2018年11月5日 07:00
おやつは「ハサミの練習」の時間!?自閉症息子の楽しみを奪ったモーレツ母さんの、14年後の懺悔
『発達障害に生まれて』(松永正訓著/中央公論新社)ノンフィクションの題材となった立石美津子です。
「子どもが不器用であること」を心配しすぎて、「子どもの将来のために家でも練習させなくては!」とつい一生懸命になってしまうことがあります。
療育を辞書で引くと「障害をもつ子どもが社会的に自立することを目的として行われる医療と保育」と出てきます。
障害者だって社会で生きていかなくてはならないのですから、本人が暮らしやすいように練習するのが本来の療育の姿だと思うのですが、「〇〇できるようになってほしい」とこちら側の思いばかりが強くなり、療育の目的がズレてきてしまっている人もいると思うんです。
私自身が、そうでした。
完璧主義者だった私
私の性格は完璧主義。一生懸命で努力家でした。療育施設に通わせていたころは、「週1回通っているときだけ訓練するんじゃダメ。
効果を上げるためには家庭でも同じことをしなくては!」と考えていました。
例えば、療育施設ではハサミを使う、折り紙を切る・折る、縄跳び、自転車などさまざまな訓練がありました。ピアノのレッスンなどの習い事と同じで、週1回施設で練習したからって身につくものではありません。
熱心で真面目な私が思っていたのは「毎日の積み重ねが大事」ということでした。ですから「おうちでも体験させてあげてくださいね」と、療育の先生が軽く言った言葉を重く受け止めました。
Upload By 立石美津子
息子は5歳だった当時、手先が不器用でハサミを使えませんでした。そこで私が考えたのがこれ。おやつを封筒に入れてハサミで切らせる練習です。
ハサミを使えなければ、おやつを口にできないしくみです。
当時は「グッドアイデア~。毎日の生活の中でできる療育!」なんて自画自賛していました。
息子の気持ちは?
Upload By 立石美津子
結果的に息子はハサミを使えるようになりましたが、もしかしたら家でやらなくても使えるようになっていたかもしれません。
今、振り返ってみると“楽しみなおやつタイムが訓練の時間”と化してしまった息子は、しんどかったと思います。当時、息子は言葉を話すことはできませんでした。もし言葉を話せていたら、「もう嫌だ。おやつや食事のときくらい、好きなようにさせてよ!」と怒っていたかもしれません。
もちろん日常生活を送っていくために、ある程度のことをできるようにすることは大切です。