何が起こるかわからない出産。計画通りにいかないことも多く、不安になってしまいますよね。そこでMOREDOORでは、先輩ママさんへ「どんな出産だったか」「こうしたら良かったと思うことは何か」とヒアリングを実施!今回は、普通分娩の予定から帝王切開に変更になったTさんの例をご紹介します。ーーー帝王切開とは、「帝王切開とは、お母さんか赤ちゃんに、何らかの問題が生じて経膣分娩が難しいと判断された場合に、手術で赤ちゃんを出産する方法」です(ニチバンHPより引用)。Tさんの出産時の状況■出産したときの家族構成:夫婦2人のみ■出産にかかった時間:1時間くらいTさんの出産レポ出産前の検診で妊娠高血圧症候群で緊急入院となりました。血圧が高く、むくみもひどかったので、普通分娩の予定から帝王切開に変更になりました。コロナ禍だったので、荷物の受け取りでさえ看護師さんを通さなくてはならず、退院まで夫に会えませんでした。高血圧のため予定日よりも早くに出産することになり、手術も2時間前に突然言われたので心の準備もないままあっという間に終わった出産でした。出産時におこったハプニング普通帝王切開なら当日は食事を抜かないといけないのですが、突然手術が決まったのでお昼ご飯までしっかり食べていて焦ったのを覚えています。心の準備もないまま手術台に乗ったため震えが止まらず、ずっと助産師さんの手を握っていました。パートナーのサポートはどうでしたか?立ち会い出産ができたらと思っていたのですが、コロナ禍のため叶わず……。さらに、緊急入院からの帝王切開だったので、サポートもしてもらえませんでした。初めての出産で不安だったので一緒にいて欲しかったなと思います。普通分娩が希望でバースプランなどをいろいろ考えていたものの、それが叶わないとわかり、複雑な気持ちになりました。帝王切開での出産ですが、陣痛や出産時の呼吸法を少し楽しみにしていたので、経験できず残念です。
2023年04月13日長い妊娠期間を経て、待ちに待った出産。赤ちゃんに会える喜びの反面、痛みやトラブルに不安を抱くママも多いでしょう。そこでMOREDOORでは、先輩ママさんへ「どんな出産だったか」「こうしたら良かったと思うことは何か」とヒアリングを実施!今回は、腰痛持ちのため痛みが怖く、無痛分娩を選択したTさんの例をご紹介します。―――無痛分娩とは「無痛分娩は陣痛の痛みを麻酔を使って和らげるお産の方法」です(厚生労働省HPより引用)。Tさんの出産時の状況■出産したときの家族構成:夫34歳、私34歳、長女3歳■出産した場所:京都市の産婦人科■出産にかかった時間:10時間■無痛分娩を選んだ理由:腰痛待ちで出産が怖く、1人目も無痛分娩で同じクリニックで産みたかったから。Tさんの出産レポ陣痛が始まり、主治医に麻酔をかけてもらいましたが、なかなか痛みが引きません。詳しく調べてもらうと、どうやら胎盤が裏側に回っており、赤ちゃんの頭が当たって痛みが出ているとの事でした。この痛みは麻酔ではどうする事もできず、せっかく無痛分娩にしたのにかなりの痛みを感じました。パートナーのサポートはどうでしたか?夫はずっと付き添ってくれていたのですが、陣痛が始まってから8時間以上経った頃、長女と両親が到着したので夫が出迎えました。お昼時だったので、私の事をそのままにして皆で食事に行ってしまったのです。食事から帰って来たときには、すでに出産が終わっており、何のために立ち会いを希望したのか分かりませんでした。Tさんがもっとこうすれば良かった!と今だから思うことはいつ出産が始まってもいいように、当日の段取りをもっと相談しておけば良かったです。Tさんからこれから出産する方へメッセージ出産はママの人生で一番の大仕事です!同じお産は二度とないので、どうぞご自分の納得のいくお産を選んでください。応援しています。案ずるより産むが易し出産に対して不安を感じるのは妊婦さんなら当然のこと。しかし、出産の先には赤ちゃんに出会えるという喜びが待っています。ぜひ周りの人の助けをもらいながら、「大丈夫だよ」と言う先輩ママたちの声も参考にしてみてくださいね。※こちらは実際に募集したインターネット調査をもとに記事化しています。(MOREDOOR編集部)
2023年04月12日エリカさんの母は、女の子はかわいければかわいいほど幸せになれるという考えの持ち主。しかしそれは母の理想の押しつけでしかなく、エリカさんは幼いころから実母によって、何もかも支配されていました。そして大人になった今、エリカさんは苦悩に苛まれます。容姿や学歴など、周囲の評価に異常なほどこだわりを持つエリカさんの母は、恐怖で支配する人。「エリカのためを想って言っているの」と口癖のように言い、エリカさんを抗えないようしてきました。 目を二重にすれば幸せになれると幼いころから母に言われ続け整形。部活も、髪型も、洋服も、すべて母が決めたものしか許されません。 高校三年生のときに、友人と進路の話をしたのがきっかけで、自分の母とほかの家庭の親は考え方が違うのだと気付いたエリカさん。母に、大学へ進学しない同級生をどう思うか聞くと「子どもに裏切られた親が可哀想」と言い放ったのです。 「子どもが夢を追うのは間違ってるってこと?」とエリカさんが聞くと、母は医師や弁護士など、立派な夢なら応援できると言いました。 「お母さんの言う立派ってどんな基準なの?」と問いますが、母からは納得できる返事はなく、「どうしてそんなお母さんを責めるような意地の悪い言い方をするの?」とエリカさんを責めるばかり……。 「私、お母さんと離れなくちゃダメな気がする」 エリカさんは母に違和感を覚え、自分の人生について今一度考え、初めて自分の意思で行動を起こすことに……。早くこの家から出て、お母さんと離れたい…… 「この家を出る理由を作らないと」 母から選択肢を奪われてきたエリカさんは、やりたいことがすぐに思いつくわけではありませんでした。そこで、母から逃れるために家からは通えない学部を探します。 そして見つけた経済学部。エリカさんは母に、思い切って相談すると「そう、いいんじゃない?」と、母はエリカさんが経済学部を志望する理由も聞かず、賛成。 続けて「近所の人からも大学名しか聞かれないもの」と言い、エリカさんは自分が有名な大学にさえ通っていれば、母はそれでいいのだと悟ります。 エリカさんが意を決して進路希望の学部を相談をしても、結局大学名にしか興味がないと知り、改めて母に失望するのでした。まさか娘が自分から逃れたいと思っているとは知る由もないのでしょう。母の顔色をうかがいながら、母の理想の娘として生きる。これがどんなにつらいことか、想像するだけで息苦しいですね。 エリカさんが本当に自分のやりたいことを見つけ、自分の人生をたのしめる日がやってくるのを願いたいですね。著者:マンガ家・イラストレーター グラハム子
