歌舞伎に現代の視点を取り入れつつ、その新たな可能性を発信してきた木ノ下歌舞伎(通称・キノカブ)の『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』が9年ぶりに再演されることになり7月16日(火)、東京池袋の東京芸術劇場にて制作発表会見を開催。監修・補綴の木ノ下裕一、演出の杉原邦生、出演者の田中俊介、須賀健太、藤野涼子、川平慈英、緒川たまき、眞島秀和が出席した。(「お嬢吉三」を演じる矢部昌暉は体調不良のため欠席)。歌舞伎作者のレジェンド・河竹黙阿弥による最高傑作に大胆な新解釈を加え、2014年の初演に続き、翌15年には東京芸術劇場でも上演され、読売演劇大賞2015年の上半期作品賞部門のベスト5に選出された本作。数奇な運命に翻弄される3人の“吉三”の運命を描き出す。キノカブ版では、現行の歌舞伎ではカットされている商人と花魁の恋のパート、さらに初演以来約160年ぶりに「地獄の場」を復活させており、上演時間は5時間におよぶが、演出の杉原は「絶対にお客様を飽きさせることなく興奮の渦に巻き込みます!」と力強く宣言。木ノ下は河竹黙阿弥について「既存の認識では、メッセージ性が希薄な作家と思われていますが、そんなことは全然ないんです。初演は安政7年ですが、5年前には安政の大地震が江戸に壊滅的な被害を与え、2年前にはコレラによる多くの犠牲者が生まれていて、随所に昨日まで元気だった人が今日、急に死ぬという、死の近さや疫病の存在が散りばめられています。震災や大きな疫病を体験し、まだその真っただ中にいる現代の私たちにとって、この『三人吉三』は、また違った輝きを見せると思います」と現代に上演することの意義を強調する。この日、登壇したキャスト陣は全員、キノカブは初挑戦。木ノ下歌舞伎では、歌舞伎俳優によって演じられている歌舞伎の映像のセリフや動きを俳優陣が徹底的に模倣する“完コピ稽古”を稽古前半に行なうことになっており、これまでと異なる初めての稽古を前に一同、戦々恐々……?坊主上がりの盗賊である和尚吉三を演じる田中は「(普段は役を)自分で生み出すことが多いんですが、今回はモノマネをするところから始まるという初めての経験です。家で繰り返し、(資料の)映像を見て、モノマネをしています」と語る。武家上がりのお坊吉三を演じる須賀は「上演前の台本を読みながら、2~3回閉じました(苦笑)。本当にこれをやるのか…? と」と明かす。この日、共演陣とも初めて顔を合わせたが「どことなく、学校のテスト前の探り合いのようなピリピリ感を感じています(笑)」と語る。藤野は、武家出身の花魁を演じるにあたり、実際に現在の吉原に足を運んでみたそうで「あまり(昔のものは)残ってないんですが、見返り柳や門が残っていました」とふり返る。眞島は歌舞伎初挑戦を前に「右も左もわからない状態」と不安を口にしつつも「初日には堂々と舞台に立てるように稽古に励んでいきたいです」と意気込みを語る。川平も歌舞伎初挑戦となるが「これまでの生業のほとんどがミュージカルと楽天カードマンだったので……」と笑いを誘いつつ「人間のドロドロした負の部分が入り混じる物語ですが、軽やかでスタイリッシュに、観終わって『よかったな』と生への賛美の気持ちを抱いたり、前向きなエネルギーを届けられたらと思います」と語った。緒川は、本作が初演時にお正月公演として上演されたということに言及。「台本を読むと様々な運命を背負った、こんなにも人の生き方って多様なのかという人たちが右往左往していて、これを黙阿弥は(正月公演で)人を楽しませるために描いたというふうに読むと、江戸の庶民のひとたちは、なんて粋で心が広い人たちだったのかと感じます。現代版の作品として、いまを生きる私たちに楽しんでもらえる作品になるといいなと思います。不幸が渦巻いていて、どうしてこんなにかわいそうなのか? どうしてこんな酷いことができるのか? という人たちが出てきますが、江戸の人たちに倣って、楽しめる方向に引っ張っていきたいです」と思いを語っていた。木ノ下は緒川の言葉を受け「こんな暗い芝居を正月に当て込んだ木阿弥やっぱりヤバいなと思いました(笑)。でもその背後には『みなさん、よくぞ生き延びました。こういう世界だけど頑張っていきましょう。死んだ人がかわいそうだと思うかもしれませんが、私たちも頑張ってますよね』というエール、メッセージが強くあると思います。そのあたりを引き出せる『三人吉三』にしていきたいです」と“生”への希求を力強く描き出す作品にしたいと語った。『三人吉三廓初買』は東京芸術祭 2024 芸劇オータムセレクションとして東京芸術劇場プレイハウスにて9月15日(日)より上演。7月19日(金)まで、『三人吉三廓初買』東京公演のチケット先行発売中!この機会にぜひ!▼詳細は下記よりご確認ください。<公演情報>東京芸術祭 2024 芸劇オータムセレクション東京芸術劇場 Presents 木ノ下歌舞伎『三人吉三廓初買』作:河竹黙阿弥監修・補綴:木ノ下裕一演出:杉原邦生[KUNIO]【主な配役】和尚吉三:田中俊介お坊吉三:須賀健太お嬢吉三:矢部昌暉丁子屋花魁 一重:藤野涼子木屋手代 十三郎:小日向星一伝吉娘 おとせ:深沢萌華八百屋久兵衛:武谷公雄丁子屋花魁 吉野:高山のえみおしづ弟 与吉:山口航太文蔵倅 鉄之助:武居卓釜屋武兵衛:田中佑弥丁子屋新造 花琴:緑川史絵土左衛門伝吉:川平慈英文里女房 おしづ:緒川たまき木屋文蔵[文里]:眞島秀和スウィング:佐藤俊彦藤松祥子【東京公演】日程:2024年9月15日(日)~29日(日)会場:東京芸術劇場 プレイハウス【長野(松本)公演】日程:2024年10月5日(土)・6日(日)会場:まつもと市民芸術館 主ホール【三重公演】日程:2024年10月13日(日)会場:三重・三重県文化会館 中ホール【兵庫公演】日程:2024年10月19日(土)・20日(日)会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
2024年07月16日最後に休んだのは正月「独身じゃないんだよ?」バカリズムさんは、2019年アイドルグループ「でんぱ組.inc」元メンバーの夢眠ねむさんと結婚。2023年10月に第一子となる長男が誕生しました。お笑い芸人としてテレビのレギュラー番組は8本、脚本家・役者としても活躍し、ライブも定期的に開催しているバカリズムさん。「いろんな顔を持っていますが、仕事大変じゃないですか?」という質問に、「めっちゃ大変ですよ。楽しくなんかないですよ、仕事は義務!」と苦笑い。ちゃんと休んでいるのかと尋ねられると、「休んではいないですね。休みの時間を使って(脚本などを)書いたりしているから」と家でも仕事をしていることを明かします。一番最近の休日は「お正月休みが最後。今年の」と答え、二児の父であるアンタッチャブルの山崎弘也さんは「だって独身じゃないんだよ? それでこの忙しさだよ。家族から嫌われてるよ!」と思わずツッコミ。驚きを隠せません。実際、バカリズムさんは忙しすぎて我が子に顔を忘れられていることがあるそうで、「赤ちゃんって結構な時間会わないと、次会った時に『はぁ?』みたいな顔をする。朝から晩までいなかったりすると、『どうも……』って」と自虐的に明かし、サンドウィッチマン・伊達みきおさんから「気をつけないといけない」と諭されていました。「イチオシのやつはピュルルルルルル~」多忙を極めるバカリズムさんも「自分がいてやれるときはおむつ替えもやるし、風呂も入れるし。奥さんに(赤ちゃんを)任せているときに洗い物をしたり、とにかく(できることをやる)」と、できる限り育児や家事に奮闘しているそう。「なかなかできないから、いるときはやらないと。そこで何とかやってる感を出して、存在感をアピールしていかないと。記録より記憶で!」と言葉に力を込めました。続いて山崎さんが「怒られるの? バカリ(バカリズムさんの愛称)って。こうしてよ! とか」と聞くと、「一番近々で言うと、赤ちゃんのおしりふきシートの(容器の)蓋がシールになっていて。使い終わった後に俺、結構開けっぱなしにしてるんですよ。『おしりふきシートの蓋をしめて』って言われました。乾燥しちゃうからね」と夢眠さんに注意されたことを明かします。自身でも「閉め忘れないようにしなきゃ」と意識してはいるものの、「何回かに1回奥さんも開けっぱなしのことがある」ことに気づいてしまい、注意されても素直に「ごめん」と言えないバカリズムさん。山崎さんが「でもそれは(奥さんに)言わないよね?」と確認すると、「一回だけ言ってみた」と告白し、「ダメなのよ! それは」とまたもダメ出しです。ただ、忙しいバカリズムさんも長男の可愛らしさにはメロメロで、「めちゃくちゃ可愛いんですよ。3ヶ月ぐらいから右肩上がりで可愛くなって、今ピークなんじゃないかってくらい」と熱弁すると、周囲も深く頷き「体耐えられるかな?えげつないからね」と我が子の可愛さは何ものにも代え難いもののよう。子育てが始まってバカリズムさんの生活スタイルも変わり、「遅くまで作業しても、赤ちゃんって7時~8時に起きる。だからそこに起きて世話しなきゃいけない」と、我が子のため朝型に。しかし以前、お風呂に入れる際に息子の顔に泡をかけてしまって以来、パパとのお風呂でいつも泣かれるといい、「俺のときだけシャワーのコードをぎゅーって握ってるんですよ。車のここ(窓の上にあるアシストグリップ)みたいに」と、そこの記憶はなかなか薄れてくれないようです。クールなバカリズムさんが赤ちゃんを「あばばば~」とあやす姿は想像できませんが、バカリズムさんは「めちゃめちゃやるよ! 今イチオシのやつはピュルルルルルル~(唇を震わす)、これめっちゃウケる!」と実演。ただし、朝は唇の潤いが足りず音が鳴らないので全然ウケないのだと笑っていました。
