“とろけるくりーむパン”で人気の「八天堂」から、ムーミンとコラボレーションしたスイーツパン「ムーミンコラボ メロンメロンなくりーむパン」が登場。2021年7月26日(月)より数量限定発売される。“サクサク”パン生地×濃厚メロンクリーム2021年で7年目となる「八天堂」とムーミンのコラボレーション。新作の「ムーミンコラボ メロンメロンなくりーむパン」は、サクサク食感のメロンパン生地の中に、クラウンメロンを使った濃厚なメロンクリームをたっぷりと詰め込んだスイーツパンだ。くりーむパンとしてそのまま味わうのはもちろんのこと、冷凍庫に少しいれてアイスのように楽しむこともできる。ムーミントロール&スナフキンが“釣り”を楽しむバーガー袋パンを包むバーガー袋は、ムーミントロールとスナフキンが釣りをする様子を描いたチャーミングなデザイン。保冷バックには、スノークのおじょうさんが花に囲まれてうたた寝しているシーンをプリントし、夏のひとときを表現した。【詳細】・ムーミンコラボ 八天堂 メロンメロンなくりーむパン 321円 カフェ利用の場合327円・専用保冷バック 601円※購入方法や販路によって価格が異なる場合がある。販売期間:2021年7月26日(月)~※数量限定の商品の為、なくなり次第の終了。※店舗により取り扱いの有無・期間が異なる場合がある。各店舗へ問い合わせ。販売店舗:<東日本エリア>JR 池袋、HACHI PAN CAFÉ、エキュート品川サウス、東京駅エキュート京葉ストリート、エチカフィット永田町、JR 恵比寿、八天堂きさらづ、横浜ポルタ、エキュート立川、エキュート上野<中部近畿エリア>ジェイアール名古屋タカシマヤ<関西エリア>ekimo 梅田、ekimo 天王寺<中国・九州エリア>八天堂港町創業店、八天堂本店(八天堂カフェリエ内)、広島空港店、博多駅デイトスいっぴん通り、八天堂アミュプラザ小倉店、アミュプラザおおいた、ekie 広島駅、イオンモール岡山、空の駅オーチャード※その他期間中、催事販売店舗でも一部取り扱いのある場合がある。
2021年07月24日ピエール・エルメ・パリ(PIERRE HERMÉ PARIS)が手掛けるコンセプトショップ「Made in ピエール・エルメ」の新店舗が、羽田空港・第2旅客ターミナルに2021年7月1日(木)にオープンする。「Made in ピエール・エルメ」が羽田空港に「Made in ピエール・エルメ」は、“パティスリー界のピカソ”とも称されるピエール・エルメが選りすぐった日本の素晴らしいものを、世界へ発信するコンセプトショップ。日本各地の生産者とコラボレーションした食料品や雑貨のほか、マカロンやチョコレート、焼き菓子などを展開している。そんな「Made in ピエール・エルメ」の新店舗が、羽田空港・第2旅客ターミナルのマーケットプレイスにオープン。店頭では白味噌やシソなど“和の素材”を使用したマカロンをはじめ、個性豊かなスイーツを販売する。“マカロンのせ”ソフトクリーム全4種も中でも注目したいのは、今夏にリニューアルするソフトクリームだ。マカロンやチョコレートがトッピングされたアーティスティックな一品で、同店はバニラ、マンゴー、抹茶、チョコレートの全4種のフレーバーが揃う唯一の店舗となっている。【詳細】「Made in ピエール・エルメ 羽田空港」オープンオープン日:2021年7月1日(木)住所:東京都大田区羽田空港3-4-2 第2旅客ターミナル マーケットプレイス3FTEL:03-5579-7767(7月1日開通予定)営業時間:9:00~17:00(オープンより当面の間)、8:00~19:30(通常)平米数:20.8平方メートルメニュー例:・バニラのソフトクリーム テイクアウト 810円、イートイン 825円・マンゴーのソフトクリーム テイクアウト 810円、イートイン 825円・抹茶のソフトクリーム テイクアウト 810円、イートイン 825円・チョコレートのソフトクリーム テイクアウト 810円、イートイン 825円・グラノーラバー 各540円・マカロン6個詰合わせ 2,808円
2021年07月03日chelmicoの鈴木真海子が、初ソロアルバム『ms』の発売に先駆け収録曲「じゃむ(feat. iri)」を7月9日に先行配信する。同曲はシンガーソングライターiriをゲストボーカルに迎え、ふたりの仲の良さがうかがえる心温まる作品に仕上がっている。合わせて、8月18日にリリースされるアルバムの詳細が発表された。CDには「じゃむ (feat. iri)」を含む全新曲の9曲に加え、初回限定盤のDVDには、大自然を背景に6人編成のバンドメンバーで披露した「Contact TOSHIKI HAYASHI (%C) remix」や、「Blue」「金木犀」など新曲も含む7曲をライブ映像を収録。なお今作は楽曲、アートワーク、そしてライブ映像の全てをPistachio Studio監修のもと、 鈴木真海子本人がこだわりぬいて制作している。また、7月2日からApple MusicやSpotifyで今作をライブラリに事前に追加すると、アルバム収録曲「mani」を今作のサウンドプロデューサーryo takahashiとRECの合間にパフォーマンスする秘蔵映像が視聴できる企画も行われる。さらに、アルバム発売を記念したビルボードライブでの公演が決定。東京・大阪共にフルバンド編成で行われる初の単独公演となっており、チケットはオフィシャルHP抽選先行が7月11日まで行われている。■鈴木真海子 コメントはい!やっと一緒にできました!前から一緒にやりたいねと話していたので感慨深いです。料理して海行ってお酒飲んで喋ったりただ黙ってゆっくりしたり。普段の私たちの空気感が伝わったら嬉しいです。イリとの思い出MVも一生モンです。ありがとう!■iri コメント以前からまみちゃんといつか一緒に曲を作りたいねと話していたのでようやく叶って嬉しいです。暖かくてお守りのような曲になりました。<配信情報>digital single 鈴木真海子 「じゃむ (feat. iri)」7月9日先行配信<リリース情報>1st album『ms』(読み:エムエス)8月18日リリース7月2日0:00よりiTunes Storeではアルバムの予約がスタートCD予約リンク:『ms』ジャケット●初回限定盤【CD+DVD】:4,180円(税込)●通常盤【CD】:3,080円(税込)【CD収録内容】1. Lazy river2. judenchu3. じゃむ(feat. iri)4. mani5. 空耳6. どっかの土曜日7. 山芍薬8. R9. untitled【DVD収録内容】1. Lazy river2. 金木犀3. Blue4. judenchu5. untitled6. Contact TOSHIKI HAYASHI (%C) remix7. 山芍薬<CD購入者特典>・Amazon.co.jp:メガジャケ・応援店:ステッカー詳細はこちら:<ライブ情報>鈴木真海子 Billboard Live Tour 20219月23日(木・祝) ビルボードライブ大阪(1日2回公演)1stステージ:開場 14:00 / 開演 15:002ndステージ:開場 17:00 / 開演 18:009月26日(日) ビルボードライブ東京(1日2回公演)1stステージ:開場 14:00 / 開演 15:002ndステージ:開場 17:00 / 開演 18:00【バンドメンバー】vo:鈴木真海子dr : ryo takahashikey : ESME MORIkey : 沼澤成毅gt : 近藤邦彦ba : 井上真也【チケット料金】サービスエリア:6,000円カジュアルエリア:5,500円(1ドリンク付)※ご飲食は別途ご精算となります。※お席によっては指定料がかかる席があります。■オフィシャルHP 抽選先行受付期間:7月1日〜7月11日■一般発売8月6日(金)問い合わせ:Billboard Live Official Web関連リンク鈴木真海子 Website鈴木真海子 Twitter鈴木真海子 Instagram鈴木真海子 YouTube Studio
2021年07月01日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第14回は、つい他人と比べてしまうことについて、きしもとさんが持論を展開します。第14回『みんな頑張ってて、みんな怠けてる。』梅雨なのに何日か気持ちのいい晴れた日が続くことを梅雨の中休みというらしい。カラッといい天気だったので、7歳の友人を誘って少し遠い普段行かない公園に行くことにした。宿題を持ってきたので公園へ行く前に済ませることに。二桁の足し算をする横で応援しながら、学校楽しい?なんの授業が好き?と、邪魔もしていた。邪魔されているのに律儀に「国語と道徳が嫌いかなー」と答えてくれたので理由を聞いてみると、道徳の授業で聞いたらしい物語を話してくれた。サルくんがロボットを作って学校に持ってきました。みんなが「すごーい」と言ってサルくんの周りに集まってるのを見て、クマくんは「僕も作ったことがあるよ」と言いました。そしたら、みんなから「持ってきて見せてよ」と言われました。クマくんは急にお腹が痛いと言ってどっかに行ってしまいました。クマくんの気持ちはどんなだったでしょうか?伝聞調ではあるけれど、しっかり話を聞いて理解しているのが分かる。伝わるように話をしてくれたのを聞いて、むしろ国語得意なんじゃないかと思ったが、得意だからといって好きだとは限らないか、と思い直す。ほんでほんで?って続きを聞くと、「どう思うか聞かれてんけど、うまく答えれへんかってん」と、その時のことを思い出すのかしょんぼりしている。「どう思ったの?」と尋ねると「ズルイと思ったって思ってん」と小さな声で自信なさげに応えてくれた。的外れな答えとは思わない。「みんなにすごいなーって言われてるサルくんをクマくんはズルいって思ったんか」と、言葉を補足しながらその「ズルい」の意味を汲み取ろうとしてみる。自身が友達をみて「ズルい」と思うことがあるのかもしれないな、と学校生活を想像する。その「ズルい」が、羨ましいなのか妬ましいなのかは分からないけれど、自分にとって知っている感情で、それがその言葉なのだろう。「あの子だけズルいなーって思うことあるもんなあ。クマくんもサルくんみたいにみんなからすごいって思ってもらいたかったんかもしれへんなあ」と、何かの答えに誘導するわけではなく、例えば映画を観ながらヒロインの心情を考察するくらいの気軽さで、話してみた。「うんうん、そやろそやろ」と頷いてくれる。「けど、みんなの答えは違っててな」と、また急にトーンが下がる。「自分だけ間違えてると思って泣きそうになってん」と。発表してみんなから非難を浴びたんだろうか。発表する前にみんなの答えを聞いて自分は間違っていると思って自信をなくしたんだろうか。「それは辛いなあ、けど間違ってないと思うで」と伝えると、「あ、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ!」と急にケロっとするので、思わず吹き出してしまった。泣きそうになってないんかい!とツッコミながら、けれど、と思う。具体的な辛さは分からないけれど、その泣きそうになるっていう気持ちは分かるような気がする。僕も同じような思いになったことが、いつかあったかもしれない。自分の感じたことや考えたことは間違っているかもしれない。みんなとは違うかもしれない。みんなは分かっているはずなのに自分は分かってないかもしれない。そんな漠然とした不安で苦しくなることがある。答えのないものを答えられるか試されているような、自分の考えがあるのか試されているような。正解がないというのなら答えさせないでおくれよ、と愚痴りたくなる。夕方18時前に電話がなる。僕が体調を崩してから、ドイツにいる友人がほぼ毎日同じ時間に電話をかけてきてくれる。少しだけ世間話をした後で将棋のネット対戦を3局だけ楽しんで、ではまたと電話を切る。だいたい僕がうっかり飛車を取られてそのまま負ける。心配してくれているのと、息抜きなのと、将棋で僕をぶちのめしたいのと3:3:3くらいの割合だろう。残りの1割はなんだろうな。その日電話に出ると、開口一番「よくない話があったんだけど聞いてくれる?」と、尋ねられた。海外映画では「いい話と悪い話どっちが先に聞きたい?」というような台詞を聞くけれど、日本では先に断ることってあまりないよなあと、どうでもいいことを思いながら「聞こうか」とそれっぽい返事をする。「ドラッグストアに石鹸とスマホ用のプリペイドカードを買いに行ったんだけど、買うもの2つだけだからメモせずに行ったのね」ドイツのドラッグストアはコンビニみたいな感じなのかな、と想像する。「で、プリペイドカードはすぐ見つかって、あと、最近おじさんになってきたからか肌荒れひどいしYouTubeでビタミン入りの美容液がいいって見たのを思い出して、せっかくドラッグストアに来たからと思って買ったんだよね」急におじさんのお肌事情の話に飛ぶ。お肌にはビタミンがいいのか。ビタミンてのは何にでも効くんだな、YouTubeはなんでも教えてくれるんだなと、またどうでもいいことを考える。「買うもの2つだから満足して帰ってきたんだけど、家に着いて手を洗おうとした時にさ」と話したところで、「あ、石鹸」と、思わずオチを言い当ててしまった。これもまた映画っぽいやりとりだなとくだらないことを考えていると「ほんま自分が嫌になるわ〜」と、オチを横取りされたことを気に留めずに自身の失態に落ち込んでいる。「あるよなあ」と共感する。「あるんや」と意外そうだったので、そんなきっちりしてるように見えるのかな?と思いながら「うん、毎日のようにあるで。毎日というか、1日に何度も」と返すと、「俺はたまにでこれだけ落ち込んでるのに、それが毎日なんて、生きてるの嫌になれへん?」と心配された。ものすごい勢いで失礼なことを言うな。「けど安心したわ」と続けたので、失礼には目を瞑ることにした。ダメな自分と同じような姿を他の人にも見えたら安心する、その気持ちはとても分かる。それは、蔑んだり見下したりするという意味ではなくて、この人も完璧じゃないんだと思えて、同じ人間なんだと思えるからだ。自分は人と比べてできていないなあ、と思うことはよくある。僕はとくに、よく忘れ物をするし、優柔不断だし、うっかりミスもする。大人になってもできないことだらけだ。だから、きっちりしてる人と話す時はいつも心なしか緊張する。ズボラだとか雑だとかダメなやつだとか思われてるんじゃないかと不安になる。逆に、きっちりしている人からすれば、ゆるい人と話すときには、「柔軟で臨機応変に対応できる人との会話は緊張する」と思っているかもしれない。いや、それは都合よく考えすぎか。僕はいつもどこかで、自分はダメだなあと思っている気がする。ただ人と比べてダメだなあと思うだけならいいんだけど、しんどいのは自分が頑張りたいのに頑張れない時だ。これじゃダメだと分かっているのにできなくて情けなくて、でもどうしたらいいか分からなくて頑張れない自分を責めてしまう。こんな風にできたらいいなって前向きに思えたらいいけれど、それじゃダメだぞ、としっかり後ろ向きに考えてしまう。几帳面できっちりしているのと、ズボラで優柔不断なのとだったら、どっちがいいだろう。感情的な人と理性的な人とどっちがいいだろう。自分がなれない「それ」になろうとすることはいいことかもしれないけれど、その前に「それになれない自分」を責めてしまって潰れてしまいそうになる。「自分を責めちゃダメだよ、自分はそのままでいいって思おうよ」って言葉で、さらに自分を責めて抜け出せなくなっていく。どちらが善くて、どちらが悪いって思ってしまうけど、きっと本当はどちらも悪くない。その人はたまたまきっちりしていて、僕はたまたま忘れっぽいだけ。ズボラなことで誰かに迷惑をかけることもあれば、きっちりしていることで誰かを傷つけることもあるかもしれない。几帳面なことで助かる人がいるかもしれないし、ゆるいからこそ救われる人もいるかもしれない。都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにしようと思う。できている人とできていない人を分けて「できている人が正しくて、できていない人が間違ってる」ってしてしまうのは、とってもしんどいもの。