まるで「三丁目の夕日」の世界平成も四半世紀近くが過ぎ、昭和時代の後期しか知らない人や、平成生まれのビジネスパーソンも増えてきました。逆に、昭和時代が懐かしいと思う世代も増えているでしょう。皆さんにとって、昭和を感じさせるアイテムとは何ですか?マイナビ会員の男性458名にうかがいました。>>女性編も見るQ.昭和を感じさせるアイテムを教えてください(複数回答)1位カセットテープ45.9%2位ファミコン32.3%3位黒電話31.0%4位ちゃぶ台22.9%5位インベーダーゲーム21.0%■カセットテープ・「カセットを見ると懐かしくなります」(27歳/機械・精密機器/技術職)・「もうカセットテープを見かけなくなった」(23歳/運輸・倉庫/販売職・サービス系)・「あまりカセットテープを使ったことがないから」(24歳/ホテル・旅行・アミューズメント/販売職・サービス系)■ファミコン・「子どものころによく遊んで、最近はほとんど見ていないので、たまに見ると昭和のころの思い出がよみがえるからです」(35歳/その他/販売職・サービス系)・「毎日のように遊んでいたので、懐かしいです」(34歳/建設・土木/技術職)・「私の青春の1ページ です」(37歳/ホテル・旅行・アミューズメント/販売職・サービス系)■黒電話・「最近はもう見かけないから」(26歳/その他)・「田舎のお店とかにあると、和む」(29歳/電機/技術職)・「昭和の象徴だと思う」(24歳/学校・教育関連/専門職)■ちゃぶ台・「『巨人の星』を連想するから」(47歳/金属・鉄鋼・化学/技術職)・「あまり聞かなくなった言葉」(24歳/自動車関連/技術職)・「ノスタルジックそのもの」(26歳/建設・土木/事務系専門職)■インベーダーゲーム・「見たことがないから」(28歳/電機/技術職)・「歴史を感じるので。喫茶店に置いてあった……気がします」(30歳/食品・飲料/営業職)・「よく昔の映像として出てくるから」(23歳/農林・水産/営業職)■番外編:プレミアがつきそうな懐かしいグッズも・ブリキのおもちゃ「いかにも昭和という感じがする」(46歳/学校・教育関連/専門職)・二槽式洗濯機「家にはまだ二槽式洗濯機がある」(38歳/団体・公益法人・官公庁)・レコード「平成になってレコードは陰に隠れた存在になってしまったから」(28歳/学校・教育関連/事務系専門職)総評1位は「カセットテープ」でした。MDやCDの台頭により、急激に影を潜めた気がします。データ化が進む現代ではありますが、中にはまだ昔のカセットテープをたくさん所有している人もいるかもしれませんね。2位は「ファミコン」でした。昭和後期のアイテムながら、次から次に登場するハードに押されて消えてしまったイメージも。子どものころに遊んだ人も多く、上位にランクインしたのでしょう。3位「黒電話」は、昔の映像に出てくることも多く、昭和のイメージが強いようです。今でも現役で使用している家庭もあるかもしれませんね。4位は「ちゃぶ台」。昭和のお父さんがひっくり返すイメージですが、ちゃぶ台を囲んだ食卓は、温かさを感じます。全体的に、懐かしい思い出がよみがえるアイテムがランクインしたようです。(文・OFFICE-SANGA澤井輝一)調査時期:2012年10月15日~2012年10月20日調査対象:マイナビニュース会員調査数:男性458名調査方法:インターネットログイン式アンケート■関連リンク【男性編】『サザエさん』で気になっていることランキング【男性編】父親じゃなくてよかった!?スパルタオヤジキャラランキング【男性編】今見てもいい!!長寿アニメランキング完全版(画像などあり)を見る
