MONO NO AWAREが3月3日(日) に東京・新宿MARZで開催した自主企画イベント『ウェルカム』にてベースの竹田綾子が復帰。併せて、約3年ぶりとなる全国ツアーの開催が発表された。『ウェルカム』は開催の約2週間前に急遽アナウンスされたイベントで、MONO NO AWAREが初めて企画イベントを行った会場である新宿MARZで開催された。満員の観客が見守る中、当日暗幕が開くとそこには昨年5月から体調不良のため無期限バカンス中だった竹田がステージに立っていた。当日ライブが生配信される中、バンドは約3年ぶりとなる全国ツアー『アラカルトツアー』を発表。6月7日(金) の東京・Spotify O-EAST公演を皮切りに、福岡、広島、神戸、名古屋、高松、大阪、札幌、仙台、新潟、金沢での全国11都市に加えて、6月28日(金) には台北THE WALLでの台湾公演を含む、全12公演でのツアーを行う。チケットはオフィシャル先行受付を3月11日(月) まで実施中。■竹田綾子 コメント砂浜でマンゴージュースを飲んでいるとお伝えしておりましたが、実際には6畳の和室で風鈴の音を聞きながら麦茶を飲んでバカンスしておりました。バカンス中、サポートをしてくれた清水くんありがとう。待っていてくれたメンバーやスタッフ、皆さんもありがとう。心配かけてごめんなさい!ただいま!<ツアー情報>MONO NO AWARE『アラカルトツアー』6月7日(金) 東京・Spotify O-EASTOPEN18:00 / START19:006月14日(金) 福岡・福岡BEAT STATIONOPEN18:30 / START19:006月15日(土) 広島・広島CAVE-BEOPEN18:00 / START18:306月16日(日) 兵庫・神戸月世界OPEN18:00 / START18:306月21日(金) 愛知・名古屋CLUB QUATTROOPEN18:00 / START19:006月22日(土) 香川・高松TOONICEOPEN18:00 / START18:306月23日(日) 大阪・梅田CLUB QUATTROOPEN17:30 / START18:306月28日(金) 台湾・台北 THE WALLOPEN19:00 / START20:007月6日(土) 北海道・札幌 Bessie HallOPEN18:00 / START18:307月12日(金) 宮城・仙台MACANAOPEN18:30 / START19:007月14日(日) 新潟・新潟GOLDEN PIGS BLACKOPEN18:00 / START18:307月15日(月) 石川・金沢GOLD CREEKOPEN18:00 / START18:30オフィシャル1次先行(抽選):3月11日(月) 23:59まで()オフィシャルサイト:
2024年03月04日『新婚さんいらっしゃい!』で初の同性婚カップルとして話題になった竹田純さん(34)、クリスさん(34)。竹田さんは床バレエ・エクササイズの考案者としてYouTubeや著書で人気のバレエダンサー。その彼が恋に落ち、結婚したのは、クリスさん、男性だ。二人はどこにでもいる、新婚さん。フランスで正式に結婚したカップルだ。彼らは仲睦まじく、ごく自然にゆったりと、誰の目も気にせず、腕を組んで寄り添って歩くーー。(全3回の第1回)「それでは、最初の新婚さん、お呼びしましょう。新婚さん、いらっしゃーい!」MCによる恒例のフレーズで始まった、6月4日放送の『新婚さんいらっしゃい!』。観覧席からの盛大な拍手に迎えられ、スタジオに登場した二人はラブラブな雰囲気で、見ているほうが気恥ずかしくなるほど仲睦まじい。なれそめや日常生活などについてそれぞれが語りながら、手を繫いだり互いの体に触れ合ったり。ときにはMCからツッコミを入れられ、観覧席や視聴者の笑いを誘う。その姿は、番組に出演するいつものカップルたちと、なんら変わらない。ただ一つ、違ったことといえば……。この日、出演した“新婚さん”竹田さんとクリスさん、二人がともに男性だということ。竹田さんはバレエダンサー。「上品にボディメークができる」とSNSや動画サイトで話題の「床バレエ」の日本での第一人者だ。「美尻王子」の異名を持ち、10年ほど前から床バレエのエクササイズ本を何冊も出版。今年4月に出版した『マネしたらやせた! 30秒だけ床バレエ』(講談社)も好評を博している。いっぽうのクリスさんは、リトアニア出身。国内外で活躍する、建築やインテリアのデザイナーだ。フランス在住の二人は今年3月、パリから南に列車で2時間ほどの距離にあるブロワ市で、結婚した。彼らが暮らすフランスでは、ちょうど10年前の’13年から、同性婚が正式に認められている。