歌手でタレントの森口博子が3日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんとの思い出を回想した。この日、森口は桂さんの訃報に言及し「心から哀悼の意を表します」とコメント。「先生には大変お世話になりました」と述べ、2016年5月に日本橋三井ホールで開催された桂由美さんの創作活動50周年を記念した舞台『桂由美物語』で桂さんの役を務めたことを明かし、桂さんとの2ショットとともに「改めて先生の偉大さを実感した感動の連続の日々。いろいろな思い出が蘇ってきます」と当時を振り返った。続けて、舞台のポスターで着用していた衣装について「先生から『是非に』と、お貸しいただきました私物なんです」と説明し「恐れ多くも袖を通させていただき、背筋が伸びる思いでした」とコメント。「先生が、本読みの時に持って来て下さって、ターバンを私の頭の上にのせて下さった」といい「先生からの無言のメッセージを受け取ったような瞬間で、目頭が熱くなりました」とつづった。また、稽古場では桂さんから「歌のシーンで涙が・・・・大変だった時代を思い出しちゃって…素晴らしかったわ。ありがとうございます」と言われたそうで「こちらこそ、感謝の気持ちでいっぱいです」とコメント。「カーテンコールでは何と私もウエディングドレスを着させて頂きました」と明かし、ウェディングドレス姿の自身の写真を公開した。さらに、着用したウェディングドレスについて「ベールのビーズやスパンコール、ひとつひとつ手作りで愛情と透明感が溢れていました」と述べ「マーメイドのようなデザインは『由美ライン』と言われています」と説明。「現役で常に創作アイディアが溢れていらっしゃる先生のカーテンコールでのお言葉にも感銘を受けました」といい「まだまだ『道半ば』。強い意志やロマンを感じずにはいられませんでした」とつづった。最後に「日本で革命を起こし、偉業を成し遂げた先生に敬意を表します。本当にありがとうございました」とコメント。「旅立たれた新たな世界でもきっとアグレッシブに過ごされているのだと思います」と述べ「心から、ご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月03日タレントのキャシー中島が4月30日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんの訃報に心境を吐露した。この日、キャシーは「桂先生に初めてお会いしたのは、女の60分と言う番組で取材をさせていただいた時です」と初対面した日を回想。「それからかれこれ50年!!私の結婚式のドレス、娘2人の結婚式のドレスと公私共におつきあいさせていただきました」と明かした。続けて、桂さんがキャシーの夫で俳優の勝野洋の舞台を必ず観に来てくれていたそうで「大きな拍手をくださいました」とコメント。「いつも心に留めてくださいました。先生、寂しい!」と心境を吐露し「2月にサファイア婚のイベントをしていただいたのが最後になりました。その時にこんなに早くお別れが来るとは思いもしませんでした」とつづった。また、一緒に食事をする約束をしていたことを明かし「実現しなかったですね。寂しい」と述べ「ただただご冥福をお祈りするばかりです」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月01日2024年4月30日、ブライダルデザイナーの桂由美さんが94歳で亡くなったことが分かりました。ブライダルデザインの第一人者として、日本にウェディングドレスを広め、数々の芸能人のドレスなども手掛けていた、桂さん。訃報を受けて、親交のあったモデルやタレントからも追悼の声が寄せられています。アンミカが、故・桂由美さんを追悼ファッションモデルやデザイナーとして活躍する、タレントのアンミカさんも、桂さんと親交があった1人。訃報を受けて、同日自身のInstagramで追悼のコメントを寄せました。生前の桂さんとのツーショット写真や、美しいドレスを身にまとった自身の写真を添えた、アンミカさん。「桂由美さんの訃報に接し、在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」という書き出しで投稿された文章には、桂さんとの思い出などがつづられていました。日本の伝統美や技術を継承し、思いもよらない新素材の発想力で誕生する桂由美さんが手掛ける衣装やドレスたちは、どれも唯一無二の芸術作品。なのに着用すると動きやすく、何より着る人をとても美しく見せてくれて、自信を増大させ輝かせてくれる。何度も桂由美さんの魔法にかかりました。そして、いつお会いしても完璧ないでたちに、優しい笑顔を称えられ、とても空気が丸い美しい方でした。ahnmikaofficialーより引用※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る アンミカ(@ahnmikaofficial)がシェアした投稿 モデルになった15歳から、桂さんのショーに出ることがずっと夢だったという、アンミカさん。念願が叶った時には、1つステージが上がったような自信がついたといいます。また、アンミカさんは写真集やテレビ番組でも桂さんの手がけた衣装をたびたび着用。投稿された写真は、その時に着用したものの一部なのでしょう。華やかで斬新なデザインのドレスはどれもインパクトがあり、着こなすアンミカさんの美しさも際立っていますね!投稿を見たファンからは、ドレスを絶賛する声や桂さんにまつわるエピソードなど、さまざまなコメントが寄せられています。・どのドレスも似合っていて、とても素敵!私も30年前に、桂由美さんのイブニングドレスをお色直しで着させてもらい、心から幸せな気持ちになれた想い出です。・アンミカさんが着ることでドレスの魅力も増していて、どの衣装にも魂が込められているようです。これからも光り輝くドレスたちですね!・どれも素敵で、桂由美さんの偉大さを感じます。アンミカさんがこうして桂由美さんのお洋服を素敵に着こなされることで、亡くなられても作品は生き続けるのですね。アンミカさんをはじめ、多くの関係者から感謝や追悼の声が寄せられている、桂さん。その功績は、唯一無二の美しいドレスと幸せな思い出とともに、人々の心の中に生き続けるのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年05月01日格闘技イベント『RIZIN』で活躍する総合格闘家の扇久保博正が5月1日、都内で行われた「Yogibo 新TVCM発表会 & パパ応援イベント」に出席した。『Yogibo』の製品のレクチャーを受ける『パパ応援イベント』に登場した扇久保は、腕に巻くタイプの『Yogibo Zipparoll』を試用。赤ちゃんの人形を使いながら、安定しただっこを披露した。プライベートで1歳5ヶ月の子どもの父親の扇久保は、格闘家として強靭な肉体を誇る一方で「(だっこしていると)腕がすごく疲れてくるんですよね。支えているので」と意外な“弱点”を告白。「でも今の(製品)があると、しっかり支えてくれるので、とてもだっこしやすかったです」と感想を述べた。また、「7月28日に『超RIZIN.3』という大きな大会に出場が決まっていますので、注目していただければうれしいです」と、かつての弟子である神龍誠との大一番をアピールした。『Yogibo』新テレビCM「さぁて、やるか」家族篇、「さぁて、やるか」新社会人篇は、5月1日から関東、関西、中部、北海道、福岡の5地区で放映される。