2023年04月11日私が中学1年生のころ、家族で外食に行きました。しかし食事が終わり、退店しようというタイミングでも、椅子から立とうとしない母。不思議に思った私が「どうしたの?」とたずねると……!? 緊急事態!家族で外食を楽しんで帰ろうというタイミングで、「あっ」とつぶやき、椅子から動かなくなった母。私が「どうしたの?」とたずねると、「急に生理がきたみたいで……。経血漏れしてスカートが汚れてるの」と母がうつむきながら答えました。 今の私であれば冷静に対応できると思いますが、当時中学1年生で初潮を迎えたばかりだった私は、生理の知識があまりなかったということもあり、大パニックに……! 母を助けるために…「生理は急にくることもある」ということをこのとき初めて知ったのです。私は、驚きつつも「こんなときはどうしたらいいの? 何か買ってこようか?」と母に聞きました。すると「お母さんはここで待っているから、昼用のナプキンと暗い色のスカートを買ってきてほしい」とお願いされました。 最初は父が買いに行こうとしましたが、「ナプキンの種類がわからない」と断念し、父は母に付き添うことに。代わりに、私がひとりでナプキンとスカートを買いに行くことにしました。 幸いにも、ショッピングモールの中で外食していたため、ナプキンとスカートを手軽に入手できる環境でした。当時の私は、自分で生理用品を買ったことがなかったためとても不安でしたが、困っている母を助けるために勇気を出して出発したのです。 ピンチを乗り越えてまずはじめにドラッグストアでナプキンを買うことにしました。生理用品売り場を訪れた私は、ナプキンの種類の多さに圧倒されて混乱……。母には昼用ナプキンを頼まれていたのですが、どれを選んだらいいかわからなくなってしまい、「とりあえず大きいほうがよさそう!」という理由で夜用ナプキンを購入しました。 その後、洋服屋さんでスカートを無事に購入できてひと安心。父と母が待つレストランに急いで戻りました。母は、私が買ってきた夜用のナプキンの大きさにすこし驚いていましたが、レストランのトイレでこそっと着替えて、なんとかピンチを乗り越えることができたのです。 購入するナプキンのサイズを間違えてしまったものの、その日の帰り道は父と母にたくさん褒めてもらいました。そして、椅子は汚れていなかったのでひと安心。両親に肯定されたことで自信がつき「生理のことで困っている人がいたら、助けてあげたいな」と思うきっかけになりました。 著者/ごとうゆきイラスト/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2023年04月06日私たち夫婦は2歳の息子と生後10カ月の娘を育てています。結婚後なかなか赤ちゃんを授からず、やっと第1子を出産したのは結婚5年目のこと。そのとき私は35歳、夫40歳。不妊期間が長かったので、お互い思いのほか年をとっていました。本当は結婚後すぐ、30歳で1人目を産みたかった……。1人目を妊娠してから、年子を産むまでの思いをまとめました。1人目妊娠中に、2人目を急ごうと決めた体外受精で1人目を妊娠してすぐのこと。子どもは2人欲しいというのが夫婦の考えだったので、次の不妊治療を何年後にするか、夫と話していました。 夫は、子どもが小さいうちは思いきり一緒に遊んであげたいけれど、気づけばアラフォー。自分も元気に動き回れるうちに2人目が欲しいようでした。 加えて、私には子宮筋腫がありました。2人目を考えるなら筋腫が大きくならないうちに、と医師から言われていたこともあり、1人目を産む前から年子計画を進めることになったのです。 急ぐと言っても、1学年差は避けたい!息子は12月に生まれました。母体の回復に半年をかけ、育児にも慣れてきた翌年6月のこと。私はカレンダーとにらめっこしていました。もしもすぐ2人目を授かったら、出産は翌年3月。息子と2人目の子が1学年差で良いのかと考えていたのです。 成長して学生になったとき、息子が何かの事情で留年や浪人をするかもしれません。そのとき1学年下に妹や弟がいたら、2人はいわゆる“同級生”。その状況を息子が嫌がるかもしれない……。そう思い、翌年4月以降に出産できるように逆算して、不妊治療を再開しました。 子どもたちの気持ちを考えると不安も…娘は翌年4月に生まれました。夫婦の希望で年子を出産したものの、年の近い兄妹を子どもたちが喜んでくれるのかはわかりません。私には、8歳上の兄と5歳上の姉がいます。2人にはいろいろな面で助けられました。 年の離れた兄と姉がどんなことも先に経験してくれたから、私はその後をついていくことができました。それが、年の近いわが子たちの場合はどんな関係になるのでしょう。どうか仲良く、時には競い合って、お互いを認め合える兄妹になってほしいと願っています。 不妊のため、1人目を授かるのが遅くなった私たち夫婦。その分2人目は早めにと思い、2学年差の年子を出産しました。年の近いきょうだいがいなかった私は、子どもたちのこれからが楽しみでもあり、不安も。でもそんな私に、年子の妹を持つ友人が心強い言葉をくれました。「妹とは昔はケンカばかりだったけど、今では唯一無二の存在だよ」。うちの子どもたちも、お互いに影響を受けながら大きくなってほしいなと思います。 著者:おかもとえみ2歳男児、0歳女児のママ。接客業や事務職、広告制作会社を経て現在は主婦ライター。ずぼらでマイペースな子ども好き。
2023年04月05日出産は人生の一大事。とくにはじめての出産は、右も左も分からず不安になることも多いですよね。そこでMOREDOORでは、先輩ママさんへ「どんな出産だったか」「こうしたら良かったと思うことは何か」を調査しました。今回は、妊娠9ヶ月のとき“切迫早産”で入院したAさんの例をご紹介します。ーーー切迫早産とは、「早産となる危険性が高いと考えられる状態、つまり早産の一歩手前の状態のこと」です(日本産科婦人科学会HPより引用)。Aさんの出産時の状況●出産したときの家族構成:夫と私の二人家族●出産した場所:総合病院●出産方法:経腟分娩(自然分娩)●出産にかかった時間:12時間Aさんの出産レポ私は切迫早産で妊娠9か月の頃から一ヶ月程入院していました。医者から退院していいよとOKが出たので退院。自宅に戻ると……自宅に戻り入院グッズを一旦全部片づけ一息ついたその日の夜、なんと陣痛が来たのです。急いで入院グッズを作り直し、退院半日後に病院に戻り出産をしました……!こんなことなら「退院しなくてよかったのでは」と思いました。Aさんがもっとこうすれば良かった!と今だから思うことは夫は立ち合い分娩でしたが、もっと陣痛時のサポート体制を叩き込んでおけばよかったです!Aさんからこれから出産する方へメッセージ会陰切開は怖くないです。陣痛でそれどころではないので怖がらなくて大丈夫です。出産は奇跡これから出産の方は、『会陰切開がそれどころではない陣痛ってどれだけ痛いの……』と不安になるかもしれません。ですが他のママからも、「辛かった痛かった思いも、全て吹っ飛んでいくくらい感動的な体験」「赤ちゃんも一緒に頑張ってうまれてくるよ」「出産は本当に奇跡」「痛みは忘れるように人間できていると思うから、大丈夫!」とたくさんのエールを頂きました。案ずるより産むが易しもし不安がどうしようもなく襲ってきたら「出産の準備を進めるための“自然現象”が来た」くらいに思っておきましょう。そんなあなたも、無事に生まれてきた赤ちゃんの1人。ぜひ周りの人の助けをもらいながら、「大丈夫だよ」と言う先輩ママたちの声も参考にしてみてくださいね。(MOREDOOR編集部)◆調査主体:MOREDOOR編集部◆調査方法:クラウドソーシングサイト「クラウドワークス」によるアンケート調査◆調査期間:2023年04月3日
