2022年5月25日、宇宙飛行士の野口聡一さんが、記者会見を行いました。野口さんは、同年6月1日をもって、『宇宙航空研究開発機構(以下、JAXA)』を退職します。野口聡一「後輩に道を譲るべきと考え…」野口さんは、1996年にJAXAの前身である、『宇宙開発事業団(NASDA)』の選抜試験に合格しました。2005年に、アメリカのスペースシャトル『ディスカバリー号』で初の宇宙飛行へ、その後、2009年にロシアのソユーズにて国際宇宙ステーション(以下、ISS)に5か月間滞在。そして、2020年に初の民間宇宙飛行船『クルードラゴン1号機』に搭乗し、再びISSに約5か月間滞在しました。滞在日数を通算すると335日間も、宇宙に滞在していた野口さん。退職にあたり、野口さんは「あっという間の26年間だった」と語っています。みな様からの応援もあり、3回の宇宙飛行を無事に達成して、生還してくることができました。3回目のミッションを終えた頃からですね。そろそろ、後進の人たち、つまり、搭乗を待っている新人の宇宙飛行士の人たち、新たに選抜が始まった、これから選抜を受ける宇宙飛行士たちに道を譲りたいと考えるようになりまして、今回の退職の決断になりました。JAXA | 宇宙航空研究開発機構ーより引用また、野口さんは、老子の言葉である『功遂げ身退くは天の道なり』を引用。「1つのことを成し遂げたら、次の人のために身を引くのが正しいやり方である」と語り、「この言葉が退職のきっかけの1つとなった」と語りました。今後はJAXAを離れ、民間人として宇宙事業を盛り上げるほか、子供たちや宇宙事業を担う人々の育成に携わる活動などを行っていく予定だそうです。また、2022年5月現在、57歳の野口さん。JAXAを退職することについて、「民間の世界で、もう一度もまれてみる体験をするには、非常にいい時期。今の年齢から、新たなワンサイクルを頑張って回していこうかな」と、今後、これからの新しい人生の希望についても語っています。野口さんの退職について、ネットからはさまざまな声が上がりました。・本当に素晴らしい功績だと思う。野口さんに国民栄誉賞を贈ってもいいんじゃないかな?・生きている間に、自他ともに「1つのことを成し遂げた」と認められる人は少ないと思う。本当にすごい。お疲れ様でした!・野口さんが宇宙飛行士になってから、ISSなどに興味を持ち始めました。メディアに対する発信の方法や、伝え方がすごく上手だったんだろうな。これからの活動も楽しみです!・自分の立場が確立された上で、後輩のために退くってなかなかできないことです。そして、「これから自分の人生をワンサイクル回す」という言葉、感動しました。同世代として、心から尊敬します。宇宙飛行士として、素晴らしい功績を遺した、野口さん。JAXA退職後、野口さんがどのような活動を行っていくのか、目が離せませんね![文・構成/grape編集部]
2022年05月26日今井哲也著『ぼくらのよあけ』が映画化されることが発表された。『ぼくらのよあけ』は、『アフタヌーン』(講談社刊)にて連載され、星雲賞候補にもなった傑作SFジュブナイル漫画。舞台は2049年、宇宙とロボットが大好きな主人公の少年は、まもなく地球に大接近するという彗星に夢中になっていた。そんなある日、彼が出会ったのは、宇宙からきたという“未知なる存在”。公開されたティザービジュアルに描かれているのは、何やら怪しく輝く少年らが住む阿佐ヶ谷団地と、その奥にひっそりとそびえ立つ給水塔。そして、黎明の光が差し込む中、団地の屋上に佇む少年とロボットの姿。そんな彼らに訪れた、前代未聞の極秘ミッションとは?あわせて公開された特報映像では、ホルスト作曲の組曲『惑星』第4曲「木星」の有名なフレーズに合わせて、ティザービジュアルに描かれた団地屋上が美しく光り、徐々に朝陽が登っていく様子が映し出され、宇宙の壮大さを感じられる映像となっている。本作の映画化について、原作者の今井哲也からは「たくさんの方がすてきなアイデアを持ち寄って、作品がどんどん出来上がっている最中です。未来ってすごいですね。わくわくしています。みなさんもぜひわくわくしてください」と興奮のコメントが到着。さらには、映画化を祝う描き下ろしイラストも寄せられている。『ぼくらのよあけ』2022年初秋公開(C)今井哲也・講談社/2022「ぼくらのよあけ」製作委員会
2022年03月18日2月23日、野口五郎が東京・Bunkamuraオーチャードホールでコンサート「Goro Noguchi in Orchard 2022 Set Sail for the Mirai!〜未来への出帆〜」を開催した。切ないフレーズをエレキギターで奏でる「哀愁のアトランタ」、そしてアカペラ始まりの「歌がある限り」でコンサートの幕が上がった。この日は野口の誕生日。「私、誕生日でございまして、“6”のワンペア(66歳)でございます。今年は皆さんとご一緒させていただいて、こんな嬉しいことはございません」とファンに感謝の気持ちを込めてあいさつすると、温かい拍手が会場に響いた。次のコーナーでは、惜しくもオリコン1位を取れなかった2位の楽曲「むさしの詩人」「針葉樹」「哀しみの終るとき」など数曲をメドレーで披露。それでもみんなが歌えるのが野口五郎の楽曲の素晴らしさだ。「僕が二十歳の頃、大人になった感覚も無いまま別れや出会いの歌を歌っていました」と振り返り、盟友・西城秀樹との若き日のエピソードを話した後、西城の「若き獅子たち」をカバー。2コーラス目に入ると、西城の歌声が会場に響き、最後は野口が声を重ねてハーモニーを奏でた。憧れの御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)との共演時のことを話し、「敬愛と尊敬の想いを込めて」と今月20日に亡くなった西郷輝彦を偲び、「星のフラメンコ」を即興でギターの弾き語りで披露。そのサプライズに会場は大興奮。後半、昨年11月に岩崎宏美とコンサートを行ったことについて語り、「僕の中で2度と歌うことはないだろうと思っていた『レ・ミゼラブル』の曲を歌うことができました。自分の中で完全に卒業したと思っていた曲を歌える喜びは格別でした」と言って聴かせた「THE CAFÉ SONG」「Bring him home」はまさしく貴重な2曲。コンサートもいよいよ終盤というところで、「岩崎宏美さんと東名阪でコンサートをやらせていただきました。好評で『またやってほしい』という声も届きました。僕も彼女と一緒にやっているとメラメラとファイトが湧いてくるし、岩崎さんもそうおっしゃってくれるので、『また違う形でできたらいいね』って話していて、僕たちはまだ進化したいという思いがあるので、『じゃあ、やるか!』ってことになりました」と嬉しい知らせが届けられた。5月14日から2人によるコンサートツアーがスタートし、7月1日の東京公演・東京国際フォーラム ホールAでは東京フィルハーモニー交響楽団が参加する「野口五郎・岩崎宏美2022プレミアムオーケストラコンサート〜Eternal Voices〜」となることを発表。そして、「人は歳を重ねるごとに生きる意味の理解も深まっていくのかもしれません。僕も少しずつ考えが変わって、以前は“永遠”なんてないと思っていましたが、僕ができることは永遠に歌うことなんだ。永遠に歌うことができるんだ。今はそんな気持ちです」と想いを伝えて、「水平線へ」「哀しみのソレアード」で本編が終了。アンコールでも「今日、こうして歌うことができるのは奇跡だと思っています。でも、これを永遠だと思って歌い続けていきたいと思います」と改めて誓い、最後は、歌への想い、ファンへの感謝を込めて「A Song For You」を、ピアノとヴァイオリンだけのシンプルな演奏で、マイクを使わず生の歌声を会場に響かせ、この日のコンサートの幕が下ろされた。【公演名】野口五郎・岩崎宏美2022プレミアムオーケストラコンサート〜Eternal Voices〜【券種】S席12,000円(税込)/A席10,000円(税込)/B席8,000円(税込)※未就学児の入場はご遠慮ください。【チケット発売日】2022年3月26日(土)※ただいま、チケット先行予約受付中!良い席はお早めに! 【オフィシャルホームページ】野口五郎 岩崎宏美 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年02月25日映画『MANKAI MOVIE「A3!」~SPRING & SUMMER~』(12月3日公開)の大ヒット御礼舞台挨拶が18日に都内で行われ、陳内将、宮崎湧、野口準、倉田健次監督が登場した。同作は主人公が劇団「MANKAIカンパニー」の主宰兼総監督となり、春組・夏組・秋組・冬組のメンバーを率いていく人気ゲーム「A3!」の舞台「MANKAI STAGE『A3!』」シリーズの実写映画化作品。2018年から始まった舞台シリーズは「エーステ」の愛称でファンから親しまれ、現在の2.5次元を牽引する舞台となっている。この度、ギャガ配給にてMANKAI STAGE『A3!』の2作連続実写映画化が決定し、『MANKAI MOVIE「A3!」~SPRING & SUMMER~』が2021年12月3日、『MANKAI MOVIE「A3!」~AUTUMN & WINTER~』 が2022年3月に公開される。この日は陳内がMCを務め、事前に募集した質問に答えていく。劇中劇についての質問に、倉田監督は「夏組しかやってないことが1つある。エキストラの皆さんも入っていたので、あえて本当に笑ってもらいたい、リアルな笑いをいただきたくて、急遽、アドリブで組んでもらった。せっかくだから舞台人としての強みもここで出せたらということで」と、裏側の努力を明かす。宮崎が「プロレスなしで」と表すと、登壇者陣は「全然わかんない!」と爆笑していた。撮影中のハプニングについて聞かれると、宮崎は「そんなに大きなハプニングはなかったんじゃないですかね。でもアルバムを振り返ると記録が残ってたりするから」と語り、野口も「一成役の(赤澤)燈くんが実際に一成みたいに撮ってくれてて。見返したらこの時こうだったね、となるようなアルバムができてるんです」と言うように、小道具の携帯電話の中に写真が残っているという。「礼生くんのこの距離で撮ってる奴とかあるもんね」と、2人で様子を再現する一幕も。陳内は「撮影してるスタジオが4階ぐらいで、お手洗いが1階で、行き来が大変。お手洗い近い子がいるから、休憩になった瞬間走っていてダッシュで戻ってきて『すいませ〜ん』。誰か想像していただければ」と、本田礼生の声マネで会場を沸かせた。さらに「もし自分以外の役でお芝居できるなら?」という質問には、散々悩んだ宮崎が「やっぱり、シトロンさん(古谷大和)やりたいんですよね。めちゃくちゃ韻踏んでる。耳でのフィーリング感っていうか、すぐ韻踏むじゃないですか。ラッパーとしては最強の武器ですからね」と熱弁。しかしチャレンジするかどうか聞かれると「一生できないと思うので、来世に期待っす」と答える。最後に陳内は「3年前に舞台で始まった作品がこうやって映画になって、たくさんの方に応援していただけることをまた実感しますし、本当にたくさんの感謝を抱いて僕らも撮影していたので、この映画が恩返しになっていればいいなと思います」と感謝の気持ちを述べた。
