緑豊かなゴールデンウィークの日比谷公園で、大巻伸嗣、永山祐子、細井美裕によるアートインスタレーションが繰り広げられる「Playground Becomes Dark Slowly」が4月27日(土) から5月12日(日) まで開催される。「Playground Becomes Dark Slowly」は、東京都が実施している四季を通じた花と光の演出によって公園の新しい楽しみ方を提案する「花と光のムーブメント」に、「アート」を掛け合わせる新しい試み。山峰潤也がキュレーターを務め、「公園という都市の隙間の中で変化していく日の光を感じながら、自然への想像力を駆り立てること」をコンセプトに大巻伸嗣、永山祐子、細井美裕が、それぞれインスタレーションを展開する。日中は永山祐子の「はなのハンモック」を中心としたプレイグラウンドが第一花壇に登場。夜の草地広場では大巻伸嗣の「Gravity and Grace」が幻想的な光を放ち、また園内各所には、細井美裕が日比谷公園の音を収集し、再構築したサウンドインスタレーション「余白史」が設置され、一日を通して公園での新たなアート体験を楽しむことができる。大巻伸嗣「Gravity and Grace」(“Art Fair Philippine 2019” “10 days of Art” Manila city, Philippine, 2019)大巻伸嗣による日比谷公園のためのスケッチ永山祐子建築設計「はなのハンモック」CG パース細井美裕「余白史」(サウンドインスタレーション)作品イメージ4月27日(土)、5月4日(土・祝)、5月11日(土) には、光の粒を携えた花一輪を来場者自らが心字池の水辺に浮かべ、「花と光の群像」を作り出す永山祐子によるワークショップイベント「はなの灯籠」も開催。会期中の土・日・祝には、キッチンカーの出店も予定されている。永山祐子建築設計「はなの灯籠」CG パース<開催概要>「Playground Becomes Dark Slowly」会期:2024年4月27日(土)~5月12日(日)会場:日比谷公園時間:9:00~22:00入場:無料・予約不要公式サイト:
2024年04月25日スターツおおたかの森ホール主催『仲道祐子の音楽物語〈ガリバー旅行記〉』が2023年7月8日(土)にスターツおおたかの森ホール(千葉県流山市)にて上演されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にて4月25日(火)より発売です。カンフェティにて4月25日(火)10:00よりチケット発売 公式ホームページ 冒険好きのガリバーが海を渡り、たどり着いたのは小人の国や巨人の国。さらに日本も訪れてしまった、ワクワクでいっぱいの旅行記。カラフルなイラストを映しながら、仲道祐子のピアノ演奏と、楽しいお話で物語りが進んでゆく、目と耳で楽しむ親子のためのコンサートです。自由に、思いきり想像をふくらませて、お楽しみください。公演概要『仲道祐子の音楽物語〈ガリバー旅行記〉』日時:2023年7月8日(土)15:00開演(14:30開場)会場:スターツおおたかの森ホール(千葉県流山市おおたかの森北1-2-1)【第一部】童話「ガリバー旅行記」仲道祐子(ピアノ)&桂幾子(語り)作曲 新田祥子イラスト オノマリコ【第二部】ピアノミニ・コンサート仲道祐子◆メンデルスゾーン: ロンド・カプリチオーソ◆田中カレン:「愛は風にのって」よりラム酒の樽・淋しい料理人・黒いタートルネック・笛吹きと縄文土器・愛は風にのって◆アーロン・コープランド:ユーモリスティック・スケルツォ - 猫とねずみ◆ショパン: スケルツォ 第2番 作品31(※曲目は変更になる場合があります)■出演童話「ガリバー旅行記」仲道祐子(ピアノ)桂幾子(語り)■主催スターツおおたかの森ホール指定管理者MORIHIBIKU共同企業体代表団体アクティオ株式会社■チケットカンフェティHP・TEL 4月25日(火)10:00発売開始前売・当日とも 一般2,800円3歳~小学生1,500円(全席指定、税込)※2歳以下の入場はできません。