2023年04月04日出産から子育ての期間、母親は自身と我が子を守るためデリケートになっています。それは人間だけでなく、猫などの動物たちも同じこと。場合によっては、なんらかのきっかけで、出産後に家族との関係が険悪になってしまうこともあるようです。『家庭の危機!?』In.S_そーい(in.s_soi)さんは、実家で暮らしていた母猫が出産した時のエピソードをInstagramで紹介しました。母猫の出産の際、「父猫との仲が悪くならないか」と心配されていたのですが…。母猫の出産から数時間後…段ボールを覗くと、父猫が妻子の真横でくつろいでいました!母猫も、若干の塩対応ながら、父猫が寄り添うことを受け入れている様子。生まれたばかりの子猫に、お腹に乗ってもらえた父猫は、家族が増えたことを実感して喜んでいたかもしれません。その体格から、誰よりもスペースを取っている父猫に、そーいさんは「お前も入るんかーいっ!」とツッコミを入れてしまったそうです。平和な光景に、「癒される」「幸せな空間」などのコメントが相次ぎました。・幸せそうで何よりです!・パパ、場所を取りすぎ!子育てに参加したかったのかな?・幅に笑いました。私だったら「邪魔!」ってペチンと叩いているかも。・おっぱいを間違えている子猫がかわいいですね。円満な家庭にひと安心。父猫は子煩悩で、この後も子猫たちをかわいがっていたそうです。家族の愛情に、胸が温まりますね。[文・構成/grape編集部]
2023年04月03日妊娠や出産は、女性の心身に大きな影響を与えるものです。もし出産直前に、お尻を負傷してしまったら……?今回は、はちこ(@ahaha_ha_ch)さんの体験をコミカルに描いた人気漫画『痔獄の出産レポート』から、その後の展開を予想していただく漫画クイズをお届けします!出産間近で……長女を妊娠し、出産間際のはちこさん。予定日を過ぎてもなかなか兆しが来ないなか、ついに破水して……?ここでクイズです!この後はちこさんは、出産準備としてある“医療行為”をすることになります。それは一体なんでしょうか?ヒントは、出産でイキむための準備のようです。準備することとは……?正解は「浣腸」その後、この浣腸がキッカケで痔が悪化してしまったはちこさん。彼女は出産の痛みとお尻の痛み、その両方に苦しむこととなるのでした……。こんなときどうする?出産直前というタイミングでお尻を負傷してしまったら、パニックになってしまいそうですよね。その後のはちこさんは、この準備がキッカケで“痔”獄の出産を経験することになります……。あなただったら、こんなときどう対処しますか?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@ahaha_ha_ch)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年03月25日出産直後にもかかわらず、慌ただしく出張に向かった夫。その後、夫からまさかの連絡が!社畜夫と私が新生児を抱えながら出した結論とは……?私のドタバタな思い出をご紹介します。 出産直後、夫からきた連絡は… 当時の人事担当者が何を考えていたのか今となってはわかりませんが、会社の「出産・育児に対する夫の働き方」にまだまだ理解がないと感じた出来事でした。仕事も大切だと承知していますが、さすがに出産直後の引越しはヘビーです……。 著者:ぼさ子北海道の田舎在住のボサボサ主婦。自閉症と知的障害を合わせ持つ息子ほぺろう(2015年生まれ)の育児日記をブログにて掲載中です。
2023年03月17日■前回のあらすじ結婚後も母の翔太への態度はひどいもので、美織は翔太の良さをわかってもらおうとアピールを続けていた。やがて長女の莉菜を出産すると、美織は母と翔太の関係が良くなるかもと思うが、結局何も変わらなくて…。 >>1話目を見る 【美織sideSTORY】これ以上、夫にひどい態度をとる母を見るのが嫌で、私はもう縁を切った方がいいとまで思ったのですが…そんな私に夫は、「諦めないで話し合いが必要」と言ってくれました。次回に続く(全9話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年03月01日■前回のあらすじ菜々実は自分で問題を解決しようとしない真帆とは会わないことを決意。それを聞いた真帆は逆上し、菜々実の母に言うと脅迫まがいの発言をしてくる。これは真帆が向き合わなければならない問題だと菜々実は訴えるが…。 >>1話目を見る 真帆のことをよく知っている私の母に相談すると、私が地元を離れた後も真帆が私の実家を訪れていたことを知りました。母は、しょっちゅう来る真帆を断ってしまった負い目もあり、私に真帆のことを頼んでいたのです。母に相談してすぐに、真帆からすぐに連絡がきて…。次回に続く(全11話)毎日12時更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ ふゆ
2023年03月01日■前回のあらすじ幼い頃から母と絆が強かった美織。しかし母が美織の恋愛に対し否定的なのが悩みの種だった。社会人になり、美織は翔太と結婚することに。母に紹介すると難色を示されたので、美織は「口出さないで!」と言ってしまう。 >>1話目を見る 【美織sideSTORY】そして二人目を妊娠しても、母の態度は変わらないまま。翔太のことは名前で呼ばず「あの人」と呼び、私が翔太のことを褒めても何かしら文句をつけてくるのです…。一方の翔太は、母から冷たい態度を取られ続けているのに、「僕の大事な妻のお母さんだから」と辛抱強く接してくれています。そんなやさしい翔太に私は申し訳ない気持ちでいっぱいになり…。次回に続く(全9話)毎日更新!※この漫画は実話を元に編集しています脚本・ 古口春菜 /イラスト・ もづこ
