アニメーション映画と並んで、日本が世界に誇る映画ジャンルである怪獣映画。時に恐ろしく、時にユーモラスでかわいらしい、個性豊かな怪獣たちが映画の歴史を彩ってきた。デザイナーによってデザインされた怪獣を、様々な素材を用いて、アイディアと知識を駆使し、監督の望む質感で実際に具現化するスタッフが特殊美術造形――特に怪獣映画において“怪獣造形師”と呼ばれる職人である。そんな怪獣造形師の第一人者であり、『ゴジラ』シリーズにおけるモスラやキングギドラの造形など、数々の怪獣映画、特撮映画に携わってきた村瀬継蔵。今年の秋で89歳を迎える彼が、初めて“総監督”という立場でつくり上げた映画『カミノフデ ~怪獣たちのいる島~』が公開中だ。半世紀近く前に香港映画『北京原人の逆襲』(1977年)に参加した際に、プロデューサーから依頼されて書き上げたというプロットをベースに、自らの経験や新たな要素も加えて再構築したという。本作への思いを語ってもらうと共に、怪獣造形師としての村瀬さんのこれまでの歩みについて話を聞いた。「最初は怖いという気持ちしかなかった」――村瀬さんが特殊美術造形、怪獣造形の世界に足を踏み入れることになったきっかけ、経緯を教えてください。村瀬:私の兄が多摩美(多摩美術大学)におりまして、私は健康が不安定だったので東京に治しに来たんです。兄の家でブラブラしていたんですけど「お前、遊んでだってしょうがねぇだろ」と言われまして。故郷の北海道にいた頃に『ゴジラ』(1954年)を見ていたんですが「すごい映画だなぁ。怖いなぁ」と思っていたんです。その話を兄貴にしましたら「俺の知ってる人に『ゴジラ』を作ってる人がいる。俺は学校があるからできないけど、お前、代わりにやってみるか?」と言われたんです。それで(東宝で造形を手掛けていた)利光貞三さん、八木(康栄/勘寿)兄弟のお手伝いに入ることになったんです。そこでいろんな造りものをやったんですけど、これが非常に難しいんですね。師匠に言われて、金網でものをつくったり、ブリキを切ったりということをしながら造形のこともやるようになって、それから『ゴジラ』シリーズに参加するようになりました。正式に私が参加することになったのは『キングコング対ゴジラ』(1962年)からになります。私はゴジラを造るなんて「怖いもんを造るんだなぁ…」って思ってね。最初は「面白い映画をつくる」という感覚よりも「怖い」って気持ちしかなかったです(笑)。でも、そうやって造形の世界に弟子として入って、いろんなことをやってきて、利光さんと八木さん、それから開米栄三さんという方たちと一緒にお仕事をさせてもらったら、だんだん「いやぁ、これはおもしろいなぁ」と感じるようになりました。北海道で農業の仕事をやっているときの経験で、使えることがたくさんあったんですね。ゴジラにしても、金網で下地を作ったり、自動車のタイヤのゴムを焼いて加工したり、いろんな工夫を見てきて「これはおもしろいなぁ」と思いまして、八木さんの下で本格的に造形的なことをやるようになって「これを続けたら、子どもたちにいろんなものを見せられる」とも思いました。モスラを造ったり、キングギドラを造ったり、それから、私にとって代表作と言えるのが『大怪獣バラン』(1958年)のバランですね。バランは「背中にとがった部分がほしい」と言われて、じゃあ、透明なビニールやのホースを切って使えばいいなと思って、円谷(英二)さんに「こうやったら造れそうです」と言ったら「そりゃおもしろい!」と言ってくれました。「でもそれだと穴が見えちゃうな」と言われて、半透明のビニールで覆ってふたをしました。次に皮膚をどう造ったらいいかな? と考えた時、周りのスタッフさんが休憩時間に落花生の殻をむいてピーナッツを食べていたんです。それを見て、この殻の表面がすごくおもしろいなぁと思って、試しに粘土で殻を模した原型を作って円谷さんに見せたら「いやぁ、これはおもしろいな。植物が動物の皮膚になるなんて、考えたこともなかったよ」と驚いていました。あの経験が私の造形の仕事の始まりですね。円谷さんが「君は次から次へと新しいものを考えて生み出してくれる。それをこれからも映画の世界でやっていってほしい」と言ってくださったのを覚えています。――日本映画界における“特撮の父”ともいわれる円谷英二さんは、どんな方でしたか?村瀬:円谷さんという方は、自分で原型を造ったり、「こうやるんだ」といった技術的なことを言うことが一切ない人でした。できたものだけを見て「良い」か「悪い」としか言わないんです。それだけじゃ僕たちは、そう簡単に造れないですよね(苦笑)。それを円谷さんに言ったら「いや、それで十分だろ」と言われました。円谷さんが口を酸っぱくして言っていたのは「上に立つ人間が『これが良い』とか『こうやってやれ』と言ったら、君たちがやる仕事がなくなってしまう」ということ。監督・演出家は、うまく周りを動かして、それによって造形や美術ができあがれば、それでいいんだと。だから本当にできたものだけ見て「これはダメ」、「良い」としか言わない(笑)。でも、僕にとってはそれが力になりました。どんどん新しいものを考えてやるようになったけど、それは円谷さんがいなかったらできなかったと思います。ゴジラの爪も歯も昔は全て金網で下地を造っていましたが、一度戦うと曲がってきちゃうんですね。それじゃダメだということで「じゃあ、合成樹脂で造ったらどうですか?」と言ったら「合成樹脂って何だ? そんな材料があるのか!」と。そうやって、次から次へとこっちから提案をすると「やってみよう」と受け入れてくださる人でしたね。60年以上を経て再び撮影したヤマタノオロチのシーン――本作『映画『カミノフデ ~怪獣たちのいる島~』では怪獣ヤマタノオロチが出てきますが、ヤマタノオロチと言えば村瀬さんも参加された『日本誕生』(1959年/監督:稲垣浩/特技監督:円谷英二)に登場する八岐大蛇が印象的です。村瀬:あの映画では三船敏郎さんが須佐之男命(スサノオノミコト)を演じていて、八岐大蛇の上に乗って、剣を突き刺すというシーンがありました。でも、ただ刺すだけじゃおもしろくない。じゃあ、(刺したところから)何か吹き出す仕掛けにしようか? 金粉なんてどうですか? と言ったら、おやじさん(=円谷さん)は「いや、金粉じゃ生き物じゃないよ」という話になって、いろいろ工夫して、刺されたらパーッと血と金粉が吹くようなカットができまして、おやじさんも「これはおもしろい」と。八岐大蛇のボディは直径1メートル50~60センチくらいあったかな? 三船さんがそこに乗っかって、剣を刺すんですけど、八岐大蛇の首や体をうまく動かす方法がないか? という話になりまして。操演技師の中代文雄さんという方がおられたんですけど、相談したら「ピアノ線で上から吊って動かそうか?」という話になって、テストして、それでOKになりました。みなさん、僕が八岐大蛇を造ったと褒めてくださるんですけど、決してそうじゃなく、裏には操演技術や円谷さんのアイディアとか、いろんなものが合わさって、ああいう動きの八岐大蛇ができたわけです。八岐大蛇が酒を飲むシーンも、中代さんが「大きな桶に首を突っ込ませると、飲んでいる感じがよく出るんじゃないか?」と提案して、あのカットができたんです。――60年以上を経て、今度はご自身が総監督という立場で、ふたたびヤマタノオロチのシーンを撮影されていかがでしたか?村瀬:佐藤(大介/プロデューサー・特撮監督)くんに「昔の八岐大蛇はこんな感じだったよ」という話をして、佐藤くんからも「じゃあ今回はこんなのはどうですか?」という話をしてもらって撮ったんですけど、すごく良いものが撮れたと思います。――(インタビューに同席した佐藤氏に)実際、撮影されていかがでしたか? 『日本誕生』の八岐大蛇の動きを参考にされた部分などはあったんでしょうか?佐藤プロデューサー:『日本誕生』はもちろん資料として観ました。八岐大蛇はワイヤーで吊って首を操作した日本最初期の怪獣なんですよね。そういう意味で、まだまだ技術的には洗練されていない部分もあったんですけど、その後のキングギドラ(1964年公開の『三大怪獣 地球最大の決戦』で登場)では技術的な部分がかなり向上しているので、そちらを参考にさせていただいた部分はありましたね。村瀬:キングギドラの首の動きは八岐大蛇をアレンジしてつくったんです。そこでも中代さんのアイディアが活きたし、(特殊技術の)撮影の有川貞昌さんのやり方もうまくいったと思います。ぬらぬらと首が動く感じがすごく上手に撮れたと思います。――もうひとつ、『カミノフデ』の中で、怪獣造形師だったヒロインの祖父が、ある撮影でスーツアクターも務めて、火だるまになってビルから落ちるカットの撮影に参加したというエピソードが明かされますが、これも村瀬さんご自身が実際に経験されたことですよね?村瀬:あれは香港の『北京原人の逆襲』(1977)の時の話ですね。北京原人のスーツアクターがいなくて、スタントマンに「君が火だるまになって落ちてくれ」と言ったら「保険をかけてくれればやりますけど、保険がないなら火をつけてビルから落ちるなんてできません」と言われまして。そうしたら(特殊効果の)久米攻さんが「じゃあ、村瀬さん燃やしちゃおう」って言いまして…(笑)。それを聞いて「私を燃やしちゃう…?」って思ったけど、やっぱり造った自分がどこまで燃えても大丈夫かとか一番わかっているからね。もう、こうなるとしょうがないですよね。「じゃあ僕が入ります」と。撮影の有川さんが「北京原人の皮は何枚ある? 最低3カットはあるからね」と聞くので「1カットで撮っちゃえばいいんじゃないですか?」「いや、3カットはほしい」って(笑)。結局、3カットで3枚の皮膚は全部使っちゃいました。(製作のショウブラザーズ社長の)ランラン・ショウがラッシュ映像を見て「これは保険もなしに誰が火だるまになったの?」と驚いていて、「村瀬さんが自分でやったんです」と説明したら「いやぁ、すごい人だな」と言って、ランラン・ショウはその後、僕に金時計を贈ってくれました。自分で造って、自分で入って、燃やして、こんな立派なものをもらっちゃって良いのかなって思いましたけど(笑)。撮影そのものは自分ではあんまり危険を感じることもなかったんですけど、久米さんが火をつけて落ちて…だいたい1カットで4~5秒かな? 有川さんが「いやぁ、村ちゃんだからやってくれたんだなぁ」と言ってたけど「いやいや、やらされたんだよ!」って(笑)。あれは本当にラストカットの大事なシーンでしたからね。やってよかったなと思いました。経験や知識があるからこその“総監督”――今回、総監督という立場で映画をつくられていかがでしたか?村瀬:“総監督”という名前をつけていただきましたが、僕自身はそんなに重い立場にいるという感覚ではないです。ただいろんな経験や知識があるので、それをうまく活かして映画ができればという思いで、それをみなさんが「総監督」と呼んでくださるなら、それでいいかなという気持ちです。――映画の中でゴランザという名の怪獣が登場しますが、デザインされたのは、村瀬さんとも様々な作品でご一緒し、長年「仮面ライダー」シリーズの美術デザイン全般を担当されてきたことでも知られる高橋章さん(2023年逝去)ですね。ゴランザはどのように誕生したのでしょうか?村瀬:あれはね、香港から帰ってから高橋さんに「プロットの挿絵を描いてほしい」とお願いして、描いてもらったのが元になっています。彼の遺作になったけれど、良いものを描いてもらったなと思います。――これから映画の世界、特に特殊造形を志す人たちに向けて、アドバイスやメッセージがあればお願いします。村瀬:若い人たちがもっともっと伸びていって、腕を上げて、造形界を盛り上げていってくださったらいいなと思っています。――最後に、村瀬さんのお気に入りの怪獣を教えていただけますか? これまでご自分で手掛けた怪獣でも、それ以外のもの、海外のものでも何でも構いません。村瀬:僕は自分の仕事にずっと追われてきたので、海外の怪獣映画って『キングコング』くらいしか知らないんですね。自分で造った怪獣では、一番はやはりバランですね。私がこの造形の世界でやっていくことになったきっかけとも言える大事な怪獣ですからね。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:カミノフデ ~怪獣たちのいる島~ 2024年7月26日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開ⓒ2024 映画「カミノフデ」製作委員会
2024年07月26日前総統は女性、さらに同性婚が認められている台湾に、“自由でリベラル”というイメージを持っている日本人は多いはず。そんな台湾も、1949年から1987年まで38年もの間、国民党政権の下で戒厳令が布かれ、言論の自由は厳しく制限されていた。台湾の南東に浮かぶ離島・緑島には、その間に捕らえられた政治犯を収容する監獄があった。映画『流麻溝十五号』のタイトルは、その監獄の中でも、女性たちが収容されていた住所を指す。女性政治犯を扱った台湾初の映画である本作の周美玲(ゼロ・チョウ)監督に、この作品にかけた想いを聞いた。もっと早く作られるべきだった映画――戒厳令が布かれていた間、政治犯として多くの人々が投獄され、迫害された「白色テロ」。『流麻溝十五号』は、絵を描くことが好きな高校生の余杏惠(ユー・シンホェイ)、正義感の強い看護師・嚴水霞(イェン・シュェイシア)、妹を守るために自首して囚人となった陳萍(チェン・ピン)の3人を中心に、政治犯として捕らえられた女性たちの姿を描いています。このテーマを映画化したいと思った理由についてお聞かせください。台湾の人の多くは、かつて大勢の女性思想犯が収監されていたことを知りません。捕らえられた女性たちは、みんな自分自身の思想や考えを持ったインテリでした。この件は、台湾の若い女性をひどく傷つけたと思います。家庭や社会が、娘たちが勉強したり、自分の意思や考えを持ったり、正義を追求することを良しとしなくなったからです。その後、彼女たちのことが語られることはありませんでした。当時の女性は非常に保守的で、社会的地位も低かった。いまから70~80年前、娘が思想犯として捕まったことがあるなんて、受け入れられる家庭はありませんでした。そのため、釈放されても結婚するのは困難でしたし、様々な差別を受けました。だから当事者たちも自分が監獄にいたことを語らず、夫や子どもたちですら、何も知らないことが多かったのです。ですから、本当はもっと早くこのような映画が作られ、彼女たちの物語が世に知られるべきだったと思います。私は長い間、ジェンダーに関する映画を撮ってきました。誰も撮らないなら、この機会に私が撮らなければと思ったことが理由です。――この映画は「流麻溝十五號:緑島女生分隊及其他」という本が基になったとうかがっています。この本は、実際に収監された女性思想犯たちにインタビューした内容を収めた実録集です。著者の曹欽榮(ツァオ・シンロン)さんが6名の女性にインタビューしているのですが、その全員が台湾籍でした。この時代の資料をたくさん読んで気づいたのは、実は女性思想犯のうち台湾生まれは47パーセントだけで、53パーセントは大陸から来た女性だったこと。ですから、この部分を補足して、より史実に忠実になるようにしなければいけないと思い、映画には大陸から来た陳萍のストーリーを加えました。曹さんが大陸の女性に話を聞かなかった理由は分かりません。きっと見つけられなかったわけではなく、台湾人の歴史のほうに関心があったからでしょう。――演じるのはいまの時代に生きる俳優たちです。演出するうえで気をつけた点や、俳優たちにどんな準備を求めたのかを教えてください。ご存知のように、現在の若者は西洋文化の影響を受けています。特に台湾は米国の影響が大きいので、若い人の所作や振る舞いはアメリカ人のようなのです。まずは演技指導でそういった動きを全部取り除かなければなりませんでした。女性思想犯たちは、全員が同じ背景を持っているわけではありません。台湾生まれの人は(日本統治時代に)日本の教育を受けて育っているため、日本語と日本人女性的な所作を学ぶ必要がありました。一方、大陸からやって来た女性は、彼女たちとは全く異なるわけです。言語的、文化的背景が一人ずつ違う。ですから、日本語のできる先生、広東省出身の先生、山東省出身の先生など、様々な方言を話す先生方を集めて、登場人物一人一人に合わせたトレーニングを行いました。台湾の若者の多くは、この悲劇を知らない――この映画が描いた歴史について、台湾の若者はどの程度認識しているのでしょう?いまの台湾の若い人たちの多くは、この歴史を知りません。この映画の観客の7、8割は初めて知ったのではないでしょうか。内容が事実だということに驚いていました。台湾は民主化が実現して30年以上経っています。ですから半世紀前、まだ生存している自分の祖母たちの世代が、この映画のような経験をしていることをリアルにイメージできないのです。しかし、私たちは周到なリサーチを重ねたうえで、この作品を撮りました。内容がウソではなく真実だと、説得力を持って言うことができます。――台湾での公開時、レイティングを下げて子どもでも保護者同伴で観られるようにしたという話をうかがいました。この前に撮った映画『愛・殺』(2021年大阪アジアン映画祭で上映)は年齢制限のある作品でした。私は普段セックスを描くとき、露骨な描写を全く恐れません。でも『流麻溝十五号』はいつもの撮り方を変えて、控えめにしました。より多くの人に観てもらいたかったからです。台湾の教科書では、台湾の歴史をきちんと教えていません。中国の歴史に割かれる分量のほうが多いのです。映画のようなメディアを通して伝えなければ、自分たちの過去を知る術がない。ですから、この映画の製作にあたっては、最初から年齢制限なしでの公開を目指しました。女性思想犯たちは性暴力を受けて苦しんだという事実もあるのですが、その部分はあからさまに描かず、大勢の人に観てもらえるほうを選びました。共通していた「台湾には自治が必要」という認識――思想犯として捕らえられた女性たちについて、準備段階の調査の中で気づいた特徴などはありますか?資料から分かったことは、彼女たちの多くは教師や看護師、中でも最も多かったのは学生でした。第二次世界大戦が日本の敗戦によって終わり、これから台湾がどこへ向かうのかという時期に、知識層の多くが主張していたのは、台湾には自治が必要だ、つまり台湾は台湾人が自らの手で治めるべきだということでした。どこの国民か、どんな国旗を掲げるかは関係ありません。台湾の文化・歴史的背景は中国大陸とは違います。日本とも違います。独自の文化を生み出し、独自の言葉を持っている。そんな台湾の自治を推し進めようという動きは、日本時代から始まっていました。そして国民党がやって来て、台湾には自治が必要だという思いをより一層強めたのです。台湾の自治を求め、台湾の行く末について考えていた。それが思想犯たちに共通する理念でした。彼女たちは読書会や検討会を開き、どのような制度が台湾にふさわしいかを語り合っていたのですが、参加者たちは皆、捕らえられてしまいました。自分たちを上から統治していた政権が去り、台湾人が台湾を自ら動かしていくのだと立ち上がろうとしたときに、国民党政府がやって来て、日本時代よりひどい形で押さえつけた。知識人を全員捕らえて小さな島に隔離し、台湾の自治という考えを広めることを許さなかったのです。とても残念に思います。もしも蔣介石政権が、あれほど順調に台湾を統治できていなければ、もしもあれほど残酷に知識人を弾圧していなければ、台湾はとうに独自の道を歩き始めていたはずです。台湾に人材がいないわけではありません。人材はいたけれども、殺され、捕らえられてしまった。非常に胸が痛みます。助け合って生きる真実の女性の姿を描きたい――監督は、これまでもずっとジェンダーに関する作品を撮ってこられました。今回の作品も含め、難しいテーマに挑み続けるエネルギーの源は何でしょうか?女性が弱い立場にいるからです。それに、私以上に女性を愛し、女性を慈しんでいる監督はいないと思います。「女性思想犯の話を撮る」と言うと、「女同士の恨み妬みや腹の探り合いを描くのだろう」とよく言われるのですが、そんな考えがどこから来るのかさっぱり分かりません。私のそばにいる女性のパートナーや友人たちは、傷つけ合ったり、腹の探り合いをしたりする時間より、助け合っている時間のほうがはるかに長い。だから私は、別の視点で女性の世界を描きたいのです。『流麻溝十五号』に関しては、歴史を扱った作品なので、盛り込んだ話には必ず真実であるという裏付けが必要でした。きっかけになった本のほかにも、多くの資料を読み、実際に捕らえられていた人たちにも取材しました。映画の中には入れていませんが、非常に胸を打たれたエピソードがあります。看守に嫌われ、糞便を運ばされたという女性の話です。ろくに食事を与えられていなかったために体が弱っていた彼女は、担がされた糞便の重さに耐えきれず、地面にぶちまけてしまいました。怒った看守が棒で殴ろうとしたとき、走り出て彼女をかばった囚人がいたそうです。「すみません。彼女はご飯を食べていないから、こんなに疲れ切って、痩せているんです。わざとではありません」と。そして、「殴るなら弱っている彼女ではなく、私を殴って」と言い、糞便をぶちまけてしまった女性を抱きしめたそうです。これが私の伝えたい真実の女性たちの物語です。弱い者がいれば守る。女同士の競争心なんて、それほど強くはありません。『流麻溝十五号』は監獄についての話ですが、私がこれまでに撮った映画の中で、一番温かい作品だと思います。なぜ自分の思想を持つことが罪に?――最後に、ご苦労も多いと思いますが、映画監督という仕事を楽しんでいらっしゃいますか? イエスでしたら、仕事を楽しむ秘訣を教えてください。確かに映画監督は苦しい仕事ですが、苦しいながらも楽しんでいます。大学で哲学を学んだため、私にとって何より重要なのは“思想”なのです。なぜ、思想が罪になるのか? なぜ自分の思想を持ったために、捕らえられなくてはいけないのか? 私には絶対に受け入れられません。そして、いまこの時代に、私の思想を表現できる最適な媒体が映画なのです。映画というのは丹念に、細やかに、自由、ジェンダー、正義に対する私の考えを表現することができる。なおかつ、道理ではなく、物語で伝えることができます。道理で訴えて分かってもらえない話でも、物語なら伝えることができる。いくら思想を重視しているとはいえ、私が語りたいのは道理ではなく、物語です。人の心を揺さぶり、何か気づきを与えることができる物語を語ること。それが一生をかけてやりたい仕事だと思っています。周美玲(ゼロ・チョウ)ドキュメンタリーでキャリアをスタートさせ、のちに長編映画へ転向。長編デビュー作『Tattoo-刺青』はベルリン国際映画祭でテディ賞を受賞。そのほかの作品に『花様 たゆたう想い』(2013年)、『愛・殺』(2020年)などがある。(新田理恵)
2024年07月23日【音楽通信】第159回目に登場するのは、伝説のガールズバンド“プリプリ”こと「プリンセス プリンセス」のボーカリストを経てソロでも大活躍中のうえ、芸能活動40周年を迎えた、岸谷 香さん!母のアップライトのピアノが音楽の縁をつなぐ【音楽通信】vol.1592024年、芸能活動40周年を迎えたミュージシャンでシンガーソングライターの岸谷 香さん。いまも年間30本以上のライブを行い、ポップでキャッチーな楽曲で多くの人たちから親しまれています。ガールズバンドのパイオニアとして名高い「プリンセス プリンセス」のボーカリストとして1986年にデビュー以降、数々のミリオンヒット作を世に送り出し、1996年の日本武道館公演をもってバンドを解散後、2012年に東日本大震災復興支援のために1年限定でバンドを再結成したこともありました。1996年には俳優の岸谷五朗さんと結婚。1997年には旧姓の「奥居 香」としてソロ活動をスタートした後に、アーティスト名を本名の「岸谷 香」に変更し、2014年には本格的なソロ活動を再スタート。さらに2018年にはガールズバンド「Unlock the girls(アンロック ザ ガールズ)」を結成するなど、バイタリティにあふれた活躍ぶりに元気をもらうファンのかたは多いようです。そんな岸谷さんが、2024年7月24日に、ニューシングル「Beautiful」をリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――芸能活動40周年となりましたね。16歳のときにオーディションを受けて音楽家になってから、今年で40年です。途中、育児などで10年間活動を休んでいるので実質的には30年ですが、これまであまりにいろんなことがあったから、たくさん生きてきたなとも実感していて。ひとことで言うと、「楽しいな、私の人生」と感謝しています。――そもそも幼いときに音楽にふれたきっかけは何でしたか?家に母のお嫁入り道具だったアップライトのピアノがあって、生まれたときからピアノにふれていました。母にピアノを教えてもらって、それからピアノの先生に習うようになって。それ以外はとくに家で音楽を聴く習慣はなかったので、母のピアノがなかったら、音楽をしようとは思わなかったかもしれません。――お母さまからの音楽のご縁なんですね。そして中学ではバンドをやるようになられて。小学校では合唱大会や学芸会で伴奏していましたし、国立大学の附属の学校だったから同級生はそのまま進級するので、中学校でも“ピアノが弾ける子”だとみんな知っていて、先輩から誘われたことがきっかけでバンドを始めました。――プロを目指したのはいつ頃だったのでしょうか。もともと明確にプロになると考えていなくて。思えば、そういう人生になると決められて生まれてきたんだろうなっていうぐらい、気がついたら音楽をやっていた感じなんです。もちろんオーディションは自分で受けたんですが、その時期は高校受験を失敗して、行きたくない学校だったので、やめる口実としてオーディションを受けたら受かったんです。――きっと音楽の道に導かれたんですね。振り返ると、あのときは音楽しかなかったんだろうと思うんですが、よく16歳で音楽をやる環境が整ったなと。さらに、両親は私の選択によく「イエス」と言ったなというのは、いまも最大の謎です。――その後、プリンセス プリンセス時代は非常にお忙しかったのでは?そうですね。16歳で芸能活動を始めたときはよくわからないアイドルバンド(プリンセス プリンセスの前身バンド時代)だったので、世間には箸にも棒にもひっかからなくて、高校のクラスのなかでも私がバンドをやっていることはなんとなくしか知られていなくて。芸能人が多く通う高校だったので、同級生には少年隊やシブガキ隊、三田寛子さんなどもいましたね。だから、たまにバンドで歌番組に出るのも、クラスメイトがいっぱいいてイヤだなあと思っていました。プリンセス プリンセス時代は、ただひたすら楽しかったです。思いのままに作った曲が年間1位になったり、ライブにお客さんがいっぱい来てくれたり。その反面、プリプリの存在がすごく大きすぎて、できないこともたくさんあったんです。いまのようにフェスやコラボが盛んではない時代ですし、簡単にイベント出演もできない時代でした。20代のすべてをプリプリとして駆け抜けて大満足だったので、円満に解散という形になったんですよね。その後、50代になって、こんなふうに音楽活動をしているとはまったく想像していませんでした。9年ぶりのニューシングルはコライトで制作――2024年7月24日に、EDMやハウスの音楽要素を取り入れた9年ぶりのシングル「Beautiful」をリリースされます。今回、共同で音楽を制作する“コライト”をされていて、歌詞はプリプリメンバーだった富田京子さんと、曲はYusei Kogaさんと組んでいますね。そう。もともと娘の仲良しグループのひとりが音楽をやっていて、コライトの存在を教えてもらったことがきっかけで、面白そうだなって興味を持ちました。その頃、K-POPにもハマっていて、「NewJeans」を好きになって。彼女たちの楽曲のクレジットを見ると、メンバーの名前も入っているけど、同時にたくさんの人の名前もあったり。いまの時代はコライトが主流なのかな、私もやってみたいなと、レコード会社のスタッフに相談しました。いままで40年間、孤独にほぼひとりで曲を作ってきたから、今回初めてトラックメイカーという職種のかたとお仕事させてもらうことになったわけです。コライトはすごく楽しくて、音域も過去にないぐらい広いのでカラオケで歌いやすいかはわからないけど(笑)、すごく刺激になって、盛り上がりました。――「Beautiful」の振り付けをパパイヤ鈴木さんにご依頼されていますね?そもそも鈴木くんは高校の同級生で、近年また連絡を取るようになったんです。以前、ライブの次の日に会ったときに、首や肩が痛くなるんだけど、ずっと応援してくれてライブに来てくれるファンのかたも体がつらいかもしれないよね、と話していて。本格的な踊りじゃなくて、ラジオ体操の音楽版みたいなダンスはできないのかなって相談したら、「できるよ」って言うから、「やろう」と。それで曲を書いたら連絡するつもりが、時間が経ってしまって。今回「Beautiful」ができたタイミングで連絡して、「じゃあNewJeansみたいな振り付けにしてよ」と言ったら「オッケー!」となりました。――今回はコライトの新曲ですが、もともとおひとりで曲作りされる際は、どんなときに曲が生まれるのですか?さまざまですけど、楽しいときや心が躍ったときに曲が生まれることが多いから、旅行に行く際は絶対に五線紙を持っていくんですよ。あとはその逆に、悲しいときや、見たことのない景色を見たときも曲が生まれて。まあ、たとえ五線紙がなくても、思いついたら何にでも書いちゃうんですけども(笑)。そして書なきゃ、と意識して書くときもあります。曲はそうして生まれますが、歌詞を書くのはあまり好きではないので、だいたいいつも後回しにしていますね。――現在「KAORI KISHITANI 40th Anniversary LIVE TOUR 2024 “57th SHOUT!”」と題して、プリプリのアルバム1枚をセルフカバーするという、周年ならではの特別ツアー中ですね。さらに9月からは「KAORI PARADISE 2024」と題したひとりの弾き語りツアーを開催と、いろいろなスタイルで年間ライブをされています。バンドツアーと弾き語りツアーは私の二大柱です。どちらか片方だけのライブになると私じゃない感じがして。両方あっての私ですし、“岸谷 香というアーティストはどういう人?”と言われたら、人と違う特徴がこの「二足のワラジで歩いています」というところだと思っています。――実際、ツアーの手応えはいかがですか?プリプリのアルバムをまるごと1枚の企画は、スタッフから提案されて、最初は躊躇していました。新曲も出していますし、いまのバンドUnlock the girlsでやりたいこともいっぱいなのにと。ただプリプリを解散してから、1回も当時のアルバムを聴いていないから、この機会にまた聴いてみようかなと思ったんですよね。そこでプリプリのとあるアルバムを聴いたら、さっき「二足のワラジで歩いています」と言いましたが、そんな二つの支柱を持ってライブを重視してやらなきゃと思ういまの気持ちと同じく、当時のアルバムのなかにも信念を持って音楽をやっていて絶対に届けたいとがんばる20代の自分を感じました。そしたら、すごくうれしくなっちゃって。そういうところが変わらずにいられて、この40年、まわりで支えてくれるスタッフやファンのかたのおかげもあって、本当にいい時間を過ごすことができたんだなとあらためて実感しました。だから、いまもう1回、プリプリ時代のアルバムの曲をまた歌ってみようと思えて。いままで本当にやりたいことだけをやって、あとから後悔するような仕事や音楽の仕方はしてきていないんですが、それは間違っていなかった。これから先も、これでいいんだなと思えたのは、40周年の私にとってはものすごく大きな収穫でした。いまのスタンスのまま行けるところまで行く――お話は変わりますが、お休みのときはどんなふうにお過ごしですか?海外に行くのが好きだから、休みはまとめて取るようにしています。たとえば3か月集中して頑張って仕事して、終わった次の日に遊びに行きます。――最近ハマったものはありますか。ずっとハマっているものですが、英語の勉強をしています。うちの子どもたちが高校からアメリカに留学していて、英語が話せるとこんなに世界が広がるの?とうらやましくなって。とくに娘は友達が大好きな子だから、世界中に友達がいるんですよ。なんて楽しい人生なんだろうと思っていたら、私自身にもいろんな出会いがあって、海外のお友達もできて。もっと会話したいしわかりあいたい気持ちもあって、50歳から英語の勉強を始めました。――バイタリティにあふれていらっしゃいますね。楽しいですよ。同年代のまわりの友達も、子育てが落ち着いて、やりたいことをなるべくしたほうがいいよねという感じで、みんな元気。推し活を始めた友達もすごく楽しそうだし、いきいきとしていますよ。いい年代なんだなと思います。――素敵ですね。年間でライブ活動も多いですが、ライフスタイルで気をつけていらっしゃることはありますか。とくに意識していることはないんです。運動しなきゃ、とは常に言っていますが、それはステージに立てなくなるからではなく、自分の足で飲みに行きたいから(笑)。とはいえ、音楽をやっていて作品も作るけどステージはやらない、生演奏はしないというタイプのアーティストもいるかもしれませんが、私は生で歌ってこそというタイプ。だから、ステージで歌わなくなるときが、私が音楽をやらなくなるときでもあるのかな。――ライブを大事にしていらっしゃるんですね。いろいろなお話をしていただき、ありがとうございます。では最後に、今後の抱負を教えてください。40周年があっという間に来たので、気がつくと45年、50年と言っているのかな、と。いまバンドやひとりの弾き語りライブをしていますが、どれも少しずつ良くなっていくと楽しいですから。またいろいろな人とコラボもしたいですね。いまのスタンスのまま、行けるところまで行きます。取材後記芸能活動40周年という、アニバーサリーイヤーを迎えた岸谷 香さんがananwebに登場。華奢だけどパワフルな岸谷さんは、インタビューにも丁寧かつ正直に応じてくださり、なかでも「バンドツアーと弾き語りツアーは私の二大柱」と、ライブ活動を大事にされていることが強く伝わりました。当時、プリンセス プリンセスの解散ライブにスタッフとして参加した思い出も懐かしいです。時を経てもカッコいい岸谷さんのニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみり岸谷 香PROFILE東京都出身。ミュージシャン、シンガーソングライター、音楽家。1996年5月31日、武道館公演をもって「プリンセス プリンセス」を解散。1997年に「奥居 香」としてソロ活動をスタートした後、子どもを授かったことをきっかけにアーティスト名を本名の「岸谷 香」に変更。2012年、東日本大震災復興支援のため、16年振りに「プリンセス プリンセス」を1年限定で再結成。2014年、本格的なソロ活動を再スタート。2018年、ガールズバンドプロジェクトを立ち上げ、「Unlock the girls」を結成。ミニアルバム『Unlock the girls』をリリース。2024年はデビュー40周年のアニバーサリーイヤー。2月に半自叙伝『岸谷香の東京MY STORY』(東京新聞出版)を発売。5月17日に新曲「Beautiful」を配信、7月24日には同曲と「Unlock the girls ver.」そして特典Blu-rayを付属したシングルCDをリリース。現在、バンドツアーKAORI KISHITANI 40th Anniversary LIVE TOUR 2024 ”57th SHOUT!”、9月からは弾き語りツアー「40th ANNIVERSARY LIVE TOUR KAORI PARADISE 2024」と、周年ならではの特別なライブを開催。InformationNew Release「Beautiful」(収録曲)01. Beautiful02. Beautiful – Unlock the girls ver. –(※CDのみ収録)(特典Blu-ray)01. Beautiful Music Video02. Beautiful Lecture03. Beautiful Dancecise04. Beautiful Behind the scenes2024年7月24日発売取材、文・かわむらあみり スタジオ写真・Siyoung Song ライブ写真・MASAHITO KAWAI
2024年07月21日7月12日より放送開始される、ABEMAのオリジナル恋愛番組『シャッフルアイランドSeason5』。水着姿の美男美女たちが真夏の島に集まり、その島に存在する「毎日必ずピンクとブルー、2つの島にいるメンバーをシャッフルする」というルールのもと、参加メンバーたちが本能のままに島間を毎日シャッフル(入れ替わって)し、熱い恋愛を繰り広げていく内容になっています。MCを務めるのは、前シーズンに引き続き、お笑いコンビ・ニューヨークの屋敷裕政さん、タレントの峯岸みなみさん、“ゆきぽよ”ことタレントの木村有希さんの3人。『シャッフルアイランド』を見たことがない人も気になるような本番組の魅力と、最終話の収録を終えたばかりの3人に、製作陣から「今回は大人の恋」「キスの回数が史上最多」と声が上がる、Season5ならではの魅力を聞いてみました。■キスの回数、番組史上最多――3名それぞれが思う、『シャッフルアイランド』の魅力を教えてください。屋敷さん:逆に恋愛番組を見たくない人って、自分がのめり込めなかったり、キラキラしすぎてるのが苦手だったりする人だと思うんですけど、そういう人こそ『シャッフルアイランド』シリーズは見たらハマってくれるイメージがあります。立て付けはイケメンの筋肉があるムキムキの男と女性が恋愛するって感じなんですけど、意外とキラキラしたところだけじゃなくて、かっこ悪かったり、ださかったり、鈍臭かったりするので、親近感が湧くんじゃないかな。チャラいところはところんチャラいですけど、恋愛番組をあまり見ない人でもハマってくれるイメージがあるので、ぜひ食わず嫌いの人も見てほしいですね。峯岸さん:とにかく展開が早いのがすごくいいなって思います。華やかな男女が7日間という限られた時間の中で恋愛をするので、みんな細かいこと気にしてられないんですよ。東京とか、普通の場所で長期間やっていたら、こんな行動は起きないなとか、「こんな言動は見れないな」とかがたくさんあります。リゾートという非日常的な空間だからこそ燃え上がっているっていうのが、細かいこと抜きに楽しめるんですよね。ゆきぽよさん:勉強になるところですかね。恋愛番組を見ていると、30代前後の女性って結婚に悩んでいる方、不安を抱えている方も多いと思うんです。けど、『シャッフルアイランド』を見れば大丈夫な気がします。こう動いたらいいなとか、これしちゃ引かれるなとか、こういう男は選んじゃダメなんだとか。そういういろんなものを参考にもできるし、勉強にもなるのでぜひ見てほしいなって思います。――なるほど。ちなみに、今回のSeason5は“キスの回数が史上最多”と製作陣の方から聞きました。屋敷さん:でも過激って言っても、すごいエッチなキスとか、肌を露出してのキスとか、そういうことじゃないんですよね。今までのキスって両思いになったもの同士がイチャイチャするって感じだったんですけど、今回はまだ好きかどうかわからない段階でキスしてるというか……。――えっ!?屋敷さん:(笑)。二人の間で迷っているのに、そのうちの一人とチューしちゃうみたいな。で、もう一人ともほっぺにチューしちゃうみたいな、そういう過激さですね。――どちらが好きか迷っている段階でキスするのってどうなんですか……?屋敷さん:それは一緒に考えていきましょう!ゆきぽよ:どういう問題提起(笑)!屋敷さん:でもいいテーマかもしれないですよ。迷っている間にチューするとどうなるのかというのは。――ちなみに個人的にはどっち派なんですか?屋敷さん:個人的にはチューしたらチューしたなって事実が一つ残るので、もし僕が選ぶ立場なら気にするかもしれませんね。峯岸さん:でも、キスをしたからいい方向に動いたパターンと、しなかったからよかったというパターンがあるんですよ。だから、一概には言えないんですけど個々の緻密な計算と、タイミングで明暗が分かれるんだなと思ったので、キスをするかしないかじゃないっていう複雑さもあるんですよね……。――なるほど。相手によるし、その時によるし、みたいな……。屋敷さん:前回はキスしたせいで完全に嫌われた奴もいたんですけどね。今回はそれともまたニュアンスが違うかなって。■最終話まで「全然読めない」展開――最終話まで見られたとのことですが、“Season5ならでは”の魅力をあげるとしたらどのような部分でしょうか?ゆきぽよさん:海外っぽい。海外の映画を見ているみたいな感じ。過激なキスとかいっぱいあるんですけど、全部きれいなんですよね。生々しくないというか、アートっぽくて、すごくきれいな感じです。峯岸さん:今までは第一印象で全てが決まってしまうような展開も多くある中で、その分安心して見られるカップルが前半から何組かいたりすることが多かったんですけど、今回は本当に女の子の努力とか、粘りとか、そいういうものが大きく影響していて、最後までどのカップルが報われるのか全然読めなくて、屋敷さんが1万円賭けようぜっていうくらい(笑)。それくらい白熱してました。屋敷さん:完全に50%でしたね。バカラ。峯岸さん:ギャンブル性みたいなものはあったかもしれないです。全然予想できなくておもしろかったです。屋敷さん:そうですね。最後まで分からなかったというのがSeason5の特徴だし、全員主役やったっていうのが今までと違うかもしれないです。峯岸さん:私がこの状況下だったら諦めちゃうなっていう場面でも、女の子ががんばり続けたことでスポットが当たったりしていたので、恋愛に対して本当に前向きになれると思います。想い続けることって意味あるんだって、まさか『シャッフルアイランド』から学ぶとは思いませんでした(笑)。
