「焦り」について知りたいことや今話題の「焦り」についての記事をチェック! (1/2)
2024年10月16日に放送されたバラエティ番組『世界頂グルメ』(日本テレビ系)で、ハワイを訪れた俳優の小泉孝太郎さんと、お笑いタレントの、やす子さん。2人はこれまでロケでの共演経験がなく、接点もほとんどなかったといいます。番組では『ハワイで叶えたい15のこと』と称して、日本ではできないハワイならではの体験や、フードを楽しみました。小泉孝太郎、やす子の本名を知り…ハワイのかき氷を食べに来た2人。受け取る際の名前をタブレットで記入する時に、やす子さんが『yasui』と入力すると、小泉さんは「やすい?」と不思議そうな表情を浮かべます。やす子さんが「本名『安井』っていうんですよ」というと、「テレビでは、いってないんでしょ!?」と大焦りな小泉さん。これまでも、本名は『安井かのん』と公表してきたやす子さんが、「いってはいるんです」というと、小泉さんはホッとし、「それを聞くと距離がグッと…」と心の距離が縮まったようです。なぜ本名ではなく、芸名にしたのかを問われると、やす子さんはこのように答えました。最初芸人しているのバレたくなくて、本名でやらないようにしようと思って『やす子』っていう芸名にしました。世界頂グルメーより引用やす子さんは、本名で活動する小泉さんに「病院とかでバレそう」と心配すると、「僕はもう、どこ行ってもバレちゃうから…」と有名家族のもとに生まれたがゆえの悩みを吐露。小泉さんは、芸名への憧れを見せていました。【ネットの声】・やす子さんの本名、初めて知った!・『かのん』ってめっちゃかわいい名前。・名字から取った芸名だったんだ。過去に「何も考えずにつけた名前」と、芸名について語っていたやす子さん。本名も有名になると、小泉さんのようにどこに行っても顔バレしてしまうかもしれませんね…。[文・構成/grape編集部]
2024年10月17日焦りは禁物!結婚前提の恋愛を始めるために気をつけたいこと恋愛において無謀に行動するとトラブルのもとになる可能性もあります。今回は結婚前提の恋愛を始めるうえで気をつけたいNG行動を紹介します。無計画な婚活イベントへの参加「ただ彼氏がほしい」「早く結婚したい」という一心で、手当たり次第に婚活イベントに参加する人もいますが、これは避けるべき行動です。自分が本当にどんな相手を求めているかを考えずに行動すると、出会いのチャンスをムダにするだけでなく、失敗も多くなります。まずは自分自身の気持ちをしっかり整理してから行動しましょう。元カレの友達との関係「すぐに彼氏がほしい」という思いから、元カレの友達と付き合うことを考える人もいるかもしれませんが、これも避けたい行動です。元カレとの縁を切り、新たな出会いのフィールドで運命の相手を探しましょう。自分を偽ったキャラ作り本当の自分とはかけ離れたキャラを作ってしまうと、付き合った後に窮屈さを感じることになり、別れることもあります。素の自分で臨むことで、自然な出会いと本物の恋を見つけることができます。急がず焦らずこれらの落とし穴を回避し、じっくりと相手を選ぶことで、素敵な結婚前提の恋愛が成就するかもしれません。急がず焦らず進めることで、幸せな恋愛を見つけましょう!(愛カツ編集部)
2024年01月17日周囲の人が次々に結婚していくと、焦りを感じる人もいるかもしれません…。今回は、結婚を諦めている彼氏と付き合っている女性のエピソードとその感想を紹介します。イラスト:おむ付き合っている人はいるけれど…主人公には、付き合っている彼氏がいますが…。彼氏は持病を抱えていたため、結婚のことは諦めていました。それでも彼氏と一緒にいたいと思っている主人公。しかし、付き合って数年経つと、友人たちがどんどん結婚していきます。友人から「結婚しないの?」と聞かれても、主人公は苦笑いで「うん」と返すしかありません。焦った主人公は…出典:愛カツそして主人公は、仕事先の男性に悩みを打ち明け、そのまま関係を持ってしまうのでした。罪悪感を抱きつつも仕事先の男性と連絡をとっていたところ、なんと彼氏から「一緒に暮らさない?」と言われます。それをきっかけに、仕事先の男性との関係を終わりにしようとしますが、そう簡単にはうまくはいかず…。仕事先の男性は、主人公から連絡がなくても会いに来てしまいます。主人公が仕事先の男性に「帰ってほしい」と言い、揉めていたところに彼氏がやってきて…。「なかなか結婚してくれない」と主人公が相談していたことを、彼氏の前で仕事先の男性が暴露してしまったのです。ショックを受けた彼氏は、これをきっかけに主人公と一切連絡をとらなくなってしまいます。主人公は、浮気をしたことを心の底から後悔したのでした。読者の感想彼氏と一緒にいるだけで、十分幸せだったはずなのに…。周りが結婚していくと、どうしても不安になってしまう主人公の気持ちは分かるなと思いました。(31歳/女性)私も持病を抱えているので、彼氏の気持ちを思うと複雑です。大事に思っていた彼女が、こんな裏切りをしていたと知ってしまったら、本当につらいと思います。(36歳/女性)※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。
2023年08月03日簡単に人間関係を崩してしまうお金。お金があれば不自由はしませんが、トラブルの元になることも。 今回は実際に募集した金銭トラブルエピソードをご紹介します!無職の焦りで…会社をやめて新しい仕事を探していたときのエピソードです。仕事をネットで探していたら、メッセージを送るだけで高収入!と明らかに怪しいサイトを見つけました。しかしそのときは会社をやめたばかりで「少しでも早くお金を稼ぎたい!」という一心から、そのサイトで手続きした結果…数百万円もの借金を負ってしまいました…。今考えると消費者金融からの借り入れを要求してきたり、LINEのメッセージ履歴を消すように要求したりと怪しいこと満載で…。出典:lamire典型的な副業詐欺の一例に、まんまとはめられてしまったと後悔しています…。弁護士に相談し半分ほど取り返せたのですが、それでも月数万は返済しているといった苦しい状況です。誰かに相談してから決めればよかったと思います…。(男性/無職)知人に頼まれて仕事したら…知人から「体調が悪く締切に間に合わない。仕事を手伝ってほしい」と連絡がありました。私が承諾すると、報酬は月末に振り込むとのこと。期日前に問題なく言われた仕事を済ませ、なんなら追加で別の仕事も手伝う羽目に…。ところが、月末に報酬が振り込まれなかったので、催促のメールを送りました。返信は言い訳ばかり…結局、次の月も振り込みされませんでした。振り込みがなくても生活に困る金額ではないのですが、逆に知人は振り込めない金額なのか…?と疑問に…。3ヶ月後、ようやく振り込まれました。このエピソードを共通の友人に話すと、全く同じことをされたというのです…!しかも友人は、長く続く振り込み遅延が面倒になり「もういいよ」と言ってしまったらしいです…。「もしかしたら、あなたがもういいよって言うのを待っていたのかもしれない」と言われました。金銭回収はこまめな催促と粘り強い態度を見せないといけない、とつくづく思いました。これからは、貸すも借りるもなるべくしない人生を歩みたいと思います。(女性/主婦)あなたの周りでもこんなこと、ありませんか?「金の切れ目は縁の切れ目」と言うように、お金はトラブルの元になりやすいみたいです。お金の貸し借りをするときには慎重にしないといけませんね。以上、金銭トラブル体験談でした。次回の「金銭トラブル体験談」もお楽しみに♪※こちらは実際に募集したエピソードを記事化しています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。"
2022年08月25日「もうすぐ彼と遠距離になるから……」「早く告白しないと彼を誰かに取られちゃう!」そんな風に焦って、彼との関係を進めようとしていませんか?でも、恋愛に焦りは禁物です。そこで今回は、思うように進展しない彼とのベストな距離の縮め方をご紹介します。■ 恋心がバレないようにアプローチ自分をアピールしたいなら、「彼を手に入れたい」「彼の恋人になりたい」などの下心が彼に知られてはいけません。なぜなら、いくら彼に優しく接したり気配り上手な部分を見せても、彼がもしあなたの気持ちに気付いていたら良い印象にはつながらないからです。人の心は、相手の下心に気付いてしまうと、親切な態度にも何か裏があるのでは?と身構えてしまいます。自分が好意を抱いていない人からのアプローチならなおさら、相手の気持ちに応えられない罪悪感から距離を置きたくなってしまうことも。自分を恋愛対象として見ていない男性を落としたいのなら、まずは自分の恋心がバレないように徹底してくださいね。■ 友達の立場で可能性を広げる気になる彼に早く振り向いてもらいたくて、いきなりデートに誘ったり、恋人候補のような振る舞いをしてしまう女性は多いでしょう。彼がすでにあなたを恋愛対象として見ていれば上手くいくかもしれませんが、それは大きな賭けでもあるのです。早い段階から恋愛対象としてアプローチをしてしまうと、彼があなたを深く知る前に「アリ」か「ナシ」か判断されてしまいます。一度「恋愛対象としてナシ」と彼が判断してしまうと、それを覆すのは困難。まずは、友達という立場で彼と頻繁に会う機会を作りましょう。その立場をキープしながら自分の長所をさりげなくアピールしていくことで、彼の中であなたの印象が良い方向に変化していくはず。友達として接していれば、彼が身構えていない分、彼のパーソナルスペースにすんなりと入りやすいのです。まずは彼に楽しい時間を提供して、彼のなかに自分の存在を育てていくことから始めましょう。■ ほかの出会いにも目を向ける努力をした上で意中の彼と思うように関係が進まないのなら、彼にとってあなたは「恋愛対象ではない」ことを疑ったほうがいいかもしれません。ただ、人の感情というものは時間と共に移り変わります。いつどこで、彼があなたを思い出し、状況が大きく変化するかは誰にもわかりません。そんなチャンスが来たときにしっかりと掴めるよう、彼とは細く長くつながっておくのもアリ。その場合、長期戦を覚悟しなければなりませんが、一人の男性に時間をかけるのは非効率的です。意中の彼との関係を細くキープしつつ、ほかの出会いにも目を向けて、今ある時間を有意義に過ごすことが大切ですよ。■ 恋は焦らずタイミングを待つもし、相手の男性もあなたに好意を持っていれば、二人の距離が縮まるのは早いはず。思うように進展しない関係の場合、あなたが彼の恋愛対象から外れていると考えられます。とはいえ、奥手な男性はたくさんいますし、今は可能性がなくても何かの拍子に彼の心が変わることは十分あり得ます。恋愛には、タイミングがとても重要。その瞬間まで焦らずに、二人の距離をじっくり縮めていきましょう。(杉子/愛カツライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2021年06月16日積極的にアプローチをしたものの、男性に引かれてしまった……。「早く彼氏が欲しい!」という焦りは、男性との距離感を遠ざけてしまうかもしれません!そこで今回は、彼氏が欲しいときこそ気を付けておきたいポイントをご紹介します。■ 主張強めの「まだ帰りたくない」「引いたと言えば、デートの帰り、駅で分かれる寸前になって『まだ帰りたくなーい!』とダダをこね始めた子ですね。最初は冗談かな?と思っていたんですが、『家に帰ってもヒマだし寂しい!』と、わりと強引にデート延長をリクエストされて……。正直、うんざりでした」(25歳・男性・公務員)こういった経験は筆者にもありますが、彼女でもないのに「帰りたくない!」と本気で言われると、困ってしまいますね。デートの時間が長いほど、付き合える確率もアップするというわけではありません。名残惜しい、もう少し一緒にいたい、というくらいで引き上げるのが、また「会いたい」と思わる秘訣です。■ 交際中に見える投稿をSNSに「職場に新しく入ってきた、年上の女性と初デート。その女性のSNSのアカウントを聞いていたので、デート後にSNSを見てみると……。写真がハートマークでデコレーションされ、『幸せ』『ずっと一緒にいたい』と書いてあって、さも付き合っているかのような投稿だったんです。さすがにこういうのは付き合ってからにしてほしいとおもいましたね」(29歳・男性・司法書士)ちょっとだけデートを匂わせる投稿なら、嬉しく感じる男性もいるでしょう。でも、ラブラブである既成事実を作るかのような投稿はさすがにやりすぎかもしれません。お付き合いをしたいなら、まわりにアピールよりも、まず相手を知ることから始めましょう。■ 色気と嫉妬のラッシュ攻撃「デートを重ねていくうちに、なんだか色気アピールが増えていった女性がいましたね。だんだん肌の露出が多くなってきて、短いスカートや体のラインが分かるような服ばかりで……。たとえ彼女であっても、ある程度慎みのある服装をしてほしいですし、付き合う気も失せます。おまけに、他の女の子とのLINEにまで嫉妬してきて……。彼女のようにふるまえば、彼女になれると思っていたのかもしれませんね」(32歳・男性・会社員)男性は意外と露骨な色気アピールを嫌うものです。真剣に恋をしたいと思っている男性ならなおさら。彼女の嫉妬なら可愛いものですが、付き合ってもいないのに嫉妬するのは、相手を困らせてしまうだけかもしれません。