2024年07月05日大人気マンガシリーズ、エトラちゃんは見た!さんの『妊娠太りした体を義母に「横綱みたいな体(笑)」と貶され、復讐を決意』を紹介します。主人公は義母に何度もイヤミを言われ、怒りを募らせていました。そして義母への恨みと根性でダイエットに精を出し、気づけば出産から1年が経っていたのです。主人公は見事ダイエットに成功し、夫は主人公の美しいスタイルに見惚れて…。≪HPはこちら≫前回のあらすじ出典:エトラちゃんは見た!#8妊娠太りした体を義母に「横綱みたいな体(笑)」と貶され、復讐を決意出典:エトラちゃんは見た!義母に会うのが楽しみ出典:エトラちゃんは見た!そして正月…出典:エトラちゃんは見た!3人で義実家へ出典:エトラちゃんは見た!義母は主人公を見て…出典:エトラちゃんは見た!主人公の変化に唖然出典:エトラちゃんは見た!少し変わったと言う義母出典:エトラちゃんは見た!名誉挽回するために…出典:エトラちゃんは見た!次回予告出典:エトラちゃんは見た!正月になり、家族3人で義実家を訪れた主人公。義母は主人公の変化に驚き戸惑いながら「ちょっと変わったかしら」と言います。そこで主人公は「お義母さんが横綱みたいとおっしゃったので、名誉挽回しようかと」と言ったのでした。イラスト:エトラちゃんは見た!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(CoordiSnap編集部)
2024年07月03日尾上右近が2015年より続けている自主公演「研の會」。彼が未経験の役柄に挑むファン垂涎の公演だが、第八回となる今回は、『摂州合邦辻』と『連獅子』を上演する。キャスティングまで右近がこだわり抜いて決める「研の會」、今回も思い入れが詰まっているようで……。意気込みと思いをたっぷりと語っていただいた。客席で寝ている人を見つけて嬉しかった――昨年は劇場を、長らく上演していた国立劇場小劇場から浅草公会堂に移しての公演でした。緊張感はありましたけど緊張はせず、リラックスしてできました。それほど出慣れている劇場ではないのですが、浅草という土地が大好きだということもあり、アットホームな空気感がありました。……僕、自主公演で初めて、客席で寝ている人を目撃したんですよ(笑)。いや、もともと客席でお客さんが寝ていても全く気にしないのですが、「自主公演を観に来て、寝るんだ!?」と思って。でもそれが嬉しかったんです。――嬉しかったんですか? なぜ?普段の大歌舞伎などだと、多くの方は「歌舞伎を観に行く」という気持ちで劇場においでになって「あ、尾上右近が出てきた」と思ってご覧になってくださると思うんです。でも「研の會」は“尾上右近自主公演”と謳っている以上、尾上右近の公演じゃないですか。「さあ右近を観るぞ」と前のめりなテンションで来てくださる。それはありがたいのですが、いつもの公演のようなフラットなテンションで観て欲しいというワガママな右近くんが心のどこかにいて。熱烈な拍手や熱い空気をいただくと嬉しい反面、自主公演でしかできないことをやっている、ここでしか観られない貴重なものを観ていると思われているのかなと悔しい気持ちもあった。僕としてはこれが歌舞伎の1ヵ月の本興行に繋がれば嬉しい、ここで伝え切るのではなく“繋がっていく”という気持ちで演じているんだけどな……という思いも抱いていました。だから寝ちゃっている人を見て、特別なものではない、普段の公演のように馴染んで観てくれているんだと思って嬉しかった。それが去年、初めて感じた思いです。――お客さんにとっては右近さんの「研の會」が日常的なものになってきた感覚がある一方で、右近さん側も肩の力が抜けてきた……ということもありませんか?そうなってきたのかもしれませんね。気の置けないメンバーと一緒だったというのもあったと思います。もちろん「この瞬間にかけるぞ!」という気合いもあるのですが、今の歌舞伎界の30代の歌舞伎俳優のひとりとして、この世代ならではのものを僕なりに打ち出して、歌舞伎界全体にいい流れや空気を作れたらいいなと思っています。そういう意味では今までのように「ここで成果を出すんだ!」という気負いより、繋がっていくというイメージでやりました。自主公演は特別な時間で特別な空間なのですが、歌舞伎俳優を名乗っている以上、自分もずっと続いてきた歴史の一部であるという感覚はあって当然だと思います。さまざまな感情の中で、昨年は“感謝”の割合が高かったなと感じています。――そして昨年「研の會」で上演した『京鹿子娘道成寺』は、今年の正月、歌舞伎座の本興行で再演されました。いや、びっくらこきました(笑)。松竹の方に「正月に、壱太郎さんと右近さんのダブルキャストで『道成寺』を踊ってもらいたい」と言われた時には驚いたし、反応が早いなと思った。でもそこでまた、もうひとりの右近くんが「何びっくりしているんだよ」とイラっとしたんですよ(笑)。「いつ(本興行で)来ても当然だと思って自主公演をやっているはずなのに、お前はそんな腹積もりでやっていたのか」と。――謙虚なのか大物なのか(笑)。そうそう、ジキルとハイドのように謙虚な自分と大物な自分がいて、「えっ!?」と返した自分が、自分で恥ずかしかったんです。でももちろん、半年足らずで歌舞伎座でできるというのは嬉しかったです。2023年開催、第七回「研の會」で白拍子花子を勤める尾上右近さん©研の會(撮影:田口真佐美)――「研の會」で一度やっていたからこそ歌舞伎座では落ち着いてできた、というようなことは。歌舞伎座でやるというのは特別ですので「歌舞伎座だ!」という緊張感はあります。ただ特に『道成寺』のような演目は、僕ひとりではなく、音楽家さんや後見(衣裳を引き抜いたり小道具を渡したりする)との兼ね合いもあるし、舞台袖に引っ込んでからの着替えの段取りなどが重要になります。そのテンポを噛み合わせるのに神経を使うのですが、それは自主公演で経験しているから慣れている状態で臨めました。そうなると逆に、リラックスしてしまって勢いが削がれる危険性がでてきてしまうので、それは何で補って立ち向かうかという課題も出てくるのですが。――どう立ち向かっていかれたのですか。約半年のスパンでの再演でしたが、自主公演から5年くらい経った感覚でやろうと思って踊ったんです。この間さまざまな経験を経て、僕の中で色々なものが膨らみ、自分も大人になって再び『道成寺』を踊っているんだ、と。昨年の「研の會」は『夏祭浪花鑑』と『京鹿子娘道成寺』の2本立てでしたので、さっきまで団七という役で血みどろ泥だらけになっていた人が、次の幕では綺麗な女形として登場する、その奮闘ぶりを観ていただいた。観る側もやる側も気分が高まってからの『道成寺』ですから、ある種の勢いまかせなところもあった。でも歌舞伎座の正月興行では他の俳優さんたちが一幕ごと紡いできた流れの中で最後の一幕として自分が『道成寺』を踊る。自主公演とは訳が違います。冷静さを心がけました。ご当地もの『摂州合邦辻』と尾上眞秀と挑む『連獅子』――さて、今年は『摂州合邦辻』と『連獅子』を選ばれました。この演目にした理由を教えてください。まず今年は大阪でも公演をしますので、大阪が舞台の『摂州合邦辻』は“ご当地もの”になっていいなというのがひとつ。あと単純に、好きなんです。ドロドロしている物語なんだけど、最後は「ああ、これで良かったんだ」と晴れやかな気持ちになるので。――河内国の大名・高安左衛門に後添えとして嫁いだ玉手御前が義理の息子である俊徳丸に道ならぬ恋心を抱き、これから逃れるために俊徳丸は許嫁の浅香姫と共に逃げて……という物語。「説経節」が元になっていて、宗教色が強い話。玉手御前という人は、自分もドロドロしているし、まわりの環境もドロドロ、あらゆるドロドロにまみれているんだけど、最後に大切な義理の息子の命を救って自分が命を落とす。仏教は蓮の花を大事にしていますが、玉手御前は究極の自己犠牲の人であり、本当に蓮の花みたいな女性だなと思うんです。また展開も早いし、大阪特有のエキサイトする空気感もあり、ヒートアップするリズム感もいい。観に来てくれたお客さまが“ずーん”とならず、前向きな気持ちで帰っていただける作品だと思うので、選びました。あとは歌舞伎界を見渡して、僕の世代で『摂州合邦辻』をやろうと思う人がいなさそうなので、じゃあやっちゃおうかなと(笑)。――『連獅子』は力強い舞踊劇。言わずと知れた名作です。親獅子が子どもを崖から落とし、そこから這い上がってくる子どもだけを育てるという獅子の教えを舞踊にしたものなのですが、僕はこれまで仔獅子を、4人の親獅子相手に勤めさせていただきました。この作品は実際の親子で演じられることが多く、そのことでよりお客さんが感情移入する仕組みになってるとは思いますが、僕は歌舞伎俳優の息子ではないからこそ、色々な先輩たちの親獅子で仔獅子をやらせてもらえた。歌舞伎には色々な捉え方があると肌で感じた作品であり、僕の中でも思い入れの強い演目です。いつか親をやる日が来るだろうと思っていたし「そろそろやりたいな」と思っていたところで、今回、尾上眞秀くんが出てくれることになったので実現しました。僕が『連獅子』で親獅子をやるなら眞秀くんとやりたいとずっと思っていたんですよ。――眞秀さんは寺島しのぶさんの息子さんで、音羽屋の宗家である菊五郎さんのお孫さん。昨年尾上眞秀を名乗って初舞台を踏まれました。以前しのぶさんが「眞秀、『連獅子』だけは観ないのよ」とおっしゃっていて。『連獅子』は親子の物語であり、お父さんと子どもたちが踊る(ことが多い)演目。自分はお父さんと『連獅子』を踊ることはないから観たくない……と眞秀が言ったそうなんです。僕はその気持ちが、めちゃくちゃよくわかる。だけど、それを叶えてくれた先輩たちが僕にはいました。今度はその恩を僕が下の世代に返していこうと思い「一緒にやろうぜ」と言いました。――それはかなり胸アツなエピソードです……。実際の親子ではない俳優で『連獅子』を踊るというのは僕も経験していますが、どちらも父親が歌舞伎俳優ではないという役者同士でやる『連獅子』って初めてじゃないかな。かなりチャレンジングだと思います。なぜ今年なのかと言うと、眞秀が大きくなっちゃうからです(笑)。とんでもない速度で成長していて、たぶん来年には僕の身長を追い越すんじゃないかな? そんな危機感があるので、やるなら今年しかない! と。毛を振ったりと体力的にはかなり大変な演目ですが、踊りが好きだという気持ちを再認識できる作品です。