子育て情報『発達障害娘、SNSトラブルで体調を崩し休職。親も疲れ果ててしまい、支援者の方に助けを求めると』

2021年9月7日 14:15

発達障害娘、SNSトラブルで体調を崩し休職。親も疲れ果ててしまい、支援者の方に助けを求めると

気分のアップダウンも大きく、楽しそうに話していたかと思えば、急に落ち込んだりする娘に振り回され、私は対応に手を焼きました。

「会社や仕事が嫌いなわけではない。けれど体調を崩して会社を早退してしまうことが申し訳ないと感じている。かといって以前のようにフルタイムで働く自信がない」

娘には嘔吐や希死念慮の症状も出始めました。


長引く娘の休職に心身ともに限界を迎えてしまった私

それまでは私は、“家を娘にとって居心地の良い場所にしよう”と努めていました。
娘の話し相手になったり、平常を心掛けて接したり。ときには娘の気持ちが上がるように、意識して盛り上げるような発言をしたり。

でも娘の休職が長引くにつれて私にも疲れが出始め、会社とのやり取りや支援者との連絡、娘の体調・経過記録をつける作業が徐々につらくなっていきました。

入社1年目のときに構築された娘を支えるチーム体制があるのにも関わらず、娘が自ら支援者に相談しようとしないことにも歯がゆさを感じました。

「娘は、受動型でもともと自分から行動を起こすタイプじゃない」
「不調の大きな原因が仕事上のことではなくプライベートなことだったので支援者に相談しづらかったのかもしれない」
「コロナ禍で以前ほど身動きが取れないから仕方ない」
私はなるだけポジティブになろうと自分を鼓舞しました。

でも、だんだん
「どうして娘は私にしか相談しないのか」
「支援者に直接会うことはできなくても電話やメールでも相談はできるはず」
「家には娘以外の家族もいる。私が娘だけにつきっきりになるわけにはいかない」
「学生なら“あと何年間で卒業”といった終わりがある。でも卒業後の人生はずっと続く。この状態は一体いつまで続くのか」
と思うようになり気分がふさぐようになりました。

そして娘が休職して1ヶ月ほどが過ぎたころから、私は何もする気が起きなくなってきました。
娘の経過観察の記録も、病院のつきそいも、娘の話し相手になるもの嫌になってしまったのです。

実際嫌になってやめてしまったのか、疲れ果ててできなくなってしまったのか、その辺りの記憶は曖昧です。記憶が抜けているということは、当時の私は相当まいっていたのでしょう。

私は支援者の方々に「疲れて果ててしまいました」と連絡をしました。


動いてくれた支援者の方々。そして…

それからは、卒業校の先生と基幹相談支援センターの支援員さんが娘の対応をしてくれるようになりました。

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