10月22日、天皇皇后両陛下は「即位礼正殿の儀」など、即位に関する儀式に臨まれる。一方、台風19号の甚大な被害を考慮してパレード「祝賀御列の儀」は11月10日に延期となった。毎年のように大雨、洪水、氾濫の被害に見舞われている日本。実は、かねてから“水問題”に関心を寄せられてきた天皇陛下は、地球温暖化による水害の多発に警鐘を鳴らし続けていらっしゃったのだ。12年前の「第1回アジア・太平洋水サミット」開会式記念講演のなかではこう述べられた。《水問題は、気候変動との関係でも大きな問題となっています。地球温暖化の結果、海面上昇や異常気象の頻発はもとより、災害の激化や大規模な水不足など、人類の諸活動に様々な悪影響が生じる可能性が危惧されています》さらに’18年にブラジルで開催された「第8回世界水フォーラム」では、「水と災害」のテーマで基調講演をされた。《我々が、今何も対策を立てなければ、等比級数的に被害が激化していくことが懸念されます。水災害により、私たちの先代が重ねてきた発展のための努力の成果がわずか数日、場合によっては数時間で消し飛んでしまいます。こうした地球規模で発生する自然の脅威に対抗するため、国際社会は結束して対処していく必要があります》また陛下は、早くから治水の重要性にも注目され、台風19号による周辺河川の氾濫を食い止めた巨大地下放水路「首都圏外郭放水路」(埼玉県春日部市)も’10年に視察されていた。そして陛下は著書の中で、雅子さまについて《私の水に対する関心に、いつも理解と協力をしてくれている》と記されている。「被災地へ足を運びお見舞いをされる“平成流”を継承されるとともに、水問題に関する知見を生かし、治水や防災を訴えるイベントに出席をされることなども、陛下と雅子さまの“令和流”になっていくことでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)パレードは延期されたものの、宮中三殿へのご参拝、そして「即位礼正殿の儀」と「餐宴の儀」は予定どおり22日に行われる。陛下と雅子さまは、職員と儀式の打ち合わせや所作の確認などを入念に進められてきたという。厳かな即位の儀式に、両陛下は被災地への祈り、そして「国民に寄り添う」という思いをこめて臨まれる――。
2019年10月22日天皇陛下の御即位を記念し、正倉院宝物を中心とした飛鳥・奈良時代の国際色豊かな造形文化に焦点を当てた特別展『正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美ー』 が、10月14日(月・祝)より開幕。11月24日(日)まで開催される。同展は、皇室が守り伝えた正倉院宝物と法隆寺献納宝物の代表作を中心とした作品約110件を紹介するもの。正倉院宝物は、奈良県奈良市の東大寺敷地内に建てられた正倉、西宝庫・東宝庫に収められた品々で、8世紀に東大寺を創建した聖武天皇の遺品をはじめ、美術工芸品や文書類など約9千点の宝物を1260年以上にわたり守り伝えてきた。明治8(1875)年にはその所管が東大寺から内務省、その後、宮内庁に移行して現在に至っている。また、法隆寺献納宝物は、奈良県斑鳩市にある法隆寺に伝来する、聖徳太子ゆかりの品々や小金銅仏群をはじめ染織品や伎楽面など、約300件におよぶ文化財。明治11(1878)年に皇室に献納され、昭和22(1947)年に国へ移管、現在は東京国立博物館が所管している。今回の特別展では、日本の7世紀美術を代表する法隆寺献納宝物と、8世紀美術を代表する正倉院宝物が、同時に公開される貴重な機会となる。会場は、「聖武天皇と光明皇后ゆかりの宝物」「華麗なる染織美術」「名香の世界」「正倉院の琵琶」「工芸美の共演」「宝物を守る」の全6章で構成。聖徳太子の命日に光明皇后が奉納した国宝の鏡や、鮮やかな草花と水鳥が染織された敷物、仏教儀礼で用いられ、足利義政や織田信長らが一部を切り取ったことでも知られる香木、聖武天皇が愛用し、美しい装飾が施された五弦琵琶など、さまざまな至宝が並ぶ。水瓶(すいびょう)と呼ばれる水差しや、仮面舞踏劇で用いられた伎楽面などは、正倉院伝来の品と法隆寺伝来の品を並べて展示。飛鳥・奈良と時代の異なる造形美の特色を比較することができる。また、最終章では、明治以降に本格化した正倉院宝物の調査と修復作業に焦点を当て、今なお行われる保存・修理・模造の取り組みを紹介する。会場内には正倉院の宝庫を一部原寸大で再現したスペースも登場。その雄大なスケールを体感しながら、千年以上にわたり受け継がれてきた古代の日本の国際色豊かな文化を堪能してほしい。【開催情報】『御即位記念特別展「正倉院の世界 ー皇室がまもり伝えた美ー」』10月14日(月・祝)〜11月24日(日)まで東京国立博物館 平成館にて開催(会期中展示替えあり)【関連リンク】 東京国立博物館()《紺夾纈絁几褥》 奈良時代・8世紀 正倉院宝物【後期展示11月6日~24日】《平螺鈿背八角鏡》 唐時代・8世紀 正倉院宝物【後期展示11月6日〜24日】国宝 《海磯鏡》 唐または奈良時代・8世紀 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)【通期展示】《漆胡瓶》 唐または奈良時代・8世紀 正倉院宝物【後期展示11月6日〜24日】国宝 《竜首水瓶》 飛鳥時代・7世紀 東京国立博物館(法隆寺献納宝物)【後期展示11月6日〜24日】《紫檀木画槽琵琶》 唐または奈良時代・8世紀 正倉院宝物【後期展示11月6日〜24日】《黄熟香(蘭奢待)》東南アジア 正倉院宝物 【通期展示】《国家珍宝帳(部分) 》 奈良時代・天平勝宝8年(756) 正倉院宝物 【前期展示10 月14日〜11月4日】
2019年10月15日《今日俺の学校の文化祭に秋篠宮様と悠仁様が来てたんだけど!?》そんなつぶやきがツイッター上に投稿されたのは、9月28日のことだった。秋篠宮さまと悠仁さまは、東京都世田谷区の東京農業大学第一高校、通称・農大一高の文化祭を訪れていらっしゃったのだ。息子が農大一高に通うという保護者はこう語る。「悠仁さまは生物部を見学されていたそうです。生徒たちは事前に知らされておらず、たいへん驚いていて、スマートフォンで撮影する生徒もいたようです」本誌が学校側に問い合わせると、次のような回答があった。「担当者がご案内する形で、2時間ほど見学されました。事前に宮内庁側から『文化祭を見学したい』という要請があり、それを受けたものです」農大一高は東京農業大学の付属校。大学とは異なり、農業科は設置されておらず、普通科のみの進学校として知られる。いったいなぜ秋篠宮さまは、現在中学1年生の悠仁さまを農大一高にお連れになったのか――。「紀子さまが、悠仁さまの中学卒業後の進路として、農大一高を有力な候補と考えていらっしゃるのでしょう」そう語るのは皇室担当記者。「悠仁さまが通われているお茶の水女子大学附属中学校は共学ですが、附属高校は女子校なのです。すなわち、悠仁さまは高校には内部進学できず、別の学校へ進学されなければなりません。東農大といえば、秋篠宮さまが‘08年から客員教授を務め、毎年講義を行っています。さらに、紀子さまの実弟である川嶋舟さんも東農大の准教授を務めています。秋篠宮家にもっとも深い縁がある学校といっても過言ではないのです」紀子さまはもともと、悠仁さまの進学先については“高偏差値”を志向されていたという。「悠仁さまは小学5年生のころ、紀子さまとご一緒に渋谷教育学園渋谷中学高等学校の学園祭を見学されています。また、筑波大学附属中学校も有力な進学先候補とみられていました。渋渋は毎年20人前後、筑附は30人以上を東大に送り出す、都内屈指の中高一貫校です。もちろん農大一高も進学校なのですが、東大進学者は1年に1人出るかどうか。学習院高等科と比べても、偏差値は5~6ほど下回ってしまいます」(前出・皇室担当記者)『週刊朝日』(5月31日号)は、「悠仁さまの成績は、学年でもトップクラス」と報じている。進学意欲が高い児童が集まるお茶の水小で最上位の成績だったならば、東大進学も十分射程圏内のはず。それでも、あえて農大一高を選択肢に加えられたのはなぜなのか――。「今年4月、校内に進入した不審者によって悠仁さまの教室の机に刃物が置かれる事件がありました。それ以来、お茶の水女子大学と附属校の警備は一段と強化されました。悠仁さまの安全のためには、厳重な警備が必要です。進学先となる高校にも、さらには生徒や保護者にもそれを理解し受け入れてもらう必要があるのです」(前出・皇室担当記者)そういった面では、天皇陛下や秋篠宮さまも通った学習院高等科がもっとも適した選択肢と思われるが……。「悠仁さまがお茶の水女子大学附属幼稚園に入園されたのは‘10年のことですが、それ以前から秋篠宮ご夫妻は学習院の催しにほとんど参加されていません。お二人とも、学習院にはよい印象をお持ちでないようです。悠仁さまの進学先候補から学習院を除外するとなれば、秋篠宮家と関係が深い農大一高が数少ない選択肢の一つなのです」2年半後、はたして悠仁さまは農大一高に進学されるのか、それとも――。