2012年12月19日首都高速道路サービスは首都高開通50周年記念の特別企画として、首都高1号線(京橋~芝浦)の初開通から50年となる12月20日限定で、7箇所のPAにて「50円カレー」を販売する。カレーの販売を行うPAは、平和島PA(1号羽田線上り)、代々木PA(4号新宿線上り)、八潮PA(6号三郷線上り)、加平PA(6号三郷線下り)、川口PA(川口線上り)、市川PA(湾岸線西行き)、大黒PA(湾岸線 東・東行き、神奈川5号大黒線上り・下り)の7カ所。いずれも同日11時から各PAにて、先着50名限定で販売。売り切れ次第終了となる。また、大黒PAでは本館3階スカイテリアにて、ブルーシールアイスクリーム(シングル)も50円(50食限定)で販売する。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年12月14日『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』や『アメリ』、『メメント』などなど…1980年代後半から90年代にかけて、若者を中心に渋谷の街で巻き起こった“ミニシアター・ブーム”。小さな劇場には長蛇の列ができ、若者たちが映画を語り、映画を熱望し、映画に生きた時代。そんな文化にあふれた桃源郷をもう一度、日本のカルチャー発信基地・渋谷に蘇らせたい!という思いが形となり、来る11月9日(金)、「渋谷真夜中の映画祭~第零夜~」が開催されることが決定した。いまもなおファッションや音楽など、時代の先端を走るカルチャーが生まれ続ける街・渋谷。最先端の街でもう一度、いや、新たなるカルチャーの波を!そう望む人は少なくない。しかし何故、“真夜中”なのか?その答えは、こんな言葉の中にある。「歴史は“夜”作られる」。いまの真夜中の渋谷で過ごせる場所は、カラオケ、ネットカフェ、騒がしい居酒屋、もしくは濡れた路上しかない。そこで渋谷ヒカリエという文化的な場所で、夜を徹してメッセージ性やアート性の強い映画に触れる機会を作ったようだ。さらに、この映画祭を企画するのはただの映画ファンではない。映画業界はもちろん、広告、ファッション、IT、果ては音楽にゲームなど各業界の第一線で活躍するクリエイターたちが実行委員会のメンバーとして参加しているのだ。運営資金も、加瀬亮の出演作『ライク・サムワン・イン・ラブ』の製作資金集めにも使用され、注目されているクラウドファンディングサイト「motion gallery」で集めたものだという。9日(金)第1弾イベント「第零夜」では、「インディペンデントな若手映像作家たち」をテーマに開催。第1部では、90年代の渋谷ミニシアターブームの象徴的作品『トレインスポッティング』(’96/ダニー・ボイル監督)を特別上映。また上映後の第2部では、映画界の未来を担う新たな才能を発掘すべく、3名の若手監督によるプレゼンテーションを行い、最も多くの観客の支持を集めた1作品を上映するというライヴ感にあふれたイベントとなるようだ。ぜひ、あなたも一風変わった真夜中の渋谷を体験してみては?「渋谷真夜中の映画祭~第零夜~」日時:11月9日(金)22:30~翌28:00(予定)場所:渋谷ヒカリエ「8/COURT」(東京・渋谷)公式サイト:特集「シネカフェくんのふらっと映画祭」
2012年11月08日今回は1970年代後半、まだまだ鶴見線貨物列車が元気だった頃の写真を紹介しましょう。鶴見線が旅客営業を開始したのは、いまから82年前の1930(昭和5)年10月。もともと1926(大正15)年、日本を代表する京浜工業地帯の貨物輸送を担う私鉄、鶴見臨港鉄道として浜川崎~弁天橋間と支線が開業。その後、扇町駅や鶴見駅へ延伸し、旅客営業が始まりました。戦時中に国有化されて路線名が「鶴見線」となり、JRへと継承されています。鶴見線の開業から現在に至るまで、一貫して続けられているのが貨物輸送です。とくに戦後の高度経済成長期には、沿線の工場群への原料輸送と製品出荷が激増し、鶴見線の貨物輸送はピークを迎えます。1962年には、浜川崎駅の発着トン数(貨物取扱量)が、当時の国鉄貨物取扱駅の中で1位を記録するほどでした。