「仲良さそうでいいな~」くらいにとどめておくのがおすすめです。■ おわりに「○○をしたら彼女にしてくれるかも!」という安直な発想は、結局のところ交際を遠ざけてしまいかねません。デート中に可愛いなと思ってもらえても、「まだ彼女ではない」と思っておきましょう。誠実に相手に興味を持ち、ほどよく、少しずつ仲良くなっていくのがベストです!(橘 遥祐/ライター)(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2020年11月02日少し前のことですが、父親が2歳のお子さんを保育園に預け忘れて死亡させてしまったニュースがありました。そんな大事なこと忘れるなんて! と驚いた方も多いかもしれません。人は不安なことがあったり、逆に楽しくて気分が高揚しすぎているときも、心が焦りに支配されて、一瞬短期的な記憶が飛んでしまうことがあると言われます。さてあなたは「焦る気持ち」に陥りやすいタイプでしょうか。以下の簡単な心理テストをどうぞおためしください!Q.あなたはいま、鳥になっていて、大空をのんびりと飛んでいます。右手には真っ青な海が広がり、左手にはビルが立ち並ぶ市街地が見えています。頭上には太陽が照りつけ、下には白い砂浜がきらめいています。すると突然、目の前に大きな雲が現れ、何も見えなくなってしまいました。あなたの視界から最初に消えたものは何でしたか。1.右手の海2.左手の市街地3.頭上の太陽4.眼下の砂浜選べましたか? それでは、答えを見てみましょう。1、「右手の海」を選んだあなたあなたは自分の状況を冷静に判断する習慣がついているようで、突発的な出来事が起こってもそれに気持ちを奪われることなく、目の前のやるべきことに優先順位をつけて、こなしていくことができます。肝がすわっているので、焦りで何かを忘れるような失敗をあまり起こさないタイプでしょう。2、「左手の市街地」を選んだあなたあなたはしっかり者で責任感が強く、何事も計画的にきちんとこなしていくので、本来「焦り」に陥りやすいほうではありません。しかし、仕事など対外的な出来事でやるべきことが増えてくると、責任感の強さが裏目に出て、本来、感じない焦りから失敗することも。明日できることは無理せず繰り越しましょう。3、「頭上の太陽」を選んだあなたあなたは細かいことにこだわらないのんびりしたタイプなのですが、自分が経験したことがない出来事が起こると、とたんに不安が強くなり焦ってしまうことが。しなくて良かった失敗を引き起こしてしまうこともありそうです。「わからない!」と思ったら自分で解決しようとせず、周りの人を頼りましょう。4、「眼下の砂浜」を選んだあなたあなたは慎重で用心深く、石橋をかなり叩いてから渡るタイプなので、自分が予想していたことと違う出来事が突然、起こったりするとパニックに陥りやすく、焦りに心が支配されやすくなります。「どうしよう!?」と思ったら、まず深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、何をすべきかひとつずつ確認しましょう。いかかがでしたか? 忙しい時ほどあれこれやろうとせず、気持ちに余裕を持っていたいものですね。実は男性のほうが一般的にマルチタスク(複数のことを同時に行う)が苦手な傾向があります。それは右脳と左脳をつなぐ脳梁が女性に比べ細い人が多いからだと言われていますが、あなたの夫はマルチタスクに対応しやすいタイプでしょうか。詳しいテストをご用意していますので、そちらもご覧ください。 「頼んだことを忘れちゃう!あなたの夫のマルチタスク許容度は?」 ママが気になる心理テストがいっぱい! 子育て診断はこちら
2020年08月15日この部屋には現在進行系のものしかないby Studio 7042今の住まいに越してから、半年が経とうとしている。引っ越した当初は、「寂しくなったらどうすればいいんだろう」「掃除が苦手だから、部屋がどうしようもなく汚くなってしまうんじゃないか」というような不安を覚えていたけれど、どちらも杞憂に終わっている。毎日が慌ただしく過ぎていくから寂しくなることもそれほど多くはないし、私は自分が責任者となるようなところでは苦手なことでも最低限のことはきちんとする性格のようだった。今のところ、部屋もきれいだ。部屋をきれいに保てているのにはもうひとつ理由があって、ほとんどものがないからだった。もともと住んでいた部屋は、CDと漫画と服で溢れかえっていた。けれど、整理をしてみるとほとんど必要のないもので、恐らく所有物の2、3割程度しか今の住まいには持ち込んでいない。ものが多いのに捨てられないから、私は掃除が苦手だったのかもしれない。それから、今の住まいのなかで一番古いものは、中学1年生の頃に買ったジョージ朝倉の『恋文日和』だった。大好きな漫画だ。色紙や写真など、思い出みたいなものを残しておくことが苦手で、それらしいものは何もない。本当にすべて捨ててしまった。今私がいるこの部屋は、現在進行形で私を構成するものでできている。新しい場所に移るとき、昔の思い出を持ち越さないのは人間関係でもそうだった。私には、「地元の友達」という存在がひとりもいないし、中高の友達すら、誰とも連絡を取っていない。それだけならまだよくて、最近は大学の友達ともなんだか疎遠になりそうな気がしている。彼女たちから連絡がくると、中学高校の同級生から連絡を立て続けに断っていたときのような、同窓会のLINEグループに突然加入させられて焦って退会したときのような気持ちになる。少し離れたところに住んでいるとか、忙しくてなかなか時間が合わないとか、そういうことも関係しているのかもしれない。長く会わないうちに、自分が何を話したいのか、それから彼女たちのどんなところに興味を持てばいいのか、よくわからなくなってくるのだった。「久しぶりに会いたいな」とか「今どんなことしているのかな」とか、そんなことすら思わない。それどころか、数年前はどんな風に毎日話をしていたのか、何が楽しくて彼女たちと私が一緒にいたのかも、よく思い出せなくなってきている。たとえ久しぶりに会っても、それなりに楽しく過ごすことはできるだろう。近況報告や恋愛の話、それから仕事の愚痴と学生時代の思い出話を2時間も3時間もぶっ通しで話して、駅のホームで「またね」と言いながら終わる。きっとそうだ。でも、そういう時間が、久々に会った高揚感やアルコールのおかげで笑いのツボが浅くなっていることを抜きにして、本当に楽しいのかどうか、私にはわからない。きっと、それはお互い様だ。みんな人の生活には興味なんてないし、どんなことが起ころうと関係ない。どんなに仲がよくても。ついでに言うと、人の話が面白いことなんて滅多にない。大人がお酒を必要とするのは、自分の退屈さを紛らわすためかもしれないし、だから私はずっとお酒が手放せないのかもしれない。この人間関係をどうやって維持すればいいのか私はこれからの人生において、「地元の友達」「10年来の親友」「腐れ縁の仲間」みたいなものが一切登場しなくなるんだ、ということについこの間気が付いた。その選択がいいとか悪いとかではなくて、私の人生のうちでずっと重要な登場人物だった人は誰もいないし、遠い過去から現在にかけての私を知っている人もいないということになる。もしかしたら、昔からお互いのことを知っている人というのが、私にとってかけがえのない存在かもしれないのに、私にはそれを確かめる術がない。なんだか気づかないうちにとてつもなく大きな財産のようなものを、どこかに置いてきてしまったような気がした。以前にも、大学時代の友達に対して「ああ、疎遠になるかもしれないな」と思ったことがあって、そのことを共通の友達に話すと、「あんた、あんなに優しい子に愛想つかされて疎遠になったら人として終わりだよ!」と言われたことがある。そうだ、そうなんだ。いい人たちで、恐らく今後も大切にしたほうがよさそうで、たとえば私が多額の借金を抱えたとか何かの拍子に事件に巻き込まれてしまったとか、そういうときに一番に助けてくれる人たちだってこともわかっている。けれど、どうやって興味を持ち続ければいいのか、どんな風にひとつの人間関係を大切にし続けたらいいのか、私にはよくわからなかった。聞きたい話も思い浮かばないし、私がしたい話もない。そういう人と、私はどうやって接していったらいいんだろう。もう本当に人間として終わりなのかもしれない。大切な人をきちんと大切にできない私は一体なんなんだろう。もっと大人になっても、周りの人を大切にする方法がわからないまま大切な存在をものみたいにどんどん捨てていって、人生でとてつもなく大きな財産を見逃してしまうのかもしれない。Text/あたそ<何もない私はこのままで大丈夫なの?その答えは、身近にあったりする>もチェック!軸とか、芯とか、何もないと思える。でも自分だけで決めるものではないのかもしれない。
2018年05月22日第39回「『生活力』はいつからだって」(c)つめをぬるひと今回は「一人暮らしの友人との生活力の差を感じて、一人暮らししたいけど、親からの仕送りはもらえなさそう。どうにかならんものかと、作戦を練っているところです」という読者投稿(要約しています)。私の親はあまり家事をやらない人だったので、高校生の時くらいから洗濯などの家事を親の分もやっていた。よく「一人暮らしをすると親の大変さが身にしみて分かる」というが、大学進学と同時に上京して一人暮らしを始めた私は、家事が一人分になったことで「一人暮らしってこんなに楽なのか」と感動してしまった。自分の裁量で動ける楽しさ、失敗から学べる経験など、一人暮らしならではの良いところも知り、社会人になって一人で生計を立てるようになってからは、もっと楽しくなった。そんな一人暮らし推しが強い私だが、だからといって早い時期から始めたほうが良いのかというと、そうでもない。私は、一人暮らし歴が5年の人と10年の人に「生活力」の差はさほど無いと思っている。今回の読者投稿に書かれていた「一人暮らしの友人との生活力の差」とは、経済面というよりもどちらかというと、いかにタフであるか、という意味で仰っているような印象を受けた。一人暮らしを学生時代から始めた人と、社会人になってから始めた人の間にあるギャップなんて、長い目で見ればたいしたことはない。何が言いたいのかというと、「親からの仕送りを頼るな」とか「甘えるな」とか説教じみたことを書くのはなんか違うと思っていて、たしかに仕送りがもらえなさそうであれば社会人になってから一人暮らしをするしかないんだけど、「周りの友人との差を意識しないようにする」という考え方にシフトするのもありだよ、という話だ。今回の爪はそんな、周囲との差が実はたいしたことではないということを意識して制作した。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<はじまるために、その恋を終わらせる>もチェック!不倫をやめて新しい恋を。「変化を応援する爪」がテーマです。
2018年04月30日誰かに好意を寄せる権利が、わたしにあるのか?by Pixabay「彼氏、いるんですか?」と聞かれる度、少しほっとしている自分がいる。この人から見れば、私は普通に恋愛をしてもいい人間で、恋人がいてもいい人間。この世界のどこかにいる男性が好意を抱く要素のある人間であり、男性の隣を歩いていても不自然ではない人間に映っているのだろう。普段から女性らしさとは無縁で、「女の子らしい」「女子力」と言われることを身の毛がよだつほど嫌うのに、この時だけは、目の前の人から普通の女性として認められているような、どこにでもいる女性のひとりとして映っているような気がして、安心するのだった。それから、「いないんですよ」「なかなか出会いがなくて」というありきたりな返事を、いつもする。未だに、「私は恋愛をしてはいけないんじゃないだろうか?」と思うことがある。Facebookを開けば、毎週のように友達は結婚し、子どもを産んでいる人だっている。みんな当たり前のように誰かを好きになり、誰かと人生をともに歩む決断をしている。それなのに私は、その前の前の前の前の前の段階くらいで躓いてしまった。こういう考えを持つこと自体恥ずかしくて、かなり情けない。そんなことは分かっている。人を好きになったことだってあるし、恋人だっていたこともある。でも、どうしてもこの疑問を自分の中から抜き切ることができない。周りの人間からどう見られようが構わなくて、好き勝手生きてきたはずなのに、例えば、私がかなり一方的な片思いをしたときに「身のほど知らずだ」「あんな人でも恋愛ができると思っているんだね」と思われるのが、その通りすぎて、どうしても怖い。誰かに好意を寄せる権利は誰にだってあるはずなのに、私だけははく奪されている気がしてしまう。だからなのかもしれない、と、ふと考える。私がひとりでいるのを好きでいて、気にならないのは、そのせいなのかもしれない。家族が周りにいて、友達もたくさんいた幼少期を過ごした私が、ひとりでいることに特段何も思わなくなってしまったのにはきっと色々な理由があって、恋愛ができないことも、そのうちのひとつの要素であるように思っている。ひとりでい続けることは強さではない駅の改札で別れるとき、家路を酔っ払いながら歩いているとき、とても長い間誰とも触れ合わずにいるときに、私はいつも「寂しい」「一緒にいて欲しい」「悲しい」と言えない。言えなくて、後悔して、今も胸に引っかかっている思い出なんていくつもあるのに、きっとこれからも誰かにそういう言葉を言える日は来ないのだろう。私が言っても、何も意味がないんじゃないかと思っている。私のような人間が、誰かに何かを求めても仕方ないんじゃないかとも、思っている。そうして、焦りや悲しみの嵐が過ぎ去っていくのを耐えて続けているうちに、ひとりでいることに慣れてしまった。そんな気がしている。もっと若い頃は、ひとりでいることがかっこいいと思っていた。友達が毎日誰かと連絡を取り合って、寂しさを紛らわすことに何の意味があるのだろうとも、思っていた。常に周囲に誰かを置いていないと落ち着けない彼ら・彼女たちを見下していることもあった。けれど、本当にひとりでいられなくなったとき、頭のなかで真っ先に浮かんだ人にきちんと自分の気持ちを伝えなければ、言葉や感情なんて意味を持たない。ひとりでいることは強さではあるけれど、ひとりでい続けることは、全然強くない。ひとりでいることに慣れ過ぎてしまい、自分の内側で育っていく感情を自分でどうにかする術を知ってしまった私は、とうに人としての大切な何かを失ってしまっていて、もう恋とか、誰かを好きになるとか、そういう感情が腐っていっているのかもしれない。だからこそ、やっぱり私は恋なんてしてはいけないんじゃないかと、そう思うときが、たまにある。Text/あたそ<恋愛なんてただの思いこみ。それでも、孤独を救うにはちょうどいいのだろうか>もチェック!恋愛は孤独の痛み止めになりうるか?『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て感じたこと。