※お一人様6枚まで。※別途、各種手数料(発券手数料など)がかかります。※車いす席については、スターツおおたかの森ホールにお問合せください。■備考・新型コロナウイルス感染症対策の状況により、販売方法等を変更する場合があります。・お客様都合によるチケットの変更・返金はお受けできません。・最新情報は随時HPにてお知らせいたします。■ご来場のお客様へ・ご来場前に体調を確認し、発熱等のある方はご遠慮ください。■お問合せスターツおおたかの森ホールチケットセンター04-7186-7638(8:30~22:00)※受付時間は変更になる場合があります。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年04月21日【前編】浪曲に魅せられ、空襲を生き延び…99歳の曲師・玉川祐子の半生から続くニコニコと「みかん持っていきな」と食べ物を渡してくれる玉川祐子さん。だが、舞台に上がれば表情もキリリと締まる。三味線を手にする小さな体からは、「イヨーーーッ!」と腹に響く掛け声が。浪曲ーー。「浪花節」とも呼ばれる日本の伝統話芸だ。同じ話芸でも、それぞれ1人で舞台を務める講談や落語と違って、こちらは「語り」を担う「浪曲師」と、それを盛り上げる三味線の「曲師」、2人で芸を作り上げる。今回の主人公は曲師の祐子さん。なんと99歳で、現役最高齢の曲師なのだ。戦前、一世を風靡した浪曲にあこがれた祐子さんは「1人死んだと思って」と父に頭を下げ、飛び込んだ東京で大人気に。2度の結婚、わが子の夭逝、空襲……あらゆる困難を、持ち前の行動力で乗り切った。私は幸せ、と人生を振り返ってそう言い切った祐子師匠に、戦後の活躍を振り返ってもらった。■1度目の結婚では、夫の暴力に耐え続けた同じ師匠に師事していた男性・理一郎さんと結婚し、戦後には4人の子宝に恵まれた祐子さんだが、悩みの種が。それは、嫉妬深く気性の荒い夫の暴力だ。「私も聞かないほうだから、口答えする。すると夫は棒で殴るんだ、自分の手が痛いもんだから。自分の女房をなんでこんなに殴るんだ、っていうぐらい、殴られたし、紐で首を絞められ殺されかけたことも。とてもじゃないけど、この人とはいられない、そう思った。でも、子どものために辛抱したね」さらに、50年代後半、浪曲人気に翳りが見え始めた。60年代も後半になると、人気衰退はますます顕著に。危機感を覚えた業界は70年、浅草に定席「浪曲木馬会(現在の木馬亭)」を設けた。すると、一時廃業していた多くの浪曲師たちが戻ってきた。だが、相変わらず、曲師が足りない。戦後、安定した収入のために一時は三味線を置いた祐子さんだったが、ふたたび声が掛かる。「一度手伝ったら『明日もお願い』『その次もお願い』って言われちゃって。私も三味線、好きですから。しまいには定期券を買って、通うようになったね」懐かしい人にも再会した。玉川派の浪曲師・玉川桃太郎さんだ。年齢は祐子さんより1つ下だが、浪曲界への入門はともに40年。いわば2人は同期だった。「20年ぶりぐらいだった。木馬亭で『姉さん、しばらく』って」このとき、桃太郎さんは続けて不思議なことを言ったという。「『いずれ姉さんに三味線、弾いてもらうことになるよ』って。あっちは何げなしに言ったんだろうけど。思えばそれが縁だったんだね」桃太郎さんの言葉どおり、しばらくすると祐子さんは彼の三味線を弾くようになった。■2人目の夫は穏やかそのもの。「桃太郎と一緒になって、本当に幸せだった」「三味線、続けるなら出ていけ!」祐子さんが曲師としてふたたび多忙になり始めると、嫉妬深い夫はこう怒鳴りつけたという。「『三味線やめて家にいろ』と言うんだ。でも、私は三味線も浪曲も好きだから。それに、曲師が本当に足りなかった。これはもう出ていくしかない、そう思った」祐子さんは家を出て、4畳半一間のアパートで別居生活を始めた。「桃太郎の三味線は弾いてたし、内職もやったけど。