2021年12月18日広島ホームテレビでは2021年12月30日(木)よる11時50分~年末特別番組 として勝ちグセ。カープSPONEYEAR~小窪哲也、栗林良吏が走り抜けた2021年~を放送します。内容2021年はコロナ禍の中での1年だった。1年遅れで開催された東京オリンピックは、無観客試合となった。プロ野球は、観客制限が敷かれ、カープからは感染者も発生、試合中止を余儀なくされた。まさに、激動の1年。この1年を、プロ野球を両極端なステージで過ごした2人がいる。小窪哲也PL学園、青山学院大、さらには大学日本代表と、主将を務め、プロの世界へ。2016年、25年ぶりに優勝を果たしたシーズン、彼は選手会長を務めた。そして、2021年シーズン、球団から示されたのは、指導者への道。しかし、彼が選んだ「2021年」は、もう一度、プロを目指すという1年だった。栗林良吏決して有名選手として育ってきたわけではない。投手転向は高校時代。名を知られるようになったのは大学時代からだ。しかし、大学4年時、志望届を出しながら、プロの声はかからなかった。社会人での活躍が認められ、プロの世界へ。そして、ルーキーイヤー「2021年」を迎えた。プロ野球の世界を離れた者、プロの世界に足を踏み入れた者。どこからも声がかからなくても、現役にこだわり続け、駆け抜けた1年。新人記録を塗り替え、日本代表のクローザーとして金メダルを勝ちとった1年。プロ野球という存在を、両極端な視点で見つめた2人。カープの2021年シーズン、そして、両者が駆け抜けた1年を描きます。聞き手:榮真樹(広島ホームテレビアナウンサー) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年12月10日熊川哲也 Kバレエ カンパニー Spring 2021『白鳥の湖』が、3月24日に開幕。ひと足早く鑑賞したゲネプロの様子をレポートする。芸術監督の熊川による演出・再振付で2003年に初演され、レパートリーとなった本作。今回の目玉は新プリンシパルとして1月に入団した日髙世菜のほか、カンパニーの次代を担うダンサーが集結したことだろう。取材日にオデット / オディールを演じていたのは、成田紗弥。王子ジークフリードには2020年10月にプリンシパルへ昇格した堀内將平、悪魔ロットバルトに栗山廉がキャスティングされた。ゲネプロは、オデットがロットバルトに翻弄される紗幕越しのプロローグから幕開け。成人祝いのパーティーを抜けたジークフリードは、湖で舞う白鳥オデットに出会う。彼女に惹かれながらも城へ戻り、花嫁探しの舞踏会に参加した王子は、ロットバルトに伴われて現れたオデットそっくりの黒鳥オディールに求婚してしまう。彼らが選んだ愛の結末とは──。白鳥に姿を変えられた身の上を嘆くオデットに対して、自信たっぷりに王子を誘惑するオディール。一人二役に扮する成田は、この二面性を全身で表現する。指先から爪先まで意識を張り巡らせながらも、はかなさと気高さを両立させる繊細なオデット像を覗かせた。一方で、オディール時は口元に絶えず笑みを浮かべる勝気な表情を見せ、王子の気持ちを手に入れた勝利宣言といえる30回転以上のグラン・フェッテ・アン・トゥールナンで観客の心も躍動させる。堀内は、王子の感情の起伏を体現するようなバラエティ豊かな踊りで劇世界を支える。特に空中でもう一段高く弧を描くような跳躍力に目を見張った。初役でロットバルトに扮する栗山は常に妖しさをたたえ、チャイコフスキー作曲の有名な旋律に乗せて舞う2幕冒頭のシーンで客席を魅了。このほか、完成度の高いコール・ド・バレエを繰り広げる白鳥たちの静謐な美しさにも思わず息を飲んだ。クラシックバレエの代名詞といえる定番の演目を、熊川はレパートリー化に際して再構成。オデットと出会って恋に落ちる高揚感、オディールに翻弄された挙げ句の絶望など、ジークフリードの心の軌跡を主軸に置いたストーリーテリングが最たる特徴だ。なお、このKバレエ版を小説化するアートノベル『白鳥の湖 Swan Lake』の巻末には、熊川によるインタビューも収録。クライマックスの意図やオリジナリティの発揮方法など舞台裏を明かしている。公演は3月28日(日)まで、東京・Bunkamuraオーチャードホールにて。ぴあでは、座席指定できるチケットを販売中。取材・文:岡山朋代
2021年03月24日熊川哲也 Kバレエ カンパニー Autumn 2020『海賊』が開幕。ひと足早くゲネプロを鑑賞する機会に恵まれた。芸術監督の熊川による演出・振付で全幕作品として2007年に初演され、レパートリー化された本作。19世紀イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロンが発表した長編の詩をもとに多くの振付家が生み出した様々なバリエーションを、熊川は再構成。ストーリーを編み直し、起承転結に呼応する音楽を選ぶことによって、七つの海を渡る屈強な海賊コンラッドらの壮大な冒険譚に仕立て上げた。ゲネプロは、船の難破を活写するプロローグで幕開け。海賊の首領コンラッド、その部下ビルバントやアリの躍動する姿が、紗幕越しに浮かび上がる。トルコ領ギリシャの浜辺に打ち上げられた彼らは、メドーラとグルナーラ姉妹から介抱されることに。メドーラの美しさに心を奪われ、恋に落ちるコンラッド。しかし姉妹と仲間の娘は奴隷商人ランケデムに捕らえられ、市場へ売りに出されてしまう。彼女たちを奪還すべく、立ち上がった海賊の行方は──。強い絆を前面に押し出した勇壮な踊りの中に見え隠れする、個性豊かな海賊たちのキャラクター。中でも、かつて熊川も扮した従者アリは命がけの忠誠心をもって首領を守り抜く存在感を見せつける。取材日にこの役を演じていた山本雅也は、1月に上演された『白鳥の湖』でプリンシパルに昇格した次世代の踊り手。2017年の『海賊』出演時にも見せた高い跳躍力で、鳴り響く銃声に立ち向かう。周りを取り囲むダンサーも実力派が揃い踏みだ。コンラッド役の堀内將平は、リーダーにふさわしい堂々たる踊りを披露。伸びやかな舞いで観客を魅了した成田紗弥は、柔らかい肢体の中に可憐なメドーラ像を覗かせた。なお、回替わりでコンラッドを務める遅沢佑介とメドーラを務める中村祥子は、本作でKバレエのラストステージを飾る。ゲネプロ後には熊川からコメントが到着。約半年の活動休止期間を経てカンパニー再始動を果たす思いを『海賊』に乗せ、「この作品が持つ力強さこそ、カンパニーが踏み出す新たな第一歩にふさわしく、かつてないほどのエネルギーと感動が劇場を満たすはず」と語った。なお、熊川は10月28日(水)に刊行される小説版『海賊 Le Corsaire』の巻末インタビューで演目の成り立ちや舞台裏などを明かしている。公演は10月15日(木)~18日(日)に、東京・Bunkamuraオーチャードホールにて。チケット販売中。なお15日18:30、17日(土)12:30、18日12:30開演回ではオンラインでの生配信も。それぞれ翌日23:59までアーカイブ視聴できる。取材・文:岡山朋代
2020年10月15日もうすぐ開幕される「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア2020」(SSFF & ASIA2020)にて、別所哲也、河瀬直美、「King Gnu」常田大希が参加するオンライントークイベントが配信されることが決定した。今回のイベントは、ソニー株式会社と、ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社が、共同で新しい映像文化や潮流を次世代クリエイターと一緒に探求する「Creators’ Junction partnered with XperiaTM(クリエイターズ ジャンクション パートナー ウィズ エクスペリア)」のオンライントークイベント。モデレーターに映画祭代表の別所さん、河瀬監督がゲスト出演。さらに、スペシャルゲストとして「King Gnu」常田さんが参加する。トークでは、コロナ禍におけるエンタテインメント・映像業界の変化や、ニューノーマル時代の映像クリエイティブの在り方、スマートフォンでの映画製作の可能性などについて、三者の目線から可能性を探る。また、先月からスタートした2021年度の「オフィシャルコンペティション supported by Sony」および「スマートフォン 映画作品部門 supported by Sony」などの作品応募に向けて、これからの映像製作のヒントにも迫っていく。「Creators’ Junction partnered with XperiaTM」は9月28日(月)20時スタート予定「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア2020」は9月16日(水)~27日(日)開催。(cinemacafe.net)
2020年09月10日米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」(SSFF & ASIA)の代表を務める俳優・別所哲也が、8月28日、東京都庁にて小池百合子都知事を表敬訪問した。「(ニュー)ボーダレス」~変化を力に変えていこう~をテーマに掲げる今年の映画祭は、9月16日(水)より開催。本映画祭について都知事は「今年は、withコロナの中で、新しい日常との両立に合わせて、客席を減らしたりセレモニーのライブ配信をしたりと、まさしく新しい日常の一つのパターンを表しているかと思います。そして、各会場には新型コロナの感染予防対策をしっかりおこない、安心・安全な運営をして頂くことを期待しております」と語った。映画祭と東京都が共同で行っている映画製作プロジェクトが今年で3回目を迎える。本年の作品には、主演に森崎ウィン、シンガポール・中国で活躍するジネット・アウを迎え『This is Tokyo』を製作。作品に対して都知事は「森崎ウィンさんはミャンマー出身でいらっしゃいますよね。女優さんもシンガポール出身とのことで、アジアの魅力がそっくりそのまま映画の中に表現されていると思います」とコメント。本編は公式サイトにて公開されている。一方、東京の魅力を国内外に発信するショートフィルムを全世界から募集する「Cinematic Tokyo」部門では、全世界から今年は236本の応募があり、その中から優秀賞作品として、オーストラリアの監督が手掛けた『グッピー』が選ばれた。別所さんは「東京を訪れている若い外国人カップルが、ある出来事をきっかけにお互いを見つめなおす、というシンプルなストーリーの背景に、映画的な東京の街、主人公の繊細な感情が最もうまく表現されていました」と称賛した。この『グッピー』は、9月27日に行われるアワードセレモニーにて都知事賞が授与される。今回の表敬訪問後、別所さんは「今年はコロナ禍で、海外チームと連絡が取れなくなるなど、様々な試練がありましたが、どうやったら皆様に映画を届けられるのか、世界とどう繋がれるのかを何度も協議し、今回の映画祭実施に至りました。オンライン開催も実施しますので、より多くの方々に楽しんで頂ければと思います」とメッセージを寄せた。●『This is Tokyo』(監督:鈴木勉)2019年秋、ラグビーワールドカップ開催で、街に活気があふれる東京。シンガポールの企業との提携を進めるチームに抜擢された健人は、来日したクァン社長をアテンドする仕事を任されるが、彼女の冷たい態度に困惑する。2人で東京を観光するうちに、互いの心に小さな変化が生まれ──。▽予告編●『グッピー』(監督:Charles Richardson)外国の地、東京で若いカップルの片方が最終電車に乗りそびれ、2人はバラバラになってしまう。コミュニケーションだけが2人を引き戻せる唯一の手段だったが、携帯電話の充電と共に緊張の糸も切れてしまった2人。彼らの関係はどうなるのか…。「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2020」は9月16日(水)~27日(日)オンライン会場および東京計4会場にて開催予定。『This is Tokyo』『グッピー』は映画祭のオンライン会場にて無料先行配信。(cinemacafe.net)
