2021年7月23日 14:15
「心が擦り切れる疲れ」そのままにしていませんか?体と心のやすませ方、ほぐし方【児童精神科医・三木崇弘先生】
頑張れる場合と、頑張り切れない場合がある
その昔、とある実業家の先輩に聞いた話です。
その方は、とある仕事で頑張って頑張って頑張って、プロジェクトの終わりのほうで自然と涙が出てきたと。それで初めて「ああ、こんなに涙が出て止まらないほど自分は頑張ったんだな」と思えたそうです。最初から難しいプロジェクトだったので結果は残念なものだったそうなのですが、それでも納得感はあったそうです。
僕を含め一定数の人が、このエピソードに対して「やっぱり『やり切る』って大事だよな」と感じたと思います。
でも実際には、保護者もお子さんも、頑張りきれずに疲れてしまうことも多いのではないでしょうか。
あるいはお子さんが頑張りきれずにいることにたいして、イライラすることもありますよね。それで叱ってしまったり、あるいはもう頑張りきれないところまで頑張って擦り切れて僕たち専門家のところにたどり着く子もいます。
世の中には「頑張れたエピソード」があり、でも一方で自分の暮らしの中では「頑張りきれないこと」が溢れています。
これって、何が違うのでしょうか?
自分が頑張りたいかどうかが分かれ目
一つのポイントは「本人が頑張りたくて頑張っているかどうか」です。
先の先輩はおそらく、自身がやりたくてたまらないからこそ「自然と涙が出るまで」頑張りきれたのでしょう。僕もありがたいことにいろんなお仕事をいただくようになり、しかも仕事の合間に大学院にも通っていて、そしてこうやって原稿も書き…我ながらよく頑張れているなと思います。
しかしこれが「嫌々やらされている」「他人の基準でやると決めた」仕事や勉強だったら、どうだったでしょうか。ここまで頑張れなかったかもしれません。
単純化してしまうのは危険ですが、とは言えざっくり、擦り切れてしまう子どもたち、あるいは働きすぎてうつになってしまう人は、「やりすぎている」「自分がやりたくないものをやっている」のかもしれません。
擦り切れないために、頑張る対象を絞り込もう
とすると、我々は頑張る対象をある程度絞り込んだほうが良いのかもしれません。
優先順位の低い家事、やったほうがいいけどやらなくても困らない雑用、気が進まない頼まれごと…。
組織に属していたり、コミュニティでの関係性を維持するためには不本意ながらやらなければならないこともたくさんあります。しかし、自分が「やりたい」