【偉人の凸凹学】信長はなぜ「うつけ者」を卒業できたのか!?少年信長を成長させた「あそび」とは
青年時代の信長の身なりや態度について、側近でもある太田牛一が詳細に書き記した『信長公記』によれば…
その頃の信長の身なり・振るまいといえば、湯帷子を袖脱ぎにして着、半袴。火打袋やら何やらたくさん身につけて、髪は茶筅髷。それを紅色とか萌黄色とかの糸で巻き立てて結い、朱鞘の大刀を指していた。(中略)
特に見苦しいこともあった。町中を歩きながら、人目もはばからず、栗や柿はいうまでもなく瓜までかじり食い、町中で立ったまま餅を食い、人に寄りかかり、いつも人の肩にぶらさがって歩いていた。その頃は世間一般に折り目正しいことが良いとされていた時代だったから、人々は信長を「大馬鹿者」としか言わなかった。
「現代語訳信長公記」太田牛一・著、中川太古・訳(KADOKAWA)p43より
https://www.amazon.co.jp/dp/4046000015/
…とあります。半裸のようなラフな格好、派手で奇抜な髪型と飾り物、人目もはばからず食べ歩き。
うーん、この「やっちまった」感を現代風に例えれば、髪を赤と黄緑のメッシュに染めて、シャツの前をはだけたニッカポッカスタイルで、コンビニの前でダラダラと友だちとタムロし、ケータイストラップをジャラジャラさせながら、唐揚げでも立ち食いしてそうなカンジでしょうか。
大人たちが眉をひそめるのも、私も一母親として、気持ちが分からないでもありません(笑)。
他にもこの頃の信長は、不真面目な態度や、冠婚葬祭で場をわきまえない非常識な行動をしていたので、周りの大人たちの目にはさぞ「うつけ者」に映ったのでしょうね。
でも、逆に言えば、こんな信長が、なぜ「うつけ者」を卒業し、一国一城の主として家族や家臣たちを守りながら、やがては天下人になるほどのの大人になれたのか気になりませんか?
同じように、昔は少々やんちゃが過ぎて、周りの大人たちから怒られてばかりだったのに、急に「あの子、なんだか最近しっかりしたわよね」な〜んて言われるようになった子が、誰もで身近に1人や2人、思い当たるのではないでしょうか。
自由奔放で少々我の強い少年の心を、類い稀なるリーダーシップのある大人へと成長させた理由。そのヒントは少年時代の信長の「あそび」に、ぎゅっと詰まっているように私は感じられます。
心と身体を成長させる、信長の「あそび」
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10337001301
青年信長の日々の過ごし方について、前出の「信長公記」