一人暮らしとなると家賃、生活費とぜんぜん足りない。だから、千住のやっちゃ場(市場)の喫茶店で働きました」朝4時から喫茶店勤務。正午に仕事を終え、バスに飛び乗り浅草へ向かう。そんなダブルワークをしばらく続けた。「やっぱり育ちがあんまりよくないんだね。借金取りが来たのを見て育ったから。貧乏性なんだ。いまも家でジッとはしていられない」祐子さんの部屋に、あろうことか桃太郎さんが転がり込んでくる。「三味線弾くようになると情が移っちゃうじゃん。ちょこちょこ、ちょこちょこ、部屋に来るようになって。でも、これは罪作りだな~と思った。だって、あっち(桃太郎さん)には女房がいて、私にもクソ親父だけど、娘たちの父親がいたから。だけど、我慢できなかったんだね~。そのうち『俺と一緒になってくれ』って言われて。これは悩んだ。青江三奈の歌じゃないけど、悩んで悩んで、だ」いま風に言えばダブル不倫。越えてはいけない一線を越えた、その理由は、桃太郎さんの穏やかさ、優しさに引かれたから。「やっぱりね、優しい。一緒に暮らすようになっても、私に手をあげるなんて一切、なかった。私が口答えするでしょ。そうすっと穏やか~に『出てけよ』って言うんだ。だけど私が『出ていくとこないよ』って答えると『だったら大人しくしておけ』って。それだけ、それでおしまい」75年、ついに祐子さんの離婚が成立。晴れて2人は夫婦に。このとき、祐子さん53歳、桃太郎さん52歳だった。「子どもたちにも相談したよ。娘は『お母さん、これまで苦労してきたんだから、自分の好きに生きたらいい』って言ってくれた」その後は舞台でも、家庭でも、寄り添うように2人は過ごした。公私ともに支え合い、気づけば桃太郎さんとの生活は、前の結婚生活よりも、うんと長くなっていた。好きな浪曲の三味線を弾いて暮らしたい、それも、好きな人とーー。祐子さんのささやかな願いは、こうしてかなえられたのだった。15年、桃太郎さんは慢性腎不全急性憎悪のため、帰らぬ人に。「入院して、幾日もなく亡くなりましたけど。最後も『元気になって帰ろうね』って声掛けて。そしたら、あの人、な~んも言わずにニッコリ笑って。穏やかな人だったね、最後まで。昔から言うだろ、『本木に勝る末木なし』って。最初の男がいちばんって意味だけど、私の場合は反対だね。桃太郎と一緒になって、本当に幸せだった」しんみりと語る祐子さん。いまも自宅には、桃太郎さんの写真が飾られている。定期的に舞台に立つ木馬亭にも、夫との思い出が詰まっているはずだ。そこで記者は聞いてみた。「いまも近くに、桃太郎さんを感じますか?」と。すると祐子さん、照れ隠しなのか、破顔一笑、こう即答した。「あ!?何もないよ、そんなもの」■芸能人のお気に入りは福山雅治と松陰寺。少女のように話す姿が印象的だった2度目の取材日。記者は祐子さんが一人暮らしを続ける東京都北区の団地にお邪魔した。前出の小そめさん、それに祐子さんの弟子の杉山照子さんが同席し、ガールズトークの花が咲く。小そめさんが聞いた。「師匠、芸能人は誰が好きなんでしたっけ?」すると、祐子さん、「いっつもそればっかし聞かれんだな」と言いながら、どこかうれしそうにほほ笑む。「まずはあれだ、福山、福山雅治。あの人はいいなぁ。あとは、最近だとほら、あれがいるじゃん、松陰寺(太勇)、ぺこぱの。私、ファンなの。あの人は面白いねぇ」祐子さん、気持ちも若いが、体だってまだまだ元気だ。「まずお勝手はぜんぶやるでしょ。お使いも行く。お総菜は決して買わない、ぜんぶ自分で作ります。掃除は……、このごろは、掃除機はかけずに、ひょいひょいっと箒で掃いてごまかしちゃうの(笑)」祐子さんの住まいは2階。屋外での撮影をお願いすると、サンダル履きで団地の階段を軽やかに上り下り。足腰の衰えも見えない。「あとはそうね、ボケ防止にこれ、してるの。両手一緒は誰でもできるけど、これはちょっと難しいよ」祐子さんは左右の手をこちらに突き出すと、互い違いにグー、チョキ、パーを猛スピードで繰り返した。「すごいですね」と、記者が感嘆の声を上げると、うれしそうに笑ってこう続けた。