眞秀も歌舞伎が好きで、踊りも好きだと思うんだけど……「やっぱり好きだー!」と思うターニングポイントみたいなものは、まだ来ていない気がするんですよ。それをこの『連獅子』で味わってもらいたいという、僕のちょっとしたおせっかいです(笑)。いずれも思い出深い4人の親獅子――ちなみに右近さんが仔獅子として相対した親獅子は、市川團十郎(当時の海老蔵)さん、市川猿之助さん、尾上松也さん、尾上菊之助さん。思い出深い『連獅子』はありますか。これ、角が立つから「どれも」と言うと思うでしょ? 本当の話、「どれも」なんです(笑)。それぞれ僕にとって大きな、あれがあったから今があると思える『連獅子』でした。15歳の時(2008年)、玉三郎さんの「特別舞踊公演」で、玉三郎・菊之助で『二人道成寺』をやって、海老蔵さんは『鏡獅子』をやってくださいと頼まれた。それを断って「けんけん(右近)と『連獅子』をやりたい」と言ってくださったんです。僕にとっては初めての大役で怖くて、知恵熱を出したりもしたくらいでしたが、あれがなかったらその後の大きなお役もいただけてなかったと思うし、僕も歌舞伎に対してさらに本気になれたところがある。本当に思い入れが深い作品です。猿之助さんとは亀治郎時代の2010年「市川亀治郎東照宮奉納歌舞伎」ほか、「亀治郎の会」含め何度かやらせていただいています。血統が重んじられるこの歌舞伎の世界で「血より濃い水がある」と教えてもらったのが猿之助さんとの『連獅子』。澤瀉屋の『連獅子』って体操か!? ってくらいハードなんですよ(笑)。何度も心が折れそうになったし、しんどくてしんどくて「無理!」って思うんですが、それを親獅子が飄々と、なんなら「コイツどうするのかな」と楽しみながら引っ張ってくれているような『連獅子』でした。親じゃなくても「コイツを育てよう」と思って引き揚げてくれる先輩がいるんだというのは僕の救いになりました。松也さんとは2012年の歌舞伎座での子供歌舞伎教室、2017年の松竹座「二月花形歌舞伎」でご一緒しました。僕にとってはお兄ちゃんのような方。これまでは親獅子は親獅子であり、僕は一生懸命やれば仔獅子に見えるという対比でしたが、年齢が近い分、兄弟に見えてしまいかねない。どう踊れば仔獅子に見えるか、親子の物語に見えるか、この『連獅子』を楽しんでもらえるか……と、『連獅子』という作品自体を俯瞰して見つめることができた、そんな意味のある経験をした公演です。菊之助兄さんとの『連獅子』は、2020年の「錦秋御園座歌舞伎」。コロナ禍に入って初めての1ヵ月興行で、いよいよ歌舞伎が再開するというタイミングでした。そんな時期でしたので僕もすごく意気込んでいたし、自分もお客さんを呼べる俳優にならないとダメだと思い死ぬ気でチケットを売っていた。食事に行った店でたまたま隣に座った人にもチケットを売っていたくらい(笑)。また子どもの頃から音羽屋で育ててもらった僕が、これまで3人の親獅子とやらせてもらい「役者としてこういう風に勉強してきました」と音羽屋の本家である菊之助お兄さんにお伝えする、仔獅子が親獅子に伝えたい思いがたくさんある作品だった。音羽屋の次期大将である菊之助お兄さんとやったことで尾上右近の『連獅子』第一章は終わりだな、次やる時はきっと親獅子なんだろうなと漠然と感じた公演でした。「大変だから楽しい」と思ってもらいたい――そんな4人の親獅子と共に踊ってきた右近さんは、どんな親獅子として眞秀さんと相対すのでしょう。「大変だから楽しい」と思ってもらいたいかな。それは歌舞伎の本質でもあると思う。歌舞伎は肉体芸術と言われますが、それはかなり綺麗な表現で、実際にやっていることは肉体労働です。その上で芸術に持っていける余裕が出てはじめて芸術になる。なんでこんな大変なことをやるかと言うとお客さんに喜んでもらうためで、しかも、ほかの方法でもお客さんに喜んでもらえることはいくらでもある。それなのになぜ大変なことをするかと考えると、歌舞伎には自己犠牲の美学がある気がします。そんなことがほんのり感じてもらえる親獅子をやりたいですね。実は「研の會」をやり始めたのも、先輩方に大きな影響を受けているんですよ。まだ幼い頃に子どもがやる役ではない役をいただいた時、本番直前に不安になっちゃって泣きべそをかきながら先輩のひとりに電話をしたんです。いい迷惑ですよね(笑)。その時に「できないかもしれない」と言う僕に「いいんだよ、僕も勉強だから。一緒に勉強しよう」と言ってくださった。僕はこの人も完璧じゃないの? と、すごく意表をつかれたんです。親も完璧じゃない、人間だから迷いもあるというのは、とても素敵なことだなと思います。だから眞秀にも「僕もまだ未熟だけど」ということも踏まえて教えていきたい。眞秀には「楽しいな」とのびのび稽古してもらい、本番が近付くにつれ鬼みたいな顔も見せてちょっと嫌われて「もう辞めたい」と言われた時に「俺もドキドキしているんだ、一緒にやろう」と言いたい(笑)。僕はこれまで経験してきたこと……仔獅子だけでなく歌舞伎俳優として感じてきたすべてのことを忘れていない親獅子になりたいです。尾上右近自主公演 第八回「研の會」特別版ポスター。作品に引き続き、現代美術家の横尾忠則氏が手がけたすでにお稽古はしていますが、不思議なもので僕が本気にならないと眞秀は本気にならないし、僕が迷うと彼も迷う。本当に、先輩に教えてもらうより、後輩に教えるということは緊張します。親心ってこういうことなのかな……と感じるし、僕も圧倒的に踏ん張らなければいけない公演になりそうです。そして、『摂州合邦辻』と『連獅子』合わせて、テーマは“親の愛”になります!――確かにそうですね。『摂州合邦辻』では玉手御前のお父さんである合邦道心を市川猿弥さんにお願いしました。役者の上でのお兄さんのような先輩はありがたいことにたくさんいるのですが、猿弥さんは僕にとって精神的お父さんのような存在。子どもの頃からファンで、実は共演する以前、僕が8歳の時に客席から観てなんて素敵な俳優さんなんだと思って、その時から隠れファン(笑)。――何をご覧になったのですか。当時勘九郎だった(十八代目)勘三郎のおじさまが狐忠信、静御前を玉三郎のおにいさまが演じていた『吉野山』で、早見藤太を演じていらした。勘三郎・玉三郎のお二方が死ぬほど輝いていて、その中に三枚目として絡んでいく早見藤太ってめちゃくちゃ難しいと思うのですが、猿弥さんはそれを飄々とやってのけていて、すごいなこの人! と思った。12歳の時に初めて共演させていただいたのですが、その時に楽屋に「ファンです」と言いにいきました(笑)。それ以降、ずっと可愛がってくださっている。バラエティ番組などでも見せているようにとても明るい方なのですが、複雑さがあるお役でさらっと深いところを出してお芝居をなさるので、役者としてとても尊敬しています。「研の會」は僕が観たい配役を実現させる会でもあるので、そこは僕の特権ですね(笑)。『摂州合邦辻』は僕の玉手御前も見てほしいけれど、「猿弥さんの! 合邦を! 見て!!」「これ、僕がやってって頼んだんです!!」と自慢したい気持ちがあります(笑)。歌舞伎への愛は距離感も大切に――まさに右近さんにとってもさまざまな“親の愛”、そして“受け継ぐこと”が詰まった二演目なんですね。1年前の取材でも右近さんは、自分は歌舞伎という大きな歴史の中にいる、引継ぎ、受け渡していくことが大切……というようなことを語っていました。改めて右近さんが今、歌舞伎に対して抱く思いを教えてください。僕はもともと歌舞伎が大好きで、歌舞伎に振り向いてもらいたくて自主公演を始めました。なかなか振り向いてくれなくて、待っている時間はとてつもなく長いんです。「いつまで続くんだ、この群舞(のキャスティング)……」みたいな(笑)。いや、群舞も大事ですけどね。でも歌舞伎に振り向いてもらえるようになると、それまでは自分のために歌舞伎をやっていたけれど、歌舞伎のために自分があるようにならなければ、と自然と思うようになっていた。受け継ぐ義務も、義理も、使命もある。でも今は、「歌舞伎しかない」と盲目的になってしまっては良くないなとも感じていて。歌舞伎が“行”のようになってしまうといけないと思うんです。万一明日から歌舞伎をやっちゃダメだと言われても、ほかのことでスタッフを養っていけるくらいのマインドを持たないと。だから今は距離感も必要だと思っています。愛着と執着は違うな、というのが今の僕が歌舞伎に対して思うところでしょうか。とはいえYouTubeとかを見ていても、気付けば「歌舞伎」って検索していたりするんですけどね(笑)。――ちなみに1年前は、歌舞伎への思いは「恋から愛に移行している段階」だと話していらっしゃいました。少し落ち着いた感じでしょうか?わぁ。そんなこと言ってたんだ! だから1年齢をとったってことですよ、僕も(笑)。情熱は時に、人も自分も傷つけますから……(笑)。大切に思うがゆえに、距離感も大事だということです!取材・文:平野祥恵撮影:興梠真帆ぴあアプリ限定!アプリで応募プレゼント★尾上右近さんのサイン入りポラを2名様にプレゼント!【応募方法】1. 「ぴあアプリ」をダウンロードする。こちら() からもダウンロードできます2. 「ぴあアプリ」をインストールしたら早速応募!<公演情報>尾上右近自主公演 第八回「研の會」一、 『摂州合邦辻合邦庵室の場』玉手御前:尾上右近俊徳丸:中村橋之助浅香姫:中村鶴松母おとく:尾上菊三呂奴入平:市川青虎合邦道心:市川猿弥二、 連獅子狂言師右近後に親獅子の精:尾上右近狂言師左近後に仔獅子の精:尾上眞秀法華の僧蓮念:市川青虎(大阪)中村鶴松(東京)浄土の僧遍念:市川猿弥(大阪)中村橋之助(東京)【大阪公演】2024年8月31日(土)・9月1日(日)昼の部11:00開演/夜の部16:00開演会場:国立文楽劇場【東京公演】2024年9月4日(水)・4日(木)昼の部11:00開演/夜の部16:00開演場所:浅草公会堂尾上右近公式サイト:★6/30(日)まで、ぴあアプリ先行抽選受付中!()この機会にぜひアプリをダウンロードしてお申込みください!