2019年10月10日《学校の文化祭に秋篠宮様と悠仁さまが来てめっちゃびびった》そんな興奮のつぶやきが投稿された9月28日、秋篠宮さまと悠仁さまは東京都世田谷区の東京農業大学第一高校(農大一高)の文化祭を見学されていた。「紀子さまは、農大一高を悠仁さまの有力な進学先候補と考えていらっしゃるようです。悠仁さまが通われているお茶の水女子大学附属中学校は共学ですが、附属高校は女子校なのです。すなわち、悠仁さまは高校には内部進学できず、別の学校へ進学されなければなりません。東農大といえば、秋篠宮さまが’08年から客員教授を務め、毎年講義を行っています。さらに、紀子さまの実弟である川嶋舟さんも東農大の准教授を務めています。秋篠宮家にもっとも深い縁がある学校といっても過言ではないのです」(皇室担当記者)しかし、こうした見解に宮内庁関係者は首をかしげる。「東農大は日本で初めて設立された私立の農学校という伝統があります。ただ、箱根駅伝の応援で披露される“大根踊り”が有名であるように、皇族方が進学されるには庶民的すぎる気もいたします。そもそも秋篠宮さまと紀子さまは学習院大学の出身で、お二人の出会いも学習院のキャンパスでした。“縁”という意味では学習院に分があると思うのですが……」学習院関係者が、声を潜めて語る。「紀子さまが悠仁さまを学習院に進学させることは、まずないでしょう。学習院に関する“屈辱の記憶”がおありだからです」悠仁さまは’10年、お茶の水女子大学附属幼稚園にご入園。その際は「自主性を重んじる教育方針」「2年間の学習院幼稚園にはない3年間の一貫保育」が選択の理由とされていたが……。「学習院のOBやOGの間では『秋篠宮さまの学年は優秀ではないのに落第生がいない』と平気で吹聴する人もいるのです」(前出・学習院関係者)すなわち、秋篠宮さまより成績の低い生徒がいなかったために誰も落第させられなかった、という噂話が流れていたというのだ。さらに秋篠宮家への“冷遇”を指摘するのは皇室ジャーナリスト。「眞子さまや佳子さまの在学中、初等科や女子中・高等科の改修工事が続きました。これは、愛子さまを受け入れるための準備でした。古くて評判が悪かった女子部のプールまできれいになりました。愛子さまのご入学にあわせたタイミングでの改修でしたので、秋篠宮家としてはないがしろにされていると感じられたでしょう」眞子さまも佳子さまも、大学は国際基督教大学(ICU)を選ばれた。しかも佳子さまは、一度は進学した学習院大学文学部を中退してまで、ICUに入られた。「当時の教授の話によると、大学側にはほとんど相談もなく退学されたそうです。また、佳子さまが女子高等科に在学されていたころ、紀子さまが学校からの“呼び出し”を受けたことがあり、当時は保護者の間でも話題になりました。学校側にも理由があったのだと思いますが、紀子さまは学習院への心証を悪くされたようです」悠仁さまの進学は2年半後。紀子さまはそれまで、学習院以外の進路を探し続けられる――。
2019年10月10日11月9日、嵐が「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」で奉祝曲をトリで披露する。「天皇陛下がライフワークとして研究に取り組まれていらっしゃる『水』が式典全体のテーマです。奉祝曲は3部構成の組曲で、オーケストラの演奏に続き、辻井伸行さんがピアノで演奏。そして脚本家・岡田惠和さんが作詞、菅野よう子さんが作曲した曲を嵐がオーケストラをバックに熱唱します」(イベント関係者)会場の皇居前広場には、約3万席が用意されるという。櫻井翔(37)は「大変畏れ多く、身に余るお話」と恐縮していたが、音楽関係者はこう語る。「嵐の5人は今、こうした“メモリアル”な仕事が多くなり、20年前のデビュー時のようにメンバー同士で話し合う機会が増えたといいます。改めて嵐の大切さに気づいたのでしょう」来年末でグループ活動を休止する嵐。それを惜しむかのように、年内の嵐のイベントは、目白押しだ。「すでに各局は、嵐の活動休止後に向けて今から動いています。『VS嵐』のレギュラー番組を持つフジテレビは、松本潤さん、相葉雅紀さん、二宮和也さん3人のトーク番組を検討しているそうです。TBSとテレ朝は、相葉さんをメインに、King & Princeなどジャニーズの後輩と共演するバラエティ番組を企画していると聞いています」(制作関係者)櫻井は活動休止後にキャスター業に“転身”することが有力視されている。他のメンバーたちも、すでに動き出している。松本潤(36)は、演出家としての進路が見えている。「もちろん、好評だったドラマ『99.9 -刑事専門弁護士-』(TBS系)の続編など、俳優としての仕事は続けます。ただ、活動休止後は、亡きジャニーさんの遺志を継ぎ、ロスやラスベガスを中心にショーや演劇を見たり、美術館に足を運んだりする回数を意識的に増やすと聞いています。今後、後輩のコンサートの演出にも反映されるでしょう」(前出・音楽関係者)二宮和也(36)は、引き続き俳優業が中心となるが――。「二宮さんは映画『硫黄島からの手紙』ですでにハリウッド・デビューを飾っています。グループ活動の休止で、海外への長期ロケにも参加できるようになります。作品次第ですが、ハリウッド再進出を本格的に検討することになるようです」(映画関係者)好感度が高い相葉雅紀(36)は、バラエティが主戦場に。「MCを務めるバラエティ番組が確実に増えることになります。また、CMに出演し続けることで、嵐のパブリックイメージの維持を図ろうと考えているようです。彼の本音は、早期の活動再開ですから」(テレビ局関係者)一方で、活動休止会見で「自由に生活してみたい」と語った大野智(38)は当面は充電期間になる。「1級小型船舶免許を取得したので、しばらくは好きな釣りざんまいの生活でしょう。絵を描くのも好きなので、悠々自適な日々が続くと思います。心身の充電が果たせたら、次の進路を考えることになるでしょう」(大野の知人)活動休止後も、メンバーたちの奮闘は続く――。
2019年10月09日天皇陛下が自らの即位を国内外に正式に宣言する「即位の礼」が10月22日に迫り、準備も大詰めを迎えている。9月18日には皇位継承に関する式典委員会が開かれ、儀式の細目が政府に了承された。安倍首相は、誇らしげに報告した。「儀式に参列するため、平成を上回る190以上の国や国際機関の代表の方々の来日が予想されています。儀式が円滑に、また厳粛に行われるよう、政府一丸となって全力を尽くしてまいります」皇室のパレードは、陛下と雅子さまのご成婚以来26年ぶり。今回のパレードは皇居・宮殿を出発し、赤坂御所までの全長約4.7キロを30分ほどかけて走行する。トヨタの高級車「センチュリー」をオープンカーに改造した車両が使用され、式典後に東京と京都の迎賓館で一般展示することも決まった。「’90年の上皇陛下の即位を祝うパレードには11万7千人、’93年の両陛下のご成婚パレードには19万人が集まりました。今回も大勢の人が沿道に集まり、華やかな祝賀ムードに包まれるでしょう」(皇室担当記者)しかし、この日の雅子さまは驚くべきハードスケジュールなのだという。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんはこう語る。「お召し替えなどを含めると、ほとんどお休みもとれない忙しさで儀式行事が続きます。内容を簡略化するのは難しいでしょうから、皇后陛下のご負担はかなり大きいものになります」平成の「即位の礼」の日、上皇陛下と美智子さまは儀式の準備が間に合うように、早朝5時に起床されていたほど。今回も平成に準じたタイムテーブルになる予定のため、雅子さまも、午前5時から午後11時まで18時間にわたり大役を担われることになる。ハードスケジュール以外にも、雅子さまを“試練”が待ち受ける。ご療養に入られてから、雅子さまはほとんど宮中祭祀に出席されなくなった。「宮中祭祀に臨む際には、決められた手順と方法に従って、全身を洗い清める『潔斎』という所作があります。そして古式にのっとりおおすべらかしを結い、非常に重い装束を身にまとって祭祀に臨まれます。肉体的な消耗がとても大きいのです」(前出・皇室担当記者)ただ、雅子さまは今年5月8日にも宮中祭祀に臨まれている。「即位の礼」と「大嘗祭」の期日を、陛下が宮中三殿に報告する宮中祭祀「期日奉告の儀」で、雅子さまも殿上で拝礼されたのだ。「雅子さまが賢所、皇霊殿、神殿の3つに参拝されたのは’02年12月以来のことでした。御代替わり後は、過密なご公務にも休むことなく出席されています。10月22日の即位の礼も、心配はいらないのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
2019年09月27日天皇陛下が自らの即位を国内外に正式に宣言する「即位の礼」まで1カ月を切った。記念すべき一日も、雅子さまにとっては並々ならぬ決意を要する“試練の日”なのだという。「お召し替えなどを含めると、ほとんどお休みもとれない忙しさで儀式行事が続きます。内容を簡略化するのは難しいでしょうから、皇后陛下のご負担はかなり大きいものになります」(皇室ジャーナリストの山下晋司さん)さらに儀式に臨まれるためのお着替えには、驚くほどの手間がかかる。平成の「即位の礼」に臨んだ美智子さまのご様子について、当時を知る宮内庁関係者はこう語る。「儀式と儀式の間は、ほとんどお召し替えの時間になり、ご休憩といっても、お召し替えの途中でお茶を召し上がられたぐらいです」美智子さまの例を参考にして、雅子さまの“試練の日”をシミュレーションしてみよう。準備に時間がかかるため、雅子さまは天皇陛下より約1時間早く午前7時ごろ赤坂御所をご出発。皇居に到着すると「潔斎所」に入られ、その後ただちに、午前中の2つの儀式「即位礼当日賢所大前の儀」と「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に臨まれる準備を始められる。鬢付け油で整える伝統的な“おすべらかし”は、御用掛が3人で結っても1時間はかかる。白い十二単に身を包まれ、金の髪飾りをお付けになり、手に御檜扇を持たれ、ご準備が整うころには9時過ぎになっている。儀式をおすませになると、ご昼食のためにいったん平服になる必要がある。「11時20分から次のお支度にかかるため、雅子さまのお昼のご休憩は40分ほどしかないと思われます」(前出・宮内庁関係者)次の儀式は午後1時からの「即位礼正殿の儀」。再び1時間20分かけて別の十二単にお召し替え。ちなみに美智子さまがお召しになった十二単は、重さ16キロで約1,300万円だった。儀式後、午後1時半に宮殿「松の間」を退出される雅子さまは、すぐにパレードに臨むご準備へ。ローブデコルテにお召し替えで髪も洋装にするため、シャンプーからスタートし、メークも一新してできあがるまでに1時間30分が必要だ。なんと4回のお召し替えで、トータル4時間以上になるのだ。それだけでも相当な心身へのご負担だが、皇室ジャーナリストはほかにも危惧していることがあるという。「即位の礼のハイライト『即位礼正殿の儀』では、御帳台にお昇りになった雅子さまのお姿が日本中に中継され、世界各国の人々の注目を浴びることになります。想像できないほどのプレッシャーで非常に緊張されるでしょう」それでも雅子さまは“試練”を乗り越えられるはずと、太鼓判を押すのは皇室担当記者。「雅子さまは今年5月8日、すでに即位後初の宮中祭祀となる『期日奉告の儀』に臨まれています。御代替わりの5月1日以降は、過密なご公務にも休むことなく出席されています。9月も秋田、新潟と地方ご訪問が続きましたが、ずっとお車から笑顔でお手振りされて、ご体調のよさが伝わってきました。即位の礼も心配はいらないでしょう。夜には外国の要人などをもてなす『饗宴の儀』がありますが、国際親善に尽力することを望まれてきた雅子さまですから、むしろ楽しみにされているはずです」10月22日の雅子さまの“晴れ姿”に世界が見とれることだろう。