2024年07月12日【音楽通信】第158回目に登場するのは、今年音楽活動10周年というアニバーサリーイヤーを迎えた、DIVAとしても知られる、ゆっきゅんさん!ソロで歌い始めたときが一番大きな変化を感じた【音楽通信】vol.1582014年よりアイドル活動を開始し、今年活動10周年を迎えたDIVAゆっきゅんさん。音楽活動はもちろん、雑誌『anan』での連載をはじめ、文筆家や作詞家としても大活躍中です。そんなゆっきゅんさんが、2024年9月11日に2ndアルバム『生まれ変わらないあなたを』をリリースすることに先駆けて、収録曲を5月から4か月連続で先行シングルとして配信。いち早く新曲について、お話をうかがいました。――まず活動10周年を振り返ると、いかがですか?2014年に進学のため上京して、「ゆっきゅんです、アイドルです」と手探りで活動してきました。2016年からはアイドルユニット「電影と少年CQ」、そして2021年5月からセルフプロデュースの「DIVA Project」をスタートしてソロ活動もしていますが、活動10年間のうち7年くらいは学生だったので、それほど10周年という実感はないんです。ただ、転機はいくつかあって、大学院を卒業してソロで歌い始めたときが一番大きな変化を感じました。それまでとそこからの時間がまったく別物の感じがあるので、10年やってきましたが、やっとこれから本格的にやるべきことが見えてきたところです。――2022年4月に初めて、1stアルバム『DIVA YOU』について「ananweb」で音楽取材をさせていただきました。そこからの2年間でさらに飛躍された印象ですが、ご自身でも心境の変化や手応えはありますか。昨年から少しずつ仕事は増えましたね。以前の私はたぶん、いろいろなことをやっている人というイメージだったのかも。いまは音楽活動があるうえで、コラムを書いたりトークをしたりするというスタンスです。きっと、ゆっきゅんはこういう人だろう、ということがわかりやすくなって、お仕事を依頼してもらいやすくなったのかなと。基本的には、歌詞を書いて、歌って、それを人に見せるのが好き。だから、依頼されていなくても、ひとりで主催レーベルを立ち上げて自分で企画してディレクションしてと、これまで同様、音楽活動はずっと力を入れてやっていきます。――雑誌『anan』では、1月31日発売号から、対談連載「ゆっきゅんのあんたがDIVA」がスタートしていますね。本当に私がうれしいだけの連載をさせてもらっていて、会いたい人を何十人かあげて、対談させてもらっています。掲載の順番は違うんですが、最初に決まった対談相手が、作家の金原ひとみさんで「マジですか?」と(笑)。続いて文筆家の能町みね子さん、シンガーソングライターの柴田聡子さんなどと対談しました。本当に、「マガハやば!」みたいな感じです(笑)。それぞれ対談が終わったら、みんなとカラオケに行って、友達になり、交流が広がっています。これからはもっといろんな歌を歌いたい――2024年5月15日に、アルバムからの先行シングルとして「ログアウト・ボーナス」が配信されました。ゆっきゅんさんが手がけている歌詞は、孤独な女性を描いた海外映画を観ていたら思いついたそうですね。バーバラ・ローデンの『WANDA』(1970年)やアニエス・ヴァルダの『冬の旅』(1985年)といった映画の主人公の女性がひとりで放浪する姿が心に残っていて、そういうことを歌にしたいなと。その歌詞が浮かんだときは、兄の結婚式で愛知県刈谷市に行っていました。愛知県刈谷市は私の好きな山戸結希監督の地元であり、初期作はその地でロケをしていて。ちょうど同じ場所にいるんだから、ロケ地巡りでもするかとビジネスホテルを予約したんです。でも疲れて行く気がしなくて、ひたすら部屋で天井を見ていたら、なんか東京にいるときと変わらない状態になって私は何をやっているんだろうと、映画の主人公たちの気持ちが急に見えてきて、2時間ぐらいで一気に歌詞を書きました。――作曲は、2020年結成のロックバンド「えんぷてぃ」のフロントマン、奥中康一郎さんが担当しています。奥中くんは、昨年1月に知り合っていて、夏に『Re: 日帰りで – lovely summer mix』を出したときに「ゆっきゅんさんの声はバンドサウンドにもめっちゃ合いますね」と言ってくれたんです。すかさず「じゃあ、なんか曲を一緒に作ろうよ」と話して。「歌詞が浮かんだらいつでも言ってください」と言うから、すでにできていた「ログアウト・ボーナス」の歌詞を渡して。少し打ち合わせをした夜には奥中くんからフルコーラスのデモが届いて、9月末には曲ができていました。――この曲好きです。どことなくフリッパーズ・ギターを思い出すというか。ゆっきゅんさんの歌声が堪能できますし、バンドサウンドとも合っていて、また違う一面が見えました。ありがとうございます。曲は、奥中くんは渋谷系っぽい感じを意識していたと言っていました。これまでは、曲も歌詞も、自分で自分を上げていくような鼓舞するものが多く、ファンのかたから「出勤するときに聴いています」というようなことをたくさん言っていただいていて。それはすごくうれしいんですが、人生の中での時間って、出勤時だけじゃないですよね。だから、これからはもっといろんな歌を歌いたいなって。――確かにこれまでは元気に背中を押すような曲も多かったですね。そう。でも昨秋ぐらいから、もう少しストーリーテリング的な歌詞が浮かぶことが多くなってきて、直接的な応援歌以外のものも書くようになりました。この歌は仕事を辞めたとか、仕事じゃなくても何かをエスケープした、リタイアしたというときに聴ける歌にしたくて。歌詞が先にあったので、何を伝えるかはすでにできていて、どう伝えるかとなったときに、表現するものとそのやり方の距離を今までよりも考えることができた気がします。「ログアウト・ボーナス」は、そういうときに聴ける歌になっています。歌詞に楽しそうなことは書いていないんですが、できるだけ明るく歌っていて。音楽って、聴いたときに、少しでも前を向けるものであってほしいから。――そっと寄り添ってくれる曲になっていると思いました。ゆっきゅんさんは、これまではデジタルサウンドでダンサブルな曲のイメージがあったので、この曲を聴いたかたは、意外に思われるかたもいるかもしれませんね?新境地みたいなものがないと、新曲じゃないという気持ちもあって、初めてバンドでレコーディングしました。アルバムのことも視野に入れ、最初にこの曲をレコーディングしたんですが、いまはなかなかアルバムとしてリリースしても全部を聴いてもらえない時代でもあって。サブスクで聴くときに知っている曲があると聴いてもらいやすいので、それなら先行で4か月連続配信したら、さすがに注目してくれるかなと考えました。この曲ありきでアルバム制作は進みましたが、デジタルなサウンドの曲もあったりと、バラエティ豊かな仕上がりになっています。――いまはボイストレーニングにも行かれているとか。月に2回ぐらい行っています。奥中くんを含めたバンドのメンバーが実力派の若手専門家たちの集いなので、まともに歌えないとだめだな、うまくなりたいなあと思ってボイトレしています。――「ログアウト・ボーナス」のミュージックビデオには、女優の唐田えりかさんが出演していますが、でんぐり返ししている場面がツボでしたし、ゆっきゅんさんは妖精のように登場しますね。でんぐり返しは金子由里奈監督の演出で、私が出てくるところは、「生まれ変わらないあなたが私を見てる」というイメージなんです。歌詞の最後2行に「生まれ変わらないあなたを私が見てる」とあるんですが、これは自分自身の気持ち。みんないろいろあると思うけど、それを見ています、というメッセージです。――そして6月14日には、連続リリース第2弾の「シャトルバス」が配信されました。美しいピアノの調べにのせたバラードですね。5月、6月と先行配信の2曲は、前作とガラリと変わります!みなさんにビックリしてもらおうと思って、リリースする順番を決めました。曲は、バンドにも参加してもらった、梅井美咲さんというピアニストのかたが演奏してくれています。J-POPラバーとしては、J-POPのアルバムには1曲は静かな曲があることが多いので、自分のアルバムにも絶対ピアノの曲を入れたいと思って。「ログアウト・ボーナス」と同じく「シャトルバス」でも、これまでのJ-POPで描かれてこなかったであろう場面や気持ちを歌っています。この曲は、結婚式や同窓会に行って楽しかったんだけど、なんか自分がちょっとモヤモヤしていることに気づきそうなのが嫌だから、そうなる前に2次会に行かずに帰る人の歌を書きました。これまでと違うタイプの2曲が先行配信されましたが、7月にはまた元気な曲が出るので、安心してください(笑)。“自分の歌”だと思ってもらえる曲を歌いたい――お話は変わりますが、現在、ハマっているものはありますか。ハマっているのは、韓国のボーイズグループ「RIIZE(ライズ)」です。5月に日本初の単独公演が国立代々木競技場第一体育館で開催されて、行ってきました。私はメンバーのソヒくんが好きなんですが、本当に歌が好きで歌いたい人という感じがして、そういう姿を見ていると幸せな気持ちになります。――いいですね!あとは最近、タレントの野呂佳代さんが好きですね。もともと好きですけど。もしも職場にいてくれたらうれしい雰囲気の人だなと。三宅唱監督の映画『夜明けのすべて』(2024年)という映画を観たときに、実際に野呂さんは出演していないし、野呂さんより年齢が上の人物なんですが、まるで野呂さんのようだなと思うイメージの女性がいて。友達とも「我々は職場に野呂さんがいない現実とどう向き合うか」と話していたぐらい(笑)。この映画は“同僚”についての映画だと思うんです。ひとりでいろいろと抱えていて、遊びに行く気すら起きないけど、生きていかなきゃいけないから、そんなときでも会社には行かなきゃいけない。一番顔を合わせるのも同僚なんだよな、と。私はいまアルバイトもしていないし、同僚がいない状況ですが、この映画の職場のような同僚だったら、かけがえないだろうなと、同僚という関係性にもハマっています。――視点がすごいですね。ちなみに本日のお洋服は、花柄にレーシーな部分が特徴的ですが、ご自身で作ったものですか?いえ、これはRITSUKO KARITAというブランドなんです。最近は首がつまったデザインを好んでいて、冬はずっとタートルネックを着ていました。いまも首まである洋服を着ることが多いですね。――いろいろなお話をありがとうございました!では最後に、今年の抱負を教えてください。先行配信した新曲もそうですが、9月にリリースされるアルバムをたくさんの人に聴いてもらいたいです。前作ではもう誰にも褒められなくてもいいくらい、たくさんの褒め言葉をいただいたんですが、まだ届いていないな、足りないなという気持ちも。今回、楽曲作りに参加してもらったいろいろな人たちの力も借りて、もっと広く音楽が好きな人や、音楽はほとんど好きじゃない人にも、届けたいんです。みんなにとって“自分の歌”だと思ってもらえる曲を1曲でも多く歌いたいなと。29歳になったばかりなので、一段落ついたら、30歳になるまでにまた新しくやりたいことが頭に浮かぶと思います。取材後記『anan』本誌の連載でもおなじみの、みんなのDIVAゆっきゅんさんが、再びananwebに登場。前回同様、今回もカメラの前で艶やかにポージングをきめてくださり、どの姿もチャーミングで見入ってしまうほど。インタビューも丁寧にご対応くださり、楽しい取材時間を過ごさせていただきました。29歳のゆっきゅんさんのいま、そして30代になってからの未来も目が離せません!!そんなゆっきゅんさんの楽曲をみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!写真・幸喜ひかり取材、文・かわむらあみりゆっきゅんPROFILE1995年5月26日、岡山県生まれ。2014年よりアイドル活動を開始。2016年からポップユニット「電影と少年CQ」としてのライブを中心に、個人では映画やJ-POPの歌姫にまつわる執筆、演技、トークなど活動の幅を広げる。2021年5月より、セルフプロデュースで「DIVA Project」をスタート。「DIVA ME」「片想いフラペチーノ」の2曲を配信リリースし、インディーズデビュー。2022年3月、1stアルバム『DIVA YOU』をリリース。2024年9月11日に2ndアルバム『生まれ変わらないあなたを』をリリース。InformationNew Release「ログアウト・ボーナス」2024年5月15日配信※6月の【シャトルバス】の「ジャケ写」をお戻しの際、一緒にお送りください。「シャトルバス」ジャケ写入る「シャトルバス」2024年6月14日配信*以下から2ページ目です(わかりやすく原稿チェック時は1pで見られるようにしています)。写真・幸喜ひかり 取材、文・かわむらあみり
2024年06月24日取材・文:ミクニシオリ撮影:洞澤佐智子編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部あの大人気恋愛リアリティショー『バチェラー・ジャパン』シーズン5で最後の一人に選ばれた女性は、番組の中でよく涙を流し、大きな声で笑う、感情表現の豊かな女性だった。大内悠里さん。リッチな男性であるバチェラーに選ばれるために、清楚な雰囲気の女性が多く参加する中で、金髪ショートヘアの彼女は目を引いた。そして、大内さんはバチェラーと結ばれ、2024年1月に彼と別れを告げた。リアリティショーの中での一面が取り沙汰されがちだが、ビジネスウーマンとしても、優れた才を持つ彼女。2024年4月に発売した彼女の著書『すっぴんメンタル 自分の感情に素直になれば仕事も恋愛も大事にできる』(大内悠里著/KADOKAWA)の中では、彼女が歌舞伎町や名古屋のキャバクラでNo.1になるまでの経緯や、起業後の飲食店経営術などについても触れられている。キャバ嬢、経営者としての大内さん、そして『バチェラー・ジャパン』の旅の中で大恋愛をした大内さん。その経歴からは、とても華やかで強かな女性を想像するけれど、実際の彼女は親しみやすく等身大だ。世間から注目を集める恋愛を経験したあとも、なぜ彼女は自分らしくいられるのだろうか。■「自信のない自分」変えたくて、もがいた20代リアリティショーという名前がついているせいか、どうしても私たちは、画面の中での彼女が“本当の彼女”そのものであるかのように受け取ってしまう。けれど今回の取材で現場に現れた大内さんは、全方位に気を配ってくれて、あの時感じた“感情表現の豊かさ”とは、また違った一面を見せてくれた。そして参加時を振り返りながら、エッセイ本の出版についてこう話す。「番組の中でも、私の自己肯定感の低さは露呈していたと思うんですけど(笑)、出版のお話をいただいた当初は、私に話せることなんてないだろって思いました。だけど、そんな等身大な姿が私の魅力なんだと担当さんが口説き落としてくれて、やってみようという気持ちになったんです。過去を語るにあたって避けられない、水商売時代のエピソードに対しても、世間の方々に必ずしも好意的に受け取ってもらえるわけではないと思っていたので、過去について話すのはかなり勇気のいることでした」他人からの目が気になってしまうという彼女は、よくエゴサをするのだという。幼い頃からあまり自分に自信がなく、大人の顔色を伺ってしまう子だったのだそう。だけど彼女は社会人になって、常に「人目に触れる」仕事を続けている。「人の目が気になるからこそ、接客業は向いていると思っています。気を遣って立ち回るのは得意ですし、周りが私にどんな役割を求めているのかが分かるから。だけど、バチェラーに会った瞬間に泣いちゃうくらい素直な性格なことも本当で、素直でありたい自分と、他人から求められる姿を演じたい自分の狭間で、ストレスを溜めてしまう時期もありました」接客業に従事していなくても、他人から求められる自分を演じたくなる気持ちが分かる人もいるのではないだろうか。だってきっと、その方が相手から愛されるはずだ。いくつかの自分を持っていれば、色々な人と仲良くできるだろう、と。だけど自分を偽るのは、やっぱりすごく疲れることなのだ。だから大内さんは、そんな自分と決別した。「キャバクラ時代、お客様に『もっと自然体でいいよ』って言われていたんですけど、その時にはそんな風にはなれっこないと思っていました。だけど自分で経営を始めて、変わることを意識し始めたんですよね。他人に合わせるのって、目先のメリットが欲しいからだと思うんです。でも、そんな関係って長続きしないじゃないですか。従業員を養っていく責任を負うために、中長期的な目標を立てるようになって、無理した人付き合いはやめました」幼い頃からの人目を気にしてしまうクセも、環境の変化とともに改善し、少しずつ「生きやすい選択」ができるようになったという。
2024年06月21日取材・文:ミクニシオリ撮影:渡会春加編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部「公認不倫」……最近よく目にすることも増えたワード。永遠を誓いあった相手がいながら、セカンドパートナーの存在を認め、それでもなお夫婦として、一緒にいたいと思える理由とは、なんなのでしょう。そんなセンシティブなテーマを扱い、2019年にはマンガ大賞にもノミネートされた渡辺ペコさんの漫画『1122 いいふうふ』が、Prime Videoにてドラマ化。公認不倫中のセックスレス夫婦、一子(いちこ)と二也(おとや)を演じるのは、高畑充希さんと岡田将生さんです。主演のお二人に聞いたのは、作品を演じたからこそありありと感じたという「結婚する意味」や「いい夫婦とはなんなのか」について。絶対的な答えのない問いに、真剣に向き合ってもらいました。初共演とは思えない、高畑さんと岡田さんの息のあったダブルトークにも注目です。■公認不倫する夫はクズ?演じた2人の意見は……ーー『1122 いいふうふ』はこれまでにない題材を扱ったドラマ作品ですが、原作や台本を読んでどう感じましたか?高畑充希さん(以下、高畑)原作をもともと読んでいたのですが、台本になった時もやっぱり面白いなと思いました。登場人物たちはみんな一生懸命で、みんな間違ってないようで、間違っている部分もあって……。ただ、何が正義で悪なのかをジャッジする作品ではないんですよ。人間って時に正しくないって分かっていても、止められない時があるなって。だからこそ共感できたし、どの人物もとても愛することができました。岡田将生さん(以下、岡田)僕は今回の話をいただいた後に初めて原作を読んで、みんなの感想なんかも色々調べてみたんですけど、公認不倫する夫に対して「クズ」と考える人が多いんだなあと。ただ、誰だって間違いを犯すことはあるし、僕が演じた二也は「クズ」ではないと思っています。原作を読んでそう思った人にも、改めてドラマを観てほしいですね。ーー扱っているテーマがテーマだけに、男女で見た印象が変わりそうな作品でもありますよね。高畑私は、原作を読んだ時も(二也のことを)クズだとは思わなかったです。ただ、実際ドラマ化したらどうなるんだろうとは思っていました。でも実際岡田さんが演じられて、役に人間が宿ることで、とてもチャーミングなおとやんだ!と思いました。岡田やっぱりそうだよね?僕、妙にクズ男っぽい役を演じることが多いんですけど、今回はそうじゃないんです!そのことが皆さんに伝わるといいんだけど。二也はすごく人間らしくて、優しい人なんですよ。ーー作中の演技もそうでしたけど、お二人はすごく息が合っていますね。岡田初共演ということもあって、クランクイン前から共通の友人を介して食事会をしていたんです。それがプラスに働いた気がしますね。高畑やっぱり夫婦だから、目を見ないでお芝居できるくらいの空気感は最初に作りたかったです。お互い人見知りなので、初対面で演じるのは難しい役柄でしたが、幸いなことに共通の友人が多かったので、周囲にも助けられました。■特殊な関係の夫婦を演じ、結婚観に変化がーー作品は、公認不倫を通して「夫婦のあり方を模索する」ことがひとつのテーマになっていたかと思います。一子と二也を演じてみて、結婚について学べたことなどはありましたか?岡田僕は結局、“結婚は恋愛の延長線上”なんじゃないかなって思った。婚姻届で家族になるんだけど、元は他人……だけど歩み寄っていかなきゃいけないから。難しいですよね。高畑私は一人っ子だから、結婚して家族が増えることを、すごくポジティブに考えています。家族仲はいいんですけど、今まで何でも1人でやらなくちゃいけなかったし、今後ずっと1人で抱えていかなきゃいけないと思っていました。恋人にはなかなか家族のことは頼れないけど、夫婦になったら頼れるのかもしれないなと。そういう意味では、理解あるパートナーがいる一子が羨ましかったです。岡田僕たちまだ結婚もしてないので、なんとも言えないですけど……ただ、作中で一子が夫の携帯を覗いちゃうシーンがあるんですけど、あれは僕にはできないなあ。絶対に修羅場になるじゃないですか。夫婦だからって、なんでもシェアし合うのが正解とは限らないのかなと。高畑私も、携帯は怖くて見れないなあ(笑)。ーー今回のお仕事を通して「いい夫婦像」に変化はありましたか?岡田今までは、理想の結婚像みたいなのがあったんですよ。でも逆に、一子と二也のことを見ていると、現実を思い知ったというか……。僕が描いてた理想なんて、結局理想でしかなかったんだと気づかされたかも。やっぱり、生きていれば何かしら問題は起こるし、笑顔でいられない日もあると思うんですよ。だけどそれでも、2人の正解を探していけるのが「いい夫婦」なんじゃないかと思いました。高畑すごく分かります(笑)。結婚しても歩み寄る努力は辞めちゃいけないんだなと。楽しいからとか、好きだからってだけじゃ解決できないこともあるかもしれないけど、難しい問題にもちゃんと向き合って、一緒に解決できることが大切なのかなと。夫婦って、チームなのかなと思いました。岡田まだ分からないですけどね。もし結婚する時が来たら、その答え合わせができるのかなと思います。■結婚、夫婦……「なんとなく」だった価値観を見直すきっかけにもーー最後に、どんな人に作品を楽しんでほしいですか?高畑これから結婚したい人も、そうでない人も、結婚して幸せな生活を送っている人も、とにかく面白く観れる作品だと思います。ただ、エンタメ性があるだけじゃなくて、リアルで人間臭い話ではあるんですが……とにかく、まずは1話だけでも見てほしいですね。岡田まずは1話だけ、って思っていても、気づいたら引き込まれて4話くらいまで観てるんじゃないかな(笑)。このドラマはPrime Videoさんだからこそ配信できるものだと思います。そのくらい尖ったテーマを取り扱っているんだけど、議論するにも面白い作品だと思うので、恋人やパートナーと一緒に観てみるのも面白そう。一子と二也の関係性は少し特殊だけど、僕は応援したくなったし、ずっと一緒にいてほしいなと思いました。結婚への理想とか、ずっと一緒にいられるパートナーってどんな人だろうとか、自分の今後についても、イメージが変わる部分なんかもあると思います。『1122 いいふうふ』妻・ウェブデザイナーの相原一子(高畑充希)。夫・文具メーカー勤務の相原二也。友達のようになんでも話せて仲の良い夫婦。セックスレスで子どもがいなくても、ふたりの仲は問題ない……だけど。私たちには“秘密”がある――。それは、毎月第3木曜日の夜、夫が恋人と過ごすこと。結婚7年目の二人が選択したのは夫婦仲を円満に保つための「婚外恋愛許可制」。二也には、一子も公認の“恋人”がいるのだった。「ふたりでいること」をあきらめないすべての人に届けたい——、30代夫婦のリアル・ライフ。一見いびつで特殊な夫婦の関係に見えるふたり。だけど、結ばれて“めでたしめでたし”で終わる物語のその先は……?6月14日(金)、Prime Videoにて世界独占配信開始!Ⓒ渡辺ペコ/講談社 Ⓒmurmur Co., Ltd.
2024年06月14日『由宇子の天秤』『サマーフィルムにのって』『PLAN 75』『ある男』『少女は卒業しない』等々、数々の力作で存在感を発揮してきた河合優実。2024年も『四月になれば彼女は』やドラマ「不適切にもほどがある!」「RoOT / ルート」、アニメ映画『ルックバック』、第77回カンヌ国際映画祭の監督週間に出品された『ナミビアの砂漠』ほか、話題作がひしめく彼女が、実在した人物を熱演した主演映画『あんのこと』が劇場公開中だ。幼い頃から母親に虐待され、売春を強要され、その過程で薬物依存症になってしまった21歳の杏(河合優実)。人情派の刑事・多々羅(佐藤二朗)とその友人でジャーナリストの桐野(稲垣吾郎)と出会い、どん底の人生をやり直そうと奮闘していく。生傷が広がっていくような壮絶な役どころを、一人の人物として寄り添い、文字通り「生きて」見せた河合さん。舞台裏と共に、表現者としての信念や葛藤を語っていただいた。映画を通して「世の中がよくなっていけば」――本作は新聞記事に掲載された実在の人物と事件をベースにした物語です。入江悠監督と共に記者の方にも入念な取材を経たうえで臨まれたと伺いました。公開を控えた今のお気持ちはいかがですか?何を言えばいいんだろうというくらい、怖いです。撮影中に自分自身が「つらい」と感じることはあまりなく、ただただ「杏を生きる。自分のところに来たからにはもう大丈夫だよ」という気持ちで臨むことに集中していたのですが、杏として追い込まれるというより彼女のことを映画にして届けることが重くのしかかっている部分があります。正直なところを言うと、どう捉えて自分が表に立ったらいいかまだ全部は整理がついていません。ただそんななかで、雑誌社で働いている高校の同級生がこの前本作の取材に来てくれて「この映画は絶対届けなきゃいけない」と言ってくれました。そして、こうやってインタビューをしてくださる皆さんの温度感で「ちゃんと受け取ってくれている」とも感じます。私自身も「作ったからには絶対にたくさんの人々に届けなきゃいけない」とは強く思っているので、そのことを自分に言い聞かせ、何とか奮い立たせて頑張って世に送り出そうとはしています。この作品をある種媒介にして、もう少し世の中がよくなっていけばいいなという感覚です。もうそれしか目指すところはないと思いますし、今まで出演させて頂いた全部の映画にたいしてもそうかもしれません。――『あんのこと』にはDV被害者の方等が暮らすシェルターマンションや薬物依存症からの更生を目指した自助会等々、各々の“再生”に向けた現実社会の事柄も描かれます。映画を通して「知る」「理解を深める」という効能もありますね。多々羅(佐藤二朗)という警察の中にいる人が、「薬物で捕まってしまった人を更生させてあげたい」という個人的な想いで自主的に作ったグループという点には驚かされました。「助けたい」「よりよい環境に連れて行ってあげたい」という人の想いで作られている組織の存在を、私は全然知りませんでした。「自分たちで助け合う」という気持ちがないとなかなかその状態から抜けだせないし、逆にいうとセーフティーネットがないから共助していかないとダメな状況なのだろうな、とも言うことがわかりました。出演後に変化した社会の見え方と心境――漠然とした質問で恐縮ですが、本作に出演されて河合さんご自身の社会の見え方は変化されましたか?変わったと思います。これまでも様々なニュースを観て「自分と違う境遇にある人がたくさんいる」ということを知識としてわかっているつもりでしたが、その当事者を演じるなかで自分自身が疑似体験したことや、映画にしていくことで感じた事柄によって見え方は変容しました。こうした社会問題について、どういう風に情報が発信されて人々がキャッチしているのかといった部分についても考えるようになりました。――先ほど河合さんがおっしゃった「怖さ」について思うのは、こうやって取材等で言葉にすることもそのひとつなのではないかということです。そうですね。言葉にすることへの怖さもあれば、難しさも感じます。そもそも、本作に限らず言葉で言えないから映画になっているところもありますし。言葉にしなくて済んだものを言葉にすることで、自分がそのとき感じていたことや、表現したことからズレてしまったり、より大きく伝わってしまったり小さくしか言えなかったり、そういったことは本当にたくさん起こります。ただ、映画に出た後に作品や自分のお芝居が何を表現していたかちゃんと言語化したいとも思うので、どんな作品でも頑張って言葉にしようとはしています。――ちなみに、本作のように実話から派生した作品に出演したことで、ご自身の観客としての心持に変化はございましたか?私が作品を観て感動するときは、そこにある人間や精神、命をとても尊重していると感じられた瞬間だと思います。いい作品にはモラルがあるものだと私は考えていて「これはフィクションではあるけれど、人の尊厳を踏みにじっているんじゃないか」と思うときはやっぱり、いい作品と思えません。これは『あんのこと』に関わっている際に、よく考えたことです。現実社会の課題を描く映画へ多数出演――河合さんがこれまで出演された作品には『PLAN 75』や「神の子はつぶやく」ほか、現実社会とリンクするものも多くありますね。確かに今までも、様々な社会の課題に対しての映画に出演させていただきました。そのなかで『あんのこと』は実在した人物の人生を映画にしたという意味で直接的ですし、そのぶん自分の中で重くのしかかるところはありました。――そうですよね。劇映画という性質上、どうしたってある種の暴力性や、見ようによっては搾取という部分から切り離すことはできないとも思いますし。そういった部分との折り合いについては、いかがでしょう。「ついている」とは言い切れないですね。でも、主演として、この作品を世に出していく立場としてそう言っていいのかもわかりません。だからこそ「どうしよう」と悩みはしますが、「絶対に映画にして世の中に伝えるべき」と信じた入江さんの気持ちや、私が取り組んでいた気持ちは本物です。他者の気持ちを完全に察することは難しいけれど、ご本人にお話を聞くことが叶わないぶん自分の中では「敬意を払う」ことしかできないから、できる限りのことはやり切りました。「観てほしい」と言っていい、と自分が思える材料はそこにしかないと思います。今現在はまだ客観的に受け止めきれておらず、「入江さんや自分が精いっぱいやった」ということだけが免罪符になっているような感覚です。――河合さんの全身全霊のお芝居を目の当たりにされたら、きっとその想いは伝わるのではないかと思います。今回は「生き返す」がテーマだったそうですね。入江さんが最初に下さった文章に書いてあった言葉です。「描きたいことを描くためにどういうシーンを構築していくか」や「そこにいる人をどう撮るか」を一端脇において、私の身体を通して彼女が生きているということをもう一度見つめようとしているのかなと感じました。そういった目標があったため、私自身のアプローチもこれまでとは違ったものになりました。普段は全体から入ることが多く「このシーンは全体の中でこれくらいの場所にあるから、こういう道のりを辿ろう」や「映画全体の中でこういう役割を果たす」と逆算してお芝居を考えていくのですが、今回は杏という人物に出来るだけフォーカスしようという考え方にどんどん近づいていきました。私自身も実在した方の役は初めてでしたし、歴史上の人物ということとも違い、何年か前まで生きていらっしゃった方ですから、強い気持ちがないとやれないと当初から感じてはいました。撮影もほぼ順撮り(脚本の順番、或いは時系列通りに演じること)だったので、よりそうした方向に進みやすかったとも思います。作品作りも“モラル”が重要「人間性で信頼できる方とご一緒したい」――河合さんは「入江監督との信頼関係」を語っていらっしゃいましたよね。物語としての全体を意識して動くのではなく、その瞬間の役に集中するということは、“見え方”をこれまで以上に監督に委ねることになりますから。そうですね。一つ記憶に残っているのは、高架下のシーンです。薬物をやめていた杏がもう一回使ってしまい、多々羅が迎えに来る場面ですが、撮影後に背中をポンと叩いて「よかったよ」と言って下さったんです。入江さんはいい/悪いをあまりオープンに役者に伝えない方という印象があったため、嬉しかったです。その後にも「僕は今日、あのシーンを撮って香川杏という人を尊敬出来ました」とメッセージを送ってくださいました。一緒に映画を作っていくうえで、もう一段階踏み込んで手をつなげたような気持ちになった出来事でした。――素敵なエピソードですね。例えばご自身が「組みたい」と思うクリエイターや「参加したい」と思う企画においても、先ほどお話しいただいた「モラル」が重要なのでしょうか。それは大きいかもしれません。これは映画に限りませんが、「決して善い人間ではないけど歴史的な芸術を生み出した」という人物もこれまでたくさんいますし、その人たちの作品を好きな自分はいます。ただ、自分が一緒に組むとなると、表現すること以前に人間性で信頼できる方とご一緒したいと現時点では思います。(text:SYO/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:あんのこと 2024年6月7日より新宿武蔵野館ほか全国にて公開© 2023『あんのこと』製作委員会
2024年06月10日取材・文:ねむみえり撮影:洞澤佐智子編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部自分の好きなものを仕事にするというのは、一種の憧れがあるのではないでしょうか。今回お話しを聞いた望月真希子さんは、小学生の時から好きだったという文房具に携わりたいという気持ちで就職活動をし、キングジムに入社されました。キングジムにとって初のブランド「HITOTOKI」を立ち上げるまでには、さまざまな苦労があったそう。その苦労を乗り越えてきた望月さんからは、文房具への大きな愛が感じられました。キングジムにとって初のブランド「HITOTOKI」を立ち上げるまでには、さまざまな苦労があったそう。その苦労を乗り越えてきた望月さんからは、文房具への大きな愛が感じられました。■小学生の時から大好きな文房具に携わりたいまず初めに、現在どのようなお仕事をされているのかお聞きしたいです。私は入社してからずっと開発一本なのですが、今は開発本部のステーショナリー開発部というところに所属をしております。ファイルやノート、スタンプといった、いわゆる文房具屋さんに売っているような商品を担当しています。入社してから開発一本とのことですが、就職活動をされていた時から開発に携わることを意識していましたか?開発職に就きたいという希望はあったのですが、もし就けなかったとしても、とにかく文房具に携わりたいという気持ちが非常に強かったです。昔から文房具が大好きだったので、就職活動をしていた時は文具業界のみを受けていました。文房具にハマった理由はなんだったんですか?小学生の時にシール手帳を作ったり、手紙の交換をやったりしていて、その時から文房具は好きだったんです。大学ではプロダクトデザインを専攻していたので、専門的な文房具にも触れる機会が多くて、文房具全般が好きになりました。■女性3人から始まった、会社初のブランド「HITOTOKI」望月さんはキングジムのブランドである「HITOTOKI」に立ち上げから携わっているとのことですが、立ち上げるまでの経緯を教えて下さい。今までも特定の商品を作りこんでいくということはあったのですが、私としては、今自分が作っている企画たちを1つにまとめてブランド化していきたいという思いがありました。当時、会社にはまだその文化がなかったので、2年ぐらいかけて、私含め開発にいる2人と、営業女性の3人チームで「HITOTOKI」というブランドを作っていきました。女性3人から始まったブランドなんですね!でも、どうしてそんなに「ブランド化」にこだわったんでしょうか?ブランドを作ると、商品群全体を知ってもらうきっかけになるんじゃないかなと思ったんです。例えば、自分が好きな洋服のブランドって、そのお店に行けば好きなものが何かしらあると思うじゃないですか。ブランドの新作や、発信する情報を楽しみにしてもらう、それを文房具でもやりたかったんです。また商品単体でPRするよりも、ブランドで括ることでこの先いつか、大きな活動につなげられるのではないかとも考えていました。なるほど。でも、ブランドを立ち上げるのはそう簡単じゃなかったのでは……?そうですね。会社として初めての取り組みだったので、“ブランドにする必要性や優位性”を上層部の人たちに納得してもらうことから始めて……。まずはその伝え方に苦労をしました。「HITOTOKI」のサイトには「いい日と。」というタイトルでブランドメッセージを載せているんですが、これには「いい日が作れる文房具を作りたい」という思いが込められています。私たちが作る文房具を使ったり眺めたりして、楽しいと思える日が積み重なることでいい人生になるんじゃないかと。そんな文房具を作り続けたいとブランド化するにあたっては、社内でこういったコンセプト側の説明も何回もしていました。新しい試みだからこそ、丁寧に説明していかなければならなかったんですね。そうなんです。ブランドを作った実績が会社になかったので、そもそもブランドってどうやって作るんだろう、というところから始まりました。ブランド化が決まったあとには、コンセプトはどのように作り上げていこうかとか、ブランドってどう発表すればいいのだろうとか。基本的なことが全く分かっていなかったので手探りでした。そんな状況だったので、今までやったことのない仕事にまで手を伸ばしてやっていました。でも、こうして年齢関係なく好きなことを提案させてもらえる環境があって、関連部署のみなさん もたくさん手助けしてくれたので、なんとかブランドの立ち上げも成功し会社にはすごく感謝しています。■ブランドとしてコンセプトに沿った商品を出すことはユーザーさんとの約束次々と新しい商品を開発されている望月さんですが、アイディアを出し続けるのは大変じゃないんですか?アイディアが煮詰まることは多々あります。そういう時は、時間を決めて外に出て色んな商品を見てとにかくインプットします。その日は必ず最後にカフェに入り、その日に思いついたアイディアをノートに書きだすということをして、アイディアをどうにか出し続けています。入社してから書き溜めている“アイディアノート”はもう何十冊もたまりました(笑)。すごい……!アイディアを出すうえで大切にしていることは何かありますか?絶対に自分が欲しいものしか作っちゃいけないと思っています。どうしても企画件数の目標値みたいなものが毎年あるのですが、ブランドとして商品を出すってユーザーさんとの約束みたいなところがあるので、ブランドコンセプトに沿っていて、自分も欲しくて、絶対におすすめできるものを作るというのを必ず守りながら新しいものを企画しないといけないと思っています。ユーザーさんの期待を裏切らないという、強い信念を感じます。最後に、望月さんの今後のビジョンをお聞きしたいです。私たちが作っているスタンプやシールなどの文房具は、毎日仕事で使うような“必需品”ではなくてある意味“娯楽品”側の商品なんですよね。必要不可欠ではないんです。けれど、それが仕事をするうえでの活力になったり、それがあるから日々が楽しくなったりする。そういう意味での“必需品”としての立ち位置になる文房具を作り続けたいと思っています。「HITOTOKI」ブランドとしては、最近は雑貨屋さんに並ぶようなトートバッグやピンバッチ、レジャーシートといったものをオンラインストア限定で販売するなどアイテムの幅を広げて展開をしています。文房具ブランドですが、ライフスタイルブランドに少しずつ広げて、より皆さんにとって身近なブランドにしていきたいなと感じています。「HITOTOKI」のこれからのアイテムがとても楽しみです。ありがとうございました!