2024年05月01日モデルでタレントのアンミカ(52)が4月30日、自身のブログを更新。デザイナーの桂由美(かつら・ゆみ、本名結城由美=ゆうき・ゆみ)さん(享年94歳)が26日に死去したことを受け、追悼した。アンミカは「桂由美さんの訃報に接し、在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」と追悼。「日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった桂由美さん」とあらためて桂さんを紹介し、「15歳でモデルになってから、ずっと桂由美さんのショーに出ることが夢で、叶った時は一つステージが上がったと自信がつきました」とつづった。さらに「MBSのパリコレ学では、日本から世界へ活躍するモデルの成長のためにご協力して頂き、私もコレクションでお世話になりました」「近年は、アクスタ衣装全て、アンミカーニバルPVの衣装、写真集の衣装、トークィーンズでの衣装まで、とてもお世話になっていました」と、桂さんと共演した番組や仕事などを回想。また、「日本の伝統美や技術を継承し、思いもよらない新素材の発想力で誕生する桂由美さんが手掛ける衣装やドレスたちは、どれも唯一無二の芸術作品。なのに着用すると動きやすく、何より着る人をとても美しく見せてくれて、自信を増大させ輝かせてくれる」と桂さんが手掛ける衣装やドレスに身を包んだ姿を複数枚公開するとともに桂さんを称賛し、「何度も桂由美さんの魔法にかかりました」とコメントした。最後は「いつお会いしても完璧ないでたちに、優しい笑顔を称えられ、とても空気が丸い美しい方でした」と桂さんの人柄についても触れながら、「ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。共に同じ場所で過ごさせて頂いた日々は、私にとって大切な宝の思い出です。安らかに、美しいものに囲まれていらっしゃいますように。。ご冥福を心よりお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月01日歌手の水森かおり(50)が30日、自身のブログを更新し、この日訃報が伝えられたブライダルファッションデザイナーの桂由美さんを追悼した。「桂由美先生」というタイトルで更新されたブログの冒頭、水森は「ニュースで知ってとても驚きました」と心境を吐露。「2003年『鳥取砂丘』で紅白歌合戦に初出場させていただいた際の衣裳でお世話になってからご縁をいただき、それから昨年までの紅白、コンサートやキャンペーンなど様々なドレスを着させていただいております」と桂さんとの関係を明かし、その衣装の魅力を「桂先生のドレスはとにかく夢がいっぱい詰まっていて、デザインも生地も装飾も素晴らしく全世界の女性の憧れ!着用すると背筋がシャンとなるような、また触れているだけで幸せな気持ちになり心が満たされていくのです」とつづった。また、「先生のプロフェッショナルの凄みを感じる出来事」として、ある年の『NHK紅白歌合戦』でのエピソードを披露。「前日リハーサルの際に衣裳のベールのシルエットが気になるからとスタッフの方々に一からやり直しを指示されました。何メートルもの生地を使ったベール。さすがにスタッフの方も『先生、本番は明日です。1日しかありません』。と言われました。私もさすがにそれは時間がなさすぎると思いました」と、さすがの水森も難しいと思ったと告白。「でも桂先生は『なに言ってるの、まだ1日もあるじゃない』とおっしゃったのです。桂先生のお言葉で一斉に直しに入り、翌日の本番には最高の衣裳に進化していて大成功を収めました!」と、当時の思い出を振り返った。続けて「この時私は桂先生のドレスへの並々ならぬこだわり、プロ意識、最後まで諦めない心、全力を尽くす姿勢に心から感動したのです。その時の空気感や先生の表情やお言葉は目と心に焼き付いていて忘れられず、今でも思い出すと涙が出てきてしまいます。私のためにそこまでしてくださって、水森かおりへの愛ももの凄く感じました!そしてそれ以来私は『こんなところでいいかな』と思わずに、桂先生のように最後まで諦めずに全力を尽くそう!と思うようになりました」と、水森にとっても大きい出来事だったと語った。最後に会ったのは、昨年の『NHK紅白歌合戦』のリハーサルだといい、白いドレスをまとった水森と、車椅子に乗った桂さんの2ショットを公開。ブログの最後を「桂先生、今まで本当に本当にありがとうございました!『私、あなたの歌声大好きなのよ』という嬉しいお言葉を胸に、先生に届くようにこれからも歌ってまいります。天国で見守っていてください。私も先生のこと大好きです!心よりご冥福をお祈りいたします」と締めた。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。94歳で亡くなった。
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。94歳だった。これを受けタレントの神田うの(49)が所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。桂さんと親交の深かった神田は訃報を受け「桂由美先生の突然の訃報に接し、ただただ呆然としております」と悲しみ。「先生には、いろんな会にてお目にかかり、今年も先生主催のお茶の会にお声がけ下さったりといつもお心に掛けて頂きました」と振り返った。また「いつも素敵にオシャレをされて、精力的に活動をされていらした先生。ウェディングドレスデザイナーとしてはもちろんの事、『デザイナー桂由美』としてパワフルに社会に貢献された先生の生き方は本当に素敵でした」とつづり、「私、若かりし頃はモデルとして先生のドレスを着させて頂いたり、ウェディングドレスのデザイナーとして大先輩の先生の背中を追いかけて参りました」と、自身の人生にも大きな影響を受けたことを明かした。続けて「『うのちゃんとブライダル業界を一緒に盛り上げる企画を是非しましょう!』と言って下さっていた先生…、残念ながらそれはもう叶いません…」と思いを吐露。「先生を心から尊敬しておりました。大好きでした。桂由美先生どうかごゆっくりお休み下さいませ。どうぞ安らかにお眠り下さいませ…」と締めくくった。(以下、コメント全文)桂由美先生の突然の訃報に接し、ただただ呆然としております。先生には、いろんな会にてお目にかかり、今年も先生主催のお茶の会にお声がけ下さったりといつもお心に掛けて頂きました。いつも素敵にオシャレをされて、精力的に活動をされていらした先生。ウェディングドレスデザイナーとしてはもちろんの事、『デザイナー桂由美』としてパワフルに社会に貢献された先生の生き方は本当に素敵でした。私、若かりし頃はモデルとして先生のドレスを着させて頂いたり、ウェディングドレスのデザイナーとして大先輩の先生の背中を追いかけて参りました。「うのちゃんとブライダル業界を一緒に盛り上げる企画を是非しましょう!」と言って下さっていた先生…、残念ながらそれはもう叶いません…。先生を心から尊敬しておりました。大好きでした。桂由美先生どうかごゆっくりお休み下さいませ。どうぞ安らかにお眠り下さいませ…。神田うの
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。94歳だった。これを受けタレントの菊地亜美(33)が30日、生放送番組で追悼した。菊地はきょう放送のカンテレ情報番組『旬感LIVE とれたてっ!』(月~金後1:50)に出演。桂さんとの思い出について「私、実は自分の結婚式で桂由美さんのウエディングドレスを使わせていただいて…」と話し、「実際にお会いして、桂さんの事務所の下にカフェがあるんですけど、カフェでお茶しない?と言ってくださって。そこで生花をつけるのはかわいいと思うよと言っていただいた」とエピソードを明かした。訃報は移動中に知ったと言い「さっき新幹線の中で知って、すっごいびっくりしちゃって。最後までオシャレで桂由美さん素敵だなって思いました」とコメントした。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。
2024年04月30日大阪・米朝事務所の桂ひろば(46)、桂ちょうば(46)、桂そうば(46)が来年襲名することになり、4月30日に市内の動楽亭で会見が行われた。3人が米朝一門の紋付袴姿、師匠の桂ざこば(76)、常務取締役を務める桂南光(72)、取締役の桂米團治(66)はスーツ姿でそろった。ひろばは「二代目桂力造」、ちょうばは「四代目桂米之助」、そうばは「二代目桂惣兵衛」を継ぐ。初代の力造は、桂の始祖・初代桂文治のすぐれた弟子として、江戸時代に活躍した記録がある。米之助は、1999年に亡くなった三代目以来の復活となる。惣兵衛は、初代文治の本名からとり、芸名として襲名する。師匠のざこばは、あいさつで「お元気ですか?もうあきまへんねや。喘息で全然あかんわ」と体調をぼやき、弟子たちの襲名については「ありがたいこっちゃな」とあっさり。「なんでこの名前を襲名するのか、わかりません。なんで?」と聞き、一同をずっこけさせた。すると、常務の南光が「米朝事務所といたしましても、誰かが襲名した「事務所的に仕事が増える」とぶっちゃけつつ、襲名の背景を説明。米團治は事務所の「平取です」と自己紹介して笑いをとり、自身の襲名経験を踏まえ「周りから背中を押されて使命感が宿るもの」と笑顔で語った。ひろばは「初代力造さんの名前をけがさないよう、今よりええ噺家になっていきたい」と気合。ちょうばは「身に余る大きな名前でございますが、頑張っていきたい」、そうばは「誰もやってないことをやりたい」と意気込んだ。ざこばは、弟子たちの芸には触れず、ひろばを「バイクであっちこっち行っとる。ごっついバイクらしい。僕はどんなんか知らんねんけど」と紹介。ちょうばには「うちに来ても家のことばっかりやってくれてます。草(抜き)をぴゃっぴゃ、ぴゃっぴゃやったり…。ありがとう」と言い、そうばについては「マイペースやな」と評しつつ「さびしい時、『いといてーや』というと『いときます』と。…ありがとう」と笑顔。「落語いうのは、こうせえ、ああせえ言われても、そんなんできへん。本人次第ですわ」と豪快だった。来年3月19日・20日に大阪・サンケイホールブリーゼで予定する桂米朝さん没後十年祭を皮切りに、襲名披露公演を行う。