放送のなかで竹田さんは、今回出演が叶った番組への憧れを、笑顔で語った。「小さいときから見ていたので、すっごい嬉しいです」半世紀を越す長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』に同性婚カップルがスタジオ出演するのは初めてのこと。それゆえか、この二人の出演は、放送前からインターネットを中心に大いに注目を集めていた。■年齢も育った国も違う二人が感じた「周りの子と違う自分」竹田さんは’82年、静岡県で中華料理店を営む両親のもとに生まれた。「両親が共働きで、私と2歳上の姉は家で留守番か、父方のおばあちゃんに預けられることが多くて。バブル期でお店もすごく忙しくて、とにかく親の愛情に飢えている、私はそんな子でした。いま思えば、そこまで欲しかったわけでもないのに、きっと愛情を確認したかったんでしょう、お母さんと買い物に出かけたりすると『あれ欲しい!』と泣き喚いて困らせる、そんな子どもでした」竹田さんの話を聞きながら「僕はもっといい子だった」とほほ笑んだクリスさんは’88年、リトアニア第二の都市・カウナスに生まれた。「欲しいもの、買ってもらえなくても『しょうがない』って思える、そういう子だった。だから、そういうことで泣いたり、もちろんパニックとか絶対にならない。両親からしたらめっちゃラッキーな、いい子じゃない?(笑)」年齢も育った国も違う二人。だが、それぞれが「周りの子と違う自分」を感じながら、少年時代を過ごしてきた。クリスさんは言う。「幼いときから『自分はなんか周りの人と違うな』と思ってた。人を好きになるなら、皆と同じように女性じゃなきゃいけないと思ってたけど、僕はそれができなかった。だから、僕は“表向きの自分”という殻を作って、ずっとその中にいたし、家族とは少しずつ距離を取るようになった」いっぽう、竹田さんは自身の幼少期をこう振り返った。「厳密に、どこで自分が『周りの人と違う』と気付いたかは定かじゃないです。でも、保育園のとき『いいな』と思う人がいて。その人、見た目がボーイッシュな女の子だった。女性と気付いてすぐ『あ、違う』って思い直したんですけど(苦笑)。そのころかもしれないですね、自分は違うんだと気付いたのは」朗らかな口調で、思いの丈をまっすぐ語る現在の竹田さん。だが、少年期の彼はそうではなかった。「お習字も水泳もサッカーも、何をやっても中途半端。というのも“皆とは違う”と気付いた瞬間から、ずっと心にあったのは『自分は決して成功する人間ではない』という思いでした。何をするにも、いつも端から諦めてしまっているというか。幼いときから教え込まれたこの世の中の“普通”、男性と女性というスタンダード。翻って自分を見れば『私は違うんだ、ダメなんだ』という気持ちに、どうしてもなってしまっていた。だから、本当の自分なんて出したくても出せない、出しちゃいけないっていう感覚がずっとありました」そんな竹田さんが唯一、諦めることなく、没頭したものがあった。「中学生のとき、当初はダンスでした。ジャネット・ジャクソン、それにスパイス・ガールズ……。テレビで見て『すごい!』って思って、振付をまねして、家で踊りまくって。そしたら、姉に『うるさい!気持ち悪い!』って怒られ、蹴りまで飛んできて(苦笑)。それで、家で踊ることは諦め、電話帳で見つけたジャズダンス教室に通うようになったんです」竹田さんにとって踊ることは、全身を使って本当の自分を表現することに、ほかならない。「2年ほど通うと、ダンス教室の先生から『あなたはバレエのほうが向いている』と勧められ、17歳でバレエ教室に。バレエはダンスのように、好き勝手には踊れないんです。足の出し方一つにも、制約がたくさんある。でも、それすらも面白くなって、どんどんバレエにハマっていきました」やがて高校3年生になった竹田さんだが、進路にあれこれ悩むことはなかった。目の前にあったのはバレエダンサーへの道、一択。「自分の将来とか、あんまり真剣に考えてこなかったんです。でも、そのときバレエ教室の先生から『東京バレエ団のオーディション、受けてみたら』って言ってもらって。考えるより先にまず行動するタイプの私は、言われるまま受験して、入団が決まっちゃった」キャリア、わずか2年足らずで、国内有数の名門バレエ団の一員になるという快挙を成し遂げた。「入ってみたら、当然ですが私がいちばん下手。でもそれで、一気にやる気が強火になった(笑)」日本屈指のバレエ団。環境にも恵まれていて、海外のバレエダンサーの姿も身近なものに。「彼らを見ていたら、自分も海外でやってみたいと思うようになっていきました。『下手な私が上達するには、ゼロからちゃんと学び直さなきゃ』と思って、フランスの国立バレエ学校に行こうと決心して。