2023年02月28日長男を出産したときは、母も祖母もいる環境で子育てをしていたので、困ったときはいつでも助けてくれました。しかし、3度目の再婚で2人目を出産すると、私も夫も両親と音信不通状態に。子育てで頼れるのは夫だけという状況で、その夫も非協力的になってしまったのです……。 産後、最初は順調だったが…3度の再婚で、2人目を出産。生後6カ月まではよく寝てくれるし、育児が大変だなんてまったく思いませんでした。しかし、離乳食が始まったころ、だしを取る、おかゆはお米から作る、小分けして冷凍保存するなど、本当にいろいろなことを頑張っていた私は育児に疲れを感じるように。 しかもちょうどそのころ、頼りにしていた夫は仕事が忙しくなり、育児に非協力的に……。私の孤育てが始まったのです。さらに、娘が1歳になった途端、今まで口にしてくれていた離乳食をまったく食べなくなったことも私に追い打ちをかけました。 離乳食を食べなくなった娘におかゆにしても、おじやにしても、うどんにしてもまったく食べなくなったことで、焦りや不安に押しつぶされそうになりながら離乳食を作る毎日。しかし、離乳食はひと口も食べないのにお菓子を食べるのです。ある日、私は離乳食を作ることをやめてしまいました。その日は丸1日、娘はお菓子や果物のみで過ごしました。しかし、次の日まだ話せない娘は私のごはんを食べたそうにしています。そこで、おかゆを解凍してあげるとすごい勢いで食べ始めたのです。おかゆを食べたことにホッとしたのと同時に、なぜだか涙がこぼれました。今思えば、視野が狭くなり娘のことしか見えてなくて、自分自身がいっぱいいっぱいになっていたのだと思います。もちろんそのころ、誰かに相談するなんて考えられませんでした。 「孤育て」を楽しめるようにこのことがきっかけで私は気持ちがラクになり、初めて娘にレトルトやベビーフードを買って食べさせてみることに。すると、これが意外にも食べてくれたのです。それからは、あれもこれもしなきゃと思わなくなり、孤育てでも楽しく1日を過ごせるようになりました。娘の離乳食を頑張り過ぎないこともそうですが、私や夫が食べる食事もレトルトや冷凍食品を使うことで、さらに気持ちがラクに。自分自身にゆとりができたことで笑顔でいられることも多くなった気がします。 頼れるのが夫だけの中、その夫にも頼れなくなって不安しかない孤育てでしたが、考え方を変えたことで気持ちがすごくラクになりました。大変としか思っていなかった離乳食を含めての子育てや家事を「楽しい」と感じられたのは私にとって大きな変化です。娘はイヤイヤ期真っ最中の3歳ですが、今でも頑張り過ぎないでレトルトにお世話になっています。 イラストレーター/まっふ著者:のろ ゆうこ結婚3回目にして幸せを手に入れた北海道出身ライター。23年前に息子を出産し、20年ぶりの出産を経て現在は3歳の女の子をワンオペで育てています。美味しいものを食べ歩くことが大好きなアラフォーです。
2023年02月24日私の実家では、家族で出産祝いを贈り合うのが常識でした。ところが、義実家に初めて長男を連れて行ったとき、義母に「出産祝いはなしでいいよね?」と言われ……。 実家からもらった出産祝い私たち夫婦に長男が産まれたとき、両親からは10万円、姉たちからは3万円ずつ出産祝いをもらいました。両親が喜んでくれているのがわかってうれしい反面、私の実家はあまり裕福な家庭ではなかったため、「こんなにお祝いをくれてお金大丈夫なのかな……」と心配な気持ちも。 しかし、周りの友だちに聞いてみると、みんなが私と同じくらいの金額を実家、義実家からもらったと言うのです。それを聞いて「出産祝いって結構な高額をもらえるんだ」と思ったのと同時に、出産祝いは実家だけでなく、義実家からももらえるものだと思い込んでしまいました。 義実家で言われた衝撃のひと言義両親は遠方に住んでいることもあり、ようやく義実家へ行けたのは長男が生後3カ月を過ぎたころでした。 すると、到着するなり義母は「出産祝い、なしでいいよね?」と夫に尋ねたのです。まずは何よりも孫の誕生を喜んでほしかった私は、「孫の顔を見もせずに最初に言うのがそれ?」とショックを受けました。 今思えば、私が義両親に求めていたのは出産祝いよりも『おめでとうという気持ち』だったのかもしれません。 出産祝いは当たり前じゃないその数年後に次男が産まれましたが、当然のように義両親からの出産祝いはありませんでした。最初は驚きましたが、今では「子どもが生まれたからといって家族でお祝いを贈り合うのは当たり前ではない」と考えが改まり、私の価値観を広げてくれた良いきっかけになったと思っています。 それからは、義実家に行ったときに私の常識とはるかにズレていることがあっても、あまり気にならなくなりました。 あとから夫に話を聞くと、義母は恥ずかしがり屋の人見知りで、結婚してから数回しか会えていない私に対しても、ずっと人見知りをしているのだと知りました。息子が生まれてうれしそうにできなかったのは、義母なりの照れ隠しだったようです。 お祝いがなかったことはもう気にしていないのですが、息子と初めて会ったときの義母の態度はずっと心に引っかかっていたので、事情を知った今は、義母が息子に話しかけてくれるだけでとてもうれしくなります。 著者/きこ作画/霜月いく ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 霜月いくマンガとイラストを描いてます。
2023年02月21日私は母のワンオペ育児で育ち、お風呂はほとんど母と一緒に入っていました。ある日、母とお風呂に入っていると母から血が流れ出ているのを目撃して……!? 母のワンオペ育児私の父は仕事が忙しく、早朝に出勤し、深夜に帰宅することもよくありました。また、転勤族であったため、父と母の両親や親戚なども近くにおらず、母はワンオペで私を育てていました。そのため、私の面倒は母ひとりで見ているような状況で、父が休みの日ではない限り、お風呂は母と入るのが当たり前でした。 お風呂でびっくり!そんな私が今でも印象に残っている出来事があります。それは、生理中の母と一緒にお風呂に入ったときのこと。その日は父が仕事のため不在で、母は生理中であっても私と一緒にお風呂に入らざるを得なかったのだろうなと思います。まず、お風呂に入る前に母が脱衣所でナプキンを外していたのですが、ナプキンについている血を見てとても驚いた私。母に「怪我してるの?」と何度も尋ねた記憶があります。そして、母と湯船につかっていると血が流れ出てきて……。体から血が出ている姿を目撃した幼いころの私は「ママ、血が出てるよ! 痛くない? 大丈夫?」と、とても心配しました。そんな私に「血が出ているけれど、怪我や病気じゃないし、痛くないから大丈夫だよ」「女の人は赤ちゃんを産む準備で血が出るんだよ」と母が何度も説明してくれました。小学生になり「生理」というものを知ってから、ようやく私は母から流れていた血が経血だったのだと理解したのです。 自分が母となり…現在、私は2人の子どもが生まれ、母親になりました。私の夫は基本的に夕方には帰宅できるため、生理のときは夫に子どもの入浴を任せています。しかし、生理中にやむを得ず子どもと一緒にお風呂に入ったことも。そのときには、私から流れる経血を見た子どもに「ママ! 血が出てるよ!」「ママ汚い、こわい……」と言われ、怖がらせてしまいました。私は、怖がる子どもたちをなだめながら「ママから流れる血は怖いものじゃないんだよ。痛くもないから大丈夫だよ」と幼いころ母に言われたことと同じように子どもに教えたのです。 初めて見る経血に対して、びっくりするのは仕方がないことだと思います。もし、自分の生理について子どもたちに教える機会があれば、ごまかさずにしっかりと説明して、誤った認識を与えないよう生理の大切さを伝えたいと思っています。 著者/まさのイラスト/まっふ監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように!
