日本人親子がパリで暮らせば 第24回 「クラスユーロ」と呼ばれる”英語強化クラス選抜テスト”に挑戦
最終合格者は30名ですから確率は2分の1です。
会話テストはひとりずつ教室に入り、数人の試験官の前に裏返しに置かれた数枚のカードの中から1枚を選び、そこに書かれたテーマについて生徒が数分間スピーチをするというやり方でした。
その後、さらに試験官からいくつかの英語での質問があり、すらすらと答えられるかどうかも試されました。
娘はラッキーでした。自分の趣味について語るというカードを引いたので、大好きな馬のこと、乗馬のことを話すことができたのです。
そうして、あれよあれよという間に、娘は最終の30人選ばれ、めでたくクラスユーロの仲間入りをすることになりました。これはひとえにシュタイナー教育のおかげ、7歳からコミュニケーションとしての英語を学んできたからこそ合格できたのだと思います。もっとも娘の場合はシュタイナー教育を受けてきたので、公立校では皆より2学年遅れで、このときは14歳になってなっていました。
合格したけれど……厳しい現実に直面!
4年生(日本の中学2年生。フランスでは学年が上がるごとに数字が小さくなる)になりクラスユーロの授業がはじまりました。英語の授業時間だけが通常クラスと強化クラスに分かれ、またクラスユーロだけは授業時間も1時間増えることになりました。
親友のジュリーとともにクラスユーロに入れた娘は、最初は喜んでいましたが、現実はなかなか厳しかったようです。
フランスは移民国家ですから、両親が英語圏の国(アメリカ、イギリス、オーストラリアなど)の生徒も大勢います。そういう生徒にとって英語は母国語になりますから、得意で当たり前。30人のうち、トップクラスの成績を取るのは常にこれらの生徒でした。
5年生のときは英語だけはクラスで一番だった娘ですが、クラスユーロに入った最初の学期から成績は急降下!20点満点で18点台だったのが、なんと7ポイントも落とし11点台にまでなってしまいました。
また、クラスユーロは特別プログラムとして英語劇の公演などもあり、演技力まで求められるので、外交的な性格の生徒がどうしても有利になります。パリ育ちとはいえ、控えめな日本人の娘は端役しかもらえず、ますます点数を下げる原因になってしまったのです。
それでも中学最終学年の3年生までは娘もクラスユーロの一員として、なんとか踏ん張りました。できる生徒はそのまま公立リセ(高校)