H:ところで、ジョニオはまだ走っているんだよね。1回どれくらい走るの?J:10kmですね。H:すごいね。僕も水泳と加圧トレーニングをやっているけれど、運動しているとその間、モノを考えられるし、いいよね。アドレナリンも出るし。J:そうですね。ジョギングをしていると、その最中にいろんなことを考えるんですけど、考えがまとまるかというと逆にまとまらず、走り終えたときに、まっ、いいか、ってなっちゃうんです。あまり考えずその先に進むことっていうのはファッションに関しては、重要なのかも知れないですね。ただ、あの達成感というのはスポーツにしかないものだと思いますね。ショーをやってもあまり達成感というのはないんで。H:今年3月にパリで発表された14-15AWコレクションもそうだけれど、最初はストリートから誕生したアンダーカバーのコレクションは、シーズンを重ねるごとにどんどんモードぽくなっていってるよね。J:そうじゃないと、パリでやる意味もない。でも、その背景には僕が育ってきた東京とかストリートとか時代感が投影されている。パリでいろんなブランドがショーをやっていますけど、その意味では特殊な位置にいるブランドだと思います。H:特殊という意味では、他のブランドと全然違うよね。「サンローラン(SAINT LAURENT)」でエディ・スリマンがロックとファッションというイメージを打ち出して、既出感のあるアイテムを発表しているけれど、アンダーカバーは独自だものね。J:エディ・スリマンってすごくストレートですよね。LAとか行くと、ああいう格好した人いっぱいいるじゃないですか。H:そうそう。ライダースに黒のパンツ。確かにあれはあれで定番で王道でアリなんだろうけれど、あそこに手作り感はゼロだもんね。J:コレクションを見ていると、面白いと思うのと、それで良いのかなぁ、とどっちも考えますね。H:アンダーカバーが数シーズン前に白のライダースを解体してドレスを作っていたじゃない。アンダーカバーの象徴的なアイテムだと思うけど。同じライダースというテーマを扱うにしても、素材にして見せているジョニオの作品を見ると、エディ・スリマンとアンダーカバーの違いがハッキリしていると思う。J:パリの第一線でやっている人たちを見ていると、現れ方や育った環境が、自分が歩んできた経歴とかとまったく違う。東京でバンドやって、音楽が好きでいろんな人と遊んで、知らないうちに東京でショーをやるようになって、それがパリでショーをやるようになったという特殊な位置なんで、パリの業界のなかで一つそういうジャンルみたいなのが作れればいいなと思っています。自分しか出来ないことなんで。H:でも、それはもうすでに根付いているから、そうやって続けられてるんじゃないの?J:最近やっと認められつつあるんで、それをもっと面白くエスカレートさせたいといという野望はありますね。3/6に戻る。5/6に続く。
2014年05月29日昨年9月、ソロとしては2002年の『THe End』以来、バンドとしては2007年の「THE CHILL」以来となる作品『Monaco』でアーティストとしての活動が再始動した立花ハジメ。完全限定生産のUSBアートピースで初回発表された作品は、今年4月にそのダウンサイズUSBが発売され、音楽とアート、またデジタルピースの発表形態にも注目が集まっている。立花ハジメ(以下H):プラスチックスやっていた頃は、グラフィックデザイナーかミュージシャンどっちなんですか、とか言われたんだよね。当時はまだアーティストという呼び方も市民権を得ていなかったし。僕自身はいろんなことをやっているように思われるけれど、デザインと音楽しかしていない。洋服はね、好きだけれど楽しめればいいや、という感じであまりこだわりがない。ファッションに関してはヒロシやジョニオのフォロワーでいいやと思っている。デザインや音楽で誰かのフォロワーになってしまったら僕なんかはおしまい。(デザインと音楽は)やっぱり仕事だからね。楽しければいいや、というわけにはいかない。高橋盾(以下J):それは絶対そうでしょうね。H:でもジョニオなんてすごいと思うよ。