2023年02月20日長男はとても甘えん坊で、ママが必ず添い寝しないと眠れないという子でした。そんな長男が2歳半のとき、次男を出産しました。里帰り出産だったため、私が出産で病院へ向かう際には実家の両親に長男を預かってもらったのですが……。「ママ病院に行かないで」と寂しがる長男甘えん坊の長男は、私がいないと寂しくてすぐに泣いてしまうような子です。長男は「ママが赤ちゃんを産むときに、ママと会えなくなるのが嫌だ」といつも言っていました。 次男の出産時に長男が私に会えなくなると、長男が情緒不安定になるのでは?という思いから、長男も一緒に寝泊まりができる病院で出産をすることに。「ママは赤ちゃんを産むために病院でねんねするけど、いつでも遊びに来ていいからね」と私は長男に言い聞かせていました。 長男も一緒に宿泊する予定が!?無事に次男を出産し、私の体調が落ち着いたところで長男を病室に呼ぼうと思っていたのですが、次男の体に異変が見つかり、次男は急きょNICUへ入院することに。私は次男にできる限り寄り添ってあげたいという思いから、面会可能な時間はずっとNICUで過ごしました。 私の精神状態も不安定だったため、長男を病室に呼ぶことはやめて、長男は引き続き実家で預かってもらうことに。私は次男のことが心配で、長男のことまで考える余裕がありませんでした。 退院前夜に長男が発熱…私の入院中、長男は実家の両親に付き添われて1度だけ病室を訪れてくれました。長男は笑顔でとても元気そうに見えました。「私がいなくても心配ない」と私は安心していたのですが……。私が退院する前夜、長男が40度近い熱を出したとのこと。 実家の両親が長男を小児科へ連れて行ってくれましたが、熱以外の症状はなく、医師からは、「原因はわからないけれど、疲れがたまったのかな?」と言われました。のちに実家の両親から聞いた話では、私の入院期間中、長男は夜に電気を消すと寂しくなると言って、電気をつけたまま毎晩2時過ぎまで眠れずに起きていたそうです。 私はNICUに入院した次男のことばかりが心配で、長男のことを考えてあげられなかったと申し訳なく思いました。長男は「ママがいなくて寂しい」と言いたかったけれど、私を心配させたくなくて気丈に振る舞っていただけなのかもしれません。退院後、「ママ、もうどこにも行かないよね?」と不安がる長男を、私はたくさん抱きしめてあげました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 著者:斉藤菜々子4歳と2歳の男の子のママ。夫は転勤族で3回の引っ越し経験有り。「子育て」「ファッション」ジャンルを中心にライターとして活動中。ワンオペでの子育てに悩み、解決の糸口になればと保育士資格を取得。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2023年02月20日初産ということもあり、出産に対する意識が薄かった私は、出産予定日が間近に迫っていてものんきに構えていました。出産予定日前日も読みたい本を買いに書店へ行き、「陣痛が来てもすぐには生まれないらしいし、せっかくならコレも読みたい。アレも!」と本を3冊も買い込んでいたのですが……。突然の違和感で目覚める出産予定日前日に購入した本を読みながら寝落ちしてしまい、違和感で目覚めたのはまさに出産予定日の夜中2時。何やらパンツがぬるぬるするような……? 隣で寝ている夫を起こさないようにソロリと起き上がり、パジャマとパンツをめくってみると、そこにはほんのりピンクの液体が。 「あら。破水だわ」。マタニティ講座でも教わっていたからか、割と平静に判断できた私。寝ている夫を起こし、「破水したから病院連れていって」とひと言。破水、と言われた瞬間、眠気が飛んで慌てふためく夫の姿は今でも思い出して笑ってしまいます。 夜中に破水! そして入院まず病院に連絡し、名前と出産予定日、それから「破水したみたいです」と伝えて病院に向かいました。病院到着後、診察台に上がり当直の先生に破水か否かと子宮口の状態を確認してもらい、破水と判断され入院となりました。 「破水しているからあまり動かないようにね」と助産師さんに言われ、病室への移動も車椅子に乗ることに。不謹慎ながら、人生初の入院だったので、ちょっとだけテンションが上がっていました。ただ、ワクワクした気持ちも一瞬で、病室に入った瞬間、「あ。子ども産むんだな」と、なんとなく意識がしゃっきりしたのを覚えています。 じわじわ続く破水。こんなに出ていいの?翌朝、ベッドに横になっているところに食事が運ばれ、看護師さんから「終わったらお膳取りに伺いますね」と言われて「おお。上げ膳据え膳!」などと思ったりしました。 一方「極力動かないように」と言われるものの、やはり尿意があり、頻繁にトイレには行っていました。 破水しているため、産褥パッドという大きな生理用ナプキンのようなものを着用しながら過ごすのですが、まるでおむつほどの大きさのパッドが8時間もたずダメになり、「こんなに出ていいのかな」と不安になりましたし、これだけ出てもへこまないおなかを見て、不思議な気持ちにもなりました。 陣痛が始まり、ついに出産へその日の15時過ぎから少しずつおなかの痛みを覚え始めました。しかし陣痛の自覚はなく、19時ごろにようやくこの痛みが陣痛であると気づきました。自覚をすると急に恐怖を感じてしまい、「トイレで赤ちゃんが出てきちゃったらどうしよう」とトイレに行くのさえためらってしまうほどでした。そして、痛みも強くなり、人生で初めて「痛みで眠れない夜」を経験しました。翌朝、先生がやってきて「よし産もう!」とひと言。慌てて夫と母に「産むって!」とメールを送り分娩台へ。 練習していた呼吸法もすっかり頭から抜け落ちていましたが、助産師さんたちがサポートしてくれたおかげで混乱せず、また仕事を急きょ休んで立ち会いしてくれた夫も呼吸をまねしてくれていて、その姿がおもしろくて緊張がほぐれました。17時40分、半日がかりで、ようやく長男は産声を上げながら生まれてきてくれました。 出産予定日から1日遅れでの出産となりましたが、夜中に破水をしたということ以外は慌てることもなく無事に終えることができました。しかし、今回は夜中の破水ということで家に夫がいましたが、もし昼間だったらと思うと、あまりに楽観視していたことを反省することもあります。陣痛タクシーなどの対応地域を調べて問い合わせをしておくなど、やるべきことはあったなと今になって思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師 松田玲子著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2023年02月12日ダンスボーカルグループ『Folder5』の元メンバーであり、俳優やタレントとしても活躍するAKINAさん。プライベートでは、2013年にお笑いタレントのビビる大木さんと結婚し、2015年には第1子にも恵まれています。そんなAKINAさんが2023年2月7日に自身のInstagramを更新。モードな衣装に身を包んだショットを公開し、反響を呼んでいます。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る AKINA(@akina00619)がシェアした投稿 アンニュイな表情を浮かべるAKINAさんに魅了された人は多く、投稿には「オーラがすごい」などコメントが寄せられています。・オーラが…出ている。・印象が違くて、びっくり!・きれいだし、かっこいい!妻、母親、そして芸能活動と多くの顔を持つAKINAさん。第1子誕生後は、我が子との日常をSNSで発信する機会も多くなりました。今後も、AKINAさんが見せる新たな一面を、多くのファンが期待していることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年02月08日私の母は70代で現在ひとり暮らしです。最近、母と一緒に住んでいた祖母が施設に入所したことをきっかけに、母の介護について考えるようになりました。今、母は元気ですが、いつ何があってもおかしくない年齢。突然介護が必要になる日が来るかもしれません。そのときキーパーソンになるのはこの私。