2020年08月28日俳優の別所哲也が28日、映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア(略称:SSFF & ASIA)2020」の代表として東京都知事の表敬訪問を行った。同映画祭は米国アカデミー賞公認、日本発・アジア最大級の国際短編映画祭で、9月16日~27日までの開催が決定している。もともとは6月開催を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の状況で延期することに。オンライン開催を拡大するとともに、「客席数も減らしまして、感染症対策もしっかりして、リアルな上映会も試行錯誤で行なっていきたい」(別所)と語る。東京都知事・小池百合子は「長い間世界への発信を映像を通じてアートという形でお伝えいただいていること、大変嬉しく思います」と称える。「新型コロナウイルス禍にあって、ウィズコロナの認識のもとで、新しい日常との両立ということになろうかと思います。会場では感染防止宣言も行い、安心安全な運営に期待をしているところです。大変楽しみにしております」と期待を寄せた。同映画祭では、シネマスポーツプロジェクト 特別製作作品として森崎ウィン主演の映画『This is Tokyo』も上映されるが、小池都知事は「森崎ウィンさん。ミャンマー出身で、小学校4年の時に日本に来られた。そしてシンガポールの女優さん(ジネット・アウ)が出られる。アジアそっくりそのものがつまってる感じで、楽しみであります」と語る。都知事により、東京の魅力を伝える「Cinematic Tokyo部門」の優秀賞・東京都知事賞としてオーストラリアのCharles Richardson監督の作品『グッピー』も発表され、最後に2人は握手代わりのグータッチで締めくくった。改めて取材に応じた別所は、「中止をしたりひるむのではなく、できることを工夫をして世界発信する。祭りの意味をもう1回考える。人間には祭りが必要だと常々言っております。カンヌやベルリンも試行錯誤しているし、僕らも世界に示すことが1つの勇気につながると信じて開催をしていきたいと思います」と宣言。「9月になってどのような状況かによって考えるところなんですが、関東圏以外の監督、審査員のみなさん、どこまでお招きするかは東京の状況に合わせて様々なプランを用意してお迎えしようと思っています」と明かした。
2020年08月28日2020年8月10日、俳優の渡哲也さんが肺炎で亡くなりました。78歳でした。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声芸能界からは、渡さんを悼む声が次々とあがっています。渡さんと親交の深かった、女優の吉永小百合さんもその1人です。吉永小百合「泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」渡さんと映画『愛と死の記録』で初共演して以降、宝酒造株式会社『松竹梅』のCMなど、数々の作品で共演をしてきた吉永さん。長年渡さんを先輩として慕い、突然の訃報に驚きを隠せなかったそうです。同月14日、吉永さんはさびしい胸の内を、こう明かしました。この日、本紙など報道各社に寄せた直筆の追悼コメントには「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで(実弟で俳優の渡瀬)恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか」と寂しさを隠せず。渡さんが天国に旅立ったことがいまだに信じられない様子で、「大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です」と無念の思いをつづった。サンケイスポーツーより引用俳優の渡瀬恒彦さんは、渡さんの実弟で2017年に亡くなりました。吉永さんは、渡さんが大好きな夏の海を泳いで天国の弟のもとへ行ったのではないかと感じたようです。長年、渡さんの背中を見てきた吉永さんだからこそ感じた最後の思い。きっと海を渡り、天国で恒彦さんと再会できたことでしょう。渡さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2020年08月18日8月10日に俳優・渡哲也さんは東京都内の病院で肺炎により逝去した。享年78。この数年、渡さんは肺気腫のために苦しんでいた。本誌が渡さんの闘病生活を目撃したのは、昨年4月、東京都内にある病院の前。酸素ボンベの入ったバッグを右手に持ち、バッグからは鼻まで酸素を送るためのチューブがのびていた。通院に付き添い、車の乗り降りを介助していたのは、愛妻・俊子さん(77)だった。ベテランの映画関係者は言う。「俊子さんは大手鉄鋼会社の役員の令嬢で、青山学院大学では渡さんの1年後輩。渡さんの一目ぼれだったそうです。しかし結婚にこぎつけるまでは何年もかかりました。当時の渡さんには大勢の女性ファンがいたため、なかなか公表することができなかったのです。ハワイで2人きりの結婚式を挙げたのは’71年3月、渡さんが29歳のときです」渡さんと俊子さんの結婚生活は49年と5カ月。しかしその間に、渡さんは幾度も病魔に襲われた。48年前の’72年7月には、京都でテレビドラマ撮影中に高熱を出して病院に運ばれた。「その後、俊子さんの伯父が院長を務めていた東京都内の病院に転院します。当時の俊子さんは妊娠中でしたが、病院食が苦手な渡さんのために、自宅で食事を作っては、運んでいたのです。肉体的・精神的負担が大きかったためか、俊子さんは何度も流産の危機に襲われました」(前出・映画関係者)’74年に放映されたNHK大河ドラマ『勝海舟』では主演だった渡さんだが、肋膜炎のため途中で降板。さらに’91年には、直腸がんに襲われる。その大手術後、渡さんは妻・俊子さんへの感謝の気持ちを雑誌のインタビューで語っている。《女房にも助けられました。(6月)二十日に手術して二十八日抜糸があったんですが、直腸をとっていますから猛烈に痛むのです。看護というのは患者と一緒に痛がっていたら絶対にできないんですね。私が痛がっていることは当然わかっている。その上で、一つ次元の高いところで、ある意味では冷静に患者を見なければいけない》(『文藝春秋』’92年2月号)実は俊子さんは、渡さんの入院中に看護法を看護師から直接指導してもらっていたという。’15年に渡さんは、急性心筋梗塞のため緊急手術を受けたが、俳優復帰のためにリハビリのフォローをしたのも俊子さんだった。当時、夫妻の知人は、その奮闘ぶりについてこう語っていた。「渡さんの退院前から、俊子さんは自宅にリハビリ用のマシンを運び入れていました。室内ランニングやウオーキング用のトレッドミルなどです。マシンを使用する運動のほかにも、階段の上り下りもリハビリになりますが、俊子さんはいつも付き添っているのです。もともと食事にうるさい渡さんですが、いまは減塩食になっており、味つけの工夫も大変です。しかし、かつて石原裕次郎さんが解離性大動脈瘤の手術後に、奥さんのまき子さんが作った減塩食の写真付きレシピがあるそうで、俊子さんもそれを参考にしているようです」渡さんと俊子さんのかつての姿について、石原プロモーションで常務取締役を務めていた仲川幸夫氏はこう語る。「渡さんの自宅には松田優作さんや地井武男さんたちも遊びに行っていましたが、もてなしてくれるのは俊子さん。彼女はとっても料理が上手なので。俊子さんは聡明な女性で、渡さんは何でも彼女に相談していました。芸能界以外の人脈も広くて、そこから得た情報を、渡さんに伝え、彼も仕事の参考にしていたようです。ただ俊子さんは、“表”に出ることは一切ありませんでした。渡さんが石原プロの社長を務めていたときも、もちろんプロダクションの経営に口をはさむこともしなかった。渡さんの長年の介護は本当に大変だったと思いますよ。できればお会いしてお悔やみも申し上げたいです……」この数年、石原裕次郎さんも食べたという俊子さん手作りの減塩料理を口にしながらも、渡さんの頭から離れなかった課題が、“石原プロの幕引き”だったという。実は昨年4月、本誌は石原プロの関係者のこんな証言を報じていた。「渡哲也さんが、ついに俳優引退と石原プロモーションの幕引きを決断したのです」当時、渡さん本人に決断の理由などについて取材を試みた。すると渡さんは目をつぶり、数秒間真剣な表情で黙考した後、付き添っていた運転手に、「事務所に連絡するように伝えなさい」と、静かに言い残して、自宅へと戻っていったのだった。だが石原プロの元幹部は次のように語っていた。「石原プロを“自分の目が黒いうちにきれいに終わらせる”というのは、渡さんにとって長年の悲願でもありました。ほかの(勝プロや三船プロのような)“スタープロダクション”のような終わり方にはしたくないということです。渡さんとしては倒産とか分裂とかで、石原裕次郎さんの名前を汚したくない。それが彼の美学なんです。’11年に健康上の理由で社長からは退きましたが、渡さんが決定したとなれば、ほかの社員たちも従います。幕引きを急いでいるのは、渡さんが自分の体調に自信を持てなくなっているからなのでしょうね」しかし俳優たちの移籍先を探す必要もあったからなのだろうか、石原プロが’21年1月をもって解散することが発表されたのは1年後の今年7月17日。“幕引き”を見届けたかのように渡さんが逝去したのは、それから3週間後のことだった。生前、渡さんは妻に「静かに送ってほしいから、自分が死んでも、葬儀などすべてが終わるまでは誰にも知らせないように」と、伝えていたという。その言葉どおり、お別れ会や偲ぶ会の予定もない。“幕引きは静かに”……、石原プロのみならず、自身の人生の終幕にも美学を貫いた渡哲也さん。その傍らにはいつも辛苦をともにし続けた妻・俊子さんがいた。「女性自身」2020年9月1日号 掲載