アルバムを年1枚出すなんて言ったら、大変なことだけど、それを年2回もミュージシャンにとってはアルバムとも言えるコレクションを発表するわけでしょ。J:いや、それはサイクルが決まっているわけで。ファッションは展示会での発表と商売のベースが決まっているわけです。出来る、出来ないではなくて、そういうレールの上でやらないと、この業界やっていけないということですから。H:慣れなのかも知れないけれど、それにしてもすごいよ。J:慣れもありますけど、やっぱりファッションが好きなんで。H:今まで、今シーズンは休みたいと思ったことはないの?J:発表したくないと思ったことはないですね。ショー形式での発表をやりたくないということはありましたけど、違う形で発表を考えますし、洋服をデザインしたくないということはなかったですね。作りたいんです。今回、ハジメさんの新作『Monaco』は、自分もグラフィックをMacで作りますけど、自分が考え、捉えたりしているものと全然違うアプローチだから、作品自体を俯瞰して見ることができましたね。不思議でした。自分の場合はコンピューターを使うにしても、ウェブにしてもベーシックなことしかやらないから、もっといろいろ深い部分で捉えているんだなぁと。H:深い?J:ハジメさんは90年代の頃からタイポグラフィーやアプリケーションというテーマに関して、すごく神経質にかかわっているじゃないですか。神経質なアーティスト好きなんですけど(笑)。H:それはそうだね。本職だからね、やっぱり。神経質すぎるから、時々おかしくなっちゃう(笑)。去年も1年間ずっとこのMonacoを集中して作っていたから、発表した後の今年は少し緩んじゃう。だから、ジョニオが年2回、コレクションを安定して発表しているというのは人間としてすごいと思う。J:安定してとはいうものの、その中でいろいろ波があります。会社としていろいろなことをやるから売り上げの波もあるし、家庭のことを含めプライベートなことも考えなくてはいけない。アンダーカバーは来年25周年になるわけですが、以前は顧客も一緒に年齢を重ねてきたけれど、最近は20歳位の若い世代も再び増え始め、ブランドとしての波もある。そしてすべて早めに決断、処理していかないと自分の仕事のスピードに着いていけない。この業界にとってそれは非常に重要で、ミュージシャンのように2年に1枚などのペースでやってしまうと、逆に作品の製作中に間が空いて、そのことが不安になって自分には無理なんじゃないかな、と思う。H:『Monaco』自体の製作は時間的には実質、半年間集中して製作したわけだけれど、僕自身はそれが終わって、さあ次というわけにはやはりいかない。J:純粋なアーティストというのは,締め切りに追われて自分の中で不完全燃焼のまま、作品を発表するということはないでしょう。アーティストは自分のタイミングというのが最優先じゃないですか。H:それは、そうだね。J:ファッションデザイナーはそういう点ではアーティストと少し違って、もう少し職人的な感じがします。あまり考えすぎていたら、先に進めない。4/6に続く。
2014年05月29日H: 80年代後半というのはHIPHOPからHOUSEという時代の流れになって個人的には音楽もファッションもちょっとついて行けなくなった時代なんだよね。そこで登場したスターが、藤原ヒロシ、高木完とかジョニオなどだよね。そのジョニオがショーをやるからって、見に行ったのがリキッドルーム。J:リキッドルームでやった95年の3回目のコレクションですね。メチャクチャだったやつ。H:僕としては、あのMILKのひとみちゃんにくっついてクラブで遊んでいた“東京セックスピストルズのジョニオ”がショーをやるんだ。すごいなぁ、と思いながら見に行ったら、見終えて、これはすごい時代になったなと驚いた。J:メチャクチャですよ(笑)。H:(真剣な表情で)メチャクチャじゃなかったよ、全然。70年代から80年代に掛けてプラスチックスやYMOが登場するまで、日本からオリジナリティーが外に出るってことは無かったと思うんだけど、音楽でもファッションでも外国=カッコイイ、というのではなく、オリジナリティーを持って表現できるアーティストが出てきたんだ、と素直に思った。