それに、まったく違う世界に飛び込めば、本当の自分をもっと受け入れてもらえるかもしれない、そんな淡い期待もありました」竹田さんは20歳で渡仏。ところが、目指した国立バレエ学校は通常、15~18歳が通うところで……。「それ、知らなかったというか、調べてもなくて(苦笑)。年齢を理由に、何度も門前払いされましたけど、めげずに通ったら、4回目ぐらいに窓口の人が根負けしてオーディションを受けさせてくれて、無事合格(笑)。以降、15歳の子たちとレッスンに励みました」基礎から学ぶこと4年。’06年には難関といわれる国際コンクール「Concours International de Danse Classique de Biarritz」で銅メダルを獲得。フランスのリモージュ歌劇場など多くのバレエ団で活躍した。そして’09年、竹田さんは27歳のときに日本に帰国することに。「帰国後、収入を得るためにバレエの指導者になろうと。でも、ただの先生では面白くない。そこで思いついたのが、フランスで『バーオソル』と呼ばれる床バレエでした。それはバレエをベースにした床に体をつけたまま行うエクササイズ。フランスではバレエ経験の有無にかかわらず、美しい筋肉が手に入るととてもポピュラーなもの。私自身、日ごろ床バレエをやってきたことで、けがから早期回復できた実体験もあり、多くの人に勧めたい、日本でも広めたい、そう思ったんです」【中編】床バレエで人気の“美尻王子”が同性婚!〈2〉ゲイである自分を押し殺していた2人の運命的な出会いと葛藤へ続く
2023年10月22日Days of Delight(ファウンダー&プロデューサー:平野暁臣)は、87歳にしてシーンの第一線で活躍するジャズギタリスト・竹田一彦のニューアルバム『St.Louis Blues』を2023年3月9日に発売します。1950年代後半から65年にわたって現場の第一線で活躍してきた竹田一彦は、日本を代表するギタリストにして関西ジャズ界の重鎮。8年ぶりのリーダー作に選んだのは、長年にわたって共演を重ねてきたベーシスト・神田芳郎とのデュオでした。気心の知れたふたりのマエストロが、歌心あふれる極上のブルース&バラードを紡いでいきます。「レコーディングでは、ふたりはあえてブースに入らず、小さなクラブでのギグとおなじ距離感でプレイ。ライヴのように一気に録音しました。竹田さんはいつもどおり、なにも考えず、なにも諮らず、自分のなかに湧きあがる音をナチュラルに、鼻歌のように歌っています。一粒一粒が深く、何度聴いても飽きることのない竹田一彦の音、デビュー以来65年を生き抜いたギタープレイをどうぞご堪能ください」―――Days of Delight ファウンダー&プロデューサー 平野暁臣竹田一彦『St.Louis Blues』JacketDOD-033 竹田一彦『St.Louis Blues』【演奏者】竹田一彦 Kazuhiko Takeda guitar神田芳郎 Yoshiro Kanda bass【収録曲】1. Summertime2. St.Louis Blues3. The Guitar Man4. Sonnymoon for Two5. They Say It's Wonderful6. The Man I Love7. Under a Blanket of Blue8. You Don't Know What Love Is9. Poor Butterfly10. Sandu(2022年6月2日 京都録音)【商品概要】レーベル:Days of Delight型番 :DOD-033JAN :4582530660450定価 :¥2,500(税込 ¥2,750)発売日 :2023年3月9日 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年02月16日竹田優哉監督『暮れる』は、“真実の映画”だ。映画監督への登竜門と呼ばれる自主映画のコンペティション、ぴあフィルムフェスティバルの「PFFアワード」は、1977年から続く歴史の中で、黒沢清監督や諏訪敦彦監督など日本映画界を牽引する映画監督を数多く輩出してきた。今年開催されたPFFアワード2022で京都会場のグランプリ「京都観客賞」を受賞したのが『暮れる』だ。主人公は祖母と愛犬と暮らす無職の青年。将来への不安を抱えながら静かな日常をおくっている。ある日彼は犬の散歩中に原因不明の腹痛に襲われ、犬のリードを離してしまう。迷子になってしまった犬を探して辿り着いた自然の中で、彼はキャンプ中の男性と出会い、そこで一夜を過ごすことになる。痛みは、湖の水面や火の音と同じように、全てリズムなのだ。