2024年04月30日2024年4月30日、ブライダル関連のサービスを展開する株式会社ユミカツラインターナショナルは、ウェブサイトを更新。同社でクリエイティブディレクターを務めた、ブライダルデザイナーの桂由美さんが亡くなったことが明かしました。94歳でした。桂さんの逝去を報告するにあたって、このように想いを明かしています。並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。株式会社カツラユミインターナショナルーより引用ブライダルデザインの第一人者として、活躍した桂さん。新婦の夢を叶えるために、日本人女性にぴったりのウェディングドレスや打掛などの婚礼衣装を開発したといいます。また、ウェディングドレスの普及にも貢献。1965年当時は、ウェディングドレスの着用率がわずか3%だったのが、2024年現在では、90%以上の花嫁が着用するようになったそうです。さらに、桂さんの活躍は国内だけにとどまらず、1981年で開かれた、アメリカでのショーを皮切りに、イタリアやフランスなど30か国以上で日本の技術を用いたコレクションを発表しています。ネット上では「桂さんのウェディングドレスを選んだばかりだったので、驚いています」「素敵なドレスを作っていただきありがとうございました」といった追悼の声が上がっていました。ブライダルデザイナーとして、花嫁の幸せの瞬間に寄り添い続けてきた桂さん。その功績は、数々の美しいドレスとともに、人々の記憶の中で輝き続けることでしょう。桂さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。94歳だった。これを受けアイドルユニット・Berryz工房の元メンバーでタレントの熊井友理奈(30)が30日、追悼コメントを自身の公式Xに投稿した。熊井は桂さんのショー出演時について「私のモデル人生のきっかけとなったYumi Katsuraのブライダルショー」とつづり「素敵なドレスを着用させていただき 初めてショーに出演した時の緊張と幸せな気持ちで溢れていたあの瞬間は一生の宝物です」と振り返った。最後は「桂由美先生 ご冥福をお祈りいたします」と結んでいる。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。ユミカツラインターナショナルが30日、公式インスタグラムで発表した。94歳だった。同社は投稿で「桂由美に感謝を込めてー」と題し、「株式会社ユミカツラインターナショナルは、1965年以来ユミカツラのクリエイティブディレクターを務めてきた桂由美(かつら・ゆみ/94歳)の逝去を発表します」と発表した。発表で同社は桂のこれまでの活動を振り返り「数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、“婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう」とコメント。手掛けた多くのドレスについて「多くの花嫁様を輝かせ、かつてない自信と感動を届け、新しいクリエイションを生み出し続けてきたことは忘れてはなりません」としのんだ。また同社の常務執行役員、鞍野貴幸氏は「桂由美氏は、誰よりも花嫁を美しくすることに寄り添い、日本のブライダル文化の発展を願い、そしてユミカツラを愛していました。そのあくなき挑戦を続けるマインドによって、誰も想像しなかった未来を切り拓き、数多の遺産を残してきました。1965年から今日までの60年間並々ならぬ情熱を捧げてこられた桂由美氏の意思を受け継ぎ、ユミカツラとして100年続く企業を目指します。」と言葉を寄せた。今後は、デザイナーで30年以上桂さんの右腕としてクリエイションをしてきた藤原綾子氏・森永幸徳氏・飯野恵子氏の3人が率いる「ユミカツラ」のクリエイティブチームが、「桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました」とし、「ユミカツラは、心より哀悼の意を表しますともに、ご冥福を心よりお祈りします」とつづった。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。(以下、発表全文)桂由美に感謝を込めてー株式会社ユミカツラインターナショナルは、1965年以来ユミカツラのクリエイティブディレクターを務めてきた桂由美(かつら・ゆみ/94歳)の逝去を発表します。並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。1981年にはNYショーのデビューを皮切りに、ローマやパリなど、30カ国以上へと活動の場を広げ、国内だけにとどまらず世界中の花嫁に影響を与えました。日々ドレスの制作や新素材の開発を続けながら日本の素晴らしい伝統技術を体感した桂由美は、ブライダルの枠組みを超え、日本の技術を用いたコレクションをパリコレはじめ海外で発表。日本の伝統美や技術を継承し発信していく試みは、世界的に評価されました。最後に、桂由美のウエディングドレスにかける強い思いと美への探究心――そこから生み出されるドレスたちは多くの花嫁様を輝かせ、かつてない自信と感動を届け、新しいクリエイションを生み出し続けてきたことは忘れてはなりません。同社の常務執行役員、鞍野貴幸氏は「桂由美氏は、誰よりも花嫁を美しくすることに寄り添い、日本のブライダル文化の発展を願い、そしてユミカツラを愛していました。そのあくなき挑戦を続けるマインドによって、誰も想像しなかった未来を切り拓き、数多の遺産を残してきました。1965年から今日までの60年間並々ならぬ情熱を捧げてこられた桂由美氏の意思を受け継ぎ、ユミカツラとして100年続く企業を目指します。」との言葉を寄せました。ユミカツラのデザイナーであり、30年以上桂由美の右腕として共にクリエイションをしてきた藤原綾子・森永幸徳・飯野恵子の3名が率いるユミカツラのクリエイティブチームが、桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました。ユミカツラは、心より哀悼の意を表しますともに、ご冥福を心よりお祈りします。
2024年04月30日日曜の夕方「おバカキャラ」でお茶の間を爆笑させてきた木久扇。彼と57年連れ添ってきたのが妻・武津子さんだ。「おかみさんにはいつも助けられて感謝しかないです」と夫婦の本音を語ってくれた。*****今はすごい気持ちが楽で、孫悟空の頭の輪っかを外された感じです(笑)。番組出演期間の55年、毎週試験を受けているみたいでね。本番が嫌だったんですよ。最初はテレビに出られてうれしかったんだけど、視聴率もあってウケなくちゃいけないし、それに応えないとクビになっちゃう。僕はコメディアンではなくて言葉を扱う噺家ですから……。特に年齢を重ねるとそれが大変でした。ーー『笑点』(日本テレビ系)の3月31日の放送を最後に大喜利コーナーを卒業。林家木久扇さん(86)は番組歴代最長の55年間レギュラーを務め上げた。勇退を決断したのは妻の武津子さん(77)の一言があったからだと言う。自宅で番組を見ながら、横にいるおかみさんに僕がボソッとこぼしたんです。「『笑点』もね。出るのは楽しいんだけど、結構疲れるんだよね」って。そしたらおかみさんが「80過ぎになって五十何年もテレビに出ることはないわよ。いつまでもやってなくても、寄席で落語やればいいんじゃないの」って。うちのおかみさんはね、普通の奥さんと思っちゃいけないんですよ。出がね、文京区白山の花街の人なんで、小さいときからおばあちゃんに「三越名人会」に連れていかれて、歌舞伎なんかも詳しいし、芸にいっぱい精通してるんです。