その後、鉄道貨物の衰退とともに、鶴見線の貨物列車も減少。現在、鶴見線で運転されている定期貨物列車は、扇町駅発着の石炭列車がたった1本のみ、しかも日曜運休。他に不定期列車として、新芝浦駅発着の特大貨物と、安善駅発着のジェット燃料輸送が設定されているだけ、という寂しい状況となっています。当時の鶴見線貨物列車の特徴は、ほとんどの列車が浜川崎駅のヤードにいったん入線し、扇町方面、安善・浅野方面、さらに枝葉のように延びる専用線へと運転されたことです。当時の浜川崎駅は鶴見線貨物の重要拠点で、17本の着発線と入換え用のDD13が配置された機関区があり、頻繁に入換えを行っていました。浜川崎駅発着の貨物列車で、現在は廃止された鶴見川口駅(貨物駅)まで運転されていたのが、硝子原料「ドロマイト」輸送の貨物列車でした。この列車は、鶴見小野駅付近まで進入した後、スイッチバックして鶴見川口駅へ向かっていました。その他、海芝浦駅付近では大物車、昭和駅付近ではDD13の入換えと、沿線に工場が密集する鶴見線ならではのシーンを見ることができました。ネガの中からなんと、1枚の写真にDD13の3重連と単機、そしてEF65の計5両の機関車が映り込んでいる写真を見つけました。当時の活気が伝わってきます。珍列車の写真もありました。鶴見線の貨物列車ではありませんが、日本鋼管(当時)専用鉄道を走行する列車です。この専用鉄道は軌間1,067㎜で、ピーク時の総延長は50㎞以上、保有する機関車と貨車は合計600両を超えていたとのこと。現在は廃止されています。今回、紹介した写真は、すべて鶴見線の72系を撮影(当連載第42回・第43回参照)する合間に撮ったものです。現在の鶴見線貨物列車の寂しい状況と比べると、当時の貨物列車の密度の濃さに、いまさらながら驚いてしまうのでした。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年10月09日昭和の年号が平成に代わり早24年。平成生まれの人口が徐々に増加していますが、いつか若い世代に「昭和の人って昔の人っぽいよね。なんか珍しい」なんて言われることだってあるかもしれません。昭和世代のマイナビニュース読者に「平成生まれにバカにされるかもしれないと恐れていること」についてアンケートしました。調査期間:2012/6/5~2012/6/10アンケート対象:マイナビニュース会員有効回答数 1,000件(ウェブログイン式)■年齢がバレる注射跡「BCGの跡」(29歳/女性)いくら年齢をサバ読みしても隠しきれないBCGの跡。スタンプ注射やはんこ注射とも呼ばれていますが、いつかその名称すらバカにされてしまいそうな気がします。■懐かしのゲーム機「今でも家にロクヨンがあること」(28歳/女性)時代の違いを思い知らされるゲーム機器周辺の話。このほかにも「スーファミのカセットにフーフーしていたこと」(28歳/女性)というコメントも。今はもうカセットの時代じゃないですもんね。■もう本物にはお目にかかれない!?「体育着がブルマだったこと」(31歳/女性)筆者の学生時代はちょうどブルマの最終世代で、卒業後からブルマが撤廃された記憶があります。当時はブルマを履くことが嫌でたまりませんでしたが、今考えると貴重な体験だったかも?■缶ジュースで感じる昭和っぽさ「缶ジュースのふた。プルトップを起こして倒すやつでなく、完全に缶本体から取り外すタイプを知っているということ」(35歳/女性)いつの間にか姿を消してしまったプルタブ式の缶ジュース。あーわかるわかる!なんて言ってしまうかどうかが昭和生まれと平成生まれの分かれ目?■運動時の水分補給「運動をするとき、思わず水は飲まない方がいいと思ってしまうこと。部活の時にずっと水を飲ませてもらえなかったから」(28歳/男性)水を飲ませてもらえない部活の練習って、かつて問題になりましたよね。皆さん、ちゃんと水飲んでくださいね。■世紀末の大予言「ノストラダムスの大予言を信じていたこと」(29歳/男性)1999年7月に人類が滅亡するという予言。多くの人がソワソワしていましたが、結局特に何も起きませんでしたよね。今となってはマジになっていた自分が恥ずかしいです……。いずれの話もいつの日か「先人に聞いたことがある」とか「なんかテレビで見たことがある」なんて言われるようになるのかもしれません。昭和世代としては、昭和時代のエピソードに誇りを持って生きていきたいものです……。(山本莉会/プレスラボ)