少し掴みづらいリズムもあるというだけだ。世界に隠された優しい真実を見せてくれた竹田監督は、どのような眼差しで世界を見つめ、映画にしたのだろうか。竹田監督が本作に込めた思いを伺った。――『暮れる』を製作した経緯を教えてください。大学院で長期間留学に行く予定だったんですが、コロナで中止になってしまって1年間ほど空き時間ができたというのが大きな理由です。どうせなら何かやろうと思って、友達と2人でアイディアを発表する会を立ち上げました。そのとき僕の頭の中にあったのが『暮れる』のような映画をつくることでした。その会を開いていた場所が友達の家族が所有していた山の近くにある空き家だったんですが、そこの環境がすごく良くて、この場所で友達と一緒に映画をつくりたいという思いが徐々に湧き、プロットを書き始めました。そのとき一緒に会をやっていた友達が『暮れる』の主演の子です。スタッフも大学の後輩や先輩や友達などを集めて撮りました。――『暮れる』は少し俯瞰的な視点から日常を描いているように感じました。そこは意識されていますか?映画の視点というのは常に意識しています。ある映画監督から、「監督の重要な仕事のひとつは、カメラポジションを最良の位置に持ってくることだ」という言葉をいただいたことがあります。それから「最良のカメラポジション」ってなんだろう…とずっと考えていました。僕は登場人物の主観やモノの肌触りを感じるような作品が好きだったので、当初は人間の目線に近い画角を意識して撮ろうと考えていました。だけど同時に、必要以上に物語に入り込みたくないという気持ちもありました。だから、手持ちカメラなどとは別のやり方で、普段感じていることを映画で表現してみようと思いました。脚本を書いたのは僕ですが、それに必要以上に縛られるとわざとらしくなってしまいます。そうならないために今回使った手法は、リハーサルを繰り返して、セリフを役者が言いやすいように変えたり、役者の普段の立ち振る舞いをもとに脚本を考えたりすることでした。撮影もどこからか眺めているような映像を目指してつくりました。――葛藤の末に生まれた視点だったのですね。PFFアワードで入選したことはやはり嬉しかったですか?めっちゃ嬉しかったです(笑)。自分が考えていることを自分なりに映画にしたら、10人中9人はつまらないと言うけど、1人くらいの心には届くんじゃないかなという期待はありました。PFFアワードの審査員の中にそういう方が1人くらいいたら、もしかしたら…と思っていたら、そのもしかしたら起きました(笑)。積極的に賞をとりにいった作品ではなかったのですが、せっかく本気でつくった映画なので、誰かに届いてほしいという思いはありました。だから入選したときは本当に嬉しかったです。――主人公が月に一度襲われる原因不明の腹痛や迷子になってしまう犬など、印象的な描写がありますが、これは竹田監督の経験に基づいたものでしょうか?腹痛は僕自身の経験です。人はコントロールできない何かとどういう風に折り合いをつけていくのかということにずっと興味がありました。それを考えているときに映画づくりでピックアップしたのが、まず自分にとって身近な腹痛、つまり身体です。犬や自然というのも、人間のコントロールから外れてしまう存在として入れました。――どうしてコントロールできない存在との関係性に興味を持ったのですか?僕はコントロールできないものとうまく折り合いをつけることができないから、興味を持ったんです。うまく生きていくことができないなとずっと思っていました。たぶんそういう人はたくさんいると思うんですけど、そういう人たちの中でもすごく楽しそうに生きている人はいるじゃないですか。彼らはどうやって楽しく生きているんだろうというのを探っていくと、やっぱり彼らなりの工夫がたくさんあることがわかりました。僕も折り合いをつけて楽しく暮らしていきたいので、そのためにまず人の生き方を観察したいという思いがありました。大学院ではそういうことを研究していました。――主人公の青年が歌う開放的なシーンがありましたが、あれは折り合いのつけ方のひとつでしょうか?あれは単純に、自己主張が苦手な青年がきっかけを与えられたことで自分を表出するというシーンを撮りたかったんです。でも、言われてみれば折り合いのひとつかもしれませんね。主演の子は歌がすごくうまかったので、これを活かさない手はない、と思っていました。もし彼が走るのが得意だったら、走らせていたかもしれないですね(笑)。――竹田監督の映画観についてお聞きしたいのですが、竹田監督にとって映画はどのような存在ですか?映画は僕にとって一番馴染みのあるメディアですし、元気をもらえたり、自分の人生を見つめ直すきっかけになったりもします。