「あの人これから売れるわよ」とか「あの人はダメよ」とかがわかるんですよ。そのおかみさんがそう思うなら「やっぱりそうだな」と思って。「そうだね」って言いました。――木久扇さんと武津子さんの出会いは“落語顔負け”だった。おかみさんは本牧亭の席亭の清水さんって方の妹さんだったんです。二人の実家が「田川」という待合で、清水さんが僕だけじゃなくて落語家仲間も実家の待合に連れてってくれて、芸者さん呼んで飲ませてくれてたんです。そのときにおかみさんの話になって、清水さんが「うちの妹は今、お風呂に入ってます」「そうですか」なんて言ってて。 それで僕がトイレに行くのに廊下を通ったら、風呂場から歌声が聞こえたんで、扉をガラーと開けて「こんばんは」って言ったんです。 おかみさんはお風呂から上がったところでタオルで隠してて「やめてください!」って怒られました。それで後日おかみさんが当時勤めていた会社に僕が行って「申し訳ございません」って謝ったんです。そしたら「びっくりしましたよ」って言われましたが「いいですよ」って許してくれました。それからお付き合いすることになったんです。■おかみさんが握ってくれた小さなおにぎりを持ち歩き――その後、1967年5月に二人は結婚。結婚式でも木久扇さんはとんでもないことをしでかした。僕の結婚式の日にほかの結婚式の司会の仕事も引き受けちゃったんです。スケジュール帳を見てなくて後で確認したら「僕の結婚式が11時半から、結婚式の司会の仕事は1時から。まずい!」ってなって。それでホテルに行って「僕が出られなくなったので代わりの司会の人を送ります」って言ったら、「メニュー表に林家木久蔵(当時の芸名)さんの名前を刷っちゃったから代えるわけにはいかない」って。僕の結婚式の会場も「この日しか空いてません」って。それで時間を2時間ずらして両方やったんですけど、そううまくいかなくて。自分の結婚式には乾杯まではいたんですけど、僕の友達の柳家小きん(九代目)さんに「ちょっと花嫁の隣にいて」って頼んで僕は司会の仕事に行ったんですよ。それで戻ってきたら、うちのおふくろとおかみさんが立ってて「来賓はみんな帰っちゃったわよ!どこに行ってたのよ!」ってカンカンで。僕が「結婚式の司会をしに……」って言ったら「ダメね~」って(笑)。ーーとんだ結婚生活のスタートだったが、それから夫婦生活33年目の2000年4月、胃がんが発覚。異変に気づいたのは武津子さんだった。おかみさんは自分が小さいときから体が弱くて医者にかかってたんで、人の様子を見て気づくのが早いんです。「お父さん、ちょっと変よ。病院に行ったほうがいいわよ」って。それがきっかけでがんが見つかって……。おかみさんにはいつも助けられて感謝しかないです。僕は手術で胃を3分の2切除したので食事は6食なんです。最初のころはおかみさんが握ってくれた小さなおにぎりと6Pチーズと飴をいつも持ち歩いてて。高座に上がる前に朦朧としたら困るから、それを6回に分けて食べるんです。ーー今も元気でいられるのは武津子さんの献身的な食事と体調の管理のおかげ。「体が疲れちゃってるから寝て戻したほうがいい」というのをすごく言うんですよ。僕は昼寝の習慣なんかなかったんですけど、今でも2時から3時の間に寝てます。おかみさんはおばあちゃんの看病やお母さんが早死にしたという体験があるから、どういう場合、人は具合が悪くなるという情報をいっぱい持ってて。その情報から僕に「今はこうじゃないか」って助言してくれるんです。食事もお昼はパンで、おかずがゆで卵、牛乳、チーズといったものをおかみさんが用意してくれて。食生活もすごく考えてくれて随分変わりました。ーー今後については――。おかみさんと一緒にハワイ旅行に行きたいですね。落語家という職業は特殊だし僕はおバカを売り物にしてましたから、特異な目で見られていました。だからその視線を受けて、僕には何にも言ってこなかったけど、嫌だったと思うんです。そういった苦労を慰労する旅にしたいです。今まで二人でゆっくり話をすることもなかったから、一緒にいる時間を増やして、くだらない話をもっとしたいね。おかみさんとの出会いは、僕がお風呂場の扉をガラーと開けたところから始まって……不思議だよな。裸見てから、だんだん着ていくのを見たからね(笑)。(取材・文:インタビューマン山下)
2024年04月17日日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜後5:30)が本日7日に放送された。半世紀を超える55年の歴代最長出演を果たした落語家の林家木久扇(86)が、3月31日の放送回をもって卒業したことを受け、この日は新メンバーが発表され、立川晴の輔(たてかわ はれのすけ51歳)が新たに加わった。番組冒頭から新メンバーの登場を心待ちにしているメンバーたちからの挨拶が終わり、昇太師匠から「それでは早速、新メンバーの方に登場して頂きましょう!お願いします!」と声がかかると出てきたのは、なんと先週卒業した木久扇師匠。木久扇師匠の「どうも新メンバーの木久扇です」の言葉に、メンバー全員から総ツッコミを受け、自分から新メンバーを紹介したいという木久扇師匠が連れてきたのは、立川晴の輔だった。木久扇師匠と言えば先週、昇太から最後「今のお気持ちはいかがですか?」と聞かれると、「また来週!」とひと言。木久扇らしく、明るい笑顔で手を振り55年の出演を締めくくった。そして今回、まさかの卒業した木久扇師匠が登場したことでで、ネット上では「やると思った(笑)」「驚いたけど、また来週!って言ってたし、伏線回収したのかな?」「笑点らしくて笑った」などと話題になっている。立川晴の輔は、落語立川流 立川志の輔一門の落語家。BS日テレ『笑点 特大号』の若手大喜利コーナーで活躍しており、2019年には三遊亭円楽師匠の代演として『笑点』にも登場したことがある。落語立川流のレギュラーメンバーは、初代司会者・立川談志以来55年ぶりとなる。晴の輔師匠がレギュラーメンバーになったことで、『笑点』メンバーは、東京・江戸落語界に分かれている4つの団体、落語協会、落語芸術協会、落語立川流(立川流)、五代目円楽一門会(円楽党)すべての落語家が揃う『笑点』史上初めてのメンバー構成となった。この日の放送では初の大喜利も行われ、収録後には新メンバーのお披露目会見も開催。『笑点』の新メンバーに選ばれたときの心境を聞かれると「ただただ驚きました。若手大喜利(BS日テレ 『笑点 特大号』のコーナー)はやらせていただいていたんですけども、木久扇師匠の席は自分ではないと思っていたので、本当に驚きました」と告白。初めての収録は「もう覚えていないですね。なんだかずっと顔が引きつっていたと思うんですけど、気づいたら終わっていたぐらいです」と打ち明けた。最後に視聴者へメッセージを送り、「今回は初回だったので、本当にメンバーの皆さんが僕なんかに花を持たせてくださって優しく包んでいただきました。これから自分なりの 個性を出してやっていければと思いますので、ひとつよろしくお願い致します」と呼びかけ。さらに、新メンバー発表の先導役を務めた木久扇師匠が「彼と話したときに、立川談志の命日と晴の輔が生まれた日(11月21日)が重なっていて、『笑点』のメンバーに選ばれたのは、談志師匠のお導きなのではと言っていて、びっくりした。『笑点』では、私の足跡をたどることはしないで自分の感性で、焦らず、緊張せずに、だんだんと自分の芸風を(全国のお茶の間に)浸透させていって欲しい」と晴の輔師匠へ応援のメッセージを寄せた。■立川晴の輔プロフィール落語立川流立川志の輔一門1972年11月21日兵庫県神戸市生まれ岡山県作陽高校卒業、東京農業大学農学部卒業◆経歴1997年 立川志の輔に入門。志の吉を拝名2003年 二ツ目に昇進2013年 真打に昇進。志の吉から晴の輔へ改名BS 日テレ 『笑点 特大号』の「若手大喜利」に出演2019年 六代目三遊亭円楽の助っ人として『笑点』レギュラー大喜利に出演