もちろん、それまでにデザイナーブランドとして東京でコレクションを発表してきたデザイナーの先達達はたくさん居たんだけれども、ジョニオのはストリートから出てきたものだったから。僕もそうだけど、ストリートデザインが好きだし、ストリートのアイデアが好き。東京でそういう見せ方をする若いアーティストが出てきたことが、素直にすごいと思った。僕がプラスチィックスや、それ以降にソロになって発表した『H』『Hm』『テッキー君とキップルちゃん』『太陽さん』などのアルバムや、タイポグラフィー展やアプリケーションツアーの個展もそうだけど、新しい考え方やスタイルをストリートからの視点で発表して、世界にそのセンスやモノを見てもらいたいというのが、僕が70年代からやって来たこと。その頃から蒔いてきた種がいろんな場所で形になってきたということかも知れないんだけど、実際には、あっ、ヤバイ!と思ったね。自分はその頃の音楽に着いて行けてなかった頃だから。スラッシュメタルとか、まったくダメだったから(笑)。J:確かに90年代に入ってそれまでの音楽と大きく変わりましたよね。僕もHIPHOPとハウスはダメだったんですよ。ハウスは今でもダメで、ずっとダンスミュージックは好きじゃない。H:音楽の入り口はセックスピストルズだったの?J:最初は歌謡曲とビートルズ、友達の影響でレッドツェッペリンとかも聞いてましたけど。ピストルズは中学1年生の頃に、そのネーミングとジャケットデザインがカッコイイと思って聞き始めました。H:それってリアルタイムじゃないよね。J:ええ、ピストルズが実際にやっていた頃って僕が7歳の頃ですから。中学の頃にピストルズと並行して日本のバンドとかを聞いていて、プラスチックスを知って、日本にもこういうことをやっている人たちがいるんだと思いました。H:ジョニオは結構幅広く聞くんだよね。J:ええ、山下達郎とか大好きですよ。あと、ジャーマンテクノ、プログレ、ハードコアとか。H:ノイ、カン、グルグル、クラスターとかジャーマンロックは僕も好きだよ。テレビジョンとかも好き?J:テレビジョン、大好きですよ。プラスチックスはメンバー自身がデザイナーやスタイリストが集まってやっているバンドで、それが格好いいんですよ。仕事があった上でやっていて、それで世界中で同じニオイを持った人達とつながって行くじゃないですか、それは自分がファッションでやっていることと重なる部分があるんですよ。自分達がやって来たことの、原点を世界レベルでやって来たルーツなんだと思います。H:ジョニオもデザイナーをやりながらバンドをやってたよね。J:ただ、バンド自身は自分の意志で始めたモノじゃないんです。MODSの森山(達也)さんが「お前、ジョニー・ロットンに似ているからバンドやれ」って言われて始めたモノだから、自分の中でそれがクローズアップされるのは少し……。H:パンクという存在はやっぱり大きくて。パンク以前は楽器へたな人は音楽やっちゃダメなんだというのが、パンク以降は感情だけで音楽をやってもいいんだ、センスだけで音楽やってもいいんだという風潮になった。感覚だけで、センスだけでデザインやってもいいんだというようにデザインにおいてもパンクの影響は大きくて、それがロンドンからNYやLA.、東京に飛び火して現在になっている。1/6に戻る。3/6に続く。
2014年05月28日70年代からプラスチックスを起点に、後に世界的なブームを巻き起こす東京ストリートカルチャー誕生の火付け役的存在の立花ハジメと、ストリートの流れをモードに消化して世界を相手にコレクションを展開する「アンダーカバー(UNDERCOVER)」のデザイナー、高橋盾(ジョニオ)が、お互いのクリエーションを振り返りながら、東京、音楽、ファッションについて語った。立花ハジメ(以下H):ジョニオと初めて会ったのっていつだっけ?高橋盾(以下J):東京セックスピストルズの頃でしょう。H:それっていつだっけ?J: (青山のスパイラルであった)「ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)」のショーに出た時ですよね、1989年か90年。