でも映像をつくる一番の理由は、考えていることを言葉でうまく伝えられないからだと思います。言葉をうまく操ることができなくても、映像だったらできそうだなと思うんです。僕はどこか自分の気持ちを隠してしまう癖を持っているので、それと向き合うためにも映画づくりが必要でした。――最後に、『暮れる』を通してどのようなメッセージを伝えたいですか?あえて言うとすれば、「みんないろいろ背負っていると思うけど、大丈夫。そのまま生きていけばいい」ということかもしれません。でも僕は、何かメッセージを伝えたいというよりは、ひとつの自律した世界のような映画を生み出したいという気持ちの方が強いです。映画を観終わったあとも、映画の世界や人物が動いているのではないかと思えるような映画をつくりたいです。そんな映画を観ると、たぶん自分を見つめ直すきっかけになるんじゃないかなと思います。僕自身、そうやって今まで映画に救われてきました。『暮れる』も、別の誰かの人生を見ることで自分の人生を考えなおす鏡のような存在になればいいなという思いでつくりました。今後もそのような映画はつくっていきたいです。そして、何かで悩んでいる人たちの考えるきっかけになってくれたら嬉しいです。「PFFアワード2022」は2023年1月13日(金)まで「スカパー!番組配信」にて配信中。※視聴には、スカパー!のいずれかの有料チャンネル、プラン・セット(一部有料PPS放送を除く)のご契約が必要です。(text:cinemacafe.net)■関連作品:【映画祭】ぴあフィルムフェスティバル 2013年9月14日〜20日、渋谷シネクイントにて開催
2022年12月27日令和へと持ち越された、眞子さまと小室圭さんのご結婚延期問題。明治天皇の玄孫で作家の竹田恒泰さんは、お二人の結婚に「反対」だという。その理由とは?■小室さんには早く諦めてほしいと思っています。眞子さまとの結婚には、完全に反対です。いくら個人の意思が尊重される時代とはいえ、皇族方はご存在そのものが公的なのです。上皇陛下がどれだけ公のためにお尽くしになったか、眞子内親王殿下もよくご存じだと思います。そのため秋篠宮殿下がおっしゃったように《多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況》が大切になってくるのです。小室さんが1月22日に公表した文書は、彼を応援していた人まで絶望させたのではないでしょうか。金銭トラブルの発覚から1年以上も問題を放置し、秋篠宮殿下に《それ相応の対応をするべき》と求められた末に、あの回答。一方的に「解決済み」と説明したあの文書で、少しでも状況が進展すると思ったのでしょうか?当初は金銭トラブルが解消するのかどうかが焦点でしたが、もはや多くの国民が、小室さんの人間性や対処能力、誠実さに疑問を抱くようになりました。もし、あの時点で和解を成立させてトラブルを解消していれば「なかなかやるな」と多くの人が評価したかもしれません。それなのに小室さんは、ピンチをチャンスに変えることができず、オウンゴールしてしまいました。あの文書を公表してしまうような世間との感覚のズレは、内親王殿下を口説いてしまう常識のなさに通じているように思えてなりません。小室さんはロースクール留学にあたって、奨学金を得るために「眞子さまのフィアンセ」という肩書きを利用したという疑惑まであります。小室さんが本当に眞子内親王殿下のことを幸せにしたいと思っているのであれば、今の秋篠宮家の状況をどう考えているのでしょうか。小室さんとのご結婚問題で秋篠宮家の親子関係には大きな溝が生まれたといわれています。そのような状況になっても結婚を辞退しない小室さんは、自分たちさえ結婚できれば、相手の家族がどうなってもかまわないと考えているように見えてしまうのです。愛する人が大切にしている人たちを含めて幸せにするというのが、本当の愛ではないでしょうか?眞子内親王殿下や秋篠宮皇嗣同妃両殿下の心の痛みや苦しみを想像できていないように見えます。小室さんには、眞子内親王殿下を幸せにしたいという気持ちよりも、ただ眞子内親王殿下が欲しいという自分中心の気持ちしか感じられないのです。国民にとっても、それが大きな違和感になっているのだと思います。