2024年06月23日義両親との関係に悩んでいる人もいるのではないでしょうか。中には、義両親から距離を置かれていると感じた人もいるようで……。今回のMOREDOORでは、義両親の印象が変わった体験談を投稿者に聞いてみました。※当事者の声はさまざまです。あくまで一例として、考えるきっかけになれば幸いです。Aさんの場合義両親について、最初の印象は非常に厳格で冷たいものでした。結婚して初めて義実家を訪れたとき、家事を手伝おうとすると「座ってて」と手を止められ、まるで自分が邪魔者であるかのような気持ちに……。義母はほとんど話しかけてこず、義父は新聞を読みながら私に一瞥もくれません。食事の間も、義両親の会話に入ろうとすると、どこか疎外されているような感覚に。ある日、洗い物をしようと台所に立ったとき、義母に「大丈夫だから」と冷たく言われ、その後の無言の時間があり、重苦しく感じました。義両親から「受け入れてもらえていない」「距離を置かれている」と感じ、怖くて近寄りがたい存在だと思うようになりました。そしてお正月に、義両親からまさかの発言結婚して最初のお正月のことです。お節料理の煮物を作るとき、火加減を間違え焦げ付かせてしまいました。すると、義母から「なんでそんなこともできないの?」と言われました。その場の雰囲気が一瞬で凍りつき、義母の冷たい視線とその言葉が私の心に深く刺さりました。義父は無言で厳しい表情を崩さず、ますます自分が不適格な嫁だと感じました。その後の展開は……?結婚初期の義母の言葉から距離を置かれていると思ったAさん。しかし、その後あることをきっかけに義両親との関係に変化が生まれます。そのきっかけとは一体……?※この記事は実際に募集したエピソードを記事化しています。(MOREDOOR編集部)
2024年06月23日お盆や年末年始など、長期休暇に夫の実家へ帰省する方は多いと思います。私も結婚してから義実家に帰省する機会ができたのですが……。 結婚1年目からずっとひとりぼっちで…結婚後、最初に夫の実家に帰省したのはお正月でした。私たちが結婚して初めてのお正月だったので、遠方に住んでいる夫の親戚なども集まってきて、義実家はとてもにぎやか。私は初めて会う人ばかりで、始終とにかく緊張しっぱなしだった記憶があります。 しかし、大勢がワイワイと談笑する中で、新参者の私は完全アウェイ。というのも、私は義実家とは別の地方で生まれ育ち、義実家の地域とは縁もゆかりもない人間。義実家のある地域は方言が独特で、私は彼らの話す言葉をほとんど聞き取れなかったのです。おまけに夫の子どものころの話や義家族の昔の話など、家族内の話題ばかりで私はまったく会話に入れませんでした。 緊張の上に完全アウェイで、初めての帰省はただただ疲れ果てて終わりました。 義母に嫁の務めを説かれ…「義家族とはまだ本当の家族になれていない気がする」と違和感を抱えたまま、結婚後初めての帰省を終えた私。その後も、お盆や年末年始などの長期休暇には義実家へ足を運びました。 しかし、帰省の回数が増えても相変わらず義実家での会話には、うまく入れません。独特の方言をうまく聞き取れず、知らない話題だらけでまったく話についていけない私を見て、このころから義母は、嫁としてうまく振る舞えない私を腹立たしく感じていたようです。 そんなある日、とうとう義母から「嫁としての意識がまるでできていないわね。どういう育ち方をしたらあなたみたいな嫁になるんだろうね。息子がかわいそうだよ」と言われてしまいました。義実家では孤立したままで、まだ家族として受け入れてもらえていない状況の中、義母にそんなふうになじられ、ものすごく悲しかったことを覚えています。 義母から悲しいひと言が!しかし、悲しんでいても状況がよくなるわけではないので、次の帰省から私はとにかく目立たないことに徹しました。会話に入れないのならせめて嫁としていい姿は見せようと思い、台所で洗い物をしたり、玄関の掃除をしたり、自分たちの荷物の片づけをしたりと、とにかく働き続けることにしたのです。 やることがなくなったら、「コンビニへ振り込みに行ってきます」と言って、義実家から歩いて30分ほどの離れた場所にあるコンビニに出かけました。コンビニで買ったコーヒーを、イートインスペースでひとりきりでゆっくり飲むときだけが、唯一ほっとできる瞬間でした。 そんな状態で必死に義実家帰省をやり過ごす中で、義父が突然他界しました。葬儀など、ひと通りの手続きが終わったあと、義実家に集まって義父の遺品の整理をみんなでしていたときのことです。義母が私に向けてこう言い放ちました。 「よそからきたこんな人にお父さんの物を見てもらっても、わかるわけないでしょ」 日ごろから、嫁としての態度や務めについて、厳しく私を叱っていた義母。口頭では「嫁になったのだから」と言ってくれていましたが、本音のところでは、義母にとって私はいつまで経っても他人だったんだ……と悟りました。 9年かけて嫁の務めから卒業!義父の遺品整理のときの義母の言葉がきっかけで、義実家の中に自分の居場所はないのだと改めて理解した私。それからは、徐々に義実家から距離を取るようになりました。義実家での滞在時間を少しずつ減らしていったのです。 今までは、夫と子どもと一緒に義実家に移動してそのまま3~4泊していましたが、夫と子どもに先に義実家へ行ってもらい、後から私が追いかけていくというスタイルに。それをしばらく続けたのち、夫と子どもを義実家に残し、仕事を言い訳にして私だけ先に帰宅するようになりました。 そうして3泊から2泊、1泊、宿泊なしと徐々に義実家での滞在時間を減らしていき、自分の存在感をどんどん消していった私。そんな中、私の実母が他界しました。長期休暇は自分の実家のお世話があると告げ、完全に私は義実家への帰省を辞めました。 結婚後9年かけて、私は「嫁の務め」から卒業したのです。 結婚したら新しい家族になるといいますが、義理の関係はどこまでいっても義理の関係なのかもしれません。帰省時にどれだけいい嫁を演じようが、義母の言葉で、私は義家族にとって他人には変わりないのだと感じてしまいました。私自身も義実家での時間は苦痛でしたが、他人が家に入ってきてくつろげないのは、義実家の人たちも同じなのかもしれません。 お互い窮屈な思いをするぐらいなら、思い切って嫁としての務めを卒業したほうが、お互いにラクだと気づきました。 著者/さわゆき作画/おはな ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター おはな
2024年06月19日周りの人々があなたを避け始めているかもしれないと感じたら、そのサインを見逃さないように気をつけましょう。もし心当たりがあれば、その行動を速やかに見直すことが肝心です。過ごす時間が少なくなるかつては頻繁に遊びに出かけていたのに、最近では会う回数がぐっと減少したと感じていませんか。それは一緒に過ごす時間への興味が減少している可能性があります。同じトラブルで衝突する繰り返し同じ問題で争うのは、その問題が解決されていない証拠かもしれません。問題が発生したら、解決方法を考えてみることが大切です。連絡頻度の減少以前はよく連絡を取っていた相手から、連絡が途絶えると不安になる方も多いのではないでしょうか。プライベートや仕事が忙しく連絡が出来ない場合もありますが、未返信の場合が続くというケースは注意が必要です。相手から距離を置きたいと思われている可能性が高いかもしれません。お互いに成長を促す関係へ「お正月の義実家帰省。義母が用意したすき焼きで盛り上がるも…私と娘だけ別テーブルに案内されて。その間も私抜きで盛り上がる姿を見て、何とも言えない気持ちになりました」(30代女性)自分の振る舞いや言葉遣いを見つめ直し、改善すべき点がないか検討してみましょう。お互いにとって成長につながる関係を築くことができるよう努めることが重要です。(Grapps編集部)
2024年06月17日私は食事にこだわりがあり、できるだけオーガニックな食材に気を配りながら、娘の食事やおやつを作っています。対して、料理や食にこだわりのない義母。お正月、義実家での集まりに出される食事に、私は不安を抱いていました。 義実家で囲む食卓は楽しい! その反面、大きな不安も食に気を配る私に対し、義母は食にこだわりがなく、ほとんど作ることもしない真逆のタイプ。娘が2歳のときのお正月前、「これからはみんなが集まるときはファストフードにしようね」と義母から提案がありました。夫には姉が2人おり、子どもは3人ずつの計6人(男の子5人、女の子1人)いるのですが、その子どもたちがみんながファストフード好きだったことが発言の発端のようでした。 私は、娘にファストフードを与えたことがありません。夫が「まだ食べたことないから無理だよ」とやんわり反論してくれましたが、義母は「えー! 1歳のAちゃん(義姉の子)ですらポテトを食べるのに」と明らかに不機嫌な反応。これ以上険悪なムードになるのも嫌だったため、私から「ファストフードでも大丈夫です」と伝えました。すると私の発言に義母の機嫌も戻り、夫がそのあと意見することもありませんでした。 お正月当日、ファストフードばかりが並ぶ義実家の食卓に正直ギョッとしましたが、娘が手を伸ばしたものは自由に食べさせることに。娘は笑顔で食べていたものの、味が濃かったのか食べ過ぎてしまうことはなく安心しました。小さいうちからファストフードを与え過ぎるとると、濃い味つけを好むようになる……という話を聞いていたので、心配していましたが、食事の間、義両親と義姉家族と楽しく過ごせて、娘もうれしそうです。 それから、義母宅の食事は「みんなで楽しく食べる」が最大の目的だと思えるように。年数回の食事だからと割り切って食事を楽しむと、気持ちもラクになりました。栄養バランスの整った食事も大事ですが、今後は「みんなで食卓を囲むと楽しさ」も大切にしていきたいと思います。 ※幼児食を与える際には薄味を心がけるようにし、濃い味つけの物は特別な日に少量与えるなどにとどめましょう。 作画/Pappayappa著者:三嶋郁子3歳の子どもを育てる母。子どもの「なんでなんで」攻撃に毎日鍛えられている。食べることが大好きな親子で、だいたい夕方の会話は「今日何食べる?」。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年06月16日私は昔からめんどくさがりで、生理用ナプキンは生理予定日近くにならないと持ち歩かないほどです。あるとき、そんな性格が災いして突然の生理に大慌て。さらにその日はお泊まりの予定だったので、余計にパニックになってしまって……。 お泊まり当日にまさかの…私が高校生のころ、お盆とお正月は父の実家に行くのが毎年の恒例行事でした。父の実家に行くときはだいたい1泊2日の予定で、めったに会えない従姉と夜遅くまで話したり、遊んだりするのをいつも楽しみにしていました。 その年もお正月に父の実家に1泊で泊まりに行った私たち。そのときはちょうどお昼ごはんを従姉と一緒に食べ、ひと休みしようとしたところでした。なんとなく下着に違和感を覚えた私は、慌ててトイレに駆け込んだのです。 予定日より早く生理がきてしまうトイレで下着を確認したところ、予想通り経血が少し付いていました。しかし、生理予定日はまだ先だと思っていた私は、ナプキンの用意がありません。仕方なくトイレにあった従姉のナプキンを借りましたが、さすがにショーツは借りられません。 自分で買いに行こうと思ったものの、父の実家は田舎にあり、ドラッグストアもスーパーも歩いて行ける距離にはないのです。土地勘もなく、どうしたらいいのか途方に暮れること数十分。 結局、自分ひとりではどうしようもないと判断し、観念して伯母に生理になってしまったことを話しました。 従姉の高級外車に乗って…伯母は突然生理になってしまった私に、やさしく声をかけてなぐさめてくれました。そして娘である従姉に、車を出すように頼んでくれたのです。 当時の従姉は車が趣味で、愛車はMT仕様の高級外車。初めて乗る外車に緊張しながら乗り込み、ショーツを買いに行きました。 いつもは両親や祖父母の車くらいしか乗る機会がなく、高級外車という物珍しさもあって、楽しいというよりシートを汚してしまわないか、そればかりが気になっていました。 そんな中、緊張する私に気づかってか、従姉はたくさん話を振ってくれました。おしゃべりしながらギアを操作し、スイスイと車を運転する従姉。その姿は、当時高校生だった私の目にとてもかっこよく映ったのを覚えています。 おかげで無事ショーツを購入し、ピンチを乗り切ることができました。 お正月というおめでたい日にまさかの生理になってしまい、パニックになってしまった私。しかし、従姉の気づかいのおかげで、少しだけ「シートを汚してしまわないか」という不安や緊張が和らぎました。 生理は予定日より早くくるときもありますし、生理が突然きたからといって、すぐに生理用品を買いに行けるとは限りません。特にお泊まりのときは、いつもと違う環境で対処するのも大変です。念には念を入れて、生理予定日が近くなくても生理グッズを持ち歩こう……と学んだ出来事でした。 著者/石原優子作画/モリナガアメ 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター モリナガアメ