2024年06月07日6月7日(金)に公開となるアメリカ映画『東京カウボーイ』で、初の海外作品主演を果たした井浦新。冷静沈着、効率至上主義のビジネスマンが、米国モンタナ州で思いがけず人生の豊かさに出会う物語の中で、異文化と触れ合ったことを機に自らを再生させる主人公ヒデキを演じている。役柄同様、勝手の異なる現場を体験したという井浦さんに、撮影について、そして映画の魅力について聞いた。多くの人が共感できる題材だからこそ「僕自身が試される」――初めてのアメリカ映画主演作ですね。どのような経緯で出演されたのでしょうか。マーク監督はこれまでの私の出演作をずっと観てくれていて、それで私に出演依頼が来ました。これまでも、私はとくに海外作品に出たいという意識はなかったのですが、俳優として取り組んできたことが、米監督からのオファーにつながった…ということが、日本の俳優として素直にうれしかったです。――マーク・マリオット監督は、キャリア初期に来日し、山田洋次監督の『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』(1989)の現場に見習いとして参加したという日本映画通。「映画『朝が来る』を見て、新さんの素晴らしい自然な演技、純粋さに心を動かされて、この人が必要だ!とすぐに思い、今はそれは良い決断だったなと思います」とおっしゃっています。藤谷文子さんと共に脚本を担当したデイヴ・ボイル氏は、Netflixシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」(2023)の脚本・監督も務めています。オファーを受け、どのように感じましたか。まず、好きな脚本だなと思いました。温かさを感じましたし、ある意味ヒデキの再生の物語でもありました。ヒデキを通して、人はどんな状況でも変化していくことができるという希望の物語でもあるとも思いました。とても普遍的で、自分の中にある身近なものにも寄り添える作品だと感じました。だからこそ、この作品で自分がヒデキを演じることで、その思いをどうパフォーマンスしていけるかという点でも、これはすごいチャレンジになると思いました。たくさんの人たちが共感できる題材だからこそ、それに対してどういうアプローチをするかで、見え方や伝わり方は変わっていきますから、僕自身が試されるとも思いました。――主人公のバックグラウンドはあまり語られていませんが、「再生の物語」と感じた理由は?ヒデキには壮絶な過去があるわけではないと思います。こういう人っているよなと思わせる人物で、誰でも自分を重ね合わせられるような側面がある、そんな男だと思うんです。人によって幸せの価値観って本当に様々で、幸せの種類も人の数だけあっていいと思いますが、ヒデキは凝り固まった考えを持ってしまい、自分で自分の可能性をシャットアウトしていた。きっと彼は、どちらかというと勝ち続けて来た人だったんだと思います。受験も、就職も勝ち続けて、周りが、もしくは自分が望むものをちゃんと手に入れてきて。恋人のケイコもそのひとつだったのかもしれません。ケイコは上司で、恋愛感情はあったとしても、どこか野心的な考えで付き合ったのかもしれない。そんなヒデキがモンタナでは何にも通用しない。言葉も通じないし、価値観も違うし、何も伝わらない。そうして大負けすることができたんです。だからやっと恋愛や仕事で人とちゃんと関われるようになった。人と人とのコミュニケーションの中から、いろいろな幸せが生まれてくるんだということを知ることになり、生まれ変わっていく。そういう意味で、ヒデキの再生の物語だと思いました。「ちぐはぐさを笑いにしない」それぞれの文化に敬意を払う――「勝ち続けることが幸せ」という考えが長く当たり前でしたが、今『東京カウボーイ』のような物語が各国で賞賛されているのは、価値観が多様化し変化していくタイミングだからなのかもしれません。世界中でみんながコロナ禍を同時に経験したというのも大きいかなと思います。当たり前だったものが当たり前じゃなくなって、既成概念が一回壊れて。新しい価値観を否が応でも受け入れざるを得なくなる。新しい考え方と共存して行くというか。もしくはこれはアップデートだと考えて変化をちゃんと受け入れていく、そんな価値観も生まれたのだと思います。この作品は再生の物語ですが、この“再生”はコミュニケーションが鍵になっている。コロナ禍で世界中の人がコミュニケーションの断絶を経験し、不安を感じ、それを越えて価値観を再構築したりアップデートしたりする過程を経た。だから、この物語に自分を重ね合わせやすいのかも知れないです。――モンタナの牧場でヒデキが「Languageが大切だ」と言われる場面が印象的です。直訳すれば、「Language」は「言語」という意味ですが、この文脈では相手の文化や習慣、考え方、服装までも含めた価値観などを意味していますよね。全く違う価値観を受け入れていくことは敬意のひとつであると感じました。監督、脚本の藤谷さんはじめ、みんなが共通認識として持っていたのは、郷に入れば郷に従うことの大切さ。それは異文化交流でもあるけれど、その過程で見えてくるのは、言語や人種が違っても変わらないことがあるということ。違いを認めることで共通するものに気づけるということも、この物語は伝えようとしているのでしょう。これは日本国内でも同じこと。物語の冒頭で、あるチョコレート会社を買収しますが、ヒデキはそこに気づけなかったから失敗した。共通する部分、変わらない思いに気持ちを寄り沿わせること、ヒデキがそれに初めて気づけた場所がモンタナだったんです。――サラリーマンのヒデキがスーツを着て大自然に抱かれた牧場の中に入って行く。かなり滑稽ではありますが、脚本や演出もそれをバカにするのではなく、彼を見守るような温かさがあり、日本の文化を嘲笑するようなものを一切感じませんでした。作る人々が、日米両方の文化に敬意を払っているのが感じられて、見ていてとても気持ちの良い作品でした。それは藤谷文子さんのおかげです。藤谷さんは日本にいた時期から俳優としてだけじゃなく、脚本家としても活動されていました。アメリカにフィールドを移した際に、日本の社会の中で浮いているアメリカ人やちょっと失敗している観光客をずっと観察し作品にしていらした。決して傷つけるようなやり方でなく。今回、モンタナで日本人ビジネスマンを映し出すときにも、そのちぐはぐさを笑いに変えるのではなくて、そこに違和感を憶えたりユーモアを感じたりした観客が自然に何かを受け取ってくれればいいという姿勢なんです。笑いを押し付けてないというか。だから脚本もバランスがいい。藤谷さんは両方の文化からの目線も持っているから、日本人サラリーマンをバカにしないし。人をちゃんと見て人を愛しているから、人や物事へのまなざしが温かい。だから作品の中で、日本人もメキシコ人もアメリカ人も、人種や文化、習慣、風習の違いを否定し合うことはないんです。役と重なることを実感した撮影現場――撮影は、東京以外に、映画『リバー・ランズ・スルー・イット』などのロケ地として有名なモンタナ州のパラダイスバレーでも行われましたね。モンタナ州で約15日間、撮影が行われました。初めてのアメリカでの映画撮影は、日本とは勝手が違って本当に戸惑うことばかりでした。モンタナへ出張したヒデキの現地での戸惑いと、まったく同じ心境でした。モンタナでの撮影現場で学んだことは多かった。共演した米俳優たちは、撮影でカットがかかるたびに、『今の自分のセリフはあまり気持ちが入っていなかったと思う。もう、一回、演じさせてほしい』など積極的に意見を出します。でも、実はいい作品を作るためには、そうやって現場で互いに素直に意見を出し合うことは、とても重要なことではないかと痛感させられました。監督が求めていたのは、いわゆる演技らしい演技をせずに、怒ったり興奮したり、どう動いていくかを見せていくことでした。演技をし過ぎた時はもう1回やってみようとなり、僕も監督がこの映画の温度感をどうしたいのかはキャッチしていたので、いつの間にかヒデキの境遇と僕の状態が一つになっていました。言葉が通じない撮影の現場に入っていくという点では、本当にヒデキと同じような状況になって、いつの間にかフィクションではあるけれども、僕の内側のところでは完全なノンフィクションになっていると、一つ一つ体感してみて感じました。ヘアメイク:山口恵理子スタイリスト:上野健太郎(text:June Makiguchi/photo:You Ishii)■関連作品:東京カウボーイ 2024年6月7日よりYEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
2024年06月07日【奈つやの中華そば】/下丸子【らぁー麺 なかじま】/広尾【麺楽軽波氏】/武蔵新城【麺銀座おのでら本店】/表参道【らーめん飛粋 武蔵新田店】/武蔵新田お話を伺ったのは…大崎裕史(おおさきひろし)さんラーメン評論家。日本ラーメン協会発起人の一人。東京ラーメンフェスタ実行委員長。1959年、ラーメンの地、会津生まれ。2005年に株式会社ラーメンデータバンクを設立、取締役社長に就任。2011年に取締役会長へ。「自称日本一ラーメンを食べた男」(2024年4月末現在約13,500 軒、約29,000杯実食)として雑誌やテレビに多数出演。著書に「無敵のラーメン論」(講談社新書)「日本ラーメン秘史」(日本経済新聞出版社)などがある。今年オープンした話題の人気オススメラーメン店、5選をご紹介!【奈つやの中華そば】/下丸子『奈つやのもちもち雲呑中華そば』 1150円2024年1月22日オープン。以前は不動前で週二日の間借り営業をしていたが、今年ようやく路面店へ出店。細部まで気を使う店主のこだわりラーメン。旨味と愛情がたっぷり詰まった中華そば。とにかく、トッピングの葱一つとってもすべてがおいしく、隙が無い。麺は菅野製麺所製の低加水で全粒粉入りの細麺。麺とスープの相性も抜群。2種類のチャーシュー、濃い色の手裂きメンマ、「もち姫」使用のもっちもち雲呑、程よい温度の清湯スープ、どれも素晴らしい!とにかく何から何までおいしくてスープまで飲み干したのに、食後、やたらとお腹が空き、身体が「もっとくれ~」と言ってるような、頭よりも身体が欲するラーメンはなかなかない。スープは和風出汁の香りや味を最大限楽しんでいただけるように店主が気を使った温度。女将さんの接客もサイコー。お腹も心も満たされるお店にはそんなに巡り会えないので貴重な一軒。間借り時代と比べて「自分たちの店」になったことが二人の表情や声にも現れており、こちらまで嬉しくなってくる。もちろん味だってパワーアップしている。水はπウォーターに替えてだしも出やすくなったようだ。今年のベスト3が1月に出ちゃった。そんな感じ。奈つやの中華そば【エリア】池上/洗足池【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-【らぁー麺 なかじま】/広尾『特製らぁー麺』 1800円2024年2月1日オープン。際コーポレーション株式会社の創業から33年、社長自らの名前を店名に入れた日本料理店が2023年11月にオープンした【食十二ヶ月 中島武 西麻布】。そして、その食材を活用して、同店の昼の部に開店したのが、ラーメン専門店【なかじま】。まず初訪時のオススメは、メニュー右端の『特製らぁー麺』。今どき、具沢山の“特製”で1800円だと驚かない金額になってきた。しかし、出てきたのを見て、そして食べ始めると逆にその安さに驚くことになる。具の「どんこ」の大きさや歯応えに驚き、タケノコに関しては随分時間をかけて戻したもの。海老ワンタンにおいては、小海老は叩きペーストに、大きい海老は細切れとぶつ切りの計3種類の大きさにカットし、歯応え、食感、風味、味わいを出している。スープに使う羅臼昆布も日本料理店だから仕入れられる高級品。麺は高級小麦「はるゆたか」を使った特注で通常の麺の倍の価格。チャーシューは有名とんかつ屋さんがこぞって使う「銘柄豚林SPFポーク」を使用。ラーメン好きにはもちろん、外食でいろいろ食べてきている人にも食べて欲しいそんな“ラーメン”がここにある。らぁー麺 なかじま【エリア】麻布十番【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】2,000円 ~ 2,999円【ディナー平均予算】-【麺楽軽波氏(かるぱし)】/武蔵新城『強煮干し鶏醤油』(950円)+『マトンわんたん』(200円)+『茄子のアチャール飯』(250円)2024年3月15日オープン。店名は「かるぱし」と読む。カレー好きなら「えっ!?」と思うだろう。カレーで人気の「カルパシ」店主、4店舗目にして、初のラーメン業態なのだ。麺メニューは4種類あり、強煮干し鶏醤油がオススメ。そしてマトンわんたんと茄子のアチャール飯も必須。ラーメン自体は、昨今、定番とも言える人気メニューが揃っている。しかし、驚くのは食べてから。チャーシューは2種類で1枚は低温調理のローストポーク、そしてもうひとつがインド産カシアシナモンで仕上げた豚バラチャーシュー。ここでカレー職人の技が効いてくるのだ。次に茄子のアチャール飯を食べてみる。マスタードオイルがばっちり効いており、米はタイ産高級ジャスミンライス。単品でもなかなかのサイドメニューだが、ラーメンの途中で食べることにより、口内にスパイシーさが残ったままスープを飲むと味変になって、しかも心地良い。そして次は、マトンわんたん。スパイスとハーブを利かせており、これを食べた後のスープがまたおいしい。この3種の組合せが絶妙。スープ自体は無添加無化調スープ。そこにインド産のスパイスなどが加わって、個性溢れるラーメンになる。いやはや、恐るべし新店の誕生である。麺楽 軽波氏【エリア】武蔵小杉/元住吉【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-【麺銀座おのでら本店】/表参道『特製醤油ラーメン』(1450円)+『トリュフワンタン』(400円)2024年5月1日オープン。「銀座おのでら」がラーメンへ参入! 年初に行われる新春マグロ初競りでは、今年で4年連続5回目となった一番マグロを落札した会社である。グループ売上高1300億円、グループ社員数2万超の一大企業。グループ内でミシュランの星を獲ったシェフプロデュースのラーメン店が爆誕。さまざまな銘柄鶏から取った鶏清湯をベースに焼き鴨の香ばしさをプラス。道南昆布、しいたけ、まぐろ節、香味野菜など、多種多様な食材を長時間じっくり炊き上げたスープ。フライド鶏皮チップがいいアクセントになっている。最初は鶏が来て、やや円やかになっていき、途中からハーブバターを溶かすと洋風に変わり、コクも増す。トリュフワンタンも味変に貢献してくる。タレは本醸造醤油、丸大豆醤油、たまり醤油、魚醤など数種類の醤油を独自にブレンド。麺は北海道産小麦「きたほなみ」をベースにした特注麺。チャーシューは豚と鴨の2種類を用意。どちらもしっとり柔らかく、香ばしい。ハーブバターやトリュフワンタンなどのアイテムはフレンチシェフらしく、このラーメン店の個性や特徴を一番表現している。単なる異業種参入店ではなく、高品質ラーメンの新店誕生だ。麺 銀座おのでら 本店【エリア】原宿/明治神宮前【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-【らーめん飛粋 武蔵新田店】/武蔵新田『チャーシューメン+キャベツ』1500円2024年5月1日オープン。池上線武蔵新田駅のほぼ駅前にオープン。蒲田の本店は常に1時間以上並ぶ行列人気店。新世代“家系”ラーメンである。私が行ったときはGWだったからか、開店間もないのに整理券方式で2時間待ちの大人気。店名が同じ2号店だが、麺やトッピングなどは本店と少し変えている。個人的にはチャーシューがおいしいのでチャーシューメンとキャベツトッピングがオススメ。具は、もも肉燻製チャーシューが3枚、バラ肉チャーシューが3枚と肉好きにはたまらないボリューム。麺は、「春よ恋」「ゆめちから」などの小麦粉を使った特注麺。スープは食後に唇がくっつく濃厚感で本店同様・そのまま。鶏油も醤油もパンチが効いているが、最後まで飲み干せるウマさ。チャーシューも柔らかくて香ばしい。トッピングのキャベツも甘くておいしいし、言うこと無し。らーめん飛粋 武蔵新田店【エリア】池上/洗足池【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-
2024年06月03日ヤマシタトモコの人気漫画を、新垣結衣主演で実写映画化した『違国日記』が、6月7日(金)に劇場公開を迎える。ある理由から疎遠だった姉が事故死。姪の朝(早瀬憩)と久々に再会した小説家・槙生(新垣結衣)は、葬儀会場で腫れ物を扱うような目に遭っている彼女を見て「たらい回しは無しだ」と朝を引き取る決断をする。その日から始まる同居生活を描いた物語だ。「あなたの感情も私の感情も自分だけのものだから、分かち合うことはできない。あなたと私は別の人間だから」というセリフに代表されるように、真の意味で他者を尊重しながら寄り添う道を探していく人々を温かく見つめる本作。原作の大ファンという新垣さんに、撮影の舞台裏と自身の芝居に対する「無意識の変化」について伺った。原作の魅力「日々を優しく丁寧に生きている姿が愛おしい」――『違国日記』が映画化されると聞き、最初に新垣さんのビジュアルを目にした際に「槙生ちゃんだ!」と感じました。どのように具現化していかれたのでしょう。とにかく原作を何度も読み返して、画を自分の中にしっかり焼き付けて「こんな感じではないだろうか」とイメージしながら演じていった、ということに尽きます。自分の中だけじゃなくて見ていただいた方にも伝わっているのであれば、すごく嬉しいです。私自身が元々原作を好きだったということもあり、オファーをいただいた際には驚きと、好きな作品なので嬉しい気持ちと、だからこそプレッシャーを感じました。自分自身に対しても、ハードルを上げてしまうところがありました。本番前には、頭の中で原作の該当シーンの槙生ちゃんの顔を再生して臨んでいました。――新垣さんにとっての、『違国日記』という作品自体の魅力をぜひ教えて下さい。好きなところは本当にたくさんあって挙げたらきりがありませんが、まずはこの作品ならではの言葉選びが好きです。『違国日記』の登場人物たちも、それぞれが“違う人間”であることを理解しながら、誰かと一緒にいて楽しくなったり寂しくなったり、トラウマに触れることもあったり、様々な気持ちになった事実をただただ抱えながらも日々を優しく丁寧に生きている姿がとてもリアルですし、愛おしく感じます。――ご自身にとって思い入れがある作品であるぶん、映画づくりという多数の方々が関わる創作の場では、必ずしも他者と解釈が一致しないこともあったのではないでしょうか。撮影に入る前に瀬田なつき監督にお会いして、作品についての話し合いをさせていただきました。そのうえで、実際の芝居の細かい部分については任せていただけた気がしています。もちろん監督の中で「このシーンではこういう風に見せたい」が演出としてあるので、そういったことは現場で確認しながら調整をしていきました。衣装やヘアメイクについては、事前にスタッフさんが用意して下さったものをとにかく全部着てみるのですが、やはり実際に身につけてみないとわからないもので、アイテムだけ見ると槙生ちゃんっぽくても、私が着るとサイズ感やデザイン的にこっちのほうが槙生ちゃんに近くなる、というものはやっぱりあって、みんなで意見を出し合いながら進めていきました。スムーズにいかなかった印象は全くないのですが、かといって最初からバチッと決まったということもなく、常に確認しあいながらの作業でした。芝居において「どういう風に見えるか」は意識しない――新垣さんが以前「槙生ちゃんは無理に表情を作らない」と評していたのが印象に残っています。作品を拝見していても、自然な雰囲気が流れていました。監督がお芝居の雰囲気に関してナチュラルさを重要視していて、シーンの最後などに「アドリブのアイデアが何かないですか」と聞かれることが結構ありました。長尺でアドリブだったのは餃子のシーンくらいですが、そうしたアプローチが自然な雰囲気に繋がったのかもしれません。――今回の現場ではモニター確認に行く時間が取れなかったと伺いましたが、完成した本編をご覧になって「こういう表情になったのか」と感じた部分はございましたか?撮影中に「どういう顔になっているのだろう」と特に気にかけていたのが、お葬式のシーンでした。原作の槙生ちゃんの表情をイメージしつつ取り組みましたが、出来上がったものを見たときに「こういう顔になったのか」とは感じました。――新垣さんほどのキャリアをお持ちであれば「表情筋をこう動かしたらこういう風に見える」という技術的な計算はある程度成り立っているのではないか?とも思うのですが、いかがでしょう。お芝居を始めたばかりのときは表情が乏しくて、自分ではこういう風にやっているつもりでもカメラを通すと全然足りない、という経験をしました。カメラの向こう側にいる、ご覧になっている方々に届けるためには自分の感覚よりももっとパーセンテージを上げる必要があり、それでやっとちょうどよくなる――といったことを少しずつ覚えていきました。ある段階から「これくらい動かせばこんな風に見えるんじゃないか」とはなんとなく想像できるようになりましたが、その感覚が毎度バチッとハマるわけではありません。そのため日々勉強ですが、最近はあまり「どういう風に見えるか」は考えていないかもしれません。まずは考えないでやってみて、監督が「もっとこういう風に見せたい」があればご指示いただいて、応えられるようにするという意識で取り組んでいます。そういった意味では、先ほどお話しした葬式のシーンも「どういう風に見えているんだろう」とは思いつつも、本番前に原作の槙生ちゃんの顔をイメージしたらその後は考えていませんでした。出来上がったものを見て「こういう表情になったんだな」と後から感じる、という形です。「見え方を意識しない」芝居の自覚とその後の変化――新垣さんは近年、映画『正欲』『違国日記』やドラマ「フェンス」「風間公親-教場0-」等々に出演されています。見え方を意識しすぎない“変化”は、何かきっかけがあったのでしょうか。いえ、気づいたら「そういえば意識していないかもしれない」という感覚です。昔は、お芝居をしながらこういう動きをしたというような“つながり”をしっかり覚えているタイプでした。映画やドラマは同じことを違うアングルで何度も演じる必要があるため、例えば食事シーンだったら「このセリフを言いながらこれを食べて、その次はこれを食べた」をしっかり覚えておかないと、違うカットでカメラの向きが変わったときなど、あとから編集した際に動きが繋がらなくなりますから。もちろんタイムキーパーさんが教えて下さる場合もあるのですが、全ての現場にいらっしゃるわけではありません。そのため自分でしっかり覚えて動くようにしていましたが、最近は気づいたら「あれ、私はこの時どんな動きをしたっけ」と何も覚えていない感じになっています。きっと自分が気づいたタイミングよりも前からその兆候はあったような気がします。――自覚されたときから、お芝居に対する意識は変わったのでしょうか。ある作品の撮影中に、不意に不安になりました。そして「自分がさっきどんな動きをしたか・言い方をしたのか覚えていないのですが、大丈夫ですか」と監督に伺ったら「僕はそういった編集が得意なので大丈夫です。気にせずにお芝居してください」と言っていただけました。そういうこともあって、「ダメだったら監督が言って下さるはず。その時に前のカットに近づく努力をすればいい」と思うようになりました。そのため、「意識していない」ことを自覚した後も、あまり意識はしていません。もしいつか怒られちゃったら、そのときに変えます(笑)。ヘアメイク:藤尾明日香(kichi)スタイリスト:小松嘉章(nomadica)(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:違国日記 2024年6月7日より全国にて公開Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会
2024年06月03日【らぁ麺飯田商店湯河原本店】/湯河原【中華そば銀座八五】/東銀座【麺や紀茂登】/茅場町【Japanese Ramen 五感】/池袋【Ramen Break Beats】/祐天寺お話を伺ったのは…大崎裕史(おおさきひろし)さんラーメン評論家。日本ラーメン協会発起人の一人。東京ラーメンフェスタ実行委員長。1959年、ラーメンの地、会津生まれ。2005年に株式会社ラーメンデータバンクを設立、取締役社長に就任。2011年に取締役会長へ。「自称日本一ラーメンを食べた男」(2024年4月末現在約13,500 軒、約29,000杯実食)として雑誌やテレビに多数出演。著書に「無敵のラーメン論」(講談社新書)「日本ラーメン秘史」(日本経済新聞出版社)などがある。今やネット予約必須の高級ラーメン店、5選をご紹介!【らぁ麺飯田商店湯河原本店】/湯河原『わんたん入り醤油らぁ麺』2150円神奈川県湯河原にありながら、整理券方式を経て今では週に一度のネット予約で“席の争奪戦”になっており、『日本一予約の取れないラーメン店』とも言われている。年に1度発売される『TRYラーメン大賞』(講談社刊)4連覇で殿堂入りしている名店中の名店。今や価格もいち早く“千円超え”を果たし、“上質かつ高級”なラーメンを提供している。店内に入ると高級割烹か高級寿司店かのようなカウンターが広がる。ラーメン店では最少人数での経営が多いが、ここでは多くのスタッフがきめ細かく動き、接客も抜群。東京から2時間かけて異空間で味わう最高級のラーメン。私も年に1回行けるかどうかなので、行ったら2杯食べて帰る。味や食材は頻繁に変えており、年に数回、食材の研究と開拓のために店を休み、全国を旅して生産者を回ってくる。なので、ここで食べられること自体が大きなご褒美。もちろん食べたら身も心も満足になること間違いなし。らぁ麺屋 飯田商店【エリア】湯河原/真鶴【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】1,000円 ~ 1,999円【ディナー平均予算】-【アクセス】湯河原駅【中華そば銀座八五】/東銀座『ラビオリグルマンディーズ中華そば』(1日30食限定)2200円2018年12月8日オープン。ミシュランガイド2年連続一つ星、ビブグルマン含めて4年連続掲載の人気店。11時からは当日の並び順で30人ほどを案内。日によっては午前6時から並ぶ人も居るとか。12時半からは週に一度のネット予約者の時間で、総数で当日分のスープがなくなり次第受付を終了。昨年の9月1日から新メニュー『ラビオリグルマンディーズ中華そば』を発売。これは「味玉中華そば」にラビオリが1個追加したもの。グルマンディーズとは、フランス語で「食いしん坊」「食道楽」「ごちそう」などの意味がある。フレンチ出身の店主だけある。 スープは、業界を騒がせた「タレ無し」(ラーメン店では一般的な“タレ”を使わない)スープ。タレが無くても旨さは抜群で申し分なしで、ため息が出るほど。麺は浅草開化楼のスーパー製麺師による特注麺。スープに合わせて作った麺なのでスープとの相性も抜群。ラビオリはワンタン風。中に挽肉や野菜以外にトリュフやフォアグラを使った具が入り、フレンチ風。1個ではあるがボリュームもあり、満足感もある。半分くらい食べたところで中身をスープに放流し、味変するのも楽しい。銀座 八五【エリア】銀座【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-【アクセス】東銀座駅【麺や紀茂登】/茅場町『特製』3500円2023年8月3日オープン。元は神戸にあった日本料理店で今は神楽坂に移転。ネットで予算を見ると6~8万円の高級日本料理店。そんなお店がラーメン専門店をオープンし、話題騒然。ネットでの予約制で30分交替。高級感のあるカウンター10席。開店してすぐに行ってから、日々進化するのですでに7杯食べた。銘柄鶏の丸鶏を中心に高級食材も活用しながら“他では食べられない一杯”を提供。ある日のスープの材料は、クエ、アワビ、カツオ、地鶏三種(熊野地鶏、天草大王、岡崎おうはん)から。芳醇&豊潤な旨味がど~んとやってくる。麺も頻繁に変わるがかなり“ラーメン”寄りの麺になってさらにおいしくなった。そしてもうひとつのオススメが「おかわり和え麺」。もっちもちの極太麺を紀茂登流のタレで食べさせる。一般的な和え麺は半分くらい食べて、残しておいたスープに入れて食べるというパターンだが、これはこれだけで完結する「おかわり麺」。余裕があれば烏龍茶も推奨。贅沢したい日は追加で東京Xバラチャーシューもいい。高級日本料理店が作るバラチャーシューも乙な物だ。麺や 紀茂登【エリア】茅場町【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】4,000円【ディナー平均予算】-【Japanese Ramen 五感】/池袋『特上醤油らぁめん』1800円2023年4月12日オープン。開店二日目に食べに行き、感動。すぐに行列店になり、ミシュラン掲載やネット予約に移行することを予想したら1年経たずにそれらの予想が全部的中。今は週に一度のネット予約のみ。オススメは特上。醤油か塩かはお好みで。どちらもおいしい。スープは無化調でさらに「無酵母エキス」まで明記している。地鶏出汁は名古屋コーチン、岩手産いわいどり、鳥取大山どり、みつせ鶏と羅臼昆布。貝出汁は天然蛤、天然浅利、しじみ、ホタテ貝柱など。国産天然物にこだわっており、原価も手間もかけており、この値段はそれでも安いと思えるほど。チャーシューは3種類、豚ロース(炭火焼、薫香)、鶏むね肉(炭火焼、低温調理、仕上げに再炭火焼)、鴨ムネ肉(炭火焼)。ワンタン(岩手鴨ミンチ)、味玉(奥久慈)、メンマ(糸島)、麺(大成食品特注品)、醤油(本醸造5種類)、九条ネギ、輪島の塩、国産柚子。器は四季火土のオーダーメイド。もはやおいしい食材がたくさん入った“丼一杯のフルコース”。ハレの日に食べるラーメンとも言える。Japanese Ramen 五感【エリア】池袋東口/東池袋【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-【アクセス】池袋駅【Ramen Break Beats】/祐天寺『特上塩らぁ麺』2100円2022年1月8日オープン。こちらも開店して二日目に食べに行き、ミシュラン掲載を予想。こちらは1年後になったが最新版で掲載。すぐに行列になり、今は週に一度のネット予約制。この店では醤油にしても塩にしても“特上”しか頼まない、と決めた。特上にしかのらない具もあり、それらが素晴らしくおいしいので、それを食べ逃すことはかなりもったいない。コース料理を食べているかのような感覚と満足感。ラーメンでこういう気持ちにさせてくれるお店はそんなに多くはない。盛り付けの最新版は揃えた麺が見えるようになっており、見た目もさらに綺麗になった。そしてそれぞれのトッピングも、複数種類のチャーシューも、どれもがこのラーメンには必須と思える出来映え。だから私はここでは「特上」しか頼まないことにしたのだ。スープは無化調で醤油と塩ではまったく別のスープを取っており、醤油は地鶏と昆布、塩ではしじみやホンビノス貝の旨味と鶏出汁をブレンド。タレには羅臼昆布、海人の藻塩などを使用。特上でも醤油と塩のトッピングは変えている。麺は三河屋製麺だが醤油はもっちり麺で、塩では低加水麺を合わせている。まるで別店かのように違ったタイプのラーメンを提供。Ramen Break Beats【エリア】目黒【ジャンル】ラーメン【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】-【アクセス】祐天寺駅
2024年06月03日取材・文:瑞姫撮影:洞澤佐智子編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部スタイリスト:中井綾子/crêpeヘアメイク:犬木愛/Ai Inuki人生を変えるひとつの大きな要素に、“環境”がある。環境を変えることは、これまで自分が身を置いていた安定した生活から離れ、未知なる別の世界に飛び込むことだ。それは時に勇気のいることだったり、不安なことだったりする。けれど、その大きな決断によって、これまでにない新たな視点を得ることができるし、自分の人生観を見つめなおすきっかけにもなる。そして、新たな人や場所との出会いにもつながるだろう。女優であり、3児の母でもある杏さんも、2022年の夏に日本とフランス・パリの二拠点生活を始めるという人生で“大きな決断”をした1人。現在は日本とパリを行き来しながら生活を送っている。そんな彼女の移住前最後の作品となったのが、映画『かくしごと』。この作品もまた、環境を変えることで思いも寄らない変化が訪れたことを描く、ヒューマン・ミステリーだ。映画の中で演じた千紗子について、そして杏さんのフランス・パリでの生活で感じた変化や新たな発見について、杏さんにとって“環境を変えること”とは何か、聞いた。■映画『かくしごと』が描く“おとぎ話のような世界”映画は、杏さん演じる絵本作家の千紗子が、長年絶縁状態にあった父・孝蔵(奥田瑛二)の認知症の介護のため、渋々田舎に戻るところから始まる。他人のような父親との同居に辟易する日々を送っていたある日、事故で記憶を失ってしまった少年(中須翔真)を助けた千紗子が彼の身体に虐待の痕を見つけたことから、物語は思いも寄らない方向へと進んでいく。少年を守るため、自分が母親だと嘘をつき、少年と一緒に暮らし始めた千紗子。次第に心を通わせ、新しい家族のかたちを育んでいく3人。しかし、その幸せな生活は長くは続かない。物語が進むにつれ、ひとつの“嘘”をきっかけに、それぞれの“かくしごと”が明らかになっていくが、最後は予想し得ないラストで締めくくられる。台本を最初に読んだ時、杏さんは「現代のおとぎ話みたい」と率直に思ったそう。そのことについて杏さんは「なかなかできないことを行動に移して、束の間かもしれないけれども、本当の幸せを体現できるというのが、おとぎ話みたいなんですよね」と説明する。「不自然かもしれないけれども、確かにそこに本当のものを一瞬でもいいから作りたかったっていう、本当に自分の中のエリアというか箱庭を作っていくかのように、社会からは隔絶された自分の空間を作り上げたというのは、もし私が同じ状況になってもできるか分からないなと思いました。できるか分からない、というのは、本当に映画を観たみなさんが一人一人考えることなんだと思います」この作品は、愛について、自分の中の正義について考えさせられる作品のように思う。作中で演じた千紗子について杏さんは「違う人格」だと話すが、限りなく千紗子の考えに寄り添う理解の深さは、この作品へ向き合って来た杏さんのすごさを感じずにはいられない。「感情がすごく揺れ動いて疲れることもありました。つらいシーンもたくさんあったので、その感情に揺さぶられていたらその日の撮影が終わっていた、ということも多かったように思います。2日に一度くらいのペースで泣いていたので、結構大変な現場でしたね」作品について「箱庭の中の、花が枯れるまでのおとぎ話」だと表現し、「きっと長くは持たなかった」と話す杏さん。その美しくも儚い表現に、作品を思い出してはグッと胸が締めつけられる。千紗子の行動は、法の下では許される行為ではなかったかもしれない。しかし、少年にとって安らかな場所を提供するために、自らの環境はおろか、境遇さえも変えてしまう。善悪の判断はそれぞれに委ねられるが、この作品で描かれている千紗子は、環境を変えることに対して、そうした“強かな心”を持っている。■「おおむね面白く生きてます」パリで暮らすもう1人の自分映画で千紗子が田舎に戻ってきたことで思いもよらない変化が訪れたように、環境を変えることは、人生を大きく変えることだ。あらためて、杏さんに日本とパリの二拠点生活に、不安などはなかったのかと問うと、意外な答えが返ってきた。「多くの人が入学や就職をはじめとする引っ越しで環境が変わる経験があったかと思うんですが、私は今まで東京から出たことがなかったんです。だからそういった意味では、一般的に多くの方が18歳くらいで経験してきたことが、逆に私は今、初めてで。パリは仕事や旅行で何度も訪れているので“知っている街”ではあるものの、自分がこれまで住んでいた場所とは全く違うところで生活を始めるというのは、すごくわくわくしました。もちろん大変なこともあるんですけど、おおむね面白く生きてます」環境が変わることを、ポジティブに捉える人、ネガティブに捉える人がいる。しかしそれは、人の受け取り方の問題で、いくらでも前向きに変換できることなのかもしれない。杏さんはパリに来てからの変化を「自分がもう1人増えたみたい」と説明してくれた。「日本の自分と、フランスの自分がいる感覚。人格が変わったりはしないけれど、生活習慣は変わります。日本に帰ってくるとバリバリ仕事をして、パッパと段取りしてって感じですけど、パリでは日本と同じようにはできないこともあるので、のんびりと過ごしていることも多いですね。2つになったことで、良い刺激もあるし、安らぎもあるし、それはすごく自分にとっても良い変化だなって思います」日本の便利さとは違う、パリでの少しの不便さも、「やっぱり根本的に全然違うっていうのが面白い」と新たな発見と捉える杏さん。マイナスに感じがちな部分に対しても感情的になるのではなく、ひとつの価値観や生活習慣として自分の中に消化して楽しむことは、どんな環境の変化においても大切なことのように感じた。■時間の使い方で見つけた“パリの新たなメリット”日本とパリを比べた時、仕事と休みのバランスに対して異なる考え方を持っていることは、日本に住む私たちも何となく感じる部分がある。そこで、環境の変化は杏さんの“時間の使い方”にどんな影響を与えたのか聞いてみると、またしてもポジティブな答えが返ってきた。「フランスはバカンスが多いので、子どもの学校が半月ぐらい休みになることが年に何回もあるんです。その期間は自分の仕事も控えめにして子どもと過ごすようにしているんですが、そのおかげもあって、圧倒的にメリハリが生まれました。マッサージなどの自分の時間も、人と会う時間も取りやすくなりました」まさに環境を変えたからこそ出会うことができた、新たなメリットだ。とはいえ、大きなバカンスの連続に、戸惑いはなかったのだろうか。「今までにない休みの多さに過ごし方に悩むこともありますが、休みだと言われることって、ある意味ありがたくって。休みじゃなかったら行かなかった場所にも行けるので、ありがたいなと感じています」自分では制御のできない“休み”だからこそ、ゆっくり休んだり新しい体験をしたり、今まで考えもしなかったことに時間を使うことができるようになる。そして、それを“新たなメリット”として前向きに捉える杏さんだからこそ、その時間を有効に使うことができているように感じた。インタビュー中、杏さんは日本とパリ、両方のメリットを話してくれたものの、どちらに対しても後ろ向きな意見は語らなかった。それはきっと、杏さん自身がどちらのメリットも理解し、享受しているからなのかもしれないと思った。私たちが環境の変化に直面した場合、どうしても今までと違う部分や、不便になったところばかりに目が向いてしまう。しかし、杏さんのように前向きに“新たな発見”と捉えることで、そのマイナスな思いさえ、自分の中で形を変えてくれる気がした。映画『かくしごと』その嘘は、罪か、愛か ― 心揺さぶるヒューマン・ミステリーの誕生長年確執のあった父親の認知症の介護のため、田舎へ戻った主人公・千紗子は、ある日、事故で記憶を失った少年を助ける。少年に虐待の痕を見つけた千紗子は、少年を守るため、自分が母親だと嘘をつき、一緒に暮らし始める。ひとつの嘘から始まった疑似親子はやがて、本物の親子のようになっていくが、そんな幸せは長くは続かなかった――。2024年6月7日(金)全国ロードショー(C)2024「かくしごと」製作委員会
