング妖怪スタンプヒントパネルと妖怪スタンプを設置し、薬局窓口で配布されるスタンプラリー台紙をもって市内にある薬局を巡りながら楽しく薬やアンチドーピングを学ぶ企画となっております。すべての妖怪スタンプを集めた方へはエコバッグや缶バッチなどのオリジナルグッズをプレゼントいたします。スタンプラリーを通じて地域の薬局、薬剤師に親しみを持っていただくと共にドーピングというスポーツにおけるルールを参考に日常的なお薬の正しい使い方について地域の皆様に考えていただくきっかけとなることを目的としたイベントです。●イベント実施期間2022年11月21日~2022年12月31日※景品が無くなり次第終了●スタンプ設置薬局について島田市内にある島田薬剤師会会員薬局(2022年11月現在)会員薬局については島田薬剤師会HPの会員薬局( )を参照●イベントお問い合わせ島田薬剤師会 TEL 0547-37-7760■ドーピング妖怪についてスポーツにおける世界共通のルールであるドーピング規則「WADA CODE」に定められているドーピング禁止物質をカテゴリー別に妖怪キャラクター化。使い方によって人の病気を治す事も出来ますが使い方を誤るとドーピング違反になったり、体調を悪化させたりする可能性があるドーピング禁止物質をわかりやすく広める目的で製作いたしました。■お薬とスポーツを学ぶスタンプラリー「ドーピング妖怪を封印せよ!」についてスポーツをする人もしない人も、ドーピング妖怪のスタンプラリーを楽しむ中でドーピングの事やお薬やサプリメントを正しく使う事について考えてもらえる内容となっております。「ドーピング妖怪を封印せよ!」の導入について 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年11月15日東京国立近代美術館では、2022年11月1日(火)より、『大竹伸朗展』を開催する。2006年に東京都現代美術館で開催された『全景 1955-2006』以来、16年ぶりとなる大規模な回顧展だ。1955年、東京に生まれ、現在は愛媛県の宇和島を拠点に活動している大竹伸朗は、現代日本を代表するアーティスト。1980年代初めにデビューして以来、絵画、版画、素描、彫刻、映像、絵本、音、エッセイ、インスタレーション、巨大建造物と、あらゆる創作物を手掛け、ドイツ、カッセルで開催されるドクメンタ(2012年)やヴェネチア・ヴィエンナーレ(2013年)といった国際展に参加するなど、現代美術のトップランナーとして走り続けてきた。そんな彼の半世紀近くに及ぶ創作活動を一挙公開する同展では、「自/他」「記憶」「時間」といった7つのテーマで、約500点の作品を紹介する。主な出品作品は、2019年以降大竹が取り組む「残景」シリーズの最新作で初公開となる《残景 0》(2022年)や、2012年のドクメンタで発表した小屋型のインスタレーション《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》、そして大竹伸朗作品を代表する「宇和島駅」のネオンサインなど。この《宇和島駅》は、同展会期中、東京国立近代美術館のテラスで輝き続けるので館外からも注目を。そのほか、小さな手製本から、「音」を発する作品まで、大竹伸朗の強烈な個性とエネルギーに埋め尽くされた空間に、鑑賞者は圧倒されること間違いない。また大竹伸朗といえば、スナックの看板をモチーフにした《ニューシャネル》(1998年)に代表される独得な文字が特徴だが、この「大竹文字」をデザインしたTシャツなど、同展のために製作された展覧会オリジナルグッズも見逃せない。《宇和島駅》 1997年Photo:岡野圭《ダブ平&ニューシャネル》 1999年公益財団法人 福武財団《モンシェリー:スクラップ小屋としての自画像》 2012年Commissioned by dOCUMENTA(13)Photo:山本真人《スクラップブック #71/宇和島》 2018–21年Photo:岡野圭©︎Shinro Ohtake, photo by Shoko【開催概要】『大竹伸朗展』会期:2022年11月1日(火)~2023年2月5日(日)会場:東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー、2F ギャラリー4時間:10:00~17:00、金土は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)休館日:月曜(1月2日、1月9日は開館)、年末年始(12月28日~1月1日)、1月10 日(火)料金:一般1,500円、大学1,000円展覧会公式サイト:
