2021年3月26日 19:30
テレビ越しに伝わる母国の惨状。遠くても、遠いから、できること #これから私は
2011年3月11日。私たち家族は、夫の当時の赴任地であったイギリスにいました。イギリスと日本の時差は9時間。私たちは朝起きて初めて震災のことを知ったのです。国外にいて知る日本の惨状は、それだけで大変な衝撃と葛藤を生みました。
ニュースで繰り返し流される日本の映像
震災発生以来、現地のテレビでは日本の様子が連日報道されることに。上空から撮影された押し寄せる津波、がれきの前でたたずむ人々、煙をあげる原子力発電所、一日中流れるこれらの映像に言葉も出ないほどの衝撃を受けました。
そしてそれが自分の国で今まさに起きている現実なのだとはにわかには受け入れられず、当時2歳の娘を抱きながら夫と無言のまま、ただ呆然とニュースを眺める日々が続きました。
寄り添ってくれた近所の人たち
震災のニュースに心を痛めていたのは、日本の人だけではありませんでした。職場や学校などで、私たちが日本からきていることを知っている人たちみんなが心配し、お悔やみの言葉をかけてくれたのです。ある日近所の市場に出かけると、たまたま居合わせたおじいさんに「日本の方ですか?」と声をかけられました。
その人は「ニュースで見ました。ひどい。本当にひどいことです」と穏やかに言って、そしてやさしく娘の頭をなでてくれました。見ず知らずの人さえも私たちの悲しみに寄り添ってくれたような気がして、10年経った今でもよく覚えています。
遠くても、遠いから、できること
日本が大変なときに日本にいられないという状況は、当時国外にいた日本人の多くが歯がゆさを感じていたように思います。また、震災によって命の危険にさらされたわけでも、生活の不自由さを経験したわけでもありません。こうした思いは、ある種の後ろめたさにもつながりました。
しかし、そんななか多くの人が震災関連のサポート活動に立ち上がっていったのです。私の周りでも、地元の小学校のケーキセールや手作りの折り鶴を加工したストラップなどを販売して、売上金を支援団体に寄付する活動がありました。
震災時に日本にいなかった私たち家族は、当時の国内の雰囲気を共有していません。そのことに後ろめたさを感じるときもあります。しかし国外にいたからこそ、日本人以外の人が同じように心を痛めてくれていたこと、手を差し伸べてくれていたことなどを感じることができたのも事実です。