こんな人間でいたいな、と思うことがある。子どもと関わる時にこんなことに気をつけたいな。と思うことがある。けれどできなくて、自分はできないなあって思ってしまう。もしかしたら、みんなが「自分はダメだなあ」と思っているかもしれない。そんなふうに思ってみると、少し気持ちが楽になる。みんな頑張ってて、みんな怠けてて、みんな自分はこんなんじゃダメだって思ってて、頑張りたいけど頑張れなくて、みんな怠けてて、みんな頑張ってる。やっぱりそれも都合よく考えすぎかもしれないけれど、そういうことにする。余談ですが無事宿題を終わらせて、少し離れた広い公園へ来た。芝が傾斜になっていて、その芝を上下に挟むように細い歩道がある。子ども連れが数組レジャーシートを広げている。「そういえば小さい頃ここで転けたことあるねんで」と、芝を指差し、スマホに保存されている動画を見せてあげる。当時2歳の友人の手を握って芝の坂道を登っているときに、僕の方が足を滑らせて転んでしまい、その勢いで一緒に転んで大泣きしてしまったのだ。大の大人がひっくり返る動画を見て声を出して笑ってくれたので、どさくさに紛れて「ごめんね泣かして」と7歳になった本人に改めて謝罪した。「悪くないよ!」と返ってきた。「でも、巻き込んじゃったからさ、悪いのは悪いねん」と説明しても、「悪くないってば!」と強めに返してくる。気を遣わせてしまったかなと思いながら、身軽に大型遊具を登るのを離されないように追いかける。なんて言えばいいか分からないから「許してくれてありがとね」と伝えた。すると「好きな人のこと悪いって言いたくないし、自分が悪いんやって思ってほしくないもん」と小さな声で言うのが聞こえた。大事な人のことを悪いって言いたくないし、大事な人には自分が悪いって思ってほしくない。こんなにシンプルなことを、僕は言葉にされてようやくなにより大切なことだと気づく。優しさとか慈しみとか凡庸な言葉しか浮かばない。分かっているのに、僕はあなたに自分が悪いって思わせているかもしれない。分かっているのに、僕は自分で自分のことを悪いって思ってしまっているかもしれない。また自分はダメだなあって思いそうになっている。けれど、君がそう言ってくれるなら、自分で自分のことを悪いって思わないことにするよ。長いローラーすべり台を滑り降りながらそんなことを思って泣きそうになった。いや、泣きそうになったってのは言い過ぎやったわ。きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年06月27日タニノクロウの新作『虹む街』が、神奈川・KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオにて6月6日(日)に開幕。それに先がけ公開ゲネプロが行われた。本作は、2000年に「庭劇団ペニノ」を旗揚げ以降、全作品の脚本と演出を手掛け、世界的な評価も高いタニノによる書き下ろし。横浜・野毛(飲み屋街)を彷彿とさせる飲食店街を舞台に、さまざまな人生や思いが交錯する街の風景を、個性豊かな俳優陣(安藤玉恵・金子清文・緒方晋・島田桃依・蘭妖子)、そして、神奈川県民を中心とした街の人々が立ち上げる。受付を済ませ、KAATのサッパリとした通路を通り中スタジオに一歩入ると、「あれ?どこ?」と一瞬混乱するほどリアルな街の風景。薄暗い中、横に広がった舞台にタバコ屋や喫茶&スナック、アジア料理屋、中華料理屋、フィリピンパブ、公衆便所などが並び、その真ん中に大きなコインランドリーがある。コインランドリーに並ぶ洗濯機や自販機などはかなり使用感があり、そのうち2台はグルグル回っている。客席と舞台が地続きで、どこを歩いていいものかと若干戸惑いながら席に着く。開演まではまだ少し時間があるなと思いぼんやりと舞台のほうを観ていると、公衆便所から男が出てきて、コインランドリーの丸椅子に座り、彼もまたぼんやりと洗濯機を見つめる。ふと気付くと、喫茶&スナックの中にも人がおり、『虹む街』の世界が動き出した。男は乾燥を終えた大量のタオルを億劫そうに畳み始める。喫茶&スナックの中では店主であろう女性と車椅子の女性がなにやら会話しているようだ。街には雨が降っていて、人通りはほとんどない。雨音くらいしか聞こえない中で、バンと音を立てて、コインランドリーの管理人らしき女性が入ってくる。電気をつけ、洗濯機を傘でガチャガチャと叩き、チェックしている女性。タオルを畳んでいる男性は気にする様子もないので、いつものことなのだろう。女性は、傘でほじくりだしたゴミを手づかみで捨て、その手で自販機で買ったチーズバーガーを食べる。その熱さに驚く声で、やっと人の声が聞けた。そこからは、小学生の女の子と母親らしきふたりが中国語で会話をしながら中華料理店に帰って来たり、別の言語を話す男性たちが洗濯をしに来たり、少しずつ声や音が増えていく。筆者は日本語以外は理解できないのだが、親子の温かな雰囲気の声や、男性たちの笑い声に、自分の心がじわじわと和んでいくのを感じる。普段なら気にも留めないような風景に、自分がどんな感情を呼び起こされているのか意識したのは初めてだった。上演時間は約1時間30分。切り取られたような、この街の約1時間30分をただただ観つめる作品だ。大きな出来事は起きない。でもドラマは時々起きる。例えば、ラジオを聴いている男性が急に怒り出したり、スタッフが店長のために歌を歌ったり、車椅子の女性が客引きの男性にレインコートを差し入れしたり、男が雨漏りに気付いて気を利かせたり、お代の代わりにゲームをしたり。同時多発的にいろんなことが起きながら時間は進んでいく。どれもありふれた、とりとめもない出来事なのだが、それをこうして客席からじっくりと観ていると、心が震えたり、可笑しかったり、愛おしさを感じたりして、もしかすると自分の生活もそういうものなのかもしれないと、あたたかいような切ないような気持ちになった。また、いろいろな言語がまじりあっているのも面白い。その言語がわかる人にはまた違ったふうに見えるのだろうか。通常は舞台で台詞がわからないとストレスを感じるものだが、そういうことは全くなかった。終演後はセットを見学できる時間もある。細部までつくり上げられたセットは見れば見るほどリアルで面白かった。ぜひ劇場で、『虹む街』の時間を過ごしてほしい。取材・文:中川實穗撮影:田中亜紀『虹む街』作・演出:タニノクロウ出演:安藤玉恵金子清文緒方晋島田桃依タニノクロウ蘭妖子神奈川県民を中心とした街の人たち【ポポ・ジャンゴソウラブ・シング馬双喜小澤りかジョセフィン・モリ阿字一郎アリソン・オパオン月醬馬星霏】2021年6月6日(日)~6月20日(日)会場:KAAT 神奈川芸術劇場中スタジオチケット情報
2021年06月08日2021年6月5日からスタートする、俳優の羽田美智子さんが主演のドラマ『#コールドゲーム』(フジテレビ系)。ドラマのクラインクインの様子をご紹介します。第1話あらすじ(6月5日放送)時は西暦20××年。隕石落下の影響で地軸が大きく変動し、マイナス45℃の氷河期に突入した地球。ここ避難所第七支部では、生存者たちが限りある食糧や資源を分け合いながら共同生活を送っていた。前科二犯の天才詐欺師・祥子(羽田美智子)、息子の大輝(結木滉星)、娘の陽菜(久間田琳加)、夫の隆(やす)たち“木村家”は、支部長の如月(中村俊介)の考えで“家族優先”が徹底されているこの避難所で、ある秘密を抱えて日々を過ごしていた…。極限状況をたくましく生き抜く人々の世紀末サバイバルストーリー、開幕!!同年3月上旬に始まった撮影。ロケ地はポカポカ陽気で気持ちがいい天候でしたが、ドラマの舞台は氷河期の世界です。出演者たちは、ダウンジャケットや厚手の服を着込んで、真冬の格好で現れました。俳優の結木滉星さんと久間田琳加さんはお互いの距離を縮めるべくコミュニケーションを取り、何やら楽しそうに話をするなど、クランクイン初日からいい雰囲気だったのだとか。数日後、避難所第七支部の支部長で元国会議員、如月雄一郎役の俳優の中村俊介さんがクランクインしました。テレビドラマ『隕石家族』(フジテレビ系)で共演している羽田美智子さんは「どうしたの、その格好。ここは寒いんだよ~(笑)」とスーツにコート姿で決めた中村俊介さんにツッコミながらも、笑顔で挨拶を交わしたそうです。ドラマでは、過去に因縁があった木村祥子と如月雄一郎の今後のストーリーにも注目ですよ!諦めずにさまざまな困難を乗り越えていく、木村家のたくましさに元気をもらえること間違いなし。追い詰められた環境の中でこそ現れる人間の本性を、笑って泣けるエピソード満載で描く『#コールドゲーム』の放送が楽しみですね!『#コールドゲーム』放送日時:2021年6月5日(土)24:10~(※第2話から23:40~)出演:羽田美智子結木滉星久間田琳加やす(ずん)篠原篤和田琢磨福田転球椿鬼奴銀粉蝶中村俊介[文・構成/grape編集部]
2021年05月30日ロッテの人気アイス「雪見だいふく」が、くりーむパンで人気の「八天堂」とコラボレーション。「雪見だいふく 八天堂監修カスタードくりーむ味」として、2021年5月17日(月)より全国発売される。「雪見だいふく 八天堂監修カスタードくりーむ味」は、「八天堂」の名物くりーむパンの味わいを、アイスで再現した雪見だいふくだ。最大の特徴となるのは、コク深いカスタードアイスの中央に、“とろ~り”濃厚なカスタードくりーむを入れていること。仕上げには、雪見だいふくお馴染み“もちもち”のおもちで包んだことで、優しいくちどけと、リッチなカスタードの味わいを同時に楽しむことができる。【詳細】「雪見だいふく 八天堂監修カスタードくりーむ味」94ml(47ml×2個)発売日:2021年5月17日(月)発売地区:全国希望小売価格:198円(税込)
2021年05月10日フレンズが4月30日、昨年末より活動休止をしていたメンバー・ひろせひろせ(MC / Key)の脱退を発表した。配信がスタートした新曲「急上昇あたしの人生」のミュージックビデオも公開されている。この脱退の発表により、今後はえみそん(Vo)、三浦太郎(Cho/Gt)、長島涼平(Ba)、関口塁(Dr)の4人でバンドは継続。そして新体制となったフレンズの初の新曲となる本MVでは、えみそんが初めてMVの監督を務めている。自らが企画立案しアイデアに溢れた演出で、疾走感ある楽曲の世界観を見事に表現。音楽のみならず多彩な才能を発揮し、これからのバンド活動に期待が膨らむ見応えのある内容だ。楽曲自体は、ひかりTVオリジナルドラマ『取り立て屋ハニーズ』の主題歌として好評配信中。新ビジュアルも、これからも様々な形で楽しませてくれる予感のする、爽快なメンバーの姿が印象的なものだ。新たなフェイズを迎えたフレンズの今後の更なる飛躍を期待しよう。■リリース情報『急上昇あたしの人生』4月30日(金)配信リリース■公演情報「フレンズワンマンツアー “UNO!”」5月29日(土)会場:愛知・THE BOTTOM LINE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:305月30日(日)会場:大阪・Banana Hall1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:306月5日(土)会場:東京・duo MUSIC EXCHANGE1部:開場15:30 / 開演16:002部:開場18:00 / 開演18:30※各回90分程度の公演を予定。料金(税込):全自由¥5,000※未就学児入場不可※お一人様2枚まで※ドリンク代別途必要※政府指定のガイドラインに沿った形での開催。※オンライン配信の予定なし
2021年04月30日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。子供の成長は、とても喜ばしいもの。ですが結果だけに目がいってしまい、大切なものを見落としてしまっているかもしれません。第13回『すこしずつ、変わっていくだけ。』こないだ、ピーマンを生で食べた。7歳になった友人と食事をしている時に、学校の給食でピーマンが出るとテンションが下がるという話になった。面白半分で「そういえば、こないだピーマンを生で食べてんけど、意外とこれが美味しくて」と話をすると「食べてみたい!」と言い出した。間違いなく好奇心だけで言っている。その好奇心を取りこぼさないように冷蔵庫からピーマンを取り出し、手渡して種をとる方法を教えてあげた。流水で洗って塩をかけると、嫌いだと言っていたのに好奇心の方が勝ったのか勢いよくかぶりついた。パリッと“美味しそうな”音が鳴る。もぐもぐと味わいながら笑顔になったので「おいしい?」と尋ねると、表情を歪ませてお皿に吐き出した。美味しいのは音だけだったらしい。苦い後味を紛らわすために白米を口いっぱいに含む。「出しちゃったけどさ、学校のみんなには食べたって言おう」と笑っていた。「味はどうでしたか?」という質問には「まずかったです!」と元気に答えたのに、しばらくしてから「もう一回食べてみる」と言い出した。クセになるのだろうか。せっかくなので次はマヨネーズをかけてみることにした。すると、さっきより苦味が少ないのか、一口食べて「これはイケる」とばかりに追いマヨネーズ。二口三口と食べ進め、「食べてみて?美味しいわ」と嬉しそうに勧めてきた。それから面白くなって、ケチャップやソースでも試してみた。「ケチャップが美味しいって思ったけど、やっぱりマヨネーズが一番やわ。そのままで食べるのは苦いので0点です!」と、ゲラゲラと笑いながら、結局1人でまるまる一個食べてしまった。僕はピーマンを見るたびにその時のことを思い出しては、パリパリッという心地いい音とゲラゲラと笑う声が耳に蘇ってつい口元が緩む。ピーマンは子どもの嫌いな食べ物の代表格だ。子どもの舌は苦味を感じやすいから無理に食べさせることはないと聞いたことがある。好き嫌いが多くて不安だという子育て中の悩みはよく聞くけれど、ピーマンに限らず嫌いなものを無理に食べることはない。好き嫌いはよくない、という価値観は根強いけれど、無理に食べさせようとすることで、逆に食べること自体が嫌いになっては元も子もない。まず食べることを楽しむことができたら、いつか食べられるようになるかもしれない。もちろん食べられるようにならないかもしれないけれど、ピーマンを食べられなくても生きてはいける。嫌いなものを克服できた。それはきっと本人にとって喜びだろうし、大人にとっても何か成長の瞬間に立ち会ったようで嬉しく感じる。だけどなぜだか、この生ピーマンを食べた話を「苦手を克服した話」にすると、違和感がある。なんでだろうと考えて出た答えは単純明快で、僕が伝えたいと思ったのはその子が苦手を克服したことではなくて、まずそうな顔をしたり美味しそうな顔をしたりして笑い合ったその時間なのだ。ただ楽しく食事をした。いろんな調味料を出してきて、半分遊びみたいだから行儀が悪いかもしれないけれど、とにかく楽しかった。それを伝えたいのに「苦手を克服した」というレンズ越しに見ると、途端にそのおもしろさが見えなくなる。できなかったことができるようになった。それがとてもいいことのように感じる。もちろん、いいことなんだろうけれど、そればかりに目がいってしまって大切なものを見落としてしまっている。そんなことって意外と多くあるかもしれない。同僚が「去年やんちゃだった子が、今年に入ってから落ち着いて過ごしているんです」と話していた。何気なく「成長ですね」と答えた。すると「本当にそれが成長なんですかね」と返ってきた。僕の言葉への批判という感じではなかった。自問するように「大人しく過ごせるようになった、トラブルを起こさなくなったということが成長なんですかね」と考えを巡らせているようだった。何年か前に訪問した保育園での出来事を思い出す。子どもたちが整列して朝の会をしていた。その横で、ひとり、でんぐり返りをしている子がいた。僕が笑って見ていると、それに気づいて嬉しそうにまたでんぐり返しを見せてくれた。周りの子どもたちがその子に「ちゃんと並びや!」と注意をしているのを聞いて、僕も空気を読んで、みんなと一緒に並ぶよう促した。その後も何度かそんな場面があり、その子はじっとしていたりみんなと同じ行動をすることが苦手なんだろうということが見て取れた。