2017年9月4日 14:00
ダウン症の息子と歩いた日々に、父親の僕が教わったこと
生後4ヶ月でのダウン症宣告。当時の僕は、受け止められなかった
みなさんはダウン症のある人に、どんなイメージを持っているだろうか?
いまから9年前の2008年、わが家にとって初めての子となる、脩平(しゅうへい)が生まれた。ダウン症があった。
ぼくにとっては、妻との出会い、結婚、子供の誕生と大きな変化が続くなかで、人生最大の出来事だった。
Upload By 黒木 聖吾
脩平がダウン症と診断されたのは生後4ヶ月後。一般的には生まれた直後にダウン症候群と判明することが多いが、脩平は1ヶ月健診でも何も指摘されなかった。授乳に時間がかかったり、泣き声は弱かったものの、一人目の子どもだったので、そういうものかと夫婦で考えていた。
それでもなんとなく違和感があり、大学病院に相談して染色体検査を受けることになった。
結果は「問題ない」、となることを夫婦で疑わなかった。違和感を晴らすための検査だった。
しかし、数週間後、聞かされた結果は陽性=ダウン症、だった。
医師から告知された時、「この子はいったいなんなのだろう」と混乱し、涙が出てきた。自分の子どもがダウン症である、ということを受け止めきれなかったのだ。
子どもには自分ができなかったことは何でもやらせてあげようと期待が大きかっただけに、「ダウン症候群」という言葉で頭が真っ白になってしまった。
情けないことに、それから半年間ほどぼくは現実を直視できず、お酒の力を借りては逃避していた。当時を振り返ると、ダウン症のある子どもの成長していく姿や将来を思い描くことができなかったことが、さらに自分を不安にさせていたのだと思う。
ダウン症のある人たちがこんなにも社会で活躍している。海外の情報に触れて広がった新たな風景
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28144100175
転機が訪れたのはインターネットだった。
当時、日本語で「ダウン症」と検索しても、出てくるのは育児や療育といった幼少期の話題だけだったが、英語で「Down Syndrome」と検索すると、ぼくの知りたかった「どういう人生を送るのか」という情報が充実していることに気が付いた。特にアメリカでは、ダウン症のある人が社会に受け入れられ、大学に進学したり、仕事に就いたり、オリンピックに出たり、俳優になったり、様々な分野で活躍していた。