2019年09月27日「今回の晴れの舞台について最初に聞かされたとき、嵐のメンバーたちの反応は、皆同じでした。『えっ、俺たちでいいの!?』と――。大きな驚きとともに『本当に光栄です』とひたすら恐縮していたそうです」(イベント関係者)嵐が、11月9日に東京・皇居前の特設舞台で行われる「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」に出席し、お祝いのパフォーマンスを披露する。櫻井翔(37)は主催者を通じて「国民に寄り添い、想いを寄せておられる陛下に、日々の感謝の思いをお伝えし、お祝いの会に少しでも華を添えられますよう、心を込めて精一杯パフォーマンスをしたいと思います」とコメントした。「国会議員や経済、スポーツなど政財界の有志が主催する祭典です。当日は天皇陛下がお言葉を述べられ、安倍晋三首相も出席する予定です」(全国紙記者)上皇さまの天皇陛下即位10年をお祝いする祭典や式典には、X JAPANのYOSHIKI、20年のときはEXILE、30年となった今年2月は三浦大知(32)が参加している。「若い人たちにも皇室の存在を印象づけようと、国民祭典には、特に若者に人気の芸能人を選んでいます」(宮内庁関係者)ではなぜ、今回は嵐だったのだろうか。「大きな理由は2つあると考えられます。まず、今までの選考基準と同じく、“時代”を象徴している話題の人物かどうかです。嵐はデビュー以来、国民的アイドルとして絶大な知名度を誇ります。来年末には活動休止してしまうという希少性も、今回の起用の大きな要因になったと考えられます」(全国紙記者)今年11月に満を持して出演する嵐。ジャニーズ事務所のグループが皇室行事でパフォーマンスをするのは、今回が初めてだ。ただ、皇室とジャニーズ事務所がまったく無関係だったかと言えば、そうではない。「メリー喜多川副社長の夫である故・藤島泰輔氏は、上皇のご学友です。彼は77年に自民党公認で参院選にも立候補しており、政治にも精通していました」(社会部記者)今年4月30日、櫻井は『news zero』(日本テレビ系)の改元特番に生出演。上皇陛下が天皇として最後のお言葉を述べられたニュースについて、「感謝の思いで胸がいっぱいになった」とコメントしている。ある皇室ジャーナリストは次のように言う。「嵐に決まったもう一つの理由は、愛子さまが“嵐ファン”だったということも大きかったのではないでしょうか」愛子さまが嵐に高い関心を示されていることは、4年前の本誌でも報じている。「当時、愛子さまは中学2年生。学校で過ごす時間も増え、お友達との話で出てくる音楽やテレビ番組についても“中2の女の子”らしく話をされていると伺いました。学内でお話しされていたのは、ジャニーズの話が多かったようです。特に相葉雅紀さんの名前がよく挙がっていたといいます。その年の春の学習院OGらによる合同演奏会でも、愛子さまは初等科OGとして参加され、チェロで嵐の『サクラ咲ケ』を披露されています。ご学友たちと楽しそうに演奏している姿が強く記憶に残っています。雅子さまも客席からご鑑賞され、笑顔で拍手を送られていました」(学習院関係者)“相葉推し”だという愛子さま。2年前には他誌でも“愛子さまと嵐”に関する報道があった。「愛子さまは、赤坂御用地内で、愛犬の散歩を登校前と下校後にするのがご日課。この数年は英語の勉強に力を注いでいますが、合間の気分転換に嵐の曲を聴くこともあるそうです。櫻井翔さんがお忍びで赤坂御用地内を訪ねていたとの報道もありましたね」(前出・皇室ジャーナリスト)昨春、愛子さまはご学友3人とともに都内のカラオケ店を訪れたことがあった。「事前に護衛の男女が安全を確認した後、4人で2時間ほど滞在されていました。嵐の曲も歌われていたようです。この数年、好きなアイドルを通じて、ご学友との距離を縮められたことで、愛子さまの世界が広がったと思います。本当に笑顔が増えましたから。今回の国民祭典での嵐の抜擢には、愛子さまも大変喜んでいらっしゃるのではないでしょうか」(皇室担当記者)当日の11月9日、愛子さまも間近で嵐のパフォーマンスをご覧になるのだろうか。前出の宮内庁関係者は言う。「天皇皇后両陛下は、上皇上皇后両陛下にならって、国民祭典に遠くの二重橋前から手を振ることになります。両陛下も愛子さまの嵐へのご関心をご存じでしょうから、もしかしてご一家3人で手を振られることになるかもしれません」大役を担う嵐にとっても、活動20周年にふさわしいメモリアル・イベントになりそうだ――。
2019年09月27日「雅子さまの笑顔を拝見できて、とても幸せです。皇后となられて新潟に来てくださって、本当に嬉しいです」9月16日と17日、新潟県を訪問された天皇陛下と雅子さま。両陛下の宿泊されたホテルの近くに住む石山イチ子さんは、2日間で3回も両陛下を拝見することができたという。「雅子さまが結婚される前に、ご両親とお墓参りで新潟に来られたときにも、お迎えをしました。26年ぶりのことで、感激しました」新潟県は、雅子さまの父・小和田恒さんの出身地。村上市には曾祖父の生家もあり、小和田家では年越しに、村上市名物「塩引き鮭」を食べるのが恒例になっていたほど“故郷”を大切にしてきた。「雅子さまが新潟から帰郷された翌日の18日は、恒さんの87歳の誕生日でした。大勢の市民の歓迎を受けての“故郷凱旋”は、最高の誕生日プレゼントになったことでしょう」(皇室ジャーナリスト)恒さんは外務省を退官後、オランダのハーグにある国際司法裁判所で判事や所長を歴任。昨年6月に退任し、現在は妻・優美子さんとともに都内で暮らしている。そんな恒さんは、近ごろある決断をしていたという。宮内庁関係者はこう語る。「実は、恒さんは最近になって運転免許を返納したそうです。今年4月には池袋の交差点で、当時87歳の男性が運転する自動車による暴走事故がありました。運転していた飯塚幸三氏は旧通産省の工業技術院長も務めた人物。恒さんの1歳年上です。同世代の元高級官僚が引き起こした事故をきっかけに、自分も免許返納を……、と決断したのかもしれません」前出の皇室ジャーナリストも、こう証言する。「小和田家は例年、夏になると一家で軽井沢の別荘を訪れています。現地での運転も、もっぱら妻の優美子さんや、雅子さまの妹の節子さんが担当しているそうです」雅子さまはここ数年、ご実家には里帰りされていない。ただ、今年5月1日の御代替わりの儀式にはご両親や妹の礼子さん、節子さんが招待され、雅子さまを見守っていた。「恒さんの免許返納という決断も、雅子さまを心配させまいという心遣いではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)皇后となった娘のために……。その気持ちは、離れていてもきっと伝わっているはずだ――。
2019年09月24日大勢の市民が天皇ご一家を出迎えた、8月19日の那須塩原駅前。集まった人たちからドッと笑い声が上がる場面があった。天皇陛下がハンカチでお顔の汗を拭きながら、笑顔で「ハンカチ王子」とつぶやかれたのだ。実は陛下は昔から、いわゆる“親父ギャグ”を好まれていたという。陛下の独身時代から取材をしてきた皇室ジャーナリストはこう語る。「英国のオックスフォード大学への留学中にできた友人に、日本語の“殿下”という言葉を説明しようとされたときのことです。『私はデンカ』と言ってから天井の照明を指して、『これはデンキ。間違わないように』とおっしゃったそうです。それ以来、その友人にはデンキと呼ばれるようになったと笑っていらっしゃいました」陛下と交流のあった元プロテニスプレーヤーの佐藤直子さんによる本誌への寄稿では、陛下の“自然なギャグ”も紹介されている。佐藤さん宅のパーティに出席された陛下は、テーブルの移動を買って出たものの、テーブルと壁の間に挟まり出られなくなってしまう。すると陛下は、その状態のまま「殿下、出んか」とポツリ。思わず佐藤さんが聞き返すと、はにかんでいらしたという。陛下のユーモア発言はまだまだある。一気に紹介しよう。「もう、竹下景子は卒業しました」(’85年10月、「理想の女性は竹下景子」という5年前の発言を報道陣に蒸し返されて)「決して牛歩しているわけではありません」(’92年7月、結婚が遅れていることについて回答されて。この年の国会ではPKO協力法に反対する野党が牛歩戦術を展開し、話題となっていた)「ロウソクは浮いていませんよ」(’08年1月、学習院女子大での講演で、ご自身が留学されたオックスフォード大学を紹介されて。大学の食堂は映画『ハリー・ポッター』のロケ地となっており、映画では魔法で宙に浮くロウソクが登場している)「ネッシーはいなかったです」(’19年2月、読書感想文コンクールの受賞者との懇談で、ご自身が撮影されたネス湖の写真を見せながら)かつて陛下は、夫婦円満の秘訣を《大変な時にも、「笑い」を生活の中で忘れない》ことだと語られていた。陛下の親父ギャグやユーモアは、国民を愛し、愛される秘訣でもあるのかもしれない――。