2024年04月07日日本テレビ系演芸番組『笑点』(毎週日曜後5:30)が本日7日に放送された。半世紀を超える55年の歴代最長出演を果たした落語家の林家木久扇(86)が、3月31日の放送回をもって卒業したことを受け、この日は新メンバーが発表され、立川晴の輔(たてかわ はれのすけ51歳)が新たに加わった。番組冒頭から新メンバーの登場を心待ちにしているメンバーたちからの挨拶が終わり、昇太師匠から「それでは早速、新メンバーの方に登場して頂きましょう!お願いします!」と声がかかると出てきたのは、なんと先週卒業した木久扇師匠。木久扇師匠の「どうも新メンバーの木久扇です」の言葉に、メンバー全員から総ツッコミを受け、自分から新メンバーを紹介したいという木久扇師匠が連れてきたのは、立川晴の輔だった。立川晴の輔は、落語立川流 立川志の輔一門の落語家。BS日テレ『笑点 特大号』の若手大喜利コーナーで活躍しており、2019年には三遊亭円楽師匠の代演として『笑点』にも登場したことがある。落語立川流のレギュラーメンバーは、初代司会者・立川談志以来55年ぶりとなる。晴の輔師匠がレギュラーメンバーになったことで、『笑点』メンバーは、東京・江戸落語界に分かれている4つの団体、落語協会、落語芸術協会、落語立川流(立川流)、五代目円楽一門会(円楽党)すべての落語家が揃う『笑点』史上初めてのメンバー構成となった。■立川晴の輔プロフィール落語立川流立川志の輔一門1972年11月21日兵庫県神戸市生まれ岡山県作陽高校卒業、東京農業大学農学部卒業◆経歴1997年 立川志の輔に入門。志の吉を拝名2003年 二ツ目に昇進2013年 真打に昇進。志の吉から晴の輔へ改名BS 日テレ 『笑点 特大号』の「若手大喜利」に出演2019年 六代目三遊亭円楽の助っ人として『笑点』レギュラー大喜利に出演
2024年04月07日およそ58年もの歴史を誇り、お茶の間で親しまれている、演芸バラエティ番組『笑点』(日本テレビ系)。その初期から活躍する、黄色の着物でお馴染みの、落語家の林家木久扇(はやしや・きくおう)さんは、2024年3月31日の出演で卒業しました。林家木久扇、『笑点』を卒業『笑点』を卒業する木久扇さんは、本編前のミニ番組『もう笑点』(日本テレビ系)で笑点メンバーに伝えたいことを話しました。笑点メンバーのみなさん、気を抜かないで私がいなくなったぶんも、うんと面白く番組を盛り上げて100年、200年と笑点が続くように、一つやっていただきたいと思います。心配事があったら私に相談してください。相談料は3000円です。1回。笑点ーより引用また、番組内では『木久扇さんありがとう』のお題で、木久扇さんへの感謝の気持ちを伝える大喜利を実施。各メンバーからは、木久扇さんとの思い出を掛けた回答が続出し、会場が笑いに包まれました。番組史上初のサプライズとして、観客たちが黄色いタオルを振りながら、「ありがとう」の掛け声を一斉に上げるシーンも。各メンバーが木久扇さんの元へすべての座布団を積み、木久扇さんが隠れて見えなくなるハプニングもありました。しかし、最後は明るい笑顔で手を振り、「また来週!」という木久扇さんのひと言で番組が締めくくられました。木久扇さんの『笑点』最後の出演に、視聴者からは「55年間、本当にお疲れ様でした。そして、いつも笑いをくれてありがとうございました!」などの声が寄せられています。55年もの間、『笑点』でお茶の間に笑いを届けた、木久扇さん。長い間、本当にお疲れ様でした。[文・構成/grape編集部]
2024年03月31日およそ58年もの歴史を誇り、毎週日曜日に全国のお茶の間へ笑いを届けている、演芸バラエティ番組『笑点』(日本テレビ系)。同番組といえば、個性豊かなレギュラーメンバーが人気の理由ですが、長寿番組ゆえ、これまで何度もメンバーの入れ替えが行われてきました。2023年8月には、黄色の着物でお馴染みである、落語家の林家木久扇(はやしや・きくおう)さんが『卒業』する旨を発表しています。林家木久扇、ついに『笑点』最後の出演へ木久扇さんが最後に出演するのは、2024年3月31日の放送回。日本テレビはこの日について、ウェブサイトで『笑点史上初のサプライズ』を放送予定として明かしました。最後には、55年もの長きにわたりお茶の間を笑いで沸かせてきた木久扇師匠へ会場も一体となった笑点史上初のサプライズも!『笑点』お約束のメンバー同士の掛け合いもあり、笑いもあり、涙ありの内容で、いつもの『笑点』とはひと味違う放送をお届けする。笑点ーより引用1969年、名跡が『林家木久蔵』だった頃に番組内の『若手大喜利』へ出演し、なんと55年間にわたって回答者を務めてきた、木久扇さん。卒業を発表した際は、「芸というものは、次の世代にバトンタッチしなくては。私の座布団の芸も、新しい人にバトンタッチします」とコメントしていました。2024年3月現在、86歳の木久扇さん。若い頃から、55年という歳月を『笑点』と歩んできたと考えると、この番組への貢献度は計り知れません。最後の出演回を前に、ネットでは多くの人から感謝と応援の声が上がっています。・ついに、ついに卒業してしまうのか…。木久扇さんのいない『笑点』がまだ想像できません。・「本当にお疲れ様でした」といいたい。たくさんの笑顔をもらいました。・さびしいなあ…。55年間、楽しい時間をありがとうございました!落語の面白さを世間により広めるため、次の世代へとバトンを渡す木久扇さん。『笑点』最後となる勇姿は、全国の人を笑顔にすると同時に、その心を震わせることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年03月26日落語家の桂文枝が22日に自身のアメブロを更新。病院での検査を終え指摘されたことを明かした。この日、桂は「良かった」というタイトルでブログを更新し、検査を受けたことを報告。検査の結果について「異常なく無事終わりました」と明かしつつ「ただ運動不足を指摘されまして」と運動不足を指摘されたことを説明し「歩くこと決めました」とつづった。続けて更新したブログでは「病院から帰って、歩き始めました」と報告。「なかなかそうは簡単には行かないなぁ」とコメントし「今日はこれぐらいにしといたろと一応30分歩きました」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「異常なく良かったです」「安心しました」「無理なく長く続けるのが一番ですね」などのコメントが寄せられている。
2024年03月23日なめらかな口当たりが魅力のお菓子・生チョコ。少し高級であることから、贈り物としても人気があります。そんな生チョコの「生」とは、いったい何を表しているのでしょうか。そこで今回は、生チョコの「生」の意味についてご紹介します。生チョコの「生」とは※写真はイメージ生チョコを看板商品に掲げるロイズ公式ホームページには、生チョコの「生」について以下のように記載があります。生チョコレートは、チョコレート生地に生クリームや洋酒を加え、やわらかになめらかに仕上げたチョコレートのことを言います。生チョコレートの「生」はふんだんに使っている生クリームを指すのはもちろん、フレッシュなおいしさ、やわらかさなども表現しています。ロイズーより引用生チョコの「生」には、生クリームの「生」とやわらかくフレッシュな「生」の両方の意味があるようです。「生チョコレート」と表記できるのは規格をクリアしたものだけ生クリームを使用しやわらかく仕上げたチョコレートが、すべて「生チョコレート」と表記できるわけではありません。全国チョコレート業公正取引協議会が定める「チョコレート類の表示に関する公正競争規約」では、以下の基準すべてを満たしたものが「生チョコレート」と表記できるとされています。・チョコレート生地が全重量の60%以上である・生クリームが全重量の10%以上である・水分が全重量の10%以上こんなに細かい基準があるとはびっくり。ちなみに板チョコに代表される一般的なチョコレートの水分は3%以下ですから、いかに生チョコがやわらかいかが分かります。生チョコは世界でも大人気!※写真はイメージ日本で大人気の生チョコですが、実は世界でも愛されているのをご存じでしょうか。ロイズ公式ホームページには、海外から寄せられたお客さまの声とともに、以下のように記載されています。ロイズのショップは海外にも展開し、シンガポール・香港などアジア諸国をはじめ、ニューヨーク、ドバイなど世界各地にありますが、どの国のショップでも一番人気はやはり生チョコレートです。「信じられないやわらかさ!」「こんなチョコレートに出会ったことがない!」という嬉しい言葉を各国でもいただいています。ロイズーより引用ロイズの海外店舗では、メジャーなクッキーや焼き菓子などを押さえて、生チョコが1番人気とのこと。ちなみに生チョコを英訳せず、あえて“NAMA CHOCOLATE”という名称で販売しているそうです。生チョコの保存方法&おいしく食べるためのワンポイントアドバイスそんな生チョコ、「どうやって保存するとおいしく食べられるのだろう」と悩んだことはありませんか。そこでロイズ広報担当に生チョコをおいしく食べるための保存方法を聞いてみました。「ロイズの生チョコレートについてのご案内になりますが、保存は要冷蔵(10℃以下)保存でお願いしております。お好みですが、食べる少し前に冷蔵庫から出して、室温になじませてから召し上がっていただくとよりなめらかな口どけを感じられると思います」生チョコの賞味期限は2週間~1か月程度と、メーカーや商品によってばらつきがあります。保存は要冷蔵で、なるべく早めに食べるようにしましょう。食べる少し前に冷蔵庫から出すとよりおいしく食べられるそうなので、ロイズの生チョコ以外でも試してみたいところです。[文・構成/grape編集部]