2024年05月31日取材・文:ミクニシオリ撮影:佐々木康太編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部ヘアメイク:野口由佳(ROI)スタイリスト:鬼束香奈子春といえば、ビジネスパーソンにとっては新生活の季節。年度が変わって、いつもの環境にも変化があったり、自分自身が新しい環境に移ったりする場合もあるかもしれません。新しい環境では、新しい人間関係やコミュニケーション、チャレンジもつきもの。ポジティブにチャレンジできたらいいのだけれど、やっぱり不安……。「その気持ち、分かります」と話してくれたのは、5月24日公開の映画『帰ってきた あぶない刑事』で正義感の強い刑事役を演じた女優・西野七瀬さん。数年前まではアイドルとして人気を博していた西野さんですが、現在は女優としてさまざまな役柄に挑戦する日々。日々たくさんの方と交流する西野七瀬さんですが、実は「人付き合いがあまり得意ではない」と語ります。そんな彼女が、コミュニケーションで意識していることとは?■自分とは全く違う「周囲を引っ張る先輩役」への挑戦。不安はあったけれど……――『あぶない刑事』シリーズといえば、昭和〜平成をまたぐ人気作品ですが……。今回、『帰ってきた あぶない刑事』のお話がきた時、どう感じましたか。私は世代ではないですが、『あぶ刑事』といえば世代に関わらず、誰もが知っている人気シリーズ。お話をいただいた時は、うれしかったです。お仕事が決まってから、映画シリーズを見させていただいたのですが、いい意味で分かりやすく親しみやすい作品で、楽しく拝見しました。――西野さんが演じた早瀬梨花は正義感が強く、部下を引っ張る頼りがいのある先輩刑事。役柄に対しては、どんな印象を持ちましたか?早瀬は私と設定年齢が近かったのですが、かなりしっかりした性格の女性で、これまであまり演じたことのない役柄でした。普段は後輩的な配役も多いので、周囲を引っ張る存在になれるよう、頑張りました。私自身はリーダーシップを取れるタイプでもないですし、上司とされる人に意見を言うのも得意ではないので、肝が座っていてすごいな、と思いました。――演じる上で気をつけたことなどありますか?シリーズの歴史も長いですし、やっぱり主人公のタカ(舘ひろし)&ユージ(柴田恭兵)のお二人が現場の雰囲気を作ってくださっていたので、私はとにかくしっかりセリフを覚えていくようにしていました。早瀬はきっとこの仕事に就く前から正義感が強い女性だったと思うので、早瀬らしさを意識するようにしていました。――西野さん自身、アイドルとして活動していた頃には、後輩と接する機会も多かったと思うのですが、グループ活動での経験は、今回の演技に生かせましたか?私はグループの中でも、引っ張っていくような先輩ではなかったと思うんです。あまり教えられることもなかったですし、乃木坂は本当に自由なグループだったので……。だからこそ、早瀬に憧れる部分はありました。同性目線で見ても、早瀬梨花という女性はとてもかっこいいですし、自分が普段絶対にできないことをやってのけてしまうので、演技中「今、私はかっこよくなれているのかな」と不安になる瞬間もありました。――その不安の中でどのように挑んだのでしょうか。撮影に入る前はたくさん不安があったのですが、私は「やってみたらなんとかなる」タイプなんです。どんなことを始める時も、やる前の不安の方が大きいです。だからこそあまり考え込みすぎないことも大切だと思っていて、今回もその姿勢で臨みました。必要なだけの準備ができていれば、意外となんとかなると思っています。■前を歩く俳優の先輩たちから学んだこと――現在は女優としても活躍されている中で、アイドル時代から一転して、先輩と接する機会も増えていると思いますが……コミュニケーション面で気をつけていることはありますか?もともと性格的に、歳上の方や、落ち着いている方と接する方が安心できるんです。人にも恵まれていて、関わる方々も優しい方ばかりなので、いい意味であまり気を遣いすぎることもなく、リラックスして交流させていただいています。――人に恵まれているとのことですが、先輩たちの背中から学べたことはありますか?私は末っ子気質で、あまり周囲に気を配ることが得意ではなかったのですが、周りの先輩方は、状況をしっかり見ていて、気遣いを行動に移せる方が多いんです。自分にはまだできないことですが、優しさを言葉や態度にしてくださるのですごく安心します。自分もそういったことができるようになりたいと思っています。感情だけの意見を言うのではなく、その場その場で伝え方を変えることができる人はすごいですよね。■西野的・毎日会う「苦手な人」の克服方法――西野さんは今年で30歳を迎えられますが、変化していきたい部分や目標はありますか?実は、10代の頃から30歳を迎えることを楽しみにしていたんです。私にとって、30代はとても自由で、楽しい年代だと思っているので、30代でしかできないことを、楽しんでいきたいと思っています。――30代といえば、会社では中間的な年代にもなっていくのですが……さまざまな環境でお仕事されている西野さんから、働く女性へのエールをいただけますか?私は人付き合いがそんなに得意な方ではないので、人との距離感を大切にしています。会社の中で働いていると、毎日部署の方や同僚と顔を合わせますよね。中には苦手な人、嫌いな上司とかがいたりするのかもしれないけれど……。どんな時でも自分だけの世界や、息抜きの時間を大切に過ごしてほしいです。自分の居場所って、働いている会社にしかないわけではないと思います。プライベートの時間や、自分が好きと思えるもの、人を大切にしてください。苦手に感じる人も、関わる必要があれば分析をしてみるのもいいと思います。その人の傾向やクセが分かると、自分がその人とどう接したらいいかが分かると思うんです。避けたり逃げたりした方がラクなのか、自分が接し方を変えるのか、どちらの方がいいかは、人それぞれだと思うのですが……。自分に合うやり方でいいと思うので、頑張ってください!『帰ってきた あぶない刑事』探偵事務所の依頼人・第1号は、タカ&ユージどちらかの娘!?娘(?)彩夏の依頼は、母親の捜索。タカ&ユージが行方を探る傍ら、多発する殺人事件。一体ヨコハマで何が起きているのか?その矢先、爆破テロが仕掛けられ、最大の危機が勃発!果たして彩夏の母親は見つかるのか?ふたりは、愛するヨコハマを守ることができるのか?公開日:5月24日(金)脚本:⼤川俊道、岡 芳郎監督:原 廣利製作プロダクション:セントラル・アーツ配給:東映©2024「帰ってきた あぶない刑事」製作委員会
2024年05月17日万引き事件が様々な人物に波紋を広げていく『空白』ほか、長所も短所もひっくるめた人間の本質を悲喜劇的に描き続ける奇才・吉田恵輔監督(※吉は<つちよし>が正式表記)。彼が新たに書き下ろした最新監督作『ミッシング』(5月17日公開)は、幼い娘が行方不明になってしまった両親の苦しみを描いた物語だ。のちに主人公・沙織里を演じることになる石原さとみが「この人なら自分を変えてくれるかもしれない」と吉田監督の作品に感銘を受け、伝手を辿って直談判し、その3年後に彼女の手に渡った脚本が『ミッシング』だった。 沙織里と夫の豊(青木崇高)を取材するテレビ局員に扮したのは、中村倫也。石原さんが壊れてゆく一人の母の姿をひりつく熱演で魅せれば、中村さんが他者の人生を食い物にしがちな世の中で苦悩する報道者の心情を細やかに体現し、動と静の競演が展開する。シネマカフェでは石原さんと中村さんの対談インタビューを実施。撮影の舞台裏からそれぞれの芝居における“感覚”の共有まで、存分に語り合っていただいた。石原さとみ「6年前から思い描いていた夢が現実に」――石原さんが6年前に吉田監督に直談判されて、その3年後に脚本が届いたと伺いました。石原:3年前は妊娠・出産を経験前だったため「こういう感じかな」と想像しながら読ませていただきました。その後、子どもが生まれてから本作が復帰作となることに決まって、改めて読もうとしたときに怖くて読み進められない感覚になりました。3年前は想像だったのが、自分の中ではっきり絵が浮かんでしまったんです。とてつもなく覚悟は必要だと久々に感じました。子どもが生まれたことで安易に想像できてしまうぶん、「この作品の世界に入ったら私は壊れてしまうんじゃないか」と怖くなりました。中村:そうだったんだ。――僕も3歳と0歳の子どもがいるのですが、本作を拝見して最初から食らってしまいました。石原さんが感じていらっしゃった不安というのは、全体的なものか具体的なものか、どういった類のものだったのでしょう。石原:吉田監督が脚本を書かれた際、きっといままでの私だったら演じるイメージがないものを私で、とトライして下さったんです。だからこそ、自分でもどうすればいいのか本当にわからなくて。先ほどお話したように想像はできるけれど、沙織里という人がどういう人間かがわからなくて、自分が通ってきた道じゃない人生を歩んでいる人に思えて不安で仕方ありませんでした。実際に吉田監督が「こういう人」とイメージされていた方がいらっしゃって、お会いしに行ったりもしました。そのときに、今までの私の周りにはあまりいない方だとも感じて「自分に演じられるのだろうか」と余計に心配になってしまって。ですが、役作りには 産後の自分の状態が上手く作用してくれた部分はありました。髪の毛が抜けたり痛んだり、そばかすが一気に増えたり、ジムにも一切通っていなくて腰痛もずっとあるようなボロボロの状態が沙織里とリンクして、準備をする必要がなかったんです。実際に自分が出産・育児を経験して、生活したうえでの感覚がある状態で演じるとなったときに「いまの自分だったらどっぷり漬かれるはず」とは感じました。そのうえで「心が壊れないように帰ってこないといけない」という不安があった感覚です。ただ、撮影期間にセッティング風景を眺めながらふと「いま私は6年前から思い描いていた夢を現実に出来ているんだ」と客観視したとき、とても幸せを感じました。中村倫也「芝居は柔軟に対応していくのが楽しい」――石原さんは元々吉田監督の作品のファンだったと伺いました。中村さんはどのような印象をお持ちでしたか?中村:これは今回に限らずですが、ここ何年か極力前情報を入れないようにしています。現場で知って、その場で合わせていく方が僕は面白くて。そのため、あえて「吉田組はこう、吉田さんの作品はこう」というような先入観を持たないようにしていました。そのうえでですが、吉田さんは一緒にいて落ち着ける方でした。僕は悪すぎない悪意がある人が好きなのですが、まさにそんな人でした。美術部さんが用意したであろう変なキャラクターを見てひとりでニヤニヤしていたり、シーンの中心にいる人物だけでなくその周りにいる人たちの動きをモニターで観ながら「いいねえ」と笑っていたり、端々に愛を感じました。今回のようにシリアスな作品だと、人によっては閉塞感が続くものになるかと思います。でも吉田さんの場合は、本当に短いフレーズでシュッと抜けるポイントがあったり「これであなたは笑いますか?」と試されている感じもあり、そういった部分が僕自身の感性とぴったりハマって楽しかったです。そういった意味では、砂田に関しても自分が演じる身ではありますが「この人、実は違うことを考えてるんじゃないかな」と思われるくらいに「真意がわからない」ほうが面白いかもと思いながらチューニングしていました。――中村さんが演じられた砂田は、沙織里ほか相手に対するリアクションが多めかと思います。そういった意味では余白を多めに撮影に臨んだのでしょうか。中村:そうですね。何も決めずに現場に入りました。砂田のキャラクターや職業による部分もありますが、相対する相手によって微妙に変わる人物だろうなと思い、彼の中で大切にしたいもの(輪郭も自分でちゃんと定められていないかもしれませんが)は大事にしつつ、その場その場で人と接することで何が生まれるか、は決め込まずに臨みました。――先ほどの作品に入る前の心構えのお話にも通じますが、その場でチャンネルを合わせる感じですね。中村:その部分が近年より増えてきた感覚です。常に突貫工事です(笑)。だって、どれだけ台本を読んで僕が想像していっても、現場でのさとみちゃんの芝居はそれ通りになんてならないから。監督がどういうことを要求してくるかもわからないですし、その方が僕には面白い。芝居においてリスクが高い状況で柔軟に対応していくのが楽しいんです。初めての吉田組「常に勉強の連続」――吉田監督は「早撮り」と言われていますが、いまお話されたように今回はテイクごとに様々な芝居を試すといいますか、その都度変わっていったところがあるのかなと感じました。中村:そうですね、あまり固めていなかった印象です。石原:私は生まれて初めて「動物を撮っているみたいだ」と言われました。吉田監督に「最初のテイクと次のテイクで全く違うことをやるよね。次に何をしでかすかわからない」と言われたのですが、自分ではそんなつもりはさらさらなくて、衝撃を受けました。これまではどちらかといえば器用と言われていた人間で、お芝居において同じことを繰り返しできるしテンポも揃えられるし、カットとカットの映像的な“つながり”を把握して演じられるタイプでしたが、今回は初めてパニック状態に陥りました。中村:そうした回路をあえて切っていたとか?石原:そういった意識は全くなかったと思う。多分ですが、お芝居をここまで休んだのが初めてで久々だったことや、吉田組が初めてだったこと、沙織里という人物と自分自身の乖離等々、最初からわからないことだらけでパニック状態だったのだと思います。だけど、心や気持ちの部分は嫌でもわかってしまうから苦しくてしょうがなかったです。現場では吉田組のスタッフさんも「こんな感じは初めて」とおっしゃっていて、私は初めて「自分って器用じゃないんだ」と気づきました。中村:いやいや、そんなことないと思う。タイミングや役、チャンネル等々色々な要因があるだろうし、次は違うんじゃないかな。石原:確かに、その次の仕事だった連ドラはすごく優等生でできました(笑)。やっぱり、吉田組で経験した時間はこれまでと全く違っていました。たとえば左手でお水を取って飲んでスマホを出して見てしまう――という一連の動作を、私は無意識でやっていたんです。その後もう一回撮るとなったときに「自分は何をやっていたっけ」と思い、意識してやった瞬間に吉田さんから「なんかお芝居っぽい」と言われてしまい、「この人には全部バレているんだ」と感じました。吉田さんはずっと「ドキュメンタリーを撮りたい」とおっしゃっていたのですが、その意味がすごくわかった瞬間でした。じゃあどうすればいいのかと考えて、違うことに意識を向けたりといったことを試して、また無意識にその動作を出来た瞬間にOKをいただけました。「無意識を意識するってこんなに難しいけれど、こういう感覚なんだ」と知り、吉田組の出演者さんたちはみんなこれを知っているからすぐにOKをもらえるんだ!と思い至りました。吉田組は常に勉強の連続で、得るものが多すぎてお金を払いたいくらいです。いまお話ししたように“無意識の意識”を知ったことで、他の役者さんたちに対する尊敬も一層強くなりました。『ミッシング』でお芝居の本当の面白さに気づけた気がしています。吉田さんは「新人女優を撮っているみたい」ともおっしゃっていましたが、私の感覚としてもそうでした。わからないことだらけですし、学ぶことが多すぎて発見もたくさんありました。「これでいいんだろうか」と思っているものほどOKをいただけて、気持ちが爆発したら「やりすぎ」と言われてしまい…でも私は困難を充実だと思う人間なので、とても幸せな時間でした。中村:僕の感覚としては、さとみちゃんは毎回がらりとやることが違うということではなく、行動やタイミング、言い方といったニュアンスの精度と飛距離とアングルが毎回違ったという感覚です。こちらも感度を上げて見ていたからかもしれませんが、芝居をキャッチしてつなげていく側としてはすごくやりがいがありました。崇くん(青木崇高)もきっと同じことを言うのではないかなと思います。石原:でもそれは、倫也さんだからです。私がどこにどれだけ投げても絶対に戻してくれるんです。青木さんはどちらかというと一緒に変動してくれるタイプで、吉田さんから「どっちも抑えて」と言われることもありました。中村:こっちは取材している側というポジションの違いも大きかったんじゃないかな。石原:もちろんそれもあるかとは思いますが、中村さんを見て「自分も抑えなきゃ、出し過ぎてもダメだ」と客観的に思える瞬間が多々ありました。こちらが揺らいだり動いたりしてもずっとブレずにいてくださったから、とても助けられていました。中村:取材対象者として、沙織里・豊・圭吾(森優作)との会話の中で相槌を入れたり、切り口の矢印を変えてみることで向こうがどう変わるのか――というアプローチは砂田もそうですし、僕も意識しながら演じていました。ちょうどいまSYOさんがやっているみたいに、聞き手の自分がトーンやテンポを調整して返すことで空気感を作るといいますか。芝居をしている自分、ある種打算的に考えながら誠心誠意対象の人と向き合っている自分/砂田といったように、2重・3重構造があって、やりがいがありました。「こんな吉田組は初めてだから面白い」撮影秘話――その場で「変わる」「変える」という方法論は、吉田監督がテーマに掲げていたという「ドキュメンタリー的に撮る」にも通じますね。中村:でもそれってなかなか難しいですよね。台本はあるわけだから。石原:そうなんですよね。ただ、その意識も実は薄くて。というのも、セリフを必死に覚えよう、というものではなかったんです。台本がスッと肌に入ってくる感じがありました。圭吾と車中で話すシーンがありますが、何回やっても全然うまくいかなくて。そうしたら吉田さんが元々あった長ゼリフを現場でバッサリ切ったんです。オリジナル作品で監督・脚本の両方を吉田さんがやっていらっしゃるからできることだとは思いますが、そのおかげで高まった部分を言葉にせずに感情だけで動けた感覚がありました。中村:相当テイクを重ねたとは聞きました。石原:少なくとも10回以上はやりました。中村:そんなに!?あなたは本当に偉い。僕なら帰りたい(笑)。――今回の撮影の中では、特に回数を重ねた方なのでしょうか。中村:シーンによってまちまちでしたが、そうかと思います。ただ一方で、言われているように全体的に早撮りで、熱量といいますか塊肉のようなものをほぐして撮っていくには相当スピーディな方という印象です。石原:そんな方がテイク数を重ねるということは多分私でてこずっているんだろうな…と申し訳なく思いつつ、でも決して諦めることなく付き合って下さって有難かったです。中村:いやいや、客観的に見て全くそんな感じはありませんでした。吉田さんも初めて接するタイプの女優さんで、それが面白くて一緒に探りながらやっている風に見えていました。石原:スタッフさんも「こんな吉田組は初めてだから面白い」とおっしゃっていて、でも自分はその面白さがわからなくて。自分は幸せだけれど、皆さんにご迷惑をおかけしてしまってすみません…と言い続けていました。ちょっと話が変わってしまうのですが、倫也さんと一緒にお芝居をしていると“音”が聴こえないんです。セリフではなくて、人の音といいますか。抽象的な表現で申し訳ないのですが、青木さんだとすごく聴こえるのが倫也さんはそうじゃなくて、私も1回収まる感覚がありました。それは砂田を演じているのか、倫也さんだからなのか…今回は敢えてそうしていたんですか?中村:そういう役だからという部分もあるし、人間的な部分もあると思う。基本的に準備はしないんだけど、どんな“質”でいくかだけは考えて現場に行くようにしていて、今そこに近い話をしてくれている気がする。石原:無音なわけじゃないけど、何の音が鳴っているのかわからなくて、すごく独特でした。倫也さんがそういう風でいてくれたから、砂田と沙織里の関係性が生まれたのだと思います。――演じていらっしゃる方ならではの“感覚”のお話、とても面白いです。石原:でも、なかなかそうした感覚を共有する機会はなくて。いま初めて言いました。中村:そうだよね。後輩にいきなり「いまの倫也さんの芝居、ドラム鳴ってますね」なんて言われたらビビっちゃうし(笑)。もしそう感じても、言わないほうがいいかなと思っちゃうよね。石原:そうですね。ただ私個人の感覚として、基本的に役者さんは皆さん色々な音が鳴っている方が多い印象です。倫也さんはすごく珍しいタイプでした。中村:なるほどなぁ。でも、僕も物事が数字に見えたりするときはあります。なかなか言語化は難しいですが、みんなきっとそうした色にしろ音にしろ何かしらの感覚があるんでしょうね。考えながら人と相対して、探りながら芝居しているわけですから。石原:そうですね。倫也さんにわかってもらえてうれしいですし、ホッとしています。■石原さとみヘアメイク:猪股真衣子スタイリスト:宮澤敬子(WHITNEY)■中村倫也ヘアメイク:Emiyスタイリスト:戸倉祥仁(holy.)(text:SYO/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:ミッシング(2024) 2024年5月17日より全国にて公開©︎2024「missing」Film Partners
2024年05月13日実力派俳優と韓国のヒットメーカーが集結し、破天荒な熱血刑事が権力の腐敗を暴くために奮闘するクライム・サスペンス「捜査班長 1958」がディズニープラス スターにて独占配信中。韓国で記録的大ヒットとなった犯罪捜査をテーマにした伝説的ドラマ「捜査班長」の前日譚となる本作。この度、主人公のパク・ヨンハンを演じるイ・ジェフンと、警察署の狂犬といわれるほど恐ろしい警察官キム・サンスンを演じるイ・ドンフィが作品への想いを語るインタビューが到着した。【ストーリー】時は1958年、野蛮な時代の韓国ソウル。地方から赴任してきた牛泥棒専門の田舎者刑事パク・ヨンハンが、狂犬とあだ名される後輩のサンスン、怪力を誇る青年ギョンファン、エリート新人のホジョンの3人とチームを結成し、醜悪な犯罪に立ち向かう。汚職にまみれた刑事たちの中で、信念を貫くヨンハン。彼の型破りな捜査と熱い信念で、チームは堕落した権力に立ち向かい、人々のための刑事に生まれ変わるべく成長していく。――イ・ジェフンさん、この作品への出演の決め手と、ヨンハンというキャラクターへの思い入れを教えてください。イ・ジェフン:韓国のオリジナルの「捜査班長」というドラマは、1971年から89年まで放映された、韓国の本当に伝説的なドラマなんですね。僕は、まだ幼かったので、リアルタイムで観ることはできなかったんですが、僕の親や祖父母の世代から、世代を通してこのドラマの存在を知ることはできました。オリジナル作品のプリクエル(前日譚)が、今回作られるということでとても気になりました。パク・ヨンハン役(「捜査班長」でチェ・ブラムが演じた役)ですが、韓国を代表する俳優であるチェ・ブラムさんは、本当にレジェンドなんです。そのチェさんがすごく思い入れがあった作品が、今回プリクエルが作られるということで。パク・ヨンハンがどういう風にチョンナム署に来て4人の捜査チームを作ることになるのか、その背景がすごく気になったんです。視聴者の皆様も気にされてるとは思うんですが、僕も一視聴者としてぜひ見たいなと思い、この作品をやらせていただくことになりました。チェ先輩の若かりし頃を僕がちゃんと演じることができるのかな、と心配だったんですが、チェ先輩から「あなたならできる」というふうに励ましていただき、また「その情熱、怒りを胸に秘めて思いっきり発散しなさい」と言われたんです。「悪い奴らを叩きのめして、弱い者には、寄り添うそういう役を今回演じなさい」と言われて、そのチェ先輩の言葉を胸に刻んで演じることになりました。――キャラクターとのシンクロ率はどうだったのでしょうか?イ・ドンフィ:(シンクロ率を考えているイ・ジェフンの顔をじーっと見つめている)イ・ジェフン:シンクロ率は、僕の口では、まあ50%しかないと。まあ、ただ、気持ちとしては100%、200%はやりたいなという気持ちで、今回臨ませて頂きました。チェ先輩の想いを胸に秘めて、ちゃんと継承したいなと思いまして、常に先輩のことを感じながら今回取り組ませていただきました!(言い終わって笑顔を見せる)――イ・ドンフィさんは警察署の狂犬と言われるキム・サンスン役ですが、役作りで意識したことを教えてください。イ・ドンフィ:僕もやはりキム・サンスンのその想いをちゃんと継承して、頑張ろうと今回やらせていただきました。それと、ヨンハンを演じたジェフンさんと、やっぱりお互いに良い影響を与えながら、一緒にシナジー(相乗効果)を生み出したいなと思いながらやることで、自然にどんどんと自分の役に近づくことができたんじゃないかなと思うんです。シンクロ率に関しては、気持ちとしては、やっぱり100%を目指したかったんですが、自分の口では、やっぱりそれはちょっと言えないんじゃないかなと思うんですね(笑)やっぱり同僚、まあ仲間たちとですね。一緒に役作りに向けて、台本に集中することを一番意識したんじゃないかなと思います。――警察チームの4人のチームワーク、ブロマンスが見どころの本作ですが、制作発表会でのキャストたちの雰囲気も仲もとても良かったですね!イ・ジェフン、イ・ドンフィ:(制作発表会のくだりでなぜか笑い出す2人)――撮影中のエピソードでネタバレにならない程度に、一番記憶に残るエピソードがあれば教えてください。イ・ジェフン:第1話、第2話は、それぞれのキャラクターを紹介するエピソードなんですね。彼らがどういう経緯で集まるかがとても興味深いと思うんですが、イ・ドンフィさんと僕は、最初っから刑事なんです。ですが、ユン・ヒョンスさん(以下:ユンさん)と、チェ・ウソンさん(以下:チェさん)が演じる役、特にチェさんが演じる怪力の持ち主チョ・ギョンファンは、警察になろうというつもりは全く無かったんですが、僕たちが「警察になろうよ」と口説き落として彼が加わることになったんです。イ・ドンフィ:そうそう(笑)イ・ジェフン:ユンさんが演じるキャラクターは、警察になろうという夢は持っていたんですが、家の反対にぶつかって。本当に、自分の意思を貫いて警察になる人なんです。彼は、特別採用で警察にはなれたものの、最初ちょっと空回りをしてて、捜査2チームで靴磨きをしているところを見て、僕たちがすごく可哀そうだなと思っていたところに事件が発生して、そこから一緒に4人でチームを結成することになるわけなんです。最初は、彼らがこれからどういう風に活躍するのか、全く想像がつかないと思うんですよ。すごく個性がはっきりしてる人間たちなので(笑)これから起こる事件や、エピソードを通して、どういう風に成長して、変化を遂げていくのか、そこがこのドラマの一番の見どころだと思うんですね。1つコツを申し上げたいのが、第1話から第10話までをご覧になってから、もう一回、第1話をぜひご覧いただきたいんです。第10話を見て、彼らの成長した姿を見てから第1話をまた見たら「彼らこうだったんだ!」ってとても驚きがあると思うので、ぜひそれをお勧めしたいですね。――作品を楽しみにしている視聴者へのメッセージをお願いします。イ・ジェフン:1958年を舞台にしたドラマや映画を皆さんご覧になったことはありますか?僕は、ほとんどないと思うんです。ですので、ドラマを通して韓国のあの時代の人々のその姿や暮らしぶり、どういう物を食べていたのか、などですね、ほんとうに人間くさいヒューマニズムのドラマをぜひ楽しんでいただきたいなと思います。あと、この作品をご覧になってオリジナルの「捜査班長」も気になるんじゃないかなと思うんです。けれど、個人的にすごくシーズン2を作りたいなと思うんですよ。(シーズン2で)彼らがまた集まって、どういう活躍を見せるのか、ぜひ楽しみにして頂きたいと思うので、シーズン2のためにはぜひご覧いただきたいです。よろしくお願いします。「捜査班長 1958」は毎週金・土曜日1話ずつディズニープラス スターにて独占配信中(全10話)。(シネマカフェ編集部)
2024年05月11日【音楽通信】第157回目に登場するのは、結成15周年というアニバーサリーイヤーを駆け抜けている永遠の週末ヒロイン、ももいろクローバーZ!中学生から活動してきて15周年は感慨深い写真左奥から時計まわりに百田夏菜子、玉井詩織、高城れに、佐々木彩夏。【音楽通信】vol.157百田夏菜子さん、玉井詩織さん、佐々木彩夏さん、高城れにさんの4人からなるガールズユニット通称“ももクロ”こと「ももいろクローバーZ」は2008年に結成され、2010年にメジャーデビュー。2014年に女性グループとしては初めて国立競技場での単独ライブを成功させ、2016年にはドームツアーを開催するなど数々の偉業を成し遂げ、アイドルシーンを牽引してきました。そして2023年、グループ結成15周年を迎え、2024年5月8日には7stアルバム『イドラ』をリリースされるということで、今回、ももいろクローバーZのメンバー全員にお話をうかがいました。――2024年5月まで結成15周年のアニバーサリーイヤーとなりますが、これまでを振り返ってみていかがですか?百田すごく不思議な感じです。周りのかたにも「15周年なんです」と言うと「何歳から活動してたの?」と驚かれることも多くて(笑)。中学生から活動していますが、アイドル活動に限らずさまざまな変化がある10代や20代という時期に、ずっとももクロとしてやってこられたんだなと思うと、感慨深いです。玉井結成10周年からの5年間がとくにあっという間だったなと。もともとはこんなに長く続けていくグループになると思わなかったので、正直私たちが一番驚いているところもあります。でもそれと同時に15年という長い間続けてこられているのは、やっぱり応援してくださるファンのかた、周りのかたの支えがあってこそなので、すごく感謝しています。アイドルで15年というとベテランの域に入ってくるのかもしれませんが、感覚的にはいつまでもまだまだだな、という気持ちを持ちながら続けていられることが幸せです。佐々木こうやって取材していただいていると「本当に15周年なんだな」と、やっと実感するぐらい、あまり自覚はないのですが、思い返してみればすごく濃厚な15年間でした。ここまで続けてこられたのはファンのみなさんが一緒についてきてくれたからです。コロナ禍でライブに行けない時期を経て、昨年からはようやくツアーでみなさんのところに会いに行って楽しい時間を共有できる、お礼の気持ちを伝えられる時間ができているので、良いアニバーサリーイヤーになっています。高城みなさんから祝福の言葉をいただくと、あらためて「15年間やってきてよかったな」と思いますし、あっという間の15年でした。結成当時、私たちはまだ学生だったので、ももクロは本当に青春を駆け抜けている感じがして。15年を過ぎてもなお私たちの青春は続いているという印象がありますね。新作は“アイドルの冒険”と歩いてきた道が凝縮リーダー 百田夏菜子。1994年7月12日、静岡県生まれ。AB型。自分にとってももクロとは?「私を成長させてくれる場所」。――2024年5月8日に7stアルバム『イドラ』をリリースされます。まずアルバムタイトルの意味からお聞かせください。百田「イドラ」はラテン語で「偶像」という意味で、アイドルの語源とされている言葉でもあります。今回のアルバムは、ヒーローをモチーフにしているんですが、私たちとしては“アイドルの冒険”という意味合いもあって。新しい曲も収録されていますが、いままで歌ってきている曲も入っていますし、どれもファンのみなさんと歩いてきた道を思い起こさせるような言葉が歌詞にも詰め込まれています。――新曲を中心に収録曲についてお聞かせください。まずリード曲の2曲目「Heroes」は元気をもらえる新曲ですね。玉井この曲は、アルバム全体の流れでいうと、冒険の始まりがテーマとなっています。これまで活動してきた15年がアイドルとしての旅や冒険のようで、素晴らしい景色を見てきたというベースがあるので、この曲には新たな出発という意味も込めています。旅の始まりということで、サビはキャッチーですし、明るい曲になっています。佐々木これから何かに挑戦されるかたの背中を押せるような曲です。私たちも歌っていて、この曲に勇気づけられますし、前向きな気持ちになれる曲ですね。――5曲目「MEKIMEKI」は、和風テイストも楽しめる明るい楽曲です。百田日本郵政さんの「カラダうごかせ!ニッポン!」プロジェクトのタイアップの新曲です。4人で担当が分かれていて、4パターンの違うテンポやリズムが楽しめる楽曲になっています。私はマッスル担当(笑)なので、勢いのあるパートになっていますが、リラックス担当だとゆったりしたメロディに音楽が切り替わるので、面白い曲。老若男女問わず、みんなでカラダを動かして健康になろうというのがテーマです。高城あーりん(佐々木彩夏)はエアロビクス担当で、しーちゃん(玉井詩織)はストレッチ、(百田)夏菜子ちゃんはマッスルだから筋トレ担当。一方、私が担当させていただいたのは、心のストレッチなんですよ。リラクゼーションがメインなのでそこまでカラダを動かすことなく、ほんわかとやらせていただいたので、全然筋肉痛にならなかったですね。玉井詩織。1995年6月4日、神奈川県生まれ。A型。自分にとってももクロとは?「第二の家族、自分達のやりたいことが出来る」。佐々木私たちは、ミュージックビデオでもしっかり体操して、翌日筋肉痛に(苦笑)。そんなハードな体操ではないんですが、普段使っていない筋肉を動かせるようになっているので、曲と合わせて楽しんでいただけたらなと思います。――8曲目「桃照桃神(ももてらすももみかみ)」は、スパイスのきいたラップを聴かせる楽曲ですね。佐々木私たちのアルバムはラップ曲が1曲入るのが定番なので、今回も収録しました。歌詞には、いまの状況とリンクするワードがたくさん盛り込まれています。百田アルバムの流れで言ったら、覚醒の部分になる曲。かっこいいラップ曲で、ひと味違うスパイスになっています。4人のマイクリレーが心地よく、細かい韻もたくさん踏んでいるので、スピード感のあるイケイケな曲になりました。ももクロらしさもありつつとてもダンサブルなので、ぜひライブで披露するときはみなさんに盛り上がってほしいですね。曲名の「桃照桃神」は、神様の「天照大神」からきているのですが、今回はアルバムのジャケットも衣装も、女神様からインスピレーションを受けた要素を入れ込んだものになっています。――浮遊感のある10曲目「追憶のファンファーレ」はいかがですか。新しい学校のリーダーズ「オトナブルー」などの作曲をされているyonkeyさんが担当ですね。玉井アルバムのなかで唯一スローなテンポの曲です。冒険していくなかでの挫折を歌った曲になっていて。私たちも15年活動していると、すべてがうまくいくことばかりじゃなかったり、辛かった経験もあったりします。きっとみなさんも人生においてそういう経験があると思うんですが、そんなときにちょっと寄り添ってくれるような曲。その経験を受け入れて、これからの旅に進んでいくというイメージです。――13曲目「Friends Friends Friends」は小気味良い楽曲です。百田清竜人さんの曲ですね。佐々木前回作っていただいたのが、6、7年前とか?高城そうだったかな?佐々木彩夏。1996年6月11日、神奈川県生まれ。AB型。自分にとってももクロとは?「ダイヤモンドみたいに光り輝く夢いっぱいのもの」。佐々木久しぶりに清竜人さんに曲を作っていただいたのですが、竜人さん節が炸裂していて。メロディラインにいろんなメロディが出てきて、覚えるのは大変でした。曲名に「Friends」とありますが、友達はもちろん、私たちとファンのみなさんの関係性だったり、家族だったり、メンバーだったり。そんないろいろな意味を含めた、大切な人という意味の「Friends」です。みなさんの大切な人にあてはめて聴いていただけたら、共感してもらえるところもたくさんあるんじゃないかな。百田清さんは、可愛い歌詞の印象があって。乙女心を歌詞や曲にして作ってくださることが多いので、最初にこの曲を聴いたときに恋の歌なのかなと思ったんですが、友達の歌でもありました。そして何よりもキーが高くて、清さんと一緒にレコーディングをしていても、キーが高すぎて運動部の部活をやっている気分になるくらい(笑)。冬なのにめちゃめちゃ汗をかいて、走った後みたいでした。そのくらいエネルギーを使う曲なので、ライブでも盛り上がるんじゃないかなという1曲です。――アルバムの最後を飾るタイトル曲「idola」は壮大な楽曲で、歌詞は神の啓示のような印象すらありますね。佐々木すっごい難しい曲です。玉井その通り!高城本当に!全員過去一難しい曲。佐々木聴いているぶんには耳心地がいい素敵な曲なんですが、歌入れは本当に難しかったです。いらいらしながらやりました(苦笑)、「歌えないんだけど」って。玉井あーりんは歌入れのときトップバッターだったもんね。佐々木そう。なんで私がトップバッター!?って。私たちは個別にレコーディングするんですが、終わってすぐみんなに「やばいよ」って(苦笑)。高城れに。1993年6月21日、神奈川県生まれ。O型。自分にとってももクロとは?「私の一番の宝物(ファンの方々、メンバー、スタッフ)」。玉井大変だというウワサがどんどんまわってきて(笑)。あの曲はやばいらしいと。高城私が一番最後にレコーディングしたんですが、録り終わったメンバーが口をそろえて「れにちゃん、これ絶対できないよ」って(笑)。玉井すぐ伝えたよね(笑)。高城私はもともと3拍子の曲が苦手なのですが、この曲は3拍子も5拍子もあってリズムの取り方が難しいから、レコーディングも大変だと思うと事前に聞かされていて(笑)。ただ、すごく世界観がありますし、アルバム全体を通してわりとポップな感じやかっこいい感じの曲が多いからこそ、最後にこの曲でギュッとしまるかなと。大事なポジションにいる曲ですね。佐々木アルバムを締めくくる曲なので気合いが入ったところもあるんですが、NARASAKIさんと只野菜摘さんという、私たちも昔からお世話になっているおふたりのタッグ曲なので、みんなの気持ちもたくさん詰まった思い出深い1曲になっています。百田未だに難しいなと思っていて…。玉井ライブで歌えるだろうかと、ちょっと心配になっています。高城大丈夫かな…。佐々木レコーディングは無事終わったものの、恐ろしい曲ですね(笑)。私たちの挑戦の1曲だったかなと思います。――どんなふうにアルバムを聴いてほしいでしょうか。高城ヒーローの冒険がベースにあるアルバムですが、みなさんにもきっと自分にとってのアイドル的存在やヒーローがいたり、自分がヒーローの立場になることもあり得るかと思います。そしてどんなに強い人でも、出会いや挑戦、挫折があると思いますが、そういったいろいろな場面で共感してもらえる楽曲がたくさんありますので、そのときどきの楽しみ方で聴いてほしいですね。楽しみながら、新しいものに出会っていきたい――お話は変わりますが、最近ハマっているものはありますか。佐々木ゴルフですね。玉井私もゴルフです。1日お休みの日があったら行きますね。佐々木普段、自然の中に行くことがあまりないので、ゴルフはすごく健康的で気持ちいいですよ。朝から動いて1日を有意義に使えた感じもしますし、激しい運動じゃないですが、運動している気持ちにもなりますし、携帯にある歩数計を見るとすごく歩いていることもわかりますし、ハマっています。百田私はもともと健康オタクで、カラダを動かすことも好きなんですが、最近は脚のストレッチにハマっています。美容が好きな友達と遊びながら「よし、ここからここまでの期間であのデニムをかっこよく履きこなすキャンペーンをしよう!」という感じで(笑)、カラダのパーツごとにストレッチをしています。少し前はおしりを重点的にしたので、いまは脚。佐々木美脚?百田そう!美脚になろうキャンペーン中(笑)。あとは保湿をしたり、アザだけは作らないようにしたり。バリバリ運動するのは年々ちょっと疲れやすくなってきていますが、これならもし結果が出なくても誰にも怒られないので、友達と気楽にできていいですよ。高城私は最近というよりも前からになりますが、お料理にハマっています。