2019年05月03日真っ赤な毛氈が敷かれたステージに、和服姿の日本人女性がしずしずと登場してひざまずく。正座をして客席に向かってお辞儀をすると、「いったい何が始まるんだ?」と、人びとの視線が集まってきた。ところはアメリカ・ロサンゼルスのロングビーチ。世界最大のお茶の見本市「ワールド・ティー・エキスポ」が開催中の巨大なコンベンションセンターだ。 この日も会場は喧噪に沸き立っていたのだが、ステージ上の茶道家・竹田理絵さん(51)が静かに茶道具を並べ、袱紗で茶杓や茶器を清めていくにつれ、会場は少しずつ静まっていく。その凜として美しい所作に、何百人もの来場者が足を止めて固唾をのむ。やがて竹田さんが釜から柄杓で茶椀に湯を注ぎ入れるころには、静寂があたりを包んだ。 「緊張ですか?それが、しないんです。いつも自然体です。茶道は常に自分に向き合い、ひとたび釜の前に座って点てはじめると、自分だけの世界に入り込めてしまうんです。ひたすら、そのときの自分ができる最高のお茶を点てて差し上げる。それが茶の湯の精神で、おもてなしの心だと思います」(竹田さん・以下同) 茶道の魅力を世界に広めたいと、竹田さんが東京・銀座に「茶禅」を設立したのは、’14年9月。日本人はもちろん外国人観光客に茶道体験プログラムなど、日本の伝統文化を提供する事業を行っている。 冒頭の「ワールド・ティー・エキスポ」に初参加したのもこの年である。竹田さんのお茶のデモンストレーションは評判を呼び、その後もパリをはじめ、中国の厦門、バンコク、ロンドン、ミラノなど、各国の見本市や博覧会でお点前を披露してきた。 竹田さんは’66年2月、東京・神楽坂生まれ。母は裏千家の正教授、祖父は掛軸の表装を手がける表具師である。竹田さんが、お茶の力を痛感したのは就職してからだ。青山学院大学を卒業後、日本IBMに入社。配属された部署はコールセンターだった。 「ヘッドセットのマイクをつけて、お客さまからのクレーム対応です。『早くなんとかしてほしい!』とか『プリンターがつながらないじゃない!』など、一日中怒られてばかりです」 身も心も疲れきって帰宅する毎日だった。そして気がつけばお茶を点てていた。学生時代から母の手ほどきを受けていた竹田さんだが、そのありがたさが身に染みたのが、苦しかったこの時代だ。 「家に帰ってお茶を点てると……ほんとうに無になれたんです。重くのしかかっていたストレスがスコンと空になって、次の日にはまったく新しい気持ちで仕事に行ける。茶道の力だと思いました。やはり、日本文化には、何かすごいパワーが備わっているのだと思いました」 やがて、コールセンターでの実績が認められ、竹田さんは人事部の部長付秘書に抜擢された。外資系企業だけに、取引先など多くの外国人が訪れる。そんなとき、竹田さんは少し複雑な、寂しい思いをすることが多かったと話す。 「お客さまから日本文化について尋ねられても、上司や先輩のほとんどがきちんと答えられなかったのです。お茶について聞かれても、『茶道?自分はやったことがないから』って。そこで話が切れてしまったりして。外国の方は自国の文化に造詣が深いので……。そのような様子を見ていて、日本人なのに、こんなにも茶道は知られていないのか、と」 そしてあらためて気づいた。 「茶道は、すべての日本文化につながっているのです。お茶室の床の間には掛軸があって書道につながっているし、お花はもちろん華道。お香は香道、和食や和菓子、着物、焼き物、建築。茶道に足を踏み入れてくだされば、そこから日本の伝統文化の世界が広がっていくんです」 26歳のときに、5歳年上の自営業の男性と結婚。3年後に日本IBMを退社し、34歳で長女を出産。OL時代にはさまざまな習い事をして、「池坊華道教授」「日本紅茶協会認定講師」などの資格を取得。子育ての間も母親の茶道教室を手伝うかたわら、自宅で資格を生かして「おもてなし教室」も開いた。 転機は、’13年10月のこと。長女が中学生になるころ、竹田さんは「主婦の片手間ではなく、本格的なビジネスをしたい」と意欲をみなぎらせていた。ちょうどそのとき友人から聞いたのが、海外型の創業補助金制度だった。事業計画を提出して採択されれば、補助金が出る。 「ただ、提出の締切りまで2カ月しかなくて。周りからは、『来年にすれば』とか、『実績がないから無理だ』など反対の声ばかりでしたね」 しかし、竹田さんは寝る間も惜しんで事業計画を作り上げ、見事に採択される。こうして、「茶禅」を設立。 「自分で茶禅の資料やチラシを作って、旅行会社やホテルなど、一軒一軒、営業にまわりました。初めは『置いといて』と素っ気なくされることが多かったです。そもそも、茶道体験をビジネスとして展開しているところは、少なかったようです」 だが、時代の流れが茶禅を後押しした。“おもてなし”が流行語になった東京オリンピックの開催決定や、国の政策もあり、茶禅を設立した’14年の約1,341万人から、’15年が約1,974万人に外国人観光客は急増。さらに’16年は約2,404万人まで増加した。旅行会社やホテルから茶道体験の依頼が来るようになった。海外でのデモンストレーションも好評を博し、ビジネスは軌道に乗る。 「茶道というと格式高いというイメージがあるかと思います。海外ではなおさらです。私はどうにかしてもっと身近なものにしたいと思っています。子どもにも若い人たちにも、格好いい、クールと言ってもらえるような。お道具にしても、どんな器でもいいと思うんです。実際、マグカップを持参してきた方に、一服点てて差し上げたこともありますよ(笑)」