2018年04月10日15年一緒にいた愛犬の死先週、ずっと飼っていた犬が死んでしまった。大型犬にしては15年も生きてくれたから頑張ってくれたと思うし、もうここ何年かはずっと元気もなくて、着実に死に近づいているようだった。2日前に、母から「歩けなくなって、ずって寝ているよ」という連絡があり、きっともう、生きているうちには会えないのだろうと考えていて、そしてそれは現実になった。猫は自分の死に際を見せないというけれど、私の飼っている犬たちは違って、キッチン横の餌をあげているところで寝そべっている。いつもはそんな場所にいることもないのに、1匹目も2匹目も、死ぬ直前は不思議とそこでずっと時間が経つのを待っているようだった。リビングにも、お風呂場にも行ける人の通りが多かった場所だったからかもしれない。自分より先に死が訪れるであろうことは、飼い始める前から知っていた。それに、もうきっと長くないことだってわかっていた。ある程度の覚悟はできていたはずなのに、仕事中に死の知らせが入ると、しばらく何も考えられない状態になって、今この場で何をしていいのかわからなくなり、でも何か別のことを考えていないとぼろっと涙が出てきてしまいそうで、気を紛らわすように今日やっても明日やっても変わらないような仕事を必死になってしていた。その日たまたま連絡を取っていた友人から食事をしようと誘われ、人に会って気をもっと紛らわせて、悲しい気持ちをどこか遠くのところに追いやった方がいい気もしたけど、でもやっぱり誰かに会う気分にはなれなくて、断りの連絡を入れ、そして家に帰った。無条件で一緒にいてくれた犬、生まれてから一緒にいるはずの母私の実家には今2匹のラブラドールがいて、その子のお父さんとお母さんはもう死んでしまっている。10歳の頃から飼いはじめたので、もう人生の半分以上を犬と過ごしていることになる。毎日最初に「行ってきます」「ただいま」と話しかける相手が、4匹の犬だった。私が人生のうちで一番抱きしめた相手も犬だ。167センチくらいある私が座ると、犬は真正面にやってきて、抱きしめるとちょうど肩のあたりに犬の頭が乗る。暖かくて、毛並みがつるつるしていて、その時間がすごく好きだった。一緒に寝た時間が一番多いのもたぶん犬だ。20キロ近くあるのに、ひざや私の体の上にどうしても乗りたがる。大きいからだをわざわざ小さく丸めて器用に乗る。何を勘違いしているのか「重いからどいて」といっても、尻尾を振って絶対にどこうとしない。結局私が、重さに耐えるしかなかった。テレビを見ながら笑っていると、隣まで歩いてきて一緒になって喜んでくれたし、悲しいときや落ち込んでいるときは、必ず慰めてくれた。人目を盗んでトイレットペーパーの芯をかじるのが好きで、その度にゲージがぐしゃぐしゃになるけれど、なんだか馬鹿らしくなって、いつもちょっとむかつきながら掃除をしていた。インスタグラムで人気の犬ほどかわいくはないかもしれないし、頭もよかったわけじゃない。犬が家にいることで、散歩に時間がかかるとか服が毛だらけになるとか、制限がかかってしまうこともあったかもしれない。でも私にとってはとても大切な存在で、今もそれは変わらなかった。私のことを肯定も否定もしない。どんな仕事に就いているとか、どんな容姿をしているのかとか、どれくらい頭がよくてお金を持っているのかとか、そんなことを一切関係なく、無条件でずっとそばにいてくれたのは、私の人生のうちで4匹の犬だけだった。犬が死んでしまってどうしていいのかわからくなったとき、一瞬「ああ、これで本当に親子の会話がなくなってしまったんだな」という思いが頭をよぎった。というのも、私が実家を出てから母から連絡がきたのは3回ほどで、それは毎回死んでしまった犬のことだったからだ。いつも返事のしにくい文章で、私にどんな返答を求めているのか全く読めない。返さないまま終わってしまうこともあった。「家を出ても、たまには帰ってきてよ」と言った母。でも私たちの間で気軽にできる会話は実はあまりなくて、じっくり話をした記憶はもう何年も前の話になる。一緒に食事をしたのも、買い物に行ったのも、もう何年も前の話だ。きっと家に帰っても、それほど会話ができず、お互いへのかみ合わなさを感じるんだろうとも思う。犬が死んでしまった今、私は私が生まれてからずっと人生を一緒に過ごしているはずの人と、疎遠になってしまうのだろうか。Text/あたそ<「余り者同士で付き合っちゃえ」にいいともいやとも言えなかった私>もチェック!「余り物同士で付き合えば?」恋人がいることが普通で、いないと疑問に思われる。そんな風潮に対してあたそさんが抱く思いとは。
2018年02月14日「余り者同士で付き合っちゃいなよ」に巻き込まれてby Pixabay「恋人がいない」と言えば、「なぜ?」と尋ねられ、そして「気になる人がいない」と言っても、「どうして?」という質問が返ってくる。同年代のまだ結婚していない人達を外側から見ていると、恋人がいることは普通で、恋愛をしていることは当たり前。その普通と当たり前からなんとかはみ出さないように、私はいつも「出会いがなくて困っているんですよね。誰か、いい人がいたら紹介してください」という一言で乗り切り、恋愛はする気満々なんだけれど、あいにくいい人がいない、というスタンスを取って乗り切っている。いや、恋愛する気がないと言えば嘘になるんだけれど、今の私からは遠ざかり過ぎてしまっている。「空を飛びたいな」とか「アラブの石油王に突然100万円くらいプレゼントされないかな」とか「朝起きたら、キッチンで竹内涼真がエッグベネディクトを作ってくれていて、あれ? 私たちいつの間にか付き合ったりしてる……? ってなったりしないかな」とか、有りもしない妄想の少し手前くらいに「恋愛」という果てしなく高い壁があって、超える努力もしなければ、突き破っていく技術も持ち合わせていなくて、膝を抱えながらじーっと見つめている感じ。そんな風に毎日を過ごしていると、「余り者同士で、ちょうどいいから付き合っちゃいなよ!」という、周りの人間から見たらかなり盛り上がるけれど、当事者同士は大迷惑を被る事態に巻き込まれたりする。それがつい最近のことで、3か月ほど前に働きはじめた会社での出来事だった。私はもうこういう展開にすっかり慣れていて、迷惑もクソもなく、ただへらへらしながらやり過ごしている。その私とくっつけられようとしている余り者の男性は私の先輩で、仕事でも多少の関わりがある人だった。そのため、なんとなく真正面から拒否することもできないし、当然そのまま付き合うわけにもいかない。こういうのはあからさまに嫌な顔をしても、全面拒否してもだめだ。あくまで自然に受け流す。周囲の人間が飽きるまで、なんでもない顔をして、ただずっと待っているだけしかない。「いや」とも「いい」とも主張できないまま今私が勤めている会社は上下関係があまりなく、社員同士で飲みに行くこともよくある。まだ入社して間もないけれど、お酒が好きであることが表面化してしまっていて、月に1度以上のペースで必ず社員の誰かと食事をしたりお酒を飲んだりしている。そしてついに先日、社長と余り者の男性、そして余り者の私で飲みに行くことになってしまった。社長はくだらない話が好きな人で、仕事の話を挟みながら、終始バカみたいな話をして3人で3時間くらいゲラゲラ笑いながら過ごしていた。真面目な話もできたし、距離も少し縮まったような気がする。楽しかったし、よい飲み会だったと思う。でも、その時も「あれ?2人は付き合ったりしないんですか?」とか「うちの会社は社内恋愛を推奨しているんですよ」とたまに言われたりして、いつもみたいにへらへら笑って過ごせばよかったんだけれど、やっぱりほんの少しだけ胸の辺りから歪んでいくような気持ちになっていた。余り者の男性だって困ったような顔をしていて、とても申し訳なくなる。お酒を飲みながらとはいえ、3時間も話して盛り上がるくらいなんだから、まったく気が合わないわけではないだろう。仕事もできるし、気も利くし、会社ですれ違うと話かけてくれたりするし、余り者の男性はすごくいい人なんだとは思う。私だって、結婚適齢期で余りに余っている。恋愛というどうにもできない壁をずっと眺めているだけだと思っていたのに、突然強力な助っ人が現れたような気分だ。理想もグッと低くして、妥協できるところですればいい。人を好きになるなんてきっと簡単で、自分で自分に催眠術をかければいい。錯覚でも思い込みでも妄想でもなんだっていい。そんなの、ずっと前から、余り者の男性が私の目の前に現れる前から分かっていたことだった。でも余り者の男性は、女性が傷つくこと、気にしているところを平気で口に出し、そしてことあるごとに性差を付けたがる人だった。例えば、太っている女性に向かって「ブタに似ているね」とか、お弁当を作ってくる人に「女性らしくていいね」と言ったりとか。些細なことかもしれないけれど、私はどうしても気になってしまう。こういうところにこだわりを持つのが、私のダメなところではあるんだろうけれど、やっぱりどうにもならない。このからかいの波が引いて、周囲の人のおかしな方向に伸びてしまった興味や関心がなくなるまで、一体どれくらい時間がかかるのだろう。本当は、こうしておかしな出来事に巻き込まれるのも嫌なのに、「いい」とも、「いや」とも言えない。気にしないまま過ごしていくのが大人で、最もいい方法なのかもしれないけれど、自分が嫌なこと、放っておいて欲しいことへのきちんした対処法を考えあぐねている。どうしようのない自分に苛立つだけで、何もせずただじっと時間が経つまでの時間をただ待っている。Text/あたそ<常に笑ってた。周りに人もいた。でも、同窓会には二度と行かないと思う>もチェック!「人と仲良くなるのは得意だった。でも高校生の私はずっとひとりだった。」
2018年01月30日何もない年末年始は、どうしても耐えられないby Enrico Periniまたひとつ、年が明けた。仕事や学校が始まって、ひとしきりの「明けましておめでとう」と「今年もよろしくお願いします」を言い終えてしまえば、年末年始のなんだか落ち着かない雰囲気も過ぎ、普通の1月が来る。私がこの原稿を書いているのは、まだ2017年の出来事で、今年の年越しは台湾の台北で過ごすことになっている。今のところ、台湾に行くこと以外は決まっていない。きっと、直前まで決まらないのだろうと思う。日本ではない、私のことを知っている人が誰もいないところに行きたかった。インターネットを開くと、友達もそうじゃない人も、みんな誰かと楽しそうに2018年を迎えている。その光景を画面上で見ながら、いつもと変わらない時間をひとりで過ごすことに耐えられそうもなかったから、という思いも少しあった気がする。実は去年、つまり2016年のことだが、久々に何もない年末年始を過ごした。私は元々音楽が好きで、毎年のようにカウントダウンのフェスやライブに足を運び、音楽と友だちと共に年を明かす。そして、ごくたまに年末年始を海外で過ごすこともあって、ここ10年くらいは常にどこかへ赴き、年を越すというのが自分の中で定番になっていた。そんな定番を打ち破り、久しぶりの寝正月を過ごしていた。本当に、10年ぶりくらいだった。何もない年末年始はただただ退屈で、食べて犬をなでながらテレビを見て、寝る、という日を何日も過ごしていた。誰かを誘ってみてもよかったかもしれない。けれど、年末年始の時期に、普段と変わらない感じで友だちをどこかに呼び出してしまうのもはばかられる。こういうダラダラとした、何もない年末年始が正しい過ごし方のはずだった。でも、私には合わない。久しぶりの正しい年末年始は私にとって耐えられなかった。だから、今年は絶対にどこかへ行こうと決めていたのだった。漠然とした将来に不安を抱えても仕方ない、けど…「毎年、こんな気持ちになることがあるのに、耐えていけるだろうか」と思うことがある。今のところ、結婚をする予定もする気もない私は、きっと自分で行動をしない限り、この何もない時間を1年に1度、必ず過ごさねばいけないことになる。おまけに、テレビのない部屋で一人暮らしを始めてしまった。