別の日に、体育館のようなところで音楽会の予行演習があった。本番を想定して舞台に上がって演奏していて、緊迫した雰囲気が漂っていた。その子はというと、でんぐり返しはしていなかった。普段の姿とは別人のように、かしこまって楽器を演奏していた。その時の僕は、どんなことを感じたんだっけ。「やればできる子なんだ」とか、その子の良い姿を見たような気がしたのだと思う。演奏の途中でその子がトイレに行きたいと言ったので僕が付き添った。手を洗うその子に、僕は「上手に演奏してたね、楽しかった?」と尋ねた。するとその子は、少しムッとしたような顔で「楽しいとかちゃうねん」と答えた。予想もしない返事で戸惑ってしまった。「頑張ってんねんから、楽しいとか言わんといて」と言われた。この言葉を聞いて、「協調性が育まれている」とか「責任感を持っている」なんて的外れなことを思いたくなったけれど、それはさすがに自分のエゴだと思い直す。僕は「やればできる子」なんて言葉を使って、その子のしんどさを見ようとすらしていなかった。自由奔放に見えていたその子は、みんなの中で普通になるために頑張っていたのだ。やればできるのではなく、やるしかなかったのだ。成長したように見えるその姿は、追い込まれて苦しみながらギリギリで頑張っていることなのかもしれない。逃げ道を無くして克服することは成長ではない。ましてやその頑張りを求めて喜ぶなんて、なんだかおかしいような気がしたのだった。毎日わがままを言っていた子が、ある日を境に何も要求をしなくなったとして、そんな時に僕は、聞き分けが良くなったとか自制が効くようになったとか、勝手に成長だと思ってしまう。けれど、その実は「言っても無駄だと悟ったから」かもしれない。自分の思いを伝えるエネルギーがなくなったからかもしれない。社会では、言っても無駄だからと諦めて黙ることを、「大人になる」と表現する。けれど、それは成長して大人になったのではなくて、身を守る術を身につけただけだ。僕は子どもの何を見ているんだろう。できているように見えるその姿は、みんなから外れないように、こぼれないように、少しでも普通になるために必死にしがみついているのかもしれない。僕自身がまさにそれで苦しんでいるのに、子どもの姿となると、みんなと同じようにできて、トラブルを起こさないでいられるようになったそれを、成長だと感じてしまう。学校に行けるようになった。ピーマンが食べられるようになった。友達と仲良く過ごせるようになった。落ち着いて話が聞けるようになった。聞き分けが良くなった。じゃあそれで、その子は生きやすくなったんだろうか。それで一つ問題が解決したように感じるけれど、その子のしんどさは「できなかったことができるようになった」という姿に隠れただけで、ずっと深くに残ったままかもしれない。子どもの育ちを見守って、その育ちに喜びを感じる立場だからこそ、その成長した姿に喜びを感じる。それは悪いことではないけれど、それと同時に、無理していないだろうか、しんどさを抱えさせていないだろうかと、見えない部分にも目を向けていられたらと思う。できなかったことができるようになって生きやすくなることもあれば、しんどくなることもきっとある。僕がほんとうに大切にしたいことは、できなかったことができるようになることではない、もっとほかの何かだ。見栄えのするものに覆われてしまってその大切にしたいことが見えなくなる前に、ちゃんとそれに気づけるようにしていたいな。去年と今年を比べて、先月と今月を比べて、昨日と今日を比べて、子どもができるようになったことは、きっとたくさんある。その分、サボるようになったとか片付けをしなくなったとか、やらなくなったこともきっとある。その度に、一喜一憂する。「成長というよりも、変化しているだけなんですよね」とその同僚は言った。昨日と比べてしまうけれど、日々の姿がその子の姿で、それは成長でもなく後退でもない。ただ、移り変わっているだけなのだと。僕はどこかで、子どもの育ちは右肩上がりで、多少の浮き沈みがあったとしても、伸びていくもの。そんな風に思っていたのかもしれない。できるようになることも、できなくなることもある。その変化の中で、その時のその子が生きやすくなる方法を、その都度見つけていけたら。それは、見栄えしなくて不安になるかもしれないけれど、そうやってとどまることなく心配事が見えている方が、いいのかもしれない。子どものしんどさに気づけなくなるよりかは、もしかしたらその方がいいのかもしれない、なんて思う。余談ですが手巻き寿司の正解ってなんだろう。シンプルに刺身だけを巻くのもいいし、胡瓜や大根を添えて巻くのも飽きない。何も考えずに目についたものを乗せて、巻ききれず溢れそうになったのにかぶりつくのも、何味かわからないけれど美味しい。大葉なんか入れると最高だ。そういえば、僕は子どもの頃から、シソ(いわゆる大葉)が嫌いだった。独特の香りが苦手で、素麺つゆに間違え入れて勢いよくすすってしまい、勢いよく吐き出したことがある。シソはシソでも、ばあちゃんが作るシソジュースだけ飲めた。原液を水で薄めて飲むんだけれど、きれいな薄い紫色でシソ独特の香りがしない。大人になっても嫌いだったんだけれど、いつからか食べられるようになっていて、気づいたら好物になっていた。今では素麺にも手巻き寿司にも欠かせない。僕はシソのことを好きになってよかったって思うけど、だからと言ってシソが苦手な人に勧めたりはきっとしない。苦手なものは、苦手なままでいい。もし、いつかそれを好きになったなら、それは「克服した」のではなくて、ただ「きらい」が「すき」に変わっただけなんだろうなって思う。苦手なままなら、それは成長していないのではなくて、ただ、そのままなだけ。克服するのではなくて、おもしろそうだから試してみる、そんな感じで楽しめるのなら、嫌いなものも試してみようかなって思えるのかもしれない。例えばやったことない組み合わせで手巻き寿司にしてみて、色んな味を試してみるように、あんまり美味しくなくても食べられるようにならなくても、それでもいいかって思えるような気がする。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年04月09日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。「つらい環境でも耐え忍べば報われる」という意味を持つ『石の上にも三年』という、ことわざ。ですが、長く続けることよりも難しいのは…。第12回『石の上にも、三日坊主。』始めることと続けることって、どちらが難しいんだろう。興味を示したけれど輪に入らずに、あそびに参加しない子がいる。そのあそびに興味がないのかといえばそうではなく、観戦しながら一緒に楽しんでいるので仲が悪いというわけでもない。むしろやりたそうにはしているけれど、誘ってみると「やったことないから」と断られる。「教えるよ」と声をかけても頑(かたく)なで、あまりしつこく誘うと逆に離れてしまうので、一歩を踏み出すきっかけを見逃さないように見守るくらいしかできない。保護者の方にお話しすると、家では興味深げにそのあそびについて話しているらしい。やってみたい気持ちはあるようだ。じゃあ、なんでやらないんだろう。やってみたいのにやらない。どうしてだろうって考えてみる。無理にそのあそびをさせたいわけではない。したいならしたらいいし、したくないならしなくていい。「見ているだけ」も、その人の楽しみ方だ。サッカーをしたことがなくても観戦は楽しめるし、経験者よりも劣っているということもない。実際にプレーしている人と見ている人、そこに優劣はないのだから。ただ、なにかが足枷になっていて一歩を踏み出せないのであれば、その足枷を外してあげたいなと思う。もちろん、その子と自分は違う人間だし場面も違うから、正しい答えが出るとは限らない。けれど、分かるわけないからといって開き直ってしまったら、分からないままだ。想像したり思いを馳せたりしていれば、すこしでもなにかのヒントが見つかるかもしれない。5年くらい前、友人に誘われてボルダリングを始めた。室内の壁に打ち付けられた、岩のでっぱりやくぼみを模した“ホールド”というものを登っていくスポーツクライミングと呼ばれるものだ。初日はペットボトルの蓋も開けられないくらい腕がパンパンになったんだけど、何度か通っていると筋肉痛も心地よく感じるようになり、日ごとに登れるようになっていった。競技自体も楽しいんだけれど、目に見えて自分の成長が感じられるのも嬉しかった。大人になってのびしろを感じる機会って少ないもんね。ある程度技術がついてきたあたりから、初めは見えなかった面白さを感じるようになってきて、一層楽しめるようになった。そのものの本質的な面白さがわかるまでには時間かかる。あそびもスポーツも仕事も同様だろう。時間をかけてこそ見えてくるものは確かにあるよね。三日坊主という言葉がある。物事が続かないことを揶揄(やゆ)する言葉だ。逆に、辛抱強くいればうまくいくかもしれないという意味として、石の上にも三年ということわざがある。初めは冷たい石の上でも、長く座り続ければいずれ温かくなるということだ。継続は力なりというように、三日で辞めるより続けられた方がきっといい。途中で投げ出さずに粘り強くやり抜くことって、何かを成し遂げるためだけではなく、楽しむためにもとても大切なことだろう。子どもたちにも、やり始めたことは途中で投げ出さずにやり抜いてほしいと思う。今は面白さを感じなくても、続けていれば楽しくなってくるよって。根気強く続けた先に見える面白さや追求することの楽しさを知ってほしい。壁にぶち当たっても乗り越えてほしい。そのときに味わう達成感は格別だ。けれど、と少し考えてみる。何気なく腰掛けて、なんとなく座っていただけなら三年座っていられるかもしれない。けれど、あらかじめ石が温かくなるまでは何年もかかりますよ、と言われていたら、そんな石には座らないんじゃないだろうか。どうしても座らなきゃいけない状況はあるかもしれない。そんな人にとっては、「いつか温かくなるかもしれない」という見通しがあれば安心する。だけど、それは座り続けるための理由ではなく、あくまでも我慢を続けるための慰めだ。そうやってやっとのことで温まったお尻に感じるのは、きっと達成感ではなく、辛かったことから解放された安堵だろう。少し走ってみようかなと思ったときに、遠くにあるゴールにたどり着くまで走り続けないといけないとしたら、ましてや、周りのみんなはその道のりを悠々と走っているのを見たら「今回はやめておこうかな」と、スタートを切ることさえしないんじゃないか。そうしたら、そのまま「興味はあるけれどやっていないリスト」に追加されることになる。続けたら花が咲き、実がなるかもしれないけれど、そもそも始めなかったら芽さえも出ない。なんとなく始めてみて、一歩ずつ進んで、気づいたら遠くまで来ていた。座っていたらいつの間にか温くなっていた。それくらいでいいのなら、最初の一歩も気軽に踏み出せそうな気がする。どうして僕はその面白さを知れるくらい続けられたんだろう、と考えた時に思うのは、同じように下手くそな友人がいたからではないだろうか、ということ。もちろん、上手い人に憧れて鍛錬して上達する人もいるだろうけれど、自尊心の低い僕の場合は、周りの人たちが板チョコのような薄さのホールドを掴んで身軽に登っているのを見て、憧れよりも惨めさを感じた。僕だけが、バナナみたいなデカいホールドに不格好にしがみ付いている。身軽さなんて微塵もなく、ナマケモノのように壁にへばりついて腕をプルプルさせたあげく引力に負けてマットの上に落下する。初心者なんだから当たり前だし、恥ずかしがって楽しめないのはもったいない。そんなこと分かっているけれど、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。だから僕は、慣れるまではひとりで行けなかった。一緒に通う、同じタイミングで始めた同じように下手くそな友人がいたから、その恥ずかしさが紛れていた。自分より下手だから安心できるのではない。「失敗しても大丈夫だ」と思えるから安心できるのだ。持つべきものは偉そうに教えてくれる熟練の友ではなく、共に失敗する未熟な友だった。そんなことを思い出しながら思う。興味を持ったあそびに参加しないその子は、新しいことに挑戦することが嫌というよりは、「みんなができていて自分だけできない」のが嫌なんじゃないだろうか。「失敗するかもしれない」という気持ちが足枷となっているんじゃないだろうか。なんとなく始めて、なんとなく覚えて楽しんでいる間に上達することってある。特に幼少期はそういうことが多いだろう。自分が人よりも劣っているかも、そんなことを思うとはじめの一歩は踏み出せない。大人なら子どもよりも上手にこなして「やってみなよ、教えてあげるよ」って、色んなことを教えてあげたい。けれど、未熟な友として共に失敗しながら成長していくのも良いのかもしれない。簡単に投げ出したり、逃げ出したりしないでほしい。けれど、途中で辞めることを「悪いこと」にしてしまっては、その経験はきっと「あの時も投げ出してしまったし、今回もどうせ続かないからやめておこう」になる。投げ出さないように嫌なことに耐えて育つのは、根気強さではなく我慢強さだ。根気強さや粘り強さはきっと、「もう少し続けたら面白くなるんじゃないかな」という期待のもとにあるんじゃないかな。それはきっと、与えられるものではなく、気軽に始めてたまたま続いた、そんな経験の積み重ねから生まれるんだろう。だから、途中で投げ出さずに続けてほしいなら、途中で辞めても大丈夫って思いたい。いつ立ってもいいからこそ、気負わずに安心して座り続けられるのだ。身になりかけたものを途中でやめそうになったときに「もったいないな」って思ったりもする。こんなに勉強してきたのに生かせないのはもったいないな。この資格取ったのに、別の仕事するなんてもったいないな。ここまで原稿書いたのに、ボツにするのはもったいないな。そんなことを大人になっても、いや、大人になったからこそ思ったりする。きっと、これまでそれに注いできた時間が無駄になるようで嫌なんだと思う。けれど、これまでの時間はこれまでの時間で、これからの時間はこれからの時間だ。ちなみに、これまで注ぎ込んだものを無駄にしたくない!という思いで損をすることが分かっていてもそれを続けてしまうことを、コンコルド効果っていうらしい。博打好きの同僚が教えてくれた。博打と一緒にするなよ、と思うけれど、同時に納得もしてしまう。未来のためにやってきたことを間違いにしないために、これからを犠牲にしているならそれは、未来ではなく過去のために生きているということになる。きっと誰だって、失敗するのは嫌だ。けれど、それが失敗じゃないとしたらどうだろう。「やるなら途中で投げ出しちゃダメだよ」「どうせ続かないんだからやめときなよ」って言葉は減るかもしれない。飽きたなら途中で辞めればいい。しんどければ逃げればいい。簡単に投げ出せばいい。そんなことを言葉にするのは憚られるけれど、それが許されるなら、大人も子どもも、少し肩の荷が降りるような気がする。甘いんじゃないだろうか。その子のためにならないんじゃないだろうか、と思ってしまうかもしれない。途中で辞めてしまう子を見て、歯痒い気持ちになるかもしれない。けれどそれは失敗じゃないし、無駄なんかじゃないとすれば、育んでいるものに目を向けられる。新しいことに挑戦できた。別のことに興味を持てた。できない自分を受け入れられた。全部大成功だ。何にも見つからなくても、自分の気持ちに正直になれた、無理しなかった、だけでも十分だ。それを失敗にしなければ、次の挑戦ができるかもしれない。気軽に、なんとなく興味を持って、なんとなく始められるかもしれない。そんな一歩が積み重なって、気づいた頃にどこか遠くまで来ているかもしれない。もちろん、どこにも辿り着かないかもしれないけれど、それはそれでいいじゃない。活発な子に育ってほしいなら、元気がなくてもいいよって言ってみる。なんでも食べる子に育ってほしいなら、無理して食べなくてもいいよって言ってみる。強い子になって欲しいなら、泣いてもいいよって言ってみる。今と未来は地続きだけれど、今のこの時間を、未来の何かにつなげるために無理しなくていい。「こんなんじゃダメだ」ではなく、「できなくても大丈夫」って安心できたなら、どこかの何かのきっかけでなんとなく「もう一歩踏み込んでみようかな」って思えるのかもしれない。