<杉山愛さん独占取材#2>苦しかった不妊治療…「ダメでもいいじゃない」母の言葉が救ってくれた
それは、女性のほうが検査数も多いし、やらなきゃいけないことも多い。そして、最終的に出産するのも女性ということを考えると、かかる負担がかなり大きいと思ってしまいます。そういうのを理解していてくれていたのか、主人は常に寄り添ってくれていましたね。送迎をしてくれたり、一緒に喜びや悲しみを分かち合ってくれたり……。このときは、主人の存在は何にも変えられないものだと感じました。ただ、だからこそ、主人は人工授精に失敗し続け、最後の挑戦となる体外受精を、母のように簡単に「やってみたら」と言えなかったんだと思っています。
ー協力的なパパで杉山さんへの愛情をすごく感じます。パパも子どもが欲しいと思っていたのでしょうか?
杉山さん:子どもに関しては、私のほうが欲しかったんです。
主人はどちらでもいいというスタンスでした。いつも「2人でいるのも楽しいし、子どもが欲しいから家族を築くために結婚したわけではない」ということを言っていましたが、「もし子どもができたら、楽しいことが増えるね」というスタンスでしたね。
ー誰よりも理解してくれて、心身ともに支えてくれたのですね。行動力がとても素敵です。
杉山さん:はい。最初から最後まで本当に支えてくれていたので……。今でも主人には、とても感謝しています。
ーそれでは、不妊治療を経験したからこそ、伝えたいメッセージは何かありますか?
杉山さん:36歳で結婚し、これまで選手として17年間酷使してきた体と向き合ったときや、年齢を重ねるにつれて妊娠することが簡単ではないという現実を突き付けられたとき、ものすごく苦しかったんです。
これって、学校では習わなかったですよね? なので、妊娠は年齢が上がれば上がるほど、難しくなるという現実を知っておくというのは、性教育の上でも大事なことだなと感じました。自分の人生を選択するとき、キャリアも大事、プライベートも大事というなかで、知っていての選択だったらいいと思うんですが、私みたいに知らずにここまで来た人間からすると、知識として知っているか、知らないかはかなり大きいと思うんですよ。なので、こういう現実があるというのを伝えていくことは、大事なことだと思っています。
今回は、苦しかった不妊治療の経験をお話ししてくれました。