2020年08月18日俳優・渡哲也さんが8月10日に肺炎で死去した。78歳だった。訃報を受け、日活映画時代から50年以上も親交のある吉永小百合(75)が追悼メッセージを14日に発表した。「夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか。大きな病気を何度も乗り越えてこられたのに残念です。ご冥福を心からお祈りいたします」66年に映画『愛と死の記録』で初共演した2人。渡さんは印刷会社に務める原爆症の青年役で、吉永扮する楽器店で勤める娘との悲恋物語だ。当時若い2人の迫真の演技は、感動を巻き起こしたという。「当初は、吉永さんと“青春・純愛路線”を築いた浜田光夫さん(76)がキャスティングされていたといいます。ですが浜田さんは右眼を負傷し、降板。アクション専門だった渡さんが、代役に起用されました。原爆がテーマの本作は、当初『被爆者の描写が刺激的すぎる』とカットを命じられたそうです。ですが吉永さんと渡さんは、原爆の悲劇を自分のことのように受け止めていました。そのため、スタッフたちと撮影所前で座り込みの抗議をしたほどだったそうです」(映画関係者)その後も『白鳥』(66)や『青春の海』(67)、『嵐の勇者たち』(69)などで共演し、“日活黄金期”を支えた2人。互いにキャリアを積んでからは、『時雨の記』(98)で中年男女のプラトニックな恋愛を好演。だが、00年の『長崎ぶらぶら節』で共演したことが最後となった。いっぽう渡さんが長年出演した宝酒造「松竹梅」のCMには、10回も登場した吉永。19年末に公開されたCMでは、令和初のお正月を2人で飾った。各メディアによると、この撮影が2人にとって最後の現場になったという。「17年のCM撮影時、闘病中だった渡さんは『最後の1本は大ラブシーンをやりましょう』と吉永さんに呼びかけていました。98年の『時雨の記』では、吉永さんが渡さんを相手役に指名したといいます。歳を重ねても、日活時代で築いた“あうんの呼吸”があるのでしょう。吉永さんも渡さんの“最後のお願い”に、『老夫婦の恋愛作品を作りましょう』と応えていました」(制作関係者)叶わなかった最後の共演。だが残された2人の作品は、これからも愛され続けるだろう。
2020年08月15日渡哲也さんが肺炎のため亡くなったと8月14日に発表された。78歳だった。各メディアによると渡さんは10日、妻の俊子さんに見守られて息を引き取ったという。渡さんの俳優人生には、“闘病”がつきものだった。71年3月に結婚したものの、翌72年7月に葉間肋膜炎で3カ月療養。さらに73年には膠原病との診断を受け、74年2月には胸膜癒着症にかかった。そして91年には直腸がんが見つかった。がんは渡さんの父、そして師である石原裕次郎さん(享年52)の命を奪った病でもあった。「お父さんと裕次郎さんを亡くした経験から、渡さんは『がんは早期治療が肝心だ』と理解していました。病名を公表することでいっそう、がんと向き合いたいと考えていました」(芸能関係者)そんな渡さんを支えたのは、俊子さんだったという。「渡さんが仕事で穴をあけることになり、俊子さんは関係各所に頭を下げて回りました。また医師には『どんな形でもいいから生きてほしい』と頼み込んだといいます。そんな姿に、渡さんのお母さんは『あなたには苦労のかけっぱなしで……』と涙ながらに感謝したそうです」(前出・芸能関係者)97年にも早期の大腸がんが見つかった渡さん。15年6月には、心筋梗塞で緊急入院をしている。「渡さんが突然胸の苦しみと息苦しさを訴え、俊子さんはすぐに病院へ。俊子さんが素早く異常に気付いてくれた甲斐もあって手術は1時間30分ほどで済み、数日後には一般病棟へ移りました」(病院関係者)渡さんの窮地を救った俊子さんは、献身的に看護し続けた。「俊子さんは1カ月もの間、病室に泊まり込みで看病していました。退院前から自宅にリハビリ用のマシンを運び入れ、さらに退院後には食事を減塩食に切り替えました。その際には、裕次郎さんの奥さんであるまき子さんのレシピを参考にしていたそうです」(渡夫妻の知人)晩年には呼吸器疾患などのため、外出時に酸素吸入器を手放せなかった渡さん。結婚翌年から48年。病との戦いだった人生を支えたのは、俊子さんという“戦友”だった――。
2020年08月15日2020年8月10日、肺炎により逝去していたことが判明した、俳優の渡哲也さん。連続ドラマ『大都会』(日本テレビ系)や『西部警察』(テレビ朝日系)などで一世を風靡した俳優の死に、人々からは悲しみの声が広がっています。俳優の渡哲也が逝去10日に肺炎でネットで「涙が止まらない」の声同月14日、お笑いコンビ『ドランクドラゴン』の塚地武雅さんがTwitterを更新。テレビドラマ『おいしいごはん 鎌倉・春日井米店』(テレビ朝日系)にて、渡さんと共演した際のエピソードを明かしました。ドランク塚地が感じた、渡哲也の『プロ根性』ドラマの撮影中、主演である渡さんが、椅子を手刀で割るシーンがあったといいます。しかし、本番になると、渡さんは手刀ではなく、頭で椅子を割ったというのです!渡さんのサービス精神と勇ましさに感動した塚地さんは、「プロだ!僕もこうならなければいけない!」と、身の引き締まる思いだったといいます。渡哲也さん…おいしいごはん というドラマで師弟の役でご一緒させていただきました。椅子を手刀で割るというシーンで本番、いきなり頭で割る姿を見て驚きとサービス精神と漢気を感じ、プロだ!僕もこうならなきゃいけない!と思ったのを覚えています!— ドランクドラゴン塚地武雅 (@tsukajimuga) August 14, 2020 茶目っ気あるエピソードも明かす塚地さんは、ドラマの撮影をしていたある日、渡さんに「塚地くん、ちょっと!」と呼ばれたといいます。「僕のお芝居がよくなかったのか」と怒られる覚悟で向かうと、各国のミス・ユニバースが写る新聞を広げて、「塚地くんはどの子がタイプ?」と聞いてきたそうです。渡さんの意外な問いかけに、「茶目っ気のある面白い人」だと感じた塚地さん。「短い間でしたが、近くで色々見せていただいたことは勉強になることばかりで忘れません」と、渡さんへ追悼の言葉を贈りました。ある日、渡哲也さんに前室で「塚地君、ちょっと!」と呼ばれ、僕のお芝居が良くなかったのか…?怒られると思いながらむかうと新聞のミス・ユニバースの各国の代表の写真を見せて「塚地君はどの子がタイプ?」と。茶目っ気たっぷりの面白い方で。笑— ドランクドラゴン塚地武雅 (@tsukajimuga) August 14, 2020 塚地さんの投稿には、さまざまなコメントが寄せられています。・とてもお優しい人だったのですね…。・素敵なエピソード。渡さんの人柄がよく分かります。・すごくいい話。思わず泣いてしまいました。茶目っ気あふれる行動は、塚地さんを和ませようとした、渡さんなりの心遣いだったのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月15日2020年8月14日、俳優の渡哲也さんが肺炎のため亡くなったことが発表されました。渡さんは、昭和時代を彩る数々の名作に出演。俳優の石原裕次郎さんが創立した石原プロモーションに所属し、ドラマ『西部警察』シリーズなどでも活躍しました。渡さんはテレビドラマで活躍する一方、多くのCMにも出演しています。裕次郎さんがCMキャラクターだった清酒『松竹梅』を引き継ぐ形で、渡さんがオファーを受けました。同年7月29日からは、2人が共演するCMが公開されており、多くの人が悲しみにくれながら動画に注目をしたようです。酒を飲みかわす渡さんと裕次郎さん。生前、2人が『松竹梅』のCMで共演することは叶いませんでした。裕次郎さんがCMキャラクターを務めて50年となる節目に、合成技術を使って夢の共演となったのです。動画を見た人たちからは悲しみの声が寄せられていました。・合成だと分かっていても、このCMで2人の姿を見ることができてよかった。・悲しいです。天国でもおいしいお酒を飲んでもらいたいです。・昭和の名俳優がまた1人亡くなってしまい、言葉がありません。きっと今頃、天国で裕次郎さんとゆっくりお酒を飲んでいるのかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月15日俳優の渡哲也(本名:渡瀬道彦)さんが10日、肺炎のため都内の病院で死去した。78歳だった。石原プロモーションは、公式ツイッターに文書を掲載し、「弊社 渡哲也(本名:渡瀬道彦)が長きにわたり病との闘いの末去る令和2年8月10日午後6時30分に肺炎のため享年79をもって都内の病院にて旅立ちました。ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」と報告。「葬儀につきましては、静かに送ってほしいという故人の強い希望により本日、家族葬というかたちで執り行わせていただきました」と伝え、「誠に勝手ながらご香典、お供物、ご弔電、ご供花などの儀は故人の遺志により固くご辞退申し上げます」と記した。そして、「尚、お別れ会・偲ぶ会等の実施につきましては、故人の意向により執り行いません。何卒、故人の遺志をご理解いただけますようお願いいたします。皆様のお心の中にて故人への祈りを捧げていただけますことを心よりお願い申し上げます」と呼びかけた。
2020年08月14日2020年8月14日、俳優の渡哲也さんが逝去したことが分かりました。78歳でした。サンケイスポーツによると、同月10日に肺炎で逝去したとのこと。すでに近親者のみで密葬を行っています。複数の関係者によると、入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。2015年6月に心筋梗塞の手術を受けて以降、入退院を繰り返し、ここ数年は呼吸器疾患などで自宅療養を続けていた。サンケイスポーツーより引用渡さんは、俳優・石原裕次郎さんが創立した石原プロモーションが制作した連続ドラマ『大都会』や『西部警察』シリーズなどに出演。渋い演技が好評を得て、数多くの作品で活躍しました。ご冥福をお祈りいたします。渡哲也さんについての記事はこちら[文・構成/grape編集部]