余談ですがこの連載コラムは、月2本くらい書くつもりでスタートした。次第に月1本くらいのペースになっていった。1月から始まり12月にちょうど第12回の原稿を書き始めた。三日坊主の自分が月一を継続したと喜んでいたら、八割方書けたくらいで手が止まってしまい、結局予定より2ヶ月遅れた。初めは、「続けられるか分からないけれどとりあえずこの一本を」と書いていたのに、過去に積み上げたものや達成しそうな何かを見た途端、身動きが取れなくなったのだ。けれど、書いた。今までのものなんて忘れて、次のことも考えないで、目の前のことだけ考えて、ちゃんとできた。えらいな、自分。結局、ボルダリングは2年ほど続けたけれど、引っ越してアクセスが悪くなったことで足が遠のき、そのまま辞めることになった。せっかく鍛えたのだから衰えないようにと通い始めたフィットネスジムは、2、3回通って飽きてしまった。かと言って一度始めたのに途中で辞めるのもなんだかやはりダメな気がして「今月は月謝も払ったし…」と先延ばしにし続けていたら、結局1年間ほとんど通わないのに毎月月謝が引き落とされていた。これがコンコルド効果か、と無表情で納得した。始めたいけれどきっかけがない、ということもあれば、続けたいけれど途切れてしまうこともある。やめたいのにダラダラと続けていることもある。三日坊主が石の上に座っているのを想像してみる。ただの坊主なら修行っぽいけれど、三日坊主が座り続けているのならば、よほど居心地のいい石だろう。そんな石が見つかればいいなって思う。いつか見つかるかもしれないから、そんな石が見つかるまでは、少し冷たいお尻ももう少し我慢してみようかな、なんて誤魔化してみたりする。座っているのがしんどいならば、寝転んででもへばりついてでも居心地いい姿勢を見つけてやろうか。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2021年02月06日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきが30日、一般女性との結婚を発表した草なぎ剛をツイッターで祝福した。草なぎはこの日、婚姻届を提出。所属事務所を通じ、「これからも、今までと変わらぬスタンスで仕事を続けていきたいと思っておりますので、皆様にも応援していただけるよう、日々精進してまいります」とコメントを発表した。天野は相方・ウド鈴木と共に撮った思い出のスリーショットをアップし、「うぉー、今つよぽん結婚!」と興奮。「こんな嬉しいサプライズは、なんぼあってもいいですからね」と喜び、「本当におめでとう」とメッセージを送った。天野が投稿した写真は、昨年11月に草なぎが行ったライブイベント「草なぎ剛のはっぴょう会」後の一枚。当時のブログでは会場まで足を運んだことを明かし、「歳をとると、失敗を恐れたり、なるべく恥をかきたくないという気持ちが強くなり、次第に自分で挑戦を諦めたり、限界を決めたりしてしまうものだ」「しかし、つよぽんにはそれがない」「その姿を見ていたら人生を楽しんで生きてるかい?とお尻を叩かれたような気持ちになったりした」と感想をつづっていた。
2020年12月30日2020年12月21日、芥川賞作家の羽田圭介さんが、俳優の中神円さんと結婚したことが分かりました。中神さんはTwitterを更新し、結婚について報告をしています。小説家の羽田圭介と結婚しました。結婚のことを周囲にあまり伝えていなかったこともあり、今朝は多くのお祝いの言葉をいただきました。私からの報告の言葉としましては日刊スポーツさんに記載の通りです。今後も宜しくお願い致します! — 中神円 (@1yen2yen3yen) December 21, 2020 ネット上では「驚いた!どうぞお幸せに」「素敵なニュースですね。おめでとうございます」など、2人の結婚に祝福の声が多数上がりました。羽田さんは2015年に小説『スクラップ・アンド・ビルド』で芥川賞を受賞。中神さんは数々の映画やドラマ、CMなどに出演しています。結婚後も、さらなる活躍に目が離せませんね。羽田さん、中神さん、おめでとうございます![文・構成/grape編集部]
2020年12月21日2021年3月4日(木)~3月14日(日)に、東京・大手町三井ホールにて上演される舞台「元号男子」のメインビジュアルが公開された。本作は、志島とひろによる元号を擬人化した作品を舞台化したもの。時代とともに生まれた大正、昭和、平成、令和の4人の元号男子が一つ屋根の下で暮らす模様を描いている。脚本・総合演出を川尻恵太、演出を白鳥雄介が担当。大正役の和合真一、昭和役の校條拳太朗、平成役の平賀勇成、令和役の大薮丘を中心に、若手俳優たちが活躍する。今回公開されたビジュアルのイラストは、原作者の志島が手がけた。背景はイラストレーターの村カルキによるもの。魅力的なキャラクターはもちろん、美しく描かれた背景も注目してほしい。なお、和合、校條、平賀、大薮のキャスト4名のサイトにて、チケット先行受付を実施中。申し込み締め切りは12月7日(月)23:59となっている。【公演概要】舞台「元号男子」公演日:2021年3月4日(木)~3月14日(日) / 全15公演会場:大手町三井ホール(東京都千代田区大手町 1-2-1 Otemachi One 3F)チケット代:全席指定9,800円(特製 A4 タペストリーつき / ランダム)※本公演のチケットは電子チケットとなります。ご注意ください。キャスト先行:2020年11月20日(金)10:00~12月7日(月)23:59大正役・和合真一 FC: 昭和役・校條拳太朗 FC: 平成役・平賀勇成 ニコニコチャンネル: 令和役・大薮丘 FC: ※詳細は各サイトでご確認ください。公演に関するお問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(平日12:00〜15:00)公式サイト:
2020年11月27日歌手・米津玄師がプロデュースしたFoorinの「パプリカ」が、京急電鉄・羽田空港第3ターミナル駅の開業10周年を記念し、21日始発より列車接近音(以下、駅メロディ)に使用されることが16日、明らかになった。2018年8月にリリース・配信された「パプリカ」は『第61回 輝く! 日本レコード大賞』にて大賞を獲得、『第70回 NHK紅白歌合戦』では紅組のトップで歌われるなど大ヒットソングに。米津が歌うセルフカバーや、英語ネイティブのこどもユニットFoorin team Eが歌う英語バージョンの「Paprika」も制作され、世代や国境を越えて広がり続けている。京浜急行電鉄では、「世界でも幅広く知られている楽曲であることが国内外のお客さまを迎え入れる駅のイメージに合致する」とし、採用に至ったという。■米津玄師コメントパプリカを作った当初は、こんなに広く大きくなるとは想像できていませんでした。Foorinのみんなが頑張ってくれたおかげです。日本の玄関口で流れることをとても光栄に思います。
2020年11月16日11月9日に「破産寸前になりました」と動画をアップしたYouTuberのてんちむ(26)。再生回数が100万回を超えるなど、注目を集めている。18年にバストアップ商品「モテフィット」をプロデュースした彼女だが、豊胸手術をしていたことが判明。豊胸を隠していたことから《詐欺》《嘘つき》など、大きな批判を浴びていた。「親友だったYouTuberのかねこあやさんが暴露したことがきっかけです。てんちむさんは過去に、バストがサイズアップしたことを『豊胸なしです!』と断言。さらに商品の売れ行きが好調なことも、《まじ余裕過ぎた乳って最高》《乳なきゃ釣れねーわ》などと話していたのです」(芸能関係者)9月2日にアップした謝罪動画では、製品自体は問題ないとして返金に応じることを発表したてんちむ。今回の動画では、10月31日をもって返金受付を締め切ったことを報告。累計約4万件も問い合わせが殺到し、返金額の総額はまだ確定していないと説明した。さらに「大きい返金額」をメーカーに支払ったため、破産寸前である窮状も明かした。商品1件の返金に対して30%をメーカーに支払っており、損害賠償金も定まっていない状況だという。生活面でも12月に納税予定の税金も支払えず、来年引っ越し予定だった新築マンションも手放したと告白。返金や損害賠償を遂行するための“金策”として、YouTuberと並行して銀座のクラブや六本木のショークラブで働くと明かしたのだ。“週7で働く”と宣言した彼女に、《無理しすぎないでください》や《身体壊さないでください》といった心配の声が上がっている。また、「YouTubeを数カ月頑張っても支払える額ではない」とも語っていたてんちむ。具体的な返金負担額は明かしていないが、億単位だと予想されるという。「登録者数148万人を抱えるてんちむさんは、10月の再生回数が4,200万回越え。少なくとも1,000万円の収益は期待できるといいます。いっぽう商品の通常価格は、1枚あたり税込み1万円ほど。WEB価格だと1枚6,000円ほどで、2~3枚セットも用意されています。仮に4万件もの返金に対応するとなれば、1億円はくだらないでしょう」(前出・芸能関係者)
2020年11月11日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。まだ感情のコントロールが苦手で、癇癪(かんしゃく)を起こしてしまう子どもたち。他人の苦しみや欲求は、どうすれば理解できるのでしょうか。第10回『同情するならお湯をくれ。』「怒りたくて怒ってるんじゃないよ」と言われて「なら怒らなければいいじゃないか」と思ったことがあるのは僕だけではないだろう。学校からの帰り道、歩きながらノートを広げている子がいた。「危ないからノートしまって歩きなよ」と声をかけると「だってー」と返してきた。「危ないことは危ないからやめてね」と口答えを制した。理由があろうと危ないことは危ないのだ。しばらく歩いたところでお茶を飲みながら、またノートを広げていた。「しまっときって言うたやろー!」と少し語調を強めると、注意されて落ち込むというよりも楽しみを邪魔されたというような表情をした。心配していることを伝えるつもりで言い訳のように「怪我したらあかんからな。ほんで、暑いから水分しっかり取ってな」と言うと「だから飲んでてんやん」と言い返してきた。なんだかやけに反抗的だなと思いながら視線を落とすと、広げたノートに地図のようなものが書かれているのが見えた。スタートらしき場所には「がっこう」と記されており、路線図のようにいくつかの四角を線で繋げていて、ところどころに手書きの星マークがつけられていた。双六のようにも見える。「なに見てたの?」と、指摘としてではなく興味本位で尋ねた。「帰り道に暑くてお茶飲まなあかんから、飲むポイントを書いてんねん、いまここ」と言って[学校]と[学童]の間にあるチェックポイントの一つを指した。「真夏の水分補給」も子ども達に指導している交通ルールと同じく大切なことだ。それを自分たちで工夫して実践できるようにしていることに感心しながらも「いいことやけど、危ないからノート広げて歩くのはやめような」と伝えた。しばらくしてから、「おもろいなあ」とそのノートのことを思い出していた。自分たちで相談して書いたんだろうか。決められためんどくさいことも、あそびに昇華してるなんてすごいじゃないか。「いいことやけど」ってなんやねん。ただただめっちゃおもしろいやん。「いいことや」って取ってつけたように言ったけど、あの子たちには「怒られた」ってことだけが残っているんじゃないかと少し後悔した。自分で自分に「怒りたくて怒ったんちゃうねん」と言い訳した。「なら怒らなければいいじゃないか」と子どもの頃のぼくが顔を出す。危ないことは危ないからやめてもらわなきゃいけない。けれど、もっとほかに伝え方があったんじゃないか、間違いを指摘することをそんなに焦らなくてもいったん話を聞くことくらいはできたんじゃないか、と何度も考えていた。思い通りにいかないときに癇癪を起こしてしまう子がいる。諭すように話したり、思いに寄り添うように声をかけたりしてみても全く応じることはなく、言葉をかければかけるほど興奮したり、脱力して床に寝そべり駄々をこねたりする。腫れものを触るように接していき、癇癪玉が爆発したら最後「鎮まりたまえ!」と災難が過ぎ去るのを待つようになだめ、根負けして思い通りにさせるか、そうでなければ開き直って強引に言うことを聞かせるしかない。その子は好きなあそびを中断されるたびに駄々をこねた。みんなで遊んでいるときには機嫌よく過ごしているけれど、終わってしまったり中断されると手をつけられなくなっていた。ある日、その子は好きなあそびをせずに一人で過ごしていた。ひとりでのんびり過ごしているのかといえばそうではなく、かと言って別のあそびに夢中になっている訳でもなさそうで、あえてそのあそびから離れているように見えた。何かあったのか尋ねてみると、その子は少し黙ってから「もう、ああなるの嫌やねん」と小さく言った。「ああなるの」とは「キーーーッ!」ってなること、つまり「癇癪を起こしてしまうこと」だ。「思い通りにいかないことがあったら癇癪を起こす子」ぼくはそんな風にその子のことを見ていた。思い通りにいかないことを押し通そうとする姿は、半ばわがままにも見えた。その子にも制御ができないのだ、とそのときに初めて気が付いた。本人が苦しんでいるなんて思ってもいなかった。癇癪を起こさないようにしたり、それを鎮める方法を話し合いもした。けれど、それは「その子がしんどいから」ではなく、「僕たちがしんどいから」やっていた。その子が癇癪と戦っているのに、僕とも戦わなきゃいけないなんてそりゃあしんどい。僕には見守るか支えるしかできなかったのだ。もしかしたら、わがままな姿や怠慢に見える姿が、ただ気に食わなかったのかもしれない。誰も困りはしないのに何故だか許せない、そんな感情ってあるんだよね。その子が感情をコントロールできなくて、うまく表現できなくて苦しんでいるかもしれない。それを分かっていても、それでもやっぱり「自分の言う通りにしたいだけじゃないか」とか「ただのわがままなのではないか?」と感じてしまう自分がいる。考えてみれば、その子が癇癪を起こさずに言うことを聞いて欲しい、と望んでいる僕の考えも、自分の思い通りにしたいというわがままだよね。僕たちはなんで、人がわがままに振る舞っていたりサボっているように見えたりするのが許せないんだろう。たとえば危険があるとか誰かの迷惑になるとかなら分かるけれど、誰に迷惑をかけるわけでもないのに、手を抜いていたりサボっていたりズルをしていたりすると許せない。気に食わないな、と思うだけなら勝手だけれど、「その子のためにならない」というもっともらしい理由をつけて厳しくしてしまうこともある。親を甘やかしたらいけないという価値観も、保育や教育の業界から聞こえてきたりする。「気に食わない」だけで批判するのは理不尽だって誰でも分かるけれど、それが「教育」とか「当たり前」という仮面を被ってたら、そういうものなのかもと思ってしまう。しんどい人は救われるどころかさらに追い込まれていく。しんどいのなら、甘えてもいいんじゃないのかな。なんで、甘えたり手を抜いたりすることが許せなくなってしまうんだろう。あ、例えば、狩りで生きてきた時代には、サボってしまったら生死に関わるから本能的に「サボるのは許せない」と感じるのかもしれないな。とか適当なことを考えてみたけれど、「サボりたい」「休みたい」も生きるために必要な心の声じゃないか。「何個しんどかったら帰れるんですか?」中学校に勤めている友人が、保健室で生徒に聞かれたらしい。熱は無いけれどアトピーの調子が悪いし具合もよくないので帰りたい。けれど、サボりだと思われて帰らせてもらえないとのこと。甘やかしてクセになってもいけないし、だからって子どものしんどさに寄り添えないのもつらいものだ。僕は子どもの頃からアトピーなんだけれど、痒いとか痛いとかだけでなく、向けられる視線やかけられる言葉に傷付いたり、自分は頑張りたいのに頑張れないしんどさもある。学童でも身体が痒くて目の前の宿題に集中できない子がいて、それを見て「集中力がないな」と思ってしまいそうになる。