2024年02月02日1月26日(金) 有楽町朝日ホールにて『桂二葉チャレンジ!! 第2シリーズ』が開催された。『桂二葉チャレンジ』は演芸写真家・橘蓮二のプロデュースのもと、桂二葉が落語界を代表する師匠に挑戦する企画。昨年は春風亭一之輔、春風亭昇太、柳家喬太郎、笑福亭鶴瓶と錚々たる師匠方に挑戦し、全回大入り満員となった。第2シリーズでは、大看板に挑むだけでなく、毎回ネタおろしにも臨む。一席目は二葉さんが登場し、最初の一声で笑いが起こるお馴染みの光景からスタート。第2シリーズということで、「第1シリーズではビッグな人にチャレンジさせてもらいましたが」と話すと、瞬時に会場の空気を察し「もちろん、今日のゲストがビッグじゃないわけじゃないですよ」と説明し笑いが巻きおこる。ネタ下ろしについては、出来そうなネタより手が届きそうにないものにチャレンジしたいと宣言。また、上方は桂米朝師匠がお手本でありテキストであるが、今年のテーマは「米朝師匠を疑う」であることも明かした。噺に入ると、マクラで自分は「アホ」「子供」「酔っぱらい」で3つでやらせてもらってると話したとおり、『上燗屋』でいきなりフルスロットルの酔っ払いを口演。日本酒を飲んだり、酒の肴をつまむたびに響く「やるやないかい」の言葉に会場は笑いに包まれた。続いて今回のゲスト、三遊亭兼好師匠が登場。先ほどの二葉さんのマクラを受けて「あまり有名じゃない兼好です」と切り出す。二葉さんについてギリギリを攻めていると褒めたうえで、「米朝が嫌いまでいくとダメ、疑うのはOKなんですね」と例えると会場は爆笑。続けて一之輔師匠、喬太郎師匠のこともイジるなど毒気のあるトークを展開。そして、声をバイオリンに例え、使う人によって良し悪しが変わると話すと、立川志の輔師匠の声真似を披露。「あんなガサガサ声でも聴く人を心地よくさせるんです」と説き、会場を沸かせた。三遊亭兼好「昔の話をします」と高座にかけたのは『陸奥間違い』。奉公人の勘違いから起こる笑いたっぷりの滑稽噺だ。事の重大さに慌てる貧乏小役人と、事態を飲み込んでおらず飄々としている奉公人を見事に演じ、会場は爆笑の渦に飲み込まれた。また、出世していく縁起のいい噺であるということもあり、兼好師匠から二葉さんへの激励とも思える一席だった。仲入りを挟むと、ふたたび二葉さんが高座へ。東京ではあまりやる人がいないと前置きしたうえで『天神山』を口演。偏屈な隣人に幽霊の押しかけ女房がやって来たのを羨ましく思い、自分も女房をもらいに墓へ出向くが、成り行きで狐に嫁の世話を頼む噺。偏屈な人間を嬉々として演じる姿ももちろんだが、罠にかかった狐を助ける場面での二葉さんの語り口が実に優しく光っていた。三席を終えると兼好師匠も壇上に上がってのトークコーナーに。まずは、二葉さんが会冒頭の「ビッグな人」発言を謝罪するところからスタート。二葉さんからネタ下ろしについての質問を受けると、兼好師匠も昔は月1本はネタ下ろしをしていたと告白。初演はどうしても全力でやってしまうので、2回目はたいてい失敗する。そして、4回目くらいから力の抜きどころが分かって良くなってくると助言した。また、『天神山』が上方落語ということで、ハメモノがあるから大変ともコメント。江戸落語にはハメモノがないので自分のペースで進められるが、上方は合わせる難しさがあると指摘。続けて、二葉さんが弟子のネタ下ろしを観るのか?との問いには「観ない」とキッパリ。弟子の話を袖で聴くのは恥ずかしく、ある日「下手くそだなぁ」と思って観てたら、スッとやって来た柳家三三師匠に一言「そっくりだねぇ」と言われたエピソードも飛び出した。最後に、次回ゲストが人間国宝の五街道雲助師匠、そしてネタ下ろしが『くしゃみ講釈』であることを発表。第2シリーズ初回も満員御礼の大盛況のうちに幕を下ろした。<公演情報>『桂二葉チャレンジ!! SECOND SERIES 2』2024年6月13日(木) 東京・有楽町朝日ホール開場 18:30 / 開演 19:00『桂二葉チャレンジ!! SECOND SERIES 2』ビジュアル出演:桂二葉『くしゃみ講釈』ほか一席ゲスト:五街道雲助チケットはこちら:()桂二葉 関連リンクオフィシャルサイト:::
2024年01月30日落語家の桂文枝が26日に自身のアメブロを更新。訃報を受け心境を吐露した。この日、桂は「遠くへ」というタイトルでブログを更新。「お会いしたのも遠い遠い昔だった」と述べ「かっこよくて歯切れが良くてリスナーに人気があって お知り合いになって番組に紹介いただきました小山乃里子さん」と20日に亡くなったフリーアナウンサーの小山乃里子さんについて言及した。続けて、小山さんについて「お会いした時ラジオ関西のアナウンサーさんでした」と説明し「訃報に接し深い悲しみに沈んでおります」と心境を吐露。最後に「合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年01月28日「絶対にやめどきも考えなきゃいけなくなる」丸山さんは2020年に元サッカー日本代表ゴールキーパーの本並健治さんと結婚し、2023年2月に第一子となる長女・ぷくぷくちゃん(愛称)が誕生。今回は2024年の抱負についてYouTubeで語りました。年齢的なこともあり、もう一度「妊活」をしようと考えている一方で、仕事のことや育児などとの兼ね合いで、タイミングが難しいと感じているといいます。「本並さんと2人になる時間がなかなかないってのもあるし、今は時間があるならぷくぷくを2人で時間かけて育てたいってのもあるし」と、葛藤があるようです。第一子を授かるまでの自身の経験からも妊活は簡単にはいかないと感じたという丸山さん。年齢とともに妊娠の確率が下がっていくことも意識しつつ、「2~3人産めたらいいなってのはもちろんあるんだけど、その過程でできなかったとしても、それはもう縁がなかったっていうか。前向きに捉えていきたい」と話しました。ただ、「年齢的にどのぐらいで妊活って辞めるのかな? っていうのもある。45歳で産んでいる方もいる。私の知り合いで52歳で産んでいる方もいる」と、やはり迷いはあります。ただ妊娠出産は個人差が大きく、「それは一握り。絶対にやめどきも考えなきゃいけなくなるから、向き合いながら」と、覚悟を打ち明けました。また、2024年は本並さんが厄年。「厄払いとか連れて行って健康診断も連れて行って、本並さんの体を気遣いたいと思ってる」と夫を気遣う妻の一面も覗かせました。
2024年01月19日顔はパパ似だが…「きっとママ似だねとパパは言うでしょう」(※画像は本並健治さんオフィシャルブログより)丸山桂里奈さんは昨年2月に第一子となる女の子を出産。年末にはInstagramで1年を振り返り、「なかなかの難産だったの忘れるくらい時が経つのが早いのと(大変さは忘れません)育児が大変すぎて驚きましたが、今はこの瞬間を全て楽しめてます娘に会えたことが、今まで生きてる中で不思議な感覚です。こんなに愛おしい存在に出逢わせてくれた奇跡に毎日感謝してます」と綴っていました。また、産後4ヶ月で仕事に復帰しましたが、産休入りの際や復帰前には「不安がすごくありました」という丸山さん。しかし仕事現場では温かく迎えられ、「お仕事は毎日楽しくて、両立は大変でしょうて言われるけど私は正直お仕事をしてるからこそ子育ても頑張れると思います」と、共演者やスタッフの協力に感謝しているようです。そんな丸山さん、最近の寝かしつけでは「オルゴール聴きながらバックハグ」すると長女が「一撃で寝る」と明かしています。早めに就寝し、夜泣きすることもなくぐっすり朝5時まで眠ってくれるそう。ただ、寝ているときによくいびきをかいていると言い、「今もいびきがすごい。きっとママ似だねとパパは言うでしょう」「#顔はパパ似#いびきはママ似」とのハッシュタグも。いびきすら可愛い赤ちゃんって、まったくすごい存在ですよね。赤ちゃんの「いびき」、なぜ起こる?赤ちゃんでも「いびき」をかくことはありますが、これはどうして起こるのでしょうか。「いびき」とは、のど(咽頭)など、空気の通り道がなんらかの原因で狭くなり、その部分を空気が通過するときに、のどが振動して音が出る状態のことです。まだわからない部分も多いですが、赤ちゃんがいびきをかいている場合、咽頭扁桃の肥大や、口蓋扁桃の肥大によって気道が狭まり、いびきの原因になることがあります。なお、咽頭扁桃、口蓋扁桃ともに、およそ学童期に最大になりますが、その後は成長とともに自然に小さくなっていくのが普通です。また、アレルギー性鼻炎の症状でくしゃみ、鼻水、鼻づまりなどが起こり、それにより鼻で呼吸がしづらくなることが、睡眠時のいびきの原因になる場合があります。赤ちゃんの鼻やのどが狭まるなどして呼吸がうまくできない場合、症状としていびきが出る場合もあります。いびき以外にも、呼吸の様子がおかしかったり、夜中に何度も起きたりなど、気になる点があれば医療機関を受診しましょう。参照:【医師監修】赤ちゃんのいびきは病気? 考えられる4つの原因と治し方