料理はストレス発散にもなるので、よく作りますね。煮物が得意なので、和食をよく作っています。あとは旅行雑誌を見て、次のお休みの計画を立てるのも好きですね。――ちなみにアルバムのジャケ写でも着ている今日のお衣装ですが、百田さんは「太陽のように輝く女神様」、玉井さんは「勇ましくて賢い女神様」、佐々木さんは「愛と美の女神様」、高城さんは「アジアの天女のような優しい女神様」からインスピレーションを膨らませてデザインされているそうですね。百田いままでいろんな衣装を着させてもらってきたんですが、初めてのテーマでした。ヘッドのアクセサリーが印象的な衣装は過去にもあったんですが、最近なくて。久々に来たかと思って付けました(笑)。玉井私の衣装は肩が重いです(笑)。佐々木全部が手作りなんですよ。玉井ひとりでもインパクトがありますけど、4人並んだときのインパクトもすごいみたいです。――わかります(笑)!ももクロのみなさんがとても神々しいです。佐々木ははは(笑)。みんなそれぞれ衣装の形やテーマは違いますが、素材感は合わせていて、4人そろうと統一感があります。個性があってかわいい。――では、普段のファッションは、どのようなものがお好きなんですか?玉井私はパンツスタイルが好きです。ゆったりとしたシルエットが好きなんですが、大きく見えないようにアクセサリーで変化を出すことも。デニムばかり履くので、トップスだけ変えればいいんじゃないかと思って、最近はトップスを大量に買いました。百田私はあたたかい格好が好きなんです。もう春になりましたが、冬の時期はとくに寒くて、着るものにも困って…。佐々木季節としては春でも、すごく着込んできたことあったよね?百田寒くて(笑)。高城重ね着しちゃうんだね(笑)。玉井5枚ぐらい着てた(笑)?百田そう。いろいろなお洋服を着たいんですが、気温によって左右されます。佐々木私はロングスカートやワンピースを着ることが多いかな。布が気持ちいいことが大事です。玉井わかる!佐々木着心地を重視するので、柔らかい素材とか、シルエットがきれいなものとかがいいですね。高城私は肌が出るデザインやカラダのラインがピタッと出るものが好きです。最近挑戦したいのは、パキッとした鮮やかな色。パステルカラーは挑戦したことがあるので、今度は春らしい色が着てみたいな。――いろいろなお話をありがとうございました!では最後にメンバーおひとりずつの個人的な抱負と、リーダーの百田さんから「ももいろクローバーZ」としての今後の抱負を教えてください。百田個人的には、20代最後の年齢になるので、この年を楽しみたいです。年齢を重ねるごとにカラダの変化もあるので、いつでもしっかりと動けるような体作りを目標にしたいですね。高城私は今年31歳になるので、もう少し自立したいです。いつか資格を取りたいと思っていて、時間があるときにちょっとずつ本を読んで勉強しています。35歳までに資格が取れたらいいかなって。――何の勉強をしているのですか?高城子どもがすごく好きなので、近所の幼稚園に遊びに行って、先生からも許可をいただいて、園児たちと触れ合うことがあるんです。だから保育系の資格がいつか取れたらいいなと。でも急ぐとプレッシャーで勉強しなくなっちゃうので、長い目で見て、ゆっくりコツコツと続けていけたらと思います。この間も、子どもたちが「御礼に」と、メッセージをくれたり、ももクロのダンスを踊ってくれて感激しました。玉井私は今年20代最後を迎えるので、悔いなく楽しみたいな。30代になってもできることはたくさんあると思いますが、20代を最後までやり尽くして、お仕事もプライベートも充実させて過ごしたいと思います。佐々木私はまだまだ若いので…。百田・玉井・高城おいおい(笑)!玉井この関係性は変わらないので(笑)。百田いつも言うんですよ(笑)。佐々木はいはい(笑)。みんなよりまだ若いので、髪の毛をツヤツヤにするよう、ヘアケアを頑張る年にします!百田グループとしての抱負なのですが、実はあまり先のことを考えたことがなくて、今日どうやって過ごすか、明日どうやって過ごすか?というように過ごしてきました。なので、これからもあえて目標を決めずに、出会ったものに対して楽しみながら飛び込んでいくスタンスで、新しいものに出会っていきたいですね!取材後記国民的アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の百田夏菜子さん、玉井詩織さん、佐々木彩夏さん、高城れにさんの全員がananwebに登場。インタビューでも語ってくださっていますが、今作のテーマのお衣装があまりにも神々しくて、みなさんがそろうと圧巻でした。明るく朗らかな4人のパワーで、取材現場もポジティブに。そんなももいろクローバーZのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・園山友基取材、文・かわむらあみりももいろクローバーZPROFILE百田夏菜子、玉井詩織、佐々木彩夏、高城れにの4人からなるアイドルグループ。2008年に「ももいろクローバー」名義で結成され、2010年にシングル「行くぜっ!怪盗少女」でメジャーデビュー。2011年にグループ名を「ももいろクローバーZ」へ改名。2012年に『NHK紅白歌合戦』に初出場。2014年に女性グループとして初の東京・国立競技場での単独ライブを成功させ、2016年には初のドームツアーを開催。2023年には15周年を迎えた。2024年5月8日に、7stアルバム『イドラ』をリリース。InformationNew Release『イドラ』(収録曲)01. 序章 -revelation-02. Heroes03. Brand New Day04. Re:volution05. MEKIMEKI06. MONONOFU NIPPON feat. 布袋寅泰07. 一味同心08. 桃照桃神09. Majoram Therapie10. 追憶のファンファーレ12. L.O.V.E13. Friends Friends Friends14. 誓い未来15. idola2024年5月8日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)KICS-4140(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)KICS-94140(4CD+2Blu-ray)¥12,000(税込)※(CD)初回限定盤のみ収録。「イドラ」ALBAM off vocal ver./「QUEEN OF STAGE」(2023.10.15 ツアーファイナル公演)LIVE CD Part 1, 2(BD)初回限定盤のみ収録。【DISC1】「イドラ」 ALBUM Documentary/「MONONOFU NIPPON feat.布袋寅泰」「誓い未来」「Heroes」MUSIC VIDEO【DISC2】MOMOIRO CLOVER Z 15th Anniversary Tour「QUEEN OF STAGE」(2023.10.15 ツアーファイナル公演)写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり
2024年05月07日日本に先駆けて公開された台湾をはじめ、アジアの国々でヒットを記録している日台合作映画『青春18×2 君へと続く道』。5月3日(金・祝)の日本公開を前に、来日した台湾の人気俳優シュー・グァンハンと藤井道人監督に話を聞いた。国際的なプロジェクトへの参加は初めてだったというお二人。新たなチャレンジの裏にあった思いとは…?お互いの作品は観ていた?「すごい才能」「定義付けない」――グァンハンさんにうかがいます。藤井監督と今回一緒にお仕事をされる前に、監督の作品をご覧になったことはありましたか?シュー・グァンハン(以下、シュー):最初に観たのは『ヤクザと家族 The Family』でした。ヤクザの映画も撮れるしアクションも撮れる、おまけに美しいラブストーリーも撮れる、特別な監督だと思いました。『青春18×2 君へと続く道』を撮り終わってから、時間がなくて事前に観られなかった『余命10年』も観ました。何でもできるすごい才能を持った監督だと思います。藤井道人監督(以下、藤井):本当に?(笑)――実際に一緒にお仕事してみて、監督に対するイメージは変わりましたか?シュー:変わりました。よりよい方向に(笑)。プライベートでも監督のほうから声をかけてくださって友達のような、とても付き合いやすい監督だと思います。撮影現場では、演技指導をするとき、とても適切な方法で、僕らと意思疎通を図ってくださいます。俳優が想像を膨らませやすいように導き、自分が撮りたい形にもっていく。その能力に非常に長けた監督だと思います。本人が隣にいなければ、もっと褒めますよ(笑)。――藤井監督にも同じ質問をさせていただきます。一緒にお仕事をされる前に、グァンハンさんの作品をご覧になったことはありましたか?藤井:悩んだのですけど、見なかったです。俳優はたくさん人の目に触れて、勝手に定義される。僕が俳優だったら見て欲しくないなと思いました。俳優の演技を研究していこうとか、そういうことは自分の中ではやりたくなくて、フラットな状態で一緒に物を作りたかったんです。でも、たまたま見ちゃった作品はありました。Netflixでおもしろい台湾のドラマを見ていたら、「グァンハンが出てきた!」みたいな(笑)。撮影が終わってから、台湾で大ヒットした映画『僕と幽霊が家族になった件』を観て、彼はこっち(コメディ)もできるんだなと思いましたね。かわいかったです(笑)――あらかじめイメージを持たず、新鮮な気持ちで撮影に臨まれたのですね。藤井:僕は「決めつけない」「定義付けない」ということを大事にしているんです。ビジュアルのイメージや僕自身が求めているものはありますけど、ジミーの心の部分は、僕が持っているものより、グァンハンが持っているものを見せてほしいと思いました。監督「スタッフは、表現者たちが集まっているという認識」――グァンハンさんが演じるのは、36歳で情熱を傾けてきた仕事と人生の目標を失った主人公ジミー。18年前に日本からやってきたバックパッカーの女性アミとの初恋の記憶をたどり、日本の彼女の故郷を訪ねる旅に出ます。驚いたのは、18歳と36歳のジミーが全く別人に見えること。演出の面で、違いが出るように工夫されたことはありましたか?藤井:ありました。グァンハン自身の年齢は、大人になったジミーの方が近いので、18歳のジミーのシーンは、お互い共通認識を持つことが必要だと思っていました。18歳のシーンでは“恥ずかしいことも愛しい経験なんだよ”というメッセージが必要で、18歳のジミーがかっこよく見えたら、この映画は失敗だと思っていたんです。「いろんな失敗をしてジミーは大人になった」ということをちゃんと表現したかった。そういう思いをグァンハンに伝えました。――グァンハンさんの出演作は、いろいろ拝見しているのですが、今回のように大きな年齢差を行き来する作品(「時をかける愛」)や、ラブストーリーやコメディの主役、『ひとつの太陽』や「罪夢者 NOWHERE MAN」で演じたような個性的な脇役まで、いろんな顔を併せ持った振り幅の大きさに驚かされます。そんな持ち味をご自身ではどう思っていますか?シュー:意識することはないですが、できる限り、自分が思い描いているとおりの人物を演じられるよう努力しています。たとえば、この映画で36歳のジミーを演じたときは、僕の実年齢と近いので歩き方や話し方といった外見より、できる限り心理的な部分を考えて演じようとしました。18歳のジミーは、年齢的にまだ落ち着きがないし、とても活発。そこに可愛らしさみたいなものもあっていいと思って、そういうイメージで演じました。藤井:18歳のジミーの手の落ち着きのなさとか、なんだか背筋が定まっていない感じは、グァンハンがテストでやってくれることを、そのまま取り入れました。見ていてすごく楽しかったです。――撮影に入る前、必ず行う準備はありますか?シュー:特に意識してこれをやらなきゃと決めていることはないですが、だいたい1日から2日の時間を自分に与えて、自分自身を空っぽにするようにしています。――基本的には監督の話を聞いて一緒に作り上げていくようなイメージですか?シュー:今回の作品でも、監督は自分が欲しいものを明確に持っているので、僕はそのとおり一生懸命に演じるだけです。方向性に関して、監督が求めているものと僕がやっていることに違いが生じた時には意見を交換します。どの作品も、現場で話し合うといえば、だいたい同じような状況ですね。そういう時以外は冗談ばかり言っています(笑)。――藤井監督は今回の台湾の現場で学んだことを今後の仕事に取り入れたいとおっしゃっていましたね。その後の現場で実際に応用したり、実践したりしたことがあれば教えてください。藤井:台湾で学んだことをそのまま持って帰ってきたのは、12時間以上の撮影をしないということです。スタッフのことを、労働者ではなく、表現者たちが集まっているという認識のもとにケアしているという感じがすごくしました。日本には日本独特の文化もあるんですよね。日本では演出部がカチンコを打つけど、台湾では撮影部が打つ。台湾のやり方を丸ごと使うわけではなくて、たとえば演出部の手が足りていないときは撮影部に打ってもらうとか、「そういうパターンもあってもいいよね」というフレキシブルな考え方になりました。「みんながやりやすい現場って何なんだろう?」ということを、以前より考えるようにもなりましたね。――台湾のスタッフには、海外帰りの若い方が多いとうかがいました。そういう部分も、日本とは違いますか?藤井:違いますね。日本人は日本の現場で学んで、日本で作品を発表する人が多いですが、台湾のチームは、海外から戻ってきて仕事をしている人がすごく多かったです。映画に対する敬意のレベルが高いという点はすごく参考になりました。スタッフの年齢層も僕と同世代がメイン。それをプロデューサーたちが校長先生と教頭先生みたいな感じで見守っているという感じです。「日本映画」「台湾映画」ではないアジア映画としての作品――グァンハンさんは本作が初の国際プロジェクトへの参加でしたが、その後、韓国ドラマにも出演されましたね。中国語圏のマーケットは非常に大きく、今はNetflixなどで世界各国に台湾の作品が配信されています。仮に台湾の作品だけに出演していても、世界中の人に見てもらえるわけですが、それでもこういう国際プロジェクトに参加する面白さをどう感じていますか?シュー:今回、仕事という形で異なる文化を体験できて、とても嬉しかったです。日本も韓国も、それぞれ文化が全然違う。僕が一番好きな異文化体験はご飯を食べる時間なのですが、現地だからこそ味わえる楽しさがあります。僕は自分に挑戦し続けることが必要なタイプ。韓国での撮影は、詳しくは言いませんがまた別のチャレンジです。新しいことを学ぶことが好きなんですね。例えば、飯山線の電車内での撮影は、実際に走る電車の中で俳優がとった行動を記録するという方法でした。「こういう撮り方もあるのか」と、新しく学んだことがたくさんあります。――監督にうかがいます。日本のシーンやロケ地について「こういう場所を見せると喜んでもらえる」など、台湾の観客のことを意識しましたか?藤井:すごく意識しました。なぜかというと、今回この作品の企画書を見て、監督をお引き受けしようと決めた大きな理由が二つあるんです。その一つが、僕がジミーと同じ36歳だったということ。そして、もう一つが、企画書の1枚目にあった「雪の中を電車が走る」という言葉でした。台湾の人たちは雪が好きだということは知っていましたし、(プロデューサーの)チャン・チェンやロジャー・ファンの「コロナ禍で会いたかった人に会えない、行きたかった場所に行けなかった人たちが、もう一度“旅”というものを考え直す作品にしたい」という思いも知っていたので、「こういう景色を撮ってほしいんだろうな」という景色を取り入れたりはしましたね。――本作には、日本の人がイメージする台湾と、台湾の人がイメージする日本の風景が、うまく両方取り込まれていると感じました。バランスには気を遣ったのでしょうか?藤井:カメラマンと一緒に、それぞれ色味や場所の撮り方は工夫していますが、「この地域だからこう撮ろう」というより、「ジミーという人の生きている世界が同じアジアの中にある」ということを意識しました。多分みんな意識的に「日本映画」「台湾映画」と区別して映画を観てきたけれど、今回は「アジア映画を作る」という思いで作っているんです。僕らがボーダーを取り払って作ったことがこの映画の中で作用していたなら、うれしいですね。(text:Rie Nitta/photo:You Ishii)■関連作品:青春18×2 君へと続く道 2024年5月3日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開©️ 2024「青春 18×2」film partners
2024年05月02日漫画「呪術廻戦」の人気もあり、“呪術”という言葉がすっかり社会に定着した感がある昨今だが、そもそも呪術とは何なのか――?そんな問いに正面から向き合った映画が誕生した。誰もがその名を知る陰陽師・安倍晴明が陰陽師になる以前の学生時代の日々を描いた映画『陰陽師0』。本作の劇中で晴明らが結ぶ印や口にする呪文、さらには劇中の小道具など呪術にまつわる全てを“呪術監修”として司っているのが作家の加門七海である。佐藤嗣麻子監督とは三十年来の仲で、監督たっての願いで呪術監修を務めることになった加門さんに“呪術オタク”の視点から本作の魅力について語ってもらった。加門七海/カメラマン・富永智子――“呪術監修”というポジション自体、なかなか聞かないですが、加門さんが引き受けることになった経緯をお聞かせください。私は記憶にないんですけど、10年以上前に別の作品で、佐藤監督に似たようなことをお願いされて、その時は「とても自信がない」とお断りしたらしいんですね。だから今回も監督は「断られるかな…」と思っていたらしく、最初は婉曲的に「加門さん、若い俳優さんで好きな人はいる?」と聞いてきて、私は「うーん、私は若いのはネコが一番好きかなぁ」みたいな答えを返して「俳優なら、若くはないけど國村隼さんがすごく好き」と言ったんです。そうしたら「國村さんが出る映画があるんだけど、呪術監修やって!」とお願いされて「は?」みたいな…(笑)。ただ、いままでの呪術を扱った映画は、ストーリーありきで、呪術というものは相手を攻撃するための道具というか、そこまで凝ったものを出すことってあまりなかったんですよね。なので、今回もそういう感じかと思っていたんです。記憶にないけど(笑)、前に一度、お断りしたという経緯もあったし、國村さんも出るしということで「じゃあ、やってもいいよ」と言いつつ、規模の大きな作品だったので「できるかな…?」とビビってました(苦笑)。そこからトントン拍子に話が進んだんですけど、最初に脚本を読んだ時は「こんなに本格的にやるの!?」と仰天しました。「私の手に負えるかな…?」というのが正直な気持ちでした。ただ、話が進んでいく中で思ったんですが、もし本物の呪術師の方や学者さんや研究者さんにお願いするとなると、どうしても(呪術の描写に関して)曲げられない部分、融通が利かない部分が出てくるんじゃないかと。私は本業が作家で、呪術に関しては佐藤監督がおっしゃっているように、ただ好きで自分でいろいろ調べたり、集めたりしている“呪術オタク”ですから(笑)、フィクション作品にも理解はありますし、アレンジなどにも柔軟に対応できるので、そういうところでの期待もあったんじゃないかと思います。――“呪術監修”として、どのように仕事を進められていったのでしょうか?とにかく脚本ありきですから、まず先方の「こういう話がやりたい」、「この場面で呪術の効果としてこういうことがしたい」というのがあって、それに沿って、こちらで史料などを提供するというのが第一の仕事でした。ただ、映画ですので当然、尺の問題があるんですね。本来は呪術でこれを表現するとなると大がかりな仕掛けが必要なところでも、言葉ひとつで済まさなくてはいけない部分もありますし、何よりもエンターテインメント映画ですから、“映える画”じゃないとダメなんですね。そこは、あれこれとこねくり回して(笑)、もっともらしくカッコよく見せるかというのを考えていきました。――具体的に担当されたのは、晴明らが結ぶ“印”や口にする“呪”などの創作ですね。そうですね。特に多かったのは呪符(=神への願意、要請先、約束の取り付けなどを書いた紙)についてのやり取りでしたね。とにかく映画のありとあらゆるところに符が貼ってあるので、その種類やバリエーションについて、そこは精神的な意味ではなく、映像としてどうカッコよく見せるかということを注意しました。――監修で関わったシーンの中で、特に印象に残っているシーンや映画的な描き方について提案をされたシーンを教えて下さい。細かい部分――例えば金龍を封印するシーンでは、金龍は決して悪い龍ではないので、悪い存在を封じるような感じではなく、徽子女王(よしこじょおう/奈緒)の想いを封じるものなので、晴明役の山崎(賢人)さんにも怖い感じではなく、丁寧な感じでやってほしいということをお伝えしました。また、晴明が「開!」と言って空間を切り裂く指の動きは「なぞるのではなく、剣で切るような感じでやってほしい」と指導をさせてもらいました。――呪術監修を務めるにあたって、ご自身なりに決めたり、監督と話し合った呪術のルールや世界観といったものはありましたか?特に監督やスタッフの方々と相談したということはないんですけど、やはり一家言ある人たちはみんな、自分なりの“呪術観”というものを持っていますから、この映画における呪術観と私自身の呪術観でズレというのは当然あるわけです。ただ、今回はあくまで映画『陰陽師0』の世界観に沿ってつくっていくという点は了承した上でやらせていただいています。その中で、まず大切にしたことは「“本物”を出さない」ということですね。フェイクを混ぜつつ、でも嘘にはならないで、みなさんに納得していただけるような幅を持たせる――完全な本物ではないけど説得力を持たせるということを意識しました。――それは本物の呪術を行なうことで、本当に呪いが発動したり、厄災が降りかかることがないようにという配慮から?そうです。万が一、何かあって「これをやってしまったからだ」とスタッフさんや演者のみなさんに思わせるようなことがあってはいけないというのがひとつ。加えて、そもそも呪文やお札というのは、宗教の核心や秘密に触れる部分も多いので、それを映画であからさまに見せるのは、私自身、とても怖いですし、やりたくないことなので、少しだけ(本物から)ずらしてあります。とはいえ、見る人が見れば、元ネタはちゃんとわかる程度のアレンジですので、お好きな方は探してみてください。映画の中で「蟲毒」が出てきますけど、あれは本当に呪詛の術で、やはり本物は怖いですから、そこまで深入りし過ぎず、ごく普通の本で「蟲毒とは何か?」という説明に書いてある程度の内容で収めるようにしたりしています。やはり描きすぎると怖いですから(笑)。――映画用に印や呪を考えるにあたって、参考文献や史料というのはどのようなものを?晴明の時代の陰陽道に関しては、実は史料は非常に少なくて、とてもそれだけでは今回の映画の呪術をカバーできないので、時代的には近世くらいのものも使っています。日本、およびアジア圏の道教の史料が多いですね。陰陽道の基礎資料としては「陰陽道基礎史料集成」(村山修一)という本がありまして、古いものだと鎌倉時代あたりの頃からの様々な史料が収められています。ここから呪文などを採らせてもらっています。また映画の中で、(晴明らが学ぶ)陰陽寮にいろんな図が描かれた紙が貼られていますが、それらは美術書などから、使用可能なものを使わせてもらっています。印に関しては、中国の書物である「符咒指訣秘鑑」(法玄山人)などを参考にしていますが道教だけではまかなえず、密教の史料なども参考にしています。――完成した映画を観て、呪術の第一人者の視点で驚かれたシーンはありましたか?先ほども少し触れましたが、晴明が「ここは現実ではない」と気づいて「開!」とやることで空間を切り裂き世界が切り替わるシーンがあります。ほんの一瞬で「世界を変える」――自分が立っている空間を術によって変えるという非常に大きな術ですが、それが映像だとああやって一発で見せることができるんですよね。あの爽快感はすごかったですね。実際の呪術というのは、効果の有無ってその場ですぐにはわからないものですし、普通の人の目には映らないものなんですよね。それを見事に映画で可視化していて感動しました。――安倍晴明という人物が、令和のいまの時代に陰陽道の世界のスーパースターとしてこれだけ親しまれ、愛されているのはなぜだと思いますか?まず“陰陽師”という存在が(本作の原作でもある)夢枕獏さんの小説「陰陽師」シリーズおよび、そこから派生した岡野玲子さんの漫画、またそれとは別にCLAMPさんの漫画(「東京BABYLON」)などによってフィーチャーされたことが大きいですが、その中で安倍晴明がスーパースターになったのは、身も蓋もない言い方ですけど、名前がすごくカッコいいということが大きいんじゃないかと思います。“安倍晴明”って完全にヒーローの名前ですよね(笑)。例えば敵方で出てくる蘆屋道満という陰陽師がいますけど、普通の主役にはならないですよね。(晴明の師である)賀茂忠行も残念ながらならないですね。安倍晴明という名前に既に“萌え”があると思います。それはすごく大きいですよ。――名前もある種の言霊ですね。そうなんです。名前って本当に大事で「陰陽師」という言葉も、いまは「陰陽師(おんみょうじ)」と読むのが一般的ですけど、歴史的には「陰陽師(おんようじ)」、「陰陽道(おんようどう)」という言い方もかなり正統性があるんです。古文書にはルビが振っていないので、実際にはどちらが本当なのかわからないんですけど、もしかしたら「陰陽師(おんようじ)」だったら、ここまで流行らなかったんじゃないかと私は思います。「陰陽師(おんみょうじ)」と「安倍晴明(あべのせいめい)」というキラキラ感の影響って実はすごく大きかったんじゃないかと。――先ほど名が挙がった蘆屋道満や賀茂忠行などほかにも陰陽師はいたわけですけど、陰陽師として安倍晴明はやはり特別なんでしょうか?そうですね、例えば賀茂保憲(忠行の息子)のほうが、貴族社会に及ぼす影響という点で、晴明よりも実力的には上であったとも言われるんですが、決定的な差異として安倍晴明が“神”として祀られたということがあると思います。神社にご祭神として祀られているわけです(=晴明神社)。「陰陽道の神=晴明」となっていて、そうなると実力的、歴史的にどうだとか言っても無駄な話ですよね。――改めて加門さんにとって、呪術の魅力とはどういう部分にあると感じていますか?もはや、自分の仕事や生活と一体化しているので(笑)、どこが魅力と答えるのは難しいところですが…。呪術というのは科学の素(もと)でもあるわけです。現代において「科学」と「魔術」というのは別々の存在として分かれていますけど、もともとは魔術の中に科学があり、一般の人にとってはそこに区別はなくて、専門家がよくわからない術を施して効果を得るというものであったのが、それが反復によって立証されていくことで魔術が科学となっていったんです。それこそ数世紀前であれば、パソコンも魔術の領域にある存在ですよね。逆に、個人の力量によって差異が高低するようなものは、魔術として残ったりしているんです。つまり、魔術や呪術というのは、まだわからない未知の部分――でも過去から連綿と受け継がれて、世界や人の心を動かしてきたものなんです。その未分化の存在ってすごく魅力的ですよね。――最後に、加門さんと同じく呪術が好きでたまらないコアな人たちに向けて、本作の呪術の描写に関して「ぜひここを注目して見てほしい!」というポイントを教えてください。では、せっかくですので、凝った呪術の描写に関してクイズ形式で探していただきましょう(笑)。まずひとつは、「金龍封印」のシーンで晴明が指で符を書きますが、あの符はアレンジはしてありますが、実はとても格の高い、めったに表に出てくることのない符が元になっています。さて、それは何でしょうか?もうひとつ、映画の中でほんの一瞬なんですが、晴明が片手で印を結ぶシーンがあります。一秒あるかないかというシーンなので、多くの方は気づかないと思うんですが、そこで使ったのは、陰陽道の印ではなく、実は昔の呪禁師(じゅごんし)が使う印なんですね。さてそこはどのシーンでしょうか?この2つをぜひ探し当てていただければと思います!※山崎賢人の「崎」は、正しくは「たつさき」(黒豆直樹)■関連作品:陰陽師0 2024年4月19日より公開©2024映画「陰陽師0」製作委員会
2024年04月29日映画監督の役割とは何か――?そんな極めて抽象的な質問に、濱口竜介監督は「ある種、自分の生理的な判断によって“OK”と“NG”を振り分けること」と答えてくれた。ヴェネチア、カンヌ、ベルリンの世界三大国際映画祭とアカデミー賞の全てで受賞歴を持ち、いまや新作が発表されるたびに常に世界的な注目を集める存在となった濱口監督だが、彼はどのようにして“映画監督”になったのか? そして、彼はどのように新作を企画し映画として形にするのか?まもなく公開となる『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』でもタッグを組んだ音楽家の石橋英子のライブパフォーマンスの映像作品として企画がスタートし、制作の過程で当初の作品とは別に1本の長編映画として誕生したという、まさに異色の作品だ。世界を魅了し、驚かせ続ける“濱口映画”の作り方について、じっくりと話を聞いた。映画監督への道「漠然としていました」――濱口監督は、大学で映画サークルに入る以前は、映画をむさぼり観るようなタイプではなかったとうかがいました。それ以前は、どういったカルチャーに触れられていたのでしょうか? また、映画に深くハマるようになったきっかけは何だったんでしょうか?テレビドラマにゲーム、漫画、J-POP…当時の日本のどこにでもあったサブカルはごく普通に触れて楽しんでいましたが、夢中になっていたとは言えないですね。引っ越しばっかりしていたもので、その土地に根ざした遊びはしてなくて、それしかなかったというのが実際だと思います。ただ、映画館に行くのは昔から好きでした。小学生の頃『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観て、中学生で『ターミネーター2』を観て面白いと思って、高校生くらいになるとミニシアター系やアート系の映画も観るようになって、自分のことを「映画好きなんじゃないか」と思って、大学で映画サークルに入るんです。そこで、自分なんて実は全然観てなかったんだって気づいた感じです。映画自体は好きだったけど、全然足りていなかった…と。――「自分で映画作りたい」という思いで映画サークルに入られたんですか?そうですね。僕は一年浪人して大学に入ったので、浪人期間中は、なかなか映画館にも行けず、すごくつらさもありました。なので、大学に入ったらやりたいことをやろうって思いが強まって、そのひとつが映画でした。とはいえ、いま思うと、映画をどう作るのかということについて、何も知らなかったですね。――その後、大学生活を送りつつ、仕事として“映画業界”を志すようになったのは?大学3年くらいになると就職活動が始まるんですけど、何を大学でやってきたかと振り返るわけです。大学で大して勉強したわけでもないんですけど、何かしら、大学でやってきたことを就職で活かしたいなと思うんです。学科も映画で卒論を書けるところを選んだし(※大学では文学部 美学芸術学専修課程を専攻)、考えたら映画のことしかやってこなかったので、就活でも映像関係の会社ばかりを受けていました。でも、時代が就職氷河期だったからなのか? 私のコミュニケーション能力に問題があったのか…(苦笑)? 映像関係の会社も軒並み落ちまして…。「どうしようか?」と思っていた時、助監督の仕事を紹介していただけたんですね。――その後、しばらくして、東京藝術大学大学院の修士課程に入り直されていますが、そこに至る経緯は?商業映画の現場で助監督の仕事を始めたんですけど、何も知らないまま入ったわけです。助監督としてどう動くかなど全くわかってない状態で、しかも、そんなにコミュニケーション能力も高くなくて、ちゃんと人から教えてもらえないまま、目の前で現場が動き始めているという状況で…。商業映画1本と2時間ドラマの助監督をやったんですけど、端的に言って仕事ができなかったんですね(苦笑)。その時の監督の知り合いの映像制作会社を紹介していただいて「修行してきなさい」となって、そこでそれなりに楽しいと思いながら働きつつ、その会社が作っているのはBSテレビの経済番組などでしたので「楽しい」がちょっと違うわけですね。「自分は映画がやりたかったはずなんだけどな…」と。そうしたら、芸大の映像研究科が映画監督になるコースを開講することになって、2005年に第一期生を募集していて、しかも教授は北野武監督と黒沢清監督だと。そりゃすごい! 自分のこれまでの趣味と照らし合わせても「ここしかないかもしれない」と思って受けました。一年目は落ちて、二度目で翌年の2006年に受かりました。流れ流れてという感じでしたね。濱口竜介監督――当時から「将来、映画監督になる」といことは意識されていたんでしょうか?本当に五里霧中というか「なんも見えねぇ…」って感じでしたね。あの当時、いや、いまも若い人にとってそうかもしれませんが「監督にどうやったらなれるのか?」というのが全然わかんなくて、聞いたところでは「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」で入賞するとプロデューサーにピックアップされるらしいとか、助監督を続けて階段を昇っていくと、30代後半から40代手前くらいで監督の口があるんじゃないか?とか…漠然としていました。ただ自分に助監督の能力がないことは明瞭にわかったので、その線は消えたわけです。PFFに出したりもしたんですが、全部落ちたり。とは言え、そんなに悪いものは撮っていないはずだという思いもあったので、自主映画で撮っていこうと。「職業にする」というよりは、まずは自主映画・学生映画という形で作品をつくらないと、次の段階に進めなさそうだなって感覚でした。それで藝大大学院も受験するわけなんですけど、「職業として映画監督になれるか」というのはどこまでもわかんなかったですね。――その後、自主映画で短編、長編を含めて様々な作品を手掛け、『寝ても覚めても』では商業監督映画デビューを果たしましたが、自分が「映画監督である」と実感がわいたのはいつ頃ですか?これもすごく難しくてですね…、ある意味、意識の中では自分はずっと「監督」ではあるんですよね。その意識は学生時代からあるんですけど、ただそれが「職業」になったのは、本当に最近ですね。それで食べていけるようになったのが本当にごく最近なので。“商業映画”の意識「せめぎあいの中で作品ができていく」――『寝ても覚めても』以前に『ハッピーアワー』が国際的にも非常に高い評価を受けました。ただ、あの時点で無名の若手監督が5時間を超える映画を作り、劇場公開されるというのはすごいことだと思います。企画を通すということや、プロデューサー的な視点でどうやったら多くの人に劇場で映画を観てもらえるか?といった部分は、意識されていたんでしょうか?その意識が全くなかったわけではないですが『ハッピーアワー』に関して言えば、コントロールが全く効いてなかったというのが実際のところですね(苦笑)。クレジットとしても自分はプロデューサーではないですし。『ハッピーアワー』やその後の『偶然と想像』、今回の『悪は存在しない』でもプロデューサーに入ってもらっている高田聡さんという方がいて、(高田プロデューサーが所属する)「NEOPA」という会社は、実はIT企業なんですけど、高田さんは映画サークル及び学科の先輩なんです。その会社の取締役である高田さんの裁量の範囲で、NEOPAから出資していただけることになりました。『ハッピーアワー』最終的に「すいません、5時間になっちゃいました」という感じだったんですが、それでもOKをいただけて、これはプロデューサーである高田さんの度量の広さというのがまずありますね。『ハッピーアワー』は製作に2年くらいをかけていて、僕にとってもスタッフにとっても人生の一部のような存在になるわけですよね。“お祭り”というよりは、生活の一部みたいな感じですね。有名な人も出ていないですし、『ハッピーアワー』の時は、お客さんというよりは、一緒に仕事をした人たちのために最良の形で完成させるというモチベーションが強くて、その結果、あの長さになって、それを受け入れていただいたという感じです。その意味で、プロデューサー的な才覚は自分にはあまりないと思いますね。――『ドライブ・マイ・カー』のような作品の製作プロセスでも、商業的な部分を意識することはないのでしょうか?特に、いわゆる商業映画の枠組みでやるときはプロデューサーという立場の人たちがいて、C&Iエンタテインメントにいた山本晃久さん、その上司の久保田修さん、ビターズ・エンドの定井勇二さんが主にクリエイティヴ面でも関わってくださっているんですけど、その方たちの意見はきちんと聞いて参考にしています。まず、多大な経済的リスクを負っているのはその方たちなので、その人たちの「これでよいか悪いか?」というジャッジは受け入れるんですけど、そこで「自分が面白いと思うことかどうか」という部分はきちんと出すようにしています。ただ、山本さん、久保田さん、定井さんは『寝ても覚めても』の頃から、それぞれの立場から、かなり自分のやりたいことを尊重してくださったので、自分も含めたそれぞれの立場の意見の、そのバランスの中でできていくというか。自分もプロデューサーのジャッジへの信頼があるので、そのせめぎあいの中で作品ができていくという感じですね。『ドライブ・マイ・カー』――本作『悪は存在しない』は、石橋さんからライブパフォーマンス用の映像の依頼を受けて企画がスタートし、そこからさらに枝分かれして長編映画になったという異色の作品ですが、この作品に関しても、クリエイターとしての「これは映画になる」という手応えと、プロデューサー的な目線で「これは(商業)映画になる」という感覚が重なるような瞬間は?それはどこまでもなかったですね。今回、また高田さんにプロデューサーをお願いしていますが、製作中の高田さんの名言で「まあ、できてから考えようか」というのがありまして(笑)。完成してどんな作品なのかわかって、それから考えればいいんじゃないかと。まあ経済的なリスクが自分たちの耐えられる範囲内であるならば、明らかにそれが最良の選択肢なので、じゃあそうしようかとなった感じです。実際、それがこうやって劇場公開までされることになって、本当に運がよかったなって思いますし、高田さんのそのスタンスには心から感謝していますね。――濱口監督にとって、映画づくりのプロセスにおける「映画監督」の役割・仕事はどういうものだと思いますか?ある種のビジョンを提示したり、作品の全体の方向性を示すことが求められる部分もありますが、基本的には撮影の1テイク、1テイクであったり、編集の一工程、一工程に対し「OK」か「NG」かを判断する仕事ですね。単純に「OK」か「NG」かを示すだけでは暴力的なので、必要なら言語化も説明もしますけど、究極的には、個人の生理的な判断で「OK」と「NG」を振り分けていくのが仕事のような気がしますその基準をきちんと守り通せたら、映画になるだろう、という思いでやっています。――繰り返しの質問になりますが、企画を「成り立たせる」という部分や「いかにこの企画を通すか?」という部分に関して、意識されたことはないんでしょうか?これは本当に、僕がプロデューサーに恵まれているんだと思いますが、そういう経験がないんですよね。