2019年09月01日那須御用邸でのご静養に向かわれる天皇ご一家を、大勢の市民が出迎えた8月19日の那須塩原駅前。ご交流は30分以上続いたが、途中でこんなひとコマがあった。「暑い中、ありがとうございます」と人々にお声がけされていた陛下。ハンカチでお顔の汗を拭きながら、笑顔で「ハンカチ王子」とつぶやかれたのだ。「これには集まった人たちからドッと笑い声が上がり、雅子さま、愛子さまも破顔一笑。しばらくの間、周囲が笑顔で包まれました。ご一家の様子を拝見していますと、陛下が若いころから話されている『国民の中に入っていく皇室』を、ご即位後すぐから実践されているのを感じます」(皇室担当記者)陛下は子供のころから、いわゆる“親父ギャグ”を好まれてきたと明かすのは、学習院初等科時代からのご学友だ。「中等科のころ、演奏会で『G線上のアリア』を演奏された陛下が、私たちに『最近盆栽に凝っているんだ』とおっしゃったのです。友人の一人が『それじゃ、ジイさんだね』と言うと、陛下が『だから、ジイさん(G線)上のアリアなんだとよ』とお答えになって、みんなで大笑いしました」陛下に負けず劣らず雅子さまも、記者会見などでユーモアに富んだ発言をされることが多かった。ただ当時は、積極的に発言される雅子さまに「しゃべりすぎ」といった心ないバッシングが浴びせられることもあったのだ。それでも雅子さまは発言することを恐れず、’96年12月にはご結婚後初めての単独記者会見に臨まれた。この会見では欧米マスコミの「皇室に馴染めずに雅子さまはうつ状態」といった報道に対する、こんな切り返しもあった。《今、脳内モルヒネとかというものがちょっと話題になっているようですけれども、そんなものも私の場合、それなりに出ているのか、うつ状態とかそういうことは全くありません》しかし’03年12月、雅子さまは体調不良で入院。その後、適応障害と診断された。「理不尽なバッシングやネガティブな報道であってもユーモアでかわされてきた雅子さまでしたが、精神的に限界だったのでしょう。それ以来、雅子さまのユーモアは影を潜めてしまったのです」(前出・皇室担当記者)’02年12月を最後に、現在まで雅子さまが記者会見に臨まれたことは一度もない。陛下のご即位後、堂々としたお振舞いで脚光を浴びる雅子さまだが、適応障害を完全に克服されたわけではないのだ。ご静養先での取材でも、まだ緊張は大きいと思われる。精神科医で立教大学教授の香山リカさんもこう語る。「雅子さまも一般の人たちと会話されるときには、皇后としての品格を見せなければと身構えるところもおありだと思います。そんなとき、陛下がいつもと変わらずパッと笑いが出るような会話でその場を和ませてくださることで、雅子さまもふだんと同じ自然体でお話しになれるのでしょう」かつて陛下は、夫婦円満の秘訣をこう語られた。《相手を思いやり、相手の立場に立って物事を考えること。そして、お互いによく話し合い、また、大変な時にも、「笑い」を生活の中で忘れないように、ということ》「雅子を笑顔に!」そんな天皇陛下の“愛の奮闘”に支えられ、雅子さまのご活躍はこれからも続く――。
2019年08月30日「すごく似ている感じがします。木とか草とか、そういうところが」悠仁さまは「ブータンと日本の違いは?」と記者から質問され、はきはきとお答えになった。さらに秋篠宮さまから「どう違う?」と質問を受けた悠仁さまは「まだわかんない」と正直におっしゃるおちゃめな面もお見せに。8月17日、ブータン王国に到着された秋篠宮ご夫妻と悠仁さま。20日、首都・ティンプーでハイキングをされながら取材に応じられたのだ。このブータン旅行は、悠仁さまにとって初めての海外ご訪問。「今回はあくまで“私的訪問”となっていますが、秋篠宮家と親交の深いブータン国王一家からの招待に応えてのご訪問です。悠仁さまにとっては“皇室外交デビュー”と言っていいでしょう」(皇室担当記者)19日には、ブータン国王夫妻とご面会。ワンチュク国王は悠仁さまと固く握手を交わし「ベリーハンサム。ベリーベリーハンサム」と大絶賛した。20日には、5~16歳の子供たちが通う公立学校へ。悠仁さまは英語で自己紹介をされたという。「悠仁さまは紀子さまのすすめで、NHKの番組を見る際には英語の副音声を聞かれているそうです。そうした努力の賜物でしょう。ただ、17日に国立博物館を見学されたときには、館長による英語の説明をお聞きになった紀子さまが悠仁さまに逐一補足説明をされていたので、さすがにまだ“通訳なし”というわけにはいかないようですね」(宮内庁関係者)悠仁さまの“帝王教育”はおもに紀子さまが担当されてきたといわれるが、今回のブータン旅行は秋篠宮さまが主導されたという。「秋篠宮さまはブータンに詳しい知人の学者に協力を仰ぎ、10日間にわたる旅をコーディネートされたそうです。ただ、取材陣には出発当日まで旅程が知らされないなど、前代未聞の事態も生じています。秋篠宮さまが張り切っていらっしゃる一方で、周囲からは不満の声も上がっていたのです」(前出・皇室担当記者)しかし25日、紀子さまに付き添われご帰国された悠仁さまは穏やかな笑みを浮かべられていた。そのご表情は、今回の旅がいかに充実していたかを物語っているようであった。
2019年08月28日74回目の終戦の日を迎えた8月15日、正午――。天皇陛下と雅子さまは「全国戦没者之霊」と書かれた白木の標柱の前に立たれ、1分間の黙祷を捧げられた。天皇皇后両陛下にとって、日本武道館の全国戦没者追悼式に出席されるのは初めてのこと。黙祷のあと、陛下はお言葉を述べられた。《戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります》天皇陛下は、上皇陛下が用いてこられた「深い反省」という表現を踏襲されたのだ。皇室担当記者が言う。「安倍首相は第2次安倍内閣発足後、’93年以降の首相が必ず言及してきたアジア諸国への加害責任について式辞から削除しました。一方で上皇陛下は、戦後70年となった’15年の式典から『深い反省』という表現を加えられたのです。今年、上皇ご夫妻はテレビ中継で式典をご覧になり、黙祷を捧げられました。戦後生まれの天皇陛下と雅子さまが平和の願い、非戦の決意をしっかり継承されていることを感じられて、安堵なさったのではないでしょうか」しかし、8月9日には心配なニュースもあった。美智子さまが早期の乳がんと診断されたと、宮内庁が発表したのだ。美智子さまは10年以上前から、定期的に乳がん検診を受けられていたという。本誌も’03年5月、当時東京都豊島区にあった癌研究会附属病院に、美智子さまがお忍びで入られる様子を目撃している。「上皇ご夫妻は宮内庁病院だけに頼らず、より専門的な治療を受けるために、積極的にほかの病院での検査も受けられていたのです。上皇陛下をお支えするため、健康維持に努められてきた美智子さまですが、やはり御代替わりに伴う激務は大きなストレスになって積み重なっていたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)
2019年08月25日猛暑が続く令和元年の夏――。天皇陛下と雅子さま、愛子さまが、ご静養先の須崎御用邸から帰京されたのは8月5日だった。6日は広島、9日は長崎の原爆の日。15日は終戦の日だ。日本人にとって“忘れてはならない日”が続く。「昨年まではご静養先で黙祷されることも多かったのですが、陛下が即位された今年は、赤坂御所でお慎みになりたいというお気持ちがあったのかもしれません。天皇ご一家の責務として、国民とともに平和を祈る。そのご姿勢の表れなのだと思います」(宮内庁関係者)そして8月15日、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式に初めて出席される。「8月末には、ご一家そろって那須御用邸で静養される予定です。ただ、もしかすると来年は、8月に御用邸に行かれることはないかもしれません。東京オリンピック・パラリンピックが開催されるからです」(前出・宮内庁関係者)来年7月24日が、東京で2度目の開催となるオリンピックの開会式だ。8月9日に閉幕すると、続いてパラリンピックが8月25日から始まることになっている。天皇陛下は、オリンピックとパラリンピック、両大会の名誉総裁を務められることが決まっている。「’64年の東京五輪は、当時4歳だった陛下も上皇ご夫妻とともにご観戦。国立競技場で観戦されたマラソンでは、優勝したエチオピアのアベベ選手、銅メダルを獲得した日本の円谷幸吉選手に一生懸命声援を送られました。それから半世紀あまりを経て、ご自身が名誉総裁として迎える2度目の東京五輪に、感慨もひとしおでしょう」(皇室担当記者)前回の東京パラリンピック開催にあたっては、美智子さまの働きかけが大きかったという。「当時の日本では、障害者スポーツはリハビリのためのもの、という認識でした。競技としては普及していなかったのです。美智子さまは知人からパラリンピックの意義をお聞きになり、福祉関係者に働きかけて東京大会実現に協力しました。翌’65年から全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)が始まっていますが、これは上皇陛下の発案によるものです。平成になってから天皇陛下に引き継がれ、雅子さまも開会式に出席されてきました」(前出・皇室担当記者)昨年6月には、陛下がリオパラリンピックの女子マラソン銀メダリスト・道下美里さんを赤坂御用地に招待。視覚障害のある道下さんの伴走を陛下が務め、一緒にジョギングをされた。両陛下はパラアスリートとの親交を深めながら、障害者スポーツの普及に取り組まれてきたのだ。天皇陛下の即位から1年というタイミングで迎える東京五輪。雅子さまは昨年12月の誕生日に、東京五輪を始めとする行事について《日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》と記されている。「世界中の注目が日本に集まるだけではなく、各国から首脳や王族も来日します。国際親善という観点から見ても一大イベントです。雅子さまは、トランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりにより、世界から脚光を浴びています。“平和の祭典”である五輪において、雅子さまの存在が国々の“懸け橋”になるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