2012年09月15日昭和40年代から50年代にかけて「週刊少年キング」(少年画報社刊)で連載された望月三起也の伝説的漫画を、瑛太主演で映画化した『ワイルド7』のブルーレイ&DVDリリースを記念して、5月23日(水)、瑛太さんと共演の深田恭子、宇梶剛士が「TSUTAYA TOKYO ROPPONGI」にてトークイベントを行った。“悪(ワル)が悪(アク)を裁く”という考えのもと、警視庁によって犯罪者から結成された超法規的警察組織「ワイルド7」による活躍をダイナミックに描く本作。劇中、瑛太さんほか豪華キャストによるハリウッド顔負けのバイク&ガンアクションが話題となった。瑛太さんは「今日は起こしいただきまして…」と挨拶しつつ会場を見渡すと、本作の監督を務めた羽住英一郎監督が客席にいることを発見し「どこかで見た顔もありますが、よろしくお願いします」と取り立てず笑顔を見せた。劇中で見せるバイクアクションについてはさぞや苦労があっただろうが、「あんまり(バイクの)練習はしてませんでした」と飄々と語る瑛太さん。だがあるシーンでは「火薬なんかも使う緊張感がある撮影で何回かミスをしたんですが、監督がOKを出したのでホッとしていたら、本編でカットされてました…」と客席にいる羽住監督に直接抗議する一幕もあり、微笑ましい裏話に会場が沸いた。一方、屈強なイメージのある宇梶さんだが「大抵の荒事はやってきたつもりだったけど、この撮影は全てが大変でした」と少し傷心気味(?)にふり返る。宇梶さんはバイクアクションで常に「ワイルド7」メンバーの最後尾を走っていたそうで「あまりにも危険だと思って、監督にずっと目線で合図してたんですが、一切カットをかける素振りさえ見せなかったですね」とこちらもまた監督に対してささやかな抗議。また、劇中で最も印象深いシーンに話が及ぶと、海岸沿いをメンバー全員でバイクで疾走するというワイルドなシーンを思い出し、瑛太さんは遠くを見つめるような目で「あれは、良かったですねぇ」と述懐。どうやらその撮影の裏側では「誰が(バイクの)後ろに深田さんを乗せるかで、メンバー会議が開かれた」(瑛太さん)そうで、これについては宇梶さんも「醜い時間でした…(笑)」と照れ気味にふり返った。さらに、宇梶さんからは「ワイワイと男ばかりで合宿のように撮影してたんですが、恭子さんが来た日だけはみんなカッコつけてました。急に“ワイルド”になってました(笑)」と暴露。深田さんはこの“ワイルド”な男たちの微笑ましい姿に「男同士の結束みたいなものがあって羨ましかった」と微笑んでいた。『ワイルド7』は、5月23日(水)よりブルーレイ&DVD発売。『ワイルド7』ブルーレイ&DVD「ワイルド7 ブルーレイ&DVD セット プレミアム・エディション(3枚組)」価格:6,980円(税込)「ワイルド7」[DVD]価格:3,980円(税込)「ワイルド7」[Blu-ray]価格:4,980円(税込)販売元:ワーナー・ホーム・ビデオ発売日:5月23日(水)※同日レンタル開始公式サイト:© 2011「ワイルド7」製作委員会■関連作品:ワイルド7 2011年12月21日より全国にて公開© 2011『ワイルド7』製作委員会■関連記事:超レア!瑛太&深田恭子サイン入り『ワイルド7』マスコミ用パンフレットを1名様にプレゼント瑛太「客席の熱気からいいものを感じる」『ワイルド7』豪華出演陣が勢ぞろい!椎名桔平インタビュー「ただワイルドに攻めるだけじゃない」“大人”の男のアプローチ鈴木奈々、おバカキャラ全開!英語のクイズに珍解答披露『ワイルド7』瑛太が語る“ワイルド”の定義「僕にできるかは…気分によります」