けれど、絶対に「集中しなよ」と声をかけることはしない。だって、集中できるならしてるもんね。痒いから集中できなくて、集中できないからまたイライラして掻いちゃって、終わりが見えなくてボーッとしてしまうんだ。荒れた肌は見た目も良くないし、フケが服についたりするから清潔感がないとか言われる。清潔にしていないとすぐに悪化するから、一度来た服を洗わずに着ることはないしシーツだってしょっちゅう洗う。その辺の清潔感のあるイケメンよりも、きっと清潔であることを心がけているけれど、見た目の清潔感は伴わない。食生活が良くないんじゃないかとか生活習慣が悪いんだよって言われることもある。怠慢だから、サボっているからだよと病気をその人のせいにしたがる。しんどくてエネルギーを使いすぎて、いつもなら容易にできることが、ガス欠でできないこともある。当たり前にできるべきことができていないから、またやっぱりサボってるって思われる。その人のしんどさはその人にしか分からない。同じ痛みでも、平気な人もいれば、動けないくらい苦しむ人もいる。その人にしかその苦しみはわからない、という至極当たり前のことを忘れて、苦しむ人が弱いのだと、それを悪いことのようにしてしまう。忍耐力が足りない?みんな我慢してる?その事実があったとしても、それでしんどさはなくならないのに。病気に限らない。健康でも、その時の環境や状況でしんどい人はきっとたくさんいる。家族がケガをしたり、飼っている猫が病気だったり、失恋したり、推しが引退したり。病気だからとか障害だからとかではなくて、なにもなくてもそのしんどさに目を向けていたい。「そんなことくらいで」なんて他人が言っちゃいけないんだよね。みんなは大丈夫なのに自分がしんどくても、「そんなことくらいで」って自分で思ってしまうことも、もうやめたい。みんなしんどいことは嫌なはずだよ。そのしんどさから逃げたり解放されることを望んだりするのって悪いことじゃないはず。みんながしんどくなくて、みんながサボれる社会の方が断然生きやすいやんか。「なぜしんどいか」なんて関係なくて、そこにしんどさがあるのなら、それをまずは解消したい。甘えてなにがいけないんだろう。弱くてなにがいけないんだろう。教育というモノを言い訳に、育てるという名目のもとに、その子のしんどさを否定してはいないだろうか。まっとうに生きる。勤勉に生きる。それが幸せになるためではなく、ちゃんとした大人として見られるためなのであれば、もうそれにならなくてもいいやって思うの。ちゃんとした大人、を目指すなら、人のしんどさを自分の尺度で測らずに、想像したり寄り添える大人でありたいと思う。「正しいこと」よりも先に「生きやすいこと」を大事にしてみようよって思う。他人が大切にしているものを否定しないのと同じように、他人のしんどさを否定しない。それができたならきっと、自分の大切にしているものもしんどいことも、自分で否定しないでよくなるんだと思う。子どもの育ちを見守る立場である僕が、こんな風にサボることを肯定したら、それで不安になる人もいるかもしれない。けれど、ぼくははっきりと言いたい。一個でも十分しんどいよ。みんながしんどくないことでも君がしんどいのならしんどいんだよ。休んでいいんだよ。手を抜いていいんだよ。苦しみを我慢して厳しくされた分だけ辛抱強くはなるかもしれない。けれど、その分相手にもその強さを求めてしまうのであれば、自分のしんどさに気づいて誰かに甘えられるほうが、その誰かもまた誰かに甘えていけるほうが、みんながしんどくないんじゃないかな。少なくとも、相手には相手のしんどさがあることを知れるから、強さを求めて追い込んだり傷付けたりすることは減るだろう。みんなが強いことを望んで傷つけ合うよりも、弱さを認め合って支え合えたら。甘いと言われようと、僕はそうありたいと思うのだ。余談ですが別の日の帰り道に、「泥棒って、ご飯食べてるんかなあ」と尋ねてきた。不意に問われたその意図が分からなかったので、なるべく断定するような答えにならないように「どうやろうなあ」と返すと「食べてないんやったら、カップラーメンにお湯入れてあげたいわ」とその子は言った。ただカップラーメンをあげたい、ではなく「お湯入れてあげたい」という具体的な優しさが、哀れみとか同情ではなくその子の本当の思いであることを感じさせた。「泥棒ってお金ないんやろ、だからカップラーメンに」と繰り返す。生まれながらに悪い人、ではなく、お金がないから悪いことをしてしまう。そんなふうに考えられる人がどれだけいるだろう。悪い人の代名詞である泥棒だけれど、その子にとっての泥棒は悪い人ではなく困っている人なのだ。犯罪を犯すのはその人のせいで、貧乏なのは自己責任だと叩かれるこの社会で、この子は泥棒のカップラーメンにお湯を入れてあげたいと言っている。それを聞いてぼくが抱いた感情を、なぜだろう、うまく言い表せられない。考えを巡らせすぎたのだろうか、「あーーー」と叫んで「あかん、ほんまに泥棒にお金配りたくなってきた」と泣きそうな顔で呟いた。もしぼくが泥棒なら、って少し想像したら、泥棒でもないぼくが何故か救われたような気持ちになった理由が分かった気がした。ぼくが泥棒だったなら。きっと、そのもらったお金でカップラーメンを買うだろう。ビールを飲んだり美味しいお肉も食べたいけれど、餃子やお寿司も食べに行きたいけれど、でもきっとカップラーメンを買うだろう。そして、その子がお湯を入れてくれるのを待つのだ。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年10月27日日本初のブラウニー専門店「コートクール」が10月15日羽田空港第2ターミナル2F出発ロビー金の翼にオープンいたしました。定番の「東京ブラウニー」や「アールグレイブラウニー」のほか生チョコレートのようなしっとり、もっちりした食感がお愉しみいただける「生ブラウニー」を販売いたします。大切な方への贈り物に、ちょっとした自分へのご褒美にもおすすめです。この機会にぜひお立ち寄り下さいませ。◆店舗情報コートクール 羽田空港第2ターミナル2Fマーケットプレイス金の翼住所:〒144-0041東京都大田区羽田空港3-4-2 羽田空港第2ターミナル2F マーケットプレイス営業時間:8:00~18:00(現在は短縮時間にて営業中)出店期間:2020年10月15日~2021年3月31日◆商品情報生ブラウニー/プレーン厳選したクーベルチュール、チョコレートをブレンドした生地にラム酒の香りをきかせました。しっとり、もっちりした食感が愉しめる生チョコレートのようなブラウニーです。生ブラウニー/アーモンドヘーゼルナッツを混ぜ込んだブラウニー生地の上にローストしたアーモンドとカラメルのヌガーを重ねました。ナッツの香ばしさが特徴の生ブラウニーです。生ブラウニー/オレンジバレンシアオレンジとオレンジリキュールを生地に練りこんだ爽やかな柑橘が香る生ブラウニー。スライスしたオレンジを重ね見た目も鮮やかに仕上げました。生ブラウニー/林檎キャラメル林檎とキャラメル、くるみを生地に練り込みアップル・ブランデーで林檎の風味を引き立てました。上品な林檎の香りとほろ苦いキャラメルの味わいをご堪能ください。・生ブラウニー詰合せ3本入り 税込1,604円~5本入り 税込2,718円~10本入り 税込5,111円~※詰め合わせ内容により価格は異なります。◆コートクールの代表的な商品について・東京ブラウニー6本入り税込1,296円10本入り税込1,944円・アールグレイブラウニー6本入り税込1,404円・オランジェットブラウニー6本入り税込1,404円※店舗により取扱商品は異なります。◆ブランド情報ブラウニー本来の味を日本のみなさまにお届けしたい。その強い想いから、日本初のブラウニー専門店として「コートクール」は誕生しました。2種類のクーベルチュールチョコレートをブレンドすることで生まれる濃厚なカカオの風味。さらに、選び抜いた食材だけを使い今までにない深い味わいに仕上げました。心休まる団欒のひとときや大切な人への贈り物。おもてなしの逸品にお選びいただきたいひとしなです。コートクールが贈る極上のブラウニーをご堪能ください。◆店舗情報・恵比寿本店住所:〒150-0011東京都渋谷区東 3-9-40電話番号:03-5464-3535営業時間:11:00 ~ 19:00定休日:火曜・松屋銀座店住所:〒104-8130東京都中央区銀座3-6-1松屋銀座 地下1階電話番号:03-3567-1211(代表)・ルミネ立川店住所:〒190-0012東京都立川市曙町 2-1-1ルミネ立川 1F スイーツゾーン電話番号:042-528-4560・ルミネ荻窪店住所:〒167-0043東京都杉並区上荻1-7-1ルミネ荻窪1F電話番号:03-6383-5751・ラゾーナ川崎プラザ店住所:〒212-8576神奈川県川崎市幸区堀川町72-1ラゾーナ川崎プラザ電話番号:044-874-8623◆公式サイト企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年10月19日女優の羽田美智子(はだ・みちこ)さんが、2020年10月9日に開催された自身のエッセイ『羽田さんに聞いてみた、小さな幸せの見つけ方』のイベントに出席。自身の子供や、同年9月に亡くなった竹内結子さんについて語る場面がありました。羽田美智子子供を流産した過去を明かす羽田美智子さんは2011年5月に、水中カメラマンである広部俊明さんと結婚しました。当時、報道各社に向けたFAXでは「ずっとよい友人関係でしたが、2年ほど前から私にとって特別な人となり、結婚させていただく運びとなりました」と報告しています。その後も夫婦関係は順調に見えた2人でしたが、羽田美智子さんは2018年3月9日のブログで、2017年に離婚していたことを発表。羽田美智子さんは東京、広部俊明さんは沖縄を拠点に活動しており、遠距離での夫婦生活を送る中で生まれたすれ違いが、離婚の理由の1つであることを明かしています。羽田美智子が離婚した理由をブログで語る開店したネットショップ『羽田甚商店』の評判は?そんな2人には子供がいませんでしたが、今回のイベントで羽田美智子さんは「流産をした経験がある」と告白。同エッセイの中では初めてその出来事について語っているといい、意図についてこのように説明しました。(世の女性に)そういう思いをさせたくなくて、若い人たちに早く読んでいただいて「こういうことが待っているんだな、人生には」って予習してもらいたいというか、そういう思いもあって書かせてもらいました。羽田美智子竹内結子の死に「言葉にならない」イベントの中では、羽田美智子さんに「亡くなった竹内結子さんについてどのように感じているか」という内容の質問が投げられました。羽田美智子さんと竹内結子さんは、2009年の映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』で共演しています。2人は共演をきっかけに連絡をとるようになっていたといい、羽田美智子さんは竹内結子さんが亡くなったことについて「まだ信じていないというか、ふに落ちてなくて言葉にできない」と告白。「言葉が出てこなくて…。自分の中でまだ消化できてないっていう。なんでっていう思いになっちゃうんですよね」と、自身の中で整理がついていないことを明かします。『ジェネラル・ルージュの凱旋』で共演した後、竹内結子さんとはしばらく交流があったものの、徐々に仕事で一緒になることがなくなり、連絡を取らなくなってしまったそう。羽田美智子さんは神妙な顔つきで「友人関係が続いていたら、聞きたかったこともいっぱいあるし。言葉にならない、悲しすぎて」と語り、竹内結子さんとの不意の別れを惜しんでいました。羽田美智子悲しいことがあっても前向きに常に笑顔のイメージがある羽田美智子さん。普段から「小さな幸せを見つけるのが得意」だといい、同エッセイでは日常に隠れている幸せの見つけ方をつづっているといいます。羽田美智子さんは毎日『あした日記』というものをつけているそうで、これは明日、行うことにいい結末が待っていると事前に書き記すのだとか。すると、物事が必ずといっていいほど前向きに進むそうで、「ぜひ、やってみてほしい」と笑顔を見せました。そのポジティブなライフスタイルで支持を集め、さまざまな人にエールを送っている羽田美智子さん。昔も現在も変わらず輝いて見えるのは、その生き方に理由があるのかもしれません。[文・構成/grape編集部]
2020年10月09日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。保育の授業である質問をされた、きしもとさん。これを読んでいるあなたにとって『子供』とはなんですか?第9回『ちょっとずつやさしくて、ちょっとずつかなしい。』「子ども」を一言であらわすとなんという言葉を思い浮かべますか?保育の授業でそんな質問をされた。はしの席から一人ずつ「かわいい」とか「純粋」とか答えている中で、ある男が「邪悪」と答えた。その言葉は一際目立っていて、ぼくは「たしかに子どもには邪悪な一面もあるかもしれないな、おもしろい視点だなあ」と感心していた。一方、教壇でその質問をした先生は憤怒していた。憤怒なんて言葉を初めて使ったけれど、大げさではなく噴火する勢いで声を荒げて怒っていた。「子どもに悪の心なんてありません!」と。その男の言葉が宙ぶらりんになっていた。なんで「邪悪」と言ったのか、どんな想いや考えがあるのか聞こうとしないその姿勢はいかがなものかと思ったが、必要以上に怒られている当の本人は言い返すことはなく「そんな変なこと言った?」と困惑していた。どこかに隠れてしまったその男の本心を知りたくて、授業が終わってからどういう意味でその言葉を使ったのかを尋ねた。「子どもって悪気なく嫌なこととかするやん?人叩いたり悪口言ったりさ」と、いまだ怒られたことに納得しない表情で話してくれた。「それ、無邪気ちゃうん」と尋ねると「あ、それやわ!」と合点がいったようだった。まわりが子どものキラキラしている姿ばかりを言っている中でその視点を提起したのは素晴らしいなという尊敬の気持ちと、どんな言い間違いしてんねんアホやなという気持ちが入り混じり、「じぶん邪悪やな」と返すと、どう受け取ったかわからないけれど「ほんまや、邪悪やわー」と笑っていた。子どもの言葉と向き合うときに「子どもの言動をどこまで注意したらいいかわからない」という相談を受けることがある。小学生にもなると、どこで覚えたのか耳を塞ぎたくなるような暴言を、たとえば「しね」とか「ころすぞ」とか言うような言葉を軽はずみに使うようになる。そんな言葉を子どもから聞くと、ヒヤリとする。純粋無垢だったはずのその子が、悪に染まっていくようで不安になる。純粋なまま育ってほしい一心でその言葉を禁止したり、その言葉を使ったその子を咎めたりしてしまうけれど、子どもが本当に殺意を持ってその言葉を使っているのかと言えばきっと大体がそうではない。「きらい!」であるとか「むかつく!」であるとか、関西人の使う「あほか!」くらいの軽いノリの時もあるのかもしれない。どこで覚えたのかと書いたけれど、思い当たる節はいくつもある。テレビやネット動画だけでなく、日常で大人も使っていたりする。それこそ軽いノリで。自分の思いを言葉にしようとしたというよりは、まだ語彙の少ない中で相手を攻撃したり、自分のイライラする感情を表す言葉として、どこかで見聞きしたその乱暴な言葉を使うこともあるだろう。ぼくはそんなとき、自分が嫌だなって思ったことなら、それをそのまま伝えるようにしている。子どもの育ちのために、とか躾のためにとかは考えず、ひとりの人としてどう感じたかをそのまま伝える。言われたことが嫌だったなら、「傷ついたよ」と伝えればいい。誰かを傷つけるようなことをしていたら「見ていて気分が悪いよ」と自分の気持ちを話せばいい。必要以上に断罪はしない。表現の方法を間違えているだけだから、その言葉を肯定はしなくても否定もしない。否定したり禁止するということは、その子の感情に蓋をするということかもしれないからね。整理できない思いがあるのならそれを使わないようにするのではなく、その思いを表す言葉を知ることや、その感情との向き合い方を知ることの方が必要だろう。あわせて、その言葉の本心を理解しようとしてくれる存在と、受け止めてもらう経験も。