2024年06月09日〇に入る文字は分かりますか?脳内トレーニングをスタートしましょう。意外と聞き覚えのある単語が完成しますよ。「お〇う〇」に当てはまる言葉は?意外と難しいこのクイズ。上記の空白に文字を入れると、馴染みのある単語が完成します。ヒントは、お正月に食べる人も多いはず!あなたはどんな文字が入るかわかりましたか?正解を知りたい人は、もう少しスクロールしてみてください。正解は…正解は「お雑煮」でした!正月といえば…で想起する人も多いのではないでしょうか。具の種類や餅の形、出汁など地域によってお雑煮のレシピも変わってくるので調べてみてくださいね。あなたは分かりましたか?身近なものをクイズにして、あなたも家族や友だちと一緒に楽しんでみてくださいね。※解答は複数ある場合があります。
2024年06月08日皆さんは、義家族から理不尽な要求をされた経験はありますか? 今回は「勝手に同居を決める義妹」にまつわる物語とその感想を紹介します。正月に帰省する弟家族母と2人で暮らしている主人公。主人公は毎年正月に帰省してくる弟家族のことで悩んでいました。弟も義妹も高齢の母に家事と子どもの世話を押しつけて、一切手伝おうとしないのです。主人公が少しは母を気遣うよう注意すると、義妹は「口うるさい」と非難してきます。ある日、突然「お義母さんと同居してあげます」と言い出した義妹。弟家族が常に家にいることを想像した主人公は「地獄なんだけど…」と反対します。ところが義妹は「お義姉さんにはこれを機に家を出てもらいますから」と言い出して…。勝手に決められる出典:Youtube「Lineドラマ」義妹に家を出ていくよう告げられて「なに勝手に決めてるのよ」と反論する主人公。すると義妹は、主人公が家を出ていくことは同居するうえで譲れない条件だと言います。そして「義母との同居だけでもストレスなのに、小姑つきなんて無理!」と続けた義妹に、主人公は愕然とするのでした。読者の感想同居をしても母の負担が増えるだけならば、主人公が反対したくなる気持ちもわかります。さらに勝手に家を出ていくことまで決められて、主人公が納得できるはずがないと思いました。(30代/女性)高齢の母を気遣ってほしいというのは当然の頼みだと思いますが、それを口うるさいと言われたら腹が立ちますね。同居したら、毎日母が家事と育児を押しつけられてしまうと思うと心配です。(50代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年06月02日皆さんは、義家族の発言で悩んでしまったことはありますか?今回は帰省を否定する夫と義母の話とともに、そんなときの対処法をアンケートをもとに紹介します。イラスト:CHIHIRO話を聞いていた娘が…年末年始はいつも義実家に帰省していた主人公。ある日、主人公は「うちの実家に行きたいんだけど…」と夫に提案しました。しかし夫は「行くわけない」と一蹴。義母まで「非常識な人」と言い出し、2人で主人公を全否定してきて…。出典:CoordiSnap主人公の意見を一切聞き入れず「正月は夫の実家に行くのが普通」と言い出した義母。夫も義母の加勢で得意げにするなか、話を聞いていた娘が「私はママの実家に行きたい」と言いました。すると息子も「ママのばあばに会いたい!」と言い出したため、娘は3人で実家へ帰省することを決定。娘に見捨てられてしまった夫は唖然とします。こうして娘が状況をすっかり変えてくれたのですが…。それでも義母は「正月はうちに来なさい!」と激怒するのでした。こんなとき、あなたならどうしますか?勝手に実家へ帰る義実家には何度も帰省しているのに、実家への帰省に反対するなんてひどいですよね。夫と義母には内緒でこっそり実家に帰省し、両親に現状を相談します。(20代/女性)両親に注意してもらう夫と義母が実家に帰らせてくれないことを両親に言います。嫁の言い分は聞いてくれないと思うので、両親から注意してもらいます。(30代/女性)今回は実家帰省を全否定する夫と義母の対処法を、みなさんのアンケートをもとに紹介しました。もし同じような出来事があったときは、ぜひ参考にしてみてください。(CoordiSnap編集部)※こちらの記事はみなさんから寄せられたアンケートをもとに作成しています。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。
2024年05月25日皆さんは、義家族の行動にイラッとしたことはありますか?今回は「食事の支度を押しつける義家族」を紹介します。イラスト:natsuzora12お盆や正月での親族の集まり義実家で開かれるお盆や正月での親族の集まりでのこと。結婚してから、お盆や正月の食事の支度を1人でこなしてきた主人公。誰も手伝ってくれないことに不満がありつつも、家族として認めてもらいたいため頑張っていました。ある年、妊娠中だった主人公が食事の準備を断ると、義姉から「年に何度もあることじゃないんだから我慢してよ」と言われます。義家族は外食へ出典:CoordiSnapそれでも主人公は「体調が悪いので作れないです…」とはっきり伝えました。すると、義家族は「みんなで美味しいものでも食べに行きましょう!」と言って、主人公だけを残し外食へ。余りの仕打ちに、我慢の限界に達する主人公なのでした。我慢の限界妊娠中の主人公の心配もせずに、外食へ出かけてしまった義家族。認めてもらうために今まで頑張ってきた主人公に我慢の限界がきてしまったエピソードでした。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。(CoordiSnap編集部)
2024年05月16日娘が生まれて、初めてのお正月のことです。実家にとって初孫だった娘は、親戚中からかわいがられていました。そんな中、いつもやさしい義姉が予定していた帰宅日よりも早くに突然ひとりで帰宅。義姉には不妊治療の悩みがあったことをあとから聞きました。もっと配慮すればよかったなと私が後悔したエピソードです。 初孫がいる初めてのお正月私の娘が生まれて、初めてのお正月の出来事です。実家にとって初孫だった私の娘は、親戚一同の注目の的になっていました。 みんなにちやほやされて、娘はとてもご機嫌。親戚も「小さい子がいると賑やかでいいねー」などと言って、娘の誕生を喜んでくれていました。 私の兄夫婦はまだ子どもがいませんでしたが、義姉はキャリアウーマンだったので、まだ仕事を優先したいのかな? なんて私は思っていました。 突然帰宅してしまった義姉しかし翌日、朝から義姉が「習いごとの予約が取れたから帰ろうかな……」と言い、その日のうちにひとりで帰宅してしまったのです。兄にあとから聞いたのですが、義姉は不妊治療に通っており、なかなか良い結果が出ていない状況だったそうなのです。義姉が不妊で悩んでいるとは知らなかった私。 義姉はやさしい人で、私の娘ともたくさん遊んでくれて、子育ての話も積極的に聞いてくれていました。親戚も不妊のことは知らなかったので、軽い気持ちで「今度は○○(兄夫婦)の家の子だね!」などと言っていました。 親戚も私も悪気はなかったのですが、義姉は内心つらかったのだとあとから気がついたのです。 その後の義姉との関係それからおよそ1年後、兄夫婦は無事に子どもを授かることができました。義姉の子宮にはポリープができていたようで、切除したところすぐに自然妊娠ができたそうです。兄夫婦はやっと授かった赤ちゃんを溺愛しています。 私は写真共有アプリで姪の成長を見ているのですが、兄一家は頻繁に家族でおでかけをしているようです。姪はいつも兄夫婦からたくさん話しかけてもらっていて、きっと兄夫婦のもとに生まれて幸せだろうなぁと感じています。 今では義姉とはお互いの子どもを遊ばせ、子育ての話もたくさんできるようになり、良い関係を築けています。 この出来事で、子どもが欲しくても授かれない人がいることを改めて認識しました。そして、子どもをなかなか授かれない人は、そのことを自分からは話さないだけで、内心とても悩んでいるのかも知れません。子どもがいるとつい子どもの話をしてしまいがちですが、今後はもっと相手のことを考えて付き合っていこうと感じました。 イラストレーター/山口がたこ 著者:本田 ひな2歳女児の母。管理栄養士として保育園に10年勤務した経験と、投資歴13年の経験を生かし、栄養やお金について執筆中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月02日岡崎体育の連載「体育ですけど、オンガクです」。今回のテーマは「花粉症」です。先日、「正月から取り憑かれたように毎日ヨーグルト食べてたら花粉症治ってんけど」とXにポストしたら、それが瞬く間に拡散され、ネットニュースにまでなって驚きました。きっと、それくらい花粉症に苦しめられている人がたくさんいるのでしょう。僕も昨年まではそのうちの一人でした。発症したのは20代前半の頃。年々ひどくなり、ここ数年はくしゃみは止まらないし、目が痒すぎて開けていられないほど。夜も鼻が詰まって眠れなくなるし、本当に「春、キライ!」という状況でした。花粉症は、ミュージシャンという稼業にとってかなりの天敵です。鼻声ではレコーディングもろくにできませんし、喉がイガイガしていてはライブにも支障が出まくりです。僕もこの春Zepp Tourが控えていたので、花粉症がひどくなったら嫌やなと思っていました。花粉症対策は、もはやミュージシャンとして欠かせないものなのかもしれません。業界の先輩方からもさまざまな治療法があることを教えてもらっていました。あそこのお医者さんがいいだとか、舌下治療が効果あるとか…。しかし、僕は今年自力で脱・花粉症を実現しました。きっかけは、口臭予防でヨーグルトを食べ始めたことです。実践したことも、Xに事細かにポストしました。僕がやったことは、(1)継続期間は今年のお正月から2か月間ほぼ毎日ヨーグルトを摂る。(2)1日2回(朝と寝る前)。(3)ヨーグルトの種類はコンビニに売ってる飲むヨーグルトの大きいサイズのやつ(朝)と、スーパーに売ってる4個セットのやつ(寝る前)。これを続けていたら、みんなが「今年の花粉はひどい」とどんなに言っていても、花粉症らしい症状が出ていません。ヨーグルトは腸内環境を整えてくれるので、それがよかったのかなと思っています。あとは、花粉が飛び散る前からやっていたのがポイントだったのかなとも思いました。これが万人に効くのかどうかと言われるとエビデンスが僕1人なのでなんとも言えませんが、そういう方法もあるんだと参考程度にしていただけたらと思います。春の花粉シーズンはそろそろ終わりますが、このヨーグルトルーティンをいつまで続けるべきかを実は今、悩んでいます。やめた途端、なにかしらの花粉アレルギーが始まったらどうしよう?と怖くて。謎のヨーグルト療法カルマを背負ってしまっています……。おかざきたいいく自身初となるEP『Suplex』(SME レコーズ)配信中。「岡崎体育 Zepp Tour 2024」開催中。4/27名古屋、4/29福岡、5/12大阪(ベイサイド)、6/2東京(ダイバーシティ)。※『anan』2024年5月1日号より。写真・小笠原真紀ヘア&メイク・大矢佑奈(KIND)文・梅原加奈(by anan編集部)