2020年08月14日毎日忙しいママを支えてくれる時短レシピ。子どもが大喜びする、3つの簡単チャーハンレシピを、人気料理家・野口真紀さんに教えてもらいました。カレー風味の夏野菜チャーハンやがっつりステーキチャーハン、そして本格アジアンチャーハンまで。お家で簡単にプロの味が叶います。休日や夏休みなどのお昼ご飯にぴったり!チャーハン アレンジレシピ #01〈 夏野菜のカラフルチャーハン 〉ふわっと香るカレー風味が食欲そそる! カラフルな見た目とコロコロ具材が楽しくて、子どもも野菜を完食してくれるはず。[材料] 2人分・炊いたご飯……2膳分・トウモロコシ……1/2本・パプリカ……1/2個・ズッキーニ……1/2本・ベーコン……6枚・ソーセージ……3本・塩、胡椒……各適宜・カレー粉……小さじ1・オリーブオイル……大さじ2[つくり方]1.トウモロコシは横半分に切って、実を包丁でそぎ落とす。パプリカ、ズッキーニは1cm角に、ベーコンとソーセージは1cmに切る。2.フライパンにオリーブオイル、ベーコンを入れて炒め、1の残りの具材を加えて炒める。3.ご飯を加えて全体を炒め、塩、胡椒、カレー粉を加えてさっと炒める。おいしくなるポイント缶詰ではなく、フレッシュなトウモロコシを使うことで食感が良くなる。夏らしさもUP!チャーハン アレンジレシピ #02〈 ステーキチャーハン 〉スタミナ不足の時こそ、たっぷりガーリックが効いた贅沢チャーハンを。簡単なのにお腹いっぱいになって、夏バテ予防にも◎。[材料] 2人分・炊いたご飯……2膳分・牛肉(ステーキ用)……1枚下味用:塩、胡椒……各適宜・ニンニク(みじん切り)……3かけ分・パセリ(みじん切り)……適宜・塩、胡椒……各適宜・バター……大さじ2・オリーブオイル……大さじ4・パセリ(粗く刻む)……適宜[つくり方]1.牛肉は塩、胡椒をする。フライパンにオリーブオイルを大さじ1を入れて熱し、牛肉の両面をこんがりと焼く。中はレアにするとよい。フライパンから取り出し、粗熱を取って一口大に切っておく。2.同じフライパンに残りのオリーブオイル、ニンニクを入れて熱し、香りが立ったらご飯を入れて炒める。塩、胡椒をする。1のお肉を戻して炒め、パセリ、バターを加えて炒める。お好みでパセリを添える。おいしくなるポイント牛肉の焼き具合を、レアに仕上げること。バターでお肉にぴったりなコクを出す。チャーハン アレンジレシピ #03〈 ジャスミンライスのアジアンチャーハン 〉たまには気分を変えて、アジアン風のチャーハンはいかが? お家でも簡単に現地の味が叶います。お好みでパクチーを添えて、より本格的に。[材料]2~3人分・ジャスミンライス……1合分・鶏もも肉……1枚・長ネギ……1/2本・卵……2個・ナンプラー……大さじ1・塩、胡椒……各適宜・ニンニク(みじん切り)……1かけ分・油……大さじ3・お好みでパクチー(粗みじん切り、葉と茎に分けておく)……1束[つくり方]1.ジャスミンライスを表示通りに炊く。2.鶏肉は2cm角に切る。長ネギはみじん切りにする。卵は溶いておく。3.フライパンに油を熱し、鶏肉を炒め、塩、胡椒をし焼きあがったら一度取り出す。4.同じフライパンに卵を入れてざっと炒め、ジャスミンライスを入れて全体を炒める。5.2の鶏肉を戻し入れて、長ネギ、ニンニクを入れて炒める。ナンプラー、塩、胡椒をする。仕上げにパクチーの茎を入れてざっと炒める。器に盛って、パクチーの葉を添えて完成。おいしくなるポイントジャスミンライスを使うと、お米がパラパラのチャーハンに仕上がり、より本格的な味に。教えてくれた人料理家・野口真紀さん料理雑誌の編集者を経て、料理研究家の道へ。簡単ながら、栄養や健康に配慮した家庭料理や、センスの良いスタイリングに定評がある。著書「きょうのごはん」(主婦と生活社)シリーズが人気。recipe & styling/Maki Noguchiphotography/Aya Sunahara
2020年08月06日「SSFF & ASIA」代表の別所哲也、フィルムメイカー・俳優の斎藤工、「SSFF & ASIA」アンバサダーのLiLiCoが参加するオンライントークが、8月6日(木)に配信される。米国アカデミー賞公認・アジア最大級の国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」(SSFF & ASIA)は、「ショートフィルムの日」を皮切りに、映画祭が延期となった秋までの間、未曾有のパンデミックにより大きく変化しようとしている映像制作や映画祭、映画配給・興行といった映画業界の各立場からゲストを迎え、現状と未来像を語るトークセッションシリーズをYouTubeチャンネルでオンライン配信中。そのシリーズ第5回目では、別所さんがホストを務め、LiLiCoさんと共に斎藤さんを迎え、ビヨンド・コロナ(アフターコロナ/with コロナ)と言われる中で挑戦する映画業界についてトークを展開。斎藤さんがスタートさせたリモート製作の『TOKYO TELEWORK FILM』の挑戦や経緯について、「A TAKUMI SAITOH FILMS」として自らの監督、出演作をオンライン発信するプラットフォームをローンチした意図、岩井俊二監督作『8日で死んだ怪獣の12日の物語』出演で感じた俳優としての視点。そして今後、映像制作や俳優としての仕事がどんな新たな局面を迎えていくのかトークをしていく。ライブ配信中には、本年の「SSFF & ASIA」とのコラボレーションイベントについて発表もあるという。トークセッションシリーズ第5回「別所哲也×斎藤工×LiLiCo 映画業界が挑戦するビヨンド・コロナを徹底トーク」は8月6日(木)20時~SSFF & ASIA YouTubeチャンネルにてライブ配信。(cinemacafe.net)
2020年07月16日真っ暗なステージにスポットライトが当たると、ギターを抱えた歌手・野口五郎(64)の姿が浮かび上がった。野口が特別な思いを寄せる場所、Bunkamuraオーチャードホールで2月22日、『Goro Noguchi 50TH ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2020 I can sing here~今ここで歌える奇跡~』が開かれた。今年は、デビュー50年目に突入する大きな節目の年でもある。野口は、10代の頃から共に走ってきた“戦友”、『新御三家』について語ってくれた。「3人は仲間だったけど、いいライバルでしたね」その仲間とは、郷ひろみであり、西城秀樹さんだ。『新御三家』と呼ばれ、3人でスターダムに上りつめた。中でも、西城さんとは家族ぐるみの付き合いになった。妻同士、子ども同士も仲がよく、西城さんの子どもたちからは「五郎パパ」と呼ばれている。「当時は近所に住んでいて、ふらっと秀樹が遊びに来たり、僕が行ったり。何でも話し合える仲。彼は何でも話してくれました」15年、西城さんは還暦コンサートを開催。11年に脳梗塞を再発し、右半身マヒと言語障害の後遺症で苦しんだが、リハビリを重ね、復活した祝いのステージでもあった。『Happy Birthday』を観客全員が歌うなか、舞台袖からケーキを乗せたワゴンを押して出てきたのは、サプライズ・ゲストの野口だ。西城さんは心底、驚いて、「なんだよ」と、照れた。握手をした野口は思わず言った。「恥ずかしいけど、いままでやったことないけど、やっていい?……抱いていいか?」一瞬、戸惑ったが、西城さんも笑みを浮かべた。ファンが歓声をあげるなか、抱き合った、そのときの感触を思い出したのか、野口の目に涙が光る。「何であんなこと言ったのか。抱いた感触は……。つらいから思い出したくないけれど。彼がどんな思いであのステージに立っていたのか、僕は自分の体で感じていました。そこまでして、このステージに立ちたかったのか、と。あいつの男として、アーティストとして、父親としての生きざま、すべてを感じ取った一瞬でした」ふたりの交流は、西城さんが亡くなる直前まで続いた。「おーい。体調はどう?」「寒いときはちょっとね」そんな短いやりとりの電話がしばらく続いた。訃報は突然、やってきた。2年前の5月16日だった。すぐには現実を受け止め切れない。しばらく心にぽっかり穴があいた感覚だった。葬儀後初めての仕事で西城さんの故郷の広島へ行った。瀬戸内に臨むホテルから見上げた空が雲ひとつない青空だった。「ふと、秀樹の『ブルースカイブルー』を思い出した。それをきっかけに、そういえば、あいつ、うちで歌っている曲があったよなぁって思い出して」探してみると、段ボール箱に、西城さんが歌ったオープンリールの古いテープ音源が残っていた。野口のスタジオで録った西城さんの歌声だ。その未発表音源に、自分の歌を加えて録音した“時を超えたデュエット”を、テレビ番組で発表。さらに、野口が特許を持つ「テイクアウトライブ」というスマホアプリで「HIDEKI&GORO」として配信した『LOVE SONGを永遠に』は、野口と西城さんの子どもたちからも、一緒に歌いたいと声が上がり、みんなで歌った。「秀樹の若い声を聞くと、泣けてくるから、僕は少し鼻声になっちゃった。顔は映さなかったけれど、子どもたちの後ろ姿が未来を象徴していてね。この姿を見たら、秀樹もきっと喜ぶかなって……」冒頭のコンサートのMCで野口は、思い出話でこの50年を振り返った。「あるとき、雑誌から新御三家の鼎談(ていだん)企画がきて。こういうとき、僕も秀樹も『ひろみがOKなら受けます』と答える(笑)。でも、このときは、ひろみがOKしたんです。秀樹から電話がきて『どうしようか』と話したくらい(笑)」西城秀樹さん、郷ひろみ(64)と3人で『新御三家』と呼ばれた時代のエピソードは、同世代のファンにとって宝物だ。2年前、63歳で逝去した「秀樹」の名前を聞き、涙するファンの姿もあった――。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月09日真っ暗なステージにスポットライトが当たると、ギターを抱えた歌手・野口五郎(64)の姿が浮かび上がった。野口が特別な思いを寄せる場所、Bunkamuraオーチャードホールで2月22日、『Goro Noguchi 50TH ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2020 I can sing here~今ここで歌える奇跡~』が開かれた。今年は、デビュー50年目に突入する大きな節目の年でもある。会場が揺れるほどの「ゴロー」コールを巻き起こしたかと思うと、しっとり聴かせる。その緩急織りまぜた演出に圧倒された。そんな、ファンを魅了し続ける彼が、知られざる苦悩を語ってくれた――。野口のブレイクのきっかけはデビューの3カ月後。演歌からポップスに転向した野口の2枚目のシングル『青いリンゴ』がスマッシュヒットを飛ばす。売れることは夢だったが、想像を超えたアイドルブームに、別の葛藤も芽生えていた。緞帳が上がった途端、観客が一斉にステージに駆け上がろうとしたため、すぐさま緞帳が下りて、歌えないまま終わったことも。公演中は何百、何千人もの歓喜の声に包まれ、ホテルへ戻ると一転、誰の声もない孤独な空間だ。「歌を聴いてほしいのに、聴いてもらえない。アイドルの自分に違和感があった。どうしたら大人のプロ歌手に成長できるんだろうと、いつも考えていました」人気におごることなく、歌手としての成長をひたすら目指した野口。海外レコーディング、コンサート録音、ディナーショーなど他より先駆けて取り組んできたのが野口だ。20代後半からは、ミュージカルも。野口五郎は常に挑戦してきた。しかし、ハードスケジュールと突き詰めすぎる性格がたたったか、『レ・ミゼラブル』の初演で突然、パニック症候群に襲われた。その後も何度も再発を繰り返す。「でも、35~36歳くらいで病気のコントロール法を習得したんです。あるとき、芝居中、自らパニック症状を起こしてみた。観客には芝居に見えるけど、実はリアル。医師に安定剤の注射を打ってもらいながら、繰り返しやっているうちに、病気との距離感がわかるようになった」パニック症状に苦しみながらも、音楽活動を一度も休まなかった。