それでもやっぱり根っこの感情が本当に「殺したい」のであれば「死ね」という言葉で正しいんだろうし、もしそうならば、その言葉を他人が否定することはできない。僕たち大人も自分の思いや感情を普段からちゃんと言葉にしているだろうか。そう考えたら、できていることの方が少ない気がする。「仕事いきたくなーい」ってよくいうけど、みんなは言わないかもしれないけど僕は言うんだけど、本当に仕事に行きたくないかといえば実はそうではなく「もうちょっとゆっくり寝たーい」とか「のんびり映画見てすごしたーい」とかだったりする。「細かい雑務がめんどくさーい」とか「あの上司と顔合わせたくなーい」とかかもしれないし、言葉にできなくてなんとなく言っていることだってきっとある。その感情をそのまま言葉にするのって実は難しくって、複雑に絡み合った感情を何か言葉にしたくて目の前のことにそのまま表出したりする。自分の感情をうまく言葉にできないだけでなく、自分の感情自体を正確に理解することもままならないときもある。子どもに「あっちいって!」とか「きらい!」とか「死ね!」と理不尽に言われたときに、本当はチクっと傷ついているのに、どうしてか怒ってしまったり。そもそも、感情を正確に言葉にすることなんかできるのかな。なんだかルンルンしている気持ちを「楽しい」という言葉にするから「楽しい」になる。そもそもルンルンってなんの音かわからないけれど、楽しいという言葉よりもルンルンの方が伝わることもあるかもしれない。もやもやしている気持ちを「悔しい」とか「むかつく」とかいう言葉にするからその感情が形になる。どの言葉にするのか適切な言葉をまだ知らないから、その感情からまっすぐ「死ね」とか「きらい」いう過激な言葉になるんじゃないか。その「死ね」や「きらい」は、「悲しい」かもしれないし「寂しい」かも「痛い」かも「虚しい」かもしれないし、「もやもや」とか「いらいら」とかかもしれないし、この世界の言葉にはない感情なのかもしれない。そんなときに、あなたはそんなこと言う子じゃないって言われたら、そんな思いを持つことはいけないことだって否定されてその思いに蓋をされたら、ぎゅーっと苦しくなる。それはきっと大人も同じだ。たとえばなにかお願い事をされたときにも、大人だから付き合ってあげないとって思わなくても、自分がそれをしたくないのなら断ってもいいのだ。ぼくは仕事だから子どもにお願いされたらよほど無理なことじゃなければ断らないようにしているけれど、仕事じゃないならその断る理由が「疲れた」とか「めんどくさい」でも悪いことではないと思う。ただ、そのときに「断られることも覚えないと」だとか「思い通りにいかないときの折り合いの付け方を学ぶ」とか、その子の育ちのためになりそうな理由を探しそうになるんだけれど、それは必要はない。むしろ、「相手のため」という言い訳は本質を隠すし、本心でもない。自分を守るために相手を引き合いに出す必要はない。相手のためではなく、自分のために自分を守ればいい。「いまは私が使っているから貸したくない」「疲れているから応えられない」ときちんと伝えればいい。「それはやめてね」「傷つくからね」そうやって伝えるだけでいいんだと思う。それでその子のなにかが育つとか考えるのは少し傲慢なんだ。意見の表明をして相手はそれを受け止めた。できる限り自分の本心に近い部分を伝えて、できる限り相手の本心に近い部分を受け取る努力をした。ただそのやりとりが人と人との関係なんだと思う。優しい人だねと言われたら、「そうなのかな」と思うと同時に、期待に応えようと思う。強い人だねと言われたら、弱音を吐いてはいけないような気がする。本が好きだもんね、勉強好きだもんね、優しいもんね、子どもが好きだもんね。その言葉に励まされることもあるし、道を踏み外しそうになるのを踏みとどまらせてくれることもある。けれど、その言葉が呪いとなることもきっとあるんだろう。期待に応えたいという思いとあわせて「そうある自分に価値がある」と思ってしまっていたりもする。言いかえればそれは、期待を裏切らないように、価値がないと思われないように、ということ。自分の役割に徹していると、自分の気持ちが疎かになる。そんな自分の気持ちをなおざりにしていることに気づいていなかったりもする。大人だから、子どもの言うことには傷ついたりしない。親だから、めんどくさいこともきちんとやる。長男だから下の子に優しくする。上司だから、部下だから…それぞれの立場でそれぞれの役割を演じるために、ときに頑張りすぎたりする。それってやっぱりしんどい。だから、優しくない自分もいて良いんじゃないかな。頑張れない自分も、意地悪な自分も、ネガティブな自分も、期待を裏切る自分も。「相手はどんな言葉を望んでいるんだろう」それを考えることはきっと優しさなんだけれど、本当の思いを伝えることでお互いが救われることもきっとある。それは、自分を大切にするということでも、相手を大切にすると言うことでもあるよね。子どもも同じだ。ぼくたちが抱く「子どもは純粋であってほしい」とか「子どもに邪悪なところなんてない」という期待が、子どもも大人もおいつめてしまう。自分にどんな役割があったとしても、自分がしたくないことやできないことは「したくない」と言っていい。それは、自分もひとりの人間であるという、自分が自分であるということ。命を危険に晒すとか突き放すのでなければ、相手を故意に傷つけたりするのでなければ、大人も子どもも一人の人間だ。子どもに対してだけでなく家族にでも友人にでも職場でもそうなんだと思う。当たり前にそれを我慢する必要はない。そんなこと言ったらできる人にしわ寄せがいくとか、みんなわがままになってしまう、と言われるかもしれない。「それはしたくないな、嫌だな」と思っても、それを伝えても、結局はやらなきゃいけないことはある。けど、だからって黙ってなきゃいけないとは思わない。部屋の掃除をしたくないし、洗い物がめんどくさい。だからって「掃除めんどくさーい!やりたくなーい!」と言っちゃダメかといえばそんなことないはずなんだよ。いい大人なんだから掃除するの当たり前でしょう。文句なんか言わずにやれよ。なんて言わないでほしいし、自分が自分をそうやって追い込むのももうやめたい。「めんどくさいよね、明日にしよっか」「まあでもやろっか」「だれかにたのもっか」でいいんじゃないかな。絶対に手を抜けない消毒とかもさ、やるのが当たり前でしょうではなく「めんどくさいよね、けどやらなきゃね」って自分で自分を慰めながらやってる。伝えることって立場によってはとても勇気のいることだから、言えないことが悪いことだということではなくて、自分を大切にするために、自分を追い込む必要なんてないってこと。近しい人に話したり、帰って独り言でも、SNSに吐いてもいい。「ほんとは嫌だったんだよね」「悲しかったんだよね」「むかつくんだよね」とほんとの気持ちを言葉にするだけで、自分の気持ちを大切にできるような気がする。その言葉が少し乱暴でもいいのかもしれない。もしかしたら相手も自分の感情を正確に言葉にはできていなくて、悲しませるつもりはなくて、まっすぐ正確に言葉にすれば関係が良くなることだってきっとあるんだろう。もちろんそんな簡単なことではなくて悪化することだってあるけどね。自分が誰かのその心の言葉を聞いたときに、「なら代わりにぼくがやりますね」って言うかもしれないし、「キツイですよね」って共感するだけかもしれない。けれど「あなたはこうなんだから」「あなたの役割なんだから」「あなたが言ったんだから」って、その思い自体を批判して突き放さなしたりしないように気をつけていたいなと思う。自分の思いや価値観は、人を叩くためのものではなく自分を守るためのものだ。そうやって考えるだけで、少なくとも自分の言葉で誰かが傷つくことはあっても攻撃するという事は減るのかもしれない。僕の文章も、誰かの心に突き刺さる言葉としてではなく、そこらに生えている草花を眺めるような、たまに気になったら摘むような、そんな感覚で読んでもらえていたら嬉しいなと思う。余談ですが子どものころ、たまに会いに来てくれるじいちゃんは、いつもアンパンを買ってきた。ぼくの2つ上の兄の好物だったからだ。じいちゃんがアンパンを買ってくるたびに、ぼくの中でアンパン好きの兄ちゃんというイメージが確立されていき、兄のなかでも「自分はアンパンが好きだ」という意識が強化されているようだった。兄の喜ぶ姿を見てじいちゃんは「やっぱり好きなんだな」と満足げにまたアンパンを買ってきた。そのままいけば相当なアンパン好きになるんだろうと期待できたが、意外にもそうはならなかった。ある日当たり前のようにアンパンを取ってあげたら、「おれ、あんまりアンパン好きちゃうかも」と遠慮気味に兄は言ったのだ。「自分は本当にアンパンが好きなのか、君はアンパンが好きだねと周りに言われるからそんな気がしていたのか、本当は好きじゃないんじゃないか」そんな葛藤があったかは知らない。自分が本当に好きなのはアンパンではなくアンパンが好きな自分なんじゃないかなんて悩む姿を想像すると微笑ましいけれど、当時の幼いぼくはなにか不安な気持ちになった。たしかに好きだったはずなのに飽きてしまったんだろうか、もともと好きじゃなかったんだろうか、じいちゃんはどんな気持ちになるんだろうかと、誰も悪くないのに、寂しいような切ないような言葉にできない気持ちになっていた。その事実がじいちゃんの耳に入ったのかはわからない。そのあとじいちゃんが変わらずアンパンを買ってきていたか、買ってこなくなったのかも覚えてないくらい曖昧な記憶だ。けれどたまに、嬉しそうにアンパンを買ってきたじいちゃんと、突如アンパンに別れを告げた兄を思い出す。みんなが優しいのになぜか悲しい。なんだか少し切ないけれど、誰かひとりがしんどいではなく、みんなが優しいからみんなが少しずつ悲しいのなら、そのほうがいいのかもしれない。きしもとさんの記事やこれまでの連載コラムはこちら[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年09月13日“とろけるくりーむパン”で人気の「八天堂」から、ムーミンとコラボレーションしたスイーツパン「ムーミンコラボ 広島レモンくりーむパン」が登場。2020年7月15日(水)より夏限定で発売する。2020年で6年目となる「八天堂」とムーミンのコラボレーション。今回発売される「ムーミンコラボ 広島レモンくりーむパン」は、瀬戸内・広島レモンのクリームを詰め込んだ夏にぴったりのくりーむパンだ。広島レモンの酸味とひんやりとしたクリームの甘みが調和した、爽やかな味わいを楽しめる。パッケージには、ミムラねえさんとスノークのおじょうさんが小走りしているイラストを配し、チャーミングに仕上げた。【詳細】八天堂「ムーミンコラボ 広島レモンくりーむパン」発売日:2020年7月15日(水)※各店舗により販売期間は異なる場合あり。価格:260円+税※2020年はオリジナル保冷バッグの販売はなし。取扱店舗:<東日本エリア>JR 池袋、HACHI PAN CAFÉ、エキュート品川サウス、東京駅エキュート京葉ストリート、エチカフィット永田町駅、JR 恵比寿店、八天堂きさらづ、八天堂横浜ポルタ店、八天堂エキュート立川店、エキュート上野<中部近畿エリア>ジェイアール名古屋タカシマヤ、八天堂サテラアスティ岐阜店<関西エリア>ekimo 梅田、ekimo 天王寺店<中国・九州エリア>八天堂港町創業店、八天堂本店(八天堂カフェリエ内)、博多駅デイトスいっぴん通り、八天堂アミュプラザ小倉店、八天堂 SATELLA(大分)、ekie 広島駅店
2020年07月13日株式会社ロッテは6月30日に、あの人気のくりーむパン専門店「八天堂」とのコラボ第2弾として新商品を「チョコパイ」ブランドから発売いたします。第1弾では累計390万個販売し、お客様から高い支持を頂きヒット商品となりました。第2弾では2020年の新茶を使った今しか味わえない特別な「八天堂」の新茶のくりーむパンの味わいをチョコパイでお楽しみいただけます。この機会にぜひお試しください。※第1弾累計商品:八天堂監修チョコパイ<カスタードくりーむ味>個売り/八天堂監修チョコパイ<カスタードくりーむ&あまおう苺味>個売りの2品累計 期間:2020年4月~5月出荷実績◆『八天堂監修チョコパイ<新茶香るカスタードくりーむ味>個売り』<夏季限定>◆『八天堂監修チョコパイ<新茶香るカスタードくりーむ味>個売り』<商品特長>八天堂の新茶のくりーむパンをイメージした新茶カスタードくりーむと新茶ソースをケーキでサンドして、チョコレートでコーティングしました。2020年の新茶を使った新茶ソースが入り、しっかりと新茶の香る味わいが楽しめます。この季節しか楽しめない旬なチョコパイです。自分へのご褒美に食べたい、ひとりじめしたくなる個売りタイプです。●商品名 八天堂監修チョコパイ<新茶香るカスタードくりーむ味>個売り●発売日 2020年6月30日(火)●発売地区 全国●内容量 1個●価格 オープン価格 (想定小売価格95円前後(税抜))企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年06月25日お笑いコンビ・キャイ~ンの天野ひろゆきが8日、オフィシャルブログを更新し、香取慎吾の感動エピソードを明かした。日本テレビ系『天声慎吾』共演以降も香取のことを「王子」と呼ぶなど、親しい間柄で知られる天野。8日付のブログでは、「昨日のななにーも、近くにはいたけど、リモート状態で会えずかと思ったら、ライブへの移動で少しだけ王子と話せた(これはもはや出待ちするファンだ(笑))」と直接の会話が久しぶりだったことを明かした。香取に会いに行った天野が「ドラマ宣伝してくれてありがとう」「おかげで好評うちに完走出来たよ!!」と伝えたところ、香取から「僕の宣伝のおかげだなんて」「じゃなくて楽しく面白く沢山の人が観たくなる作品だったんだよ。楽しい時間をありがとう!」と逆に感謝されてしまったのだそう。「久しぶりに王子に会えた」と題したこの日のブログは、「泣けるじゃねぇか王子」と天野の感情がにじみ出る一文で結ばれている。「ドラマ宣伝」というのは、天野が出演したドラマ『隕石家族』(東海テレビ・フジテレビ系)を、香取がTwitterなどで告知していたこと。先月30日、香取の「いよいよこの後23時40分から隕石家族 最終回!!」に対して天野はTwitterで「おい!ついに俺を経由しないで直接ツイートしとるやないかいっ!!(笑)」「気付かないでメール待ってたよ」「ありがとう王子!!」と反応。ブログでは度々感想メールが送られてきたことを明かし、最終回後にも届いたようで、翌日には「王子からのメールが『STAY HOMEに楽しい時間をありがとう!諦めたら人生そこで終わり 明日の人生に懸けてみるか どんとこいだね!!』その通りだよ!! 王子~!! ありがとう」と感謝のメッセージを送っていた。
