子育て情報『#19 清水の舞台から、嵐の中へダイブ!』

#19 清水の舞台から、嵐の中へダイブ!

それは私も同じです。私はたまたま男性だけでなく、男性のような女性も好きになりますが(女性らしい女性を好きになったことは、まだありません)、「女を好きになろう」とか「男を好きになろう」とか思っているわけではなく、たまたまいいなあと思う人が、男だったり、(一応)女だったりするのです。セクシャリティは、人が選び取れるものではない。この頃の私は、まだそのことには気づいていませんでした。

同性愛は禁忌だと考える家で育った私の “ホモフォビアの大嵐” と、麻ちゃんが時折投げつけてくる爆弾による “火炎地獄” 。それは戦いの連続でした。

ストレスはやがて身体に出るようになり、疲労も重なって目眩がひどく、平衡感覚を保てなくなりました。気がつくとビルの屋上から下を眺めていることもありました。
「子どもがいるのだから、なんとしても生きなくては」と思い、この頃は「生きてかないと」が口癖でした。

そうして何度も何度も考えるなかで、「私は麻ちゃんが好きで、麻ちゃんも私が好き。なのになぜ、これほど苦しまなければいけないのだろう」と思ったのです。まぁ、麻ちゃんが “爆弾魔” なのは置いておくとして、“ホモフォビアの大嵐” を起こしているのは、少なくとも私です。本当に同性愛とは “正しくない” ものなのか、少しずつ考えたのです。そして死ぬくらいなら真正面から向き合ってみよう、そんなやぶれかぶれな気持ちに至りました。

この時期、周りにいてくれた友だちには、感謝してもし尽くせません。相談や議論に何度も付き合ってくれて、時に堂々巡りを続ける私を、放り出さずにいてくれた友だちのおかげで、三歩進んでは二歩下がりながらも、理解を深められました。
長い長い時間をかけて、光射す方へ進み始めたのです。

やがて麻ちゃんの娘も、時折わが家に遊びに来るようになりました。子ども同士すっかり仲良くなって、「なんで今日帰っちゃうの?」というやり取りが繰り返され、麻ちゃんもまた、ファンヒーターの石油も買いに行けない私の生活力の無さに、半ば呆れて同居を申し出てくれました。なのにまだ “ホモフォビアの大嵐” から抜け出せていない私は、「ご近所の目が!」とか、「学校に言えない!」とか、心配性を爆発させて同居の申し出を断る始末。

でも同時に、いつのまにか麻ちゃんと娘がいない家の中は、静かで物足りないと感じるようになっていました。

お泊まりが増えていき、1泊が2泊になり、やがて同居となったわけですが、暮らし始めてみると、今度はステップファミリーとしての悩みが次々に浮上し、それからの人生、いつも大騒ぎでした。

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