2024年01月10日落語家の桂文枝が5日に自身のアメブロを更新。公演後に通夜に参列したことを報告した。この日、桂は「二回目の神戸国際会館おわりで坂田利夫さんのお通夜に行ってきました」と公演後に12月29日に老衰のため大阪市内で亡くなった「アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑いタレントの坂田利夫さんの通夜に参列したことを報告。「立派に大阪の伝統のアホの漫才を守った坂田利夫師にお別れをするために私も黒紋付に黒の羽織の紐と正式な姿に着替えて手を合わせました」とつづった。続けて「よく頑張られました」と坂田さんを労い「なかなかアホを演じ切るのは並大抵ではありません」とコメント。坂田さんについて「お客様は演じているのか本当なのかわからないので『アホ』と声をかけたりします」と述べ「見事に演じ切った坂田さんの最期にはこちらも正装で望んだ次第です」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年01月06日2023年12月25日、元サッカー選手でタレントの丸山桂里奈さんが、自身のInstagramを更新。『ある資格』に合格していたことを明かし、ファンから驚きの声が上がっています。丸山桂里奈、『ある資格』に合格していた!この日、「メリークリスマス」というコメントとともに、夫で元サッカー選手の本並健治さんと、娘さんとの家族ショットなどを公開した、丸山さん。「やっぱり最近は特に絵を描く時間を大切にしています」と趣味についてつづり、2024年の抱負をこう明かしていました。今までプレゼントがほぼで自分が好きな絵はあんまり描いてなかったので、2024年は趣味に磨きをかけたいです。犬のトリミングも2級を合格したので、来年は1級目指して頑張りたいし、まだまだ40だけど、もうかな?いろんなことにチャレンジしながら青春も手に入れたいなと思います。karinamaruyamaーより引用※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 丸山桂里奈(@karinamaruyama)がシェアした投稿 来年は趣味に磨きをかけたいという、丸山さんですが、投稿の中ではさらりと『トリマー2級』に合格したと思われる説明が…!2023年12月現在、3匹の愛犬と暮らしている、丸山さん。以前、YouTubeでは「犬が大好きなので、自分の愛犬を自分でカットしたい」という願望を明かし、資格取得のために通信講座の受講を始めたことを報告していました。多忙なスケジュールの合間を縫って勉強に励んだ、地道な努力が実り、見事合格を勝ち取ったのでしょう。丸山さんのさり気ない『合格報告』には、「資格を取っていたんですか!すごすぎます」「私もすごく興味があるのですが、なかなか踏み切れず」など、驚きと称賛の声が上がりました。さらに、『トリマー1級』合格への意気込みも見せている、丸山さん。「いろいろなことにチャレンジしながら、青春も手に入れたい」という、丸山さんのさらなる挑戦から目が離せませんね![文・構成/grape編集部]
2023年12月27日京扇子の老舗、株式会社宮脇賣扇庵(所在地:京都市中京区、代表取締役:南 忠政)は、2023年、創業200周年を迎えました。これまでも著名な日本画家との幅広い交流を扇づくりに活かし現代まで繋いでまいりました。創業200周年の締め括りの企画といたしまして、現代で活躍する諫山宝樹氏による展覧会を宮脇賣扇庵本店にて開催いたします。おどるあふぎごあいさつかわほり■「諫山宝樹展 -おどるあふぎ-」開催概要期間:2023年12月12日(火) - 12月21日(木)時間:10時 - 18時(最終日は17時まで)会場:宮脇賣扇庵 本店2階入場:無料(期間中無休)■諫山宝樹氏プロフィール2003年 京都市立芸術大学日本画専攻卒業2005年 同大学院保存修復専攻修了大学院在学中より東映京都撮影所にて様々な時代劇の襖絵等の制作に携わり、2015年の独立後は主に京都で寺社への奉納や定期的な作品公開、広告媒体への作品提供、また最近ではライブペインティング等活動の幅を拡げている。2014年 京都市琳派賞 <くるま霞>日本図案家協会展共催 京都市琳派 400年記念事業2016年 大徳寺塔頭 聚光院 奉納 庫裡襖絵2017年 椿大神社 奉納「天鈿女命図(掛軸)」2018年 清水寺 奉納「大日堂 唐子列図(板絵)」宗鏡寺(沢庵寺) 奉納「庫裏 大根戯画(襖絵)」貴船神社 奉納「龍図(色紙用図案原画)」2019年 NHK連続テレビ小説「スカーレット」絵付け・日本画指導2021年 八坂神社 奉納「新年干支(丑年)大絵馬(板絵)」諫山宝樹個展(大雅堂)2022年 八坂神社 奉納「新年干支(寅年)大絵馬(板絵)」金峯山寺 奉納「蔵王権現像《蒼》(紺紙金泥)」正壽院 奉納 本堂襖絵 21面2023年 八坂神社 奉納「新年干支(卯年)大絵馬(板絵)」諫山宝樹個展 -たゆたう筆-(大雅堂)2024年 NHK大河ドラマ『光る君へ』衣装人物画担当■会社概要社名 : 株式会社宮脇賣扇庵所在地 : 〒604-8073 京都市中京区六角通富小路東入ル大黒町80番地3代表者 : 代表取締役 南 忠政事業内容: 扇子製造・小売業HP : 文政6年(1823年)創業。この年、美濃国より出てきた初代が勤めていた京都の扇屋「近江屋新兵衞」より受け継いで「宮脇賣扇庵」がはじまりました。「賣扇庵」の名は明治20年、賣扇桜という京の銘木にちなんで富岡鉄斎により命名されました。商標の「美也古扇」は冷泉為紀によるものです。京都の中心部に構える本店は旧店舗の部材を使って随所に古い当時の面影を残しております。2階フロアには明治35年に完成した天井画があり京都画壇48名による扇面画を見上げることが出来ます。外観内観 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年12月06日日本舞踊扇寿流(所在地:大阪府大阪市)は、SENJU舞踊団が2023年12月10日にドバイで行われる「日本祭りinDUBAI」に出演することをお知らせします。日本舞踊扇寿流 URL: ドバイ公演チラシ1999年の設立以来、SENJU舞踊団は誇り高い日本の伝統文化を広く発信し、世界各地で熱狂的な支持を受けてきました。今年の夏にはヨーロッパ周遊で大成功を収め、早くも来年度のツアーオファーが殺到。そして、今度はアラブ首長国連邦での特別な公演が、12月10日にドバイで開催されます。SENJU舞踊団は、日本祭りinDUBAIを通じてドバイで日本の伝統芸能を披露。日本祭りinDUBAIに加え、ドバイとアブダビの日本人学校での日本舞踊公演とワークショップも予定されています。この機会を通じて、地元の子どもたちが日本文化に触れ、未来の日本を担う力強い存在に成長することが期待されます。さらに、ドバイ公演直前にはSENJU舞踊団代表、扇寿栄之丞がタイで開催される世界ダンスコンテスト IDOの審査員として参加。同時に、世界で活躍する新たなメンバーを募集するため、12月から約一か月間にわたりオーディションを開催予定です。2024年度海外公演参加者オーディションSENJU舞踊団は、国際的な活動を通じて各国との相互理解を深め、お互いの国益に貢献するとともに、世界平和への一翼を担っていくことを強く願っています。12月10日、ドバイでの舞台にご期待ください!