2017年11月12日「事前に、『昔のサムライはにじり口から入るために刀を外した。“茶室ではどんな人間も平等である”という、千利休の説いた茶の湯の精神なのです』と説明しますから、みなさん、何としてでもにじり口から入ろうとなさいますね。ズボンがひっかかって、お尻が半分出てしまったお客様もいらっしゃいました(笑)」 ふんわりと柔らかくほほ笑むのは、茶道家・竹田理絵さん(51)。茶道の魅力を世界に広めたいと、竹田さんが東京・銀座に「茶禅」を設立したのは、’14年9月。日本人はもちろん外国人観光客に茶道体験プログラムなど、日本の伝統文化を提供する事業を行っている。 ’14年に初参加した「ワールド・ティー・エキスポ」で、竹田さんのお茶のデモンストレーションは評判を呼び、その後、パリをはじめ、中国の厦門、バンコク、ロンドン、ミラノなど、各国の見本市や博覧会でお点前を披露。驚いたことに、竹田さんは「ゲリラ茶会」と称して、訪問した国々の路上でもお茶会を“開催”してきた。 「もともと私はアウトドアが好きなんです(笑)。路上に毛氈と傘を持っていって、ポットのお湯でお茶を点て、道行く人たちに、『ジャパニーズ抹茶、いかがですか』って。たくさんの方が興味津々で召し上がってくださいます。そうそう、ロンドンでは、おまわりさんから『何してる?』ととがめられそうになりましたが、『ジャパニーズ・ピクニックです』と答えたら、笑って行ってしまいました」 昨年4月、首脳会談のために来日したエストニア共和国の首相が銀座の茶室を訪れた。しかし、VIPを前にしても、竹田さんはいつものように無心にお茶を提供するだけで緊張することはなかったという。 「点てたお茶を楽しんでいただこうという気持ちは、どの方にも同じですから」(竹田さん・以下同) 以前、ロサンゼルスのロングビーチで“路上茶会”をしたときには、こんなことがあった。海岸のベンチに毛氈を広げて準備していると、そのベンチの“住人”なのか、初老のホームレスの白人男性が近くで見ていたのである。 「でも、何かが始まると気がついて、自分のような者がいたら申し訳ないという感じで立ち去ろうとするんですね」 そんな彼を、竹田さんは「日本のお茶です。一服いかがですか」と呼び止めた。男性はけげんな顔をした。伸び放題のヒゲで塞がりそうな口元をモゴモゴさせ、「自分なんかにいいのか?」と言う。 竹田さんはいつものように、自分が点てることのできる最高のお茶を入れるために、一心に茶筅を振った。彼はヒゲをかきむしりながら、黙って見つめている。やがて奇麗な泡が一面に立った抹茶が入った茶碗を竹田さんが差し出すと、おずおずと受け取って一口飲んだ。 すると、それまで険しかったホコリだらけの彼の顔がみるみる柔らかくなり、満足そうな表情で「うまい……」と漏らしたという。小声で「サンキュー」と告げて去っていく彼に、竹田さんは深々と頭を下げて見送った。 今年10月27日、竹田さんは東南アジアの王国、ブルネイに招かれた。王の即位50周年を祝う式典のティーセレモニーで、300人の招待客が見守るなか王女にお茶を点てた。翌日には宮殿の晩餐会に招かれ、元王妃にお茶を一服差し上げたのである。 王女は「こんなにおいしいお茶は飲んだことがない」と感激し、元王妃からは「そのお点前は、まるで舞をみたような気がします。とても美しく厳粛なものなのですね」との言葉をもらった。 「日本の伝統文化の茶道をたくさんのブルネイの方々にご覧いただいたこと、おいしいお茶を点てることができましたこと、ただただうれしくホッとしました」 さすがに今回ばかりは竹田さんも緊張したのではないだろうか。 「いえ、お茶を点てるときは、どんなに豪華な宮殿であっても路上であっても、私には変わらないです。そんなこと言ったら、怒られてしまうかもしれませんけど(笑)」 誰もが心を開き、フレンドリーになるお茶の心は、これからも世界へ“輸出”されていく。