「かなりの音楽オタクですよね」そんな野口に、別の世界を開いてくれたのが、タレントの三井ゆりだ。コンサートを見に来てくれた歌手仲間と一緒に、彼女が来ていた。それが初対面。その後、共通の知人に呼ばれて少し、話した。「そしたら雑誌か新聞に“交際”って出た。参ったなぁと思っていたら、彼女から電話がきて。『ご迷惑をおかけして』って」それがきっかけで、本当の交際が始まった。縁は異なものだ。野口は01年2月に結婚。父親になると、野口の“音楽オタク”生活は一変する。「初めてプライベートでデパートに行きました。デパートなんて売れない時代に営業に行ったくらい。買い物するのは初めてで、前日、下見に行って、駐車場から売場までの行き方を調査した(苦笑)。僕が世間のことをあまりにも知らないっていうことが恥ずかしくて」ディズニーランドへ行ったときは、まだ小さかった子どもから「お父さん、子どもよりはしゃいでる」と、言われてしまった。結婚して19年たつが、いまも仲よし夫婦だ。「(妻は)スポンジみたい。音楽オタクの僕が、変なことをしても、わがままを言っても吸収してくれる。だから、けんかにならない。芸能活動からも少し離れて、家族のために頑張ってくれています」家族の温かさを感じながら活躍を続ける野口だが、実は18年、食道がんが見つかって手術を受けている。支えたのは、やはり家族だった。「奥さんは強いですね。僕には動揺する姿も見せず、『大丈夫だから』と安心感を与えてくれました。それでもなかなか寝られない。そんな夜、子供2人に病気を告白したんです。2人を両脇に抱えて、ギュッと強く抱きしめて」その時、ある種の“覚悟”ができた。そう語った野口は、それ以来、ステージに立つたびに『これが最後だ』という気持ちで歌うようになった。強い気持ちのこもった曲は、変わらぬ少年のような歌声とともに、私たちを魅了し続ける――。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月09日真っ暗なステージにスポットライトが当たると、ギターを抱えた歌手・野口五郎(64)の姿が浮かび上がった。野口が特別な思いを寄せる場所、Bunkamuraオーチャードホールで2月22日、『Goro Noguchi 50TH ANNIVERSARY CONCERT TOUR 2020 I can sing here~今ここで歌える奇跡~』が開かれた。今年は、デビュー50年目に突入する大きな節目の年でもある。会場が揺れるほどの「ゴロー」コールを巻き起こしたかと思うと、しっとり聴かせる。その緩急織りまぜた演出に圧倒された――。そんな、ファンを魅了し続ける彼の、大ブレイクに至るまでの道を語ってもらった。野口五郎(本名・佐藤靖)は、56年、岐阜県美濃市で生まれた。「父方の祖父が人形浄瑠璃の語りをやっていて、親父も歌手を目指して頑張っていたんです」ところが、太平洋戦争で召集され、歌手の夢は断たれてしまう。「母も歌手志望で、ポリドールレコードからデビューする話もあったんです。でも、家族に大反対されて断念。戦後、ボランティアの青空楽団の専属歌手をしていて、父と知り合った。だから、家族全員、歌が好き。家族みんなでよく、しりとり歌合戦をしましたね。いちばん古い僕の記憶は3歳。町内ののど自慢大会に出たんです」小学生になると頻繁に全国のど自慢大会に参加するようになった両親は全力でバックアップ。息子に自らの夢を重ねていた。小6から、のど自慢の審査員をしていた米山正夫氏に師事。月1回、東京に通ってレッスンを受け、米山氏作詞作曲の『友情の花束』でデビューすることが決まった。中学2年の5月。いよいよ上京。「米山先生に上京のご挨拶に行き、声を出したら、なぜか声が出なかった。先生に『少し休みましょう』と言われて、デビューの話もなくなったと思っちゃったんです」一緒に上京した母とともに4畳半の部屋を借り、母は、印刷工場の作業を手伝うかたわら、夜は洋裁の内職にも励んで、支えてくれた。慣れない土地で、朝から晩まで働きづめの母に申し訳なくて、弱音も吐けない。月に1度、仕送りを持って上京する父には何度、「俺、ダメだから」と、言おうとしたかわからない。「頑張れよ」と言って、帰っていく父を追い、わざと見つかるように地下鉄の駅までついていった。「見つかったら、『親父、もう帰るよ』って言おうと決めていたのに、親父は振り向いてもくれなくて。あとで聞くと、実は気づいていたみたい。振り返って抱きしめたかったけど、心を鬼にして気づかないふりをしていた。そんなことも当時の僕にはわからなくて」頑張るほかに道はない。新聞でオーディションの告知を知り、スクールメイツにも入った。友人のバンドに入って、赤坂のライブハウスで歌ったりもした。歌への情熱だけはなくさなかった。上京から2年、15歳で演歌でのデビューが決まった。デビューしても、歌番組の仕事ではなく、九州など地方での営業ばかり。レコード店を回り、みかん箱に乗って拡声器で歌ってレコードを1枚1枚手売りする。夜は、年齢をごまかしてストリップ劇場やキャバレーで歌った。「お客さんは踊り子さんやホステスさんが目的だから、僕は邪魔。指で弾いた火がついたままのたばこがビーンッて飛んでくる。それを素早くよけるのが、ずいぶんうまくなりました(笑)」「坊主、レコード買ってやるよ」と呼ばれて行くと、いきなり酒を頭からかけられる、というような日々が続く。しかし、チャンスは突然やってきた。転機はデビューの3カ月後。演歌からポップスに転向した野口の2枚目のシングル『青いリンゴ』がスマッシュヒットを飛ばす。スターダムに上りつめるきっかけだった。「正直、思い出したくない過去もある。それでも50年、歌い続けている。これは奇跡。ファンや仲間の支えがあって、ずっと『この思いを届けたい』という信念があったから、できたんじゃないかな」少しホッとしたような表情で語った野口。50年目の今も、彼の声のキーは、デビュー当時から全く変わらない。今も、そしてこれからも、美しく伸びやかな高音を響かせ続ける――。「女性自身」2020年5月12・19日合併号 掲載
2020年05月09日常備菜いらず! 朝30分間だけで、パッと手際良く、簡単につくれる「時短弁当」のおかずレシピをご紹介します。まずは、人気ママ料理家の野口真紀さんのご飯の上におかずをのせる「のっけ弁当」から。子どもが大好きなのに簡単にできるおかずがいっぱい。毎朝、時間のない中で仕上げるお弁当をもっと手軽に、もっと素敵なものにするママ料理家の技ありテクニックが満載です!野口真紀さんの「のっけ弁当」「ご飯の上におかずをのせてしまうのっけ弁当は、おかずの汁気をご飯が吸ってくれるので、液漏れ知らずだから持ち運びも安心。私も娘のために、毎朝つくっています。お弁当の詰め方をちょっぴり難しくしているのは、実はご飯の存在。詰め方のコツさえ覚えてしまえば、ママもラクチンなので、とにかくおすすめなんです。」(野口さん)時短弁当 おかずレシピ_01〈春キャベツの肉巻き〉シャキシャキ感とジューシーさが楽しいハーモニー。手軽ながらもボリューミーで、ご飯が進むひと品![材料] 大人1人、子ども1人分・キャベツ……4枚・豚肉(薄切り)……8枚・片栗粉……適宜・油……少々[A]・醤油……大さじ1・みりん……大さじ1・酒……大さじ1・砂糖……大さじ1/2[つくり方]1.キャベツは半分に切って、耐熱皿に入れる。ラップをし、電子レンジ600Wで3分加熱する。2.豚肉を広げ、ぎゅっと丸めたキャベツを手前に置いてしっかりと巻く。全体に片栗粉をまぶす。3.フライパンに油を熱し、2の巻き終わりを下にして、転がしながらこんがりと焼く。混ぜ合わせたAを入れ、全体に絡める。時短弁当 おかずレシピ_02〈ウインナーのケチャップ炒め〉いつものウインナー炒めにケチャップをプラスして子どもがさらに大好きな味に。彩りもUP![材料] 大人1人、子ども1人分・ウインナー……4本・ケチャップ……大さじ1・オリーブオイル……少々・チーズ(子ども用)……お好みで時短弁当 おかずレシピ_03〈菜の花のゴマ和え〉ほろ苦い菜の花とゴマの甘みがベストマッチ。和えるだけで簡単にできる、箸休めおかず。[材料]つくりやすい分量・菜の花……1束・白すりゴマ……大さじ2・砂糖……小さじ1・醤油……小さじ1[つくり方]1.菜の花は塩(分量外)を入れた熱湯で茹でてザルに揚げ、冷めたら絞って水気をよく切る。半分に切る。2.ボウルに、ゴマ、砂糖、醤油を混ぜ、1を入れて和える。時短弁当 おかずレシピ_04〈うずら卵のめんつゆ煮〉味が染み込んだ、栄養たっぷりのうずらの卵。水煮を使うので、すぐにつくれる超時短レシピ![材料]大人1人、子ども1人分・うずら卵の水煮……6個・めんつゆ……適宜[つくり方]小鍋に、うずら卵とめんつゆを入れて、中火で約5分煮る。あら熱が取れてからお弁当に入れる。絶対にキレイに収まる!のっけ弁当 おかずの詰め方のコツお弁当全体が平面ではなく、立体的になるようにおかずを詰めていくとよい!step.1まず、主菜の「春キャベツの肉巻き」の位置を決める。何が入っているかわかるように、正面に断面を見せる。奥から立てかけるように、手前に詰めていくとバランスがいい。step.2「野菜をたっぷり食べてほしいから、野菜の位置も重要!」と野口さん。次に「菜の花のゴマ和え」を入れる。菜の花がふわっとするように、奥側から詰めていく。step.3次に「ウインナーのケチャップ炒め」を詰める。お弁当のスペースを占める割合が、2の「菜の花のゴマ和え」よりもやや少なめになるようにすると好バランス。step.4最後、余ったスペースに「うずら卵のめんつゆ煮」を入れる。うずら卵にピックを刺せば、食べやすくなるだけでなく、見た目の可愛さも倍増します!教えてくれた人野口真紀さん料理雑誌の編集者を経て、料理研究家の道へ。簡単ながら、栄養や健康に配慮した家庭料理や、センスの良いスタイリングに定評がある。著書「きょうのごはん」(主婦と生活社)シリーズが人気。recipe & styling/Maki Noguchiphotography/Aya Sunahara