2024年04月28日皆さんは、お年玉をあげた経験はありますか? 今回は「間違いを認めない義妹」にまつわる物語とその感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!正月に帰省毎年、正月の帰省で甥っ子や姪っ子たちに会うのを楽しみにしていた主人公。今年は初対面になる義妹の娘にも会えるということで、特別楽しみにしていました。帰省当日、主人公は甥っ子や姪っ子たちに向けて毎年恒例のお年玉じゃんけんを始めます。それは主人公とじゃんけんをして、勝ったらお年玉がもらえる簡単なゲームです。勝つまで挑戦できるため、最終的には子どもたち全員がお年玉をもらえます。さっそくじゃんけんをすると、兄の子どもたちが勝利して…。お年玉をあげる出典:エトラちゃんは見た!じゃんけんに勝った兄の子どもたちにお年玉をあげた主人公。負けてしまった義妹の娘には、再挑戦があることを伝えようとしました。しかし次の瞬間、義妹が「娘にもお年玉あげなさいよ!」と文句を言ってきたのです。主人公が慌てて誤解を解こうとするも、義妹は聞く耳を持ちません。幸い両親が義妹に事情を説明し、主人公もすぐに義妹の娘にお年玉を渡しますが…。義妹は「本当はあげるつもりなかったんじゃないの?」と主人公に言い放ったのです。そして怒った義妹は「帰るわよ!」と言って、弟と娘を連れて帰ってしまったのでした。読者の感想子どもたちを楽しませるために企画したゲームで、義妹の誤解を生むとは主人公も想定外だったと思います。誤解だと知ったあとも、間違いを認めない義妹の態度に呆れました。(20代/女性)子どもたちを楽しませるためにした主人公のゲームは素敵ですね。主人公の配慮も考えず、一方的に文句やイヤミを言う義妹には悪い印象を覚えました。(40代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年04月26日富山県氷見市にて宿泊事業等を行う株式会社匠屋は、2022年より氷見の観光拠点にあたる「ひみ番屋街」にて、氷見の新しい名物を目指し、地元素材を活かしたこだわりのプリン専門店「ひみぷりん」を運営しています。正月に発生した能登半島地震の影響で沈んだ観光業を盛り上げるべく、新たな土産商品を開発。氷見から少しでも良い情報を発信できるように、富山県産米粉を活かしたグルテンフリーフィナンシェ「カモメの卵ふぃなん」を発売いたします。幸運の鳥“カモメ”の卵をイメージした、身体にやさしいフィナンシェ■富山県産米粉を活かしたグルテンフリーフィナンシェ「カモメの卵ふぃなん」とは正月に発生した震災の影響もあり、富山県全体でも観光のお客様が激減し、2024年に入ってからは、少し暗い雰囲気を感じていました。そんな中で、少しでも地域に明るい情報を届けるために、地元の食材を活かし、「ひみぷりん」に続く、新たな氷見を代表する観光土産を作ることができないかと考えていました。そこで、富山は米の産地で米粉がたくさん作られていることや、当店のロゴモチーフにもなっている 幸運を象徴する鳥「カモメ」が多く飛ぶ氷見の地域イメージと合わせ、米粉のフィナンシェを開発。グルテンフリーのため身体にやさしく、小麦アレルギーの方も食べられるスイーツに仕上げています。また、港町ではカモメのことを「船にカモメがいると幸運を運んでくれる」「もうすぐ家に帰れる」などの意味を持つと信じられています。今回の商品は、そんなカモメの卵をイメージしており、「また氷見に来て楽しく観光してもらいたい」という想いを込めて作りました。■米粉の風味と香ばしさが感じられる、癖になる味わい富山県産の米粉で作るフィナンシェは、少しカリっとした食感にもっちりとした生地が特徴で、米粉の風味や味わいが口いっぱいに広がる、香ばしいフィナンシェです。また、サイズが小ぶりで非常に食べやすく、身体にも負荷の少ないフィナンシェのため、何個食べても手が止まらない癖になる商品です。■今後の展開「ひみぷりん」では、今後もさらに地元富山の素材を活かした商品開発や地域事業者とコラボしたイベント等を実施し、富山県や氷見を盛り上げていこうと考えています。そして、当店のプリンやフィナンシェが多くのお客様に愛され、新たな氷見の定番土産となるように、美味しいスイーツづくりに日々精進していきたいと思います。■店舗概要店舗名: ひみぷりん所在地: 富山県氷見市北大町25-5 ひみ番屋街内営業時間: 8時30分~17時00分※売り切れ次第終了となります。定休日: なし(急遽、休みの場合はSNS・HPに発信いたします)(出典元の情報/画像より一部抜粋)(最新情報や詳細は公式サイトをご確認ください)※出典:プレスリリース
2024年04月23日私の義両親は、孫にまったく関心がないのか、ただ気をつかっているのかわかりませんが、一切無関心です。誕生日のプレゼントはもちろんのこと、お年玉やお小遣いを一度も孫にいただいたことはなく、会いたいと言われたことも一度もありませんでした。孫の存在をどう思っている?義両親にとっては、2・3人目の孫として生まれたわが子どもたち。1人目が生まれたときは、義両親が病院に会いに来てくれたので喜んでくれていると思っていました。しかしその後、誕生日はもちろん、正月に会いに行ってもお年玉やお小遣いをもらったことはありません。義両親は、嫁である私に「気をつかっているのかも」と思った時期もありましたが、そうでもなさそうです。また、義両親はそれなりに裕福な生活をしていて旅行も頻繁に行っているので、お金がないわけではありません。私が義両親にとって気に入らない存在なのかな、と考えたこともあります。もともと息子である夫も頻繁に義両親と連絡を取っているほうではないものの、義両親から連絡が来ることはほぼありません。会いたいとも思わない?そんな義両親なので、孫が懐くわけもありません。どんどん義両親と会う機会もなくなっていき、子どもたちも「行きたくない」と言うようになっていきました。子どもにとっては、正月ならお年玉をもらうことが楽しみなもの。それがもらえないとなると、行きたくないと思う気持ちもわからなくはないので、無理に連れていこうとは思いませんでした。一度、夫がお年玉について義両親に聞いたことがあったのですが、「無駄遣いするだけのためには渡せない」と言われたそうです。いつも一方通行で義両親は近況報告などの連絡をしてくるわけでもなく、こちらから送ってもそれに対して返信があるわけでもありません。こちらからの一方通行で、連絡をすることも少なくなっていきました。さらに義妹が義両親にとって4人目の孫を生んだことにより、うちの子どもたちは今まで以上に無関心な態度を取られるのかと思うと、会いに行く気も今まで以上になくなってしまいました。まとめ子どもたちはどんどん大きくなっていき、そして義両親はどんどん年老いていきます。連絡をして会いに行ってもいいかと聞いてもあまりいい返事はないので、このままの関係を続けていくことに本当に悩んでいます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/まゆまゆイラスト/sawawa著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月21日私は夫の両親と同居していましたが、田舎だったので不便なことが多く、思い切って便利な郊外に引っ越しました。しかし、引っ越して1年もたたないうちに義母がアルツハイマー型認知症と診断されてしまい、嫁である私は今後どうしたらよいのかわからない状態に。そんな私の体験談です。新しい場所でスタートした矢先に賃貸ですが眺めの良いマンションに引っ越して、新しい環境にも慣れ始めていたところ、義父から連絡が。義母が何回も同じ話を繰り返す、置いた物の場所をすぐに忘れてしまうということがひどくなり、病院に連れて行ったそうです。病院では初期のアルツハイマー型認知症と診断されましたが、生活に影響するような症状は見られないので、服用薬で進行を緩やかに保っている状態だと聞きました。それを聞きつけた遠方に嫁いだ夫の妹が帰省し、義母の様子を見に行ってくれました。1週間ほど滞在したらしいのですが、特に介護らしいことをする必要もなく、買い物に連れて行ったことなどを話してくれました。夫の妹はもう少し長く義母のもとにいるつもりでしたが、心配して帰ったのに「なんで帰ってきたの?」「私を年寄り扱いしないで!」と怒られたそうです。義母に会うのは勇気がいること夫も仕事帰りに義母の様子を見に行っていましたが、追い返されるので喧嘩して帰ってくることも。そこからあまり実家に行かなくなってしまいました。一緒に暮らしている義父が普段から動くことが好きな人なので、義母とごはんを食べに行ったり旅行に連れ出したりしているため、少し安心していました。私は車を運転しないのですが、最寄り駅からも離れた場所に夫の実家があるため、なかなか会いに行けません。それを理由にして、頑張れば行くことはできるのですが、あえて義母宅には行かないようにしていました。症状は軽いとはいっても、アルツハイマー型認知症の義母に会うのが少し怖かったのです。夫も「正月とかお盆に一緒に帰ればいいよ」と言ってくれました。お正月に帰省して新しい年を迎え、夫と子どもと家族で、久しぶりに義母に会いに行くことに。どのくらい病状が進んでいるのか聞いていなかったので、不安に思いながら玄関のドアを開け台所に向かうと、普段と変わらない様子で義母が料理をしていました。「あらー、よく帰ってきたね」と忙しそうな動きを止めて迎えてくれ、私は少し安心しました。しかし、話は普通にできますが、料理をしようとすると冷蔵庫に入れていたお肉を何回も外に探しに行ったり、お寿司があるのに白米を炊こうとして義父に怒られています。お肉を焼こうとするとどうしたらよいのかわからなくなり、挙句の果てには何から手を付けるか混乱し、完全に義母の動きが止まってしまいました。座り込んでしまった義母に代わり、私と娘でお肉を焼き、お寿司やおせちを並べて料理を完成させました。まとめ義母宅から帰宅後、アルツハイマー型認知症のことをいろいろネットで調べて、症状や段階に応じた付き合い方を考えました。子どもや夫にも情報を共有し、これからのことをよく話し合っています。症状が劇的に軽くなることはないと思うので、じょうずに向き合っていけたらと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/陸えま子ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月18日私は23歳の主婦。酒屋を営んでいる夫と結婚し、義実家で義両親と同居しています。義両親とは、「いつもうちの店を手伝ってくれて、感謝しているよ」と言われるほど仲良しなのですが……。今年は義実家で迎える初めてのお正月。大晦日もみんなで働いていたので、おせち作りは年明けです。私はもともと料亭で働いていたため、日ごろの感謝の気持ちを込めて、おせちを作ることに。私は、お正月に帰省する義姉と甥との久しぶりの再会を楽しみにしていました。 「家政婦、お茶~」義両親と夫が外出したとたん、義姉の態度が豹変!翌日、帰省した義姉と甥。義両親や夫には笑顔で接しているものの、私にはどこか冷たい態度。しばらくして義両親と夫が商店街の用事で外出すると、義姉の態度は豹変したのです。 「ちゃんと家事やってる? いいお嫁さんになるように、私が教えてやらないとね」などと言い、「家政婦、お茶~」と言うではありませんか! 「あなたに立派なお嫁さんになってほしいだけよ。おせち、ちゃんとやっときなさいよね!」と言って、親子で昼寝を始めたのです。 義姉のあまりにも失礼な態度に、私は我慢の限界!私はある作戦を思いつきました。 義姉の知られざる過去が明らかに!自分勝手な義姉のその後義両親と夫が帰ってきて、いよいよおせち作りの時間。 おせちの箱の中に、「今朝、義姉さんから家政婦と呼ばれてがっかりしました。実家に帰ります。」というメモを入れておいたのです。 「お前、家政婦呼ばわりしたのか!」 みんなに詰められ、焦った義姉はオロオロしながら「私、羨ましかったのかも。謝りたい……」と言い、自分のことを話し始めました。実は義姉は、夫の母から家政婦呼ばわりされて苦しんだ経験がありました。それがトラウマになってしまっているとのこと。「でも、この話はあの子には関係のないこと。私が子どもじみていただけ」とみんなに謝り、私に謝罪の電話をかけてきたのです。 許すことにした私は、家に戻ってきて全員でおせち作りをすることに。料理をしながら私は義姉といろいろな話をして、すっかり意気投合! 最高のおせちを作って、最高のお正月になりましたよ。 相手と合わないと決めつけず、腹を割って話をしてみると、わかりあえるケースもあるのですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月12日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。