プロデューサーが「こういうことなら商業映画として劇場に掛けられる」と判断して、商業映画の枠に入れてくれたり、高田さんのように、僕のジャッジを信頼してくださって、とりあえず完成させて、その後のことは、できたものを見て考えればいいと考えてくださる――。もちろん「お金にならなくてもいい」と思っているわけではないでしょうが、そこは自分に対する信頼感をもって「この枠組みの中でやるなら、何をしてもいいですよ」とやらせてくださる方がいるので、「この企画をどうしなきゃいけない」ということは考えず、どちらかというと、その時に自分の中にある課題意識――「現場のここをもうちょっと改善したい」「演出のここをもうちょっとうまくなりたいな」みたいなことに取り組める企画を立てることが多いですね。インプット、キャラクター、ラスト…濱口映画ができるまで――ここから、具体的な作品づくりのプロセスについてもお聞きしていきます。今回の物語はオリジナル脚本ですが、石橋さんの知り合いから実際に起きた問題について話を聞き、それらをベースに物語を構築していったそうですね。物語の組み立てやキャラクターの膨らませ方はどのように行なっていくのでしょうか?脚本に関しては本当に難しくて、いまだに「これが正解」というものがないんですよね。「こうしたら面白い本が書ける」という方式は良くも悪くも確立していなくて、その都度、企画に合わせて七転八倒的な感じで、のたうち回るようにしてできていきます。今回は、まずリサーチをしてみようということで、でも、どこから手を付けていいかわからず、とりあえず、石橋さんの音楽ができる場所の近くでリサーチをすれば、石橋さんの音楽に合うものが何かできるんじゃないか? というくらいのところから、藁をもつかむような思いでリサーチを進めていったら、だんだんと「こういうものが撮れるな」とか「こういうことがあるのか」というのが積み重なっていき、ある時、スーッと筋が通ったということしか言えないんですよね。ある瞬間に突然、組み上がっていくというのは、今回もそうだし『ドライブ・マイ・カー』もそうでした。原作を何度も繰り返し読む中で、ある時、組み上がったという感覚でした。そのために必要なのはインプットをするということですね。インプットが十分にされていれば自然とアウトプットされるんだろうと思います。『悪は存在しない』――今回でいうとインプットにあたるのは…?今回の場合はリサーチそのものがインプットでしたね。使われなかった要素もいっぱいあるんですけど、土地を回って教えていただいた「あの木が〇〇で…」「水はこっから湧いていて…」といった話やその土地の歴史や何かの話のひとつひとつがそうですね。『ドライブ・マイ・カー』では原作そのものもそうだし、「ワーニャ伯父さん」の存在もインプットになったと思います。『偶然と想像」では、喫茶店で隣のテーブルで話されていた会話がインプットになったことがありました。あとは普段の日常の暮らしの細かい感情がインプットになる――「いま、自分の中でザワっとしたこの感覚を覚えておこう」ということもありますね。――キャラクターの膨らませ方に関して、例えば今回の物語で巧(大美賀均)や娘の花(西川玲)を中心に進むかと思いきや、中盤以降で思いもよらない人物が重要な存在になっていきますが、これはどのように…?これは面白くしようと思ったらそうなったって感じですね。単純な映画の好みの話なんですけど、僕自身が不意打ちを食らうのが好きなんですね。「まさかそんなことになるなんて!」というのがすごく好きで、そのパターンのひとつとして「お前、そんな重要なキャラだったのか?」というのがありまして(笑)、急にガツンと来るみたいなのが、映画を見る側の体験としても好きで、自分が作るときもそういうことを起こそうとするんですよね。先ほどのインプットで言うと、映画を観ている時の自分の身体に起こる状態の変化も、ひとつの大きなインプットとしてありますね。『悪は存在しない』――ラストシーンの意図や重要性についてもお聞きします。『ドライブ・マイ・カー』では、ラストで描かれているあの状況はどういうことなのか? という“論争”が起きましたが、そうやってラストシーンの描き方で観る者の心をざわつかせようというのはかなり意図的にされているんでしょうか?それはメチャメチャあると思いますね。映画を観た人は、ラストシーンの印象を引きずって映画館を出るということになるので、ラストシーンというのはかなり大事だと思っています。これも個人的な映画の趣味なんですけど「え? これはどう感じたらいいんですか…?」という気持ちで映画館を出るのが好き、というかかけがえのないことだと思うんですよね。数日途方に暮れますが、気がついてみれば、それが最も残る体験になっている。長く映画ファンでいますが、それが結局最高なのでは、と思っているので、観客にもそういうものを提供したいです。とはいえ、あまりにもわからないと「え? これはどう感じたらいいの?」と感じる“土台”そのものがなくなってしまうので、ある程度の土台を構築した上で、どこかでズレというか、ある種の不条理が入ってくることで「いや、こういうふうに思ってたのに、何なんですか、これは?」というものができるのが大事だなと思います。ただそれもあまりやり過ぎると、観客との関係性が切れてしまうので、その塩梅は常に難しいですけど、観客の体験のためにやるのが大事なことだと思いながらやっています。――今回のラストの衝撃に関しては『ドライブ・マイ・カー』以上だと思いますが、監督の中で様々な構築があった上で、あのラストを選ばれたということですか?ああいうのを明確に言語化してやっているかというと、必ずしもそうではないと思います。ただ結局「こうあるべきだ」という基準が言語化されずとも自分の中にあるわけです。ずっと物語を書いてきて「これがこの物語のラストになるんだ」という納得感――自分の中で腑に落ちた感じで書けることがすごく大事で、そういう身体レベルの納得感があると、やはりそれを演じる人にも伝えることができる気がします。そうすると、今度は演じる人も「これはこういうものなのだ」と確信をもって演技をしてくれて、その確信に満ちた演技を見ると「やはりこういうことなのかな」と観客もまた納得ができるのでは……と思っています。(そのラストが)起きたこととして、そこから「じゃあ、なんでそういうことになったのか考えよう」という、書いているときの感覚は、観客の視点とすごく近いと思いますね。――最後に映画業界で働くことを志している人に向けて、メッセージをお願いします。大事なことは二つで、まず「イヤなことは無理にやらない」ということですね。いまの若い人の感覚で「なんかこの映画の現場、おかしいんじゃないか?」、「こういう働かせられ方は変じゃないか?」と感じたら、その感覚は正しいです。そんなところにいる必要はありません。その感覚を大事にして成長してほしいし「何かがおかしい」と思うことに無理に自分を合わせないことはとても大事だと思います。とはいえ、イヤなことから遠ざかるだけでは成長できないのは確かなので、何かしら勉強を続けることが大事だと思います。現場から離れた時期も自分がやっていたことは、「映画を観る」ってことですね。現場の経験があると、「これはこう撮っているのかな」とか「こう撮れるのはすごいことだ」という感覚もより繊細なものになっていきます。映画館に行くのがベストですが、最近では配信サービスも充実して、低コストでたくさんの作品を観ることができる。これはやっぱりすごいことです。現場に行くと、やっぱり映画を観るって大事なことだなというのはスタッフやキャストとのコミュニケーションでもすごく感じます。「勉強する」というと堅苦しいですが、でも勉強して自分の感覚が変わっていくのを感じるって楽しいことなんですよ。そういう楽しみを自分から手離さなければ、イヤなことを拒みながらでも意外と生きていけると思います。保証はできませんが(笑)、自分の人生を振り返るとそういうことなんじゃないかと思います。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:悪は存在しない 2024年4月26日よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか全国にて公開© 2023 NEOPA / Fictive
2024年04月26日【音楽通信】第156回目に登場するのは「黒夢」「sads」でも人気を博し、ソロとしても大活躍中で今年デビュー30周年を迎えた、ロック界のカリスマ、清春さん!テレビの歌番組で沢田研二さんら歌手に見入る【音楽通信】vol.1561994年にロックバンド「黒夢」のボーカリストとしてメジャーデビューし、そのオリジナリティあふれるパフォーマンスとメッセージ性の強い楽曲で人気を獲得した、清春さん。1999年には「sads」を結成。翌年にはドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の主題歌「忘却の空」が大ヒットし、同曲を収録したアルバム『BABYLON』はオリコン1位を記録するなど大いに話題を呼びました。2003年には、DVDシングル「オーロラ」で清春としてソロデビュー。多くのアーティストからリスペクトを受け続けるなか、デビュー30周年を迎えた清春さんが、2024年3月20日にニューアルバム『ETERNAL』をリリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――1994年にメジャーデビューしてから、今年デビュー30周年というアニバーサリーイヤーを迎えられましたね。30周年になりました。先日、アパレルブランドを独立してずっとやっている同世代の友人たちとご飯を食べていたら、「すごいっすよ!」と言われましたね。音楽的なことではなく、僕の美学的なスタンスをほめてくれて。大きい事務所に所属せず、ずっと個人オフィスを設けて活動している体制のなかで、30年間、音楽を続けてこられていることが本当にすごいと言われ、気分がよくなって帰ってきました(笑)。――確かにすごいことですよね。そんな清春さんが、まだ小さい頃や学生時代などに音楽にふれた思い出やきっかけはなんだったのですか?テレビの歌番組をよく観ていましたね。『ザ・ベストテン』(TBS系 1978年~1989年)や『ザ・トップテン』(日本テレビ系 1981年~1986年)というチャート式の歌番組があったんです。さらにいろいろな人が登場する『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系 1968年~1990年)も観ていて、僕の世代でいうと、沢田研二さん、西城秀樹さんに見入っていました。もう少し後の時代になるとバンドも出てくるんですが、その当時はまだ歌手の方が主流でしたね。男性歌手もメイクをしていましたし、髪が長くて、衣装も派手という姿を当たり前に受け入れていて。そういった姿も、僕らの世代からしたら違和感はありませんでした。沢田さんや西城さんは、自分が好きな洋楽アーティストをオマージュしてそういったメイクや衣装でやっていたのかもしれませんが、子どもの頃の僕らからすると、スターだからなんだと思っていて。以降は、少しずつ音楽シーンにバンドが出てきて、僕もバンドサウンドを聴くようになっていきました。――では、ご自身で音楽をやろうと思われたのはいつぐらいからに?僕は実家が岐阜県で田舎すぎたので、自分で音楽をやろうだなんてまず思わなくて。でも、高校生のときに社会見学や修学旅行などに行くバスのなかでカラオケをすることになって偶然歌うことになって、まわりからも「歌うまいじゃん!」と。友人から「バンドをやりたいからボーカルやってよ」と言われて、そのときはまだ興味がなかったんですが引き受けて、そこからロックとはなんだろうと勉強していきました。火がついたのは遅かったんです。新作は「ちょっと海外旅行をしているイメージ」――2024年3月20日に4年ぶりのニューアルバム『ETERNAL』をリリースされました。今作は清春さんの新しい姿を見せて聴かせてくださっている印象です。前作のアルバムを出したときは、ツアーでライブを2、3本やったらコロナ禍になって全公演が中止になったので、以降ずっとストリーミングライブを続けていて、そのなかで歌った新曲を集めたアルバムでもあります。そのストリーミングライブでは、まわりがライブハウスを使って配信していたように、僕らもそうしていました。だけど通常のお店も使うようになってくると、ドラムがそぐわなかったり、楽器が制限される場所があったりすることも。あと10年前ぐらいから、ロック的なものに惹かれなくなっていたところもありました。練習スタジオに行くと、バンドはギターアンプとベースアンプとドラムセットが置いてあるのが普通ですが、さんざんバンド活動をやってきたこともあって、いまのソロとしての僕はとっくにバンドではないし、必ずしもその形でやっていく必要はないんじゃないかなと思い始めてきて。そんなことを考えているうちに、今回のアルバムで使っているパーカッションやサックス、チェロといった、よりテクニックを要する楽器を演奏する人たちと知り合いました。その人たちと一緒に歌ってみたら、自分の歌が違ったように聴こえたんです。たとえるなら、ちょっと海外旅行をしているイメージ。現実にはずっと日本にいたんですが、ロックバンドとして音楽を始めた僕が違うテイストを味わうように、今回は海外に行って何年か暮らしていいよ、と言われているイメージの作品になりました。前作はわりとバンドらしい編成だったので、今作では変化を感じられるはずです。――アルバムタイトルの「ETERNAL」には、どのような思いが込められているのでしょうか。簡単に、僕らは永遠だよ、ということではなく。肉体が滅びたら、精神も滅びて、いずれ面影になって風化されるけれど、「この瞬間だけは永遠です」と言いたくて。この歌を聴いている瞬間、ライブをしている瞬間、みなさんが生きている瞬間。明日もあさっても1か月後も1年後も、本当に必ず来るかはわからない、だからこそ、いま意識のあるこの瞬間は永遠なんだよというアルバムです。いま55歳で、30年、音楽活動をやっているけど、あと何年ぐらいできるのかな?と終わり方を考えることも。歌の部分やステージでの振る舞いが、自分でイメージしているものと微妙にずれてきていると感じるときもあるんですよね。ステージに立っている自分と、あとで映像で観たときのイメージが一致していた時期もあったんですが、最近はたまにずれるときもあるなと。ただ、いまはまだ「ここいいじゃん!」と思える瞬間がたまにあって、映像で観てもそれを「永遠だな」と感じます。――その瞬間ごとの積み重ねが、生きるということでもありますよね。そうですね。知人にALSという難病と闘っている武藤将胤くんがいたり、前のアルバムではやまなみ工房という施設の知的障がい者のアーティストの方たちが描いたアートをジャケットにしたり、最近は震災のあった能登半島に支援に行ったり。音楽を作るにあたって、元気な人や健康な人、自由な人たちだけに刺さるのって、よくないと思ったんです。僕は元気なほうですが、明日がないかもしれない人もいるし、家がなくなってしまった人もいるから、いまこの瞬間を大事にしたい。それでいいんじゃないかと思うんですよね。約束もないし、期待もない。いろいろな人が僕のファンでいてくれて曲を聴いてくれているなかで、若い頃は恋愛の歌を書くだけでもよかったのかもしれませんが、いまはそう思う自分もいて。とくに落ち着いたとか、大人になったわけでもなくて、ただ状況が変わってきたという感じですね。自分の生きている状況やスペックに合わせて曲や歌詞を書くようになって、音もより肉感的といいますか、“生きている感じ”が出ればいいなと。アルバムでも、パーカッションがあることで躍動感が出せたりするのはよかったなと思っています。――収録曲の「霧」は、ダウンタウンさんのバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』(TBS系 毎週水曜日午後10時)で2週にわたってクローズアップされました。ロックリスナーの方以外の一般層の方からも、反響が大きかったのではないですか。番組で取り上げられるのは3度目なんですよね。これまで取り上げていただいたときは、あっさりとした内容だったんです。それが3回目では長くなっていて。普段はたまに僕がテレビに出ることがあっても、まわりからとくに連絡が来ることはないんですが、今回はしばらく連絡がなかった人も連絡をくれたり、親からも連絡がありました(笑)。「なんで2週もやるのか?」と聞かれて、「知らないけど」って(笑)。――わが家でも家族で『水曜日のダウンタウン』を観ていましたし、家族でカラオケに行ったときに娘と一緒に「霧」を歌いました(笑)。そうやって思いがけないところで、子どもたち世代にも清春さんの歌が届くこともあるなと。そうですね。僕のことを知り得ない世代の人も、番組のおかげで当たり前のように「清春」と言ってくれている方がいるのはよかったです。まぁ番組で今回のような取り上げられ方をしても、何をされても、もうそんなに揺るがないというか。ツアーもそうですが、土台がきちんとしていないと、周年もないですし、その出来事のなかのひとつですね。長くやってきてよかったです。僕に興味を持ってくれた方も、ライブに来てくれたら、また違う印象を持たれることもあると思います。―今年の3月から2025年9月まで、1年間を通して60本もの「清春 debut 30th anniversary year TOUR 天使ノ詩 NEVER END EXTRA」を開催されています。オーストラリアでもツアーをまわられて、さらにはsads、黒夢としてのライブも行うそうですね。今年は30周年なので、僕が今までやってきたことを網羅できるようなツアーになっています。sadsと黒夢としてのライブもわずかにやるんですが、それ以外の部分でも、ファンと僕の間での思い出の場所となっている「この会場でライブをした」というデビューライブの場所だったり、長い時間のなかで思い入れのある場所へ再度行ったり。30年だからできるツアーになっていますね。「長年崇めてくれてありがとう」という気持ち――最後に、今後の抱負をお聞かせください。あまり抱負というものはないのですが、毎年、僕らがやることは一緒なんです。アルバムの話のときに、「ETERNAL」が何をさしているかを話しましたが、なんとなく自分のなかで決めたゴールから逆算して活動しているところがあると思います。それはファンの人たちとも共有していて。つまり僕と一緒に年を重ねていて、それがご自身の人生になっている。その人たちと、これからまたどういう旅をしていこうかなと。もちろんみなさんと一緒に住んでいるわけでもなく、ライブ会場で会うだけなんですが、いまはインターネットもあってつながりやすい時代。昔はライブしか接点がなかったのがよかったものの、いまはアーティスト側のことがわかりすぎる時代ですよね。昔はファンの気持ちを知るには、手紙しかなかったですから。ライブではアンケート用紙があって。音楽雑誌でも、おたよりコーナーとかあったじゃないですか?――ありましたね。私も音楽雑誌の編集者をしていたことがあるので、よくわかります。“清春さんが好きな人と文通をしたいです”みたいなね。そういった超アナログの時代にデビューして、30年経って、なんでも便利な時代になって。だけどファンの人たちと一緒に旅をするうえで、時代は変わっても、メインのところは何も変わらずに終われるんじゃないかなと思っています。僕らの世代のミュージシャンだと、同世代はたとえばHYDEくんとかもそうだと思いますが、ファンの人たちと絶対的にいい距離感がありますからね。崇めてくれるといいますか。最終的には、「長年そんなに崇めてくれてありがとうね」というような終わり方に向かえる気がしていて。だから、今後さらに何をするという明確な展望はないですが、またライブをやったり、アルバムを出したり、やれることをより素敵な方法で残していけたらいいなと思っています。取材後記デビュー30周年を迎えた清春さんがananwebに登場。「黒夢」「sads」、ソロ活動とその時代ごとに異彩を放つ清春さんは、今作でさらにエモーショナルに進化を遂げた音楽を聴かせてくれています。ツアー中のお忙しいなか、柔らかい物腰で、ひとつずつ丁寧にインタビューに応えてくださいました。そんな清春さんのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!取材、文・かわむらあみり写真・森好弘、石井麻木清春PROFILE1968年10月30日、岐阜県生まれ。A型。1994年、「黒夢」としてメジャーデビュー。独創性あふれるパフォーマンスとメッセージ性の強い楽曲で人気を博すなか、4年間で突然の無期限活動休止を発表。1999年、「sads」を結成。2000年、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)の主題歌となった「忘却の空」が大ヒットし、同曲を収録したアルバム『BABYLON』はオリコン1位を記録した。2003年、DVDシングル「オーロラ」で清春としてデビュー。2004年、「DAVID BOWIE A REALITY TOUR」大阪公演にオープニングアクトとして出演。2020年、自叙伝『清春』発売。2024年3月20日、ニューアルバム『ETERNAL』をリリース。InformationNew Release『ETERNAL』(収録曲)Disc-1(CD)01. Carnival of spirits02. SAINT03. RUTH04. ETERNAL05. 霧06. SWORD07. ロープ08. Interlude by DURAN09. 砂ノ河10. Interlude by タブゾンビ(SOIL&“PIMP”SESSIONS)&栗原健11. DESERT12. FRAGILE13. Interlude by 栗原健14. 狂おしい時を越えて15. sis16. 鼓動17. ETERNAL (reprise)2024年3月20日発売※収録曲は全形態共通。(通常盤)YCCW-10424(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)YCCW-10423/B(CD+Blu-ray)¥8,250(税込)*スリーブケース仕様。Disc-2(Blu-ray)「SAINT」Music Video、「ETERNAL」Music Video、「SAINT」Music Video Making Movie、『The Birthday』@恵比寿ガーデンホール (2022.10.30) 赤の永遠/アモーレ/グレージュ/悲歌/アロン/美学『下劣』@Zepp Shinjuku (2023.04.26) 少年/アモーレ/ガイア/妖艶/MARIA取材、文・かわむらあみり 写真・森好弘、石井麻木
2024年04月23日「Dining around Noto」「料理人としてできることはないか」と立ち上がった、能登地域のシェフ4名をゲストに迎えた6名のシェフたちによるコラボレーションディナー「Dining around Noto」。会場となった【Social Kitchen TORANOMON】には、その想いに賛同する多くの人々が集まっていました。この日の会場は虎ノ門ヒルズ ガーデンハウス1F、【Social Kitchen TORANOMON】実はこちらのイベントは、能登半島地震があった日の翌日に【Auberge"eaufeu"】の糸井章太シェフから【unis】の薬師神陸シェフへ「何かできることはないだろうか」と連絡があったことがきっかけとなったのだそう。元々お2人は料理学校での先生と生徒という間柄で、その信頼関係や密なコミュニケーションが、今回の発信力のあるイベントに繋がったご様子です。また、集まったシェフたちはみな“同世代”とのこと。日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」を機に繋がった人たちが多いそうで、まさに、これからの食シーンを牽引していく存在の方々。熱い想いを持って集まった同志としての団結力や、北陸の未来へ向かっていくパワーが、場内に溢れていました。ゲストとシェフが一体となる、臨場感たっぷりの空間食を通し、未来へ繋げる、シェフたちの想い最初のアミューズは、6名のシェフによるフレンチ、イタリアン、洋食、和食の多様なコラボレーションプレート6名のシェフそれぞれの、今回のイベントにおいて考えていらっしゃった“想い”や、これからの未来へ向けての“メッセージ”を頂きました。当日イベント会場で、参加者の目の前で作られた北陸の食材を活かしたお料理とともにご紹介いたします。【Auberge"eaufeu"】糸井 章太シェフ1992年京都府生まれ。調理師専門学校を卒業後、フランスに留学。アルザスの3つ星レストラン【オーベルジュ・ド・リル】で研修を受け、帰国。【メゾン・ド・ジル 芦屋】、ブルゴーニュの1つ星【レストラン・グルーズ】を経て、2017年に帰国。2018年若手料理人コンテスト「RED U-35」にてグランプリ(RED EGG)を大会初の20代で受賞。2019年、経済誌Forbes Asia主催「30under30 Asia 2019」受賞。2022年、アメリカ・カリフォルニア州の3つ星レストラン【マンレサ】、【フレンチランドリー】で研修。2022年7月【Auberge"eaufeu"】シェフに就任。『能登猪のタコス』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。今回の企画は僕が陸さんに何か能登の応援ができる事をしたい! とお声掛けした事から始まりました。今回のイベントをきっかけに能登、石川の料理人や人々の事を知ってもらい、未来につながるキッカケになればと思っています。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。今回のイベントでゲストに僕から何かを伝えたいというより、ゲストの人達に能登、石川の料理人達の事をもっと知って欲しい。料理を通して、人々、風土、ポテンシャルを感じで欲しい。それが、復興そしてその先の架け橋になると信じています。【Villa della pace】平田 明珠シェフ1986年東京都生まれ。大学卒業後に料理の道へ進む。都内のイタリア料理店勤務の後、食材を探しに訪れた能登半島に惹かれ、2016年に七尾市に移住、レストラン【Villa della Pace】をオープン。2022年、七尾市中島町の塩津海水浴場跡地へと移転、宿泊施設を併設したオーベルジュへとしてリニューアル。ミシュランガイド北陸2021特別版において、一つ星、ミシュラングリーンスターを獲得。「RED U-35」2017 SILVER EGG , 2018 BRONZE EGG『菜の花のパスタ』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。地震から3ヶ月(イベント開催時)が経ち、まだまだ大変な状況が続いてはいますが復旧が進んでいる地域や事業を再開させたり新しい取り組みを行っている人達もいます。料理を通して再び能登へ来てもらったり、これまで能登に来たことのない方たちにも足を運んでもらうきっかけを作りたいと思っています。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。まず感じてほしいのは能登という土地が持つポテンシャルの高さ。豊富な食材や人と自然が共生する土地の美しさを知ってほしいです。しかし年々人口は減り、その中で今回の震災が起きました。地震の前に戻すというよりも、以前よりもより良い地域にならないと美しい景観は守れません。土地に根差した料理人としてこれからも活動していきますので、長い目で見て応援して頂ければ幸いです。【Restaurant Blossom】黒川 恭平シェフ1988年石川県生まれ。専門学校卒業後、京都のフレンチ懐石や、フランスの星付きレストラン、大阪【ラ・シーム】で腕を磨く。北陸新幹線開通を機に、七尾市にある両親が営む【レストランブロッサム】を受け継ぐべく帰郷しシェフを務める。「RED U-35」 2023 GOLD EGG , 2019 BRONZE EGG , 2018 SILVER EGG『能登の恵みハンバーグ』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。まずは薬師神シェフと井口シェフが石川・能登の支援のため、このイベントを企画してくださった事に感謝しています。私の住む地域では、まだ飲める水が使えません。そんな中で、今回は、自由に料理ができる環境で、素晴らしい料理人の皆さんと共に料理が出来る事は本当に嬉しく思います。精一杯楽しみたいと思います!-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。コンセプトは「能登というダイニングテーブルをみんなで囲む事」。各参加者が持つ体験や感情は1人1人違う中で、お互いに支え合いながら前を向いて進んでいます。そんな私たちの想いをこのイベントでお伝えできればと思っています。【一本杉川嶋】川嶋 亨さん1984年石川県七尾市生まれ。短大で経営学を修了後、調理師専門学校を経て、大阪で修業を開始し、全国屈指の名割烹と知られた京都【桜田】など関西の名店を渡り歩き腕を磨く。料理コンテスト「食の都・大阪グランプリ」で総合優勝、2018年に若手料理人コンテスト「RED U-35」でファイナリストに選ばれ、ゴールドエッグを獲得。和倉温泉の旅館で料理長を歴任し、2020年、能登食材の魅力を伝えるべく【一本杉川嶋】を開業。「RED U-35」 2018 GOLD EGG『甘鯛真丈 新若布 木の芽』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。震災後、困っている人を料理で助けたい元気づけたい一心、無我夢中でずっと炊き出し配食を行っておりました。今回素晴らしい環境のもと、久々に日本料理を作ることが出来ること、仲間と共に料理を作れること、たくさんのお客様にお越し頂けることが凄く楽しみです。たくさんの笑顔が溢れる素晴らしいイベントになれば嬉しいなと思ってます。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。発災から3ヶ月が経ち、ニュースで取り上げられる回数はかなり減りました。ニュースで水が出ました、電車が復旧しました、お店が再開しましたと報道され、能登や七尾はもう再建していっていると間違った認識をされているのではないかといつも不安になります。もちろん復旧し再スタートしているところもあります。しかし現実はまだまだ何も変わっていないのです。瓦礫がどかされブルーシートしてあるだけです。私の自宅もお店も水は断水しております。お店の再開の目処はたっておりません。私が拠点としている七尾市と奥能登では全く状況は違いますし、同じ七尾市内でも状況は違います。お店を再開され今回一緒にイベントを行う平田シェフ、黒川シェフのお店には是非お越し頂き応援して頂きたいですし、どんどん経済を回して頂きたいです。と同時にまだまだ被災している人がいること、再建復興には10年20年それ以上まだまだ時間がかかることを知って頂きたいです。能登が震災にあったことを忘れてほしくはないです。もちろん被災されている方々はこのままでいいとは思っていないし、笑顔の奥には心が傷付いており本当は苦しい想いをされている方々がほとんどだと思います。みなさん必死に耐えているのです。だからこそ僕たち料理人の役割は大きいと思ってます。食は人を笑顔にし明日への生きる活力となるものだと思ってます。これからも茨の道が待ち受けていると思いますが、諦めず前だけ向いて一歩ずつ歩んでいきたいと思います。諦めなければ必ず能登は復興出来ると信じています。そのためには皆様のご支援やご声援がこれからもとても大切です。これからも能登の応援を何卒宜しくお願い致します。【TOUMIN】井口 和哉シェフ1988年兵庫県生まれ。大阪の調理師専門学校卒業。【タテルヨシノ銀座】、【ル・コントワール・ド・ブノワ】、【ミッシェル・ブラストーヤジャポン】で修行を積む。その後、【ビストラン エレネスク】のシェフとなる。2019年にコスメブランドTHREEが運営する野菜がご褒美となる料理を展開する【REVIVE KITCHEN AOYAMA】のシェフに就任。野菜を中心としたクリエイションを届けている。2023年10月に東京・西麻布【TOUMIN】をオープン。「RED U-35」で2016 SILVER EGG , 2017 SILVER EGG『白海老のフリットと川端蓮根』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。薬師神シェフから石川県のシェフたちと未来に繋がるイベントをしよう! と声をかけてもらい参加させていただきました。今回使わせていただいた石川県の食材はどれも本当に美味しく、また生産者さんも出来ることがあるならなんでもやりたいです! と皆さんエネルギッシュな方ばかりでした。そんな想いのこもった食材やお酒を楽しんでいただき今回のイベントをきっかけに石川県に足を運んでいただけるよう、また今回限りでなく継続して魅力を伝えていけるようにこれからも連携しあっていきたいです。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。石川県のシェフや生産者さんと連携を取り合うなかでまだまだ万全な状態で料理するには程遠いと改めて実感し、ふとコロナ禍を思い出しました。当時働いていたお店は半年近く通常営業ができず料理人としては早く全力で料理がしたいと強く思っていて、なので今回はシェフの皆さまと思い切り料理する瞬間をゲストの方々と一緒にテーブルを囲み、料理を通して石川県の魅力・エネルギーを楽しんでいただきたいです。【unis】/Social Kitchen ディレクター薬師神 陸シェフ1988年愛媛県生まれ。2008年辻調理師専門学校を卒業。同校フランス料理講師としてスタートし、教育指導・テレビ料理監修・雑誌制作などにも携わる。その後、2014年予約困難なレストラン【SUGALABO】の立ち上げからシェフとして国内外を飛び回り、日本の素晴らしい食にまつわるコンテンツをシェアするため料理を振る舞う。2020年12月より虎ノ門ヒルズ【unis】シェフ、2021年1月より「Social Kitchen TORANOMON」ディレクターとして活動。日本で唯一のカリナリープロデューサーという肩書きで“食のリテラシーを磨く”をコンセプトに、新しい料理人の在り方や企業・社会とのレシピ・商品開発にも意欲的に取り組み、新たな食体験の提案を続ける。「RED U-35」 2015 SILVER EGG , 2017 GOLD EGG『ころ柿と焙じ茶のグラス福みりんのメレンゲ』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。「復興」「チャリティー」というニュアンスではなく、「新しく生まれ変わる」ための築きになればと思い、今回東京・虎ノ門という場所で多くの方が集まりやすく、今後につながる出会いになればと思い企画しました。当初の見込みの倍の人数のご予約を頂戴し、お客様皆さんの「何かしたい」というメッセージを受け止め、お料理を通じて還元していきたいです。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。まだ能登の一部の地域では、全く手付かずで自衛隊やボランティアも撤退するような状況もあります。そんな中、いつも炊き出しを率先している七尾のシェフ達が、「いつも通りに料理ができる環境」をやはり作りたく、料理を通じて感じていただける事を大切にしたい。シェフ1人1人のストーリーを感じてもらいたいと思っております。未来への想いを込めて本イベントが行われたのは、一夜限り。ですが、今回限りで終わらせることなくこれからも継続的な繋がりを考えていらっしゃること、そしていつかは能登でも「Dining around Noto」が開催できれば、との話が出ていました。シェフそれぞれのお話を伺っても、この日だけではなく“北陸の未来”を見据えていらっしゃるご様子がとても印象的。今後も益々目の離せない6名のシェフとお店、そして“北陸の未来”に、日々思いを巡らせずにはいられないでしょう。「Dining around Noto」に集まった、料理人の皆さまVilladellaPace【エリア】七尾周辺【ジャンル】オーベルジュ【ランチ平均予算】15000円【ディナー平均予算】30000円Auberge “eaufeu”【エリア】小松市【ジャンル】オーベルジュ【ランチ平均予算】20,000円 ~ 29,999円【ディナー平均予算】30,000円 ~unis【エリア】虎ノ門【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】40000円【アクセス】虎ノ門ヒルズ駅 徒歩2分TOUMIN【エリア】西麻布【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】35000円【アクセス】乃木坂駅 徒歩10分