2019年08月11日「お妃候補と報じられた女性たちも、雅子さまと同じくすでに50代になっています。実は、愛子さまの同級生のお母さまの中にも、かつてお妃候補だった方がいるのです」(皇室担当記者)今年5月の御代替わりで、雅子さまは皇后となられた。雅子さまが初めてお妃候補と報じられたのは’87年12月のこと。天皇陛下からのプロポーズ、ご成婚、愛子さまの誕生という喜ばしい出来事のかたわら、適応障害での長いご療養の日々もあった。その一方で、“雅子さまのライバルたち”も、それぞれ激動の半生を送っていたのだ――。’87年ごろ、お妃候補と報じられていた小林詔子さん。父は大手生命保険会社の専務(のちに社長)で、週刊誌報道では3姉妹そろって名前が挙がっていた。現在の職業は、なんと国会議員。’88年に学習院大学を卒業した直後、小学校の先輩で富士急行の御曹司・堀内光一郎氏と結婚。光一郎氏の父は富士急行社長を務め、自民党の衆議院議員として労働大臣や通産大臣を歴任した堀内光雄氏。光雄氏が’09年に政界を引退すると、後継者として白羽の矢が立ったのが義理の娘である詔子さんだったのだ。’12年の初当選から当選3回と、現在も衆議院議員を務める堀内詔子さんに本誌は取材を申し込んだが、秘書を通じて「畏れ多いことですので」との返事のみだった。実は詔子さんだけではなく、息子のMくんまで「佳子さまと交際している」と報じられたこともあった。だが『週刊新潮』の取材に対し詔子さんは「まったくない」ときっぱり否定。親子2代での“候補”報道に、困惑も大きかったのだろうか……。雅子さまはトランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりなどで世界から脚光を浴びているが、元お妃候補のなかにも世界的な実績を残している女性たちがいる。小学6年生で全日本学生音楽コンクール1位になり、お妃候補としても注目を集めていた瀬川祥子さんは、ヴァイオリニストとして活躍中。現在はパリ在住で、世界各地で演奏を披露している。姉・冬子さんとともにお妃候補に挙げられていた徳川直子さんは徳川宗家の分家の出身で、曾祖父は大正天皇に仕えた元侍従長という名家。直子さんは現在、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の研究員になっており、HPにもその名前が記載されている。’05年には小型超音速実験機「NEXST-1」の飛行実験を成功させた。東京―パリ間を6時間で結ぶマッハ2の飛行を想定した実験で、次世代超音速旅客機の開発に向けた大きな成果だったという。くしくも皇室と関わることになった元お妃候補も。10代のころから天才ハープ奏者として名を馳せた吉野直子さんは、’87年12月に上皇ご夫妻がコンサートを鑑賞されたことで、一躍候補に浮上した。現在も日本を代表するハーピストとして活躍を続け、今年2月の「天皇陛下在位30年記念式典」にも出演。ソプラノ歌手の鮫島有美子さんとともに、美智子さまが作曲された子守歌『おもひ子』を披露している。本誌が取材を申し込むと、マネージャーより「音楽のお話しでしたらさせていただきますが、お妃候補のことについては、何もお話しできません」との返答だった。’77年8月に『週刊新潮』が報じ“お妃候補第一号”と呼ばれた山崎妙子さんは、美術館の館長になっており、天皇陛下との“再会”も果たしていた。軽井沢で陛下とテニスでダブルスを組んでいたことが明らかとなり注目を集めた山崎さんだったが、東京藝術大学大学院在学中の’86年11月に結婚。日本美術史の博士号を取得した山崎さんは、’07年に山種証券創業者である祖父が設立した山種美術館の館長に。日本で初めての日本画専門の美術館として’66年に開館した山種美術館には、皇族方が鑑賞に足を運ばれることも多い。’12年11月には上皇ご夫妻がご訪問。さらに’15年1月には、天皇陛下と雅子さまがそろって展覧会に。かつてのお妃候補と雅子さまが顔を合わせるという、珍しい場面もあったのだ。
2019年08月09日「2019ミス・アース・ジャパン日本大会」が22日、東京・文京区のホテル椿山荘東京で行われ、東京都出身で大分県代表の伊徳有加(いとく ゆうか・21歳)さんがグランプリに選ばれた。ミス・ユニバース、ミス・インターナショナル、ミス・ワールドと並び、世界4大ミスコンテストのひとつとして、2001年から毎年開催されている「ミス・アース」。80カ国以上の代表が参加する世界大会の出場権をめぐり、日本代表を選ぶ日本大会のファイナルがこの日行われ、約3,000人の応募者から選考で選ばれたファイナリスト32人が出場した。名前を呼ばれて涙ぐんだ伊徳さんは「私をミス・アース・ジャパンに選んでいただいて本当にありがとうございます」と感謝し、「堂々としているように見られるので、それが選んでいただいたポイントなのかなと思います」と自己分析。「この喜びを誰に伝えたいか?」という問いに「家族と応援してくださった友人や先生に伝えたいですね」と答え、「まだミス・アース・ジャパンになった実感は湧きませんが、世界大会に向けて32人のファイナリストの気持ちと一緒に頑張りたいと思います。世界大会はすごく大きなステージになると思うので、転ばないように歩きたいですね(笑)。トップ18には入りたいです」と世界大会に向けて抱負を語った。伊徳さんは、東京出身の21歳で、都内の大学に通う大学4年生。大学は経済学部だそうで、「主に国際金融論を学んでいます。もともと航空関係の会社に勤めたかったんですけど、今は自分で会社を経営したいと思っていて、日本人と外国の方がお互い助け合えるプラットホームのような会社を作りたいです」と抱負を語った。芸能界については「今のところ考えてはいません。お声がかかったら考えようとは思いますが(笑)」とあまり興味はなさそうだったが、好きな男性のタイプを問われると「誠実な方がいいですね。有名人なら大沢たかおさんが好きです!」と目を輝かせていた。伊徳さんが獲得したミス・アース・ジャパン以外では、2位のミス・エアー・ジャパンには國吉澪花さん、3位のミス・ウォーター・ジャパンには小竹よしのさん、4位のミス・ファイアー・ジャパンには一ノ宮ひまりさんがそれぞれ選ばれた。
2019年07月23日1974年(昭和49年)8月、天皇陛下は2週間にわたってオーストラリアを旅行された。14歳にして初めての、お一人での海外旅行だった。メルボルンの民家にホームステイされて各地を訪問された陛下だったが、とりわけ楽しみにされていたのがエアーズロック登頂だ。本誌は「浩宮さまオーストラリア体験旅行現地取材第2報」(’74年9月12日号)にて、その模様を報じている(以下、《》内は同記事より)。巨大な一枚岩に挑まれる陛下のいでたちは、水色のシャツに濃紺のセーターとスラックス。黒のカーボーイハットを被り、サングラスをかけていらした。急な岩の斜面を登る陛下のお姿を上から撮影するため、まっさきにカメラマンが登り始める。《岩の上に寝ころがって、ハアハアあえいでいると、早くも追いつかれた浩宮さまが、「あれッ、もうダメなの?」そういって、お笑いになった》いまでは登山家で知られる陛下は、このときも涼しい顔。息をつきながら登る報道陣や随行の侍従たちを見かねて、陛下が「それでは、ここらで小休止にしましょうか」と提案される場面もあった。頂上に着くと、陛下は登頂記念のサイン帳に“Naruhito”と署名された。報道陣に「どうぞ、みなさん、いっしょに撮りましょう!」と気さくに呼びかけられるなど、終始ニコニコ笑顔。下山の途中には、侍従が缶入りの飲み物を陛下に差し出した。《「殿下、ビアーをどうぞ」「えっ、ビールですかあ?」》驚かれる陛下。しかし、缶の英文字を読んで気づかれる。《缶のラベルを見つめて、「なんだ、ジンジャーだ」と一気にゴクゴク。こちらでは、その飲料を”ジンジャビア”という》念願のエアーズロック登頂を遂げられた陛下にとって、至福の一杯であったに違いない。
2019年06月11日お笑い芸人、俳優、そして粘土作家としても知られる片桐仁の「不条理アート粘土作品展『ギリ展台湾』」が、6月7日(金)より台湾・華山Laugh & Peace Factoryで開催される。『ギリ展台湾』展示風景同展は、片桐が約20年にわたり「何かに粘土を盛る」という方法で制作してきた作品の中から、選りすぐりの作品約120点を展示したもの。会場となった台湾・華山Laugh & Peace Factoryは、カフェや映画館、ショップなどが集まる人気スポット華山文化創意園区内にあるイベントスペース。開幕前日に行われたレセプションでは、片桐は『ギリ展』用に作ったというド派手な特攻服を着て登場。会場に詰めかけた20社を超える台湾メディアから熱心な質問を浴びせられた。レセプションにて現地メディアの取材に応じる片桐仁片桐は「ようやく『ギリ展』の海外進出が実現して本当にうれしい。台湾展のために新たな作品やグッズを制作したり、撮影可能なインスタスポットを作ったり、日本での『ギリ展』にはなかった新しい試みも行っているので、ぜひ多くの人に観に来てほしいです」とコメント。台湾にちなんで制作した新作《TAIWAN》(魚のタイの形をしたお椀)などを披露し、そのダジャレ的創作センスと精巧な出来栄えで大きな注目を集めていた。同展は6月30日(日)まで開催されている。開催情報「不条理アート粘土作品展『ギリ展台湾』」6月7日(金)〜6月30日(日)台湾・華山Laugh & Peace Factoryにて開催