H:そうだ、みんなで出たんだ。(藤原)ヒロシとか甲田益也子、(高木)完ちゃんとかと一緒に。J:日本のコレクターの人が持っているワールズエンドやセディショナリーズを着て。ヴィヴィアン本人も来日して。僕はまだ、学生だったんで、ヴィヴィアンの本物は持ってなかったですけど。ヒロシ君に誘われて。H:ジョニオ、あの時まだ学生だったの?NIGOとかも一緒の頃?J:そうですよ。文化服装学院の2年か3年生。NIGOは1年下です。そのショーで(MILKの大川)ひとみさんが僕を見つけて、次の週にあなた面白いからって呼び出され、それからあっちこっち遊びに連れてもらって。H:僕も(藤原)ヒロシを紹介されたのはひとみちゃんなんだよね。彼女はとにかく、キレイでカッコイイ才能のある子は男の子でも女の子でも大好きで、いつも若い子を連れていて、ツバキハウスやいろんなところ連れていっては、いろんな人を紹介するんだよ。J:僕の頃はもうツバキハウスはなかったんですが、もう毎晩クラブを4軒位回る。その頃は芝浦のGOLDとかピカソ。H:新宿の花園神社のところ何だっけ?J:元第3倉庫の跡のミロスガレージ。H:そう、ロンドンナイトをやってたよね。J:そのロンドンナイトで大貫憲章さんのレコードとかを学生の僕が運んでて、ただでクラブとか入れてもらってて。その時に、ヒロシ君が「君、おしゃれだね」と声を掛けてきて。H:へぇー。そうなの(笑)。J:僕はジョニー・ロットンみたいな格好していて。こっちは勿論、ヒロシ君のこと雑誌とかで知ってるじゃないですか。そこから仲良くなって、ヴィヴィアンのショーに出てって感じです。ハジメさんとはそのショーで直接お会いしたのは初めてですね。中学の頃からパンクとか好きだったんで、プラスチックスのこともリアルタイムではなかったんですけれど、レコードは聞いていたので立花ハジメの存在は知っていましたよ。H:僕自身はクラブとかあまり遊びに行かなかったから、一緒に遊ぶという関係ではなかったんだけど。J:ちょうど、藤井フミヤさんとも仲良かったんで、ハジメさんの個展を見に行きましたね。H:プラスチックス(Plastics)を止めて10年ほど経って、92年に「BAMBI」を出したけれど、ジョニオに会ったのはそれを製作していた頃かな。90年代に入って個展をやることが多くなって。92年が初の個展となるタイポグラフィ展、93年がDEPT展、95年がアプリケーションツアー、97年にリトグラフ展をやって、その年に発表した「LOW POWERS」のバンドの衣装デザインをジョニオにお願いしたんだよね。J:あれって、もうそんな前ですか?H:そう、新しいバンドをやるとか、DJやるからって時はいつもジョニオにTシャツのデザインとか頼むんだよね。お世話になってます(笑)。ちょっと話を元に戻そう。そう、東京セックスピストルズだ!あれってメンバーは誰がいたんだっけ? NIGOもいた?J:ベースが(BOUNTY×HUNTERの岩永)ヒカル君、ギターは(DOGDAY AFTERNOONの)片桐 (Katcin’) 克巳君。NIGOはレギュラーメンバーのドラムが突然、ライブに来ないなどということがあって、たまにドラム叩いてもらっていました。NIGOはドラム叩けるんで。東京NO.1ソウルセットの(渡辺)俊美君とかにも手伝ってもらったことありますよ。H:でも、ライブとかで一緒になったこととかは無いんだよね。J:まあ、僕達はコピーバンドですから(笑)。2/6に続く。