イラスト:エトラちゃんは見た!正月恒例の“お年玉じゃんけん”ある正月、主人公は夫と娘を連れて義実家へ帰省します。義姉や親戚たちも勢ぞろいで、義実家は大賑わい。すると1人の子どもが「お年玉じゃんけんをしよう」と発言。そのゲームに主人公の娘も参加することに。しかし娘は負けてしまい、娘だけお年玉を貰えませんでした。主人公は激怒出典:エトラちゃんは見た!子どもを差別するかのようなゲームを見かねた主人公は…。「どうしてうちの子にお年玉あげないの?」と激怒。問題さあ、ここで問題です。義姉がお年玉を渡さなかった理由とは?ヒントその理由はお年玉じゃんけんのルールにありました。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:エトラちゃんは見た!正解は「主人公の娘が勝ってからお年玉をあげるつもりだったから」でした。主人公は義実家独自のゲームのルールにウンザリし…。「本当はあげるつもりなかったんじゃないの?」と言い残して帰宅します。そんな主人公に呆然とする親戚一同なのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年04月09日大人気マンガシリーズ、Lineドラマさんの『勝手に子どもを仕事場で遊ばせる義姉』を紹介します。義姉は突然「あんたの部屋にあったおもちゃ、渡しなさいよ」と主人公に言いました。なんと、甥へのクリスマスプレゼントを買うための費用を浮かせるために、主人公の部屋にあるおもちゃをあげようと考えたのです。主人公が断っても、義姉はいつものように文句を言うばかりで…。≪HPはこちら≫前回のあらすじ出典:Youtube「Lineドラマ」勝手に子どもを仕事場で遊ばせる義姉#7出典:Youtube「Lineドラマ」文句ばかり言う義姉出典:Youtube「Lineドラマ」いくら煽られても変わらない出典:Youtube「Lineドラマ」誕生日や正月には…出典:Youtube「Lineドラマ」ケチだなんて心外出典:Youtube「Lineドラマ」すると義姉は…出典:Youtube「Lineドラマ」勝手に部屋に入った?出典:Youtube「Lineドラマ」声を荒げる主人公出典:Youtube「Lineドラマ」次回予告出典:Youtube「Lineドラマ」要求を拒否した主人公に対し「なんてケチな男なの?」と罵る義姉。しかし主人公はこれまで、誕生日や正月にお小遣いやお年玉をあげていたため「ケチだなんて心外です」と返しました。すると義姉は「そういう態度なら私にも考えがあるんだからね」と言い…。数日後、なんと勝手に主人公の部屋に入ったのでした。その後身勝手な振る舞いばかりの義姉に下った天罰とは一体何だったのでしょう…?※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(CoordiSnap編集部)
2024年04月06日私は30歳の専業主婦。結婚したばかりの夫と穏やかに暮らしています。義父は既に亡くなっているのですが、義母とは仲良し。しかし、自称インフルエンサーの義姉が本当に常識のない人で……。義姉がSNSに悪口を書いていた!ある日、義実家で親戚の集まりがありました。料理の話になり、義母と夫が私の料理を褒めてくれていたのですが、義母の背後で義姉がものすごい目つきで睨みつけていたのです……! 不気味に思ったのですが、その日は帰宅。数日後、夫が飲み会のため1人で簡単な料理を作って食べていると、急に義姉が押しかけてきました! SNSで私の悪口を……そして、食卓の料理を見ると「モヤシ炒めに味噌汁……! 控えめに言ってもまずそう」と言ってきたではありませんか!唖然としていると、勝手に写真まで撮って帰って行ったのです。 そして、嫌な予感は的中。義姉は自分のSNSに「弟のメシマズ嫁の料理、まずいモヤシ炒め」と写真とともに悪口を投稿していました。 義母と夫に怒られて義姉は投稿を削除しましたが、反省している様子がありません。それどころか、「もうすぐお正月なんだし、私のおいしいおせちと、あんたのマズイおせち、親戚皆に食べ比べてもらいましょ」と義姉は言い出しました。 料理は私の得意分野。仕返しスタートです! 知られざる素性が明らかに!自分勝手な義姉のその後いよいよお正月。親戚が集まる前で私たちはおせちの蓋を開けました。私のおせちを見て、親戚一同「おいしそ~う!」「プロが作ったおせちみたい!」と目をキラキラさせています。 それもそのはず、「妻は元プロの料理人なんだ。妻の料理のファンも多いんだぞ」と夫が真実を打ち明け、義母と一緒にSNSでの書き込みについて義姉に説教を始めました。私との差を痛感した義姉は、ようやく反省した様子。結局義姉は自立した生活を送るためにも、義実家を追い出されたそう。人と比較して優位に立とうなんて、常識外れもいいところ。これからは人と比べるのではなく、自分で幸せを掴んでほしいものです。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月06日些細なトラブルやイライラが解決し、心がスッキリする瞬間は誰にでもありますよね。この記事では、読んでいて日常の小さな”スカッと”を感じられる物語とユーザーからの声を紹介します。※この物語はフィクションです。(CoordiSnap編集部)イラスト:モナ・リザの戯言義母に嫁イビリをされ…結婚し、義実家で同居していた主人公。義母は息子を溺愛し、主人公は嫁イビリを受けていました。結婚して2年半が経ったころの話です。義母に突然「3年子なしは嫁でなし!」としきたりについて言われた主人公。しかし、義姉に話を聞くとそのしきたりは嘘だと判明し、主人公は反撃を決意します。正月の親戚会で、皆にしきたりのことを話した主人公は…。「夫と離婚しないといけません」と報告したのです。すると親戚たちは「え!?」と驚愕して「そんなしきたり聞いたことがない」と口々に義母を責め…。義母は大焦り出典:モナ・リザの戯言結果、義母は本家で鍛えられることになります。しかし義母は「あんたのせいだ!あんたが行ってきなさい!」と言い出し…。夫も「母さんがかわいそう」と発言したことで、状況が一変するのでした。読者の感想主人公を追い出すために勝手にしきたりを作るなんて、義母の性格の悪さに呆れてしまいますね…。結局すぐに嘘はバレ、皆に責められていてスカッとしました。(30代/女性)本家で鍛えられることになったのに「あんたが行ってきなさい!」と言う義母は、往生際が悪いなと思いました。親戚たちが主人公の味方をしてくれてよかったです。(40代/女性)
2024年04月05日皆さんは、店でトラブルを見かけたことはありますか?今回は予約したと言い張る客の話とともに、そんなときの対処法をアンケートをもとに紹介します。イラスト:akiraお正月に怒鳴り声が…お正月の時期、福袋の予約をしていた主人公。店に福袋を受け取りに行くと…。出典:CoordiSnap主人公が訪れた店で、予約した福袋がないと言われ激怒している客がいました。店員に「予約の控えは…」と聞かれた客は「ない!でも絶対予約した!」と言い張ります。主人公が騒ぎを眺めていると、横の店の店員がやってきて…。次の瞬間「うちでのご予約ではないですか?予約表にもお名前がありますし」と、笑顔で言い放ったのです。どうやらその客のことを横の店の店員は覚えていたようで…。店員の一言で自分の勘違いに気づいた客は赤面。恥ずかしそうに帰っていく姿を見て、主人公は呆れるのでした。こんなとき、あなたならどうしますか?警備員を呼ぶヒートアップした話が通じない客と言い合いになってしまった店員がかわいそうですね。怒りのあまり暴れ出したら危険なので、直接注意はせず警備員を呼びます。(40代/女性)客の話を聞く店員の話を聞かずに一方的に激怒する客は、頭に血が上っている状態でしょう。冷静になる必要があると思うので、店員と客の間に入って話を聞いてあげます。(30代/女性)今回は迷惑な客がいたときの対処法を、みなさんのアンケートをもとに紹介しました。もし同じような出来事があったときは、ぜひ参考にしてみてください。(CoordiSnap編集部)※こちらの記事はみなさんから寄せられたアンケートをもとに作成しています。※こちらは実際に募集したエピソードをもとに記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。
2024年04月05日些細なトラブルやイライラが解決し、心がスッキリする瞬間は誰にでもありますよね。この記事では、読んでいて日常の小さな”スカッと”を感じられる物語とユーザーからの声を紹介します。※この物語はフィクションです。(CoordiSnap編集部)イラスト:モナ・リザの戯言義母に嫁イビリをされ…結婚し、義実家で同居していた主人公。義母は息子を溺愛し、主人公は嫁イビリを受けていました。結婚して2年半が経ったころの話です。義母に突然「3年子なしは嫁でなし!」としきたりについて言われた主人公。しかし、義姉に話を聞くとそのしきたりは嘘だと判明し、主人公は反撃を決意します。正月の親戚会で、皆にしきたりのことを話した主人公は…。「夫と離婚しないといけません」と報告したのです。すると親戚たちは「え!?」と驚愕して「そんなしきたり聞いたことがない」と口々に義母を責め…。義母は大焦り出典:モナ・リザの戯言結果、義母は本家で鍛えられることになります。しかし義母は「あんたのせいだ!あんたが行ってきなさい!」と言い出し…。夫までも「母さんがかわいそう」と発言しだして!?読者の感想主人公を追い出すために勝手にしきたりを作るなんて、義母の性格の悪さに呆れてしまいますね…。結局すぐに嘘はバレ、皆に責められていてスカッとしました。(30代/女性)本家で鍛えられることになったのに「あんたが行ってきなさい!」と言う義母は、往生際が悪いなと思いました。親戚たちが主人公の味方をしてくれてよかったです。(40代/女性)
2024年04月05日妊娠32週で生まれた娘は低出生体重児でしたが、生後2カ月を過ぎたころには体重が成長曲線内に入るようになりました。それでも離乳食の開始は、修正月齢で始めるよう医師から言われていました。しかし、娘が食べたそうにしていたこともあり、少し早めに離乳食を始めることにしたのですが……。離乳食は修正月齢で始めるように言われる娘は早産で生まれ、体重は2,047gの低出生体重児でした。生後は入院していましたが1カ月ほどで退院し、育児用ミルクをよく飲んでくれました。生後2カ月を過ぎると、体重は誕生日を起点とした通常の月齢で見ても成長曲線内に入るほどに。さらに生後4カ月になると成長曲線のど真ん中まで成長! 早産だったとは思えないほどふっくらした娘を見るとうれしくなりました。 しかし定期的に通っていた発達外来で医師から、「育児用ミルクでしっかり栄養がとれるから離乳食は急がなくて大丈夫。どうしても家族が食べているのを見て食べたがる、とかでなければ修正月齢の5、6カ月から始めましょう」と言われていました。 ※修正月齢:もともとの出産予定日から数えた月齢 食べたそう! …始めちゃえ!!医師からは離乳食はまだ始めないようにと言われたものの、家族で食事をするのをじーっと見つめる娘の姿を見ると、食べたそうに見える……。そう思った私は、「正期産と言われる妊娠37週で生まれたと仮定して、生後5カ月」、つまり修正月齢の5カ月よりも早いタイミングで離乳食を始めてみることにしました。 お粥を初めて食べた娘は「ん? なんだコレは??」という表情で、なんともかわいかったです。 食べない&うんちが真っ黒に!!離乳食を始めてお粥、野菜と食べる種類と量を少しずつ増やしてみましたが、娘はなかなか食べません。最初はこんなものかな……と考えていましたが、離乳食開始から半月ほど経った日、うんちの色が真っ黒になってしまったのです! 慌てて母子健康手帳のカラーページにあるうんちの色の見本と見比べても、一番濃い色よりも真っ黒。すぐにおむつを持って小児科に行きました。 医師からは、黒く見えるが濃い緑で、内臓系の血で黒くなっているというわけではないので問題ないと説明されました。ただおなかの音を聞くとグルグル鳴っているので、胃腸炎の可能性もあるとのこと。そのため娘のおなかの調子が落ち着くまで、離乳食はいったんお休みすることにしました。 