2020年04月03日3年前、小学5年生のときから一緒に、解決策を考えてきたUpload By 発達ナビ編集部発達障害がある音娘(いんこ・仮名)さんは、公立の中学校に通う中学2年生です。3年前から、LITALICO研究所所長・野口 晃菜(以下、野口先生)と一緒に「どんなことに困っているのか」「どうしたら解決できそうか」を考えてきました。野口先生と音娘さんが出会ったのは、小学5年生のときのこと。野口先生が訪問した小学校の校長先生に紹介されて出会いました。それ以来、毎月1回、音娘さんとお母さま、野口先生の3人で会って「今困っていること」を整理し、「どうしたらいいのか」一緒に考えています。たくさんのこだわりの背景にある要因や、そのこだわりのために彼女自身が困っていることを丁寧にひもとき、自分自身で「どうすればいいのか」を導き出せるように対話を続けます。生きづらさを抱えながらも自分の思い描く未来に向けて、支援者と一緒に考えながら少しずつ足を踏み出そうとする姿は、発達障害があるお子さんや保護者、そして支援者にとってもヒントとなりそうです。今回は、野口先生が音娘さんにインタビュー。こだわりや苦手なもの、その背景にあるもの、見出した解決策について、発達ナビにシェアしてくれました。たくさんの苦手なこと、その理由とは?音娘さんなりのライフハック方法もUpload By 発達ナビ編集部野口先生音娘さんには、どうしてもイヤだなって思うものがあるんだよね。例えば、特定の数字や、嫌なことが5回続くこと、日没の時間、冬…。イヤなことやものの理由、どういう風に対処しているのかを話してもらえるかな?まず、嫌いな数字から聞いてもいい?音娘さん24と58が嫌い。昔、24日に嫌なことがあってから24が苦手になった。24日が来ると逃げたくなる。日にちだけじゃなくて、24分も嫌い。24て数字は、「しつこい人」に見える。野口先生へー、しつこい人に見えるんだ! 24への対処法も見つけたんだよね?どういう風にしてるのかな?音娘さん24分がくるときは、時計をかくす。あとは、(24分って考えずに)23分60秒って考えて、それから15秒間息を止めて、23分75秒までタイムトリップするの。24分を秒単位まで分解して、(24分がまるまる全部あるんじゃなく)最初の15秒をカットする。24分45秒までしかない、24分は3/4しかないって考えると、イヤな感じがちょっと減る。でも、タイムトリップ中にメール受信とかをしちゃうとイヤな気持ちになる。受信履歴に24分の時間が残るのもイヤ。時計をカスタマイズできたらいいのに…。23分75秒のつぎに24分15秒がくるように。それから、58も嫌い。58分も、24分と同じ風にしてやりすごしてる。58は「声が甲高いおばさん」に見える。数字を見ていると、おばさんの声がして、細かいこと注意してくるからイヤ。朝起きて、着替えとか朝ごはん食べたりするほかに、ペットのインコに餌をあげるんだけど、インコを起こす時間や餌やりは気に入った数字(7時55分)のときにしたいし、嫌いな数字(24分や58分)の時は目をつぶって息を止めてやりすごすから、タイミングが難しくて、いつも遅刻しちゃう…。野口先生でも嫌いな数字は(秒単位に)分解して考えることでイヤな感じを減らせるようになったんだね。これは音娘さんが自分で考えた「ライフハック(生き抜くための術)」だね。Upload By 発達ナビ編集部音娘さんは、他にも「イヤなことが5回続く」のはイヤなんだよね。音娘さんうん。学校に連続5回行くのがイヤ。野口先生だから、一週間は、月・火・水・木・土・土・日、っていう風に考えているよね。曜日についての考え方をかえることで、対処してるんだね。音娘さんそう。LITALICOの人って、土曜日も働いてて大変だね。イヤなことが連続するのがイヤだから、電車に乗っているときも、急行に乗って、5駅飛ばすのもイヤ…。野口先生音娘さんは、冬も嫌いだから、冬眠したいんだよね。先生にも毎年「冬眠券」くれる。(注:音娘さんは毎年「冬眠券」をつくり、LITALICOのスタッフなどに配ってくれます。これを枕の下に入れて寝ると冬眠できるという設定です)Upload By 発達ナビ編集部音娘さん11月30日から3月5日までは冬だから冬眠する。5年前にひどい風邪をひいてずっとなおらなかったのがイヤで。寝込まないためにはどうしたらいいんだろう?って考えたとき、「冬眠すればいいじゃん」って思いついて。でも、それから毎年冬眠に挑戦するけど、どうしても次の日に目が覚めちゃう…。でも、冬眠しているって設定で…野口先生お、「っていう設定で」って初めて聞いた。これまでは「冬眠」することが音娘さんにとって当たり前って話し方をしていたけど、それを「設定」って捉えるようになったんだね!Upload By 発達ナビ編集部冬眠に毎年チャレンジするものの、挫折が続いた音娘さん。今年は「冬眠か安眠を選べる」設定にして、少しずつ折り合いをつけられるようになっています!将来に向けての不安Upload By 発達ナビ編集部中学2年生の音娘さんは、そろそろ中学卒業後の進路についても決めなくてはいけない、というプレッシャーを感じています。日々の生きづらさに加えて、将来の仕事までを見据えた進路選びへの不安は、彼女の心をしめつけているようです――。音娘さん将来のことが不安。将来の仕事を考えて進路を考えろって言われるから、仕事を決めないといけないし、ぼーっとしているとそれで一日が終わっちゃうから。何か決めたら頑張れるのかなって思うけど、明日から何したらいいか分からない。お母さま発達障害があると、将来のことを考えて高校選びしましょうって言われがちで。どんな専門性を身につけたらいいのかって…。娘は(それを生真面目にとらえてしまって)不安になっている面があるのではと。Upload By 発達ナビ編集部野口先生そんなに将来の仕事のことを今から心配しなくてもいいと思うよ。今幸せならきっと将来も幸せだと思う。どんな風だったら楽しいか考えてみよう。音娘さんチェックのスカートに胸元リボン、ブレザーの制服の高校に行ってみたい。かわいいヘアゴムで髪を結びたい。野口先生先生はアメリカの高校だったから、高校生のときに髪を染めて学校に行ったよ。先生は「アキナ、クール!」って褒めてくれた(笑)音娘さんいいな。今の学校は飾りのないゴムじゃなきゃダメだよ…。有名ブロガーになってブロガー会を開きたいUpload By 発達ナビ編集部たくさんの生きづらさを感じている音娘さんですが、自分で決めた「がんばりたいこと」があります。それが、ブログで有名になって、ブロガー会に出たいという目標。でもなかなか難しいことにも気付いているので、「それならば自分で会を開こう」と心に決めます。野口先生音娘さんは、ブログをやっているよね。どんなブログか説明してもらえますか?音娘さん「インコと住む日々」っていうブログ。基本は、インコについて書いてる。ブログにイラストを書きたくて、ペンタブも使えるようになった。参考:インコと住む日々野口先生音娘さんは、ブロガー会を開きたいんだよね?音娘さん有名ブロガーになると、選ばれた人しか出席できないブロガー会に招待されると知って、「いいなぁ」と思って会場になったホテルの外まで行ってみたことがある。(まだ自分には参加できる権利はないから)自分で企画してLITALICOの人を招待して会を開いてみたいなぁと思って。それを開きたいから、今年は冬眠をしないでおこうかって思ったりもする(注:取材時は11月)。でも、会を上手くできなかったらどうしようと思って不安になってる。野口先生じゃあ、どうすればいいか、整理してみようか。Upload By 発達ナビ編集部今年度、音娘さんは会を開くことができるのでしょうか。でも、挑戦しようと思うその気持ちも、大きな成長だと感じます。試行錯誤しながらも、前に進もうとする姿Upload By 発達ナビ編集部どうしても気になってしまうコトやモノ…たくさんのこだわりや苦手がありながらも、どうにか折り合いをつけられる方法を見つけ出し、ライフハックを試みながら成長していく音娘さん。まだお母さんと片時も離れられなかったり、がんばりすぎて呼吸ができなくなって具合が悪くなってしまったり…、困りごとはたくさんあるけれど、「好きなこと」を手掛かりに、少しずつ世界を広げていこうとしています。音娘さんとの対話を3年間続けている野口先生は、次のように話します。「音娘さんと出会ったとき、嫌悪感や不安な気持ちを音娘さんに抱かせる刺激、出来事の多さにびっくりしました。毎分毎秒嫌悪感や不安と向き合っていることを教えてくれ、その中でどうやって過ごしていくか?をこれまで一緒に考えてきました。出会ってからの大きな変化は二つあります。一つは好きなことややりたいことが増えたことです。好きなブロガーのブログを読むこと、ブログを書くこと、LITALICOに来ること、LITALICOで出会った先生たち、プログラミング。好きなことをしているとき、好きな人と話しているとき、好きな場所にいるときは、これまで毎分毎秒一緒にいた不安や嫌悪感を少し忘れることができると分かりました。そして、もう一つは不安や嫌悪感との付き合い方です。今回教えてくれたように、音娘さんなりの“ライフハック”がたくさんあります。不安や嫌悪感について、どう折り合いがつけられそうか?どう対処できそうか?をこれまでたくさんお話ししました。音娘さんの対処方法は本当にクリエイティブで私も自分が不安なときに使わせてもらっています。」野口先生と一緒に、丁寧に困りごとを整理し、どういう風にすればいいのか自分で考え、日常のなかでその「ライフハック」を試していく姿は、不器用だけれども一生懸命で、彼女のペースでゆっくり歩んでいってほしいと心から願わずにはいられませんでした。たとえ難しくても自分自身の中に「解決のための答え」はきっとある。そこに丁寧に寄りそい、一緒に考えるプロセスこそ、周りの大人が大切にしなくてはいけないのです。そしてまた、思春期らしい悩み――音娘さんが、将来への不安、進路選びでの不安を抱える様子からは、試行錯誤しながらゆっくり成長していく発達に課題がある子どもたちに、将来の仕事を決めてそこにむけてまい進するよう、早々に求めてしまう今の社会の側の課題も感じられました。撮影/鈴木江実子
2020年01月06日アルピニスト・野口健(46)が12月12日、Twitterで環境活動家のグレタ・トゥーンベリさん(16)を非難した。ネットでは賛否が分かれている。同日、Twitterにある記事を投稿した野口。そこには、グレタさんが電車に乗って食事をする様子が掲載されていた。そして、こうツイートした。《あれ?電車に乗っていらっしゃるのかな?飛行機が× という方はもちろん車も× だろうし、てっきりヨット以外は馬車でご移動されていらっしゃるのかと想像をしていましたが…》CO2の排出量が多い飛行機の利用を批判しているグレタさん。12月に開かれた「COP25」に参加する際、ヨットで大西洋を横断したことが話題を呼んでいた。飛行機での移動に否定的なグレタさんに、「馬車で移動しているのかと思った」とつづった野口。そのツイートは“CO2を一切排出しない移動方法”を選択しなかったグレタさんを皮肉っているようだ。Twitterでは野口の投稿に《自力で歩け、自力で泳げって話ですな》《グレタさん、お家から出なければいいんじゃないですかね》といった声があがるいっぽう、《山に人が登らなければ、山は汚れない。って話になっちゃいますよ》《野口健は「グレタさんが乗らなくても電車は走る」という事実を知らないらしい》と否定的な声も上がっている。「同じ区間を移動する場合、飛行機に比べると鉄道を利用するほうが乗客1人当たりの排出するCO2の量が数分の1で済むというデータがあります。ドイツやオランダには、電車に乗るよう促す政府の取り組みもあります。移動手段を選ぶのは、手の出しやすい環境活動の一つ。グレタさんはそれを実践したのでしょう」(環境ジャーナリスト)グレタさん自身にも葛藤があるのかもしれない。ハフポストによると毎週金曜日に学校をボイコットしているグレタさんは6日、「子供達が学校を休んでストライキをすることは、持続可能な行動ではありません。続けたくありません」と語ったという。この発言から、行動と現実の狭間で揺れていることがうかがえる。「環境問題に取り組もうとしている人も現代社会に生きている以上、すべてのCO2を排出するものと距離を置くことは難しい。葛藤しながら『少しでも減らしたい』と頑張っています。野口さんの言う“飛行機がダメな人は電車もダメ”という考えは、そうした環境問題に取り組もうとする多くの人を委縮させてしまうのではないでしょうか」(前出・環境ジャーナリスト)03年4月にブログで「一筋縄にいかないのが環境問題」とつづっている野口。「原子力は絶対悪」と唱える知人の発言に、日本のエネルギーの現状を省みながら「本当にそれでいいのか」と苦悩したことを明かしていた。また18年12月、朝日新聞の取材で温暖化対策について「一人ひとりが自分に見合ったペースで実践すれば良いのです」とも語っていた。しかしグレタさんの葛藤を想像し、彼女が“自分のペース”で行動していると捉えることは難しいようだ。