2022年10月28日国際派女優として知られた女優の島田陽子さん(享年69)が、がんのため亡くなってはや3カ月。逝去直後、「荼毘に付した」という報道が出たが、実は渋谷区が遺体を保管しており火葬されていなかったという事実を本誌は報じていた。「まだご遺体があるのに『荼毘に付した』という情報を出したのは島田さんの所属事務所だったそうです。メディアもまさか大女優の逝去に関して事務所関係者が事実と異なる情報を出すとは思わず、その通りに報じてしまったのです。ご遺体は2週間もドライアイスの中でしたが、8月上旬には火葬されました。晩年の島田さんは家族とは疎遠で、唯一の理解者だったお母様のお骨を自宅に大事に保管していましたが、9月になってやっとお母様と一緒に納骨されたそうです」(島田さんの知人)本誌は島田さんが納骨されたというお墓を訪ねた。都内一等地にある日蓮宗のお寺の墓地に島田さんはひっそりと眠っていた。墓石は本名の「中村家」と書かれ、島田さんの両親が生前に建てたものだった。墓石には両親の名前しか刻まれておらず、現状では誰もこれが島田陽子さんの墓だとは知る由もない。しかし、住職に確認すると確かに9月に納骨が済まされたそうだ。また、予定されていたお別れ会も未だ開かれないままだ。「当初は9月という話だったのが、『10月中には』『やっぱり11月に』とずれ込むばかり。一度は事実と異なる情報を出した事務所に関係者が不信を抱き、なかなか賛同者が集まらないのだそうです。また、生前の島田さんは宇宙葬を望み、契約書も交わしていました。宇宙葬というと壮大に聞こえますが、実際は遺骨の数グラムを小さなカプセルに入れて飛ばすことなんだそうです。それだけでも叶えてもらえれば故人の供養になると思うのですが…」(前出・知人)ファンが島田さんにお別れをいう機会は設けられるのか、そして宇宙に行きたいという島田さんの夢は叶うのか――。今後を見守りたい。
2022年10月26日オリックス・バファローズの山本由伸が、2022年シーズンの沢村栄治賞を受賞したことが24日に発表され、球団を通じてコメントを発表した。今季26試合に先発し、15勝5敗、205奪三振、防御率1.68の成績をおさめた山本は、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、最多完封の「投手5冠」を2年連続で達成。なお、「投手5冠」の複数回達成はプロ野球史上初となる。そして、昨年に続き、今シーズンも沢村賞を受賞。山本は「2年連続で選んでいただいて、素直に嬉しく思います」と喜び、安定した成績を残せる理由、原動力は「一日一日を大切にして、真剣に練習、調整をして、毎試合必死に投げた結果だと思います」と自己分析した。また、自身にとって沢村賞は「一年間を評価してくれる賞なので、やりがいを感じますし、頂いたらもちろんとても嬉しいです」と率直な感想を述べ、今後目指す投手像として「より高みを目指して、もっといいピッチャーになるために、もっともっと野球と向き合いたいと思います」と意気込みを語った。