2014年05月28日福岡県福岡市の水族館「マリンワールド海の中道」で、夜間営業する「夜の水族館」がGW期間中(4月27日~29日、5月3日~6日)に開催される。夜間営業時間は18時~21時30分まで。「夜の水族館」は、水中生物たちの夜の暮らしを観察し、昼間とは全く違う雰囲気を来場者に体感してもらおうと開催される。博多湾越しに見える夜景とプールで泳ぐイルカの様子や、青白い光跡を放つウミホタルの発光実験などが見どころだという。また、見学以外にも大水槽前で行われる生演奏や、イワシと光のコンサート、夜のイルカショーなどのイベントを開催。そのほか、イワシの大群とそれをかき分けて泳ぐ大型のサメの姿などを見ることができる。なお、4月28日・29日、及び5月3日・4日・5日は「天神~マリンワールド」の区間に臨時夜間バスを運行する予定。出発時間時間は天神中央郵便局前発が18時10分と19時10分。マリンワールド海の中道発が19時20分、20時30分、21時40分。詳細は、同水族館公式ホームページを参照のこと。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2013年04月22日NYで活躍するメイクアップアーティスト、化粧品の有害成分で体調を崩す2月7日、Feelgood Style には、rms beauty のオーナー、ロスマリン・スウィフト(Rose-Marie Swift) のインタビューが掲載された。ナチュラル・ビューティーが支持される昨今、そのエキスパートとも言えるロスマリン・スウィフトが化粧品にまつわる有害成分と、自然な美しさについて語った。彼女は25年以上のキャリアを持ち、コスメティックやヘアケアプロダクトに毎日触れる生活を送っている。ある時から体調が非常に悪くなっていることに気がついた。血液や頭髪の精密検査をしたところ、重金属、化学製品、農薬などの数値が異常に高い結果が出た。私の体調不良は化粧品によるものだったのだ。日々化粧品の毒性にさらされ、その危険性を身を以て証明したのだ。それから彼女は化粧品にまつわる化学物質についての調査を始め、一般にその事実を広めた。健康的な美しさを追求するために女性が本当に必要とするものは何だろうか。できるだけピュアで手頃な価格のアンチエイジング化粧品とはどんなものか。その思いが rms Beauty を始めるきっかけとなった。正しい食生活が美しさの秘訣彼女は美しさを保つためには食生活が最も大切だと言う。体調が整うまで有機野菜や質の良い油、バター、そして生の物を食べ、酸化防止剤などの化学物質を極力避けた。ここで彼女は、有機食物は安全だが高品質ではない。ということを知る。そしてこの経験から、生産過程すべてにおいて厳しい基準をクリアし、さらに品質も良い有機生ココナツオイルを成分とする化粧品を開発したのだ。この製品はヘア、フェイスケアはもちろん、料理に使うこともできるほど純粋だという。その他、アンチエイジングに重要なこととして、運動と睡眠、栄養バランスを挙げている。内蔵の不調は皮膚に表れる。皮膚の手入れと同じく、悪習を絶ち健康的な生活を送ることが大切。さらに、必要以上に派手に重ねるメイクアップは老けて見える。シンプルなことが最も美しい。と結んでいる。元の記事を読む
2013年02月12日PC周辺機器ならびに携帯アクセサリーメーカーのセンチュリーは、リテイル事業のひとつ「白箱.com」にて、水泳やサーフィンなどのマリンスポーツで便利に使えるフィン付きスイミンググローブ「HARD BLUE」の販売を開始した。「HARD BLUE」は、グローブの甲にフィン(水かき)がついたユニークな製品だ。フィンがつくことにより手の表面積が70%増加、水泳などで水をかく際に、手のひら側に立体的な空間を作り出し、大量の水を後方へおし流すため、推進力を飛躍的に向上させる。同製品の厚さは1mm未満、5指に分かれて縫い目もないので、グローブを装着したまま、素手に近い感覚で細かな作業も行える。素材には柔軟性と耐久性に優れたラテックス製ゴムを使用。グローブ表面にはグリップ力を高める加工が施されているので、オールを握るカヌーやボート、竿を使うフィッシングなどにも最適だ。その他、サーフィンのパドリングやスキューバーダイビングの潜水などのマリンスポーツに、あるいは子供のスイミングレッスンの補助グッズに、さらには落下の際に空気抵抗を調整するスカイダイビングにと、さまざまな用途で使うことができる。男性用M~XL / 女性用S・Mサイズを展開し、価格は2,980円となる。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年07月20日