離乳食を再開すると離乳食をお休みして1週間、娘の体調も安定したので離乳食を再開することに。そのとき娘は「修正月齢で見て、間もなく6カ月」でした。すると娘は離乳食をぱっくん、もぐもぐ。以前よりも食べる量が格段に増えました。 また、手で離乳食を引き寄せようとしたり口を開けて待っているなど、自分から欲しがる姿勢が見られ食べる意欲が出てきました。 早めに離乳食を始めて娘は体調を崩してしまったのかもしれません。体重は増えてきても早産だったため、体の中はまだ食べる準備ができていなかったのだと反省しました。現在娘は生後8カ月ですが、おいしそうに食べる姿はとてもほほえましいです。今後も焦ることなく娘のペースに合わせて、楽しく食べることを大切に離乳食を進めていきたいと思っています。 ※離乳食の開始時期の目安は、首のすわりがしっかりして寝返りができ、5秒以上座れる、スプーンなどを口に入れても舌で押し出すことが少なくなる、食べ物に興味を示すなどが挙げられ、生後5~6カ月ごろが適当とされています。ただし、子どもの発育及び発達には個人差があるため、月齢はあくまでも目安であり、子どもの成長・発達の状況に応じて進めるようにしましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:森まり子1歳3カ月差の兄妹ママ。ワーママとして時短勤務をしつつ、ライターとしても活動中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月04日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。イラスト:エトラちゃんは見た!我が家の正月恒例の“お年玉ジャンケン”で起きたトラブル主人公が正月に実家へ帰省したときの出来事です。今のところ主人公は独身ですが、兄と弟は家庭を持っていました。しかし、弟家族とは今まで一緒に正月を過ごしたことはありません。そのため、今回の帰省で初めて弟の子どもに会うことができました。主人公が会えたことに喜んでいると、突如兄の子どもたちから正月恒例のお年玉ジャンケンをせがまれます。お年玉ジャンケンとは主人公にジャンケンで買ったらお年玉をあげるというもの。もちろん子どもたちが全員勝つまでジャンケンを続けるルールです。何やら楽しそうな雰囲気につられ、弟の子どもも参加したがったので、一緒にお年玉ジャンケンを開始。その結果、弟の子どもだけが負けてしまいます。主人公が兄の子どもたちにお年玉をあげた後、もう1度ジャンケンを始めようとすると…。突然義妹が「娘にお年玉あげなさい!」と大声を上げました。義妹が激怒し…出典:エトラちゃんは見た!義妹の激怒する姿を見て、両親が止めに入り全員勝つまでジャンケンを続けることを説明。主人公も説明すべきだったと謝罪し…。弟の子どもには、ジャンケンなしでお年玉をあげることにしました。すると、この後義妹が衝撃的な発言をします。問題さあ、ここで問題です。どのような一言だったでしょう?ヒント義妹は主人公を疑い続けます。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:エトラちゃんは見た!正解は「本当はあげるつもりなかったんじゃないの?」でした。主人公に対するあまりの発言に反論する兄夫婦。すると、義妹は怒って「帰るわよ!」と言い、弟と子どもを引っ張って帰っていきました。後日、その場にいなかった主人公の弟は兄からの話で事情を知り、主人公たちに謝罪するよう義妹に注意します。しかし義妹は「なぜ?」と言って謝罪を拒否し、義妹と弟の仲に亀裂が入るのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年04月01日博報堂生活総合研究所、上席研究員の松井博代氏がSurfvoteで提起。「お正月の過ごし方」のような伝統・ルールを守る方がよいか?時代に合わせて変えていく方がよいか?Surfvoteで意見を集めました。SNSとテクノロジーで社会課題の発見・解決をサポートするPolimill株式会社(ポリミル、本社:東京都港区、代表取締役:横田えり、以下Polimill社)はこのたび、「行事・イベントの伝統やルールはどこまで守るべき?」というイシュー(課題)について2月29日に投票が終了しましたので結果をお知らせします。行事・イベントの伝統やルールはどこまで守るべき?博報堂生活総合研究所の隔年調査「生活定点」の中で聴取している「お節料理を食べる」「お正月のお飾り(をする)」「七草がゆを食べる」という意識は、1992年から緩やかにダウントレンドです。さみしさを覚える人たちがいる一方で、そもそも行事やイベントを行う必要があるのかという考えもあります。伝統やルールの最も大きな役割は、共通の価値観や歴史を共有し、結束感やアイデンティティを持つことができるところでしょう。しかし昔は当たり前だったものの、現代では事情が変わってきて実施や再現が難しいものもあると思います。もしかすると、社会構造や意識の変化で、社会的な不平等や差別を維持、もしくは助長するものに変わってしまっている場合もあるかもしれません。意見を投票できるSurfvoteで、行事やイベントの伝統やルールはどこまで守るべきかなのか?ひろく意見を募集しました。イシューはこちら: 投票の詳細イシュー(課題):行事・イベントの伝統やルールはどこまで守るべき? 調査主体:社会デザインプラットフォーム Surfvote(Webサービス)調査対象:Surfvote上でアカウントを持つユーザー調査方法:Surfvote上でアカウントを持つユーザーが投票投票期間:2024年1月5日〜2024年2月29日有効票数:55票投票結果とコメントの紹介(一部抜粋・原文ママ)伝統・ルールはできるだけ守って、今後にも伝えていった方がよい 32.7%できる限り守り次の世代に繋げていければいいと思います。伝統ってすごく細かいルールや意味あるのかなっていう所作などもあるが昔からそのやり方でやってきて何かしらの意味があるんだと思う。今っぽく変えてしまうことは簡単だが、昔のやり方で伝統を守っていくことが意味があることに感じます。伝統・ルールに縛られず、現代の人々がやりやすい、楽しみやすい形に変えていった方がよい 49.1%時代と共に、自分たちのやりやすいように変えていけばいいと思います。行事によっては昔のようにできるものもあれば、昔のように続けるのは大変なもの、両方あると思います。別にルールを変えたからって伝統を伝えられなくなるわけではない。昔はこうやってたけど今はこうだっていうのをわかっていればいいと思います。その他 16.4%そもそも伝統やルールができた当初は「なぜ生まれたのか」の理由があったはずです。それが現代では破綻しているのであれば、変えるべき。現代でも通じる(守っていく)価値があるのであれば残すべきだと思います。そもそもこの行事を何のために行うのかを考える機会が必要ではないでしょうか?わからない 1.8%現代に合わせて変えていくならそれは伝統文化ではないと割り切って楽しむべきなのかと思います。JUDOは柔道とは違うと思うんですね。同じように、伝統文化風のイベントとして楽しんで行く分にはいいと思います。このイシューを執筆した 松井博代氏博報堂生活総合研究所、上席研究員。2008年よりマーケターとして業務に従事。2013年には業務と並行として働く女性を研究する「博報堂キャリジョ研」を立ち上げ、女性のトレンド・インサイトや社会課題等を研究・発信してきた。2023年より現職で、現在は老若男女問わず生活者のインサイトや実態の調査・研究を行っている。情報の増大で判断や意思決定が難しい状況も増えている中、人間の直感や感性や潜在意識の活用に関しても興味を持っている。Surfvoteのアプリができました!あなたの意見・投票を社会のために活用しますSurfvoteでは社会におけるさまざまな課題や困りごとを「イシュー」として掲載し、どなたでもすべてのイシューを読むことができますが、アカウント登録をすると各イシューに投票したりコメントを書いたりできるようになります。私たちは、みんながさまざまな社会課題を知り、安心して自分の意見を言える場を提供したいと考えています。また、そこで集められた意見は、イシューの内容に応じて提言書に纏め関係省庁や政治家へ提出することもあります。 Polimill株式会社Polimill社は社会デザインプラットフォーム【Surfvote】を運営・提供するICTスタートアップ企業です。Surfvoteは現在、一般社会についての社会課題と各地方自治体の抱える社会課題(Surfvoteローカル)を掲載。ひろくみんなが意見を言える場を提供しています。あらゆる人がルール作りに参加し、価値観の変化やテクノロジーの進化に合わせた柔軟でスピーディーな制度改革ができるような社会を、SNSとテクノロジーで実現させたいと考えています。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年03月27日私は小学2年生の娘を持つ専業主婦。夫の兄弟姉妹やその子どもたち親族とは仲良くやっているのですが、義母だけなぜか私のことを目の敵にし、ことあるごとに嫌がらせを受けるように。それでも私だけならまだ我慢もできたのですが……。お正月に起きた出来事についてお話しします。元日早々嫌がらせこの年、私は元日から義母に嫌みを言われ続けていました。新年のあいさつが遅いだの、いつも親族の集まりで私がみすぼらしいので翌日の新年会にはもっときれいにしてこいだの、挙句には義父への態度がなれなれしいだの、とにかく文句のオンパレードです。おまけに、娘のことまで「嫁に似たせいか落ち着きがなくて発育が悪い」などとけなす始末。実の孫なのに、ひどい言いようです。挙句、「明日の新年会では、あなたやあの子の振舞いをしっかり見ているから。立場をわきまえて行動しなさいよ」とまで言われ、こちらはかなり憂うつになりました。それでも翌朝。娘にとっては祖父母やいとこたちと会える機会でもあります。私はグッと我慢をし、新年会のため義実家に向かいました。中身が空っぽのポチ袋恐れていた新年会を何とかやり過ごした私。義母とはできるだけ関わらないようにし、夕方無事に帰宅したのですが……。急に娘が泣きだしました。というのも、義母からもらったポチ袋の中身が空っぽだったのです。私は、お祖母ちゃんに拒絶されたと傷付いている娘を前に、これは反論せねばとメッセージを送りました。「お義母さん、うちの子だけお年玉がないそうですが」「他人の子にはあげないわよ」「親子そろって図々しいわね〜」「後悔しないでくださいよ」「どうして他人なんですか! この子もお義母さんの孫です。娘だけもらえなかったなんてかわいそうです」と返すと、「そんなでき損ないの不愛想な子、身内とは認めない」とまで……。しかも義母は、皆の前で同じ話を娘にしたらしいのです。これはひど過ぎます。さすがに私の我慢も限界。このまま許せるはずもない、と仕返しすることを心に決めたのです。それから数日後…「あんた、やってくれたわね」と義母からメッセージが届きました。どうやら、この寒空の下で家から追い出された様子です。「夫も娘も息子も、皆私を家に入れてくれないの! どうせあんたが何か吹き込んだんでしょ!?」と逆ギレしています。私は、夫はもちろん親戚一同が理解ある方々だと知っていました。そこで義母の大人げない言動について相談したのです。すると全員が、堂々と嫁への嫌がらせや孫への差別・暴言を続ける義母に前から嫌悪感を抱いていたのだとか。さらに義父も、散財が激しく思いやりのない義母との結婚をずっと後悔していたと吐露。結局、お正月のこの事件からひと月ほどたって2人は離婚し、義母はしぶしぶ実家へ出戻りしたそうです。一方の私たちは、義父のもとへ頻繁に顔を出すように。義父が娘を気づかってよく招いてくれるのです。義実家を嫌な思い出の残る場所にしてほしくないと言っていました。娘もお祖父ちゃんが大好き。他のいとこたちと分け隔てなく、かわいがってもらえています。--------------お嫁さんに対してだけでなく、血のつながった孫娘を全否定するこの仕打ちには、さすがに腹が立ちますね。母として娘を守るために立ち上がった結果、夫や義父、他の親族が味方になってくれてホッとしましたね。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年03月24日