2022年10月24日逝去後に「遺体放置」という前代未聞の事態となってしまった島田陽子さん(享年69)。7月25日にがんで逝去するも家族が現れず、遺体は約2週間、渋谷区役所が管理していたという。「葬儀をして荼毘に付したといった報道が死亡直後に出たのですが、これは“虚偽情報”だと言われています。8月上旬にようやく火葬が終わり、遺骨はいま自宅に安置されているようです」(芸能関係者)しかし島田さんの元マネージャー・福島浩一朗氏は、未解決トラブルがまだ残されていると語る。「島田さんの遺作となった主演映画『エヴァーガーデン』の製作費のうちおよそ1千万円がプロデューサーでもある彼女の会社に入金されたのですが、ほかの出演者にギャラが支払われていないんです。だから私としては彼女の葬儀を盛大に執り行って、話題を作ったうえで遺作を世に出し、その収益で出演料を支払えればと考えているのですが……」荼毘に付された後も金銭問題がくすぶっているというより“炎上”している島田さん。なんとギャラとして支払うべきお金を“着服”してしまったという証言が……。彼女を知る映像プロデューサーもこう語る。「島田さんからは『ギャラをもらっていない』と聞きましたが、私が調べたところ製作費として約1千万円渡されていたのです。彼女は女優ですが、さまざまな企画で自ら動き、費用面の交渉まで行っていましたから」また島田さんは生前、キューバの革命家チェ・ゲバラを題材とした作品を撮るための製作費5千万円を集めるためにも奔走していたと同プロデューサーは明かす。「この映画は撮影に向けて動きだしたとスポーツ紙が報じていましたが、いったいどこから資金を調達したのでしょうか……」次々に浮上する島田さんの金銭疑惑。前出・福島氏はさらなる問題についても語った。「彼女は以前住んでいたタワマンの近くの駐車場に愛車を止めていましたが、借金の担保として手放しました。しかし亡くなった後も車は置かれたまま。だから駐車場代が発生し、いま12万円ほどになっているそうです。譲渡された相手が誰かわからず、駐車場を貸している方が困っています」晩節これほど困窮した有名女優がいただろうか。島田さんの友人はこう悔やむ。「島田さんがしみじみ言ってました。『年を取ってからお金がないと、すごくみじめですよ』って。それでもええカッコしいだから友達と食事に行っても全部払う。高級フレンチで35万円ごちそうしたとも言っていました。彼女はがん治療に『光免疫療法』という1クール330万円もかかる方法を選びましたが、その金策に悩み、治療開始が遅れてしまったんです」それでも福島氏はほほ笑んだ。「今ごろ本人は天国から僕らを見て笑っているかもしれませんね」トラブル続出でも愛され続けた女優だった――。
2022年08月23日7月25日に亡くなった女優の島田陽子さん(享年69)。さみしいことに、亡くなった後も実妹たちが遺体を引き取らなかったと本誌は8月2日発売号で報じたが、その直後、編集部に衝撃的な情報が寄せられた。「島田さんの遺体はまだ火葬されていません。渋谷区の施設に安置されたままなんです」電話の主は、島田さんの元マネージャー・福島浩一朗氏だった。「遺体は毎日ドライアイスを詰め替えて、保管していると区の担当者から聞いています。私が引き取ろうにも、渋谷区の場合は三親等以内の親族に限られているそうです。2人の妹のどちらかが私に委任してくれれば、渋谷区は私に遺体を渡すと。その後は、ハリウッド女優らしくきらびやかな葬儀をして送り出してやれたらと思っています。そんな話をケント・ギルバートさんにしたら『絶対に呼んでください』と言っていましたよ」福島氏は島田さんが生前、埼玉県にある長泉寺に墓地を購入していたと言う。住職にも話を聞いた。「島田さんがここにお墓を建てると決めたのは’20年2月のことです。墓石はまだありませんが、すでにお金はいただいています」本誌が渋谷区役所に確認したところ、福祉部管理課民生係の担当者は困惑しながらも「火葬はまだ行われていません」と認めた。8月5日時点でも2人の妹から福島氏に委任状は届いていない。今後、島田さんの遺体はどうなるのか。終活カウンセラー協会の代表理事・武藤頼胡さんによれば、今回のように遺体の引取り手がいないケースは日本全体でも増えているという。「病院で引取り手が見つからなかった遺体は自治体が管理します。第三者でも引き取れますが、委任状はあったほうがよいでしょう。腐敗等の問題で、火葬までの期間は決して長くはとれません。遺骨はしばらく保管されますが、その後合葬され無縁仏として埋葬されると、同じような遺骨と交ざってしまうので、島田さんの骨だけを返すことは難しくなるかもしれません」実は編集部には、さらに別の人物からも連絡があった。