実家に帰るくらいなら、自分の家で、一人で過ごしていたい、と思っている。だから余計に、この時間に耐え続けることができるのだろうか、と心配になる。誕生日は、いい。自分が主役の1日だから、きっと一緒に過ごしてくれる人がいるかもしれない。祝福の言葉をかけてくれる人だっているはず。でも、年末年始やクリスマスは、全員に平等に訪れる。そして、家族や恋人、親しい友人がいれば、結果的に誰かしらと過ごすことが良しとされている日になっている。その誰も持ち合わせていない私は、この何もない年末年始を何年も過ごさなければならないことに、当たり前の日常として処理できる日がくるのだろうか。いつの日か、そういう日々にも慣れてしまって、何も感じなくなる日が来るのだろうか。ひとりでいるのは、自由で、気が楽で好きだ。自分の性質にとても合った時間の過ごし方だと思っている。私はどんなことをすれば自分を幸せへと導くことができるのか知っているし、誰かと一緒にいることや人に頼ることに自分の気持ちを左右されたりしない。たぶん、間違っていない。けれど、「本当にこのままでいいのかな?」と考えることがある。今は、“ひとりでいること”が自分に合っていて、楽しいと思えるから、いい。けど、突然寂しくなって、どうしようも取り返のつかないことになって、その時にひとりだったら、私はどうするんだろうと思うことがある。周囲の友達は結婚をしたり子どもを生んだりしているのに、年齢は重ねているのに、私ひとりだけ10代の頃と何も変わらないライフステージにうんざりし始めてしまったらどうしたらいいのだろうか、と思うことがある。そうやって、将来に漠然とした不安を抱えるのはいつも何もすることがない時間で、ちょうど去年の年末年始も同じようなことを考えていた。頭の中が暇になってしまうと、いつも自分を追い詰めるようなしょうもないことばかりを考えてしまうのだろう。私は、心配したって仕方ない将来に不安を覚えるのが怖い。解決策が何も見い出せない、どうしようもない焦りを感じるのはできるだけ避けていたい。今年の年末年始は、台湾へと行く。まだ何をするかは決めていないけれど、きっと色々なところへ行って、ショッピングも食事も楽しんで、忙しくなるはずだ。少し遅い自分へのクリスマスプレゼントでもあるし、1年間のひとりお疲れ様会でもある。不安や焦りを感じずに、2017年がよかったと思えるような年末年始にしたい。Text/あたそ<会社の忘年会、誰と移動する?集団行動での振る舞いに戸惑う人へ>もチェック!大勢で集まると誰と何を話していいのか分からない。もうひとりの私が、「このままでいいの?」と投げかける。
2018年01月02日大勢の中で自分は溶け込めているのか?by Enrico Perini胡散臭すぎて誰にも話したことはないけれど、大勢の人と話をしているときに、私と話をしている人を真上辺りから撮影したような映像が、一瞬だけ頭の中を駆け巡ることがある。それは、もちろん実際に撮影したものではないから、正確な映像ではないし、細かい箇所も異なっている。そしてこの映像が頭の中に出現すると、「私は、この大勢の中に溶け込めているのだろうか?」と思うと同時に、こんなことを考えながら必死になって一般大衆に紛れ込もうとしている自分に対して、冷や汗が出るほど恥ずかしくなるのだった。私は、昔から集団行動があまり得意ではない。無理をして大勢に属するのであれば、ひとりの方が身軽でストレスを感じないし、自分には合っているといつも思っている。集団行動の中で、最も苦手なケースが2つある。ひとつは、会社やクラス、サークルなどの大勢が集まる場所。誰と何を話せばいいのか分からなくなるし、会話がひと段落してしまうと次の手が思い浮かばず、持て余してしまうのだ。それでもひとりになろうとはせずに、「次は、誰と話をしたらいいのだろうか」「この人だったら、この話題がいいのだろう」と冷静に考えている自分が心のどこかにいるのを見つけてしまうと、私は全く馴染めていないのだと気付いてしまって、途端に恥ずかしくなってしまう。そしてもうひとつは、大勢の人たちとどこかへ移動しなければならない時だ。例を挙げるなら、学生時代に朝会が終わってグラウンドからクラスまで移動しなければならないときとか。先日行った、忘年会の時もそうだ。仕事を終えて、ほぼ全員で会社から忘年会の会場へと移動しなければならないとき、誰と移動していいのかわからなかった。かといって、ひとりでずんずん先を歩いてしまうのもなんだか失礼な気がする。かといって、4~5人で移動したとしても、大した話ができる訳ではないし、歩くスピードもなんとなく遅い。早く会場に着くことを目的としているはずなのに、いつまで経っても辿り着けそうにない感じに我慢ができなくて、いつの間にか会話から抜けて、ひとりで歩いていってしまう、というのがいつものパターンだ。1年のうちに何度かある、大勢で移動しなければならないときに、真上から見ているもう一人の私が現れて、「それで大丈夫なの?」「居場所はちゃんとあるの?」と聞かれたくない質問を投げかけてくる(気がする)。自分で居場所を探さなきゃいけないけど忘年会の日。ひとりで好きな音楽でも聴きながら向かおうと、イヤホンを片手に歩き出した瞬間、先輩に捕獲され、会場まで一緒に移動することになった。まさか「タクシーで行こう」という言葉を、私に投げかけられるなんて考えてもいなかった。居場所を見つけられなかった私は、人に声を掛けてもらうことによって自分の場所を作ってもらうことになり、申し訳なさを感じてしまうのだった。「ひとりがいい」とか「ひとりの方が自分にはあっている」といくら思っていようが、会社という集団に属している限りは、なにかしらに馴染んだり、馴染んでいるフリをしなければならない。どんなに窮屈であっても。学生だった頃は、周囲にいる人は同い年の友人とか年の近い先輩や後輩だけだったから、なんとかやり過ごすことができたけれど、会社に所属してしまうと、そういう訳にはいかない。自分で居場所を探さなければ、大勢の中にいるひとりにしかならない。集団のなかでも上手く馴染んでいける術とか、違和感なく自分の居場所を見つけられる技術みたいなものを一切身に付けてこなかった私は、これからもその場をやり過ごそうとする度に、自分のことを俯瞰している私が「このままでいいの?」「ちゃんと馴染めているの?」「本当に楽しいと思っている?」と尋ねてくるのだと思う。Text/あたそ<月曜が来るのがそんなに嫌じゃない。退屈な職場をやめて1ヶ月経った今の手応え>もチェック!どうせ働かなければいけないのだから、月曜日が来ることを嫌に思わない仕事をしよう。
2017年12月19日インターネットの住人に言われてしまったことby josealbafotosもう数年前のことなので言いますが、私がまだ芸術や文学などの硬めの話題以外には、あまりインターネット上で触れないようにしていた頃。たまにはいいかと思い、珍しく大々的に、自分の恋愛観をブログに書いてみたことがありました。突っ込みどころが多い内容ではあったので、方々からいろいろなご意見をいただいてしまったところまでは良かったのですが、その中に少々、気になるコメントが混ざっていまして。私が普段は言及しない恋愛の話に手を出した理由をその人なりに解釈したのか、「こいつは人生で初めて彼氏ができたもんだから浮かれてるんだ」と、見ず知らずのインターネットの住人に言われてしまったのです。当時も今も、私の恋愛に対する考え方には未熟な面があるとは思います。が、少なくともその数年前の時点では、私にはお付き合いして5年以上経つパートナーがいたので、決して「人生で初めて彼氏ができた」わけではありませんでした。なのでそのときは、「人は見えていない部分を自分が嚙み砕きやすいように補って解釈するんだなあ」と、妙な感慨にふけってしまいました。私自身も、ずっと男性だと思い込んでいたTwitterアカウントが実は女性だった……なんてことはザラにあります。「こういう発言をする人は、こういうタイプにちがいない」という早合点は多かれ少なかれ誰でもやってしまうことですが、それがどんな対象であれ、24時間365日付き添っているわけではないのだから、見えていない部分があるのは当たり前。「自分には見えていない部分がある」ということに、常に自覚的でありたいなあとそのとき思いました(なかなか難しいけれど)。隣の芝生はいつだって青い……という私の話は脇に置いておいて、「(主に好きな人の前で)素直になれない」という声を、女性の間でよく聞きます。本当は好きな人に甘えてみたいけどガラじゃないからできないとか、上手く本音が言えないとか、めんどくさい女だと思われるのが嫌だから不満を吐き出せないとか。そして、好きな人の前で屈託なく笑うことができて、素直に甘えられて、相手を手のひらで転がしながら自分のペースに巻きこんでいく力を持っている隣の女性を、「私も、あの子みたいにできたらいいのになあ」っていつも羨ましく思っている。「女性の間で」と他人事のように言いましたが、もちろん私自身も、そうやって羨ましがることはあります。だけど、そんなふうに思ってしまったとき、私はいつもあの数年前の出来事を思い出すんです。私たちには、見えない部分を勝手に脳内で補ってしまうどうしようもない癖がある。「あの子はいつも上手くいっている」と決めつけて、都合よく羨ましがって、落ち込んでいる。だけど、実際に近くにいる知人友人と話してみたり、いろいろな女性が書くエッセイやブログなんかを読んでみると、いつも素直で明るくて、好きな人に上手に甘えられて、常に屈託のない笑顔を振りまくことができている女性なんて、この世に絶対に1人もいないです。「かわいげがなくて素直になれない」のは、たぶんみんな一緒みんな多かれ少なかれ、「私はかわいげがないなあ」って思っているし、「素直になれないなあ」って思っている。相田みつをみたいになってしまいますが、だって、人間だもの! いつも本音を言うことができて、素直で可愛くいられる女性なんて、幻想の中にしかいないんじゃないでしょうか。常にかわいくて屈託のないように見えるあの子だって、それを24時間365日やれているはずがない。私たちに見えているのは、彼女の薄っぺらい表面だけです。世の中は、素敵な女性や才能を持った人であふれ返っています。彼ら/彼女らを羨ましく思うことも、嫉妬してしまうことも、減らすことは可能でも、完全になくすことはできないのでしょう。だけど、彼ら/彼女らが陰でどんな努力をしているか、どんな涙を流しているかを知りもしないで、「いいなあ、私にはできない」と指を咥えたままでいるのは、実はすごくずるいことなのかもしれない。「あの人の中には、今の私には見えていない部分がある」。難しいけど、仕事や恋愛で誰かを羨ましく思ってしまったとき、これだけは覚えておきたいと私は思うのです。Text/チェコ好き前回記事<目覚めよ本能。「自意識過剰」を手放せば、心の重荷がちょっと減る>もチェック!究極のミニマリスト・稲垣えみ子著『寂しい生活』を読んで感じた、「自分を手放す」ことの必要性。
2017年11月30日目覚めよ、本能『寂しい生活』/稲垣 えみ子(著) /東洋経済新報社稲垣さんは、東日本大震災の原発事故をきっかけに、徹底した節電生活を始めたという方。「断捨離」などというレベルではなく、冷蔵庫も洗濯機も手放し電気代は月数百円以下、さらにガス契約までやめてしまったというから驚きます。そしてそんな生活を一人で続けているうちに、稲垣さんは「自分のこととかどうでもよくなっちゃった」らしいのですが……。動物的本能を取り戻すと、自分のことはどうでもよくなる「自分のこととかどうでもよくなっちゃった」というのはもちろん、部屋が汚くなったとか、身なりが清潔でなくなったとかの、セルフネグレクトのことではありません。「自分が」幸せになりたい、「自分が」成功したい、「自分が」人に認められたいなどの欲望が薄まり、他の人がどうしているか、きちんと幸せでいるか、そっちのほうばかり気にかかるようになったといいます。稲垣さんによると、電気代を月数百円にまで抑えるというのはやはり小手先の技術では上手くいかなかったようで、常に電力を消費している冷蔵庫を捨てるとか、仕事が終わって家に帰ってきても部屋の照明を一切つけないとか、根本的なところから生活を変える必要があったみたいなんです。すると、たとえば照明を一切つけないとなると、帰ってきて鍵を開けたとき部屋が真っ暗なので、目が慣れるまでしばらく玄関にたたずんでいなければなりません。でも逆にいうと、しばらくたたずんでいれば暗闇でも目が慣れてくるので、お風呂に入るとか着替えるとかの日常的なことは、照明がなくても普通にできるらしいのです。このエピソードで私が思い出したのは、昨年バリ島を旅したとき、ウブドで田んぼのど真ん中にある宿に泊まったときのこと。田んぼのど真ん中なので、電灯も周囲の店の明かりも一切なく、夜は暗い畦道の中を一人で歩いて戻らなくてはならなかったんです。iPhoneの懐中電灯で道を照らしていたとはいえ、ねばり付くような暗闇は本当に怖くて、周囲で動物や虫の鳴き声がするたびにビビっていました。でもそのときの、自分の五感がフルで動く感じや、危機意識のあまり動物の本能が少し戻ってくる感じは、ちょっと楽しかったんですよね。なぜ生活の中で様々なものを手放すと「自分が」という意識が薄まるのか、その原理の詳しいところはよくわかりません。でも、「パートナーがいない」「友達が少ない」というだけで「私は孤独だ……」と思うのはもしかしたら早合点で、私たちは実は、本当にいろいろな命に囲まれて生きています。暗闇の中を歩いたり、冷蔵庫や暖房器具を捨ててみたりすると、動物的本能が目覚めるせいかそのことに気付きやすくなるのでしょう。「自分」を手放せたら、心がちょっと軽くなる久々に会った人に対して、「あれ、この人、前より明るくなったな?」と感じたことってありますか? そういうとき詳しく事情を聞いてみると、状況はさまざまだけれど、総合すると、稲垣さんが言うように「自分のこととかどうでもよくなっちゃった」となっているケースが多い気がします。出産したとか、不毛な関係が続いていた恋人とお別れしたとか。「自分が」という意識を捨てられたとき、私たちはもしかしたら、今までより少し自由に生きられるのかもしれません。かくいう私はまだまだ「自分が」ばかりの人間なので偉そうなことは言えないですが、まわりの人の幸福を願うって、心が安定していないとできないことです。矛盾した言い方だけど、一人で生きているからこそ、一人で生きているわけじゃないことを、忘れないようにしたほうがいいのかもしれません。Text/チェコ好き前回記事<すぐアウトプット、すぐ評価されたい。現代人の「思いついたらすぐ言っちゃう病」>もチェック!つぶやけばすぐ反応が返ってくる現代だからこそ、一人で温め続ける思いがあれば尊い。