「頭使うのはいいこと、記憶力だっていいんだよ。山手線一周でしょ、それから京浜東北線、高崎線に常磐線……、ぜ~んぶの駅名、こん中に入ってっからね」そう言って、自分の頭を指さして胸を張った祐子さん。そこで記者は山手線の駅名を諳んじることをリクエスト。「よ~し、山手線だな。まず上野、次が御徒町、秋葉原、神田……」興が乗ってきた祐子さん。どことなく浪曲の節のように駅名を並べ続けている。「それから、東京、有楽町、浜松町、田町……」あれ?新橋が抜けた?記者が口を挟むと祐子さん、「あ!」と声を出し、顔を赤らめ頭を抱えた。「あーーー、ダメだ、ダメだ、あ~あ~、自慢になんねえね~(笑)」少女のように恥ずかしがる、アラ100の祐子さん。かわいらしいその姿に、団地の6畳間は、大きな笑い声に包まれていた。
2022年09月11日ピアニスト仲道祐子が、デビュー25周年の記念リサイタルを開く[3月25日(金)Hakuju Hall]。桐朋高校音楽科卒業後ミュンヘン音大に留学。大学院修了後ドイツでの活動を経て、1996年に国内デビュー公演を行なった。25年の節目に掲げたテーマは「原点回帰」だ。「デビューよりも前、桐朋高校やドイツで学んだ頃、音楽をより深く勉強したいと考えるきっかけとなった頃が原点だと思っています。そこを見つめ直し、今後も頑張るエネルギーの素にするための〝原点回帰〟です」ベートーヴェン《ワルトシュタイン》をメインに、メンデルスゾーン、シューマン、リストというドイツ音楽を軸にしたプログラム。巨匠にして名教師でもあった恩師クラウス・シルデの思い出が特に濃厚に詰まっているのがメンデルスゾーンの《厳格な変奏曲》だという。「細かい指づかいなどはあまりおっしゃらない先生が、とても詳しくレッスンしてくださいました。今でも楽譜にそれが残っていて、懐かしく思い出します。先生は普段、書き込みはさせないんです。次に弾く時にそれを違う意味でとらえてしまうかもしれないから。でもこの曲だけは珍しくご自身の楽譜にも書き込みがいっぱいありました。何度も弾き込んだ、お好きな曲だったのだと思います」ドイツもの以外に、田中カレン作曲《愛は風にのって》も聴き逃せない。桐朋出身の作曲者が師の故三善晃の思い出を綴った子供のための曲集。仲道が弾いたCDが2020年にリリースされ、専門誌でも絶賛されている。今回は21曲中6曲を抜粋して演奏する。「私が高校生、カレンさんが大学生だった1980年代、桐朋の学長が三善先生でした。その頃の思い出やノスタルジーが色濃く反映されている曲集です。子供のための作品なので音の数がとても少ないのに、表現している内容はものすごく大人なんです」そのCDを聴いてみると、どこか懐かしい記憶を、彼女たちと違う時間を生きたはずの私たち聴き手も共有できるような気がする不思議な感覚。「作品が生まれ演奏される時、人と人の歴史が擦れ合う」ということを、かつて三善晃その人が書いていたのを思い出した。プログラム全体にはもうひとつメッセージを込めた。「明るく前向きな気持ちになれる曲を選びました。閉塞感が漂う毎日、とても素敵なHakuju Hallの空間で非日常を堪能して、また日常に戻って元気に明日に向かっていただきたいと思います」(取材・文:宮本明)
2022年01月24日『人気モデル五明祐子氏トークイベント』開催概要2019年11月3日(日)、千葉そごう店 2F キートゥースタイル内 集英社 FLAG SHOPにおいて、『人気モデル五明祐子氏トークイベント』が開催される。同イベントは、集英社 FLAG SHOP千葉そごう店のオープンを記念して開催されるもので、五明祐子氏が、こなれ感を出すテクニックや、購入して良かったアイテムなどを紹介する。集英社 FLAG SHOP千葉そごう店の営業時間は10:00から20:00まで。イベントの入場開始時間は12:45。開催時間は13:30から。参加費は無料。イベントへの応募は、集英社 FLAG SHOPにて、10月21日(月)23:59まで受け付ける。