島田さんが出演したボイスドラマ『Romeo,Juliet』を演出・プロデュースした水野哲氏だ。9月から電子チケットサイト「ZAIKO」で販売される同作では、島田さんはジュリエットを演じたという。「『10代の役でも私はできる。ほかの人には決して負けませんよ』なんて言っていました。体調が悪くて録音が何度か中止になることもありましたが、『点滴を一日やれば楽になるから大丈夫』なんて女優魂を見せていましたね。やっぱり声はちょっと出にくかったり、苦しい感じもあったけど、セリフなんかしっかりしてて、今聞くとすごく感動しますね。国際女優の彼女の一面をちゃんと残せたというのは良かったです」晩年も演技で仕事関係者をも魅了し続けた島田さん。しかし、プライベートでは寂しげな姿も見せていたという。「お金があるように振る舞う場所ではめちゃくちゃ使っていました。フランス料理を豪勢に奢って振る舞うこともあれば、そうでない場所では実にお金がないという一面も見せます。ジュース代の小銭を財布から出すのに10円、20円を数えて『あるかな、あるかな』なんて不安そうなときがありました。妹さんと縁が切れて『きょうだいなんてそんなもの。私はもう全く一人になりました』とも言っていました。本当に変わった方でね、一言ではいえないですよ。サービス精神がありすぎて誤解されることもありましたが、優しい方であったことは確かです」(水野氏)そんな大女優の遺体の行き先が宙に浮いてしまっている事実に愕然とせざるをえない。元マネージャーにより供養される日は来るのだろうか。
2022年08月09日女優の島田陽子さんが、がんのため都内の病院で亡くなった(享年69)。彼女と長年親交があったという友人Aさんが悔やむ。「がんの告知は、遺作となってしまった映画『エヴァーガーデン』の撮影中のことでした。本人も悩んでいましたが、髪が抜けたら女優業に差し支えると、治療に踏み切れなかったんです。医師から手術するよう勧められていましたが、人工肛門になることもあってか拒否していました」突然の訃報に、映画プロデューサーも肩を落とした。「4月に一緒に福島へ行き“復興の映画を作りましょう”と話していたばかりでした……」8歳のときに熊本から上京し、中学1年生で「劇団若草」に入団した島田さん。’70年にドラマデビューすると、翌’71年放送のドラマ『続・氷点』(TBS系)で注目され、人気女優へと駆け上がっていく。’80年にはアメリカのテレビドラマ『将軍 SHOGUN』(米NBC)でヒロインを演じ、国際女優と呼ばれるなど幅広い活躍を見せた。その一方で、数々のスキャンダルを巻き起こした“恋多き女”でもあった。当時を知る芸能記者が振り返る。「’88年に故・内田裕也さんとの不倫が発覚。内田さんは妻・樹木希林さんとの離婚届を’81年に役所に提出していましたが、希林さんが離婚無効の訴訟を起こして勝訴。島田さんは内田さんと結婚できなかったと言われています」’96年に照明ディレクターだった夫と結婚するも’19年に離婚。また、仕事が激減し2億5千万円で購入した豪邸のローンを払えなくなったり、ヘアヌード写真集を出版するなど、常に話題を振りまいた女優であった。そんな彼女の訃報は、やはり“想定内”では済まなかった。報道後に突然、所属事務所からマスコミ各社に異例の内容のFAXが送られてきたのだ。《実のところ弊社は知人の報道の方からご一報戴き、亡くなられた事実を知ることとなりました》《闘病期間や入院の時期、大腸癌の発症時期など親族や近しい友人、葬儀におけるスケジュールなどに関する情報は皆無の状況にあります》では、島田さんの弔いはどのように行われたのだろう。前出の友人Aさんからも、決して安らかとは言えない状況が伝えられた。「島田さんは両親が亡くなっており、家族は妹2人だけなのですが、その彼女たちが遺体の引き取りを拒否したと聞き、驚きました。そのため遺体は区役所が管理していて、会えないとも……」親しい友人たちも弔うことのできない混乱の中、なんとか葬儀は行われたという。遺族が姿を見せない中で、その中心となったのは、島田さんが設立した映画製作会社のスタッフだった。窓口となった男性が葬儀の様子をこう話す。