2019年06月07日「徳仁」と書かれた水泳帽をかぶって胸を張るのは、当時中学1年生の天皇陛下。「赤フンドシ」姿で水泳の鍛錬に臨まれたのだ。《乃木将軍が学習院院長だったころからの伝統の赤フンドシ日やけした肌にきりりとしめて、いかにもたくましい浩宮さま》(『女性自身』1972年8月26日号「伝統の赤フンドシ」より)天皇陛下はこの年の8月、静岡県沼津市の学習院遊泳場で1週間にわたる水泳合宿に参加されていた。男子は赤フンドシ、女子は水着に赤い帯を巻いて臨むこの合宿。上皇さまも経験され、現在まで続いている伝統行事だ。《自習のための勉強道具もたくさんもちこんで、訓練につぐ訓練のきびしい毎日だ。いま水泳の腕は4級だが、合宿の終わるころには、西郷島まで4キロの遠泳に挑戦!3級に進級なさるのを楽しみに、カッと照る夏の日を浴びておいでだ》(前出記事より)陛下はこの合宿の成果か、学習院伝統の古式泳法である平泳ぎが得意になられた。トライアスロンに挑戦し、スピードアップのためクロールのマスターに力を入れられたこともあったそうだ。
2019年05月31日御代替わりで皇嗣になられた秋篠宮さま。『女性自身』ではその幼少期から取材を続けている。この写真で当時7歳の天皇陛下に支えられている秋篠宮さまは、まだ1歳5カ月。どうして大号泣されているのか――。《さっきまで、自動車をさして、“ブーブー”とごきげんだったのに。南米へと出発なさるお母さまの姿が車の中に消えたとたん、淋しくてたまらなくなってしまったのだ。》(『女性自身』1977年5月22日号「おたたちゃま、行っちゃイヤ!」より)この日、上皇さま(当時は皇太子)と美智子さまは、22日間にわたる南米ご訪問へ出発された。ご両親が地球の裏側に国際親善へと向かわれるあいだ、兄弟でのお留守番となったのだ。陛下はお兄さまとして、ご両親の代わりにしっかりお世話をされた。陛下が日本橋高島屋へ買い物に出かけた日には、秋篠宮さまのおみやげにブリキの機関車を買って帰られた。東宮御所に着くとまっさきに動かしてお見せになったという。長いお留守番を終え、ご両親がお帰りになる日。東宮御所の玄関で待っていた秋篠宮さまは、車のドアが開かないうちに走りより、飛び立つように降りた美智子さまは、抱き上げてほおずりをされたのだった。
2019年05月25日5月4日、天皇陛下のご即位を祝う一般参賀が行われ、参賀者は14万以上にのぼった。雅子さまをはじめ、女性皇族の方々は美しいローブモンタント姿を披露され、その華やかさに参賀者からは感嘆の声が上がった。令和の時代を迎えた現在、女性皇族は11人。雅子さまをお支えする、新時代のプリンセス11人のプロフィールを一挙に振り返る。■愛子さま天皇皇后両陛下のご長女で、現在学習院女子高等科の3年生。音楽がお好きで、チェロ、バイオリンを演奏される。また、スポーツも得意で、学習院女子中・高等科の校内スポーツ大会ではバスケットボール、ソフトボールで活躍されたという。最近は仲のよいお友達と、文化祭でチアダンスを披露。昨年には英イートン校のサマースクールにも参加し、お一人での初めての海外訪問となった。皇族方が身の回りにつけるシンボル、「お印」はゴヨウツツジ。那須御用邸の周辺に咲いており、「純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」との思いが込められている。■紀子さま秋篠宮さまとは学習院大学の書店で出会い、キャンパスの恋を実らせて’90年にご結婚。アメリカやオーストリアで幼少期を過ごされ、英語やドイツ語も堪能で知られる。悠仁さまのご懐妊中に海外絵本を翻訳されたことも。手話も得意なほか、結核予防会総裁を務められるなど、福祉関係にも尽力されている。今後は皇嗣妃殿下として、重責を担われることになる。お印は檜扇菖蒲(ヒオウギアヤメ)。昭和天皇が那須高原の湿原に美しく咲くヒオウギアヤメの研究をしており、秋篠宮さまも研究を手伝われていたことから選ばれた。■眞子さま上皇陛下と美智子さまの初孫にして、秋篠宮ご夫妻のご長女。国際基督教大学へ進学し、同大学院に在学中。これまで2度のイギリス留学で、博物館学を学ばれた。現在、東京・丸の内にある博物館「インターメディアテク」にお勤めになるとともに、ご公務に臨まれている。今年7月には、南米のペルーとボリビアを公式訪問される予定。昨年、小室圭さんとのご結婚が延期になり、今後が注目される。お印は木香茨(もっこうばら)。秋篠宮ご夫妻がお好きな花で、紀子さまがお選びになった。秋篠宮家の庭に植えられており、初夏に可憐な花を咲かせる。■佳子さまこの春、国際基督教大学をご卒業。高校生のころからダンスがお好きで、最近でもスクールの発表会にも参加して踊りを披露されている。大学では心理学を専攻されたほか、イギリスに9カ月間留学、舞台芸術を学ばれた。これまで手話甲子園や馬術競技大会、スピーチ大会など若い世代の催しに精力的に取り組まれてきた。ご卒業の際の文書回答で、今後はご公務に励まれると表明されている。お印はゆうな。ゆうなとは、ハイビスカスの一種・オオハマボウの沖縄地方での呼称。秋篠宮ご夫妻が九州南部、沖縄県の島々に咲くこの花がお好きで選ばれた。■寬仁親王妃 信子さま「ヒゲの殿下」として親しまれた故・寬仁親王殿下のお妃で麻生太郎氏の妹。一時期の体調不良から快復し、最近はご公務に復帰。数年前は、ご家族と距離を置かれた時期もあった。お印は花桃。■彬子さま寬仁親王殿下と信子さまのご長女。オックスフォード大学に留学し、日本美術のコレクションについて研究された。祖父・三笠宮殿下から続くトルコとの親善役を引き継がれている。お印は雪。■瑶子さま寬仁親王殿下の次女。学習院女子大学時代は体育会系の剣道部で活躍された。ご卒業後、日本赤十字社にお勤めになった。退社後はお姉さまと力を合わせ、公務に務められている。お印は星。■高円宮妃 久子さま47歳の若さで薨去された故・高円宮殿下のお妃。日本サッカー協会など、殿下から多くの名誉総裁を引き継がれ、東京五輪招致の際には、フランス語で見事なスピーチを披露された。お印は扇。■承子さま高円宮殿下と久子さまのご長女。大学卒業後は日本ユニセフの嘱託職員として勤務されている。妹君の典子さんは出雲大社権宮司・千家国麿さんと、絢子さんは日本郵船の社員・守谷慧さんと結婚された。お印は萩。■三笠宮妃 百合子さま3年前に100歳で薨去された三笠宮殿下のお妃。現在最高齢の皇族で、何度か入院されたが、今年の新年一般参賀にもご参列。新婚時代は庶民的な生活をされていた。お印は桐。■常陸宮妃 華子さま上皇陛下の弟宮・常陸宮殿下と前回の東京五輪が開催された’64年にご結婚。若いころからおしゃれで、気さくなお人柄で人気があった。ゴルフ好きでも知られている。お印は石楠花(シャクナゲ)。現在、未婚の女性皇族は6人。上皇上皇后両陛下のご長女・黒田清子さん(50)や、昨年結婚された守谷絢子さん(28)のように、結婚後は皇室から離れられるのか、それとも「女性宮家」として皇室に残られることとなるのか。「女性天皇」「女系天皇」に関する議論も含め、今後の女性皇族方の境遇について、注目が集まる。
2019年05月11日平成の即位の礼での装束を身にまとわれた、天皇陛下と美智子さま。そのお写真を、雅子さまはじっと見つめられていた――。5月1日の新天皇即位を間近に控え、皇太子ご夫妻は4月24日、東京・上野の東京国立博物館で開催されていた天皇陛下の即位30年を記念した特別展「両陛下と文化交流―平成の日本美を伝える―」を鑑賞されていた。「展覧会で、陛下、そして美智子さまの足跡をご覧になり、雅子さまもいよいよ新皇后になられる実感を抱かれたことでしょう。クリーム色のスーツをお召しになった雅子さまは、報道陣の前でも堂々とされていると感じました。皇后になる日が近づくにつれ、雅子さまのご表情は日に日に明るくなっています」(皇室担当記者)ご体調が劇的に上向いた理由として「愛子さまのご成長が大きい」と語るのは宮内庁関係者。「雅子さまの適応障害の根本には“お世継ぎ”の問題がありました。不妊治療と流産を乗り越え、’01年12月に愛子さまが誕生されたことは皇太子ご夫妻にとって至上の喜びでした。しかし’03年6月、当時の宮内庁長官は定例会見で『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』と発言。雅子さまにとっては、愛子さまの存在までも否定されたように感じられたことでしょう。半年後に帯状疱疹で入院され長期にわたるご療養に入り、その後、適応障害と診断されたのです」雅子さまはたっぷりと愛情を注ぎ愛子さまを育てられたが、学習院初等科2年生のときにはほとんど登校ができない状態になってしまう。その後も愛子さまの不規則な登校は続いた。実は、愛子さまが小学4年生だった’11年の秋ごろ、雅子さまは親しい知人にこう語っていた。「愛子には愛子の人生があり、皇室に生まれた運命、持って生まれた運命というものがあります。もちろん親としての娘の人生への希望はありますが、私どもの気持ちだけで、あの子の運命を、どうこうするわけにはいかないのです」逡巡する口ぶりから、愛娘の未来を憂う雅子さまの苦悩が伝わってくる。「いずれは“天皇の娘”となられるお立場なのに、皇位継承権を持たない愛子さま。一方で女性宮家創設案も浮上しており、どう育てていくべきか思い悩んでいらしたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)しかし、一昨年に学習院女子高等科に進学されてからの愛子さまは、雅子さまを驚かせるほどの急成長を見せられた。「学校では社交的になられ、昨年の文化祭ではご友人たちとチームを組んでダンスを披露されました。さらにステージの司会もお務めになって会場を盛り上げたのです。東宮御所を訪れた外国の要人との懇談に参加され、英語でお話しされたこともあります。昨年の夏には英イートン校への短期留学も経験されています」(前出・宮内庁関係者)4月14日の「オール学習院の集い」でも、皇太子ご一家の仲睦まじいご様子が目撃されている。「盲導犬協会のブースで、雅子さまは愛子さまを促され、募金やお声がけのアドバイスをされていました。積極的に公の場でのなさりようを“特訓”されているようでした」(学習院関係者)雅子さまと愛子さまのまなざしは、新しい時代を見据えている。「娘に皇室に生きる運命を背負わせてしまったことに、ご体調が悪いころの雅子さまは自責の念を抱かれていたと思います。しかし愛子さまは皇族としての役割を受け止め、お立場を自覚されたのです。雅子さまはその成長に驚き、涙されたことでしょう。皇室に嫁ぎ、愛子さまを産んでよかった……。心からそう思えるようになったことで、雅子さまは笑顔を取り戻されたのです」(皇室ジャーナリスト)