2024年04月22日【音楽通信】第155回目に登場するのは、音楽活動でも俳優活動でも、デビューから約30年の間ずっと第一線で活躍し続けている、及川光博さん!子どもの頃から振り付けしてステージに立っていた【音楽通信】vol.155ミュージシャンとしても、俳優としても、第一線で活躍し続けている、及川光博さん。1996年にアーティストとしてデビューして以降、そのキラキラとした存在感と王子様のような佇まいから、「ミッチー」という愛称とともに人気を博してきました。毎年のアルバムリリースや全国ツアー、さらに1998年には俳優活動をスタート。ドラマや映画などでもその姿を見ない日はないほど、ひっぱりだこなのは周知の通りです。そんな及川さんが、2024年4月24日に20作目となるアルバム『DON’T THINK,POP!!』をリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――幼少時は、どのような音楽環境でいらっしゃいましたか。子どもの頃は、アニメや戦隊ヒーローの主題歌を夢中で歌っていましたね。原体験としては、商店街の夏祭りのステージを覚えています。のど自慢大会のような催しがあって、そのステージで子どもながらに、バックダンサーを従えて歌っていました。5、6歳のときから、近所の子どもたちに振り付けをレクチャーしていたんです。――すでにエンターテイナーとしての才能が垣間見えていたんですね。ほめられるのがうれしくて。学芸会でも主役を演じましたね。小学校も高学年になると、『ザ・ベストテン』(TBS系 1978〜1989年)に代表される歌番組を当時はよく観ていて、沢田研二さん、郷ひろみさん、田原俊彦さんといった歌手の方が歌って踊る姿に夢中になりましたから。そして中学からは洋楽が大好きになって、マイケル・ジャクソンやプリンス、ロックバンドの洋楽を聴くようになって、いよいよ自分でもバンド活動を始めました。さらに、中学のときは演劇部だったこともあって、毎年学園祭のステージに立つようになりました。演劇部は高校でも入っていて、大学時代は俳優養成所に通いつつ、バンドざんまいの日々。ライブハウスで歌い小さな舞台にも出演していました。いま54歳なんですが、ほぼ40年間、音楽とお芝居をやっています。――どちらかのジャンルに偏ることなく、当初から表現すること、エンターテインメントがお好きだったのですね。そうです。音楽もお芝居もひっくるめたエンターテインメントをずっと愛し続けています。――1996年5月にシングル「モラリティー」でアーティストとしてデビューされ、1998年4月にはドラマ『WITH LOVE』で俳優活動も開始されました。デビューのきっかけは、アーティストでも役者でも、どちらでもよかったんですよね、いま思えば。チャンスをいただけて、本当にありがたかったです。駆け出しの頃は、よくも悪くも目立つことを意識していましたし、ナルシスティックな、キャラクター性を前面に打ち出すプロデュースをしていました。それで「王子様」のイメージで認知されて、ステージではバラの花を投げたりくわえたり、少女マンガ的な演出をしていましたね。――ではご自身で曲を作りたい、歌いたいと思われて、音楽制作を始めたのはいつ頃に?高校時代から、曲は自分でギターを弾きながら作っていました。80年代後半はバンドブームだったし、ミュージシャンに憧れました。ですが、高校生の頃は洋楽のダンスミュージックを演奏できるほどの技術はなかったんです。大学に入ってからは、ファンクやソウルといった演奏技術を必要とする音楽に目覚めていって。ちょっと自慢になっちゃうんですが、アマチュアバンドコンテストで優勝したこともあって。そんな成功経験も含めて、どんどんプロデビューを意識するようになりました。――アーティストとしても毎年リリースとツアーを欠かさず、俳優としても毎年連続ドラマにご出演されて、歌もお芝居も第一線で続けていらっしゃるのはすごいことですね。本当ですか?まあ、福山雅治さんか僕ぐらいじゃないかな……冗談ですよ(笑)!? どちらも自分の中で当たり前のことになっていますね。肩書きはどうであれ、二足のわらじこそ、私の職業という意識で続けています。――俳優業では、とくに『相棒 Season8』の2代目相棒・神戸尊役や、近年は『半沢直樹』の渡真利忍役といった大ヒットドラマが強く印象に残っている方も多そうです。ありがとうございます。ただ、たとえば『半沢直樹』にしても、最初から大ヒットドラマになるなんて想像もせず参加した作品。その都度、チャンスをいただいたら、欲張らずにコツコツと続けて、信頼と実績を重ねていくだけなんです。どんな仕事でも真摯に向き合っていれば、おのずと結果は出ますし、それが未来につながっていくのだと思っています。――俳優業でいえば、ヴィム・ヴェンダース製作総指揮による及川さんの初主演映画『クローンは故郷をめざす』(2009年公開)も印象深いです。文学的な作品ですよね。監督に熱烈にオファーされて出演したのですが、SFでありながら哲学的な物語でもあり。大変な撮影でしたけども、初主演作で初めて国際映画祭にお呼ばれもして(2006年度のサンダンス・NHK国際映像作家賞も受賞)、僕も印象深いです。新作は「何も考えずに楽しめるポップな作品」――2024年4月24日にアルバム『DON’T THINK,POP!!』をリリースされます。ご多忙のなか、いつごろから制作されていたのですか。アルバムは、昨年の9月頃から約半年の制作期間で作りました。とはいえ制作中も、ドラマ出演や映画の撮影をしていましたから、相当働いていると自負しています(笑)。昨年はアルバムをリリースしなかったので、そろそろ作らねばと。今回は、何も考えずに楽しめるポップな作品にしたいと思いました。やっぱりビート自体が楽しいものですし、ファンクや歌謡曲などいろいろなサウンドがありますが、音楽って本当に楽しい。20枚目のアルバムですが、まだまだ飽きないんですよね。あらためて、デビューできてよかったです。――とてもバイタリティにあふれていらっしゃって、ご多忙でも疲れることはないですか?疲れますよ(笑)。精魂込めて楽曲を作るために長時間集中しますし、レコーディングで歌い続ける体力も気力も限界はある。当然疲れるんですが、創作の高揚感と達成感のほうが大事。生きててよかったと思えるんです。完成した喜びは、かけがえのないもの。たとえば、中学や高校だったら3年で卒業という区切りがありますが、アルバム制作だとそれを作品ごとに味わえるといいますか。このアルバムを主軸としたツアーもあるので、毎年、毎作品ごとに思い出を心に刻んでいけるのが、僕の人生のいいところです。本当にファンの方やまわりのスタッフがいてこそ成立することなのですが、アルバムを出してツアーができるという、生きた証しを毎年発表できることがすごくうれしいですね。――このアルバムのタイトル『DON’T THINK,POP!!』は、一番表現したいことになりますか。そうです。なんか考え込んで内省的になったとて、未来はあまりいい方向に変わらないなと。僕はパリピじゃないので「DON’T THINK」といっても、感覚を研ぎ澄ませようよ、というニュアンスが大きいんです。そしてポップス主体のアルバムなので、弾けようという、ダブルミーニングですね。――アルバムのリード曲「Amazing Love」は、キャッチーでファンクで軽快な楽曲で、大人の恋心を歌っています。どのようなことを意識して歌詞を書かれましたか。これはネガティブからの逆ギレですね。Aメロの歌詞に書いている「もう人間やめたい」という心境から、いかに人生を謳歌するかという歌。恋愛に引っかけて書いていますけれども、自分で何か崇拝の対象、救いとなるものを見つけることが大切だというメッセージも込めていたり、込めていなかったり(笑)。世の中に“推し活”という言葉がありますが、推しの存在が生きる原動力になったり、辛いときの支えになったりしますよね。自分にとっての救いとなることを見つけようと、歌詞にも「救世主 Baby」と書いたのですが、それは世界を救う主ではなく、一人ひとりの毎日の救いのことを歌っています。救いがないと頑張れないじゃないですか。生きづらい世の中で、希望の光を見失わないようにという思いを込めて作りました。――「Amazing Love」では、ご自身初のアニメーションを駆使したミュージックビデオも制作されていますね。そう。“ミッチー”という概念でイラストを描いてもらいまして。3次元の2次元化が初めてなので、すべてお任せで作っていただきました。ツアーグッズにも展開しようと思っているので、ベイベーたち(ファンのみなさんたち)の反響も楽しみですね。――作詞と作曲を手がけていらっしゃる3曲目「敏感・センシビリティー」は小気味いいサウンドで若い世代への応援歌の側面も感じられます。ビートに言葉を乗せるため、英語に聴こえる日本語をちりばめた歌詞になっています。サウンドは、ブラスセクションとリズムセクションが主役。ストレートなファンクですね。サビの歌詞にある「悔やむよりも先に飛べ!」ということをもっとも伝えたい。限られた時間の中で、どう生きたって後悔は残るけど、それでも後悔しないようにいまを生きるべしというメッセージです。――続く4曲目「デジャヴと紫陽花」は、爽やかさとムーディさも感じます。シティポップの要素も入れて、叙情的でポエトリーな1曲になりました。――5曲目「恋の嵐」は恋が始まりそうなワクワク感と勢いのある、ポップで明るい楽曲です。これはアニソンを意識して作った楽曲で、たとえば女子アイドルグループとコラボできないかなとぼんやり考えながら作りました。さらに昭和の歌謡曲に対するリスペクトの思いもところどころに込めつつ。――メロディがどことなく懐かしい感じがしました。そうでしょう?どことなく松田聖子ちゃんぽい感じも入れていて。――6曲目「みず色ワンピース」は、歌詞に「ミッチーのワンマンショーに行くんでしょう?」と、パートナーがミッチーファンで、ジェラシーがありつつも包容力がある男として送り出すという視点の歌詞が面白いです。自分でも歌詞を書いていてニヤニヤしていたと思います(笑)。僕、歌詞を書くときはだいたい手書きで情景をイメージしながら書くので、この曲もニヤけていたかなと。僕のショーに参加するベイベーたちの彼氏の気持ちを初めて書いてみました。なぜかその気持ちを“ミッチー”が歌っているというパラドックス(笑)。僕の歌詞って、1曲まるまる聴かないと、ストーリー展開が読めないものが多いですね。――すべての楽曲において及川さんが作詞されていますし、楽曲作りもされることもありますが、そもそもどのように曲を仕上げているのですか。まずサビのメロディと歌詞を思いつくことが多いですね。お風呂でシャンプーしているときに思いついたりして(笑)、そこからストーリーを展開していく。そんな書き方ですね。ボイスレコーダーに歌って吹き込むとか、そんなハイテクなことはせず、浮かんだメロディや歌詞はギターを弾きながら、ノートやルーズリーフなどに手書きしていくんですよ。――インスピレーションがふっと降りてくるんですね。うん。でも、締め切りがなかったらいつまでもできないかな(笑)。あとは毎日を生きていて感じたことや見た景色、それからよくも悪くもメディアで気になったニュースがミックスされていく。歌詞はなるべくポジティブなワードに変換して、アウトプットするという感覚です。――7曲目「Dream Maker」はアッパーなロックサウンドです。ハードロックに乗せて、男のバカバカしいほどの情熱を歌っています。主人公がダイエットしたり、髪型を変えたり……なんとか女子のハートを射止めようとする恋心ですね。説明するほどの曲じゃないです(笑)。――ははは(笑)。8曲目「神サマお願い」はストレートに平和を歌っていらっしゃいますね。1曲ぐらいはしっかりと伝えようと。いつも人を笑顔にしたくて、歌って踊っているんですけども、この曲は珍しく怒りや嘆きを表現していますね。これはミッチーというよりも、及川光博個人の戦争やいじめに対する思い。ひねりをきかせず、まっすぐに思いを綴りました。――一変して、9曲目「フライドポテト<未来編>」はコミカルで元気になれる歌詞と楽曲です。おまけの曲ですね。気になった方は、前作『気まぐれサーカス』を聴いてみてください。その続編となっています(前作に「フライドポテト」という曲が収録)。基本はとにかく楽しんでいただきたいので、聴いて笑顔になってくれたらいいなと思って作っています。またそれをステージで表現するときは、心の充足感や開放感を感じていただけたらと全力を尽くしています。――収録曲の「Amazing Love」「Dream Maker」は、初回限定盤盤に付属するDVDとして、ダンスの振りを教える「流星光一郎」先生(及川さんが演じるダンサーキャラ)のミュージックビデオもありますね。流星先生は、1997年くらいからいるんですよ(笑)。だから、僕と同じくらいのキャリアで、ベイベーのみなさんも一緒に踊れるよう、振り付けのレクチャーをしています。流星先生は性別を超えたキャラクターで、もともとは確か『パパパパPUFFY』(テレビ朝日系 1997〜2002年)で、PUFFYのふたりに振り付けを教えるコントから生まれました。僕はソロで活動しているので、みなさんを飽きさせないように、いろいろなキャラクターを生み出しているんですよ(笑)。――ずっとアイデアがあふれて、工夫をされてきているのですね。それは俳優業においても感じることがあります。どこかで作り手側の視点を持っているので、演じている被写体ではあるんだけれども、台本を読んでどうしたらもっとこのシーンが面白くなるか、監督の要求に的確に答えられるかを考えて、工夫する。面白いですよ。逆にアーティストとしては、自分が何をやりたいか、どう表現したいかが最優先です。――表現することにおいて、音楽とお芝居の切り替えもさほど意識することはなく?音楽の表現ではわがままですし、主義主張ありきです。ドラマや映画の現場に行ったら、監督やプロデューサーの言うことをよく聞きますね。意識して切り替えるというよりも、役割。おそらく僕は、作品作り自体が好きなんです。ときどき本当に趣味なんだか仕事なんだかわからなくなる瞬間がありますね。――2024年5月3日からは「及川光博 ワンマンショーツアー2024『DON’T THINK, POP!!』」が開催されます。ツアーは毎年欠かしたことがないんです。勤勉でしょう(笑)?楽しいから続けられます。これから演出を考えていきますが、華やかな衣装を着て、よく踊りよくしゃべるステージになると思います。2024年という1年を忘れられないものにすべく、全力を尽くすのみですね。毎年ツアーをして、それがライブ映像作品にもなりますし、デビューして以来、ちゃんと生きている実感が常にあります。うれしいですね。ちなみに毎回、ワンマンショーでのテーマカラーを決めているのですが、2024年はスカイブルーです。ベイベーたちも、毎年のテーマカラーに沿ったコーディネートでおしゃれしてコンサートに来てくれるんです。みなさんもぜひ、水色コーデで遊びにきてください!アーティストとして長く続けることが目標――お話は変わりますが、お休みのときはどんなふうに過ごしていますか。友人と飲んだり食べたりするぐらいです。休みといっても、洗濯したりアニメ鑑賞したりしていると1日はあっという間に終わるので、仕事のために疲れを取るのがメインですね。もしも長期で休みが取れたら、もっと別のこともできるんでしょうけど。結局は、休みの日でもマネージャーから連絡が来ますし、休みではないと(笑)。――そのお忙しいなかでクオリティの高い作品をいつも届けていらっしゃるというのは、やはり基本的にお仕事がお好きなのですね?お好きです(笑)。生みの苦しみや撮影のハードスケジュールなどがあっても、やりきって完成してしまうと、喜びに変わるんです。――及川さんのように生き生きとエネルギッシュに毎日を過ごすために、何かアドバイスをいただけますか。とにかく笑顔を意識することですね。楽しくなくても、口角を上げる。とはいえ、作り笑顔で生きるわけではないですよ。笑顔で人と対することによって風向きは変わりますから。空気が穏やかになり、交渉もしやすくなるんです。不愉快な思いをする確率が減るので、笑顔を心がけることは大事。あとは自分の欠点を意識すると、大きなミスを生まないです。自分の欠点を意識して行動することによって、周囲に迷惑をかけないことが大事。そうすると、必然的に信頼されて、人脈も広がる。結果、生き生きと過ごせるのではないかと思います。――いつもスマートな印象の及川さんですが、健康で過ごすためにライフスタイルで気をつけていることはありますか。糖質の摂りすぎ、ですね。年を重ねるごとに健康を意識しますが、ジムに通ったりもしないので、食事に気をつけるくらいですよ。あとは本当にステージでは2時間から3時間踊っているので、そこである程度鍛えられているんだと思います。――音楽活動は2024年で29年目となり、30周年も間近です。アーティストとして、そして個人的な今後の抱負を最後に教えてください。アーティストとしては、とにかく長く続けることが目標です。これが一番の野望ですね。ずっと音楽には関わっていきたい。そして個人的には、ゆとりを持ちたいです。いつまでたっても中学生みたいなことを考えてバタバタ働いているので、年相応の大人のゆとりを身につけたいな。――どのあたりが大人じゃないんですか?それは……いつまでたっても清濁の濁を呑みこめないところでしょうか。大人なら清濁併せて呑めないといけないのに、50代になっても未熟だな、青臭いなと思います。――そこも魅力なのかもしれないですよね?そう言っていただけるとありがたいんですけども、もうちょっと大人の色気や円熟味を出したい。「渋い」って言われたいですね(笑)。取材後記涼しげな瞳でスタイリッシュな印象のある、及川光博さんがananwebに登場。取材の日はよいお天気だったものの東京に強風が吹いていた日で、ご挨拶してすぐに「風が強かったけど、大丈夫でしたか?」とお気遣いをしてくださる及川さん。なんと紳士的で素敵なミッチー!ジャンルレスにご活躍されているのは、そのお人柄も関係あるのだろうなと思いました。そんな及川さんのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!取材、文・かわむらあみり及川光博PROFILE1969年10月24日、東京都生まれ。蠍座。B型。1996年にシングル「モラリティー」でアーティストとしてデビュー。独自の音楽性とその個性が注目を集め、1998年にドラマ『WITH LOVE』で俳優活動をスタート。以後、多くのアルバムリリースや毎年全国ツアーを行うとともに、ドラマ、映画、CMなどで活躍し、現在に至る。主な出演作に、ドラマ『白い巨塔』(2004年)、『相棒』シリーズ(2009〜2012年)、『半沢直樹』(2013年・2020年)、『グランメゾン東京』(2019年)、『ドラゴン桜』(2021年)、『最愛』(2021年)、『霊媒探偵・城塚翡翠』(2022年)、『女神の教室 〜リーガル青春白書〜』(2022年)、『御手洗家、炎上する』(2023年)。映画『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』(2015年)、『七つの会議』(2019年)、『引っ越し大名!』(2019年)、『桜のような僕の恋人』(2022年)ほか。2024年4月24日、ニューアルバム『DON’T THINK, POP!!』をリリース。5月3日より全国を巡るワンマンショーツアー2024「DON’T THINK, POP!!」スタート。InformationNew Release『DON’T THINK,POP!!』(収録曲)01. DON’T THINK,POP!!02. Amazing Love03. 敏感・センシビリティー04. デジャヴと紫陽花05. 恋の嵐06. みず色ワンピース07. Dream Maker08. 神サマお願い09. フライドポテト<未来編>2024年4月24日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)VICL-65958(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)VIZL-2309(CD+DVD+Photobook)¥5,720(税込)(セブンネットショッピング限定セット)00THN-42213¥9,900(税込)※初回限定盤+特製お弁当箱「DON’T THINK, EAT!!」(セブンネット限定特典:アクリルキーホルダー)【Blu-ray収録内容】※初回限定盤のみAmazing Love[Music Video]/ Let’s DanceAmazing Love / Let’s DanceDream Maker取材、文・かわむらあみり
2024年04月18日配信プラットフォームの普及もあって、新作・旧作を問わず、スマホで映画を鑑賞することがごく当たり前の日常となった。それは善し悪しの問題ではなく、もはやスタイルである。それでも「絶対に映画館のスクリーンで観なくてはいけない映画がある――」。映画宣伝プロデューサーの岡村尚人さんは、そう言葉に力を込める。このたび、日本で初となる一挙上映が実現したセルジオ・レオーネ監督×クリント・イーストウッド主演「ドル3部作【4K】」(『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』)。その企画者であり、宣伝プロデューサーを務める岡村さんのインタビュー【後編】をお届け。36年におよぶ宣伝マンとしての歩みと共に、レオーネの映画をスクリーンで観ることの素晴らしさについて熱く語ってくれた(インタビュー【前編】はこちら)。「今重要なのは、昔の優れた作品を映画館のスクリーンで観ること」――『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』という社会現象にまでなったメガヒット作品の宣伝に携わってきた岡村さん。所属していたメイジャーの宣伝部解散に伴い、映画会社ムービーアイに移籍し、ここでもさまざまな作品の宣伝を担当するが、映画業界をとりまく厳しい現実を目の当たりにすることになる。2005年にムービーアイに入社し、そこでも多くのいい作品に関わらせてもらいましたが、2009年に残念ながら倒産してしまいました。以前『ラストエンペラー』や『アマデウス』といった名作を配給した松竹富士がなくなってしまった時、映画ファンとして「映画会社ってなくなるものなんだ…」と驚き、悲しくなりましたが、それを我が身で痛感したのが2009年でした。会社がなくなって、どうしようかと思っていたら、ちょうど2010年から「午前十時の映画祭」という企画が始まることになって、その事務局を立ち上げようとしていたのが、以前『もののけ姫』の宣伝プロデューサーだった矢部勝さんで、矢部さんから「午前十時の映画祭」の事務局に誘っていただいたんです。いまでこそ昔の映画を映画館で観ることが自然になりましたけど、「午前十時の映画祭」が始まった当時は「え? だってこのラインナップ、全部DVDで見られるじゃん。何で映画館でやるの?」という反応が多かったんです。でも、映画祭の企画プロデューサーで、かつて東宝の宣伝部長もされていた中川敬さんが「今重要なのは、昔の優れた作品を映画館のスクリーンで観ることだ」とおっしゃって、それは本当に素晴らしいことだと思いました。私は「午前十時の映画祭」の10回目まで事務局でお世話になったんですが、それと並行して宣伝プロデューサーとして他の企画にも関わっていました。最初はウィリアム・フリードキン監督の『恐怖の報酬』【オリジナル完全版】の日本初公開です。『恐怖の報酬』が1978年に日本公開された時、「これはすごい映画だ」と思ったんですが、この超大作の上映時間がたった90分なのはどう考えてもおかしいと感じていたんです。その後、フリードキンがインタビューで「本当は2時間あったけど、北米以外では90分に切られた」と話しているのを読んで、以来ずっとこの作品のことが頭の隅にありました。『恐怖の報酬』【オリジナル完全版】(C) MCMLXXVII by FILM PROPERTIES INTERNATIONAL N.V. All rights reserved.業界で働き始めてからもずっと気になっていて、2009年に知り合ったキングレコードの長谷川英行さんとも「『恐怖の報酬』の完全版、何とかできないか?」と話をしていたんです。そして遂に2013年にヴェネツィア国際映画祭で4Kリマスター版が上映されて、その後も長谷川さんにずっと動きを追ってもらっていたんですが、キングの国際部の方がスペインのシッチェス映画祭に行った時、そこで知り合いと話しをしていて、個人的にフリードキンを紹介してもらえることになったんです。確かそんな流れでした。ウィリアム・フリードキンPhoto by Stephane Cardinale - Corbis/Corbis via Getty Imagesそうしたら、フリードキンからメールが来て「この作品はすごく大事なので、よほどのことがないと権利は出さない」と言ってきたそうなんですが、長谷川さんが腹を決めて「我々は本気だ。ちゃんと劇場公開するし、パッケージも出す」と伝えたら、フリードキンは「わかった。それなら出そう」と納得してくれたそうです。この作品をなんとかしたい、と言い出したのは私でしたが、長谷川さんとキングレコードの皆さん、そして配給のコピアポア・フィルムのおかげでオリジナル版を初公開することができ、興行的にもヒット、作品の名誉回復に繋がったことが何よりうれしかったですね。TVやスマホではなく、スクリーンで観るべき作品――続いて、岡村さんが手がけたのが、セルジオ・レオーネ監督作で、原案にはダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチが名を連ねる西部劇『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』の完全版の上映だった。『恐怖の報酬』の成功で調子に乗りました(笑)。この作品も日本で最初に公開された1969年当時は『ウエスタン』というタイトルで短縮版での上映だったんです。2時間45分の完全版をどうにかしてやりたいと思って、あちこちに声をかけて実現することができました。初日の丸の内ピカデリーはかなりの盛況で、上映後に拍手が起こりました。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(C) 1968 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.――岡村さん自身、その機会に同作のリマスター版をスクリーンで観たが、劇場のスクリーンで観るからこそのさまざまな発見があったという。家のテレビやスマホで見ても面白い映画はたくさんあります。例えば『ローマの休日』は名作ですし、もちろん映画館で観るのが一番だと思いますけど、じゃあTVのサイズで見たらその魅力が大きく損なわれるかというと、実はそうでもないと思います。なぜならあの映画の魅力の中心はオードリーとグレゴリー・ペックで、撮影ではないから。でもレオーネの映画はスクリーンで見ないとダメなんです。なぜかというと、画面のレイアウトがスコープサイズ仕様になっているから。レオーネの映画ほど考え抜かれた構図やフレーミングの映画って滅多にないんですよ。60年代だと市川崑監督の『雪之丞変化』のスコープ撮影も素晴らしかったですけどね。ベルトルッチの『ラストエンペラー』もそうですけど、“空間”をカッコよく表現する映画監督っているんですよ。レオーネはその筆頭だと思います。『夕陽のガンマン』(C) 1965 P.E.A. Films, Inc. All Rights Reserved――その後、コロナ禍が世界を覆い、さらには円安も相まって海外作品の買い付け自体が非常に難しい状況になる。そんな中、岡村さんはレオーネ監督×イーストウッド主演の『夕陽のガンマン』を何とかできないかと考えていたが…。『夕陽のガンマン』は「午前十時の映画祭」でもやっていなかったので、権利だけでも押さえておけないかと考えました。ところが円安がさらに進んで「これはもう高くてちょっと手が出せないな」と思っていたんです。そうしたら、ムービーアイの元同僚で『ワンス~イン・ザ・ウェスト』も配給してくれたアーク・フィルムズの上野廣幸さんが、「どうせなら『夕陽のガンマン』だけでなく、3部作全部やろう」と言ってくれたんです。資金調達には上野さんのお知り合いの方々が協力してくれて、今回非常に感謝しています。ただ『荒野の用心棒』に関しては、日本での上映権を有しているのが「黒澤プロダクション」なので、私たちの企画意図をご説明し、上映権をお借りすることが出来ました。他の2作品に関しては、旧作上映の窓口になっているイギリスの代理店を通じて権利元MGMと交渉し、日本での上映権を取得。今回、日本で初めて“ドル三部作”の一挙上映を行なうことになったわけです。「ポスターとチラシと予告篇は本気で作れ」本気の宣伝は人の心を打つ――岡村さんにとっては、映画の世界への引き込まれるきっかけとなった作品であり、宣伝にかける思いも並々ならぬものがある。今回のチラシやポスターの文言は、全て自分で考えました。チラシに「面白くてカッコいい映画の原点にして頂点、それが《ドル3部作》だ」と書きましたけど、この言葉が全てですね。売り文句、宣伝文句というよりも、私の本心です。世の中には面白い映画、立派な映画、すごい映画はたくさんありますけど、「面白くてカッコいい」映画、しかも3部作全てが面白くてカッコいい映画があるかと言ったら、実はこの“ドル3部作”以外に思い付かないんですよ。いいやそうじゃない、という人がいても構わないんですが、自分にはやはりこの3本しかないんです。今回の宣伝は、いま見て「カッコいい」と思ってもらえなきゃダメだという意識でやっています。ポスターの写真やロゴも、往年のマカロニ・ウエスタンのファンが「懐かしい」と思うようなものじゃなく、今の若い人たちにも響くようなデザインにしたつもりです。その一方でチラシの宣伝のコピーに関してはいつ観ても傑作 『荒野の用心棒』誰が観ても傑作 『夕陽のガンマン』どこから観ても傑作『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』バカみたいでしょ(笑)。宣伝としては禁じ手です。その映画が傑作かどうかを決めるのはお客さんですから。それでも言い切ったのは、自分自身が本当にそう思っているからです。こいつバカかと笑われても、今回はいいやと思いました。自分に嘘はついていません。いま、若い宣伝プロデューサーにアドバイスするとしたら、「ポスターとチラシと予告篇は本気で作れ」ということですね。私自身、考え方がヌルい時もあったから分かるんですけど、本気で考え抜いて作ったビジュアルやキャッチは、やはり人の心を打つんですよ。必ずお客さんに伝わると思います。――最後に、これから映画業界を志す人たちに向けて、岡村さんはこんなメッセージを残してくれました。自分の経験を振り返ると、仕事って人と人とのつながりの中から生まれてくるんです。それはどの業界でも同じだと思います。相性の悪い人もいれば、相性ピッタリの人もいるけれど、まずは人間関係を大切にしてほしいですね。そして出会った人たちの中から、仲のいい友人や同僚、尊敬できる先輩を見つけてほしいと思います。年下の人でも面白い考え方を持つ人はたくさんいます。いろんな人から学び、吸収することを、仕事をする喜びにしたいですね。岡村尚人 氏人とのつながりを大切にしていれば、何かあった時に「あぁ、あいつがいたよ」という感じで思い出されて仕事が回ってきますよ。自分もずっとそうやって周りの人たちに助けられてやってきました。世の中、本当に想像もつかないことが起こりますからね(笑)。『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』は3月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(photo / text:Naoki Kurozu)
2024年03月22日何ともカッコいい若き日のクリント・イーストウッドのポスターの前で、36年におよぶ映画宣伝マンとしての歩みを語ってくれたのは、岡村尚人さん。このたび、日本で初めて一挙上映されるセルジオ・レオーネ監督×イーストウッドの「ドル3部作【4K】」(『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』)の宣伝プロデューサーであり、企画者である。中学時代にTVで視たイーストウッドのマカロニ・ウエスタンで洋画に目覚め、大学卒業後に映画業界に足を踏み入れ、スタジオジブリの『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』をはじめとする数々の話題作の宣伝に関わり、昭和、平成、令和の映画業界を歩み続けてきた岡村さん。今回の“ドル3部作”の一挙上映実現に至るまでの道のりを貴重なエピソードを交えながら、たっぷりと語ってくれた。映画業界での仕事の始まり、宮崎駿監督作品の宣伝への参加――話題のドラマ「不適切にもほどがある!」で、主人公は1986年(昭和61年)からタイムスリップしてくるが、岡村さんがこの業界で仕事を始めたのは、ちょうど同じ年のこと。学生時代は映画研究部にいて、映画ばかり観ていました。で、卒業する段になって「就職どうしようか」と思い、映画会社の新卒採用に応募したんですが、まるで引っかからず。そんな時、洋画配給のヘラルド(※当時は日本ヘラルド映画株式会社)に電話したらバイトなら募集しているというんです。ちょうど『サンタクロース』(1985年)という洋画の大作があって、幼稚園に行って前売券を売ってくるという仕事でした。それでもいいと思ってヘラルドに入れてもらい、都内各地の幼稚園を廻っては、先生や園児たちの前でサンタクロースの格好をして宣伝をし、券を売りました。その時へラルドで、映画の前売券を扱うメイジャーという会社の人たちと知り合いました。いま、代表取締役をしている西牧(昭)さんと佐川(慎二)さんです。1986年の年始まで3か月ほどヘラルドにいた後、西牧さんから「そんなに映画好きならうちに来る?」と声をかけてもらいました。当時のメイジャーの営業部は、プレイガイドや大学生協などに映画の前売券を卸す仕事です。何でもいいから映画に関わりたいという気持ちだったので、すぐに「やります」と応え、入れてもらいました。それから2年間、営業部でアルバイトとして働いていたんですけど、当時メイジャーには宣伝部もあって、そこのボスが徳山(雅也)さんという『宇宙戦艦ヤマト』劇場版の宣伝プロデューサーだった人でした。他にも東映のアニメーションの仕事を次々と受けていて、宮崎駿(※崎=たつさき)監督の『風の谷のナウシカ』も担当していたんです。TVシリーズの「未来少年コナン」や『ルパン三世 カリオストロの城』で、私は宮崎作品の大ファンだったんですが、「アニメージュ」で連載していた「風の谷のナウシカ」を映画化したのが1984年で、大学4年生でしたが、初日に朝一で観に行きました。メイジャー宣伝部は『風の谷のナウシカ』の後、1986年には次の『天空の城ラピュタ』の宣伝に取り掛かっていて、「この宣伝部すごいな。自分も宮崎アニメの宣伝やりたいなあ」と思い、営業で2年働いた後、メイジャーの社長と徳山さんに直訴して宣伝部に入れてもらいました。それが1988年ですね。当時の宣伝部ではアニメ作品だけでなく、官能映画もたくさんやりましたよ。『エマニエル6 カリブの熱い夜』(※『エマニエル夫人』シリーズ6作目)とか『CODE90 愛欲指令』、『欲望という名の女』とか、そんなのもう誰も覚えていませんね。で、スポーツ紙や週刊誌の編集部に足を運んで「官能大作の資料持ってきました。ぜひ載っけてください」とお願いするんです。あの頃はまだ「トゥナイト」や「11PM」といった深夜番組でもそんな官能映画を紹介してくれていました。ドラマ「不適切にもほどがある!」でも、「11PM」の話が出てきましたけど、まさに当時、私は「トゥナイト」や「11PM」に「この映画を取り上げてください」とお願いに回っていたんです。それから念願かなって、宮崎アニメの宣伝にも参加させてもらいました。私が関わったのは1989年の『魔女の宅急便』からです。その前の『となりのトトロ』が「キネマ旬報」の日本映画第1位に選ばれて、宮崎作品に対する世間や評論家の受け止め方も大きく変わっていたこともあって、『魔女の宅急便』は大ヒットしました。それ以降『おもひでぽろぽろ』、『紅の豚』と続き、2006年の『ゲド戦記』まで、ジブリ作品には一宣伝担当者として関わらせてもらいました。他にもディズニー・アニメの『アラジン』や『ノートルダムの鐘』、あと洋画実写の宣伝もやりました。特に思い出深いのは『セブン』ですね。『羊たちの沈黙』以降、当時サイコ・スリラーがブームで、主演のブラッド・ピットはまだ「スクリーン」や「ロードショー」といった映画雑誌の若い読者しか知らない存在でした。暗くて恐ろしい作品でしたが、強烈なインパクトがあって、『セブン』は日本でも大ヒットしました。それが1995~96年ですね。『セブン』(C) APOLLOそれから1997年の忘れられない大ヒットがジブリの『もののけ姫』ですね。東宝の宣伝プロデューサーの下で、メイジャーが宣伝を担当しました。ジブリの鈴木敏夫プロデューサー以下、宣伝スタッフ全員で事前に熱海に合宿に行って、そこで鈴木さんから、制作費がいくらかかっているから、興行収入はいくら以上にならないといけないという話をされたんですけど、当時の日本映画の歴代1位が『南極物語』で配給収入59億円(※当時は配給収入で計算/興行収入で110億円)で、それを超えないといけないと言われました。宮崎監督のひとつ前の『紅の豚』が当時の日本のアニメーション映画の配収記録を更新したんですけど、それでも28億円(※興行収入で54億円)でしたからね。『もののけ姫』(C) 1997 Studio Ghibli・NDしかもその年の夏はライバルが強力で、スピルバーグの『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』が『もののけ姫』と同じ7月12日の公開でした。宣伝チームは、この夏は「恐竜vsもののけ」ですよ!と媒体を煽っていきました。いまでも忘れられないのが、初日の7月12日の朝8時ごろかな、立ち合いで日劇プラザのある有楽町マリオンに行ったら、ビルの周りにグルっと長蛇の列ができていたんです。そんなことは初めてで「ヤバい。これは大変なことになっている」と思いました。その頃は予約販売なんてないですから、午前中の段階でその日は「札止め」になりました。今日はもうチケットを売らないということです。『もののけ姫』を観に来たのにチケットを買えなかった人たちが、同じマリオンの丸の内ピカデリーに流れて、同じ初日の『乱気流/タービュランス』を観たよ、なんて話もありましたね(笑)。「想像を超えることが起こりうる」2回の経験――『もののけ姫』は社会現象と化し、最終的に興行収入は201.8億円にまで達した。『もののけ姫』(C) 1997 Studio Ghibli・NDちょっと遡って『もののけ姫』の完成は6月の終わりごろだったかな。宣伝スタッフ一同、初号試写を見せてもらいました。自分は「凄いものを観た」と興奮しましたが、宣伝する立場としては「この凄さをどう伝えればいいんだろう。子どもたちに理解できるのかな?」という不安もありました。ただ、特報の映像で腕が切れる描写を見せたり、ジブリの鈴木さんも意識的に「これまでのジブリ作品とは違うぞ」というのを世の中に示したかったんだと思うし、そういう覚悟がポスターや宣伝コピーを通じて伝わっていったと思います。その結果、空前の大ヒット・スタートになりました。宣伝部としては、メディアに対して配収(当時は興収ではなく配収)がどれくらい行きそうか、というリリースを打たなきゃならないんですが、東宝の興行の偉い方に数字(予想配収)を訊くと、「まったく想像つかない」というんですよ。いまでは前日に予約状況を把握できて、細かい予想もできるけど、まったく前例ない状況だったんです。「間違いなく『紅の豚』は超えるが、それ以上のことはわからない」というのがその時の興行の方の言葉でした。世の中、想像できないことが起こるんだ、ということを身をもって知った最初の経験でしたね。――ところが、そんな想像を超えた大ヒットをさらに超える特大ヒット作品が4年後に再びジブリから放たれる。それが『千と千尋の神隠し』である。興行収入316.8億円を記録し、2020年に「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」に抜かれるまで日本の歴代興行収入1位の座を守り続けた。『もののけ姫』が歴代興行収入の新記録を打ち立てたのが1997年ですが、半年後の同じ97年の年末に『タイタニック』が公開されて、配給収入160億円(興行収入277.7億円※リバイバル上映を含む)を記録して、あっという間に『もののけ姫』を抜いてしまうんです。その記録をさらに塗り替えたのが4年後の『千と千尋の神隠し』でした。『千と千尋の神隠し』(C) 2001 Studio Ghibli・NDDTM2001年7月の公開でしたが、その時もスピルバーグの『A.I.』に『パール・ハーバー』、『劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇』、『猿の惑星』リメイク版、と話題作がひしめき合っていて、「こんな強力なライバルたちと戦って、しかも『タイタニック』を超えなきゃいけないの?そりゃ無理でしょ」という感じでした。しかし、結果的には2回目の「世の中、想像を超えることが起こりうる」経験になりました。その後、『ハウルの動く城』にも関わりましたが、通常であれば、映画が出来上がると我々が取材日をブッキングして、宮崎監督や鈴木さんにインタビューに出てきてもらうんですけど、『ハウル』では、宮崎監督も鈴木さんもあえて「表に出ないという形でやりたい」ということで、ほとんど取材もありませんでした。その手法をさらに徹底して突き詰めたのが、最新作の『君たちはどう生きるか』でしたね。『君たちはどう生きるか』(C) 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli余談になりますが、メイジャー宣伝部で私と一緒に働いていた後輩女性が二人いるんですが、一人は今やジブリの広報部長、もう一人は東宝宣伝部で『君たちはどう生きるか』の宣伝プロデューサーを務めたんです。メイジャーのDNAが、そんなふうに受け継がれたことがとてもうれしく、感慨深いですね。洋画ファンになったきっかけ、クリント・イーストウッドとの出会い――岡村さんも、メイジャー宣伝部の解散を受けて、別の配給会社に移ることになった。2004年にメイジャーの宣伝部が解散した頃、私は一時、体調を崩していたんですが、その後、『セブン』の時知り合った宣伝プロデューサーに声をかけてもらい、ムービーアイという会社で働くことになりました。2005年の春に働き始めたんですが、入社して3日後に『ミリオンダラー・ベイビー』でクリント・イーストウッドが来日したんです。『ミリオンダラー・ベイビー』はその春のアカデミー賞(作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞)も獲っていたんですが、イーストウッドは次回作の『硫黄島からの手紙』のロケの許可を取るために石原慎太郎都知事(当時)に挨拶に来ていて、ちょうど『ミリオンダラー・ベイビー』が公開するということで、プロモーションの時間を取ってもらったんです。ここで、今回の「ドル3部作」の話も関わってくるんですが、私自身、洋画ファンになったきっかけがイーストウッドなんです。なので、入社してすぐにイーストウッドが来日すると聞いて「これはたいへんなことになった」と(笑)。プロモーション稼働の時間は3時間くらいだったんですが、終わって関係者みんなでイーストウッドと写真を撮ることになって「ここで頼まないと一生後悔する」と思い、持参した『続・夕陽のガンマン』のLPにサインをお願いしました。入社してまだ3日なのに図々しいヤツですよね(笑)。1975年に買ったLPで、イーストウッドには「キミは物持ちがいいな」と言われました。『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(C) 1966 P.E.A. Films, Inc. All Rights Reserved.1975年当時は、中学生でしたが、それ以前は東宝の怪獣映画が好きだったんです。ただ、あの頃は中学生になると、みんな親から「いつまで怪獣見てるんだ」って言われて卒業していくものだったんですよ。それがいまでは『ゴジラ』がアカデミー賞を獲る時代ですからね。親の圧力に屈せずに特撮と怪獣を愛し続けたのが、庵野秀明監督であり、山崎貴監督だったんでしょう。親の圧力に屈した私は怪獣映画を卒業し、じゃあ、これから何を見たらいいんだ…? と思っていたら、そこで出会ったのが、イーストウッドのマカロニ・ウエスタンだったんです。イーストウッド再び映画宣伝マンとして始動した岡村さんは、その後、「午前十時の映画祭」に関わり、さらに宣伝プロデューサーとして、数々の名画のリバイバル上映を実現させていくことになる。〈後編〉へ続く『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』は3月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(photo / text:Naoki Kurozu)