「密葬は私も含めて十数人で行いました。病院の方にも女優さんだからと配慮してもらって、ドレスを持ってきてご遺体に着させたんです。ただ、妹さんお2人とは連絡が取れず、葬儀に出席もされていないのは事実です。身元引受人は、生前の島田さんが一筆書いてお願いしていた方となりました。長年、彼女の面倒を見ていた方です。遺骨はいま、島田さんの自宅に祭壇を設けて安置してあります」芸能界で華々しく活躍しながら、その葬儀には家族の姿さえもなかった島田さん。なぜこのような孤独な最期となってしまったのか。前出とは別の、彼女と近しい友人Bさんが、真相を明かしてくれた。「陽子さんは3姉妹の長女。お父さんが亡くなった後は、自分が一家の大黒柱として家族を養うという気持ちが強かったそうです。デビュー以来ずっと順風満帆だった陽子さんですが、うまくいかなくなったのは内田裕也さんとの交際がきっかけで借金を背負うようになってから。そこから自転車操業になって、妹さんたちに無心することもあったそうです」金銭がもとで亀裂が生じていた姉妹関係が破綻したのは、母の病いがきっかけだという。「お母様は脳梗塞になり、車いす生活を余儀なくされていました。3姉妹持ち回りで世話をしようという約束でしたが、陽子さんは芸能活動もあるため、主に費用の面でバックアップするという話になっていました。しかし、借金の返済に追われ、ままならなくなってしまったそうなんです」それでも、2年ほど前に亡くなる最期まで母親の介護をしていたのは、島田さんだった。前出の友人Aさんは後悔まじりに話す。「この数年間はとても苦しかったと思います。妹と疎遠になり母を失い、『これで本当にひとりきりになってしまった』としみじみ言っていたことを思い出します。実は彼女には、ニューヨークのブロードウエーで『将軍 SHOGUN』に主演したリチャード・チェンバレンと二人芝居をするという企画もあったんです。さぞ無念だったでしょう」近年も女優として並々ならぬ意欲を見せていた島田陽子さん。天国でもやり残した夢を追い続けているに違いない。
2022年08月02日7月25日、女優の島田陽子さんが大腸がんによる多臓器不全のため、都内の病院で亡くなった。69歳だった。「サンスポ」によると、島田さんは亡くなる直前に主演映画『Evergarden(エヴァーガーデン)』の撮影を終えていたという。本作は島田さん自ら企画、プロデュースも手がけた作品だが、惜しくも遺作となった。撮影した横山浩之監督(61)は、年内公開の意向を示しているという。’71年にドラマ『続・氷点』のヒロイン役で注目を集め、映画『砂の器』(’74年)『犬神家の一族』(’76)などに出演し人気を博した島田さん。’80年にはアメリカの連続テレビドラマ『将軍 SHOGUN』に出演。主人公と恋に落ちるヒロインを演じ、その演技力が評価されゴールデン・グローブ賞テレビドラマ部門の最優秀女優賞を受賞。これを機に、“国際女優”として脚光を浴びた。輝かしい女優人生を歩むいっぽう、島田さんのプライベートは波乱万丈だった。NHK大河ドラマの急きょ降板騒動や金銭トラブルも何度か報じられている。’80年代には樹木希林さん(享年75)の夫でロック歌手の内田裕也さん(享年79)との不倫が発覚。これによって、内田さんと希林さんは離婚騒動にまで発展し、世間を騒がせることに。その後、内田さんと島田さんは関係に終止符を打っていた。そんな経緯はあったものの、島田さんの内田さんへの敬愛の念はなくなっていなかったようだ。内田さんが亡くなって約9カ月経った’19年12月、島田さんは本誌に登場し在りし日の思い出を語ってくれた。■「私が尊敬していたのはあの人の才能です」2人の出会いは、’88年公開の島田さん主演映画『花園の迷宮』での共演だった。本作にはオールヌードシーンがあり、島田さんは監督との話し合いを続けながらも葛藤していたという。そのような時、宿泊先のホテルのドアに内田さんからのメモが挟んであったといい、励ましの言葉がこう綴られていたという。《今、大変悩んでいらっしゃると思います。自分の意見をひと言言わせてください。裸になることで、あなたの品位は1ミリたりとも傷つきません》内田さんの優しさに背中を押された島田さんは、こう振り返っていた。