映画『AWAKE』(公開中)のお正月舞台挨拶が2日に都内で行われ、吉沢亮、山田篤宏監督が登場した。同作は、河瀨直美監督を審査員長に迎え、2017年に発表された第1回木下グループ新人監督賞で、241本の中からグランプリに選ばれた。2015年に実際に行われ、当時、ネットユーザーや将棋ファンの間でかなりの物議を醸した棋士VSコンピュータの対局(2015年4月11日に行われた将棋電王戦FINAL第5局、棋士VS AWAKE戦)に着想を得て、山田篤宏監督が書き下ろした完全オリジナルストーリー。天才に敗れ棋士になる夢をあきらめた主人公が冴えない大学生活を送っていたある日、ふとしたことで出会ったAI将棋のプログラミングに新たな夢を見出し、かつてのライバルと再戦を果たす。2人は映画の内容にちなんで、棋士の勝負服・和装で艶やかに登壇した。昨年大晦日に行われた『第71回 NHK紅白歌合戦』でゲスト審査員を務めた吉沢は、その感想を聞かれると「大変でした! ただ座っているだけでも疲れるんだとビビりました」と大役に緊張したよう。例年とは違いリモート形式での参加となったが「リモートなので気を抜くと紅白に出ていることを忘れる。家で紅白を観ている感覚になってしまう」と明かし、笑いを誘った。舞台挨拶は、事前にTwitterにて募集した一般観客からの質問に対して吉沢と山田監督が答えるQ&A形式で進行。「『AWAKE』はこれからの長い人生においてどのような意味合いを持つ作品になりそうか」といった質問について吉沢は「これまでの出演作品の中でも特に好きな作品です。普段はあまり自分の出ている作品を観返すことはないけれど、これは観返しそう。何度も観たくなる作品」と返答し、山田監督は「自分にとって商業デビュー作。それに尽きますね」と胸を張った。AI将棋にすべてを賭ける英一を演じるために、寝る前にカップラーメンを食べるなど体重増量の役作りを行ったという吉沢だが、「撮影中は太ろうとして米や炭水化物ばかりを食べていました。とにかくパンパンにむくんでやろうと思った」と回想する。現在はシュッとした細身に戻ったようにも見えるが「今日もちょっと……。昨日は昼間からアニメを観てお酒を飲んでいました。解放されたので……」と寝正月を報告していた。また、英一の少年期を演じた子役の梅谷祐成について、吉沢は「将棋も上手いし、喋り方も言葉遣いもしっかりしている。そして芝居も素晴らしい。天才だと思った!」と太鼓判。「僕にも雰囲気が似ているし、今まで僕の少年期を演じた子役の中でもかなり雰囲気の近い子でした」と絶賛した。SNSなどでは、英一の“冴えない衣装”についての感想が多かったというが、衣装選びのこだわりについて吉沢が「凄く楽しかったですね。監督含めみんなで話し合いながら選びました。その点では山田監督のこだわりも強かったから」と水を向けると、山田監督は「それは吉沢さんが着こなすから……」と苦笑。当の吉沢は、ファッションセンスにコンプレックスがあるそうで「私服のセンスについては『冴えない』といまだに言われる。週刊誌にラーメンを食べている姿を撮られた際も不評でした。僕としてはダボッとした服が好きでオシャレと思って着ているのに、若い女性にはダボッとした服はあまりウケない」と新春からションボリ。客席のファンに向けて「あれはオシャレなんです! 皆さんのセンスが僕に追いついていないんです!」と訴えていた。最後に山田監督は「2021年も上映が続きますので、周りの方々に勧めていただき、より多くの方々に観てもらいたい」とアピール。主演の吉沢は「日本の美しい文化を新年の始まりに観て感じるのはとてもいいタイミング。感染予防に気をつけていただいた上で是非作品を観ていただき、広げてほしいです」とさらなる大ヒットに期待を込めていた。
2021年01月02日日本初のフードコーディネーター養成校「祐成陽子クッキングアートセミナー」の創立者であり、校長でもある祐成陽子さん。御年80。その教え子は4,000人を超え、本誌にもなじみのある寺田真二郎さんなど、人気の料理家やフードスタイリストを数多く輩出している。80歳にして今も現役で、トップランナー。しかし驚くことに、「ようやく準備が整った感じ」なのだと言い、「これから人生に花を咲かせますよ!」と意気揚々だ。料理の世界で起業したのは、1976年のこと。最初はケーキ専門店のオープンだった。今でこそ30代後半での起業は珍しくないが、女性が外で働くことにまだまだ多くの抵抗があった時代だ。「20代のころ、団地の小さなキッチンに近所の奥さんたちを呼んで、家庭料理の教室を開いたのがすべての始まりでした。収納もままならないスペースだったけれど、みなさんからの『おいしい!』の言葉がうれしくてね。料理をすることも、それを素敵に見せることも大好きだったから、その“好き”をひたすら続けていたら、気づけば50年以上がたっていたんです」(祐成さん・以下同)まずは、できることから――。「最初は団地のキッチンだったから、狭いのは仕方ない。ならば、せめてテーブルの上だけはと思って、いつも箸置きとランチョンマットを手作りして、自分の世界を演出していました。みんな、いろいろ理由をつけてやらないけれど、今できることを探せばいいのよ」このポジティブな性格は、子どものころからだったと振り返る。「“陽子”という名前のとおり。勉強はできなかったけれど、明るい子でした。同級生を笑わせるのが大好きだったわね。顔が大きいとか、背が低いとか、それなりにコンプレックスはあったのかもしれないけれど、毎日を楽しむことに忙しすぎて、深く悩む暇なんてなかった」足が太いことに気づいたのは、50歳になってから。「遅いでしょう?集合写真に写る自分の姿を見て『あれ?』って(笑)。でも、年をとればなおさら“見てくれ”じゃないし、今はそれさえトークのウリですよ」いつでも、明るく豪快。けれどその一方で、じつはとても心配性の面があり、そのおかげで今の自分があると自己を分析している。「学生時代、全日本のシードに入るテニス選手だったんです。でも、練習不足を自覚していて、試合ではいつも不安で仕方なかった。結果も出せなかった。準備がいかに大切か、そのときに学び、本当は気が弱い自分も思い知りました」だから今は、何事も最悪のケースまで考えて準備をし、そのための時間は惜しまない。「準備期間は長ければ長いほどいいのよ。私、経験のないことは失敗する、と思っているんです。だから、年齢を重ねるということは、できることが増えるということ。今年80歳になって、怖いものなしで大いばりしていますよ(笑)。今はキッチングッズの発明が楽しくてね。80年かけた準備を生かす時がきた、とワクワクしているんです」
2019年03月14日