2020年06月10日50代を迎え、さらに輝きを増す羽田美智子さん(51)。「40代までは自分が主役でもいいけれど、これからは相手を立てる生き方を」と思ったことで、「自分にも光が当たるよう」と話します。ドラマの主演を務めながら、今、思うことーー。「隕石が接近して地球滅亡まであと半年、というドラマのお話をいただいたのが昨年の秋でした。そのときは“非現実感”がおもしろそう、と思ったんですが、今、世界中がかつてない混沌とした状況に陥ってしまって。もちろん設定は違うけれど、時代が、地球が変わるときだと痛感しています」そう話すのは、ドラマ『隕石家族』(東海テレビ・フジテレビ系、土曜23時40分〜)で主演を務める羽田美智子さん。彼女が演じる主婦・門倉久美子は、あと半年の命と知り、自分に正直に生きたいと一念発起。「好きな人がいます!」と家族に告白し、高校時代の初恋の人のもとへと走ってしまう。「人生でやり残したことはないか?と考えたとき、久美子にとっては、かつての純愛を手に入れることだったんですよね。その気持ちをまったく理解できないわけではないし、むしろ、純粋に人を愛した記憶を大事にする部分には共感できて、『正直に生きるってどういうことだろう?』と、自身に問い直す機会にもなりました」また、羽田さんは「地球が滅亡するとして、自分にとって本当に必要なものは?」と自身に問い続けたそう。「すると思いのほか、きっとたいしたものじゃないな、って思えたんです。あの世に持っていける財産は、お金や評価ではないだろうし。人を純粋に愛して、愛されてよかった、という記憶くらい。そして、自分がどれだけ伝えられたか、ってことなんじゃないかな。結局は“あきらめる”ということ。ネガティブな言葉に聞こえますが、もともとは仏教用語で“明らかに眺めて物事に執着しない”という意味のようです。近年の自然災害を経験するたびに実感してきたこともあるんですが、極論『命さえあれば、なんとでもなる』、あらためて覚悟を決めたら、強くなれた気がします」“捨てる”選択をしたことで、心がふっと楽になったという。「あと、人生でやり残したことが、案外、何もなかったんです。結婚も離婚も経験できましたし(笑)、大切な仲間とも出会えました。ただ、そう思えるのも、50代になった今だからでしょうね。40代のころは『まだ何もできてない』という焦りの中にありました。人に『ありがとう』と言うばかりで、言われるような生き方をしてこられただろうか、寂しい人生ではなかっただろうか……」そんな思いもあり、5年前、故郷である茨城県常総市が水害に見舞われた際には、まっさきにボランティアに駆けつけた。「地元の同級生との交流が増え、『美智子が頑張っているから私たちも頑張るよ』と言ってもらうたびに、表舞台に立つ者として、同世代を引っ張る責任もあるのでは、と考えるようになりました。その昔、『女は40代までは楽しいけれど、50代からはみじめよ。鏡を見ればうんざりするし、あちこち不調が出てくるし』と言われたことがあったんです。でも『そんなことはない!』と証明したくって。『あとからくる人たちに“50代の希望”だと思われる存在になる!』って、周囲のスタッフたちにも宣言しちゃったんです(笑)」50歳からの生き方を見つめ直し、昨年にはオンラインショップ「羽田甚商店」をスタート。目の奥がビビッと開いた“本当にいい暮らしのモノ”だけを販売している。「50代からは、相手やモノを主役に立てる生き方をしたいな、と思って。自分の性格的に、人のためが自分のためになるだろうし、実際、それによって自分自身に光が当たっているように感じています」「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年05月01日Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。第5回は、きしもとさんが人それぞれ異なる子育ての価値観について考えます。第5回『知らないからこそ、間違うからこそ。』年度の変わり目、一年が過ぎようとしているこの時期にようやく気づく子どもの姿がある。3月の初め、ある高学年の男の子と公園で遊んでいるのを見て「楽しそうですね」と同僚から声をかけられた。その子を見ると、いつにない笑顔ではしゃいでいた。「いつにない?」本当かなとふと思った。自分が気づけていなかっただけでいつもこんな風に楽しんでいたんじゃないか。高学年の男の子たちは、大人にはあまり依存せず自分たちの世界であそびを楽しんでいる。家でゲームをしたり公園で同年代の子達と遊ぶ方が楽しいんじゃないかと感じることもある。もちろん一緒に遊ぶことはあるけれど、低学年のようにずっとくっついてくるようなことはほとんどない。すると、自然とこちらから声をかけるのが、危険なことやよくないことをしたときに偏ってしまう。楽しんでいる中で「注意してくる人」とだけ認識されたら、話もまともに聞いてくれない。危険なことなら聞いてもらわないといけないから遠慮なく伝えるのだけれど、ふてくされた態度や反論があるとこちらもつい強い語調になってしまう。そんなやりとりが多い男の子だった。あんなに毎日会っていて、この楽しそうにしている姿にぼくはどれだけ目を向けていたのだろう、と思った。全然見れていなかったかもしれないな、と。荒い口調で怒ってしまったり否定するような言い方をしたりした、思い出したくない記憶が蘇り、後悔した。「もう少し優しく接したらよかったなあ」と同僚にこぼすと、「まだありますよ、接する時間」と返された。うんそうだよなと思った。あと一ヶ月、できなかったことを嘆くにはまだ早い。いまからでもできることをしよう、と気持ちを立て直した。子どもとの関わりや子育てについての発信をしていると、共感してくれる人や参考にしてくれる方たちがたくさんいる。ありがたいことに、すごいねと言ってもらえることもある。けれど、その度に自分はそんな人間じゃないんだと逃げだしたくなる。「よく綺麗事が言えるよね、そんな清廉潔白な人間じゃないだろう。今までの失敗が無かったことにはならないぞ」ともう一人の自分が責めてくる。「あの人は間違っている」というような誰かを批判する言葉を聞くと、他人事ではなくその言葉はそのまま自分にも突き刺さる。浅はかな偏見で人を差別したことや傷つけたことがある。保育でも、強い言い方をしたり怒鳴ったり、言うことを聞かせようとしたり、そういった「適切ではない関わり」をしたことがある。体罰を与えて大怪我を負わせたことはなくても、そうなっていたかもしれない状況はいくらでもあったと思う。思い出すだけでこの仕事から離れたくなる。ぼくが今どんな人間になっていても、そのときのその人の傷はきっとそのままだ。なかったことにはできない。たまたまなのだ、いま何もない顔をして保育を語れているのは。当たり前のように子どもたちと毎日関わることができているのは。ぼくの知っているそれと、違うものたちぼくが育った家庭は、父がお茶をくれと言えば母はお茶を淹れる。返事をする母は、どちらかといえば嫌そうな顔をしているので、それはそれで嫌だろうから自分で淹れれば良いものを、父は半ば意地のように自分では淹れない。それについての是非は語れないし語るつもりもない。それは本人たちにしか分かり得ない二人だけの関係だ。ただそういう環境で育ったということは、ぼくも「それがふつう」という感覚を少なからず持っているということだ。良いとか悪いとかではなく、そこから自分の偏見が生まれていたりする。そう自覚しだしたのは成人してからだった。友人の母親が好きな歌手のライブに一人で行くというのを聞いて、不思議に思った。「母親が夜一人であそびにいくの?」と否定的な感情を僅かながら持った。恥ずかいしいことに、その時のぼくはまだ未熟で思慮が浅く世間知らずだった。なにも変なことじゃないのに、自分の知っているそれと違うというだけで違和感を感じてしまったのだ。保育や保護者支援について学んでいたし、実習にも行っていたけれど、自分の偏見や世の中の当たり前と向き合う機会はあまり持たなかったのだろう。ぼくの実家のおでんにはニンジンが入っている。小学校の頃に他の家ではニンジンが入っていないことに衝撃を受けた。そして、大人になってからタケノコのおでんを食べてさらなる衝撃を受けた。自分の経験がすべてで、それが当たり前だと思い込んでしまう。食事は手作りで手間をかければかけるほどよくて、共働き家庭もあるけれど父親が養って母親は家にいるのが普通で、子どもには両親がいて、休日は家族と過ごして、おでんにはニンジンが入っていて。なんとなくそれが当たり前だと思っていた。けれど、こういった「自分の当たり前」って、いろんなことを見て考察して考え抜いた先に見つけた揺るぎない価値観とか考え方ではなく、ただ「ぼくが知っているそれ」ってだけなんだよね。だから、そんな中で感じる他人の「間違い」は「ぼくが知っているそれではない」というだけなんだ。それは、偏見にまみれたものに限らず逆も然りなんだろう。ジェンダー意識が高くて多様性を尊重する環境で育ったとしても、そうでない人を見て「あの人は間違っている」と感じてしまうなら。「自分の知っているそれではない」という、ただそれだけの感覚が偏見となり、気づかぬうちに誰かを追い込んでしまっていたりする。だから、自分の当たり前で人を潰してしまわないように、人の当たり前で自分が潰れてしまわないように気をつけていたいと思うのだ。いろんな方法を、いろんな人がいることを、いろんな考えがあることを、完璧じゃなくていいことを、自分が知らないことがたくさんあることを、まず知ることができたら。多くのことを知るたびに知らないことがどんどん増えて、自分が知っていることは米びつの中にある米粒一粒くらいなのだと知れたら、きっと他の米粒を見て簡単に批判はできなくなる。当たり前だと思っているものに潰されそうになった時に、実はそれは当たり前ではないのかもしれないと知れたら、少し気持ちが楽になる。もし間違っていると感じる言説に触れて許せなかったり、自分は間違ってばかりだと感じて落ち込みそうになったら、「まだ知らないのだ」と思えたらいいな。その人がまだ知らないのかも知れないし、自分がまだ知らないのかもしれない。それは、卑下するという意味ではなくて。「タコは食べものではない」と言う人に「タコを食べないなんておかしい!」なんて怒ったりしないように。ただ、文化が違うのかな、食べたことないのかな、おいしさを知らないだけなんだろうなと思うように。そこでもし、食べてみてほしいなって思ったら、あなたは間違っていますよ、とはきっと言わずに「タコパしようよ」って誘うよねきっと。他のもの入れても美味しいから、一回やってみて気が向いたらタコ焼き食べてみようよって。あ、おでんにしても美味しいよね。生まれたばかりの、まだ価値観とも呼べない感覚を正面から否定されたら、自分の全てを否定されたと感じて防御反応としてその「なんとなくの価値観」に固執してしまうんじゃないかな。いろんなものを見て考えて価値観を作り上げていくのはやめて、自分が「間違い」にならないように「ぼくが知っているそれ」を正解にするための答えを探していくんじゃないのかな。そうなったらきっと、永久に考えが変わることはないんだろう。だから、批判をするなら丁寧にしたい。なんのために、どこに向いてそれを批判するのかをちゃんと考えたい。それは、いい人でありたいからではなく、間違っている自分と、これから間違うかも知れない自分のために。もし「許せない」と思いそうになったら、タコパに誘ってみれたらいいなと思う。いまの自分が10年前のぼくを思い出してそう思うように、これを書いている現在の自分もまた10年後の自分から見たら未熟で、やはり気づかぬうちに自分の当たり前で誰かを傷つけたり追い詰めてしまったりしているのだと思う。自分がもともとどんな人間かを気にしてしまったらもう人生を諦めてしまいそうになる。だから、どんな人間でありたいか、そのために今から何ができるのかを考えることにする。子どもたちを大切にできる保育者でありたいし、みんながしんどくないようになればいいなと思っている。うまくできなくても、その思いは本当なんだ。自分がした言動を変えることはできないけれど、だからこそ何度も間違う自分とともに、埋まることはない穴を自己満足で埋めることはなく、愚直にユーモラスに、できることを重ねていきたいな。いい親でいることはできないかもしれない。いい保育者であることはできないかもしれない。けれど、それでもいいじゃないか。完璧にできないし、100点を取ることはできないけれど、その時その時に最善だと思うほうを選んでいければ。その方法をみんなで出し合えたら。その中から選ぶのは、自分を追い詰めるためのものではなく、追い込んでしまう自分を救うためのものであればいいなと思う。余談ですが冒頭の話から一ヶ月経った3月の末のある日の夕方、公園から学童に戻るときにその子が「まだ遊びたい」と伝えてきた。幸い人手があったので小一時間その子と走り回った。二人で遊ぶこと自体はそんなに楽しくないはずなのに、ゲラゲラと笑っていた。「帰りの匂いがするわ」公園を出た時に、その子がふと呟いた。わかるような、わからないような、けれどその子のそのままの言葉なんだろうな、ああ、いいなあと素直に思った。意味を聞くのは野暮だとわかっていながらも、やっぱりどうしても聞きたくなって尋ねてみた。「終わったなあー寂しいなあーけどまあ明日も学童あるしなあって感じの匂いやな」と返ってきた。ぼくの目に写っているのは生意気なその子ではなく、今日を思いきり楽しんで明日に期待して充たされているような、そんな顔だった。「まだありますよ、その子と接する時間」一ヶ月前に同僚からかけられた言葉を思い出した。穴は埋まっていないかもしれないけれど、救われた気がした。ふいになにかが溢れ出しそうになり、それがこぼれないように、その「帰りの匂い」を思いきり鼻から吸いこんだ。「金曜日の夕方と日曜日の夕方、どっちが好き?」と続けるその子に、そりゃあ金曜の夕方やな。とだけ答えた。君たちのおかげで日曜の夕方が憂鬱になることはほとんどないけどね。【コラム第1回】子育てで『正解』に苦しめられたら保育者が大切にしたいこと【きしもとたかひろ連載コラム】【コラム第2回】子供を注意して「しまった!」保育者が気を付けていることは…【きしもとたかひろ連載コラム】【コラム第3回】「ヘタだからやらない」という子供その理由に考えさせられる【きしもとたかひろ連載コラム】【コラム第4回】子育ての『手抜き』で大切なこと「手を抜いてもいい」ではなく…【きしもとたかひろ連載コラム】[文・構成/きしもとたかひろ]きしもとたかひろ兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。⇒きしもとたかひろnote⇒きしもとたかひろTwitter
2020年04月16日蔦屋書店は、「羽田空港第2ターミナル」の4階に「羽田空港 蔦屋書店」をオープン。羽田空港初となる「ブック&カフェ」を主軸にした「羽田空港 蔦屋書店」「羽田空港 蔦屋書店」は、羽田空港初となる「ブック&カフェ(BOOK & CAFE)」を主軸とした店内に、世界のトレンドが映された和洋雑誌をはじめ、ワークスタイルや日本文化に関する書籍、さらにはステーショナリー、雑貨、「羽田空港 蔦屋書店」限定のアイテムも取り揃える。また、手土産として最適な日本の衣食住にまつわる文具雑貨も展開する。羽田空港初の「ブック & カフェ」スターバックス(Starbucks)のコーヒーや紅茶を嗜みながら、好きな本を手に取れる「ブック&カフェ」には54席の座席と大きなテーブルを設置。全長3メートルのマガジンストリートには、世界のトレンドを映した和雑誌・洋雑誌を壁一面に用意している。厳選されたビジネス書や文学書は、カップを片手に有意義な時間を過ごすには最適なだけでなく、旅や出張のお供にもなってくれる。月替わりのコンセプトで日本のカルチャーを紹介する「ジャパン レコメンド」「ジャパン レコメンド」は、和魂洋才をコンセプトに「羽田空港 蔦屋書店」がキュレーションした日本のカルチャーを月替わりで紹介する場所。ゲストショップによる期間限定ショップやトークイベントなどを予定している。オープン時には、約500年の歴史を持つ老舗和菓子店「とらや」が期間限定で登場し、“和菓子”と“お茶”の楽しみ方を提案。名物の羊羹と緑茶の組み合わせ、「羽田空港 蔦屋書店」オープンを祝してデザインされた限定の特製掛紙や特製風呂敷を紹介する。ミーティングなどに利用可能な有料待合室「蔦屋書店」の隣には、ミーティングなどに利用可能な有料待合室4部屋を用意。商談や会議など本格的なビジネスにも、出発前の時間を有意義に過ごすのにも最適な空間だ。【詳細】羽田空港 蔦屋書店オープン日:2020年3月29日(日)住所:東京都大田区羽田空港3-4-2TEL:03-5579-7575営業時間:24時間営業スターバックス営業時間:6時~28時※当面の間は7:00~22:00の営業時間。情勢の変化により変更する場合あり。