「今しかやりたいことをやれるチャンスはないかもしれない」そう気付き、自分が本当にやりたいことは何かと考えるようになりました。★関連記事:厳格だった父が認知症に。たったひとりで介護をしていた母が電話口で泣いていて…祖母が施設に入居したのがきっかけ母はつい最近まで祖母と2人暮らしでした。しかし祖母の認知症が急に進んでしまったことで家での介護に限界を感じ、祖母を施設に入所させることを決断したようでした。母は祖母のことを大切に思っており、最期まで自宅で面倒を見ようとしていました。しかし認知症の介護は想像以上に大変で、母は身も心もボロボロになっていくのを実感したそうです。本当に急なことだったのですが、空きのある施設が急きょ見つかり、祖母を施設に入れることになってしまいました。そのことがきっかけで、母も自分が突然病気になったり、動けなくなったりする日が来るかもしれないと思ったそうです。それで将来の身の振り方を考えたようでした。ある日私に「お母さんは将来、誰にも迷惑をかけたくないから施設に入るね。いつ何が起こるかわからないから、今のうちにあなたに言っておく。お金もたくさんかかることがわかったから、今から節約してお金を貯める」と胸の内を話してくれました。今まで母はずっと元気だったので、正直なところ母が介護を必要とするイメージを持てませんでした。しかし母からの話を聞いて、いつどこでどうなってもおかしくない年齢に差し掛かったのだと実感しました。自分のために時間を使いたい私には子どもが2人います。上の子は知的障害のある自閉症で、下の子は持病があり長い間入退院を繰り返していました。私は子どもを産んでから、いつでも子どものことが優先で、自分のために時間を使った記憶がほぼありません。しかし最近は上の子が中学生になり手がかかることが少なくなって、下の子も持病がよくなり生活全般が落ち着いてきました。これでやっと手が空いて、自分の好きなことができるかもと思った矢先、親の介護問題が控えているかもしれません。「私が好きなことをできる時間は意外と多くはないのかも? 」とハッと気付かされて、今は自分のために時間を使いたいと強く思うようになりました。私が本当にやりたいことは…今、私は何がしたいのかを考えると、以前から興味があったパン作りを習ってみたいと思いました。10代や20代のころは、お金を出して習い事をする人の気持ちがわからなかったのですが、今ではそれがわかるような気がします。習い事は、これまで頑張ってきた自分へのご褒美なのかもしれません。今は時間があるときに、手ごねパン教室へパン作りを習いに行っています。パンを作っているときは没頭して、日常を忘れ、何も考えなくていいので気分がスッキリ! 40代になってから感じている自律神経の乱れも、趣味のパン作りを楽しんでいるおかげで調子が良いような気がします。まとめ母は70代、私は40代。お互いまだまだ元気でいられるという気がしていましたが、祖母の急な施設入所をきっかけに、母も突然介護が必要になる日が来てもおかしくないのかもしれないと実感しました。40代の私は、自分が好きなことをできる時間というのは意外と限られているのかもしれません。今はやりたいことをやれる貴重なタイミング。自分の心を充電させるために、今を楽しみたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/中川 あかし出産後、訪問ヘルパーとして働いていたが、子どもの病気のため退職。趣味はお菓子作りとパン作り。
2023年02月05日ただでさえ出産後は疲労と身体的ダメージでボロボロなのに、他人と相部屋なんてストレスがたまるだけ!と思っていた私。出産する病院が決まったとき、私は迷わず個室を希望しました。しかし諸事情で個室と相部屋両方を経験した結果、相部屋も意外と良いかも!と考えが変わりました。出産前は知らなかった、相部屋のメリットをお話しします。産後は個室でゆったりが理想だった私が出産した病院では、トイレとシャワールーム付きの個室と4人で過ごす相部屋、2種類の病室からどちらに入院するかを選ぶことができました。他人の生活音で睡眠を邪魔されたくない、赤ちゃんが夜中泣いたときに肩身の狭い思いをしたくない、といった理由から、私は個室を希望しました。 個室での入院生活はとても快適でした。当時はすでにコロナ禍でしたが、マスクを着けずに生活できましたし、赤ちゃんの泣き声もテレビや電話の音も気にする必要はありません。私は赤ちゃんと2人の生活を満喫していました。 泣く泣く個室をあきらめることに…しかしこの病院では、個室は1泊あたり3万円強の追加料金が……。これから子どものことでお金がかかるのに、自分のぜいたくのためにこんなに高いお金は払えない。そう思った私は、産後4日目から相部屋に移ることにしました。のびのび過ごせた個室とは違い、狭いスペースで物音を立てないように過ごさなくてはならない相部屋を、最初は窮屈に感じていました。しかし私は意外にメリットがあることに気づいたのです。それは同室の方と助産師さんの会話から学べることがたくさんあるということです。 隣の会話に「なるほど!」例えば授乳について。初めての授乳は想像以上に痛くて、乳頭から血が出てしまうこともあったのですが、私はそういうものなのだろうと痛みを我慢し続けていました。しかし隣のママさんと助産師さんの会話から「乳頭保護器」というものがあることを知り、試してみることに。別のママさんは、赤ちゃんがおっぱいを飲んだあとに吐いてしまったとナースコールしていました。私はそのときの助産師さんのアドバイスを聞いていたため、自分の子どもが吐いてしまったときにも焦らずに対応することができました。私はもともと人に相談したり質問したりすることが苦手。入院中も「こんなことでナースコールしたら迷惑かな」と遠慮ばかりしていました。しかし相部屋になったおかげで、小さな不安や疑問が次々と解決されていったのです。 入院する前は、私は相部屋のメリットは料金が安いことくらいだろうと考えていました。しかし実際に相部屋に入院してみると、隣のママさんたちと一緒に子育てを頑張っている感覚になれて、心強かったのを覚えています。もしまた出産することがあったら、最初から相部屋もアリかもと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:渡辺まゆり2021年生まれの女の子のママ。幼児教室に勤務。介護福祉士、FP3級の資格あり。
2023年01月25日第1子である長女を妊娠・出産したのは、私が20歳のときでした。周りの友人たちは、まだ独身ばかり。保育園のママたちは“怖い”というイメージがあり、仲良くなれず……。当時、私にはママ友と呼べる存在がいませんでした。相談できる友人、同僚がいなかった私が20歳で第1子の妊娠・出産をした当時、周りの友人たちは、子どもはおろか結婚もしていませんでした。また、当時働いていた職場にも結婚している人や、子どもがいる人がいなかったのです。 私には実母がおらず、義理の母も遠方に住んでいるため、身近に妊娠や育児の相談をできる相手がいませんでした。育児でわからないことを聞くのは、もっぱら医師や保健師さん。もっと気軽に相談や話を聞いてくれる存在が欲しかったです。 他のママたちが怖く思えて避けるようにまだ若かった私は、他のママたちから良く思われないのではないかと思い、乳幼児健診や子どもが入園した保育園で、他のママたちとあまり接しないようにしていました。 また、“保育園のママたち=怖い”というイメージがあり、「ママ友なんて必要ない」と思っていたのです。そのため、第1子である長女が年長組(6歳)になるまで、保育園のママたちとはほとんど話したこともありませんでした。 先輩ママの助言を受け、ハッとした長女が6歳のとき、医療事務の資格を取るために職業訓練校に通ったのですが、そこで中学生の子どもを持つ女性と親しくなりました。その女性がいろいろと子どもの話をしてくれて、「子どもが小学校に入る前に、ママ友を作っておいたほうがいい」とアドバイスをくれたのです。 ママ友がいると情報共有や相談ができる他に子どもの友だち作りにも役立つと言われ、ハッとしました。自分のことばかりで、子どものことを考えていなかったと気がついたのです。 考えを改めママ友づくりに挑戦!