カジュアルファッションを得意とする五明祐子氏五明祐子(ごみょうゆうこ)氏は、ranchに所属し、モデルとして活動。『LEE』、『Marisol』、『GLOW』などの女性誌や、日本テレビ『ヒルナンデス!』、テレビCMなど幅広い分野で活躍している。オフィシャルInstagramのフォロワー数は77,000人以上。オフィシャルブログのフォロワー数は13,000人を超えている。著書には「永遠にカジュアル好きcoordinate200」がある。(画像は五明祐子オフィシャルブログ「オキラクDays」より)【参考】※集英社 FLAG SHOP※五明祐子オフィシャルブログ「オキラクDays」※五明祐子オフィシャルInstagram※ranch
2019年10月15日トップライター:沼口祐子日本にあって、フランスにないものは「塾通い」かもしれません。フランスにも学習塾がないわけではありませんが、数はとても少なく、通う生徒もまれです。また、塾は学力向上というよりは、成績不振な子どものサポートが目的となっているようです。では、放課後や休暇中の宿題や勉強を誰がみるのかというと、それは親です。フランスには階級意識が色濃く残っており、両親や家族の学歴レベルがほぼそろっています。そのため、現代になっても親の職業を継ぐ子どもは多く、親がわが子の勉強をサポートし、将来の道につながるようサポートしていくのです。科学者の子は科学者に、弁護士の子は弁護士に、教師の子は教師に、というパターンは少なくありません。理数系が苦手なのは家系なのか?パリ郊外ジフ市の公立中学ジュリエット・アダンに5年生(日本の中学1年)の2学期から転入した娘は、当初から数学、化学の授業についていくのが大変でした。家に戻ってからも長い時間机に向かって必死に勉強をしていましたが、成績は伸び悩んでいました。ある日、娘はこんなふうにたずねてきました。「ねぇ、ママ、わたしたちの親族でサイエンスに強い人っている?」わたしは父方、母方すべての親族を思い浮かべましたが、理数系はひとりもいなく、みんな文系であることに気づきました。すると娘は「やっぱね~。これって遺伝だよ」とため息をつきました。そして4年生(日本の中学2年)になると、クラス担任のムッシュ・ブリュヌが数学教師だったため、新学期がはじまると同時に、わたしは娘とともに学校に呼び出されることになってしまいました。「カリンには助けが必要です。塾に通うか家庭教師をつけるべきと思いますが」ムッシュ・ブリュヌはそう切り出しました。先生に言われるまでもなく、わたしも塾や家庭教師の料金を調べてみましたが、需要があまりないためか高額になっているようで、わが家の家計では捻出不可能でした。それを伝えると、ある提案をしてくれました。フランスの宿題お助け教室とは?先生「では、ちょっと趣旨は違いますが、わが校のエイド・オー・ドゥヴワ(宿題お助け教室)に参加してみますか?専任教師に数学を重点的にみてくれるよう、わたしから頼んでおきますので」わたし「授業料はどのくらいかかりますか?」先生「ここは公立校ですから、もちろん無料ですよ。ご心配なく」移民の多いフランスでは、公立校の中学校までの期間は放課後に生徒をサポートする制度があるのだそうです。家庭内で勉強を見てもらえない生徒を救済するシステムで、これはどの地域のどの学校にもあって、もちろん無料です。日本だと放課後はお金を払って学習塾に通うのが一般的と考えると、その点だけ取ればフランスの公立校は至れり尽くせりとも言えます。娘が通っている中学校のエイド・オー・ドゥヴワは、授業が半日で終わる水曜日を除いた月・火・木・金の放課後に、校内の図書館を使って開かれていました。専任教師は、フランス語・数学・歴史・地理・物理・生物、そして英語のすべてを教えることができるとのこと。ただし、ドイツ語だけは教えられないと言われましたが、娘の場合、ドイツ語の助けは必要ありませんでしたから問題はありません。とりあえず週に2回エイド・オー・ドゥヴワに参加すべく、その場で申し込みをしました。