2024年03月22日米津玄師の「Lemon」やあいみょんの「マリーゴールド」ほか、名だたるMVを手がけてきた山田智和が、佐藤健を主演に迎えて劇場長編映画デビューを果たした。川村元気の小説「四月になれば彼女は」を映画化した本作は、精神科医の藤代(佐藤健)と失踪した婚約者・弥生(長澤まさみ)、大学時代の恋人・春(森七菜)をめぐる切ないラブストーリー。初対面から4年。脚本会議から参加し、共にクリエイティブを高めあってきた山田監督と佐藤さんの“同世代対談”で、健全な創作環境づくりについて教えていただいた。「その場で生まれた感情や景色を撮りに行く」――劇中、エスカレーターを上ってくる藤代が泣き崩れるシーンが強く印象に残りました。こちらはどのように生み出されたのでしょう。佐藤:演じる際の考え方はいつもと同じです。あのとき自分が一歩踏み出して彼女を呼び止めていたら、もしかしたら未来は違ったかもしれない。でも自分は弱いからそれが出来ず、もう二度と会えない気がする――つまり、別れのつらさと自分のふがいなさ、「なぜできなかったんだ。俺はダメだ」と自分を責めて泣くというシーンでした。――構図的にはシンプルでしたよね。画面/観客に向かって藤代が徐々に近づいてきて、それに伴って感情が増幅していくといいますか。今にも泣きそうな人が接近してきて、決壊してしまう“痛み”のグラデーションを感じました。佐藤:そうした意味では、ドキュメンタリーに近い手法でした。カットを割って光(照明)をセッティングしてそれに合わせて芝居していく形式とは、全く違っていました。山田:実際に人が泣くときは、薄暗いベッドの上などではなく移動時のような街の隙間ではないかと思います。いま(佐藤)健くんが言ってくれたドキュメンタリー性ではないですが、そうした空気感を作りたいと思っていました。佐藤:エスカレーターを上りながら泣く、というのもその日のノリで決まりましたから。もし僕が「階段で座って泣きたい」と言ったらそうなっていたでしょうし、自然現象をそのままとらえるような現場でした。――ドキュメンタリー手法は、どういった経緯で選択されたのでしょう。山田:元々僕がそういった手法でしかやったことがなく、今回は長編初監督だったこともあって自分の得意なものをやらせていただきました。そこに健くんはじめ俳優部の方々が反応してくれた形です。エスカレーターのシーンも最初はもう少し落ちついて座って泣くものを想定していましたが、前後の芝居をやっていくなかで「やっぱりここがいいね」となる健康的な空気が流れていました。想定と違ったとしても、健くんが「やってみる」と言ってくれるのが本当に有り難くて。決めつけすぎずにみんなで正解を探しに行くことができました。その場で生まれた感情や景色を撮りに行く、を初日からやらせていただいた現場でした。――なるほど。例えばロケーションにおいても、ある程度広く空間を押さえておいて「この範囲で好きに遊ぼう」といったような形だったのでしょうか。山田:それに近かったと思います。一瞬しか映っていない点描シーンも現場では長い時間カメラを回していました。藤代と春(森七菜)や藤代と弥生(長澤まさみ)の間に流れる空気感を撮りたくてセリフを撮りたいわけじゃない、といったときに「この道路を歩いて、ここで座って下さい」くらいの大まかなものだけお伝えして、細部は俳優部にお任せしていました。佐藤健、同世代の活躍は「非常に喜ばしいこと」――おふたりの信頼関係がうかがえますが、初対面は本作の顔合わせのタイミングだったのでしょうか。佐藤:イタリアンか何かを一緒に食べたんじゃないかな。まだキャスティングも決まっていない時期でした。山田:かれこれ4年ほど前です。まず健くんに主人公をお願いしました。その食事会で言っていただけたのが「ようやく一緒にやりたい同世代の監督に出会えて、すごく嬉しい」ということ。一発目でそう言ってくださって、僕もとても嬉しかったです。佐藤:僕はそもそも同世代の監督と仕事をしたことがなかったんです。どんどん一線で活躍してほしいと思っていたから、ついにその機会が得られた、という気持ちでした。――長澤まさみさん、撮影の今村圭佑さん、照明の平山達弥さんほか同年代の多いチーム編成になりましたね。山田:自分は年齢こそ近いですが健くんや長澤さんとキャリアが同じとは全く思っていません。僕が乗っからせていただいている気持ちです。ただ、この世代がいま集まって一緒にものづくりを出来ることに意味があるとするならば――東宝恋愛映画を観て育ち、リスペクトのある世代が次にどんな恋愛映画を作るのか、それは本作の裏テーマでした。脚本会議でも健くんたちとずっと話していたことですし、劇中には様々な恋愛の価値観をちりばめています。初恋のようなものもあれば、30代として向き合わないといけない恋愛の形、この先どうなっていくかも含めて必然的にこぼれてきたテーマが染み出ているようには感じます。佐藤:僕個人は年上の監督だからどう、ということもないですし、世代がどうであっても本質的には変わりません。現場に入ったら監督を信じてやっていくだけですから。ただ、いちクリエイターとして自分と同じ世代がどんどん活躍してくれるのは非常に喜ばしいことです。残念ながら、日本の映画業界は20代の監督が活躍しづらい・育ちづらい環境だと思います。どうしてもヒット作を出した実績がある人にオファーしたくなってしまうものですから。ただ、絶対に若くて才能のある人はもっといるはずですし、どんどん日の目を浴びてほしいとはずっと感じていました。そもそも誰しも最初は実績のないところからスタートするわけですから、もっとこういったチャレンジ/チャンスがあってほしいと思います。「普遍的な恋愛」と「現代を映す」作品作り――山田監督がおっしゃった「東宝恋愛映画へのリスペクト」は作品を拝見していても強く感じました。チームにおいて共通項として挙げた作品やイメージ等々、ございますか?山田:まずはやはり「恋愛」でしょうか。いつの時代もみんな恋愛に悩むし、必死に正解を探すもので、共通した変わらない部分は絶対にあるはず。そこを外したくないという想いはこのテーマをやる以上不可欠でした。そのうえで、これまでの恋愛映画は社会を映さなさすぎる問題もあったような気がしています。普遍的な恋愛、そして原作が持つ時代へのまなざしの鋭さが上手く合わさって新しいものになったのではないかと思います。10年前の社会と現在の社会は当然違っていて、恋愛をする人や結婚をする人も少なくなっているかと思います。それは別に悪いことではないし、新しい方向に社会が進むなかで、必然的に描くべきテーマやスポットライトを当てたい人間は連なっていくはず。たまたまコロナを挟みましたが、いまの社会の方がこの映画は説得力を持つような気がします。――普遍性と現代性のハイブリッドですね。改めて、協働の手ごたえを教えて下さい。佐藤:山田監督の話の中で出た「空気を撮りたい」は、僕たち俳優からすると「芝居をちゃんと見てくれる」という安心感でした。その空気感を作るためには、役同士のつながりがあればいい。変に「どう表現しよう」と余計なことを考える必要がなく、ただ芝居に集中できる環境でした。山田:僕は映画というものが初めてで、今回「俳優部ってこんなに真摯に一つの作品に向き合ってくれるんだ」とすごく嬉しかったです。映画というのは共作で、それぞれの部署が一つのイメージを作るものですが、健くんは作品に入る前から本当に高い熱量で関わって下さいました。これを当たり前だと思ってはいけないと重々承知しているのですが――健くんは脚本会議に何回も参加してくれて演じる側の視点で指摘してくれたり、良いアイデアをくれてブラッシュアップしていけたんです。そういった過程を経験できたため全幅の信頼を置いていて、撮影もとにかくスムーズでした。きっと、往々にしてクランクインしてから1週間くらい探る時間があると思うんです。でも今回はそういった「だんだんフィーリングが合ってきたね」ということが全くありませんでした。初日の撮影は藤代と春の大事なシーンで、鮮烈に描かなければならないなか周りのスタッフもびっくりするくらい円滑に進んで、僕自身も楽しい!という想いしかありませんでした。これは決して運や巡り合わせなどではなく、健くんがどこまでも真摯な姿勢で作品に臨んでくれたからこそです。主人公に背中を預けられることで、周りの人たちも話しやすくなるし僕も演出がしやすくなる。その軸があることで「じゃあ主人公にこれくらいぶつけてみよう」というアイデアが監督/共演者からもどんどん出てきますし、その結果が現場で生まれたアドリブだと感じます。健くんの芝居はもちろん素晴らしいですが、そうした向き合い方にものすごく感銘を受けました。そういった意味で、健くんは一番フェアな人だと感じています。媚びを売ったり変に気を遣う必要もなく、芝居や画に対して自分の想いを伝えるだけでいい。本当に健康的な場を作って下さいました。僕がまだ経験が浅く、“言葉”をうまく持っていないなかで抽象的なことを言ったとしても、健くんは「監督が伝えたいのは多分こういうことだと思うから、1回やってみる」と常にオープンでいてくれてとにかく助けられました。僕自身も物事をあまり決めつけたくないという側面があるなかで、一緒に探らせてもらえて楽しかったです。――一例を挙げるなら、どういったアイデアをもたらされたのでしょう。山田:僕がすごいアイデアだなと思ったのは、脚本上では「洗面台の前で、鏡に映った自分と向き合って泣く」という風に書かれていたシーンのことです。撮影現場に入った健くんが「自分よりも、2人の思い出が詰まったものを見る方が心が動く」と伝えてくれました。それが本作全体のキーになったグラスです。こういったことを現場に限らず、脚本会議でも共有してくれました。頭の中では「こうやって動く」と考えていても、実際やってみると「やっぱりこっちがいいね」ということはありますが、本作はかなり大きなシーンでもそれが出来ました。健くんのアイデアには常に助けられていました。――佐藤さんのそうしたアプローチについては、キャリアを重ねていくなかで変遷してきたものでしょうか。『グラスハート』(2025年Netflix配信予定)では共同プロデューサーも務められていますね。佐藤:そうですね。10代のときはそういったものはなく、だんだん増えていきました。ただ、俳優は誰しもやっていることではあります。特に主演ともなれば、台本に書いてあるものをただやっているだけの人はいません。セリフやチーム、作品をより良くしようと動くものですし、僕自身もそうしてきましたが、20代後半くらいからもう少し公式的に「プロデュース」という役割をもらって行動した方が健全と考えるようになりました。俳優の力は、すごくちっぽけだと思います。だからこそ、もう少し早い段階から入っていきたいという想いはどんどん強くなっていきました。ただ、「作品を良くしたい」という本質自体は、これまでと何も変わりません。(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:四月になれば彼女は 2024年3月22日より全国東宝系にて公開©2024「四月になれば彼女は」製作委員会
2024年03月20日はじめに「NOGUCHI -酒造りの神様-」より農口さんが杜氏を務める「農口尚彦研究所」は、石川県小松市観音下(かながそ)という小さな里山にあります。米と水だけでつくる日本酒は、水が要。霊峰・白山に降り積もった雪が、長い年月をかけて地層の奥深くに浸透して生まれる清らかな伏流水を見つけた農口さんは、この水を使うためにこの場所を選びました。「NOGUCHI -酒造りの神様-」より“あと何年酒造りができるかわからない”“酒は飲んだらなにも残らない、口笛のように消えてしまう。私は後世になにを遺せるのか”引退と現役復帰を三度繰り返し、”引退を諦めた”91歳。16歳から75年間、その人生のほとんどを日本酒に注いできた農口さん。日本酒に関わる人にとって、彼は永遠の憧れであり伝説であることは言うまでもないですが、常に前を見据えて高みを目指す生き様は、誰が見ても尊敬の念を抱かずにはいられないでしょう。“わしが残していくものは、ここにあった”あらすじ「NOGUCHI -酒造りの神様-」より2020年10月、例年通り農口尚彦さんの酒造りが開始します。蔵入から半年間、蔵人たちは共同生活を送りながら、全ての時間を蔵で共に過ごし、酒造りに没頭します。この年に集まった蔵人は、8名。半数は、酒造りとは全く異なる経歴を持ち、初めて酒蔵に入る方です。農口さんは、一度見どころがないとみなせば二度とその蔵人を呼ぶことはありません。「NOGUCHI -酒造りの神様-」よりそんな中、生産計画の中には「20BY山廃純米大吟醸」の文字。「世界の人たちの価値観が変わるような酒を造りたい」という農口さんの想いからつくられる酒です。山廃純米大吟醸は、大吟醸の淡麗さと、山廃の芳醇さという反対の性質を持つ、難しい酒造りです。さらに通常より仕込みに時間がかかり、蔵人たちにも大きな負担がかかります。蔵入りから3ヶ月目を迎え、いよいよ山廃純米大吟醸の仕込みが開始。果たして、この蔵人たちの手で最高の「山廃純米大吟醸酒」は無事に完成するのでしょうか……?「NOGUCHI -酒造りの神様-」より映像のなかで、農口さんや蔵人たちが日本酒に向き合う姿には目を見張るものがあります。「酒造りは繊細だ」と分かってはいても、実際に時間は秒単位、温度も1度単位で調整をしながら、まとまった睡眠は取らずに「生き物」を扱う、そのまっすぐな姿勢を目の当たりにして、大きく心が動きました。詳しい内容は実際に映画を見ていただきたいのですが、必ず何か得るものがあると思います。「NOGUCHI -酒造りの神様-」より酒造りでは“鬼の農口”さんですが、散歩と銭湯を愛する“好好爺”の日常も写されています「NOGUCHI -酒造りの神様-」より日本酒の知識が全くなくとも、日本酒の造り方や構造、種類についても簡単にまとめられていてとても勉強になります農口さんにインタビュー――今回が初の長編ドキュメンタリー映像とのことですが、実現するまでの経緯や、受けられた理由を教えていただけますか?農口さん:良いお酒を造るために、どれだけ一生懸命に努力しても、皆様に知っていただかなければ意味がないと考えております。以前もいくつかのテレビドキュメンタリーに出たことがありますが、その経験から、お受けすることになりました。今後は、ドキュメンタリーを通じて海外の方にも知っていただけたらと期待しているところです。――実際に映像をご覧になって、いかがでしたか?農口さん:ちょうど酒造り期間中でありましたので、まだ完成品を見ておりません。終わったらゆっくり視聴する予定です。――この映画を通して視聴者に最も伝えたいことは、どのようなことですか?農口さん:一人でも多くの方に、私が人生を捧げた日本酒造りの奥深さや、世界に誇れる日本文化を再認識していただけるきっかけになってくれたらと思っております。――1月の能登半島地震。「農口尚彦研究所」や能登にいらっしゃる農口さんのご家族はご無事だったと伺い、ホッとしました。当時の様子はどのようなものだったのでしょうか。農口さん:地震があった時は、杜氏室で酒造りの経過簿をまとめる事務作業中でした。机の前の窓ガラスが飛んでくるかと思うくらいの揺れでした。頭をよぎったのは家族のこと。幸いにも妻は、元旦を長女、孫と過ごすために、白山市に住む娘の家に出てきていたので、すぐに連絡が取れました。能登に嫁いだ次女とは4日間連絡が取れませんでしたが、避難しており無事でした。走って蔵中を確認しましたが、奇跡的にお酒も割れておりませんし、設備も無事でした。たくさんの方からご心配のご連絡をいただきましたが、酒造りに影響はありませんでした。――能登半島は農口さんのご実家も含め日本有数の酒造りの地で、多くの酒蔵に被害が出ました。現在の想いをお聞かせいただけますか。農口さん:地元能登にあるいくつかの酒蔵は、建物が崩壊し再建も困難な状況と聞きます。また能登外に出ている能登出身の杜氏や蔵人も、正月休みに帰省した能登で被災して酒造りに復帰できない者や、被災を免れても、酒造りが終わった後に帰る家がなくなってしまった者もいると聞いており、心配しております。――「世界の人たちの価値観が変わるような日本酒をつくりたい」という、農口さんの30年来の夢は「20BY山廃純米大吟醸」が叶えていくのだと思います。農口さんの現在の夢を教えてください。農口さん:やはり、世界中のお客様に「美味しい」と言っていただけるお酒を造ることです。原料の酒米は、気候によって状態が毎年変わります。毎年造り始めは初心の気持ちで原料米と向き合います。ですので一生かけても「酒造りはわかった」ということはありません。それがやりがいでもあります。「NOGUCHI -酒造りの神様-」より「NOGUCHI -酒造りの神様-」“酒造りの神様”の異名を持つ、日本で最も有名な日本酒醸造家の1人・農口尚彦。彼がこれまで誰にも見せなかった仕事の神髄と“NOGUCHI”の酒の秘密に迫る。2023年/77分
2024年03月19日日本有数のアニメ都市・新潟にて、アジア最大規模の「第2回新潟国際アニメーション映画祭」が3月15日(金)より開幕する。本映画祭の長編コンペティション部門で審査員長を務めるのは、アカデミー賞ノミネートの『ブレンダンとケルズの秘密』(共同監督)や『ブレッドウィナー』、Netflix映画『エルマーのぼうけん』を手掛けた世界的アニメーションスタジオ「カートゥーン・サルーン」のノラ・トゥーミー監督だ。昨年3月に初めて開催された新潟国際アニメーション映画祭(NIAFF)は、世界で初の長編アニメーション中心の映画祭として、また多岐にわたるプログラムとアジア最大のアニメーション映画祭として各国で大きな反響を呼んだ。今年はレトロスペクティブ部門にて長編映画全作品ラインアップの高畑勲特集ほか、イベント上映では世界を舞台に活躍する湯浅政明監督の貴重な短編の特集上映、『機動戦士ガンダム』シリーズの富野由悠季監督の来場などを予定。長編コンペティション部門には、『アリスとテレスのまぼろし工場』(監督:岡田麿里)、『クラユカバ』(監督:塚原重義)といった日本作品をはじめ、29の国と地域の49作品から選りすぐった12作品が集結する。ノラ・トゥーミー監督といえば、アイルランド・キルケニーにある「カートゥーン・サルーン」にて初期から受賞歴のある短編映画やコマーシャルの監督を務め、アカデミー賞にノミネートされた『ブレンダンとケルズの秘密』ではトム・ムーア監督と共同監督、同じくアカデミー賞ノミネートの『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』ではストーリーとボイスのディレクターを担当。タリバン政権下のアフガニスタンを舞台にした『ブレッドウィナー』ではアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞にノミネートされたほか、アヌシー国際映画祭で最優秀インディーズ長編映画賞、観客賞、審査員賞など数々の国際賞を受賞。最近では、ルース・スタイルズ・ガネットのベストセラー児童文学にインスパイアされたNetflixオリジナル長編アニメーション『エルマーのぼうけん』を監督した。今回の初来日では、時間が許せば、小泉八雲として知られるアイルランド系ギリシア人のラフカディオ・ハーンの記念館を訪れ「彼の人生や彼の見た日本に思いを馳せてみたい」というトゥーミー監督。自身や「カートゥーン・サルーン」のクリエイティブにおいて大切にしていることや、アニメーションの未来についてたっぷりと語ってくれた。高畑勲監督の『火垂るの墓』は「美しい傑作」ーー「カートゥーン・サルーン」のアニメーションは日本でも大変ファンが多いです。ご自身が作品を作るときに心がけていることは?ノラ・トゥーミー(以下、N・T)「カートゥーン・サルーン」では私たちも常に自問自答しています。何が「カートゥーン・サルーン」作品たらしめているのか? アニメーションにして語るだけの価値があるものとは何か?なぜなら、アニメーションはフィルムとしてつくるのに驚くほど手間がかかるので…手描きの2Dアニメーションは特にそうです。アイディア出しの段階から劇場で上映されるまで5年、10年かけて制作されるものもザラにあります。そのため、本当に語るだけのストーリーである必要があります。私たちは「勇気」を「美しい語り口」で、と自分たちによく言い聞かせています。この2つがとても大切なのです。まずは、私たちが語らなければ、おそらく決して語られることのない物語をやろう。そして、語るにしても私たちだからこその語り口でやっていこう、と。そしてこの「美しい語り口」ですが、決して砂糖をまぶしたような歯が浮く甘いお話、というわけではなく、アニメーションというメディア表現の可能性をさらに広げるようなものを指しています。高畑勲特集『かぐや姫の物語』©2013 畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTKそれも必ずアニメーターの手によるものを見せる。業界でこれまで20年30年と経験を積んだ人たちと一緒にスタジオで働いているのですが、同時に業界入りしたばかりの新しい才能や学生たちとも一緒に仕事をしています。彼らが一丸となって、「最も優れた完璧なもの」を目指すわけですが、そこに人間味のあるというか、人間だからこそのミスや間違い、というのも当然混ざってくるわけです。そこがアニメーションの良さといいますか、どうしてそうなるかというと、アニメーターによるテーマやキャラクターへの思い入れが強いため、なんですね。まさに「カートゥーン・サルーン」が目指しているところはそこにあるのです。ちょっとした間違い、人間であるからこそ起こり得るミス…それこそがメディアの可能性をさらに高めるものなのです。高畑勲監督の傑作『火垂るの墓』は、2人の子どもが過酷な状況を生きのびようとする物語で、とても難しいテーマを扱っています。映画の中では、兄妹の互いの温かい思いやりの心が描写されており、それは決して他の手法では描けない。絶対にあのアニメーション表現でなくてはならなかったのです。高畑勲特集『火垂るの墓』©野坂昭如/新潮社, 1988監督や各アニメーターがキャラクターに心を寄り添わせながら(他人事ではなく自分のことのように愛情を込めて)描いているのがわかります。それがこの作品を唯一無二のものにしています。美しい傑作であり、監督から世界への贈り物だと感じています。人は誰しも困難に直面します。個人的であったり、より大きな国や世界規模ででも。いま、世界中がそのような状況となっていますよね。そんなとき、こうした作品は私たちを助けてくれる。これまでの歴史を振り返り、未来がどうなっていくのかを考えさせてくれると思うのです。「自分たちの声を見つけること」それがスタジオの真髄ーーご自身が作品を作られる場合、マーケットについてはどのように意識されていますか?N・Tマーケットについては必ず意識しています。アニメーションのビジネスマーケットにはサイクルがあって、活発に作品を求めている時期とそうでない時期があります。いまはちょうど活発でない時期。もともとアイルランドは500万人の小さな国なので、自分たちだけで映画をつくることはできません。国内の観客動員数の規模は小さく、上映できる映画の本数も少ないからです。そのため常に国外に目を向けているのですが、そうなると自分たちの声(語り口)を失くしてしまうリスクも生じます。アメリカやよその国でつくられるようなフィルムになってしまう可能性もある。何年もかけて学んだのは、人々が私たち「カートゥーン・サルーン」独自の「声」を求めていること。必ずしも主人公がアイルランド人でなければならない、ということはなく、ときにはアフガニスタン人やアメリカ人の男の子だったりするわけです。スタジオが独特な感性をしっかり持つことの意味を理解するようになりました。長編コンペティション部門『深海からの奇妙な魚』(ブラジル)「カートゥーン・サルーン」がつくった初めての映画『ブレンダンとケルズの秘密』のプロデューサーはフランス人のディディエ・ブリュネール氏だったのですが、彼から教わったことはディズニーや他のスタジオに倣うのではなく、「自分たちの声(語り口)を見つけること」でした。それがスタジオの真髄として、当初からずっと貫いてきたスタンスであり、これからもそれを目指していきます。そういった意味でも、マーケットは意識しており、どういう状況であろうとも、自分たちを失わずに突き進めるように頑張っています。正直、未来を見据えて正しい判断をいつも下すのは難しいです。そこでやはり重要になってくるのが、映画祭などでスタジオが専門知識や経験を持ち寄り人脈をつくることです。そうやってアニメーションビジネスがどんな状況であろうと、力を合わせてしのいでいけるのです。AIがアニメーションに与える影響、そして未来は…?ーー制作を取り巻く環境はご自身が始められた時からどのように変化していると感じていますか?一番変化が大きいと感じた点はどのようなことでしょうか?N・T25年前に「カートゥーン・サルーン」がスタートしたわけですが、それがもう少し前であったら、スタジオ設立にはお金がかかりすぎて無理だったでしょう。アイルランドやヨーロッパではそれまでアニメーションはすべて手描きでしたが、ちょうどその頃、徐々にデジタル処理を制作プロセスに導入しつつあったのです。そのため2Dアニメーションでも、スキャナーで手描きの絵を取り込んでいましたので、とても高価な撮影機材を設置しないですみました。デジタル革命の技術をうまく取り入れながら、私たちにとって一番大切なことにはとことんこだわりました。例えそれが紙の上であってもモニターの上であっても、いままでと変わらずに水彩絵の具などのブラシタッチで絵を描く、ということ。以降、様々な変化がありますが、やはり3Dアニメーションの進歩が大きいでしょう。ですが「カートゥーン・サルーン」としては、あくまで2Dにこだわることにしたのです。手描きが私たちの一番得意としているところですし、古くならないもの、私たちの紡ぐ物語が一番確実に伝わる方法だ、と信じているので。本当に多くの変化が起きました。仕事があったり、なかったり…そういった中、なんとかやりくりしてきて。長編コンペティション部門『クラユカバ』(日本)©塚原重義/クラガリ映畫協會将来的には様々な問題が起こりそうですよね。AI、機械学習などがそうです。頻繁に議論されてはいますが、それがどういった影響を業界に及ぼすのか、まだ誰にもわかりません。昨年末にはアメリカの脚本家と俳優が自分たちの知的財産の権利を守ろうとストライキを起こしましたが、様々な問題がある中、私自身もこの先どうなるのか、まったく読めません。それでもアニメーションにおいては、人間によるストーリーテリングが求められる、と信じています。「私はつらいこんな経験をしたが、あなたにも共感してもらえるだろうか?」と実際にあった経験を他者に語りかける。そして「この共有した経験を活かしながら、未来に向かって一緒に歩んでいけるだろうか? あなたはいつも心にとどめておいてくれるだろうか?」と問いかける。これが実体験に基づくのではなく、以前あったストーリーを断片的によせ集めるだけのAIができるとは思えません。実際にAIが経験したり、本当の喜びや苦しみを味わったりしたわけではないですから。そういったものに耳を傾ける人は世の中にいるのでしょうか?私はいないと思います。長編コンペティション部門『アリスとテレスのまぼろし工場』(日本)©新見伏製鐵保存会結局、人々が物語を欲するのは、単なる娯楽(エンターテインメント)だけでなく、そこから何かを学ぶためで、そこが私たちを人間たらしめている部分です。私個人はそのように考えていますが、この先どうなるかはわかりません。それでも私はこれからも人々の「勇気」ある「本当の声」に耳を傾けていきます。1人の観客としても。人類をそれくらいには信頼しています。ーーこれから5年後、10年後、20年後、アニメーションはどのように変化していくとお考えでしょうか?N・Tいまの時代、半年の間でも大きな変化はありえます。将来アニメーション業界に大きな影響を与えると思えるのは、やはりAI。AI技術が業界全体に与える影響が気になります。ただ、AIの専門家で今後の可能性について知っていようと、従来の手法で紙と鉛筆で仕事をするアニメーターであろうと、誰一人として未来がどうなるかは予測できないのではないでしょうか。AIが私たちの活動にどんな影響を与えるのか?これはアニメーション業界だけにとどまりません、創作活動を行う業界すべてに同じことが言えます。本当に目を見張るような状況が続いていて「もうすぐこんなことができるようになる!」といった将来性についてもよく耳にします。アニメーションスタジオを運営する事業主として、また監督としては、これからも人間の手によって生み出されるものへの尽力は惜しまないつもりです。決して量産されたものではなく、人間の体験を下地にした唯一無二の「声」の持つ力、それが人々が欲するものだと信じています。長編コンペティション部門『マントラ・ウォーリアー ~8つの月の伝説~』(タイ)一方で、ポジティブに作用するテクノロジーを見極めていって、自分たちも納得のいく方法で使っていくべきだとも思います。アーティストやストーリーテラーの生み出すものの価値を下げるのではなく、映画のストーリーテリングが伝わり、受け入れてもらえるような形で導入するのです。繰り返しますが、アニメーション業界には昔からよい時期もあればよくない時期もあります。どんな経済状態に晒されても、アニメーションスタジオは歯を食いしばって状況を乗り越えなければなりません。今後もかつてなかった問題に直面するでしょう。これから10年後、業界がどうなっているかは本当に予想がつかない。それでも人間とは太古の昔から常に表現したがっている生き物です。すべてのストーリーテラーが持つ「物語を語りたい」という欲求、それは未来永劫変わることはないと思います。長編コンペティション部門『アザー・シェイプ』(コロンビア)「第2回新潟国際アニメーション映画祭」は3月15日(金)~3月20日(水・祝)、新潟市民プラザ、新潟日報メディアシップ(日報ホール)、だいしほくえつホール、シネ・ウインドなどにて開催。(シネマカフェ編集部)■関連作品:アリスとテレスのまぼろし工場 2023年9月15日より全国にて公開(c)新見伏製鐵保存会クラユカバ 2024年4月12日より全国にて公開©塚原重義/クラガリ映畫協會
2024年03月14日ハリウッドで活躍する。言葉にすると簡単だが、もちろん容易なことではない。それを誰よりも知る1人が、真田広之だろう。『ラスト サムライ』でのハリウッドデビュー以来、彼は世界の第一線で戦ってきた。そんな真田さんが主演を務め、プロデュースも手掛け、ディズニーが持つ製作会社の一つ「FX」が制作するスペクタクル時代劇、「SHOGUN 将軍」が全世界で配信中。天下人が死去し、その座を狙う武将たちの思惑が入り乱れる戦乱の世界を、真田さんはハリウッドでどう作り上げたのか。そこには、細やかな気配りと揺るぎない信念があった。ハリウッド作品でリアルな日本を描く――長年にわたり、このプロジェクトに関わってきたそうですね。当初は(主人公の)吉井虎永役のオファーをいただくところから始まったのですが、紆余曲折あって企画の立ち上げから何年か経ち、プロデュースも兼ねることになりました。虎永役をお引き受けした一番のモチベーションは、虎永のモデルが徳川家康であること。家康は戦乱の世を終わらせて平和な時代を築き上げた人物ですが、まさに今この大変な時代に求められているヒーローだと思います。――その虎永は大局を見ているからこそ、なかなか真意を見せません。ミステリアスであり、策略家であり、ファミリーマン。敵にはポーカーフェイスで接しながら、身近な者には弱みも見せる人です。ある意味、非常に人間らしいですよね。そういった人間性を見せながら、視聴者の皆さんの理解力と想像力を信じ、遠い球を投げる気持ちで。最終話までご覧いただき、ようやく見えてくる部分もあると思います。――日本の戦国ドラマとはいえ、ハリウッドで製作されたドラマの日本人が日本語を話していることに驚いてしまいました。目指したのは、あくまでもオーセンティックなもの。それには日本人が日本語を話し、字幕をつけるのがいいだろうと、製作陣の間では意見が一致していました。ですがその分、台本作りには時間がかかりましたね。何度も何度も書き直し、調整して。あの時代の言葉を重視しつつ、あまりに分かりづらいものは多少シンプルに。ただし、現代っぽくしない、西洋化しない、ステレオタイプの描写は排除するというスタンスは貫かれていました。キャストへの細やかなケアも――キャスティングにも関わっていらっしゃいますか?各役の最終候補が2~3人に絞られてきたところで、エグゼクティブ・プロデューサーのジャスティン(・マークス)から意見を聞かれていました。キャラクターに合った配役にするため、かなり意見を申し上げましたね。別の役を演じるはずだった方に関し、「こちらの役のほうが合うのでは?」といったことを申し上げて採用されるパターンもありました。――旧知の方々との再会もあったようですね。樫木藪重役の(浅野)忠信くんは、彼が10代の頃からの付き合いです。忠信くんの薮重はもう、最高ですよ!すばらしい方々が出演してくださっていますが、戸田広松役の(西岡)徳馬さんはかなり強く推薦させていただきました。広松は虎永にとって非常に大事なパートナーですから、徳馬さん以外は考えられなかった。虎永と広松の友情を台詞ではないところで伝えるには、30年以上の付き合いとなる徳馬さんと僕の関係性が必要でした。――バンクーバーの撮影現場では、キャストのケアもなさったのでしょうか?日本の現場とは撮影のシステムも違いますから。1日の流れを説明したり、時には通訳をしたり。監督の指示を通訳さんが伝えるわけですが、(キャストが)戸惑っているような場合は補足をして。言葉を通訳するというよりは、演出意図をそれぞれに合った言い方で伝えていきました。台詞だけでなく、動きに関しても。着物の着こなし、刀の抜き方、鞘への納め方、寸止めの仕方など、慣れない方にはコツをアドバイスさせていただいて。皆さんが不安なく演じられる状態にまでリハーサルで持っていき、本番はモニターで見守っていました。――長期滞在となりますが、皆さん、お食事などは大丈夫そうでしたか?なんと、撮影現場には和食と洋食、両方のケータリングが用意されていて(笑)。バンクーバーには美味しい日本食のレストランもたくさんありますし、むしろ食事には恵まれていました。なかには炊飯器を持ち込まれていた方もいましたけど(笑)。――食事だけでなく、撮影現場の設備も豪華そうですね。セットのスケールがとにかく大きくて。嵐のシーンでは、実物大の船が用意されていました。船を自動操縦で揺らしつつ、ウォータータンクから水をダーッと流して。そんな中で芝居する役者を、カメラマンが手持ちカメラで撮っていきます。ディズニーシーみたいでしたね(笑)。藪重が崖の下の海で溺れそうになるシーンが序盤にありますが、あの崖もまるごとセット。ここでもウォータータンクが活躍し、大量の水で波を作りました。忠信くんは溺れそうになっていましたね(笑)。橋渡しとなった役柄と自身の存在「オーバーラップしているかも」――真田さんが通訳を務めることもあったとのことですが、劇中では戸田鞠子(アンナ・サワイ)が通訳の立場にあります。異なる者同士の橋渡しとなる鞠子と、この作品を作る真田さん自身に通ずるものを感じました。言われてみれば、そうですね。そういう意味ではストーリーの中の虎永の立ち位置も、プロデューサーとしての僕の立ち位置とどこかオーバーラップしているかもしれません。謀反人の父を持ち、キリシタンとなり、2つの主に仕える鞠子もまた非常に複雑なキャラクター。虎長はもちろん、そういった人々の繊細な心情をダイナミックなスケールの中で描けたことにも満足しています。――この作品でやりたかったことはすべてやれましたか?まだまだ完璧とまでは言えません。ですが、たとえすべてが揃わなくてもその中でやりくりし、折衷案を生み出すことをこの20年間で学んできました。スタジオが満足し、日本人として許せる範囲を見出す術とも言えますね。しかも、限られた時間の中で。それを踏まえたうえで言うなら、ベストは尽くせたかなと思います。――改めて、ご活躍の中でモットーにしていることは?より良いものにするための努力を惜しまない。ギリギリまで諦めずに粘る。そして、勇気を持って意見を言う。そんなところでしょうか。相手のプライドをなるべく傷つけないよう、けれども守らなければいけないところは死守して。それって、コミュニケーションの取り方次第で可能だと思うんです。一俳優としても、コンサルする立場としても。そういった学びが、今回の経験でも生かせたんじゃないかなと思っています。※西岡徳馬の「徳」は旧字が正式表記ヘアメイク:高村義彦(SOLO.FULLAHEAD.INC)(text:Hikaru Watanabe/photo:You Ishii)
2024年02月29日