「若いから良く思われない」と思い、他のママたちとの交流をもたないまま、6年が経過していました。今から間に合うのかと不安に思いながらも、まずは長女と仲のいい友だちのママたちに話しかけてみることに。 するとフレンドリーなママたちばかりで、年長組の1年間であっという間に仲良くなれました。家に呼んでもらったり一緒に出かけたりするようになり、私だけではなく、子どもにも友だちが増えたのです。こんなことなら、最初から変な壁を作らなければよかったと後悔しました。 今では「若いから……」と、自分で周りに壁を作っていたことを後悔しています。6年間ママ友がいませんでしたが、先輩ママの助言と長女の交友関係のおかげで、今ではたくさんのママ友がいます。育児の相談や愚痴、保育園や学校でわからないことなど、気軽に話したり聞いたりすることができます。ママ友がいなかった時期より、今のほうが子育てをより楽しめています。 監修/助産師 松田玲子 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2023年01月14日住んでいる建物が”事故物件”だと知ったら……?今回はライコミちゃんの『【#11】新居は超絶事故物件』を紹介します。前回のあらすじ衝撃の恐怖体験から一夜明け、気付くと自室のベッドで寝ていたライコミちゃん。一連の出来事は夢だったのかと考えるも、彼女の右手には……?その後ライコミちゃんは……すると帰宅中に……ふと思い立ち……?志田さんからは、坂下さん宅は「子どもを不慮の事故で亡くし、実家に帰った」と聞かされた。偶然遭遇した志田さんの夫に”例の住人たち”について尋ね、その真相を知ったライコミちゃん。隣人ユウちゃんの言っていた”事故物件”とは、これらのことなのでしょうか……?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@ライコミちゃん)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年01月05日住んでいる建物が”事故物件”だと知ったら……?今回はライコミちゃんの『【#10】新居は超絶事故物件』を紹介します。前回のあらすじアパートの木にぶら下がる洞木さんを発見したライコミちゃん。そして、洞木さんやタッくんの正体は……!?握る力がさらに強まり……気が付くと……夢だった……?衝撃の恐怖体験……。気付くと自室のベッドで横になっていたライコミちゃん。しかしその手にはハッキリと手の跡が……。やはり昨夜の出来事は現実……!?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@ライコミちゃん)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年01月04日住んでいる建物が”事故物件”だと知ったら……?今回はライコミちゃんの『【#6】新居は超絶事故物件』を紹介します。前回のあらすじなにやらいわくのありそうな隣部屋について考えていたライコミちゃん。すると突然自宅のドアを激しく叩かれ……?しばらくすると……そこにいたのは……!?すると……「タカシはどこ」と叫ぶ不気味な女性に突撃されたライコミちゃん。しかし謎の女性は叫び声をあげて逃げていったよう、一体何が起きたのでしょうか……?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@ライコミちゃん)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年01月02日住んでいる建物が”事故物件”だと知ったら……?今回はライコミちゃんの『【#5】新居は超絶事故物件』を紹介します。前回のあらすじ自分の知っているアパートの住人を思い返したライコミちゃん。あらためて確認すると、住人は奇妙な人ばかりで……?隣部屋は空室で……大家に聞いても……すると突然……?いわくのありそうな隣部屋について考えていると、自宅のドアを激しく叩かれたライコミちゃん。ドアの先にいるのは人間?それとも……?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@ライコミちゃん)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年01月01日一般的に、高齢出産とは35歳以上での初産を意味するそうです。34歳で結婚した晩婚の私は、1人目から必然的に高齢出産になりました。リスクが高いといわれる高齢出産をするにあたり、思ったこと、起こったことなど私の体験をお話しします。高齢出産をした、働く女性に共感していただけると幸いです。★関連記事:「おばあちゃんですよね?」46歳で20年ぶりに出産!3歳児を育てる高齢母の悩みとは【体験談】休日出勤中に不正出血し…すぐに2人目ができると思ったら…34歳で結婚。スロースターターではあるものの、結婚後、割とすぐに妊娠し35歳で第1子を出産しました。このときすでに高齢出産でしたが、結婚後すぐに妊娠したので、「自分は妊娠しやすい体質に違いない!」と思い込んでしまったのがそもそもの間違いでした。1年の育児休業後、職場に復帰しましたが、「またすぐ産休に入るのも気が引けるし、私がいない間サポートしてくれた人のためにも仕事を頑張らなくちゃ。上の子とは2・3歳差でいいかなあ……」などと思った私は、しばらく子作りをセーブしていました。しかし、2年が過ぎ、そろそろかなと思って時期をみてトライするも、今度はなかなか妊娠できず……。夫は同じ年齢ですが、女性と違って焦る気持ちもないのであまり理解が得られず、協力的でないことに怒り、期待しつつも毎月来る生理に落ち込み、もやもやした日々を過ごしていました。2人目不妊からの第2子妊娠! しかし…これが2人目不妊か……と悩みましたが、ほぼフルタイムの仕事と上の子を抱えて、不妊外来へ通院することもできず、ただただ日々が過ぎていくばかりでした。それから1年以上過ぎたある日、ついに妊娠検査薬におしるしが! 待望の第2子妊娠です! うれしい半面、上の子のお迎えで残業ができなかったり、上の子の病気などで急に休んだりするので、仕事は常にパンパン。帰宅後のサービス残業や、お迎えに間に合わなければ駅まで走って電車に飛び乗るなんてこともザラだったある日、休日出勤のさなかに不正出血! まだ妊娠9週目だったので慌ててネットで調べるも、「妊娠中の不正出血はよくあること」なんて記事を複数見つけてホッとし、「明日は病院に行く日だからそのとき診てもらおう」と仕事を続けました。しかし、すぐに止まるかと思っていた出血は夜中になっても止まりませんでした。そして次の日、診察してみるとおなかの中は空っぽになっていました。当たり前なんてない、出産はすべて奇跡!私は自分を責め、落ち込むだけ落ち込みました。ただでさえ、妊娠・出産は大変なこと。さらに自分は高齢なんだから、もっと気を付けなくちゃダメなんだ!と決意を新たにしました。今までまだまだ若いつもりでいたけれど、確実に体は衰え妊娠しにくくなっているし、流産や早産などが起こる確率が高くなっていることをいろいろな情報をもとに再認識しました。仕事は自分にとって大切だけど、代わりがいないわけじゃない。でも、自分と夫との子どもを産めるのは自分しかいないんだ!と思い、無理はしないと心に決めました。それからまた時は過ぎ、39歳で再度妊娠! 今度は慎重に慎重に、大切に大切におなかの中で育み、40歳にしてついに第2子を出産しました!まとめ紆余曲折ありましたが、2人の子どもに恵まれました。40歳での出産ということで友人に驚かれたりもしましたが、これも人生、自分で選んだことなので、責任を持って胸を張って生きたいと思います。子どもの成人と親の定年がほぼ同時なので、お金の心配だったり、だいぶ先に死にゆく悲しさだったり、悩みは尽きませんが、一番の願いは子どもが悲しい思いをすることなく成長すること。そのためには、親として健康で愛情をもって子どもと一緒に成長していきたいです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。マンガ/山口がたこ著者/ふみねこ (42歳)高齢出産の二児の母。楽しい老後を目指して、仕事に家庭に邁進中!