2012年05月23日今回はゴールデンウィーク特別企画第2弾。4月29日が「昭和の日」だったことにちなんで、昭和が生んだ通勤電車の基本スタイル「車体長20m片側4ドア」を確立した72系の中から、制御車クハ79の”顔”(前面)を特集したいと思います。クハ79は製造年度ごとにマイナーチェンジを繰り返しました。そのバラエティーに富んだ”顔”を追っていくと、新性能通勤形電車101系の”顔”へ受け継がれていったデザインの変化が見られます。同車両は大きく2つのグループに分けることができました。ひとつは戦時中から戦後直後の混乱期にかけて、木造車や無電装のモハ63から改造された「原型グループ」。もうひとつは1952~1957年にかけて、300番台・920番台として新製されたグループです。「原型グループ」はクモハ73原型車と同じ前面で、いわば「ナナサン」(72系の通称)を代表する顔。「製造工程の短縮」「資材節約」の戦時設計から生まれた、食パンのような切妻顔です。この顔が新製グループに引き継がれ、製造年度ごとにマイナーチェンジを繰り返し、変化を遂げていきます。クハ79として初めて新製されたグループ。原型グループの「ナナサン」顔をしっかりと踏襲しつつ、屋根の高さが70mm低くなったので、ちょっとだけすっきりとした印象になっています。このグループの特徴は、前面のガラス部分すべてをHゴム支持にしたこと。これにより、かなり印象が変わりました。側面のドアと戸袋窓もHゴム支持となっています。101系や103系でもおなじみとなる「傾斜した前面窓」のルーツとなるのがこのグループです。傾斜窓は、クハ79350とクハ79352(ともに1953年度製)の前面窓上部を内側に5度傾斜させ、窓上部に運転室用の通風口を設置した試作車から始まりました。1954年度製から、傾斜を10度に拡大して本採用。また、前面窓上下の補強帯を廃し、平滑な印象になりました。1952~1953年度は偶数車のみの新製でしたが、1954年度から新たに奇数車(301~)の新製も加わりました。その結果、クハ79300~352と388~420は、奇数車と偶数車で前面のスタイルが異なるという珍しい例に。クハ79344(写真4)とクハ79345(写真5)にいたっては、ナンバーがひとつしか違わないにもかかわらず、前面はまったく異なっています。このグループの特徴は、それまで屋根上にあったライトを妻面に埋め込んだこと。前面傾斜窓に埋め込みヘッドライトという、101系・103系に決定的な影響を与える前面デザインとなりました。第2次増備車からは屋根を木製から鋼板に変更し、雨どいも鋼製に。屋根カーブの曲率も縮小したため、屋根が浅い印象になっています。ただし、「鋼板屋根車は鋼製雨どい」というルールに当てはまらない「鋼板屋根に木製雨どい」という車両も、クハ79449(写真7)をはじめ複数存在しました。なぜそのような車両が存在したのか……、一筋縄ではいかないところが旧型国電の奥深さです。いよいよ真打ち登場。全金属車920番台です。屋根も床にも鋼板を使用した、文字通りの「全金属」が最大の特徴です。雨どいを車体上部の内側に納めた美しい平滑なボディーと、国鉄通勤電車前面の「三種の神器」前面傾斜窓・埋め込みライト・行先表示器が初めてそろった前面デザインは、後に登場する101系・103系にもコピーされ、受け継がれました。1957年度に新製されたこの920番台をもって、72系の製造が終了。旧型国電の有終の美を飾るとともに、新性能車101系の製造が始まりました。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年05月06日