娘は毎日でもいいと言ったのですが、疲れてしまうのも問題なので週4日がちょうどよかったようです。凱旋門の前で微笑む14歳ごろの娘気さくな先生は、ラガーマン!エイド・オー・ドゥヴワは、6年生から3年生(日本の小学校6年~中学3年)の”やる気のある生徒”だけが少数集まっていたそうです。宿題のサポートが必要な移民の子はもっと大勢いたはずですが、勉強ができなくても、宿題をやらなくてもいいという生徒はそこには来ないからです。成績が伸び悩み、それでも、なんとかしたいという意欲と向上心のある生徒だけなので、その数は毎回10人ほど。しかし、娘にとって少人数はラッキーでした。図書館内で騒ぐ生徒はいないので集中でき、また先生からは個別の説明をじっくり聞けるからです。専任教師はムッシュ・シメオニというがっちりした体格のラガーマンでした。初対面の日、娘は「顔に殴られたあとみたいなアザがあったから、けんかっ早いこわいオジサンかと思った」と言っていました。娘のいぶかしげな表情を読み取ったムッシュ・シメオニのほうが、「いや~、昨日のラグビーの試合で顔をぶつけちゃってね」と照れ笑いしたそうです。先生はジフ市のラグビーチームの選手でもあったのです。ムッシュ・シメオニはあらかじめ、娘のこれまでの成績をチェックしており、数学を重点的に、またほかの主要科目もテスト前には、ていねいに教えてくれることになりました。娘も気さくな先生にすぐに慣れ、何でも質問ができたと喜んでいました。おやつも学校が無料提供ところで、放課後におやつもなくて小腹がすくのでは……と、心配したのですが、「いつもジュースやマドレーヌやクッキーとかが並んでて、食べ放題なんだよ」と、娘からの報告を受け、こちらもひと安心。無料なのにここまでやってくれる学校にはひたすら感謝でした。エイド・オー・ドゥヴワの終了は18時30分。先生と生徒が外に出てくるのは19時近くなり、冬になると真っ暗なので、わたしは犬連れで校門まで迎えに行っていました。学校の送り迎えは愛犬ジュエルの日課でしたムッシュ・シメオニは愛想がよく、毎回わたしに手を差し出し握手を交わしながら、「カリンの成績は上がっていきますよ」と、励ましの言葉をかけてくれました。その後、各科目の成績はわずかに上がってはいったものの、肝心の数学に関しては1ポイントだけは上昇したものの、落第しないギリギリの線が続きました。どんな子にも得手不得手があるのだから、わが娘も落第せずに進級していってくれればそれでいいかなと、そのころのわたしは考えていました。沼口祐子(ぬまぐちゆうこ)1957年静岡市生まれ。編集プロダクションを経て、フリーライターになり、女性誌のさまざまなページ作りに携わる。1995年に渡仏し、パリで20年間子育て、犬育てをしたのち、2015年に帰国。著書に、『しあわせになれるパリ幼稚園物語』、『気分はパリ暮らし』などがある。
2018年11月23日トップライター:沼口祐子英会話試験では趣味の乗馬についてスピーチした14歳のころの娘。娘は2011年の1月にシュタイナー学校からフランスの公立中学5年生(日本の中学1年)に転入しましたが、その春に「クラスユーロ」の試験を受けることになりました。クラスユーロは正しくは「セクション・クラス・ヨーロピアン・アングレ」。翌年の4年生(日本の中学2年)から始まる英語の強化クラスに入るための選抜テストです。30人という少数の席を得るため、12歳の子どもたちが英語力を競い合うのです。重要な試験とは知らずに受けた娘は……。クラスユーロ試験は強制ではありませんが、9割の生徒が申し込んでいたようです。わが家の場合はまだ公立校のシステムすらよく理解できていない時期で、娘とわたしのやり取りはこんな感じでした。娘「ママ、クラスユーロのテストがあるよ。ジュリーはいっしょにチャレンジしようって言うんだけど……?」わたし「受験料はいくら?」娘「タダだって」わたし「そう、ならカリンは英語が得意だから受けてみたら」娘「じゃあ、申し込むよ」当時、わが家は節約生活をしていたので、わたしは「お金がかからないならいい」という軽い気持ちでそう答えました。