2017年11月25日とんでもないことを決めてしまった突拍子もなくひとり暮らしがしたくなって、深夜に適当な物件を検索し、内見の申し込みをした。それから1週間も経たないうちに、マンションの一室を契約してしまった。なんだか、とんでもないことを決めてしまったような気もする。私は、生活のサイクルやローテーションみたいなものが少しでも変化すると、眠れなくなる。眠れなくなると、考えがどんどん激化していき、普段は派手すぎて着られないワンピースを買ってみたりとか、敷居が高くて行けなかったエステを予約してみたりとか、冷静な状態では決断できないようなことを簡単に決めてしまう。今回もその一環で、転職をしたら勤務地も人間関係もすべて変化して、眠れなくなった。そして、深夜の軽いノリみたいなもので、坂道を転がるような速度でひとり暮らしを決めた。2、3週間ほど経てば引っ越しもできるらしいのだけれど、今は全く実感がない。住む場所を決めるのは、仕事を選ぶとか結婚する相手を決めるとか、そういうことと同じくらい人生で重要だと思っている。なのに、大した決意も固まらないまま、「内見の申し込みをしてしまったし、まあ、しょうがないかな」くらいの軽い気持ちで、なんとなく決めてしまった。物件の内見だって、5分くらいしかしていない。馬鹿なのは、私が一番よく知っている。例えば、将来の夢のひとつとして、「結婚したい!」とか「子どもが欲しい!」とか、近い未来にいつか叶えばいいような思いは誰でも必ず持っていて、私の場合は「ちゃんと一人で生きていけるようになりたい」という思いがずっとあった。人が誰ともコミュニケーションを取らずに、たったひとり東京で生きていくのは無理だとは分かっているけれど、出来るだけ誰の力も借りず、なるべく迷惑をかけずに生きていけたらいいのに、と思っていた。それで、決断することができずにズルズルと居座ってしまった今の家は、父親のものだった。私の両親は離婚をしていて、協議の際に、妹が大学を卒業するまでは今の家に住めることになっている。そのタイムリミットも迫っていた。母親には「それまではここで暮らせばいいのではないか?」と言われていたのだけれど、それでは遅い気もしている。父親との関係は、縁を切ってしまうほど険悪だった。一方、私と母親の関係性は、よくもなければ悪くもない。「年齢を重ねれば重ねるほど、母親の言動が理解できなくて、腹ただしく思うようになる」と、友人と話したことがあるのだけれど、我が家もそんな感じだ。うっとおしく、そして遠慮の気持ちが日に日に強くなっていく。きっと離れるべきなんだろう、と思っていた。自分の生活にだけは責任をもって生きていきたい色々な理由があって、一人で暮らしてみたかった。結婚適齢期である今、賃貸マンションの契約を締結してしまうのは、なんというか結婚も恋人とも遠ざかる行為だと思う。その代わりに、どんどんひとりで生きることが得意になって、ふとした瞬間に感じる寂しさにどんどん近づいていくのだろう。でも、どんなことをしていても「寂しい」と思うことなんてなかったから、ちょうどよいのかもしれない。寂しいってなんだろう。私は、寂しくなったらどうなるんだろうか。結婚だって、子どもを産むことだって、相手がいなければできないことで、私にはとても縁が遠い。将来的な可能性がわずかにあったとしても、今すぐではないと思っている。最近では、誰かに気に入られたいとか出会いを求めてどこかに行こうという気持ちもなくなってしまった。だから、せめて自分の生活にだけは、きちんと責任をもって生きていきたい。家を決めることは、誰の気持ちも関係がないことで、私が納得していればいい。今回契約した物件は、築浅でフローリングもきれいだし、バスとトイレも別で、なかなか気に入っている。だから、掃除も全然できないし、犬とも離れて暮らすことになるので少し寂しいけれど、きっとうまくいくはずだ。今から、勢いで決めてしまった新しい生活に、ワクワクしている。Text/あたそ<旅行は間違いなく価値観を変える。少しずつ変わっていった私の価値観>もチェック!旅する理由に「価値観を変えたくて」と語る学生。彼らに感じた違和感の正体とは。
2017年11月22日「誰かを誘いたい」欲求に駆られるときby Ben White私だって、誰かを誘いたい時もある。大体のことはなんだって一人でできるつもりでいるし、ほとんど抵抗はない。というか、何かやりたいことがあったとした場合、自分の趣味に合う人をリストアップして、その中で仲のよさを考えた上で、興味を持ってもらえるかどうか、断られないかどうか、休みが合うかどうか判断する…。人を誘う上で考えなければならないことが多すぎて、一人でいる不安(ほぼない)よりも、誰かを誘う際の面倒臭さがどうしても勝ってしまう。「誰かいたら楽しいのかもしれないけど、まあ一人でもいいか」という結論にいつも至る。結局は、連絡無精なんだろうと思う。「誰かを誘いたい!」と思っても、実行に移されることは滅多になかった。この「誰かを誘いたい!」という欲求が私の中で沸々とわいてくる時には、2パターンある。ひとつは、「一人で平気なままでは、多分ヤバい!」と、なんとなく孤独死や老後の孤立へと地続きになっているような焦りを感じる時。何かキッカケがある訳ではないけれど、湯船に浸かりながらただボーッとしている時とか、真夜中になかなか寝付けない時とか。思い付いたように、ふと感じることがある。「このままでは、絶対に駄目だ! ひとりで死んでいくことになるかもしれない」という確信みたいな思いが、だんだんと焦りに変わっていく。しかし、単純な性格をしているからなのか、眠りについて、夜が明ければ、そんなどうしようもない焦りが頭の中からサッと消え、いつも通り生活に戻っていく。相変わらず一人でいても平気で、全然寂しいとも思わなくて、「ずっと一人でいても寂しいとすら思わないのは、やっぱり駄目なんじゃないか? 自分は、何か感情が欠けているのでは…?」「でも、寂しいと思えるようになるには、何から始めればいいんだ…」と、考えが頭の中を巡る。この行きつく先のない焦りは、もう一種の病気みたいなもので、昔からずっと感じている。どうしようもない。多分、今後も私の中で戦っていかなければならない感情のひとつなんだと思う。限られた時間の中で、誰かを犠牲にするなんてできないもうひとつは、「これは、誰かと共有した方が一人よりもずっと楽しいんじゃないか!?」と思い付いた時。この場合が、なかなか厄介なんじゃないかと最近になってから余計に考えるようになった。誰かと共有しても楽しいかもしれないことのひとつとして挙げられるのが、旅行だ。私は大学時代から海外旅行が好きで、社会人になった今でも趣味の一つとして継続している。というか、実はこの原稿もインドの北部・レ―という土地で執筆している。泥まみれの状態でヒッチハイクをしながら移動をしたり、現地人と同じ食事を取りながら会話を楽しんだりするのも好きだ。でも、仲のいい友達と少し高めのホテルに泊まって、ちょっとロマンチックなバーでカクテルを楽しんで、ああだのこうだの言いながら観光地を巡るのも、きっと同じくらい楽しい。今年の年末はどこで過ごそうか考えた時、誰か親しい友達と一緒であれば絶対に楽しいだろう、とふと思った。0時ぴったりの花火を見て、初詣をして、お酒を片手に何かしら美味しいご飯を食べる。現地の習慣にならった新年の祝い方をしてもいいかもしれない。最高じゃないか! いい2018年を迎えられそうな気がした。具体的なことは何も考えていなかったけれど、妄想に妄想が進み、勝手に私の気持ちを盛り上げていたのだった。…と、折角気分が盛り上がっていたのに、誰かを誘うための壁にガンガンぶち当たっていく。さらに困ったことに、社会人になると時間やお金の使い方が人と合わなくなってくる。旅行なんて誘えたもんじゃない。銀行員やサービス業の友人は休みが合わないし、休みのスケジュールが同じ友人は年末年始に合わせてきっと田舎に帰るだろう。あの人は話をする分には面白いけれど、趣味が全く合わない。あの子と一緒に旅行をするのはなんか違う気がするし、あいつはいつも忙しそう……と考えていくと、全然気軽に誘えない。私がまだ大学生だった頃、「学生時代は時間があってお金がないけれど、社会人になるとお金があっても時間がないよ」と言われたことがある。当時は、「ふーん」くらいの感覚で適当に聞き流していたけれど、その言葉の意味がようやくわかるようになってきた。社会人になって生活の大部分を働くことに費やさなければならない。自分が自由に使える時間なんて、本当にわずかしかないのかもしれない。その限られた時間の中で、できること・やりたいこと・やらなければならないことは限られてくる。大人になると、どんどん選択肢も増えていくし、他人に迷惑をかけなければ自分ひとりでなんだってできる。だからこそ、自分が本当にしたいことしかしなくなるし、他の人の価値観も大切にするべきなんだと思う。無理矢理付き合わせてしまうのも悪いし。と、考えていると、やっぱり「まあ、ひとりでいいか」という結論に至って、私の単独行動に拍車をかけてしまっている気がする。Text/あたそ<誰かと買い物って楽しい?ひとりで戦い抜かなきゃいい買い物できないよ>もチェック!付き合うのも付き合わされるのも、楽しくない…。あなたにとっての買い物は、どんな時間ですか。
2017年10月24日ひとりであることに、寂しさや恐ろしさを感じる瞬間by Pixabay私には「寂しい」と思う瞬間が、人よりも極端に少ないんじゃないかと思っている。一人で好き勝手に行動し、なんでもできるようになってくると、寂しさや孤独がだんだんと感じられなくなる。鈍感になる、と言ってもいいかも。一人でいることが当たり前になると、誰かといることによる気疲れが胸の内でどんどん膨らんで、プラスに向いていた気持ちをどこかに吹き飛ばしてしまう。「寂しさを感じられる人は、誰かと一緒にいる楽しさを知っている人だ」みたいな言葉があるけれど、本当にその通りだと思う。私が身をもって、実感している。最近の私は、ほとんど一人で過ごしている。趣味である映画鑑賞も旅行も、思い立った時にフラッと立ち寄ることが習慣になった。人と会うのはお酒の席くらい。まあ、元々飲酒が好きだから、お酒を飲むついでに誰かに会う機会も異常に多かったりするんだけど……。今の生活サイクルは、自分的にかなり気に入っている。誰にも左右されず、好き勝手にできるのはそこそこ幸せなんじゃないかと思っている。他の人と比較するとつまらないだろうけど、自分が選んだ道だし、まあ、いいかな。でも、今のそれなりに満足いく生活の中でも、どうしても寂しさに耐えられなくなる瞬間がある。誰かとお酒を飲んで、少し酔っ払いながら終電に乗って、ぼーっと窓の外を見ながら帰路に着く。あの瞬間だけは、私がひとりであること、孤独であることに恐ろしさを感じて、どうしようもなくなる。誰かに話す訳にもいかず、いつも心の中で「死にたい、死にたい」とまじないのように唱える。体の中からひんやりとした感覚が襲う。そういった感覚から離れられなくなってしまうのは、大抵とても楽しい時間を過ごせたときだ。ある程度、心を開いている友人と美味しい酒を飲みながら近況報告をし、グラスの空き具合に比例して話が弾む。お酒を飲み、ゲラゲラ笑い、無敵になれる時間が過ぎると、先ほどまでのポジティブな感情が一気に引いていく。心や精神状態の均衡を保とうとするのか、もの寂しさがどっと私を襲うのだった。私たちはもう、これ以上は仲良くなれないなんで、寂しく感じてしまうのかなんて、とうに分かっていた。だって、私たちは今の関係を維持したまま、これ以上仲良くなることなんてできないじゃないか、と思うから。女友達は、これからきっと恋人ができたり別れたりする。そして、そのうち結婚して子どもをもうけるんだと思う。私より大切なものをどんどん作っていく。今の関係が最大だろうと思う。男友達なんてもっと最悪だ。今後もっと仲良くなるためには、今の友達関係を崩して、恋人同士になるしかないから。それに、友達同士でい続けることすら、なかなか難しかったりする。友達のままの関係を維持しようと思うと、そのうち彼女を作り、私という邪魔な女は排除されるのだ。結婚したらしたで、必要なくなるんだと思う。女友達、みたいな役割が。一番の親友が、お嫁さんになる(べき)だから。友達だけではなくて、人間関係なんていつ崩れてしまうのか分からない。気が付いた時には大体手遅れで、どうにもならないことが多すぎる。今はたまに連絡を取って、こうして顔を見合わせて、一つのお皿に乗せられた料理を突き合うような仲だったとしても、近い将来お互いにどうでもよくなってしまって、他人以下の関係に戻ってしまうことだって、大いにあり得ることだ。考えすぎかもしれない。でも、私からすると、ひとりでいることよりも、誰かと一緒にいることの方が、ずっとずっと寂しいと感じてしまう。ふとひとりになった瞬間、いつもと同じように過ぎていく未来のなさみたいなものをぼーっと考えている。Text/あたそ<誕生日を特別な日にしたい。でも私にとっての特別って何だろう>もチェック!楽しかったと思えるような日に、自分でコーディネートしてみませんか>