2017年11月12日「天空の城」「日本のマチュピチュ」の呼び名で数多くのメディアに紹介され、雲海に浮かんだ幻想的な絶景が見られることで注目を集めている竹田城(兵庫県朝来市)。2006年に日本城郭協会が選定した「日本100名城」に選ばれたことや、2012年公開の高倉健さん主演の映画『あなたへ』のロケ地になったことが話題を呼び、昨年度には年間入城者数が50万人を超えた。全国でも指折りの絶景が見られる城として、城ファンのみならず多くの観光客が足を運ぶ人気スポットとなっている。だが、実はこうした絶景が見られるのは竹田城だけではない。全国各地には知られざる天空の城が他にもあるのだ!○雲海に浮かぶ唯一の現存天守・備中松山城城を天空の城たらしめる重要な要素が雲海だ。雲海は秋から冬にかけてのよく晴れた早朝、寒暖の差が激しい日に発生することが多い。あたり一面が雲海に包まれることで、雲の上に浮かんでいるかのような幻想的な城が姿を現す。雲海を事前に予測することは難しいため、見られるかどうかは運によるところも大きいという。そのため、天空の城を見るために何度も城に足を運ぶ人もいる。必ず見られるわけではないことも、人々が天空の城に魅せられる理由のようだ。岡山県高梁市にある備中松山城も、そんな雲海に浮かんだ絶景が見られる城のひとつ。日本に12棟しかない現存天守を持ち、さらにその中でも唯一の山城という点で、非常に貴重な存在である。備中松山城には1683年(天和3)に、備中松山藩の藩主・水谷勝宗(みずのやかつむね)が3年がかりで修築した天守が当時の姿のまま残っている。石垣のみが残り、どこか無国籍な情緒を漂わせているのが竹田城の魅力だとすると、備中松山城の魅力はこの現存天守にある。雲海に浮かんだ現存天守は、この備中松山城でしか見ることができない。幻想的な雲海を眺めながら、連綿と続く日本の歴史に思いを馳(は)せてはいかがだろうか。雲海に浮かぶ備中松山城は、山中にある大松山展望台から見ることができる。展望台へは車でのアクセスとなるが、積雪により道路が閉鎖されることもあるので気をつけよう。○滅多に見られない「幻の天空の城」・越前大野城福井県大野市にある越前大野城も、天空の城として近年注目を集めている城のひとつだ。JR越前大野駅から徒歩約30分という、市街地からほど近い場所に位置するにも関わらず、条件さえ整えば美しい天空の城が姿を現す。越前大野城は1576年(天正4)、金森長近が4年の歳月をかけて築城した城。資料館となっている現在の天守は戦後に作られた模擬天守だが、石垣や堀の一部が当時のまま残っている。竹田城や備中松山城で雲海の城が見られるのは月に10日ほどだが、越前大野城では年に10日ほどしか観測されない。しかし、滅多にお目にかかれないぶん、観測できたときの喜びはひとしおだ。越前大野城で雲海がもっともよく観測されるのは11月。「幻の天空の城」を見に、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。越前大野城の撮影スポットへは、現在3つのコースが用意されている。犬山城址を越えていく、起伏が多くもっとも難易度の高いみくら清水コース、犬山城址と飯降山を繋ぐ山道を通る中級者向けのほたるの里コース、そして新設されたもっとも登りやすい洪泉寺コースだ。だが、洪泉寺コースでも山道なので決して簡単とは言えない。野生動物に遭遇したり崖から落ちる危険もあるので、万全の準備をしてのぞもう。○壮大な風伝おろしとの共演・赤木城跡三重県熊野市にある赤木城跡も、天空の城として脚光を浴びつつある城だ。赤木城跡は竹田城や備中松山城のように雲海に浮かぶ城ではないが、朝霧に包まれた姿はまさに天空の城と呼びたくなるような趣がある。築城の名手・藤堂高虎が一揆を鎮圧するために築いた赤木城は、中世山城の要素と近世城郭の要素の両方を持ち、築城当時の遺構がよく残っていることから、1989年に国の史跡に登録されている。昔から、この地域では秋から冬にかけて峠から霧が滝のように流れ落ちる「風伝おろし」と呼ばれる現象が地元の人々に親しまれていた。真っ白で分厚い霧が流れ落ちる様子は写真愛好家からも人気が高く、この時期になると毎年大勢の人が詰めかける。赤木城跡があるのは、風伝おろしが見られる隣町の御浜町尾呂志地区から少し離れた場所。比較的高度の低い場所に位置し、秋シーズンは月に10日程度、理想的な朝霧が発生する。霧に包まれた赤木城跡は県道熊野矢ノ川線の沿道から見ることができる。一番綺麗に観測できるスポットは県道から少し高所にあるが、それでも軽乗用車で気軽にたどり着ける場所だ。朝霧に包まれた赤木城跡の姿は、竹田城に勝るとも劣らないほど。霧が散らない風のない朝を狙って、風伝おろしとともに楽しみたい。(文・かみゆ歴史編集部 小沼理)○筆者プロフィール : かみゆ歴史編集部歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ(イカロス 出版)、『日本の寺完全名鑑』(廣済堂出版)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。「かみゆ」「城フェス」
2014年11月10日