そうしてクラスユーロの筆記試験の日がやってきました。忘れもしません、その日2011年4月29日は、英国王室のウィリアム王子とキャサリン妃の婚礼の日でした。毎日通っている中学校の教室での試験ですから、娘もまったく緊張することなく、いつもと同じように登校して行きました。クラスユーロの試験は、最初に筆記試験があり、そこで60人が合格します。その後、スピーキングのテストがあり、そこで最終的に30人が合格するというシステムです。フランス人が、クラスユーロ試験をどれほど重要と考えているかを知ることになったのは、筆記試験合格者の発表の日でした。校内の壁に張り出された筆記試験合格者60名のリストの前は大騒ぎだったようです。抱き合って合格を喜ぶ生徒、反対に泣き崩れて先生になだめられる生徒も大勢いたと聞きました。軽い気持ちで受け、なんとなく受かってしまった娘はこの光景に驚き、申し訳ないような気持ちになったと帰宅後に話してくれました。英語の筆記試験は英国王室の慶事の日でした。愛犬ジュエルはコスプレで応援?2次試験は英語でスピーチ!それから数週間後、筆記テスト合格者60名は会話テストを受けることになりました。最終合格者は30名ですから確率は2分の1です。会話テストはひとりずつ教室に入り、数人の試験官の前に裏返しに置かれた数枚のカードの中から1枚を選び、そこに書かれたテーマについて生徒が数分間スピーチをするというやり方でした。その後、さらに試験官からいくつかの英語での質問があり、すらすらと答えられるかどうかも試されました。娘はラッキーでした。自分の趣味について語るというカードを引いたので、大好きな馬のこと、乗馬のことを話すことができたのです。そうして、あれよあれよという間に、娘は最終の30人選ばれ、めでたくクラスユーロの仲間入りをすることになりました。これはひとえにシュタイナー教育のおかげ、7歳からコミュニケーションとしての英語を学んできたからこそ合格できたのだと思います。もっとも娘の場合はシュタイナー教育を受けてきたので、公立校では皆より2学年遅れで、このときは14歳になってなっていました。合格したけれど……厳しい現実に直面!4年生(日本の中学2年生。フランスでは学年が上がるごとに数字が小さくなる)になりクラスユーロの授業がはじまりました。英語の授業時間だけが通常クラスと強化クラスに分かれ、またクラスユーロだけは授業時間も1時間増えることになりました。親友のジュリーとともにクラスユーロに入れた娘は、最初は喜んでいましたが、現実はなかなか厳しかったようです。フランスは移民国家ですから、両親が英語圏の国(アメリカ、イギリス、オーストラリアなど)の生徒も大勢います。そういう生徒にとって英語は母国語になりますから、得意で当たり前。30人のうち、トップクラスの成績を取るのは常にこれらの生徒でした。5年生のときは英語だけはクラスで一番だった娘ですが、クラスユーロに入った最初の学期から成績は急降下!20点満点で18点台だったのが、なんと7ポイントも落とし11点台にまでなってしまいました。また、クラスユーロは特別プログラムとして英語劇の公演などもあり、演技力まで求められるので、外交的な性格の生徒がどうしても有利になります。パリ育ちとはいえ、控えめな日本人の娘は端役しかもらえず、ますます点数を下げる原因になってしまったのです。それでも中学最終学年の3年生までは娘もクラスユーロの一員として、なんとか踏ん張りました。できる生徒はそのまま公立リセ(高校)でも引き続き、クラスユーロに在籍できるシステムです。が、娘のクラスユーロは中学終了とともに終わりました。地元のリセでは、クラスユーロの生徒は歴史地理をも英語で学ぶので、英語に加え、この成績もトップクラスでなくてはならなかったのです。歴史地理が苦手な娘は続けられるはずがありませんでした。今も娘が住む、パリ・リュクサンブール公園の風景。クラスユーロは将来に役立つのか?ところで、クラスユーロに入っているとどんな利点があるのでしょうか?