2019年12月13日つい先日『カルミナ・ブラーナ』という大作を世に送り出したばかりの熊川哲也が、早くも次なる新作を発表する。プッチーニのオペラ『蝶々夫人』を全幕バレエ化する『マダム・バタフライ』だ。『カルミナ・ブラーナ』がBunkamura開業30周年記念公演なら、こちらはKバレエ カンパニーの20周年記念公演。本日9月27日に東京・オーチャードホールで幕を開けたあと、10月10日(木)からは東京文化会館 大ホールでも公演を行う。過去には『カルメン』でもオペラのバレエ化に挑んだ熊川。その時はオペラの物語に忠実に沿う形だったが、今回は肉付けを施すと言う。開国まもない長崎で、遊女見習いのバタフライと米兵ピンカートンが出会い、つかの間の結婚生活を送る……という骨子はそのままに、ピンカートンのアメリカ時代や、彼がバタフライを見初めた過程などを追加。アメリカのシーンではドヴォルザークの音楽も使うなど、演出・振付・台本をひとりでこなす、熊川ならではの手法で悲恋物語を描き出す。舞台美術を手がけるのは、オペラやミュージカルでも多くの実績を持つダニエル・オストリング。西洋で生まれた日本が舞台のオペラを、日本人振付家が西洋人デザイナーとともに、西洋の踊りであるバレエで表現する本作。和と洋がどのように融合するのかにも注目だ。文:町田麻子
2019年09月27日50歳を超えても宇宙へ行ける人の生活ってどんなだろう――。“野口さん54歳で3度目の宇宙へ”というニュースを聞いて、ふと浮かんだ疑問。本人に直接聞いてみると、意外な答えが返ってきました。「幼いころから僕の『宇宙飛行士』という仕事を理解して育ってきた3人の娘たちは、日ごろから『お父さん、また宇宙に行きたいんでしょ?』と言ってくれていて。3度目が決定したときも『本当によかったねと全員が喜んでくれました』JAXA(宇宙航空研究開発機構)東京事務所の一室で、やわらかな笑顔を浮かべて話すのは、宇宙飛行士の野口聡一さん(54)。’05年にアメリカの「スペースシャトル」。’09年にロシアの「ソユーズ」と2度、宇宙船に乗り、地上から約400キロ離れたISS(国際宇宙ステーション)に滞在して任務を行ってきた。そして’20年に予定されている「3度目」では、日本人として初めてアメリカの民間機に乗り、ISSに向かう。「フライト・エンジニアとして、日本の宇宙実験棟『きぼう』を含む各施設の保全や科学実験など行う予定です。東京オリンピック聖火リレーのスペース・アンバサダーも務めるため、日程が重なれば、宇宙から中継で声援をお届けできるかもしれません」日本人最年長で来年のミッションに挑む野口さん。前回の’09年から約10年間で体の変化も感じているという。「宇宙で45歳の誕生日を迎えた前回は伸び盛りでしたが、54歳になったいま、筋力や動体反射などは劣ってきたかもしれません」それでも宇宙飛行士は「つねにチャレンジの日々」だと語る。「この職業の特徴は、ベテランでもずっと試され続けること。たとえば、ロボットアームの操縦や船外活動の訓練でも、新人と同じテストをさせられます。『若いころは上手だった』ではいけない。つねに『今が全盛』でなければいけないんです」体が衰えていようと、若手と同じ「オーディション」を通過しなければいけないとは、なんとも厳しい世界。しかし、野口さんは、「それがベテランの挑戦」だと力を込めて語る。その「50代の挑戦」は「なにも新しいことを始めなければいけないわけではない」そうだ。「今までできたことを『今日できるのか』と確認することもまた、挑戦だと思うんです。『自分は今、なにができるのか、まだ走れるのか、宇宙船を操縦できるのか……』と、“現在進行形の自分”を確かめる。自分の能力や置かれた環境をある時期に見直して、また構築することは大事だと思う」こうして、今も宇宙飛行のトップランナーでいる野口さん。挑戦し続けるために、日々の生活でもっとも大事なのは、「継続できる生活リズムを作ること」だと、野口さんは、’05年の最初の宇宙飛行での出来事を振り返る。「最初のフライトは直前の’03年にスペースシャトル・コロンビア号の事故が起き、無期限の延期に。僕は最終的に2年半、待つことになりました。今回の3度目も当初は今年中にフライトするといわれていましたが、計画が遅れていて、出発は早くても’20年です。でも、『いつ呼ばれるかわからない』という状況でも、宇宙飛行士はフライトに向けて、準備し続けなければいけません。数カ月しか維持できない無理な生活で、延期になったら燃え尽きてしまうようでは務まらない。モチベーションは数年単位、さらにいえば、いつまでも保ち続ける必要がある。そのためにも、継続できる生活リズムが大切なんです」長年の「準備しながら待ち続ける」という経験が、今の自分の糧にもなっているという野口さん。さらに、私たちにも「継続できる生活リズム」は役立つのではないかという。「旦那さんが不規則な仕事時間だったり、お子さんが受験を控えていたり……そんな場面が、どこかでおとずれるでしょう。そんなとき、夜遅くまでとか、朝早起きしてとか、“今”頑張っている旦那さんやお子さんに合わせることは素晴らしいことですが、家族全員が無理して総崩れになってしまわないように、自分の生活サイクルを守り、息を抜くことも大事だと思います。たとえば。僕の家族もそうでしたが、子どもの受験で大事なのは、『直前の3カ月』だけではないですよね。僕は大学受験で浪人した経験がありますが、受からなかったら、また1年、勉強の日々が続く。3月で燃え尽きてしまうわけにはいかない。そうしたとき、子どもはもちろん、僕たちもサポートし続けるために、無理のない生活サイクルを持ったほうがいい」そして、「それは僕を支えてくれている妻も同じ」だという。「妻は献身的に支えてくれてきていますが、彼女の生活もありますので、『できないことはできない』という割り切りも持っていると思う。夜遅くまで待っていることを、僕も期待しないですし……。きっと妻も『このペースなら乗り切れる』というリズムをしっかり持っているんじゃないかな」野口さんは今、妻と3人の娘の心からの「よかったね」の言葉を胸に、準備を重ねている。
2019年09月21日フリーアナウンサーの宇垣美里と俳優の別所哲也が17日、都内で行われた「Amazon Bar~Tasting Fest~」記者発表会に出席した。同所は東京・天王洲にあるキャナルエリアに、明日18日から23日までの6日間限定でオープンする完全予約制のポップアップバー。Amazonで販売されているビール、日本酒、焼酎、洋酒など約720種類が用意されている。お酒は大好きだと言う宇垣は「友達との女子会でもお酒は欠かせない。和食は日本酒、イタリアンはワインなど食事にあわせてお酒を選ぶのも大好き」とご満悦な様子。高級ブランド「サルヴァトーレ・フェラガモ」の赤ワインを試飲すると「エレガントな気持ちになります」とうっとりとした表情を浮かべた。宇垣は、別所が1人でお酒を飲む際は、「カウンターバーで、1人で飲む時もある」と話すと、「大人~」と関心した様子で、別所から「今度ぜひご一緒に」と誘われると「ぜひ大人の一歩、歩いてみたいと思います」と満面の笑みで応じていた。
2019年09月17日熊川哲也が英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルとして活躍後、Kバレエ カンパニーを設立したのは1999年のこと。古典作品を独自の視点で演出した作品群のほか、稀有なダンサーである熊川の審美眼によって創り出される意欲作も、Kバレエの魅力だ。2014年にはオペラ原作の『カルメン』、2017年には台本や音楽などすべての構成を担当した『クレオパトラ』を世界初演。毎日芸術賞特別賞を受賞するなど、高い評価を得ている。そして今年、カンパニー創立20周年を迎えた熊川が次に挑戦するのは、オペラ『蝶々夫人』の全幕バレエ化だ。都内で行われた制作発表に足を運んだ。【チケット情報はこちら】物語は明治時代、開国間もない頃の日本で展開する。長崎の武家に生まれたバタフライ〔蝶々〕(矢内千夏、中村祥子、成田紗弥のトリプルキャスト)は、家が没落したことで、今では遊女見習いとして遊郭にいた。その頃、海軍士官としてアメリカから赴任してきたピンカートン(宮尾俊太郎、山本雅也、堀内將平のトリプルキャスト)は、たまたま訪れた遊郭でバタフライと出会う。可憐な一輪の花を思わせるバタフライに惹かれ、ピンカートンは港を見下ろす邸宅に彼女を住まわせることにする。ピンカートンに一生を捧げるものと信じて、嫁入り道具や父の形見の短刀を携えやってきたバタフライだったが……。会見では熊川と矢内、中村、成田、そしてピンカートン役のほか本作では振付補佐も務める宮尾が登壇。 和と洋が融合する新たなバレエの舞台を、今まさに制作中という熊川は、「自分自身に“必ず成功する!”と言い聞かせているところ」と笑わせながらも、「非常に悩みましたね」とクリエイティブの苦労を明かす。「我々ダンサーは“アウト”(身体や脚を常に開くバレエの基本)にするという西洋の伝統を受け継いできたわけで、対照的な日本の“イン”の動きを同時にするのは、やはり難しい。なので、日本的な要素はスピリットなものに込めようと思っています」と熊川は語る。その“イン”の象徴ともいえるバタフライ役の矢内は、昨年プリンシパルに昇格したばかり。「日本人だからこそ感じ取れる心情はあると思うので、そこを大切に演じたいです」と真剣な面持ちだ。一方、同じバタフライ役でも、ベルリン国立バレエ団やハンガリー国立バレエ団でプリンシパルの経験を持ち、スケールの大きさが魅力の中村。「自分と一致する部分があまりないので大変ですね」と笑いつつ、熊川の振付には「いつも感銘を受けています」と新たな挑戦を楽しんでいる様子だ。また注目のホープ、成田は「国籍や身分の違いも超える愛を、ステップや音楽に乗せて演じられたら」と初々しく語った。「バタフライが物語でどう見えるかを考え、客席からブーイングが起きるほどのピンカートンにできれば」と話す宮尾ともども、意気込みは充分。Kバレエならではの『マダム・バタフライ』の誕生を、今から楽しみに待ちたい。9月27日(金)から29日(日)までオーチャードホール、10月10日(木)から14日(月・祝)まで東京文化会館大ホールにて上演。取材・文/佐藤さくら
2019年08月01日