2020年04月03日「首都圏の国際競争力を高めることと、東京五輪に備え羽田の国際線の便数を増やす」ために運用開始されたという羽田新ルート。しかし、これは乗客を危険にさらすことになるというーー。「いつ大事故が起きても不思議ではありません。羽田は世界の大空港のなかで、最も着陸が難しい危険な空港になってしまった……」怒りに満ちた表情で、このように話すのは、ジャンボジェット(B747型)の飛行時間で世界一の記録を持つ、元日本航空機長で航空評論家の杉江弘さん。3月29日、東京都心部の上空を航空機が飛ぶ、羽田新ルートの運用がスタートした。国の計画では、南風のときに都心部上空を着陸体勢で1,150〜340メートルの低空飛行で通過。時間帯は15〜19時の4時間。1時間あたり44回通過するので、約80秒に1回の割合で航空機が上空を通ることになった。ただでさえ人口が密集する大都市・東京の上空を低空飛行することによる、騒音問題や落下物の危険性は以前から指摘されてきた。だが、杉江さんによると、今回の新飛行ルートの運用開始は、航空機を利用する乗客にも深刻なリスクを及ぼすと、警鐘を鳴らす。「昨年7月、着陸の最終進入ポイントの降下角が3.0度から3.45度に引き上げられました。パイロットにとって、0.1度大きくなるだけで滑走路の見え方が変わります。それが0.45度も変わると、ジェットコースターのような急降下で地面に突っ込んでいく感覚に。着陸操作が非常に難しくなることで、着陸時の大事故につながる可能性が高まった」急角度による着陸のリスクは、尻もち事故やハードランディングにつながるという。「急角度での進入では十分な減速ができないのです。そのため滑走路にタイヤがついたときにバウンドするケースが起こり得る。昨年5月、ロシアでアエロフロート機が、バウンドして尻もち事故を起こして炎上。41人が亡くなりました。急角度だとそういう大事故が起きやすくなるのです」(杉江さん)「女性自身」2020年4月14日号 掲載
2020年04月03日「いつ大事故が起きても不思議ではありません。羽田は世界の大空港のなかで、最も着陸が難しい危険な空港になってしまった……」怒りに満ちた表情で、このように話すのは、ジャンボジェット(B747型)の飛行時間で世界一の記録を持つ、元日本航空機長で航空評論家の杉江弘さん。3月29日、東京都心部の上空を航空機が飛ぶ、羽田新ルートの運用がスタートした。国の計画では、南風のときに都心部上空を着陸体勢で1,150〜340メートルの低空飛行で通過。時間帯は15〜19時の4時間。1時間あたり44回通過するので、約80秒に1回の割合で航空機が上空を通ることになった。杉江さんによると、今回の新飛行ルートの運用開始は、航空機を利用する乗客にも深刻なリスクを及ぼすと、警鐘を鳴らす。「昨年7月、着陸の最終進入ポイントの降下角が3.0度から3.45度に引き上げられました。パイロットにとって、0.1度大きくなるだけで滑走路の見え方が変わります。それが0.45度も変わると、ジェットコースターのような急降下で地面に突っ込んでいく感覚に。着陸操作が非常に難しくなることで、着陸時の大事故につながる可能性が高まった」では、なぜそんな危険な急角度の着陸方式に変更されたのか。国土交通省は次のように説明する。「住民説明会などで、騒音対策についてさまざまなご意見が多く寄せられました。そこで降下角度を3.0から3.45度にすることによって、地上との距離をより確保し、騒音を軽減することにしました。圧迫感を少しでも軽減できるように高度を上げる方策を取り入れたのです」(首都圏空港課)国交省は、あくまでも“騒音対策”のためだと言うが、杉江さんは変更した理由は別にあると語る。「米軍の横田空域(※)です。A滑走路の一部が横田空域にかかっているんです。昨年1月、日米当局が、横田空域を使うことに合意したのですが、米国から通過高度を3,800フィート(約1,150メートル)以上という制限を付けられた可能性がある。これはある大手航空会社の内部資料を入手してわかりました。着陸体勢に入る最終降下地点は中野駅付近ですが、その付近までは高度を下げられない。その最終降下地点とA滑走路の端っこを結ぶと3.45度に。その角度で降下せざるをえなくなったのです」横田空域にかからないC滑走路の降下角度まで、リスクが高い3.45度に引き上げた理由も、「国交省は“騒音対策”と言った以上、地元住民への騒音軽減の公平性の観点から、ついでに引き上げた」と推測している。杉江さんは、これから夏場に向けて、パイロットたちにさらなるプレッシャーがのしかかるという。「近年、日本の夏は気温が35度を超える猛暑日が多い。気温が上がり空気密度が低下すると、高度計が実際の高度より低く出ます。つまり夏場は、高度計で示される3,800フィートよりも、もっと高い位置を飛んでしまうのです。そうなると最終降下地点からの着陸角度が、3.45度よりもさらに大きくなり、猛暑日だと3.7度以上になることも。これはパイロットにとって恐怖でしかない。本当に危険です」今年1月、世界100カ国以上の航空会社に所属するパイロット10万人を組織する団体『IFALPA』(国際定期航空操縦士協会連合会)も、新飛行ルートの降下角3.45度について、安全上の懸念をすでに正式に表明している。2月には、実際に乗客のいる旅客機で試験飛行が行われた。そこでエアカナダ航空のパイロットは、急角度の羽田着陸をあきらめ、成田に着陸するということが起きている。国交省は「安全性に問題はない」ことを強調するが……。「新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で便数が激減するなか、これほどリスクのある新飛行ルートを強行する必要はなかったと思います。もし運用を延期した場合、その間に、ルート直下の住民たちの反対の声がますます広がり、実施しにくくなるという懸念があったのでしょう」(杉江さん)事故で羽田空港が“ロックダウン(封鎖)”されないことを祈るばかりだ。(※)横田空域とは、東京都の在日米軍横田基地や神奈川県の米海軍厚木基地に離着陸する米軍機を管制するために米軍が管理する空域。最低で高度2,450メートル、最高で7,000メートルまでを米軍が管理下に置き、日本の航空機がその空域を飛ぶときは、米軍の許可が必要。「女性自身」2020年4月14日号 掲載
2020年04月03日川下大洋・三上市朗・後藤ひろひとが大阪で活動してきたユニット「大田王」が、東京では初となる公演「TOKYO大田王 2020~THAT’S GOING TOO FAR ~」を、4月2日(水)から赤坂レッドシアターにて上演する。川下、三上、後藤に話を聞いた。【チケット情報はこちら】三上が「僕らは元々、イギリスのコメディグループ『モンティ・パイソン』とか、アメリカのコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』で育ってきた世代で。僕自身、今でも海外のコメディアンに憧れているところがあるのですが、そういうことをやりたくて始めたユニットです」という「大田王」。’96年に川下大洋と三上市朗が「田王」として活動スタートし、翌年、後藤ひろひとも加わったコントオムニバス公演のユニットだ。川下が「コントと言ってもあくまで演劇の一貫。その中でパワーのある笑いが生まれます。これだけ舞台で遊べるんだ、というものを観ていただけると思いますよ」と話すように、所謂お笑い芸人のコントとは違う笑いが生み出される公演だ。後藤が「『大田王やるよ』って言われると毎回ちょっとうんざりするんだけど(笑)、会っちゃうと楽しくてしょうがないんだよな」と笑う3人は、もう30年ほどの付き合い。作品づくりは3人全員でやるといい、「本番2週間前に集まって、『さあ、なにしよう』というところから始めます。それぞれが台本も書くし、演出もします」(後藤)。モチーフになるのは、『スター・トレック』や『スター・ウォーズ』など誰もが知る映画作品。その作品選びの基準は三上で、「三上の『あのコスプレをしたい』がスタートです(笑)。熱意がすごいんですよ」(川下)。今回のモチーフは『男はつらいよ』だが、それも三上が「寅さんの恰好ってできそうでしないじゃないですか」と熱く語る。劇場で観る三上からはちょっとイメージできない姿だ。長く大阪での上演にこだわってきたが、東京での公演を望む熱い声も多く、今回の上演に至った。初めての東京公演だが「どれだけ期待してもらっても、それより上のものをお見せします!」(後藤)とキッパリ。ちなみに「僕らは汚い笑いの取り方はしないですよ」(三上)と、カッコいい大人たちの掌で転がされる、楽しい時間になりそうだ。三人に加え石丸謙二郎(青年座)、多田野曜平(テアトル・エコー)、久保田浩(遊気舎)ら個性豊かな面々が集い、「早めに来ていただくと、楽しいことが待っているかもしれません」(川下)という本作は、4月2日(水)から5日(日)まで東京・赤坂レッドシアターにて上演。取材・文:中川實穗
2020年03月13日2月2日夕方、羽田空港の新ルートで、実際の旅客機を使った初の試験飛行が行われた。約1時間40分にわたり、およそ2分に1機のペースで、東京都心の上空を計61機の飛行機が飛んだ。数値上よりも近く見えるその機影に、多くの都民が騒然となったが、じつは「女性自身」は’18年1月30日号で、この問題について警鐘を発していた。国は’20年の東京オリンピック・パラリンピック開催に伴い、国際線の増便を計画。そこで羽田空港を離着陸する便の新たな飛行ルートの導入を決めた。そのうち2本の着陸用飛行ルートが、新宿、渋谷、目黒、白金高輪、品川といった都心部を低空飛行で通過する。「計画では都心部上空を着陸大勢で、300~900メートルの低空飛行で通過します。このルートの飛行時間帯は15~19時の4時間。1時間あたり44回通過するので、約2分に1回の割合で都心上空を通ることになります。次から次へと継続して騒音が続くわけです。通過地域の住民にとって、これは精神的に大きなダメージを受けると思います」こう語るのは、今回の新飛行ルート計画に反対する「みなとの空を守る会」共同代表・増間碌郎さん。国交省の資料によると、新宿から大井町にかけての飛行ルート直下およびその周辺の地上での騒音レベルは約70~80デシベル。幹線道路際、騒がしい街頭の騒音レベルだ。80デシベル以上だと、一般的には“地下鉄の車内”“ボウリング場”と同等のうるささ。隣の人の会話は聞き取れないレベルだといわれている。都心部に多いタワーマンションの場合、より飛行機に近くなるので、騒音もそれだけ大きくなる。「騒音の影響で不動産価格が下落する可能性がある」と語るのは、不動産コンサルタントの長嶋修さんだ。「とくにタワーマンションは、眺望がいいという理由で、単純に上に行けば行くほど不動産価値が高くなる。ところが、飛行機の騒音となると、上に行けば行くほどうるさくなる。2階と30階では音の大きさが全然違ってきます。1階あたりは3メートルくらいだとすると、30階は90メートルになる。真上を飛んでいた場合、30階の住人は飛行機との距離が約100メートル近くなるんです」では、具体的に不動産価値はどれくらい下がるのか?’94年、米国コンサル会社が、ロサンゼルス空港ができたときに連邦航空局に提出した騒音と不動産価値との関係を調べた資料から、長嶋さんが下落率を算出した。「騒音に差がある2地点の不動産価格を比較した調査で、静かな地点のほうが不動産価値は18.6パーセント高く、1デシベルあたりで換算すると、1.33パーセント高いことがわかりました」環境省の環境基準は、55デシベル以下。長嶋さんはこれを超える分については、1デシベルあたり1.33パーセント下落すると仮定してシミュレーションをした。「白金、代官山あたりのふだんの騒音レベルは環境基準程度ですが、飛行機の通過によって、最大で74デシベルになると予想されます。環境基準を超えた分は19デシベルなので、これに1.33パーセントをかけると約25パーセントになります。つまり、1億円のマンションであれば、下落率は25パーセント。7,500万円になる計算です」国交省はこの問題について、「音などの感じ方については個人差がある。航空機の飛行経路と不動産価値の変動との間に直接的な因果関係を見出すことは難しい」と回答した。仮に不動産価格が下落しても、住民たちが泣き寝入りしないといけないことは間違いなさそうだ。
2020年02月05日2月2日夕方、羽田空港の新ルートで、実際の旅客機を使った初の試験飛行が行われた。約1時間40分にわたり、およそ2分に1機のペースで、東京都心の上空を計61機の飛行機が飛んだ。数値上よりも近く感じるその機影に、多くの都民が騒然となったが、じつは「女性自身」は’18年1月30日号で、この問題について警鐘を発していた。「いったい誰がこんな危険なルートを決めたんだ!責任者を連れてこい!!」2017年12月末、東京都渋谷区内で開催された国土交通省主催の「羽田空港新飛行ルート」の説明会は、一部住民からの怒号が飛び交う、異様な雰囲気に包まれた――。国は’20年の東京オリンピック・パラリンピック開催に伴い、国際線の増便を計画。そこで羽田空港を離着陸する便の新たな飛行ルートの導入を決めた。ところが、そのうち2本の着陸用飛行ルートが、新宿、渋谷、目黒、白金高輪、品川といった都心部を低空飛行で通過するのだ。「計画では都心部上空を着陸大勢で、300~900メートルの低空飛行で通過します。このルートの飛行時間帯は15~19時の4時間。1時間あたり44回通過するので、約2分に1回の割合で都心上空を通ることになります。次から次へと継続して騒音が続くわけです。通過地域の住民にとって、これは精神的に大きなダメージを受けると思います」こう語るのは、今回の新飛行ルート計画に反対する「みなとの空を守る会」共同代表・増間碌郎さん。国交省の資料によると、新宿から大井町にかけての飛行ルート直下およびその周辺の地上での騒音レベルは約70~80デシベル。幹線道路際、騒がしい街頭の騒音レベルだ。80デシベル以上だと、一般的には“地下鉄の車内”“ボウリング場”と同等のうるささ。隣の人の会話は聞き取れないレベルだといわれている。騒音同様に心配されているのが、落下物の問題。ジャンボジェット(B747型)の飛行時間で世界一の記録を持つ、元日本航空機長で航空評論家の杉江弘さんが危険性を次のように指摘する。「氷塊の落下は防ぎようがありません。たとえば、海外の空港で雨が降っている中で離陸した飛行機は水分を含んだ状態で上昇し、高度1万メートル、気温マイナス50度の上空を飛ぶので必ず氷塊ができます。その氷塊が落ちる可能性が高いのは、着陸体勢で車輪を出すときです。もし直径10センチ大の氷塊が地上にいる人間を直撃するようなことが起きれば大変なことになります」(杉江さん・以下同)新ルートで車輪を出すタイミングは、新宿から渋谷、品川の上空にかけて。「危険なのは車輪を出すときだけではありません。着陸に向けて翼の可動部分を下ろすのですが、そのときに振動が発生します。埼玉県上空から板橋区、練馬区に氷塊が落下する可能性もあります」落下物は氷塊だけではない。国交省によると、’17年3月末までの8年間で、整備点検などで航空機の部品脱落が確認されたのは451件。そのうち空港内で発見されたものは91件。発見されなかったものは360件あった。ただし、この報告件数は国内航空会社のみの件数で、外国の航空会社は含まれていない。ちなみに、’16年度までの10年間で、地上で落下物が確認された件数は、成田空港周辺では19(部品13件、氷塊6件)、羽田空港周辺では0件。だが、昨年9月には、ANA機のパネルが茨城県の工場に落下。大阪ではKLMオランダ航空機のパネルが落下し、走行中の乗用車を直撃するという事故が起きている。杉江さんがいちばん危惧していることは最悪の事態を招く“墜落”だ。’94年4月26日、台北発名古屋行きの中華航空140便が名古屋空港の滑走路近くに墜落、機体は大破、炎上し、乗員乗客264人が死亡、7人が重傷という大惨事があった。パイロットが自動操縦装置のスイッチを間違えたことで失速し、墜落へつながった――。「じつはいまのハイテク機は、ちょっと操作を間違えただけで墜落事故を引き起こしてしまうことがあるのです。中華航空の事故は、名古屋空港の滑走路近くで墜落しましたが、もっと手前で失速していたら都市部で墜落していた可能性もあった。今回の新ルートでやはりいちばん心配なのは、都心部を低空飛行することです。もし、何らかのトラブルで墜落したら、最悪の悲劇が起きます」国交省は、羽田空港新ルート運用による経済波及効果を6,503億円、雇用が4万7,000人増加すると言っている。だが、万が一事故が起きた場合の補償や騒音による不動産価値下落の可能性といった、マイナス部分をまったく示していない。本誌が指摘したリスクについて国交省に問うと「落下物に関して航空会社への点検、整備を徹底指導している」との答えが。あらゆるリスクに関しても「安全の確保はすべてに優先する」という。
2020年02月05日