2019年04月30日快晴に恵まれた境内には、優しい風が吹き、ときおり小鳥のさえずりが聞こえていた。モーニング姿の天皇陛下が皇室の祖とされる天照大神に譲位を報告されたのに続き、パールカラーのロングドレスに身を包まれた美智子さまも参拝された。4月18日、両陛下が伊勢神宮を訪れ、ご退位に向けた儀式「親謁の儀」に臨まれた。当日、伊勢神宮周辺の沿道には、ご在位中最後の旅となる天皇陛下と美智子さまをお迎えするために約4万3千人の人々が集まった。伊勢神宮に詳しい文筆家で皇學館大学非常勤講師の千種清美さんが語る。「これまで神宮で何度も両陛下をはじめとする皇族方のご参拝を取材してきましたが、今回は本当にすごい歓迎ぶりで驚きました。全国から集まったみなさんから、平成の御代を惜しむ気持ちや、両陛下への感謝が伝わってくるようでした」神宮の関係者によると、両陛下は外宮参拝のとき、いつもより緊張されているご様子だったという。「伊勢神宮の祭主を務める黒田清子さんとご一緒に昼食をお召し上がりになったそうですが、それでリラックスされたのか、午後の内宮ご参拝のときには両陛下とも表情が和らいでいらっしゃいました」’05年11月、東京都職員の黒田慶樹さんと結婚した清子さんは、’13年に伊勢神宮の式年遷宮で臨時祭主として儀式に臨んだ。そして’17年6月、正式に伊勢神宮祭主に就任した。「天皇陛下の代理として祭祀をつかさどる祭主は、皇室を離れた内親王として“最も重いお務め”といえます。両陛下は清子さんに祭主をお任せになることで、これからも皇室を支えてほしいという思いがあったのでしょう。それほど両陛下は、清子さんを信頼されているのです」(前出・皇室担当記者)‘93年、美智子さまが、59歳の誕生日に赤坂御所で突然お倒れになった。陛下と清子さんとご歓談中の出来事だった。一時意識を失われた美智子さまは、言葉を発することができなくなってしまった。その背景には、美智子さまに対するあまりに激しいバッシング報道があったと、皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは語る。「そのとき清子さまはずっと美智子さまのおそばに寄り添われて、ご快復に力を尽くしました。また、’11年に東日本大震災が起こったときには、黒田さんの運転する車で、誰よりも早く皇居に駆けつけたそうです。結婚後もプライベートな部分で両陛下を支えてきた清子さんは、やはり美智子さまにとって特別な存在なのです」祭主になって以降も頻繁に御所を訪れる清子さんは、美智子さまのご相談相手となっている。「今回の神宮ご参拝で美智子さまのお足元が気になりました。足にご負担がかかるのか、御垣内の白石の上は歩きにくいようで、女官長さんの手を取られて歩かれる場面もありました。退位後に両陛下は御所から高輪皇族邸へ引っ越されます。ご高齢のお二人にとっては準備も大変であまり進んでいないようです。身の回りのことで頼りになるのは清子さんですから、美智子さまはすでに引っ越しについても相談されているそうです」(前出・宮内庁関係者)
2019年04月25日毎月1回開かれてきた天皇陛下、皇太子さま、秋篠宮さまの「三者会談」も、4月24日が最後になる。「三者会談」が行われる以前には、皇太子さまと秋篠宮さまの“対立関係”が表面化したことがあった。’04年5月の会見で皇太子さまは、適応障害で療養に入られた雅子さまについて《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》と言及された。この「人格否定発言」は、雅子さまを守るための悲痛な訴えだった。しかし、秋篠宮さまは同じ年の誕生日会見で《記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったか》と、皇太子さまに苦言を呈されたのだった。「その後、秋篠宮さまは皇室が抱える問題について積極的に発言され、存在感を増していきました。一方で、ご公務への出席が途絶えた雅子さまを庇い続ける皇太子さまへの風当たりは強くなっていきました。その状況は長く続き、’09年ごろには、皇太子さまは秋篠宮さまに皇太子の位を譲るべきという“廃太子論”まで言論誌に掲載される事態になったのです」(前出・皇室ジャーナリスト)その3年後に「三者会談」が始まるのだが、美智子さまのご提案の背景には皇位継承の準備だけではなく、もう一つ大切な理由があったと言うのは前出の宮内庁関係者だ。「’08年2月、当時の羽毛田宮内庁長官が、公式の場である定例記者会見で『愛子さまが両陛下を訪問なさる回数が少ない』などと発言。長官がマスコミの前で皇太子さまへ苦言を呈するという前代未聞の出来事でした。両陛下と皇太子ご一家、秋篠宮家は当時、そういった事態を招くほどコミュニケーションが取れていなかったのです。この状況を憂慮されていた美智子さまはが『三者会談』という場を設けることで、意思の疎通を図ろうとお考えになったのです」御代替わりを前に、秋篠宮家には眞子さまとの婚約が延期となっている“小室圭さん問題”が持ち上がった。バッシングは小室さんだけでなく、秋篠宮家全体にまで及んでいる。「美智子さまもこうした報道はつぶさにチェックされ、遺憾に思われているそうです。このままでは10年前とは逆に、秋篠宮さまが孤立してしまうことも危惧されます。だからこそ発案者の美智子さまは、令和の時代になっても新しい皇室の団結を示すために、新天皇と皇嗣による『頂上会議の継続を!』と望まれているのです。美智子さまが参加されていた昼食会には、新皇后となられる雅子さまが出席されることになると思われます」(皇室担当記者)兄弟が胸襟を開いて協力する姿を見せられれば、美智子さまの「母の不安」も杞憂に終わるはずだ。
2019年04月19日新元号「令和」も決定し、天皇陛下が退位される4月30日まで2週間あまりとなった。退位後の約1年半は品川区の高輪皇族邸に仮住まいされることになっている。高輪皇族邸は’73年に高松宮邸として建てられた。鉄筋コンクリート造りの地下1階、地上1階建て。高松宮妃喜久子さまが’04年に亡くなられるまで住まわれていたが、その後は空き家になっていた。「仮住まいの期間に、現在は皇太子ご夫妻がお住まいになっている赤坂御用地の東宮御所が改修されます。両陛下は’20年末までにその東宮御所に引っ越しされる予定です。改修後の東宮御所は、退位した天皇の住居として『仙洞御所』と改称されます」(宮内庁関係者)高輪皇族邸では改修工事が進むが、両陛下は「リフォームは最小限に」と希望されていた。「両陛下はできるだけ現状のままお住まいになりたいとおっしゃったそうです。国民の負担を極力少なくしたいというお考えなのでしょう。計画されていた運動場や陛下の魚類研究施設も、両陛下のご意向で取りやめになりました」(皇室ジャーナリスト・山下晋司さん)両陛下は引っ越されてから、運動のために皇居の多目的ホールに通われる予定だという。高輪皇族邸は高いビルに囲まれた土地なので、目隠しのための植林が進められている。ほかに邸内の空調設備の取り換えや屋根の防水などが主な改修工事だ。当初約8億4千万円だった予算は、5億円台半ばまで縮小された。「ご退位までお忙しい日々が続きますが、両陛下はお時間を見つけられては私物を確認されているそうです」(宮内庁関係者)皇居からのお引っ越しは大規模なものになるようだ。両陛下の前回のお引っ越しは’93年12月。赤坂御所(現在の東宮御所)から吹上御苑に新築された御所に移り住まれたが、その際に運び出された荷物は2トントラック延べ約100台分。引っ越し全体の予算は約4千万円だった。「陛下のご研究関係の資料や両陛下の蔵書、ご家族の思い出の品など、かなりの量になるはずです。最終的なお住まいとなる現在の東宮御所に倉庫が新設されます。そちらに直接運び込むもの、仮住まいの高輪皇族邸に運び込むもの、この仕分けなどもされているでしょう」(山下さん)
2019年04月13日東京・六本木にある国立新美術館の正面入口前にて、4月17日から2021年5月10日まで、「吉岡徳仁 ガラスの茶室 - 光庵」が特別公開される。2011年の第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展で発表した「ガラスの茶室 - 光庵」。2015年には京都の将軍塚青龍殿の大舞台で披露され大きな話題となった。国立新美術館では本作品を屋外に設置し、自然光のもとで変化する表情を見ることができる。また、併せて、パリのオルセー美術館にコレクションされているガラスのベンチ「Water Block」も展示される。東京2020オリンピック 聖火リレートーチもデザインしているデザイナー、アーティストの吉岡徳仁。作品はニューヨーク近代美術館(アメリカ)、ポンピドゥー・センター (フランス)、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(イギリス)など、世界の主要美術館に永久所蔵され、アメリカのニューズウィーク誌による「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれている。【イベント情報】「吉岡徳仁 ガラスの茶室 - 光庵」会期:4月17日〜2021年5月10日会場:国立新美術館 正面入口前住所:東京都港区六本木7-22-2時間:美術館の開館時間に準ずる休館日:毎週火曜日(祝日又は振替休日に当たる場合は開館し、翌平日休館)、年末年始入場無料