まずは高校卒業時に受けるバカロレア試験(大学入学資格試験)の加算点数になること。そして、バカロレアに合格すると、その証書にクラス・ヨーロピアンに在籍していたと明記されるのです。もっともフランス国内の全部の公立中高がクラスユーロを実施しているわけではなく、ない学校もあります。また英語でなく、スペイン語やドイツ語のクラスユーロを実施している学校もあります。さらに、中学校での学業は平等にすべきと社会党政権下では、一度クラスユーロが廃止になった期間もありました。現在のマクロン政権下では、再びクラスユーロ選抜が復活していますが。さて、今はフランスの大学生になった娘は当時を振り返りこう言っています。「クラスユーロに入らないで、普通の英語の授業でいい成績をキープしたほうがよかったかもと思ったりもするよ。でも、今は、どちらでも関係ないかな。本当の英語力が求められるのは、この先の就職のときで、企業にとっては英語力をはかるのはTOEICだけだもの」と。娘にとってクラスユーロでの泣き笑いは、中学時代の思い出のひとつ。それだけのようです。(次回に続く)沼口祐子(ぬまぐちゆうこ)1957年静岡市生まれ。編集プロダクションを経て、フリーライターになり、女性誌のさまざまなページ作りに携わる。1995年に渡仏し、パリで20年間子育て、犬育てをしたのち、2015年に帰国。著書に、『しあわせになれるパリ幼稚園物語』、『気分はパリ暮らし』などがある。
2018年09月12日建築家・永山祐子の展覧会「建築から始まる未来-豊島×横尾忠則、宇和島×束芋×ほしよりこ-」が、東京・表参道のジャイル(GYRE)内アートスペース、アイ・オブ・ジャイル(EYE OF GYRE)で開催されている。11月24日まで。入場無料。本展では、今夏永山が手掛けた瀬戸内海周辺での二つのアートプロジェクトを、映像や写真、建築模型を用いて紹介。建築やアートのエネルギーによる地域再生を目指し、新たなコミュニティーを創造する取り組みとして話題となったプロジェクトのビジョンを提示する。一つ目の「豊島横尾館」は、現代美術家の横尾忠則の絵画作品「原始宇宙」の平面作品11点と、円塔の中や庭園でのインスタレーション作品、建築と一体となった美術館。もう一つの「AT ART UWAJIMA 2013」からは、作家の司馬遼太郎らが滞在したことでも知られる1911年創業の宇和島の老舗の「木屋旅館」をリノベーションするというアートプロジェクトを紹介。畳の一部をアクリル板にし、欄間(らんま)や壁、天井などに漫画家・ほしよりこが書く小説に基づき現代美術家の束芋が制作した映像が映し出された。他にも、宇和島のアーケードにある文具店をリノベーションしたプロジェクトや、 理想の街をつくる観客参加型の展示も登場する。会期中の11月17日には、永山と束芋によるトークショー「建築×アートの可能性」も開催。司会は、アートダイナミクスの生駒芳子が担当する。また関連商品の販売も実施。「AT ART UWAJIMA 2013」のために書かれた、ほしよりこの小説「そういう事がずっと続く」(700円)、束芋デザインの「宇和島Tシャツ」(2,500円)、宝飾品にならない真珠を蘇らせた「リパール」で作った、ほしよりこ、束芋、永山祐子監修のオリジナル限定商品などがそろう。
2013年11月08日幸せご報告NHKの青山祐子アナウンサーが、2012年3月5日午後3時8分に、都内の病院で第1子の男児を出産したと、神田うのが自身のブログで本人に代わり報告した。青山アナの友人の神田うのは、「幸せご報告」というタイトルで3月6日にブログで発表した。生まれた新生児は3418gと少し大きめで元気だそうだ。結婚は昨年1月に。青山アナは医療福祉関連会社の役員と2011年1月に結婚を発表し、9月には妊娠5カ月であることが明らかになっていた。青山アナはトーク番組「スタジオパークからこんにちは」の1月20日放送の司会を最後に務めて産休に入った。元の記事を読む
2012年03月06日