2017年09月26日第22回「各々がクリエイティブ」(c)つめをぬるひと今回は「ひとりでいることも好きだが、SNSで充実した投稿を見ると寂しくなる」という投稿。夫婦やカップル、子どもの写真など、人の幸せな様子を見ていると、そう感じてしまうのも分からなくはないが、幸せそうな投稿=その人の本当の姿、ではない。Facebookでは楽しそうな投稿が多いのに、Twitterでは愚痴がまじった本音をつぶやく、という人も少なからずいる。むしろ、その多面性が本当の姿なのでは。先日テレビで「友達とカフェにいる風を装う為に1人で2人分注文して写真を撮る」という女の子を見た。そうまでして…とも思うが、おそらくこれも彼女に言わせれば「個性」だ。だが、「個性」を奇特なもの、人が持ってないものを持っていることだと勘違いしている人が多い。持っているものや髪型、服装を「○○みたい」「○○系」とくくられるのが嫌という人。もっと個性のある人になりたい、と「個性」というものに強い憧れを抱いている人。でも、なぜか、そういう人に限って「まさに○○っぽい」と何かしらのカテゴリに当てはめられてしまう。普通が一番難しい。一見普通のことのように思える「子どもを産み育てること」は「とてもクリエイティブなことだ」となにかのインタビューで読んだことがある。誰かが作った音楽やアクセサリー、イラストを載せた記事も、夫婦や子どもの写真を載せた記事も、その人が作り出した「作品」と思ってSNSを見ると、寂しいというよりも感慨深くなるんじゃないだろうか。Twitterで流れてくる捻くれ且つ的を射た文章。facebookやインスタで見かける幸せそうな姿。どちらも秀逸。どちらもクリエイティブ!どちらが上ということではない。どちらも評価されるべきということだ。今回は、各々の作るものがそれぞれクリエイティブだという主張で爪を作った。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<転職の行先>もチェック!人生を面白い方向に進ませるのはたったひとつの決断かも…。
2017年09月04日「ひとり」か「ふたり」かなんて、本当は外からはわからない西川美和さんの『永い言い訳』を、映画でも原作小説でも、ご覧になった方はいますか? 妻を交通事故で亡くした主人公が、同じ事故で妻の友人を亡くした遺族と、交流を深めていく過程を描いた作品です(私は原作小説で読みました)。そんな『永い言い訳』の特筆すべき点はやはり、「愛する妻を失った夫の物語」ではない、というところにあると思います。「愛する妻を失った夫の物語」であれば、映画や小説の主題として考えた場合、取り立てて珍しいテーマではありません。『永い言い訳』は、「もう結婚してからずいぶんと期間が経っている、愛しているかどうかよくわからない妻」を失った夫の物語なのです。「愛のない夫婦」は本当に冷たいか主人公の幸夫は妻が亡くなったという知らせを聞いても、茫然自失としているだけでまったく悲しみを表しません。一方亡くなった妻の夏子も、幸夫に対する愛情はとうの昔に薄れていたことが、死後になって発覚します。だけど、もう愛してなんていなくても、長く同じ時間を過ごしてきた相手には、愛と見分けがつかない情があります。『永い言い訳』はその、「男女や夫婦の愛ではない、だけど大切な人に対する思い」というのが描かれていた作品だったと思うのです。もう一つ似たような夫婦の情を描いた作品で、池田理代子さんの漫画『ベルサイユのばら』で、私がすごく気に入っているシーンがあります。フランス革命によって夫婦そろって追い詰められ、最終的にアントワネットの夫・ルイ16世が死刑台にのぼることになってしまった際のエピソードです。「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」のセリフで悪名高いアントワネットはそれまで、豪華な服やギャンブルで浪費し放題、さらにスウェーデンの伯爵フェルゼンとの不倫の恋に溺れていた、とんでもない妻でした。そんな彼女が、死に際に冴えなかった夫・ルイ16世への思いを独白しているシーンがあります。いわく、不倫相手であるフェルゼンに抱いたような熱い思いを、夫に向けたことはなかった。だけど、長年連れ添ってきた夫には淡い情のような感情があって、これだって愛に違いはなかったのではないかというのです。そうして、心の内で自分の思いを噛み締めながら、死刑台にのぼる夫を見送ります。「夫婦」と一言でいっても、愛し合っている夫婦もいれば憎み合っている夫婦もおり、またほとんど何の感情も抱かず、お互いを空気のように思っている夫婦もいます。そしてそれぞれの関係において、二人の間にあるのが「愛」なのか「打算」なのか「情」なのかというのは簡単には見分けがつきません。多くの人が憧れるのはそりゃ「愛し合っている夫婦」だろうけど、どの関係が尊くて、どの関係が尊くないか、なんて一言ではなかなかいえないのではないでしょうか。『永い言い訳』や『ベルサイユのばら』を読むと、私はそんなことを考えるのです。だれがどんな思いで、だれといるかはわからないとなると、ひるがえって我々「おひとりさま」だって、夫婦以上に多様な存在のはず。「おひとりさま」は一般的に、独身者のことを指すのでしょう。さらにいうと、恋人がいないとか、友達が少ないとか、大勢といるよりも一人で過ごすのが好きだとか、いろいろな要素を連想させる言葉です。だけどそんな「おひとりさま」であっても、家族や友人、あるいはそれ以外の関係の人で、大切に思う人、情や因縁で離れられない人がいるということもあるわけで。外から見たら「ひとり」だけど本当はひとりじゃないということもあるし、外から見たら「ふたり」だけど実際はひとり以上にひとりだった、というケースもある。だれがどんな思いで、だれと関係を結んでいるか・いないかは、外からは絶対にわからないものです。「ひとりでいるのって寂しいでしょう?」と人に言われても、その人に私たちの真の姿が見えているわけではありません。本当に寂しいのは、実は「ふたり」でいるその人のほうかもしれない。だからやっぱり、他人の視線に傷付く必要なんてないんだと思います。外からは、私たちの実態は見えないのだから。だれがどんな思いを抱えているかはわからない。「ひとり」とか「夫婦」とか「子持ち」とか、そういう外からわかる枠組みだけで境界線を作りたくないなあと、最近の私はよく思います。Text/チェコ好き前回記事<「好きな絵は?」親しいあの人に不意打ちでぶつけてみたい質問>もチェック!どうせなら「えっ、考えたこともない」という質問を親しい人にぶつけてみてはいかがでしょう?
2017年08月25日第20回:「出会い方は千差万別」(c)つめをぬるひと今回は、合コンや婚活を始めた女性の「長く付き合っていきたいという人になかなか出会えません」という読者投稿。最近は人と出会う手段やサービスが多岐にわたっており、結婚を目的としたものや、そうでないものも含め、幅広い街コン・婚活イベントが存在している。婚活や街コンに積極的に参加している人の話を聞く限りだと、何度参加しても、長く付き合いたいと思える人に出会うことは難しいようだ。長く付き合いたいと思える人、とはどういう人か。その条件をいくつも挙げてみることは簡単かもしれない。だけど、今後出会うかもしれない「長く付き合いたい人」からも同じように、自分が条件を満たす人だと思ってもらえるか、ということも忘れてはいけない。人との関わり方も時代と共に変化しつつあるからなのか、昨今の街コンや婚活ビジネスは賑わっているように思う。ちょっと検索しただけでも、アニメ街コン、読書街コン、陶芸街コン、座禅街コン、手作り餃子街コン。手作り餃子街コン? もう普通に食べて帰って満足ってことにならないだろうかそれは。むしろ食べて帰って満足でも、楽しめればそれで良いのかもしれない。いやだめか。今回はちょっと難しいが、街コンビジネスの賑わいっぷりを考えながら描いた。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<一人暮らしはタフになれる楽園>もチェック!「一人暮らしの内に秘めた楽しさ」がテーマの爪です。
2017年08月07日謎の罪悪感でモヤモヤしたときに以前、こちらのSOLOで「さみしさは敵か」という特集をやっていました。実は特集が終わった後も私は一人で、この「さみしい問題」について少し考えていたのです。「夫が長い狩りに行った時だ。そんな時は心配で眠ることができない。怪我をしていないか、蛇に噛まれていないか、オカバに襲われていないか。とても心配になる。陽が沈んでも帰ってこない時はとても悲しくなる」「夫が隣村に行ってずっと帰ってこない時、とても淋しくなる。狩りから帰ってこない時も淋しくなる。だから、子どもたちを叱る。『どうして一緒に行かなかったの!』と言って探しに行かせる」(国分拓 『ヤノマミ』新潮文庫、p221)上の一節は、広大なアマゾンに住む原住民「ヤノマミ族」と、150日間にわたる共同生活を送り密着取材を行なったNHKディレクターによるノンフィクションから引用したものです。話をしているのはヤノマミ族の女で、年齢はおそらく私たちと同じ20代か30代くらい。ヤノマミ族は今でも電気も水道もガスも持たず、外部の人間からもらう石鹸が貴重品という原初の暮らしを営んでいます。そんな彼らでも「夫が帰ってこなくて悲しい」なんて、私たちと同じようなことを考えるんだなあ~と、この一節は読んだとき新鮮だったんですよね。まあ、文明があってもなくても同じ人間なんだから当たり前といえばそうなんですが。さみしいのは、お腹が空くのと一緒だからしょうがない!電気・ガス・水道はもちろん、それ以外にも様々なものを高度に発達させ、テクノロジーに囲まれて生きている私たち。夜寝るときに屋根からコオロギがどさどさ落ちてくる(ここの描写まじで怖ろしいです)ヤノマミ族と比べるとすごく快適だし便利だけど、社会が複雑なだけに余計な感情を抱え込んでしまうこともあります。そんなとき、旅行に出かけて南の島のビーチをテロテロのTシャツと短パンで散歩してみたり、『ヤノマミ』などを読んでアマゾン原住民の暮らしぶりを知ったりすると、「人間って本来、どういう生き物なんだっけ?」という根本を振り返ることができます。私が感じたことをもうちょっと率直にいうと、「ヤノマミでさえさみしいときはさみしいんだから、もう人間にとってさみしいっていう感情は、食欲や性欲や睡眠欲と一緒で、どうしようもないものなんだな」ってこと。「さみしい」と感じるのは「お腹空いた」と同じ、一種の生理現象です。違いは、お腹は食べれば満足するけど、さみしさをすぐに埋めるのはちょっと難しい場合があるってことだけ。そういう意味では性欲と近いし、近いっていうか、実際に広い意味で考えると性欲なのかもしれません。それからもう一つ。現代でもまだ「結婚して子どもを育てるのがもっとも人間らしい生き方!」みたいに考えている人はいますが、ある意味で私たちより人間らしい生活をしているといえるヤノマミ族にも、独り者はいます。といっても、ヤノマミ族は狩りで食料を得ているので女性の一人暮らしはやはり難しいのか、男性ではありますが、ヤノマミ族のパオロという男は「一人が一番いい」と言いながら陽気に一人暮らしをしています。原初の暮らしをしているアマゾン原住民の中にも「一人が最高!」と強がりでなく言っている人物がいるのだから、今は一人でいたいな~と思う私たちの考え方もまったく変じゃないし、新しくもありません。感じていることは複雑にせず、できる限りシンプルに「さみしい」という感情そのものよりも、「周囲にさみしい人間だと思われるのが嫌」みたいな、1つ異なる次元の複雑な感情を抱いてしまっているときってありますよね。そういうときに、国境や歴史や民族を超えて、今私たちが暮らしている社会とは異なる社会を覗き込んでみる。すると、「さみしい」は食欲や性欲と同じなので消せないけれど、「さみしい人間だと思われるのが嫌」なんて考えているヤノマミ族はいないので、こっちは抱く必要のない感情なんじゃないかな? なんて考えることができます。自分と自分の身の回りのことだけ考えていると、どんどん煮詰まってきて出口がなくなってきてしまいます。そういうときに、少し視線を変えるだけで考えをシンプルにできることがあります。仕事以外の場で、複雑なことはあまり考えないほうがいい。煮詰まってしまったら、そんなことをちょっとだけ、思い出してみてほしいです。Text/ チェコ好き前回記事<自分の中のグレーな気持ちを、笑って流してしまっておく>もチェック!家から一歩も出ずにのんびり過ごす休日が、好き。それなのに、なんだかモヤモヤするときありますよね?