「世間の内田さんのイメージとは真逆な、繊細で思いやりにあふれた文章でした。ようやく心を決め、私がスタジオに向かうと、雨の中、内田さんは傘もささずに私が来るのをじっと待っていてくれました」世間的にはロックンローラーとして型破りなイメージがあった内田さん。しかし、島田さんが知っている内田さんの性格は、正反対だったという。「内田さんは他人の目があるとロックンローラーを演じてしまいます。人からどう思われているか常に評価を気にして、日常を忘れにハワイに行っても、毎日、日本の新聞と週刊誌を買い込んでチェックしているような人でした」そんなギャップのある内田さんについて、島田さんはこう語った。「私が尊敬していたのはあの人の才能です」島田さんが内田さんと最後に再会したのは、’17年8月。都内のホテルのカフェで偶然会ったといい、その日の夜遅くに内田さんから電話がかかってきたという。「私といた8年間が内田さんが輝いていた人生のピークだったようで、『あの時代が懐かしい』と。『そうね、楽しかったわね』と私が言うと、『あの時期は自分は幸せでした』と。それが最後の言葉になりました」若かりし頃に内田さんと過ごした時間は、島田さんにとってかけがえのない思い出だった――。
2022年07月27日島田歌穂による体験型コンサート『Musical, Musical, Musical!!』の第3弾が、東京・名古屋・大阪の3カ所で開催されることが発表された。本公演は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の世界ベストキャストに選ばれ、イギリス王室のエリザベス女王の前で歌を披露した島田が、「沢山の方にもっともっとミュージカルを好きになっていただきたい!」という想いを詰め込み、毎回会場のファンとともに感動の一体感に包まれるコンサート。昨年開催された第2弾では、ミュージカルに登場する世界の女性たちをテーマに、島田が指導した大阪芸術大学の卒業生とともに華麗なステージを披露したほか、コロナ禍における舞台芸術の難しさをミニミュージカルで紹介。最後は『レ・ミゼラブル』の代表曲「民衆の歌」の演奏にファンが足踏みや手拍子で参加し、舞台と客席の一体感を感じる瞬間となった。島田歌穂『Musical, Musical, Musical!!』vol.2 (C)iwaこの感動をもっと多くの方に伝えたいという想いから、初めて名古屋と大阪での開催も決定した今回は、普段はミュージカルにあまり馴染みのない方も楽しめる「ミュージカル映画」をテーマに、一度は耳にしたことがある名曲が、映画にまつわる少し“ため”になるエピソードをまじえながら披露される。またスペシャルゲストとして、東京会場にはミュージカル界の若きプリンス・海宝直人、名古屋・大阪会場には、元宝塚歌劇団トップスターの朝夏まなとが出演する。海宝直人朝夏まなとチケットは現在一般発売中。■島田歌穂 コメントミュージカルの魅力、楽しさを、ぎゅっと詰め込んでお届けする「Musical, Musical, Musical!!」。おかげさまで3回目を迎えさせていただきます。今回は“ミュージカル映画”がテーマです。素敵な名曲の数々とともに、このコンサートならではの特別なひとときを、たっぷりとお楽しみください!<公演情報>島田歌穂『Musical, Musical, Musical!!』vol.37月8日(金) 東京・Bunkamura オーチャードホール開場18:15 / 開演19:00スペシャルゲスト:海宝直人7月16日(土) 愛知・日本特殊陶業市民会館フォレストホール開場16:45 / 開演17:30スペシャルゲスト:朝夏まなと7月31日(日) 大阪・NHK大阪ホール開場16:45 / 開演17:30スペシャルゲスト:朝夏まなと音楽監督:島健構成・演出:下山啓振付:本間憲一 / 広崎うらん演奏:Shimaken & The Brilliant Notesスペシャルサポートメンバー:森内翔大 / 水田千聖 / 寺町有美子 / 仲西陸チケット購入リンク:
2022年06月22日