2023年01月01日住んでいる建物が”事故物件”だと知ったら……?今回はライコミちゃんの『【#4】新居は超絶事故物件』を紹介します。前回のあらすじ深夜に聞こえたお経について、大家に真相を知らされたライコミちゃん。あのお経は階下の住人によるもので……?その日は……ライコミちゃんが知る住人達それから……自分の知っているアパートの住人を思い返したライコミちゃん。あらためて考えると変な住人が多いようですが、これは偶然……?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@ライコミちゃん)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2022年12月31日私と妻は、私の両親と同居して7年になります。同居当初は妻も必死に母に食らいつき炊事、洗濯、掃除と家事をこなしていましたが、次第に妻がおこなったことに対して母がやり直すように……。そんな母と妻の家事の出来事を紹介します。 家事の共有同居当初、母は妻に対して家事を一緒におこなう提案をしました。共有する家事は洗濯、掃除、食事の準備といったごく一般的な内容です。 ルールとしてはどちらかが洗濯をしている間はどちらかが掃除をするというような状況に応じた対応をし、食事の準備は一緒にするといった内容でした。妻は了承し、母に遅れをとらないようにと一生懸命でした。 母が突然…そんなある日、妻が部屋の掃除を終えて次の家事に取り掛かろうとしたとき、母が掃除機を持ち始めました。何か床にこぼしたのかと思っていたら、母は妻が掃除機をかけた場所をもう一度掃除しだしたのです。妻は「お母さん、そこの掃除は終わったよ」と言うと、母は「知ってるけどこのへんがちょっと……」と言いながら掃除をやり直しました。 それだけにとどまらず、妻が片付けたバスタオルを引っ張り出してまたたたんで並べ直したり、炊飯器に準備した米の水を入れ直したりと、日に日にやり直しがエスカレートしていきました。 自分でやらなければ気が済まないやり直しの日々で、妻はさすがに精神的に参ってしまいました。何が悪かったのかを聞くに聞けず、ついには家事に手を出すことができなくなってしまった妻。私はさすがにまずいと思い母と話をしました。 すると母は悪気があったわけではなく、これまで家事をこなしてきた手前共有するのが思ったより難しくて、自分でやらなければ気が済まないことに気づいたと言いました。 「共有」ではなく、「分担」に共有している状態だから相手のやっていることが気になるのではと思い、割りきって分担してはどうかと提案しました。もちろん私の担当も含めてです。自分の仕事が明確になり、相手がやる前にやらなければという気苦労もなくなると私は考えました。 母はしぶしぶ承諾し、分担の生活がスタート。妻は自分の担当の家事に積極的に取り組めるようになり、母も最初はもどかしさを感じていましたが次第に慣れ、以前のようなやり直すという行為はなくなりました。 長年家事をこなしてきた母と同じレベルで家事を共有することは、経験値の差などもあり難しいのかもしれません。私は分担という選択をしてよかったと思っています。私の分担は休日の掃除と夕食の準備ですが母に合わせようとも思わないですし、自分のペースで作りたい料理を作れるので楽しくおこなえています。 著者:佐藤 稜5歳と1歳の2児の父。サラリーマンとして働きながら副業としてライターを目指す他にブログ記事も執筆中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2022年12月17日出産祝いは、自分では買わないけれどあったら便利だなというものが意外に重宝しました。冬に初産だった私がうれしかった出産祝いをご紹介します。カサカサしがちな冬に必須の保湿アイテム 新生児のお世話は、ひたすら授乳とおむつ替えの日々。私はお世話の前後には手を洗うようにしていたので、手がカサカサになってしまい困っていました。そんな私に友人がプレゼントしてくれたのは、ちょっと高級なママの保湿グッズでした。赤ちゃんのお世話で荒れがちなお肌を守るためのハンドクリームやリップクリームなど、外出しづらい産後にプレゼントしてもらえてありがたかったです。しかも、ちょっと高級なので、使うたびにウキウキできる効果もありました。 ほっとひと息つく時間のおともに ハーブティーの詰め合わせのプレゼントも、冬出産の私にはうれしいプレゼントでした。冷え性の私は、体を温めるためになるべく温かいものを飲むようにしています。ハーブティーの詰め合わせは、選ぶ楽しさがあり、自分好みのハーブティーを探すティータイムが、育児中のちょっとしたぜいたく時間に。カフェインが入っていないものを選んでくれたので、寝る前や授乳の影響なども心配せずに飲めました。 用途いろいろ、大判おくるみ aden + anais (エイデンアンドアネイ)のスワドル(おくるみ)の存在を知らなかった私ですが、使い始めて虜になりました。 赤ちゃんをおひな巻き(※)する際に使うと、伸びが良いので縛りやすく、通気性が良いので赤ちゃんも巻かれたままスヤスヤ寝ていました。また、授乳する際には自分の首の後ろで結んで授乳ケープに変身したりと使い方がいくつもあり、おでかけの際には小さく畳んでバッグに入れて必ず持ち歩いていました。 (※)赤ちゃんが丸くなる姿勢でくるむ巻き方。おなかの中にいたときのような体勢でリラックスでき、安眠効果が期待できます。 こうして書いてみると、もらってうれしかった出産祝いはちょっと高級で日常使いできるものが私にはうれしいポイントだったようです。そして、赤ちゃんのためだけのものではなく、ママのことを考えているプレゼントに対して、その気持ちがうれしくて、より印象深くなっていると気がつきました。 監修/助産師REIKO 著者:ライター 横山まい三児の母。夫の転勤に伴い三人別々の県で出産し子育てをしている。転勤妻としての妊娠・出産・子育ての経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2022年12月02日「子どもは苦手」と言っていた自分の母に、不安を感じていたママ。しかしいざ生まれてみると、母はすっかり“おばあちゃん”に! 孫にメロメロになったエピソードを紹介しています。 「孫が生まれると、親が急におじいちゃんおばあちゃんになる」と、誰かから聞いたことを不意に思い出しました。私の母は、小さい子どもが苦手。そのため、自分の子どもをかわいがってくれるかどうか不安でした。そんな私の母が驚くほど変わったエピソードを紹介します。 子どもは苦手? 孫が生まれる前の私の母ときに厳しく、ときに優しく私を育ててくれた母。妊娠を報告するととても喜んでくれましたが、私の中でひとつ不安がありました。 それは、私が小学生のころ、近所で騒ぐ子どもたちを見て「子どもは苦手だなぁ……」とつぶやいた母のひと言。ぼんやりとした記憶でしたが、「母は子どもが苦手」。そんなイメージがずっとありました。 生まれた瞬間に、おばあちゃん子どもが苦手、と言いつつ私のことをかわいがってくれた母。しかし、自分が妊娠してからは「おなかの赤ちゃんもかわいがってくれるかな……」という不安がありました。 そしていよいよ出産! 真夜中だったこともあり、私の母は翌朝一番に病院に駆けつけてくれました。待ちきれないと言わんばかりにコートも脱がずに孫の顔を覗き込み、笑う顔はすっかり「おばあちゃん」。 退院までの1週間はかかさず病院を訪れ、ニコニコしながら孫の顔を眺めたり、寝ている孫を抱き上げたり、話しかけたりしていました。 自分の子や孫はかわいくて当然!生後4カ月を過ぎ、だんだん育児に慣れたころ、「子どもは苦手だなぁ」とつぶやいたことを母に聞いてみました。すると、当たり前のように「苦手だけど、自分の子や孫はかわいいに決まってるじゃない」と言われました。 実家が離れているため、毎日顔を見せに行くことはできませんが、写真を送るたびに「うちの孫が一番かわいい!」と豪語する母。昔の厳しかった姿はなく、すっかり孫にメロメロのおばあちゃんです。 孫が生まれたことで、すっかりおばあちゃんになった私の母。「子どもは苦手だから……」と、妊娠中から不安に思っていましたが、孫パワーのすごさを感じることができました。毎日、孫の様子を電話やメールで聞いてくる母に、私も幸せな気持ちになりました。 作画/きょこ著者:古月そら0歳の女児の母。出産を機にプログラマーを退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年11月30日