2017年07月14日第17回:「成長を求めることと無いものねだり」(c)誰に見せるでもない爪今回の読者投稿は人生を大きく変える目標も、覚悟ももって夜職をはじめた、という方。「あまり人に言えてないですが、いつか全てのことに胸を張りたいです」と書かれていた。夜の仕事を人に言えない、胸を張れない、という人はいるかもしれないが、昼だって夜だって、経済を動かす立派なお仕事。では、胸を張って働くとは、どういうことなんだろう。端から見たら十分胸を張って良いはずの人でも、自分自身ではそうなれない人がいる。周りは自分よりも楽しそう、自分よりも稼いでいる、自分よりも若い、結婚している、子供がいる、充実している、という「隣の芝は青い現象」(以下、芝現象とする)が起こる。これは本人の性格の問題なので、自分で終わらせるしか方法がない。以前、俳優の高橋一生が某テレビ番組で「売れなくても良いんだ、って言ってる人たちって批判家っぽくなってくる」と言っているのを見たことがある。芝現象を直視したくなくて、他への批評でカバーして安心したいことのあらわれなんだろうか。それらを見て思ったのは、成長を求めることと無い物ねだりは紙一重ということだ。芝現象に引っぱられず、十分胸を張れることをしていると自分を認めつつも、現状に満足せず、目標に向かうこと。このバランスが難しいところではある。目標や覚悟もなくただ漠然と昼に働く人もいれば、今回の読者のように目標があって夜に働く人もいる。今回の読者はそれだけでも十分胸を張って良いと思う。胸を張って働くとは、自分を認めてあげることなんじゃないか。たしかに世間体的なこともあるけど、無駄に私の座右の銘を公表すると「言いたい奴には言わせておけ」だ。今回はそんな芝現象と野心の狭間のようなものを描いた。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<嫌いなものが似ている同士は長続きする説>もチェック!「嫌いなものが似ている同士は長続きする」がテーマの爪です。
2017年06月26日第16回:「嫌いなものという判断材料」(c)誰に見せるでもない爪今回の読者投稿は「彼氏がいるのですが、結婚相手には向いてない気がしてきました…彼氏と別れるべきなのか、決定打にかけているので踏み切れません。とはいえ、また一から関係構築するのも億劫で。」という女性。私は去年放送されたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」から、火曜22時のTBSドラマを見続けている。その後の「カルテット」も、現在放送されている「あなたのことはそれほど」も夫婦の描写が多く出てくるが、どの夫婦も「結婚するまでの恋愛」ではなく、どちらかというと「勢いで結婚したその後」の描写が中心となっている。うまくいったり離れたり、人によると言ってしまえばそれまでだが、本当の相手を知って離婚するくらいなら、結婚する前にそれが判断できないものか。そう考えたことがある人は多いはず。分かっている。でも、そう簡単にはいかない。「あなたのことはそれほど」でも、結婚する時より離婚した時のほうが、相手がどういう人間か分かるという主旨のセリフがある。私が聞いたことがあるのは、「好きなものが似ている人よりも嫌いなものが似ている人のほうが長続きする」説。食や人、物事の好き嫌い。今付き合っている人はどうか。過去の人はどうだったか。それだけとは言わないが、何らかの判断材料にはなりそうな気がする。今回は嫌いなものが似ている人について描いた。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<お金がたまらない人は「罪悪感のない買い物」をすべき?>もチェック!「買い物の葛藤」がテーマの爪です。
2017年06月12日謎の罪悪感でモヤモヤしたときに『孤独な夜のココア』(新潮文庫)/田辺聖子 著/新潮社主人公の千田サンは、シナリオ学校で出会った裕二という男と5年前まで同棲をしていました。しかし裕二は、仕事はせず無職で、家事をやってくれるわけでもなく、小遣いをもらい、さらに実は浮気までしている。誰がどう見たってダメ男なので、千田サンの友達である多枝子・純子も、「いいかげんにしなさいよ」と主人公を諭します。ずるずると裕二にお金を渡していた千田サンもそこで目が覚め、最終的には怒鳴って裕二を家から追い出します。しばらくは恋人との別れを悲しむことになっても、厄介なダメ男がいなくなったわけなので、通常ならここで「悪い男から解放されてよかった!」と思うところでしょう。ですが、千田サンはそうは考えません。裕二に半分だまされるような形でお金を渡し続けていたときも、自分自身はまったく嫌ではなく、むしろ友達に諭されるまでは彼との生活を幸福だとすら思っていた。そして裕二と別れて5年経った今も、その幸福だったと思う気持ちは変わらず、ただそれは石のように固まってしまったというのです。友達の多枝子・純子が悪者というのではありません。むしろ彼女たちは本気で千田サンのことを心配して、裕二を追い払おうとしてくれました。普通に考えれば、家事もしないで浮気をしているヒモの裕二が悪いので、千田サンを説得した多枝子・純子のほうが圧倒的に正しい。そして、自分をぞんざいに扱う恋人より自分を心配してくれる友達の言葉を信じた千田サンもまた、圧倒的に正しい。「世俗の風が舞い込んだとき、その幸福は石になったのだ。五年たってやっとわかった」。小説はこんな一文で終わっています。白黒つけられない「グレー」な気持ちを保存しておくデートでお金を払わされるなんて不幸。浮気をされるなんて不幸。恋人と長続きしないなんて不幸。彼が無職なんて不幸。仕事が充実していないなんて不幸。友達がいないなんて不幸。介護などの事情があるわけでもないのに実家で暮らしている独身なんて不幸。世の中にはそんな「いわゆる不幸」のイメージが溢れかえっていて、しかもそれは多くの場合あからさまに否定できないというか、「まあ、そうかも」とこちらを思わせるある種の正しさを持っています。だけど、そんな正しさに押し殺されることなく、自分自身の意志を貫く──というのもまた普通の人間には難しいし、やっぱり小遣いをせびってパチンコに行くようなヒモに寄生されている生活が、そう長く続くとも思えません。したがって、このあたりはバランス感覚が要求されるでしょうが、「世俗の風」を無理して跳ね返すでもなく、しかし完全に飲まれて自らの向く方向を変えてしまうでもなく。小説の中の千田サンが考えたように、「間違いだらけだったかもしれないけど、あれはあれでけっこう幸せだったんだよな」という気持ちを、石みたいに固めて保存しておく。正しいとも間違っているとも言わずに、そこは苦笑いでノーコメントにしてしまって、そっと胸のうちにしまっておく。そんなことがもしできたら、自分自身が救われるのはもちろんだけど、他人に対しても少し寛容になれる気がします。また不毛な恋愛してるよとか、また上司の愚痴言ってるよとか、自分にも他人にもいろいろ思うことはあるけれど、人間そんなにはっきり白黒つけられません。自分の中のグレーな部分をこっそりしまっておいて、普段は流しておいて、いざというときだけパカっと蓋をあけてあげる。なんかババくさいし卑怯な気もしますが、強くなるってそういうことなのかもしれません。というわけで私も、家から一歩も出ずに朝から晩まで読書している自分を、あまり責めないであげようと思います。ああでも、あったかくなって来たし、たまには友達とランチにでも行こうかな。『孤独な夜のココア』は、そんなグレーな気持ちがたくさん詰まった短編集なので、気になる方はぜひ手にとってみてください。Text/ チェコ好き前回記事<独身女性の人生のロールモデル。誰にするのが適切だろう?>もチェック!憧れの年上女性はいるべきか、について
2017年05月25日第11回:存在感がなくても「楽しみではあるのですが、うまくやっていけるか、心配です。」今回の読者投稿は4月から新社会人になる方から。なんかもう見ただけで若さや眩しさを浴びてしまうのは私だけではないはず。そんな不安を和らげられるか分からないけど、私の新社会人エピソードといえば「iPhoneの目覚まし」だ。数年前、新社会人として某社に就職した私は、本社で研修を受けていた。近くのホテルの各大部屋に約6人ずつ同期が割り振られ、4泊をそこで過ごす。もちろん研修が主なので、そこまで私語はできない。というか、そうでなくても私はあまり人と話すほうではなく、人との距離を図るまでの気まずさは、居心地の良いものではなかった。が、そういう気まずさは思いもしなかったきっかけで崩れる。1泊した朝。おそらく控えめに設定したであろう各々の携帯が鳴る中、私のiPhoneが鳴った。iPhoneをお持ちの方は目覚ましのサウンドでクラシックの中の「アラーム」を選択して聞いてほしい。そのけたたましいアラーム音が最大で鳴ったのだ。もはや警告音。「研修では存在感のなかったあの人がここにきて存在感を」というギャップと、「朝だし眠いし周りからどう思われようと知ったことか」という私の間違った“旅の恥はかき捨て”状態に同期は失笑せざるを得なかったようだ。2泊目以降は「その音なにさ〜」「そりゃ起きるわ〜」「あはは〜(私アラーム止めない)」みたいなやりとりが続いたが、思えば一番最初に「それうるさいって笑」と言ってきた同期は、その後同期の中で一番飲みに行った人だった。無理に存在感を出そうとしなくても、意外なところから出たものがその後の関係にちゃんと作用してくれる。今回は、一見存在感のないものがけたたましいものを放つ様子を描いた。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。前回記事<決めなきゃいけない。「モラトリアムの終焉」は秒速でくる>もチェック!「モラトリアム」がテーマの爪です。
2017年04月03日第6回:ないものねだりを利用する「家にいるのも飽きてしまいました。どう過ごしたらいいのか分かりません」という読者投稿をいただいて、自分の過ごし方について考えてみた。私は、家に居ると外に出かけたくなってしまい、外に出ると家に帰りたくなってしまう。今度の休みはあれを食べに行こう、あの展示を見に行こうと外出欲が出ても、いざ休日になってある程度用事を済ませてしまうと、家にいる自分を想像してしまう。適当なおつまみを作ってベランダで昼からお酒を飲んだり、ずっと見たいと思っていた映画を部屋で見たり、作り置きを作って平日の楽しみにしたり。誰かと飲みに行くにしても、昔だったらオール明けにふらふらと始発に乗る感じが好きだったが、今は少なくとも終電で帰り、家の布団で寝ることの幸福感のほうが勝ってしまっている。“家が飽きたなら外に出よう”という単純な回答には聞き飽きたものだが、要は、ないものねだりをうまく利用するということだ。「描けない時は何もしない。すると自然と描きたくなる」と某ジブリ作品でも言っているように、煮詰まってたことからあえて遠ざかると、自然とその物事に戻ってしまうもの。家で楽しく過ごしたい人は、外に出てみるのが近道かもしれない。Design&Text/つめをぬるひとこの連載では、爪作家である私が、読者のみなさんが「どんなおひとりさまか?」をヒントに爪をつくります。あなたのエピソードを添えて、送ってください。