■出演情報11月25日~26日:世界ダンスコンテスト IDO12月8日 :ドバイ日本人学校 小・中学生130名参加日本舞踊公演「鶴亀」「梅は咲いたか」「木遣りくずし」「佃船頭」ワークショップ「やっこさん」唄と踊り(三味線生演奏)12月10日 :日本祭りinDUBAI日本舞踊公演「獅子による三味線大薩摩」「木遣りくずし」「梅は咲いたか」「鶴亀」「獅子」12月11日 :アブダビ日本人学校 小・中学校全生徒75名参加※12月8日と同内容を実施獅子による三味線大薩摩■会社概要商号 : 日本舞踊扇寿流代表者 : 扇寿栄之丞所在地 : 大阪市城東区野江3丁目12-2設立 : 1999年事業内容: 日本舞踊教室・イベント出演等その他それに付随する業務URL : 【本件に関するお客様からのお問い合わせ先】日本舞踊扇寿流お問い合わせフォーム: 【本プレスリリースに関するお問い合わせ先】担当: 島崎 栄治TEL : 090-1227-4060MAIL: senjueinojo55@gmail.com ※11月25日~12月25日は海外公演のため電話対応ができかねます。メールにてご連絡くださいますようお願い申し上げます。 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年11月30日長女の成長を感じた出来事丸山桂里奈さんは今年2月に第一子となる女の子・ぷくぷくちゃん(愛称)を出産。娘は成長とともにさまざまなものに興味を持つようになり、YouTube撮影時にはカメラに興味津々だそうです。さらに、つかまり立ちやひとり遊びもするようになったというぷくぷくちゃん。また、動きが活発になっていることから顔を掻きむしることがあるため、引っ掻き傷防止にミトンをつけることもあるといいます。一方で、今までは全然なかったという「ぐずりが始まって」いるとも。「仕事場連れてっても全然泣かなくて、お利口さん」だったそうですが、先日テレビ局に連れていった際に「すっごい泣いた」。ただ、こうした変化も「成長の一部」として受け止めているといいます。現在離乳食は1日2回で、しらす、ほうれん草、にんじん、サツマイモなどを与えることが多いそう。離乳食については「どのくらいあげたらいいのかっていうのが難しい」と感じるといい、以前は「前は食べる分だけあげてた」そうですが、量が多かったのか食後に戻してしまうことも。そのため、現在は一つのメニューにつき、3さじ分程度にして様子を見ているそうです。「お母さんってないじゃないですか? お休み」育児に加え、仕事でも引っ張りだこで、最近は寝不足が続いているという丸山さん。昨晩も「2時に寝て4時起き」だったというハードスケジュールです。そんなときは夫の本並健治さんと仕事のスケジュールを相談しながら、育児を交代。子どもが小さい時期は特に、夫婦で協力し合うことが不可欠ですよね。とはいえ、夫婦で協力し合ってもやはり大変なときはあり、「お母さんってないじゃないですか? お休み」「休みってなって家で(過ごす)って言っても、子育てしなきゃいけないからもう休みじゃない」と、全お母さん共感必至の本音も飛び出します。ただ、大変であると同時に「そういう環境でいれる幸せ」も大きいといい、サポートしてくれる自身の父母や本並さんに「大感謝」していると明かしていました。(マイナビ子育て編集部)
2023年11月20日12月23日(土)から2024年2月25日(日)まで、大阪中之島美術館にて『決定版! 女性画家たちの大阪』が開催される。決定版!女性画家たちの大阪/【開幕記念「桂三扇・露の紫 女性噺家の落語会」】イベント参加券付きチケット情報約100年前の大阪では多くの女性日本画家が活躍した。大正元年(1912)に島成園(しま せいえん)が20歳で文展に入選すると、その成功に触発された木谷千種(きたに ちぐさ)や生田花朝(いくた かちょう)なども官展に入選を重ねる。また、美人画や歴史風俗画に加えて、江戸時代から大阪に興隆した南画(文人画)の分野においても、河邊青蘭(かわべ せいらん)や融紅鸞(とおる こうらん)などが実力を発揮。成功を収めた女性画家は、自らの画業を追求するにとどまらず、後進の女性を育成するため画塾を開く。門下生たちも師に続いて公募展や塾展に挑み、大阪の女性画家の裾野はさらに広がった。当時の美術界は、東京と京都がその中枢を担い、制作者は男性が大多数を占めていたが、女性日本画家の活躍において大阪は他都市と遜色なく、その存在は近代大阪の文化における大きな特色のひとつとなった。本展では、「島成園と浪華の女性画家」展(2006年)の開催を端緒とする調査研究に、近年の新たな成果を加えて、全国的にも注目を集めた50名を超える近代大阪の女性日本画家の活動を約150点の作品と関連資料で紹介する。開催初日の12月23日(土)、開幕記念として女流の噺家、桂三扇、露の紫による落語イベントが開催される。高座で個性を発揮する女性噺家を通じて、当時の女性画家たちの生き方にも思いを馳せてほしい。チケットは発売中。■桂三扇演目:「相部屋(桂三枝作)」<コメント>男性の多い職場では、女性同志の結束は固いです。未婚既婚上司同僚部下と立場は違えど、みんな寄ればかしましく…女の悩みなど笑い飛ばして乗り越えていきたい!働く女性にこの落語でエールをおくります。■露の紫演目:「転宅」<コメント>当時女性が一人で生き抜くのは大変で、正直、職も少なく男性に何らかで頼らざるを得なかったと思います。しかし、自分の意思もあったはず。可愛げがあって、でもこれは譲らないという強さを持った女性。そういうところを見て楽しんで頂きたいです。
2023年11月01日自身は「肉しか食べない」けれど……(※画像は丸山桂里奈さんオフィシャルブログより)丸山桂里奈さんは今年2月に第一子となる女の子を出産。生後8ヶ月となった長女は離乳食をモリモリ食べてくれるといい、仕事の合間を縫って様々な食材で離乳食を作っているようです。仕事を終えて帰宅すると「座るまもなく離乳食のストック作り」をするという丸山さん。「ひとつひとつ作りながらも、やっぱり大変でなかなか根気が必要」な作業である離乳食作り、時短や効率も大切ですよね。丸山さんは「たまには買ってきたのでもいい」とし、「今回は生のさつまいもではなく焼き芋を綺麗に皮をとり中だけ使用」「トマトも下茹でしてるのを購入」と、いろいろ工夫しながら取り組んでいるそう。現在は1日2回食で、Instagramに公開したある日のメニューは「バナナヨーグルト(便秘気味なので)、かぼちゃミルク、左下トマトホーレンそう、にんじんとさけのおかゆ、豆腐かつお」。丸山さん自身はお魚が苦手で「肉しか食べない大人」ですが、だからこそ長女には積極的に魚を多く食べさせているのだそうです。長女はなんでもパクパクよく食べ、こぼさずに食べるのも上手になっているといいます。「なるだけたくさんの種類と思いながらもなかなか難しい部分もあるので、無理しない程度にやってます。あんまりこれもあれもとなると離乳食作りが億劫になりますから。それは嫌だなて、ぷくぷくの口に入る物だから、気持ちよく作りたいし、作れなかったらパウチでもいいやと気楽にしてます」(丸山桂里奈さんInstagramより/原文ママ)離乳食はいつから1日3回?生後8ヶ月ごろの離乳食は、1日2回(午前と午後に1回ずつ)が一般的で、食事の固さは舌でつぶせる程度。もちろん授乳はまだ必要で、回数は育児用ミルクなら1日5回(うち2回は離乳食後に必要に応じて)が目安。母乳の場合は赤ちゃんが欲しがるままに与えますが、母乳でも離乳食の前ではなく後に授乳しましょう。2回食になっても、赤ちゃんは栄養の多くを母乳・ミルクから得ています。離乳の完了は、形のある食べ物をかみつぶすことができるようになり、エネルギーや栄養素の大部分を食べ物(母乳・ミルク以外)から接種できるようになった状態を指します。個人差はあるものの、その時期はおおむね生後12ヶ月~18ヶ月頃です。生後9ヶ月ごろになると母乳だけではエネルギーなどが足りなくなってきます。生活リズムが整ってくれば、離乳食を3回食に増やしていい時期です。何回食べるかということよりも、1日に必要な全体量を考えて、様子をみて増やしてあげましょう。3回食になると食べる食材や量がぐっと増えて、用意するのがさらに大変になっていきます。大人の食事と一緒に下準備まで行って取り置きしたり、下ごしらえがなるべく少ないメニューを選んだり、ベビーフードを利用したり、様々な方法で時間や手間を省きながら、余裕を保てるといいですね。参照:生後8ヶ月|赤ちゃんの発育と子育てのポイント!買っておきたい安全対策グッズ5選離乳食の3回食はいつから?始め方や進め方など【管理栄養士監修】
2023年10月23日