2019年04月05日「私が『陛下と私は、ほぼ同い年ですなあ』とお話しすると、陛下のお顔がほころんで『やあ、そうですねえ』とお答えになりました」そう語るのは、京都仏教会代表理事で、相国寺や金閣寺の住職も務める有馬頼底さん(86)。天皇皇后両陛下は3月25日から京都・奈良を訪問された。その初日、両陛下が近畿地方の首長やゆかりの人々などを京都御所にお招きになり、茶会が開かれた。そこに有馬さんも出席したのだ。お二人の出会いは80年以上も前に遡る。幼稚園に入って2年目の有馬さんが、翌年から入園される陛下(当時は皇太子殿下)の遊び相手8人のうちの1人に選ばれた。月に1~2回、朝から教師に引率されて東宮御所へと向かったという。「御所の庭でもらったビスケットを食べながら待っていると、小柄な陛下が三輪車に乗ってお見えになるのです。陛下と一緒に泥だらけになってブランコや砂場で遊んだものでした。取っ組み合って相撲を取ったのもよく覚えています。帰り道、友人に『お前、東宮さまを殴っただろう』と言われて、『相撲で投げ飛ばしただけだ』と口論になりました。すると先生が『お相撲の勝負だから仕方がないだろう』と仲裁に入ってくれました。今ではいい思い出です」茶会では、有馬さんが金閣寺の住職を兼任していることを伝えると、陛下は「焼ける前の金閣寺を拝見しております」とおっしゃったという。「私は『退位なされたら、ぜひ、修復した金閣にもおいでください』とお誘いしました。さらに『ご退位後は自由になられるのですから、ご先祖様のいらっしゃる京都に1年の半分くらいでも、お住みになってはいかがですか』とご提案させていただくと、陛下はやっぱり『そうですねえ』と笑顔でうなずかれていました」有馬さんは昨年の9月、日仏友好160周年の記念行事に出席するためフランスを公式訪問された皇太子さまにも同行した。「相国寺にある承天閣美術館所蔵の寺宝を出展した関係で、案内役の一人を務めました。エッフェル塔の点灯式では、皇太子殿下がボタンを押すことになっていました。しかし、トラブルで1時間以上も待たされることになったのです。関係者はヤキモキしていたのですが、殿下は焦ることなく、むしろ周囲に笑顔で話しかけ、場をなごませていらっしゃいました。しかもそのあとのスピーチでは流暢なフランス語も披露されました。フランスでの立ち居振舞いを拝見して、御代替わりとなっても、この方が即位なされば皇室は安泰だと思いました」
2019年04月02日4月末のご退位まで重要な儀式が続き、両陛下は忙しい日々を過ごされている。そんな中、両陛下を喜ばせる出来事があった。「3月17日に、天皇陛下の即位30年と美智子さまとのご成婚60年を祝う非公開の昼食会が東宮御所で行われました。その最後に、両陛下を労う“サプライズ”のプレゼントが用意されていたのです」(宮内庁関係者)皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん夫妻が主催し、皇族方や元皇族、旧宮家の49人が出席したこの内宴では、雅子さまがメニューの考案をされたという。「皇太子殿下のお祝いの言葉で始まり、食事の後にはシャンソン歌手による歌の披露もあり、3時間ほど続きました。両陛下はもちろん、眞子さま、佳子さまも明るい笑顔でした。そして内宴の終わりには、愛子さまと悠仁さまが両陛下に歩み寄られて、悠仁さまが陛下に、愛子さまが美智子さまに花束を手渡されたのです。花束を受け取る両陛下は幸せそうな笑みを浮かべていらっしゃいました」(前出・宮内庁関係者)“将来の天皇”という期待を背負われている悠仁さまと、新天皇になられる皇太子さまの一人娘である愛子さま。「両陛下に花束を渡されたお二人が次世代の皇室で大きな役割を担われます。とりわけ愛子さまは、女性宮家の創設が決まれば、大きく立場が変わられるでしょう」(皇室ジャーナリスト)菅義偉官房長官は18日の参議院予算委員会で、女性宮家の創設を含めた安定的な皇位継承について「(新天皇が)即位された後、そんなに時間を待たないで(検討を行う)と考えている」と述べた。そして安倍首相は20日の国会で、これまで自身が持論としていた“旧宮家の皇籍復帰”について「私自身がGHQの決定を覆すことはまったく考えていない」と、否定的な考えを示したのだ。「旧宮家の皇籍離脱は70年以上前。民間人として暮らしてきた“男系男子”に皇室に入ってもらうのは、現実的ではないと結論づけたのではないでしょうか。旧宮家の復帰がないとなれば、女性宮家の創設がさらに現実味を帯びてくるのは間違いありません。そうなれば愛子さまは、結婚されたとしても皇室に残られることになります」(前出・皇室ジャーナリスト)3月28日に共同通信が報じた注目すべきスクープがある。政府が’97年から、女性皇族への皇位継承について極秘の検討会を開いていたというのだ。さらに’04年春の文書には、女性・女系天皇を認める皇室典範の早期改正方針が記されていたという。「愛子さまが天皇になられる可能性が、一度はかぎりなく実現に近づいていたのです。しかし’06年9月、悠仁さまが誕生され、その直後に第一次安倍内閣が発足。女性・女系天皇の検討はたち消えになりました。ただ、’17年5月の共同通信による世論調査でも女性天皇賛成は86%、女系天皇容認は62%となっています。今後、議論が再燃することも考えられます」(政治部記者)歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは皇位継承問題への危惧を口にする。「今後、悠仁さまが結婚され、さらに男性のお子さまが生まれるという保証はありません。政府がこのまま“男系男子”にこだわるならば皇室の存続が危ぶまれます。このまま問題の解決を先送りすれば、安倍政権は近い将来、皇位継承の危機を招いた責任を負うことになる可能性があるのです」4月から高校3年生になられる愛子さまは、将来はさらなる重責を担われることになるかもしれない。最近では皇太子ご夫妻と一緒に、東宮御所を訪れた外国の要人に積極的に話しかけられて、通訳を介さずに英語で懇談されることもあった。「愛子さまが“新天皇の一人娘”として、積極的にその役目を果たそうとお考えになっているのです。御代替わりを目前にして受け取られた花束に、美智子さまは愛子さまの“自覚”を感じられ、感涙にむせぶほど心を打たれたことでしょう」(前出・皇室担当記者)皇室の次世代を担う平成生まれのプリンセス。その成長を美智子さまはこれからも見守られていくことだろう――。
2019年04月02日東京 2020 組織委員会は、東京 2020 オリンピック聖火リレートーチを発表。桜がモチーフとなっており、デザインは吉岡徳仁が担当した。東京 2020 オリンピック聖火リレートーチは、全長710mm、重量1.2kg、色は桜ゴールド。日本人に最もなじみ深い花である桜がモチーフとなっている。伝統的な日本のかたち"桜紋”が、新幹線の製造にも使われている製造技術(アルミ押出成形)を用いて形作られ、継ぎ目のないひとつなぎのトーチは、日本の伝統と高い技術力が一つになることで生み出された、東京 2020 オリンピック聖火リレーを象徴するかたちだ。聖火の形もデザインされており、花びらから生み出された5つの炎は、聖火リレートーチの中央で一つとなり、より大きな輝きで「希望の道」を照らす。聖火を灯す燃焼部には、聖火を保ち続けるために、火力の強い青い炎と、火のない燃焼(触媒燃焼)の2つの燃焼が、聖火の赤い炎を支える仕組みを採用。121日間という長期に渡る東京 2020 オリンピック聖火リレーで、時間や季節、気候、地域によって大きく変化する日本の環境の中、美しく力強い炎を灯し続ける。また、素材の一部には、東日本大震災の復興仮設住宅のアルミ建築廃材を再利用。人々の生活を見守ってきた仮設住宅が、平和のシンボルとしてオリンピック聖火リレートーチに姿を変え、一歩ずつ復興に向けて進む被災地の姿を世界に伝える。デザインを担当した吉岡徳仁は、デザイン、建築、現代美術の領域において活動。自然をテーマに日本の美の根源が映し出された作品などを発表し、世界でも数々の国際的な賞を受賞している。今回の聖火リレートーチは、デザインから製造まで共同企業体を形成する仕組みで公募を実施し、各界の有識者の協力を得て、優れたデザイン性、聖火を点す燃焼機構の性能、持続可能性への配慮などさまざまな観点で2回の審査会を実施し選出された。2020年3月、桜の季節の訪れとともに、オリンピック聖火は「Hope Lights Our Way / 希望の道を、つなごう。」という東京 2020 オリンピック聖火リレーのコンセプトと一体となり、日本全国を巡る。
2019年03月25日秋篠宮家の長男・悠仁さまは3月15日、お茶の水女子大学附属小学校を卒業された。4月には同大附属中に内部進学される。「悠仁さまが5年生のころには、都内の有名私立中の文化祭に紀子さまと参加される姿が目撃されています。他校への進学も模索されたようですが、紀子さまは昨年の夏ごろには、悠仁さまの受験を回避し内部進学するという決断をなさっていたと思われます」(皇室担当記者)実は昨年の夏休み、同級生の男子児童が勉強漬けの日々を送るなか、紀子さまは悠仁さまに「スパルタ帝王教育」を課していたのだ。その1つが、標高3,180mを誇る槍ヶ岳登山だ。山頂は“槍の穂先”と呼ばれ、岩場をはしごや鎖でよじ登らねばならない。昨年8月3日、山頂に居合わせた会社員女性はこう語る。「悠仁さまはチェックのシャツを着た登山スタイルで、ヘルメットもしっかり被られていました。悠仁さまがはしごを降りるあいだ、山頂へのはしごは“一時通行止め”になっていたのですが、紀子さまは登山客に『皆さん、お待ちになってくださっているのですね……』と申し訳なさそうにおっしゃっていました」槍ヶ岳は、山岳ガイドも「地元の子供も、1年がかりでほかの山を登って実力をつけてからでないと登りません」と言うほどの難所。紀子さまはなぜ、悠仁さまにこれほどの試練を課したのか。「同級生と比べても線が細い悠仁さまに、集団の中でも負けない体力と度胸を培ってほしいという願いで、過酷な槍ヶ岳登山を命じられたのだと思います。また登山は、皇太子さまと共通の話題にもなります。次期天皇と距離を縮め、身近でその立ち振舞いを学んでほしいとのお心遣いがあったのでしょう」(皇室担当記者)昨年の夏休み、悠仁さまは紀子さまとお二人で広島市の平和記念公園に足を運ばれるなど、戦争の歴史とも向き合われた。受験勉強よりも貴重な経験を積まれ、悠仁さまは中学校に進学される――。
2019年03月15日