2017年01月23日『さみしさサヨナラ会議』(宮崎哲弥と共著)という著書もある月読寺住職の小池龍之介さん。前回、“さみしい”という感情は脳内物質による錯覚が引き起こすもので、人間関係では満たすことができないと伺いました。後編となる今回は、そんな“さみしさ”とうまく付き合う具体的な方法や、「“おひとりさま”はかわいそう」という世間の偏見に負けないための心得を教わりました。さみしさを埋めようとすると“心の借金”が増えていくだけ――そもそも“さみしい”と感じてしまうのは、悪いことなのでしょうか?何を良い/悪いとするかにもよりますが、仏法的な観点からすると、苦しみが増えるのはよくないこと、苦しみが減るのは好ましいこと、とします。ですから、さみしいと感じると苦しみは増えるので、悪いことだと言えそうですね。ところが、これにはカラクリがあって、多くの人は自分のしていることが“悪いこと”だとわかると、自己嫌悪や罪悪感が湧いてきて、苦しみが増えてしまうんです。だから、「さみしくなっている自分はダメだ」と自分を責めたり、抜け出そうともがくことで、余計に苦しみが増えてしまっては本末転倒です。――では、どう対処すればいいのでしょうか?さみしさは、抜け出そうとするとうまくいかないんです。たとえば、さみしいと感じているとき、私たちは「さみしさの部屋」にいるとしましょう。そこで、“さみしさポイント”10Pを受け取ります。でも、その部屋の中にとどまってじっとしていれば、さみしさはやがて消えてなくなり、10Pは返済できるんですよ。ところが、となりに「友達に電話する部屋」があると、多くの人はつい安易に移動して「さみしさの部屋」を抜け出そうとします。でも、そうすると10Pは返済されずに借金として残る。しかも、電話が終わるとまたさみしくなって10Pが発生してしまい、さみしさの総量が増えてしまうんです。――さみしさを埋めるために、別のことをしてはいけないということですか?さみしさを何か別の手段で紛らわそうとする行為はすべて、「さみしさの部屋」から別の部屋へ移動しただけです。つまり、“さみしさポイント”という借金を返済するために、別のところから借金をしている状態なんです。特に、電話やメール、SNSといった人とのつながりや恋愛など、人間関係で孤独を紛らわそうとするのはおすすめしません。自分の欠損を満たしてくれる相手を求めると、特別扱いしてもらおうと傲慢な態度を取ったり、過剰に卑屈になって相手に従属しようとしたりと、ろくでもない行動を引き起こしてしまいます。だから、さみしいときは人に会うべきではないし、新しい出会いも求めてはいけないんです。さみしさも怒りも、必ず消えていくもの――では、具体的にはどうすればいいんですか?何もしないことが大事です。まず、さみしさを感じている自分を、「かわいそうだ」とか「ダメな人間だ」などと一切“評価”しないでください。さみしい自分を、ただ“認めて、受け入れる”だけでいいんです。ざわざわ、もやもやするような、なんらかの身体感覚に意識を向けて、さみしさに寄り添うイメージを持ってください。――さみしさに寄り添うとは…?心の中で、自分自身に声をかけてあげましょう。「さみしいんだね、わかるよ、大丈夫だよ」とか、「じっと待っていればそのうち消えるからね」とか、小さい子どもをなだめるような感じです。他のことで紛らわすのではなく、さみしさのエネルギーそのものと一緒にいてあげて、消えてなくなるまで待つようにしてください。――では、寝て忘れちゃうというのもアリですか?それも「寝て忘れる部屋」という別の部屋に移動して、借金を増やすことと同じになってしまいます。もし、起きていると何かしたくなってしまうなら、楽な状態でゴロゴロと寝転がって天井の木目を数えたり、公園で空を眺めたりして、さみしさが収まるのを静かに待ってあげましょう。意識のある状態で、さみしさが減っていくのを体感しきることが大事なんです。――なぜ、“さみしさポイント”の借金は増えてしまうのでしょうか?前回お話しした通り、“ドーパミン中毒”が原因です。さみしさを別の手段で満たすということは、刺激が入力されることでドーパミンが発生し、脳が快楽を得るということです。ところが、次はもっと強い刺激や快感でないと物足りなくなるため、どんどん耐性ができてしまいます。昔は手紙や電話くらいしか手段がなかったので刺激自体も弱かったし、ドーパミンが切れても、次の刺激を受け取るまでにそれなりの時間がかかりました。そのため、そこまで重いドーパミン中毒にはならずに済んでいたんです。ところが現代のSNSは、刺激が入力される頻度や速度、その強度もケタ違いに大きいですよね。不特定多数の人から一度に注目され、圧倒的な承認を得られますが、私たちの脳には刺激が強すぎるんですよ。一度に受け取るドーパミンが多すぎてすぐに飽和してしまい、耐性がついてどんどんさみしくなっていく。借金がものすごいスピードで増えていくということです。――でも、“さみしさ”には終わりがくる、とは思っていませんでした。この方法はさみしさに限らず、“怒り”に対しても有効です。「物に当たる部屋」や「怒鳴りちらす部屋」、「怒りを我慢する部屋」に移動してしまうと、“怒りポイント”は返済されないまま借金としてどんどん溜まっていきます。だから、必ず「怒りの部屋」にとどまって、「そうか、イライラしてるんだね、大変だね」と怒りの感情に寄り添ってあげれば、怒りポイントのゲージは減っていき、そのエネルギーも自然と収まっていきます。安心感が諸行無常であるように、さみしさも怒りもすべては無常で、必ず消えていってしまいますから。“たまたまひとりでも大丈夫”と思えばいい――無理して恋愛や結婚をしなくていい、と思っている人でも、周囲からの「ひとりなんてさみしい人だ」という価値観にさらされて、考えがグラついてしまうこともあると思うのですが…。いまや、ひとりで生きていくこともひとつのスタンダードですから、以前と比べれば「ひとりなんてかわいそう」という視線の圧力はだいぶ弱まっているとは思います。むしろ、圧力をかけてくる人たちに「他人の愛情に頼って依存する価値観でしか生きられないのね」と心の中で見返してやることもできるでしょう。ただ、味方や仲間がいるとか、“おひとりさま”というグループに所属していることに安心している、という意味では、孤独やさみしさを受け入れているとは言えないでしょうね。――でも、周りの目がどうしても気になります。それは、幼い頃に親の視線を自分の中に内面化するクセがついているからです。子どもは、親に同調することで愛情や承認を得て、庇護やお世話をしてもらう戦略を取ってきました。そのせいで大人になってからも、相手や世間の規範を内面化しないと、見捨てられ見放されてしまうんじゃないか、という恐怖が残っているんです。――自分の身を守るために、周りに同調してしまうんですね。そういった心の仕組みをわかっていれば、「ひとりってさみしくない?」と言われて心がグラついてしまいそうなときに、「ああ、私は今、この人に嫌われたくないという“さみしさ”を抱えているんだな」と自己分析できるようになるのではないでしょうか。まあ、こうなるとほとんど修行の域ですけどね。ただ、“おひとりさま”として生きていこうとしている人が、他人から言われて不安になってしまうようでしたら、その人はたぶん強がりで“おひとりさま”を選んでいる可能性があると思うんです。前の恋愛で痛い目を見たからもう嫌だとか、どうせ他の男もそうに違いないとか、何かしらの強い感情によって孤独を抑え込んでいるのだとすれば、あまりよくない状態だと思います。それは、「強がってやせ我慢する部屋」に移動しているだけですから。――心から“おひとりさま”であることを受け入れていないと、それも借金を増やしていることになるわけですね。私たち人間は、そもそも生まれたときから孤独でさみしい存在なんです。恋愛相手であれ、自分の親であれ子どもであれ、ある特定の人間関係に自分のさみしさを預けて解消してもらおうとすると、必ず痛い目に遭います。まずは「さみしいから」という理由で人とつながるのをやめてみましょう。「さみしい自分はかわいそう」などと評価せず、さみしいという感情にただじっと寄り添い、受け入れることができるようになると、ちょっと大袈裟な言い方ですが、人生が変わります。つまり、人間関係に過剰な期待をしなくなって、精神が自立した状態になります。――かなり強い心が必要になりそうですね。だからといって、一生ひとりぼっちになるわけではありません。むしろそういう状態のときに出会い、関わる人とのほうが、強烈に求め合うような刺激はない代わりに、ほどほどに満たされた、安定した人間関係を築けるようになるでしょう。さみしさとうまく付き合って自立できるようになれば、わざわざ「自分はこの先ずっとひとりで生きていく」と頑なに決めなくてもいいんです。“たまたまひとりでも大丈夫”なだけであって、運良くいい人が現れたら好きになればいいし、結婚してもいい。いなければ、それはそれで「ひとりでもいいや」と思える。そういう精神状態を保っていられるなら、相手がいてもいなくても、どちらでもハッピーなのですよ。Text/福田フクスケ■プロフィール小池龍之介(こいけ・りゅうのすけ)1978年生まれ、山口県出身。東京大学教養学部卒。2003年、ウェブサイト「家出空間」を立ち上げる。同年、寺院とカフェの機能を兼ね備えた「iede cafe」を展開(〜2007年まで)。現在は、鎌倉にある月読寺の住職として、宗派仏教を超えた立場で自身の修行と一般向けの座禅・瞑想指導を続けている。『考えない練習』(小学館文庫)、『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『しない生活 煩悩を静める108のお稽古』(幻冬舎新書)など著書多数。特集「さみしさは敵か」もあわせてご覧ください!・さみしさは“人とのつながり”では満たされない/月読寺・小池龍之介さん(前編)・美しいさみしさの奥にあるグロテスクな本音と向き合う
2016年12月05日こんにちは、恋愛作家の片瀬です。あなたはいま、好きな人はいますか?恋愛中で、彼との関係を進展させたい人、失恋して忘れられない人、もっともっと関係をよくしたい人…。いろいろな女性が、このコラムを見にきてくれていると思います。そのなかで、最近なかなか好きな人ができないという女性が増えているようです。仕事が忙しかった。いい人に出会えなかった。さまざまな事情はあるにせよ、彼女たちの共通の思いは「結婚もいつかしたい。でも、好きな人ができない!」。私にも経験がありますが、好きな人がほしいと焦れば焦るほど、「好きな人があらわれない」となげく結果になってしまいます。では、どうしたらいいのでしょうか。今回は「好きな人ができない焦り」について、お話ししたいと思います。■なぜ焦ってしまうの?「好きな人はつくろうと思ってできるものではない!」という言葉をよく聞きます。しかし、普段通りにしていても何も変化がないから「好きな人をつくろう!」と意思表示をして、行動するのでしょう。せっかく前向きな気持ちで恋愛しようと行動を起こしているにもかかわらず、好きな人ができない。そんなことが続くと、ついつい焦りが出てしまいます。そして、その焦りが自己嫌悪につながります。では、なぜ「好きな人ができない」ことに焦りを感じているのでしょうか。周りが結婚している(恋人がいる)結婚適齢期を過ぎた寂しい自分の焦りが明確になったとき、その焦りの半分以上は減っています。■「なんで?」「どうして?」を使って、理由を落としこむどうして焦るのかが明確になったところで、次は「どうして焦るようになったのか」を知っていきましょう。少し話は変わりますが、小さい子どもが「なんで? どうして?」と質問攻めにしてくる状況に出くわしたことありませんか? また、そんな話を聞いたことがありませんか?小さいころは全てが「わからない」ことだらけ。「わからない」を「わかる」に変えるため、大人の答えに対して、さらに「なんで?」「どうして?」をくりかえします。とことんわかるところまで、落としこむ作業をしているんです。この「どうして?」「なんで?」を取りいれてみましょう。たとえば、あなたが出会いがないと焦る理由が「周りが結婚しているから」だったとします。「周りが結婚しているから」↓どうして、周りが結婚していたら焦るの?↓「置いていかれた感じがする」↓なんで置いていかれた感じがするの?↓「結婚した人とは交流が少なっていくから、遊ぶ人が減って寂しい」「周りが結婚しているから」が、「寂しい」に変わりました。ということは、本当に恋愛したかったのは、寂しかったからなのです。もちろん、もっと掘りさげていくことで、より自分の気持ちを明確にできます。本当に結婚を求めていたのか、そうじゃなくてパートナーがいてくれるだけでよかったのか。結婚への思いが強かった場合は、合コンよりも婚活などの結婚を重視した出会い方にシフトチェンジするきっかけにもなります。自分を知ることは、これから先の行動を具体化させることでもあるのです。大切なことは、焦りの本当の理由が「自分の思っていたもの」とはちがうケースが大半だということ。自分が思っていた「焦り」は原因ではなく、きっかけだったのかもしれません。自分がどうして焦っているか、何に焦っているか。そして本当に自分は何を望んでいるかを理解してあげることで、出会いが一気に加速することは、少なくありません。出会いがないと思っているなら、まずは、自分がもとめている「出会い」を見つめなおしてみるとよいかもしれません。
2016年01月27日